第六話:家族(夫婦編)
扉が開く音に、私ははっと我に返る。
シャルルが帰って来たんだ。というか、もうそんな時間になっていたんだ。糸を弄っているのに夢中になり過ぎて時間が経つのを忘れていた。
「ただいまー。メアリー、ちょっと話が」
慌てて机の引き出しにそれを隠す。駄目だ。明らかに見つかってしまった。
「お、おかえり」
「あれ、今何か隠したね?」
シャルルが面白がって手を伸ばしてくる。でもまだ見せられない。まだ未完成だし、戸惑われたり、変に期待されるのも困るし。
背中を向けると、シャルルは笑いながら覆い被さるように手を伸ばしてきた。
「やだ、ちょっと駄目だってばぁ」
こんな楽しそうなシャルルの顔を見るのは、いつぶりだろう。ふざけてじゃれ合うのも懐かしいくらいに久しぶりだ。
「いいじゃないか。そんなに隠されたら気に、なる、よ?」
交わるのもいいけど、やっぱりこんな風に素直な気持ちでシャルルに触れていたいなぁ。
そう思っていたのだけど、しかし彼の手は途中でぎこちなく動きを止めた。
「メアリー、ちょっとごめん」
シャルルが怪訝な顔をしながら、私の首元に鼻を寄せる。
首回りや肩のあたりに鼻を近づけ、念入りに匂いを確認してくる。様子がおかしい。私の匂いを楽しんでいるというわけではなさそうだった。
「ねぇメアリー。どうしてメアリーの身体からキリスさんの匂いがするの?」
「え?」
シャルルが無理矢理私を振り向かせ、ものすごい力で私の肩を掴んできた。目も、睨んでいるようでちょっと怖い。
「それに、お酒の匂いもする。まさか二人っきりで飲んだの」
あ。言われてみれば、そう言う事になるのか。
「ち、違うよ。一人で飲もうとしたのに、あいつが来て、それで仕方なく。でもやましい事は何も」
「本当? でも触られたよね。じゃなきゃこんなに匂うはずない」
肩を掴む手にさらに力が込められる。目つきもさらに険しくなってきた。
何だろう、私、そんなにおかしい事したかな。確かにシャルルの居ない所でキリスに会ったけど、それだけでこんなに怒るなんて……。
「触られたけど、すぐに肘鉄で追っ払ったから」
「本当に? もしメアリーに何かされたとしたら、相手が誰だったとしても僕は……」
「シャルル、痛いよ」
シャルルは驚いたように息を飲んで、慌てて手のひらの力を緩めた。その表情からも憑き物が落ちたみたいに険が抜けて、今度は急に心細そうな顔になる。
「……僕だって、まだメアリーとお酒を飲んだこと無いのに」
「ご、ごめん。そう言う意味なら、シャルルと出会う前に何回かそういう事も……。そ、そんな泣きそうな顔しないでよ。何にもしてない。何にもしてないから」
シャルルは何か言いたそうな顔をしたあと、がっくりと肩を落として泣きそうな顔になってしまった。
何て声をかけていいのか分からなくて、何も言わず優しく彼の頬に触れる。あったかくて柔らかいシャルルのほっぺた。
私と目が合うと、シャルルは気持ちを抑えられなくなったんだろう、思い切り抱きついてきた。
その瞬間、私もまたシャルルの身体に付いた匂いに気が付いた。
「ねぇメアリー、本当に僕の事を好きでいてくれてるんだよね? 愛してくれているんだよね?」
「そんなの当り前じゃない。好きでもない人とえっちな事なんてしないし、一緒になんて居ないよ」
私は何とも言えない気持ちだった。ここ何日も、私の方こそシャルルに同じことを聞きたかったのだから。
それに、今シャルルの身体に染みついている匂いも凄く気になっている。
でも、私のそんな気持ちはシャルルの顔を見てどこかに吹っ飛んでしまった。シャルルは今にも泣き出しそうなくらいに涙を溜めて、すがるような表情で私を見ていたから。
「確かにそうだけど、最近は激しいだけになって来てるじゃないか。
……前はもっとお互いの事を大切にしていたと思う。確かに縛られて無理矢理って事も多かったさ、でも、あの時のメアリーの方が楽しそうだったし、ちゃんと僕を見てくれていた。僕も楽しかった。
今のメアリーは何かに追い立てられているみたいで、僕との時間を楽しんでくれていない気がするんだよ。
最初の頃よりもやたら激しく抱き合ってはいるけど、心ここにあらずって感じだし、僕が仕事休んで一緒に居るって言ってもメアリーは仕事に行けって言うし。僕にはもう興味なんて無いのかもって。
確認したかったけど、ずっと怖くて聞けなかった。
でも、今メアリーの身体から僕以外の男の匂いがして、もう耐えられなくて……」
胸がずきりと痛んだ。私は自分が我慢していればシャルルの目標が達せられて喜んでくれるとばかり思っていた。だから彼が看病で休んでくれると言ってくれてるのも、きっと気を使っているだけなんだと思い込んでいた。
夜だって、シャルルを取られるのが怖くて必死で……。
私は自分一人で考えていたんだ。勝手に気を使って、勝手に怖がって……。シャルルの気持ちもちゃんと聞かずに。
その結果として、私は世界で一番愛している人をこんなに不安な気持ちにさせてしまった。
もしかしたら、それでシャルルはこんな匂いを付けてきたのかもしれない。
「ごめん。ごめんね」
目頭が熱くなってきた。シャルルの顔が良く見えなくなる。
「本当は私も一緒に居たかった。朝から晩まで、ずっとシャルルを離したく無かった。だけど私は、シャルルがみんなの為に仕事をしたいとばかり思っていたから、それを邪魔しちゃ駄目だと思ってたの。
でも、ジャイアントアント達の為にご飯を作っているシャルルを見ていたら、何だかあの子達にシャルルを取られてしまいそうな気がして、怖くて。そんなの見たく無くて、仕事場にも行けなくなって……。取られたく無くて、夜も頑張ってしるしを残そうとして」
「メアリー」
「シャルルが出て行ってしまう度に、私の気持ちなんて考えてくれてないと思ってた。けど、シャルルの事ちゃんと考えてなかったのは私の方だったんだ」
旦那様にこんな想いをさせてしまうなんて、妻失格だ。だからシャルルはこんな風にアンの匂いをつけて帰って来てしまったんだ。
アンの匂い。心の底からシャルルの事が好きで好きでたまらない、まっすぐな想いが伝わってくる優しくて暖かくて甘い匂い。
アンはいい子だ。あの子だったら真面目で旦那さんの事を一番に考えるだろうから、こんな誤解なんてきっとしない。きっと私なんかよりアンの方がシャルルには相応しいんだ。
涙が止まらなくなる。
それでも、私は……。
「僕だって同じだよ。分かってくれるって思うだけで、自分の気持ちをちゃんと伝えていなかった。メアリーの言葉の上辺だけを聞いていて、気持ちを考えていなかった。どうして様子がおかしかったのか深く考えもしなかった」
シャルルの腕が私の背に回る。抱き締めあうのだってもう何度もしているのに、シャルルの手が暖かくて、胸の中が熱くなる。
「メアリーを不安にさせてしまうだろうから黙っていようと思っていたんだけど、ちゃんと言うよ。
実は今日、アンさんに告白された」
不思議と私は落ち着いた気持ちのまま聞いていることが出来た。むしろなぜかほっとしている自分が居た。
「もちろん断ったよ。僕が一番そばに居たいのはメアリー、君だから。
今まで色々辛い思いをさせてしまったけど、明日からはずっとそばに居る。朝も昼も夜もずっとだ。料理ももう君のためにしかしない。君が望むなら、この先一生ベッドの上に縛られ続けてもいい。君と一緒に居られるなら、君が喜んでくれるなら僕は」
「そんな事しない。私はシャルルと一緒に居られれば、それで、それだけで幸せだから」
しがみつくようにシャルルの身体を抱きしめた。
シャルルは何も言わず、強く強く抱きしめ返してくれた。
そのあと、私達はお互いの気が済むまで互いの腕の中に身体を預け続けた。
ようやく落ち着いた今はベッドに並んで座っている。シャルルが私の手を離さないで居てくれることが、なんだかとても嬉しかった。
「でも、明日からの炊き出しは大丈夫なの?」
「うん。話が前後しちゃったけど、明日から昼の炊き出しは他の旦那さんに変わってもらう事にしたんだ。みんなやりたがっていたしね。
多分アンさんとももう滅多に会わなくなるだろうから、だから……」
「そっか」
私は、なんて思えばいいんだろう。今は気持ちもまだ落ち着いてなくて、頭の中の整理も付いていない。ただシャルルがそばに居てくれることが嬉しくて、それだけで。
「昼の炊き出しに出てたのも、本当にメアリーの為を思っての事だったんだ」
「私を放っておいてでも仕事に行くことが?」
「それは、悪かったと思ってるよ」
私はシャルルの肩に頭を預ける。
「ごめん、冗談よ。聞かせて。シャルルがどんな気持ちで働こうと思っていたのか」
「少し長くなるよ」
彼の手が私の頭を撫でる。安心できる、優しい彼の手のひら。
私が頷くと、彼は静かに語り始めた。
「僕は君をひとりぼっちじゃなくしたかったんだ。僕と言う夫が居るじゃないかと君は言うかもしれない。でもメアリー、君は今でも、まだ寂しさを抱え続けているんだよ。ずっとそばに居て見ているから分かるんだ。
そして僕も、あの時の気持ちをまだ持ち続けている。
懐かしいなぁ。メアリーと出会ったあの日。僕はこの巣に忍び込んだ侵入者として縛られていて、メアリーはなんだか眠そうだったっけ。
