第一話:偽りの雌蟻
耳を引き裂くような雑音と共に、急に世界が明るくなった。
なんだか周りがあわただしい。私の周りでいくつもの気配があっちへ行ったりこっちへ来たりしている。
頭がずきずきする。薄目を開けて見てみると、部屋のカーテンが開けられていて、朝の日差しが私の身体に降り注いでいた。身を縮めて布団をかぶって、何とか太陽の光から逃げる。
人が寝てるんだから、もっと静かにしてほしいんだけどなぁ。
「メアリーちゃん。今日は出られそう」
名を呼ばれ、私はいやいやながらも顔を出した。
「ごめん、アン。ちょっと今日も頭が痛くて」
私の方を覗き込んでいた幼さの残る顔立ちの少女、アンに私はそう返事をする。
「そっか、体調が悪いんじゃしょうがないよね。あの、ごめんね看病も出来なくて」
……体調不良っていうか、多分昨日飲み過ぎたせいだろうけど。
彼女の頭上に生えている一対の触角が、申し訳なさげに垂れた。だまされているとも知らず、本当に単純な子達だ。
「いいって。それより私の方こそ体が弱くて、いつも仕事を手伝えなくてごめんね」
「そんなに謝らないで。私達仲間じゃない。じゃあメアリーちゃんの分も頑張って来るねー」
二の腕に可愛い力こぶを作って見せてから、アンは元気に部屋を出て行った。彼女に続いて同部屋の子達も次々に意気揚々と部屋を出て行く。みんなはこれから仕事に行くのだ。
疑う事を知らない純真そのものの黒い瞳。健康的な張りのある肌。小柄な体躯に似合わない重たい建設道具を担ぎながらも、仕事場に向かうその姿は少し楽しげですらある。同じ魔物なのにどうしてこうもジャイアントアント達は働きたがるんだろう。正直、私には理解できない。
最後の一人の六本肢と黒いお腹を見送り、私は再び布団に包まった。考えても仕方ない。それより今は寝ていたい。
風雨をしのげる部屋の中に暮し、柔らかいベッドでいつまで寝ていても怒られない。おまけに働かなくても食べ物まで出てくる。そんな天国のような環境に居ても、私は欲求不満で仕方なかった。
まるで身体にぽっかり穴が開いているみたいだ。
この穴を何かで埋めたい。埋めたくて埋めたくて仕方が無い。少しでも早く埋めないと頭がおかしくなってしまいそうなくらいだ。
男が欲しい、出来れば筋肉質で大柄な男。その逞しい腕に抱かれて、硬くて立派にそそり立つアレで私の狭くて小さな穴を埋めたい。
……のだが。
「ぅあー」
夢から覚めた私はいつだって一人だった。
部屋の中には私以外にもう誰も居ない。一体どうしたんだっけ。ああそうだ、私が二日酔いで眠っている間にみんな仕事に出て行ってしまったんだった。
ベッドから出て、未だ眠い目を擦りながら食堂に向かう。お腹空いた。食堂ならきっと誰かの旦那が居るはずだ。頼んで何か作ってもらおう。
仲間達からはぐれてしまったと嘯き、このジャイアントアントの巣に転がり込んでどのくらい経つだろう。色んなジャイアントアントの巣を渡り歩いて来たけど、なんだかんだでここが一番居心地が良くって長居している。
それにしても食堂や大浴場まで備えた巣なんて初めて見た。地中に造られているこの巣は形自体も結構変わっていて、最初はよく迷った物だった。それが今では目を瞑ったままでも、寝ぼけながらでも思ったところに行ける程になっている。ここで生まれ育ったような慣れ具合だ。
食堂の扉をくぐると、予想通り男が三人たむろして話をしていた。雄の発するかぐわしい匂いにどうにかなってしまいそう……と言いたいところだが、彼らにそういう期待するのは随分前から止めていた。
基本的に彼等からはもう雄の匂いがしない。彼等に染みついた妻の魔物の匂いが雄自身の匂いを打ち消してしまっているのだ。しかも前夜に激しく、数多く交われば交わる程雄の匂いも薄れるらしい。
今の彼等から一切雄の匂いがしないという事は、それだけ昨夜は激しく燃え上ったのだろう。この巣の奴らと来たら、大人しそうな顔してなんて羨まし……いや、お盛んな事だろう。
「あ、メアリーさんおはようございます」
「おはよぉー」
なんだか腹が立ってきたので、わざわざ男の隣に座って腕にしなだれかかって胸を押し付けてやる。
「ねぇー。私お腹空いちゃったぁ」
「またですか?」
正面の男が呆れた声で言う。彼の言う通り、実はご飯をせがむのはこれが初めてでは無かった。
それどころか仕事を終えて一服している彼らに食事をせがんでいるうちに、いつの間にか仲良くなって今ではすっかり顔なじみになっているほどだ。
まぁ、隣の男も全く狼狽してない事からも女として見られてない事は明白だけど。
確かにおふざけでやってるだけだけど、でもなんかやっぱ悔しいなぁ。
「じゃあ俺何か作りますよ」
と立ち上がりかける隣の男を無理矢理座らせて、猫なで声で囁いてやる。
「そうじゃなくってぇ、私と、しよ?」
「酒臭い時にそんな事言ったって、色気感じないって」
はす向かいの筋肉質な男が苦笑いを浮かべながら言った。酒臭い。嘘、まだ抜けてないのかぁ。確かに昨日はしこたま飲んだからなぁ。……独りで。
はぁ、とため息を吐いて脱力した隙に、隣の男は立ち上がって厨房に向かった。
「にしてもメアリーさんってジャイアントアントらしく無いですよねぇ」
「お酒も飲むし、体も弱いし。まるで」
「こ、これくらい個体差に入るわよ。私だってちゃんとした」
明らかに気の知れた者同士の雑談の空気ではあったけど、私は焦って無理矢理言葉で遮った。不自然だっただろうか。変に思われてなければいいんだけど……。
「冗談だって、誰もメアリーさんがアントアラクネだなんて思ってないよ」
なんというか、この巣の連中は夫婦揃ってお人好しばかりらしい。
「そうそう。アントアラクネだったら巣に紛れ込んできた男を逃がすはずないし、下手すりゃ男を寝取ったっておかしくないですしね。その点メアリーさんは純潔そのものって感じですし」
「う」
何よそれ。まるで人を救いようの無い売女みたいに……。寝取ったりなんてしないわよ。ただ、その、気持ちがあまり余って間違いを犯す可能性は否定できないけど、でもそれだって愛じゃない。好きだって気持ちは抑えられないわよ。
って言っても、男のいない私には何も言えないんだけど。
「まぁ酒癖が悪いところが玉に瑕ですけどね」
「違いない」
男達の笑い声が頭にがんがん響き渡る。情けないけど何も言い返せなかった。
「ほら、そんなに大声出したらメアリーさんに迷惑だろう?」
私の目の前に料理の乗ったお皿を差し出される。もう料理を終えるとは、流石に普段から嫁に料理を作っているだけあるなぁ。
私も将来の旦那様の為に料理を覚えた方がいいのかなぁ。その方が愛してもらえるかも。でも、勉強や練習は面倒だしなぁ。
「じゃあ俺達はこれで」
「え、行っちゃうの? 何よ、酒臭いからってそんなに嫌わなくたって」
「違いますよ、洗濯物を取り込むんです。食べたら食器は水桶に入れておいてくださいね」
それなら仕方ない。彼等は巣の中の、私を含む未婚の子達の服も洗ったり干したりしてくれているのだ。明日着る服が無くなっても困る。私は片手を上げて返事を返し、去りゆく主夫達の背中を見送った。
お皿の上にはスクランブルエッグと焼いたウインナーとトースト、それとサラダが乗っていた。
フォークでスクランブルエッグを一口食べる。相変わらず人の作った飯は美味い。でも一人で食べる飯はちょっと味気ない。思わずため息が漏れてしまった……。
「幸せが逃げるっすよ」
「うわぁ」
突然後ろから声を掛けられ、驚いて頭の触角が反り返ってしまった。うぅ、筋が痛い。
「相変わらず可愛い反応するっすねぇ」
目元が隠れるくらいまで髪を伸ばした茶髪の男が、当たり前のように私の隣の席に座った。
いきなり隠そうともせず大あくびした後、良く分からない事を私に言う。
「おはようっす」
「おはよう。って、まさかあんた今まで寝てたの?」
「メアリーさんが人の事言えるんすかぁ?」
ケラケラ笑った後、茶髪は私に向かって口を開けた。
「何よ」
「ウインナーを所望する」
仕方なく口の中に放り込んでやると、茶髪はしばらく黙って咀嚼し続けた。
この茶髪もまたジャイアントアント達の夫の一人で、名前はキリスと言う。他の男達が家事などに精を出しているのと違って、こいつは一人で居る時は寝るか食べるかしているだけなのだという。この巣の中では珍しいタイプの奴だった。
不真面目な奴ではあるけれど悪い奴ではない。その性格のせいか他人とは思えず、こいつとは妙に気が合うのだった。
「代わりに私とえっちしてよ」
「無理っす」
「何でよ」
「筋肉質な女性の方が好みだからっす」
「ただの食わず嫌いじゃないの? ほら、柔らかそうでしょう私のおっぱい」
「硬い筋肉の上に適度に脂肪の乗った嫁の身体。たまらんっす」
「うるせー私の話聞いてんのか?」
「大体このウインナーは俺達の嫁達が働いた金で買った物っす。それに料理もしてないメアリーさんに所有権を主張する権利は無いっす」
「じゃあほら、ただでやらせてあげるわよ」
「ねみぃ」
「ざっけんなこらぁー」
顔をぶん殴ってやろうとするも軽やかにかわされた。二発目のパンチをお見舞いしてやろうとするも、片手で頭を抑えられてしまってもう手も足も出なくなってしまった。
キリスの得意げなドヤ顔が憎らしい。
私は標的を皿の上の料理に絞る。こんな憎らしい奴にこれ以上分けてなんてやるものか。
「そんなにがっついてたら美人が台無しっすよー」
「うるはい」
「食べながらしゃべらないで欲しいっすね。あーほら、卵が飛んできた」
ああ、何かこのスクランブルエッグ、すごくしょっぱい。サラダも塩辛いし、こんな味の濃いウインナー、よくこいつは長い間口の中に入れていられたなぁ。
「食べながら泣かないで下さいよ。もう取らないっすから」
塩味のトーストまで全部食べ切り、私は口元と目元を拭った。それでも涙はあとからあとから湧いて出る。涙と一緒に弱音も漏れ出してしまう。
「私ってそんなに魅力無いかな?」
「この巣の連中はみんな嫁一筋っすからね。それとも嫁の居る相手でもいいから男が欲しいっすか?」
「分かってるわよ。でも、寂しいのよ。あんたには分かんないわ」
この巣のジャイアントアント達は女王蟻を母親とする大きな家族なのだ。夫達だって広い意味で言えば家族と言えるだろう。
でも、私は違う。外から来た私はどこまで行ってもここでは他人であり、しかも私は自分の正体すら口にすることも出来ない。だからこそ余計に、私は私だけを愛してくれる人が欲しい。
「まぁ一般的に言えば可愛いと思いますけどねぇ。試しにみんなと一緒に外に仕事に出てみたらどうっすか? 意外と何人もの男に言い寄られるかもしれませんよ」
「でも、働くのは嫌だなぁ」
無駄に汗かくし、暑いし、疲れるし。
「なんでみんなあんな風に喜んで働けるのかなぁ」
キリスに視線を送るが、彼は何も言わずに黙って首を振る。そりゃそうだ。こいつも働くのは大嫌いだとぬけぬけと言ってのける程の怠け者なのだから。
「マグロと一緒なんじゃないですかねぇ」
「何。あんたの彼女マグロなの!?」
「もち感じまくりの喘ぎまくりっすよ。って変な事言わないで下さいよ。そーじゃなくて魚のマグロっす。マグロって泳がないと息出来なくて死んじゃうらしいんすよ。多分俺達の嫁が一生懸命働くのもそう言う事なんじゃないのかなぁ。まぁただの俺の持論っすけど。疲れて帰ってくる日程エロいんすよ。うちの嫁」
さらりとのろけ話を混ぜてくるところだけは、こいつも他の男達と変わらない。
「ともかく、たまには外に出てみてもいいんじゃないっすか?」
「そうだねぇ」
私は皿に残ったレタスの切れ端をつっつきながら、ため息を吐いた。
