連載小説
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第八幕 太陽と月:前編
 『太陽と月 〜あるいは大陸の邪仙と護国の鬼兵のお話〜』










 『なるほど、確かにこれは“虫”だ。こいつには何もない、伽藍堂の空洞、生きた金型。打てば響くがただそれだけ。

 獣のように利を欲するのでもなく。

 鳥のように高みを目指すのでもなく。

 草のように静寂を求めるのでもなく。

 魚のように自由を謳歌するわけでもない。

 “虫”は思わない。“虫”は考えない。“虫”は悩むこともせず、ただ這いずり回る。

 嗚呼ならばこそ、“虫”よ。生きるがいい、その果てに貴様の生の真価を見出すがいい』



 冒険小説『比翼連理紀行』・英雄の巻、第三章『白刃の月』文中より抜粋。










 ジパング。かつて東方を旅した商人が残した記録によれば、かの国はその国土の下に莫大な金銀財宝を有し、権力者が住まう宮殿から下々の民家に至るまで全てが黄金で作られた煌びやかな宝物の国であると書き記してある。

 まあ実際はかなりの誇張が含まれている。文中にある「黄金の家」なるものも、実際は時の権力者が己の権勢を誇示するために造らせたもので、米粒ほどの砂金を薄く引き延ばした膜を壁に貼り付けたものに過ぎない。なお、金色の寺院と有名な黄金の建物は定期的に金箔の張替えが行われているという。

 伝聞と実態が異なるというのは往々にしてあることだ。西方南方より多くの商人が黄金の国を見つけようと躍起になったが、ありもしない幻影をいくら探しても見つかるはずもなく、後に大航海時代を迎え少しすると東方黄金伝説は場末の風説として流されるようになっていった。

 しかし、ここ数世紀で再び東方に熱い視線が注がれるようになり、多くの商人や旅人が東の最果てを目指して一路極東を目指すようになった。

 新魔王の台頭によって世界の法則が変わり、全ての魔物は見目麗しい美女へと姿を変えた。それはこのジパングでも例外ではなかった。

 極東の島国は西方諸国には無い特殊な文化を築いていた。中でも多くの異邦人の興味を引いたのは、ジパング人の大半が魔物に対し恐れの心はあれど嫌悪はしていないという事だった。それどころか多くの種族が人間と生活圏を同じくし、新魔王が台頭する以前より人魔の共存が成功していた事を歴史から知った西方の者達は皆一様に驚愕を隠せなかった。

 古くより、万物には精霊が宿るとするヤオヨロズ信仰が主流のジパングでは、神と魔の区別は大差なく、力を持つ全てが平等に意志ある存在として扱われるという西方人にしてみれば実に不可思議な宗教観が根付いていた。その為、多くの魔物が古くから精霊や土着神として祀られていたりする光景に、多くの異邦人は深い感銘とカルチャーショックを受けた。

 「万物に神が宿る」という性質上、開国に応じ諸外国の人々を受け入れるようになってから、ジパングは地上で唯一人魔の境が無い国として一躍その名を轟かせた。海を越えひとつ西には人外魔境の霧の大陸があることもあって、二種族が平和的に暮らすジパングは新たな時代を迎えた人間と魔物にとってまさしくユートピアだった。

 しかして、人魔の楽園とされるこの国が何でもかんでも受け入れる寛容さばかりとは限らない。千数百年という現存するいかなる国々より古い歴史を持つこの国は、只のお人好しだけで保ってきたただ平和という国ではない。

 光射す所に闇があるように、極東の島国ジパングも古来より脅威に晒されつつあった。

 そして、影にあって影に生き、闇を払うことを生業とする闇夜の住人達もまた、この国には数多く存在していた。

 これは、楽園と称された島国で起きた怪奇なる事件、その裏側を追った物語である。

 「『人斬り権兵衛』、でございますか?」

 「へぇ。近頃、街道を騒がせてる物狂いの類でさ」

 燦々と日光が降り注ぐ、ここはジパングを縦断する街道がひとつ、その道中に設けられた茶屋。旅の者が多く行き来するこの往来には連日多くの客が訪れ、旅先で見聞きしたことや珍しい土産話を落としていってくれる。

 この日も茶屋を訪れた客同士の会話に上るのは、最近巷を騒がせる「殺人鬼」の話題だった。

 「今月に入ってもう四件目だ。奴さんが出て喜ぶのは読売(瓦版のこと)だけってな」

 「ご公儀は何をしているんやら。宿場町の人間が一夜で半分が斬り殺されるなんて、どう考えたって尋常じゃないだろうに」

 茶屋に集った旅人や飛脚の間で持ちきりの辻斬り、「人斬り権兵衛」とはその名の通り人斬りを行う連続殺人鬼のことだ。ジパングで最も人の往来が多いとされる、将軍座す首都から西へ伸びる五十五里の街道、ほぼ一里ごとに設けられた宿場町で一晩に十数人にも上る謎の死傷者が発見されるという事件が相次いで起こり、街道を通る多くの旅人はその脅威に晒されていた。

 「水口に始まって次が関、その次が宮、そして二川……。同じ宿に泊まった奴の半分が翌朝には謎の斬殺か。天下の街道で刃傷沙汰なんざ世も末だねぇ」

 「しかも不可思議なのが、数からして夜中にバッサバッサ斬り殺して回ったはずなのに、だぁれも気付かなかったってんだからな! 旅の奴から又聞きしたんだが、部屋中血まみれモツまみれってな具合だったのに、客どころか宿の女中たちも悲鳴すら聞かなかったってんだからな」

 「ひぇ〜! こりゃタタリだな。お狐さまか、はたまた天狗の仕業に違いねぇや。くわばらくわばら」

 「こりゃ神宮で厄落としのついでにお祓いを受けたほうが良さそうだ。とは言え、いつになれば勢州に入れるのやら」

 この国で単に「神宮」と言えば、それはジパングの太陽神を祀ったこの国最大の社を差す。この時代、自分の生まれ育った土地を許可なく抜けて出ることは重罪であったが、神宮への参拝だけは例外扱いとされ、各関所を通る通行手形さえ用意してあればほぼ自由に旅をする事が出来た。と言っても移動は完全に徒歩で、片道に十日以上の旅路は旅費もかさみ、農村の放蕩息子が「おら都会さ行ぐだ」と簡単に実行できるようなものではなかった。

 街道は主に東からの参拝者が通るルートとして確立し、数多く設けられた宿屋や茶屋は年間多くの参拝者や飛脚などが落とす銭で収益を得ている。そうした場所で不吉な出来事や不祥事が続出すれば当然さっさと次に行こうとするか、最悪は客足そのものが遠のいてしまうことも有り得る。

 そんな街道の宿場町を騒がせる殺人鬼、人呼んで「人斬り権兵衛」。誰もその顔を知らず、姿も分からず、影さえ見たことがない。その上名前も知らぬから、“権兵衛”なのだ。当然、男か女かも分からない。

 「そこのお嬢さんも神宮かい? なら気を付けてな。お若い女が一人旅するにゃ物騒な世の中だ」

 声を掛けられ振り向く女性。手元に笠と杖という基本的な旅姿の彼女の肌は雪のように白く、透き通る肌は一点の汚れも無かった。こちらを振り向いた時に見えた目も澄んだ宝玉を埋め込んだように輝いて見え、その浮世離れした美貌は人形を思わせるほど端正が整い妖しい色気を醸し出していた。

