ソーダゼリー
「……坊主。飯、できたぞ。」
「……」
少年は一言も発しないまま、出された食事をただ口に運ぶ。
食べ終わったら、そのまま何もせず、ただぼーっと縁側で空を見上げる。
それだけで、何もしない。動くことも、学校にすら、行っていない。
半年前から、ずっとこの状態である。
「…坊主。もう夜だ。さっさと入れ。」
「……」
「…風邪引くぞ。」
半年前、少年の両親が交通事故で亡くなり、残された彼は親戚中をたらいまわしにされた後、最後に残った遠い親戚である一人暮らしの老人に引き取られた。
それから今まで、ずっとこのままだった。
(まったく、厄介なのを拾ってしまった…)
老人は、半年前からそう思い続けていた。
そもそも何故、自分はあんな気まぐれを起こしてしまったのだろうか。
歯車やぜんまい仕掛けとばかり向き合っていた、人嫌いの偏屈者と親族や近所でも有名なこの自分が。
あの子を可哀相だと思った?馬鹿げている。
ならば何故…
(…嗚呼、やめだやめだ。過去の事を考えてたって一文の得にもならん。)
それよりも今は、あの拾い者をどうしたものか考えなくてはならない。
引退までに機械技師の仕事でかなり稼いだため、金については困っていない。
だが、自分はもう年だ。あんな人形みたいな状態のガキを、自分が死ぬまで面倒見続けなければならないなんて、考えただけでもゾッとする。
しかるべき施設に入れるにしたって、そう簡単にはいかないだろう。
なんとかあの子供を自力でものを考えられる程度には回復させなければ、どうあっても自分が迷惑をこうむる事になってしまう。
…とはいえ、自分に子供の心を開く方法など分かるはずもなく、頼れる人間などもいない。
どうすればいいのやらと途方に暮れかけていると…
『モンスターズ・ミラクル・マーケット!!』
「…あん?」
点けたはずの無いテレビの音が、となりの居間から聞こえる。
まさかあの子が?いや、そんなはずは無い。テレビが映っていたら見はするが、その電源すら自分で点けようとはしない状態なのだ。
「おい、坊主…いない?」
居間を見回すが、誰もいない。やはりあの子はまだ寝ているようだ。
無人の部屋でテレビが点くなんて…?
老人が首をかしげている間に、番組は続き、商品を紹介し始めた。
『今回ご紹介する商品は、この『ソーダゼリー』!
お子様に大人気の商品です。爽やかで優しい甘味に加え、心を癒す効果も…』
「テレビが壊れたか?リモコンリモコン…」
しかし老人は、映っている番組にはさして興味を示さない。
通販などに興味は無いし、司会が異様なほど美人だとしても、すでに性欲など枯れている。
『だから何だ?』と思うくらいだ。
リモコンやテレビ本体の電源を何度も押しても電源が切れない事にイライラするばかり。
「くそっ、こうなったらコンセントを…」
『……。もう。
さあ、「ご覧ください。」見た目にも美しいでしょう?』
「…!?」
興味など無かったのに、老人は急にテレビから目を離せなくなってしまった。
聞こえる音声も、耳から頭の中に、強制的に染み込んでくるような感覚がする。
「いったい…なんだ?これは…」
まるで超常現象だ。何をしたんだ?この番組は。いや、この女は…
『人嫌いな貴方も、動機がどうあれ、子供をなんとかしたいとお考えの貴方にも。
この商品が、きっとお役に立てるはずです。』
司会の言葉が、自分ひとりに向けて語られているような気分だ。
まさか。これはテレビ番組のはずだろう?もっと大衆向けの言葉を使うべきでは?
『どうせ打つ手が無いならば、ワラを掴んでみませんか?』
「う…うるさいッ!何なんだお前は!?」
知らず、彼はテレビに向かって叫んでいた。傍から見ればバカみたいな姿だ。
『我々はただ、心を閉ざした、ひとりの小さな子を助けたいだけ。
皆様が悲劇を吹き飛ばし、各々の幸せな物語へ向かうお手伝いをさせて頂きたいのです。』
テレビの向こうの司会と、目を合わせているような気がした。
非現実的なまでに美しい見た目もそうだが、その目には、他人を否応無しに吸い寄せるような“何か”がある。
この女は…人間…では、ない、のか?
そんな存在がいるわけが…いや、そうだとすれば、こんな芸当も…
「くううッ……よくも分からんおかしなモノが、あの坊主を助けられるというのか!?」
『大丈夫です。私達は、すべての人間を愛している。
あの子にぬくもりを与える事は、きっと出来る。…貴方が力を貸してくれれば。』
自分が力を貸せば…
老人はしばらく考え込んだ後、ゆっくり口を開いた。
「…仕方ない。本当にやれるんだろうな?」
『ええ。『恋するゼリー』にお任せください!』
どこまでも美しい顔に浮かんだ表情は、真剣で自信のあるものだった。
「…買ってしまった。が…どこからどう見ても、ただのゼリーだな…。」
未だに、狸に化かされたような気分だった。
思い返してみれば、あんな出来事、到底現実のものとは思えない。
同じ人間ですら信用できないのに、どうしてアレを信じようなどと思ってしまったのか。
「…まったく、年のせいですっかり頭が鈍ってしまったもんだ。」
あってないような出費だし、これをあの子にやって、何もなければそのまま忘れよう。
老人は大きな溜息をひとつつくと、少年に与えた部屋に向かった。
両親を失ったあの日、少年の心には、大きな大きな穴が開いた。
機械に大穴が開けば動かなくなってしまうように、彼の心は今、ほとんど機能停止に陥っているのだ。
何を言われても心に届いたわけではなく、体だけが、外部からの刺激に反応して動いている。
「…坊主。…買った。食ってみろ。」
「……」
彼を引き取った老人からゼリーのカップとスプーンを受け取ったが、これも自発的にやったわけではない。『そう言われたから、そう動いている』だけだ。
老人が部屋を閉じた後、彼はカップのフタを剥がす。何も言わずに置かれただけでは、手をつけることも無かっただろう。
そんな状態から自然に治癒することを待つならば、途方も無い時間がかかる。
もっと早く治すとすれば…
「……!?」
フタを開けた瞬間、水瓶を倒したかのように青色の物体があふれ出す。
まったく予想外の光景に、彼は、忘れていた『驚き』を一時的に取り戻した。
「ん〜…あなたが、わたしの、おムコさんなノー?」
先ほどまでただのゼリーだと思っていた物が、ひとりでに動く。喋る。
それどころか、小さな容器に収まっていたはずの質量が、等身大の豊満な女性のような形へと変わりつつある。
その衝撃は、彼の心の残った部分を一時的に再稼動させるほどの刺激だった。
「…ぁ……」
「あれぇ。あなた、まだちいちゃいネー。かわイー…」
うにょうにょとにじり寄り、顔を覗き込む青い女。
「わたしはネー、『ネムラ』っていうノー。あなたの、おなまえハー?」
「ぇ…ぅ…」
質問をされるも、言葉が出てこない。
声の出し方を忘れてしまったのか、質問に答えられるほどの心が無かったのか。
ただその場にへたり込んでいるだけだった。
「こわがんなくたっていいんだヨー。わたしと、きもちいいコトしなイー?」
「……」
もう少年は、口を閉ざしていた。心が再稼動していた時間は、本当に一時的なもののようだった。
「…しゃべれないノー?」
「……」
もはや反応しない。
「もしかしてあなた、なにか、つらいコトあっター…?」
反応しない。…だが、少年の虚ろな顔を見て、女は察した。
彼女の種族は単純にして、素直で無垢…しかしそれゆえか、不思議なほどに他人の心の機微を読み取ることに長けていた。
「わたし、わからないけど…ぎゅーって、してあげるネー。」
ヒトの心を癒す効果的な方法など、彼女は知らないし分からない。
しかし彼女は、目の前の少年に必要なものはわかる。
彼女はその全身で、少年をそっと抱きしめた。その身体は、ほのかに温かかった。
「こわくないヨー。」
数分、数十分と、抱きしめるだけで、何もしない。
人体よりもはるかに柔らかいぬくもりが体を包み、安心感を誘う。
「……」
相変わらず少年は言葉を発しない。
しかし、能面のように固まっていた顔は、少しだけ穏やかなものになっている気がした。
「…あれ、ねちゃっター?」
どれだけの時間が経っただろうか。
いつしか少年は、静かな寝息を立てていた。
その様子を見て、彼女は少年の境遇を思い、言い知れぬ悲しみを覚えた。
「…まもって、あげないトー…」
と、そこに、老人が戸を開けて入ってきた。
「おい坊主。飯だ…!?」
「!……おじいさん、だレー?」
「…こっちが聞きたい。何者だお前は!?その坊主をどうするつもり…」
声を荒げる老人に、彼女は口に立てた指を当てるジェスチャーをした。
「しー、だヨー。このこが、おきちゃうヨー…。」
老人が見れば、これまで見たことがないほど穏やかな顔で熟睡している少年がいた。
「…。寝てる、のか。これはお前が?」
「ンー。こわがらないよう、ぎゅーってしてあげてたら、そのままねちゃったみたイー。」
「…そうか。」
それだけ言って、踵を返す老人。
「…そいつが起きたら、色々と話してもらうぞ。」
「いいヨー。
…あ、そうダー。わたしのおなまえ、ネムラ。このこの、おなまえハー?」
「…『西秋 手須人(さいしゅう てすと)』という。」
「ありがトー、おじいさンー。」
「俺は『古伊勢 代(ふるいせ だい)』だ。」
それだけ言って戸を閉めたのを見送ると、彼女は再び、じっと少年を抱きしめ続けた。
「そう、だったんダー…。」
「ああ。…正直、俺も扱いに困っていたところだ。」
あの少年に起こった事を詳しく老人の口から聞き、ショックを受けるネムラ。
「今でも信じられんが…テレビの中の女に『力を貸す』と言われてな。それでお前を買ったってワケだ。」
「そうなんダー…。
…うん、それじゃあわたしが、テストくんの、おねえちゃんになってあげルー!」
「…正直心配だが…俺じゃ無理だ。任せる。」
「まかせテー!」
自信満々で胸を張ったネムラ。その勢いで、水風船のような双丘も弾む。
外見は大人のようだが、頭の中は子供だな。と老人は思った。
そしてその日から、少年の日常には変化が訪れた。
何も思わず、思えず、ぼんやりと周囲を眺める代わりに、ネムラに抱き包まれるという日課が入ってきたのだ。
ただ何もせず、大きな胸と温かな体に包まれ、ふんわりと甘え、愛される。
それだけでよかった。
単純な行為だが、よほどの優しさを持った大人でなければ、こうしてひたすら愛を与え続けるという行為は中々出来るものではない。