まぁ、確かにキリスの言う通りなのだった。
巣の中に手ごろな雄が居ないのなら、外に出るしかないのだ。確かにたまにみんなのフェロモンに釣られて男はやって来るけど、その数以上に独り身のジャイアントアントの方が多い。
一緒に大部屋で暮らしているジャイアントアント達はみんな独り身であり、言ってみればライバルだ。あの子達と一緒になって順番を待っていたらいつまでも男なんて見つからない。
私は自室に戻り、明日の為に自分の仕事道具をベッドの下から引っ張り出した。うわぁ、埃だらけの蜘蛛の巣だらけ。そりゃあここに来た時に格好だけ付けるため持ち込んで以来使っていないのだから当たり前か。
丁寧に掃除してやると、新品同様の光沢が戻ってくる。ま、使ってないのだから新品同様なのは当たり前なのだけど。
今日は酒を飲まずに早く寝て体力を温存しよう。身体の調子さえ保てればジャイアントアントの仕事にだって付いていける。私だって魔物なのだから。
「ただいまー」
疲れの色を滲ませながらも、元気で明るい声を出しながらルームメイトたちが帰って来た。
「今日も疲れたねー」とか「お風呂に行こうよー」とか「お腹空いたー」とか言いながら、彼女達はどやどやと自分のベッドに向かっていく。
実を言うと、私には彼女達の区別が付いていない。ジャイアントアント達は大体その巣の女王蟻から生まれた姉妹たちなので、みんな同じような顔をしているのだ。区別が出来るのは私の面倒をよく見てくれるアンくらいだった。
部屋の中に一気にフェロモンが満ちる。息が詰まりそうな程のその甘い香りに、同じ魔物であるにもかかわらず私はくらっと来てしまう。
忘れていた。これだから私は酒が手放せなかったんだった。こんな性フェロモンで満ちた大部屋で素面で寝られるわけなんて無いんだから。
こんな調子で明日無事に仕事に出られるかなぁ。
「あ、メアリーちゃん。明日は仕事に出られそうなの?」
アンが私の隣に並んで手元を覗き込んでくる。あぁ、いい匂い。汗でタンクトップが肌に張り付いていて、小柄な割に丸みを帯びているアンの身体のラインが丸分かりだ。
もちろん身体では私も負けるつもりは無いけど、こんな格好でやらしい匂いさせてたら大概の男はいちころに決まっている。だって私でもそういう目で見てしまうんだ、から?
あれ、私何考えてるんだろう。なんか頭がぼーっと。
「ま、まぁね。今日は少しは体調も良くって……」
「そうなんだ! よかったぁ」
興奮したアンが私の手を取る。何でだろう、アンに近づかれたらさらに意識が朦朧と……。そうか、フェロモンのせいだ。
駄目。もう駄目だ。これ以上部屋の中にとどまっていたら匂いで頭がおかしくなる。
「ごめん。私先にご飯食べてくる」
正直まだお腹は空いていなかったけれど、この場から少しでも早く抜け出したかった。理由は何でも良かった。
「じゃあ私もお風呂の前に食べちゃおっと。一緒に食べよ?」
「え? あ、も、もちろんだよ。じゃあ私先に食堂行って席取ってるね」
アンの不思議そうな目から逃げるように、私は部屋を飛び出した。折角一緒にご飯に誘ってくれたのに、ちょっと悪い事しちゃったかな。
当ても無く巣の中を歩き回ろうかと思っていたが、思わぬ形で目的地が決まってしまった。でも参ったなぁ、食堂のメニューは働いてるみんなに合わせてボリューム満点だし、これ以上食べたら太っちゃうよ。
ため息交じりに歩いていると、泣きっ面に蜂、いや、蟻と言うべきか、夫に出迎えられるジャイアントアント達の仲睦まじい姿が視界に入ってくる。この時間帯はどこもかしこも夫婦ばかりなので嫌でも目に入ってくるのだ。
抱き締めて出迎える者、手を繋いで部屋に戻る者。さっき食堂で話していた男達も、笑顔で自分達の嫁を出迎えていた。夫婦組は大体巣の中に自分達の部屋を持っているので、そこに一緒に帰るのだ。
独り身組でも将来の為にと最初から自室を構える子も居るが、大体の子は寂しがって大部屋で一緒に暮らしている。
呆れ半分、羨ましさ半分で私は夫婦たちを見送っていく。中にはその場でキスして、交わり始める強者も居た。誰かと思えばキリスだった。
「愛してる」
「ふふ、私も」
すれ違う時、彼らの睦言が聞こえ……。私は黙って足を速めた。
翌日。私は前日の決意通りにみんなと一緒に仕事場に向かった。
……のだが。
こんな目に遭うんだったら行かなかった方が良かったかもしれない。疲れ切った体をベッドに横たえながら、私は独りで反省していた。
身体中が疲労で強張っている。男とやりまくってこうなるならまだしも、労働でこんな目に遭うなんて……。仕事になんて行くべきじゃ無かった。何の収穫も無しにただくたびれただけだ。
「メアリーちゃん。今日は頑張ってたね」
あれだけ働いたというのに、アンはにこにこ笑う余裕すら持っている。対する私は全身がまるで鉛でできているのかと思うような惨状だった。
顔を向けるために首を動かすだけでも全身からぎしぎしと音が聞こえてくるようだ。
「そ、そうかな」
正直彼女らの二十分の一も働けた気がしない。彼女達ほど重い荷物も持てなかったし、つるはしを振っても手が痛むばかりで一向に掘り進められなかったし、手際も悪かったし。
いや、そんな事より問題なのは男が誰も居なかった事だ。
何でも今やっている仕事は地下水道の建築工事で、地下の建築は危険だという事で最初から人間は入れないという話に決まっていたらしい。
言ってみれば全くの無駄骨だったというわけだ。酒も飲まず、フェロモンで密封状態の大部屋であそこをぐちょぐちょに濡らしながら何とか一晩耐え忍んだ結果がこれとは、正直、がっかりどころの話では無かった。
結論。慣れない事はやっぱりするもんじゃない。
「汗もかいたし、お風呂に行こ。背中流してあげるよ」
あぁ、アンは良い子だなぁ。優しいし、可愛いし、気も使える。人が良すぎて心配になってしまうくらいだ。それに働いているアンの姿を見ていたら、なんだか柄にもなく幸せになってほしいなぁとか思ってしまった。だってこの子、誰より一生懸命なんだもん。
「ど、どうしたの? 顔に何かついてる?」
「ううん。お風呂いこっか」
軋む身体に鞭打って、私はベッドから立ち上がった。
この巣の大浴場は広い。どのくらい広いかと言うと、頑張れば巣に住む全員が入れてしまえるくらいには広い。
なんでも新婚旅行でジパングに行った女王様が温泉にいたく感銘を受けたとかで、わざわざ温泉の湧き出る場所を選んで巣を作ったのだという。
すごいのは地中にこれだけ大きな浴場があるというのに、どこも結露したり水漏れしたりしない事だ。一体どういう仕組みの上下水道になっているのか、私にはまったく想像もつかない。
周りは仕事の汗を流しているジャイアントアントでいっぱいだ。みんなすがすがしい程に自分の身体を隠そうともしない。同種族でしかもみんな姉妹だからだろう。初めてここに来た時にはすごく戸惑ったけど、今はもう慣れてしまった。
ジャイアントアントは小柄だとはいえ、魔物の中でも胸はそれなりにある方だ。真ん丸でふくよかなおっぱいがいくつも並ぶ光景はなかなかに眼福だった。熱い湯を浴びてほんのり染まった肌も色っぽい。
っと、見惚れてる場合じゃ無かった。私もさっさと汗を流してお風呂に入ろう。
「メアリーちゃんの肌、白くて羨ましいなぁ。おっぱいも大きいし」
隣のアンが私の腕をしげしげと眺めながら、つぶやくように言った。そりゃ、外あんまり出てないからねぇ。
「アンの肌だってぴちぴちじゃない。おっぱいだって、ほら、こんなに柔らかい」
私はふざけてアンの乳房に手を伸ばす。見た目通りの弾力を持ちつつもふわふわした感触が私の手のひらを楽しませる。
「あ、やんっ。やったなぁ。えい、おかえしだっ」
アンは私の手から逃れると、瞬時に私の背中に回り込んで後ろから乳房に手を伸ばしてきた。優しく握りしめるだけの子どもっぽい触り方がいかにもアンらしい。
流石に感じたりとかは無いけど、全身の筋肉がいう事を聞いてくれないせいで振り払うに振り払えない。
「ちょ、アンったら。いたっ」
「ごめん。強く握り過ぎちゃった?」
「そうじゃなくって、筋肉が痛くって」
「それじゃお風呂行こう。良く効くマッサージしてあげる」
アンに強引に泡を流され、私はなすすべも無く彼女に腕を引かれて浴槽まで引きずられていくのだった。
正直言って仕事の後のお風呂は気持ち良かった。確かに癖になる爽快感ではあるかもしれないけど、まぁでもあれだけの仕事の辛さと釣り合うのかと言えば……私は働かない方を選ぶだろう。
驚いたのはアンのマッサージの上手さだ。少し筋肉を揉み解してもらっただけで随分体が楽になった。何でも、将来の旦那さまの為に練習しているらしい。アンの旦那になる男は間違いなく幸せになれるだろう。私が保証してもいい。
考えてみれば面倒臭がって何もしない私の面倒もいつも見てくれてるし、本当にいい子だ。もっと感謝しなくちゃなぁ。
それにしても、お風呂に入ったら一気に疲れがでちゃった。
とっととご飯を食べて、早く寝よう。これだけ疲れて居れば、きっとあそこを濡らす間もなく眠りに落ちれるはずだ。
「ねぇメアリーちゃん。なんか食堂の方が慌ただしいみたいだよ」
「へぇー?」
眠たい私は生返事になってしまう。
にしても、食堂が近づいて来たせいかなぁ、なんだかすごくいい匂いがしてきて、腹ペコがさらに進んでお腹と背中がくっつきそうだ。
ご飯を食べたい一心で食堂に入る。何があったのかは分からないけど、確かに人だかりが出来ていた。
「ねぇ、行ってみようよ」
私はそんな事より早くご飯が食べたかったのだが、私の力ではアンの腕力には敵わなかった。もともと気力も無かった私は、仕方なく再びアンの後についていく。
強引に隙間を通り抜け、一番前までたどり着いてようやく人だかりが出来ていた原因が分かった。
「わ。人間の男の子だよ、メアリーちゃん」
アンの言う通り、見知らぬ人間の男の子が縄で縛られ、猿轡を噛まされて転がされていた。目元の青痣が痛々しい。手にフライパンや棒を持った旦那衆が彼を取り囲んでいるけれど、これはどういう事なんだろう。
「食料庫に忍び込んでたんだって」「盗み食いしてたらしいよ」「やだ。教団のスパイ?」「うちの人はその可能性もあるって言ってるけど」「スパイって盗み食いもするの?」「お腹減ってたんじゃね?」「まだ子どもだよ」「でもスパイだったら兵隊がやってくるんでしょ」「怖いよぉ」
へぇ、そう言う事なんだ。
つまり男が巣に紛れ込んできたんじゃないか。独り身の子たちは何を躊躇っているんだろう。とっとと襲えばいいのに。
確かに外見は幼い。見ようによっては女の子にも見えるくらいだけど、男性的な機能はもう十分大人になっているようだ。私の鼻は誤魔化せない。
本当は筋肉質で逞しい雄が良かったけど、この子も雄である事は変わりないし、精の匂いもなかなか私好みだ。なるほど、いい匂いの原因はこの子だったんだ。
欲しいなぁ……。でも、いきなりこの場で私がしゃしゃり出るのも何か悪いしなぁ。
「どうする? こいつあの教国のガキだろう?」
口調こそ荒いものの、旦那衆は皆困ったような顔をしていた。みんななんだかんだで嫁に似て人がいいのだ。
「って言っても、あの国もこの間負けて親魔物国に占領されてるじゃないか」
「でもまだ教団と繋がってるかもしれないぜ。逃がしたら厄介だ。やっぱり魔物軍に引き渡した方が……」
男の子は魔物軍の単語を聞いただけで涙を流しながら首を振った。あんなに怯えてちゃって、ぞくぞくしてきちゃう……。って、そうじゃなくて可哀そうで見ていられないじゃない。
誰かこの子を食べちゃおうって子はいないのか? いないんなら、私が貰っちゃうぞ?
