第29話「反知性主義」
「二人共部屋を出てくれ。彼女と二人きりで話したい」
カナリの予想に反してムストフィルは取り乱すこともなく、私兵に二人共部屋から出るように告げてから机の前の椅子に腰かける。
「それで? 何を根拠に私を告発するつもりなのだ、アヌビスの娘よ」
「この手紙だ」
カナリはヴィンセントがバトリークのアジトで手に入れた書簡を懐から取り出した。
「この手紙の中に全てが書かれていたよ。貴方はハースハートを訪れて間もなくバトリークと接触して、奴に秘密裏の援助を繰り返していた。炊き出しの食事に頭の働きを鈍らせるシロップを混ぜたのも、中央図書館の焚書を指示したのも、全部貴方だった」
「……」
「この手紙を領主様に渡す前に聞きたいことがある……どうしてこんなことをしたんだ!?」
ムストフィルは無言のまま腰を上げると、荷物をまとめていた時と同じように部屋の窓から民衆の営みを見下ろした。
「娘よ。寄生虫の生態には詳しいか?」
「……何の話?」
眉を潜めるカナリをよそに、ムストフィルは言葉を続ける。
「寄生虫というのはその種によって、どの生物を宿主にするのかということが決まっているらしい。故に、本来とは異なる宿主の体に入り込んでしまった寄生虫は、勝手が分からずに宿主の体内を食い荒らし、最後には宿主を道連れにする形で死んでしまうそうだ」
「博識だね。でもそれがいったいなんの関係がーー」
「ウィルザードと言う国とお前たち魔物娘の関係が、正にそういうものだということだ」
カナリの方を振り返ったムストフィルの目には、嫌悪と侮蔑の感情が浮かんでいた。
「お前たち魔物娘は性別や思想、身分や貧富に関係なく人間に手を差しのべ、飢えや病、老いという苦悩から解放している。生活に余裕が出来た民衆は、やがて時間を芸術や哲学を始めとする教養に当てるようになるだろう。お前が図書館の設立を領主に働きかけたのも、そのような動きを助長するためだったのだろう?」
「……その通りだよ。でも、貴方の話の筋が理解できない。どうして僕たち魔物娘がウィルザードを食い荒らす寄生虫なのさ?」
「まだ分からないのか! 教養という武器を手に入れた民衆は『権利』という言葉を建前に、ことあるごとに支配層に牙を向けるようになる! 現にここハースハートでは労働者たちの反乱によって、多くの資産家や役人が失墜していった! 革命が起こるまでハースハートが皇族に納める上納金は国内でも1、2を争う額であったにも関わらずだ!」
もはやムストフィルの態度には当初の冷静さは消え失せ、口角泡を飛ばすと表現するにふさわしい勢いである。
「だからこそ私はハースハートを訪れたのだ! 民衆に己の身の程というものを分からせるために! そして、あの革命のような事態が他国に飛び火し、ウィルザード全体が衆愚という名の病に冒され、ゆっくりと死んでいくのを防ぐためにだ!」
ヒートアップしていくムストフィルとは対照的に、彼を見つめるカナリの目はひたすらに冷ややかになっていくばかりだった。
「つまり、貴方は……人々が自立せず、愚かなままでいる方が国のためだと考えたということ? それでバトリークを使ってあのような真似を?」
「民を家畜扱いする王は嫌われるが、家畜としての生き方が常に不幸であるとは限らない」
少し落ち着きを取り戻したムストフィルが、自身の椅子に座り直しながらそう呟く。
「王には王の、民には民のあるべき姿というものがあるのだ……」
「はっきり言って、貴方はバトリーク以上に愚かな人間だよ、上皇」
カナリは感慨深そうにしているムストフィルにそう言い捨てると、踵を返して部屋から出ていこうとした。
「待ちたまえ。実は私とバトリークの間には、もう1つ別の取引があったのだ。聞きたくないか?」
カナリはドアノブに触れようとした手のひらの動きを止めた。ムストフィルの言う「別の取引」が気になったのではなく、部屋の様子がおかしいことに気がついたからだ。
「そもそもバトリークが使っていたあの教会……元は数百年以上も前に使われなくなって放棄されていたものを、連中が整備して拠点として使えるようにしたものだ」
窓硝子や小さなシャンデリアがカタカタと音を鳴らして震え、カーテンが激しくたなびいている。地震や強風の仕業ではないことは明らかだ。
「そこでバトリークはある物の封印を偶然解いてしまった。奴がそれを私に献上する意思を伝えたことも、私がわざわざハースハートまで足を運んだ理由の1つだった」
カナリは咄嗟に部屋から飛び出そうとしたが、体に力が入らない。その場でふらりと振り返るのがやっとである。
「あの男にはこの宝玉の扱い方が分からなかったようだ……いや、只単に秘められた力を恐れ、手放したかっただけかもしれないな!」
