連載小説
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書き出し
「ふああ」

 普段より遅い時間に、あたしは目を覚ました。普段だったら慌てて準備を始める時間だけど、あたしの動きはのろのろとしたものだ。薄紅色のパジャマから着替え、もはや毎朝の日課になった玄関口の郵便受けチェックを行いに玄関に出る。
 月に四日の休み、その日だけは普段よりも朝寝坊するのが癖になっていた。
 マインリーの鉱山は、余裕を持った採掘態勢を整えている。旧魔王時代の無軌道で無計画な採掘の教訓か、それとも唯単に愛し合う時間が欲しいのか、多分両方なのだろう。

 一定以上の休みを取るのは権利ではなく、義務。もし勝手に仕事場で働こうものなら、強制的に帰宅させられ、下手したら現場監督から折檻されてしまう。かつてのあたしは、仕事の進みが気になって、良くやらかしては注意されていたものだ。
 気が向いたときに銀細工を作るくらいの趣味しかないあたしにとっては、休日を退屈でもてあますことが多かったので休みの強制は邪魔な制度程度の認識だった。

「−−よし、入ってた」
 
 しかし、今は違う。
 
 郵便受けを開き、購読している新聞(魔界お惚気新聞である。独り身の魔物にはその甘さが癖になるのだ)に隠れるように置かれた封筒を確認したあたしは、中身を傷つけないようにペーパーナイフで慎重に上の部分だけを切り取る。
 かさり、という静かな音と共に滑り落ちてきたのは初めて受け取った時に比べてやや装飾の凝った浅葱色の便箋が数枚。そして、『手紙屋』謹製の緩衝材(魔力の膜で衝撃を和らげるのだ)に包まれた小さな桃色の蜻蛉玉が封筒の奥に入っていた。

『先日はカスミ草の栞をありがとうございました。
 以前も書いたとおり、僕もカスミ草は大好きな花です。
 初めはもったいなくて飾っておこうかと思いましたが、使ったほうが道具は喜ぶと思いますので
 今、読みかけの本に挟んで使わせていただいています』

 相手は逃げない只の手紙だというのに、あたしは玄関口で文面に忙しく目を走らせる。
 そして、最後に書かれた『使わせていただきます』という一言にほっとため息をついたのだった。

「使って、くれるんだな」

 もらってくれたことだけでなく、使ってくれたことが嬉しい。

 彼ーーイチロクと手紙を送りあう仲になってから既に数ヶ月の時がたっていた。
 その間に、本当に色々なことを話した。
 好きな花、好きな季節、好きな場所。面白い本や、ちょっとした細工物の話。
 身近であった小さなことに相談事。
 手紙の向こうの彼は博識で、本当に色々なことを教えてくれた。
 後輩であるアレンの新居についても、随分と詳しいレポートが添えられていて驚いたやらすまないやら、いろんな気持ちで心が一杯になった。

 だけれど、教えてくれなかったこともあった。
 どんな場所に住んでいるか、どんな仕事をしているか−−彼のプライベートに関わることは、そんなことは教えてもらっていない。
 知っているのは、マインリーに住んでいるということだけだ。
 それが、少しだけ悔しいような、悲しいような。
 それでいて、当然の事だと思えてしまうあたしがいた。

『先日は、久々の休みなので『手紙屋』を含め、少し遠出をして買い物をしました。この便箋と蜻蛉玉はその時に買ったものです。『手紙屋』には本当に色々な色や形の便箋があったので目移りしてしまいましたが、結局僕の好きな色にしてみました。

同封した蜻蛉玉は、先日のノミの市の出店していたコボルトをつれた商人さんから買ったものです。栞のお礼だと思ってくれると嬉しいです。』

「う、気を使わせちゃったかな」

バツが悪くなったあたしは手の中で蜻蛉玉を転がす。
 お礼が欲しくて栞を送ったわけではないのだ。
 むしろ、彼が使ってくれるだけでも、十二分に嬉しいと言うのに。
 勿論、彼からの贈り物はとても嬉しかったけれど。

「さて、と。今日はどうすっかな」

文末まで読み返したあたしは丁寧に畳むと懐の中に手紙をしまい、再び家の中に戻る。
今日は何をして過ごそうか。今すぐ返事を書いてもいいし、便箋を補充しに買い物に出るのもいい。たまには一日中寝て過ごすのも悪くない。