 「はい、なにか?」

 よく通りながらも儚さを秘めた声音に、先に声を掛けた旅人の方が言葉を失っていた。

 「あー、いやぁ、こんな別嬪さんが一人の旅路とは驚いた。こんなお美しいお嬢さんにお参りしてもらったなんざ、お天道様も隅に置けねぇや!」

 「お上手ですこと。でも私、神宮には参ってませんの。京から真っ直ぐこちらに来ましたもので」

 「へぇ、京から。するってぇと何かい、行き先は将軍様のお膝元かい?」

 「いえ、そこより更に東国……下野まで」

 「どひゃあ、そりゃ大変だ! ますますもって女の旅路じゃねぇわな。お嬢さんお一人で大丈夫なんかい?」

 「あら、心配してくださるのかしら。でもご心配には及びません、私こう見えて腕が立つという自信がありますので」

 そう言ってフフフと微笑む女。年齢は恐らく十代後半か二十代に差し掛かった頃。野暮ったい旅姿に身を包んでいるが、その容貌は祇園の芸妓か色街の花か。この時代においては行き遅れと揶揄される歳だろうが、口元に袖を添えて上品に笑う仕草に旅道中でやもめ暮らしの男達はわざとらしく佇まいを直す。

 「腕が立つ? 何か武術でもおやりに?」

 「ええ。と言っても、簡単な柔術を少々といった程度ですが。後ろから掴み掛かる殿方を転ばせるぐらいは出来ます」

 「へへっ、面白ぇや! だったらちょいとお手並み拝見ってな」

 「あっ! ずりぃぞてめえ!」

 「先に話しかけた役得ってな。ささ、俺に遠慮なんか要らねぇや! どうぞ転ばすなりふっ飛ばすなりしてくれや!」

 旅道中で美人と絡める機会が無かった男はここぞとばかりに下心満載で美女に接近し……。

 「せいっ」

 見事に手首を掴まれて梃子の作用で薙ぎ払われた。護身術として発達した柔術は小柄なジパング人が使うには適しており、女性でも修練を積めば大の男一人を転ばせるぐらいは造作もない。

 「いやー、まいったまいった! 結構踏ん張ったつもりなんだが、簡単にすっ転ばされちまった」

 「おケガはありませんこと?」

 「ああ、大丈……いてっ! 手首に擦り傷が出来てら」

 そう言って男が手を見れば、手首を掴まれた際に爪が食い込んだのか少し赤くなっていた。皮が擦り剥け血が滲んでいるようだった。

 「ごめんなさい、少し力を入れすぎてしまいました。私ったらなんて失礼を」

 「いいってことよ! こんな別嬪さんに傷持ちにされたんなら、男冥利に尽きるってもんさ」

 「そういうわけには参りません。旅の恥はかき捨てとは言いますが、もしよろしければこの先で私が泊まる宿で手当てをさせていただけませんこと?」

 「えぇ! い、いいのかい? そんじゃ……お言葉に甘えさせてもらおうかなーって!」

 男は盛大に鼻の下を伸ばしながら、旅の美女に連れられて宿屋へホイホイついていった。持つべきは度胸とほんの少しのスケベ心、当たって砕けろと声を掛けてみて良かったとホクホク顔で宿屋までの道を楽しむのだった。

 「あいつ神宮に行くって言ってなかったか?」

 「あ〜ぁ、知らねぇや」

 茶屋に残った他の面々は一時の欲にかられて、目的地とは正反対の方向へ行ってしまった男の愚かさを肴に茶を楽しむのだった。





 宿場町とはその名の通り、道の両側を挟むように宿や商店が立ち並ぶ宿泊街である。宿だけでなく休憩だけの茶屋や、飛脚の詰所などもあり、旅の道中に訪れる客を合わせれば年中活気に満ちた場所だ。夕暮れ時には旅人を引き連れようと宿側が総出で客引きを行い、騒がしさは日が沈むまで続く。

 設けられた旅籠には幾つか種類があり、単純な規模で大中小、大名や旗本などの役人が泊まる本陣や、低価格で寝泊りする木賃宿、飯盛女による性的なサービスを受けられる飯盛旅籠などが存在した。ちなみに、飯盛女の九割は魔物娘であり、従業員は泊まった男に引っ付いて辞めていくので人の出入りはかなり激しい。ぶっちゃけ、魔物娘からは番う相手を見つける場所か何かと思われている節がある。

 そんな人も魔物も激しく入り乱れる宿場町のひとつ、ここは遠州は舞浜。すぐ西には端が海と繋がった湖があり夏は釣りや潮干狩りが盛んに行われ、海に面した宿場町でも豊富な海の幸に恵まれた場所だ。

 そんな街道に、今日も一人旅人が訪れる。

 「ずいずいずっころばぁし、ごまみそずい」

 夕暮れ、黄昏、逢魔が時……昼でも夜でも無いこの時は彼岸と此岸の境が曖昧となり、“魔”を呼び寄せる。

 「茶壷におわれて、どっぴんしゃん」

 辻には人影、口ずさむのはわらべ歌。将軍に献上する茶の入った壷、それを運んだ様子を唄ったものであり、奇しくもジパングの東西を結ぶこの街道に縁のある歌だった。神宮に参拝するため各地から訪れる人々は生まれ故郷の文化を伝播する運び手にもなり、逆もまた然り。この童謡もまた後世においては知らぬ者などいないほど一般的かつ普遍的なわらべ歌として子供たちが口ずさむことになる。

 「ようこそ旅のお方! お宿の方はお決めになりましたか? もしよろしければ手前どもの宿へどうぞ!」

 宿場町に入った旅人を待ってましたと、早速宿の者が袖を掴み誘ってきた。だが旅人は我関せずとばかりに、振り払うでも嫌な顔をするでもなく、ただ悠然と歩を進めるだけだった。

 「抜けたら、どんどこしょ〜」

 相変わらず口ずさむのはお茶壷道中のわらべ歌のみ。一歩足を踏み出すごとに、左右の肩はゆらりゆらりと大きく揺れ、それをなぞるように振れる影法師はまるで風に煽られる案山子のように見えた。

 そして、揺れるのは体だけではなく、その背に負った物も同じだった。

 「ややっ!? ひょっとして、お侍さまで? これはとんだ失礼をしました! 何卒、ひらにご容赦を」

 背中に負った得物は刀。それもただの刀ではない、すらりと伸びた鞘の長さは短く見積もっても三尺(約90cm)はあり、柄を合わせれば己の半身以上もの長さがある。羽織姿に刀、脇差こそ佩いていないが誰がどう見ても武家か剣客の類なのは明らかだった。もちろん、客引きがそんな分かり易い点を見落とすはずがない。

 「お詫びと言ってはなんですが、どうぞ手前どもの宿で旅の疲れをお癒しください。部屋はたっぷり、夕餉朝餉はもちろんのこと、申し付けくだされば飯盛をお傍に付かせます。もちろん、気に入っていただければ翌日ご一緒に連れて行くのもアリです。何処の名のある方かは存じませんが、ここから先長い旅になるのでしたら、どうかうちの宿を……」

 一気に捲し立てられる商売文句、ここまで言われれば大抵の客は気分を良くして、じゃあ一晩という流れになるだろう。伊達に多くの旅人を相手にしてきた訳ではない、落として上げる、これぞ客引きの技術だ。

 しかし、この旅人はそれでも動じない。

 「米食ってちゅう、ちゅ〜ちゅ〜ちゅ〜ぅ」

 宿場町に入ってから口ずさむのは、ずっとわらべ歌のみ。うつろに抑揚のない単調な声で紡がれる歌声は、日が沈み徐々に長くなる影のように間延びして、死にかけの九官鳥のようにただそれだけを囀るだけだった。

 「あの、お侍さま? その歌がお気に入りなので?」

 「おっとさんが呼んでも、おっかさんが呼んでも、行きっこなしよ」

 「お侍さ……」

 子らは、この歌に隠された恐ろしい真実を知らない。

 「井戸のまわりでぇぇぇ……」

 お茶壷道中は大名行列と同等に扱われた。つまり、その前を通り過ぎる者は無礼打ちされて当然、文字通り殺されても文句は言えなかった。そしてその事は歌の歌詞にも記されている。