周囲はざわめくばかりで、誰も彼に手を伸ばす気は無いらしい。
「引き渡すとしても、だ。もう夜も遅いぞ。軍の人が来るまでこの子をどうする気だ」
「そりゃ牢屋にでも入れて……。って、そんな部屋ここには無かったな」
時間切れだ。私は一歩前へ出る。
「ちょっといい?」
周囲の視線が集中する中、私は胸を張ってこう言った。
「それ、私の彼氏なんだけど」
種族すら誤魔化しているのだ。今更嘘が一つ増えたところで困る事も無い。
周囲は一気に騒然となった。
ジャイアントアント達もその旦那たちも驚きながら思い思いの声を上げているため、もはや簡単には収集が付かないような状態だ。
多分一番驚いているのは縛られている男の子だろう。泣くのも忘れて私を見ている。試しにウインクして見せると、彼は赤くなって目を逸らした。
「みんな落ち着きなさい!」
突然響いた凛とした声に、騒然としていた周囲が一気に静まり返る。たった一言で場を沈めてしまうこの声。……嘘でしょ、来るのが早すぎる。
群衆が遠くからこちらに向かって道を開ける。作られた道の先に、見覚えのある気品に満ちた一匹のジャイアントアントが佇んでいた。
こちらの姿を確認すると、彼女は優雅な足取りで歩み寄ってくる。
彼女は、呆然と私を見つめたまま固まっているアンの肩を軽く叩いて彼女に微笑んだ。
「あっ。お母さん」
そう、ジャイアントアント達の壁を割って私の前に現れたのは、アン達の母親である女王蟻だった。
「何だか騒ぎが起きていると聞いたから来てみたのだけど」
女王様はゆっくりと周囲を見渡していく。娘たちはそうでもないが、娘の旦那達は軒並み緊張したような顔で身を固くしていた。彼等にとってはお義母さんなのだからそれもそうか。
「メアリー、その話は本当なのですか?」
全てを見透かすような透き通った瞳が私を覗き込む。自分の後ろ暗いところまで全部照らし出されてしまう気がして、私はこの目が苦手だった。
「女王様、紹介が遅れてすみませんでした。私の恋人です。……こんな格好ですみません」
私は精一杯の度胸を絞り出して女王様の目を見つめ返した。
女王様は縛られた男の子の方をじっと見てから、再び私の方を向いてため息を吐いた。
「メアリー、私は残念です」
冷や汗が流れる。
嘘がばれたのか? だとしたらどこまで? せめて可哀そうな男の子を助けようとしているとかって勘違いしてくれるとありがたいんだけど……。
「私の事、まだお母さんとは呼んでくれないのですね」
そっちか!
内心脱力しながらも表面だけは毅然とした姿勢を崩さないように努める。それにしても、この巣の子達がみんな人がいいのは絶対遺伝だ。
「それはともかく。メアリー」
女王様は真剣な表情を取り戻すと、手が届くほどの距離にまで近づいて来た。
何だ。どうする気なんだ? まさか正体がばれていて、男を横取りする気なら出て行けなんて言われたりしないよね……。そんなこと言われたら、どうしよう。
女王様の手が伸びてくる。怖くて目をつぶった私に掛けられた言葉は。
「おめでとう」
祝福の一言だった。
女王様の両腕が私の背中に優しく回される。その瞬間、私の胸の中に良く知らないあったかいものが広がった。こういうの、知ってる気がするんだけど、名前が出てこない。
そしてその感覚の名前を思い出す前に女王様の身体は離れていってしまう。
「さぁみんな、何をしているの? 新しい夫婦の為に、部屋を作ってあげましょう」
女王様は振り返ると、手を叩いて娘と息子たちに向かって指揮を執り始めた。
夫婦?
夫婦か。確かに彼氏を巣に連れてくるって事はそう言う事になるんだよなぁ。あの女の子みたいな男の子と私が夫婦になるのかぁ。なんか、なんだろ、ずっと男が欲しかったのに、いざこうなってみるとなんだか不思議な気分だ。
慌てて動き始める周りをどこか別世界の事のように眺めながら、私は男の子に近づいて縄を解いてやった。
一時間後、私と彼はそれまで無かった扉の先に通された。昨日までただの壁でしかなかったところに、二人が住むには十分すぎる広さの部屋が出来ていた。
ジャイアントアントと言うのは本当に凄い。確かにここは彼女達の巣ではあるけど、だからって一時間で何も無いところに人が住める部屋を作ってしまうとは。
家具も水場も全部整っているし、お風呂も台所もある。大部屋と違って最上層じゃないから窓は無いけど、魔力灯があるから全然暗くも無い。
これがジャイアントアント達の本気かぁ。
私も彼も驚きのあまりしばらく何も言えずに部屋の中を見回す事しか出来なかった。
「メアリーちゃん」
扉の隙間から、アンがそっと顔を覗かせていた。声を掛けられるまで全然気が付かなかった。
「もう、彼氏が出来たのに言ってくれないなんて水臭いじゃない。……遅くなったけど、おめでとう」
「いや、その。ごめんね。なかなか言う機会が無くて」
何しろあの場で決めたもんだから。
「いいなぁ。可愛い彼で羨ましいよ。……お部屋が離れてちょっと寂しくなっちゃうね。旦那様が出来ても、これからも私とも仲良くしてね」
「アン……。ありがと。私の方こそこれからもよろしくね」
「えへへ、何か変な感じだね。それじゃ私はそろそろ部屋に戻るよ。また明日ね」
私は手を振ってアンの後姿を見送った。言われてみれば昨日までのように四六時中顔を合わせている事も無くなってしまうのか。そう考えると確かにちょっと寂しくなるなぁ。
でも、それはそれ、これはこれ。私の今の心中はそれどころでは無かった。
少年の放つ、まだ少し青臭い若い雄の匂いが部屋中に満ち始めている。あぁ、夢にまで見ていた自分だけの男の匂い。自然と顔がにやけちゃうよ。
扉をしっかりと締めて、私は彼に向き直った。
人差し指を引いて、彼の唇にこっそり貼り付けておいた糸をはがす。彼を私の恋人だと宣言したことによってすぐに彼は解放されたのだけど、だからと言って余計な事をペラペラしゃべられても困ると思って、ひそかに猿轡を外す時に見えないくらい細い糸で口を締めておいたのだ。
特に旦那衆は殴ってしまった負い目もあって色々と謝るなり話しかけるなり気を使ってくれていて、あの時が一番ひやひやした。
何とか「ご飯をごちそうするって誘ったんだけど、でも私がすっかり忘れていて、それで彼は迷い込んでしまって、あまりにお腹が減っていたので食料庫の食べ物に手を付けてしまったんだろう。人見知りだから今はあんまりしゃべれないんだけど、これからよろしくね」というような話にして誤魔化したけど、もうあんな綱渡りは二度と御免だ。
暴れそうだったら身体の方も糸で操るつもりだったのだけど、意外と彼は柔順に私に従ってくれた。もしかしたら、本当に惚れてくれたのかなぁと思ったんだけど……。
「あ、あれ。しゃべれる。助けてくれてありがとうございます。僕はシャルル。おかげで魔物軍に捕まらずに済みました。あなたがとっさに僕を庇ってくれなかったらどうなっていた事か」
やっぱりそっちの方に勘違いしているかぁ。
「魔物の中にも人間思いの方もいらっしゃるんですね。でもここからどうやって逃げ出したら……」
まぁ、魔物はみんな人間、特に男が大好きだっていうのは間違ってないんだけどねぇ。
私は優しく微笑みかけながら、シャルルの手を取って一緒にベッドに腰掛けた。
腕を絡め、胸や体を押し付けるように彼にしなだれかかる。あぁ、何も言わずにこのまま押し倒しちゃってもいいけど、可愛いからもうちょっとからかってあげようかな。
「素敵な名前ね。シャルル、焦る事は無いわ。安心して? ここには私以外には誰も入れないから。でも、驚いたわよ。だって人間の男の子が魔物の巣に迷い込んでいるんだもの」
彼は俯いて目を伏せた。少し癖のある栗色の毛、青い瞳、長いまつ毛。物憂げな表情もなかなかいい。食べちゃいたい。
「魔物達が人間から奪った財産を奪い返してやろうと思ったんです。でも、食べ物くらいしか見つけられなくて、しばらくろくなもの食べてなかったから、気が付いたら手を出していて……」
「そうだったの。でも、良くここが見つけられたわね」
「ジャイアントアントの後をつけて来たんです。僕、みなさんが地下水道を作ってる街に住んでいるんですよ」
「た、確か教団派の国だったかしら」