実はね、僕は一目見た時から君にすごく惹かれていたんだ。一目惚れだよ。この巣に忍び込んだ時にはそんな事になるとは全然考えていなかった。
縄で縛られて転がされていたのにも関わらず、メアリーを見つけた瞬間、何だかメアリーが凄く寂しがっているように見えて、僕がこの子を守らなくちゃって思ったんだ。笑っちゃうよね。助けが必要だったのは縛られていた僕の方だったんだから。
君が僕の事を恋人だと嘘を吐いてくれた時には、一瞬、僕の恋心も冷めたんだ。あぁ、やっぱり助けられるのは僕の方で、僕はこの子に何もしてやれないんだって。きっとこの子は孤独を内に抱えた優しい魔物で、単純に僕の事を見ていられなかったんだろうなぁって。そう思った。
それがまさか、半ば無理矢理とは言えその日のうちにキスして、嘘を本当にするためなんていう理由で肌を重ねる事になるとは思っていなかったよ。
初めてがそんなだったから、ちょっと君を誤解してしまった時もあったんだ。この子は僕をただの餌としか思っていないのかもしれない、男なら僕じゃなくても良かったのかもしれないってね。でも君はそうじゃ無かった。
僕が髪を触れば君はとても幸せそうな顔で微笑んでくれたし、手と手を恋人繋ぎをすれば、えっちだっていっぱいしているくせに頬を赤らめた。抱きしめれば強く抱きしめ返してくれた。本当に僕が疲れた時には休ませてくれた。
僕の事を本当に好いてくれているって事は、すぐに分かったよ。
いつからか僕は君の事を本当の妻のように愛していた。ベッドの上から出してくれないにも関わらず君の事をすごく大切に思うようになった。大切にしなきゃいけないと思った。幸せにしてあげたいと思った。一生守り続けようって思った。でも、気が付いたんだ。何もしていない時、君がまだ凄く寂しげな顔をするって事に。
理由は、多分君がアントアラクネだからだろうって思った。
僕が居るとは言え、ジャイアントアントの巣にメアリー以外のアントアラクネは居ない。考えてみれば寂しいのは当たり前だったんだ。ジャイアントアントもその旦那の人間の男も大勢いるけど、アントアラクネは君一人だったんだから。
僕は君を孤独から救いたかった。
最初は子どもが出来ればいいと思った。でも、それじゃ周りのジャイアントアント達が困惑する。彼女達は女王しか子どもが産めないからね。
じゃあどうすればいいのか。ジャイアントアント達に認められればいいと思ったんだ。メアリーがアントアラクネだったとしても文句が出なければいい。むしろここに居てほしいと思ってもらえれば、メアリーも気兼ねなくジャイアントアント達と一緒に居られるし、子どもも産める。
だから、夫婦でこの巣の役に立とうと思ったんだ。
肉体労働は駄目だったけど、料理は予想外にも上手くいった。本当の事を言えば、途中から趣味としても夢中になっちゃったんだけどね。色んな食材を食べた時のメアリーの反応もとっても可愛くて、愛しくて。
あのクリームシチュー、どうしてあれに落ち着いたのか不思議がっていたよね。あれは単純に体力回復や滋養強壮に効くから、一番食べた夫婦らしい交わりが出来るようになるんだよ。望めば何回でも、何時間でもね。
しおらしいメアリーを僕が責めるのもたまにはいいけど、やっぱり僕はメアリーに求められる方が嬉しかったし、どんな種族同士のカップルだって、いつもの交わりが一番楽しいだろうしね。
と、まぁ話がそれちゃったけど、無事料理が完成して、主任たちの反応も良くって、ようやく僕らも巣の役に立てるかなぁと思ったんだけど……。
結果は不用意にメアリーを不安にさせてしまっただけだった。メアリーの寂しさを一層つのらせて、僕らの関係もぎぐしゃぐしてしまった。
それじゃ本末転倒なんだ。メアリーを悲しませるなら仕事なんてしない方がいい。だから仕事を変わってもらって来たんだ。
これが僕の、働こうと思った理由と、仕事を変わってもらった理由だよ。
これからどうしたらいいか今はまだわからないけど、今はメアリーが寂しいなんて思う隙が無いくらいにそばに居ようと思ってる」
「長いよ!」
「えぇ?」
「もう、寝ちゃうかと思ったよ」
私はあえてふくれっ面で顔を背けた。じゃないと泣いてしまいそうだったから。
でも、もう湿っぽいのは嫌だから。だからいいの。楽しくするの。だってシャルルはこんなに私を大切にしてくれているんだから。大切な人とは、楽しく一緒に笑っていたいから。
「そんなぁ、僕は本気だったんだよ……」
うな垂れるシャルルの腕を胸にしっかり抱いて、私は囁いた。
「全部分かった。ありがと。大好き」
「ん。うん」
シャルルは私の目を見ると、小さく笑って私の額にキスしてくれた。
「でもさぁ、無かったとは言え、もしも何人ものジャイアントアントに襲われるようなことがあったらどうする気だったの?」
「襲われても間違いは犯さないよ」
「どうして言い切れるの? 仮にフェロモンは無視できるとしても、シャルルに少し筋肉が付いたくらいじゃ魔物の腕力には敵わないでしょ?」
別に責めているわけでは無くて、純粋に不思議だった。だっていつかの夢みたいに数匹で組み敷かれて責め立てられたら、いくら愛が強かったとしても反応してしまうだろうし。
シャルルは少し頬を染めながら目を逸らす。思わせぶりな態度だけど、一体何なんだろう。
「い、言わなきゃ駄目?」
「そうだよねいくらシャルルの私への愛が強くてもやっぱり何人もの魔物達に言い寄られたらシャルルだって男だものそりゃ」
「勃たないんだ。もうメアリーじゃないと勃起しないんだよ。だから誰に言い寄られても触られてもがっかりさせるだけなんだよ」
え、嘘。ぼっ、え?
「そりゃ僕だって初日は決死の覚悟だったよ。非常口確認したり、緊急時の煙幕代わりにって胡椒爆弾を用意したり。でもフェロモンに晒されても、汗で浮き出た身体のラインを見ても僕の身体は何の反応もしなかったんだよ」
シャルルは真っ赤な顔で床を見つめながらまくしたてる。
「で、でも、そんな事言ってちょっとくらいあの子達を抱きたいと思ったり」
シャルルはため息を吐いた。
「汗だくで休憩室に来るジャイアントアント達のフェロモンって結構強烈なんだけどさ、頭に浮かぶのは君の乱れた姿ばかりで、汗でシャツが張り付いた彼女達の身体を見ていても、メアリーの肌やおっぱいやおへそを思い返すばかりだったんだよ。
一度だけ、汗だくの胸の谷間を見てあそこに入れてみたいって思ったけど、でも結局それも縛られながらメアリーにされたいって思ってただけで……。
正直、僕もこのままじゃ仕事なんて続けてられないってのも辞めた理由の一つなんだ。メアリーを抱きたくて抱きたくて気が狂いそうになってしまって。
強いフェロモンの匂いよりメアリーの匂いの方が好きなんだ。メアリーの優しく縛り付けてくる糸にずっと繋がれていたい、包まれていたいんだよ。
……おかしいのかな、僕」
「おかしくなんかない! 全然おかしくなんかないよ!」
私はシャルルをベッドに押し倒しながら、口づけの雨を降らせる。シャルル、シャルルもう大好き!
フェロモンより糸の方がいいんだって。ジャイアントアントの身体を見て、私の身体を想像して欲情してたんだって。汗だくの私のおっぱいで責められたいんだって。
「ずっとその顔が見たかったよ、メアリー」
「うふふ、そんなこと言っても駄目だよ。嫁以外の女の子を見てやらしい想像しちゃう旦那様には、もう何を見ても私を連想してしまうくらいにいっぱいお仕置きしなきゃ。それで汗まみれになって、そのおっぱいでいっぱい搾ってあげなきゃね」
「ずいぶん嬉しそうな顔してるけどねぇ。まぁ、お手柔らか、にっ!」
ズボンの中に強引に手を突っ込んで、直接彼自身を掴む。やだ。何もしてないのに、私と二人きりで話してるだけなのに、シャルルったらもう少し硬くしてる。
「今度、お酒飲みながらしよっか。飲みながらするのは私も初めてだし、仕事が無いなら昼からでもいいしね」
恍惚とした顔になっているシャルルには、多分言葉は届いていないだろうけど、でもいいんだ。私もこんなシャルルの顔見るの久しぶりだし。
手の中で彼のがぴくぴくし始める。もうすぐだ。もうすぐ……お楽しみが始まる。と言うところで、突然ノックの音が私達の間に割って入った。
もう、誰よいいところなのに。
私はため息を吐いて、ドアに向かう。シャルルも立ち上がろうとしたものの、その身体は動かなかった。糸で縛り付けたからだ。
「え、メアリー?」
「すぐ戻るから、ちょっと待ってて」
状況を見せて、お客さんには空気を呼んで帰ってもらう。それが一番だ。
「誰で、主任?」
扉の外に立っていたのは主任だった。彼女は部屋の中を一瞥し、それだけで一瞬で事態を理解したらしかった。だがそれでも帰るそぶりは見せず、涼しい顔で告げる。
「お楽しみ中だったか? 済まないがちょっと来てくれないか。アンがメアリーに話したいことがあるそうだ」
アン。そうだ、シャルルの一途さにすっかり舞い上がってしまっていたけど、シャルルはアンに告白されて、断ったのだった。
シャルルは私だけを愛してくれると言った。ずっとシャルルを誰かに、アンに取られるかもって思ってたけど、それが無い事は分かったし、そうなりかけたとしても今は無理矢理にでも彼を私の糸で絡め取るつもりではいる。
でも、じゃあアンの気持ちは?