 「お茶碗欠いたのぉぉぉ……」

 『お父さんが呼んでも、お母さんが呼んでも、決して外に行ってはいけないよ』、と。

 そして、それを破れば……。

 「だ、あ、れぇぇぇェェェ?」

 斬り殺される。



 風が凪ぎ、客引きの男は死んでいた。



 ずれる体幹は音もなく左右に“ばくり”と開かれ、生まれてこの方晒したことなど無かった脳髄を外部に露わにし、断末魔など上げることもなく男は死んだ。

 「死んだ……死んだ、死んじゃったぁ」

 わらべ歌を口ずさんでいた侍の手には白刃。いつの間に背中から抜かれた大太刀は今にも沈む太陽を受けきらりと輝き、その刃からは血が一滴。紛うことなくこの男が客引きを殺したのだと、「例えその瞬間を誰も見ていなくても」誰もが分かった。

 「あーあ、殺しちゃった。あーあ、死んじゃった。悲しい、悲しい悲しい、悲しいなぁ〜」

 半身よりも長い刀を易易と振るって血糊を削ぎ落とし、歌うように呟きながら……。

 「嗚呼、手前は『遅かった』。また、『間に合わなかった』なぁ〜」

 とても、心底嬉しそうにそう言った。

 手遅れ、後の祭り、覆水盆に返らず、もはや「何をしてもどうにもならない」。

 だからこそ……。

 「じゃあ、間引くか」

 日は落ち、街道に闇が訪れる。逢魔が時から完全な禍津時になった辻に降り立つのは、名無しの権兵衛。

 「ひい、ふう、みい、よお……あ、面倒くさい」

 血濡れの羽織に煌く大太刀、物憂げな口調とは裏腹に口元が描くのは東の空に昇る三日月と同じ。

 「うん、全員殺そう。その方が簡単だ」

 名無しの権兵衛が手に刀……。

 誰が呼んだが、「人斬り権兵衛」。

 「ひ〜らいた〜、ひ〜らいたぁ〜。な〜んの、はぁながひ〜らいた〜」

 口ずさむわらべ歌を変えて、“権兵衛”は闇夜の宿場町を行く。

 「あ〜かい、はぁながひ〜らいたぁ〜」

 ここは浄土の蓮池、咲き誇るは紅蓮の徒花。池の辺より顔を覗かせれば、見えるは二万由旬彼方の無間地獄か。

 この夜、ひとつの宿場町が地獄と化した。





 人斬り権兵衛の正体は謎に包まれている。

 犯行の手口は大胆かつ鮮やか、宿場町の人間ほぼ全員を一夜の内に斬り殺すという迅速さもさることながら、その犯行を誰にも気取られない隠密性にも長けていた。

 しかし、何より権兵衛を有名にしたのはその残忍性。事件の報を聞き駆けつけた奉行所の役人は、酸鼻を極める現場の有様を前にその夜は皆悪夢に苛まれたという。

 死体の特徴は殺害というよりは“分解”されたようにバラバラで、単純に脳天唐竹割りもあれば、首と手足を切り飛ばしダルマにしたもの、縦横網目切りや、試し斬りのように胴を寸断したものまで……。殺人現場と言うよりは屠殺場、部屋は血に塗れていない場所を探すほうが難しく、切り分けられた「ヒトの部品」は決まって押入れや戸棚にゴミを詰めるように押し込まれていた。

 殺される数もまちまちだ。噂が一人歩きして町の人間全員が殺されたように吹聴されているが、実際は同じ宿場町でも一軒の旅籠だけで起こったり、相部屋の片方は死んでもう片方は無事だったり、道の真ん中で一人だけ殺されていたりなど、事件ごとにかなりのバラつきがある。手口が同じでなければ同一犯による犯行とさえ分からなかっただろう。

 藩をまたいだ連続殺人事件に各地の奉行所はそれぞれの威信をかけて捜査に当たった。現場に残された僅かな痕跡から証拠を割り出し、何とかして下手人に辿り着こうと躍起になった。

 しかし……。

 「打ち切り!? 何故です! まだ下手人は尻尾どころか影さえ掴めておりません!」

 「御託はいい。上からのお達しだ、こちらは黙って言う事を聞くよりほかない」

 「承服致しかねます! ではせめて、街道沿いの関所の強化を……」

 「必要無い。関所改めの方針もこれまで通りだ」

 「そんなっ!!?」

 突然告げられたのは、捜査の打ち切り。それも事件が起きた全ての藩の奉行所が同時であり、明らかな圧力が掛かった事を関係者は感じていた。しかも捜査どころか街道の命とも言える関所の警備まで据え置きとなれば、ますます公儀の采配を疑わざるを得なくなる。

 「どこです、どこですか圧力を掛けたのは! こうなれば直談判をして……!!」

 「やめろ、そんな事をしても無駄だ。木っ端役人が雁首揃えて陳情したところで知れている。手打ちにされるのが関の山……いや、末代に至るまで根切りにされるぞ」

 「奉行を押さえつけられるもの……。まさか、お上が直接!?」

 「いいや。確かにお達しそのものは元を辿れば幕府からだったが、お上とは違う。そもそもこの案件は政から最も遠いところにある」

 「では……どこから?」

 「お前さんも分かるだろ。その気になりさえすれば、お上を『使いパシリ』に出来る連中が天下にたった一つだけ存在する」

 このジパングで将軍の座す幕府より偉大なものなど、そう否定しそうになる言葉を飲み込む。

 あった……この世でたったひとつ、将軍を顎で使うことの出来る唯一の存在が。

 「まさかっ!?」

 「噂で聞いた程度だから詳しくは知らん。だが裏を返せば、噂になるぐらいには火元がはっきりしてるってこった」

 キセルの先に詰まった灰を叩き出し、口から紫煙を吐きながら奉行は言い放った。

 「この事件、天朝様が直々にお沙汰を下されるそうだ」

 それはつまり、この人斬り事件が国家の安寧を根底から覆す事件の前兆に他ならない。

 ジパング始まって以来の大災厄……これはその、氷山の一角に過ぎなかった。





 「あぁ〜、斬った斬った。しめて……うーん、何人だっけか?」

 宿場が地獄と化して僅か一刻後、“権兵衛”が旅籠から出てきた。手元と袴の裾と草鞋はドロリと血に塗れ、月光を受け白く輝く刃は脂でテラテラと湿った光を反射していた。その白刃で刈り取った命、宿泊客と住み込み従業員を合わせて……。

 「ん、三十二……か! あー! いー運動になったぁー!!」

 ひと振りで血を払い、懐から取り出した紙で脂を拭き取って捨てる。通常、如何に鋭利な刀でも三人も斬れば血糊で切れ味を失う。だが“権兵衛”は旅籠に足を踏み入れてから今出てくるまで、ただの一度も刀を替えるどころか鞘に納めてすらいない。

 「やっぱナマが一番イイ。皮をざくり、肉をズブズブ、骨をバッサリ、内臓をブヂュル……あぁ、たまらない」

 背中の鞘に慣れた動きで納刀し、かちりと鯉口が触れる音が響く。その音を頭のすぐ後ろで聞いた“権兵衛”は悦びに身を震わせ自らの肩を抱いた。

 「ああ、これこれ、これだよ……もう、最高だ。人生にはこれが無いとお話にならない」

 “権兵衛”は、調査に当たった奉行所や瓦版を読んだ人々の大方の予想に反さず、歪曲した欲望でヒトを殺す真性の殺人鬼であった。首を斬り、腹を裂き、胸を刺し、頭を割る……それら一連の殺人行為に対し倒錯した達成感と、退廃的な陶酔感を覚えずにはいられない人種、それが“権兵衛”の偽らざる本質である。