この行為だけが、少年の心の大穴を、少しずつ、少しずつ、埋めていくことができた。
「おじいさンー。たな、おそうじできたヨー。」
「ああ。…よく働くな。お前。」
少年を抱きしめていない間は、家事を手伝って過ごす。
頭は決してよくないので、料理、掃除、洗濯と、はじめは失敗することもよくあったが、必要な知識を瞬く間に吸収し、十数日後には、老人にも重宝がられるほどになってきた。
口には出さないが、いつの間にか、疑り深い性格の老人も、ネムラのことを少しずつ信頼するようになっていった。
「きょうも、いっしょにねようネー。」
夜は少年と共に布団に入り、少年を全身で包み込みながら、寝付くまでゆっくり頭を撫でたり、子守唄を歌ったりする。
一般的に、魔物の本能のおもむくままに行動する単純な生き物とされるスライムだが、目の前の格好の獲物であるはずの少年に対しては何もせず、ただ静かに寄り添うだけだった。
食べ物も、少年と同じものと、少年の汗や垢などの老廃物しか摂取していない。
少年がまだ未精通だから、というだけではない。彼女は単純な魔物だが、それ以前に、ちゃんとした心を持つ「ヒト」であるのだ。
心に傷を負った子供をさらに傷つけうるマネなど出来はしない。
「でも、これぐらいは、ネー…。」
眠る少年の唇に、そっと自らの唇を合わせる。
「ふふ…はやく、げんきになってくれるといいナー。」
歳相応、よりも少し幼げな寝顔を眺めながら、ネムラは未来の事に想いを馳せつつ、普段は見せない『魔物』の顔で笑うのだった。
一月が過ぎる。
老人と少年とスライムの日常は、この三人だけで完結し、閉じていた。
少年はただ抱かれて眠るだけの単調な日々を過ごしていたが、その心は、目には見えなくとも少しずつ確実に改善しつつあった。
そしてある日。ネムラの献身が実ったのだろうか。
「おはヨー♪きのうも、ぐっすりねむれてたネー。」
「……」
「ちょっとサムくなってきたケド、だいじょうぶだヨー。
こうして、あっためてあげるかラー。」
「……ぇぅ…」
「!?」
「…ネ…ム、ラ…」
「…!!」
半年以上も声を出していなかったため、うまく喋れないようだったが、ネムラは少年が自分の名前を呼ぶのを、確かに聞いた。
「しゃべって、くれた、ネー…!」
「…うん…」
「うれしいヨー…♪そうだ。おじいさんにもおしえてあげないトー!
おじいさんも、テストくんのコト、しんぱいしてるんだヨー。ナイショだけドー。」
「しん、ぱい…」
「あっ、でも、テストくんはしんぱいしなくていいからネー。
それよりも、きょうのゴハンは、おいしいモノいっぱいつくってあげるヨー♪」
ようやく見えた光に、ネムラは嬉々として少年を抱きしめた。
そしてこの日から、事態は一気に好転しはじめたのだった。
少しずつだが、少年の口数は増え始め、実はやや苦手だった老人との会話も、積極的に行うようになってきた。そして学校にもようやく通いだし、何か思うところがあったのか、勉強にも積極的に取り組み始めた。
だが…
「………ッ……」
「おかえリー……!?……どうしたノー?」
ある日学校から帰って来た少年の顔は、今にも泣き出しそうに歪んでいた。
「…ほかの、やつらに…親がいない、って、バカに、されて…っ…」
「…ひどいヨー…!」
少年が心を閉め切るほどに辛かったのを知っているネムラは憤りを覚える。
相手の事情を知らなければどこまでも残酷になれてしまうのが、人間という生き物なのだ。
「おいで…おねえちゃんが、なぐさめてあげるネー。」
これまでのように、ネムラはただ少年を抱きしめる事しかできなかった。
胸に飛び込み、それまでの心の傷をも押し流すかのように、ひたすら大声で泣きじゃくる。
青い体に染み込んでくるその涙は、ネムラの味覚には、とても苦く、辛いものに感じた。
どうしてこの子ばかりが…
知らず、彼女の目にも涙が溢れる。
そこに、ただならぬ雰囲気を感じた老人がやって来た。
「…どうした。」
「…このこが、ガッコウでネー…」
老人は「やはりか」といった苦々しげな顔で歯噛みする。
そして珍しく、泣く少年の傍らにしゃがみこみ、その頭を撫で始めた。
「ふぐっ…ふぇっ?」
「坊主。泣いていい。泣くだけ泣け。
…だが、落ち着いたら、平気な顔で学校へ行くんだ。
そいつらだって、同じ立場なら、必ずお前と同じ思いをする。
それくらいの想像も出来ないような馬鹿な奴らに、いちいち構っている必要なんてない。」
「おじいさンー…?」
「お前もだ、ネムラ。こんな思いをさせるくらいなら、もう学校になど行かせない…
などと、馬鹿なことを思っていたんじゃあないのか?
こんな事で坊主を逃がしていては、坊主をいじめていた奴らに負ける事になるぞ。」
いつになく饒舌になる老人。
彼の口からこんな言葉が出るなど、二人は思いもよらなかった。
「まける…」
「ああ、そうだ。お前は、その辺の奴らには想像出来ないような辛い目に遭っても、今それを乗り越えようとしている。
乗り越えられれば、同い年の誰よりも強い奴になれるはずなんだ。
なのにこんな所で、ただの悪ガキに負けていいはずが無い。」
「…うん。」
「おじいさンー…。」
「お前らはまだ子供だ。泣くななんて言わん。
泣くだけ泣け。最後まで泣ききって、嫌なことを全部吐き捨てるんだ。」
老人が見守る中、二人は大きな声で泣き続けた。
老人に、悲しみや悔しさを吹き飛ばすような気の聞いた言葉を言う能力は無い。だからせめて、二人が思い切り泣くことを許した。
どんなに辛くても、泣くことすら許されなかった自身の少年時代を思い返しながら、
老人はただ、二人を見守り続けた。
その夜。
二人はいつものように同じ布団の中で、寄り添いながら眠る…はずであった。
「テストくンー。」
「なに?」
「きょうは、えらかったネー。」
「…泣いてた、のに?」
「そうだヨー。
だって、いじめられても、シカエシとかしなかったでショー?」
「…うん。」
「おこっても、ダレかをたたいたりしないのは、なかないコトよりえらいコトなんだヨー。
だから…おねえちゃんが、えらかったテストくんに、ごほうびをあげルー♪」
「ごほうび…って、寝る前に?」
「そう。ほかのダレにも、みせてもしゃべってもダメな、ヒミツのコト。
おじいさんにもヒミツのコトが、いまからしてあげるごほうびなんダー。」
「…そんなごほうびなんて、あるの?」
「あるんだヨー。わたしたちにとっては、セカイいちステキなごほうびなノー。
いまからしてあげるから、ズボンとパンツ、ぬいでみテー?」
少年は訝しがりながらも、信頼しているネムラの言うとおり、下半身をさらけ出す。
無論、今からする行為は、魔物娘がもっとも好むそれである。
少年が纏うごく僅かな精の香りが、最近、急激に強くなってきたのを、ネムラの魔物の嗅覚は敏感に察知していた。それはすなわち、少年の肉体が“雄”として機能しはじめたという証である。
ネムラは少年が心を取り戻す日だけでなく、この日の事も待ち望んでいたのだった。
「…脱いだ、よ。」
「うんうん♪それじゃ、ごほうび、してあげるからネー…♪」
小動物の赤ちゃんを思わせる、少年の弱弱しく頼りなさげな男性器。
それをしばらくの間、鼻先が触れそうなほど間近で見つめる。
少年がこれから何をされるのかと不安になり始めた頃、ネムラはやおら口を開き、目の前の小さなものに吸い付いた。
「ひっ…っ!?」
はじめに感じたのは、クリームのような柔らかさ。続いて火傷しそうな熱さがぬめりつき、外皮にぴったりと張り付いて、軽く締め上げられる。
人生初の感覚がいくつも一気に走りぬけ、それを脳が理解する暇さえないまま、少年の性器は小さな果実のようにぷっくりと勃起した。
「はぁっ…あっ、いっ…!?」
頂点のその先まで薄皮が覆う先端の穴から、皮の内側へと侵入し、
敏感な中身を撫で上げながら、皮との間にこびりつく恥垢を剥がし、味わう。
「そっ、そんなっ、きたないよ…」
「そんなコトないヨー。かわいいし、おいしいヨー♪」
遠慮無しに、神経の塊である表面をぞろりと撫で上げられ、少年の先端からは、痛みと紙一重と言っていいほど強力な刺激が脳に伝えられる。さらに同時に、スライムは針の穴のように細い鈴口にさえ進入し、尿道の浅い部分をちゅぷちゅぷ抜き差しするのだからたまらない。
少年の体が生涯の最初に作りだし、体内で渦巻いていた精は、始まってから十秒と経たない内に精巣から飛び出し、皮の管を通ってネムラの口中へ吸い込まれた。
「んっ…ちゅぅ…ン〜〜…♪」
生涯ではじめて味わう精の甘露に、感動して身を震わせるネムラ。
先端から吸い出した精は、半透明な頭部の中で白い玉となり、飴玉を口中で転がすようにあちこちへ移動しながら、ゆっくりと吸収され、小さく溶け消えていった。
白い精の玉が完全に無くなると、少年のペニスから口を離す。
「ちゅぽっ…ふふ、どうだっター?」
「…よ、よく、わかんなかった。
なんか、足の付け根の辺りがキューッてして…」
「きもちよかったでショー?」
「これが…気持ちいいって、事、なのかな…?」
悪い気分ではなかったが、いまいちピンと来ていない少年。そんな初心な様子を、ネムラはたまらなく可愛らしいと思った。
「そうだヨー。でも、これでおしまいじゃないノー。」
「ま…まだ、なんかするの…?」
すこし怖がりながらも逃げ出さないのは、拒絶して捨てられたくないという恐怖ではなく、ネムラへの信頼からだろうか。
少年の不安そうな顔に、ネムラは微笑んで、蒼く透き通った柔らかい乳房を押し付ける。
「ほーら、わたしのおっぱい、すってみテー?」
「え…!?」
有無を言わさずむにゅむにゅと乳房を押し付け、少年の顔の形に歪ませる。
普段はつるりと丸いだけの形状だが、いまや頂点には、固く大きめな乳首も出来ている。
相手があまりにヒトと違う存在であるためか、それとも毎日抱かれているためかは分からないが、少年は失念していた。
目の前にあるそれは、小さな子供だろうと、すぐに『女』を認識できるモノなのである。
そんな女性の象徴的部位が自分の眼前にあるという事を、少年はネムラに言われてようやく理解し、目覚めたばかりの雄の本能がそれに反応し、まだ成長し始めてすらいないペニスを再び立ち上げた。
「や、やだよ。恥ずかしい…」
「ねるときも、おきがえも、おふろも、ずっといっしょだったのニー?
