第二章
穴を掘って、棺桶を埋めて、土をかぶせて、その上に石を載せる。
簡単に言えば埋葬はそれだけだった。細かな作法はいろいろあるものの、一言でいえば死体を埋める。それだけだ。
後輩には「顔色が悪いっすね」と言われた。俺は「寝てないんだ」とだけ答えておいた。
話を切り上げたかったのだが、後輩はさらに「ゾンビでも出てきてくれたらいいっすね」などと言う。何を考えているのか分からず、適当にそうだなと答えておいた。
「どうせなら可愛い子にお持ち帰りされたいっすね」
などと冗談を言いながら後輩は笑っていたが、俺の心中はそれどころではなかった。
フランにどう謝ればいいのか。それを考えているうちに埋葬の式典は全て済んでいて、気が付けば俺は自分の部屋の前に立っていた。
合わせる顔が無い。いや、事故で身体だけ飛ばされてきたデュラハンのフランには最初から顔は無いんだが。
ここで突っ立っていても誰かに見られて不審に思われるだけだ。
思い切って部屋に入る。フランはワンピース姿でベッドの上に身を起こしていた。
逃げようと思えば、近づかなければいい。それだけで彼女は俺の存在に気が付かないのだから。
だが、何も見えなくて聞こえなくて、身体だけ一つ放り出されている状況がどんなに不安で寂しい事か。想像するのは難しい事ではない。
俺はフランのそばに腰を下ろした。案の定、彼女は一瞬怯えたように身を震わせる。
無理矢理犯したのだから、怖がられるのも当たり前か……。
だがフランは座ったのが俺だと分かると、左手で俺の手を取った。そして右手で鉛筆を取って文字を綴る。
《謝ろうと思っていました。襲ってしまってごめんなさい》
本当に、突然現れたから驚いただけだったのか。
彼女の手を指でなぞる。
『あやまるのは おれのほうだ』
フランの手が紙の上に置かれる。だが、言葉はなかなか書かれなかった。
《どうしてですか》
『いやがるきみを むりやりおかした』
《気にしないで下さい。おかげで濃い精がたくさんもらえました。それに私は別に》
ああそうか、この子はそういう子なのだ。相手を糾弾出来ない。気持ちを飲み込んでしまう女性なのだ。
いや、それとも文句を言えばまた乱暴されると恐れているのかもしれない。
フランが書き終える前に、俺は意思を伝える。それで彼女にした事が許されるとは思っていないが、伝えずにはいられなかった。
『ほんとうに わるかった』
彼女の両手が俺の身体を探り当て、確認するように腕や胸に触れていき、最後に俺の顔を包み込んだ。
顔の形を確かめるように触れていたかと思うと、急に胸元に抱き寄せられた。
首元にフランの腕が絡み付き、フランの胸に顔を埋める形になる。フランの匂いがする、俺が犯してしまった罪の匂いが。
フランは俺の髪を撫でる。そのまま、しばらく俺を離してくれなかった。
柔らかい彼女の乳房が俺の頭を包み込んでいる。性欲が首をもたげかける。だが、もう力付くで彼女を押し倒す気にはならなかった。
ここには俺に剣を向けてくる奴は居ないし、見守ってやらなければならない死者も居る。
俺はここに居ていいし、墓守としてもそれなりに必要とされている。誰も支配しようとはしてこない。誰も支配する必要は無い。何も不安に思う事も無いのだ。
もしかしたら、本当に彼女は嫌がっていなかったのかもしれない。でも俺は彼女の身体に腕を回すことは出来なかった。
しばらくそうしていたあと、フランは俺を解放してくれた。
《デュラハンは、首が無いと精を溜め込んでおけないのです
だから私はまた近いうちにあなたを襲ってしまうと思う》
その指は落ち着きなく白紙の上を行ったり来たりしていた。
『おれなんかで いいのか』
少し躊躇してから、彼女の手が文字を綴る。
《ごめんなさい。こんな傷だらけで顔が無くて筋肉ばかりの女、嫌ですよね》
『フランのからだは きれいだよ』
彼女の手が止まる。
『おれのような くずには もったいない』
《あなたは私を助けてくれた。首の無い身体だけの私を助けてくれた。
普通だったら不気味がって放っておきます。あなたは優しくて》
フランの指が、優しく俺の指に絡み付く。
《何て書けばいいか分からない。でも、自分を悪く言わないで》
違う。彼女は俺を勘違いしているんだ。
戦争とはいえ俺は平気で人を殺して、嫌がる女を金で買って好きにして。……弱くて、身勝手で。
フランの両手が俺の顔に触れ、包み込む。
そしてまた鉛筆を掴んで。文字を綴る。
《そんな悲しい顔しないで下さい》
悪人にさえなり切れない。どうせなら笑いながら彼女を犯して、彼女から憎まれた方が楽なんじゃないだろうか。
でも、それだけはしたくない。この人から嫌われたくない。
『きみをたすけるためなら なんだってする』
心からの言葉だった。それで全ての罪が許されるわけでは無い事は分かっている。でも、自分を優しいと言ってくれた彼女が良くなるためならば。何だってしてやりたかった。
彼女は再び俺の身体を抱きしめた。
そのあと、俺達は今後の事について話した。話したと言っても、もちろん声を出してというわけにはいかなかったが。
怪我の程度を伝えると、大人しくしていればすぐに治るだろうとの事だった。もっとも、回復のためには俺の精も欠かせないとの事だったが。
それを置いておくとしても、少しでも早く首と体を引き合わせてやらなければならない。
俺はここが霊園である事を伝えた。数年前に戦争をした教国の近くだという事を伝えると、フランはすぐに理解したようだった。
だが場所が分かっても救援はすぐには来られないという話だった。
フランの国は今も戦争状態にあり、そう簡単に使いを出せるわけでは無いのだという。
こちらから首の無い身体を運ぶのも危険であるため、出来ればこの場に置いてほしいという話だった。