確かさっきそんなこと言ってた気がする。でも自信が無い。教団の支配する国で堂々仕事するなんてことは考えられないし……。あぁ、こんな事ならもっと仕事の内容だけでも興味を持っておくんだった。
「親魔物派の国に負けちゃいましたけどね。今は普通に街中に魔物が徘徊する場所になってしまいました……」
まぁ、それは素晴らしい。と言いたいところだけど流石にやめておこう。
「魔物達は我が物顔で好き放題です。流入した魔物達は片っ端から市民を誘惑し、街の風紀は乱れ、健全だった市民も次第に堕落し始めている。何をしているのか働きもせず家に籠る者も増え、裏通りを歩けば人目が無いのをいい事にあられもない事をする輩まで現れる始末……。
みなさんジャイアントアントだって、勤勉だなんて言われてますけど、実際は壊れた建物の修繕や建設などの仕事を我々人間から奪っている張本人じゃないですか。純朴そうな顔の下で、きっと国のなけなしの財産を根こそぎ奪っているんだろうとそう思って来たのですが……」
「お金なんて大して無かったでしょ」
「……はい」
まぁここの子達は働く事そのものが好きだからなぁ。金を稼ごうという意思は薄いだろう、だってあんなに人のいい子達なんだから。
「メアリーさん、でしたよね。ありがとうございました。僕を助ける為に女王蟻にまで恋人だなんて嘘を吐いてくれて……。こんな良い魔物も居るなんて知りませんでした。僕、少し誤解してたみたいです。もっと別の見方で魔物を見た方がいいのかもしれませんね」
「そうね。誤解しているわね。私、嘘なんて吐いてないもの」
「え、でも僕達別に恋人同士でも何でも」
私はシャルルの腕をぎゅっと抱きしめながら、彼を見上げて微笑んだ。
「見方を変えるのよ。今から恋人同士に、夫婦になれば嘘にはならないでしょ」
彼はかぁっと顔を赤らめながら、空いている手をぶんぶん振り回した。魔物を嫌っていそうなのに、私の蜘蛛の下半身も見えてるのに、それでも照れてる。可愛い。
「だだだ駄目ですよ。僕なんかまだ子どもです。誰かと一緒になるなんて」
「でも、ここは大人みたいじゃない?」
胸を押し付けられて興奮したのか、ズボン越しにも彼自信が膨らんでいるのが分かる。私に女を感じてくれているんだ。
「それはそのっ。メアリーさんの髪から、いい匂いがして……」
「うふふ、嬉しい」
あぁ、駄目。もう我慢できない。彼のシャツの中に腕を入れて、直に温かな肌をまさぐる。
目なんてつむっちゃって、感じてるのかな。じゃあその隙にベルトを。
「ごめんなさい」
「きゃあっ」
突然彼に肩を押され、私はベッドに突き飛ばされた。床に突き飛ばさないだけ、やっぱり彼は優しいんだ。
「やっぱり僕、駄目です」
そう言いながら扉に駆け寄り、部屋から出て行こうとする彼。あぁあ、やっぱりこうなっちゃったか。でも、ふふ、そんな事しても無駄なんだから。
「あれ、開かないぞ。何で、あれ?」
胸の中に嗜虐的な昏い喜びが満ちていく。さっき扉を閉める時に、糸で細工をしておいたのだ。こうなってしまっては私以外の誰にもこの扉は開けられない。
あぁ、愉しい。思わず顔がほころんでしまう。
私は彼に向かって手を伸ばし、少し引いてみて彼の身体に巻き付けた糸の具合を確かめる。確かな手ごたえ。これならちょっと無茶しても大丈夫。
くいっと私が指を捻れば、彼は私の方を向く。そして思い切り引っ張れば、彼の身体はあっという間に私の胸元に飛び込んでくる。
「これは、糸? まさかあなたはジャイアントアントじゃなくて」
「そう、アントアラクネよ、良く知ってるのね」
私の胸の中で目を白黒させる彼に、私は優しく囁いた。
「さぁ、夫婦の契りを交わしましょう」
ベッドの上に、仰向けにシャルルの身体を押し倒す。
シャルルは驚いた顔で自分の手足を見た。うふふ、起き上がろうとしたって無駄よ。もう私の糸でベッドに貼り付けちゃったんだから。
「怖がらなくても大丈夫よ。力を抜いて、楽にして?」
「やめて、やめてくださいメアリーさん。こんなの良くないですよ」
「大丈夫。これから良くしてあげるから」
「なんか意味が違いませんかっ?」
彼の上に馬乗りになって、シャツのボタンを一つ一つ外していく。目を逸らしちゃって、そんなに照れなくてもいいのに。
「さっきの話ぶりじゃ『お願いだから食べないでー』とか泣き喚きだすかと思ったけど、案外落ち着いてるのね」
「教国に住んでるからって、誰もが教団の教えを鵜呑みにしてるわけじゃ無いですよ。それにこんなかわい……」
「ん? 今なんて言おうとしたのかなぁー」
「か弱い女の子の姿になった魔物が、人間を食べるとは思えない」
「そうね。でも可愛い女の子の姿の私は、君の事を食べちゃいます」
青褪める彼の顔も、ぞくぞくするほどそそられる。
「ただし性的に」
シャツを勢いよく肌蹴させて、あらわになった乳首に舌を這わせる。「ぅああっ」と言う彼の声が、私の下半身を熱くさせる。
男の味、シャルルの味。彼の唇はもっと濃い味なんだろうなぁ。あそこなんて、どれだけ濃いんだろう。あぁ、想像しただけで濡れてきちゃうよぉ。
「そんなに気持ちいい?」
「は、恥ずかしいんですよ」
「大丈夫? これからもっと恥ずかしくなるんだよ?」
私はベルトを一気に引き抜いて、ゆっくりゆっくりズボンと下着を下ろしていく。
「だ、駄目、駄目ですって。や、やめてぇ」
彼の黒々とした陰毛が顔を出す。溢れ出る雄の精の匂いに、たまらず衣服を引き下ろすと、彼の雄の象徴がバネみたいに一気に跳ね上がった。
「め、メアリーさぁん」
私は言葉を失ってそれに見入ってしまった。女の子みたいな顔に似合わず、彼の象徴はしっかり男の人をしていた。
夢見ていた理想のもの程は大きくは無いけれど、決して小さくない。なんというか、私にぴったりな感じと言えばいいのかな。
手で握りしめてみる。ぴくんと跳ねる彼自身。
確かめたい、本当に私にぴったり合うのかどうか。
でもその前に……。
「目、つむって」
シャルルは戸惑いながらも目を瞑ってくれた。予想外だ、なんだかんだ言いながらも私の言う事をちゃんと聞いてくれる……。
無理矢理キスしちゃおうと思ったけど、ちょっと気が変わった。
彼の片手の束縛を解いて、私の胸元に導く。服を持ち上げて、直におっぱいに押し付けた。
「え、え? メアリーさん?」
「柔らかい?」
「とっても。……って、もしかして」
手を引きかける彼の腕をがっちり握りしめる。
「駄目ですよ。僕なんかに」
「遠慮しないで。もう私の身体はあなたの物なんだから」
「僕の、もの……?」
「ねぇ、キスしていい?」
シャルルは何も言わなかったけど、小さく頷いてくれた。
顔を近づけていく。鼻息がくすぐったい。
唇から数センチ手前。あとちょっとで触れ合うというところで、私はちょっと逡巡する。
本当に彼が運命の人なのかな。昔から強そうで筋肉質な人がいいと思っていたから、てっきりそういう人とこうなると思っていた。それなのにこんな女の子みたいな男の子に、こんな風に出会ってすぐに……。
何考えてるんだろう私。私の身体はあなたの物だなんて言ったあとなのに。
シャルルの唇も少し震えてるし、もし本当に嫌がって居るんだとしたら……。
「怖い?」
「いえ、初めてなんで緊張してるだけです。もしかして、メアリーさんも?」
「そう思う?」
「だってこんなに胸が震えてるじゃないですか」
ああ、そうか。そうなんだ。私、緊張してるだけなんだ。彼と同じように。二人で同じ気持ちを共有してるんだ。それなら、何も迷う事なんて無いじゃない。
彼の唇に自分の唇を触れ合わせる。全身に鳥肌が立つような感じが広がっていく。自分でも抑えられない感覚のさざ波。
ちょっと強引に舌を入れると、彼は優しく受け入れて撫でてくれた。口の中に少しずつ彼の味が広がる。味わった事の無い、優しい味だった。
彼のあそこが寂しそうに震えるので、絡めた指でこすって温めてあげる。
「んんんっ」
胸に指が食い込んでくる。ちょっと痛い。でもやめない。だってこれは彼が与えてくれている痛みだから。
夢中になってしまっていたせいで彼が限界を迎えるのに気が付けなかった。手の中のものが大きく跳ねて、彼の精液が飛び散った。私の手にも熱いそれが垂れ落ちてくる。あぁ、勿体ない!