ココにはわたししかいないんだから、はずかしがるコトなんてないんだヨー♪」
「……ッ」
少年は意を決したようにぎゅっと目をつぶると、大きく口を開け、ネムラの乳首をぱくりとくわえ込んだ。
「あフッ♪」
少し遠慮がちにちゅるちゅると乳首を吸い上げると、少年の口には、プルプルとした半液体状の甘みが流れ込んできた。
ほのかにライムのような清涼な風味が香る、爽やかだがどこか優しく懐かしい甘味。
気泡の弾ける感触は無いが、気の抜けた炭酸飲料のようなクドさも、市販の「ソーダ味」を謳うお菓子のようなケミカルな癖もない。
極上のソーダ味を伴ったネムラのスライムゼリーが、ゼリー飲料のように砕けた液体状になって、乳首から噴き出しているのだ。
「んくっ……んっ、んっ…」
最初は戸惑ったものの、スライムゼリーの味と、大切なネムラの淫靡な姿、そしてゼリーに含まれるほんの少しの興奮作用によって、すっかり魅了されてしまった少年は、息継ぎするのも忘れて一心不乱に乳首を吸い上げ、味わい続けていた。
「あかちゃん、みたいだネー…♪」
ネムラは、自身の擬似的な乳首から、射精のようにゼリーが噴き出す快感を楽しみながら、幸せそうな、愛おしそうな笑みを浮かべつつ、乳を吸う少年の頭を、ゆっくり、ゆっくりと、より深く、より深くへと、自分の乳房にめり込ませ始めた。
「ぜーんぶ、つつんであげるからネー♪」
やがて少年の頭は、ネムラの乳房の中に、完全に埋め込まれてしまった。
未だネムラのゼリーを吸いだすことに夢中になっていたため、少年はそれに気付かない。
鼻も塞がっているのだが、ネムラが酸素を供給しており、苦しくもない。
…そしてネムラは、そのまま、ずぶずぶと少年の全身を体の中に収めてしまった。
「こんどは、もっと、もーっときもちいいコト、おしえてあげルー…」
少年を飲み込んだまま、ゆっくり、赤ん坊をあやすように体を揺らすネムラ。
ネムラの中、少年の肌と触れ合っている部分は、いまや全身が、膣内のような無数の襞を形作っていた。その状態で体を揺するという事は、中にいる少年は、全身を魔性の襞でペニスのように撫でこすられるという事である。
(んんんん…!?)
全身の皮膚という皮膚を攻め立てる、ぷつぷつでぬらりとした感覚に、ようやく異変に気付いてまぶたを開いた少年。しかし、少年は顔を離せなかった。指の一本すら動かせなかった。
視界を覆う綺麗な青色は、自分が今、ネムラの中にいることを否応にも理解させた。
(…それなら…いいや…。)
理解すると、少年はそのまま何もせず、再び目を閉じて、ゼリーを吸い始めた。
全身を抱き包むこのぬくもりは、いつものネムラの腕の中のぬくもり。これまでずっと自分の心を癒し、守ってくれたぬくもりと変わらなかったからだ。
「あんしんして、くれてるんだ。うれシー…♪」
ネムラも、少年の信頼に報いるために、ついにペニスへの責めを開始した。
先ほどのように皮と亀頭の間に入り込むと、優しく皮を引っ張り、少年の本体を外に出す。
剥きたてで傷口のように敏感なそこを、小鳥の頭を指で撫でる様に、あくまで優しく、いたわるように擦ってやる。
それだけでも少年にとっては大きな快感となり、小さな肉棒はぴくぴくと痙攣する。
やがて亀頭の鋭い感覚に少年が少し慣れてくると、こんどは同時に裏筋を撫ではじめる。腰を優しく揺らして全体を気持ちのいい感覚に包みながら、次は側面を擦り、睾丸、蟻の門渡り、さらには前立腺まで、少しずつ範囲を広げながら攻め立てていった。
それはまるで、少年に『快楽』というものがどういうものなのか教えているようであった。
「ぅぅぅ…」
「また、しろいのがでそうでショー?たくさん、ぴゅるぴゅるって、だしてみテー。
きっと、わすれられないくらい、きもちいいかラー♪」
体とペニスを攻め立てられ、まだ幼い体に蓄積されつづけた快楽は、ついに再び限界を迎えようとしていた。
そして最後に、これまでのおさらいとでも言うのか、それまで攻めていた箇所全てを、本気で攻め立てぬく。
「だいスキだよ…テストくンー…!」
絶頂のさらにその先へ、一気に押し込もうとするような爆発的な快楽が襲い、少年はあまりの感覚に声にならない絶叫をあげながら、おびただしい量の精液を放出した。
一回目とは比べ物にならないほど濃く、どこにそんなに入っていたのかと思うほど多い。
「ふぁぁっ…す、すごいィー……ァァァァ…!!」
そんな射精を全身で受け止めたネムラもまた大きな絶頂を迎え、スライムの身体は弛緩し、こぼした水のようにだらしなく布団の上に広がった。
もう互いに、一言も出てこない。
そのままの状態で、二人は幸せな眠りの中に落ちていくのだった。
ネムラの間にひとつの秘め事が生まれたその日から、少年の心はまた少し成長した。
いじめてくるクラスメイトの事も、老人に言われたとおり、無視できるようになり始めた。
どんな言葉をかけられても、ただ落ち着いた心で受け流すようにしていると、次第にそうした心無い声は減ってゆき、代わって、仲のいい友達が増えてきた。
そして家に帰れば、その日の頑張りをネムラに伝え、変幻自在の気持ちいい『ごほうび』を受け取る。世の普通の子供とは大きく形が違うが、幸福に満たされた生活だった。
そんな日々が、一年、二年、三年…と続き、少年の肉体も、少しずつ大人に近付く。
背が伸び、筋肉がつき、ついでに男性器も、同年代の誰にも負けないほど立派になっていった。日々魔物の魔力に晒されているために、肉体が魔物にも近付きつつあるのだ。
両親の思い出や悪夢を夢の中で思い返し、涙で枕やネムラを濡らす事も、今は無い。
もはや少年は、両親の死の衝撃と悲しみから立ち直り、代わりにネムラと老人の愛情を一身に受け、心身ともに、立派な大人となっていた。
ネムラもまた、そんな彼を、姉として、恋人として献身的にサポートし続ける。
あまり頭はよくなかったものの、ただ抱きしめる以外に青年に対して出来ることを必死に模索し、そのためのどんな知識も積極的に吸収していった。かつて老人に「子供のようだ」と言われたネムラは、いまや心も、一人前の女性へと、青年のパートナーへと成長していた。
…しかしある日、大学受験を乗り切った青年とネムラに、ついに彼らにとって最後の試練が降りかかることとなる。
「じいちゃん…じいちゃんッ!!」
「おじいさん、しっかりしテー…!」
ある意味唐突に、あるいは来るべき時が来たかのように老人は倒れ、たちまち床から起き上がる事もできない状態になってしまった。
青年は老人に病院へ入るように薦めたが、老人は拒否し、自身が青年とネムラと暮らしたこの家を、終の棲家とすることを選んだ。ネムラもまた、この家の中で、老人を最後まで世話をすることを選んだ。それに従い、青年も、自分に出来る限りの事をすると決めた。
それも今、終わりを迎えようとしている。
「じいちゃん、死なないでくれよ…!まだ僕には、じいちゃんが…」
「無茶を言うんじゃあ…ない。
人間は…な、歳を食っていようが…いまいが、どこかで…死ぬんだ。歳食ってる俺が…死ぬなんて、当たり前の、こと…だ。引き延ばしたって…つらい…だけだ。
むしろ…嬉しい、ぐらいだ。頭がボケきる前に、逝けるんだから…な。」
「おじいさん…何か、わたしたちにできること、あルー?」
「もう…全部、やってくれた…さ。」
老人の命が減ってゆく。青年とネムラが握る骨ばった手から、力が抜けてゆく。
もはや呼吸すら億劫な様子だったが、老人は喋り続ける。
「うっ…ぐ、さ…最期に…言っておく。一番、大事な事だ…。
お前ら…このまま、一緒になるつもりだろう?」
「!…おじいさん、知ってたの?わたしとテストくんのこトー…」
「当たり前…だ、馬鹿。俺の家で…好き放題、しやがっ、て。
…まあ、それはこの際…いい。
お前らの間に…子供ができるかは…分からんが、
もしお前らが…親に…なるなら、一緒にうちの、地下の物置…の、壁を…調べろ。」
「壁…?」
「いいか、それまでは…調べるんじゃあ、ない。他人にも…言うな…わかったな?」
「…わかった、約束する。」
「やくそく、するヨー…!」
「…ああ。…これで、言いたいことは…全部、だ。」
老人のまぶたが、重そうに閉じられていく。
「ふぅーっ…。苦しいことは苦しいが…なかなか、いい、気分だ。
…あの世なんて信じてなかったが…今なら、お前の両親のとこに行けそうな気もする。」
「じい、ちゃん…ッ!!」
「もし会ったら…お前らの事を…教えといて、やる。
じゃあな…二人とも。」
最期にひとつ、ふぅーっ…と息を吐き…そしてそのまま、吸われる事は無かった。
「…!!」
「おじいさン!!」
安らかな寝顔のようなその最期の表情を見つめながら、青年はネムラと二人、かつて学校でいじめられたあの日のように、一晩中泣き続けていた。
あの日老人が言ったように、ふたりは泣くだけ泣き続け…
そしてこの涙を以って、『子供』であった時代に、別れを告げたのである。
「ぱぱ。ここ、だれのおうちー?」
「ここはね。僕とママの、大切なおじいさんが住んでいた家なんだ。」
「そしてきょうから、わたし達のおうちになるのヨ♪」
「おうち…!すごい!ぱぱ、まま、すごい!!」
老人の死から、10年の歳月が流れていた。
老人の葬儀は青年とネムラだけで密やかに執り行われ、遺骨は、この家を見下ろせる丘の上の墓地に葬られた。
…しかし、すべてが終わってから青年が目の当たりにしたのは、老人の遺産をめぐる、名も知らぬ親族達の争いであった。
「…あんまり、凄くはないさ。なにせ、一度はこの家を他人に取られちゃったんだから。」
「でもこうして、アナタが取りもどしたでショ?すごいよ、テストくんハ。
…ほんとに、強くなったネ。」
老人が相当な金を溜め込んでいたらしいという噂を聞きつけた者達の汚い手段により、青年は老人の家を追われてしまった。
汚い大人たちの手から、青年はただ、ネムラの存在を隠し、守ることしか出来なかった。