そう叫ぶムストフィルの手に握られていたのは、淡黄色の宝玉が嵌め込まれている、煤けた灰のような色の王冠だった。
「砂の王冠ーー!」
カナリの体が、上から押し潰されたかのように床へと這いつくばる。体内に自分では無い何かが無理矢理入り込んでくる感覚に、彼女は猛烈な吐き気を覚えた。
「体中に魔力が漲るのを感じるぞ小娘! たった1つの宝玉をはめただけで、城全体が揺れているようだ……!」
ムストフィルが王冠を掲げると、部屋の振動はさらに激しさを増し、窓硝子が大きな音を立てて砕け散る。
カナリはとにかく這ってでも部屋の外へと出ようとしたが、死にかけの虫のように手足をひくつかせることしかできない。そうこうしているうちに彼女はムストフィルが王冠を頭に被ったまま、自分の後ろでズボンをゴソゴソさせていることに気が付いた。
「件の手紙ごと粉微塵に分解するか……火山の火口か深海のクレバスに送り飛ばすか……あるいは催眠をかけて城を出てから焼身自殺させるか……いずれにしてもまずは、生意気な女を『昔ながらの』やり方で屈服させてからでも遅くはあるまい」
上皇が何をするつもりなのかを察したカナリは、断ち切れそうな意識の中でも突き刺すような恐怖と嫌悪感がこみあげてくるのを感じた。それは今から自分に降りかかるであろう災いに対してだけではなく、全ての宝玉をそろえた砂の王冠をこの男が手中に収めた時、ウィルザードに生きる全ての存在が辿る運命に対してのものでもあった。
「(誰か……お願いだ……こいつをとめ……て……)」
………………………
……………
………
…
ふと頭の中に自身のはっきりとした意識が流れ込んでくるのを感じて、カナリは咄嗟に後ろを振り向いた。
「貴様、背後からとは卑怯な……! 私が上皇と知っての狼藉か……!」
砂の王冠はムストフィルの頭を離れ、黄褐色の魂の宝玉と共に床の上に転がっていた。
そしてムストフィルはというと下着姿で内股から大量の血を流しながら、目の前に立ちはだかる男に対して怒号を放っている。その男は紛れもなく、右手に窓硝子の破片を握りしめたヴィンセント=マーロウだった。
状況から察するに、窓ガラスが割れた部屋に異変の原因があることを察したヴィンセントが窓から侵入し、カナリの躰に気を取られているムストフィルの後頭部に一撃を食らわせて王冠を弾き飛ばした。そして、怒りに任せた蹴りの一撃をそのまま上皇の「宝玉」に放ったのだろう。
カナリは自分が助かったことを理解したが、ヴィンセントの眼を見ると安心するにはまだ早いということに気が付いた。
「な、なにをーーぎゃっ!」
ヴィンセントは上皇を床に蹴り倒すと、衝撃で白目を剥いて気を失ったその男に馬乗りになって、血で汚れたガラス片を振り上げる。その眼にはかつて彼が親友を手にかけた時と同じだったものであろう狂気が宿っていた。
「ヴィニー!!!」
ヴィンセントにタックルの要領で抱きつき、彼の体を上皇から引きはがす。
「助けてくれてありがとう、ヴィニー。でも、もう十分だ。全部、終わったんだ……」
「カナリ……」
ヴィンセントの眼が正気を取り戻したことを確認すると、カナリは彼の体から離れていつもの調子でまくしたて始めた。
「ほら、別に私って前から何度もレイプされかけてるって話したろ? 男装を始めたのもそれが理由の1つだったし。だから別に……何ともないから! 僕は大丈夫!」
「違うんだ、カナリ。お前が大丈夫でも、私が大丈夫じゃない」
「え……」
そう言って首を横に振るヴィンセントに、カナリは言葉を失う。
「お前がレイプされかけているのを見た時……俺は本当に自分という存在が壊れていくような感覚を感じた。俺はお前のことを只の助手に過ぎないかのように振舞ってきたが……俺にとってお前はそれ以上の存在なんだ、カナリ」
「ヴィニー……」
「今まで散々はぐらかしておいてなんだが……つまりはそういうことなんだ。遅くなって本当に済まない」
カナリはヴィンセントの告白に応える代わりに、彼の逞しい胸板に力の限り抱き着いて、小さく震えるような声で呟いた。
「怖かった……」
ヴィンセントはそれ以上何も言わず、カナリの頭を優しく撫で続けた。
「……ちょっと待った、ヴィニー。それって要するに……プロポーズだよね?」
しばらくして、彼の胸板から顔を離したカナリが最初に発した言葉がそれだった。
「それって私のことを妻として迎えるってことだよね? 結婚だよね? 私とセックスして子供産ませるっていう宣言だよね! ていうかもう私のズボン脱がしてるし! 案外手が早いんだね!」
「い、いやそれは俺じゃなくて奴が……」
ヴィンセントは慌てて言い訳するが、尻尾をぶんぶんと揺らし、完全に発情した雌犬の顔となったカナリを止められそうにもない。
「言質取ったからね! もう言い訳は無用だから! さあ、すぐにでもーー」
バキッ!!
