連載小説
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ファング・フェンリル 中編
名無しの男がアギト・フェンリルに捕虜として捕まってから三日目の朝・・・。

ベッドの上にアギトの姿は無く、男の両手両足に繋がれた鎖は外されていた。

シーツの隅に目をやると、前に着ていたものよりも遥かに上等な麻で出来た黒い着物が綺麗に畳んで置かれている。

男はすぐさま起き上がり、その着物を手に取ると、部屋の辺りを見渡した。

「やあ、やっと起きたんだね・・・」

突如耳に入ってきた凛とした声に、彼は気だるそうに振り向く、

「おはよう、ファング。昨日まで激しく動きすぎたせいで腰が少し痛いよ・・・君の調子はどうだい?」

その言葉は昨夜まで続けられた男に対する陵辱の事を指しているのだろう。
アギトは笑みを浮かべながら、腰に手を当ててそう答えた。

「・・・発情した犬にたかられ続けたからな。多少調子が悪い」

男は、すぐさま冷めた目でアギトを見ると皮肉を言いあてる。

「フフッ、ならばその犬に隅々まで喰われてよがり狂った君はさしずめ卑しい猿といったところじゃないのかい?」

「・・・・・・」

絶えず微笑を浮かべながら、皮肉に皮肉で返すアギトに対して、男は無言で着物に袖を通した。

「これから君には、魔王様にあってもらうよ。私の護衛役として相応しいかどうかその目で確かめたいんだってさ」

「貴様の護衛だと?」

アギトから出た護衛役という言葉に、男は訝しげな声を上げる。

彼には話が全く見えていない様子だった。

「ここに君が居座る理由として、与えられる最も正当な役職だよ。魔王様の許可が下りれば、今日から君は晴れてこの魔王軍大将アギト・フェンリルの護衛役になれるんだ・・・私の下で働くならば、ある程度の自由は保障する。悪い話じゃないだろう?」

「別にそんなものに志願した覚えはないが・・・」

「断る事なんて許さないよ?君は私に負けているんだ、それならば男らしく武士として、私に忠義を尽くすべきではないのかい?」

ざわり、と場の空気が一転する。

アギトが発する圧倒的威圧感が、この広い部屋をあっという間に飲み込んでしまった。

「・・・承知した。将軍殿」

しばらく、引かずに睨み合っていた双方であったが、やがて、男は諦めたかのようにため息をつくと、一言彼女に向かってそう答えていた。

「よろしい、ちなみに私のことは将軍等ではなく、“アギト”と名前で呼ぶ事を特別に許そう。でも、言葉遣いは気を使うようにね?“ファング”」

「・・・承知いたしました。“将軍殿”」

はっきりと、その耳に突きつけるように、男・・・アギトから名前と寵愛を受けた侍“ファング”はそう答える。

最初から彼女を名前で呼ぶ事など考えていない、呼びたいとも思っていないのだろう。

彼女から与えられた“ファング”という名前すらも、今すぐ捨てたくて仕方がない。

しかし、ファングはチャンスを窺うことにしたのだ。

この性悪な雌犬に一矢報いる。

それが、敗北し、陵辱を受け、捕虜にされた彼が立てた・・・誓いであった。

「・・・私の言葉が理解できない悪い子には後でお仕置きが必要だね・・・。今日の夜は安眠出来ると思わない事だよ」

ファングの答えに、不満を感じたアギトは、刺々しくそう言うと部屋の扉に手を掛けた。

「それじゃ、行こうか。魔王様のもとへ・・・」







アギトに案内を受けたファングは、城の大広間へと案内される、大理石を削って作られた何本もの大きな柱が長く続く紅い絨毯を挟むように聳え立ち、この城を威風堂々と支えている。

