第二幕:執着と変貌 〜それぞれの終着点〜
翌日も晴天に恵まれていた。
アクトは目を覚ますなり、母親の食事の準備や洗濯などを始める。
家事は少々面倒なことではあったが、しかし家族も母と自分の二人きり。炊事も洗濯も、始めてしまえばあっという間に終わってしまった。
さて、これからどうしようかと考えるが、晴れていれば結局思いつく事は一つきりだった。
釣りの用意を整え、いつものように母親に声をかける。
「それじゃあ行って来るよ。母さん」
「あ、アクト……」
アクトは振り返り、母親の顔を見る。
いつもと同じ母の顔だ。美しいが、少しやつれている。死相が出ているというわけでは無いが、やはり病人らしい弱々しい顔つきだ。
少し心配しながらも、立派に働きに出るようになった息子を少し誇らしく思っているような、そんな表情ではあったが、アクトはどこか違和感を覚えた。
何がどう、と上手く言葉にはならないものの、妙に気持ちが落ち着かなかった。
「母さん。何か心配事か?」
「ううん。なんでもないわ」
「大丈夫だよ。日が落ちる前には帰ってくる」
「そうね。分かったわ。私はゆっくり、養生させてもらうわね」
「あぁ、早く元気になってくれよ。母さん」
アクトは手を振って自宅を後にした。何か引っかかるような気はしたが、結局それ以上の事は分からなかった。
いつも通り、新鮮で精のつく食べ物を食べさせてやることが一番だろう。アクトはそう結論付け、小舟で海へと漕ぎ出した。
海の上には、アクトたちの乗った小舟以外に誰の人影も無かった。
青い空に、陰影のはっきりとした白い綿雲が浮かんでいる。そんな空を、時折ウミネコが鳴きながら横切ってゆく。船の下では大小さまざまな魚が行き交い、時折銀色の煌めきを残してゆく。
磯風が、事後の火照った肌に心地よかった。
小波が小舟を揺り籠のように揺らし、波の音が子守唄のように静かに響く。
思わず微睡んでしまいそうな穏やかな昼下がり。しかしアクトを包み込んでいるのは、そんな心地よさとは対極にある気持ち良さだった。彼に襲い掛かっていたのは睡魔ではなく、文字通り淫魔だった。
アクトの下半身に、一本一本が大人の脚ほどの太さのある八本の蛸の触手が絡み付いていた。更にその触手の先端はアクトの男根にねちっこく絡み付いて、ヌチャネチャと音を立てている。
「あんなに激しく愛し合ったのに、まだ勃起しっぱなしなんて。……アクトの、えっち」
「レイが、休ませて、くれない、だけだろ」
レイはアクトの股間の前を陣取り、上気し切った火照り顔に、にやにやと淫らな笑みを浮かべていた。
二人とも行為の後で、丸裸だった。
軟体の触手はひんやりとしていて、ぬるぬると肌に絡み付いて来るだけで鳥肌が立つほど心地よかった。それがぐちゅぐちゅと脚全体を覆い尽くしているのだから、まさに下半身がとろけてしまうような感覚だ。
おまけに男として一番敏感な部分にはそれぞれ八本の触手の先端が集中し、くすぐるように、揉みしだくように、時に強く、時に弱く刺激を加え続けられている。
一方では滑らかな粘膜で優しく撫でられ、もう一方では肉厚な吸盤で跡が付くほど吸われる。彼女のもたらす刺激は、まさに人外の、人知を超えた快楽だった。
射精しそうになるたび、刺激が睾丸をやわやわと撫でられる程度にまで弱められる、そして余裕が出てくると再び締め付けられこねくり回されと、終わりの無い官能の責め苦を味わわされていた。
度重なる性交の末、アクトの弱点は既に全てレイに握られてしまっていた。絶頂を迎える限界点の刺激やタイミングまで含め、全てだ。
レイはその知識を総動員し、アクトに逝きそうで逝かせないギリギリの快楽を与え続けていた。そうして蕩けて歪む彼の表情を愉しんでいた。
「アクトの気持ち良さそうな顔。可愛い」
「レイ。意地悪するのは、もう」
「ずっと見ていたいなぁ。昔は全部可愛かったけど、今は逞しくもなったよね。少し筋肉も付いて、筋肉質な身体に抱きしめられるのも、犯されるのも大好きだけど、でもやっぱりアクトの射精を我慢してる顔、快楽に耐えているこの顔、たまらなく可愛くて大好きだなぁ。逞しくなったからこそ、余計に可愛さが際立つっていうかぁ」
「それだったら、おれだって」
アクトは脚に絡み付いている触手の一本に手を伸ばす。全て筋肉で出来つつも柔らかさを失わないその表面に、触れるか触れないかというくらいの力加減で触れ、撫で回す。
途端、レイがびくっと身体を震わせ、表情から余裕が無くなる。
アクトは指を皮膚から、吸盤のあたりへと動かしてゆく。吸盤の付け根をくすぐるようにいじくり、吸盤の中にカリカリと爪を立てる。
レイの表情が蕩けはじめ、雌の淫らな匂いが漂い始める。
何も、相手の弱点を知っているのはレイだけでは無いのだ。アクトとしても、レイの弱点は大方把握している。逆襲の方法はいくらでもあるのだ。
「やだ……。私もまたしたくなってきちゃった」
「いくらでもするから、もういい加減どっちかにしてくれ。頭が、おかしくなりそうだ」
「でも、どうせ交わるなら長く味わいたいし……一回、射精しちゃおうね」
レイはそう言うと、触手の中から頭を覗かせていた亀頭部をぱくりと口に咥える。
唾液のしたたる舌がねっとりと亀頭のくびれや裏筋に絡み付き、唇まで使って強く吸い上げてくる。
その口での愛撫は、追い詰められていたアクトが限界を迎えるのには十分すぎる程だった。
抑えきれなくなった欲望が鈴口から溢れ出し、レイの喉奥へと精液を迸らせる。
「ん、んんん」
レイは涙目になりながらも、放出される精の全てを口で受け止める。既に一度性交していたにもかかわらず、レイの口がいっぱいになる程の量が注がれる。
射精が終わると、レイはアクトの精液を噛みしめ、舌の上で転がしながらわざとぐちゅぐちゅと音を立てて味わって見せる。
恍惚に蕩ける表情で涙をこぼしながら、唇を開いて白濁を湛えた自らの口内を、自分にした仕打ちを男に見せつける。
アクトの表情の変化を見て目だけで笑うと、口を閉じ、音を立てて精液を嚥下する。
「んっ。あぁ、美味しかったぁ」
「おれは味わったことは無いが、生臭くは無いのか? 匂いとか」
「魔物にとっては凄いごちそうなの。だから口でもおまんこでもどこでも、好きな人に体内に出してもらえるのは、これ以上ない愛情表現なんだよ」
