連載小説
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第三章
 物音がして目が覚めた。
 目の前の床に首なし女が倒れている。俺は慌てて駆け寄りその体を抱き起した。
『どうしたんだ だいじょうぶか』
 周りの様子が全く分からないというのに、なぜベッドから出たのだろう。……まさか、逃げようとしたのだろうか。
 それも無理も無い事だ。いつまた俺に襲われるかも分からないのだから。
 ともかく俺はフランをベッドに戻して、右手に鉛筆を持たせる。
 彼女は迷いなく鉛筆を走らせた。
《あなたがどこかに行ってしまったんじゃないかって、怖くなって》
『すまない ねていた』
 フランの左手がぎゅっと俺の手を握りしめた。
《ごめんなさい。起こしてしまって。お仕事で疲れているのに》
『きにするな』
 日は高く昇っている。いつの間にか熟睡していたようだ。
『にげたいなら そうしてくれていい』
 俺は伝えずには居られなかった。周りの状況が分からないフランがそんな事出来るはず無いのは分かっているのに。
《そばに居ては駄目ですか? やっぱり迷惑ですか?》
『おれのそばで いいのか』
《助けてくれたのがあなたで、良かったと思っています》
 再び手を強く握られた。
 フランは話を逸らすように文字を綴る。
《今度から、あなたがベッドを使ってください》
 あまり問い詰めすぎるのも彼女に悪い、この話はここまでにしておこう。
『きをつかうな』
 俺が渋ると、彼女は腕の包帯を取り除く。その下からは既にふさがった傷が現れた。
《傷も良くなりました。あなたのおかげです》
『きみを ゆかやいすに ねかせるわけには いかない』
《私は戦士です。慣れています》
『おれも へいしだった それに おれはおとこで きみはおんなだ』
 彼女の手が紙の上で戸惑っていた。そして意を決したように手が握られ、文字を紡ぐ。
《じゃあ、あなたも一緒に寝てください》
『いや そういうわけにも』
《私とでは嫌》
 俺はフランが全て書き終えさせないよう、その身体を抱きしめていた。嫌なわけがない。
 彼女の方からも強く俺を抱きしめてくれた。言葉の交わせない俺達は、こうやって相手に意思を伝えるしかない。


 今日の仕事は無かった。
 フランは俺に腕を絡めてそばに居てほしいと言った。断る理由は無かった。
《いつもは何を?》
『さんぽしたり ねていたり とくになにも』
《私は、迷惑でしたか》
『とんでもない』
 フランはそっと肩を寄せてくる。また精が足りなくなってきたのだろうか。尋ねると、彼女は少し考えた後指を走らせた。
《だんだんと精が抜けていくのが早くなっているみたいで
 その、出来ればもっと欲しい  です
 でも、ご迷惑》
 俺はまたフランの身体を抱きしめる。彼女はもうその意味を理解してくれている。
 二人で裸になって、それから俺は彼女の包帯を解いてやった。
 包帯の下の傷は全て癒えていた。飯も食わずにここまで回復するとは、流石は魔物の回復力と言うべきか。
 ちなみに霊園では食事は管理人ごと個別に済ませている。食料は支給されるので、周りにフランの事を感づかれる心配は無かった。
 フランの脚にも傷はいくつも付いていた。
 俺は前にやったように丁寧にそれに口づけ、舐めていく。そのたびフランの匂いが少しずつ強くなっていく。
 傷に口付るたび秘裂がひくつき、舌を這わせるたびに蜜がとろりとあふれ出た。
 舐め終える頃には全身がほんのりと色づいていた。彼女は胸を大きく上下させ、シーツを握りしめていた。
 俺は足の付け根に顔を寄せて、そこをぺろりと舐めた。
 びくんと体が跳ね、慌てたように手が俺の頭をどけようとする。
