本文
「ーーなるほど、ね」
「うう、そうなんですよ……」
「ああ、分かるよ」
あたしは彼女の言葉に頷きながら手元の紅茶を啜る。
既に三杯目だが、しっかりと熱湯をたたえたポッドが用意されているため飽きずに美味しく味わうことが出来る。
ダークエルフの少女から洗いざらい聞き出すのに、メニューを注文しサンドイッチと紅茶を口にし、デザートの苺のタルトに手を出すくらいの時間を必要とした。
「今度会おうって、手紙に書いちゃって……。けど、今になって怖くなっちゃって。私は、その……嘘を、ついてきましたから」
同じ苺のタルト(元々彼女が勧めてくれた物だ)をつんつんと突き刺しながら彼女は俯く。
全てを聞き出すまでに、いろいろなことを話した。
ペンフレンドの相手が、あたしの後輩であるホッズであること。
彼女がテレ調教の紙を貼ったのは直接出会って調教する自信がなかったからだということ。
ホッズから手紙をもらったときは、本当に嬉しかったこと。
初めての調教で勝手が分からずに、とにかく一杯書いたこと。
調教の様子を細かく書いてきてくれて、女王様と慕ってくれる彼が、大好きになったこと。
どうしようもなく会いたくなったこと。
そして、ホッズに『今度のフラワーフェスタの時に、調教の成果を見せなさい』と書いた手紙を送ったこと。
送ったのはよかったのだけど、途端に怖くなったこと。
そして、少しでも彼を知っているあたしに声をかけたこと。
「偶然、だったんです……あの、ホッズ君が、貴女の後輩ってことは最初知らなくって……」と、どこか恥ずかしそうに、彼女は語っていた。
何度も何度もつっかえて、そのたびに謝ったり、真っ赤になりながら彼女はそれらを話し終えた。
彼女のタルトは何度も突かれ過ぎたせいで口もつけられずにボロボロになっていた。
「嘘、か」
「……はい」
頬杖を突きながら、小さく呟く。
あたしも、覚えのある話だった。
ガサツな自分を隠して、文章をできる限り可愛く書こうとしていた姿を思い出す。
「でも、会うって約束しちゃったんだろう?」
「は、はい……『女王様に直接拝謁できるこの幸せ、身に余る思いです』って……ここで裏切ったら、私は女王様じゃない。そう、思って。でも……こんな、こんな女王様じゃない私が出会っちゃったら……。きっと、嫌われるって。二度と、手紙をくれなくなっちゃうって……そう、考えたらダメになっちゃって」
その声には、少しだけ涙が混じっていた。
あたしは、そんな彼女の顔を見ないように小さく顔を逸らす。
女の涙は、貴重品。そう簡単に見ていいものではないのだ。
「全く……ほら、元気出しなって」
「む、むにゅ!?」
椅子を降りて、彼女の横に立つ。
そして、彼女の柔らかい頬を軽くつねってやった。
本当は机越しに手を伸ばしたかったけど、あたしの背じゃ届かないので妥協である。
「そう、めそめそしない!……ホッズと会えるのは楽しみじゃないのかい?」
「そ、それは……楽しみ、ですけど」
「だったら、さ。それで良いじゃないか」
できる限り歯を見せながらあたしは笑ってみせた。
彼女がおずおずと顔を上げるのが見える。
「何度もいってるけどさ、ホッズは良い奴だよ。あたしが保障する。何せあたしの後輩だからな!」
「も、もう……その理屈、おかしくないですか?」
「良いんだよ。事実あたしの後輩に悪い奴は居ないんだからさ」
「……ふふ、無茶苦茶ですよ?それ」
苦笑する彼女の顔についた涙をナプキンで拭ってやると、大分綺麗になった。
うん、美人だ。
涙を流しているときよりも、笑って居る時の方がずっと。
……あたしと違って出るとこ出てるし。今だって無理して背伸びしているので顔に当たりっぱなしである。
「そのホッズが住所を教えて、会いたいって言ってくれてるんだ。そうやって、笑顔であってやれよ」
「……はい」
「よろしい」
彼女が頷いたのを確認して、あたしは元の席に戻る。
机越しにみる少女は、さっきよりもまっすぐに前を見据えていた。
これならきっと。上手くいくのだろう。
