ファング・フェンリル 後編
ファングが魔物の仲間として迎えられ、早半月が過ぎた。
彼は以前として、大将であるアギトの命で共に戦場へと赴いていた。
戦場を駆けるたびに、彼等は多大な戦果を挙げ、魔王から幾つもの勲章を受け取っていた。
最早、魔界でアギトとファングの活躍を知らないものなどいない。
そして、魔物の誰もがファングの実力を認め、彼をただの人間だと罵る者はいなくなった。
むしろ、魔物よりも身体能力が劣るはずの人間にここまで戦果を上げられるものなのかと驚愕し、彼に尊敬の念を込める者まで出てくる始末だ。
ファングはこの時を待っていた。
魔物達が自分に気を許す瞬間を・・・。
時は来た・・・と彼は悟る。
あくる日・・・。
魔界に進行してきた教会の軍を根絶やしにしたアギト率いる討伐軍は、城へ帰還するために魔界の平原を駆け抜けていた。
今、アギト達のいる平原から魔王城までの距離は、馬で進行しても約三日は掛かる距離だ。
その日は兵士達が戦で疲労していることもあり、早めに天幕を張ることになった。
アギトはいつもならば、ファングと共に専用の天幕で身体を休めるはずなのだが、その日は教会軍から押収した物品や資料の整理をするため、早々と他の部下と共にその場を後にした。
残ったファングは、僅かだが自由な時間を手に入れて、とある人物がいる天幕へと赴く。
好機は今しかない・・・。
そう決心して・・・。
彼が辿り着いた場所は、魔王軍中将が待機している天幕だった。
「ファング・フェンリルだ・・・。ストロングホールド中将にお会い願いたいのだが・・・」
「かしこまりました。只今、用件を伝えて参りますので少々お待ちください」
天幕の番であるデュラハンにそう伝えると、彼女はすぐにファングの用件を取り入れてくれた。
「どうぞ中へ、ローズ様がお待ちです」
しばらくして、天幕から出てきた彼女はそう言うと、すぐに見張りの仕事へ戻る。
ファングは最初の頃に比べて、ずいぶんと自分への対応が変わったことに苦笑しつつも天幕の中へ入っていった。
綺麗に整頓された部屋の中心にあるソファーにゆっくりとくつろいでいる人物がファングの目に入った。
その髪は美しい黄金色をしていて、目はルビーの様に紅く輝いている。
艶やかな口元から見える鋭い犬歯はヴァンパイアの証・・・。
この女性こそローズ・フォン・ストロングホールド中将本人であった。
「珍しい客だ・・・。あの荒々しい狼の主人からどうやって逃げ出してきた?ファング殿」
不敵な笑みを浮かべながら、静かにティーカップをテーブルに置き、ローズ中将は口を開く。
その気品のある振る舞いはまさしく妖魔貴族といったところか・・・。
「教会軍から押収した品を血眼になって整理しているようだ。しばらくは天幕に戻れまい・・・」
「そうか、あの大将が貴方を放って置くなんて珍しい・・・。押収したものにそれほどのものが紛れ込んでいたということか・・・」
「さあな・・・なんでも、“神の武器”が紛れている可能性があるとかいっていたな・・・。何の話だか全く俺にはわからんが・・・」
ファングがそう答えると、ローズは口元に手を当てて少し考え込む素振りを見せた。
「神の武器か・・・。世迷いごとを・・・そんなもの、このミッドガルドに存在するわけが無い・・・」
「・・・?」
「なに、単なる御伽話だ・・・。で?貴方は何時までその仮面を被っているつもりかな。英雄ファング殿・・・」
ローズは押収品の話を切り上げると、ファングが被っている仮面に指をさす。
「人と面と向かって話をするときは、素顔を晒すものだ。誰かに教わらなかったのか?」
「失敬・・・この魔界に人などいないと思っていたからな・・・」