その絨毯の先に、魔王と呼ばれる者が玉座に腰を掛けていた。


「陛下・・・捕虜を連れてまいりました」


「・・・!?」


ファングは魔王の姿を見て、困惑した。


なぜならば、魔王のその様は、想像していたのとは遥かにかけ離れた姿だったからだ。


派手に胸元が開いた漆黒のドレスを身に纏った麗わしい黒髪の女性・・・魔王は女だった。


その証拠に、アギトに深々と頭を下げられ、敬意を払われている。


魔王といえば、醜悪な魔物たちを統べる悪の親玉。

てっきり筋骨隆々な強面の男を想像していたファングは、そのギャップに目を丸くするしかなかった。


「・・・魔王に性別は関係ないわ。貴方ね・・・アギトが“飼いたい”という人間は・・・」


まるでファングの思っていた言葉を見透かしたかの様に、魔王が口を開く。


「陛下・・・!“飼う”のではありません、私の護衛役として引入れたいのです」


舐め回すような視線をファングへ向けて、あざ笑う魔王に対して、若干語尾を荒げて、アギトはそう答える。

「あら、そんなに怒らなくてもいいじゃない・・・。“飼う”のも“懐柔する”のも同じでしょう?」

しかし、そんなアギトの言葉も意に介さないように、再びファングに視線を送り、悪気も無く彼女はそう言い放った。


「さっきから聞いていれば“飼う”だの“懐柔”だの・・・いい加減に言葉遣いを強制させる必要がありますね・・・」


「あら?出来るかしら・・・大将の貴女如きに、魔王である私を躾けることが?」


更に乱雑な単語を並べる魔王に、眼光を鋭くしたアギトが食って掛る。

しかし、魔王はその気迫に動じず、玉座からアギトを見下して挑戦的な態度を返した。


どうやら、この二人・・・同族といえどもかなり不仲なようだ。


「飼うのだろうが、懐柔だろうがどうでもいい、早く話を進めろ・・・」


自分の境遇など、どうでもいい。

そんなことを思いながら、痺れを切らしたファングは口を挟んだ。

「ずいぶん、口が達者な人間ね・・・。まあ、そう言っていられるのも今のうちよ」

魔王がパチリと指を鳴らすと、先ほどアギトとファングが通った巨大な入り口の扉が再び開かれる。

そして、うなり声を上げながら、巨大な獣達が数体程、広間の中へ入ってきた。

同時に扉の傍らにいた家来らしき騎士が、ファングに向かって、乱暴に得物を投げつける。


得物はファングがアギトに捕まった時に取り上げられていた刀だった。


刀は宙を三回ほど舞うと、金属音を立てながら、ファングの足元へと転がり落ちる。


「もし、ここで生きたければお前の実力を示しなさい」

魔王がそう答えると同時に、血に飢えた獣達が、牙を剥き出しにしてファングに襲い掛かってきた。

すぐさま彼は、身を翻し、床を転がり刀を手に取ると飛び掛ってきた獣に向かい寝転んだ体制で刃を立てる。

大口を開けて飛び掛った四足歩行の獣は、リーチの長い刃を文字通り深々と喰らい、喉から身体の奥までを串刺しにされた。

まず、一匹目。

さらにファングはそこから、寝たままの状態で刃が刺さった獣の身体を蹴り、刃を引き抜く。

次は起き上がり様に後ろを振り向くと同時に、反動で切り上げた刃を後方から迫ってきた獣に浴びせた。

切り上げを受けた獣の身体は見事斜めに両断され血飛沫を上げる。

これで、二匹目。

最後にその様子を見ていた三匹目の獣は、大量の返り血を浴び、仁王立ちするファングの姿に恐れを抱いたが、仲間の敵打ちのつもりだろうか、咆哮を上げると、我を忘れた猪のように突っ込んできた。

鋭い鉤爪を振り上げファングを切り裂こうとするが、すぐさま単調な攻撃は見切らた。

彼は獣の爪と爪の間に刃の切っ先を這わせ、腕を立てに両断する。

そして、痛みに悶え、両断された右腕を押さえて、叫ぶ獣に無情にも上段から一太刀浴びせ、その命を絶たせた。

三匹目・・・。

最後に、ファングは絶命して崩れ落ちる獣の後ろに見えた、玉座に向かって刀を投げつける。

「!?」

太刀は、どすりと音を立てて、魔王の顔から一寸ほどしか離れていない背もたれに突き刺さった。

びん!と、突き刺さった振動で刃が振るえる。

魔王は驚くことも恐怖することもなく、その刃に映った己の顔を見みやる。

そして、男の実力に満足したのか、それとも捕虜という状況でも自分に刃を向けたその屈強な意志に感服したのか、その美しい白刃に映った自分の顔を見て、僅かだが、クスリと不適に笑みを浮かべた。