 “権兵衛”の正体が何者なのか、それは誰も知らない。後世の歴史書には、彼は架空の存在として記されている。民衆の間で流布した噂がいつしか一人歩きし、神宮参りの旅人の口伝で爆発的に全国に拡散、結果として奉行所が調査に乗り出しただけの言わば悪質な都市伝説だとする説が有力視されている。実際には『人斬り権兵衛』など存在せず、たまたまその時期に発生した猟奇殺人に尾ヒレ背ビレが付いただけなのだろう、と。

 しかし、“権兵衛”はこうして実在する。時間の積み重ねと歴史の闇がどれだけ存在を否定しようとも、『神宮街道の斬魔』はここにこうして確かに存在していた。

 斬った数は街道だけで百をとっくに越え、「それ以前」も含めれば三倍に膨れ上がる。間違いなくジパングの歴史にその名を残すシリアルサイコキラー。「人を殺すのが三度の飯より大好きな」、ただそれだけの人間である。

 だがそんな稀代の殺人者が、何故歴史の表舞台から姿を消したのか。いや、そもそも、姿はおろかその名前すら明らかにしていない。常識で考えてそんな輩が地下に潜って安穏と過ごせるなど有り得ないことだ。

 では何故、“権兵衛”は歴史の闇に紛れることが出来たのか? そんなのは愚問だ、数百人を殺戮する大犯罪者を隠し通せるだけの勢力がそのバックにいたと言うだけの話だ。

 「さてさて、手前の獲物はどこへやら」

 「相変わらず、殺しすぎるお人ね」

 雲の切れ間に月が見え、闇夜を淡い青の光が照らし出す。光は前触れなく現れた声の主も照らし、往来の真ん中で二人の影が相対した。

 「やあやあ、今宵もまた結構なお月さんで。最近どうですか、調子の方は」

 「白々しいこと。ちょっと前に貴方に斬られた腹がまだジクジクと痛みます」

 「あらら、それは失礼。一刀でそちらを殺せなんだ、手前の落ち度でしょうなあ。しかし、一刀で倒れないそちらも悪いと思うのですけど?」

 口調はまるで久方振りにたまたま出会った友人と無駄口を叩き合うような気軽さ。だがその手には再び抜刀された大太刀を握り締め、やはり肩を左右に揺らしながらゆらりゆらりと“権兵衛”は闇のもう一人に近づいていく。

 「減らず口ばかり。たかがヒトが操る剣術に、この私が斬れると思って?」

 「まあ、そちらはそうだろうね。でも、そちらが行く先々で増やした厄介事を全部処理してあげてていることをお忘れなく。ああ、これ忘れもんです」

 そう言って道に放り投げてよこしたのは、今まさに“権兵衛”が斬り殺した者の腕。血を失い冷たく蒼白になったそれを、闇のもう一人は感心したように溜息を漏らす。

 「へぇ……お分かりになったのね」

 「まあ一応、これでもそれなりの情報をもらってますんで。そちらが現役だった時代はどうか知りませんが、今はそちらにぴったりな種族も特定済みなんですわ」

 切り飛ばされた手首は指の骨具合からして恐らく男性。血に汚れて目立たなくなってしまっているが、手首にほんの僅かな刀とは別の傷があった。今まさに空に浮かぶ三日月と同じ形の小さな傷が。

 「やり方うまいですね。時には旅の芸者、時にはうら若き村娘、時には……あれ、意外と引き出し少ない。適当な格好で人間に近付き、適当な部位に爪痕を残す。それだけで後は勝手に『増殖』していくって寸法ですか。ねぇ……」



 「霧の大陸の大妖、邪仙・麗姫さん」



 月の光を浴びて、“権兵衛”と相対する女……茶屋で旅道中の娘に扮していたその姿は陽炎のようにゆらりと波打ち、その真の姿を露わにする。

 真白の肌は闇に溶ける青み掛かった黒へと変わり、着物はジパング特有のそれから大陸の民族衣装に変化、黒々とした髪は一気に腰まで伸びて独りでに編み込まれ、ゆらっと突き出す両手の指の爪が妖しい燐光を灯した。

 だが何より一番の変化は、その顔に表れる。妖術か何かの類で隠していたのだろう、高度な術式が編まれた呪符がその顔を縦断するように出現していた。

 「古く大陸では時折死体が蘇っては人々を喰らった。これを乾屍(コンシー)と言い、更にそれが妖力を得たものを……僵尸(キョンシー)と言った」

 キョンシー。霧の大陸特有の魔物娘であり、元は人間でありそれが死後に何らかの呪術や妖気を得て復活したものを差す。爪には猛毒を持ち、人を襲いその肉を喰らう獰猛な妖怪とされるが、呪術でその行動を縛れる上に死体を活用できる利点から道士の使い魔として利用されることもあると言う。と言っても当然昔の話であり、新魔王の台頭によりキョンシーも影響を受けて昔のように人間を餌にするという事は無くなっている。

 だが“これ”は違う。

 「はい、よく勉強していますね。お見それしました」

 溢れる妖気、致死性の毒は爪だけでなく視線にまで宿り、ただそこにいるだけで周囲が空間ごと毒されていく。それは毒を纏ったナニカではなく、毒そのもの。頭部にそれを抑える呪符を付けていなければ、大気は濁り、土は腐り、水はあらゆる万物を溶かす強酸へと変化する……その力はまさしく、「毒婦」の名こそが相応しい。

 「でも少しだけ、ほんの少しだけ違います。この私を墓穴に入り損ねたキョンシーなどと、たかが動く死体程度と同列に語らないでもらえますこと。凡百の死骸妖怪とは私とでは、生まれも育ちも違うのですから」

 「承知してますよ。邪仙……邪なる仙人、尸解仙。妖怪や魔物というよりは、むしろ真人の類ですかね」

 東方世界においてヒトをやめる手段は幾つかあるが、その中でも仙化の法、つまり仙人になるのは最難の行とされている。邪法により魂を別に移し、一度ヒトとして死を迎えた後に再び死肉を依代として復活するのが尸解仙と呼ばれる仙人である。このように常軌を逸した方法で仙人になっても尸解仙それ自体は仙人の中でも最も下位とされており、如何に仙化の法が難易度が高いものであるかを示している。

 しかし、この邪仙……麗姫は違う。

 「かつて霧の大陸に栄えた王朝、それを三つも滅ぼした大妖婦。挙げ句の果てには美貌と甘言で人魔を煽り、その存在を巡って争う二つの種族を手の上で転がし続けた悪女……それがあなただ」

 「あらいやだ、人を掴まえておいて悪し様に。あれらは皆周りが勝手にしたことです。勝手に私を妃にして、勝手に私を巡って争って、勝手に周りが私を持て囃して、勝手に私の仙術を目当てに弟子入りして、勝手に私を宗主に祭り上げて、そして皆勝手に滅んでいっただけです」

 「勝手に、ねー。物は言いようですわホントに。あーやだやだ、これだから女の人は怖いと思うんです手前は!」

 「は? なに純情青年ぶってるんです。そちらだって大概だと思うんですけど。ねぇ、『人斬り権兵衛』さん……いえ」



 「朝廷神祇官直轄の護国修祓師にして、天地神祇流一刀派の継承者『五代目山本浅之介』さん」



 古来より、ジパングは様々な力ある存在を神仏として崇める風習があった。それは外来の文化をスムーズに取り入れる事に役立つも、同時に本来脅威として排除されるべきはずの存在まで無警戒に招き入れるという危うい土壌を形成していった。かつて魔物と言えば人類の敵対者であった時代にはそれが顕著であり、ジパングは常に西の魔境より流れてくる狂悪な魔の影に脅かされ続けていた。

 そんな外来の魔物より国体を守護し維持する為に、ジパングは密かに裏の組織を作り出した。決して表には出ず、人々に知られず、影に生き夜を歩き闇を友として、凶猛なる妖魔を討つことだけを生業とする狩人の集団を。人々の目にそれが触れ、畏れを生み、信仰を得てしまうその前に……。