別にかまわないだろうという事を俺は伝えてやる。見つかって咎められたら適当に言いくるめてしまえばいい。
《ごめんなさい。
あなたからは毎日。いえ、二日に一度くらいでいいので、精をもらいたいの》
そう綴るフランの首元は少し赤かった。こんなことを書くのは流石に恥ずかしいだろうが、しかし彼女としては何も言わずに襲いたくはないのだろう。
俺なんかに気を使ってくれているのだ。
『しぬまで しぼりとってくれて かまわない』
正直、俺の命で彼女が助かるのならそうしたいくらいだった。
フランの手がぴくりと反応し、文字を綴る。
《私はそんな恐ろしい事しません》
『わるかった そういうつもりでは』
彼女の手が、俺の手に重ねられる。
暖かい手。人の手が暖かいと感じたのは、どれくらいぶりだろう。
いつまでもこうしていたかったが、周りはもう暗くなってしまっていた。筆談と言うのは話をするよりも時間がかかってしまう。
なんだか今日はもう眠かった。
『そろそろ ねることにしよう べっどは きみがつかえ』
《色々ありがとうございます。おやすみなさい》
彼女は俺の顔に触れ、耳元の髪を撫でてからその手を離した。
俺はベッドから離れ、椅子に腰を下ろす。
目を閉じると、急激に眠気が襲ってきた。
今年は豊作だった。
一日中頑張って麦を刈った。刈れども刈れども量は減らない。村中から嬉しい悲鳴が聞こえていた。
日が暮れるころにようやく家路に付いた。もうくたくただ。
そういえば今日は長男が自分も手伝うと言って聞かなかったな。妻も苦笑いして見ていたっけ。だが鎌を扱うにはまだ少し早い。家に置いてきたが、大人しくしていただろうか。
「あなた、おかえりなさい」
まだ赤子の長女を抱きながら、笑顔で妻が迎えてくれる。
「お父さん。僕練習したんだ。明日こそ連れて行ってね」
息子は俺の服の裾を掴んで離さなかった。多分連れて行くと言うまでこのままだろう。俺は頭を撫でてやる。
「ただいま。今日は疲れたなぁ」
「お疲れ様。さぁご飯にしましょう」
俺達一家は暖かそうな夕食の並ぶ机を囲んだ。一家で笑いあい、食事に手を付けようとしたところで。
……目が覚めた。
我ながら悲しくなるほど都合のいい夢だった。
死んだ恋人と夫婦になって子供まで居る夢なんて。
俺は背もたれに体重を預けて息を吐いた。目を閉じれば、焼け野原になってしまった村の光景が浮かんだ。
戦争はある日あっけなく終わった。
教国は勝利した。役目を終えた俺はようやく村に帰る許しを得た。
血塗られた手で恋人に触れるのは躊躇われた。でも、きっと彼女だって分かってくれると思う事にした。そうしなければ自分の命も守れなかった。それに戦いは村や、恋人を守るためでもあったのだから。
ああそうだ、もう殺し合いをする必要は無いんだ。ゆっくりと傷を癒せばいい。
彼女を裏切るような事もしてしまったけれど、それも時間が解決してくれると信じよう。
不安を抱きながらも村への道を歩み続けた。だが、見覚えのある場所にはたどり着かなかった。
俺の帰る場所は既に無くなっていたのだ。
村は焼打ちにあっていた。見慣れた家々も、麦畑も、全て黒こげに焼け落ちていた。
村には何人かの生き残りが居た。彼らは俺を見つけると驚き、生きて帰ったことを喜んでくれた。
俺は事情を聞かずにはいられなかった。村は、恋人はどうなったのか。彼らは疲弊しきった顔で顛末を話してくれた。
突然兵隊がやってきて村人を殺し、畑に火を放った。大混乱に陥る村に、今度は教国軍がやってきて戦いを始めたのだという。
戦いは教国軍の勝利で終わったが、大半の村人が死に、全ては焼け落ちた。
残ったのは焼け野原と多くの死体と絶望だけだった。人の手も足りず、村の再建どころか遺体の弔いもまだなのだという。
「ローザは? 死んだのか」
俺がそう聞くと、皆そろって顔を曇らせた。
「あの子はねぇ……。せっかく結婚も決まっていたというのに、旦那になるはずだった男と一緒に殺されてしまったんだよ」
「結婚? 殺された?」
俺には彼らの話が理解できなかった。
彼らは丁寧に説明してくれた。途中で何人かが俺と彼女の関係を思い出したようで、口を閉ざして目を反らしたが、そういう奴は少なかった。
要はこういう事だった。俺が居なくなった後、ローザは別の男に言い寄られて、そいつとくっついたのだという。
村を離れていた時間は短くは無かった。確かに生きて帰ってくるか分からない奴を待つよりは、近くで自分を好いてくれている奴と一緒になった方が幸福だろう。それはそうだ。当たり前のことだ。当たり前の……。
「でも、お前だけでも生きて帰ってきてくれて良かったよ。戦場では、その、殺したり殺されそうになったり大変だったろうが……。俺達だってこんなに」
口ではそう言いながらも、俺を見る目はどれもこれも冷たくよそよそしかった。それはそうだろう。彼らにとっては兵士は村を焼く者。そして俺はその兵士をやっていたんだ。
人殺し。村の生き残りにとって、俺はそれ以外の何物でもなくなっていたのだ。
俺は彼らから離れ、村を見て回った。かつてローザが住んでいた家には、二つの焼けた遺体が寄り添いあうように倒れていた。
ローザは体も心も手の届かないところへ行ってしまったのだと、妙に納得してしまった。
悲しめばいいのか、怒ればいいのか、憎めばいいのか、俺にはもう良くわからなかった。ただ、俺が戦場でしてきたことはこういう事なのだという事は何となく理解した。
俺が殺してきた奴にも恋人や家族が居たんだ。
俺は恋人にもう一度会いたくて、死にたくなくて、帰る場所を守りたくて敵を殺してきた。
だがその理由は知らない間に無くなってしまっていたんだ。……なら俺は、何のために殺されそうになってまで人を殺してきたんだ?
