連載小説
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第二章
 目の前に、見慣れない円形に切り取られた青空が見えた。
 ごつごつした石の天井。腐りかけのあばら家とは全然違う場所だ。
 いつまで寝ていても誰も怒鳴りに来たりはしない。安心して休んで居られるはずなのに、なんだか気持ちが落ち着かなかった。

 全身を覆う鈍痛に耐えながら、上半身を持ち上げる。
 ここまではっきりと痛みを覚えては、もう夢だと思うことは出来ない。
 妹を男に託し、俺は囮をやっているうちに崖から落ちた。そしてこの世の物とも思えない美しい妖怪に助けられ、その人に口で……。夢のような出来事だった。本当に夢だったのかもしれない。俺のような冴えない男があんな良い女に迫られるわけがないのだから。
 だが、自分のその部分を見ると昨日の痕跡が、匂いが残っている。男の精と、女の唾液の交じった淫らな匂いが。
 俺は首を振って考えを追い出そうとする。思い出してしまえばまた自分で処理できない状態になってしまいそうだった。
 俺は足にそっと指を掛ける。痛みを覚悟していたのだが、予想していたよりもはるかに痛みは弱く、腫れも少し引いていた。
 だが、まだまだ立ち上がれるような状態ではないだろう。問題なのは足だけではない。全身が鉛のように重たいのだ。
 行きたいと思う場所もない。行かなければならない場所もない。
 しみったれていると、腹がきゅうっと鳴った。本人の気持ちにお構いなしに、生きていれば人は腹が減るらしい。
 食欲をそそるいい匂いがしている。焚火に鍋がかけられているところを見ると、あれが匂いの元なのだろうか。
「おはようございます。目が覚めたのですね」
 百合が天井の穴から、百足の身体をくねらせる様に、器用に壁を這って部屋へと降りてきた。なるほど、風を通すための穴かと思っていたが、彼女たち妖怪にとってはこれも立派な出入口なのだ。
「昨日はお疲れのようでしたね。……あの後気を失うように眠ってしまわれて」
 彼女は鍋のふたを取り、少量の野草を入れて中身をゆっくりとかき回している。その横顔が少し赤らんでいるのは気のせいだろうか。
「私としてはもう少しお話などしたかったのですが」
 椀に鍋の中身をよそい、彼女は上目使いで恐る恐るといった感じで俺に椀を差し出した。
 受け取った椀の中身は出来たての味噌汁だった。茸や木の実、野草などが入れられていて具だくさんだ。
「普段は、あまり料理らしい料理をしないもので、さき様の腕前には敵わないとは思いますけれど」
 俺は一口すする。あぁ、うまい。
 食べ物を口に入れた途端、体が思っていた以上の空腹を訴え始めた。考えてみれば昨日の朝以来何も口にしていないのだった。
 昼は身代わりの段取りや準備で忙しく、食欲も湧かなかったのだ。
 それから山を逃げ回り崖から落ちてからはずっとここで、何かを食べるという状況でもなかった。まぁ、妖怪たちに食べられそうになった気はするが。
 気が付けば、すでに椀の底が見えていた。
「あ」
 百合は俺の手から椀を取り、黙って二杯目を入れて渡してくれた。
 躊躇したものの、百合のはにかんだ笑顔に促され、二杯目に口を付ける。
 薄すぎず濃すぎず、好みの塩加減だった。味噌の香りの中に茸の風味も生きていて、煮込みすぎによって素材が殺されてしまっているという事もない。
 一杯目はろくに味わわずに飲み干してしまったが、落ち着いて食べてみれば、この料理が丁寧に作られていることに気が付いた。
 二杯目もすぐに空になり、ようやく人心地がついた気分だ。
「おかわりなさいますよね」
「でも、あんたの分は」
「私はあまり食べませんから。丸一日食べない日も多いんですよ」
 彼女はそう言いながら、三杯目を手渡してくれる。
「だから食べ物自体もあまり置いてなくて。本当はご飯を出せればよかったんですけれど、こんなものしか」
