連載小説
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一月経って
「おはよう。先行ってるぜ?」
「ん、おはよ……」
 瞳の言葉にぼんやりと答える。
 遠くで桜島が爆発する音が聞こえるが、彼女は気にもせず、ただにやりと笑うのみだった。
 彼女が来てから既に一ヶ月の時が経過していた。
 要より早起きして学校に向かい、要より遅く帰って来る。
 そして帰ってから眠るまでのの短い時間、二人きりで話す。
 そんな日々が続いていた。
(何なんだろうなあ、あの夢は)
 あの夢、一つ目のバケモノに吸われる夢は毎晩繰り返されている。
 おかげでこの月に入ってから一度も自分を慰めることもなくなった。
 それどころか、あの快楽に期待してしまっている節もある。
 ありていにいえば、慣れてしまったのだ。
 何故か自分に身の危険が及ぶという考えも、起こらなかった。
 ぞくりと鳥肌が立つような魔性の快楽こそ変わらないが相手のバケモノを観察する余裕すらある。
 弁当の準備をしながら、頭の中で夢の存在を思い起こす。
 長い黒髪と触手をもつ、蒼い一つ目の女性だった。
 若竹のように、しなやかで無駄な脂肪のついていない肉体をもつ彼女は毎晩一心不乱に彼の性器を貪っていた。
「ーーコクガン?」
「いや、なんでもない」
 不意に、頭の中で一つの考えが浮かんで首を何度か振る。
 一瞬だけ、夢の中の女と同居人の姿が重なって見えたのだった。


−−


「タヌキって、どのへんがたぬきなんだ?」
「さあ……?天ぷらが尻尾に見えるとか?もしくはお腹か?」
 大学の昼休み。
 いつもの食堂。箸でずるずると天カス入りのそばをすする彼女の言葉に要は首をかしげた。
 若干ぎこちないながらも箸を使いこなしているのは、以前買った箸練習セットのおかげだろうか。そんなことをぼんやりと考えつつ、自作した弁当のふりかけおにぎりを食べる。
「まあ、とりあえずいけるなコレ」
「何はなくとも、たぬきは蕎麦だよな」
「そういうもんなのか?」
「ああ、たぬきといえば蕎麦だ」
 あっという間に汁まで飲み干した瞳に、真顔で答える。
 二人はしる由もないが、タヌキそばの麺色が黒で、狐うどんが白だからタヌキと呼んだなどという説が存在する。
「そういえばセンダイ、最近なんかボーっとしてるみたいだけどどうしたんだ?」
「ん、ああ・・・…。最近変な夢見ちゃってさ」
 彼女の言葉に、誤魔化すように笑う。
 夢に出た怪物が、瞳に似ているなどという言葉を吐くつもりなどさらさらない。
 彼女はしばらく訝しげに蒼い瞳で覗き込んできたが、やがで諦めたようにずるずると再び蕎麦に向かうのだった。
「とりあえず、午後は寝るなよ?」
「−−おう」
 普段どおりの、挨拶。
 ひらひらと手をふる彼女に、頷きひとつ返して教室へと向かう。
 今日の授業は、集中できそうになかった。 


−−


「ただ、いま」
「お帰り。あいかわらずボロボロだな」
「……疲れたぜ」
 いつも通りに遅れて帰ってきた彼女を出迎える。
 毎日こんな調子である。収入は良いというのは彼女の合言葉だが明らかにつりあっていないような気がする。
「とりあえず、お疲れ様だな」
「ああ、ありがとよ……とりあえず風呂だ風呂」
 平然と服を脱ぎ始める彼女に苦笑しつつ、カレンダーを眺める。
 日々を過ごすたびに日を塗りつぶしていったそれは、すでに月が変わり新しいページに突入していた。
「今日で、一ヶ月か」
「ああ、もうそんなにたったんだな」
「悪いな。こんな長く居るつもりじゃなかったんだが−−その、まだアパートとか見つかってなくてよ」
「いいよ、俺もそれなりに楽しいしな」
「良かった。センダイに嫌われるのはなんていうか、堪えるからな」
 すまなそうに言う彼女に対して笑って見せると、彼女もきししと三日月のように笑って見せた。
「−−嫌われるのに、慣れてるはずなんだけどよ」
 ぽつり、とつぶやきつつ彼女は申し訳程度の隠し方のまま風呂場へと歩いていく瞳。
 はだけた衣装の端からちらりと白い肌がのぞく。
 もはや勝手しったる我が家とでもいいたげな動きである。
「……じゃ、風呂はいってくるから覗くなよ?」
「覗かん覗かん……全く、何度目だよこれ」
「そうだな、パンを食った枚数と同じで覚えてねえな、多分」
 にしし、という彼女の表情すら見えそうな言葉に、要は笑みを苦笑の形に変えたのだった。