 構わず舐める。フランの匂いだ。強い匂い。少し癖もあるが、それすらも甘く感じられる。
 陰核を舌先で押すように刺激し、それから中に舌を入れる。フランの手はもう嫌がっていなかった。刺激を受けて時にぎこちなくなるものの、彼女の手は俺の髪をかき回すように頭を撫でてくれていた。
 その指が俺の首元に伸びる。
『ほしいです がまんできない』
 ちょっと意地悪したくなり、気付かないふりで舐め続けてやる。
 するとフランは俺の頭を軽くたたいた。
『いじわるしないで おねがい』
 俺は少し笑い、入り口に自分の物を合わせる。俺のは何もされていないのにもうぎちぎちに硬くなっていた。彼女の味と匂いを感じていては勃たせずにはいられなかった。
 ゆっくりと入れていき、奥をこすり付けるようにぐりぐりと腰を動かす。
 彼女の背がのけ反り、柔らかな乳房が揺れながら突き出される。
 俺はそれを舐めしゃぶりながら、ひたすら腰を振った。
 彼女の足が腰に絡み付く。そしてそのあとの流れは昨日と同じように。
 俺は彼女の中に残さず全部吐き出し、そのあとは心地よい気怠さと共に彼女にぴったりと寄り添って時間を過ごした。

 
 仕事で見回りや埋葬をして、眠って、フランと肌を合わせる。それからの数日間を、俺達二人はそんな風に過ごした。
 俺はフランの《甘えさせてください》という言葉に甘え、そしていつしかそんな事すら忘れてしまった。
 フランが俺との行為を嫌がっているとは、途中からは考えなくなっていた。
 肌を合わせれば、その姿を見ていれば嫌がっていないことは自然と伝わってきた。
 嬉しかったり、同意してくれているときには体のどこかを握りしめてくる。嫌な時にはつねってくる。寂しい時には頬を撫でてくる。
 嘘をついていれば体はぎこちなく硬くなるし、自分を表に出していれば肌は柔らかく暖かい。
 もちろん、お互いの肌に文字をなぞったり、紙に書いたりもしたが、そんなことをするまでも無く俺達はいつの間にか意思の疎通が出来るようになっていた。
 言葉よりも触れ合った方が確かに気持ちを伝え合える。そんな気がした。
 日に日に交わる頻度も増えた。そして交わるたびに俺はフランの身体を深く知っていった。
 どこを触ればより深く感じるのか、どんな風に責めれば力が入らなくなるのか。
 部位によって好みも違った。触られるのが好きな場所、舐められるのが好きな場所、痛いくらいに強くした方が悦ぶ場所……。
 一度お尻の穴に指を入れた事があったが、フランはしばらく痺れたようになって動けなくなってしまうくらいに感じていた。
 精を受け取れないのだからとそれ以上は何もしなかったが、一度そこを重点的に責めてみたいと思ってしまった。
 相手の身体の事を深く知ったのは何も俺ばかりでは無かった。フランの方からも俺の身体に触れてきて、同じように俺の弱いところを掴まれてしまった。
 お互い顔も知らないのに、身体の方は隅々まで分かり合ってしまっていた。いつしかそういう間柄になっていた。
 一度や二度では済まない日もあった。ただ肌を合わせているうちに二人してその気になって、一日中求め合ってしてしまう日もあった。
 俺から求めてしまう時もあった。その日はフランはいつにもなく淫らに乱れて……、独りよがりかもしれないが、喜んでくれたと思えた。
 正直な気持ちとして俺は満たされていた。俺のような人間がこんな幸福感を得ていいのかと思ったが、こんな生活がずっと続けばいいと願ってもいた。


 ある日のことだった。
 愛し合った後に身を寄せ合っていると、彼女が不意に俺の手を掴んだのだ。
『じゅんびが できたの』
 俺は嫌な予感がしつつも、彼女に鉛筆を渡しつつ問いかける。