ファングはローズの言葉に、皮肉交じりにそう答えると、被っていた仮面を手に取り、ゆっくりと外す。
「で?用件は何だ・・・。わざわざ皮肉を言いに来たわけではあるまい・・・さっさと椅子に腰を掛けるがいい」
ローズの言葉のとおり、ファングは椅子に座り、ローズと向かい合うと、その重要な用件を語り始めた。
「ローズ中将・・・あんた・・・大将になりたくはないか?」
「大将・・・だと・・・。私がか?」
ファングが放った言葉に、ローズは怪訝な表情を見せて逆に問いかける。
「そうだ・・・それも近い将来に・・・」
「・・・どういうことだ?」
ますます怪訝な顔つきになったローズに、ファングは一息入れて言葉を紡いだ。
「俺がアギト・フェンリルを大将の座から落とすきっかけをつくってやる。アギトが大将から降格すれば、その座は実質中将であるあんたの物だ・・・」
「何を馬鹿な・・・」
アギトの親衛隊であるファングが堂々と主への反逆を目論んでいるその事実にローズは思わずそう口を開いていた。
しかし、ローズの反応をわかっていたかのように、ファングは何事も無かったかの様に話を続ける。
「気に食わないのだろう?アギトのことが・・・暴力と獣じみた考えで大将の座にのし上がったあの狼が・・・」
ファングの言うとおり、ローズはアギトの事を良く思っていない・・・。
弱者のことを考えない、力こそ全てと述べるアギトの野性的な考え方を、彼女は前々から批判していた。
しかし、戦場の戦果において、現在アギトに勝る者は魔王軍には誰も存在しない。
元帥ですら一対一の対決では、アギトに勝つ事は難しいだろう。
結果として、力が全てと呼ばれる魔王軍の中将であるローズは、苦々しくもアギトの命令に従うしかなかった。
このままでは、アギトが元帥に上り詰めるのも時間の問題である。
弱者達を気に掛けるローズとしては、完全実力主義のアギトが元帥になるのだけはなんとしても阻止したいのも確かであった。
だから、先ほどのファングの言葉にかなりの動揺が走ったことも否めない。
「どこでその話を?」
「飛び交う噂は様々だ・・・。金さえ払えば情報は買える」
済ました顔で、ファングは出された紅茶を啜る。
この男、かなりの情報を手にしている。
それを理解したローズはため息を吐き、隠しても仕方が無いとでもいうように言葉を紡いだ。
「確かに、アギト大将の弱肉強食的なやり方は気に食わない・・・。しかし、今の私には彼女に対応するすべが無い・・・。狼の本能で戦を掛ける彼女は凄まじすぎる・・・それは覆せない事実だ」
「だから、さっきから言っているだろう。俺がきっかけをつくってやると・・・」
「どうやってだ?確かに、貴方は相当な実力を持ってはいるが、あの狼に勝てるとは到底思えない・・・」
「俺もこの半年間黙って奴の下で戦っていたわけではない・・・。策は練ってある」
ファングから放たれた“策”という言葉に、ローズは反応を見せずには入られなかった。
「策だと?」
「そうだ・・・。だが、俺一人ではその策は実行できない。そこであんたの力を借りたい・・・」
「で・・・その力とは?」
ローズが話を急かすように促す。
ファングは、出された紅茶を一口すすり、閉ざしていた目を見開いてその問いに答えた。
「魔界の闇市へのルートを紹介して欲しい・・・」
「闇市・・・か、何か欲しいものがあるのか?」
「“エレメントアイテム”だ・・・」
ファングが口にした“エレメントアイテム”とは、その名の通り、精霊の加護が宿ったアイテムの事だ。
このミッドガルドには、それぞれ火、水、土、風の精霊・・・“エレメンタル”が存在する。
物体を保つ事が殆ど無い彼等(あるいは彼女等)の姿を確認する事は非常に難しい。