レイは満面の笑みを浮かべてアクトの身体に抱きつく。そしてアクトの身体を抱き締めたまま、船の縁の方へと寄っていく。
「お、おい。そんなに寄ったら落ちるぞ」
「大丈夫。私に任せて」
と言いつつも、既にその身体は縁を越えようとしていた。
船の傾きは、もうどうにも止められなかった。二人の身体は海中へと落ちていった。
水面がぶつかる瞬間。アクトは目を閉じ、息を止める。
が、いつまで経っても水中に落下した感覚はやってこなかった。
耳に水が入って来たり、鼻が海水で沁みる感触も無かった。肌にも水の圧迫感を感じなかった。けれど目を開けてみれば、確かにそこは地上とは違う青い世界、水中だった。
ただしいつもと違って、水中のあらゆるものが透き通って見えていた。
そして何より驚くべきことに、息苦しさが全く無かった。
何が起こっているのか理解出来なかった。だが、レイは全てを分かっていたようで、アクトの様子を見ながら嬉しそうに笑っていた。
「ね、大丈夫でしょ」
「あ、ああ」
彼女の声も、船の上の時と変わらずよく聞こえた。
身体に感じる水の感触は、そよ風のように柔らかく自然なものだった。それでいて身体は沈むことなく、水中を漂い続けている。
見上げれば水面越しの日の光が青く煌めき、見渡せば色とりどりの魚が行き交っている。見たことも無い、幻想的な光景だった。
「私といっぱい交わったから、アクトの身体が私達に近づいてきているの。永遠に水中でも生きられる身体になるためにはシー・ビショップの儀式が必要だけど、私と交わってすぐだったら、しばらくだったらこういう風に水中で自由の動けるようになれるの」
レイはアクトから離れ、悠々と彼の周りを泳いで見せる。
アクトは最初それに見惚れていたが、すぐに自分も彼女に追い付こうと、手足を動かし泳ぎ始める。
いつもより手足に負荷は感じなかった。最初はがむしゃらだったが、手足を動かす度に、少しずついつもよりも思ったように水中で身体を動かせることが分かってくる。
だが、なにぶん初めての水中移動だ。思ったように動けず、レイに追いつき、触れようとしても一向に追いつけなかった。
レイはわざと手の届くところを泳いでゆくのに、手が届かない。アクトは意地になるが、なかなか女の身体は捕まえられなかった。
「うふふ。ほら、頑張って、私を捕まえて? そうしたら、アクトの好きにしていいよ?」
「くそ、待てよ。レイってば」
レイは笑いながら泳いでゆく。アクトも、自然と笑みがこぼれていた。
船の上で見ていたスキュラの姿も美しかったが、水中を泳ぐその姿はそれとは比べ物にならない程に美しく、艶やかだった。
触手の一本一本が妖しく揺らめきながら、男を誘う。さらに女は自らの身体にも触手を絡み付かせていた。女体が柔らかく歪み、乳房も官能的に形を変える。蛸の太い触手が絡み付いている事で、女体の美しさが更に際立たされていた。
アクトはもがき、必死で女を捕えようと手を伸ばす。
ようやく手が届きかけたと思ったその時、女の身体が目の前で消える。
そして次の瞬間、アクトは逆に後ろからレイに捕えられてしまっていた。
両手両足を触手に捕えられ、自由を奪われる。
触手がぬるりと動くと、アクトの目の前にレイの上半身が現れる。
レイのほっそりとした指が、アクトの頬を包み込む。
そして、レイの柔らかな唇が、アクトの唇へと押し付けられる。舌が侵入し絡み合う。
アクトは、自分の体がすぐに交合へ向けて準備を始めたのを自覚した。血流が活発になり、下半身に集中するのが分かった。
そしてレイもまた同じなのだと、アクトは実感する。海中であるにもかかわらず、レイの淫らな貝から香る芳しい匂いが感じ取れたからだ。
「んちゅっ。私が捕まえたんだから、私の好きにしちゃうね?」
それだけ宣言し、レイは再びアクトの唇を塞ぐ。
アクトの脚に、それぞれ二本ずつ触手が絡み付き、覆い尽くす。
そして余った四本の触手が背中に回される。
自分の自由になった腕をどうするべきか、アクトは既に分かっていた。自分の先端をレイの薄桃色の柔らかな桜貝にあてがい、むっちりとしたレイの尻を掴んだ。
そして、二人はお互いに腰を押し付け合った。
レイの雌の貝肉が、アクトの雄の欲棒によって食い破られる。瑞々しい愛液を溢れさせながらも、受精を心待ちにするように強く絡み付き、抜けないようにと吸い付いて来る。
全身、身体の中も外も、貝のようにぴったりとくっつきあう。それでも満足出来ないとばかりに、溶けあおうとするかのように深く深く雄と雌が絡み合い、求め合う。
その快楽に息遣いが時折乱れかけるも、既にレイの身体に近づいているアクトの身体は水中での呼吸を必要とはしていなかった。
自分でも気が付かぬまま、アクトは休みを挟むことなくレイと口づけを交わし続けていた。
二人はお互いの身体をまさぐり合い、貪り合う。
やがて自然とアクトの男根が膨張し、精が解き放たれる。おびただしい量の精液がレイの奥へと注がれるも、そこには心臓や下肢、筋肉への負担は一切無かった。
同時に絶頂を迎えたレイも同じだった。激しい官能の渦の中に否応なく飲み込まれてゆくような快楽と共に、穏やかな恍惚感の水面へ身を横たえているような安心感があった。
お互いの境界が無くなり、一つになってゆくようだった。そして一つになって、一緒に心地の良い海に溶けてゆくのだ。
青く煌めく世界の中で、二人は気が済むまで、忘我の境地に浸り続けていた。
浅い眠りはすぐに醒めた。
時間は、まだ昼前だろう。息子が出て行ってから、そう時間は経っていないはずだ。
彼女はベッドから身を起こすと、身体の震えを押さえつけるように自分の身体を抱き締めた。
身体の表面は汗ばむほどに熱いのに、身体の芯は寒気がするほどに冷え切っていた。
ここ数年ずっと体調を崩し続けていたが、しかしこの寒気はそれとは全く関係が無い事は、彼女自身が誰よりも自覚していた。
この震えは、恐怖の為だ。
死を、痛みを前にした感情、恐怖。終焉を避けようとする、生物に生まれた時から備わった、意思に先立つ本能。
だが、自分はそれを乗り越え、死を選ばなければならない。大切な一人息子の幸福の為に。
彼女はベッドから立ち上がると、よろよろとしたおぼつかない足取りで戸棚へと向かった。