『なんの じゅんびだ』
《国の方が落ち着いて、もうすぐ仲間が私の首を運んで来ます》
 心臓が掴まれたように急に胸が苦しくなる。首が戻るという事は、フランがここから居なくなってしまうという事じゃないか。
 嫌だ。一緒に居たい。離れたくない。
 でも、それではフランの事を都合のいい玩具のように考えているのと変わらない。彼女の幸福を願うのなら、元の場所に戻れる事を喜んでやるべきなのだ。
 泣きそうになってしまう。だが、歯を食いしばって堪える。
 幸いフランはこちらの様子が見えない。おかげで、こんなに情けない顔を見せずに済んだ。
『よかったな これでかえれる』
 彼女の指が止まる。
『おれなんかから せいをえなくても あんぜんに』
 フランの手が俺の顔を包みこむ。俺は慌ててその手をどけた。
『ごめん もうしごとだ』
 頬に触れようとするその手を優しく払い、俺は彼女から身を離した。
 仕事があるのは嘘では無かった。今日は死者の埋葬の予定が入っていた。早めに身を清めなければならない。
 そうすれば、この気持ちだって落ち着くはずだ。


 土を掘っている最中もずっとフランとの別れの事を考えてしまっていた。
 別れた後の事を想像しようとして、出来なかった。ついこの間までずっと一人で居たのに。その生活に戻るだけだというのに。
 穴に棺桶を横たえ、土をかける。
 儀式が済むと、関係者たちは霊園を後にしていった。
 残るのはいつも管理人と死者だけだ。俺と、後輩と、責任者である霊園長。あとは皆土の下だ。
 霊園長は見送りが終わるとさっさと帰ってしまった。いつもならば後輩もそれに続くのだが、今日はなぜか物言いたげな目で俺を見ていた。
「何だ」
「いえ、先輩からいい匂いがするんすよ。なんつーか、女の匂いみたいな」
 ぎくりとするが、水浴びは欠かしていない。気付かれるはずもない。
「最近変な音もしているし」
「鍛え直しているんだ。最近土を掘る腕が重かったんでな。多分その音だろう」
 後輩は首をかしげる。
「今度先輩の部屋に飲みに行ってもいいですか。いい酒が入ったんで」
「悪いが、俺の部屋は散らかっているからお前の部屋で頼む」
 俺はそう言って後輩に背を向けた。ぼろが出る前にその場を離れたかった。


 部屋に戻って、夜の見回りまでベッドに横になっていた。
 隣のフランが俺の袖を引く。
《何かあったのですか》
 俺はフランをそっと抱きしめる。この温もりも、しばらくしたら失ってしまうのだろうか。
 少し身を離して、その手に文字をなぞる。
『なにもない きにしすぎだよ』
《ですが》
 俺はフランの手から鉛筆を奪い、強く抱きすくめる。
 フランの方からも俺の背に手を回してくれる。
 重なり合う心音。ずっとこうしていたかった。だがやがて日は暮れ、見回りの時間になってしまった。
 俺は名残惜しい気持ちを押さえながら、部屋を後にした。


 夜道を歩いていると、不意に胸がざわついた。
 昼間の後輩の態度。
 俺の部屋に何かあると気が付いているようだった。
 だが、部屋には鍵がかかっている。特別製の魔法錠というものだそうで、正しい鍵を使う以外に開ける方法は無いらしい。魔法に精通するものなら分からないが、コソ泥程度では開けられないはず。
 だが、胸騒ぎが止まない。
 立ち止まって深呼吸をすることにする。吸って、吐く。吸って……。
 変な音が聞こえる。墓場の方からではない。宿舎からだ。
 俺は走り出していた。


 やはり音は宿舎の方からしていた。
 建物が見える頃、急に音が止んだ。
 胸騒ぎが強くなる。
 自分の部屋へと急ぐも、そこで俺はありえない物を目にする。