家中を荒らし回って遺産を探した者達は、結局、ごく僅かな金しか見つけることが出来ずに離れていったが、家は土地と共に売りに出され、青年の手には戻らなかった。
二人の心の中には、怒りと悔しさと悲しみが満ち溢れたが、二人はそれを必死にこらえ、老人の家を取り戻すべく、悪い大人たちに対抗する手段を求めた。
青年は法律関係の大学に入ったわけではなかったが、昼夜問わず必死に法律の勉強をした。
ネムラもパートナーとして青年を生活面でしっかり支え続け、その果てに、青年はついに司法試験に合格し、弁護士の資格を取ることに成功した。
しっかりとした収入と、知識という武器を得て、青年はようやく、目の前の老人の家を取り戻すに至ったのである。
そしてその間に、青年には、ネムラによく似た可愛らしいスライムの子供を授かっていた。
老人との約束を果たす時が、ついにやって来たのだ。
「さあ、新しい家をしばらく探検してきなさい。でも、危ないことはダメだよ。
僕らはちょっと、やらなきゃいけない事があるんだ。」
「やらなきゃ、いけないこと?」
「そうヨ。…パパとママはね、この家に、忘れ物をしてきちゃったノ。」
「もの置きのカベって言ってたけど…どこを調べればいいのかナ?」
「…まあ、簡単に見つかると思うよ。…これだけ物がなければ。」
老人がいた頃はゴチャゴチャとしていた地下の物置も、家が奪われた際に金目のものは売られ、そうでない物もあらかた処分されてしまい、すっかり寂しいものになっていた。
見回しても、空になった棚と、打ちっぱなしのコンクリート壁しか見えない。
壁をしばらく眺め回していると…やがて青年は、壁に等間隔に開いた穴のひとつが、奇妙な形状をしていることに気付いた。
「ここだけ…深い穴になってる?」
穴は曲がりくねっていて先がどうなっているのか分からず、指を入れてみても、底には当たらないほど深い。
…そういえば老人は、「一緒に調べろ」と言っていた。もしかすると…
「…ネムラ。ちょっと、この穴に入って中を調べてくれないか?」
「うン!」
ネムラはその不定形の体で、深い穴の奥にするりと入っていった。その先端に視覚をつけているために、中の把握も簡単に出来る。
「んー…。一番おくに、なんかヘンなしかけがあるヨー。」
「仕掛け?」
「うン。ひもとボタンがあル。ちょっといじってみるネ。」
そしてネムラは仕掛けをいじり始めた…が、しばらく経っても、特に変化は無い。
「う〜ん、どうすればいいのかナ…。こうして、こうして…あレ?」
「ゆっくりでいいよ、がんばれ!」
「うん、がんばル!」
知識は多いが、頭そのものはよくないため、何度も何度も試行錯誤する。
だが、青年の応援もあって、ネムラは諦めない。試行錯誤し、何十分もかけた後に…
「あ、わかっタ!
このボタンを押しながら、上のボタンを押さないように、ひもを引っぱれバ…!」
すると突然機械の作動する金属音が鳴り響き、コンクリートの壁の一部が四角く分かれてスライドし、床に引っ込んだ。
そして、その先にあったものは…
「なに、このピカピカ…」
「き…金塊…!?」
隠し扉の先の小部屋に置かれていたのは、TVや漫画などのフィクションでしかお目にかかれないはずの、ずっしりと佇む純金の延べ棒であった。
「これが…おじいさんノ…」
そして、その金の延べ棒の前には、『手須人とネムラへ』と書かれた一通の封筒が添えられていた。
二人は金より先にその封筒に手を伸ばし、開封して、中の手紙を読んだ。
──────────────────────────────
手須人とネムラへ
驚いたか?
この部屋は、俺が若い頃に読んだ小説に出てきた「隠し扉」ってやつを、今はもうこの世にはいないが、俺の数少ない友達だった左官屋に協力してもらって作ってみたものだ。
この手紙を見たという事は、今もお前らが一緒にいて、この扉を開けたという事だろう。
俺はこの部屋に入るための鍵になる特殊な棒を持っていたが、これを隠した後に処分した。
これでこの扉は、ネムラみたいな人間じゃない奴にしか開けられなくなるという寸法だ。
ちなみに、もし何かの拍子にこの部屋の事を知った奴が壁を壊しやがったら、上にある家の下敷きになるような細工がしてある。まさかネムラじゃ分からないからって、壊したりしてないだろうな?まあ、万一そうなってもネムラなら助けられそうだが。
…じじいの自慢話なんて面白くも無いだろうから、本題に入るぞ。
この世の中には、隙あらば他人の物を掠め取ろうとするような連中がうじゃうじゃいる。お前らも、もしかしたら俺が死んだ後、俺の遺産を探そうとする馬鹿共に巻き込まれるかもしれない。そんな世界で、お前らみたいな優しい奴やよくわからん生き物が、大人の庇護も無い状態で暮らしていくのは非常に大変な事だろうと思う。
もう俺は死んだ後だろうから書いちまうが、お前らと一緒に暮らすうちに…俺はお前らの事を少しだが気に入ってきた。最初は厄介なガキ共だと思ってたんだがな。
だから、俺が稼いだ金を馬鹿共に取られるくらいなら、お前らとその子供にくれてやった方がずっとマシだと思って、こうして貯金を金に換えてこの部屋に置いておいた。
何かあった時、身を守るのに使え。
手須人。いつか言ったように、お前はその辺の奴らには想像も出来ないほどの辛い目に遭っても、それを乗り越えた。誰よりも強い奴になれたはずだ。それを忘れるな。
ネムラ。正直、お前の頭の弱さは今でも少し心配だが、お前は見事に手須人を立ち直らせてみせた。あの時お前を買って正解だった。これからも、手須人と子供を守ってやってくれ。
お前らは強く優しい奴らだ。俺は家族として大した事は出来なかったが、言わせてほしい。
お前らの子供の未来のためにも、何があっても負けるな。離れ離れになったりするなよ。
じゃあな。
古伊勢 代
──────────────────────────────
「じいちゃん…!!」
「…ッ…うっ…ふぅぅ…うえぇぇ…!!」
老人の素直な気持ちが書かれた手紙を読み終えると、二人は、こみ上げてくる熱い涙を止める事が出来なくなってしまった。
子供みたいに泣きじゃくるのは、あれで最後にしようと思ったのに。
『家を取りもどしてよかった』という言葉だけでは表現できない、抑えきれない感情が溢れ出した二人は、老人の手紙を握り締め、しばし子供に戻って、また泣くだけ泣いた。
力や生活を手に入れても、自分達はまだまだ、ちっぽけな子供だったのだ。
「…ぱぱ?まま?どうしてないてるの?」
家の探検を終えた娘が、泣いている二人を見つけ、心配そうに傍に寄る。
「どこか、いたいいたいしたの?」
「…いや、違うんだ。痛かったり辛くて泣いてるわけじゃないんだ。」
「…ごめんネ。しんぱい、させちゃったネ。
ママたちは、いま、幸せだから、泣いてるんだヨ。だから、だいじょうブ。」
二人は肩を組み、この可愛らしく純粋な娘を、それぞれの手でかき抱く。
「…二人とも。いま、幸せかい?」
「…うん。アナタに会えたときから、ずっと、幸せだヨ。」
「わたしも!ぱぱとままにあえたときから、ずーっと、しあわせ!」
「ありがとう…二人とも。僕も、幸せだ。
…ずっと一緒だよ。何があっても。」
「…うん。ずっと、ずーっと、一緒にいようネ♪」
世の中は、人は、魔物は、そして未来は、これからどのように変わっていくのだろうか。
そして自分たち家族を取り巻く環境は、一体どうなっていくのだろうか。
先の事を知る事は出来ないが、彼らはこの時を以って、ひとつの誓いを立てた。
「未来に何があったとしても、自分たち家族は、決して離れ離れになったりしない」
この先どんな不幸が待ち受けていようとも、たとえ死が訪れたとしても、彼らはいつまでも共にいることだろう。
この不思議な運命を辿った家族の未来に、多くの幸せがあらんことを。
「……」
少年は一言も発しないまま、出された食事をただ口に運ぶ。
食べ終わったら、そのまま何もせず、ただぼーっと縁側で空を見上げる。
それだけで、何もしない。動くことも、学校にすら、行っていない。
半年前から、ずっとこの状態である。
「…坊主。もう夜だ。さっさと入れ。」
「……」
「…風邪引くぞ。」
半年前、少年の両親が交通事故で亡くなり、残された彼は親戚中をたらいまわしにされた後、最後に残った遠い親戚である一人暮らしの老人に引き取られた。
それから今まで、ずっとこのままだった。
(まったく、厄介なのを拾ってしまった…)
老人は、半年前からそう思い続けていた。
そもそも何故、自分はあんな気まぐれを起こしてしまったのだろうか。
歯車やぜんまい仕掛けとばかり向き合っていた、人嫌いの偏屈者と親族や近所でも有名なこの自分が。
あの子を可哀相だと思った?馬鹿げている。
ならば何故…
(…嗚呼、やめだやめだ。過去の事を考えてたって一文の得にもならん。)
それよりも今は、あの拾い者をどうしたものか考えなくてはならない。
引退までに機械技師の仕事でかなり稼いだため、金については困っていない。
だが、自分はもう年だ。あんな人形みたいな状態のガキを、自分が死ぬまで面倒見続けなければならないなんて、考えただけでもゾッとする。
しかるべき施設に入れるにしたって、そう簡単にはいかないだろう。
なんとかあの子供を自力でものを考えられる程度には回復させなければ、どうあっても自分が迷惑をこうむる事になってしまう。
…とはいえ、自分に子供の心を開く方法など分かるはずもなく、頼れる人間などもいない。
どうすればいいのやらと途方に暮れかけていると…
『モンスターズ・ミラクル・マーケット!!』
「…あん?」
点けたはずの無いテレビの音が、となりの居間から聞こえる。
まさかあの子が?いや、そんなはずは無い。テレビが映っていたら見はするが、その電源すら自分で点けようとはしない状態なのだ。
「おい、坊主…いない?」
居間を見回すが、誰もいない。やはりあの子はまだ寝ているようだ。
無人の部屋でテレビが点くなんて…?
