時候
『拝啓 イチロク様
以前お手紙を送った時から随分と時間がたってしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか。私は元気に日々を過ごしています。
季節が分かりにくいこの街でもやや暑さを濃く感じる時期となりましたので、先日から夏服を着用するようになりました。同僚たちはみな露出の多い格好を好むので、必要な部分の防護を怠って事故を起こさないために注意して回っております。
以前、後輩の引越しについて、ご相談に乗っていただきありがとうございました。
私は仕事の性質上、まずマインリーの地下を出ることがないため、適切なアドバイスが出来ず悩んでおり、貴方のおかげでちゃんと先輩の威厳が保てたようです。
先日、紹介していただいた『アリさん引越し社』に後輩達と行って来ました。
丁寧な対応と、仕事ぶりがとても印象に残る良い事務所でした。
これなら、きっと良い家を建ててくれると思います。
同封したのは、その時の帰り道に摘んだカスミ草を押し花にして栞にしたものです。
少し地味なお花ですが、私のお気に入りの花です。
もしよろしければ、使ってくれると嬉しいです。
……』
「ええと、文章おかしくないよな……」
やや滲んでしまったペン先を慌てて紙の上から外しながらあたしはポツリと呟いた。
テーブルに置かれたランプの明かりの元、書き途中の手紙に目を走らせる。
今年に入ってから毎週のように書いてきたはずだけど、不安は中々消えてくれない。
失礼な文章になっていないか。
字の大きさは適正だろうか。
相手の人は喜んでくれるだろうか。
元々文章とは縁のない生活を送ってきた身だ。勘違いでとんでもないことをやらかしてる可能性だってある。
左手側に積まれた紙束はそんな不安が具現化したもの……即ち書き損じの山だ。
少しでも気を抜くとドワーフ丸出しな右肩上がりの角ばった文字になってしまう癖が大きな原因だった。
……とはいえ、ドワーフに産まれたおかげでこうして器用に文字を偽装することができるのだけど。
「もらって、くれるよな」
手元に置いたカスミ草の栞に、軽く手を触れる。
先日外出したとき摘んだ花を押し花したもので、二枚作った栞の片割れだ。
もう一枚は、あたしの読みかけの本に挟まっている。
手紙越しの彼が使ってくれたら、おそろいである。
「−−ったく、あたしらしくないな」
自分の言葉を誤魔化すように苦笑して、あたしは頭の後ろをぽりぽりと掻いた。
−−−−−−
「よいしょおっ!」
狭い坑道の中、魔界銀の鉱石を満載したトロッコを押す。
あたしの体重よりはるかに重いし大きいけど、慣れた物だ。軋むような音をあげながらトロッコが動く。周囲を見ればドワーフやサイクロプス、ジャイアントアントなどの魔物たちと人間の鉱夫たちが協力し、熟練の手つきで採掘を進めていた。
これがあたしの住んでいる街、マインリーの日常風景。
旧魔王時代のころは人間の鉱山として栄えたここは、幾度とない出水や落盤、粉塵などの無秩序な採掘による被害に悩まされていたという。
時代の転換点となったのは、新しい魔王様の時代になってからだ。
当時の鉱山の責任者である人間がここで働く人間のため、進んだ技術を持った魔物と組んでの大改修計画を立てたのだ。
そして行われたのは鉱山の専門家たるドワーフたちの総力を持った大改修。崩れた地盤を固めなおし、出水を予防する薬液。塵肺を予防するための魔術陣。光源としての魔術燭台と蛍光石の導入と当時最新の技術を惜しげもなく投入したのだ。
結果として、人間と魔物たちが手を取り合って働く鉱山の街が完成したのだ。
今では街の機能すら鉱山の中に入れてしまった洞窟の街である。
「よし、こんなもんか!」
何度も何度もトロッコで往復することで全ての鉱石を運び終えた、あたしは一息をついた。
太陽が見えないおかげで時間が分かりにくいけど、腹時計がきっちり昼間を伝えてくれる。
さらにもう一つ、あたしに昼食時を伝えてくれる存在がいるのだ。
「あのう、すいません。アレンにお弁当を持ってきたんですが」
「おっ!マリーちゃん!今日も健気だねえ」
「だ、だって、アレン君……じゃなかった、アレンのお嫁さん……ですから」
大きなバスケットを持っておずおずと近づいてくるトロールに笑みを見せると、彼女ははにかむように笑う。頭の上に咲く向日葵がゆらゆらと揺れた。
彼女はこの鉱山で働く後輩−−アレンの新妻であるマリーだ。
幼馴染だった彼女は結婚する前から毎日毎日お昼時になると彼のために弁当を届けにやってくるのだ。結婚してから彼女が持ってくる弁当入りのバスケットが少し大きくなったのが微笑ましい。
「じゃ、呼んで来るからちょっと待ってな……おーい、アレン!愛しのマリーちゃんが来たよー!」
「そ、そんなに大きな声で呼ばなくても……」
「新婚なんだろ?みせつけてやれって」
恥ずかしそうにうつむく彼女を尻目に、あたしは後輩の働く鉱山の奥へと歩いていく。
彼女の言うとおり、そんなに大声を出す必要はなかった。
直属の部下であるアレンの居場所は分かっている。
以前は朴念仁なアレンにマリーちゃんの気持ちを気付かせるべく大声を出していたけど、彼らが結婚した今、そんなことをする必要はないというのに。