「そう、ですね。会いたいって、言ってくれたんですよね。私に……」
(会いたい、か)
目を瞑って胸に手を当てる彼女の姿に、あたしの心の奥がほんの少しだけちくり、と傷んだ。
(イチロク……)
懐の手紙に触れる。
……もし、あたしが彼女みたいに『会いたい』と書く勇気があれば。
「あの、今日は、ありがとうございました」
「良いって事よ」
無残な姿になったタルトを頬張る彼女にひらひらと手を振りながら、あたしは紅茶のおかわりを注ぐのだった。
−−−−−−
「おはようございます。先輩」
「おう。おはよう。レオン」
早朝、マインリー随一の大通りに続く通路。
待ち合わせの場所で先に待っていたレオンに挨拶をすると、涼やかな朝の空気が頬をくすぐる。
「ふああ……」
身体を支配する眠気を覚ますように深呼吸すると、普段とは違う甘い香りが胸一杯に満ちた。
髪留めが動きに合わせて揺れて、銀と硝子が触れ合うちりん、という音が響く。
楽しみにしているイベントが来るのは早いもので、『フラワーフェスタ』の日が訪れたのはイチロクに手紙を送ってから本当にすぐの事だった。
「しかし、いいのか?あたしに構わないで一人で見たほうが気楽だろう?」
「でも、ほら。誰かと回るのって楽しいですから」
「なら、良いけどさ」
今日はあたしとレオン、二人で祭りを回る事になっていた。
アレンを誘うのはマリーちゃんに悪いし(せっかく二人だったら水入らずで過ごしたほうが良いだろう)、一人で行こうと思っていたら彼が声をかけてきたのだ。
有休は大丈夫なのか聞いたら、彼もあたしと同じく中々の数を溜め込んでいたようで思わず苦笑したのを覚えている。
「それにしても、先輩。いつもと違う服、なんですね」
「ああ、ちょっとだけ着飾ってみたんだ。その……どう、かな」
レオンに笑いかけながらくるり、とあたしは一回転してみせると、スカートの下の薄い白が動きに合わせて揺れた。
今日のあたしが選んだのは、戸棚の奥で寝ていた可愛らしい燈色フリルの服だった。
サバトの連中のセールストークでついつい買ってしまって、着る機会がないと思っていたけれど、イチロクにもし見つけてもらうなら−−すこしでも可愛いあたしの姿を見て欲しかった。
「凄く、似合うと思います。その、髪飾りも合わせて……」
「へへ、ありがと」
顔を赤くして目をそらすレオンを見て、あたしはぎゅっと手を握り締める。
鏡で見たときは自信がなかったけれど、ちゃんと似あうみたいで。とても嬉しかった。
「え、ええっと。今日はどこから回ります?今の時間だったら多分出店がすいていると思いますけど……」
「うーん、あんまり決めてないんだけど……ってレオン。その紙、まさか手作りか?」
「ちょっと、楽しみにしてて。いろいろ調べてみたんです」
誤魔化すようにレオンが鞄から取り出した紙束を見てあたしは思わず笑ってしまう。
地図は勿論出店する人や場所。どう回ったら効率よく回れるかというメモ。
読みやすく、几帳面な文字できっちりとかかれたそれはレオンの几帳面な性格が良く出ている物だった。
「うーん、ここまで調べてるんだったらレオンに任せる。ただ、色んなところを回れると嬉しいかな」
「はい、任せてください!」
レオンについて、街路を歩く。
はじめてマインリーに来た時よりも、随分と逞しくなった背中が見える。
「まずは、そうですね……『花門』を見に行きましょうか。人気スポットなので最初に行かないと混んじゃいますし」
アレンの時もそうだったけれど、人間の成長は本当に早い。これならきっと、彼女を見つけるのも直ぐの事だろう。
花の香りがする通路を歩きながら、あたしはそんなことを考えていた。
−−−−−−−
「うわぁ、凄いな……」
「あれが『花門』ですね。毎年腕に自信のある園丁の人が作るらしいですけれど……本当に、すごいや」
大通りに建てられた門の前で、あたしとレオンは思わずため息をつく。
今年は桜というジパングの花を使っているそうだ。薄い桃色の花弁が咲き乱れる門は、魔術による蛍光を受け、洞窟の闇にくっきりとその美しい姿を浮かび上がらせていた。
