第17話「邂逅」
コレール=イーラ一行をのせた荷馬車は、ウィルザードの砂漠をサンリスタルからハースハートへと向かう方角へと進んでいた。
途中で砂嵐に巻き込まれるという予定外のアクシデント(エミリアの指示で、下手に動かず砂嵐が去るまでその場に待機した)に見舞われたため、オアシスに着く前に陽は沈んでしまったものの、満天の星々と蒼い満月が砂漠の闇を照らしており、幸い道に迷うような事態にはならなかった。
「なあ、ボス?」
「どうした、ドミノ」
荷車の上で、星の光を便りに魔物娘図鑑を読んでいたドミノが、何気ない感じでコレールに話しかける。
「『エンジェル』ってさぁ、主神の使いで禁欲的とか言ってる割りには、肩も太股も丸出しの服装で、バカじゃねーのって感じだよな」
「あー……確かに。せめて下半身はカバーしておくべきだな。空とか飛んだら、真下からパンツ見えるだろうし」
ドミノの主張に、コレールは同感の意を示した。
「あれだ。作業員とかがよく履いている、丈夫な長ズボンとか履けばいいんだよ」
「駄目よ、そんなの!」
「そうですよ、ドミノさん!」
彼の提案に、クリスとエミリアが二人揃って抗議する。
「なんでさ。あのズボンならパンツは絶対に見えなー―」
「「可愛くない‼」」
「お、おう……」
二人が同時に発した言葉の剣幕に押され、ドミノは言葉に詰まった。
「……よし、じゃあこうしよう。下着を色気の無いものに代えるんだ。例えば……えっと、ふんどしとか」
服の袖を引っ張られる感触に振り替えると、パルムがスケッチブックを目の前にかざして、そこに書かれている文章を指し示す。
[それはそれで興奮する]
「……」
ドミノは絶句した。
ーーーーーーーーー
「誰がいるのか見えるか、エミィ?」
眉間に皺を寄せて双眼鏡を覗くエミリアに、コレールが問いかける。
コレールたちは、オアシスが肉眼で確認できる距離まで近づいた。しかし、そこには既に先客が訪れているらしく、キャンプファイアーの炎が赤々と燃え上がっている。そのような光景を見たときは、まず離れたところから偵察を行うのがウィルザードでの常識である。鉢合わせになった先客の正体が盗賊や奴隷商人だった……という事態を防ぐためだ。
「男の人が……います」
「何人だ?」
「一人みたいです」
「一人ィ!?」
エミリアの手から双眼鏡をもぎ取って覗き込むドミノ。
「マジで一人だ……まぁ、ハースハートも近いし、そこまで不用心というわけでもないか」
オアシスの側のキャンプファイアーでカエルやトカゲを素焼きにしていたのは、背が低く、これといった特徴もない壮年の男だった。
男はコレールたちの姿を認めると、首をちょこんと傾げて挨拶をした。
「どうも」
「あぁ、どうも。一緒してもいいかな?」
「大歓迎さ」
男はそう言うと、パチパチと賑やかな音を立てる焚き火に枯れ枝を何本か放り込んだ。
ーーーーーーーーーーー
「うん。このミネストローネ、冷えた体に染み渡る美味しさだな」
コレールたちは男と共にキャンプファイアーを囲み、エミリアの作った具沢山のミネストローネを楽しんでいた。
「ふふっ、ありがとうございます♪ おかわりはどうですか、おじ様?」
「あぁ、大丈夫。もうお腹いっぱいだよお嬢さん。ありがとな」
コレールは、男のくたびれた雰囲気の表情を眺めながら口を開いた。
「なぁあんた、連れはいないのか?」
「あぁ。しがない孤独な放浪者ってわけだ」
「そうか。私の名前はコレール=イーラ。良かったらお前の名前も教えてくれないか?」
コレールの頼みを聞いた男はククッと小さな笑みを溢した。
「お前さんたちの好きな呼び方で呼んでくれ」
予想外の返答に、コレールたちは思わずお互いの顔を見合わせた。好きに呼んでくれといっても、とっさに人の呼び方など思い付くはずもない。
「じゃあ……えっと……『ジョン』っていうのは……」
「そいつはありきたりだぜボス。『黄昏し者・ダン』にしよう」