村人たちの目に耐えられなかった俺は教国に戻り、残っていた金の全てを酒と女に費やした。
全てを忘れたくて酒を飲んでは、生きている実感を得るために娼館で女を抱いた。
満たされているのは抱いている間の一瞬だけで、終わった後には虚しさと自己嫌悪しか残らなかった。
そしてそれを忘れるためにまた酒を飲む。最悪の悪循環だった。終いには女に身の上話をして同情を誘う事までしていた。
最後に抱いたのは麻薬中毒気味の女だった。抱いている最中も終わった後もケラケラ笑っていた。
俺の話を聞いてそいつは慰めるでも説教をするでもなく、こう言ったのだった。
「あははは。お兄さんは死んでないだけって感じだね。むしろ死んじゃったほうがマシなんじゃないの? お墓に行って死体に上手な死に方を教えてもらいなよ」
胸糞わるくなった俺は、そいつが吸っていた煙草と目に付いた薬を全部踏みつけてやりながら言った。
「そうかもな。お前を見て良くわかった。俺は薬中女を買う最低の屑だってな」
そして俺はここに来た。薬中女が言っていたように、死人に死に方を教えてもらうために。
どんな死に方が一番苦痛が少ないのか。それを知るために墓場の仕事を始めたつもりだった。
だが、墓穴を掘り、墓場の見回りをするうちに、俺の心は次第に変化していった。
ささくれ立った俺の心に、霊園の静謐な空気がしみわたっていくようだった。
ここには俺を殺そうとする奴は居ない。俺が守らなければならない奴も居ない。俺を裏切る奴も居ない。
死者は何も言わない。誉めもしない。慰めもしない。文句も言わない。評価もしない。
俺を頼ることもないし、恐れもしない。
皆平等に眠っているだけだった。
死者は様々だった。穏やかな表情の者も、苦悶に顔を歪めている者も、若い者も、年老いた者も、太った者も、痩せた者も、男も女も。
違いは合っても、彼らの行き先は同じ土の中だった。俺達が掘った穴に入って眠るだけ。
いつしか俺はこの場所で働くことが苦にならなくなっていた。日々を過ごすことも、以前に比べれば落ち着いて受け入れられるようになった。
たまに過去の事を思い出して落ち着かなくなる事もあったが、そんな時は霊園を見て回る事にしていた。
墓石だけが並ぶ風景は、不思議と俺の心をまた落ち着かせてくれるのだった。
衣擦れの音がして俺は顔を上げる。
フランが身を起こしていた。
俺はベッドに腰を下ろして、彼女の手を取る。
『おはよう』
《おはようございます。今日のご予定は》
『よるの みまわりだけ』
彼女は文字を書こうとするも、その手から鉛筆が滑り落ちる。
くらりと揺れて倒れそうになる体をとっさに支えた。息使いこそ聞こえないが、彼女は胸を苦しげに抑えていた。
『だいじょうぶか』
鉛筆を探り取り、彼女は指を走らせる。
《ふらふらしてしまって、でも、大丈夫》
『むりするな』
《甘えてしまっても、いいですか》
俺は答える代わりに彼女の身体を抱きしめた。
彼女の腕が俺の背中に回り、強く抱き締めあう形になる。
彼女の温もり。鼓動。肌からそれが伝わってくる。
……何が俺でいいのか、だ。死ぬまで搾り取ってくれ、だ。結局俺はフランの身体の虜になってしまっているだけなのだ。
言葉や態度を都合よく解釈して、心まで惹かれてしまっている。……自分がしてしまったことも忘れて。
甘えたいのは、俺の方じゃないか。
このまま流れに身を任せていいのか、今更少し迷う。だが精が無ければフランの身体はもたないのも事実だった。
どうせしなければならないのなら、少しでも彼女の不安を和らげてやれるようにしよう。苦痛を少なくして、快楽を味わわせてやろう。首が離れてしまっているという恐怖を忘れさせてやろう。技巧にそこまで自身は無いけれど、優しくすることくらいしか出来ないけれど。
フランは自分の服を脱いでいく。ワンピースを脱ぎ捨て、下着を取ると豊かな胸が揺れながら顔を出した。
彼女はそのまま下の肌着も躊躇なく脱いでしまう。
その間に、俺も自分の服を脱いで裸になる。昨日のように脱がされるのも少し恥ずかしい。
フランは俺の物を直に握ってしまって、下着が無い事に一瞬驚いたようだったが、すぐに指を使って愛撫を始める。
彼女の手には催淫の魔法でもかかっているのだろうか。その手にかかると、俺の物は素直にすぐに大きくなってしまう。
根元から先端に向けて五本の指が這い上がり、亀頭のくびれに合わせて指で輪を作って上下させる。白い指で十分硬くなったことを確認すると、また昨日のようにフランは自分の愛液を潤滑油代わりに使ってしごきあげる。
いくら心地よくても、ここで出すわけにはいかない。彼女の中に出さなければ意味がない。
俺の物を掴んで上下している彼女の手に手を重ねる。それで彼女は理解し、膝立ちになって腰の位置を合わせる。
手で位置を調整しながら、ゆっくりと腰を下ろし、俺の物を飲み込んでいく。
「く、あぁ」
昨日はあまりにも唐突だったせいでろくに感じられなかったが、彼女の中は本当に熱く、ぬめっていてきつく絡み付いてくる。
外見は、首が無いのは置いておくとして、人と変わらないというのに、その膣はまさに魔性と言うべきものだった。
彼女は根元まで俺の物を飲み込んでしまう。
背中を丸め、俺の腹に置かれた彼女の手に力が入る。痛かったのだろうか。少し不安になる。
彼女はそれから、上半身を倒して俺と肌を重ねてくる。その肌はしっとりとしていて、豊かな胸が俺の胸でつぶれる。
フランの温もりが心地よく、ずっとこのままで居たいくらいだった。しかしこのままでは精を放つまでには至らないだろう。疑問に思っていると、彼女の指が俺の脇腹をくすぐった。
いや、何かを伝えようとしているのだ。
『してください すきないように わたしを』
魅惑的な言葉に俺は生唾を飲み込む。しかし、同時に胸には苦い思いが広がった。