装飾として置かれる朱色の傘がアクセントとなって、独特の異国情緒を感じさせてくれる。
「そういえばここ、写真屋があるんですよ」
「へえ……」
レオンが指差すままに歩くと、サイクロプスとその夫の二人組みが「花門」を初めとした、この祭りの展示物の写真を飾っていた。
イチロクに送るべく「花門」の写真を加工した絵葉書を購入すると、「もうひとつのサービスをご利用しますか?」と店員であるサイクロプスの奥さんからの質問があった。
首をかしげるあたしの隣、サイクロプスの奥さんが指差したほうには『カップル撮影サービス』なる看板が立っていた。後ろでは夫がカメラを構えてにこやかに笑っていた。
その様子にあたしとレオンの顔が真っ赤になる。
「その、もしよかったら撮りませんか……?って、冗談です、冗談ですよ!?僕達はその、恋人って訳じゃ」
「そ、そう。あたしたちは別にカップルって訳じゃなくて……」
二人でぶんぶんと首をふりながら距離を取る。
たしかに男女で歩いてればそう見えなくもないだろうけれど、本当にそういう関係ではないのだ。
「そうなんですか?随分と仲が良いような」
「せ、先輩ですからっ」
「そ、そうそうっ!ただの先輩と後輩だって!ほら、代金!」
慌てるように絵葉書の料金を置いて、あたしとレオンは急いで写真屋を離れる。
そんなあたしたちを、やたらとにやにやした目でサイクロプス夫婦が見つめていたのだった。
ーーーーー
「ふう、飛んだ目にあったな」
「そ、そうですね」
人ごみに押されるように、『花門』を離れながらそんなことを話す。
周囲を見れば『カップル割り』、『恋人料金』なんて表示だらけだ。
それだけに、恋人のいない(ペンフレンドはいるけれど)あたしにとっては、なんともいえない空気だった。
「その、レオン、大丈夫か?多分このままだと恋人扱いされちゃうだろうし……」
「大丈夫です。それに……二人で行ったほうがお得なお店も多いですからね」
「もしかしてレオン。それ目当てか?」
「あはは、御明察です……って痛いっ、痛いですからっ!?」
すまなそうに言うあたしに対してからからと笑うレオン。
なんとなく損した気分になって背中を叩いてやる。
「ったく。あたしの事を何だと思ってるんだか」
ためいきを一つついてから、大通りを歩く。
レオンの方が気になったけれど少しだけ無視だ。
むくれながらも周りを見れば、普段と違う美しい花々が並んでいる。
サバト謹製の七色朝顔や、ジャイアントアントが手間隙をかけて育てた月下美人。
季節感を感じるというお祭りの趣旨からは完全に飛んでしまっているけれど、これはこれで楽しい風景だった。
いつしか時間も早朝をすぎ、かなりの人通りになっていた。
「祭りっぽくなってきたねえ」
そんな人ごみに押されるように歩きながらそんなことを呟く。
こうして普段と違う空気を感じられるのは祭りの魅力だ。
−−この中に、イチロクがいるかもしれない。そう考えると、余計に魅力的に思えてしまう。
遠目では首輪をつけたホッズの手をおずおずと引くダークエルフの姿が見えて、あたしはおもわずくすりと笑ってしまった。
「−−その、先輩大丈夫ですか?」
「む、たしかに、ちょっと……」
とはいえ、混みすぎである。
思い通り歩くには背の低いあたしには中々に辛い。
着なれた服だったら気にせずずんずん歩けるけれども、今日は着慣れない服であることもあって中々思ったように歩けない。
「ちょ、ちょっと……!?」
「先輩っ!」
「レオンっ!」
不意に大きく流れた人波に流されそうになったあたしの手を、いつの間にか後ろに立っていたレオンが掴む。
鉱夫特有の力強くてごつごつとした大きな手に引っ張られたあたしは、すぐに彼の隣にひっぱり戻されていた
「ふう、危ない所でしたね。このあたりは人通りが多いですから」
「あ。ああ」
ほっとしたように笑う彼に、ぎこちなく頷く。
レオンの手の暖かさが、あたしのちいさな手に伝わってくる。
(ったく、惚れるとこだぞ?)