しかし、極稀にエレメンタルはその身体の一部や持ち物を物体にして、出現した場所に落としていく事がある。
それにはエレメンタルの強力な魔力が秘められており、手に入れた者はその道具を媒体として魔力を扱う事が出来る。
精霊から供給された魔力は極僅かなものなので使用制限はあるが、魔力の無い者でもその力を使う事が出来るため、一部の人々には非常に重宝されているアイテムだ。
現に入手することは大変困難なため、闇市場で高額で取引される事も多い。
ファングはこのエレメントアイテムを使って、アギトに一矢報いる事を考えていた。
「エレメントアイテムか・・・また、入手するのが困難な・・・」
「金なら陛下から貰った報酬がある・・・。俺の手持ちがある限り、いくら積んでもかまわない。どうにかして手に入れることはできないか?」
「わかった・・・。確かに、貴方の実力であればエレメントアイテムを駆使してあのアギトを打ち倒す事が出来るかもしれない・・・闇市を通して、どうにかして手に入れて見せよう。入手次第、使いの者に届けさせる」
「ご協力、感謝する。わかっていると思うが、くれぐれもこの話は内密かつ円滑に進めてくれ」
「勿論だ・・・。将官クラスへの反逆は重罪だからな・・・。貴方も尻尾を掴まれないように気をつけることだ」
話を終えたファングが席を立った瞬間、ローズは最後に気になっていた疑問を彼にぶつけた。
「最後に・・・。せっかく英雄になれたとうのに何故、アギトを倒す事にそこまで執着する?彼女を打つという事は魔王軍全てを敵に回すということだぞ?」
「理由か・・・そんなこと決まっている。“最強という名の自由”を手に入れる為だ」
ファングはそう言葉を残してローズのいる天幕を後にした。
「“最強という名の自由”か・・・それを求めている時点で“強さに囚われている”と気づかないのは滑稽なことだな・・・名も無き侍よ・・・」
ローズは紅茶を一口啜ると、誰もいなくなった天幕の中で、一人そう呟いた。
それから一月後、ローズの計らいでエレメントアイテムを手にしたファングは
魔王城の屋上でアギトが来るのを待っていた。
「やあ、ファング。会いたかったよ。今日は仕事も早く片付いた事だし、久々にプライベートに勤しむ事が出来そうだ・・・。それで、大事な話があるんだって?」
アギトは屋上に辿り着き、ファングの姿を確認すると、すぐさま彼に歩み寄り、言葉を投げかけてきた。
「ああ、俺も会いたいと思っていたところだ。伝えたい事があってな・・・アギトよ・・・」
ファングはアギトにそう答えると、手に持っていた仮面を放り投げ、太刀でそれを叩き切る。
「今日でこの仮面を被るのは最後だ。ファング・フェンリルの名は返上させて貰う」
アギトはその言葉に衝撃を受け、目を見開く。
そして、その意味を理解した途端、長い黒髪をざわつかせ、麗しい切れ長の瞳を怒りに燃やした。
「やれやれ・・・君はそこまでしてこの私に逆らいたいのかい?本当に浅はかだよ」
「浅はかかどうか、試してみるといい。将軍殿」
ファングは挑発するように、アギトに向かって口を開く。
「また、その呼び名で呼ぶのか・・・。本当にキツイお仕置きが必要だね・・・。痛いだろうけど我慢するんだよ?」
その瞬間、アギトが獣の如き俊敏さで、ファングに襲い掛かってきた。
ファングはあたかも予想していたかのように太刀を抜くと、そのまま刃を切り上げる。
金属音が野外に響き渡り太刀と大剣が鍔迫り合った。
「っ・・・やはり、速いな」
「流石だね・・・君くらいだよ。私の動きに反応できるのは・・・」
外気を通る屋上の風が魔王軍の旗を煽る。
それと同時に、二人・・・否・・・“二匹”の獣は激しく剣を打ち合った。
一撃!二撃!三撃!四撃!