老人が首をかしげている間に、番組は続き、商品を紹介し始めた。
『今回ご紹介する商品は、この『ソーダゼリー』!
お子様に大人気の商品です。爽やかで優しい甘味に加え、心を癒す効果も…』
「テレビが壊れたか?リモコンリモコン…」
しかし老人は、映っている番組にはさして興味を示さない。
通販などに興味は無いし、司会が異様なほど美人だとしても、すでに性欲など枯れている。
『だから何だ?』と思うくらいだ。
リモコンやテレビ本体の電源を何度も押しても電源が切れない事にイライラするばかり。
「くそっ、こうなったらコンセントを…」
『……。もう。
さあ、「ご覧ください。」見た目にも美しいでしょう?』
「…!?」
興味など無かったのに、老人は急にテレビから目を離せなくなってしまった。
聞こえる音声も、耳から頭の中に、強制的に染み込んでくるような感覚がする。
「いったい…なんだ?これは…」
まるで超常現象だ。何をしたんだ?この番組は。いや、この女は…
『人嫌いな貴方も、動機がどうあれ、子供をなんとかしたいとお考えの貴方にも。
この商品が、きっとお役に立てるはずです。』
司会の言葉が、自分ひとりに向けて語られているような気分だ。
まさか。これはテレビ番組のはずだろう?もっと大衆向けの言葉を使うべきでは?
『どうせ打つ手が無いならば、ワラを掴んでみませんか?』
「う…うるさいッ!何なんだお前は!?」
知らず、彼はテレビに向かって叫んでいた。傍から見ればバカみたいな姿だ。
『我々はただ、心を閉ざした、ひとりの小さな子を助けたいだけ。
皆様が悲劇を吹き飛ばし、各々の幸せな物語へ向かうお手伝いをさせて頂きたいのです。』
テレビの向こうの司会と、目を合わせているような気がした。
非現実的なまでに美しい見た目もそうだが、その目には、他人を否応無しに吸い寄せるような“何か”がある。
この女は…人間…では、ない、のか?
そんな存在がいるわけが…いや、そうだとすれば、こんな芸当も…
「くううッ……よくも分からんおかしなモノが、あの坊主を助けられるというのか!?」
『大丈夫です。私達は、すべての人間を愛している。
あの子にぬくもりを与える事は、きっと出来る。…貴方が力を貸してくれれば。』
自分が力を貸せば…
老人はしばらく考え込んだ後、ゆっくり口を開いた。
「…仕方ない。本当にやれるんだろうな?」
『ええ。『恋するゼリー』にお任せください!』
どこまでも美しい顔に浮かんだ表情は、真剣で自信のあるものだった。
「…買ってしまった。が…どこからどう見ても、ただのゼリーだな…。」
未だに、狸に化かされたような気分だった。
思い返してみれば、あんな出来事、到底現実のものとは思えない。
同じ人間ですら信用できないのに、どうしてアレを信じようなどと思ってしまったのか。
「…まったく、年のせいですっかり頭が鈍ってしまったもんだ。」
あってないような出費だし、これをあの子にやって、何もなければそのまま忘れよう。
老人は大きな溜息をひとつつくと、少年に与えた部屋に向かった。
両親を失ったあの日、少年の心には、大きな大きな穴が開いた。
機械に大穴が開けば動かなくなってしまうように、彼の心は今、ほとんど機能停止に陥っているのだ。
何を言われても心に届いたわけではなく、体だけが、外部からの刺激に反応して動いている。
「…坊主。…買った。食ってみろ。」
「……」
彼を引き取った老人からゼリーのカップとスプーンを受け取ったが、これも自発的にやったわけではない。『そう言われたから、そう動いている』だけだ。
老人が部屋を閉じた後、彼はカップのフタを剥がす。何も言わずに置かれただけでは、手をつけることも無かっただろう。
そんな状態から自然に治癒することを待つならば、途方も無い時間がかかる。
もっと早く治すとすれば…
「……!?」
フタを開けた瞬間、水瓶を倒したかのように青色の物体があふれ出す。
まったく予想外の光景に、彼は、忘れていた『驚き』を一時的に取り戻した。
「ん〜…あなたが、わたしの、おムコさんなノー?」
先ほどまでただのゼリーだと思っていた物が、ひとりでに動く。喋る。
それどころか、小さな容器に収まっていたはずの質量が、等身大の豊満な女性のような形へと変わりつつある。
その衝撃は、彼の心の残った部分を一時的に再稼動させるほどの刺激だった。
「…ぁ……」
「あれぇ。あなた、まだちいちゃいネー。かわイー…」
うにょうにょとにじり寄り、顔を覗き込む青い女。
「わたしはネー、『ネムラ』っていうノー。あなたの、おなまえハー?」
「ぇ…ぅ…」
質問をされるも、言葉が出てこない。
声の出し方を忘れてしまったのか、質問に答えられるほどの心が無かったのか。
ただその場にへたり込んでいるだけだった。
「こわがんなくたっていいんだヨー。わたしと、きもちいいコトしなイー?」
「……」
もう少年は、口を閉ざしていた。心が再稼動していた時間は、本当に一時的なもののようだった。
「…しゃべれないノー?」
「……」
もはや反応しない。
「もしかしてあなた、なにか、つらいコトあっター…?」
反応しない。…だが、少年の虚ろな顔を見て、女は察した。
彼女の種族は単純にして、素直で無垢…しかしそれゆえか、不思議なほどに他人の心の機微を読み取ることに長けていた。
「わたし、わからないけど…ぎゅーって、してあげるネー。」
ヒトの心を癒す効果的な方法など、彼女は知らないし分からない。
しかし彼女は、目の前の少年に必要なものはわかる。
彼女はその全身で、少年をそっと抱きしめた。その身体は、ほのかに温かかった。
「こわくないヨー。」
数分、数十分と、抱きしめるだけで、何もしない。
人体よりもはるかに柔らかいぬくもりが体を包み、安心感を誘う。
「……」
相変わらず少年は言葉を発しない。
しかし、能面のように固まっていた顔は、少しだけ穏やかなものになっている気がした。
「…あれ、ねちゃっター?」
どれだけの時間が経っただろうか。
いつしか少年は、静かな寝息を立てていた。
その様子を見て、彼女は少年の境遇を思い、言い知れぬ悲しみを覚えた。
「…まもって、あげないトー…」
と、そこに、老人が戸を開けて入ってきた。
「おい坊主。飯だ…!?」
「!……おじいさん、だレー?」
「…こっちが聞きたい。何者だお前は!?その坊主をどうするつもり…」
声を荒げる老人に、彼女は口に立てた指を当てるジェスチャーをした。
「しー、だヨー。このこが、おきちゃうヨー…。」
老人が見れば、これまで見たことがないほど穏やかな顔で熟睡している少年がいた。
「…。寝てる、のか。これはお前が?」
「ンー。こわがらないよう、ぎゅーってしてあげてたら、そのままねちゃったみたイー。」
「…そうか。」
それだけ言って、踵を返す老人。
「…そいつが起きたら、色々と話してもらうぞ。」
「いいヨー。
…あ、そうダー。わたしのおなまえ、ネムラ。このこの、おなまえハー?」
「…『西秋 手須人(さいしゅう てすと)』という。」
「ありがトー、おじいさンー。」
「俺は『古伊勢 代(ふるいせ だい)』だ。」
それだけ言って戸を閉めたのを見送ると、彼女は再び、じっと少年を抱きしめ続けた。
「そう、だったんダー…。」
「ああ。…正直、俺も扱いに困っていたところだ。」
あの少年に起こった事を詳しく老人の口から聞き、ショックを受けるネムラ。
「今でも信じられんが…テレビの中の女に『力を貸す』と言われてな。それでお前を買ったってワケだ。」
「そうなんダー…。
…うん、それじゃあわたしが、テストくんの、おねえちゃんになってあげルー!」
「…正直心配だが…俺じゃ無理だ。任せる。」
「まかせテー!」
自信満々で胸を張ったネムラ。その勢いで、水風船のような双丘も弾む。
外見は大人のようだが、頭の中は子供だな。と老人は思った。
そしてその日から、少年の日常には変化が訪れた。
何も思わず、思えず、ぼんやりと周囲を眺める代わりに、ネムラに抱き包まれるという日課が入ってきたのだ。
ただ何もせず、大きな胸と温かな体に包まれ、ふんわりと甘え、愛される。
それだけでよかった。
単純な行為だが、よほどの優しさを持った大人でなければ、こうしてひたすら愛を与え続けるという行為は中々出来るものではない。
この行為だけが、少年の心の大穴を、少しずつ、少しずつ、埋めていくことができた。
「おじいさンー。たな、おそうじできたヨー。」
「ああ。…よく働くな。お前。」
少年を抱きしめていない間は、家事を手伝って過ごす。
頭は決してよくないので、料理、掃除、洗濯と、はじめは失敗することもよくあったが、必要な知識を瞬く間に吸収し、十数日後には、老人にも重宝がられるほどになってきた。
口には出さないが、いつの間にか、疑り深い性格の老人も、ネムラのことを少しずつ信頼するようになっていった。
「きょうも、いっしょにねようネー。」
夜は少年と共に布団に入り、少年を全身で包み込みながら、寝付くまでゆっくり頭を撫でたり、子守唄を歌ったりする。
一般的に、魔物の本能のおもむくままに行動する単純な生き物とされるスライムだが、目の前の格好の獲物であるはずの少年に対しては何もせず、ただ静かに寄り添うだけだった。
食べ物も、少年と同じものと、少年の汗や垢などの老廃物しか摂取していない。
