感染
「真澄、最近来なくなったね」
「あはは、どうせ耐えられなくなったんでしょ。後を追ったんじゃない?」
「……そうかなあ。何か、違うような気がする……けど」
「ん、何か言った?」
「い、いやなんでもないよ!」
「そっか……丁度いいサンドバッグだったから、あなたに代わってもらおうと思ってたのに」
「……あたしたち、友達だよね?」
「ええ、『友達』よ」
百合子が『産まれて』から数週間後のこと。
学校の教室。放課後のホームルームの直後の夕焼けに照らされた場所。
真澄が座っていた席には誰も座っていなかった。
机の上におかれていた花瓶はいつの間にか倒れて、撤去されていた。
「ねえーーさすがに調子見に行かない? あたしらのせいで死んだ、とか遺書にかかれたくないっしょ」
「あのレズみたいに変な詩とかだったらラクなんだけどねー」
「個人名出たら、退学とか……? うわっ、最悪」
彼女の机に座りながら、女生徒の一人は目の前の『友人』たちにため息をつく。
人の噂は75日。
人が死んだときですら、その程度で事件というものは風化する。
しかし、退学となると話は別だ。人生そのものを台無しにされかねない。
徹底的に目立たぬように、周りに合わせて自分を殺す。
サンドバッグにならぬよう、絶対に注目されないように。
それも、すべては平穏な日々をすごす為。
いじめに参加していたものは、ほとんどが同じ心境だっただろうと、彼女はぼんやりと考えていた。
それが、生命というものが海で暮らしていたときからのルールなのだから。
「……じゃあ、さ。あたしとりあえず見てくるわ。住所知ってるし」
「なんでアンタあのレズの住所知ってんの?」
「違う違う。住所近いせいでセンコーに宿題渡して来いって言われたの。電話も通じないみたいだしね」
「あ、なる。……わたしの名前あったら消しといてね?」
「あたしの名前が書いてあったら消しとくわ」
ひらひらと手を振りながら、かばんを担ぐ。
ちゃんと着ずに、腰につけたベージュ色のカーディガンが引っかかるのが不快だった。
「……じゃ、また明日」
「ん、おつかれー」
「ばいばーい」
ぴしゃりと、引き戸を閉める彼女。
「ねえ、あいつ最近カンジ悪くない?」
「あー分かる分かる」
その後ろを、彼女に聞こえない程度の噂話が、通り過ぎていった。
※ ※ ※
「……ここかあ」
電車の中でカーディガンを着なおした少女は、アパートの前に立つ。
築20年は経っているだろう。古びた建物だった。
いつもあいつが食ってたのは、特売のパンだったか。
そんな言葉が浮かんでは、消える。
かん、かん、かん。
さびた鉄製の階段をあがり、ある一室のドアを確認する。
安藤、と書かれた表札がそこにあった。
「……」
何も言わずに、彼女は呼び鈴を一回押す。
軽快な機械音が部屋の中から聞こえてくる。
しかし、返事はなかった。
「……?」
聞こえなかったのだろうか、もう一度呼び鈴を鳴らす。
だが、返事はない。
やけくそになって三回一気に押してみた。
チャイムの音だけが、空しく響くだけだった。
「仕方ないな……郵便受けにでもつっこんで……?」
ぐちゅ。
乱暴に荷物を取り出そうとした彼女の足に、何かがひっかかる感触があった。
視線を移すと、ドアの隙間から漏れた液体が少女のローファーを濡らしている。
足を思わず持ち上げるとかすかな抵抗とともに、ぺと、という粘度の高い液体特有の音が耳朶に響いた。
「何、これ……っ!?」
思わず後ずさりする少女。
しかし、次の瞬間彼女の表情は嫌悪と驚愕からーー恍惚に変わっていた。
「……甘い……いいにおい……」
それは、足元の液体から発される香りであった。
甘く、とろけるような蜜の香り。
思わず腰が砕け、へなへなとへたり込んでしまう。
思考が霧がかったようになりーー多幸感に脳が支配される。
くんくんと、犬のように鼻を動かすとよけい強く香りが感じられる。
「……こっちからだ……」
ぼんやりとした思考のまま。彼女は目の前のドアに手をかける。
鍵はかかっていなかった。
扉を開けると、視界がかすむほどの蜜の粒子が彼女の顔にかかる。
ぼたぼたぼたぼたと、玄関から蜜が階段を伝って落ちていく。
「あ、はぁ……♪」
ずる、ずると蜜に身体をなじませるように。
少女ははいずりながら部屋の中に進んでいく。
服が蜜で汚れ、素肌に蜜が触れるたびに、妙な声が口から漏れてしまう。
舌でぺろりと舐めあげた蜜は、蜂蜜と比べられないほど濃厚で甘い味がした。
「……あはは、久しぶりだね」
台所を抜け、奥の部屋の扉を開けた彼女を待っていたのは、大輪の花だった。
白い、優美な花。