あんなに強くて素敵な匂いのフェロモンを作り出す程の、私と言う相手が居てもなお想いを伝えずにいられなかった程の、アンのシャルルへの気持ちはどうなるんだろう?
アンが真面目でどこまでも真っ直ぐだって事はよく知っている。友達の、私の夫を好きになってしまって凄く苦しんだだろうことは想像に難く無い。
私はアンにだって幸せになって欲しい。でもアンは大好きな人から想いを断られてしまって。だけど私はシャルルが断ってくれて安心してもいて。
今日の事、素直に喜んで良かったのかな……。
旦那を取られそうになるなんて、本当なら恨んでもいいのかもしれない。取られるかもなんて怖がってたのに、断ってくれて安堵さえしたのに、その相手の幸せを願うなんて都合のいい話なのかもしれない。
でも私は本当にアンの事も……。
ああ、でも。私、アンにどんな顔して会えばいいんだろう。
「会いたくないという気持ちも分かるが、どうしても今日会っておきたいそうだ。……アンを甘やかす気は無かったんだが、事情を聞かされてな。私からも、頼む」
いつもはおっとりして大人しいアンが、主任に頼み込んでまで会って欲しいと言っているんだ。会わないわけにはいかない。
「分かりました」
素直な気持ちでぶつかるだけだ。行こう。
私は主任の後に続いて、部屋を後にした。
目の前で主任のロングヘアーがさらさらと流れる。
主任の背中を追って廊下を歩いた。アンの居る大部屋の方ではないが、一体どこに向かっているんだろう。
「あの主任、大部屋はこっちじゃないですけど」
「別に大部屋に向かっているわけじゃない。アンは別の場所で待っているんだ。
最近は結婚ラッシュで、今やアンも大部屋の年長者だからな。やろうと思えば人払いも出来るだろうが、あいつはそういう性格でもないし、それに、姉ならともかく妹には聞かれたくない話なんだろう」
妹には聞かれたくない話、か。私には生まれついての姉妹が居ないから良く分からないけど、話題によっては人に聞かれたくないのは理解できる。
そうだよね。大部屋じゃみんな聞いてるし、落ち着いて話なんて出来ない。
「しかしメアリー、私の事もそろそろ姉と呼んでくれないか?」
え、主任の事をお姉さんって?
「変か? 私はアンもメアリーも同じ妹だと思っているんだが」
「いえ、その。突然だったんで」
「二人とも幸せになって欲しいと思っているんだ。まぁ、上手くいかない事もあるが。いや、他意は無いんだ。メアリーたち夫婦にも幸せになって欲しい」
私がシャルルに抱きしめられて幸せだった間、アンはどんな気持ちで居たんだろう。
優越感を感じていなかったと言ったら嘘になる。愛しい人に抱かれる幸せを知らないなんて可哀そうだと、嫌味な事を考えもした。
私なんて、シャルルとアンが交わっている夢を見ただけで丸一日動けなくなっていたというのに……。
「来てくれてよかったよ。明日からシャルルさんも仕事に出なくなる。きっと一日中籠る事が多くなるだろうし、私もなかなか顔を見れなくなるだろうしな」
「あの、姉さんは私がアントアラクネだっていつから」
主任は驚いた様子で突然立ち止まり、振り向いて来た。
「何だって。メアリーがアントアラクネだって?」
「もうちょっと感情込めて下さいよ」
「はは、済まん。しかし、ようやくメアリーの口から聞くことが出来たな。少しは姉妹だと思ってもらえたというところか」
世間話でもするような自然な物言いに、私は拍子抜けしてしまう。正体に関しての事はアントアラクネにとってみれば結構重大な事なんだけどなぁ。
「あの、それだけ、ですか?」
主任は怪訝そうに眉を寄せる。
「それだけ、とは?」
「嘘吐きだって罵倒するとか、怒ったりとか、騙してたことを軽蔑するとか」
「されたいのか?」
「されたくないです。すみません」
「大体メアリーがアントアラクネだと分かったところで、明日からお前が何か劇的に変わるのか? そうじゃないだろう。この巣に初めて来た時からメアリーはメアリーらしく振舞っていたし、私達はメアリーはそういう子なんだと思って当たり前に接してきた。それがジャイアントアントじゃなくてアントアラクネだったとしても、メアリーはメアリーだ。アントアラクネだと分かったからって、明日のメアリーが別人になるわけじゃ無い。そして、メアリーは私達の姉妹の一人。それだけだよ。
多分みんなもそう思っているんじゃないかな。はっきりと考えているかは分からないが、みんなそう思ってるようだぞ?」
まったく、お人好しもここまで来ると呆れるどころか好きになっちゃうじゃない。みんなしてさ、私が騙しているとも考えずに。
だったらもう、このままずっと騙し続けてやろう。姉妹だって嘯き続けて、死ぬまでずっとこの巣に居座ってやるんだから。
……何だ。勘違いして肩ひじ張ってたのは私一人だけだったんだ。
「にしても、みんな気が付いてたんなら言ってくれたって良かったのに」
「メアリーだって、正体言わなかっただろう?」
返す言葉もございません。
連れてこられたのは人気の無い倉庫部屋の裏だった。
「着いたぞ。それじゃあ私は先に戻る。キリスを待たせているんでな」
キリス。あ、そう言えば。
「あの、私何もしてませんからね」
「旦那の居る魔物娘が他の男に手を出すなど、考えもしなかったが……。ふふ、安心しろ。キリスは他の女には手が出せないように調教済みだ」
爽やかに笑いながら主任はしれっと恐ろしい事を口走る。え、調教って何してるの?
「ま、次に飲むときは私も誘ってくれ」
そのまま手を上げて主任は帰っていってしまった。呆然と見送りそうになるが、呆けている場合では無かった。今はアンに会いに来たんだから。
呼吸を整えてから奥へ進む。
うずくまる様に腰を下ろし、壁に背を預けたアンが居た。
「メアリーちゃん。来てくれたんだね」
目元がちょっと腫れている。この子、泣いたんだ。
当たり前か。好きな人に振られたんだもん。
でも、凄く辛いはずなのにアンは必死で笑おうとしていた。いつものように笑っているんじゃなくて、笑おうとしてるんだ。泣きそうなのを必死で堪えて。
「アン。あのね」
「今日の事、知ってるでしょ」
私は何も言えず、頷きで返す。
「ごめんなさい。全部私が悪いの。シャルルさんはメアリーちゃんの大事な旦那様なのに、好きになっちゃいけなかったのに、諦めきれなかった私が悪いの。
だから私、決めたの」
アンは大きく息を吸って、吐いて、歯を食いしばって。
手のひらが真っ白になるくらい握りしめられていた。触角だって小刻みに震えている。駆け寄ろうと出しかけた足が、しかしアンの言葉で止まってしまう。
「もう、二人には会わない」
私は何て答えればいいのか分からない。アンは頼んでもいないのに面倒を見たがる世話焼きで、でもしゃべり方も考え方も子どもみたいに幼くて、この巣の中で一番長く一緒に居た友人で、姉妹で、でもシャルルの事が好きで、取られるかもしれないって今まで恐れてて、ある意味では恋敵以上に怖い存在で……。だってアンの魅力は誰より私が知っているから。
確かに会わなければシャルルを取られる心配は全く無くなるだろう。今日だって安心してしまっていたのも事実だ。
でも全然嬉しく無かった。大切な友達がこんなに辛そうな顔をしているのに嬉しいと思えるわけが無い。友達に会えなくなるのを喜べるわけが無い。
「私はメアリーちゃんの事もシャルルさんの事も大好きだけど、大好きな人に嫌な思いはさせたくないから。
私がシャルルさんに会ったらメアリーちゃんが嫌な思いをするし、シャルルさんもいい気はしないと思う。それにメアリーちゃんに会ったら……ごめん。シャルルさんの事思い出してしまいそうで」
そんなに、好きなんだ。
当たり前だ。この人のいいアンが、相手が居るって、友達の旦那さんだって知ったうえで想いを伝えたくらいなんだから。すぐに忘れられるわけが無い。忘れられるなら、こんなに泣き腫らした目になるわけがない。
確かにアンの気持ちを考えたら、会わない方がいいのかもしれない……。
「だから、最後に会えなくなる前にこれを渡したくて」
アンは懐から小さな包みを取り出して私に手渡してきた。
「忘れてるかもしれないけど、今日はメアリーちゃんがこの巣に来てちょうど一年なんだよ? だから、これはそのお祝い」