顔の見えない男に犯されるなど、本当は嫌に決まっている。だのにフランは俺に気を使っているのだ。
俺が動かずにいると、彼女はさらに指を動かした。
『めいわく かけてますから
わたしにできる おんがえしは これくらいしかない』
俺はフランの背に腕を回しながら、背中に文字をなぞる。
『きにするな』
俺にしがみつくフランの力が強くなる。喜んでくれたのなら、いいのだけれど。
フランを抱きしめたまま、繋がったままごろんと横に転がる。上半身を離して、彼女の身体を見下ろした。
白百合のような肌に、縦横に走る大小の傷。戦っていた俺にももちろん付いているが、男の傷と女の傷では意味が違ってくるだろう。
痛々しい、フランのここまで生きてきた証。
俺は胸のふくらみに沿って走る傷に口づけし、舌で舐めていく。こんなことで傷跡が消えるわけでは無いが、それが決してフランの価値を下げるものでは無いことを伝えてやりたくて。
切り傷には舌を這わせ、矢傷を甘噛みし、火傷の跡には口づけした。
そのたびに彼女は少しずつ肌を朱く染めていく。傷に触れるたびに、俺の肩に置かれた彼女の手に力が入った。
下の方にも傷は付いているが、それは次の機会にしよう。
俺は再びフランをしっかりと抱きしめながら、腰を深く入れていく。彼女の方からも俺の腰に足を絡めてくる。むっちりした太腿が腰元を締め付ける。
傷を愛撫している最中もずっと彼女の中は俺を優しく揉む様に動いていたため、もう限界が近かった。
『いくよ』
と指で書いてから、奥まで届く様に深く深く腰を入れる。
出し入れできる長さは短くなるが、奥を刺激するように俺は腰を振った。
フランの腕に力がこもる。背中に爪を立てられる。甘い痛み、甘い匂い。腰から来る、痺れるような快楽。
俺は強くフランの身体を抱きしめながら、中に精を放つ。二度、三度と脈動するたびに鳥肌が立つようだった。一滴も漏らさないように、物は奥まで突き入れたままだ。
フランの身体もなるべく無駄にはしたくないらしく、締め付けはさらに強まり、尿道に残っている精液でさえも掻き出さんとばかりに波打った。
「く、あぁ。フランっ!」
自分の声しか聞こえないのが物寂しい。彼女の声を聴いてみたい。
全てを出し終えた俺はゆっくり腰を引いていく。彼女の入り口が最後まで搾り取ろうとするようにきつく締まる。
何度も腰が砕けそうになりながら、ようやくすべてが抜ける。
荒い息を吐いていると、フランの手がそっと俺の顔に触れた。そして俺を再び胸元にいざない、抱きしめた。
昔は女の身体を抱いていると、別の女の顔を思い出してしまっていた。
痛い痛いと泣いていた生娘のような女、脂の乗った経験豊富そうな女、やたらと媚を売る女、声のうるさい女。そして別の男と一緒になろうとした元恋人の顔。
俺を責め立てる女の顔を忘れるためにも激しくしてしまう事が多かったのだが、今回はなぜかどの顔も浮かんで来なかった。
落ち着いた気持ちで、フランの事だけを想っていられた。
だからと言ってフランがどう思っていたのかは分からない。体中を舐められて気持ちが悪いと思われたかもしれない。さっさと終わらせて欲しかったのかもしれない。
身勝手な男だ。今更誰を想ったところで、人を殺し、金で女を好きにしてきた事実は変わらない。
そんな俺をフランはずっと抱きしめたままだ。裸と裸で、ただ肌を合わせているのは気持ちが良くて、ついつい甘えたくなってしまう。
だが、フランは俺がどんな人間なのかを知らない。だからこうしていられるのだ。
しかし俺が身を離そうとするたびにフランの指は俺の腕を掴み、こうしているのが嫌なのかと問うてくる。
俺の頬を名残惜しそうに撫でてくる。
嫌なわけがない。そう答えると、もう少しこのままで居たいと答えが返ってくる。
あるいはこれも、精を得るのに必要なのかもしれない。
俺達は静かに抱き締めあっていた。時々肌に文字をなぞりながら。日が暮れるまで、ずっと。
見回りをする足がいつもより軽い気がした。
かつて自分が、なぜあんなにも酒と女に逃げてしまっていたのか、その理由が分かったからだろう。理由が分かれば、耐えようもあるというものだ。
だが、俺がしてきたことが罪深い事であることには変わりはない。
罪を償うためにも、俺はここで静かに死者を弔い続けるべきなのだ。
他とは一線を画する大きな墓石が見えてくる。
戦争慰霊碑。戦争で殺されたたくさんの人々、名前が分からない戦没者や、一人一人を判別するのが難しいような遺体。それらの魂を慰めるために作られた大きなお墓。
それ以外にも、葬儀を上げきれなかった者の弔いの場所でもあった。生まれた村の人間も何人も眠っている。
恋人だったローザと、彼女と結婚するはずだった男も一緒に。
ローザを恨んだ日もあった。戦争を憎み、俺から恋人を奪った男を妬んだ日も。
だがローザからしてみれば、生きて帰ったとしても俺は人殺し。おまけに家族も居なくて、財産が多いわけでもない。それを考えると、自分が悪かったようにも思える。
俺は石碑に手をついて頭を振る。恋人もその相手も今はもう居ないのだ。この場所で働くうちに、憎しみや恨み、悔やみは自分を蝕む毒にしかならないことが良く分かった。
問いかけてもローザは、死者は何も答えない。
それでもたまに先日のようにやり場のない感情に襲われる事もある。だが、もう俺は昔の俺では無い。昔のままの俺で居てはいけないんだ。
安らかに眠れるように祈りを捧げ、俺は見回りを続けた。
見回りを終え、部屋に戻る。
早朝の柔らかい光が、優しく部屋の中を照らしてくれていた。
フランはベッドに横になっていた。胸は規則正しく上下している。恐らく眠っているのだろう。
俺は彼女の身体に手を伸ばしかけ、はっと気が付いて引っ込めた。
また俺は彼女を犯そうとしていたのだろうか。いや、そうではない。ただ俺は彼女の温もりに触れたかっただけで……。