「よし開いた! おい一体ここで何がおっとすみません少し席を外してから来ることにするよ……2分で戻るわ」
「……そこまでは早くはない! いや、そうじゃなくて……カナリ、取り合えずズボンを履け!」
部屋のドアを蹴破るもパンツ丸出しのカナリを見て察したコレールに対し、ヴィンセントが叫ぶ。
「えっと……そうしたらコレール。そこに落ちている宝玉と王冠を回収してくれ。そこらに放っておいたら流石にまずい」
「ああ、分かった……魂の宝玉か。それじゃあ、これが……『砂の王冠』……?」
床に落ちていた宝玉を拾った後に、王冠に手を触れようとするコレール。だが次の瞬間には王冠は自我を持っているかのように彼女の指先から離れ、部屋の奥へと飛んでいった。
「お……愚か者め……あのまま私を殺しておけば、王冠はお前たちの手に渡っていたというのに……!」
飛来した砂の王冠を手にしたムストフィルは、激痛に耐えながらもカナリたちの詰めの甘さをあざ笑う。
「砂の王冠は所有者を殺すか、所有者の明確な意思の元に譲渡が為されない限り……その所有権が移動することはない! 宝玉の一つを失ったところで、王冠の所有権は未だに私の手中にある!」
ムストフィルが狂気をも感じられる笑みを浮かべて王冠を掲げると、彼の体が青白い光に包まれる。
「覚えておくがいい……こうなってしまった以上、私はどんな手段を使っても『砂の王冠』を使ってウィルザードをあるべき姿へと戻す! その時に貴様ら寄生虫共に出来ることなど、何もありはしないのだからな!」
「待て、ムストフィル!」
カナリが手を伸ばすも、そのままムストフィルの体は虚空へと消えてしまい、後には彼の残した血痕だけが残されていた。
「うう、逃げられた……!」
「大丈夫だカナリ。何が起こったのかよく分からないけど、上皇が黒幕だったていう証拠を掴んだんだろ? それよりも……」
コレールはさりげなく魂の宝玉を懐に隠してから、後ろの方を指差した。
「領主様にここで起こったことの内容をどう説明するか、考えた方が良い」
コレールの背後には、混乱した様子の上皇の私兵を従え、険しい顔をしたヴァンパイアの領主が無言の圧力でもって、来客用の部屋の惨状に対する説明を求めていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ムストフィル3世の引き起こした凶行は、明後日にはカナリの新聞によってハースハート中に知られることとなった。
事の真相を洗いざらい知らされることとなったハースハートの領主は、皇帝に緊急のザムールを開くことを要求。皇帝は要求を受諾し、近いうちに上皇が罪人としてウィルザード中で追われるであろうことはほぼ確実となった。だがそれでもヴィンセントが言うには「砂の王冠が奴の手中にある限り、まだ安心はできない」らしい。ただ迷いはしたものの、3つの魂の宝玉をコレールたちが密かにハースハートから持ち出すつもりであるということに関して、領主には伝えないことに決めたようだった。
ーー3日後、ヴィニー探偵事務所にて。
「……随分豪勢な夕飯だな」
そう呟くヴィンセントの前には、クリームシチューや鮭のバターソテー、ローストビーフにスライムゼリーといった御馳走がずらりと並べられていた。
「しょうがないじゃん! 本当はコレールたちと一緒にちょっとしたお別れパーティのはずだったのに、ドミノの扱いについて色々と交渉しなきゃならないことが増えて来れなくなったっていうから……いっぱい食べてよね」
「……やれやれ」
食事を口に運び始めたヴィンセントを見るカナリの胸中は、穏やかなものではなかった。
実はドミノの扱いについての領主との交渉は既に終わっており、コレールたちはやろうと思えば晩餐会に出席できる状況だったのだ。実を言うとカナリは彼女たち(と言ってもほぼアラーク1人)とちょっとした作戦を計画していたのである。
ーーーーーーーーーー
「(カナリ。事情はコレールから全部聞いたよ。ただヴィンセントはまた何だかんだ言って、君と一線を越えるのを先送りにする可能性がある)」
「(そうかもね……)」
「(だから君にこれを渡しておく)」
「(これは……?)」
「(タケリタケを天日干しにして擂り潰した粉末だ。その気があるなら食べ物に仕込んでみろ)」
ーーーーーーーーーー
とは言えヴィンセントは抜け目の無い人間であり、味の違いから何かを盛られていることを察する可能性がある。なのでカナリはいつもは作らないような食事をたくさん用意して、それぞれに少しずつタケリタケの粉末を仕込むという巧妙なやり方を実行した。
「どう? 普段とは違う味付けにしてみたんだけど……」
「あぁ、悪くない」
「(……ふぅ)」