包みの中から出てきたのは、拳大の透明な石だった。……これって、もしかして。
「ちょっとアン、これ」
「魔宝石。この間魔界に行った時、運よく見つけられたんだ。
私はまだ当分相手が出来そうにないし、だったら大好きなメアリーちゃんに使ってもらった方がいい。一応封はしてもらっているからしばらくはもつけど、周りの雑魔力が混入する前に早めに加工してね。
……こんな事で許してもらえるとは思っていないけど、私に出来る償いはこれくらいしかないから」
「償いって、アンは何も」
「嫌な思い、させ続けちゃったから。じゃあ私部屋に戻るね。さようなら」
「待って、アン!」
焦って追いかけようとしたせいで魔宝石を取り落としそうになり、慌てて両手で掴み取った。
アンの大切な物を守れたと安堵の息を吐いた時には、もうアン自身の姿はどこにも見当たらなかった。
魔宝石は、アンが長い間ずっと探し求めていた宝石だ。
アンの両親、女王様とその旦那様のしているペアリングみたいなのが欲しいんだって、アンはいつも照れながら語っていた。きっと両親みたいな仲の良い夫婦になりたくて同じ指輪をしたいと望むようになったんだろう。いや、アンの事だから、ただ単に大好きな旦那様を常に身近に感じたかったからだけなのかもしれない。
これはアンの一生の願いを込められた魔宝石なんだ。アンの大切な気持ちそのもの。今まで頑張ってきた努力の証。それなのにアンは、こんなにも簡単に手放して……。
簡単なはずが無い。今のアンの胸の中は、私なんかとは比べられないくらいに黒い嵐が吹き荒れているに違いない。
男も夢も私に奪われて。
違う、私はそんなつもりは無かったんだ。私はただ、一人で居るのが嫌で、誰かに愛されたくて、確かにあの時はシャルルでいいのかって迷ったけど、でも今はそれでよかったって心から思ってるし、彼が世界で一番いい男だって思っている。心から愛している。
でも、もし私があの時何も言わなかったら? もしかしたらシャルルは、アンと一緒になっていたかもしれない。
だとしたら、私は。
「メアリー、良かった。ようやく帰って来た」
ベッドの上で身動きの取れなくなっているシャルルが私の顔を見て安堵の息を漏らしていた。
いつの間に部屋に戻っていたのか。考えすぎてどこを歩いたかすら覚えていない。
「とりあえずほどいてくれない?」
「うん」
糸を外そうとして、自分がアンの気持ちを握りしめている事に気が付いた。シャルルの事はひとまず置いておき、先に普段は使っていない棚の奥に大切にそれを仕舞う。ここなら、私達の魔力もあまり届かないはずだ。
ベッドに腰を下ろして、一息つく。
考えがまとまらない。アントアラクネって事はもうみんな知ってるから、仕事に出ないのも嘘吐かなくていい。それにシャルルも仕事を交代してきたから、明日からはずっと一緒に居られる。
だからもう誰かに取られるかも、なんて心配しなくていい。むしろ今はあらゆる手を使ってでも絶対手放さないくらいのつもりでいる。自信だってある。
なのに、どうしてこんなに胸がざわつくんだろう。
「あの、メアリー?」
あ、忘れてた。
糸を外すと、シャルルは身を起こして大きく息を吐いた。
そして後ろから覆い被さるように私に抱きついてくる。シャルルの匂い。幸せな匂い。シャルルも私のうなじに顔を埋めて、大きく息を吸ってくる。
「ようやくこうすることが出来たよ。あぁ、メアリーの匂いを嗅いでると落ち着くなぁ。帰って来たって感じがするよ」
なんだかこそばゆい。心拍数が上がってしまうのを自覚して、さらに恥ずかしくなる。
「私も、シャルルの匂い大好き」
シャルルが笑い、吐息が私の耳たぶをくすぐる。もういいやぁ、今はシャルルを感じるのに集中しよう。これまでずっとひたすら求め続けていて、甘いはずの時間がずっと塩辛いくらいだったし。
今はゆっくり、二人の時間を味わおう。それで、二人ですっきりしよう。考えるのは、それからだって遅くない。
「シャルル、出会った時から変わったよね。……んっ」
「そうかな。どんなふうに?」
「背も、少し伸びたし。腕も、あ、ふぁっ、脚も、体が少し逞しくっ。なった」
彼の手が服の下に潜り込んで、触るか触らないかくらいの絶妙な力加減でおっぱいを撫でまわしている。力尽くで揉まれるのとはまた違った感覚に翻弄され、息遣いが乱れてしまう。
「昔は、あっ。女の子、みたいだったけど。今は、やぁっあっ」
敏感になった乳房の先端を軽く弾かれる。
「男に見える?」
「男の子、くらいには」
不機嫌そうな吐息。可愛い。
だが次の瞬間にはそんな余裕は無くなっていた。目の前が桃色に瞬いたかと思うと、全身を電流のような快楽が走り抜けた。全身が、私の意思と関係なくびくんと跳ねる。
乳首、思いっきり捻り上げられちゃってる。彼の指が私のおっぱいをどんなふうに扱っているのか、洋服越しでも良く見える。
やばい。興奮して汗かいてきちゃった。
「僕が男だってことを、身体に教えてあげなきゃ駄目みたいだね」
「うん。教えてぇ。へへ、でも一番変わったところは、やっぱりスケベになった事かなぁ」
彼は笑った吐息で答えて、私の首筋に噛み付いた。
そして彼の手は次第に下へ。おへそを下り、下腹を撫でて、私の一番大切なところへ。
腰布にしたに潜り込む、と言ったところで焦らすように彼の手を握って、やめさせる。
「サービスタイムはおしまい。これからは攻守交代ね」
私が振り向いて姿勢を直す頃には、既にシャルルの身体は仰向けでベッドの上に磔になっている。彼からの指での愛撫をしっかり楽しみながらも、ちゃっかり身体に糸をしかけておいたのだ。
ま、例の如く腕だけは自由にしてあげてるけど。髪とかも、撫でてほしいし。
「メアリーは変わらないね。というか、ようやくメアリーらしさが戻ったみたい」
シャルルは縛られながらも余裕の笑みだ。でもその余裕、どこまでもつかしら? 今にひーひー言わせてあげるんだから。
彼のズボンを一気に引き下ろして脱がせ、彼の手の届かない所に投げ捨てる。
顔つきの割にしっかりしたシャルルの男根が天井に向かってそそり立つ。小さくは無いけど、決して大きいわけじゃ無い。でも私にはぴったりの、彼自身。
汗をかき始めた胸で上からのしかかるようにして、胸の谷間にいざなう。
「ずっとこうして欲しかったんでしょう?」
下乳の谷間に彼の先端が触れる。お汁を垂らして、可哀そうなくらい張りつめている。
シャルルは聞いているのかいないのか、熱い視線を胸元に寄せるだけだ。まぁ、それだけ私に夢中って言う事で、許してあげよう。
胸を彼の股間に押し付けていく。彼の硬いそれが、強引に私のおっぱいを押しのけ、こじ開けるように突き抜けてくる。まるでおっぱいがあそこになったみたい。
シャツは着たままだ。私のシャツは少し小さめだからそれだけで彼のものを圧迫してあげられる。見た目は物足りないかもしれないけど、汗ばんで色が変わって形も分かるし、この方がそそるよね。
「あぁ、想像以上だよ。君の顔も凄く可愛くて、えろくって、最高だよ」
そんな逝きそうな顔で見ないでよ、意地悪したくなっちゃう。
胸の中で彼のものを揉みしだき、上下に擦り上げる。
胸の中から彼の精の匂いが漂い始めて、下半身がたぎり始める。彼のものがおっぱいの中で暴れるうちに、責めているつもりが、逆に責められている気分にもなる。
「くっ。あぁ、良すぎるよメアリー」
私の柔らかい部分を、彼の硬く逞しい部分で弄ばれているかと思うと……。
「メアリー。メアリーっ!」
でもその状態は長く続かなかった。突然彼のものが胸の中で跳ね上がり、火傷しそうな程熱い精が胸の中に迸る。
谷間から精液がはみ出しても、彼はまだ止まらない。びくん、びくんとおっぱいの中で跳ねながら、乳房中、それこそシャツの前面をびちょびちょにするくらいまで出して、ようやく彼は落ち着いていった。
胸の中でこんなに出されちゃった。……ちょっともったいないなぁ。
「安心してよメアリー」
彼が無理矢理私のシャツを脱がせてくる。あぁ、あの生地に吸い付きたい。吸い付いて噛みしめて、シャツに染み込んだ彼の精を残らず舐め取るの。
あぁ! そんな遠くに投げなくたっていいのに!