火花を散らしながら刃を打ち合う。
その様は文字通り“乱舞”。
“牙”を持った二匹の獣が、互いの生死を掛けて舞い続ける。
その踊りは、どちらかの牙が折れない限り終わらない。
暫く打ち合っていたが、やがてファングは太刀の耐久性を危惧して、一旦アギトから距離を取とろうとする。
「逃がさないよ!」
アギトはそれを読んで、勝負を決めようと、上から剣を振り落とした。
しかし、落とした剣に手ごたえは無い。
感じたのは肉を絶つ音ではなく、屋上に吹いた一陣の風と石を壊す音。
アギトの剣はファングに当たることなく、石畳で作られた床を削っていた。
何故か・・・答えは明白だ。
避けられたのだ。
あり得ない動きをされて。
確実に仕留めたと思った相手は、自分より遥かに離れた所で、体制を整えていた。
「やはり生身のままではお前の力を上回る事は出来ないか・・・」
「・・・今、なにをした」
何が起こったかわからない様子のアギトに、ファングは太刀を鞘に収めながら会話を続ける。
「お前の実力はわかっていた。身体能力では俺はお前を上回ることは出来ない・・・だから、その差を埋めるためにある物を用意した」
「あるものだと?」
「これだ」
ファングはそう言った瞬間、まるで、疾風のような速度で抜刀し、吹き抜ける風と共にアギトへ斬りかかった。
「なっ!?」
辛うじて、身体を逸らすがアギトはその一撃を避ける事が出来ずに右腕に致命傷を喰らってしまう。
本来なら腕を両断されている所だが、魔物特有の強力な身体のおかげで刃が肉と骨を完全に断ち切る事は無かった。
初めて、身体に致命傷を負ったアギトは驚きのあまりに目を見開くしかできない。
紅い鮮血が、己の右腕を染めていく。
彼女はあまりの激痛に大剣を落とし、思わず傷口を押さえていた。
「“シルフの羽”・・・。悪いがこれを使わせてもらった」
「エレメントアイテム!?何時の間に・・・そんなものを・・・!」
いつもの優雅な表情から一変し、忌々しげにファングを睨み付けながらアギトが口を開く。
「卑怯な・・・!」
「卑怯か・・・貴様は何時死ぬかわからない戦場でも同じ事を言うつもりか?」
「・・・・っ!!」
力が全てのこの世界・・・ファングの言う事は間違ってはいない。
だからこそ、彼は剣を持てない彼女に止めを刺すことをやめた。
それは、自分を殺さずに捕虜としてそばに置いた彼女への情けでもあり、報いでもある。
剣を持てない者が、魔王軍の将校の座に居続ける事などありえない。
最早、決着はついた。
ファングは太刀を鞘に戻し、アギトに向けて再び口を開く。
「その腕の致命傷では大剣を持って戦場を駆ける事などできまい・・・。お前はその自我の強さに慢心し、傲慢になったが故、周りに敵をつくりすぎた・・・」
牙を失った狼に、最早戦う術は無い。
無常にも、彼は宣言する。
「お前が俺を飼っていて後悔するのは、過去でも未来でもない・・・他ならぬ今だ!」
「・・・・!!」
ファング・・・否、“名無しの侍”が放ったその言葉に、今まで無敗だったアギトの誇りはボロボロに砕け散った。
「勝敗は決した・・・先ほど伝えた通り、ファング・フェンリルの名前は返上させてもらう・・・ではな・・・」
敗者にもう用は無い。
男は屋上から飛び降りると、シルフの羽を使い、強風と共に魔王城を後にした。
「う・・・ぁ”あ”っ!!」
残されたのは、生まれて初めての敗北に、声にならない悲鳴を上げた一匹の黒狼・・・。
「あああああああ呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼ああ嗚呼嗚呼嗚呼ああ”ぁア阿ァっ!!」
この日、手負いの狼は復讐を誓った。
男の全てを喰らい尽くすために・・・。
首都近郊の山岳、