もう一つの手で、胸元に入れた手紙を触りながら、あたしは彼の目を見られずに居た。
−−−−−−−
「うわぁ……すごいな」
「です、ね。魔界中、ですから……」
いろいろ回って、昼ごろになったあたり。
マインリー中央広場では、メインイベント−−即ち花々の品評会がいままさに行われる所だった。
流石のメインイベントというだけあってその規模は聞きしに勝るもの。
自らを美しく飾るアルラウネやリリラウネの百花繚乱や、密林の珍しい蘭を持ってきたアマゾネスの夫妻。数世紀単位での品種改良を重ねた蒼い薔薇のとなりで笑うワイトなどその顔ぶれもそうそうたるものだ。
隣でエントリーされた花について詳しく解説するレオンの言葉に何度も頷きながら一つ一つの鉢の前で立ち止まってはため息をつく。
それほどの情熱と、愛。
細工師の端くれとしての心が思わず燃え立つほど、会場には熱気が満ちていた。
手は、未だに繋いだままだ。
途中で解こうと思ったのだけれど「はぐれたら割引できませんよ?」と強弁する彼にまけた形だった。
「……これが、マリーちゃんの」
そうして、あたしたちは一つの鉢の前で立ち止まった。
素焼きの鉢に植えられた向日葵の花。
それが、マリーちゃんが出展したものだった。
「……」
「……」
しばらくの間、言葉もなくあたしたちは立ち尽くしていた。
珍しい花じゃない。むしろ、ありふれた花だ。
向日葵の中でも、珍種という訳でもない。
けれど、その花は心に訴えかけるものがあった。
まっすぐに、ただまっすぐに太陽に伸びる。
黄色い花弁が、外にある空を見すえる。
他の花は他の花。自分は、自分。ただ、あるがままに。
(「私は、アレンのことが世界一。大好きです」)
マリーちゃんの向日葵は、そんなことを語っているようだった。
「あのさ、レオン」
「……はい」
「凄いな、これ」
「はい、本当に。凄いと思います」
胸元の手紙に触れながら、あたしは呟く。
勇気をもらった、そんな気分だった。
このフェスタが終わったら−−、イチロクに手紙を書こう。
『−−今度会いませんか』と。
「あら?イチロクさん?」
不意に、聞き覚えのある声に振り返る。
かすかで、それでいて優しさを感じさせるそれは、『手紙屋』の主人のものだった。
「−−いや、その……」
その言葉に、レオンは真っ赤になりながら首をそむけた。
「うう、そうなんですよ……」
「ああ、分かるよ」
あたしは彼女の言葉に頷きながら手元の紅茶を啜る。
既に三杯目だが、しっかりと熱湯をたたえたポッドが用意されているため飽きずに美味しく味わうことが出来る。
ダークエルフの少女から洗いざらい聞き出すのに、メニューを注文しサンドイッチと紅茶を口にし、デザートの苺のタルトに手を出すくらいの時間を必要とした。
「今度会おうって、手紙に書いちゃって……。けど、今になって怖くなっちゃって。私は、その……嘘を、ついてきましたから」
同じ苺のタルト(元々彼女が勧めてくれた物だ)をつんつんと突き刺しながら彼女は俯く。
全てを聞き出すまでに、いろいろなことを話した。
ペンフレンドの相手が、あたしの後輩であるホッズであること。
彼女がテレ調教の紙を貼ったのは直接出会って調教する自信がなかったからだということ。
ホッズから手紙をもらったときは、本当に嬉しかったこと。
初めての調教で勝手が分からずに、とにかく一杯書いたこと。
調教の様子を細かく書いてきてくれて、女王様と慕ってくれる彼が、大好きになったこと。
どうしようもなく会いたくなったこと。
そして、ホッズに『今度のフラワーフェスタの時に、調教の成果を見せなさい』と書いた手紙を送ったこと。
送ったのはよかったのだけど、途端に怖くなったこと。
そして、少しでも彼を知っているあたしに声をかけたこと。
「偶然、だったんです……あの、ホッズ君が、貴女の後輩ってことは最初知らなくって……」と、どこか恥ずかしそうに、彼女は語っていた。
何度も何度もつっかえて、そのたびに謝ったり、真っ赤になりながら彼女はそれらを話し終えた。
彼女のタルトは何度も突かれ過ぎたせいで口もつけられずにボロボロになっていた。
「嘘、か」
「……はい」
頬杖を突きながら、小さく呟く。
あたしも、覚えのある話だった。