 叩き壊された扉。放られた斧。いくら鍵がしっかりしていても、破壊されてしまえば意味がない。
 ベッドの上で、誰かがフランに覆いかぶさっている。
 その背が上下に動いている。全身が寒くなる。血が逆流する音が聞こえた気がした。
 俺はそいつに掴みかかった。無防備なわき腹に膝を入れ、一瞬ひるんだところを見逃さずにフランから引き離し、壁に叩きつけるように押しやる。
 そいつは壁にしたたか背をぶつけると、ずるずると力なく腰を下ろした。
 急いでフランの身を確かめる。彼女は壁に背を預けて震えていた。
 ワンピースは引き裂かれ、白い肌が露出している。
 下着も外されかかっていたが、何とか間に合ったらしい。
 ……いや、こんなに怖い思いをさせて、間に合ったも何も無い。
 震える肩に手を置くと、彼女はそれだけで俺と分かったらしい。俺の身体に腕を回し、しがみついてきた。
 震える背を、優しく手で撫でる。もう大丈夫だ。
 それが伝わったのか、震えが少しずつ収まってくる。
「……ず、ずるい、ですよ、先輩」
 壁の方から声がした。
 やはり彼女を襲ったのは後輩だった。その顔は赤く腫れているところがいくつかあり、俺が蹴ったわき腹だけでなく鳩尾も手で押さえている。
 心なしか呼吸するのも苦しそうだ。
 考えてみればフランは前線で戦う戦士。見えない相手だとはいえ、本気で抵抗すれば相手もただでは済まないだろう。
 だがそれでも彼女を襲った後輩を許す気にはならない。
「そんなに、いいものが、あるんだったら、俺にも、少しは、使わせてくれたって、いいじゃない、ですか」
「使う、だと」
 俺は後輩の胸ぐらをつかみ上げる。
「だって、そうでしょう。魔物が、生きるのには、精が必要。俺達の、性欲処理を、喜んでやって、くれる。
 おまけに、そいつは、こっちの事が、見えない、みたいじゃないですか。好きに、するのには、ちょうど」
 俺は後輩の頬をぶん殴っていた。フランを物のように言うこいつが許せなかった。
「痛ぇ、何だよ。先輩だって、こいつを犯して、いたんでしょ? 好きなように、扱ってたんでしょ?
 やりたい時に、やりたいだけ、やってたんでしょ? 自分だけで、独占して、きたんじゃないですか」
「違う。俺は」
「何が、違うんですか? そいつに、聞いたんですか? 聞けるわけ、ありませんよね。しゃべれ、ませんもんね。そいつだって、精は多い方が、いいんでしょ? だったら俺も」
 血の気が引いていく。俺はフランを性欲処理の道具として扱っていたのか。
 違う! 断じて違う!
 道具として扱おうとしているのはこの男の方なのだ。こいつを何とかしなければフランの安全は無い。
 そういえば、彼女を見つけた時に剣を拾っていたな。
 あったあった。彼女と一緒に居る時に暇を見つけて武具の手入れもしていたから綺麗なものだ。これならいつでも人が斬れるだろう。
 俺はそれを振り上げる。人を殺すのに躊躇いは無い。戦場で一人殺した時から、それ以上何人殺そうがもう変わらないんだ。
「ちきしょう。……俺だって、誰かに、愛されたかった、だけなのに」
 後輩が何か言っている。泣いているようだが、そんなことで許される事ではないのだ。
 放置すれば、きっとこいつはまたフランを襲う。そうに決まっている。かつての俺も似たようなものだったから、良く分かるのだ。
 あとはこれを振り下ろせば終わる。フランを守れる。だからこれを、剣を振り下ろすだけで。
「それをどうする気だ」
 霊園長が部屋の入り口からこちらを見ていた。
 頭の中が真っ白になる。次の瞬間には、俺の身体はベッドの上に投げ出されていた。
 口の中から血の味がした。左頬が熱い。
 あの一瞬で剣を奪われて、殴り飛ばされたのだ。