「いや、十分だよ。それにとても美味しい」
「お、お口に合ったようで、よかったです」
 百合はそう言って俯いてしまう。長い髪に隠されてしまって表情は分からなかった。何か気に障ることでも言ってしまったのだろうか。
「いや、こんな料理を毎日食べられたら幸せだろうと思うよ」
「う、嘘です。あんまりお世辞ばっかり言ってると私だって怒りますよ」
 百合の肩が小刻みに震えている。その声も少し震えていたように思えた。
 思っていたことを口にしてみたのだが、やはり気持ちを伝えるというのは難しい。
 腹が満たされると、今度は眠気に襲われる。
 体がぽかぽかしてきて、瞼を持ち上げているのが辛くなる。さっき起きたばかりだというのに、抗いがたいほどの睡魔が体の芯から滲み出してくる。
 からりと音がする。箸が床に転がったのだ。
「どうぞ、眠ってください」
 いつの間にか、俺の背に百合の手が回されている。暖かくて、柔らかい。
「我ながら情けない」
「何言っているんですか。あなたは怪我人なんです。昨日は必死で頑張っていたんでしょう。ゆっくり休んで当然なんです」
 暖かくて優しい声に、その言葉に俺は一瞬涙が出そうになってしまった。
 彼女は柔らかな表情でもう片方の手を俺の額に当てる。その手で俺の瞼を下ろしながら、俺の体を壊れ物を扱うかのように優しく床に寝かしてくれた。
「大丈夫。ここは安全です。怖いものなんて何もありません。あなたは私が……」
 彼女の声を聴きながら、俺の意識は再び闇の中へと落ちてゆく。優しく暖かく、快い闇の中へと。


 目を開けると、暗闇が広がっていた。
 どうやら夜まで寝てしまったようだ。天井の穴から差し込む月の明りで、洞窟の中がぼんやりと照らし出されている。
 体を起こそうとふと顔を横に向けると、手の届きそうなところに百合の寝顔があった。
 驚いて声が出そうになったが、何とか生唾と一緒に飲み込むことが出来た。
 彼女を起こさないように気を付けつつ身を起こす。
 月光に照らされる妖怪は、やはり綺麗だった。
 月明かりを返す黒髪、鼻筋の通った横顔、すらりと伸びる腕、控えめだが形のいい乳房、虫の半身でさえ、怪しげな艶めきで俺の心を掴んでしまっている。
 今なら触っても気が付かれないだろうか。その髪に触れてみたいと、手を伸ばす。
「いや」
 手が止まる。起こしてしまったのだろうか。
「一人は……いや……逃げないで」
 寝言だ。俺はほっとしかけるが、彼女の目じりには見る見るうちに涙がたまってゆく。心臓が締め付けられるような感覚に、俺は自分の胸を掴んでいた。
 彼女は一体どんな夢を見ているのだろう。
 彼女の涙を止めるにはどうしたらいいだろう。思いついた時には既に口走っていた。
「一緒に居ます。あなたがそう望むなら」
 言葉は届いただろうか。俺の気持ちは伝わったのだろうか。
 胸の鼓動が強くなり、彼女の顔から目が離せなかった。
 彼女は再び穏やかな表情になり、規則正しい呼吸を繰り返し始める。
 彼女の涙がこぼれ落ちる事は無かった。
 俺は何となくそれで満足してしまい、再び横になって目を閉じた。


 翌日の朝食には白米と味噌汁が出た。
 俺は白い米が食えるというだけで軽く感動してしまったのだが、その上炊き方も上手かった。
 米の一粒一粒がふっくらとしていて、香りもしっかりとしている。
「そんなに急がなくても、誰も横取りなんてしませんよ」
 顔が急に熱くなる。俺は照れ隠しに一気にご飯をかきこみ、空の茶碗を突き出した。
「おかわり」
「うふふ。いっぱい食べて元気になって下さいね」
「なぁ、あんたも一緒に食べないか」
 ご飯をよそう百合の背中に、俺はそう声をかける。
「私はいいんですよ」
 大体予想通りの答えだったのだが、俺はさらに食い下がる。