ガサツな自分を隠して、文章をできる限り可愛く書こうとしていた姿を思い出す。
「でも、会うって約束しちゃったんだろう?」
「は、はい……『女王様に直接拝謁できるこの幸せ、身に余る思いです』って……ここで裏切ったら、私は女王様じゃない。そう、思って。でも……こんな、こんな女王様じゃない私が出会っちゃったら……。きっと、嫌われるって。二度と、手紙をくれなくなっちゃうって……そう、考えたらダメになっちゃって」
その声には、少しだけ涙が混じっていた。
あたしは、そんな彼女の顔を見ないように小さく顔を逸らす。
女の涙は、貴重品。そう簡単に見ていいものではないのだ。
「全く……ほら、元気出しなって」
「む、むにゅ!?」
椅子を降りて、彼女の横に立つ。
そして、彼女の柔らかい頬を軽くつねってやった。
本当は机越しに手を伸ばしたかったけど、あたしの背じゃ届かないので妥協である。
「そう、めそめそしない!……ホッズと会えるのは楽しみじゃないのかい?」
「そ、それは……楽しみ、ですけど」
「だったら、さ。それで良いじゃないか」
できる限り歯を見せながらあたしは笑ってみせた。
彼女がおずおずと顔を上げるのが見える。
「何度もいってるけどさ、ホッズは良い奴だよ。あたしが保障する。何せあたしの後輩だからな!」
「も、もう……その理屈、おかしくないですか?」
「良いんだよ。事実あたしの後輩に悪い奴は居ないんだからさ」
「……ふふ、無茶苦茶ですよ?それ」
苦笑する彼女の顔についた涙をナプキンで拭ってやると、大分綺麗になった。
うん、美人だ。
涙を流しているときよりも、笑って居る時の方がずっと。
……あたしと違って出るとこ出てるし。今だって無理して背伸びしているので顔に当たりっぱなしである。
「そのホッズが住所を教えて、会いたいって言ってくれてるんだ。そうやって、笑顔であってやれよ」
「……はい」
「よろしい」
彼女が頷いたのを確認して、あたしは元の席に戻る。
机越しにみる少女は、さっきよりもまっすぐに前を見据えていた。
これならきっと。上手くいくのだろう。
「そう、ですね。会いたいって、言ってくれたんですよね。私に……」
(会いたい、か)
目を瞑って胸に手を当てる彼女の姿に、あたしの心の奥がほんの少しだけちくり、と傷んだ。
(イチロク……)
懐の手紙に触れる。
……もし、あたしが彼女みたいに『会いたい』と書く勇気があれば。
「あの、今日は、ありがとうございました」
「良いって事よ」
無残な姿になったタルトを頬張る彼女にひらひらと手を振りながら、あたしは紅茶のおかわりを注ぐのだった。
−−−−−−
「おはようございます。先輩」
「おう。おはよう。レオン」
早朝、マインリー随一の大通りに続く通路。
待ち合わせの場所で先に待っていたレオンに挨拶をすると、涼やかな朝の空気が頬をくすぐる。
「ふああ……」
身体を支配する眠気を覚ますように深呼吸すると、普段とは違う甘い香りが胸一杯に満ちた。
髪留めが動きに合わせて揺れて、銀と硝子が触れ合うちりん、という音が響く。
楽しみにしているイベントが来るのは早いもので、『フラワーフェスタ』の日が訪れたのはイチロクに手紙を送ってから本当にすぐの事だった。
「しかし、いいのか?あたしに構わないで一人で見たほうが気楽だろう?」
「でも、ほら。誰かと回るのって楽しいですから」
「なら、良いけどさ」
今日はあたしとレオン、二人で祭りを回る事になっていた。
アレンを誘うのはマリーちゃんに悪いし(せっかく二人だったら水入らずで過ごしたほうが良いだろう)、一人で行こうと思っていたら彼が声をかけてきたのだ。
有休は大丈夫なのか聞いたら、彼もあたしと同じく中々の数を溜め込んでいたようで思わず苦笑したのを覚えている。
「それにしても、先輩。いつもと違う服、なんですね」
「ああ、ちょっとだけ着飾ってみたんだ。その……どう、かな」
レオンに笑いかけながらくるり、とあたしは一回転してみせると、スカートの下の薄い白が動きに合わせて揺れた。
今日のあたしが選んだのは、戸棚の奥で寝ていた可愛らしい燈色フリルの服だった。
サバトの連中のセールストークでついつい買ってしまって、着る機会がないと思っていたけれど、イチロクにもし見つけてもらうなら−−すこしでも可愛いあたしの姿を見て欲しかった。