自身の回復した右腕とバルムンクを見て彼女は不敵な笑みを浮かべていた。
「あれから七年か・・・フフッ、愉しみだ・・・」
・・・男に焦がれ、狂った狼は動き出す。
銀色の月は狼を称えるかのように、ただただ輝いていた。
彼は以前として、大将であるアギトの命で共に戦場へと赴いていた。
戦場を駆けるたびに、彼等は多大な戦果を挙げ、魔王から幾つもの勲章を受け取っていた。
最早、魔界でアギトとファングの活躍を知らないものなどいない。
そして、魔物の誰もがファングの実力を認め、彼をただの人間だと罵る者はいなくなった。
むしろ、魔物よりも身体能力が劣るはずの人間にここまで戦果を上げられるものなのかと驚愕し、彼に尊敬の念を込める者まで出てくる始末だ。
ファングはこの時を待っていた。
魔物達が自分に気を許す瞬間を・・・。
時は来た・・・と彼は悟る。
あくる日・・・。
魔界に進行してきた教会の軍を根絶やしにしたアギト率いる討伐軍は、城へ帰還するために魔界の平原を駆け抜けていた。
今、アギト達のいる平原から魔王城までの距離は、馬で進行しても約三日は掛かる距離だ。
その日は兵士達が戦で疲労していることもあり、早めに天幕を張ることになった。
アギトはいつもならば、ファングと共に専用の天幕で身体を休めるはずなのだが、その日は教会軍から押収した物品や資料の整理をするため、早々と他の部下と共にその場を後にした。
残ったファングは、僅かだが自由な時間を手に入れて、とある人物がいる天幕へと赴く。
好機は今しかない・・・。
そう決心して・・・。
彼が辿り着いた場所は、魔王軍中将が待機している天幕だった。
「ファング・フェンリルだ・・・。ストロングホールド中将にお会い願いたいのだが・・・」
「かしこまりました。只今、用件を伝えて参りますので少々お待ちください」
天幕の番であるデュラハンにそう伝えると、彼女はすぐにファングの用件を取り入れてくれた。
「どうぞ中へ、ローズ様がお待ちです」
しばらくして、天幕から出てきた彼女はそう言うと、すぐに見張りの仕事へ戻る。
ファングは最初の頃に比べて、ずいぶんと自分への対応が変わったことに苦笑しつつも天幕の中へ入っていった。
綺麗に整頓された部屋の中心にあるソファーにゆっくりとくつろいでいる人物がファングの目に入った。
その髪は美しい黄金色をしていて、目はルビーの様に紅く輝いている。
艶やかな口元から見える鋭い犬歯はヴァンパイアの証・・・。
この女性こそローズ・フォン・ストロングホールド中将本人であった。
「珍しい客だ・・・。あの荒々しい狼の主人からどうやって逃げ出してきた?ファング殿」
不敵な笑みを浮かべながら、静かにティーカップをテーブルに置き、ローズ中将は口を開く。
その気品のある振る舞いはまさしく妖魔貴族といったところか・・・。
「教会軍から押収した品を血眼になって整理しているようだ。しばらくは天幕に戻れまい・・・」
「そうか、あの大将が貴方を放って置くなんて珍しい・・・。押収したものにそれほどのものが紛れ込んでいたということか・・・」
「さあな・・・なんでも、“神の武器”が紛れている可能性があるとかいっていたな・・・。何の話だか全く俺にはわからんが・・・」
ファングがそう答えると、ローズは口元に手を当てて少し考え込む素振りを見せた。
「神の武器か・・・。世迷いごとを・・・そんなもの、このミッドガルドに存在するわけが無い・・・」
「・・・?」
「なに、単なる御伽話だ・・・。で?貴方は何時までその仮面を被っているつもりかな。英雄ファング殿・・・」
ローズは押収品の話を切り上げると、ファングが被っている仮面に指をさす。
「人と面と向かって話をするときは、素顔を晒すものだ。誰かに教わらなかったのか?」