「俺が一緒に食べたいんだ。その、一人で食べるより二人で一緒の方が飯は美味いと思うし、何しろ何もしてない俺が一人で飯を食わしてもらうというのは申し訳がない」
「私なんかでいいんですか」
「まぁ無理にとは言わない。あんたさえ良ければ」
 茶碗を受け渡す際に指と指が軽く触れる。百合は触れた自分の指を胸元に寄せて、小さく頷いた。
「わかりました。これからはそうします」
 頬を染める彼女に、俺はまたどきりとさせられる。
「と、ところで米なんてあったんだな。こんな上物食べたこと無いよ」
「本当は昨日出せればよかったんですが、楓……、知り合いの行商人が来たのが昨日の昼だったもので」
 俺は米を吹きそうになった。調子に乗って余計なことなど聞かなければよかった。つまりこれは彼女が金を出して買ったという事ではないか。それを俺は食わせてもらっているわけで。
 この恩は必ず返す。そう言いたいところだったが、彼女はどうせ構いませんと言うだろう。
 だからここでは何も言わず、でも、この恩は何らかの形で必ず返そう。何も持っていない俺にこんなに良くしてくれた彼女に、出来る事なら何でもしよう。そう俺は決意する。


 飯を食い終わり、横になっていると。
 まぁ、動こうにもまだ体が重くて動けないので寝ているしかないのだが、昨日の夜の事を思い出した。
 物悲しい寝言を漏らしていたが、百合はいったいどんな夢を見ていたのだろう。
 聞いてみたいのだが、赤の他人である自分がそこまで踏み込んでいいとも思えない。
 考えているうちに彼女の顔をじっと見てしまっていたらしい。彼女は不思議そうに俺の顔を見て小首をかしげていた。
「私の顔に何かついていますか」
「い、いや」
「じゃあ、何か気になることでも」
 一瞬迷ったものの、俺は思い切って聞いてみることにする。意を決して口を開こうとしたところで、しかし聞き覚えのある声が俺の声を打ち消した。


「百合ぃ。いるかー。宴会やるぞー」
「ぼ、牡丹?」
 出会って初めての日のように、女の声が低く洞窟内に響き渡った。
 入ってきたのは予想通りウシオニの牡丹とアカオニの呉葉だった。牡丹も呉葉も、それぞれ片手で抱えるほどの包みと、それと同じくらいの大きさの樽を持っていた。
「宴会じゃなくて見舞いだろう全く。百合、いいものを持ってきてやったぞ。盃を出してくれ」
 牡丹と呉葉は当たり前のように腰かけると、自分たちの荷物を広げる。
 牡丹の包みからは山のような干し肉が現れ、呉葉が栓を抜いた樽からは酒の匂いが漂い始める。野草を千切ったような青い匂いが一瞬香った後で、ふわりと甘い香りが広がった。
 普段からここで酒を飲むことが多いのだろうか、百合は盃を手渡してからはっとして言った。
「ですが呉葉。彼の前で」
「安心しろ。薬草酒だ。滋養強壮、体力回復、疲労回復、精力増進。飲めば体の回復も早まるだろう。あまり強くないから怪我人でも飲めるはずだ」
 目の前に盃を突き出され、俺は思わず受け取ってしまう。
「一口試してくれ。駄目ならそれ以上は勧めない」
 百合の不安げな視線を感じながらも、俺は盃の中身を口に含んだ。
 口に広がる芳醇な香りと強い甘み。薬草の爽やかな香りが後味になって、すんなりと喉を通り抜けて行った。後を引く喉の熱さも心地いい。
「いい酒だな。俺が飲んだ中では間違いなく一番だよ」
 呉葉はまるで自分がほめられたかのように嬉しそうに表情を崩した。彼女が作ったのか、それとも思い入れのある品なのだろうか。
「大丈夫ですか。あまり飲まれては」
 心配そうに顔を覗き込んでくる百合とは対象に、ウシオニとアカオニの二人は早速酒盛りを始める。まるで水でも飲むように盃を開けては、樽から零れ落ちそうな勢いでついでいる。
「そんなに酒には弱くないんだ。せっかくなんだからあんたも一緒に」
「そうだぜ百合。つまみもたくさん用意してきたんだ。受け取れ」
 俺と百合は牡丹が投げてよこした物を受け取った。