引き戸を開けると、予想通りの場所に薬が置いてあった。
彼女はその小さな薬瓶、矢が突き立たれた心臓が触手によって覆い尽くされているかのようなおぞましい印が貼られたそれに、震える手を伸ばす。
きっとこれは、飲んだものの心臓を止めてしまう毒薬に違いない。彼女は直感的にそれを理解していた。
息子に女が出来ているのは、ずっと前から知っていた。
本当は女と一緒になりたいのに、自分のせいでそれが出来ない事も分かっていた。それでも自分を疎んじず、本気で心配して愛してくれている事も彼女は分かっていた。
だからこそ、息子の足かせにはなりたく無かった。
この薬が息子の用意したものなのか、それともその情婦が用意したものなのか、それは分からない。けれど息子は迷い、結果使う事はしなかった。
息子の気持ちとしては、そういう事なのだ。ならばこそ息子を幸せにしてやりたい。
彼女は、震えてる指で何度も失敗しながらも、何とか瓶の蓋を開けた。
瓶の中身からは、うっとりするような甘い匂いが立ち昇っていた。苦痛なく、夢見るように楽に逝けそうだった。
彼女は瓶に唇を付ける。
あとは傾けるだけで、口の中に毒薬が入ってくる。少し勇気を出すだけで、この重たい身体からも、罪悪感と後悔しかない気持ちからも楽になれることだろう。
どうすればいいのか分かり切っている。けれど、それがなかなか出来なかった。
手が震え出す。身体が急に冷え込んできて、もう立っている事も出来ない。
「ああぁ」
手から小瓶が零れ落ち、食材の籠の中へと落ちてしまう。
ひっくり返った瓶の口からは中身が零れ出し、籠の中に入っていた蛸や魚へと染みていってしまった。
死ぬことが出来なかったどころか、せっかく息子が自分の為に取って来てくれた食材までもこの手で駄目にしてしまった。
彼女は顔を両手で覆い、その場に崩れ落ちた。
涙が溢れて止まらなかった。自分の覚悟の無さが情けなかったが、それ以上に自分が生きている事に対する安堵で胸がいっぱいだった。
死を想ったとたんに、愛しい息子の顔が脳裏に浮かんで止まらなかった。自分の胎から生まれたばかりの、まだしわくちゃな赤子の顔から、今の精悍になった立派な姿まで、走馬灯のように駆け巡った。
そして、愛しい息子の姿をもっと見続けていたいと思わずにいられなかった。もっと生きていたいと願わずにいられなかった。
かつて夢中になっていた男の顔は一切浮かばなかった。浮かんだのは、ただ息子の事だけだった。
「死にたく無い。生きたい。アクトと、私も……」
早く元気になろう。何も死ななくとも、息子の負担にならない方法はいくらでもあるのだから。
彼女が立ち上がりかけた、その時だった。
ぬちゅり。にちゅり。にちゃ、ぬちゃ……。
どこからともなく、濡れそぼった布をいじくりまわしているような、粘膜や軟体質のものを擦り合わせているような音がし始める。
「え……。な、何?」
音の発生源は、彼女のすぐそばからだった。耳を澄ませると、発生源はすぐに分かった。
食材が入っていた籠だった。その中の蛸が、今しがた薬剤を浴びせられたそれが、先ほどまでとは比べ物にならない程大きくなっていた。
それは、もはや蛸とは呼べないような代物だった。人間の子供くらいならば、簡単に絡め取り食い殺してしまえそうな程に、おぞましく大きく膨れ上がった化け物になっていた。
その化け物の目がぎらりと光る。
彼女はそれの真意を察し、必死で手足を動かし、這ってでも逃げようとした。
しかし、ただでさえ手足が衰え、加えて突然の事に驚き腰が抜けてしまった身体では、上手く動く事さえ出来なかった。
無様に床を転がる女の脚に、野太い化け物の触手が絡み付く。
「い、イヤ、イヤぁ」
女の身体はずるずると引き寄せられてゆく。そして、片足だけではなくすぐにそのそれぞれの四肢へと筋肉の塊である触手が絡み付いた。
「や、やめ」
女のネグリジェのスカートの裾から、袖から、化け物の触手が忍び込む。
布地を引き裂く悲鳴のような音が部屋に響き渡るが、女は声を上げる事さえ叶わなかった。その時には既に、化け物の触手に口の中を蹂躙されていたからだ。
「むぐ、ううう」
ネグリジェは無残に引き裂かれ、薄暗い台所の床に、熟れた女の白い肌が露わになる。
二の腕や太腿には脂がのり、そのウエストにも弛んだ肉が付いてはいたが、乳房の形や身体のラインは、出産を経験しているものとは思えぬほどに美しく、病床に長い間臥せっていたにもかかわらず、女としての魅力を失っていなかった。
口の中に入り込んだ触手の先から、甘い体液が迸る。
拒絶しようにも、舌を擦られ喉奥に注がれるそれを、反射的に飲み込まずにいられなかった。
口の端からだらしなく体液と唾液を滴らせながら、女は咽ぶ。
それを喜ぶかのように、八本脚に化け物は全身を震わせた。そしてそれは、その突き出された口から、まさに蛸が墨を吐きかけるように体液を吐き出し、女の身体へと浴びせかけた。
それは墨とは逆に、白く濁っていた。粘つく化け物の体液を浴びせられ、女は恐怖に身を震わせる。
わずかに口に入ったそれは生臭く、少し苦みがあり、人間の精液を思わせた。
「ぷは、あぁ、イヤぁ……」
女の口から触手が引き抜かれる。だが、それは新たな責め苦の始まりに過ぎなかった。
化け物には八本の脚があった。女の四肢をそれぞれ一本ずつ使って拘束していたとしても、四本は余る計算となる。
その余っていた四本が一斉に女の身体に絡み付き、化け物自身の体液を塗りたくり始めたのだ。
「いや、いや、やめて……。誰か。誰かぁ! あぁ、アクトォ! 助けてぇ!」
叫び声は、誰にも届かず虚しく木霊するだけだった。むしろ女の悲鳴が気に入ったかのように、触手の動きが更に活発になってゆく。
腹に、太ももに、背中に触手が這い回り、体液を染み込ませてゆく。特に乳房や腋の下には念入りに絡み付くように、ねっとりと塗り付ける。
見るも恐ろしい、不気味な蛸の化け物による全身愛撫。にもかかわらず彼女は、なぜかそれを不快に感じる事が出来なかった。むしろ彼女が感じていたのは、十数年ぶりに湧き上がってくる性的な昂揚感だった。
彼女は自分の身体に何が起こっているのか分からなかった。理解したくも無かった。にもかかわらず触手が肌の上を通るたびに身体が熱くなり、どこかがぴくんと反応してしまう。