どうやらヴィンセントはタケリタケを盛られたことに気づいていないらしく、カナリは胸の中で安堵の溜め息をついた。
「御馳走さん。美味しかったよ」
「あ、あぁ……それじゃあ食器を片付けるよ……」
食事が終わった後も、ヴィンセントの様子に特に変化は見られなかった。
「(……もしかして量が足りなかったかな……)」
不安に思いつつも彼のお皿を片付けようとしてヴィンセントの方へと歩み寄るカナリ。
「きゃっ!?」
ヴィンセントはいきなり彼女の手首を掴み、驚き戸惑うアヌビスの少女を壁に押し付けた。
「……妙に辛味が強いと思ったんだ……まさか、薬を盛られるとは思わなかったけどな」
ヴィンセントの呼吸は荒々しく、興奮を抑えようとしているのが一目瞭然である。
「お前の過去や城でのこともある。ちょっとした出来心っていうなら、今すぐここから逃げろ。そうじゃないってんなら……手加減できそうにはないってことだけ覚えといてくれ」
カナリは真っ赤な顔で自身の口元を押さえると、胸の鼓動の高鳴りを感じながら一言だけ呟く。
「よ……よろしくお願いしまひゅ」
カナリは台詞を噛んだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーー翌日の夜。
「(ねぇ、それでどうだった? どうだったか教えてよカナリ!)」
「(もう……腰が抜けるかと……タケリタケパワーって、凄すぎだよ……♥)」
「(きゃー! エッチです!)」
ハースハートを出るために、預かり屋から引き取ったカクニがくくりつけられている荷馬車の横で、クリス、カナリ、エミリアの3人は猥談に花を咲かせている。
荷馬車の上では依然として拘束衣と呪符で縛られたミノムシ状態のドミノが死んだ目で横たわっており、その隣ではアラークがちらちらとクリスの方を盗み見ながらパルムの耳に呟いていた。
「(だから違うんだ! お前が見たのはリンリンを説得した帰りの私の姿だ。彼女にアプローチはされたが、誓って抱いてはいない! なに? 女の人の香水の匂い? あ、あれはその……帰りに『ぬるぬる♥もんすたぁおふろ』に……)」
そして、魔界豚の大きな体に寄りかかって話し込んでいるのは、コレールとヴィンセントの二人だった。
「何もこんな真夜中に出発しなくてもいいんじゃないか?」
「そうするように領主に言われたんだよ。これ以上の揉め事の種はごめんだとさ。それよりあんた、タバコ止めたんだって?」
「止めたさ。体に悪いからな」
2人はちらりとカナリの方を見てから、同時にククッと笑った。
「ガキに余計な入れ知恵しやがって」
「でももうこれで言い逃れは出来ないよな?」
「出来ないな。初めからする必要なんてなかったのかもしれん」
コレールはその言葉を聞いて嬉しそうに微笑み、魔界豚の鞍に足をかけて手綱を握る。
「思うに俺の中の時間はずっと止まってたんだ。錆び付いた懐中時計みたいにな。失うことを恐れて、一歩を踏み出すことが出来ていなかった。でも……」
ヴィンセントは目深にかぶった帽子を脱ぎ、頭に張り付いた髪の毛を振り払って整えた。
「生きていくってことは、傷ついて、壊れていくってことだ。だから止まってばかりもいられない。恐ろしくても、いつかは向き合う必要があるんだろうな」
「それなら、遅れた分の針を出来る限り本来の時間に合わせてやれよ。それに向き合うと言っても、もう独りだけで立ち向かわなくても大丈夫だろ?」
コレールは後ろを振り返り、クリスとエミリアに馬車に乗るよう指示をする。
カナリは2人の体を順番にぎゅっと抱き締めてから、潤んだ瞳で旅が終わったらまた会いに来るようにと約束した。
「幸運を祈る」
ヴィンセントはコレールに握りしめた拳を差し出す。
「お互いにな」
コレールはその拳に自身の拳をコツンとぶつけ、お互いの友情を確かめあった。
ーーーーーーーーー
「『生きていくってことは、傷ついて、壊れていくってこと』だってヴィニー? 詩人としての一面もあるなんて気が付かなかったよ」
ハースハートを去っていくコレールたちの背中を見送りながら、カナリが微笑む。
「……聞こえていたのか」
「僕にもそうやってロマンティックにプロポーズして欲しかったなぁ……」
ヴィンセントはプイと踵を返してスラム街の方へと歩いていく。
「ふふ、冗談だって!」
カナリは含み笑いをしつつもヴィンセントの右腕に愛おしげに絡みついた。
「あんまり大人をからかうもんじゃない」
「ごめんごめん。今夜はいっぱいサービスするからさ! ヴィンセントが好きそうな下着、前にこっそり買ったんだよね」
「だからからかうなって……」
「何さ、今のは本気だよ!」
ハースハートの夜空に浮かぶ大きな青い月が、帰り道を行く2人の姿を優しく照らしていた。
――30話に続く。