椅子に膝を抱えるように座り、俺は目を閉じた。
眠りにつくまで俺は自分を責め続け、そしてずっと俺は言い訳をしていた。
好きにしたかったわけじゃない。俺はただ、温もりに触れたかっただけなんだ、と。
簡単に言えば埋葬はそれだけだった。細かな作法はいろいろあるものの、一言でいえば死体を埋める。それだけだ。
後輩には「顔色が悪いっすね」と言われた。俺は「寝てないんだ」とだけ答えておいた。
話を切り上げたかったのだが、後輩はさらに「ゾンビでも出てきてくれたらいいっすね」などと言う。何を考えているのか分からず、適当にそうだなと答えておいた。
「どうせなら可愛い子にお持ち帰りされたいっすね」
などと冗談を言いながら後輩は笑っていたが、俺の心中はそれどころではなかった。
フランにどう謝ればいいのか。それを考えているうちに埋葬の式典は全て済んでいて、気が付けば俺は自分の部屋の前に立っていた。
合わせる顔が無い。いや、事故で身体だけ飛ばされてきたデュラハンのフランには最初から顔は無いんだが。
ここで突っ立っていても誰かに見られて不審に思われるだけだ。
思い切って部屋に入る。フランはワンピース姿でベッドの上に身を起こしていた。
逃げようと思えば、近づかなければいい。それだけで彼女は俺の存在に気が付かないのだから。
だが、何も見えなくて聞こえなくて、身体だけ一つ放り出されている状況がどんなに不安で寂しい事か。想像するのは難しい事ではない。
俺はフランのそばに腰を下ろした。案の定、彼女は一瞬怯えたように身を震わせる。
無理矢理犯したのだから、怖がられるのも当たり前か……。
だがフランは座ったのが俺だと分かると、左手で俺の手を取った。そして右手で鉛筆を取って文字を綴る。
《謝ろうと思っていました。襲ってしまってごめんなさい》
本当に、突然現れたから驚いただけだったのか。
彼女の手を指でなぞる。
『あやまるのは おれのほうだ』
フランの手が紙の上に置かれる。だが、言葉はなかなか書かれなかった。
《どうしてですか》
『いやがるきみを むりやりおかした』
《気にしないで下さい。おかげで濃い精がたくさんもらえました。それに私は別に》
ああそうか、この子はそういう子なのだ。相手を糾弾出来ない。気持ちを飲み込んでしまう女性なのだ。
いや、それとも文句を言えばまた乱暴されると恐れているのかもしれない。
フランが書き終える前に、俺は意思を伝える。それで彼女にした事が許されるとは思っていないが、伝えずにはいられなかった。
『ほんとうに わるかった』
彼女の両手が俺の身体を探り当て、確認するように腕や胸に触れていき、最後に俺の顔を包み込んだ。
顔の形を確かめるように触れていたかと思うと、急に胸元に抱き寄せられた。
首元にフランの腕が絡み付き、フランの胸に顔を埋める形になる。フランの匂いがする、俺が犯してしまった罪の匂いが。
フランは俺の髪を撫でる。そのまま、しばらく俺を離してくれなかった。
柔らかい彼女の乳房が俺の頭を包み込んでいる。性欲が首をもたげかける。だが、もう力付くで彼女を押し倒す気にはならなかった。
ここには俺に剣を向けてくる奴は居ないし、見守ってやらなければならない死者も居る。
俺はここに居ていいし、墓守としてもそれなりに必要とされている。誰も支配しようとはしてこない。誰も支配する必要は無い。何も不安に思う事も無いのだ。
もしかしたら、本当に彼女は嫌がっていなかったのかもしれない。でも俺は彼女の身体に腕を回すことは出来なかった。
しばらくそうしていたあと、フランは俺を解放してくれた。
《デュラハンは、首が無いと精を溜め込んでおけないのです
だから私はまた近いうちにあなたを襲ってしまうと思う》
その指は落ち着きなく白紙の上を行ったり来たりしていた。
『おれなんかで いいのか』
少し躊躇してから、彼女の手が文字を綴る。
《ごめんなさい。こんな傷だらけで顔が無くて筋肉ばかりの女、嫌ですよね》
『フランのからだは きれいだよ』
彼女の手が止まる。
『おれのような くずには もったいない』
《あなたは私を助けてくれた。首の無い身体だけの私を助けてくれた。
普通だったら不気味がって放っておきます。あなたは優しくて》
フランの指が、優しく俺の指に絡み付く。
《何て書けばいいか分からない。でも、自分を悪く言わないで》
違う。彼女は俺を勘違いしているんだ。
戦争とはいえ俺は平気で人を殺して、嫌がる女を金で買って好きにして。……弱くて、身勝手で。
フランの両手が俺の顔に触れ、包み込む。
そしてまた鉛筆を掴んで。文字を綴る。
《そんな悲しい顔しないで下さい》
悪人にさえなり切れない。どうせなら笑いながら彼女を犯して、彼女から憎まれた方が楽なんじゃないだろうか。
でも、それだけはしたくない。この人から嫌われたくない。
『きみをたすけるためなら なんだってする』
心からの言葉だった。それで全ての罪が許されるわけでは無い事は分かっている。でも、自分を優しいと言ってくれた彼女が良くなるためならば。何だってしてやりたかった。
彼女は再び俺の身体を抱きしめた。
そのあと、俺達は今後の事について話した。話したと言っても、もちろん声を出してというわけにはいかなかったが。
怪我の程度を伝えると、大人しくしていればすぐに治るだろうとの事だった。もっとも、回復のためには俺の精も欠かせないとの事だったが。
それを置いておくとしても、少しでも早く首と体を引き合わせてやらなければならない。
俺はここが霊園である事を伝えた。数年前に戦争をした教国の近くだという事を伝えると、フランはすぐに理解したようだった。
だが場所が分かっても救援はすぐには来られないという話だった。
フランの国は今も戦争状態にあり、そう簡単に使いを出せるわけでは無いのだという。