「凄く、似合うと思います。その、髪飾りも合わせて……」
「へへ、ありがと」
顔を赤くして目をそらすレオンを見て、あたしはぎゅっと手を握り締める。
鏡で見たときは自信がなかったけれど、ちゃんと似あうみたいで。とても嬉しかった。
「え、ええっと。今日はどこから回ります?今の時間だったら多分出店がすいていると思いますけど……」
「うーん、あんまり決めてないんだけど……ってレオン。その紙、まさか手作りか?」
「ちょっと、楽しみにしてて。いろいろ調べてみたんです」
誤魔化すようにレオンが鞄から取り出した紙束を見てあたしは思わず笑ってしまう。
地図は勿論出店する人や場所。どう回ったら効率よく回れるかというメモ。
読みやすく、几帳面な文字できっちりとかかれたそれはレオンの几帳面な性格が良く出ている物だった。
「うーん、ここまで調べてるんだったらレオンに任せる。ただ、色んなところを回れると嬉しいかな」
「はい、任せてください!」
レオンについて、街路を歩く。
はじめてマインリーに来た時よりも、随分と逞しくなった背中が見える。
「まずは、そうですね……『花門』を見に行きましょうか。人気スポットなので最初に行かないと混んじゃいますし」
アレンの時もそうだったけれど、人間の成長は本当に早い。これならきっと、彼女を見つけるのも直ぐの事だろう。
花の香りがする通路を歩きながら、あたしはそんなことを考えていた。
−−−−−−−
「うわぁ、凄いな……」
「あれが『花門』ですね。毎年腕に自信のある園丁の人が作るらしいですけれど……本当に、すごいや」
大通りに建てられた門の前で、あたしとレオンは思わずため息をつく。
今年は桜というジパングの花を使っているそうだ。薄い桃色の花弁が咲き乱れる門は、魔術による蛍光を受け、洞窟の闇にくっきりとその美しい姿を浮かび上がらせていた。
装飾として置かれる朱色の傘がアクセントとなって、独特の異国情緒を感じさせてくれる。
「そういえばここ、写真屋があるんですよ」
「へえ……」
レオンが指差すままに歩くと、サイクロプスとその夫の二人組みが「花門」を初めとした、この祭りの展示物の写真を飾っていた。
イチロクに送るべく「花門」の写真を加工した絵葉書を購入すると、「もうひとつのサービスをご利用しますか?」と店員であるサイクロプスの奥さんからの質問があった。
首をかしげるあたしの隣、サイクロプスの奥さんが指差したほうには『カップル撮影サービス』なる看板が立っていた。後ろでは夫がカメラを構えてにこやかに笑っていた。
その様子にあたしとレオンの顔が真っ赤になる。
「その、もしよかったら撮りませんか……?って、冗談です、冗談ですよ!?僕達はその、恋人って訳じゃ」
「そ、そう。あたしたちは別にカップルって訳じゃなくて……」
二人でぶんぶんと首をふりながら距離を取る。
たしかに男女で歩いてればそう見えなくもないだろうけれど、本当にそういう関係ではないのだ。
「そうなんですか?随分と仲が良いような」
「せ、先輩ですからっ」
「そ、そうそうっ!ただの先輩と後輩だって!ほら、代金!」
慌てるように絵葉書の料金を置いて、あたしとレオンは急いで写真屋を離れる。
そんなあたしたちを、やたらとにやにやした目でサイクロプス夫婦が見つめていたのだった。
ーーーーー
「ふう、飛んだ目にあったな」
「そ、そうですね」
人ごみに押されるように、『花門』を離れながらそんなことを話す。
周囲を見れば『カップル割り』、『恋人料金』なんて表示だらけだ。
それだけに、恋人のいない(ペンフレンドはいるけれど)あたしにとっては、なんともいえない空気だった。
「その、レオン、大丈夫か?多分このままだと恋人扱いされちゃうだろうし……」
「大丈夫です。それに……二人で行ったほうがお得なお店も多いですからね」
「もしかしてレオン。それ目当てか?」
「あはは、御明察です……って痛いっ、痛いですからっ!?」
すまなそうに言うあたしに対してからからと笑うレオン。
なんとなく損した気分になって背中を叩いてやる。
「ったく。あたしの事を何だと思ってるんだか」
ためいきを一つついてから、大通りを歩く。