それは、巨大な百合の花だった。
花の中央には二本のめしべと、一本のおしべが立っていた。
そのうちの一本が話しかけてくる。
「数日振りかな?」
「……ます、み?」
「うん、そうだよ」
めしべは緑色の肌をした少女の姿をしていた。
そのうちの一本は漆黒の髪、もう一本は茶色の髪を持っていた。
「……でも、そうじゃないかもしれない」
「私たちは一つだから」
「あたしは真澄であって、百合子であり」
「そして、博之でもあるんだ」
二つのめしべの間には、おしべが一本生えていた。
……それは、真澄の兄の姿をしていた。
ひっきりなしに片方のめしべに挿入しては、挿入されためしべが嬌声をあげているのが見える。
何度も、何度も、何度も。
幸せそうに、睦みあう姿だった。
「私たちは夢を見るの」
「幸せな夢なんだ」
「……ゆめ?」
「そう、人間以下の私たちが見る、幸せな幻想なの」
「そこには幸せしかないんだよ」
「なに、それ……」
少女には、何も理解できないせりふをしゃべりながら、めしべは笑う。
「貴女にも分かるんじゃないの?人間以下のつらさが」
「……」
「別にあんたのことは恨んでないよ。だって、いじめるのは周りに合わせなきゃいけないからね」
横たわる少女を見下しながら。
二つのめしべは、微笑んでいた。
「……ねえ、幸せに興味はない?」
「つらい生活から逃げ出したくない?」
「周りに合わせる生活は、つらくない?」
「ううん、つらいよね。 この蜜がおいしいってことはーーきっとそういうことだもの」
少女の手元に、するすると緑色の蔦が伸びる。
その先端部には、小さな百合の花が咲いていた。
それはすぐに枯れーー黒い種を実らせる。
「……さあ、送ってあげるわ」
「ええ、アタシたちの世界に、あんたは不用だもん」
ぷしゅ、と一層濃い蜜が彼女の顔に吹きかけられる。
思わず気絶してしまう少女。
ーー彼女がおきたとき、その手には黒い種が握られていた。
つややかに輝く、種だった。
※ ※ ※
死した屍で造る毒は、プトマインと呼ばれている。
矢毒として使用され、獣を狩るのだ。
ーーそして、狩った獣から。
新たな毒が作られる。
「ねえーーあたし。相談があるんだけどさ」
「一緒に、死んでくれない?」
「あはは、どうせ耐えられなくなったんでしょ。後を追ったんじゃない?」
「……そうかなあ。何か、違うような気がする……けど」
「ん、何か言った?」
「い、いやなんでもないよ!」
「そっか……丁度いいサンドバッグだったから、あなたに代わってもらおうと思ってたのに」
「……あたしたち、友達だよね?」
「ええ、『友達』よ」
百合子が『産まれて』から数週間後のこと。
学校の教室。放課後のホームルームの直後の夕焼けに照らされた場所。
真澄が座っていた席には誰も座っていなかった。
机の上におかれていた花瓶はいつの間にか倒れて、撤去されていた。
「ねえーーさすがに調子見に行かない? あたしらのせいで死んだ、とか遺書にかかれたくないっしょ」
「あのレズみたいに変な詩とかだったらラクなんだけどねー」
「個人名出たら、退学とか……? うわっ、最悪」
彼女の机に座りながら、女生徒の一人は目の前の『友人』たちにため息をつく。
人の噂は75日。
人が死んだときですら、その程度で事件というものは風化する。
しかし、退学となると話は別だ。人生そのものを台無しにされかねない。
徹底的に目立たぬように、周りに合わせて自分を殺す。
サンドバッグにならぬよう、絶対に注目されないように。
それも、すべては平穏な日々をすごす為。
いじめに参加していたものは、ほとんどが同じ心境だっただろうと、彼女はぼんやりと考えていた。
それが、生命というものが海で暮らしていたときからのルールなのだから。
「……じゃあ、さ。あたしとりあえず見てくるわ。住所知ってるし」
「なんでアンタあのレズの住所知ってんの?」
「違う違う。住所近いせいでセンコーに宿題渡して来いって言われたの。電話も通じないみたいだしね」
「あ、なる。……わたしの名前あったら消しといてね?」
「あたしの名前が書いてあったら消しとくわ」
ひらひらと手を振りながら、かばんを担ぐ。
ちゃんと着ずに、腰につけたベージュ色のカーディガンが引っかかるのが不快だった。
「……じゃ、また明日」
「ん、おつかれー」
「ばいばーい」
ぴしゃりと、引き戸を閉める彼女。
「ねえ、あいつ最近カンジ悪くない?」
「あー分かる分かる」
その後ろを、彼女に聞こえない程度の噂話が、通り過ぎていった。
※ ※ ※
「……ここかあ」
電車の中でカーディガンを着なおした少女は、アパートの前に立つ。