カナリの予想に反してムストフィルは取り乱すこともなく、私兵に二人共部屋から出るように告げてから机の前の椅子に腰かける。
「それで? 何を根拠に私を告発するつもりなのだ、アヌビスの娘よ」
「この手紙だ」
カナリはヴィンセントがバトリークのアジトで手に入れた書簡を懐から取り出した。
「この手紙の中に全てが書かれていたよ。貴方はハースハートを訪れて間もなくバトリークと接触して、奴に秘密裏の援助を繰り返していた。炊き出しの食事に頭の働きを鈍らせるシロップを混ぜたのも、中央図書館の焚書を指示したのも、全部貴方だった」
「……」
「この手紙を領主様に渡す前に聞きたいことがある……どうしてこんなことをしたんだ!?」
ムストフィルは無言のまま腰を上げると、荷物をまとめていた時と同じように部屋の窓から民衆の営みを見下ろした。
「娘よ。寄生虫の生態には詳しいか?」
「……何の話?」
眉を潜めるカナリをよそに、ムストフィルは言葉を続ける。
「寄生虫というのはその種によって、どの生物を宿主にするのかということが決まっているらしい。故に、本来とは異なる宿主の体に入り込んでしまった寄生虫は、勝手が分からずに宿主の体内を食い荒らし、最後には宿主を道連れにする形で死んでしまうそうだ」
「博識だね。でもそれがいったいなんの関係がーー」
「ウィルザードと言う国とお前たち魔物娘の関係が、正にそういうものだということだ」
カナリの方を振り返ったムストフィルの目には、嫌悪と侮蔑の感情が浮かんでいた。
「お前たち魔物娘は性別や思想、身分や貧富に関係なく人間に手を差しのべ、飢えや病、老いという苦悩から解放している。生活に余裕が出来た民衆は、やがて時間を芸術や哲学を始めとする教養に当てるようになるだろう。お前が図書館の設立を領主に働きかけたのも、そのような動きを助長するためだったのだろう?」
「……その通りだよ。でも、貴方の話の筋が理解できない。どうして僕たち魔物娘がウィルザードを食い荒らす寄生虫なのさ?」
「まだ分からないのか! 教養という武器を手に入れた民衆は『権利』という言葉を建前に、ことあるごとに支配層に牙を向けるようになる! 現にここハースハートでは労働者たちの反乱によって、多くの資産家や役人が失墜していった! 革命が起こるまでハースハートが皇族に納める上納金は国内でも1、2を争う額であったにも関わらずだ!」
もはやムストフィルの態度には当初の冷静さは消え失せ、口角泡を飛ばすと表現するにふさわしい勢いである。
「だからこそ私はハースハートを訪れたのだ! 民衆に己の身の程というものを分からせるために! そして、あの革命のような事態が他国に飛び火し、ウィルザード全体が衆愚という名の病に冒され、ゆっくりと死んでいくのを防ぐためにだ!」
ヒートアップしていくムストフィルとは対照的に、彼を見つめるカナリの目はひたすらに冷ややかになっていくばかりだった。
「つまり、貴方は……人々が自立せず、愚かなままでいる方が国のためだと考えたということ? それでバトリークを使ってあのような真似を?」
「民を家畜扱いする王は嫌われるが、家畜としての生き方が常に不幸であるとは限らない」
少し落ち着きを取り戻したムストフィルが、自身の椅子に座り直しながらそう呟く。
「王には王の、民には民のあるべき姿というものがあるのだ……」
「はっきり言って、貴方はバトリーク以上に愚かな人間だよ、上皇」
カナリは感慨深そうにしているムストフィルにそう言い捨てると、踵を返して部屋から出ていこうとした。
「待ちたまえ。実は私とバトリークの間には、もう1つ別の取引があったのだ。聞きたくないか?」
カナリはドアノブに触れようとした手のひらの動きを止めた。ムストフィルの言う「別の取引」が気になったのではなく、部屋の様子がおかしいことに気がついたからだ。
「そもそもバトリークが使っていたあの教会……元は数百年以上も前に使われなくなって放棄されていたものを、連中が整備して拠点として使えるようにしたものだ」
窓硝子や小さなシャンデリアがカタカタと音を鳴らして震え、カーテンが激しくたなびいている。地震や強風の仕業ではないことは明らかだ。
「そこでバトリークはある物の封印を偶然解いてしまった。奴がそれを私に献上する意思を伝えたことも、私がわざわざハースハートまで足を運んだ理由の1つだった」
カナリは咄嗟に部屋から飛び出そうとしたが、体に力が入らない。その場でふらりと振り返るのがやっとである。
「あの男にはこの宝玉の扱い方が分からなかったようだ……いや、只単に秘められた力を恐れ、手放したかっただけかもしれないな!」
そう叫ぶムストフィルの手に握られていたのは、淡黄色の宝玉が嵌め込まれている、煤けた灰のような色の王冠だった。