−−−−ーーー
「……?」
昼休憩が終わり、再び仕事に戻ったあたしは坑道に落ちていた小さな紙切れを拾い上げた。
それは、真っ白な封筒だった。
裏返してみると『アレン君へ』と綺麗な文字で書かれている。
隣に描かれた小さな向日葵のイラストが可愛らしかった。
「−−マリーちゃんかな?これ」
顔をあげると、アレンが何かを探しているようにきょろきょろと周囲を見回すのが見えた。
どうやら、どんぴしゃのようだ。
「おーい、アレン。落し物だぞ」
「あ、先輩。ありがとうございます!」
後ろからつついて手に持っている手紙を彼に見せると、言葉とは裏腹に凄まじい勢いで奪われた。よっぽど本気で探していたのだろう。
もしくは、とても恥ずかしかったか。
「それ、やっぱりマリーちゃんからもらったものなのかい?」
「は、はい……」
からかうような声音で告げると、彼の顔が林檎のように真っ赤に染まる。
予想通りのブツだったようだ。
「どんなものか、聞いてもいいかい?」
「その、最近、マリーがお弁当に手紙を添えてくれるようになって」
「手紙って……毎日あってる仲っていうか、毎日しっぽりやってる仲じゃないのかい?」
「しっぽりって……確かにやってますけど。なんていうか、手紙だとやっぱり色々といえることってあるんですよ」
「いえないことって言うともしかして、今日はどんな事をヤルのかでも書いていたんじゃないのかい?」
「っ!?」
ちょっとした意地悪のつもりで指を丸め、中に人差し指を通してやると彼の首もとまで真っ赤な部分が広がった。なんとも分かりやすい反応である。
「その、形にも残りますし……なんていうか、見守ってもらっているような気分というか」あたしにそっぽを向きながら、もぞもぞとふところの手紙を彼は弄っていた。
なんとなく、こっちまで恥ずかしい気分になってしまって、あたしもついついあらぬ方向を見てしまった。
「なるほど、ねえ」
つるはしを担ぎながら、小さく呟く。
(ラブレター、か……)
男の人から、何ももらったことのない自分。
産まれてこのかた、恋愛経験のなかった自分。
そんな言葉が、あたしの中をよぎる。
そのときのあたしの表情がどんなものだったか、あたし自身にも分からなかった。
「−−さ、仕事だ仕事!アレン、ホッズはあたしについて採掘、あとレオンも見学でついて来い!」
「は、はいっ!」
何かを誤魔化すように小さい体を振り絞って大声を出して気分を切り替える。
今日のノルマはまだ達成されていない。
うじうじしている暇があったら、とにかく目の前の仕事に打ち込むのが上策というもの。それでも辛かったら酒を飲めば良いのだ。
今日の晩酌に使う酒は棚の奥の取って置きをぬるめの燗にするとしよう。肴は外の商人が持ち込んだスルメを炙ろう。ゆらゆらとしたランプの灯の下で、静かな晩酌にしよう。
飾りなんてなくていいし、流行の唄もなしでいい。ただしみじみと呑もう。
集まった後輩達に新たな魔界銀の鉱脈について説明しながら、あたしはそんなことを考えていた。
−−−−ーーー
「……よし、仕事終わり!解散!」
「「「お疲れ様でしたっ!!」」」
仕事終わり、坑道の中に鉱夫たちのお疲れ様の唱和が響く。
今日の仕事は中々に捗った。
アレンは結婚してからというもの普段よりさらに力を発揮するようになったし、ホッズも同期に負けまいとつるはしを振るってくれた。
新人のレオンはまだまだと言った所だけど、一生懸命に汗を流していたのが好印象だった。
ちょっと頑張りすぎて「僕なんてまだまだだ……」なんて暗い顔をしていたが、誰もが始めはそんなものだ。今度のみに連れて行くとしよう。
「さあて、と。明日は休みだしどっかに寄るとするか」
周囲の人間に隠れるようにしてそそくさと仕事場を後にする。
聞こえてくるのは、夫や妻の帰宅が待ちきれずに迎えに来た魔物や人間達と、働き終えた鉱夫たちの楽しげな喋り声。
昔は好きだったこの喧騒から逃げるようになったのは、いつのころからだろうか。
少なくとも、子供の頃は嫌いじゃなかったことだけは分かる。
いつか、こんな風になりたいと。そして、いつかはこうなるだろうと。未来を思い描いていた。
今のあたしは、あの頃描いたとおりの、鉱夫となった。
だけど、まだ。あんなふうに一緒に笑い会える相手は−−見つかっていない。
「……っと、行き過ぎたな」
うつむきながら歩いていたら、いつの間にか普段通らない通りを歩いている自分に気付く。
マインリーの町は坑道の中に出来ており拡張を続けているため、道はかなり複雑だ。
産まれた時からここで過ごしているあたしでも、把握しきれない場所は多い。
「ま、たまには良いか」
そんな場所を歩き回るのは、あたしの趣味の一つだ。
知らない場所、というのは何となくわくわくする。子供っぽいとは思うけどちょっとした探検気分だ。
掘り出し物や、良い細工物が見つかる可能性もほんのわずかだけど存在するのが嬉しい。
「……む、ここで行き止まりか」
そうしてしばらく歩いた先にあったのは、行き止まりにある小さな店だった。
古いけれど綺麗に掃除された木造の建築は、蛍光石特有のやわらかく冷たい光に照らされ幻想的なたたずまいを作り出していた。
「手紙、屋?」