化け物の体液の効果なのだろうか。確かに体液を塗りたくられた事により、昂揚感は更に昂らされてはいたが、しかし最初に化け物の触手に捕えられた時点から、それは始まっていた気もした。
それはまるで、愛しい人に全身をまさぐられるような感覚だった。
自分でも認めたくは無かった。だが彼女は事実、化け物の触手に全身をもてあそばれながら、熱い吐息を繰り返してしまっていた。
「何、何なのよ、これは……。ダメよ。助けてぇ、アクトぉ」
身体の芯が熱かった。十数年も忘れていた、性欲の昂りだった。
女は困惑し、恥じらいつつも、蘇りつつある女の欲望を自覚せずにはいられなかった。思い浮かんだ男の顔は、驚く事に自分の息子の顔だった。
(ダメよ、何を考えているの私は……。いえ、そんな事より、この化け物から、逃げなくちゃ……。逃げなくちゃ、ダメなのに……。あぁ、アクト……)
頭ではそう考えつつも、しかしその口からは艶のある声が漏れ始める。
化け物の触手に蹂躙され、女の身体はもう体液まみれだった。
そして化け物は最後の仕上げへとかかろうとするかのように、彼女のまたぐらへと四本の触手の先を伸ばした。
「な、何する気なの。やめて、そこだけは……」
女は脚を閉めようともがくが、筋肉で出来た野太い触手の力には敵わなかった。女の膝はあっけない程簡単に開かれ、その白い太ももでさえ無理矢理に押し広げられて、ぐっしょりと濡れた秘部が外気に晒された。
触手は、まず最初に女の脚の付け根、白い内ももに張り付いた。痛みを与えない程度に吸盤で吸い付くと、そのまま左右に広げ雌穴を開いてゆく。
大きく口を開いた女の入り口を、もう一本の触手が舐め上げる。入口をなぞり、真珠のようにぷっくりと膨れた陰核を、先端で弾くように刺激を与える。
女の身体に電流のような快感が走り抜ける。全身が女の意思とは関係なく痙攣を繰り返し、秘裂からはとろとろと粘液が滴り始める。
準備が整うと、化け物はついに触手を女の胎内へと忍び込ませた。
痛みは無かった。あるのは気が触れる程の快楽だけだった。
余った一本が尻の穴に入り込んでも、女は違和感さえ感じなかった。むしろ更なる快楽を与えられ、歓喜にその身体を震わせるほどだった。
「あ、あぁ、アクト。アクトぉ……」
吸盤が陰核に吸い付くと、女は身体を仰け反らせながら、無様にも絶頂を迎えてしまった。
女は限界を超えた快楽に、全身を弛緩させる。化け物は抵抗が無くなったと見るや、手足を拘束していた触手までも動員して、首元や耳、乳房や乳首、腋の下、等々、部位を問わずに女の性感帯を責め始めた。
二度目の絶頂はすぐにやってきた。そして全身触手愛撫によって呼び寄せられたそれは、終わらない愛撫によって延々と長く尾を引いた。
女の意識は、もうすでに快楽に溶け落ちてしまっていた。
化け物は最後に、とどめとばかりに女の中に自らの口を突っ込み、どろどろの白く濁る体液をこれでもかという程吐き出した。
しかしそれでも化け物の責め苦は終わらなかった。化け物は己の体力が続く限り女の身体を責め続け、体液を送り込み続けた。
女は身体を痙攣させながら、ただ犯されるままに化け物の身体を受け入れ続けることしか出来なかった……。
目が覚めた時には、既に日は暮れかけていた。
彼女は身を起こし、困惑気に首をかしげる。
なぜ自分は台所などで寝転んでいたのだろう。どうしてベッドでは無く、こんなところに来ていたのだったか。記憶に霞がかかったかのように、上手く思い出せなかった。
彼女は立ち上がる。全身がべたべたして気持ちが悪かった。出来れば水浴びするか、濡らした布で身体を清めたかった。
歩き始めて、女は自分の身体の違和感に気が付いた。
いつもと違って、上手く歩けなかった。まるで歩き方を忘れてしまったかのように、脚が上手く動いてくれなかった。
だがそれでいながら、身体がいつもより軽い感じもした。身体の調子がすこぶるいいのだ。まるで病気など全く無い健康体そのもののように。
こんなに身体が快調なのは何年ぶりだろうか。ひょっとしたら、十代以来かも知れない。そう思うと、なんだか苦笑いが漏れた。
彼女は鏡の前に通りかかり、そこに映っていたものに驚き、立ち尽くした。
本当に、十年前の自分がそこに居た。一瞬絵画か何かかと思ったが、頬に触れると確かに自分だった。
皺も弛みも無くなっていた。肌に十代のころのような瑞々しさが戻っていた。いや、全盛期以上に艶のある、自分でも思わず触りたくなるほどに肌理細やかな肌になっていた。
乳房も張りを取り戻し、自分でも惚れ惚れしてしまうような美しい形になっていた。
ウエスト周りの熟れた肉はあまり変化していなかったが、しかし他の変化と合わせてみると、まるで上級娼婦のごとき爛れきった色香が感ぜられた。
「これが、私?」
脚はどうなったのだろう、と手を伸ばしたところで、彼女はようやく自分に起きたことを思い出した。
そこには既に人間の足は無かった。足の付け根辺りから先はもう骨格から変化してしまっていた。海洋の軟体動物、蛸のそれへと。
意図して動かそうとしてみると、確かに蛸の触手が動いた。つまりこれは明らかに、自分のモノなのだ。
自分は、人間で無くなってしまった。
あまりにもショッキングなはずの事実ではあったが、しかし彼女はさほど驚きも、ショックも受けてはいなかった。
それよりも、喉が渇いて仕方が無かった。
早くこの渇きを潤したい。愛しい男の精液で、自らを満たしたい。そんな淫らな欲望ばかりが思考を染め上げて、他の事などもうどうでも良かった。
「アクト……。あぁ、早く帰ってきてちょうだい」
女は八本の触手を蠢かせながら、愛する男の名を囁く。もはや息子と母の関係など、激しい飢餓感にも似た欲望の前では無意味だった。
自分の身体の魅力を確かめてゆくうち、女は自分の秘部に小さな蛸が引っかかっている事に気が付いた。
既に干からびていたそれは、レイの用意していた魔法薬によって化け物と化し、女を魔物娘スキュラへと変えた張本人であった。しかし既に魔物娘となった彼女にとっては、さほど興味を引かれるものでは無かった。
女は自らに備わった新しい触手でそれを引き剥がすと、くず入れの中に見事に放り込んだ。
アクトは目を覚ますなり、母親の食事の準備や洗濯などを始める。