「そういう類いのは頼むからやめてくれ」
ドミノのいやがらせ同然の提案には、流石に男自身から待ったがかかった。
「それなら……『フォークス』はどうかしら?」
「あっ、それ良いですね!私、好きです!」
[賛成]
クリスの案にエミリアとパルムの二人も同意する。
「よし、それじゃあ、俺のことは『フォークス』と呼んでくれ」
男は満足気に頷きながらそう答えた。
その後はしばらくの間他愛もない歓談が続いていたが、エミリアの自身の食の好みに関する話題(二口ほどで無くなってしまうような高級牛肉のソテーよりも、山盛りのフライドチキンの方が好みだという話だった)の後に、さりげない様子でフォークスが取り上げた話題が、この場の空気を一気に変えることになった。
「なぁ……コレール? この国ではほんの数年前まで、奴隷売買が合法だったって話は知ってるか?」
「ああ。知ってるとも」
コレールは頭の中で、非合法になってもやめられなかった奴もいたけどな、という言葉を後に続けた。
「そうか。ところで、奴隷売買がザムールの条約で禁止された時、これまで普通に商売をしていた奴隷商人はどうしたと思う?」
「どうしたって……捕まったら死刑みたいだし、まともな考えができる人たちは皆奴隷売買から手を引いたんじゃないの?」
フォークスは妥当な考え方を述べたクリスに向かって微笑みながら頷いた。
「その通りさ。条約が施行されてから一年以内に帝都で正式な手続きさえふめば、奴隷商人たちはこれまでの行いを咎められることもなく、堂々と足を洗うことができたんだ」
次の瞬間、フォークスの顔から乾いた笑みが拭い去られ、代わりに背筋が凍るような表情の陰りが、彼の顔面に広がっていった。
「笑えるだろう? 奴らは他人の人生を滅茶苦茶にすることで金を稼いでおきながら、その罪を何一つ償うこともなく、今でもこの国のどこかで、何事もなかったかのように暮らしているのさ」
夜の砂漠の冷え込みとは無関係の悪寒を、コレールたち全員が感じていた。誰一人フォークスの言葉に反論することも出来ず、凍りついた空気の中を、重苦しい沈黙だけが支配した。
「誰にだって許しを得る機会は必要だ」
コレールがやっとの思いで絞り出した言葉を聞くと、先程とは打って代わって、クックックと低い声で笑い始める。
「ククク……そうか。『許しを得る機会』か。……ククク、こりゃいいや。全く、笑えるぜ」
フォークスは少しの間狂ったように笑い続けていたが、コレールたちが自分のことを狂人か何かを見るような目で見てることに気づくと、笑うのをやめて、申し訳なさそうに肩をすくめた。
「重たい話をして悪かったな。俺はもう帰ることにするよ」
「帰る……? 帰るってどこに?」
「勿論、家にさ」
フォークスは立ち上がってからコレールに向かってそう言うと、背後の何もない空間に手をかざす。彼が一言、呪文のような言葉を呟くのと同時に奇妙な音が響いて、空間に裂け目の様なものが現れた。
「ミネストローネ、ご馳走さん。……多分、また会うことになると思うぜ」
フォークスはそれだけ言い残すと、裂け目の中に片足を突っ込んで、そのまま異空間の中へと姿を消してしまった。ほんの2分足らずの時間で、男はコレールたちの前から忽然と姿を消してしまったのだ。
「……少なくとも俺は二度と会いたくねえよ」
ドミノはフォークスの薄気味悪さに身震いを隠せていなかった。
「今の、『空間転移(テレポーテーション)』よね……? あの難解な上に、大量の魔力が必要な術式を、まるで馬車を扱うような感覚で使うなんて……」
クリスもまた、目の前で起こった出来事に動揺を隠せないようだった。
結局、コレールたちの間では、あの男の正体に関して議論を交わすのは時間の無駄であるという結論に落ち着いたため、全員が胸にモヤモヤとした物を抱えながらも、明日の出発に備えてめいめい支度を始めたのだった。
ーー第18話に続く。