「そんなに怒らないでよ。だってこれからは明日の事を考えずにずっと交わっていられるんだよ? インキュバスになった僕は疲れ知らずだ。どういう事か分かるかい?」
含みのある笑いを浮かべるシャルル。
そうか、そうだった。もう何も遠慮しなくていいんだ。最初からしてなかった気もするけどこの際どうでもいい。好きなだけ好きな事が出来るんだ。
でも、私はもう我慢も限界だった。少しでも早くシャルル欲しくて、シャルルの顔を見ながらもこっそりお腹の下で肢を動かして、しっかり狙いを定めていた。
「朝まで寝かせないどころか、三日三晩寝ないでする事だって出来る。君が満足するまで、いくらでもね」
「満足? それってどういう意味かしらねぇ。ふふ、二人で確かめてみましょ。満足するって言うのがどういう事なのか」
もう我慢なんて出来ない。
シャルルと見つめ合いながら、私は一気に腰を沈めた。
シャルルが帰って来たんだ。というか、もうそんな時間になっていたんだ。糸を弄っているのに夢中になり過ぎて時間が経つのを忘れていた。
「ただいまー。メアリー、ちょっと話が」
慌てて机の引き出しにそれを隠す。駄目だ。明らかに見つかってしまった。
「お、おかえり」
「あれ、今何か隠したね?」
シャルルが面白がって手を伸ばしてくる。でもまだ見せられない。まだ未完成だし、戸惑われたり、変に期待されるのも困るし。
背中を向けると、シャルルは笑いながら覆い被さるように手を伸ばしてきた。
「やだ、ちょっと駄目だってばぁ」
こんな楽しそうなシャルルの顔を見るのは、いつぶりだろう。ふざけてじゃれ合うのも懐かしいくらいに久しぶりだ。
「いいじゃないか。そんなに隠されたら気に、なる、よ?」
交わるのもいいけど、やっぱりこんな風に素直な気持ちでシャルルに触れていたいなぁ。
そう思っていたのだけど、しかし彼の手は途中でぎこちなく動きを止めた。
「メアリー、ちょっとごめん」
シャルルが怪訝な顔をしながら、私の首元に鼻を寄せる。
首回りや肩のあたりに鼻を近づけ、念入りに匂いを確認してくる。様子がおかしい。私の匂いを楽しんでいるというわけではなさそうだった。
「ねぇメアリー。どうしてメアリーの身体からキリスさんの匂いがするの?」
「え?」
シャルルが無理矢理私を振り向かせ、ものすごい力で私の肩を掴んできた。目も、睨んでいるようでちょっと怖い。
「それに、お酒の匂いもする。まさか二人っきりで飲んだの」
あ。言われてみれば、そう言う事になるのか。
「ち、違うよ。一人で飲もうとしたのに、あいつが来て、それで仕方なく。でもやましい事は何も」
「本当? でも触られたよね。じゃなきゃこんなに匂うはずない」
肩を掴む手にさらに力が込められる。目つきもさらに険しくなってきた。
何だろう、私、そんなにおかしい事したかな。確かにシャルルの居ない所でキリスに会ったけど、それだけでこんなに怒るなんて……。
「触られたけど、すぐに肘鉄で追っ払ったから」
「本当に? もしメアリーに何かされたとしたら、相手が誰だったとしても僕は……」
「シャルル、痛いよ」
シャルルは驚いたように息を飲んで、慌てて手のひらの力を緩めた。その表情からも憑き物が落ちたみたいに険が抜けて、今度は急に心細そうな顔になる。
「……僕だって、まだメアリーとお酒を飲んだこと無いのに」
「ご、ごめん。そう言う意味なら、シャルルと出会う前に何回かそういう事も……。そ、そんな泣きそうな顔しないでよ。何にもしてない。何にもしてないから」
シャルルは何か言いたそうな顔をしたあと、がっくりと肩を落として泣きそうな顔になってしまった。
何て声をかけていいのか分からなくて、何も言わず優しく彼の頬に触れる。あったかくて柔らかいシャルルのほっぺた。
私と目が合うと、シャルルは気持ちを抑えられなくなったんだろう、思い切り抱きついてきた。
その瞬間、私もまたシャルルの身体に付いた匂いに気が付いた。
「ねぇメアリー、本当に僕の事を好きでいてくれてるんだよね? 愛してくれているんだよね?」
「そんなの当り前じゃない。好きでもない人とえっちな事なんてしないし、一緒になんて居ないよ」
私は何とも言えない気持ちだった。ここ何日も、私の方こそシャルルに同じことを聞きたかったのだから。
それに、今シャルルの身体に染みついている匂いも凄く気になっている。
でも、私のそんな気持ちはシャルルの顔を見てどこかに吹っ飛んでしまった。シャルルは今にも泣き出しそうなくらいに涙を溜めて、すがるような表情で私を見ていたから。
「確かにそうだけど、最近は激しいだけになって来てるじゃないか。
……前はもっとお互いの事を大切にしていたと思う。確かに縛られて無理矢理って事も多かったさ、でも、あの時のメアリーの方が楽しそうだったし、ちゃんと僕を見てくれていた。僕も楽しかった。
今のメアリーは何かに追い立てられているみたいで、僕との時間を楽しんでくれていない気がするんだよ。
最初の頃よりもやたら激しく抱き合ってはいるけど、心ここにあらずって感じだし、僕が仕事休んで一緒に居るって言ってもメアリーは仕事に行けって言うし。僕にはもう興味なんて無いのかもって。
確認したかったけど、ずっと怖くて聞けなかった。
でも、今メアリーの身体から僕以外の男の匂いがして、もう耐えられなくて……」
胸がずきりと痛んだ。私は自分が我慢していればシャルルの目標が達せられて喜んでくれるとばかり思っていた。だから彼が看病で休んでくれると言ってくれてるのも、きっと気を使っているだけなんだと思い込んでいた。
夜だって、シャルルを取られるのが怖くて必死で……。
私は自分一人で考えていたんだ。勝手に気を使って、勝手に怖がって……。シャルルの気持ちもちゃんと聞かずに。
その結果として、私は世界で一番愛している人をこんなに不安な気持ちにさせてしまった。
もしかしたら、それでシャルルはこんな匂いを付けてきたのかもしれない。
「ごめん。ごめんね」
目頭が熱くなってきた。シャルルの顔が良く見えなくなる。
「本当は私も一緒に居たかった。朝から晩まで、ずっとシャルルを離したく無かった。だけど私は、シャルルがみんなの為に仕事をしたいとばかり思っていたから、それを邪魔しちゃ駄目だと思ってたの。
でも、ジャイアントアント達の為にご飯を作っているシャルルを見ていたら、何だかあの子達にシャルルを取られてしまいそうな気がして、怖くて。そんなの見たく無くて、仕事場にも行けなくなって……。取られたく無くて、夜も頑張ってしるしを残そうとして」
「メアリー」
「シャルルが出て行ってしまう度に、私の気持ちなんて考えてくれてないと思ってた。けど、シャルルの事ちゃんと考えてなかったのは私の方だったんだ」
旦那様にこんな想いをさせてしまうなんて、妻失格だ。だからシャルルはこんな風にアンの匂いをつけて帰って来てしまったんだ。
アンの匂い。心の底からシャルルの事が好きで好きでたまらない、まっすぐな想いが伝わってくる優しくて暖かくて甘い匂い。
アンはいい子だ。あの子だったら真面目で旦那さんの事を一番に考えるだろうから、こんな誤解なんてきっとしない。きっと私なんかよりアンの方がシャルルには相応しいんだ。
涙が止まらなくなる。
それでも、私は……。
「僕だって同じだよ。分かってくれるって思うだけで、自分の気持ちをちゃんと伝えていなかった。メアリーの言葉の上辺だけを聞いていて、気持ちを考えていなかった。どうして様子がおかしかったのか深く考えもしなかった」
シャルルの腕が私の背に回る。抱き締めあうのだってもう何度もしているのに、シャルルの手が暖かくて、胸の中が熱くなる。
「メアリーを不安にさせてしまうだろうから黙っていようと思っていたんだけど、ちゃんと言うよ。
実は今日、アンさんに告白された」
不思議と私は落ち着いた気持ちのまま聞いていることが出来た。むしろなぜかほっとしている自分が居た。
「もちろん断ったよ。僕が一番そばに居たいのはメアリー、君だから。
今まで色々辛い思いをさせてしまったけど、明日からはずっとそばに居る。朝も昼も夜もずっとだ。料理ももう君のためにしかしない。君が望むなら、この先一生ベッドの上に縛られ続けてもいい。君と一緒に居られるなら、君が喜んでくれるなら僕は」
「そんな事しない。私はシャルルと一緒に居られれば、それで、それだけで幸せだから」
しがみつくようにシャルルの身体を抱きしめた。
シャルルは何も言わず、強く強く抱きしめ返してくれた。
そのあと、私達はお互いの気が済むまで互いの腕の中に身体を預け続けた。
ようやく落ち着いた今はベッドに並んで座っている。シャルルが私の手を離さないで居てくれることが、なんだかとても嬉しかった。
「でも、明日からの炊き出しは大丈夫なの?」
「うん。話が前後しちゃったけど、明日から昼の炊き出しは他の旦那さんに変わってもらう事にしたんだ。みんなやりたがっていたしね。
多分アンさんとももう滅多に会わなくなるだろうから、だから……」
「そっか」
私は、なんて思えばいいんだろう。今は気持ちもまだ落ち着いてなくて、頭の中の整理も付いていない。ただシャルルがそばに居てくれることが嬉しくて、それだけで。
「昼の炊き出しに出てたのも、本当にメアリーの為を思っての事だったんだ」
「私を放っておいてでも仕事に行くことが?」
「それは、悪かったと思ってるよ」
私はシャルルの肩に頭を預ける。
「ごめん、冗談よ。聞かせて。シャルルがどんな気持ちで働こうと思っていたのか」
「少し長くなるよ」
彼の手が私の頭を撫でる。安心できる、優しい彼の手のひら。
私が頷くと、彼は静かに語り始めた。