「−−久々に、細工物でもするか」

 しばらく悩んだあたしは、蜻蛉玉を握り締めた。 
 折角のもらい物なのだ。記念に出来るような何かにしよう。
 朝食もそこそこに机に向かい合い、図面に鉛筆を走らせる。
 銀細工は昔からやってきた特技だ。手紙を書くよりもずっと早く、手元にはスケッチが完成していた。

 モチーフは彼が好きだと言っていた花、沈丁花だ。
 あたしも好きな小さくて白い、春の花。ただその甘い香りは人を惹きつける。
 蜻蛉玉に絡み合うように銀で出来た枝葉で留め、銀の花を隣に飾る。
 スケッチを何度か身返して粗がないことを確認したら、銀の欠片を丁寧に火で炙って形を作っていく。

「よし、こんなもんか」

 久々の作業だからすこし手間取ったけれど数時間後、あたしの前には小さな髪飾りが置かれていた。
 彼がくれた桃色の蜻蛉玉に絡みついた銀がきらりと柔らかな輝きを放つ。

「−−似あう、かな」

 出来上がったばかりの髪飾りをつけて、手鏡を見る。
 自分で言うのも恥ずかしいけれど、久々にしては、それなりにいい出来だと思えた。
 彼に、見せたい。できれば−−褒めてほしい。そんなことを考える程度には。

「どうやったら、見てもらえるかな」

 会おう、そう伝えることも出来た。
 今から書く手紙に、マインリーの住所と時間を指定して『会いたい』と書いたらどうなるだろうか。

 あたしからの手紙を受け取った彼は頷いて、会ってくれるだろうか。
 いや、今までもずっと彼は自分の素性を明かさなかったのだ。そう簡単には、会ってくれないだろう。
 なら、断りの手紙を出すのだろうか。
 −−それとも手紙を出すことすらやめてしまうだろうか。
 
 ネガティブな考えだらけになった頭を横に振る。
 揺れるあたしの視界の端に、マリーちゃんからもらったままにしていたポスターが映っていた。

「……フラワーフェスタ……?」

 なんとなく拾い上げたそれには、可愛らしい文字でそう書かれていた。


 

−−−−−−



「アレン、来週の有給申請の話なんだけど」
「あっ、以前もいっていた話ですよね」
「ああ、今度のフラワーフェスタ。見に行くからさ……マリーちゃんも出るんだろう?」

 鉱山での休憩時、茶を注ぎながらアレンに声をかける。
 有給は簡単に取ることができた。
 申請したら担当者のトロールの子に随分と驚かれてしまった。『既にたまっている有給は100日を越えています』だそうだ。なんでも未婚のジャイアントアントの記録に近いらしく、思わず苦笑してしまった。

「はい。初めての参加だから出られるだけで嬉しいと言ってました」
「確かに、規模が大きな祭りだからなあ……」

 彼と話しているのは花の祭り、『フラワーフェスタ』についてだ。
 この街、マインリーは地下にあるため苔くらいしか植物が育たず、季節を感じるのが難しい。
 最上級の土壌であるトロール達の身体の上だったら魔界炎のわずかな光でも植物を育てることが出来るけど、裏を返せばその程度しか生えている植物を見る機会はない。

 そんなマインリーの現状を見たとある魔物が思いついた祭り、それが『フラワーフェスタ』だ。
 親魔国各地から花と人を集めて、思い思いの飾り方でマインリーを彩るこの行事は開催から数年の時を経て、完全にこの街に定着していた。
 普段は岩肌が露出して、どこか威圧感を感じさせるマインリーの街路。
 それがひとときだけ鉢植えの花が咲き誇る華やかな場所になって、その間マインリーは観光客達で大いににぎわうのだ。

 特にマリーちゃんが参加する品評会は優勝商品が『魔王城二泊三日ツアー』と豪華なものである。
 大きな通りでは魔界でも中々見られないような自慢の花が所狭しと並べられ、各々の花の美しさを競いあう参加者の多い、規模の大きいものらしい。 
 今までのあたしはフェスタの間鉱山での働き通しだったから(行事の日に働くと、色々な人から感謝されるのだ)、道端の花に見とれるくらいでイベント自体にあんまり深く関わることはなかったけれど、今年は有休を取ってがっつり参加する事にしていた。