途中で砂嵐に巻き込まれるという予定外のアクシデント(エミリアの指示で、下手に動かず砂嵐が去るまでその場に待機した)に見舞われたため、オアシスに着く前に陽は沈んでしまったものの、満天の星々と蒼い満月が砂漠の闇を照らしており、幸い道に迷うような事態にはならなかった。
「なあ、ボス?」
「どうした、ドミノ」
荷車の上で、星の光を便りに魔物娘図鑑を読んでいたドミノが、何気ない感じでコレールに話しかける。
「『エンジェル』ってさぁ、主神の使いで禁欲的とか言ってる割りには、肩も太股も丸出しの服装で、バカじゃねーのって感じだよな」
「あー……確かに。せめて下半身はカバーしておくべきだな。空とか飛んだら、真下からパンツ見えるだろうし」
ドミノの主張に、コレールは同感の意を示した。
「あれだ。作業員とかがよく履いている、丈夫な長ズボンとか履けばいいんだよ」
「駄目よ、そんなの!」
「そうですよ、ドミノさん!」
彼の提案に、クリスとエミリアが二人揃って抗議する。
「なんでさ。あのズボンならパンツは絶対に見えなー―」
「「可愛くない‼」」
「お、おう……」
二人が同時に発した言葉の剣幕に押され、ドミノは言葉に詰まった。
「……よし、じゃあこうしよう。下着を色気の無いものに代えるんだ。例えば……えっと、ふんどしとか」
服の袖を引っ張られる感触に振り替えると、パルムがスケッチブックを目の前にかざして、そこに書かれている文章を指し示す。
[それはそれで興奮する]
「……」
ドミノは絶句した。
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「誰がいるのか見えるか、エミィ?」
眉間に皺を寄せて双眼鏡を覗くエミリアに、コレールが問いかける。
コレールたちは、オアシスが肉眼で確認できる距離まで近づいた。しかし、そこには既に先客が訪れているらしく、キャンプファイアーの炎が赤々と燃え上がっている。そのような光景を見たときは、まず離れたところから偵察を行うのがウィルザードでの常識である。鉢合わせになった先客の正体が盗賊や奴隷商人だった……という事態を防ぐためだ。
「男の人が……います」
「何人だ?」
「一人みたいです」
「一人ィ!?」
エミリアの手から双眼鏡をもぎ取って覗き込むドミノ。
「マジで一人だ……まぁ、ハースハートも近いし、そこまで不用心というわけでもないか」
オアシスの側のキャンプファイアーでカエルやトカゲを素焼きにしていたのは、背が低く、これといった特徴もない壮年の男だった。
男はコレールたちの姿を認めると、首をちょこんと傾げて挨拶をした。
「どうも」
「あぁ、どうも。一緒してもいいかな?」
「大歓迎さ」
男はそう言うと、パチパチと賑やかな音を立てる焚き火に枯れ枝を何本か放り込んだ。
ーーーーーーーーーーー
「うん。このミネストローネ、冷えた体に染み渡る美味しさだな」
コレールたちは男と共にキャンプファイアーを囲み、エミリアの作った具沢山のミネストローネを楽しんでいた。
「ふふっ、ありがとうございます♪ おかわりはどうですか、おじ様?」
「あぁ、大丈夫。もうお腹いっぱいだよお嬢さん。ありがとな」
コレールは、男のくたびれた雰囲気の表情を眺めながら口を開いた。
「なぁあんた、連れはいないのか?」
「あぁ。しがない孤独な放浪者ってわけだ」
「そうか。私の名前はコレール=イーラ。良かったらお前の名前も教えてくれないか?」
コレールの頼みを聞いた男はククッと小さな笑みを溢した。
「お前さんたちの好きな呼び方で呼んでくれ」
予想外の返答に、コレールたちは思わずお互いの顔を見合わせた。好きに呼んでくれといっても、とっさに人の呼び方など思い付くはずもない。
「じゃあ……えっと……『ジョン』っていうのは……」
「そいつはありきたりだぜボス。『黄昏し者・ダン』にしよう」
「そういう類いのは頼むからやめてくれ」
ドミノのいやがらせ同然の提案には、流石に男自身から待ったがかかった。