「失敬・・・この魔界に人などいないと思っていたからな・・・」
ファングはローズの言葉に、皮肉交じりにそう答えると、被っていた仮面を手に取り、ゆっくりと外す。
「で?用件は何だ・・・。わざわざ皮肉を言いに来たわけではあるまい・・・さっさと椅子に腰を掛けるがいい」
ローズの言葉のとおり、ファングは椅子に座り、ローズと向かい合うと、その重要な用件を語り始めた。
「ローズ中将・・・あんた・・・大将になりたくはないか?」
「大将・・・だと・・・。私がか?」
ファングが放った言葉に、ローズは怪訝な表情を見せて逆に問いかける。
「そうだ・・・それも近い将来に・・・」
「・・・どういうことだ?」
ますます怪訝な顔つきになったローズに、ファングは一息入れて言葉を紡いだ。
「俺がアギト・フェンリルを大将の座から落とすきっかけをつくってやる。アギトが大将から降格すれば、その座は実質中将であるあんたの物だ・・・」
「何を馬鹿な・・・」
アギトの親衛隊であるファングが堂々と主への反逆を目論んでいるその事実にローズは思わずそう口を開いていた。
しかし、ローズの反応をわかっていたかのように、ファングは何事も無かったかの様に話を続ける。
「気に食わないのだろう?アギトのことが・・・暴力と獣じみた考えで大将の座にのし上がったあの狼が・・・」
ファングの言うとおり、ローズはアギトの事を良く思っていない・・・。
弱者のことを考えない、力こそ全てと述べるアギトの野性的な考え方を、彼女は前々から批判していた。
しかし、戦場の戦果において、現在アギトに勝る者は魔王軍には誰も存在しない。
元帥ですら一対一の対決では、アギトに勝つ事は難しいだろう。
結果として、力が全てと呼ばれる魔王軍の中将であるローズは、苦々しくもアギトの命令に従うしかなかった。
このままでは、アギトが元帥に上り詰めるのも時間の問題である。
弱者達を気に掛けるローズとしては、完全実力主義のアギトが元帥になるのだけはなんとしても阻止したいのも確かであった。
だから、先ほどのファングの言葉にかなりの動揺が走ったことも否めない。
「どこでその話を?」
「飛び交う噂は様々だ・・・。金さえ払えば情報は買える」
済ました顔で、ファングは出された紅茶を啜る。
この男、かなりの情報を手にしている。
それを理解したローズはため息を吐き、隠しても仕方が無いとでもいうように言葉を紡いだ。
「確かに、アギト大将の弱肉強食的なやり方は気に食わない・・・。しかし、今の私には彼女に対応するすべが無い・・・。狼の本能で戦を掛ける彼女は凄まじすぎる・・・それは覆せない事実だ」
「だから、さっきから言っているだろう。俺がきっかけをつくってやると・・・」
「どうやってだ?確かに、貴方は相当な実力を持ってはいるが、あの狼に勝てるとは到底思えない・・・」
「俺もこの半年間黙って奴の下で戦っていたわけではない・・・。策は練ってある」
ファングから放たれた“策”という言葉に、ローズは反応を見せずには入られなかった。
「策だと?」
「そうだ・・・。だが、俺一人ではその策は実行できない。そこであんたの力を借りたい・・・」
「で・・・その力とは?」
ローズが話を急かすように促す。
ファングは、出された紅茶を一口すすり、閉ざしていた目を見開いてその問いに答えた。
「魔界の闇市へのルートを紹介して欲しい・・・」
「闇市・・・か、何か欲しいものがあるのか?」
「“エレメントアイテム”だ・・・」
ファングが口にした“エレメントアイテム”とは、その名の通り、精霊の加護が宿ったアイテムの事だ。
このミッドガルドには、それぞれ火、水、土、風の精霊・・・“エレメンタル”が存在する。
物体を保つ事が殆ど無い彼等(あるいは彼女等)の姿を確認する事は非常に難しい。