「砂の王冠ーー!」
カナリの体が、上から押し潰されたかのように床へと這いつくばる。体内に自分では無い何かが無理矢理入り込んでくる感覚に、彼女は猛烈な吐き気を覚えた。
「体中に魔力が漲るのを感じるぞ小娘! たった1つの宝玉をはめただけで、城全体が揺れているようだ……!」
ムストフィルが王冠を掲げると、部屋の振動はさらに激しさを増し、窓硝子が大きな音を立てて砕け散る。
カナリはとにかく這ってでも部屋の外へと出ようとしたが、死にかけの虫のように手足をひくつかせることしかできない。そうこうしているうちに彼女はムストフィルが王冠を頭に被ったまま、自分の後ろでズボンをゴソゴソさせていることに気が付いた。
「件の手紙ごと粉微塵に分解するか……火山の火口か深海のクレバスに送り飛ばすか……あるいは催眠をかけて城を出てから焼身自殺させるか……いずれにしてもまずは、生意気な女を『昔ながらの』やり方で屈服させてからでも遅くはあるまい」
上皇が何をするつもりなのかを察したカナリは、断ち切れそうな意識の中でも突き刺すような恐怖と嫌悪感がこみあげてくるのを感じた。それは今から自分に降りかかるであろう災いに対してだけではなく、全ての宝玉をそろえた砂の王冠をこの男が手中に収めた時、ウィルザードに生きる全ての存在が辿る運命に対してのものでもあった。
「(誰か……お願いだ……こいつをとめ……て……)」
………………………
……………
………
…
ふと頭の中に自身のはっきりとした意識が流れ込んでくるのを感じて、カナリは咄嗟に後ろを振り向いた。
「貴様、背後からとは卑怯な……! 私が上皇と知っての狼藉か……!」
砂の王冠はムストフィルの頭を離れ、黄褐色の魂の宝玉と共に床の上に転がっていた。
そしてムストフィルはというと下着姿で内股から大量の血を流しながら、目の前に立ちはだかる男に対して怒号を放っている。その男は紛れもなく、右手に窓硝子の破片を握りしめたヴィンセント=マーロウだった。
状況から察するに、窓ガラスが割れた部屋に異変の原因があることを察したヴィンセントが窓から侵入し、カナリの躰に気を取られているムストフィルの後頭部に一撃を食らわせて王冠を弾き飛ばした。そして、怒りに任せた蹴りの一撃をそのまま上皇の「宝玉」に放ったのだろう。
カナリは自分が助かったことを理解したが、ヴィンセントの眼を見ると安心するにはまだ早いということに気が付いた。
「な、なにをーーぎゃっ!」
ヴィンセントは上皇を床に蹴り倒すと、衝撃で白目を剥いて気を失ったその男に馬乗りになって、血で汚れたガラス片を振り上げる。その眼にはかつて彼が親友を手にかけた時と同じだったものであろう狂気が宿っていた。
「ヴィニー!!!」
ヴィンセントにタックルの要領で抱きつき、彼の体を上皇から引きはがす。
「助けてくれてありがとう、ヴィニー。でも、もう十分だ。全部、終わったんだ……」
「カナリ……」
ヴィンセントの眼が正気を取り戻したことを確認すると、カナリは彼の体から離れていつもの調子でまくしたて始めた。
「ほら、別に私って前から何度もレイプされかけてるって話したろ? 男装を始めたのもそれが理由の1つだったし。だから別に……何ともないから! 僕は大丈夫!」
「違うんだ、カナリ。お前が大丈夫でも、私が大丈夫じゃない」
「え……」
そう言って首を横に振るヴィンセントに、カナリは言葉を失う。
「お前がレイプされかけているのを見た時……俺は本当に自分という存在が壊れていくような感覚を感じた。俺はお前のことを只の助手に過ぎないかのように振舞ってきたが……俺にとってお前はそれ以上の存在なんだ、カナリ」
「ヴィニー……」
「今まで散々はぐらかしておいてなんだが……つまりはそういうことなんだ。遅くなって本当に済まない」
カナリはヴィンセントの告白に応える代わりに、彼の逞しい胸板に力の限り抱き着いて、小さく震えるような声で呟いた。
「怖かった……」
ヴィンセントはそれ以上何も言わず、カナリの頭を優しく撫で続けた。
「……ちょっと待った、ヴィニー。それって要するに……プロポーズだよね?」
しばらくして、彼の胸板から顔を離したカナリが最初に発した言葉がそれだった。
「それって私のことを妻として迎えるってことだよね? 結婚だよね? 私とセックスして子供産ませるっていう宣言だよね! ていうかもう私のズボン脱がしてるし! 案外手が早いんだね!」
「い、いやそれは俺じゃなくて奴が……」
ヴィンセントは慌てて言い訳するが、尻尾をぶんぶんと揺らし、完全に発情した雌犬の顔となったカナリを止められそうにもない。
「言質取ったからね! もう言い訳は無用だから! さあ、すぐにでもーー」
バキッ!!