「見舞いでもあり、百合の祝いでもあるからな。猪とか鹿の干し肉をあるだけ持ってきた」
 かじってみると、塩味の中に獣肉の独特の旨味がじんわりと広がる。酒のつまみにはとてもいい。だが、あまり調子に乗ると飲みすぎてしまいそうだ。
「お祝いってどうしてですか」
 呉葉から渡される盃を受け取りつつ、百合は困惑げだ。
「そりゃあようやく百合に男が出来たんだから。なぁ兄さん、百合の"味"はどうだった」
 飲みかけの酒がおかしなところに入り、俺は思い切りむせた。喉だけでは無く鼻の奥まで焼けつくように熱くなる。
 すぐに百合が俺の背をさすってくれた。
「この方は別にそんな。彼に迷惑になります」
「そんなこと言って、本当はまんざらでもないんだろ」
「ぼ、牡丹、怒りますよ」
「まぁ百合、落ち着いて一杯やってくれよ。牡丹は男と二人きりになれるお前がうらやましいのさ」
「呉葉までそんな事を言って」
 百合は不満げに眉をよせながらも、盃に口を付ける。
 その様子を見て、二人の妖怪も安心したように表情を緩める。
「ところで、君の妹さんは駆け落ちしたとの話だったが、どこに向かったんだ」
 呉葉が干し肉を豪快に食いちぎりつつ問いかける。
 なぜ彼女が自分の妹の事を聞いてくるのか理由は分からなかったが、しかし彼女が田沼大丸と通じていることはありえないだろう。俺は頷きつつ口を開く。
「薬売りは近くの白蛇の棲んでいる山に向かうと言っていた。何度か旅すがら立ち寄っていて、薬草を取ったり、白蛇とも知り合いなんだとか」
「あそこか。道を違えていなければいいんだが」
 呉葉は難しい顔で腕を組んだ。
「妹はともかく、男は旅の薬売りだ。慣れているだろうから大丈夫だと思うが、何か気がかりなことでもあるのか」
「その山の隣に稲荷と妖狐が縄張り争いしている山があってな、私も通り抜けるのに苦労した事があって……。まぁ、もともと通いなれた場所ならば問題ないだろう」
 呉葉はくい、と盃を一気に傾けると、この話は終わりだとばかりに破顔した。
「それより、里の話を聞かせてくれないか。お前の村の話でも、噂話でも何でもいい」
「お、いいなそれ。面白そうだ」
 牡丹も身を乗り出して乗り気だが、自分の話となると気は進まない。正直あまり村に対して良い思い出というものは無いのだ。
「いや、俺の話よりは」
「私も聞いてみたいです」
 目を輝かせる百合の表情を見た途端、簡単に俺の気は変わってしまった。なんでもいいから話をしてやろう。何も自分の話じゃなくてもいい。村の面白げな噂や、旅人が離す遠方の物語なら楽しいものだって知っている。
「わかった。あまり期待しないでくれよ」
 こうして話をするうち、高かった日は次第に傾いていった。


 焚火の近くで俺は横になっていた。話をしながら飲んでいるうちに少々飲みすぎてしまったのだった。
 すでに日は沈みかけ、洞窟内には赤色の暗闇が広がり始めている。
 牡丹と呉葉は素面同然に見えたが、「俺達もちょっと酔っちまったよ」と言って帰って行った。
「お水、持ってきましたよ」
「面目ない」
 俺は百合から水の入った椀を受け取り、少しずつ口に運ぶ。
 さすがは妖怪の薬酒とでも言うべきか、頭痛や吐き気といったものは無いのだが、頭がくらくらとして力が入らなかった。
「いえ、おかげで皆も楽しんでいるようでした」
「百合は、どうだったんだ」
 百合は一瞬戸惑うような表情をした後、俺の目を見て微笑んだ。
「楽しかったです。もっとあなたの話を聞いていたかった。あなた自身の話とかも」
「俺の話は、聞いていて楽しいものじゃないからな」
 俺は空になった器を返し、瞼を閉じた。少ししゃべりすぎたのかもしれない。
 眠ってしまいそうだったが、里の事を思い出して嫌な夢を見そうだった。
「大丈夫ですか」
「ああ、……少し休めば……大丈夫」
「あまり残らない酒だと思います。無理しないで休んでくださいね」
 百合の手が額に乗せられる。ひんやりとしていて心地がいい。