しかし、極稀にエレメンタルはその身体の一部や持ち物を物体にして、出現した場所に落としていく事がある。
それにはエレメンタルの強力な魔力が秘められており、手に入れた者はその道具を媒体として魔力を扱う事が出来る。
精霊から供給された魔力は極僅かなものなので使用制限はあるが、魔力の無い者でもその力を使う事が出来るため、一部の人々には非常に重宝されているアイテムだ。
現に入手することは大変困難なため、闇市場で高額で取引される事も多い。
ファングはこのエレメントアイテムを使って、アギトに一矢報いる事を考えていた。
「エレメントアイテムか・・・また、入手するのが困難な・・・」
「金なら陛下から貰った報酬がある・・・。俺の手持ちがある限り、いくら積んでもかまわない。どうにかして手に入れることはできないか?」
「わかった・・・。確かに、貴方の実力であればエレメントアイテムを駆使してあのアギトを打ち倒す事が出来るかもしれない・・・闇市を通して、どうにかして手に入れて見せよう。入手次第、使いの者に届けさせる」
「ご協力、感謝する。わかっていると思うが、くれぐれもこの話は内密かつ円滑に進めてくれ」
「勿論だ・・・。将官クラスへの反逆は重罪だからな・・・。貴方も尻尾を掴まれないように気をつけることだ」
話を終えたファングが席を立った瞬間、ローズは最後に気になっていた疑問を彼にぶつけた。
「最後に・・・。せっかく英雄になれたとうのに何故、アギトを倒す事にそこまで執着する?彼女を打つという事は魔王軍全てを敵に回すということだぞ?」
「理由か・・・そんなこと決まっている。“最強という名の自由”を手に入れる為だ」
ファングはそう言葉を残してローズのいる天幕を後にした。
「“最強という名の自由”か・・・それを求めている時点で“強さに囚われている”と気づかないのは滑稽なことだな・・・名も無き侍よ・・・」
ローズは紅茶を一口啜ると、誰もいなくなった天幕の中で、一人そう呟いた。
それから一月後、ローズの計らいでエレメントアイテムを手にしたファングは
魔王城の屋上でアギトが来るのを待っていた。
「やあ、ファング。会いたかったよ。今日は仕事も早く片付いた事だし、久々にプライベートに勤しむ事が出来そうだ・・・。それで、大事な話があるんだって?」
アギトは屋上に辿り着き、ファングの姿を確認すると、すぐさま彼に歩み寄り、言葉を投げかけてきた。
「ああ、俺も会いたいと思っていたところだ。伝えたい事があってな・・・アギトよ・・・」
ファングはアギトにそう答えると、手に持っていた仮面を放り投げ、太刀でそれを叩き切る。
「今日でこの仮面を被るのは最後だ。ファング・フェンリルの名は返上させて貰う」
アギトはその言葉に衝撃を受け、目を見開く。
そして、その意味を理解した途端、長い黒髪をざわつかせ、麗しい切れ長の瞳を怒りに燃やした。
「やれやれ・・・君はそこまでしてこの私に逆らいたいのかい?本当に浅はかだよ」
「浅はかかどうか、試してみるといい。将軍殿」
ファングは挑発するように、アギトに向かって口を開く。
「また、その呼び名で呼ぶのか・・・。本当にキツイお仕置きが必要だね・・・。痛いだろうけど我慢するんだよ?」
その瞬間、アギトが獣の如き俊敏さで、ファングに襲い掛かってきた。
ファングはあたかも予想していたかのように太刀を抜くと、そのまま刃を切り上げる。
金属音が野外に響き渡り太刀と大剣が鍔迫り合った。
「っ・・・やはり、速いな」
「流石だね・・・君くらいだよ。私の動きに反応できるのは・・・」
外気を通る屋上の風が魔王軍の旗を煽る。
それと同時に、二人・・・否・・・“二匹”の獣は激しく剣を打ち合った。
一撃!二撃!三撃!四撃!