少年がまだ未精通だから、というだけではない。彼女は単純な魔物だが、それ以前に、ちゃんとした心を持つ「ヒト」であるのだ。
心に傷を負った子供をさらに傷つけうるマネなど出来はしない。
「でも、これぐらいは、ネー…。」
眠る少年の唇に、そっと自らの唇を合わせる。
「ふふ…はやく、げんきになってくれるといいナー。」
歳相応、よりも少し幼げな寝顔を眺めながら、ネムラは未来の事に想いを馳せつつ、普段は見せない『魔物』の顔で笑うのだった。
一月が過ぎる。
老人と少年とスライムの日常は、この三人だけで完結し、閉じていた。
少年はただ抱かれて眠るだけの単調な日々を過ごしていたが、その心は、目には見えなくとも少しずつ確実に改善しつつあった。
そしてある日。ネムラの献身が実ったのだろうか。
「おはヨー♪きのうも、ぐっすりねむれてたネー。」
「……」
「ちょっとサムくなってきたケド、だいじょうぶだヨー。
こうして、あっためてあげるかラー。」
「……ぇぅ…」
「!?」
「…ネ…ム、ラ…」
「…!!」
半年以上も声を出していなかったため、うまく喋れないようだったが、ネムラは少年が自分の名前を呼ぶのを、確かに聞いた。
「しゃべって、くれた、ネー…!」
「…うん…」
「うれしいヨー…♪そうだ。おじいさんにもおしえてあげないトー!
おじいさんも、テストくんのコト、しんぱいしてるんだヨー。ナイショだけドー。」
「しん、ぱい…」
「あっ、でも、テストくんはしんぱいしなくていいからネー。
それよりも、きょうのゴハンは、おいしいモノいっぱいつくってあげるヨー♪」
ようやく見えた光に、ネムラは嬉々として少年を抱きしめた。
そしてこの日から、事態は一気に好転しはじめたのだった。
少しずつだが、少年の口数は増え始め、実はやや苦手だった老人との会話も、積極的に行うようになってきた。そして学校にもようやく通いだし、何か思うところがあったのか、勉強にも積極的に取り組み始めた。
だが…
「………ッ……」
「おかえリー……!?……どうしたノー?」
ある日学校から帰って来た少年の顔は、今にも泣き出しそうに歪んでいた。
「…ほかの、やつらに…親がいない、って、バカに、されて…っ…」
「…ひどいヨー…!」
少年が心を閉め切るほどに辛かったのを知っているネムラは憤りを覚える。
相手の事情を知らなければどこまでも残酷になれてしまうのが、人間という生き物なのだ。
「おいで…おねえちゃんが、なぐさめてあげるネー。」
これまでのように、ネムラはただ少年を抱きしめる事しかできなかった。
胸に飛び込み、それまでの心の傷をも押し流すかのように、ひたすら大声で泣きじゃくる。
青い体に染み込んでくるその涙は、ネムラの味覚には、とても苦く、辛いものに感じた。
どうしてこの子ばかりが…
知らず、彼女の目にも涙が溢れる。
そこに、ただならぬ雰囲気を感じた老人がやって来た。
「…どうした。」
「…このこが、ガッコウでネー…」
老人は「やはりか」といった苦々しげな顔で歯噛みする。
そして珍しく、泣く少年の傍らにしゃがみこみ、その頭を撫で始めた。
「ふぐっ…ふぇっ?」
「坊主。泣いていい。泣くだけ泣け。
…だが、落ち着いたら、平気な顔で学校へ行くんだ。
そいつらだって、同じ立場なら、必ずお前と同じ思いをする。
それくらいの想像も出来ないような馬鹿な奴らに、いちいち構っている必要なんてない。」
「おじいさンー…?」
「お前もだ、ネムラ。こんな思いをさせるくらいなら、もう学校になど行かせない…
などと、馬鹿なことを思っていたんじゃあないのか?
こんな事で坊主を逃がしていては、坊主をいじめていた奴らに負ける事になるぞ。」
いつになく饒舌になる老人。
彼の口からこんな言葉が出るなど、二人は思いもよらなかった。
「まける…」
「ああ、そうだ。お前は、その辺の奴らには想像出来ないような辛い目に遭っても、今それを乗り越えようとしている。
乗り越えられれば、同い年の誰よりも強い奴になれるはずなんだ。
なのにこんな所で、ただの悪ガキに負けていいはずが無い。」
「…うん。」
「おじいさンー…。」
「お前らはまだ子供だ。泣くななんて言わん。
泣くだけ泣け。最後まで泣ききって、嫌なことを全部吐き捨てるんだ。」
老人が見守る中、二人は大きな声で泣き続けた。
老人に、悲しみや悔しさを吹き飛ばすような気の聞いた言葉を言う能力は無い。だからせめて、二人が思い切り泣くことを許した。
どんなに辛くても、泣くことすら許されなかった自身の少年時代を思い返しながら、
老人はただ、二人を見守り続けた。
その夜。
二人はいつものように同じ布団の中で、寄り添いながら眠る…はずであった。
「テストくンー。」
「なに?」
「きょうは、えらかったネー。」
「…泣いてた、のに?」
「そうだヨー。
だって、いじめられても、シカエシとかしなかったでショー?」
「…うん。」
「おこっても、ダレかをたたいたりしないのは、なかないコトよりえらいコトなんだヨー。
だから…おねえちゃんが、えらかったテストくんに、ごほうびをあげルー♪」
「ごほうび…って、寝る前に?」
「そう。ほかのダレにも、みせてもしゃべってもダメな、ヒミツのコト。
おじいさんにもヒミツのコトが、いまからしてあげるごほうびなんダー。」
「…そんなごほうびなんて、あるの?」
「あるんだヨー。わたしたちにとっては、セカイいちステキなごほうびなノー。
いまからしてあげるから、ズボンとパンツ、ぬいでみテー?」
少年は訝しがりながらも、信頼しているネムラの言うとおり、下半身をさらけ出す。
無論、今からする行為は、魔物娘がもっとも好むそれである。
少年が纏うごく僅かな精の香りが、最近、急激に強くなってきたのを、ネムラの魔物の嗅覚は敏感に察知していた。それはすなわち、少年の肉体が“雄”として機能しはじめたという証である。
ネムラは少年が心を取り戻す日だけでなく、この日の事も待ち望んでいたのだった。
「…脱いだ、よ。」
「うんうん♪それじゃ、ごほうび、してあげるからネー…♪」
小動物の赤ちゃんを思わせる、少年の弱弱しく頼りなさげな男性器。
それをしばらくの間、鼻先が触れそうなほど間近で見つめる。
少年がこれから何をされるのかと不安になり始めた頃、ネムラはやおら口を開き、目の前の小さなものに吸い付いた。
「ひっ…っ!?」
はじめに感じたのは、クリームのような柔らかさ。続いて火傷しそうな熱さがぬめりつき、外皮にぴったりと張り付いて、軽く締め上げられる。
人生初の感覚がいくつも一気に走りぬけ、それを脳が理解する暇さえないまま、少年の性器は小さな果実のようにぷっくりと勃起した。
「はぁっ…あっ、いっ…!?」
頂点のその先まで薄皮が覆う先端の穴から、皮の内側へと侵入し、
敏感な中身を撫で上げながら、皮との間にこびりつく恥垢を剥がし、味わう。
「そっ、そんなっ、きたないよ…」
「そんなコトないヨー。かわいいし、おいしいヨー♪」
遠慮無しに、神経の塊である表面をぞろりと撫で上げられ、少年の先端からは、痛みと紙一重と言っていいほど強力な刺激が脳に伝えられる。さらに同時に、スライムは針の穴のように細い鈴口にさえ進入し、尿道の浅い部分をちゅぷちゅぷ抜き差しするのだからたまらない。
少年の体が生涯の最初に作りだし、体内で渦巻いていた精は、始まってから十秒と経たない内に精巣から飛び出し、皮の管を通ってネムラの口中へ吸い込まれた。
「んっ…ちゅぅ…ン〜〜…♪」
生涯ではじめて味わう精の甘露に、感動して身を震わせるネムラ。
先端から吸い出した精は、半透明な頭部の中で白い玉となり、飴玉を口中で転がすようにあちこちへ移動しながら、ゆっくりと吸収され、小さく溶け消えていった。
白い精の玉が完全に無くなると、少年のペニスから口を離す。
「ちゅぽっ…ふふ、どうだっター?」
「…よ、よく、わかんなかった。
なんか、足の付け根の辺りがキューッてして…」
「きもちよかったでショー?」
「これが…気持ちいいって、事、なのかな…?」
悪い気分ではなかったが、いまいちピンと来ていない少年。そんな初心な様子を、ネムラはたまらなく可愛らしいと思った。
「そうだヨー。でも、これでおしまいじゃないノー。」
「ま…まだ、なんかするの…?」
すこし怖がりながらも逃げ出さないのは、拒絶して捨てられたくないという恐怖ではなく、ネムラへの信頼からだろうか。
少年の不安そうな顔に、ネムラは微笑んで、蒼く透き通った柔らかい乳房を押し付ける。
「ほーら、わたしのおっぱい、すってみテー?」
「え…!?」
有無を言わさずむにゅむにゅと乳房を押し付け、少年の顔の形に歪ませる。
普段はつるりと丸いだけの形状だが、いまや頂点には、固く大きめな乳首も出来ている。
相手があまりにヒトと違う存在であるためか、それとも毎日抱かれているためかは分からないが、少年は失念していた。
目の前にあるそれは、小さな子供だろうと、すぐに『女』を認識できるモノなのである。
そんな女性の象徴的部位が自分の眼前にあるという事を、少年はネムラに言われてようやく理解し、目覚めたばかりの雄の本能がそれに反応し、まだ成長し始めてすらいないペニスを再び立ち上げた。
「や、やだよ。恥ずかしい…」
「ねるときも、おきがえも、おふろも、ずっといっしょだったのニー?