「僕は君をひとりぼっちじゃなくしたかったんだ。僕と言う夫が居るじゃないかと君は言うかもしれない。でもメアリー、君は今でも、まだ寂しさを抱え続けているんだよ。ずっとそばに居て見ているから分かるんだ。
そして僕も、あの時の気持ちをまだ持ち続けている。
懐かしいなぁ。メアリーと出会ったあの日。僕はこの巣に忍び込んだ侵入者として縛られていて、メアリーはなんだか眠そうだったっけ。
実はね、僕は一目見た時から君にすごく惹かれていたんだ。一目惚れだよ。この巣に忍び込んだ時にはそんな事になるとは全然考えていなかった。
縄で縛られて転がされていたのにも関わらず、メアリーを見つけた瞬間、何だかメアリーが凄く寂しがっているように見えて、僕がこの子を守らなくちゃって思ったんだ。笑っちゃうよね。助けが必要だったのは縛られていた僕の方だったんだから。
君が僕の事を恋人だと嘘を吐いてくれた時には、一瞬、僕の恋心も冷めたんだ。あぁ、やっぱり助けられるのは僕の方で、僕はこの子に何もしてやれないんだって。きっとこの子は孤独を内に抱えた優しい魔物で、単純に僕の事を見ていられなかったんだろうなぁって。そう思った。
それがまさか、半ば無理矢理とは言えその日のうちにキスして、嘘を本当にするためなんていう理由で肌を重ねる事になるとは思っていなかったよ。
初めてがそんなだったから、ちょっと君を誤解してしまった時もあったんだ。この子は僕をただの餌としか思っていないのかもしれない、男なら僕じゃなくても良かったのかもしれないってね。でも君はそうじゃ無かった。
僕が髪を触れば君はとても幸せそうな顔で微笑んでくれたし、手と手を恋人繋ぎをすれば、えっちだっていっぱいしているくせに頬を赤らめた。抱きしめれば強く抱きしめ返してくれた。本当に僕が疲れた時には休ませてくれた。
僕の事を本当に好いてくれているって事は、すぐに分かったよ。
いつからか僕は君の事を本当の妻のように愛していた。ベッドの上から出してくれないにも関わらず君の事をすごく大切に思うようになった。大切にしなきゃいけないと思った。幸せにしてあげたいと思った。一生守り続けようって思った。でも、気が付いたんだ。何もしていない時、君がまだ凄く寂しげな顔をするって事に。
理由は、多分君がアントアラクネだからだろうって思った。
僕が居るとは言え、ジャイアントアントの巣にメアリー以外のアントアラクネは居ない。考えてみれば寂しいのは当たり前だったんだ。ジャイアントアントもその旦那の人間の男も大勢いるけど、アントアラクネは君一人だったんだから。
僕は君を孤独から救いたかった。
最初は子どもが出来ればいいと思った。でも、それじゃ周りのジャイアントアント達が困惑する。彼女達は女王しか子どもが産めないからね。
じゃあどうすればいいのか。ジャイアントアント達に認められればいいと思ったんだ。メアリーがアントアラクネだったとしても文句が出なければいい。むしろここに居てほしいと思ってもらえれば、メアリーも気兼ねなくジャイアントアント達と一緒に居られるし、子どもも産める。
だから、夫婦でこの巣の役に立とうと思ったんだ。
肉体労働は駄目だったけど、料理は予想外にも上手くいった。本当の事を言えば、途中から趣味としても夢中になっちゃったんだけどね。色んな食材を食べた時のメアリーの反応もとっても可愛くて、愛しくて。
あのクリームシチュー、どうしてあれに落ち着いたのか不思議がっていたよね。あれは単純に体力回復や滋養強壮に効くから、一番食べた夫婦らしい交わりが出来るようになるんだよ。望めば何回でも、何時間でもね。
しおらしいメアリーを僕が責めるのもたまにはいいけど、やっぱり僕はメアリーに求められる方が嬉しかったし、どんな種族同士のカップルだって、いつもの交わりが一番楽しいだろうしね。
と、まぁ話がそれちゃったけど、無事料理が完成して、主任たちの反応も良くって、ようやく僕らも巣の役に立てるかなぁと思ったんだけど……。
結果は不用意にメアリーを不安にさせてしまっただけだった。メアリーの寂しさを一層つのらせて、僕らの関係もぎぐしゃぐしてしまった。
それじゃ本末転倒なんだ。メアリーを悲しませるなら仕事なんてしない方がいい。だから仕事を変わってもらって来たんだ。
これが僕の、働こうと思った理由と、仕事を変わってもらった理由だよ。
これからどうしたらいいか今はまだわからないけど、今はメアリーが寂しいなんて思う隙が無いくらいにそばに居ようと思ってる」
「長いよ!」
「えぇ?」
「もう、寝ちゃうかと思ったよ」
私はあえてふくれっ面で顔を背けた。じゃないと泣いてしまいそうだったから。
でも、もう湿っぽいのは嫌だから。だからいいの。楽しくするの。だってシャルルはこんなに私を大切にしてくれているんだから。大切な人とは、楽しく一緒に笑っていたいから。
「そんなぁ、僕は本気だったんだよ……」
うな垂れるシャルルの腕を胸にしっかり抱いて、私は囁いた。
「全部分かった。ありがと。大好き」
「ん。うん」
シャルルは私の目を見ると、小さく笑って私の額にキスしてくれた。
「でもさぁ、無かったとは言え、もしも何人ものジャイアントアントに襲われるようなことがあったらどうする気だったの?」
「襲われても間違いは犯さないよ」
「どうして言い切れるの? 仮にフェロモンは無視できるとしても、シャルルに少し筋肉が付いたくらいじゃ魔物の腕力には敵わないでしょ?」
別に責めているわけでは無くて、純粋に不思議だった。だっていつかの夢みたいに数匹で組み敷かれて責め立てられたら、いくら愛が強かったとしても反応してしまうだろうし。
シャルルは少し頬を染めながら目を逸らす。思わせぶりな態度だけど、一体何なんだろう。
「い、言わなきゃ駄目?」
「そうだよねいくらシャルルの私への愛が強くてもやっぱり何人もの魔物達に言い寄られたらシャルルだって男だものそりゃ」
「勃たないんだ。もうメアリーじゃないと勃起しないんだよ。だから誰に言い寄られても触られてもがっかりさせるだけなんだよ」
え、嘘。ぼっ、え?
「そりゃ僕だって初日は決死の覚悟だったよ。非常口確認したり、緊急時の煙幕代わりにって胡椒爆弾を用意したり。でもフェロモンに晒されても、汗で浮き出た身体のラインを見ても僕の身体は何の反応もしなかったんだよ」
シャルルは真っ赤な顔で床を見つめながらまくしたてる。
「で、でも、そんな事言ってちょっとくらいあの子達を抱きたいと思ったり」
シャルルはため息を吐いた。
「汗だくで休憩室に来るジャイアントアント達のフェロモンって結構強烈なんだけどさ、頭に浮かぶのは君の乱れた姿ばかりで、汗でシャツが張り付いた彼女達の身体を見ていても、メアリーの肌やおっぱいやおへそを思い返すばかりだったんだよ。
一度だけ、汗だくの胸の谷間を見てあそこに入れてみたいって思ったけど、でも結局それも縛られながらメアリーにされたいって思ってただけで……。
正直、僕もこのままじゃ仕事なんて続けてられないってのも辞めた理由の一つなんだ。メアリーを抱きたくて抱きたくて気が狂いそうになってしまって。
強いフェロモンの匂いよりメアリーの匂いの方が好きなんだ。メアリーの優しく縛り付けてくる糸にずっと繋がれていたい、包まれていたいんだよ。
……おかしいのかな、僕」
「おかしくなんかない! 全然おかしくなんかないよ!」
私はシャルルをベッドに押し倒しながら、口づけの雨を降らせる。シャルル、シャルルもう大好き!
フェロモンより糸の方がいいんだって。ジャイアントアントの身体を見て、私の身体を想像して欲情してたんだって。汗だくの私のおっぱいで責められたいんだって。
「ずっとその顔が見たかったよ、メアリー」
「うふふ、そんなこと言っても駄目だよ。嫁以外の女の子を見てやらしい想像しちゃう旦那様には、もう何を見ても私を連想してしまうくらいにいっぱいお仕置きしなきゃ。それで汗まみれになって、そのおっぱいでいっぱい搾ってあげなきゃね」
「ずいぶん嬉しそうな顔してるけどねぇ。まぁ、お手柔らか、にっ!」
ズボンの中に強引に手を突っ込んで、直接彼自身を掴む。やだ。何もしてないのに、私と二人きりで話してるだけなのに、シャルルったらもう少し硬くしてる。
「今度、お酒飲みながらしよっか。飲みながらするのは私も初めてだし、仕事が無いなら昼からでもいいしね」
恍惚とした顔になっているシャルルには、多分言葉は届いていないだろうけど、でもいいんだ。私もこんなシャルルの顔見るの久しぶりだし。
手の中で彼のがぴくぴくし始める。もうすぐだ。もうすぐ……お楽しみが始まる。と言うところで、突然ノックの音が私達の間に割って入った。
もう、誰よいいところなのに。
私はため息を吐いて、ドアに向かう。シャルルも立ち上がろうとしたものの、その身体は動かなかった。糸で縛り付けたからだ。
「え、メアリー?」
「すぐ戻るから、ちょっと待ってて」
状況を見せて、お客さんには空気を呼んで帰ってもらう。それが一番だ。
「誰で、主任?」
扉の外に立っていたのは主任だった。彼女は部屋の中を一瞥し、それだけで一瞬で事態を理解したらしかった。だがそれでも帰るそぶりは見せず、涼しい顔で告げる。
「お楽しみ中だったか? 済まないがちょっと来てくれないか。アンがメアリーに話したいことがあるそうだ」
アン。そうだ、シャルルの一途さにすっかり舞い上がってしまっていたけど、シャルルはアンに告白されて、断ったのだった。
シャルルは私だけを愛してくれると言った。ずっとシャルルを誰かに、アンに取られるかもって思ってたけど、それが無い事は分かったし、そうなりかけたとしても今は無理矢理にでも彼を私の糸で絡め取るつもりではいる。
でも、じゃあアンの気持ちは?