家事は少々面倒なことではあったが、しかし家族も母と自分の二人きり。炊事も洗濯も、始めてしまえばあっという間に終わってしまった。
さて、これからどうしようかと考えるが、晴れていれば結局思いつく事は一つきりだった。
釣りの用意を整え、いつものように母親に声をかける。
「それじゃあ行って来るよ。母さん」
「あ、アクト……」
アクトは振り返り、母親の顔を見る。
いつもと同じ母の顔だ。美しいが、少しやつれている。死相が出ているというわけでは無いが、やはり病人らしい弱々しい顔つきだ。
少し心配しながらも、立派に働きに出るようになった息子を少し誇らしく思っているような、そんな表情ではあったが、アクトはどこか違和感を覚えた。
何がどう、と上手く言葉にはならないものの、妙に気持ちが落ち着かなかった。
「母さん。何か心配事か?」
「ううん。なんでもないわ」
「大丈夫だよ。日が落ちる前には帰ってくる」
「そうね。分かったわ。私はゆっくり、養生させてもらうわね」
「あぁ、早く元気になってくれよ。母さん」
アクトは手を振って自宅を後にした。何か引っかかるような気はしたが、結局それ以上の事は分からなかった。
いつも通り、新鮮で精のつく食べ物を食べさせてやることが一番だろう。アクトはそう結論付け、小舟で海へと漕ぎ出した。
海の上には、アクトたちの乗った小舟以外に誰の人影も無かった。
青い空に、陰影のはっきりとした白い綿雲が浮かんでいる。そんな空を、時折ウミネコが鳴きながら横切ってゆく。船の下では大小さまざまな魚が行き交い、時折銀色の煌めきを残してゆく。
磯風が、事後の火照った肌に心地よかった。
小波が小舟を揺り籠のように揺らし、波の音が子守唄のように静かに響く。
思わず微睡んでしまいそうな穏やかな昼下がり。しかしアクトを包み込んでいるのは、そんな心地よさとは対極にある気持ち良さだった。彼に襲い掛かっていたのは睡魔ではなく、文字通り淫魔だった。
アクトの下半身に、一本一本が大人の脚ほどの太さのある八本の蛸の触手が絡み付いていた。更にその触手の先端はアクトの男根にねちっこく絡み付いて、ヌチャネチャと音を立てている。
「あんなに激しく愛し合ったのに、まだ勃起しっぱなしなんて。……アクトの、えっち」
「レイが、休ませて、くれない、だけだろ」
レイはアクトの股間の前を陣取り、上気し切った火照り顔に、にやにやと淫らな笑みを浮かべていた。
二人とも行為の後で、丸裸だった。
軟体の触手はひんやりとしていて、ぬるぬると肌に絡み付いて来るだけで鳥肌が立つほど心地よかった。それがぐちゅぐちゅと脚全体を覆い尽くしているのだから、まさに下半身がとろけてしまうような感覚だ。
おまけに男として一番敏感な部分にはそれぞれ八本の触手の先端が集中し、くすぐるように、揉みしだくように、時に強く、時に弱く刺激を加え続けられている。
一方では滑らかな粘膜で優しく撫でられ、もう一方では肉厚な吸盤で跡が付くほど吸われる。彼女のもたらす刺激は、まさに人外の、人知を超えた快楽だった。
射精しそうになるたび、刺激が睾丸をやわやわと撫でられる程度にまで弱められる、そして余裕が出てくると再び締め付けられこねくり回されと、終わりの無い官能の責め苦を味わわされていた。
度重なる性交の末、アクトの弱点は既に全てレイに握られてしまっていた。絶頂を迎える限界点の刺激やタイミングまで含め、全てだ。
レイはその知識を総動員し、アクトに逝きそうで逝かせないギリギリの快楽を与え続けていた。そうして蕩けて歪む彼の表情を愉しんでいた。
「アクトの気持ち良さそうな顔。可愛い」
「レイ。意地悪するのは、もう」
「ずっと見ていたいなぁ。昔は全部可愛かったけど、今は逞しくもなったよね。少し筋肉も付いて、筋肉質な身体に抱きしめられるのも、犯されるのも大好きだけど、でもやっぱりアクトの射精を我慢してる顔、快楽に耐えているこの顔、たまらなく可愛くて大好きだなぁ。逞しくなったからこそ、余計に可愛さが際立つっていうかぁ」
「それだったら、おれだって」
アクトは脚に絡み付いている触手の一本に手を伸ばす。全て筋肉で出来つつも柔らかさを失わないその表面に、触れるか触れないかというくらいの力加減で触れ、撫で回す。
途端、レイがびくっと身体を震わせ、表情から余裕が無くなる。
アクトは指を皮膚から、吸盤のあたりへと動かしてゆく。吸盤の付け根をくすぐるようにいじくり、吸盤の中にカリカリと爪を立てる。
レイの表情が蕩けはじめ、雌の淫らな匂いが漂い始める。
何も、相手の弱点を知っているのはレイだけでは無いのだ。アクトとしても、レイの弱点は大方把握している。逆襲の方法はいくらでもあるのだ。
「やだ……。私もまたしたくなってきちゃった」
「いくらでもするから、もういい加減どっちかにしてくれ。頭が、おかしくなりそうだ」
「でも、どうせ交わるなら長く味わいたいし……一回、射精しちゃおうね」
レイはそう言うと、触手の中から頭を覗かせていた亀頭部をぱくりと口に咥える。
唾液のしたたる舌がねっとりと亀頭のくびれや裏筋に絡み付き、唇まで使って強く吸い上げてくる。
その口での愛撫は、追い詰められていたアクトが限界を迎えるのには十分すぎる程だった。
抑えきれなくなった欲望が鈴口から溢れ出し、レイの喉奥へと精液を迸らせる。
「ん、んんん」
レイは涙目になりながらも、放出される精の全てを口で受け止める。既に一度性交していたにもかかわらず、レイの口がいっぱいになる程の量が注がれる。
射精が終わると、レイはアクトの精液を噛みしめ、舌の上で転がしながらわざとぐちゅぐちゅと音を立てて味わって見せる。
恍惚に蕩ける表情で涙をこぼしながら、唇を開いて白濁を湛えた自らの口内を、自分にした仕打ちを男に見せつける。
アクトの表情の変化を見て目だけで笑うと、口を閉じ、音を立てて精液を嚥下する。
「んっ。あぁ、美味しかったぁ」
「おれは味わったことは無いが、生臭くは無いのか? 匂いとか」
「魔物にとっては凄いごちそうなの。だから口でもおまんこでもどこでも、好きな人に体内に出してもらえるのは、これ以上ない愛情表現なんだよ」
レイは満面の笑みを浮かべてアクトの身体に抱きつく。そしてアクトの身体を抱き締めたまま、船の縁の方へと寄っていく。
