後日談
裏庭の木に繋がった紐に、洗濯物を干し終わる。
木の根元にある小さな小さなネズミの墓に軽く黙とうし、イヴの朝の日課は終了した。
勝手口から台所へと入り、程よく煮立ったスープとパンを用意して、食卓へ運ぶ。
「・・・おはようございます、マスター」
「おはよ、イヴ」
「ずいぶんと調子が悪そうですが、大丈夫ですか?」
「あぁ、ごめん。昨日中に仕上げておくものがあったからね、
ちょっとだけ、寝不足なんだ・・・」
店舗兼自宅のラウルの店。
毎朝6時きっかりに起こしに来て、洗濯のために無理やりに近い形で服を剥いでいくイヴとの生活も、もう一月が経とうとしていた。
「仕方がありませんね。開店の準備は私がしておきますので、
もう少しだけお休みになってください」
「ありがとう。そうするよ」
「でも、その前に。
朝ごはんだけは、きちんと食べてくださいね」
「・・・はい」
朝食が済み、ラウルが2階へ戻ったのを確認して、食器を片付ける。
終わると、店の商品の壁掛け時計の埃をはたき、懐中時計が並ぶショーケースのガラスを拭く。
手巻き時計のねじをひとしきり回し終わり、手提げ金庫からお釣り用の小銭を確認する頃には、8時55分になっていた。
「クロックデバイスへ接続・・・エラー」
試しというか、遊び心というか、そういったもので、つい確認をしてしまう。
リセットすればまた動くのだろうが。
まぁ、いいか。
感情回路は、そんな返答をしてくる。
少なくとも、これだけの数の時計に囲まれていては、時間を気にするなという方が無理というものだ。
店の入り口のカギを開け、箒で掃き始めたところで、遠くから鐘の音が聞こえた。
街の中心の大時計が9時を知らせたようだ。
鐘の音は、どこまでも透き通る空を響き渡っていた。
今日もいい天気になりそうだ。
CLOSEになっていた看板をひっくり返し、OPENにする。
「おはよ、イヴちゃん」
「おはようございます」
近所の、御者をしているおじさんだった。
「先日の時計の修理の件でしょうか」
「そうそう。もう少しかかる?」
「いえ、もうできています。どうぞこちらへ」
受け渡しと会計を済ませる。
「・・・おっ、動いてる動いてる。ありがとうね」
「はい。また何かございましたら、ぜひご用命ください」
「ははは、まぁそう頻繁に使ってやれないけどな。
この時計な、妻の形見なんだわ。
割と時間に厳しい仕事なんだが、どうもこいつじゃないと、
正確な時間が判らないような気がしてな」
「そう、でしたか。
大切に扱ってもらって、その時計も喜んでいると思いますよ」
「ははは、機械のイヴちゃんにそう言ってもらえると、そんな気がしてくるよ。
ところで、ラウルの奴は?」
「少し遅くまで仕事をしていたようでしたので、まだお休み中です」
「・・・あ、まさかこれ?」
「・・・はい、おそらく」
「あれ、悪いことしちゃったかな・・・
とりあえず、あいつにありがとう、って伝えておいてくれや」
「はい、賜りました」
それじゃ、と、おじさんは出て行った。
日の温かさを感じる午前11時。
さすがにラウルを起こしてくる。
「んがっ・・・ごめんごめん」
まだ半分寝ぼけたようなことを言っている。
「もう、寝ぐせが付いてますよ」
濡らしたタオルで髪を軽く湿気らせ、くしで透いて直す。
「がははは!まるで夫婦だね!」
その光景を見ていた近所のおばちゃん。
二人そろって顔を赤くする。
「最初にイヴちゃん見たときは度肝を抜かされたけど、
こうして毎日見ていくたびに、かわいい女の子にしか見えなくなってきちゃうね」
「は、はは、ありがとうございます」
引きつり気味に笑うイヴ。
「んで、おばちゃん。今日はまだ覗きにきただけかい?」
ちょっと意地悪気に、ラウルが訊く。
「んにゃぁ、親戚の子が、王立の大学に受かったとかでね。
ちょいとお祝いを探しに来たのさ。ほれ、客だよ、客!」
「あ、はは、ご利用ありがとうございます」
接客業奥義、営業スマイルを覚えたイヴだった。
空が赤く燃え始めた午後5時。
「うし、今日はおしまい」
「お疲れ様でした」
ラウルが作業、イヴが接客という、いつも通りの営業をこなした。
外の看板をCLOSEにして、ドアに鍵をかけるイヴ。
「さて、明日受け取りの予約は・・・あ」
「どうされました?」
「いや、イヴがうちに来てから、ちょうど一月なんだな、って」