あんなに強くて素敵な匂いのフェロモンを作り出す程の、私と言う相手が居てもなお想いを伝えずにいられなかった程の、アンのシャルルへの気持ちはどうなるんだろう?
アンが真面目でどこまでも真っ直ぐだって事はよく知っている。友達の、私の夫を好きになってしまって凄く苦しんだだろうことは想像に難く無い。
私はアンにだって幸せになって欲しい。でもアンは大好きな人から想いを断られてしまって。だけど私はシャルルが断ってくれて安心してもいて。
今日の事、素直に喜んで良かったのかな……。
旦那を取られそうになるなんて、本当なら恨んでもいいのかもしれない。取られるかもなんて怖がってたのに、断ってくれて安堵さえしたのに、その相手の幸せを願うなんて都合のいい話なのかもしれない。
でも私は本当にアンの事も……。
ああ、でも。私、アンにどんな顔して会えばいいんだろう。
「会いたくないという気持ちも分かるが、どうしても今日会っておきたいそうだ。……アンを甘やかす気は無かったんだが、事情を聞かされてな。私からも、頼む」
いつもはおっとりして大人しいアンが、主任に頼み込んでまで会って欲しいと言っているんだ。会わないわけにはいかない。
「分かりました」
素直な気持ちでぶつかるだけだ。行こう。
私は主任の後に続いて、部屋を後にした。
目の前で主任のロングヘアーがさらさらと流れる。
主任の背中を追って廊下を歩いた。アンの居る大部屋の方ではないが、一体どこに向かっているんだろう。
「あの主任、大部屋はこっちじゃないですけど」
「別に大部屋に向かっているわけじゃない。アンは別の場所で待っているんだ。
最近は結婚ラッシュで、今やアンも大部屋の年長者だからな。やろうと思えば人払いも出来るだろうが、あいつはそういう性格でもないし、それに、姉ならともかく妹には聞かれたくない話なんだろう」
妹には聞かれたくない話、か。私には生まれついての姉妹が居ないから良く分からないけど、話題によっては人に聞かれたくないのは理解できる。
そうだよね。大部屋じゃみんな聞いてるし、落ち着いて話なんて出来ない。
「しかしメアリー、私の事もそろそろ姉と呼んでくれないか?」
え、主任の事をお姉さんって?
「変か? 私はアンもメアリーも同じ妹だと思っているんだが」
「いえ、その。突然だったんで」
「二人とも幸せになって欲しいと思っているんだ。まぁ、上手くいかない事もあるが。いや、他意は無いんだ。メアリーたち夫婦にも幸せになって欲しい」
私がシャルルに抱きしめられて幸せだった間、アンはどんな気持ちで居たんだろう。
優越感を感じていなかったと言ったら嘘になる。愛しい人に抱かれる幸せを知らないなんて可哀そうだと、嫌味な事を考えもした。
私なんて、シャルルとアンが交わっている夢を見ただけで丸一日動けなくなっていたというのに……。
「来てくれてよかったよ。明日からシャルルさんも仕事に出なくなる。きっと一日中籠る事が多くなるだろうし、私もなかなか顔を見れなくなるだろうしな」
「あの、姉さんは私がアントアラクネだっていつから」
主任は驚いた様子で突然立ち止まり、振り向いて来た。
「何だって。メアリーがアントアラクネだって?」
「もうちょっと感情込めて下さいよ」
「はは、済まん。しかし、ようやくメアリーの口から聞くことが出来たな。少しは姉妹だと思ってもらえたというところか」
世間話でもするような自然な物言いに、私は拍子抜けしてしまう。正体に関しての事はアントアラクネにとってみれば結構重大な事なんだけどなぁ。
「あの、それだけ、ですか?」
主任は怪訝そうに眉を寄せる。
「それだけ、とは?」
「嘘吐きだって罵倒するとか、怒ったりとか、騙してたことを軽蔑するとか」
「されたいのか?」
「されたくないです。すみません」
「大体メアリーがアントアラクネだと分かったところで、明日からお前が何か劇的に変わるのか? そうじゃないだろう。この巣に初めて来た時からメアリーはメアリーらしく振舞っていたし、私達はメアリーはそういう子なんだと思って当たり前に接してきた。それがジャイアントアントじゃなくてアントアラクネだったとしても、メアリーはメアリーだ。アントアラクネだと分かったからって、明日のメアリーが別人になるわけじゃ無い。そして、メアリーは私達の姉妹の一人。それだけだよ。
多分みんなもそう思っているんじゃないかな。はっきりと考えているかは分からないが、みんなそう思ってるようだぞ?」
まったく、お人好しもここまで来ると呆れるどころか好きになっちゃうじゃない。みんなしてさ、私が騙しているとも考えずに。
だったらもう、このままずっと騙し続けてやろう。姉妹だって嘯き続けて、死ぬまでずっとこの巣に居座ってやるんだから。
……何だ。勘違いして肩ひじ張ってたのは私一人だけだったんだ。
「にしても、みんな気が付いてたんなら言ってくれたって良かったのに」
「メアリーだって、正体言わなかっただろう?」
返す言葉もございません。
連れてこられたのは人気の無い倉庫部屋の裏だった。
「着いたぞ。それじゃあ私は先に戻る。キリスを待たせているんでな」
キリス。あ、そう言えば。
「あの、私何もしてませんからね」
「旦那の居る魔物娘が他の男に手を出すなど、考えもしなかったが……。ふふ、安心しろ。キリスは他の女には手が出せないように調教済みだ」
爽やかに笑いながら主任はしれっと恐ろしい事を口走る。え、調教って何してるの?
「ま、次に飲むときは私も誘ってくれ」
そのまま手を上げて主任は帰っていってしまった。呆然と見送りそうになるが、呆けている場合では無かった。今はアンに会いに来たんだから。
呼吸を整えてから奥へ進む。
うずくまる様に腰を下ろし、壁に背を預けたアンが居た。
「メアリーちゃん。来てくれたんだね」
目元がちょっと腫れている。この子、泣いたんだ。
当たり前か。好きな人に振られたんだもん。
でも、凄く辛いはずなのにアンは必死で笑おうとしていた。いつものように笑っているんじゃなくて、笑おうとしてるんだ。泣きそうなのを必死で堪えて。
「アン。あのね」
「今日の事、知ってるでしょ」
私は何も言えず、頷きで返す。
「ごめんなさい。全部私が悪いの。シャルルさんはメアリーちゃんの大事な旦那様なのに、好きになっちゃいけなかったのに、諦めきれなかった私が悪いの。
だから私、決めたの」
アンは大きく息を吸って、吐いて、歯を食いしばって。
手のひらが真っ白になるくらい握りしめられていた。触角だって小刻みに震えている。駆け寄ろうと出しかけた足が、しかしアンの言葉で止まってしまう。
「もう、二人には会わない」
私は何て答えればいいのか分からない。アンは頼んでもいないのに面倒を見たがる世話焼きで、でもしゃべり方も考え方も子どもみたいに幼くて、この巣の中で一番長く一緒に居た友人で、姉妹で、でもシャルルの事が好きで、取られるかもしれないって今まで恐れてて、ある意味では恋敵以上に怖い存在で……。だってアンの魅力は誰より私が知っているから。
確かに会わなければシャルルを取られる心配は全く無くなるだろう。今日だって安心してしまっていたのも事実だ。
でも全然嬉しく無かった。大切な友達がこんなに辛そうな顔をしているのに嬉しいと思えるわけが無い。友達に会えなくなるのを喜べるわけが無い。
「私はメアリーちゃんの事もシャルルさんの事も大好きだけど、大好きな人に嫌な思いはさせたくないから。
私がシャルルさんに会ったらメアリーちゃんが嫌な思いをするし、シャルルさんもいい気はしないと思う。それにメアリーちゃんに会ったら……ごめん。シャルルさんの事思い出してしまいそうで」
そんなに、好きなんだ。
当たり前だ。この人のいいアンが、相手が居るって、友達の旦那さんだって知ったうえで想いを伝えたくらいなんだから。すぐに忘れられるわけが無い。忘れられるなら、こんなに泣き腫らした目になるわけがない。
確かにアンの気持ちを考えたら、会わない方がいいのかもしれない……。
「だから、最後に会えなくなる前にこれを渡したくて」
アンは懐から小さな包みを取り出して私に手渡してきた。
「忘れてるかもしれないけど、今日はメアリーちゃんがこの巣に来てちょうど一年なんだよ? だから、これはそのお祝い」
包みの中から出てきたのは、拳大の透明な石だった。……これって、もしかして。
「ちょっとアン、これ」
「魔宝石。この間魔界に行った時、運よく見つけられたんだ。
私はまだ当分相手が出来そうにないし、だったら大好きなメアリーちゃんに使ってもらった方がいい。一応封はしてもらっているからしばらくはもつけど、周りの雑魔力が混入する前に早めに加工してね。
……こんな事で許してもらえるとは思っていないけど、私に出来る償いはこれくらいしかないから」