火花を散らしながら刃を打ち合う。
その様は文字通り“乱舞”。
“牙”を持った二匹の獣が、互いの生死を掛けて舞い続ける。
その踊りは、どちらかの牙が折れない限り終わらない。
暫く打ち合っていたが、やがてファングは太刀の耐久性を危惧して、一旦アギトから距離を取とろうとする。
「逃がさないよ!」
アギトはそれを読んで、勝負を決めようと、上から剣を振り落とした。
しかし、落とした剣に手ごたえは無い。
感じたのは肉を絶つ音ではなく、屋上に吹いた一陣の風と石を壊す音。
アギトの剣はファングに当たることなく、石畳で作られた床を削っていた。
何故か・・・答えは明白だ。
避けられたのだ。
あり得ない動きをされて。
確実に仕留めたと思った相手は、自分より遥かに離れた所で、体制を整えていた。
「やはり生身のままではお前の力を上回る事は出来ないか・・・」
「・・・今、なにをした」
何が起こったかわからない様子のアギトに、ファングは太刀を鞘に収めながら会話を続ける。
「お前の実力はわかっていた。身体能力では俺はお前を上回ることは出来ない・・・だから、その差を埋めるためにある物を用意した」
「あるものだと?」
「これだ」
ファングはそう言った瞬間、まるで、疾風のような速度で抜刀し、吹き抜ける風と共にアギトへ斬りかかった。
「なっ!?」
辛うじて、身体を逸らすがアギトはその一撃を避ける事が出来ずに右腕に致命傷を喰らってしまう。
本来なら腕を両断されている所だが、魔物特有の強力な身体のおかげで刃が肉と骨を完全に断ち切る事は無かった。
初めて、身体に致命傷を負ったアギトは驚きのあまりに目を見開くしかできない。
紅い鮮血が、己の右腕を染めていく。
彼女はあまりの激痛に大剣を落とし、思わず傷口を押さえていた。
「“シルフの羽”・・・。悪いがこれを使わせてもらった」
「エレメントアイテム!?何時の間に・・・そんなものを・・・!」
いつもの優雅な表情から一変し、忌々しげにファングを睨み付けながらアギトが口を開く。
「卑怯な・・・!」
「卑怯か・・・貴様は何時死ぬかわからない戦場でも同じ事を言うつもりか?」
「・・・・っ!!」
力が全てのこの世界・・・ファングの言う事は間違ってはいない。
だからこそ、彼は剣を持てない彼女に止めを刺すことをやめた。
それは、自分を殺さずに捕虜としてそばに置いた彼女への情けでもあり、報いでもある。
剣を持てない者が、魔王軍の将校の座に居続ける事などありえない。
最早、決着はついた。
ファングは太刀を鞘に戻し、アギトに向けて再び口を開く。
「その腕の致命傷では大剣を持って戦場を駆ける事などできまい・・・。お前はその自我の強さに慢心し、傲慢になったが故、周りに敵をつくりすぎた・・・」
牙を失った狼に、最早戦う術は無い。
無常にも、彼は宣言する。
「お前が俺を飼っていて後悔するのは、過去でも未来でもない・・・他ならぬ今だ!」
「・・・・!!」
ファング・・・否、“名無しの侍”が放ったその言葉に、今まで無敗だったアギトの誇りはボロボロに砕け散った。
「勝敗は決した・・・先ほど伝えた通り、ファング・フェンリルの名前は返上させてもらう・・・ではな・・・」
敗者にもう用は無い。
男は屋上から飛び降りると、シルフの羽を使い、強風と共に魔王城を後にした。
「う・・・ぁ”あ”っ!!」
残されたのは、生まれて初めての敗北に、声にならない悲鳴を上げた一匹の黒狼・・・。
「あああああああ呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼ああ嗚呼嗚呼嗚呼ああ”ぁア阿ァっ!!」
この日、手負いの狼は復讐を誓った。
男の全てを喰らい尽くすために・・・。
首都近郊の山岳、
自身の回復した右腕とバルムンクを見て彼女は不敵な笑みを浮かべていた。
「あれから七年か・・・フフッ、愉しみだ・・・」
・・・男に焦がれ、狂った狼は動き出す。
銀色の月は狼を称えるかのように、ただただ輝いていた。
13/04/08 10:54更新 / ポン太
戻る
次へ