 霊園長は後輩の元に屈んで、傷の様子を見ている。呆れたように息を吐きながら「相手は見えないってのに、手ひどくやられたねぇ」とぼやいた。
「霊、園長」
「なぜ初めから俺に相談しなかった」
 俺は何も言えなかった。考えもしなかったからだ。
 霊園長はため息を付く。彼にも俺が女を独占したかったからだと思われただろうか。
「まぁ、お前は責任感が強い奴だし、一人で何とかしようというつもりだったんだろうが、少しは周りを信用しろ。
 ……と言っても、この状況では説得力は無いか」
 霊園長は後輩の身体を背負いあげる。
「あと、もう剣もまともに握れない奴が、出来もしない事をしようとするな」
 霊園長は俺達に背を向ける。
 その背から、後輩の声が小さく聞こえていた。涙声で、つぶやく様にさっきと同じような事を繰り返していた。
「話がある。そのデュラハンと二人で、あとで俺の部屋に来い。服は適当に物置から持ってきていい」
「わ、分かりました」
 霊園長は出て行き、部屋は再び静かになった。
 フランの震える手が、俺の頬に触れた。
 その手に手を重ね、それから俺は、フランの身体を強く強く抱き締めた。彼女の震えを止めてやるために。


 俺はフランの手を引いて園長室に向かった。
 部屋に入ると、霊園長は机に付いて何かの書類を読んでいた。
 フランは不安げに俺の手を握り締める。俺が握り返すと、彼女は少し落ち着いたようだった。
 霊園長は俺達に気が付くと一瞬ぎょっと目を向いたが、すぐに落ち着きを取り戻して咳払いをする。
「失礼。やはり首の無いデュラハンを見るとびっくりしてしまうな」
 霊園長はため息を吐く。
「しかしいくらなんでもやり過ぎだぞお前ら。あいつ、明日便器を赤くして顔を青くするかもしれんぞ」
「ですが霊園長」
 俺の言葉を、霊園長は手を上げて制した。
「分かっている。言いたいこともあるだろうが、この話についてはここまでだ。
 本題に入ろう。そこのお嬢さん、名前はフランでいいんだな」
「どうしてそれを」
「書簡が届いていた。それによると明日、関係者が彼女を迎えに来るそうだ」
 明日だって? どうしてそんなにいきなり話が進むんだ。
「送られた日付は結構前なんだが、届くまでに色々とごたごたしていたんだろう。最近は俺も色々と忙しかったから、確認も出来ていなかった。
 お前には悪いと思っている。辛いだろうが……」
「別に、俺は……」
 霊園長は俺に何かを投げて寄こした。見れば何かの鍵だった。
「来客用の部屋が空いている。今晩はそこを使え。あいつは縛ってあるから心配するな。
 最後の夜だ。後悔の無いように過ごせよ」
 俺は霊園長に頭を下げて、部屋を後にした。


 フランの手を引いて、あてがわれた部屋に入る。
 少し埃っぽいが、ベッドも机もちゃんと備え付けられている。一晩明かすくらいならば十分な部屋だった。
 俺は彼女をベッドに座らせ、自分もその隣に腰を下ろした。
 彼女の手を取って、指でなぞる。
『あした』
 指が止まる。別れたくない。だがそれこそ、俺が彼女を物のように扱っている事の証明のように思えた。
 フランが居なくなってしまったらまた孤独な日々が戻ってくる。過去の記憶に苛まれて、墓場をうろつく生活が戻ってくる。
 嫌だ。手放したくなどない。ずっとそばに居てほしい。
 後輩の事など責められた事ではないのだ。心のどこかではずっと分かっていた。俺はきっと彼女を愛しているわけじゃない。一人が寂しいだけで、頼られるのが心地よかっただけで、身体を自分の物にしていたかっただけで。
 大切にしようなどと思い込もうとしていただけだ。やっぱり俺は自分勝手なだけだったのだ。
『ごめんなさい こわかった』
『ここは あんぜんだよ むかえが くるまで そばにいる』