 護国修祓師とはそのスペシャリスト、まさに精鋭部隊。この国に朝廷が建ったその時から国を裏から守護し続け、歴史の大事件ではその暗部で必ずその活躍があったと言われている影の功労者なのだ。

 「いやいや、そんな恰好のイイもんじゃないですよ。適当に全国行脚して、適当に剣士に勝負吹っ掛けたり吹っ掛けられたり、適当にそれを殺してたら、何故か知らないけれどお上から白羽の矢が立ちましてね。報酬も貰える上に人を斬り殺せるって聞いたんで、二つ返事で受けた次第です。いやホント、受けて良かったと心から思いますよ」

 「ついでにお聞きしますけど、私を追っているくせに毎度遅れて来る理由は何ですの?」

 「え? だってその方がたくさん斬れるじゃない。そちらが死体を量産して、手前が斬る……ああ、理想的だと思いませんか?」

 そう尋ねる権兵衛改め、浅之介に一切の歪みはない。本当に心の底からそう思っており、それについての同意を求めているだけだ。

 歪み無く、軋轢も無く、一切の矛盾も無いままに、浅之介はただ「人を殺すのが好きで好きで堪らない」だけの気狂いなのだ。だからこそ、邪仙の行く先を知りながら決して先回りなどせず、わざとゆっくりその跡を追い、動く死骸が溢れかえる頃合を見計らって宿場町に入ってくる。そして先ほどの旅籠のように呵呵と大笑いしながら刀を振り回し、目を覆いたくなる叫喚地獄をたった一人で創り出すのだ。

 「というわけで、麗姫さん。ここはひとつお願いなんですが……」

 すらりと長い刀を構え、「これ、つまらないものですが」と気軽な口調で……。

 「いっちょ、殺されてもらえませんか」

 何の躊躇いも逡巡もなく刃を振るった。

 「相変わらず、芸のないお方」

 対する麗姫は慌てず退かず、毒手をすっと動かす。すると彼女の足元に潜伏していた死骸が土を押しのけて飛び出す。キョンシーであり尸解仙でもある麗姫が生み出した死骸は、ただ本能に任せて動き回るだけではない。腕力はもちろんのこと、その身のこなしは意志を持たぬ死体とは思えないほど軽やかで、仙術で強化された五体を一切の無駄なく振るいながら手当たり次第に動くものに襲いかかる。鬼の力と韋駄天の脚力、そして死者ゆえの粘り強さを併せ持ち、まともに戦えばジリ貧に持ち込まれるのは必定だった。

 しかも、出現したのは麗姫の周囲を取り囲むように八体。血流が止まり青黒くなった肌を晒し、異常に鋭く伸びた爪を振りかざして一斉に浅之介に襲い掛かる。

 「ああ、こりゃいけない。その人たちはまだ死体になりたてだ、ひょっとしたらうちの修祓師が使う術で浄化できるかも知れない」

 浅之介の見立ては正しかった。事実この八人は呪術によって縛られているがまだ完全な死骸にはなりきっておらず、呪を払い落とす腕を持つ術師がいれば一命を取り留める可能性は充分にあった。

 「だけど関係ないな」

 それを、斬る。

 唐竹、袈裟斬り、胴薙。僅か二秒の間に三振り、仕留め損なうことなく一気に三体を肉塊に変えた。救えるかもしれなかった命を、手を伸ばす代わりに刃を向け、何の躊躇も抵抗もなくそれを刈り取ったのだ。任務遂行の為の致し方ない犠牲……などと良心の呵責は全く、これっぽっちも、欠片とて存在していない。目の前に人がいた、だから斬った……ただそれだけでしかない。

 そのまま襲い来る残り五体を、右斬上、逆風、左斬上、逆胴、逆袈裟と、続けざまに切り伏せる。剣術の基本とも言える斬撃のみの攻撃だが、浅之介のそれは確実に相手を殺す為に洗練されており、内臓や骨格に阻まれることなく“するり”と人体を切り分け加工していった。傍目にはただ斬っただけに見えるがその実、人体を只の肉のように切り分けるという技量の高さも如実に示していた。

 そして立ちはだかる死肉の群れをものともせず、浅之介の刃は邪仙に迫る。

 「あら怖い。女にそんな物騒な物を押し付けるなんて、そんな恐ろしい人は……」

 ふわりと毒手が動き……。

 「不埒なお人、潰されておしまいなさい」

 邪仙の背後から飛び出した巨大な影が、月の光から浅之介を隠す。大岩かと見紛うそれはその巨体に似合わぬ俊敏さで軽々と邪仙の背丈を飛び越し、浅之介の前に立ち塞がった。

 その正体は力士。興行か湯治かは知らないが、たまたまこの宿場に泊まっていたのを邪仙に目を付けられ手駒にされたのだろう。その巨大な体はいかに鋭利な刀とてすんなり一刀両断とは行きそうにない。かと言ってこの間合いでは一転して距離を取ろうにも間に合わず、掴まれれば膂力で劣る浅之介が押し負けるのは確実だった。

 「だったら斬ればいい」

 大きいから無理? 相手が自分より力が強い?

 ああ、そう。だから何?

 それがどうして斬れない理由になると思った。

 「天地神祇流……」

 踏み出した足を止める。しかしそれは後退の為ではなく、今から放つ技に必要な力を溜める初期動作。この極上の獲物を刈り取るに足る、殺人剣の技を。

 嬉々とした顔で両腕に力を込め、浅之介は大太刀を振った。

 「一刀八斬……『辰殺し』」

 刀は一度振るわれたのみ。しかし、刻まれた斬線は八つ。力士の体はだるま落としの如く段々に切り分けられ、ずるりと崩れ落ちた。

 “龍を殺す”と銘打たれたそれは古く神代に八ッ頭の龍を調伏した神話に源流があり、八つの斬撃を連続して相手に叩き込む技だ。本来は次々と怒涛のごとく繰り出す攻めの一手で相手の隙を強引に作り出し、八撃目でトドメを刺すという力技である。鬼を討ち魔を調伏する天地神祇流一刀派、その開祖である初代浅之介が編み出したこの技は果たし合った全ての剣客や魔物を相手に打ち勝ったと言われている。

 だが、同じ技でも五代目浅之介のそれは過去四代とは一線を画す。

 「ほんとに、何をどうすればそうなるんですの?」

 「いえいえ、そちらと比べればカスみたいなもの。ただ普段から、どうやったらもっと速く、もっと多く、もっと正確に殺せるのか、まあそんな事をずっと考えながら過ごしていたら……ほら、この通りです」

 浅之介はただの人間である。人を斬るのが三度の飯より大好きで、金を貰って人を殺し、恨みを買って人を殺し、名のある剣士と切り結び、斬って斬って斬って、刀を振るうだけしか頭にない気狂いの極致である。

 そう、ただの人間なのだ。ただ刀を振ることが、ただ斬ることが、ただ人を殺すのが好きで好きで、好き過ぎて……。

 「たかが、ひと振りで八合打てるというだけのこと。別に驚きに値するほどではないでしょう」

 単に「剣の腕が神業の域に達した」だけの、ただの人間である。

 人を殺すという渇望によって磨かれた刀は妖術の類を使わずに奇跡を起こし、八つの斬撃をそれらが全く同時に発生するという神域の剣技へと昇華させた。必殺の白刃が不可視の包囲網を刹那に形成し、相手は回避も防御も許されず斬滅される、人道を外れし人斬りが編み出した殺人剣の究極の姿がこれだ。