その店の古びた看板には、達筆な文字で『手紙屋』と書かれていた。
手紙、という言葉に身体がぴくりと震える。
(その、形にも残りますし……なんていうか、見守ってもらっているような気分というか)
昼間、アレンから聞いた言葉が、頭の中でリフレインする。
懐の手紙を、もぞもぞとやる風景が、浮かび上がる。
「ちょっくら、寄ってみるとするか」
あたしは、ふらふらと誘蛾灯に引かれる蛾のように、その店の門扉をくぐったのだった。
−−−−−−
「−−なるほど、こういう店か」
来客を告げるちりんという鈴の音ともに扉を開けると、所狭しと並んだインク壷や便箋、ペン先に判子などの品々が視界に映る。
どうやら、手紙を書くのに必須の物をそろえた店のようだ。
便箋でも様々なサイズや色柄が揃えられており鮮やかな彩と配置に店主の細やかなセンスを感じる。ドワーフの持つ繊細さとはまた違う、心理的な細やかさだった。
「ーーいらっしゃい」
「おう、邪魔してる」
店の奥から出てきた店主と思しきナイトメアに頭を下げると、彼女も釣られるように頭を下げた。
ナイトメア特有の伏し目がちな灰色の瞳が背の低いあたしの瞳と交わる。
彼女からはインクの匂いと、彼女の夫と思しき人間の精の香りがした。
「ここに来るのは、初めての方ですよね」
「ああ、そうだよ」
「手紙に、興味がおありですか?」
「……ああ」
店主のか細い言葉に、小さな頷きを返す。
手紙なんて書いたこともないし、興味もなかったけれど。
それでも、昼間の風景が頭を離れなかったのは事実だった。
「この店は、手紙を書くのに必要なものを全て取り揃えています。ペン、手紙や便箋に封筒、のりやハサミにペーパーナイフ、切手−−そして、送る相手も」
「送る、相手?」
「−−はい。手紙を書くのに最低限必要なものは紙とインク。それから手紙を送る相手ですから」
ゆらり、と彼女の手が木造の壁の一角を指差す。
そこには商品棚が置かれていないかわりに、多くの紙が貼り付けられていた。
見ればどの紙にもびっしりと文字、場合によっては絵が書き込まれているのが遠目でも分かった。
「こうして、手紙を送る相手の斡旋もしています」
無造作に目をやると、丁度他の客−−どこかおどおどした雰囲気のダークエルフが手元の紙を壁に貼り付けていた。
『ペンスレイブ募集
本格的なテレ調教を受けてみませんか?
奴隷になる快楽を味わいたい方は以下のあて先に……』
ぺたりとその紙を貼り終えた彼女は恥ずかしげに周りをきょろきょろと眺めた後、店主に一礼して逃げるように店を出て行った。
「ここに自己紹介と、あとはどんな話をしたいのかを書いて貼り付けておき、他の人がそれを見て手紙を送る、というシステムになっています」
「なるほど、な……」
「この出会いからわたしの様に、結婚する人もいます−−。貴女も、貼っていきますか?」
「……ああ」
「では、こちらの用紙に……」
ナイトメアから渡された紙に、手持ちのペンで文字を書いていく。
いつもと違う、すこしだけなよなよとした文字。
何となく普段の右肩上がりの文字を書く気は、しなかったのだ。
『ペンパル募集
お花と銀細工が大好きなマインリー在住のドワーフです。
一緒に色々楽しいことを話せると、とても嬉しいです』
何度かつっかえながら、文字を書く。
ペンを動かすさらさらという音とともに普段使わない、丁寧な言葉が紙の上に綴られていく。
そして数分後に出来上がった紙片を壁に貼り付ける。
ドラゴンと、ヴァンパイアの隣。
彼女達もこうして手紙のやりとりをするのだろうか。
そんなことを考えてあたしはくすり、と笑ってしまった。
「あと、便箋。見せてもらっていいかい?」
「はい、勿論です」
シンプルな白い便箋を購入して、あたしは帰路に着く。
手紙が届いた日。ポストに入った白い封筒を想像するだけで、心臓がとくんと跳ねる。
その日の酒は、気持ちよく呑む事が出来た。
−−−−−−−−
あたしの家に手紙が届いたのは、『手紙屋』の壁に紙を貼り付けてから2週間の時が立った後だった。
初日こそわくわくして朝一でポストを覗いたものだけど、三日たつころには気が向いたときに覗く程度になった。競争率を考えたら当然の事だ。
あそこには多くの娘達が自らを全力でアピールしていた。『失恋した方』を癒そうとするドッペルゲンガーに、『あなたの生活、改善してみませんか?』と書き込むキキーモラ。そんな個性豊かな魔物たちの中にあって、あたしの書き込みはごくごく目立たないものだった。
だから、仕事帰り、何の気なしに郵便受けを開け、その端の方にひっそり置かれた封筒を発見した時に思わず頓狂な声を上げ、周囲を慌てて確認する事になってしまった。
表側にはあたしの名前が、裏側にはただ『イチロク』という名と、あて先が書かれていた。
シンプルな白い封筒をペーパーナイフで内側を傷つけないように開ける。
中に入っていたのは、やはり飾り気の少ない便箋だった。
女の子とは違う、角がたった男特有の綺麗な文字。ぴしりと丁寧に罫線の上にそろえられた文字は美しく感じられた。
『−−拝啓、はじめまして−−
春の陽気うららかな日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