ココにはわたししかいないんだから、はずかしがるコトなんてないんだヨー♪」
「……ッ」
少年は意を決したようにぎゅっと目をつぶると、大きく口を開け、ネムラの乳首をぱくりとくわえ込んだ。
「あフッ♪」
少し遠慮がちにちゅるちゅると乳首を吸い上げると、少年の口には、プルプルとした半液体状の甘みが流れ込んできた。
ほのかにライムのような清涼な風味が香る、爽やかだがどこか優しく懐かしい甘味。
気泡の弾ける感触は無いが、気の抜けた炭酸飲料のようなクドさも、市販の「ソーダ味」を謳うお菓子のようなケミカルな癖もない。
極上のソーダ味を伴ったネムラのスライムゼリーが、ゼリー飲料のように砕けた液体状になって、乳首から噴き出しているのだ。
「んくっ……んっ、んっ…」
最初は戸惑ったものの、スライムゼリーの味と、大切なネムラの淫靡な姿、そしてゼリーに含まれるほんの少しの興奮作用によって、すっかり魅了されてしまった少年は、息継ぎするのも忘れて一心不乱に乳首を吸い上げ、味わい続けていた。
「あかちゃん、みたいだネー…♪」
ネムラは、自身の擬似的な乳首から、射精のようにゼリーが噴き出す快感を楽しみながら、幸せそうな、愛おしそうな笑みを浮かべつつ、乳を吸う少年の頭を、ゆっくり、ゆっくりと、より深く、より深くへと、自分の乳房にめり込ませ始めた。
「ぜーんぶ、つつんであげるからネー♪」
やがて少年の頭は、ネムラの乳房の中に、完全に埋め込まれてしまった。
未だネムラのゼリーを吸いだすことに夢中になっていたため、少年はそれに気付かない。
鼻も塞がっているのだが、ネムラが酸素を供給しており、苦しくもない。
…そしてネムラは、そのまま、ずぶずぶと少年の全身を体の中に収めてしまった。
「こんどは、もっと、もーっときもちいいコト、おしえてあげルー…」
少年を飲み込んだまま、ゆっくり、赤ん坊をあやすように体を揺らすネムラ。
ネムラの中、少年の肌と触れ合っている部分は、いまや全身が、膣内のような無数の襞を形作っていた。その状態で体を揺するという事は、中にいる少年は、全身を魔性の襞でペニスのように撫でこすられるという事である。
(んんんん…!?)
全身の皮膚という皮膚を攻め立てる、ぷつぷつでぬらりとした感覚に、ようやく異変に気付いてまぶたを開いた少年。しかし、少年は顔を離せなかった。指の一本すら動かせなかった。
視界を覆う綺麗な青色は、自分が今、ネムラの中にいることを否応にも理解させた。
(…それなら…いいや…。)
理解すると、少年はそのまま何もせず、再び目を閉じて、ゼリーを吸い始めた。
全身を抱き包むこのぬくもりは、いつものネムラの腕の中のぬくもり。これまでずっと自分の心を癒し、守ってくれたぬくもりと変わらなかったからだ。
「あんしんして、くれてるんだ。うれシー…♪」
ネムラも、少年の信頼に報いるために、ついにペニスへの責めを開始した。
先ほどのように皮と亀頭の間に入り込むと、優しく皮を引っ張り、少年の本体を外に出す。
剥きたてで傷口のように敏感なそこを、小鳥の頭を指で撫でる様に、あくまで優しく、いたわるように擦ってやる。
それだけでも少年にとっては大きな快感となり、小さな肉棒はぴくぴくと痙攣する。
やがて亀頭の鋭い感覚に少年が少し慣れてくると、こんどは同時に裏筋を撫ではじめる。腰を優しく揺らして全体を気持ちのいい感覚に包みながら、次は側面を擦り、睾丸、蟻の門渡り、さらには前立腺まで、少しずつ範囲を広げながら攻め立てていった。
それはまるで、少年に『快楽』というものがどういうものなのか教えているようであった。
「ぅぅぅ…」
「また、しろいのがでそうでショー?たくさん、ぴゅるぴゅるって、だしてみテー。
きっと、わすれられないくらい、きもちいいかラー♪」
体とペニスを攻め立てられ、まだ幼い体に蓄積されつづけた快楽は、ついに再び限界を迎えようとしていた。
そして最後に、これまでのおさらいとでも言うのか、それまで攻めていた箇所全てを、本気で攻め立てぬく。
「だいスキだよ…テストくンー…!」
絶頂のさらにその先へ、一気に押し込もうとするような爆発的な快楽が襲い、少年はあまりの感覚に声にならない絶叫をあげながら、おびただしい量の精液を放出した。
一回目とは比べ物にならないほど濃く、どこにそんなに入っていたのかと思うほど多い。
「ふぁぁっ…す、すごいィー……ァァァァ…!!」
そんな射精を全身で受け止めたネムラもまた大きな絶頂を迎え、スライムの身体は弛緩し、こぼした水のようにだらしなく布団の上に広がった。
もう互いに、一言も出てこない。
そのままの状態で、二人は幸せな眠りの中に落ちていくのだった。
ネムラの間にひとつの秘め事が生まれたその日から、少年の心はまた少し成長した。
いじめてくるクラスメイトの事も、老人に言われたとおり、無視できるようになり始めた。
どんな言葉をかけられても、ただ落ち着いた心で受け流すようにしていると、次第にそうした心無い声は減ってゆき、代わって、仲のいい友達が増えてきた。
そして家に帰れば、その日の頑張りをネムラに伝え、変幻自在の気持ちいい『ごほうび』を受け取る。世の普通の子供とは大きく形が違うが、幸福に満たされた生活だった。
そんな日々が、一年、二年、三年…と続き、少年の肉体も、少しずつ大人に近付く。
背が伸び、筋肉がつき、ついでに男性器も、同年代の誰にも負けないほど立派になっていった。日々魔物の魔力に晒されているために、肉体が魔物にも近付きつつあるのだ。
両親の思い出や悪夢を夢の中で思い返し、涙で枕やネムラを濡らす事も、今は無い。
もはや少年は、両親の死の衝撃と悲しみから立ち直り、代わりにネムラと老人の愛情を一身に受け、心身ともに、立派な大人となっていた。
ネムラもまた、そんな彼を、姉として、恋人として献身的にサポートし続ける。
あまり頭はよくなかったものの、ただ抱きしめる以外に青年に対して出来ることを必死に模索し、そのためのどんな知識も積極的に吸収していった。かつて老人に「子供のようだ」と言われたネムラは、いまや心も、一人前の女性へと、青年のパートナーへと成長していた。
…しかしある日、大学受験を乗り切った青年とネムラに、ついに彼らにとって最後の試練が降りかかることとなる。
「じいちゃん…じいちゃんッ!!」
「おじいさん、しっかりしテー…!」
ある意味唐突に、あるいは来るべき時が来たかのように老人は倒れ、たちまち床から起き上がる事もできない状態になってしまった。
青年は老人に病院へ入るように薦めたが、老人は拒否し、自身が青年とネムラと暮らしたこの家を、終の棲家とすることを選んだ。ネムラもまた、この家の中で、老人を最後まで世話をすることを選んだ。それに従い、青年も、自分に出来る限りの事をすると決めた。
それも今、終わりを迎えようとしている。
「じいちゃん、死なないでくれよ…!まだ僕には、じいちゃんが…」
「無茶を言うんじゃあ…ない。
人間は…な、歳を食っていようが…いまいが、どこかで…死ぬんだ。歳食ってる俺が…死ぬなんて、当たり前の、こと…だ。引き延ばしたって…つらい…だけだ。
むしろ…嬉しい、ぐらいだ。頭がボケきる前に、逝けるんだから…な。」
「おじいさん…何か、わたしたちにできること、あルー?」
「もう…全部、やってくれた…さ。」
老人の命が減ってゆく。青年とネムラが握る骨ばった手から、力が抜けてゆく。
もはや呼吸すら億劫な様子だったが、老人は喋り続ける。
「うっ…ぐ、さ…最期に…言っておく。一番、大事な事だ…。
お前ら…このまま、一緒になるつもりだろう?」
「!…おじいさん、知ってたの?わたしとテストくんのこトー…」
「当たり前…だ、馬鹿。俺の家で…好き放題、しやがっ、て。
…まあ、それはこの際…いい。
お前らの間に…子供ができるかは…分からんが、
もしお前らが…親に…なるなら、一緒にうちの、地下の物置…の、壁を…調べろ。」
「壁…?」
「いいか、それまでは…調べるんじゃあ、ない。他人にも…言うな…わかったな?」
「…わかった、約束する。」
「やくそく、するヨー…!」
「…ああ。…これで、言いたいことは…全部、だ。」
老人のまぶたが、重そうに閉じられていく。
「ふぅーっ…。苦しいことは苦しいが…なかなか、いい、気分だ。
…あの世なんて信じてなかったが…今なら、お前の両親のとこに行けそうな気もする。」
「じい、ちゃん…ッ!!」
「もし会ったら…お前らの事を…教えといて、やる。
じゃあな…二人とも。」
最期にひとつ、ふぅーっ…と息を吐き…そしてそのまま、吸われる事は無かった。
「…!!」
「おじいさン!!」
安らかな寝顔のようなその最期の表情を見つめながら、青年はネムラと二人、かつて学校でいじめられたあの日のように、一晩中泣き続けていた。
あの日老人が言ったように、ふたりは泣くだけ泣き続け…
そしてこの涙を以って、『子供』であった時代に、別れを告げたのである。
「ぱぱ。ここ、だれのおうちー?」