「お、おい。そんなに寄ったら落ちるぞ」
「大丈夫。私に任せて」
と言いつつも、既にその身体は縁を越えようとしていた。
船の傾きは、もうどうにも止められなかった。二人の身体は海中へと落ちていった。
水面がぶつかる瞬間。アクトは目を閉じ、息を止める。
が、いつまで経っても水中に落下した感覚はやってこなかった。
耳に水が入って来たり、鼻が海水で沁みる感触も無かった。肌にも水の圧迫感を感じなかった。けれど目を開けてみれば、確かにそこは地上とは違う青い世界、水中だった。
ただしいつもと違って、水中のあらゆるものが透き通って見えていた。
そして何より驚くべきことに、息苦しさが全く無かった。
何が起こっているのか理解出来なかった。だが、レイは全てを分かっていたようで、アクトの様子を見ながら嬉しそうに笑っていた。
「ね、大丈夫でしょ」
「あ、ああ」
彼女の声も、船の上の時と変わらずよく聞こえた。
身体に感じる水の感触は、そよ風のように柔らかく自然なものだった。それでいて身体は沈むことなく、水中を漂い続けている。
見上げれば水面越しの日の光が青く煌めき、見渡せば色とりどりの魚が行き交っている。見たことも無い、幻想的な光景だった。
「私といっぱい交わったから、アクトの身体が私達に近づいてきているの。永遠に水中でも生きられる身体になるためにはシー・ビショップの儀式が必要だけど、私と交わってすぐだったら、しばらくだったらこういう風に水中で自由の動けるようになれるの」
レイはアクトから離れ、悠々と彼の周りを泳いで見せる。
アクトは最初それに見惚れていたが、すぐに自分も彼女に追い付こうと、手足を動かし泳ぎ始める。
いつもより手足に負荷は感じなかった。最初はがむしゃらだったが、手足を動かす度に、少しずついつもよりも思ったように水中で身体を動かせることが分かってくる。
だが、なにぶん初めての水中移動だ。思ったように動けず、レイに追いつき、触れようとしても一向に追いつけなかった。
レイはわざと手の届くところを泳いでゆくのに、手が届かない。アクトは意地になるが、なかなか女の身体は捕まえられなかった。
「うふふ。ほら、頑張って、私を捕まえて? そうしたら、アクトの好きにしていいよ?」
「くそ、待てよ。レイってば」
レイは笑いながら泳いでゆく。アクトも、自然と笑みがこぼれていた。
船の上で見ていたスキュラの姿も美しかったが、水中を泳ぐその姿はそれとは比べ物にならない程に美しく、艶やかだった。
触手の一本一本が妖しく揺らめきながら、男を誘う。さらに女は自らの身体にも触手を絡み付かせていた。女体が柔らかく歪み、乳房も官能的に形を変える。蛸の太い触手が絡み付いている事で、女体の美しさが更に際立たされていた。
アクトはもがき、必死で女を捕えようと手を伸ばす。
ようやく手が届きかけたと思ったその時、女の身体が目の前で消える。
そして次の瞬間、アクトは逆に後ろからレイに捕えられてしまっていた。
両手両足を触手に捕えられ、自由を奪われる。
触手がぬるりと動くと、アクトの目の前にレイの上半身が現れる。
レイのほっそりとした指が、アクトの頬を包み込む。
そして、レイの柔らかな唇が、アクトの唇へと押し付けられる。舌が侵入し絡み合う。
アクトは、自分の体がすぐに交合へ向けて準備を始めたのを自覚した。血流が活発になり、下半身に集中するのが分かった。
そしてレイもまた同じなのだと、アクトは実感する。海中であるにもかかわらず、レイの淫らな貝から香る芳しい匂いが感じ取れたからだ。
「んちゅっ。私が捕まえたんだから、私の好きにしちゃうね?」
それだけ宣言し、レイは再びアクトの唇を塞ぐ。
アクトの脚に、それぞれ二本ずつ触手が絡み付き、覆い尽くす。
そして余った四本の触手が背中に回される。
自分の自由になった腕をどうするべきか、アクトは既に分かっていた。自分の先端をレイの薄桃色の柔らかな桜貝にあてがい、むっちりとしたレイの尻を掴んだ。
そして、二人はお互いに腰を押し付け合った。
レイの雌の貝肉が、アクトの雄の欲棒によって食い破られる。瑞々しい愛液を溢れさせながらも、受精を心待ちにするように強く絡み付き、抜けないようにと吸い付いて来る。
全身、身体の中も外も、貝のようにぴったりとくっつきあう。それでも満足出来ないとばかりに、溶けあおうとするかのように深く深く雄と雌が絡み合い、求め合う。
その快楽に息遣いが時折乱れかけるも、既にレイの身体に近づいているアクトの身体は水中での呼吸を必要とはしていなかった。
自分でも気が付かぬまま、アクトは休みを挟むことなくレイと口づけを交わし続けていた。
二人はお互いの身体をまさぐり合い、貪り合う。
やがて自然とアクトの男根が膨張し、精が解き放たれる。おびただしい量の精液がレイの奥へと注がれるも、そこには心臓や下肢、筋肉への負担は一切無かった。
同時に絶頂を迎えたレイも同じだった。激しい官能の渦の中に否応なく飲み込まれてゆくような快楽と共に、穏やかな恍惚感の水面へ身を横たえているような安心感があった。
お互いの境界が無くなり、一つになってゆくようだった。そして一つになって、一緒に心地の良い海に溶けてゆくのだ。
青く煌めく世界の中で、二人は気が済むまで、忘我の境地に浸り続けていた。
浅い眠りはすぐに醒めた。
時間は、まだ昼前だろう。息子が出て行ってから、そう時間は経っていないはずだ。
彼女はベッドから身を起こすと、身体の震えを押さえつけるように自分の身体を抱き締めた。
身体の表面は汗ばむほどに熱いのに、身体の芯は寒気がするほどに冷え切っていた。
ここ数年ずっと体調を崩し続けていたが、しかしこの寒気はそれとは全く関係が無い事は、彼女自身が誰よりも自覚していた。
この震えは、恐怖の為だ。
死を、痛みを前にした感情、恐怖。終焉を避けようとする、生物に生まれた時から備わった、意思に先立つ本能。
だが、自分はそれを乗り越え、死を選ばなければならない。大切な一人息子の幸福の為に。
彼女はベッドから立ち上がると、よろよろとしたおぼつかない足取りで戸棚へと向かった。
引き戸を開けると、予想通りの場所に薬が置いてあった。