こうして初めて筆を取ったので僕はとても緊張しています。もし文章が乱れてしまっていても、お許しください。
僕も、花や銀細工が大好きです
マインリーだと、季節を感じることが中々難しいですけれど、こうして花を見ることで季節の移り変わりを感じることが出来ます。
春はカトレアや沈丁花、夏は向日葵などの花が店先に並んでいるとそれだけで心がワクワクしてしまいます。
男なのに花が好きというのも恥ずかしいですけれど……』
便箋には決まりきった時候の挨拶に始まり、あたしが壁に書き込んだ事に対する文章がつづられていた。
花の話題に始まり、銀細工の違いについて。思いつく限りの事をがんばって書いたと思わせる文面だった。
「ありがと」
ランプの明かりの下、最後に書かれた『敬具』という言葉まで読み終えたあたしは小さく呟いた。
あの多くの書き込みの中から、自分を選んでくれたことが嬉しかった。
「返事、書かなきゃな……。便箋どこやったっけ」
あたしはいそいそと机の中を漁る。
ネジやドライバー、金槌の中、真っ白い便箋と封筒が浮き上がって見えた。
しばらく放置したと言うのに染み一つないのは恐らく保護の魔術がかけられていたためなのだろう。
「……うーん」
ついでにインク壷と、細いペン先を取り出して机の上に置く。
返事を書かなければ。
ペンを咥えて、あたしはしばらく文面に悩み続けるのだった。
−−−−−−−
「……あ」
「えっと、お先にどうぞ」
「いや、あたしが来たのが後だったし……先どうぞ」
「す、すみませんっ」
「いやいやお互い様、だろ?」
ポストの前、同時に手紙を入れようとしたダークエルフに笑いかける。
『手紙屋』にペンパル募集を貼っていた彼女だった。彼女にも手紙が届いたのだろうか、おどろおどろしい紫色の封筒を握るその頬は赤く染まっていた。
手紙が書きあがったのは手紙が届いてから三日後の事だった。
書きたいことは、おもったよりも沢山見つかったけれど、文章にするのが思いのほか大変だったのだ。手直しにも随分時間がかかってしまった。
ドワーフの凝り性と言うのはこんなところでも発揮されるらしい。
仕事中に手紙の内容が大丈夫だったかどうか随分と悩んでしまったものだ。仕事が疎かになってしまったのではないかと不安になってしまう。
不安のあまり最終的に手紙の達人であろうマリーちゃんに手紙の書き方まで聞いてしまった。
「思ったことを、そのまま書くんです」頬を真っ赤に染めながら話す彼女は、どこか遠くを見ながらそう話してくれた。「今日はどんなことをしようかということだったり、カタツムリが見つかった!何てどうでも良いことを書いてみたり。思ったことをとにかく書くんです」その言葉にあたしは頷いたのだった。
……勿論、何のためにそんなことを聞いたのかは誤魔化した。
きょとんと顔を傾ける彼女をに嘘をつくのは心苦しかったけど、恥ずかしかったのだ。
「ちゃんと届くと良いな」
「そう、ですね」
ぽつりと呟くあたしに、囁くように告げるダークエルフ。
あたしたちは、『手紙屋』にペンパルを募集したいわば戦友だ。
期することはきっと同じ。
『ちゃんと、届きますように』
文だけでなく。あたしたちの言葉が、心が。
そんな、柄にも合わないロマンチックなことを考えていた。
「健闘を祈るね」
「ええ、貴女も頑張って−−。私も、勇気出してみるから」
再び首肯して、仕事場へと向かう。
あたしの懐の中にはイチロクからもらった手紙が入っていた。
もぞもぞと手で触れてやると、なんだか暖かかった。
−−
「お、レオン。今日も気合はいってんな!」
「は、はい。早く一人前になりたいですから……」
「殊勝な心がけだけど、無理はするなよ?」
「は、はい……」
「とりあえず、無理してるってことは分かった。それはあたしが預かるから、レオンはアレンのヘルプいってこい。最近ホッズの調子があんま良くないから人手が足りないんだ」
「運び途中のこの鉱石を運んでから行きます」
「いや、それはまだレオンには重過ぎるみたいだかし、あたしが持ってくよ」
よろよろと銀の鉱石を運ぶレオンの手から、銀の鉱石を受け取る。
「でも」とか「しかし」と言いながら微妙に渋るレオンだが、最終的にはあたしに渡してくれた。
アレンと同じく、彼も中々の有望株なのだ。無理て怪我したりしないように、しっかりと面倒を見ていかなければ。
それに、ホッズの様子も気になる。
最近、なんと言うか生傷が増えているような気がするのだ。理由を聞いても教えてくれないので心配でならない。
「ふう」
重いものを運んだせいでへっぴり腰になったレオンを横目に見つつ、鉱石を運ぶ。
最近の銀鉱石は質が良く、重いものが多い。魔界の魔力が浸透しきったのが原因なのだろうか。
普段は喜ばしいことだけど、レオンの腰が心配になる。
とにかく『一人前』になろうと
何せこの歳まで恋人のいない男だ。アレンのように鈍感じゃないから引く手あまただろうし誰かがくっつくのは時間の問題だ。
そんな時、腰が壊れてセックスできないなんてなったらあたしの監督責任どころの騒ぎじゃない。
悩み事は多く、糸口もあんまりない。
「相談、か」
懐の手紙を意識して、あたしは小さくため息をついた。