「償いって、アンは何も」
「嫌な思い、させ続けちゃったから。じゃあ私部屋に戻るね。さようなら」
「待って、アン!」
焦って追いかけようとしたせいで魔宝石を取り落としそうになり、慌てて両手で掴み取った。
アンの大切な物を守れたと安堵の息を吐いた時には、もうアン自身の姿はどこにも見当たらなかった。
魔宝石は、アンが長い間ずっと探し求めていた宝石だ。
アンの両親、女王様とその旦那様のしているペアリングみたいなのが欲しいんだって、アンはいつも照れながら語っていた。きっと両親みたいな仲の良い夫婦になりたくて同じ指輪をしたいと望むようになったんだろう。いや、アンの事だから、ただ単に大好きな旦那様を常に身近に感じたかったからだけなのかもしれない。
これはアンの一生の願いを込められた魔宝石なんだ。アンの大切な気持ちそのもの。今まで頑張ってきた努力の証。それなのにアンは、こんなにも簡単に手放して……。
簡単なはずが無い。今のアンの胸の中は、私なんかとは比べられないくらいに黒い嵐が吹き荒れているに違いない。
男も夢も私に奪われて。
違う、私はそんなつもりは無かったんだ。私はただ、一人で居るのが嫌で、誰かに愛されたくて、確かにあの時はシャルルでいいのかって迷ったけど、でも今はそれでよかったって心から思ってるし、彼が世界で一番いい男だって思っている。心から愛している。
でも、もし私があの時何も言わなかったら? もしかしたらシャルルは、アンと一緒になっていたかもしれない。
だとしたら、私は。
「メアリー、良かった。ようやく帰って来た」
ベッドの上で身動きの取れなくなっているシャルルが私の顔を見て安堵の息を漏らしていた。
いつの間に部屋に戻っていたのか。考えすぎてどこを歩いたかすら覚えていない。
「とりあえずほどいてくれない?」
「うん」
糸を外そうとして、自分がアンの気持ちを握りしめている事に気が付いた。シャルルの事はひとまず置いておき、先に普段は使っていない棚の奥に大切にそれを仕舞う。ここなら、私達の魔力もあまり届かないはずだ。
ベッドに腰を下ろして、一息つく。
考えがまとまらない。アントアラクネって事はもうみんな知ってるから、仕事に出ないのも嘘吐かなくていい。それにシャルルも仕事を交代してきたから、明日からはずっと一緒に居られる。
だからもう誰かに取られるかも、なんて心配しなくていい。むしろ今はあらゆる手を使ってでも絶対手放さないくらいのつもりでいる。自信だってある。
なのに、どうしてこんなに胸がざわつくんだろう。
「あの、メアリー?」
あ、忘れてた。
糸を外すと、シャルルは身を起こして大きく息を吐いた。
そして後ろから覆い被さるように私に抱きついてくる。シャルルの匂い。幸せな匂い。シャルルも私のうなじに顔を埋めて、大きく息を吸ってくる。
「ようやくこうすることが出来たよ。あぁ、メアリーの匂いを嗅いでると落ち着くなぁ。帰って来たって感じがするよ」
なんだかこそばゆい。心拍数が上がってしまうのを自覚して、さらに恥ずかしくなる。
「私も、シャルルの匂い大好き」
シャルルが笑い、吐息が私の耳たぶをくすぐる。もういいやぁ、今はシャルルを感じるのに集中しよう。これまでずっとひたすら求め続けていて、甘いはずの時間がずっと塩辛いくらいだったし。
今はゆっくり、二人の時間を味わおう。それで、二人ですっきりしよう。考えるのは、それからだって遅くない。
「シャルル、出会った時から変わったよね。……んっ」
「そうかな。どんなふうに?」
「背も、少し伸びたし。腕も、あ、ふぁっ、脚も、体が少し逞しくっ。なった」
彼の手が服の下に潜り込んで、触るか触らないかくらいの絶妙な力加減でおっぱいを撫でまわしている。力尽くで揉まれるのとはまた違った感覚に翻弄され、息遣いが乱れてしまう。
「昔は、あっ。女の子、みたいだったけど。今は、やぁっあっ」
敏感になった乳房の先端を軽く弾かれる。
「男に見える?」
「男の子、くらいには」
不機嫌そうな吐息。可愛い。
だが次の瞬間にはそんな余裕は無くなっていた。目の前が桃色に瞬いたかと思うと、全身を電流のような快楽が走り抜けた。全身が、私の意思と関係なくびくんと跳ねる。
乳首、思いっきり捻り上げられちゃってる。彼の指が私のおっぱいをどんなふうに扱っているのか、洋服越しでも良く見える。
やばい。興奮して汗かいてきちゃった。
「僕が男だってことを、身体に教えてあげなきゃ駄目みたいだね」
「うん。教えてぇ。へへ、でも一番変わったところは、やっぱりスケベになった事かなぁ」
彼は笑った吐息で答えて、私の首筋に噛み付いた。
そして彼の手は次第に下へ。おへそを下り、下腹を撫でて、私の一番大切なところへ。
腰布にしたに潜り込む、と言ったところで焦らすように彼の手を握って、やめさせる。
「サービスタイムはおしまい。これからは攻守交代ね」
私が振り向いて姿勢を直す頃には、既にシャルルの身体は仰向けでベッドの上に磔になっている。彼からの指での愛撫をしっかり楽しみながらも、ちゃっかり身体に糸をしかけておいたのだ。
ま、例の如く腕だけは自由にしてあげてるけど。髪とかも、撫でてほしいし。
「メアリーは変わらないね。というか、ようやくメアリーらしさが戻ったみたい」
シャルルは縛られながらも余裕の笑みだ。でもその余裕、どこまでもつかしら? 今にひーひー言わせてあげるんだから。
彼のズボンを一気に引き下ろして脱がせ、彼の手の届かない所に投げ捨てる。
顔つきの割にしっかりしたシャルルの男根が天井に向かってそそり立つ。小さくは無いけど、決して大きいわけじゃ無い。でも私にはぴったりの、彼自身。
汗をかき始めた胸で上からのしかかるようにして、胸の谷間にいざなう。
「ずっとこうして欲しかったんでしょう?」
下乳の谷間に彼の先端が触れる。お汁を垂らして、可哀そうなくらい張りつめている。
シャルルは聞いているのかいないのか、熱い視線を胸元に寄せるだけだ。まぁ、それだけ私に夢中って言う事で、許してあげよう。
胸を彼の股間に押し付けていく。彼の硬いそれが、強引に私のおっぱいを押しのけ、こじ開けるように突き抜けてくる。まるでおっぱいがあそこになったみたい。
シャツは着たままだ。私のシャツは少し小さめだからそれだけで彼のものを圧迫してあげられる。見た目は物足りないかもしれないけど、汗ばんで色が変わって形も分かるし、この方がそそるよね。
「あぁ、想像以上だよ。君の顔も凄く可愛くて、えろくって、最高だよ」
そんな逝きそうな顔で見ないでよ、意地悪したくなっちゃう。
胸の中で彼のものを揉みしだき、上下に擦り上げる。
胸の中から彼の精の匂いが漂い始めて、下半身がたぎり始める。彼のものがおっぱいの中で暴れるうちに、責めているつもりが、逆に責められている気分にもなる。
「くっ。あぁ、良すぎるよメアリー」
私の柔らかい部分を、彼の硬く逞しい部分で弄ばれているかと思うと……。
「メアリー。メアリーっ!」
でもその状態は長く続かなかった。突然彼のものが胸の中で跳ね上がり、火傷しそうな程熱い精が胸の中に迸る。
谷間から精液がはみ出しても、彼はまだ止まらない。びくん、びくんとおっぱいの中で跳ねながら、乳房中、それこそシャツの前面をびちょびちょにするくらいまで出して、ようやく彼は落ち着いていった。
胸の中でこんなに出されちゃった。……ちょっともったいないなぁ。
「安心してよメアリー」
彼が無理矢理私のシャツを脱がせてくる。あぁ、あの生地に吸い付きたい。吸い付いて噛みしめて、シャツに染み込んだ彼の精を残らず舐め取るの。
あぁ! そんな遠くに投げなくたっていいのに!
「そんなに怒らないでよ。だってこれからは明日の事を考えずにずっと交わっていられるんだよ? インキュバスになった僕は疲れ知らずだ。どういう事か分かるかい?」
含みのある笑いを浮かべるシャルル。
そうか、そうだった。もう何も遠慮しなくていいんだ。最初からしてなかった気もするけどこの際どうでもいい。好きなだけ好きな事が出来るんだ。
でも、私はもう我慢も限界だった。少しでも早くシャルル欲しくて、シャルルの顔を見ながらもこっそりお腹の下で肢を動かして、しっかり狙いを定めていた。
「朝まで寝かせないどころか、三日三晩寝ないでする事だって出来る。君が満足するまで、いくらでもね」
「満足? それってどういう意味かしらねぇ。ふふ、二人で確かめてみましょ。満足するって言うのがどういう事なのか」
もう我慢なんて出来ない。
シャルルと見つめ合いながら、私は一気に腰を沈めた。
12/12/12 00:42更新 / 玉虫色
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