彼女はその小さな薬瓶、矢が突き立たれた心臓が触手によって覆い尽くされているかのようなおぞましい印が貼られたそれに、震える手を伸ばす。
きっとこれは、飲んだものの心臓を止めてしまう毒薬に違いない。彼女は直感的にそれを理解していた。
息子に女が出来ているのは、ずっと前から知っていた。
本当は女と一緒になりたいのに、自分のせいでそれが出来ない事も分かっていた。それでも自分を疎んじず、本気で心配して愛してくれている事も彼女は分かっていた。
だからこそ、息子の足かせにはなりたく無かった。
この薬が息子の用意したものなのか、それともその情婦が用意したものなのか、それは分からない。けれど息子は迷い、結果使う事はしなかった。
息子の気持ちとしては、そういう事なのだ。ならばこそ息子を幸せにしてやりたい。
彼女は、震えてる指で何度も失敗しながらも、何とか瓶の蓋を開けた。
瓶の中身からは、うっとりするような甘い匂いが立ち昇っていた。苦痛なく、夢見るように楽に逝けそうだった。
彼女は瓶に唇を付ける。
あとは傾けるだけで、口の中に毒薬が入ってくる。少し勇気を出すだけで、この重たい身体からも、罪悪感と後悔しかない気持ちからも楽になれることだろう。
どうすればいいのか分かり切っている。けれど、それがなかなか出来なかった。
手が震え出す。身体が急に冷え込んできて、もう立っている事も出来ない。
「ああぁ」
手から小瓶が零れ落ち、食材の籠の中へと落ちてしまう。
ひっくり返った瓶の口からは中身が零れ出し、籠の中に入っていた蛸や魚へと染みていってしまった。
死ぬことが出来なかったどころか、せっかく息子が自分の為に取って来てくれた食材までもこの手で駄目にしてしまった。
彼女は顔を両手で覆い、その場に崩れ落ちた。
涙が溢れて止まらなかった。自分の覚悟の無さが情けなかったが、それ以上に自分が生きている事に対する安堵で胸がいっぱいだった。
死を想ったとたんに、愛しい息子の顔が脳裏に浮かんで止まらなかった。自分の胎から生まれたばかりの、まだしわくちゃな赤子の顔から、今の精悍になった立派な姿まで、走馬灯のように駆け巡った。
そして、愛しい息子の姿をもっと見続けていたいと思わずにいられなかった。もっと生きていたいと願わずにいられなかった。
かつて夢中になっていた男の顔は一切浮かばなかった。浮かんだのは、ただ息子の事だけだった。
「死にたく無い。生きたい。アクトと、私も……」
早く元気になろう。何も死ななくとも、息子の負担にならない方法はいくらでもあるのだから。
彼女が立ち上がりかけた、その時だった。
ぬちゅり。にちゅり。にちゃ、ぬちゃ……。
どこからともなく、濡れそぼった布をいじくりまわしているような、粘膜や軟体質のものを擦り合わせているような音がし始める。
「え……。な、何?」
音の発生源は、彼女のすぐそばからだった。耳を澄ませると、発生源はすぐに分かった。
食材が入っていた籠だった。その中の蛸が、今しがた薬剤を浴びせられたそれが、先ほどまでとは比べ物にならない程大きくなっていた。
それは、もはや蛸とは呼べないような代物だった。人間の子供くらいならば、簡単に絡め取り食い殺してしまえそうな程に、おぞましく大きく膨れ上がった化け物になっていた。
その化け物の目がぎらりと光る。
彼女はそれの真意を察し、必死で手足を動かし、這ってでも逃げようとした。
しかし、ただでさえ手足が衰え、加えて突然の事に驚き腰が抜けてしまった身体では、上手く動く事さえ出来なかった。
無様に床を転がる女の脚に、野太い化け物の触手が絡み付く。
「い、イヤ、イヤぁ」
女の身体はずるずると引き寄せられてゆく。そして、片足だけではなくすぐにそのそれぞれの四肢へと筋肉の塊である触手が絡み付いた。
「や、やめ」
女のネグリジェのスカートの裾から、袖から、化け物の触手が忍び込む。
布地を引き裂く悲鳴のような音が部屋に響き渡るが、女は声を上げる事さえ叶わなかった。その時には既に、化け物の触手に口の中を蹂躙されていたからだ。
「むぐ、ううう」
ネグリジェは無残に引き裂かれ、薄暗い台所の床に、熟れた女の白い肌が露わになる。
二の腕や太腿には脂がのり、そのウエストにも弛んだ肉が付いてはいたが、乳房の形や身体のラインは、出産を経験しているものとは思えぬほどに美しく、病床に長い間臥せっていたにもかかわらず、女としての魅力を失っていなかった。
口の中に入り込んだ触手の先から、甘い体液が迸る。
拒絶しようにも、舌を擦られ喉奥に注がれるそれを、反射的に飲み込まずにいられなかった。
口の端からだらしなく体液と唾液を滴らせながら、女は咽ぶ。
それを喜ぶかのように、八本脚に化け物は全身を震わせた。そしてそれは、その突き出された口から、まさに蛸が墨を吐きかけるように体液を吐き出し、女の身体へと浴びせかけた。
それは墨とは逆に、白く濁っていた。粘つく化け物の体液を浴びせられ、女は恐怖に身を震わせる。
わずかに口に入ったそれは生臭く、少し苦みがあり、人間の精液を思わせた。
「ぷは、あぁ、イヤぁ……」
女の口から触手が引き抜かれる。だが、それは新たな責め苦の始まりに過ぎなかった。
化け物には八本の脚があった。女の四肢をそれぞれ一本ずつ使って拘束していたとしても、四本は余る計算となる。
その余っていた四本が一斉に女の身体に絡み付き、化け物自身の体液を塗りたくり始めたのだ。
「いや、いや、やめて……。誰か。誰かぁ! あぁ、アクトォ! 助けてぇ!」
叫び声は、誰にも届かず虚しく木霊するだけだった。むしろ女の悲鳴が気に入ったかのように、触手の動きが更に活発になってゆく。
腹に、太ももに、背中に触手が這い回り、体液を染み込ませてゆく。特に乳房や腋の下には念入りに絡み付くように、ねっとりと塗り付ける。
見るも恐ろしい、不気味な蛸の化け物による全身愛撫。にもかかわらず彼女は、なぜかそれを不快に感じる事が出来なかった。むしろ彼女が感じていたのは、十数年ぶりに湧き上がってくる性的な昂揚感だった。
彼女は自分の身体に何が起こっているのか分からなかった。理解したくも無かった。にもかかわらず触手が肌の上を通るたびに身体が熱くなり、どこかがぴくんと反応してしまう。