「ここはね。僕とママの、大切なおじいさんが住んでいた家なんだ。」
「そしてきょうから、わたし達のおうちになるのヨ♪」
「おうち…!すごい!ぱぱ、まま、すごい!!」
老人の死から、10年の歳月が流れていた。
老人の葬儀は青年とネムラだけで密やかに執り行われ、遺骨は、この家を見下ろせる丘の上の墓地に葬られた。
…しかし、すべてが終わってから青年が目の当たりにしたのは、老人の遺産をめぐる、名も知らぬ親族達の争いであった。
「…あんまり、凄くはないさ。なにせ、一度はこの家を他人に取られちゃったんだから。」
「でもこうして、アナタが取りもどしたでショ?すごいよ、テストくんハ。
…ほんとに、強くなったネ。」
老人が相当な金を溜め込んでいたらしいという噂を聞きつけた者達の汚い手段により、青年は老人の家を追われてしまった。
汚い大人たちの手から、青年はただ、ネムラの存在を隠し、守ることしか出来なかった。
家中を荒らし回って遺産を探した者達は、結局、ごく僅かな金しか見つけることが出来ずに離れていったが、家は土地と共に売りに出され、青年の手には戻らなかった。
二人の心の中には、怒りと悔しさと悲しみが満ち溢れたが、二人はそれを必死にこらえ、老人の家を取り戻すべく、悪い大人たちに対抗する手段を求めた。
青年は法律関係の大学に入ったわけではなかったが、昼夜問わず必死に法律の勉強をした。
ネムラもパートナーとして青年を生活面でしっかり支え続け、その果てに、青年はついに司法試験に合格し、弁護士の資格を取ることに成功した。
しっかりとした収入と、知識という武器を得て、青年はようやく、目の前の老人の家を取り戻すに至ったのである。
そしてその間に、青年には、ネムラによく似た可愛らしいスライムの子供を授かっていた。
老人との約束を果たす時が、ついにやって来たのだ。
「さあ、新しい家をしばらく探検してきなさい。でも、危ないことはダメだよ。
僕らはちょっと、やらなきゃいけない事があるんだ。」
「やらなきゃ、いけないこと?」
「そうヨ。…パパとママはね、この家に、忘れ物をしてきちゃったノ。」
「もの置きのカベって言ってたけど…どこを調べればいいのかナ?」
「…まあ、簡単に見つかると思うよ。…これだけ物がなければ。」
老人がいた頃はゴチャゴチャとしていた地下の物置も、家が奪われた際に金目のものは売られ、そうでない物もあらかた処分されてしまい、すっかり寂しいものになっていた。
見回しても、空になった棚と、打ちっぱなしのコンクリート壁しか見えない。
壁をしばらく眺め回していると…やがて青年は、壁に等間隔に開いた穴のひとつが、奇妙な形状をしていることに気付いた。
「ここだけ…深い穴になってる?」
穴は曲がりくねっていて先がどうなっているのか分からず、指を入れてみても、底には当たらないほど深い。
…そういえば老人は、「一緒に調べろ」と言っていた。もしかすると…
「…ネムラ。ちょっと、この穴に入って中を調べてくれないか?」
「うン!」
ネムラはその不定形の体で、深い穴の奥にするりと入っていった。その先端に視覚をつけているために、中の把握も簡単に出来る。
「んー…。一番おくに、なんかヘンなしかけがあるヨー。」
「仕掛け?」
「うン。ひもとボタンがあル。ちょっといじってみるネ。」
そしてネムラは仕掛けをいじり始めた…が、しばらく経っても、特に変化は無い。
「う〜ん、どうすればいいのかナ…。こうして、こうして…あレ?」
「ゆっくりでいいよ、がんばれ!」
「うん、がんばル!」
知識は多いが、頭そのものはよくないため、何度も何度も試行錯誤する。
だが、青年の応援もあって、ネムラは諦めない。試行錯誤し、何十分もかけた後に…
「あ、わかっタ!
このボタンを押しながら、上のボタンを押さないように、ひもを引っぱれバ…!」
すると突然機械の作動する金属音が鳴り響き、コンクリートの壁の一部が四角く分かれてスライドし、床に引っ込んだ。
そして、その先にあったものは…
「なに、このピカピカ…」
「き…金塊…!?」
隠し扉の先の小部屋に置かれていたのは、TVや漫画などのフィクションでしかお目にかかれないはずの、ずっしりと佇む純金の延べ棒であった。
「これが…おじいさんノ…」
そして、その金の延べ棒の前には、『手須人とネムラへ』と書かれた一通の封筒が添えられていた。
二人は金より先にその封筒に手を伸ばし、開封して、中の手紙を読んだ。
──────────────────────────────
手須人とネムラへ
驚いたか?
この部屋は、俺が若い頃に読んだ小説に出てきた「隠し扉」ってやつを、今はもうこの世にはいないが、俺の数少ない友達だった左官屋に協力してもらって作ってみたものだ。
この手紙を見たという事は、今もお前らが一緒にいて、この扉を開けたという事だろう。
俺はこの部屋に入るための鍵になる特殊な棒を持っていたが、これを隠した後に処分した。
これでこの扉は、ネムラみたいな人間じゃない奴にしか開けられなくなるという寸法だ。
ちなみに、もし何かの拍子にこの部屋の事を知った奴が壁を壊しやがったら、上にある家の下敷きになるような細工がしてある。まさかネムラじゃ分からないからって、壊したりしてないだろうな?まあ、万一そうなってもネムラなら助けられそうだが。
…じじいの自慢話なんて面白くも無いだろうから、本題に入るぞ。
この世の中には、隙あらば他人の物を掠め取ろうとするような連中がうじゃうじゃいる。お前らも、もしかしたら俺が死んだ後、俺の遺産を探そうとする馬鹿共に巻き込まれるかもしれない。そんな世界で、お前らみたいな優しい奴やよくわからん生き物が、大人の庇護も無い状態で暮らしていくのは非常に大変な事だろうと思う。
もう俺は死んだ後だろうから書いちまうが、お前らと一緒に暮らすうちに…俺はお前らの事を少しだが気に入ってきた。最初は厄介なガキ共だと思ってたんだがな。
だから、俺が稼いだ金を馬鹿共に取られるくらいなら、お前らとその子供にくれてやった方がずっとマシだと思って、こうして貯金を金に換えてこの部屋に置いておいた。
何かあった時、身を守るのに使え。
手須人。いつか言ったように、お前はその辺の奴らには想像も出来ないほどの辛い目に遭っても、それを乗り越えた。誰よりも強い奴になれたはずだ。それを忘れるな。
ネムラ。正直、お前の頭の弱さは今でも少し心配だが、お前は見事に手須人を立ち直らせてみせた。あの時お前を買って正解だった。これからも、手須人と子供を守ってやってくれ。
お前らは強く優しい奴らだ。俺は家族として大した事は出来なかったが、言わせてほしい。
お前らの子供の未来のためにも、何があっても負けるな。離れ離れになったりするなよ。
じゃあな。
古伊勢 代
──────────────────────────────
「じいちゃん…!!」
「…ッ…うっ…ふぅぅ…うえぇぇ…!!」
老人の素直な気持ちが書かれた手紙を読み終えると、二人は、こみ上げてくる熱い涙を止める事が出来なくなってしまった。
子供みたいに泣きじゃくるのは、あれで最後にしようと思ったのに。
『家を取りもどしてよかった』という言葉だけでは表現できない、抑えきれない感情が溢れ出した二人は、老人の手紙を握り締め、しばし子供に戻って、また泣くだけ泣いた。
力や生活を手に入れても、自分達はまだまだ、ちっぽけな子供だったのだ。
「…ぱぱ?まま?どうしてないてるの?」
家の探検を終えた娘が、泣いている二人を見つけ、心配そうに傍に寄る。
「どこか、いたいいたいしたの?」
「…いや、違うんだ。痛かったり辛くて泣いてるわけじゃないんだ。」
「…ごめんネ。しんぱい、させちゃったネ。
ママたちは、いま、幸せだから、泣いてるんだヨ。だから、だいじょうブ。」
二人は肩を組み、この可愛らしく純粋な娘を、それぞれの手でかき抱く。
「…二人とも。いま、幸せかい?」
「…うん。アナタに会えたときから、ずっと、幸せだヨ。」
「わたしも!ぱぱとままにあえたときから、ずーっと、しあわせ!」
「ありがとう…二人とも。僕も、幸せだ。
…ずっと一緒だよ。何があっても。」
「…うん。ずっと、ずーっと、一緒にいようネ♪」
世の中は、人は、魔物は、そして未来は、これからどのように変わっていくのだろうか。
そして自分たち家族を取り巻く環境は、一体どうなっていくのだろうか。
先の事を知る事は出来ないが、彼らはこの時を以って、ひとつの誓いを立てた。
「未来に何があったとしても、自分たち家族は、決して離れ離れになったりしない」
この先どんな不幸が待ち受けていようとも、たとえ死が訪れたとしても、彼らはいつまでも共にいることだろう。
この不思議な運命を辿った家族の未来に、多くの幸せがあらんことを。
16/01/02 19:37更新 / K助
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