以前お手紙を送った時から随分と時間がたってしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか。私は元気に日々を過ごしています。
季節が分かりにくいこの街でもやや暑さを濃く感じる時期となりましたので、先日から夏服を着用するようになりました。同僚たちはみな露出の多い格好を好むので、必要な部分の防護を怠って事故を起こさないために注意して回っております。
以前、後輩の引越しについて、ご相談に乗っていただきありがとうございました。
私は仕事の性質上、まずマインリーの地下を出ることがないため、適切なアドバイスが出来ず悩んでおり、貴方のおかげでちゃんと先輩の威厳が保てたようです。
先日、紹介していただいた『アリさん引越し社』に後輩達と行って来ました。
丁寧な対応と、仕事ぶりがとても印象に残る良い事務所でした。
これなら、きっと良い家を建ててくれると思います。
同封したのは、その時の帰り道に摘んだカスミ草を押し花にして栞にしたものです。
少し地味なお花ですが、私のお気に入りの花です。
もしよろしければ、使ってくれると嬉しいです。
……』
「ええと、文章おかしくないよな……」
やや滲んでしまったペン先を慌てて紙の上から外しながらあたしはポツリと呟いた。
テーブルに置かれたランプの明かりの元、書き途中の手紙に目を走らせる。
今年に入ってから毎週のように書いてきたはずだけど、不安は中々消えてくれない。
失礼な文章になっていないか。
字の大きさは適正だろうか。
相手の人は喜んでくれるだろうか。
元々文章とは縁のない生活を送ってきた身だ。勘違いでとんでもないことをやらかしてる可能性だってある。
左手側に積まれた紙束はそんな不安が具現化したもの……即ち書き損じの山だ。
少しでも気を抜くとドワーフ丸出しな右肩上がりの角ばった文字になってしまう癖が大きな原因だった。
……とはいえ、ドワーフに産まれたおかげでこうして器用に文字を偽装することができるのだけど。
「もらって、くれるよな」
手元に置いたカスミ草の栞に、軽く手を触れる。
先日外出したとき摘んだ花を押し花したもので、二枚作った栞の片割れだ。
もう一枚は、あたしの読みかけの本に挟まっている。
手紙越しの彼が使ってくれたら、おそろいである。
「−−ったく、あたしらしくないな」
自分の言葉を誤魔化すように苦笑して、あたしは頭の後ろをぽりぽりと掻いた。
−−−−−−
「よいしょおっ!」
狭い坑道の中、魔界銀の鉱石を満載したトロッコを押す。
あたしの体重よりはるかに重いし大きいけど、慣れた物だ。軋むような音をあげながらトロッコが動く。周囲を見ればドワーフやサイクロプス、ジャイアントアントなどの魔物たちと人間の鉱夫たちが協力し、熟練の手つきで採掘を進めていた。
これがあたしの住んでいる街、マインリーの日常風景。
旧魔王時代のころは人間の鉱山として栄えたここは、幾度とない出水や落盤、粉塵などの無秩序な採掘による被害に悩まされていたという。
時代の転換点となったのは、新しい魔王様の時代になってからだ。
当時の鉱山の責任者である人間がここで働く人間のため、進んだ技術を持った魔物と組んでの大改修計画を立てたのだ。
そして行われたのは鉱山の専門家たるドワーフたちの総力を持った大改修。崩れた地盤を固めなおし、出水を予防する薬液。塵肺を予防するための魔術陣。光源としての魔術燭台と蛍光石の導入と当時最新の技術を惜しげもなく投入したのだ。
結果として、人間と魔物たちが手を取り合って働く鉱山の街が完成したのだ。
今では街の機能すら鉱山の中に入れてしまった洞窟の街である。
「よし、こんなもんか!」
何度も何度もトロッコで往復することで全ての鉱石を運び終えた、あたしは一息をついた。
太陽が見えないおかげで時間が分かりにくいけど、腹時計がきっちり昼間を伝えてくれる。
さらにもう一つ、あたしに昼食時を伝えてくれる存在がいるのだ。
「あのう、すいません。アレンにお弁当を持ってきたんですが」
「おっ!マリーちゃん!今日も健気だねえ」
「だ、だって、アレン君……じゃなかった、アレンのお嫁さん……ですから」
大きなバスケットを持っておずおずと近づいてくるトロールに笑みを見せると、彼女ははにかむように笑う。頭の上に咲く向日葵がゆらゆらと揺れた。
彼女はこの鉱山で働く後輩−−アレンの新妻であるマリーだ。
幼馴染だった彼女は結婚する前から毎日毎日お昼時になると彼のために弁当を届けにやってくるのだ。結婚してから彼女が持ってくる弁当入りのバスケットが少し大きくなったのが微笑ましい。
「じゃ、呼んで来るからちょっと待ってな……おーい、アレン!愛しのマリーちゃんが来たよー!」
「そ、そんなに大きな声で呼ばなくても……」
「新婚なんだろ?みせつけてやれって」
恥ずかしそうにうつむく彼女を尻目に、あたしは後輩の働く鉱山の奥へと歩いていく。
彼女の言うとおり、そんなに大声を出す必要はなかった。
直属の部下であるアレンの居場所は分かっている。
以前は朴念仁なアレンにマリーちゃんの気持ちを気付かせるべく大声を出していたけど、彼らが結婚した今、そんなことをする必要はないというのに。
−−−−ーーー
「……?」
昼休憩が終わり、再び仕事に戻ったあたしは坑道に落ちていた小さな紙切れを拾い上げた。