「おやすみなさい」


 目が覚めると、優しげな表情で百合が見下ろしていた。
「まだ寝ていますか」
 俺は体の具合を確かめる。かなり寝汗をかいてしまったようで、包帯や服が肌に張り付いて気持ちが悪かったが、体の方は大分すっきりとしていた。
 それよりも、視線が少し高いのが気になった。首をめぐらせると、どうやら百合は自分の虫の体の腹の上に俺の頭を乗せていてくれたらしい。
 触れてみるとそれは少し暖かく、見た目よりも柔らかく不思議な感触をしていた。
「んっ」
 俺は慌てて手を離した。
「済まない。思わず触ってしまった。か、体の方はずいぶん良くなったよ。まだ山道は歩けそうにないが、動けるようになるのも近いだろう」
「それは良かった」
 しかし言葉とは裏腹に、百合の顔は一瞬寂しげに陰った。そんな気がした。その変化は一瞬のうちに消えてしまって、後からは確かめようがなかった。
「夕ご飯にしますか。私もまだちょっとお酒が残っているもので、野菜を多めに汁物にしました」
「ありがとう。いただくよ」
 百合は椀を二つ用意する。その小さな変化が俺にはなんだか嬉しかった。


 百合の料理は相変わらず美味かった。二人での食事というのも、それをさらに際立たせてくれた。
 別に今までも妹と二人で飯を食ってきたのだが、百合と一緒に食事をするというのはまた違った趣があるように感じられた。
 後片付けを済ませると、百合は急に俺に寄り添うように体を近づけた。
「そろそろ、包帯と薬草を変えた方がよさそうですね」
 いきなり近づかれ、先日の夜の事を思い出してしまって一瞬緊張した俺だったが、理由は至極まっとうなものだったので思わず安堵の息が漏れてしまった。
 あんなことをされて嬉しくない筈はないのだが、それよりも申し訳なさの方が強い。俺のような男には勿体ない人なのだ。いかに妖怪と言えど、俺のような底辺の人間よりもっとまともな人間と一緒になるべきなのだ。
「そんなに気を使ってくれなくても」
「駄目ですよ。治りが悪くなります。私が手伝いますから、変えてしまいましょう」
 そう言うなり、百合は俺の上半身の着物を脱がし、右腕の包帯を外し始める。
 包帯の下から、薄皮の張った治りかけの傷が顔を出した。あまり元がどんなだったのかを想像したくない傷だった。
 彼女は手早く薬草を張り付けると、その上から新しい包帯を巻きつける。
 左腕も同様。
 包帯が解かれ、巻かれるたびに彼女の腕が体に触れ、なんでもない触れ合いのはずのそこが妙に熱を持って疼く。彼女の息使いが、衣擦れの音が官能的に頭の中に響く。
「胴回りの物を変えますので、両手を上げてください」
 俺は言われるがまま両手を上げる。良からぬ考えをかき消すのに必死で、それ以外に何も考えられない。
 彼女の手が俺の胸を、腹を撫で、半ば抱きつくように腕が回される。
 彼女の息が胸にかかる。手の届くところに、彼女の髪が、伏し目がちな顔がある。
「百合のその肌の模様も、何かの傷跡なのか」
 気を紛らすために、俺は百合に話しかけた。
「これの事ですか」
 彼女は手を止めて、髪をかき上げて俺に向かって肌を露出させる。そして、肩口から指でそっと紫色の模様をなぞる。
「毒腺です。傷ではないのですが、醜いですよね」
 彼女の動きに合わせて妖艶に形を変える毒腺に、泣きそうな笑顔に、俺の自制心はもう持たなかった。俺は彼女を抱きしめ、押し倒していた。

 腕に伝わる彼女の体は思っていたよりも暖かく、そして細かった。
 片方の腕を背中に回しつつ、もう片方の手で乳房を撫でる。
 彼女の乱れた息が耳元にかかり、情欲をさらに高ぶらせる。俺は彼女の首筋に口づけし、耳の裏まで舐めあげる。
 彼女の腕が俺の背にしがみついた。肌がより密接に触れ合う。
 乳房を撫でていた腕をゆっくりと下に移動させてゆく。わき腹を過ぎ、腰骨を撫で、虫部分との境目、札で隠された秘部へとたどり着く。