レオンの方が気になったけれど少しだけ無視だ。
むくれながらも周りを見れば、普段と違う美しい花々が並んでいる。
サバト謹製の七色朝顔や、ジャイアントアントが手間隙をかけて育てた月下美人。
季節感を感じるというお祭りの趣旨からは完全に飛んでしまっているけれど、これはこれで楽しい風景だった。
いつしか時間も早朝をすぎ、かなりの人通りになっていた。
「祭りっぽくなってきたねえ」
そんな人ごみに押されるように歩きながらそんなことを呟く。
こうして普段と違う空気を感じられるのは祭りの魅力だ。
−−この中に、イチロクがいるかもしれない。そう考えると、余計に魅力的に思えてしまう。
遠目では首輪をつけたホッズの手をおずおずと引くダークエルフの姿が見えて、あたしはおもわずくすりと笑ってしまった。
「−−その、先輩大丈夫ですか?」
「む、たしかに、ちょっと……」
とはいえ、混みすぎである。
思い通り歩くには背の低いあたしには中々に辛い。
着なれた服だったら気にせずずんずん歩けるけれども、今日は着慣れない服であることもあって中々思ったように歩けない。
「ちょ、ちょっと……!?」
「先輩っ!」
「レオンっ!」
不意に大きく流れた人波に流されそうになったあたしの手を、いつの間にか後ろに立っていたレオンが掴む。
鉱夫特有の力強くてごつごつとした大きな手に引っ張られたあたしは、すぐに彼の隣にひっぱり戻されていた
「ふう、危ない所でしたね。このあたりは人通りが多いですから」
「あ。ああ」
ほっとしたように笑う彼に、ぎこちなく頷く。
レオンの手の暖かさが、あたしのちいさな手に伝わってくる。
(ったく、惚れるとこだぞ?)
もう一つの手で、胸元に入れた手紙を触りながら、あたしは彼の目を見られずに居た。
−−−−−−−
「うわぁ……すごいな」
「です、ね。魔界中、ですから……」
いろいろ回って、昼ごろになったあたり。
マインリー中央広場では、メインイベント−−即ち花々の品評会がいままさに行われる所だった。
流石のメインイベントというだけあってその規模は聞きしに勝るもの。
自らを美しく飾るアルラウネやリリラウネの百花繚乱や、密林の珍しい蘭を持ってきたアマゾネスの夫妻。数世紀単位での品種改良を重ねた蒼い薔薇のとなりで笑うワイトなどその顔ぶれもそうそうたるものだ。
隣でエントリーされた花について詳しく解説するレオンの言葉に何度も頷きながら一つ一つの鉢の前で立ち止まってはため息をつく。
それほどの情熱と、愛。
細工師の端くれとしての心が思わず燃え立つほど、会場には熱気が満ちていた。
手は、未だに繋いだままだ。
途中で解こうと思ったのだけれど「はぐれたら割引できませんよ?」と強弁する彼にまけた形だった。
「……これが、マリーちゃんの」
そうして、あたしたちは一つの鉢の前で立ち止まった。
素焼きの鉢に植えられた向日葵の花。
それが、マリーちゃんが出展したものだった。
「……」
「……」
しばらくの間、言葉もなくあたしたちは立ち尽くしていた。
珍しい花じゃない。むしろ、ありふれた花だ。
向日葵の中でも、珍種という訳でもない。
けれど、その花は心に訴えかけるものがあった。
まっすぐに、ただまっすぐに太陽に伸びる。
黄色い花弁が、外にある空を見すえる。
他の花は他の花。自分は、自分。ただ、あるがままに。
(「私は、アレンのことが世界一。大好きです」)
マリーちゃんの向日葵は、そんなことを語っているようだった。
「あのさ、レオン」
「……はい」
「凄いな、これ」
「はい、本当に。凄いと思います」
胸元の手紙に触れながら、あたしは呟く。
勇気をもらった、そんな気分だった。
このフェスタが終わったら−−、イチロクに手紙を書こう。
『−−今度会いませんか』と。
「あら?イチロクさん?」
不意に、聞き覚えのある声に振り返る。
かすかで、それでいて優しさを感じさせるそれは、『手紙屋』の主人のものだった。
「−−いや、その……」
その言葉に、レオンは真っ赤になりながら首をそむけた。
16/06/28 22:46更新 / くらげ
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