 今だってそうだ。フランは見知らぬ男に襲われて怖がっているというのに、俺は自分の事ばかり考えている。
 こんな俺が、行かないでくれなどと言えるわけがない。
『おれが まもる むかえがくるまで ずっと』
 フランの指が俺の手のひらの上を彷徨う。そして手を重ねると、俺に体重を預けた。
 俺はフランの肩を抱いた。彼女の匂いと体温と、鼓動を感じた。
 もう生活の一部になってしまったそれ。ずっとこのままで居られたらと祈っても、願っても、夜は更け、残酷にも朝日は昇ってしまう。
 最後の夜だというのに、俺は何も伝えられなかった。
 フランに甘えていただけの俺が、いったい何を伝えられるというのか。一人よがりの思いなど、彼女に迷惑になるだけだろう。


 扉が少し荒っぽくノックされる。
 こちらから開ける間もなく入ってきたのは、包みを抱えた茶色い髪の小柄な男の子だった。
 その後ろから霊園長が顔を覗かせる。
「このガキ……。いや、この少年がフランさんの使いの方だそうだ。あとは頼んだぞ」
 それだけ言うと、霊園長は顔を引っ込めて扉を閉めた。
「あんたが、フランの知り合いの」
 フランの手が俺の手をぎゅっと握りしめる。大丈夫だ、と俺は握り返した。
 そんな俺達の様子を見て、少年はにやりと笑った。
「そうじゃ。フランが世話になったの。
 ところでお主、なかなかいい男じゃな。わしのお兄ちゃん候補に」
「だ、駄目ですククリ。これ以上彼に迷惑はかけられません」
 声変わり前の少年の声の後に、どこからともなく落ち着いた女性の声が聞こえた。
「ふふ、だがのフラン。どんな男とて少女の魅力の前には」
「彼が困っているでしょう。もういいですから」
「お主、見えていないのではないのか」
 少年は包みに向かって話しかけている。もしかして、あれは……。
「見えなくても分かります」
「肌で、じゃな。ふふふ」
 少年は子供らしくない嫌らしい笑みを浮かべる。それはどこか老人が孫をからかっているようにも見えた。
 突然隣のフランが立ち上がり、前に手を突き出しながら少年に近づき始める。
 少年はフランに持っていた包みを手渡した。
 彼女は包みを開け、その中身を大事そうに胸に抱えた。
「さて、邪魔者は外で待つとするかの」
 少年は包みだけ渡すと、早々と部屋の外に出て行ってしまった。だがそれよりも俺は包みの中身が気になって仕方が無かった。
 今はフランの背に隠れて、中身は見えない。
「ありがとうございました。ずっと、ずっとそばに居てくれて」
 胸に沁みるような、芯のある声色。
「あなたが私を拾ってくれなかったら、きっと私は死んでいました」
「フラン、なのか」
 当たり前だ。そこに居るのはフランで、だが、俺の知らない女の声が聞こえていて。
 彼女が振り返る。
 その胸に、長い銀髪の、綺麗な顔をした頭が抱えられていた。
「初めまして。デュラハンのフランです」
 彼女は、首を抱えたまま、腰を折って頭を下げた。


 俺の隣にはフランが座っている。
 ずっと顔を見たいと思っていた。声を聴きたいと思っていた。
 考えてみれば俺はフランの顔を想像すらしていなかった。それで良かったのかもしれない。本物を前にしては、俺の貧相な想像力で彼女の顔を想像するなど、おこがましいとさえ思える。
 まっすぐに伸びる銀色の長い髪、切れ長の目、赤みがかった瞳、魔物らしい尖った耳。
 綺麗だった。綺麗すぎて、隣に居るだけで緊張してくる。さっきまでは何も気にせずに抱きしめられていたというのに。
 そういえば、こちらの顔や体を見られるのも初めてなのだった。
 自分が抱かれていたのがこんな男だと分かって、幻滅していないだろうか。
「驚いたかな。こんな冴えない男で」