「それなら……『フォークス』はどうかしら?」
「あっ、それ良いですね!私、好きです!」
[賛成]
クリスの案にエミリアとパルムの二人も同意する。
「よし、それじゃあ、俺のことは『フォークス』と呼んでくれ」
男は満足気に頷きながらそう答えた。
その後はしばらくの間他愛もない歓談が続いていたが、エミリアの自身の食の好みに関する話題(二口ほどで無くなってしまうような高級牛肉のソテーよりも、山盛りのフライドチキンの方が好みだという話だった)の後に、さりげない様子でフォークスが取り上げた話題が、この場の空気を一気に変えることになった。
「なぁ……コレール? この国ではほんの数年前まで、奴隷売買が合法だったって話は知ってるか?」
「ああ。知ってるとも」
コレールは頭の中で、非合法になってもやめられなかった奴もいたけどな、という言葉を後に続けた。
「そうか。ところで、奴隷売買がザムールの条約で禁止された時、これまで普通に商売をしていた奴隷商人はどうしたと思う?」
「どうしたって……捕まったら死刑みたいだし、まともな考えができる人たちは皆奴隷売買から手を引いたんじゃないの?」
フォークスは妥当な考え方を述べたクリスに向かって微笑みながら頷いた。
「その通りさ。条約が施行されてから一年以内に帝都で正式な手続きさえふめば、奴隷商人たちはこれまでの行いを咎められることもなく、堂々と足を洗うことができたんだ」
次の瞬間、フォークスの顔から乾いた笑みが拭い去られ、代わりに背筋が凍るような表情の陰りが、彼の顔面に広がっていった。
「笑えるだろう? 奴らは他人の人生を滅茶苦茶にすることで金を稼いでおきながら、その罪を何一つ償うこともなく、今でもこの国のどこかで、何事もなかったかのように暮らしているのさ」
夜の砂漠の冷え込みとは無関係の悪寒を、コレールたち全員が感じていた。誰一人フォークスの言葉に反論することも出来ず、凍りついた空気の中を、重苦しい沈黙だけが支配した。
「誰にだって許しを得る機会は必要だ」
コレールがやっとの思いで絞り出した言葉を聞くと、先程とは打って代わって、クックックと低い声で笑い始める。
「ククク……そうか。『許しを得る機会』か。……ククク、こりゃいいや。全く、笑えるぜ」
フォークスは少しの間狂ったように笑い続けていたが、コレールたちが自分のことを狂人か何かを見るような目で見てることに気づくと、笑うのをやめて、申し訳なさそうに肩をすくめた。
「重たい話をして悪かったな。俺はもう帰ることにするよ」
「帰る……? 帰るってどこに?」
「勿論、家にさ」
フォークスは立ち上がってからコレールに向かってそう言うと、背後の何もない空間に手をかざす。彼が一言、呪文のような言葉を呟くのと同時に奇妙な音が響いて、空間に裂け目の様なものが現れた。
「ミネストローネ、ご馳走さん。……多分、また会うことになると思うぜ」
フォークスはそれだけ言い残すと、裂け目の中に片足を突っ込んで、そのまま異空間の中へと姿を消してしまった。ほんの2分足らずの時間で、男はコレールたちの前から忽然と姿を消してしまったのだ。
「……少なくとも俺は二度と会いたくねえよ」
ドミノはフォークスの薄気味悪さに身震いを隠せていなかった。
「今の、『空間転移(テレポーテーション)』よね……? あの難解な上に、大量の魔力が必要な術式を、まるで馬車を扱うような感覚で使うなんて……」
クリスもまた、目の前で起こった出来事に動揺を隠せないようだった。
結局、コレールたちの間では、あの男の正体に関して議論を交わすのは時間の無駄であるという結論に落ち着いたため、全員が胸にモヤモヤとした物を抱えながらも、明日の出発に備えてめいめい支度を始めたのだった。
ーー第18話に続く。
16/08/07 22:55更新 / SHAR!P
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