それは、真っ白な封筒だった。
裏返してみると『アレン君へ』と綺麗な文字で書かれている。
隣に描かれた小さな向日葵のイラストが可愛らしかった。
「−−マリーちゃんかな?これ」
顔をあげると、アレンが何かを探しているようにきょろきょろと周囲を見回すのが見えた。
どうやら、どんぴしゃのようだ。
「おーい、アレン。落し物だぞ」
「あ、先輩。ありがとうございます!」
後ろからつついて手に持っている手紙を彼に見せると、言葉とは裏腹に凄まじい勢いで奪われた。よっぽど本気で探していたのだろう。
もしくは、とても恥ずかしかったか。
「それ、やっぱりマリーちゃんからもらったものなのかい?」
「は、はい……」
からかうような声音で告げると、彼の顔が林檎のように真っ赤に染まる。
予想通りのブツだったようだ。
「どんなものか、聞いてもいいかい?」
「その、最近、マリーがお弁当に手紙を添えてくれるようになって」
「手紙って……毎日あってる仲っていうか、毎日しっぽりやってる仲じゃないのかい?」
「しっぽりって……確かにやってますけど。なんていうか、手紙だとやっぱり色々といえることってあるんですよ」
「いえないことって言うともしかして、今日はどんな事をヤルのかでも書いていたんじゃないのかい?」
「っ!?」
ちょっとした意地悪のつもりで指を丸め、中に人差し指を通してやると彼の首もとまで真っ赤な部分が広がった。なんとも分かりやすい反応である。
「その、形にも残りますし……なんていうか、見守ってもらっているような気分というか」あたしにそっぽを向きながら、もぞもぞとふところの手紙を彼は弄っていた。
なんとなく、こっちまで恥ずかしい気分になってしまって、あたしもついついあらぬ方向を見てしまった。
「なるほど、ねえ」
つるはしを担ぎながら、小さく呟く。
(ラブレター、か……)
男の人から、何ももらったことのない自分。
産まれてこのかた、恋愛経験のなかった自分。
そんな言葉が、あたしの中をよぎる。
そのときのあたしの表情がどんなものだったか、あたし自身にも分からなかった。
「−−さ、仕事だ仕事!アレン、ホッズはあたしについて採掘、あとレオンも見学でついて来い!」
「は、はいっ!」
何かを誤魔化すように小さい体を振り絞って大声を出して気分を切り替える。
今日のノルマはまだ達成されていない。
うじうじしている暇があったら、とにかく目の前の仕事に打ち込むのが上策というもの。それでも辛かったら酒を飲めば良いのだ。
今日の晩酌に使う酒は棚の奥の取って置きをぬるめの燗にするとしよう。肴は外の商人が持ち込んだスルメを炙ろう。ゆらゆらとしたランプの灯の下で、静かな晩酌にしよう。
飾りなんてなくていいし、流行の唄もなしでいい。ただしみじみと呑もう。
集まった後輩達に新たな魔界銀の鉱脈について説明しながら、あたしはそんなことを考えていた。
−−−−ーーー
「……よし、仕事終わり!解散!」
「「「お疲れ様でしたっ!!」」」
仕事終わり、坑道の中に鉱夫たちのお疲れ様の唱和が響く。
今日の仕事は中々に捗った。
アレンは結婚してからというもの普段よりさらに力を発揮するようになったし、ホッズも同期に負けまいとつるはしを振るってくれた。
新人のレオンはまだまだと言った所だけど、一生懸命に汗を流していたのが好印象だった。
ちょっと頑張りすぎて「僕なんてまだまだだ……」なんて暗い顔をしていたが、誰もが始めはそんなものだ。今度のみに連れて行くとしよう。
「さあて、と。明日は休みだしどっかに寄るとするか」
周囲の人間に隠れるようにしてそそくさと仕事場を後にする。
聞こえてくるのは、夫や妻の帰宅が待ちきれずに迎えに来た魔物や人間達と、働き終えた鉱夫たちの楽しげな喋り声。
昔は好きだったこの喧騒から逃げるようになったのは、いつのころからだろうか。
少なくとも、子供の頃は嫌いじゃなかったことだけは分かる。
いつか、こんな風になりたいと。そして、いつかはこうなるだろうと。未来を思い描いていた。
今のあたしは、あの頃描いたとおりの、鉱夫となった。
だけど、まだ。あんなふうに一緒に笑い会える相手は−−見つかっていない。
「……っと、行き過ぎたな」
うつむきながら歩いていたら、いつの間にか普段通らない通りを歩いている自分に気付く。
マインリーの町は坑道の中に出来ており拡張を続けているため、道はかなり複雑だ。
産まれた時からここで過ごしているあたしでも、把握しきれない場所は多い。
「ま、たまには良いか」
そんな場所を歩き回るのは、あたしの趣味の一つだ。
知らない場所、というのは何となくわくわくする。子供っぽいとは思うけどちょっとした探検気分だ。
掘り出し物や、良い細工物が見つかる可能性もほんのわずかだけど存在するのが嬉しい。
「……む、ここで行き止まりか」
そうしてしばらく歩いた先にあったのは、行き止まりにある小さな店だった。
古いけれど綺麗に掃除された木造の建築は、蛍光石特有のやわらかく冷たい光に照らされ幻想的なたたずまいを作り出していた。
「手紙、屋?」
その店の古びた看板には、達筆な文字で『手紙屋』と書かれていた。
手紙、という言葉に身体がぴくりと震える。