 フランは微笑んで首を振る。
「いいえ。優しくて真面目そうな、思った通りの方でした。顔も体つきも予想していた通り。
 ……こんなに急にお別れになってしまって、ごめんなさい。本当はもっと早く伝えるべきだったのに」
 フランは膝の上で、両手の指を落ち着きなく動かしている。
「ようやく無事に帰れるんだ。良かったじゃないか」
 フランは俺の方を見て、そして膝元に視線を戻した。
 なぜだろう。今までずっと想いを伝え合ってきたというのに、隣に居るのはまるで別人のような気がしてしまう。
 頭が戻っただけだというのに。肌ではなくて、声でやり取りしているだけだというのに。
 ほんの数センチの距離が、遠く感じる。触れてしまえば楽なのに、触れてはいけないような気がする。
「あなたに、その、精を頂けたおかげで無事に生き延びられました。あなたが居なかったら、私は……」
「俺は大した事はしていないよ。君の身体を、その……」
 好きなようにしていただけ、とは、言えなかった。
「ごめんなさい。私の身体は傷だらけで、気持ちが悪かったでしょ?
 私は他のデュラハンよりも剣の腕が悪くて、練習してもなかなか上手くならなくて。だから戦う度に傷が増えてしまって」
「決して敵に背を向けない、勲章だらけの身体だと思うよ。初めて見た時に尊敬した。
 すまない、女性にこんな事を言うのも何か違うのは分かっているのだけど。
 ……俺は戦場でも、どこでも自分を守ることで精一杯で、誰かを守る事も出来なかったから」
「私だって守れない事ばかりです」
「仲間の魔物を?」
 フランは首を振った。寂しげな笑みを飾るように、銀髪がさらりと揺れる。
「仲間は私より強いくらいですから。私たちが守らなければならないのは、むしろ相手の方。
 無我夢中で、自分の命も顧みずに突撃してくる。……命よりも大切な物なんて、この世界には無いというのに。
 この間戦った魔術師も、魔力が尽きても命を削って自爆しようとして。やめさせようとしたら、魔法が不安定なまま発動してしまって、身体だけこちらへ飛ばされてしまって」
「そんな理由があったんだな」
 やはり俺はフランには相応しくない。
 俺は敵を殺してでも生き延びようとしたのに、フランは相手の事さえ考えているというのだ。
 そんな彼女を、仕方が無かったとはいえ俺は自分の好きにしてしまったのだ。
「……色々と、済まなかった」
「昨日の事でしたら、謝らないで下さい。
 むしろ謝るのは私の方なんです。私なんかが男性を選ぶ権利なんて無いんです。
 精をもらえるだけでもありがたいのに、怖くなって、思い切り抵抗してしまった」
「あいつの事か。なら抵抗して当然だ。もし君があいつに犯されていたらと思うと、俺は……あいつを殺していたかもしれない」
 フランは俺の手を掴んで、首を振った。
「あの人の事を悪く思わないであげてください。あの人、手が震えていました」
 精をもらえるのならば誰でも良かったのだろうか。それはそうかもしれない。世間的に見れば俺も後輩も何も変わらない。日陰者の墓場の管理人。喰ったところで別に美味くは無いだろう。
 それに比べて、相手は一国の騎士。どうして今まで思い至らなかったのだろう。もともと身分も何もかも違う相手だったというのに。
 それを勝手にそばに感じて、自分の物のように扱って。一緒に居たいなどと勝手な願いを抱いて。
「……俺は君を汚してしまった。どんな罰でも甘んじて受けるよ」
「感謝してるくらいなのに、罰なんてありえませんよ。それに、私の身体はそんなに綺麗なものではありません。
 あなたは知らないでしょうが、私は……。いえ、人様に話す事でもありませんね」