 「さてさて、これでそちらの手札は尽きましたか? もう斬ってもよろしいですか?」

 「いえいえ、これからですわよ……っと!」

 毒手が次の策をけしかける。

 瞬間、天が再び陰りを見せた。夜天にぽっかりと開いた黒穴が五つ、それが肉塊に変えた力士以上の巨大な何かだと気付いた時……。

 「『五行鉄幹封神』」

 遥かな昔、カク猿の親玉を500年封じる為だけに天帝は見上げるような大岩を重石にして投げつけた。この術はそれを再現した物だが、大木のような鉄柱は封印術というよりは物理的な圧壊を目的としたもので、着弾と同時に地が割れ砂塵が舞い、宿屋が跳ねて瓦が飛び散った。押し潰されれば煎餅どころでは済まない威力、それが続けざまに五つも強襲し、更にそれが連続して召喚されると町は一瞬にして壊滅の荒地へと変貌した。

 屋内に山と積み上げられていた死骸の山は木っ端微塵に消し飛び、宵闇の街道を粉塵が埋め尽くす。本来魔物や神の類を封じる術で召喚された総数五十の鉄柱は、打ち込まれた大地を徹底的に破壊し尽くし、あらゆる生命を叩き潰し────、

 「出来てないんだなぁ、これが!!」

 粉塵の闇を切り裂き、白人が邪仙に肉迫する。一瞬の交錯の後にその右腕が切り飛ばされ、腐肉が宙を舞った。ぼとりと腕が地面に落ち、肩の断面から赤黒い血液が噴き出す。

 「お見事。よくぞ耐えて見せましたね」

 「ありゃま。結構必死こいて乗り切ったんですがね、手前は。って、あーあ。くっ付いちゃいますかそこで」

 浅之介が斬った腕はずるずると這いずって邪仙の足元まで戻ると、そこから筋繊維や血管を伸ばして本体と繋がり瞬く間に再生を果たした。尸解仙はどうか知らないが、キョンシーは東方世界におけるアンデッドの代表格、当然ながら肉体の復元能力も備えている。切った張ったという程度では死なないし滅せない、それはつまり物理攻撃だけに特化した浅之介にとって相性最悪の手合いということだ。はっきり言って、彼を討伐任務に就かせた神祇官の采配を疑うと言うのが素直な感想だろう。

 「霊験あらたかな名刀ならまだしも、どこかしこのボンクラ鍛冶が鍛えた数打の品で私を仕留められると思って?」

 卓越した仙術、たった一晩で数多の手下を作る能力、そして無限の再生力……そんな怪物を相手に刀一本で立ち向かう、むしろその蛮勇を褒めるべきだろうか。

 そんな事、この斬魔には関係なかった。

 「斬れますよ、ほらぁっ!!?」

 一刀八斬、一瞬にして邪仙の肉体はスライスされた。腕をやられた際に距離をとったはずが、僅かに目を離したその隙に神速の足運びでそれを埋めてからの流れるような斬撃。敵意も殺気もまるで無く、技のキレに一切の低下も見せずに繰り出された斬撃に邪仙は完全に反応が遅れていた。

 「ぶっちゃけ、相手殺すのは包丁あれば足りるんですよ。それをわざわざこんな馬鹿みたいに長い刀を持ち歩くのはですね……って聞いてますかー? ちょっとー」

 「ッ……『聖嬰三昧真火』ァッ!!」

 切り離された毒手が互いに別々の印を結び新たな術を発動させる。発動の際に咄嗟に叫んだのは何かしらの危機を感じた焦りからか、あるいはたかが人間の動きを見切れなかった事への苛立ちなのかは分からない。だが新たな術は確かに発動し浅之介に牙を剥くのだった。

 変化があったのは浅之介の背後、さきの封印術で召喚された五十の鉄柱だった。高所からの墜落にも傷一つ無く耐えたはずのそれらが、ボロボロと風化して粉々になり細かい粒子となって風に乗り大気に満ちていく。

 「これは……」

 浅之介の鼻が大気中の成分を嗅ぎ取り、邪仙の目論見に気付いた。それまで鉄柱だと思っていた物体は実は金属ではなく、高濃度に圧縮された……。

 「燃え尽きておしまいなさい」

 火薬なのだと。

 首だけとなった邪仙が口から蝋燭程度の火を噴き、空間に充満した火薬が大気と結びつき一気に酸化反応を引き起こし、火薬の燃焼速度と粉塵爆発の拡散性を得て、浅之介を中心とした半径数十メートルが紅蓮の炎に焼き尽くされた。燃焼された空気は膨張して超高気圧の塊となって周囲を空間ごと押し広げ、水分は一瞬にして蒸発し固体は燃え尽き灰になって消えた。木々も建物の残骸も、切り伏せた死体の数々もその全てが見る影もなく闇に突如生まれた光の中に殲滅されてしまった。

 やがて津波で陸に上がった潮が引くように、高圧燃焼で加速した大気は揺り戻しで爆心地に向かって逆流し、天頂の月を侵さんばかりに邪悪なキノコ雲がそびえ立つ。

 この夜、街道の宿場町は「五十二」にその数を減らしたのだった。





 邪仙麗姫はただのキョンシーではない。霧の大陸には古今東西の妖怪を書き記した書物が千年前に著されているが、彼女と思しき大妖の記述がその端々に散見される。歴代の王朝に取り入り官僚を手玉に取り王を堕落させ、三つの国を滅ぼし、七つの国を戦乱に巻き込んだ大悪女として記されており、更には大陸各地の力ある妖怪たちを扇動し幾度も大戦を引き起こしたとされ、新たな魔王が現れた今現在なお混沌とした情勢にある霧の大陸の現状は、全てこの邪仙の過去に端を発するとさえ言われている。

 改めてキョンシーという種族について説明をしよう。正しく葬送されなかった死体が何らかの要因で動き出したモノ。死肉でありながら腐敗せずに動き回り、人肉を喰らい、硬直した腕を前に突き出し、爪には人を一撃で死に至らしめる猛毒を持つ。呪術によりその行動を制限することで道士の使い魔としても利用できること、等々がある。

 新たな魔王の登場により全ての魔物は淫魔の特性を得た。姿は見目麗しい美女になり、体内の毒は媚薬に変化した。だが全ての魔物が等しくその道を辿った訳ではない。

 例えば東方の龍、ならびに西方のドラゴン。この二種は種族的に魔力耐性が飛び抜けて高く、世界の法則が変化してからも自らの意志で古代の姿、即ち神話に描かれる竜本来の姿に変化することが出来る。どちらも潜在的に強力な種である竜だから為せる業だが、裏を返せばそれは強大な魔力を有すれば他の魔物でも同じことが出来るということ。

 麗姫がまさにそれだった。千年という長きに渡り多くの肉と魂を喰らってきた彼女は、新たな魔王の布く法則に流される事なく原初の姿をそのままに残すことに成功した。精ではなく生き肉を貪り、爪には骨の髄まで達する毒があり、頭の呪符は道士が操る為ではなくその毒性を抑える為のもの。太古の妖怪絵巻より復活した伝説の邪方妖仙……それが麗姫の正体だ。

 そんな西方の大妖怪が海を渡ってこの地に入り込んだ情報を掴み、対応し動き出したのが朝廷の神祇官である。古くより儀礼祭祀を司る神祇官はその裏で退魔の術に長けた術師を束ねる役目を負い、凶悪な妖怪や魔物が出現した際には彼らを遣わせて密かに鎮圧してきた。それが修祓者……穢れを「祓い」、清きを「修める」者たちのことである。

 ここで登場するのが山本浅之介である。天地神祇流一刀派は、一角の剣士であり修祓者でもあった初代が編み出した一子相伝の退魔剣であり、代々の継承者は免許皆伝と同時に『浅之介』を襲名し、神祇官直轄の修祓者名簿に名を連ねる仕組みになっている。そして表向きは旅の剣客や道場主、仕官先を探す浪人のふりをしながら過ごし、神祇官からの指令を受けて任務をこなすというのが『山本浅之介』の活動内容である。

 歴代の浅之介は剣の腕が図抜けていた。それこそ出るところへ出れば一流の剣士として歴史に名を残すレベルで。それが四人……国体を揺るがす朝敵や怪異を人知れず斬って来た彼らには、それぞれを区別する異名があった。