「ぷぁ。ご、ごめんなさいメアリーさん。僕、なんてことを」
手の上の彼の白濁に舌を伸ばす。口の中に入った瞬間舌がとけそうになる程だった。
もう自分でも自分を止められない。手に付いたのを舐めとり、彼のおへそに溜まったのを舐めとる。お腹に飛び散っている飛沫まで美味しそうだ。
「な、何やってるですか、汚いですよ。そんなことしなくても」
まだ竿に残っている。根元から唇をつけて、啜りあげるようにしながら丁寧に舐め取る。
「メアリーっ、さんっ」
あはっ。また固くなった。
口の中で味わうだけでこんなになっちゃうんなら、下に入れたらどうなっちゃうんだろう。
「何やってるんですか……。だ、駄目ですよ、そこに座っちゃ駄目ですからね!」
六本の足でしっかり彼の足に掴まり、前の二本の足で彼の腰に狙いをつける。彼の胸に置いた両手が、言葉とは裏腹に彼がすごく興奮している事を伝えてくれる。
「シャルルの精液、とっても美味しかったよ」
「お世辞はいいですって。ね、落ち着いてください」
「お世辞じゃないよ。確かにシャルルたち人間にとってはそうかもしれない。でも、私達魔物にとっては生きるためにも、子どもを作るためにも必要な、とっても大切な物なの」
シャルルの瞳の中に映る私の顔。上気して、だらしなく口元を緩ませて。こんなやらしい顔、今まで見た事無い。
「だから、ちょうだい?」
一気に腰を落とした。鈍い痛みすら気持ちいい。
「うっ、くあぁっ。メアリーさん」
私を貫く硬い彼自身。中で触れ合っているだけで腰が砕けてしまいそうな程びりびりくる。
「魔物とした気分はどう? やっぱり人間じゃない身体は気持ち悪い?」
「そんな事、ありません。すごく熱くて、きつくて。き、気持ち、いいです」
胸が喜びで震える。
彼のが、私の中でぴくぴくしてる。嘘じゃないんだ。本当に、気持ちいいって思ってくれてるんだね。それならもっと強くして? もっと私に触って? もっと、もっともっともっと。
「メアリー、さん、は? 痛く、無いですか? 僕なんかで」
「気持ちいいよ。もう何も考えられなくなるくらい。優しいね、シャルル。二人でもっと気持ち良くなろうね」
腰を上げて落とす。それだけで何も考えられなくなる。ただこの感覚を味わっていたいという欲求だけが私を動かし続ける。
彼が何か言っている。でももう私には良く分からなかった。でも嫌がって居るわけでは無いよね。だって彼の顔もすっごく幸せそうだもん。
ねぇシャルル。だったらずっとこうして居よう? 疲れたら少し寝て、起きたらまたこうしようね。ずっとずっと、こうして居ようね。
なんだか周りがあわただしい。私の周りでいくつもの気配があっちへ行ったりこっちへ来たりしている。
頭がずきずきする。薄目を開けて見てみると、部屋のカーテンが開けられていて、朝の日差しが私の身体に降り注いでいた。身を縮めて布団をかぶって、何とか太陽の光から逃げる。
人が寝てるんだから、もっと静かにしてほしいんだけどなぁ。
「メアリーちゃん。今日は出られそう」
名を呼ばれ、私はいやいやながらも顔を出した。
「ごめん、アン。ちょっと今日も頭が痛くて」
私の方を覗き込んでいた幼さの残る顔立ちの少女、アンに私はそう返事をする。
「そっか、体調が悪いんじゃしょうがないよね。あの、ごめんね看病も出来なくて」
……体調不良っていうか、多分昨日飲み過ぎたせいだろうけど。
彼女の頭上に生えている一対の触角が、申し訳なさげに垂れた。だまされているとも知らず、本当に単純な子達だ。
「いいって。それより私の方こそ体が弱くて、いつも仕事を手伝えなくてごめんね」
「そんなに謝らないで。私達仲間じゃない。じゃあメアリーちゃんの分も頑張って来るねー」
二の腕に可愛い力こぶを作って見せてから、アンは元気に部屋を出て行った。彼女に続いて同部屋の子達も次々に意気揚々と部屋を出て行く。みんなはこれから仕事に行くのだ。
疑う事を知らない純真そのものの黒い瞳。健康的な張りのある肌。小柄な体躯に似合わない重たい建設道具を担ぎながらも、仕事場に向かうその姿は少し楽しげですらある。同じ魔物なのにどうしてこうもジャイアントアント達は働きたがるんだろう。正直、私には理解できない。
最後の一人の六本肢と黒いお腹を見送り、私は再び布団に包まった。考えても仕方ない。それより今は寝ていたい。
風雨をしのげる部屋の中に暮し、柔らかいベッドでいつまで寝ていても怒られない。おまけに働かなくても食べ物まで出てくる。そんな天国のような環境に居ても、私は欲求不満で仕方なかった。
まるで身体にぽっかり穴が開いているみたいだ。
この穴を何かで埋めたい。埋めたくて埋めたくて仕方が無い。少しでも早く埋めないと頭がおかしくなってしまいそうなくらいだ。
男が欲しい、出来れば筋肉質で大柄な男。その逞しい腕に抱かれて、硬くて立派にそそり立つアレで私の狭くて小さな穴を埋めたい。
……のだが。
「ぅあー」
夢から覚めた私はいつだって一人だった。
部屋の中には私以外にもう誰も居ない。一体どうしたんだっけ。ああそうだ、私が二日酔いで眠っている間にみんな仕事に出て行ってしまったんだった。
ベッドから出て、未だ眠い目を擦りながら食堂に向かう。お腹空いた。食堂ならきっと誰かの旦那が居るはずだ。頼んで何か作ってもらおう。
仲間達からはぐれてしまったと嘯き、このジャイアントアントの巣に転がり込んでどのくらい経つだろう。色んなジャイアントアントの巣を渡り歩いて来たけど、なんだかんだでここが一番居心地が良くって長居している。
それにしても食堂や大浴場まで備えた巣なんて初めて見た。地中に造られているこの巣は形自体も結構変わっていて、最初はよく迷った物だった。それが今では目を瞑ったままでも、寝ぼけながらでも思ったところに行ける程になっている。ここで生まれ育ったような慣れ具合だ。
食堂の扉をくぐると、予想通り男が三人たむろして話をしていた。雄の発するかぐわしい匂いにどうにかなってしまいそう……と言いたいところだが、彼らにそういう期待するのは随分前から止めていた。
基本的に彼等からはもう雄の匂いがしない。彼等に染みついた妻の魔物の匂いが雄自身の匂いを打ち消してしまっているのだ。しかも前夜に激しく、数多く交われば交わる程雄の匂いも薄れるらしい。
今の彼等から一切雄の匂いがしないという事は、それだけ昨夜は激しく燃え上ったのだろう。この巣の奴らと来たら、大人しそうな顔してなんて羨まし……いや、お盛んな事だろう。
「あ、メアリーさんおはようございます」
「おはよぉー」
なんだか腹が立ってきたので、わざわざ男の隣に座って腕にしなだれかかって胸を押し付けてやる。
「ねぇー。私お腹空いちゃったぁ」
「またですか?」
正面の男が呆れた声で言う。彼の言う通り、実はご飯をせがむのはこれが初めてでは無かった。
それどころか仕事を終えて一服している彼らに食事をせがんでいるうちに、いつの間にか仲良くなって今ではすっかり顔なじみになっているほどだ。
まぁ、隣の男も全く狼狽してない事からも女として見られてない事は明白だけど。
確かにおふざけでやってるだけだけど、でもなんかやっぱ悔しいなぁ。
「じゃあ俺何か作りますよ」
と立ち上がりかける隣の男を無理矢理座らせて、猫なで声で囁いてやる。
「そうじゃなくってぇ、私と、しよ?」
「酒臭い時にそんな事言ったって、色気感じないって」
はす向かいの筋肉質な男が苦笑いを浮かべながら言った。酒臭い。嘘、まだ抜けてないのかぁ。確かに昨日はしこたま飲んだからなぁ。……独りで。
はぁ、とため息を吐いて脱力した隙に、隣の男は立ち上がって厨房に向かった。
「にしてもメアリーさんってジャイアントアントらしく無いですよねぇ」
「お酒も飲むし、体も弱いし。まるで」
「こ、これくらい個体差に入るわよ。私だってちゃんとした」
明らかに気の知れた者同士の雑談の空気ではあったけど、私は焦って無理矢理言葉で遮った。不自然だっただろうか。変に思われてなければいいんだけど……。
「冗談だって、誰もメアリーさんがアントアラクネだなんて思ってないよ」
なんというか、この巣の連中は夫婦揃ってお人好しばかりらしい。
「そうそう。アントアラクネだったら巣に紛れ込んできた男を逃がすはずないし、下手すりゃ男を寝取ったっておかしくないですしね。その点メアリーさんは純潔そのものって感じですし」
「う」
何よそれ。まるで人を救いようの無い売女みたいに……。寝取ったりなんてしないわよ。ただ、その、気持ちがあまり余って間違いを犯す可能性は否定できないけど、でもそれだって愛じゃない。好きだって気持ちは抑えられないわよ。
って言っても、男のいない私には何も言えないんだけど。
「まぁ酒癖が悪いところが玉に瑕ですけどね」
「違いない」
男達の笑い声が頭にがんがん響き渡る。情けないけど何も言い返せなかった。
「ほら、そんなに大声出したらメアリーさんに迷惑だろう?」
私の目の前に料理の乗ったお皿を差し出される。もう料理を終えるとは、流石に普段から嫁に料理を作っているだけあるなぁ。
私も将来の旦那様の為に料理を覚えた方がいいのかなぁ。その方が愛してもらえるかも。でも、勉強や練習は面倒だしなぁ。
「じゃあ俺達はこれで」
「え、行っちゃうの? 何よ、酒臭いからってそんなに嫌わなくたって」
「違いますよ、洗濯物を取り込むんです。食べたら食器は水桶に入れておいてくださいね」
それなら仕方ない。彼等は巣の中の、私を含む未婚の子達の服も洗ったり干したりしてくれているのだ。明日着る服が無くなっても困る。私は片手を上げて返事を返し、去りゆく主夫達の背中を見送った。
お皿の上にはスクランブルエッグと焼いたウインナーとトースト、それとサラダが乗っていた。
フォークでスクランブルエッグを一口食べる。相変わらず人の作った飯は美味い。でも一人で食べる飯はちょっと味気ない。思わずため息が漏れてしまった……。
「幸せが逃げるっすよ」
「うわぁ」
突然後ろから声を掛けられ、驚いて頭の触角が反り返ってしまった。うぅ、筋が痛い。
「相変わらず可愛い反応するっすねぇ」
目元が隠れるくらいまで髪を伸ばした茶髪の男が、当たり前のように私の隣の席に座った。
いきなり隠そうともせず大あくびした後、良く分からない事を私に言う。
「おはようっす」
「おはよう。って、まさかあんた今まで寝てたの?」
「メアリーさんが人の事言えるんすかぁ?」
ケラケラ笑った後、茶髪は私に向かって口を開けた。
「何よ」
「ウインナーを所望する」
仕方なく口の中に放り込んでやると、茶髪はしばらく黙って咀嚼し続けた。
この茶髪もまたジャイアントアント達の夫の一人で、名前はキリスと言う。他の男達が家事などに精を出しているのと違って、こいつは一人で居る時は寝るか食べるかしているだけなのだという。この巣の中では珍しいタイプの奴だった。
不真面目な奴ではあるけれど悪い奴ではない。その性格のせいか他人とは思えず、こいつとは妙に気が合うのだった。
「代わりに私とえっちしてよ」
「無理っす」
「何でよ」
「筋肉質な女性の方が好みだからっす」
「ただの食わず嫌いじゃないの? ほら、柔らかそうでしょう私のおっぱい」
「硬い筋肉の上に適度に脂肪の乗った嫁の身体。たまらんっす」
「うるせー私の話聞いてんのか?」
「大体このウインナーは俺達の嫁達が働いた金で買った物っす。それに料理もしてないメアリーさんに所有権を主張する権利は無いっす」
「じゃあほら、ただでやらせてあげるわよ」
「ねみぃ」
「ざっけんなこらぁー」
顔をぶん殴ってやろうとするも軽やかにかわされた。二発目のパンチをお見舞いしてやろうとするも、片手で頭を抑えられてしまってもう手も足も出なくなってしまった。
キリスの得意げなドヤ顔が憎らしい。
私は標的を皿の上の料理に絞る。こんな憎らしい奴にこれ以上分けてなんてやるものか。
「そんなにがっついてたら美人が台無しっすよー」
「うるはい」
「食べながらしゃべらないで欲しいっすね。あーほら、卵が飛んできた」
ああ、何かこのスクランブルエッグ、すごくしょっぱい。サラダも塩辛いし、こんな味の濃いウインナー、よくこいつは長い間口の中に入れていられたなぁ。
「食べながら泣かないで下さいよ。もう取らないっすから」
塩味のトーストまで全部食べ切り、私は口元と目元を拭った。それでも涙はあとからあとから湧いて出る。涙と一緒に弱音も漏れ出してしまう。
「私ってそんなに魅力無いかな?」
「この巣の連中はみんな嫁一筋っすからね。それとも嫁の居る相手でもいいから男が欲しいっすか?」
「分かってるわよ。でも、寂しいのよ。あんたには分かんないわ」
この巣のジャイアントアント達は女王蟻を母親とする大きな家族なのだ。夫達だって広い意味で言えば家族と言えるだろう。
でも、私は違う。外から来た私はどこまで行ってもここでは他人であり、しかも私は自分の正体すら口にすることも出来ない。だからこそ余計に、私は私だけを愛してくれる人が欲しい。