「悪いな、返り血で手が滑った」


ファングはそう魔王に一言告げると、後ろを振り返り扉に向かって歩き出した。

「ファング!!」

アギトがその後姿に向かって声を上げるが、魔王はそれを手で制した。

「陛下?」

「構わないわ・・・。貴方が連れてきたあの男・・・確かに面白そうね・・・捕虜になっても、私たちに恐怖を抱かないあの刃のような心・・・気に入ったわ・・・」

「・・・ご無礼をお許しください」

仮にも、主に無礼を働いたファングの行いを替わりに謝罪する為に、アギトは滅多に下げない頭を深々とおろした。


「フフッ・・・あの捕虜のことは貴方に任せるわ・・・。しっかりと手綱を握っていることね・・・」


そう答えると、魔王は悠然と立ち上がり、玉座を後にする。

その家来達もファングの行動に、驚きながらざわめきつつも、大広間を後にした。


辺りに静寂が訪れる・・・。


残ったのは血に塗れた絨毯と獣の死体・・・。

「・・・くくっ・・・ククククク!・・・あーはっはっはっはっはっはっはぁーーーー!」

訪れた静寂を切り裂くようにアギトは高笑いする。

己の中で生まれた英雄を称えるように・・・。
 
 
「素晴らしいよ、ファング・・・。主ですら惚れ込ませるとは、それでこそ私の僕に相応しい!」

紅く染まった大理石の床の上で、狂ったように一人の女騎士が高笑いを続けた。








次の日、周りから様々な批判を強引に押し切ったアギトは、ある条件を提示することにより、ファングを捕虜からアギト・フェンリル直属の側近として迎え入れることを魔王と元帥に約束させた。


その条件とは即ち、魔界に攻め寄ろうと、強行を続けている教会軍の討伐である。








「ほら、君の武器だ。受け取りなよ」

がちゃり、と音を立てて、ファングの足元に刀が転がった。

「・・・何の真似だ?」

アギトのその様子を見て、すぐさまソファーに腰を掛けていた彼は訝しげに答える。

「先日君が起こした暴挙・・・。魔王様はああ言っていたけど、元帥は君の事を歓迎していないみたいだったからね・・・ある条件を出して説得したよ」

「条件だと?」

「そう、それはね・・・これから攻め入ってくる教会軍の討伐さ。私と君が前線に赴いて奴等を蹴散らしてくれば、君は晴れて私の従者だ」

「なるほどな・・・。仲間になりたければ同族を殺せ・・・か・・・」


「裏切るのが怖いかい?」


「はっ!馬鹿を言え、そもそも、俺は教会の仲間になった覚えは無い。そこのところを履き違えるな!」


「なら何も問題ないね」


ファングの答えに、アギトは無邪気で残酷な笑みを浮かべた。


「・・・一つ条件がある」


「ん?なんだい?」


「俺の顔に合う仮面を用意しろ・・・その仮面を被っている時のみ・・・貴様の言うことを聞いてやる・・・」


「お安い御用だよ。それで私の言うことを聞いてくれるならね。仮面ね・・・素顔は隠せても“中”までは隠せないよ?ファング」


「勘違いするな・・・教会の奴等に素顔を知られたく無くて掛けるのではない。お前の前で掛けるからこそ意味があるのだ・・・」


「なるほどね・・・私の前でかけるために付けるということか・・・本当に君は捻くれてるね」

アギトはそう答えるとファングの顎を指で持ち上げ、深い接吻を交わした。

「これはじっくり調教していかないとね・・・」


そして、獣のように美しい躯体をしならせ、ファングに覆いかぶさった。

押し倒されたファングは、ただ虚空を見るように、アギトの後ろに見える、銀色の月を見つめていた。


「今日も君を貰おうか・・・」


そして、獣は愛欲に走る。






教会の強行軍討伐当日、アギトはファングと共に、己の持て余す武力を全力に振るい、戦場を駆け巡った。


ファングは、己を敗ったアギトが言うままに戦場に繰り出し、ひたすら向かってくる敵を斬り続ける。

教会の雇われ兵だったファングだが、雇い主である教会を裏切ることに未練など微塵も無い。


元々、勝てるわけの無い戦場に向かわされていたのだ。


自分のことをただの捨て駒だと思っている教会の何処に義を貫く必要があろうか・・・?


答えは“否”。


『俺を扱えるのはあの狼だけだ・・・いずれ超えて見せるがな・・・』


そう彼は深く心に思い、今・・・アギトの下にいる瞬間のみを、自ら“ファング・フェンリル”と名乗った。


そして、教会の強行軍を殲滅させて魔王城に戻る頃・・・。


“ファング・フェンリル”は魔界で“アギト・フェンリル”と共に英雄として崇められる存在となる。


それは、この世界で初めて人間が魔族に認められた瞬間であった。





12/09/19 21:55更新 / ポン太
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■作者メッセージ
久々の更新、過去編次で最後です。

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