「ま、あたしもマリーちゃんの花を見に行から、よろしくな」
「はい、先輩が来るのを楽しみにしています」
「さ、仕事行くか。全く、ホッズのやつ何があったんだか……」
「腰が抜けてたんでしたっけ」
「そんな腰を酷使する場所に置いたわけでもないんだけどな」

 飲み掛けの茶を飲み干してから、よっこらせと立ち上がると、あたしの赤い髪の上で髪飾りがきらりと光る。
 以前受け取った手紙には、彼−−イチロクが『フラワーフェスタ』に行くということが書かれていた。あたしが行けば、同じ場所に二人でいる事になる。
 あたしは彼を見つけることは出来ないけれど、彼はこの蜻蛉玉のことを知っている。
 偶然、本当にかすかな可能性だけど。
 祭りを訪れる多くの人々の中から、彼があたしを発見してくれる。

 別に、声をかけてくれなくてもいい。
 ただ、手紙の上だけでも『あなたを、見ました』。
 そう書いてくれるだけで、嬉しい。

 そんな夢物語を、あたしは描いていた。




−−−−−−−





「−−その。すみません」
「ん?」

 仕事帰り、蜻蛉玉を髪飾りにしたという内容の手紙をポストに投函していたあたしは、不意にかけられた細い声に振り返った。

「こ、こんばんは」
「おう。こんばんは」

 声の主は、友人のダークエルフだった。
 ダークエルフらしからぬ長く伸ばされた銀色の前髪から、砂色の瞳が覗く。
 同じタイミングで、同じポストに手紙を入れることが多かったのが切欠で少しずつ喋るようになり、今では一緒に『手紙屋』で買い物をする仲だ。
 ダークエルフにしては少し引っ込み思案な所があるけれど、普段買う手紙のセンス(禍々しいデザインだったり鎖をあしらったものが多い)に種族を感じさせる。

「あの、お時間……ありますか?」
「仕事終わったし、大丈夫」
「ええと、話したいことが、あるので……ちょっと長くなっちゃうかもしれませんし、夕飯まだだったら、一緒に食べませんか?」
「喜んで。あたしも腹減ってたとこだし。どっかお勧めの店とかあるかい?あたしが選んじゃうと人虎のトラコちゃんがやってる居酒屋とかになっちゃうからさ」
「ごめんなさい、私はお酒が飲めないので……その、私のいきつけの店でいいですか?」
「いいっていいって。下戸は恥ずかしがるモンでもないし。連れてってくれるかい?」
「は、はいっ」

 黒い肌を真っ赤に染めた彼女について、マインリーの町を歩く。
 周囲を見れば、既にフェスタの準備が始まっているのかちらほらと鉢をもって歩く魔物たちの姿が見えた。
 普段使わない通りを歩いているせいか、とても新鮮な景色だ。祭りの前の独特の空気がなんとなく足取りを軽くしてくれる。

「ええと、ここ、です」
「おお、良さそうな店だな」

 そうして歩くこと十数分。彼女は一軒の店の前で足をとめた。
 洒落た感じの喫茶店で、レンガ造りの建物が魔力の光を受けてやさしい光を返していた。

「はい、友人のキキーモラさんが働いているんですけれど、とってもいいお店なんです。その、色んな要望にこたえてくれるので秘密のお話とかも、しやすいですし」

 やさしく微笑む彼女に推されるようにして店に入ると、ちりんとすずやかな鈴の音とともに、中の様子が伺える。
 見た目と同じ、落ち着いた内装。
 使い込まれているけれど、丁寧に掃除と手入れがなされている家具が好印象だ。

「二名様ですね」
「はい、その……いつもの、秘密のお話が出来る、席で」
「ーーかしこまりました」

 店員のキキーモラにしたがって店の奥に歩を進めると、仕切られた二人用の席に案内される。
 植え込みのおかげで圧迫感こそ感じないものの、たしかに秘密の話が出来そうな席だった。
 ひょい、と背の高いソファに腰掛け、テーブルの上に置かれたメニューを開きつつ、ダークエルフの方をみつめる。

「で、話ってなんだい?」
「ええと、その……あの……」

 隠れるように幾度かメニューとあたしの顔の間で視線をいったりきたりさせた後、ゆっくりと彼女は顔を上げた。その頬は完全に真っ赤で、まるで林檎のようだ。

「ホッズ君の、先輩さん、ですよね」

 そうして幾度か口をぱくぱくさせた彼女が口にしたのは、そんな言葉だった。
16/06/19 22:27更新 / くらげ
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