「まぁ一般的に言えば可愛いと思いますけどねぇ。試しにみんなと一緒に外に仕事に出てみたらどうっすか? 意外と何人もの男に言い寄られるかもしれませんよ」
「でも、働くのは嫌だなぁ」
無駄に汗かくし、暑いし、疲れるし。
「なんでみんなあんな風に喜んで働けるのかなぁ」
キリスに視線を送るが、彼は何も言わずに黙って首を振る。そりゃそうだ。こいつも働くのは大嫌いだとぬけぬけと言ってのける程の怠け者なのだから。
「マグロと一緒なんじゃないですかねぇ」
「何。あんたの彼女マグロなの!?」
「もち感じまくりの喘ぎまくりっすよ。って変な事言わないで下さいよ。そーじゃなくて魚のマグロっす。マグロって泳がないと息出来なくて死んじゃうらしいんすよ。多分俺達の嫁が一生懸命働くのもそう言う事なんじゃないのかなぁ。まぁただの俺の持論っすけど。疲れて帰ってくる日程エロいんすよ。うちの嫁」
さらりとのろけ話を混ぜてくるところだけは、こいつも他の男達と変わらない。
「ともかく、たまには外に出てみてもいいんじゃないっすか?」
「そうだねぇ」
私は皿に残ったレタスの切れ端をつっつきながら、ため息を吐いた。
まぁ、確かにキリスの言う通りなのだった。
巣の中に手ごろな雄が居ないのなら、外に出るしかないのだ。確かにたまにみんなのフェロモンに釣られて男はやって来るけど、その数以上に独り身のジャイアントアントの方が多い。
一緒に大部屋で暮らしているジャイアントアント達はみんな独り身であり、言ってみればライバルだ。あの子達と一緒になって順番を待っていたらいつまでも男なんて見つからない。
私は自室に戻り、明日の為に自分の仕事道具をベッドの下から引っ張り出した。うわぁ、埃だらけの蜘蛛の巣だらけ。そりゃあここに来た時に格好だけ付けるため持ち込んで以来使っていないのだから当たり前か。
丁寧に掃除してやると、新品同様の光沢が戻ってくる。ま、使ってないのだから新品同様なのは当たり前なのだけど。
今日は酒を飲まずに早く寝て体力を温存しよう。身体の調子さえ保てればジャイアントアントの仕事にだって付いていける。私だって魔物なのだから。
「ただいまー」
疲れの色を滲ませながらも、元気で明るい声を出しながらルームメイトたちが帰って来た。
「今日も疲れたねー」とか「お風呂に行こうよー」とか「お腹空いたー」とか言いながら、彼女達はどやどやと自分のベッドに向かっていく。
実を言うと、私には彼女達の区別が付いていない。ジャイアントアント達は大体その巣の女王蟻から生まれた姉妹たちなので、みんな同じような顔をしているのだ。区別が出来るのは私の面倒をよく見てくれるアンくらいだった。
部屋の中に一気にフェロモンが満ちる。息が詰まりそうな程のその甘い香りに、同じ魔物であるにもかかわらず私はくらっと来てしまう。
忘れていた。これだから私は酒が手放せなかったんだった。こんな性フェロモンで満ちた大部屋で素面で寝られるわけなんて無いんだから。
こんな調子で明日無事に仕事に出られるかなぁ。
「あ、メアリーちゃん。明日は仕事に出られそうなの?」
アンが私の隣に並んで手元を覗き込んでくる。あぁ、いい匂い。汗でタンクトップが肌に張り付いていて、小柄な割に丸みを帯びているアンの身体のラインが丸分かりだ。
もちろん身体では私も負けるつもりは無いけど、こんな格好でやらしい匂いさせてたら大概の男はいちころに決まっている。だって私でもそういう目で見てしまうんだ、から?
あれ、私何考えてるんだろう。なんか頭がぼーっと。
「ま、まぁね。今日は少しは体調も良くって……」
「そうなんだ! よかったぁ」
興奮したアンが私の手を取る。何でだろう、アンに近づかれたらさらに意識が朦朧と……。そうか、フェロモンのせいだ。
駄目。もう駄目だ。これ以上部屋の中にとどまっていたら匂いで頭がおかしくなる。
「ごめん。私先にご飯食べてくる」
正直まだお腹は空いていなかったけれど、この場から少しでも早く抜け出したかった。理由は何でも良かった。
「じゃあ私もお風呂の前に食べちゃおっと。一緒に食べよ?」
「え? あ、も、もちろんだよ。じゃあ私先に食堂行って席取ってるね」
アンの不思議そうな目から逃げるように、私は部屋を飛び出した。折角一緒にご飯に誘ってくれたのに、ちょっと悪い事しちゃったかな。
当ても無く巣の中を歩き回ろうかと思っていたが、思わぬ形で目的地が決まってしまった。でも参ったなぁ、食堂のメニューは働いてるみんなに合わせてボリューム満点だし、これ以上食べたら太っちゃうよ。
ため息交じりに歩いていると、泣きっ面に蜂、いや、蟻と言うべきか、夫に出迎えられるジャイアントアント達の仲睦まじい姿が視界に入ってくる。この時間帯はどこもかしこも夫婦ばかりなので嫌でも目に入ってくるのだ。
抱き締めて出迎える者、手を繋いで部屋に戻る者。さっき食堂で話していた男達も、笑顔で自分達の嫁を出迎えていた。夫婦組は大体巣の中に自分達の部屋を持っているので、そこに一緒に帰るのだ。
独り身組でも将来の為にと最初から自室を構える子も居るが、大体の子は寂しがって大部屋で一緒に暮らしている。
呆れ半分、羨ましさ半分で私は夫婦たちを見送っていく。中にはその場でキスして、交わり始める強者も居た。誰かと思えばキリスだった。
「愛してる」
「ふふ、私も」
すれ違う時、彼らの睦言が聞こえ……。私は黙って足を速めた。
翌日。私は前日の決意通りにみんなと一緒に仕事場に向かった。
……のだが。
こんな目に遭うんだったら行かなかった方が良かったかもしれない。疲れ切った体をベッドに横たえながら、私は独りで反省していた。
身体中が疲労で強張っている。男とやりまくってこうなるならまだしも、労働でこんな目に遭うなんて……。仕事になんて行くべきじゃ無かった。何の収穫も無しにただくたびれただけだ。
「メアリーちゃん。今日は頑張ってたね」
あれだけ働いたというのに、アンはにこにこ笑う余裕すら持っている。対する私は全身がまるで鉛でできているのかと思うような惨状だった。
顔を向けるために首を動かすだけでも全身からぎしぎしと音が聞こえてくるようだ。
「そ、そうかな」
正直彼女らの二十分の一も働けた気がしない。彼女達ほど重い荷物も持てなかったし、つるはしを振っても手が痛むばかりで一向に掘り進められなかったし、手際も悪かったし。
いや、そんな事より問題なのは男が誰も居なかった事だ。
何でも今やっている仕事は地下水道の建築工事で、地下の建築は危険だという事で最初から人間は入れないという話に決まっていたらしい。
言ってみれば全くの無駄骨だったというわけだ。酒も飲まず、フェロモンで密封状態の大部屋であそこをぐちょぐちょに濡らしながら何とか一晩耐え忍んだ結果がこれとは、正直、がっかりどころの話では無かった。
結論。慣れない事はやっぱりするもんじゃない。
「汗もかいたし、お風呂に行こ。背中流してあげるよ」
あぁ、アンは良い子だなぁ。優しいし、可愛いし、気も使える。人が良すぎて心配になってしまうくらいだ。それに働いているアンの姿を見ていたら、なんだか柄にもなく幸せになってほしいなぁとか思ってしまった。だってこの子、誰より一生懸命なんだもん。
「ど、どうしたの? 顔に何かついてる?」
「ううん。お風呂いこっか」
軋む身体に鞭打って、私はベッドから立ち上がった。
この巣の大浴場は広い。どのくらい広いかと言うと、頑張れば巣に住む全員が入れてしまえるくらいには広い。
なんでも新婚旅行でジパングに行った女王様が温泉にいたく感銘を受けたとかで、わざわざ温泉の湧き出る場所を選んで巣を作ったのだという。
すごいのは地中にこれだけ大きな浴場があるというのに、どこも結露したり水漏れしたりしない事だ。一体どういう仕組みの上下水道になっているのか、私にはまったく想像もつかない。
周りは仕事の汗を流しているジャイアントアントでいっぱいだ。みんなすがすがしい程に自分の身体を隠そうともしない。同種族でしかもみんな姉妹だからだろう。初めてここに来た時にはすごく戸惑ったけど、今はもう慣れてしまった。
ジャイアントアントは小柄だとはいえ、魔物の中でも胸はそれなりにある方だ。真ん丸でふくよかなおっぱいがいくつも並ぶ光景はなかなかに眼福だった。熱い湯を浴びてほんのり染まった肌も色っぽい。
っと、見惚れてる場合じゃ無かった。私もさっさと汗を流してお風呂に入ろう。
「メアリーちゃんの肌、白くて羨ましいなぁ。おっぱいも大きいし」
隣のアンが私の腕をしげしげと眺めながら、つぶやくように言った。そりゃ、外あんまり出てないからねぇ。
「アンの肌だってぴちぴちじゃない。おっぱいだって、ほら、こんなに柔らかい」
私はふざけてアンの乳房に手を伸ばす。見た目通りの弾力を持ちつつもふわふわした感触が私の手のひらを楽しませる。
「あ、やんっ。やったなぁ。えい、おかえしだっ」
アンは私の手から逃れると、瞬時に私の背中に回り込んで後ろから乳房に手を伸ばしてきた。優しく握りしめるだけの子どもっぽい触り方がいかにもアンらしい。
流石に感じたりとかは無いけど、全身の筋肉がいう事を聞いてくれないせいで振り払うに振り払えない。
「ちょ、アンったら。いたっ」
「ごめん。強く握り過ぎちゃった?」
「そうじゃなくって、筋肉が痛くって」
「それじゃお風呂行こう。良く効くマッサージしてあげる」
アンに強引に泡を流され、私はなすすべも無く彼女に腕を引かれて浴槽まで引きずられていくのだった。
正直言って仕事の後のお風呂は気持ち良かった。確かに癖になる爽快感ではあるかもしれないけど、まぁでもあれだけの仕事の辛さと釣り合うのかと言えば……私は働かない方を選ぶだろう。
驚いたのはアンのマッサージの上手さだ。少し筋肉を揉み解してもらっただけで随分体が楽になった。何でも、将来の旦那さまの為に練習しているらしい。アンの旦那になる男は間違いなく幸せになれるだろう。私が保証してもいい。
考えてみれば面倒臭がって何もしない私の面倒もいつも見てくれてるし、本当にいい子だ。もっと感謝しなくちゃなぁ。
それにしても、お風呂に入ったら一気に疲れがでちゃった。
とっととご飯を食べて、早く寝よう。これだけ疲れて居れば、きっとあそこを濡らす間もなく眠りに落ちれるはずだ。
「ねぇメアリーちゃん。なんか食堂の方が慌ただしいみたいだよ」
「へぇー?」
眠たい私は生返事になってしまう。
にしても、食堂が近づいて来たせいかなぁ、なんだかすごくいい匂いがしてきて、腹ペコがさらに進んでお腹と背中がくっつきそうだ。
ご飯を食べたい一心で食堂に入る。何があったのかは分からないけど、確かに人だかりが出来ていた。
「ねぇ、行ってみようよ」
私はそんな事より早くご飯が食べたかったのだが、私の力ではアンの腕力には敵わなかった。もともと気力も無かった私は、仕方なく再びアンの後についていく。
強引に隙間を通り抜け、一番前までたどり着いてようやく人だかりが出来ていた原因が分かった。
「わ。人間の男の子だよ、メアリーちゃん」
アンの言う通り、見知らぬ人間の男の子が縄で縛られ、猿轡を噛まされて転がされていた。目元の青痣が痛々しい。手にフライパンや棒を持った旦那衆が彼を取り囲んでいるけれど、これはどういう事なんだろう。
「食料庫に忍び込んでたんだって」「盗み食いしてたらしいよ」「やだ。教団のスパイ?」「うちの人はその可能性もあるって言ってるけど」「スパイって盗み食いもするの?」「お腹減ってたんじゃね?」「まだ子どもだよ」「でもスパイだったら兵隊がやってくるんでしょ」「怖いよぉ」
へぇ、そう言う事なんだ。
つまり男が巣に紛れ込んできたんじゃないか。独り身の子たちは何を躊躇っているんだろう。とっとと襲えばいいのに。
確かに外見は幼い。見ようによっては女の子にも見えるくらいだけど、男性的な機能はもう十分大人になっているようだ。私の鼻は誤魔化せない。
本当は筋肉質で逞しい雄が良かったけど、この子も雄である事は変わりないし、精の匂いもなかなか私好みだ。なるほど、いい匂いの原因はこの子だったんだ。
欲しいなぁ……。でも、いきなりこの場で私がしゃしゃり出るのも何か悪いしなぁ。
「どうする? こいつあの教国のガキだろう?」
口調こそ荒いものの、旦那衆は皆困ったような顔をしていた。みんななんだかんだで嫁に似て人がいいのだ。
「って言っても、あの国もこの間負けて親魔物国に占領されてるじゃないか」
「でもまだ教団と繋がってるかもしれないぜ。逃がしたら厄介だ。やっぱり魔物軍に引き渡した方が……」
男の子は魔物軍の単語を聞いただけで涙を流しながら首を振った。あんなに怯えてちゃって、ぞくぞくしてきちゃう……。って、そうじゃなくて可哀そうで見ていられないじゃない。
誰かこの子を食べちゃおうって子はいないのか? いないんなら、私が貰っちゃうぞ?