 フランは自嘲気味に笑った。そんな顔は彼女には似合わない。顔を見て間もないというのに、俺は何となくそんな風に思ってしまう。
 フランは黙りこんでしまい、俺も何と言っていいか分からなくなる。
 二三日前まで何も言わないのが当たり前だったというのに、急にフランが遠い存在になってしまったようだった。言葉を交わしていても、彼女の気持ちが分からなかった。
 いや、もともと距離は遠かったのだ。気持ちが分かっている気がしていただけなのだ。
 そんな俺の手に、彼女の手が重なった。
 住む世界が違う。そう思っても、その手は暖かくて、一緒に過ごした日々の事を思い出してしまって、俺は思わず手を引いてしまった。
 欲しい。自分の物にしたい。でも、それは俺の薄汚い欲望に過ぎない。
 気持ちを押さえつけないと、顔も見れなかった。不用意に笑顔なんて見てしまったら自分の欲望を全てさらけ出してしまいそうで。
 フランは立ち上がると、俺の前に立った。
「あなたは私の命を救ってくれた。何かお礼をさせてください。私に出来る事でしたら何でもいたしますので」
 礼なんてものは必要ない。ずっとそばに居てほしい……。その言葉を必死で飲み込み、気持ちを押さえ、俺は涼しい顔で見上げた。
「気にするな。お礼を言うのはこっちの方だよ」
 俺は自分の両手を握りしめた。そうしていないと彼女の手を掴んで、想いを伝えてしまいそうで。
「……では、そろそろお別れしなければなりません。いつまでもこうして居たいのですが、ククリが待っています。
 最後にお願いがあります。目を、閉じてください」
 彼女は俺を見下ろして微笑んでいた。花の咲いたような可愛い笑顔だ。
 俺は目を閉じた。
 フランの暖かい手が俺の顔に添えられ、唇に柔らかくて暖かい物が触れる。
 その手が名残惜しむように何度も俺の頬を撫でる。
 俺は必死で自分の身体を押さえつける。手を重ねてしまったら、腕を掴んでしまったら、抱きしめてしまったらもうフランを帰す事が出来なくなってしまうから。
 唇が離れる。目を開けた時には、彼女は既に背を向けていた。
「さようなら」
 フランの姿が扉の向こうに消える。
 扉の締まる音が、やけに大きく響いた。
 行ってしまう。ようやく見つけた温もりが。
 追いかけようと立ち上がる俺を、心の中のもう一人の俺が思いとどまらせる。
 人殺しで女狂いのお前が彼女に本当に相応しいと思っているのか? 助けた弱みに付け込んで自分の物にしたいだけなんだろう?
 違う。俺は。ああでも、違わない。俺はフランが欲しいだけなんだ。彼女の事なんて一つも考えられていない。
 遠くから馬車が走り去る音が聞こえてきた。
 本当に、行ってしまった。
 俺は膝から崩れ落ちた。胸がすうっと冷えていく。
 いや、これで良かったんだ。
 彼女は自分の国に戻って、きっと幸せになる。俺はここで彼女の幸せを祈りながら墓守を続ければいい。

「見込みがあるかと思ったんじゃが、意外と意気地が無いんじゃのう」

 顔を上げると、フランの首を持ってきたあの少年が立っていた。名前は確か、ククリだったか。
 だが、扉が開く音はしなかった。窓を見るが、高いところにあってガラス戸も付いている。とても子供が物音を立てずに入れるところでは無い。
「ああ、このわしはただの言霊じゃ。本体はフランと一緒に馬車で本国へ向かっておる」
「どういう事だ」
「素敵な魔法の一つじゃよ。ほれ、若者がいつまでもそんな情けない格好をしておるものではない。座って話でもしようではないか」
 ククリはにやりと笑ってベッドに腰掛けた。
12/07/10 00:27更新 / 玉虫色
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