築20年は経っているだろう。古びた建物だった。
いつもあいつが食ってたのは、特売のパンだったか。
そんな言葉が浮かんでは、消える。
かん、かん、かん。
さびた鉄製の階段をあがり、ある一室のドアを確認する。
安藤、と書かれた表札がそこにあった。
「……」
何も言わずに、彼女は呼び鈴を一回押す。
軽快な機械音が部屋の中から聞こえてくる。
しかし、返事はなかった。
「……?」
聞こえなかったのだろうか、もう一度呼び鈴を鳴らす。
だが、返事はない。
やけくそになって三回一気に押してみた。
チャイムの音だけが、空しく響くだけだった。
「仕方ないな……郵便受けにでもつっこんで……?」
ぐちゅ。
乱暴に荷物を取り出そうとした彼女の足に、何かがひっかかる感触があった。
視線を移すと、ドアの隙間から漏れた液体が少女のローファーを濡らしている。
足を思わず持ち上げるとかすかな抵抗とともに、ぺと、という粘度の高い液体特有の音が耳朶に響いた。
「何、これ……っ!?」
思わず後ずさりする少女。
しかし、次の瞬間彼女の表情は嫌悪と驚愕からーー恍惚に変わっていた。
「……甘い……いいにおい……」
それは、足元の液体から発される香りであった。
甘く、とろけるような蜜の香り。
思わず腰が砕け、へなへなとへたり込んでしまう。
思考が霧がかったようになりーー多幸感に脳が支配される。
くんくんと、犬のように鼻を動かすとよけい強く香りが感じられる。
「……こっちからだ……」
ぼんやりとした思考のまま。彼女は目の前のドアに手をかける。
鍵はかかっていなかった。
扉を開けると、視界がかすむほどの蜜の粒子が彼女の顔にかかる。
ぼたぼたぼたぼたと、玄関から蜜が階段を伝って落ちていく。
「あ、はぁ……♪」
ずる、ずると蜜に身体をなじませるように。
少女ははいずりながら部屋の中に進んでいく。
服が蜜で汚れ、素肌に蜜が触れるたびに、妙な声が口から漏れてしまう。
舌でぺろりと舐めあげた蜜は、蜂蜜と比べられないほど濃厚で甘い味がした。
「……あはは、久しぶりだね」
台所を抜け、奥の部屋の扉を開けた彼女を待っていたのは、大輪の花だった。
白い、優美な花。
それは、巨大な百合の花だった。
花の中央には二本のめしべと、一本のおしべが立っていた。
そのうちの一本が話しかけてくる。
「数日振りかな?」
「……ます、み?」
「うん、そうだよ」
めしべは緑色の肌をした少女の姿をしていた。
そのうちの一本は漆黒の髪、もう一本は茶色の髪を持っていた。
「……でも、そうじゃないかもしれない」
「私たちは一つだから」
「あたしは真澄であって、百合子であり」
「そして、博之でもあるんだ」
二つのめしべの間には、おしべが一本生えていた。
……それは、真澄の兄の姿をしていた。
ひっきりなしに片方のめしべに挿入しては、挿入されためしべが嬌声をあげているのが見える。
何度も、何度も、何度も。
幸せそうに、睦みあう姿だった。
「私たちは夢を見るの」
「幸せな夢なんだ」
「……ゆめ?」
「そう、人間以下の私たちが見る、幸せな幻想なの」
「そこには幸せしかないんだよ」
「なに、それ……」
少女には、何も理解できないせりふをしゃべりながら、めしべは笑う。
「貴女にも分かるんじゃないの?人間以下のつらさが」
「……」
「別にあんたのことは恨んでないよ。だって、いじめるのは周りに合わせなきゃいけないからね」
横たわる少女を見下しながら。
二つのめしべは、微笑んでいた。
「……ねえ、幸せに興味はない?」
「つらい生活から逃げ出したくない?」
「周りに合わせる生活は、つらくない?」
「ううん、つらいよね。 この蜜がおいしいってことはーーきっとそういうことだもの」
少女の手元に、するすると緑色の蔦が伸びる。
その先端部には、小さな百合の花が咲いていた。
それはすぐに枯れーー黒い種を実らせる。
「……さあ、送ってあげるわ」
「ええ、アタシたちの世界に、あんたは不用だもん」
ぷしゅ、と一層濃い蜜が彼女の顔に吹きかけられる。
思わず気絶してしまう少女。
ーー彼女がおきたとき、その手には黒い種が握られていた。
つややかに輝く、種だった。
※ ※ ※
死した屍で造る毒は、プトマインと呼ばれている。
矢毒として使用され、獣を狩るのだ。
ーーそして、狩った獣から。
新たな毒が作られる。
「ねえーーあたし。相談があるんだけどさ」
「一緒に、死んでくれない?」
17/10/09 22:47更新 / くらげ
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