「そうでしたか。時が経つのは早いですね。
なんて、300年も寝ていた私が言うと皮肉でしょうか」
「ははは、そうでもないさ。僕だって、昨日のことのように思ってるよ」
「あれから、一月ですか・・・」
あの後。
ぐったりするラウルをとりあえず起こし、椅子に寝かせたあと、ぐずぐずにしてしまったシーツを雨水で洗い、小屋の中に干した。
帰り支度をしてラウルを担ぎ、小屋を出たところでラウルの家が判らず立ち往生してるところに、あの御者のおじさんが働いていた商隊に出くわした。
最初は訝しがられたが、ちょうどラウルが起きて事情を説明したことで、多少の疑惑を向けられながらも、馬車で帰ることができた。
が、そこでひと騒動。
大きな街からの荷物を持っていた商隊が山賊に出くわしたのだ。
数は20人ほど。
普通はあきらめて荷物を渡すところだったが、若干一名・・・いや一体、完全武装の少女がいたことが山賊の不幸。
手入れがされず切れ味の落ちたシミターが頑丈な金属骨格に通るわけもなく、非常用の各種武装で一方的に狩られていった。
よくよく見れば懸賞金の掛かっていた山賊だったようで、おじさんを始めとした商隊員は上機嫌となり、イヴを迎えてくれた。
その後街に戻ってから、普通は不気味な機械として扱われるであろうところ、山賊を倒したヒーロー・・・もといヒロインとして、おおよそ歓迎される形で、イヴは街の住人となった。
そして、一月経った今。
近所の金物屋の協力で、ひしゃげていた外装や、もともと無かった右腕の外装も新しく作られ、元の姿を取り戻したイヴ。
さらには裸同然だったのを見かねた服屋から、妙に力の入った服まで貰ってしまった。
メイド服風のスカートとエプロン。
もっとも、当人は排熱に支障が出るのでできれば着たくない、と言っていたが。
「その恰好も見慣れてきたよ」
「そうですか」
「最初は嫌がってたね」
「しかし・・・マスターに、その・・・かわいいと、言われてしまったら・・・
着ないわけにはいかないじゃないですか・・・」
赤くなるイヴ。
「いい贈り物だったね」
「・・・はい」
「あ。そうだ」
思い出したように席を立つラウル。
部屋の奥から何かを持ってきた。
「こないだ金物屋に注文しておいたものが届いたんだ」
取り出したのは、外装パーツらしきもの。
「ちょっと、右腕の外してもらっていい?」
「はい」
言われた通りに、右腕の外装を外す。
曲がった骨組みの部分は、付けるものが見当たらなかった(というよりは、物騒なものしか付けるものがなかった)ため、すかすかの状態だった。
「えっと、武器に伝達するギアはここだっけ」
「はい。本来なら、それがガトリングなどを動かすものですね」
「んじゃ、ここをこうして、っと」
見る見るうちに、ギアが組まれていく。
「で、この外装を付けて」
付けたところで、ラウルが、前腕の小窓のようなものを開ける。
中は浅い空洞で、端の方にちょこんとギアが出ていた。
「ギア、回してみて」
ガトリング用のギアに出力すると、小さなギアが、ゆっくりと回る。
一見すると、無意味な構造に見える。
「あの、これは・・・」
訊こうとしたところで、ラウルの姿がないことに気づく。
「あぁ、ごめんごめん。これさ」
部屋の奥から姿を現したラウル。
手に持っていたのは、時計。
シンプルな文字盤に小さな小窓が付き、今日の日付を示していた。
それを、先ほどの小窓へ。
二つは、ぱちん、と音を立てて、きれいにはまった。
「一か月記念、ってわけじゃないけど、僕からの贈り物。
確か、時計、壊れてるって言ってたよね。
手巻き・・・手?まぁいいや。手巻きだから、時折そのギア回して巻いてあげてね」
・・・静寂。
いや。
「イヴ・・・泣いてるの?」
「当たり前じゃ・・・ないですか」
ぽた、ぽたと、滴を滴らせるイヴ。
「感情の値が、ほとんどオーバーフローしてしまっています。
マスター、あなたという人は、どこまで私を壊せば気が済むんですか」
「嫌だった?」
ラウルに抱き着くイヴ。
そして、ついばむようなキス。
2度、3度。
「そんなわけ、ないじゃないですか」
涙でくしゃくしゃになった顔に、笑みを浮かべ。
それは、とても美しい笑みを浮かべ。
「私は、あなたのオートマトンです。
お気の済むまで・・・これからも、壊してくださいな」
木の根元にある小さな小さなネズミの墓に軽く黙とうし、イヴの朝の日課は終了した。