こちらから首の無い身体を運ぶのも危険であるため、出来ればこの場に置いてほしいという話だった。
別にかまわないだろうという事を俺は伝えてやる。見つかって咎められたら適当に言いくるめてしまえばいい。
《ごめんなさい。
あなたからは毎日。いえ、二日に一度くらいでいいので、精をもらいたいの》
そう綴るフランの首元は少し赤かった。こんなことを書くのは流石に恥ずかしいだろうが、しかし彼女としては何も言わずに襲いたくはないのだろう。
俺なんかに気を使ってくれているのだ。
『しぬまで しぼりとってくれて かまわない』
正直、俺の命で彼女が助かるのならそうしたいくらいだった。
フランの手がぴくりと反応し、文字を綴る。
《私はそんな恐ろしい事しません》
『わるかった そういうつもりでは』
彼女の手が、俺の手に重ねられる。
暖かい手。人の手が暖かいと感じたのは、どれくらいぶりだろう。
いつまでもこうしていたかったが、周りはもう暗くなってしまっていた。筆談と言うのは話をするよりも時間がかかってしまう。
なんだか今日はもう眠かった。
『そろそろ ねることにしよう べっどは きみがつかえ』
《色々ありがとうございます。おやすみなさい》
彼女は俺の顔に触れ、耳元の髪を撫でてからその手を離した。
俺はベッドから離れ、椅子に腰を下ろす。
目を閉じると、急激に眠気が襲ってきた。
今年は豊作だった。
一日中頑張って麦を刈った。刈れども刈れども量は減らない。村中から嬉しい悲鳴が聞こえていた。
日が暮れるころにようやく家路に付いた。もうくたくただ。
そういえば今日は長男が自分も手伝うと言って聞かなかったな。妻も苦笑いして見ていたっけ。だが鎌を扱うにはまだ少し早い。家に置いてきたが、大人しくしていただろうか。
「あなた、おかえりなさい」
まだ赤子の長女を抱きながら、笑顔で妻が迎えてくれる。
「お父さん。僕練習したんだ。明日こそ連れて行ってね」
息子は俺の服の裾を掴んで離さなかった。多分連れて行くと言うまでこのままだろう。俺は頭を撫でてやる。
「ただいま。今日は疲れたなぁ」
「お疲れ様。さぁご飯にしましょう」
俺達一家は暖かそうな夕食の並ぶ机を囲んだ。一家で笑いあい、食事に手を付けようとしたところで。
……目が覚めた。
我ながら悲しくなるほど都合のいい夢だった。
死んだ恋人と夫婦になって子供まで居る夢なんて。
俺は背もたれに体重を預けて息を吐いた。目を閉じれば、焼け野原になってしまった村の光景が浮かんだ。
戦争はある日あっけなく終わった。
教国は勝利した。役目を終えた俺はようやく村に帰る許しを得た。
血塗られた手で恋人に触れるのは躊躇われた。でも、きっと彼女だって分かってくれると思う事にした。そうしなければ自分の命も守れなかった。それに戦いは村や、恋人を守るためでもあったのだから。
ああそうだ、もう殺し合いをする必要は無いんだ。ゆっくりと傷を癒せばいい。
彼女を裏切るような事もしてしまったけれど、それも時間が解決してくれると信じよう。
不安を抱きながらも村への道を歩み続けた。だが、見覚えのある場所にはたどり着かなかった。
俺の帰る場所は既に無くなっていたのだ。
村は焼打ちにあっていた。見慣れた家々も、麦畑も、全て黒こげに焼け落ちていた。
村には何人かの生き残りが居た。彼らは俺を見つけると驚き、生きて帰ったことを喜んでくれた。
俺は事情を聞かずにはいられなかった。村は、恋人はどうなったのか。彼らは疲弊しきった顔で顛末を話してくれた。
突然兵隊がやってきて村人を殺し、畑に火を放った。大混乱に陥る村に、今度は教国軍がやってきて戦いを始めたのだという。
戦いは教国軍の勝利で終わったが、大半の村人が死に、全ては焼け落ちた。
残ったのは焼け野原と多くの死体と絶望だけだった。人の手も足りず、村の再建どころか遺体の弔いもまだなのだという。
「ローザは? 死んだのか」
俺がそう聞くと、皆そろって顔を曇らせた。
「あの子はねぇ……。せっかく結婚も決まっていたというのに、旦那になるはずだった男と一緒に殺されてしまったんだよ」
「結婚? 殺された?」
俺には彼らの話が理解できなかった。
彼らは丁寧に説明してくれた。途中で何人かが俺と彼女の関係を思い出したようで、口を閉ざして目を反らしたが、そういう奴は少なかった。
要はこういう事だった。俺が居なくなった後、ローザは別の男に言い寄られて、そいつとくっついたのだという。
村を離れていた時間は短くは無かった。確かに生きて帰ってくるか分からない奴を待つよりは、近くで自分を好いてくれている奴と一緒になった方が幸福だろう。それはそうだ。当たり前のことだ。当たり前の……。
「でも、お前だけでも生きて帰ってきてくれて良かったよ。戦場では、その、殺したり殺されそうになったり大変だったろうが……。俺達だってこんなに」
口ではそう言いながらも、俺を見る目はどれもこれも冷たくよそよそしかった。それはそうだろう。彼らにとっては兵士は村を焼く者。そして俺はその兵士をやっていたんだ。
人殺し。村の生き残りにとって、俺はそれ以外の何物でもなくなっていたのだ。
俺は彼らから離れ、村を見て回った。かつてローザが住んでいた家には、二つの焼けた遺体が寄り添いあうように倒れていた。
ローザは体も心も手の届かないところへ行ってしまったのだと、妙に納得してしまった。
悲しめばいいのか、怒ればいいのか、憎めばいいのか、俺にはもう良くわからなかった。ただ、俺が戦場でしてきたことはこういう事なのだという事は何となく理解した。
俺が殺してきた奴にも恋人や家族が居たんだ。
俺は恋人にもう一度会いたくて、死にたくなくて、帰る場所を守りたくて敵を殺してきた。
だがその理由は知らない間に無くなってしまっていたんだ。……なら俺は、何のために殺されそうになってまで人を殺してきたんだ?