(その、形にも残りますし……なんていうか、見守ってもらっているような気分というか)
昼間、アレンから聞いた言葉が、頭の中でリフレインする。
懐の手紙を、もぞもぞとやる風景が、浮かび上がる。
「ちょっくら、寄ってみるとするか」
あたしは、ふらふらと誘蛾灯に引かれる蛾のように、その店の門扉をくぐったのだった。
−−−−−−
「−−なるほど、こういう店か」
来客を告げるちりんという鈴の音ともに扉を開けると、所狭しと並んだインク壷や便箋、ペン先に判子などの品々が視界に映る。
どうやら、手紙を書くのに必須の物をそろえた店のようだ。
便箋でも様々なサイズや色柄が揃えられており鮮やかな彩と配置に店主の細やかなセンスを感じる。ドワーフの持つ繊細さとはまた違う、心理的な細やかさだった。
「ーーいらっしゃい」
「おう、邪魔してる」
店の奥から出てきた店主と思しきナイトメアに頭を下げると、彼女も釣られるように頭を下げた。
ナイトメア特有の伏し目がちな灰色の瞳が背の低いあたしの瞳と交わる。
彼女からはインクの匂いと、彼女の夫と思しき人間の精の香りがした。
「ここに来るのは、初めての方ですよね」
「ああ、そうだよ」
「手紙に、興味がおありですか?」
「……ああ」
店主のか細い言葉に、小さな頷きを返す。
手紙なんて書いたこともないし、興味もなかったけれど。
それでも、昼間の風景が頭を離れなかったのは事実だった。
「この店は、手紙を書くのに必要なものを全て取り揃えています。ペン、手紙や便箋に封筒、のりやハサミにペーパーナイフ、切手−−そして、送る相手も」
「送る、相手?」
「−−はい。手紙を書くのに最低限必要なものは紙とインク。それから手紙を送る相手ですから」
ゆらり、と彼女の手が木造の壁の一角を指差す。
そこには商品棚が置かれていないかわりに、多くの紙が貼り付けられていた。
見ればどの紙にもびっしりと文字、場合によっては絵が書き込まれているのが遠目でも分かった。
「こうして、手紙を送る相手の斡旋もしています」
無造作に目をやると、丁度他の客−−どこかおどおどした雰囲気のダークエルフが手元の紙を壁に貼り付けていた。
『ペンスレイブ募集
本格的なテレ調教を受けてみませんか?
奴隷になる快楽を味わいたい方は以下のあて先に……』
ぺたりとその紙を貼り終えた彼女は恥ずかしげに周りをきょろきょろと眺めた後、店主に一礼して逃げるように店を出て行った。
「ここに自己紹介と、あとはどんな話をしたいのかを書いて貼り付けておき、他の人がそれを見て手紙を送る、というシステムになっています」
「なるほど、な……」
「この出会いからわたしの様に、結婚する人もいます−−。貴女も、貼っていきますか?」
「……ああ」
「では、こちらの用紙に……」
ナイトメアから渡された紙に、手持ちのペンで文字を書いていく。
いつもと違う、すこしだけなよなよとした文字。
何となく普段の右肩上がりの文字を書く気は、しなかったのだ。
『ペンパル募集
お花と銀細工が大好きなマインリー在住のドワーフです。
一緒に色々楽しいことを話せると、とても嬉しいです』
何度かつっかえながら、文字を書く。
ペンを動かすさらさらという音とともに普段使わない、丁寧な言葉が紙の上に綴られていく。
そして数分後に出来上がった紙片を壁に貼り付ける。
ドラゴンと、ヴァンパイアの隣。
彼女達もこうして手紙のやりとりをするのだろうか。
そんなことを考えてあたしはくすり、と笑ってしまった。
「あと、便箋。見せてもらっていいかい?」
「はい、勿論です」
シンプルな白い便箋を購入して、あたしは帰路に着く。
手紙が届いた日。ポストに入った白い封筒を想像するだけで、心臓がとくんと跳ねる。
その日の酒は、気持ちよく呑む事が出来た。
−−−−−−−−
あたしの家に手紙が届いたのは、『手紙屋』の壁に紙を貼り付けてから2週間の時が立った後だった。
初日こそわくわくして朝一でポストを覗いたものだけど、三日たつころには気が向いたときに覗く程度になった。競争率を考えたら当然の事だ。
あそこには多くの娘達が自らを全力でアピールしていた。『失恋した方』を癒そうとするドッペルゲンガーに、『あなたの生活、改善してみませんか?』と書き込むキキーモラ。そんな個性豊かな魔物たちの中にあって、あたしの書き込みはごくごく目立たないものだった。
だから、仕事帰り、何の気なしに郵便受けを開け、その端の方にひっそり置かれた封筒を発見した時に思わず頓狂な声を上げ、周囲を慌てて確認する事になってしまった。
表側にはあたしの名前が、裏側にはただ『イチロク』という名と、あて先が書かれていた。
シンプルな白い封筒をペーパーナイフで内側を傷つけないように開ける。
中に入っていたのは、やはり飾り気の少ない便箋だった。
女の子とは違う、角がたった男特有の綺麗な文字。ぴしりと丁寧に罫線の上にそろえられた文字は美しく感じられた。
『−−拝啓、はじめまして−−
春の陽気うららかな日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
こうして初めて筆を取ったので僕はとても緊張しています。もし文章が乱れてしまっていても、お許しください。