勝手口から台所へと入り、程よく煮立ったスープとパンを用意して、食卓へ運ぶ。
「・・・おはようございます、マスター」
「おはよ、イヴ」
「ずいぶんと調子が悪そうですが、大丈夫ですか?」
「あぁ、ごめん。昨日中に仕上げておくものがあったからね、
ちょっとだけ、寝不足なんだ・・・」
店舗兼自宅のラウルの店。
毎朝6時きっかりに起こしに来て、洗濯のために無理やりに近い形で服を剥いでいくイヴとの生活も、もう一月が経とうとしていた。
「仕方がありませんね。開店の準備は私がしておきますので、
もう少しだけお休みになってください」
「ありがとう。そうするよ」
「でも、その前に。
朝ごはんだけは、きちんと食べてくださいね」
「・・・はい」
朝食が済み、ラウルが2階へ戻ったのを確認して、食器を片付ける。
終わると、店の商品の壁掛け時計の埃をはたき、懐中時計が並ぶショーケースのガラスを拭く。
手巻き時計のねじをひとしきり回し終わり、手提げ金庫からお釣り用の小銭を確認する頃には、8時55分になっていた。
「クロックデバイスへ接続・・・エラー」
試しというか、遊び心というか、そういったもので、つい確認をしてしまう。
リセットすればまた動くのだろうが。
まぁ、いいか。
感情回路は、そんな返答をしてくる。
少なくとも、これだけの数の時計に囲まれていては、時間を気にするなという方が無理というものだ。
店の入り口のカギを開け、箒で掃き始めたところで、遠くから鐘の音が聞こえた。
街の中心の大時計が9時を知らせたようだ。
鐘の音は、どこまでも透き通る空を響き渡っていた。
今日もいい天気になりそうだ。
CLOSEになっていた看板をひっくり返し、OPENにする。
「おはよ、イヴちゃん」
「おはようございます」
近所の、御者をしているおじさんだった。
「先日の時計の修理の件でしょうか」
「そうそう。もう少しかかる?」
「いえ、もうできています。どうぞこちらへ」
受け渡しと会計を済ませる。
「・・・おっ、動いてる動いてる。ありがとうね」
「はい。また何かございましたら、ぜひご用命ください」
「ははは、まぁそう頻繁に使ってやれないけどな。
この時計な、妻の形見なんだわ。
割と時間に厳しい仕事なんだが、どうもこいつじゃないと、
正確な時間が判らないような気がしてな」
「そう、でしたか。
大切に扱ってもらって、その時計も喜んでいると思いますよ」
「ははは、機械のイヴちゃんにそう言ってもらえると、そんな気がしてくるよ。
ところで、ラウルの奴は?」
「少し遅くまで仕事をしていたようでしたので、まだお休み中です」
「・・・あ、まさかこれ?」
「・・・はい、おそらく」
「あれ、悪いことしちゃったかな・・・
とりあえず、あいつにありがとう、って伝えておいてくれや」
「はい、賜りました」
それじゃ、と、おじさんは出て行った。
日の温かさを感じる午前11時。
さすがにラウルを起こしてくる。
「んがっ・・・ごめんごめん」
まだ半分寝ぼけたようなことを言っている。
「もう、寝ぐせが付いてますよ」
濡らしたタオルで髪を軽く湿気らせ、くしで透いて直す。
「がははは!まるで夫婦だね!」
その光景を見ていた近所のおばちゃん。
二人そろって顔を赤くする。
「最初にイヴちゃん見たときは度肝を抜かされたけど、
こうして毎日見ていくたびに、かわいい女の子にしか見えなくなってきちゃうね」
「は、はは、ありがとうございます」
引きつり気味に笑うイヴ。
「んで、おばちゃん。今日はまだ覗きにきただけかい?」
ちょっと意地悪気に、ラウルが訊く。
「んにゃぁ、親戚の子が、王立の大学に受かったとかでね。
ちょいとお祝いを探しに来たのさ。ほれ、客だよ、客!」
「あ、はは、ご利用ありがとうございます」
接客業奥義、営業スマイルを覚えたイヴだった。
空が赤く燃え始めた午後5時。
「うし、今日はおしまい」
「お疲れ様でした」
ラウルが作業、イヴが接客という、いつも通りの営業をこなした。
外の看板をCLOSEにして、ドアに鍵をかけるイヴ。
「さて、明日受け取りの予約は・・・あ」
「どうされました?」
「いや、イヴがうちに来てから、ちょうど一月なんだな、って」
「そうでしたか。時が経つのは早いですね。
なんて、300年も寝ていた私が言うと皮肉でしょうか」