「よし開いた! おい一体ここで何がおっとすみません少し席を外してから来ることにするよ……2分で戻るわ」
「……そこまでは早くはない! いや、そうじゃなくて……カナリ、取り合えずズボンを履け!」
部屋のドアを蹴破るもパンツ丸出しのカナリを見て察したコレールに対し、ヴィンセントが叫ぶ。
「えっと……そうしたらコレール。そこに落ちている宝玉と王冠を回収してくれ。そこらに放っておいたら流石にまずい」
「ああ、分かった……魂の宝玉か。それじゃあ、これが……『砂の王冠』……?」
床に落ちていた宝玉を拾った後に、王冠に手を触れようとするコレール。だが次の瞬間には王冠は自我を持っているかのように彼女の指先から離れ、部屋の奥へと飛んでいった。
「お……愚か者め……あのまま私を殺しておけば、王冠はお前たちの手に渡っていたというのに……!」
飛来した砂の王冠を手にしたムストフィルは、激痛に耐えながらもカナリたちの詰めの甘さをあざ笑う。
「砂の王冠は所有者を殺すか、所有者の明確な意思の元に譲渡が為されない限り……その所有権が移動することはない! 宝玉の一つを失ったところで、王冠の所有権は未だに私の手中にある!」
ムストフィルが狂気をも感じられる笑みを浮かべて王冠を掲げると、彼の体が青白い光に包まれる。
「覚えておくがいい……こうなってしまった以上、私はどんな手段を使っても『砂の王冠』を使ってウィルザードをあるべき姿へと戻す! その時に貴様ら寄生虫共に出来ることなど、何もありはしないのだからな!」
「待て、ムストフィル!」
カナリが手を伸ばすも、そのままムストフィルの体は虚空へと消えてしまい、後には彼の残した血痕だけが残されていた。
「うう、逃げられた……!」
「大丈夫だカナリ。何が起こったのかよく分からないけど、上皇が黒幕だったていう証拠を掴んだんだろ? それよりも……」
コレールはさりげなく魂の宝玉を懐に隠してから、後ろの方を指差した。
「領主様にここで起こったことの内容をどう説明するか、考えた方が良い」
コレールの背後には、混乱した様子の上皇の私兵を従え、険しい顔をしたヴァンパイアの領主が無言の圧力でもって、来客用の部屋の惨状に対する説明を求めていた。
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ムストフィル3世の引き起こした凶行は、明後日にはカナリの新聞によってハースハート中に知られることとなった。
事の真相を洗いざらい知らされることとなったハースハートの領主は、皇帝に緊急のザムールを開くことを要求。皇帝は要求を受諾し、近いうちに上皇が罪人としてウィルザード中で追われるであろうことはほぼ確実となった。だがそれでもヴィンセントが言うには「砂の王冠が奴の手中にある限り、まだ安心はできない」らしい。ただ迷いはしたものの、3つの魂の宝玉をコレールたちが密かにハースハートから持ち出すつもりであるということに関して、領主には伝えないことに決めたようだった。
ーー3日後、ヴィニー探偵事務所にて。
「……随分豪勢な夕飯だな」
そう呟くヴィンセントの前には、クリームシチューや鮭のバターソテー、ローストビーフにスライムゼリーといった御馳走がずらりと並べられていた。
「しょうがないじゃん! 本当はコレールたちと一緒にちょっとしたお別れパーティのはずだったのに、ドミノの扱いについて色々と交渉しなきゃならないことが増えて来れなくなったっていうから……いっぱい食べてよね」
「……やれやれ」
食事を口に運び始めたヴィンセントを見るカナリの胸中は、穏やかなものではなかった。
実はドミノの扱いについての領主との交渉は既に終わっており、コレールたちはやろうと思えば晩餐会に出席できる状況だったのだ。実を言うとカナリは彼女たち(と言ってもほぼアラーク1人)とちょっとした作戦を計画していたのである。
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「(カナリ。事情はコレールから全部聞いたよ。ただヴィンセントはまた何だかんだ言って、君と一線を越えるのを先送りにする可能性がある)」
「(そうかもね……)」
「(だから君にこれを渡しておく)」
「(これは……?)」
「(タケリタケを天日干しにして擂り潰した粉末だ。その気があるなら食べ物に仕込んでみろ)」
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とは言えヴィンセントは抜け目の無い人間であり、味の違いから何かを盛られていることを察する可能性がある。なのでカナリはいつもは作らないような食事をたくさん用意して、それぞれに少しずつタケリタケの粉末を仕込むという巧妙なやり方を実行した。
「どう? 普段とは違う味付けにしてみたんだけど……」
「あぁ、悪くない」
「(……ふぅ)」
どうやらヴィンセントはタケリタケを盛られたことに気づいていないらしく、カナリは胸の中で安堵の溜め息をついた。