「や…んっ」
 彼女の声に、俺ははっと我に返る。
 俺は何をしているんだ。何をしようとしていたんだ。欲望のまま、この人を。
 身を起こして見下ろせば、息を荒げ、頬を染めながら戸惑うような表情で見上げる百合が居る。
 助けてくれた恩人にとんでもないことをしてしまった。
 身を離そうとする俺の腕を、しかし百合は掴んで止める。
「女の体を火照らせて……、その気にさせておいて……、あとはおあずけですか?」
「百合」
 蕩けきった情婦の顔で、彼女は俺を受け入れるかのように両手を広げた。
「こんなに醜い私でよければ、どうぞ、あなたの好きにしてください。……それが、私の……」
 囁く彼女に、俺はもう衝動に体を任せることに決める。
 乳房に舌を這わせてゆき、乳首を含んで舌で転がしてやる。その一方で彼女の秘部に指を入れてゆく。
「あ、あ、あ……んんっ!」
 彼女の中は熱く、蜜で蕩けきっていて、襞が指の細部にまで絡みついてくる。指を入れているだけでも満足してしまいそうな程だった。
 ここに自分の物を入れたらどうなってしまうのだろう。
 彼女は片手で俺の頭をかき抱きつつ、俺の猛り切った下腹部の物を、形を確かめるように緩やかにしごき始める。
 俺は中に入っている指を少し動かした。くちゅ、と湿った音がして、彼女の手の動きが少し乱れた。
「百合」
「はい」
 名を読んだだけで彼女は理解したらしい。俺の下で、俺が入れやすいように姿勢を直してくれた。
「入れるよ」
 瞳を潤ませた彼女が頷くのを確認してから、俺は自分の物の先端を彼女の入り口に押し当てる。
 柔らかくて濡れた肉が触れた瞬間に吸い付いてくる。
 彼女を傷つけないように、少しずつ少しずつ腰を落としてゆく。ぴったりと包み込んでくる彼女の中の感触に、一気に奥まで突きたくなる。だがじっと耐える。耐えながら、彼女とゆっくりと一つになってゆく。
 先端が引っ掛かりを感じて止まる。
「百合、まさか」
「いいの、そのまま奥まで入れて。お願い」
 聞いたこともない百合の懇願する声が俺の耳元に熱くかかる。
 俺は彼女を強く抱きしめる。そのまま、奥まで、行き止まりまで止まらずに突き入れた。
「くぅっ」
 先っぽから根元まで、余すことなく飲み込まれてしまった。しっとりと絡みつき、揉みしだいてくる彼女の蜜肉に、思わず声が漏れてしまう。
 女の身体とはこんなにも官能的なものなのか。それとも妖怪ゆえのものなのか。どちらにしろ女性経験の無い自分には長く耐えられそうに無かった。
 ずっとこうして深くつながっていたい。だが、彼女にも快楽を味わってほしい。俺だけではなく彼女も共に、一緒に。
 俺は一物を引き抜いてゆく。膣壁が物の脱出を拒むかのように強く絡み付き、かりに擦れる。
 腰から物が抜けてしまうかのような快楽に、俺は歯をくいしばって耐える。そして半ば以上抜けたところで、また肉を割って奥まで入れてゆく。
 耳にかかる彼女の吐息が少しずつ高ぶっていく。
 その瞳の奥に、まだ寂しさが残っている。出会った時から変わらないそれを、自分がこのまま消して去ってやりたい。
 もう一度引き抜いて、腰を落とす。限界が近い。思うままに開放してしたくもなる。だが同時に、彼女の声をもっと聴いていたい。
「我慢しないで。中に欲しいの」
 彼女の胸に優しく抱きしめられる。彼女の匂いに包まれる。頭の中が彼女の感触でいっぱいになる。俺の一物がどくり、どくりと彼女の中で強く脈打ち、精を吐き出した。
「ああ、あつい。すごくあつい」
 この鼓動は俺のものだろうか。俺を包む彼女の鼓動だろうか。混ざり合い、どちらがどちらなのか分からない。
 ただ心地よく、そして百合の声だけが聞こえる。
 俺が全てを出し尽くしても彼女の膣はしばらく蠕動し、もっともっととせがんでいた。後を引く快楽に俺は腰に力が入れられない。
 ようやく落ち着いた頃、俺は少し彼女から体を離す。