−−

「熱い湯が効くぜ……」
 風呂に漬かりながら 疲れが湯の中にとけていくような感覚に、思わず息を吐く。
 元の姿に戻り、触手と体の間に流れる湯の感覚が心地良い。
 彼や彼の家族としばらく過ごしたが、風呂をのぞかれたりすることはなく、元の姿に戻っても大丈夫という判断だった。
 すなわち、この時間だけが元の姿でゆっくりくつろげる時間だ。
「−−おーい、シャンプーなかったろ?」
「しゃ、シャンプー!」
 故に、風呂場の外から聞こえてきた声に、おもわずびくりと大げさな反応をしてしまったのだ。
 ばしゃりと湯が風呂桶から流れ出す大きな音が響く。
「ああ。髪洗うやつ……って普段何で髪洗ってんだよ」
「そ、そりゃ石鹸だろ」
 風呂場の外に、替えのシャンプーを置きつつ、要は小さく首を傾げる。
 彼女の声がどこかくぐもったような変わった音だったこと。
(−−影の形、なんか変だったような)
 そして、風呂場のすりガラスからみえる彼女の影が、どこか可笑しな形をしていたことが原因だった。
「とりあえず、覗くのはわりいから、ここに置いとくぞ」
「すまねえ、それで頼む」
 首を傾げつつも風呂場に背を向け、居間へと戻る要。
 その背中にガラス越しから声をかけた彼女の額に、嫌な汗がつつ、と流れていた。
「……あぶな、かった」
 彼女が風呂を上がるまで、結局風呂場の前に置かれたシャンプーがつかわれることはなかった。


−−


「−−ったく、ひでえ目にあったぜ」
「どうしたんだ?一体」
「いや、関係ねえ話だ」
 風呂上り、Tシャツ一枚に下着という格好で台所に立ちながら瞳は誤魔化した。
 実際には風呂での一軒が原因なのだが蒸し返したくはない。
 無心でキャベツを刻み、おから、サラダ油とともにテフロン加工のフライパンでいためる。仕上げにカレー粉を入れればそれだけでカレー風味のキャベツ炒めである。
「遅飯だな」
「昼飯から今の今まで何も食ってねえからな。しょうがねえよ……と、キャベツ丼。完成」
 出来上がった炒めものをご飯の上に乗せ、マヨネーズと鰹節をかけつつ食卓に置く。
 長いこと働いていたせいで減っていたお腹が、カレー粉の香りでくぅ、と鳴った。
「−−そういや、コクガン」
「どうしたんだ?」
「いや、明日当たり、俺も飯もって来ようか?」
「そういやカナメは弁当だったか」
 キャベツ丼をがっつく彼女に、要は声をかける。
 普段彼女は学食で食べており、弁当を食べることはない。
 たしかに食堂ならば暖かいものが食べられる。しかし、弁当には弁当のよさがあるのだ。
「ああ、食べる時間ずらしたりすればそこまで食事の間が空くわけじゃないし、何より安い」
「−−たしかに、そっちの方が安く済みそうだな」
 彼の言葉に、頷く彼女。既に手元のキャベツ丼は半分以上なくなっていた。普段からそうだがなかなかの健啖ぶりである。
「ちょっと、早起きしないといけないけどな」
「そりゃ、しょうがねえよ。ま、手間については少しくらいズルさせてもらうけどよ」
「ズルって何する気だ?」
「おかず、今のうち作って冷凍しておくんだよ。カナメはなんか食えないもんとかあるか?今のとこ、好き嫌いしたところは見たことねえんだが」
「あー、そうなあ、実は煮物がちょっと苦手だ。出されたら全部食うけど」
「了解、危ないとこだったぜ」
 残りのキャベツ丼をぺろりと平らげ、立ち上がりながら瞳は小さく笑う。
 ちょっとしたことでも、彼のことが知れたのが嬉しかったのだった。
「もし言ってくれなかったら鳥の煮物出すとこだった」
「はは、名物だものな」
「−−という訳で、今度はリクエストとかあるかい?腕に自信はないから作れないものは却下するけどな」
「「うーん……鮭かな。おにぎりに使いたい」
「了解。今焼いて冷凍しとく−−あとはほうれん草のおひたしあたりでもつくっかな」
 冷蔵庫を開けてぶつぶつと考え事を始める彼女。
(しかし、これだけ長いこと一緒にいるのに)
 その様子を、彼はぼんやりと眺めていたのだった。
(あんまり、コクガンの事は良く分からないままだな……)


−−

「ぐがー……ぐおお……」
「−−おーい。寝てんのか。コクガン」
「……カナメ?どーして、こんな時間に……」
 朝の6時、要の声に彼女は眠い目を擦る。
 寝る間も変身を保っているためか、それとも仕事疲れか、彼女の寝起きはあまりよくない。
 枕元の時計を確認してあくびを一つつき
「弁当、作るんだろ」
「っ!?そっか、アタシがたのんだったんだ!?」
 直後、跳ね起きた。
 扉越しの大きな音に、要は思わず苦笑する。
「先、準備してるからな」
「おう、さっさと服着るからちょいと待っててくれ」
(寝るとき、裸なのか)
 不意に、彼の脳裏に浮かんだのは裸になった瞳の姿だった。
 風呂に入るときなど、彼女は堂々と裸になるので慣れているもののそれでもやはり反応はしてしまう。
 そして、もう一つ。
(−−あれも、裸だったよな)
 夢の中で出てきた一つ目も裸だったか。
 彼女による口淫の感覚を思い出し、思わず前かがみになってしまった。
「−−ん?ここで待ってなくても良かったんだが」
「いや、なんでもない。なんでも」
 がちゃりとドアを開く音にびくびくしつつ、彼はなんとも言えない表情になったのだった。
16/05/18 23:57更新 / くらげ
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