周囲はざわめくばかりで、誰も彼に手を伸ばす気は無いらしい。
「引き渡すとしても、だ。もう夜も遅いぞ。軍の人が来るまでこの子をどうする気だ」
「そりゃ牢屋にでも入れて……。って、そんな部屋ここには無かったな」
時間切れだ。私は一歩前へ出る。
「ちょっといい?」
周囲の視線が集中する中、私は胸を張ってこう言った。
「それ、私の彼氏なんだけど」
種族すら誤魔化しているのだ。今更嘘が一つ増えたところで困る事も無い。
周囲は一気に騒然となった。
ジャイアントアント達もその旦那たちも驚きながら思い思いの声を上げているため、もはや簡単には収集が付かないような状態だ。
多分一番驚いているのは縛られている男の子だろう。泣くのも忘れて私を見ている。試しにウインクして見せると、彼は赤くなって目を逸らした。
「みんな落ち着きなさい!」
突然響いた凛とした声に、騒然としていた周囲が一気に静まり返る。たった一言で場を沈めてしまうこの声。……嘘でしょ、来るのが早すぎる。
群衆が遠くからこちらに向かって道を開ける。作られた道の先に、見覚えのある気品に満ちた一匹のジャイアントアントが佇んでいた。
こちらの姿を確認すると、彼女は優雅な足取りで歩み寄ってくる。
彼女は、呆然と私を見つめたまま固まっているアンの肩を軽く叩いて彼女に微笑んだ。
「あっ。お母さん」
そう、ジャイアントアント達の壁を割って私の前に現れたのは、アン達の母親である女王蟻だった。
「何だか騒ぎが起きていると聞いたから来てみたのだけど」
女王様はゆっくりと周囲を見渡していく。娘たちはそうでもないが、娘の旦那達は軒並み緊張したような顔で身を固くしていた。彼等にとってはお義母さんなのだからそれもそうか。
「メアリー、その話は本当なのですか?」
全てを見透かすような透き通った瞳が私を覗き込む。自分の後ろ暗いところまで全部照らし出されてしまう気がして、私はこの目が苦手だった。
「女王様、紹介が遅れてすみませんでした。私の恋人です。……こんな格好ですみません」
私は精一杯の度胸を絞り出して女王様の目を見つめ返した。
女王様は縛られた男の子の方をじっと見てから、再び私の方を向いてため息を吐いた。
「メアリー、私は残念です」
冷や汗が流れる。
嘘がばれたのか? だとしたらどこまで? せめて可哀そうな男の子を助けようとしているとかって勘違いしてくれるとありがたいんだけど……。
「私の事、まだお母さんとは呼んでくれないのですね」
そっちか!
内心脱力しながらも表面だけは毅然とした姿勢を崩さないように努める。それにしても、この巣の子達がみんな人がいいのは絶対遺伝だ。
「それはともかく。メアリー」
女王様は真剣な表情を取り戻すと、手が届くほどの距離にまで近づいて来た。
何だ。どうする気なんだ? まさか正体がばれていて、男を横取りする気なら出て行けなんて言われたりしないよね……。そんなこと言われたら、どうしよう。
女王様の手が伸びてくる。怖くて目をつぶった私に掛けられた言葉は。
「おめでとう」
祝福の一言だった。
女王様の両腕が私の背中に優しく回される。その瞬間、私の胸の中に良く知らないあったかいものが広がった。こういうの、知ってる気がするんだけど、名前が出てこない。
そしてその感覚の名前を思い出す前に女王様の身体は離れていってしまう。
「さぁみんな、何をしているの? 新しい夫婦の為に、部屋を作ってあげましょう」
女王様は振り返ると、手を叩いて娘と息子たちに向かって指揮を執り始めた。
夫婦?
夫婦か。確かに彼氏を巣に連れてくるって事はそう言う事になるんだよなぁ。あの女の子みたいな男の子と私が夫婦になるのかぁ。なんか、なんだろ、ずっと男が欲しかったのに、いざこうなってみるとなんだか不思議な気分だ。
慌てて動き始める周りをどこか別世界の事のように眺めながら、私は男の子に近づいて縄を解いてやった。
一時間後、私と彼はそれまで無かった扉の先に通された。昨日までただの壁でしかなかったところに、二人が住むには十分すぎる広さの部屋が出来ていた。
ジャイアントアントと言うのは本当に凄い。確かにここは彼女達の巣ではあるけど、だからって一時間で何も無いところに人が住める部屋を作ってしまうとは。
家具も水場も全部整っているし、お風呂も台所もある。大部屋と違って最上層じゃないから窓は無いけど、魔力灯があるから全然暗くも無い。
これがジャイアントアント達の本気かぁ。
私も彼も驚きのあまりしばらく何も言えずに部屋の中を見回す事しか出来なかった。
「メアリーちゃん」
扉の隙間から、アンがそっと顔を覗かせていた。声を掛けられるまで全然気が付かなかった。
「もう、彼氏が出来たのに言ってくれないなんて水臭いじゃない。……遅くなったけど、おめでとう」
「いや、その。ごめんね。なかなか言う機会が無くて」
何しろあの場で決めたもんだから。
「いいなぁ。可愛い彼で羨ましいよ。……お部屋が離れてちょっと寂しくなっちゃうね。旦那様が出来ても、これからも私とも仲良くしてね」
「アン……。ありがと。私の方こそこれからもよろしくね」
「えへへ、何か変な感じだね。それじゃ私はそろそろ部屋に戻るよ。また明日ね」
私は手を振ってアンの後姿を見送った。言われてみれば昨日までのように四六時中顔を合わせている事も無くなってしまうのか。そう考えると確かにちょっと寂しくなるなぁ。
でも、それはそれ、これはこれ。私の今の心中はそれどころでは無かった。
少年の放つ、まだ少し青臭い若い雄の匂いが部屋中に満ち始めている。あぁ、夢にまで見ていた自分だけの男の匂い。自然と顔がにやけちゃうよ。
扉をしっかりと締めて、私は彼に向き直った。
人差し指を引いて、彼の唇にこっそり貼り付けておいた糸をはがす。彼を私の恋人だと宣言したことによってすぐに彼は解放されたのだけど、だからと言って余計な事をペラペラしゃべられても困ると思って、ひそかに猿轡を外す時に見えないくらい細い糸で口を締めておいたのだ。
特に旦那衆は殴ってしまった負い目もあって色々と謝るなり話しかけるなり気を使ってくれていて、あの時が一番ひやひやした。
何とか「ご飯をごちそうするって誘ったんだけど、でも私がすっかり忘れていて、それで彼は迷い込んでしまって、あまりにお腹が減っていたので食料庫の食べ物に手を付けてしまったんだろう。人見知りだから今はあんまりしゃべれないんだけど、これからよろしくね」というような話にして誤魔化したけど、もうあんな綱渡りは二度と御免だ。
暴れそうだったら身体の方も糸で操るつもりだったのだけど、意外と彼は柔順に私に従ってくれた。もしかしたら、本当に惚れてくれたのかなぁと思ったんだけど……。
「あ、あれ。しゃべれる。助けてくれてありがとうございます。僕はシャルル。おかげで魔物軍に捕まらずに済みました。あなたがとっさに僕を庇ってくれなかったらどうなっていた事か」
やっぱりそっちの方に勘違いしているかぁ。
「魔物の中にも人間思いの方もいらっしゃるんですね。でもここからどうやって逃げ出したら……」
まぁ、魔物はみんな人間、特に男が大好きだっていうのは間違ってないんだけどねぇ。
私は優しく微笑みかけながら、シャルルの手を取って一緒にベッドに腰掛けた。
腕を絡め、胸や体を押し付けるように彼にしなだれかかる。あぁ、何も言わずにこのまま押し倒しちゃってもいいけど、可愛いからもうちょっとからかってあげようかな。
「素敵な名前ね。シャルル、焦る事は無いわ。安心して? ここには私以外には誰も入れないから。でも、驚いたわよ。だって人間の男の子が魔物の巣に迷い込んでいるんだもの」
彼は俯いて目を伏せた。少し癖のある栗色の毛、青い瞳、長いまつ毛。物憂げな表情もなかなかいい。食べちゃいたい。
「魔物達が人間から奪った財産を奪い返してやろうと思ったんです。でも、食べ物くらいしか見つけられなくて、しばらくろくなもの食べてなかったから、気が付いたら手を出していて……」
「そうだったの。でも、良くここが見つけられたわね」
「ジャイアントアントの後をつけて来たんです。僕、みなさんが地下水道を作ってる街に住んでいるんですよ」
「た、確か教団派の国だったかしら」
確かさっきそんなこと言ってた気がする。でも自信が無い。教団の支配する国で堂々仕事するなんてことは考えられないし……。あぁ、こんな事ならもっと仕事の内容だけでも興味を持っておくんだった。
「親魔物派の国に負けちゃいましたけどね。今は普通に街中に魔物が徘徊する場所になってしまいました……」
まぁ、それは素晴らしい。と言いたいところだけど流石にやめておこう。
「魔物達は我が物顔で好き放題です。流入した魔物達は片っ端から市民を誘惑し、街の風紀は乱れ、健全だった市民も次第に堕落し始めている。何をしているのか働きもせず家に籠る者も増え、裏通りを歩けば人目が無いのをいい事にあられもない事をする輩まで現れる始末……。
みなさんジャイアントアントだって、勤勉だなんて言われてますけど、実際は壊れた建物の修繕や建設などの仕事を我々人間から奪っている張本人じゃないですか。純朴そうな顔の下で、きっと国のなけなしの財産を根こそぎ奪っているんだろうとそう思って来たのですが……」
「お金なんて大して無かったでしょ」
「……はい」
まぁここの子達は働く事そのものが好きだからなぁ。金を稼ごうという意思は薄いだろう、だってあんなに人のいい子達なんだから。
「メアリーさん、でしたよね。ありがとうございました。僕を助ける為に女王蟻にまで恋人だなんて嘘を吐いてくれて……。こんな良い魔物も居るなんて知りませんでした。僕、少し誤解してたみたいです。もっと別の見方で魔物を見た方がいいのかもしれませんね」