 開祖にして古き武家の血筋を引く侍の子孫、『獣の初代』。

 後三代に渡る剣術の全てを完成させた剣聖、『鳥の二代』。

 剣の道を極めんと求道の果てに悟りを得た、『草の三代』。

 強きを挫き弱きを助け続けた義の流浪剣士、『魚の四代』。

 修祓者としても剣客としても表と裏の両面で高い評価を受け続けた、それが『山本浅之介』という銘を持つ一本の刀だ。神祇官も『浅之介』ならば大陸の邪仙を討ち取れるのではと考えたからこそ、現場の全てを彼一人に任せるという大胆な決断が下せたのだ。

 しかし、当代の『浅之介』は妖刀に堕ちた。

 四代目が何を思って剣を教えたのかは分からない。弟子は天地神祇流の全てを修めた後、教えられた技を以て師を斬殺、その後に臆面もなく堂々と『浅之介』を襲名している。恐らくは人畜無害な振る舞いの中に黒く歪んだ本性を隠し、それを四代目は見抜けずに剣を教えてしまったのだろう。受け継がれた退魔の剣は狂気と悦楽の殺人剣に豹変し、今や行く先々で死体を量産する人斬りとなった彼を止められる者など無かった。

 かと言って彼以上の力量を持つ修祓者はおらず、神祇官は泣く泣く彼に指示を出さざるを得なかった。乗り気ではなかった彼をその気にさせる為に、わざわざ道中で起きる「予期せぬ二次被害」は全面的に目を瞑るという特例措置を餌にして。もちろん、五代目に国体がどうだの大義が何とかという意識は欠片も無い。ただ斬れればそれで満足だから受けたに過ぎない。

 殺し、殺し、ただ殺す事しか頭にない異常者。過去の『浅之介』を知る他の人々は、当代の彼をこう呼んだ。

 人斬り浅之介、あるいは思想も矜持も大義もなく刀を振るう姿を恐れて……『虫の五代』と。





 「あー、死ぬかとおもったー」

 まだもうもうと黒煙が湧き上がり、残骸が燃え広がる爆発の現場。そのほとんど爆心地、半径数十メートルものクレーターが形成され生きている動物など居ないはずの空間から、のんきな棒読み口調が聞こえてきた。

 「よっこら……しょっと。あーあー、全身スス塗れだ」

 町を埋め尽くす量の火薬、その炸裂から殺人鬼は如何にして生き延びたのか。爆炎は数十メートルを破壊し、更にその十倍の範囲を熱波が焼き尽くした。この世に現出した焦熱地獄のほぼ爆心地にいながらどうやって?

 簡単だ。東西南北、どこに行こうとも逃げ場が無ければ……作ればいい。

 「ちょーっと深く掘り過ぎましたかねー」

 ひょっこり浅之介が顔を出すのは地面に開いた穴の中。天下の往来だったこの場所に人ひとり入り込めるだけの穴があったはずがなく、当然この男が掘り起こした事になる。深さは自分の身長の五割増し、一刀八斬を用いれば地面を寒天のように切り分け掘り起こすなど造作もない事だった。

 「んーと、麗姫さんは……はい、いませんっと。そりゃ律儀に待つはずが無いか」

 何もかもが真っ黒に焼け焦げたこの場所にもう標的の姿は無く、辺りに不穏な気配は感じなかった。追いついたと思った矢先に逃げられて、このやり取りもこれでもはや五回目だ。神宮街道に突如姿を現した邪仙、その追跡及び討伐を任されておきながら未だ浅之介はそれを仕留めるに至らない。いつもすんでのところで逃してしまっている。

 それには、すぐ殺してしまってはつまらない、という浅之介の思惑もあった。だからわざとトドメを刺さず先送りにしていた節もあったのだが……。

 「はぁ〜……なんかもう、飽きたな」

 人には扱えぬ妖術を駆使すると聞き、それまでのただ漫然となっていた人斬りに飽きていたからこそ飛びついた仕事だったのだが、互いに本気にならず五回も引き分けを繰り返す内にこの男は遂に飽きを覚え始めたのである。身勝手この上ないが、浅之介からしてみれば幾度も切り結んだ邪仙はとっくに獲物としての魅力を失いつつあった。

 「このまま適当なところでお流れでいいかもなぁ。あちらが言ってたように、どう考えても手前は人選間違ってるとしか思えませんし。前金だけでも充分な稼ぎに……」

 「五代目山本浅之介、それは許されない」

 「おやぁ……」

 焼け野原に聞こえる別の誰かの声に反応しそちらを見ると、燃え盛る炎の奥から浮かび上がる影が三つ。全身黒尽くめの出で立ちに、顔を隠す能面。気配というべきか存在感というべきか、とにかく“そこにいる”という事実を極限まで希釈した隠密の達人たち。確かにそこに存在しながら、空気中を漂う塵の如くに自らを「薄める」技術を極めた術者のチーム。神祇官直轄の対人部門、間諜・潜入・暗殺のプロ達だ。

 「これはこれは、神祇官の使者の皆さんじゃありませんか。ここには観光で? 生憎と土産物屋は見ての通り灰になりましたが」

 「茶化すな。それより……五代目山本浅之介、この任務を放棄することは許されない。しかと最後までやり遂げてもらうぞ」

 「と言いましてもね、手前としてもやる気や意欲とかが無限に湧き出る訳でもないんですわ」

 「二つ返事で仕事を請けたのはお前だ」

 「ええ、ええ、そうですよ。標的は死なずの魔物、奴さんが道中でこさえた死骸の群れも斬って良し。まあ初めは面白そうと思ったのは認めますけども……なんかこう、思ってたのと違うんですよねー」

 「何が違う?」

 「ご存知でしょうが、手前は人を斬るのが生き甲斐です。どうにもこれ無しでは生きていけない」

 背中に背負った大太刀をすらりと抜き、もはや西に傾いた三日月を狙うように切っ先を天に掲げる。月光を受け煌く白刃をまるで宝石のように愛でながら、浅之介は人斬りの美学を語り始める。

 「手前は人を斬れればそれで良い。男でも、女でも、童でも、年寄りでも、しがない町人でも、お大尽の商人でも、お白粉塗ったお公家でも、腰に刀差したお武家でも、百戦錬磨の剣客でも、田舎の水呑み百姓でも、苦界の花魁でも、天下の将軍でも何でもいい。世の中には月さえ斬って見せようかなどと豪語する剣客もおりますが、手前はただ人を斬ることが出来ればそれで満足です」

 金子や名声、ついて回る箔などは二の次三の次。虫がただ息をして這いずり餌を喰らうように、五代目山本浅之介は人斬りが全ての所作の根底に組み込まれている。もはや彼にとって人を斬るというのは呼吸するのと同義、あらゆる生物が呼吸なしには生きられぬように、浅之介という男は人を殺さずにはいられない。彼はそういう存在であるが故に、全ての理由はそこで完結する。

 「今回の依頼は渡りに舟、見事に手前の意図を汲んでくれた実に見事な采配と思っていましたとも。ですが……どうやらそれは手前の勘違いだった様子で」

 手持ち無沙汰に刀をくるくる振り回してから鞘に納める。その口調や表情は明らかな不満を抱えたそれであり、与えられた仕事に納得がいかない様子を言葉以上に表していた。

 「元から死んでるの斬ったって面白くも何ともないんですよ」

 極論すればこれに尽きる。確かに人を斬るのは好きだ、刃が皮膚を裂き骨を断ち内臓を掻き分ける感触は何ものにも代え難い。だがこの道中、行く先々で出会う獲物は皆、邪仙を含めて死体ばかり。既に命の脈動を終えた者をいくら斬ろうと、それは血抜きした家畜をバラすのとなんら変わらない。例えそれが言葉を解し動き回る不死者であろうとも。