「御馳走さん。美味しかったよ」
「あ、あぁ……それじゃあ食器を片付けるよ……」
食事が終わった後も、ヴィンセントの様子に特に変化は見られなかった。
「(……もしかして量が足りなかったかな……)」
不安に思いつつも彼のお皿を片付けようとしてヴィンセントの方へと歩み寄るカナリ。
「きゃっ!?」
ヴィンセントはいきなり彼女の手首を掴み、驚き戸惑うアヌビスの少女を壁に押し付けた。
「……妙に辛味が強いと思ったんだ……まさか、薬を盛られるとは思わなかったけどな」
ヴィンセントの呼吸は荒々しく、興奮を抑えようとしているのが一目瞭然である。
「お前の過去や城でのこともある。ちょっとした出来心っていうなら、今すぐここから逃げろ。そうじゃないってんなら……手加減できそうにはないってことだけ覚えといてくれ」
カナリは真っ赤な顔で自身の口元を押さえると、胸の鼓動の高鳴りを感じながら一言だけ呟く。
「よ……よろしくお願いしまひゅ」
カナリは台詞を噛んだ。
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ーー翌日の夜。
「(ねぇ、それでどうだった? どうだったか教えてよカナリ!)」
「(もう……腰が抜けるかと……タケリタケパワーって、凄すぎだよ……♥)」
「(きゃー! エッチです!)」
ハースハートを出るために、預かり屋から引き取ったカクニがくくりつけられている荷馬車の横で、クリス、カナリ、エミリアの3人は猥談に花を咲かせている。
荷馬車の上では依然として拘束衣と呪符で縛られたミノムシ状態のドミノが死んだ目で横たわっており、その隣ではアラークがちらちらとクリスの方を盗み見ながらパルムの耳に呟いていた。
「(だから違うんだ! お前が見たのはリンリンを説得した帰りの私の姿だ。彼女にアプローチはされたが、誓って抱いてはいない! なに? 女の人の香水の匂い? あ、あれはその……帰りに『ぬるぬる♥もんすたぁおふろ』に……)」
そして、魔界豚の大きな体に寄りかかって話し込んでいるのは、コレールとヴィンセントの二人だった。
「何もこんな真夜中に出発しなくてもいいんじゃないか?」
「そうするように領主に言われたんだよ。これ以上の揉め事の種はごめんだとさ。それよりあんた、タバコ止めたんだって?」
「止めたさ。体に悪いからな」
2人はちらりとカナリの方を見てから、同時にククッと笑った。
「ガキに余計な入れ知恵しやがって」
「でももうこれで言い逃れは出来ないよな?」
「出来ないな。初めからする必要なんてなかったのかもしれん」
コレールはその言葉を聞いて嬉しそうに微笑み、魔界豚の鞍に足をかけて手綱を握る。
「思うに俺の中の時間はずっと止まってたんだ。錆び付いた懐中時計みたいにな。失うことを恐れて、一歩を踏み出すことが出来ていなかった。でも……」
ヴィンセントは目深にかぶった帽子を脱ぎ、頭に張り付いた髪の毛を振り払って整えた。
「生きていくってことは、傷ついて、壊れていくってことだ。だから止まってばかりもいられない。恐ろしくても、いつかは向き合う必要があるんだろうな」
「それなら、遅れた分の針を出来る限り本来の時間に合わせてやれよ。それに向き合うと言っても、もう独りだけで立ち向かわなくても大丈夫だろ?」
コレールは後ろを振り返り、クリスとエミリアに馬車に乗るよう指示をする。
カナリは2人の体を順番にぎゅっと抱き締めてから、潤んだ瞳で旅が終わったらまた会いに来るようにと約束した。
「幸運を祈る」
ヴィンセントはコレールに握りしめた拳を差し出す。
「お互いにな」
コレールはその拳に自身の拳をコツンとぶつけ、お互いの友情を確かめあった。
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「『生きていくってことは、傷ついて、壊れていくってこと』だってヴィニー? 詩人としての一面もあるなんて気が付かなかったよ」
ハースハートを去っていくコレールたちの背中を見送りながら、カナリが微笑む。
「……聞こえていたのか」
「僕にもそうやってロマンティックにプロポーズして欲しかったなぁ……」
ヴィンセントはプイと踵を返してスラム街の方へと歩いていく。
「ふふ、冗談だって!」
カナリは含み笑いをしつつもヴィンセントの右腕に愛おしげに絡みついた。
「あんまり大人をからかうもんじゃない」
「ごめんごめん。今夜はいっぱいサービスするからさ! ヴィンセントが好きそうな下着、前にこっそり買ったんだよね」
「だからからかうなって……」
「何さ、今のは本気だよ!」
ハースハートの夜空に浮かぶ大きな青い月が、帰り道を行く2人の姿を優しく照らしていた。
――30話に続く。
20/05/21 09:54更新 / SHAR!P
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