村人たちの目に耐えられなかった俺は教国に戻り、残っていた金の全てを酒と女に費やした。
全てを忘れたくて酒を飲んでは、生きている実感を得るために娼館で女を抱いた。
満たされているのは抱いている間の一瞬だけで、終わった後には虚しさと自己嫌悪しか残らなかった。
そしてそれを忘れるためにまた酒を飲む。最悪の悪循環だった。終いには女に身の上話をして同情を誘う事までしていた。
最後に抱いたのは麻薬中毒気味の女だった。抱いている最中も終わった後もケラケラ笑っていた。
俺の話を聞いてそいつは慰めるでも説教をするでもなく、こう言ったのだった。
「あははは。お兄さんは死んでないだけって感じだね。むしろ死んじゃったほうがマシなんじゃないの? お墓に行って死体に上手な死に方を教えてもらいなよ」
胸糞わるくなった俺は、そいつが吸っていた煙草と目に付いた薬を全部踏みつけてやりながら言った。
「そうかもな。お前を見て良くわかった。俺は薬中女を買う最低の屑だってな」
そして俺はここに来た。薬中女が言っていたように、死人に死に方を教えてもらうために。
どんな死に方が一番苦痛が少ないのか。それを知るために墓場の仕事を始めたつもりだった。
だが、墓穴を掘り、墓場の見回りをするうちに、俺の心は次第に変化していった。
ささくれ立った俺の心に、霊園の静謐な空気がしみわたっていくようだった。
ここには俺を殺そうとする奴は居ない。俺が守らなければならない奴も居ない。俺を裏切る奴も居ない。
死者は何も言わない。誉めもしない。慰めもしない。文句も言わない。評価もしない。
俺を頼ることもないし、恐れもしない。
皆平等に眠っているだけだった。
死者は様々だった。穏やかな表情の者も、苦悶に顔を歪めている者も、若い者も、年老いた者も、太った者も、痩せた者も、男も女も。
違いは合っても、彼らの行き先は同じ土の中だった。俺達が掘った穴に入って眠るだけ。
いつしか俺はこの場所で働くことが苦にならなくなっていた。日々を過ごすことも、以前に比べれば落ち着いて受け入れられるようになった。
たまに過去の事を思い出して落ち着かなくなる事もあったが、そんな時は霊園を見て回る事にしていた。
墓石だけが並ぶ風景は、不思議と俺の心をまた落ち着かせてくれるのだった。
衣擦れの音がして俺は顔を上げる。
フランが身を起こしていた。
俺はベッドに腰を下ろして、彼女の手を取る。
『おはよう』
《おはようございます。今日のご予定は》
『よるの みまわりだけ』
彼女は文字を書こうとするも、その手から鉛筆が滑り落ちる。
くらりと揺れて倒れそうになる体をとっさに支えた。息使いこそ聞こえないが、彼女は胸を苦しげに抑えていた。
『だいじょうぶか』
鉛筆を探り取り、彼女は指を走らせる。
《ふらふらしてしまって、でも、大丈夫》
『むりするな』
《甘えてしまっても、いいですか》
俺は答える代わりに彼女の身体を抱きしめた。
彼女の腕が俺の背中に回り、強く抱き締めあう形になる。
彼女の温もり。鼓動。肌からそれが伝わってくる。
……何が俺でいいのか、だ。死ぬまで搾り取ってくれ、だ。結局俺はフランの身体の虜になってしまっているだけなのだ。
言葉や態度を都合よく解釈して、心まで惹かれてしまっている。……自分がしてしまったことも忘れて。
甘えたいのは、俺の方じゃないか。
このまま流れに身を任せていいのか、今更少し迷う。だが精が無ければフランの身体はもたないのも事実だった。
どうせしなければならないのなら、少しでも彼女の不安を和らげてやれるようにしよう。苦痛を少なくして、快楽を味わわせてやろう。首が離れてしまっているという恐怖を忘れさせてやろう。技巧にそこまで自身は無いけれど、優しくすることくらいしか出来ないけれど。
フランは自分の服を脱いでいく。ワンピースを脱ぎ捨て、下着を取ると豊かな胸が揺れながら顔を出した。
彼女はそのまま下の肌着も躊躇なく脱いでしまう。
その間に、俺も自分の服を脱いで裸になる。昨日のように脱がされるのも少し恥ずかしい。
フランは俺の物を直に握ってしまって、下着が無い事に一瞬驚いたようだったが、すぐに指を使って愛撫を始める。
彼女の手には催淫の魔法でもかかっているのだろうか。その手にかかると、俺の物は素直にすぐに大きくなってしまう。
根元から先端に向けて五本の指が這い上がり、亀頭のくびれに合わせて指で輪を作って上下させる。白い指で十分硬くなったことを確認すると、また昨日のようにフランは自分の愛液を潤滑油代わりに使ってしごきあげる。
いくら心地よくても、ここで出すわけにはいかない。彼女の中に出さなければ意味がない。
俺の物を掴んで上下している彼女の手に手を重ねる。それで彼女は理解し、膝立ちになって腰の位置を合わせる。
手で位置を調整しながら、ゆっくりと腰を下ろし、俺の物を飲み込んでいく。
「く、あぁ」
昨日はあまりにも唐突だったせいでろくに感じられなかったが、彼女の中は本当に熱く、ぬめっていてきつく絡み付いてくる。
外見は、首が無いのは置いておくとして、人と変わらないというのに、その膣はまさに魔性と言うべきものだった。
彼女は根元まで俺の物を飲み込んでしまう。
背中を丸め、俺の腹に置かれた彼女の手に力が入る。痛かったのだろうか。少し不安になる。
彼女はそれから、上半身を倒して俺と肌を重ねてくる。その肌はしっとりとしていて、豊かな胸が俺の胸でつぶれる。
フランの温もりが心地よく、ずっとこのままで居たいくらいだった。しかしこのままでは精を放つまでには至らないだろう。疑問に思っていると、彼女の指が俺の脇腹をくすぐった。
いや、何かを伝えようとしているのだ。
『してください すきないように わたしを』
魅惑的な言葉に俺は生唾を飲み込む。しかし、同時に胸には苦い思いが広がった。
顔の見えない男に犯されるなど、本当は嫌に決まっている。だのにフランは俺に気を使っているのだ。
俺が動かずにいると、彼女はさらに指を動かした。
『めいわく かけてますから
わたしにできる おんがえしは これくらいしかない』