 だが所詮は狂人の理屈だ。そこに理解を示すことなど有り得ないと、使者三人は浅之介に催促だけを行う。

 「報酬は望むままに与えよう。任務達成の暁にはお前が過去に働いた人斬り、その罪の全てを帳消しにし、更にこの先お前が作るであろう罪状もその全てを特例として認めよう。そちらにとっては悪い話ではあるまい」

 「と言っても、手前にはあちらを仕留める術がありませんで」

 「心配無用だ。受け取れ」

 使者の一人が投げ渡した物体を受け取る。巻物のそれを封を解き中身を確かめる。

 「術式だ。条件を満たせば術の心得がないお前にも使える。平たく言えば魔道書、異国風に言えば“すぺるすくろぉる”というものだ」

 「ありゃ、こりゃ便利。しかも……えげつない」

 魔術師ではない浅之介にも分かる、この巻物に封じられた術の猛悪さが。用途や効果までは分からないが、確かにこれを用いれば如何に大陸を支配した邪仙と言えどタダでは済まされないだろう。そしてそれを確実に発動させるには、やはり浅之介の腕に全てが掛かっている。

 「はいはい、分かりました分かりました。どうせ手前が何言ったって聞きやしないんでしょう」

 「分かってもらえて何よりだ。では我々伝えることは以上だ、引き続き任務を……」

 「あ、ちょいとお待ちください。言い忘れたことがありまして」

 「何だ、あまり時間は……」



 「その首、手前にくりゃしゃんせ」



 前触れも予告も無く、まるで「そう言えば髪切った?」と言うような気軽さで、人斬り浅之介は静かな氷の殺気を使者に飛ばす。

 その突然の殺害宣言に驚きよりも先に行動に移せたのは、彼らが生まれた時よりあらゆる工作技術と暗殺技法を叩き込まれた闇討ちのスペシャリストだからであり、顔を隠す仮面と同じように一切の余分な感情の発露を抑え対応する様はまさしく闇の住人同士の激突を予感させるものだった。

 そして、それは“予感”だけに終わった。

 まず懐に忍ばせた小太刀を取り損ねた。

 当然だ、腕が無くなっていた。

 即座に形勢不利と判断し戦闘を放棄、逃走を開始。

 出来ない、足がもがれていた。

 死して屍晒す恥を負うべからず、最後の手段として胴に巻きつけた爆弾で自爆を図る。

 不発。体は十文字に切り刻まれていた。

 手が、足が、肩が、指が、耳が、目が、鼻が……動かそうとした肉体がその矢先から、まるで先回りされるように切り崩されていく。

 いや違う、動かそうと思った場所が斬られているのではない、既に斬られた場所が動いた拍子に落ちていくだけなのだ。それはつまり、殺気を放つ以前に浅之介の刃は彼らを捉えていたという証左。だがいつ? いつの間に?

 「まさかっ……!」

 月に掲げた刀を戻す時に、既に「斬って」いたとでも言うのか!? 離れた相手を、しかも月を見上げながら同時に三人、斬ったというのか!?

 「方位八方、間合い八間。距離を取り、後ろに回ったというだけで手前の刃から逃れられるとお思いで?」

 「山本ッ……浅之介ぇぇぇぇーッ!!!」

 その絶叫を断末魔に、三人の使者の首が宙を舞った。鮮血は掘り当てた間欠泉を思わせる勢いで噴き出し、勢いで回転しながら飛んでいく首は周囲に熱い液体を散乱させた。

 「嗚呼……イイ」

 そしてその噴き出る血を眺めながら恍惚に浸る人斬り。彼はこれが見たかったのだ。皮膚を切り、肉を裂き、骨を断ち、内臓を貫く……そしてその結果として体外に放出される生命の奔流、即ち鮮血の最期こそが彼にとって、どんな名山の頂きから見下ろす絶景よりも価値のあるものだった。

 既に鼓動を止め血液が凝固した死体など、いくら斬ったところでこの光景は見られない。やはり生きている人間を斬ってこその人斬りなのだ。

 「あー、久しぶりにスカッとしたー」

 全身のコリをほぐすように大きく背伸びして肩を回し、もらった巻物を懐にしまいながらその足は東へ、邪仙が逃れた東に向かって歩き始めた。飽きが来ているとは言え仕事は仕事、素敵な「差し入れ」をもらって上機嫌なのもあって意気揚々と旅を再開するのだった。どこまでも気分次第の日和見、それが浅之介という男である。

 だが結局は死体を解体することに変わりはない。それならせめて、死肉を相手に切り結ぶという退屈を埋め合わせるだけの別の“楽しみ”を見つけなくてはならない。

 「やっぱり必要かな……『奥義』。あちらさんが目的地に着くまでの間に、何とかして形にしておかなければね」

 その奥義の試し切りでもやってみれば、この無聊も少しは慰められるだろうと考えて。

 「そう言えば奴さんの行き先は、東国は下野……えーっと、確か人里離れた山奥って聞いてたんだが、うーん」

 なかなか思い出せず唸る浅之介。

 そんな彼を凝視するコウモリが一匹、闇夜に紛れて何処かへと飛び去っていった。





 「あれほどの腕前を持ちながら未だ成長途中とは……末恐ろしい殿方ですこと」

 使い魔のコウモリから得た情報に、森林の結界に引き篭っていた麗姫は溜息を吐く。しかし、それは憂鬱や鬱陶しさによるものではなく……。

 「嗚呼、なんて素敵な方なのかしら! そして私ったらなんて果報者なのかしら!!」

 血行のない青黒い肌なので外見では分からないが、麗姫は今頬を染めていた。まるで恋する乙女が白馬の王子にであったように、大陸を狂乱に沈めた大妖は自分を害する為に現れた狂剣士に対し恋慕にも似た激しい情動を抱えていた。五度に及ぶ鍔迫り合いにおいてそれを本人に見せなかったのは、せめてものいじらしさとでも言うのだろうか。

 「そう、そうですのよ。私はあなたが来るのをずっと待っていましたの。こんな島国くんだりまで来て、しち面倒臭い根回しまでしてあげて、つまらない三下からわざわざ隠れ潜む真似までしてあげて……ようやく、ようやくあなたが来てくれた。嗚呼、待ち焦がれたわ。本当にこの時をずっとずっと、気が遠くなるほど待っていたの」

 嗚呼、だからこそ……。

 「待っていますわ、『愛しの君』。不肖、このチャン・リーチェン……一世一代の晴れ舞台を以て、あなたを歓待致しますわ。だからどうぞ、気兼ねなくいらしてくださいね」

 全ての宿命が、神州ジパングのとある場所に集束する。





 「ああ、思い出した。那須だ!」

 「私の旅の終着点、那須へ!」

 綾目五代剣人道中、妖刀と邪仙の行く先は次回に持ち越し。此度はここで幕と相成ります。
16/02/04 01:13更新 / 毒素N
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■作者メッセージ
 今作の最強三人の一人にして、愛されないマジキチPart2。名前の由来は江戸時代の御様御用役「山田浅右衛門」と、妖怪「山本五郎左衛門」から。
 特に理由も背景も経緯も無く、とにかく斬りたい鵜堂刃衛みたいな奴。これもう(今回もエロあるか)分かんねぇな。

 記念すべき最初のマジキチ、ジャックと設定被ってんよ〜(指摘)という方の為に二人の違いを解説。
 ジャックは「愛情」を持って殺す。浅之介は「快楽」を得る為に殺す。
 ジャックの殺しは「仕事」。浅之介の殺しは「趣味」。
 ジャックは「罪人」を殺す。浅之介は「人間」を殺す。

 ヒロイン(一応)の麗姫さんは前回の前編で名前だけちらっと出てます。彼女が過去にあの場所で何をしていたかについては、次回明らかになる予定。

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まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33