化け物の体液の効果なのだろうか。確かに体液を塗りたくられた事により、昂揚感は更に昂らされてはいたが、しかし最初に化け物の触手に捕えられた時点から、それは始まっていた気もした。
それはまるで、愛しい人に全身をまさぐられるような感覚だった。
自分でも認めたくは無かった。だが彼女は事実、化け物の触手に全身をもてあそばれながら、熱い吐息を繰り返してしまっていた。
「何、何なのよ、これは……。ダメよ。助けてぇ、アクトぉ」
身体の芯が熱かった。十数年も忘れていた、性欲の昂りだった。
女は困惑し、恥じらいつつも、蘇りつつある女の欲望を自覚せずにはいられなかった。思い浮かんだ男の顔は、驚く事に自分の息子の顔だった。
(ダメよ、何を考えているの私は……。いえ、そんな事より、この化け物から、逃げなくちゃ……。逃げなくちゃ、ダメなのに……。あぁ、アクト……)
頭ではそう考えつつも、しかしその口からは艶のある声が漏れ始める。
化け物の触手に蹂躙され、女の身体はもう体液まみれだった。
そして化け物は最後の仕上げへとかかろうとするかのように、彼女のまたぐらへと四本の触手の先を伸ばした。
「な、何する気なの。やめて、そこだけは……」
女は脚を閉めようともがくが、筋肉で出来た野太い触手の力には敵わなかった。女の膝はあっけない程簡単に開かれ、その白い太ももでさえ無理矢理に押し広げられて、ぐっしょりと濡れた秘部が外気に晒された。
触手は、まず最初に女の脚の付け根、白い内ももに張り付いた。痛みを与えない程度に吸盤で吸い付くと、そのまま左右に広げ雌穴を開いてゆく。
大きく口を開いた女の入り口を、もう一本の触手が舐め上げる。入口をなぞり、真珠のようにぷっくりと膨れた陰核を、先端で弾くように刺激を与える。
女の身体に電流のような快感が走り抜ける。全身が女の意思とは関係なく痙攣を繰り返し、秘裂からはとろとろと粘液が滴り始める。
準備が整うと、化け物はついに触手を女の胎内へと忍び込ませた。
痛みは無かった。あるのは気が触れる程の快楽だけだった。
余った一本が尻の穴に入り込んでも、女は違和感さえ感じなかった。むしろ更なる快楽を与えられ、歓喜にその身体を震わせるほどだった。
「あ、あぁ、アクト。アクトぉ……」
吸盤が陰核に吸い付くと、女は身体を仰け反らせながら、無様にも絶頂を迎えてしまった。
女は限界を超えた快楽に、全身を弛緩させる。化け物は抵抗が無くなったと見るや、手足を拘束していた触手までも動員して、首元や耳、乳房や乳首、腋の下、等々、部位を問わずに女の性感帯を責め始めた。
二度目の絶頂はすぐにやってきた。そして全身触手愛撫によって呼び寄せられたそれは、終わらない愛撫によって延々と長く尾を引いた。
女の意識は、もうすでに快楽に溶け落ちてしまっていた。
化け物は最後に、とどめとばかりに女の中に自らの口を突っ込み、どろどろの白く濁る体液をこれでもかという程吐き出した。
しかしそれでも化け物の責め苦は終わらなかった。化け物は己の体力が続く限り女の身体を責め続け、体液を送り込み続けた。
女は身体を痙攣させながら、ただ犯されるままに化け物の身体を受け入れ続けることしか出来なかった……。
目が覚めた時には、既に日は暮れかけていた。
彼女は身を起こし、困惑気に首をかしげる。
なぜ自分は台所などで寝転んでいたのだろう。どうしてベッドでは無く、こんなところに来ていたのだったか。記憶に霞がかかったかのように、上手く思い出せなかった。
彼女は立ち上がる。全身がべたべたして気持ちが悪かった。出来れば水浴びするか、濡らした布で身体を清めたかった。
歩き始めて、女は自分の身体の違和感に気が付いた。
いつもと違って、上手く歩けなかった。まるで歩き方を忘れてしまったかのように、脚が上手く動いてくれなかった。
だがそれでいながら、身体がいつもより軽い感じもした。身体の調子がすこぶるいいのだ。まるで病気など全く無い健康体そのもののように。
こんなに身体が快調なのは何年ぶりだろうか。ひょっとしたら、十代以来かも知れない。そう思うと、なんだか苦笑いが漏れた。
彼女は鏡の前に通りかかり、そこに映っていたものに驚き、立ち尽くした。
本当に、十年前の自分がそこに居た。一瞬絵画か何かかと思ったが、頬に触れると確かに自分だった。
皺も弛みも無くなっていた。肌に十代のころのような瑞々しさが戻っていた。いや、全盛期以上に艶のある、自分でも思わず触りたくなるほどに肌理細やかな肌になっていた。
乳房も張りを取り戻し、自分でも惚れ惚れしてしまうような美しい形になっていた。
ウエスト周りの熟れた肉はあまり変化していなかったが、しかし他の変化と合わせてみると、まるで上級娼婦のごとき爛れきった色香が感ぜられた。
「これが、私?」
脚はどうなったのだろう、と手を伸ばしたところで、彼女はようやく自分に起きたことを思い出した。
そこには既に人間の足は無かった。足の付け根辺りから先はもう骨格から変化してしまっていた。海洋の軟体動物、蛸のそれへと。
意図して動かそうとしてみると、確かに蛸の触手が動いた。つまりこれは明らかに、自分のモノなのだ。
自分は、人間で無くなってしまった。
あまりにもショッキングなはずの事実ではあったが、しかし彼女はさほど驚きも、ショックも受けてはいなかった。
それよりも、喉が渇いて仕方が無かった。
早くこの渇きを潤したい。愛しい男の精液で、自らを満たしたい。そんな淫らな欲望ばかりが思考を染め上げて、他の事などもうどうでも良かった。
「アクト……。あぁ、早く帰ってきてちょうだい」
女は八本の触手を蠢かせながら、愛する男の名を囁く。もはや息子と母の関係など、激しい飢餓感にも似た欲望の前では無意味だった。
自分の身体の魅力を確かめてゆくうち、女は自分の秘部に小さな蛸が引っかかっている事に気が付いた。
既に干からびていたそれは、レイの用意していた魔法薬によって化け物と化し、女を魔物娘スキュラへと変えた張本人であった。しかし既に魔物娘となった彼女にとっては、さほど興味を引かれるものでは無かった。
女は自らに備わった新しい触手でそれを引き剥がすと、くず入れの中に見事に放り込んだ。
15/12/27 12:40更新 / 玉虫色
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