俺はフランの背に腕を回しながら、背中に文字をなぞる。
『きにするな』
俺にしがみつくフランの力が強くなる。喜んでくれたのなら、いいのだけれど。
フランを抱きしめたまま、繋がったままごろんと横に転がる。上半身を離して、彼女の身体を見下ろした。
白百合のような肌に、縦横に走る大小の傷。戦っていた俺にももちろん付いているが、男の傷と女の傷では意味が違ってくるだろう。
痛々しい、フランのここまで生きてきた証。
俺は胸のふくらみに沿って走る傷に口づけし、舌で舐めていく。こんなことで傷跡が消えるわけでは無いが、それが決してフランの価値を下げるものでは無いことを伝えてやりたくて。
切り傷には舌を這わせ、矢傷を甘噛みし、火傷の跡には口づけした。
そのたびに彼女は少しずつ肌を朱く染めていく。傷に触れるたびに、俺の肩に置かれた彼女の手に力が入った。
下の方にも傷は付いているが、それは次の機会にしよう。
俺は再びフランをしっかりと抱きしめながら、腰を深く入れていく。彼女の方からも俺の腰に足を絡めてくる。むっちりした太腿が腰元を締め付ける。
傷を愛撫している最中もずっと彼女の中は俺を優しく揉む様に動いていたため、もう限界が近かった。
『いくよ』
と指で書いてから、奥まで届く様に深く深く腰を入れる。
出し入れできる長さは短くなるが、奥を刺激するように俺は腰を振った。
フランの腕に力がこもる。背中に爪を立てられる。甘い痛み、甘い匂い。腰から来る、痺れるような快楽。
俺は強くフランの身体を抱きしめながら、中に精を放つ。二度、三度と脈動するたびに鳥肌が立つようだった。一滴も漏らさないように、物は奥まで突き入れたままだ。
フランの身体もなるべく無駄にはしたくないらしく、締め付けはさらに強まり、尿道に残っている精液でさえも掻き出さんとばかりに波打った。
「く、あぁ。フランっ!」
自分の声しか聞こえないのが物寂しい。彼女の声を聴いてみたい。
全てを出し終えた俺はゆっくり腰を引いていく。彼女の入り口が最後まで搾り取ろうとするようにきつく締まる。
何度も腰が砕けそうになりながら、ようやくすべてが抜ける。
荒い息を吐いていると、フランの手がそっと俺の顔に触れた。そして俺を再び胸元にいざない、抱きしめた。
昔は女の身体を抱いていると、別の女の顔を思い出してしまっていた。
痛い痛いと泣いていた生娘のような女、脂の乗った経験豊富そうな女、やたらと媚を売る女、声のうるさい女。そして別の男と一緒になろうとした元恋人の顔。
俺を責め立てる女の顔を忘れるためにも激しくしてしまう事が多かったのだが、今回はなぜかどの顔も浮かんで来なかった。
落ち着いた気持ちで、フランの事だけを想っていられた。
だからと言ってフランがどう思っていたのかは分からない。体中を舐められて気持ちが悪いと思われたかもしれない。さっさと終わらせて欲しかったのかもしれない。
身勝手な男だ。今更誰を想ったところで、人を殺し、金で女を好きにしてきた事実は変わらない。
そんな俺をフランはずっと抱きしめたままだ。裸と裸で、ただ肌を合わせているのは気持ちが良くて、ついつい甘えたくなってしまう。
だが、フランは俺がどんな人間なのかを知らない。だからこうしていられるのだ。
しかし俺が身を離そうとするたびにフランの指は俺の腕を掴み、こうしているのが嫌なのかと問うてくる。
俺の頬を名残惜しそうに撫でてくる。
嫌なわけがない。そう答えると、もう少しこのままで居たいと答えが返ってくる。
あるいはこれも、精を得るのに必要なのかもしれない。
俺達は静かに抱き締めあっていた。時々肌に文字をなぞりながら。日が暮れるまで、ずっと。
見回りをする足がいつもより軽い気がした。
かつて自分が、なぜあんなにも酒と女に逃げてしまっていたのか、その理由が分かったからだろう。理由が分かれば、耐えようもあるというものだ。
だが、俺がしてきたことが罪深い事であることには変わりはない。
罪を償うためにも、俺はここで静かに死者を弔い続けるべきなのだ。
他とは一線を画する大きな墓石が見えてくる。
戦争慰霊碑。戦争で殺されたたくさんの人々、名前が分からない戦没者や、一人一人を判別するのが難しいような遺体。それらの魂を慰めるために作られた大きなお墓。
それ以外にも、葬儀を上げきれなかった者の弔いの場所でもあった。生まれた村の人間も何人も眠っている。
恋人だったローザと、彼女と結婚するはずだった男も一緒に。
ローザを恨んだ日もあった。戦争を憎み、俺から恋人を奪った男を妬んだ日も。
だがローザからしてみれば、生きて帰ったとしても俺は人殺し。おまけに家族も居なくて、財産が多いわけでもない。それを考えると、自分が悪かったようにも思える。
俺は石碑に手をついて頭を振る。恋人もその相手も今はもう居ないのだ。この場所で働くうちに、憎しみや恨み、悔やみは自分を蝕む毒にしかならないことが良く分かった。
問いかけてもローザは、死者は何も答えない。
それでもたまに先日のようにやり場のない感情に襲われる事もある。だが、もう俺は昔の俺では無い。昔のままの俺で居てはいけないんだ。
安らかに眠れるように祈りを捧げ、俺は見回りを続けた。
見回りを終え、部屋に戻る。
早朝の柔らかい光が、優しく部屋の中を照らしてくれていた。
フランはベッドに横になっていた。胸は規則正しく上下している。恐らく眠っているのだろう。
俺は彼女の身体に手を伸ばしかけ、はっと気が付いて引っ込めた。
また俺は彼女を犯そうとしていたのだろうか。いや、そうではない。ただ俺は彼女の温もりに触れたかっただけで……。
椅子に膝を抱えるように座り、俺は目を閉じた。
眠りにつくまで俺は自分を責め続け、そしてずっと俺は言い訳をしていた。
好きにしたかったわけじゃない。俺はただ、温もりに触れたかっただけなんだ、と。
12/07/08 23:45更新 / 玉虫色
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