 百合の瞳には俺の顔が写っていた。その唇が緩み、開く。どちらからともなくお互いの唇を求め、俺と彼女は唇を重ねる。
 ぬるりとした彼女の舌が俺の口の中に侵入し、俺の舌を執拗に舐る。
 負けじと俺も舌を絡ませ、彼女の唇の裏や歯の付け根を舐める。息が続く限り口の中を愛撫し、顔を離したときには二人とも息が絶え絶えであった。
 彼女は突然はっと息を飲むと、顔を真っ赤に染めて俺から顔を反らした。恥じらうように口元を手で隠し、横目でちらりちらりと俺を見る。
「嫌、だったか」
 思わず俺は聞かずにはいられなかった。
「そんなことありません。その……よかったです。とても、どきどきしました」
 もう一度口づけしようとする俺の顔を、彼女の両手が包み込んだ。
「聞いてください。今日の私は、その、お酒のせいでちょっとおかしいんです。だから、あなたに少し過激な事をするかもしれませんが、許してください」
 そして俺に何も言わせずに口づけする。その瞳に、寂しさが一瞬戻っていた気がした。
 彼女はひとしきり舌を絡ませた後、俺の唇に小さく歯を立てた。
 体がかっと熱くなる。全身を包んでいる空気の感触や、彼女の肌の暖かさがより鮮明に感じられる。特に彼女と繋がったままの部分が敏感になって、また腰から獣欲が湧き上がってきてしまう。
 あれだけ出したというのに。自分でも驚きだった。
「まだまだ物足りませんよね。満足してくださるまで、今夜は離しません」
 開こうとした俺の口を、再び百合の唇が塞ぐ。
「……何も言わないでください。恨むならお酒を持ってきた呉葉を恨んでください。ん……ちゅ……」
 言われてみれば精力増進とか言っていたっけ。ああでもそんなことはもうどうでもいい。今はただ百合に溺れていたい……。そう思って、俺はまた百合を求めた。


 百合に少し体を触れられるだけで達しそうになる。特に深く口づけを交わす度、それだけでいってしまうようになってしまった。
 しかしそれは彼女の方も同じで、俺が身じろぎして少し肌が擦れただけで熱い息を漏らし、舌を絡ませるだけで体を痙攣させ、俺の一物を強く締め上げた。
 お互いも制御できない快楽の渦の中に、俺達は堕ちてゆく。
 体はぴったりと巻き締められていて動かせない。俺は朦朧としつつも首をめぐらせられる範囲で、唯一動かせる舌を使って彼女の体を愛撫する。
 首周りの顎肢を舐めしゃぶり、肩口の毒腺に唾液を塗りたくるように舌を滑らせる。
 彼女は声にならない声を上げ、その膣は蕩けに蕩け、もう俺と彼女の区別もつかなくなっている。
 絶頂を迎えるたびに彼女の頭上で触角が揺れる。
 俺は器用にそれを唇で捕えると、その先端を口に含んだ。
「あ、らめれす。そんなころしらぁ」
 本当は激しく突いてやりたかったが、動けなくてはそれも出来ない。しかし、意外にも彼女は悦んでくれているようだ。
 もはや彼女は快感に漬けられ、呂律もまわっていない。
 俺は聞こえないふりで触角を舌先でもてあそぶ。唾液を絡め、甘く噛み、わざと彼女の耳元でぐちゅぐちゅと音を立てる。
 彼女は引き抜こうとするが、そのたび俺は触角を吸い上げてそれを阻む。蕩けきった百合には触角を引き抜く力も残っていない。
「らめ。あなたの匂いで頭がいっぱい。そんなになめまわさないれ、やっ、かんらら、おかしく、あっ、あっ、音らめ、あなたの事しか、考えられなく、なっちゃうから」
 彼女は快楽に身を震わせながら、俺にしがみつくと首筋に噛み付いた。
 それを境に俺の体にはとうとう力が入らなくなり、ただ彼女の与えてくれる快楽に身を任せざるを得なくなる。
 吐いても吐いてもすぐに硬さを取り戻してしまう俺自身に、彼女は日が昇るまで付き合ってくれた。
12/06/12 00:02更新 / 玉虫色
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