僕も、花や銀細工が大好きです
マインリーだと、季節を感じることが中々難しいですけれど、こうして花を見ることで季節の移り変わりを感じることが出来ます。
春はカトレアや沈丁花、夏は向日葵などの花が店先に並んでいるとそれだけで心がワクワクしてしまいます。
男なのに花が好きというのも恥ずかしいですけれど……』
便箋には決まりきった時候の挨拶に始まり、あたしが壁に書き込んだ事に対する文章がつづられていた。
花の話題に始まり、銀細工の違いについて。思いつく限りの事をがんばって書いたと思わせる文面だった。
「ありがと」
ランプの明かりの下、最後に書かれた『敬具』という言葉まで読み終えたあたしは小さく呟いた。
あの多くの書き込みの中から、自分を選んでくれたことが嬉しかった。
「返事、書かなきゃな……。便箋どこやったっけ」
あたしはいそいそと机の中を漁る。
ネジやドライバー、金槌の中、真っ白い便箋と封筒が浮き上がって見えた。
しばらく放置したと言うのに染み一つないのは恐らく保護の魔術がかけられていたためなのだろう。
「……うーん」
ついでにインク壷と、細いペン先を取り出して机の上に置く。
返事を書かなければ。
ペンを咥えて、あたしはしばらく文面に悩み続けるのだった。
−−−−−−−
「……あ」
「えっと、お先にどうぞ」
「いや、あたしが来たのが後だったし……先どうぞ」
「す、すみませんっ」
「いやいやお互い様、だろ?」
ポストの前、同時に手紙を入れようとしたダークエルフに笑いかける。
『手紙屋』にペンパル募集を貼っていた彼女だった。彼女にも手紙が届いたのだろうか、おどろおどろしい紫色の封筒を握るその頬は赤く染まっていた。
手紙が書きあがったのは手紙が届いてから三日後の事だった。
書きたいことは、おもったよりも沢山見つかったけれど、文章にするのが思いのほか大変だったのだ。手直しにも随分時間がかかってしまった。
ドワーフの凝り性と言うのはこんなところでも発揮されるらしい。
仕事中に手紙の内容が大丈夫だったかどうか随分と悩んでしまったものだ。仕事が疎かになってしまったのではないかと不安になってしまう。
不安のあまり最終的に手紙の達人であろうマリーちゃんに手紙の書き方まで聞いてしまった。
「思ったことを、そのまま書くんです」頬を真っ赤に染めながら話す彼女は、どこか遠くを見ながらそう話してくれた。「今日はどんなことをしようかということだったり、カタツムリが見つかった!何てどうでも良いことを書いてみたり。思ったことをとにかく書くんです」その言葉にあたしは頷いたのだった。
……勿論、何のためにそんなことを聞いたのかは誤魔化した。
きょとんと顔を傾ける彼女をに嘘をつくのは心苦しかったけど、恥ずかしかったのだ。
「ちゃんと届くと良いな」
「そう、ですね」
ぽつりと呟くあたしに、囁くように告げるダークエルフ。
あたしたちは、『手紙屋』にペンパルを募集したいわば戦友だ。
期することはきっと同じ。
『ちゃんと、届きますように』
文だけでなく。あたしたちの言葉が、心が。
そんな、柄にも合わないロマンチックなことを考えていた。
「健闘を祈るね」
「ええ、貴女も頑張って−−。私も、勇気出してみるから」
再び首肯して、仕事場へと向かう。
あたしの懐の中にはイチロクからもらった手紙が入っていた。
もぞもぞと手で触れてやると、なんだか暖かかった。
−−
「お、レオン。今日も気合はいってんな!」
「は、はい。早く一人前になりたいですから……」
「殊勝な心がけだけど、無理はするなよ?」
「は、はい……」
「とりあえず、無理してるってことは分かった。それはあたしが預かるから、レオンはアレンのヘルプいってこい。最近ホッズの調子があんま良くないから人手が足りないんだ」
「運び途中のこの鉱石を運んでから行きます」
「いや、それはまだレオンには重過ぎるみたいだかし、あたしが持ってくよ」
よろよろと銀の鉱石を運ぶレオンの手から、銀の鉱石を受け取る。
「でも」とか「しかし」と言いながら微妙に渋るレオンだが、最終的にはあたしに渡してくれた。
アレンと同じく、彼も中々の有望株なのだ。無理て怪我したりしないように、しっかりと面倒を見ていかなければ。
それに、ホッズの様子も気になる。
最近、なんと言うか生傷が増えているような気がするのだ。理由を聞いても教えてくれないので心配でならない。
「ふう」
重いものを運んだせいでへっぴり腰になったレオンを横目に見つつ、鉱石を運ぶ。
最近の銀鉱石は質が良く、重いものが多い。魔界の魔力が浸透しきったのが原因なのだろうか。
普段は喜ばしいことだけど、レオンの腰が心配になる。
とにかく『一人前』になろうと
何せこの歳まで恋人のいない男だ。アレンのように鈍感じゃないから引く手あまただろうし誰かがくっつくのは時間の問題だ。
そんな時、腰が壊れてセックスできないなんてなったらあたしの監督責任どころの騒ぎじゃない。
悩み事は多く、糸口もあんまりない。
「相談、か」
懐の手紙を意識して、あたしは小さくため息をついた。
16/06/19 02:29更新 / くらげ
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