「ははは、そうでもないさ。僕だって、昨日のことのように思ってるよ」
「あれから、一月ですか・・・」
あの後。
ぐったりするラウルをとりあえず起こし、椅子に寝かせたあと、ぐずぐずにしてしまったシーツを雨水で洗い、小屋の中に干した。
帰り支度をしてラウルを担ぎ、小屋を出たところでラウルの家が判らず立ち往生してるところに、あの御者のおじさんが働いていた商隊に出くわした。
最初は訝しがられたが、ちょうどラウルが起きて事情を説明したことで、多少の疑惑を向けられながらも、馬車で帰ることができた。
が、そこでひと騒動。
大きな街からの荷物を持っていた商隊が山賊に出くわしたのだ。
数は20人ほど。
普通はあきらめて荷物を渡すところだったが、若干一名・・・いや一体、完全武装の少女がいたことが山賊の不幸。
手入れがされず切れ味の落ちたシミターが頑丈な金属骨格に通るわけもなく、非常用の各種武装で一方的に狩られていった。
よくよく見れば懸賞金の掛かっていた山賊だったようで、おじさんを始めとした商隊員は上機嫌となり、イヴを迎えてくれた。
その後街に戻ってから、普通は不気味な機械として扱われるであろうところ、山賊を倒したヒーロー・・・もといヒロインとして、おおよそ歓迎される形で、イヴは街の住人となった。
そして、一月経った今。
近所の金物屋の協力で、ひしゃげていた外装や、もともと無かった右腕の外装も新しく作られ、元の姿を取り戻したイヴ。
さらには裸同然だったのを見かねた服屋から、妙に力の入った服まで貰ってしまった。
メイド服風のスカートとエプロン。
もっとも、当人は排熱に支障が出るのでできれば着たくない、と言っていたが。
「その恰好も見慣れてきたよ」
「そうですか」
「最初は嫌がってたね」
「しかし・・・マスターに、その・・・かわいいと、言われてしまったら・・・
着ないわけにはいかないじゃないですか・・・」
赤くなるイヴ。
「いい贈り物だったね」
「・・・はい」
「あ。そうだ」
思い出したように席を立つラウル。
部屋の奥から何かを持ってきた。
「こないだ金物屋に注文しておいたものが届いたんだ」
取り出したのは、外装パーツらしきもの。
「ちょっと、右腕の外してもらっていい?」
「はい」
言われた通りに、右腕の外装を外す。
曲がった骨組みの部分は、付けるものが見当たらなかった(というよりは、物騒なものしか付けるものがなかった)ため、すかすかの状態だった。
「えっと、武器に伝達するギアはここだっけ」
「はい。本来なら、それがガトリングなどを動かすものですね」
「んじゃ、ここをこうして、っと」
見る見るうちに、ギアが組まれていく。
「で、この外装を付けて」
付けたところで、ラウルが、前腕の小窓のようなものを開ける。
中は浅い空洞で、端の方にちょこんとギアが出ていた。
「ギア、回してみて」
ガトリング用のギアに出力すると、小さなギアが、ゆっくりと回る。
一見すると、無意味な構造に見える。
「あの、これは・・・」
訊こうとしたところで、ラウルの姿がないことに気づく。
「あぁ、ごめんごめん。これさ」
部屋の奥から姿を現したラウル。
手に持っていたのは、時計。
シンプルな文字盤に小さな小窓が付き、今日の日付を示していた。
それを、先ほどの小窓へ。
二つは、ぱちん、と音を立てて、きれいにはまった。
「一か月記念、ってわけじゃないけど、僕からの贈り物。
確か、時計、壊れてるって言ってたよね。
手巻き・・・手?まぁいいや。手巻きだから、時折そのギア回して巻いてあげてね」
・・・静寂。
いや。
「イヴ・・・泣いてるの?」
「当たり前じゃ・・・ないですか」
ぽた、ぽたと、滴を滴らせるイヴ。
「感情の値が、ほとんどオーバーフローしてしまっています。
マスター、あなたという人は、どこまで私を壊せば気が済むんですか」
「嫌だった?」
ラウルに抱き着くイヴ。
そして、ついばむようなキス。
2度、3度。
「そんなわけ、ないじゃないですか」
涙でくしゃくしゃになった顔に、笑みを浮かべ。
それは、とても美しい笑みを浮かべ。
「私は、あなたのオートマトンです。
お気の済むまで・・・これからも、壊してくださいな」
17/03/20 21:44更新 / cover-d
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