「そうね。誤解しているわね。私、嘘なんて吐いてないもの」
「え、でも僕達別に恋人同士でも何でも」
私はシャルルの腕をぎゅっと抱きしめながら、彼を見上げて微笑んだ。
「見方を変えるのよ。今から恋人同士に、夫婦になれば嘘にはならないでしょ」
彼はかぁっと顔を赤らめながら、空いている手をぶんぶん振り回した。魔物を嫌っていそうなのに、私の蜘蛛の下半身も見えてるのに、それでも照れてる。可愛い。
「だだだ駄目ですよ。僕なんかまだ子どもです。誰かと一緒になるなんて」
「でも、ここは大人みたいじゃない?」
胸を押し付けられて興奮したのか、ズボン越しにも彼自信が膨らんでいるのが分かる。私に女を感じてくれているんだ。
「それはそのっ。メアリーさんの髪から、いい匂いがして……」
「うふふ、嬉しい」
あぁ、駄目。もう我慢できない。彼のシャツの中に腕を入れて、直に温かな肌をまさぐる。
目なんてつむっちゃって、感じてるのかな。じゃあその隙にベルトを。
「ごめんなさい」
「きゃあっ」
突然彼に肩を押され、私はベッドに突き飛ばされた。床に突き飛ばさないだけ、やっぱり彼は優しいんだ。
「やっぱり僕、駄目です」
そう言いながら扉に駆け寄り、部屋から出て行こうとする彼。あぁあ、やっぱりこうなっちゃったか。でも、ふふ、そんな事しても無駄なんだから。
「あれ、開かないぞ。何で、あれ?」
胸の中に嗜虐的な昏い喜びが満ちていく。さっき扉を閉める時に、糸で細工をしておいたのだ。こうなってしまっては私以外の誰にもこの扉は開けられない。
あぁ、愉しい。思わず顔がほころんでしまう。
私は彼に向かって手を伸ばし、少し引いてみて彼の身体に巻き付けた糸の具合を確かめる。確かな手ごたえ。これならちょっと無茶しても大丈夫。
くいっと私が指を捻れば、彼は私の方を向く。そして思い切り引っ張れば、彼の身体はあっという間に私の胸元に飛び込んでくる。
「これは、糸? まさかあなたはジャイアントアントじゃなくて」
「そう、アントアラクネよ、良く知ってるのね」
私の胸の中で目を白黒させる彼に、私は優しく囁いた。
「さぁ、夫婦の契りを交わしましょう」
ベッドの上に、仰向けにシャルルの身体を押し倒す。
シャルルは驚いた顔で自分の手足を見た。うふふ、起き上がろうとしたって無駄よ。もう私の糸でベッドに貼り付けちゃったんだから。
「怖がらなくても大丈夫よ。力を抜いて、楽にして?」
「やめて、やめてくださいメアリーさん。こんなの良くないですよ」
「大丈夫。これから良くしてあげるから」
「なんか意味が違いませんかっ?」
彼の上に馬乗りになって、シャツのボタンを一つ一つ外していく。目を逸らしちゃって、そんなに照れなくてもいいのに。
「さっきの話ぶりじゃ『お願いだから食べないでー』とか泣き喚きだすかと思ったけど、案外落ち着いてるのね」
「教国に住んでるからって、誰もが教団の教えを鵜呑みにしてるわけじゃ無いですよ。それにこんなかわい……」
「ん? 今なんて言おうとしたのかなぁー」
「か弱い女の子の姿になった魔物が、人間を食べるとは思えない」
「そうね。でも可愛い女の子の姿の私は、君の事を食べちゃいます」
青褪める彼の顔も、ぞくぞくするほどそそられる。
「ただし性的に」
シャツを勢いよく肌蹴させて、あらわになった乳首に舌を這わせる。「ぅああっ」と言う彼の声が、私の下半身を熱くさせる。
男の味、シャルルの味。彼の唇はもっと濃い味なんだろうなぁ。あそこなんて、どれだけ濃いんだろう。あぁ、想像しただけで濡れてきちゃうよぉ。
「そんなに気持ちいい?」
「は、恥ずかしいんですよ」
「大丈夫? これからもっと恥ずかしくなるんだよ?」
私はベルトを一気に引き抜いて、ゆっくりゆっくりズボンと下着を下ろしていく。
「だ、駄目、駄目ですって。や、やめてぇ」
彼の黒々とした陰毛が顔を出す。溢れ出る雄の精の匂いに、たまらず衣服を引き下ろすと、彼の雄の象徴がバネみたいに一気に跳ね上がった。
「め、メアリーさぁん」
私は言葉を失ってそれに見入ってしまった。女の子みたいな顔に似合わず、彼の象徴はしっかり男の人をしていた。
夢見ていた理想のもの程は大きくは無いけれど、決して小さくない。なんというか、私にぴったりな感じと言えばいいのかな。
手で握りしめてみる。ぴくんと跳ねる彼自身。
確かめたい、本当に私にぴったり合うのかどうか。
でもその前に……。
「目、つむって」
シャルルは戸惑いながらも目を瞑ってくれた。予想外だ、なんだかんだ言いながらも私の言う事をちゃんと聞いてくれる……。
無理矢理キスしちゃおうと思ったけど、ちょっと気が変わった。
彼の片手の束縛を解いて、私の胸元に導く。服を持ち上げて、直におっぱいに押し付けた。
「え、え? メアリーさん?」
「柔らかい?」
「とっても。……って、もしかして」
手を引きかける彼の腕をがっちり握りしめる。
「駄目ですよ。僕なんかに」
「遠慮しないで。もう私の身体はあなたの物なんだから」
「僕の、もの……?」
「ねぇ、キスしていい?」
シャルルは何も言わなかったけど、小さく頷いてくれた。
顔を近づけていく。鼻息がくすぐったい。
唇から数センチ手前。あとちょっとで触れ合うというところで、私はちょっと逡巡する。
本当に彼が運命の人なのかな。昔から強そうで筋肉質な人がいいと思っていたから、てっきりそういう人とこうなると思っていた。それなのにこんな女の子みたいな男の子に、こんな風に出会ってすぐに……。
何考えてるんだろう私。私の身体はあなたの物だなんて言ったあとなのに。
シャルルの唇も少し震えてるし、もし本当に嫌がって居るんだとしたら……。
「怖い?」
「いえ、初めてなんで緊張してるだけです。もしかして、メアリーさんも?」
「そう思う?」
「だってこんなに胸が震えてるじゃないですか」
ああ、そうか。そうなんだ。私、緊張してるだけなんだ。彼と同じように。二人で同じ気持ちを共有してるんだ。それなら、何も迷う事なんて無いじゃない。
彼の唇に自分の唇を触れ合わせる。全身に鳥肌が立つような感じが広がっていく。自分でも抑えられない感覚のさざ波。
ちょっと強引に舌を入れると、彼は優しく受け入れて撫でてくれた。口の中に少しずつ彼の味が広がる。味わった事の無い、優しい味だった。
彼のあそこが寂しそうに震えるので、絡めた指でこすって温めてあげる。
「んんんっ」
胸に指が食い込んでくる。ちょっと痛い。でもやめない。だってこれは彼が与えてくれている痛みだから。
夢中になってしまっていたせいで彼が限界を迎えるのに気が付けなかった。手の中のものが大きく跳ねて、彼の精液が飛び散った。私の手にも熱いそれが垂れ落ちてくる。あぁ、勿体ない!
「ぷぁ。ご、ごめんなさいメアリーさん。僕、なんてことを」
手の上の彼の白濁に舌を伸ばす。口の中に入った瞬間舌がとけそうになる程だった。
もう自分でも自分を止められない。手に付いたのを舐めとり、彼のおへそに溜まったのを舐めとる。お腹に飛び散っている飛沫まで美味しそうだ。
「な、何やってるですか、汚いですよ。そんなことしなくても」
まだ竿に残っている。根元から唇をつけて、啜りあげるようにしながら丁寧に舐め取る。
「メアリーっ、さんっ」
あはっ。また固くなった。
口の中で味わうだけでこんなになっちゃうんなら、下に入れたらどうなっちゃうんだろう。
「何やってるんですか……。だ、駄目ですよ、そこに座っちゃ駄目ですからね!」
六本の足でしっかり彼の足に掴まり、前の二本の足で彼の腰に狙いをつける。彼の胸に置いた両手が、言葉とは裏腹に彼がすごく興奮している事を伝えてくれる。
「シャルルの精液、とっても美味しかったよ」
「お世辞はいいですって。ね、落ち着いてください」
「お世辞じゃないよ。確かにシャルルたち人間にとってはそうかもしれない。でも、私達魔物にとっては生きるためにも、子どもを作るためにも必要な、とっても大切な物なの」
シャルルの瞳の中に映る私の顔。上気して、だらしなく口元を緩ませて。こんなやらしい顔、今まで見た事無い。
「だから、ちょうだい?」
一気に腰を落とした。鈍い痛みすら気持ちいい。
「うっ、くあぁっ。メアリーさん」
私を貫く硬い彼自身。中で触れ合っているだけで腰が砕けてしまいそうな程びりびりくる。
「魔物とした気分はどう? やっぱり人間じゃない身体は気持ち悪い?」
「そんな事、ありません。すごく熱くて、きつくて。き、気持ち、いいです」
胸が喜びで震える。
彼のが、私の中でぴくぴくしてる。嘘じゃないんだ。本当に、気持ちいいって思ってくれてるんだね。それならもっと強くして? もっと私に触って? もっと、もっともっともっと。
「メアリー、さん、は? 痛く、無いですか? 僕なんかで」
「気持ちいいよ。もう何も考えられなくなるくらい。優しいね、シャルル。二人でもっと気持ち良くなろうね」
腰を上げて落とす。それだけで何も考えられなくなる。ただこの感覚を味わっていたいという欲求だけが私を動かし続ける。
彼が何か言っている。でももう私には良く分からなかった。でも嫌がって居るわけでは無いよね。だって彼の顔もすっごく幸せそうだもん。
ねぇシャルル。だったらずっとこうして居よう? 疲れたら少し寝て、起きたらまたこうしようね。ずっとずっと、こうして居ようね。
12/11/28 22:23更新 / 玉虫色
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