第二話「嵐の前の静けさ」
いきなりであれだけれど、僕の両親はジパング地方の出身だ。
ジパング地方──今僕たちが住んでいる地域と大きく異なる文化と価値観を持つ、遠く離れた土地。僕自身が生まれたのはこのジアコーザの街だけど、両親に連れられて何度か行った事のある両親の故郷。
そこで見る風景や人々の暮らしの多くは僕が慣れ親しんだものととても違っていて、子供心に胸が高まったものだった。
水田、あぜ道、木の家、大きなお風呂。変わった服装に、変わった食べ物に、変わったおもちゃ。その中でも特に僕が心引かれたのは、やっぱり食べ物だった。
お餅、納豆、こんにゃく、お蕎麦、お焼き、漬物、豆腐、団子、お饅頭、羊羹、すあま──
今考えるとなんとも子供らしいが、昔からお子様は「花より団子」と決まっているのだ。
そんなわけで僕が基礎学校を卒業してすぐこの店を開いたときに、お決まりのメニューに加えてジパングの料理があったのは、至極当然のことだったのかもしれない。
ある日の午後、今日も店の中には穏やかな日差しが届き、ゆったりとした空気が流れていた。
のどかな昼下がり。一心地つける温もり。
この空気が出したくて、店の椅子や調度品はすべて落ち着いたデザインと色合いのもので統一している。貰い物も多いし、所々に飾ったジパングの鉢植えや小物が違う毛色を醸しているけれど、まぁそこはご愛嬌ということで。でも、自分じゃ結構違和感なく溶け込んでていい味出してると思っているんだけど、どうだろうか。
そんな密かに自慢の店内では今、木漏れ日の窓際席でおじいさんがコーヒーを片手に読書をし、奥の席ではワーラビットの一団がおしゃべりに興じている。どちらも常連さんだ。
そして仕事が一段落した僕は、新しいメニューの開発に勤しんでいた。
(ふ〜む……もう少し抹茶を増やしても大丈夫かな……)
今作っているのは抹茶ケーキ。もっといえばそれに使う抹茶クリーム。
コーヒーと紅茶ばかりであまり緑茶が普及していないこの地方。なんとか緑茶の良さを解ってもらおうという試みの一環として、お茶っ葉を使ったお菓子を開発している途中なのだ。
(あ〜、でもこの前シャロンに食べてもらったときは苦すぎるって言われたしなぁ〜)
ところがしかし、入れる抹茶の配分が難しく開発は難航していた。まさにさじ加減が解らないという状況だ。
(やっぱり、こっちの人にはこの手の苦味に馴染みがないからかな)
どうしたってなかなか緑茶が広まらない最大の問題は文化の違い。僕なんかには慣れた味だけれどみんなの舌には奇妙に感じるらしく、緑茶の苦味と渋みはどうもとっつきにくいらしい。
そんな中でお茶に興味もってもらうためにお茶っ葉を使ったお菓子を作る、というアイディアは我ながら結構いい考えだと思う。抹茶ケーキを初め、抹茶クッキーや抹茶マフィン、抹茶ロールに抹茶エクレアに抹茶パフェと、メニューのアイディアも続々と湧いてきたし。……まぁ、全部抹茶の粉を混ぜただけなんだけどさ。
(いや最終的にお茶に手を出してもらうんだ。思い切ってこの量で行ってもいいのかも……)
とまあそんなこんなでとりあえず、手始めに抹茶ケーキで文化の溝を埋めようと思い試作を続けているのだけれど、これがまたなかなか難しいのだ。
(それに違う苦さっていってもコーヒーなんかは平気なわけだし。これくらいは……)
「──さん────ケ────!!」
(ああっでも、とはいえこれで苦手意識持たれちゃったら本末転倒だし……)
抹茶が多くて苦味が増せば、これを切欠にお茶に興味をもってもらおうというのに敬遠されてしまい意味が無い。逆に少なくすると、抹茶の魅力である折角の風味が損なわれてイマイチな物しか出来上がらない。
シャロンを実験台にして出された結果は、そんな当たり前にして最大の問題が再確認されただけだった。
ちなみにシャロンはあれからもしょっちゅう店に顔を出している。あの騒ぎの翌日にしれっと店に来たのには流石に驚いたけど、まぁ、その理由が単に一晩寝たら気にならなくなったってところがなんともシャロンらしい。ならあの騒ぎはなんだったのかってところではあるけれど……
「──ケン──聞い──か────」
「────様、ねえ──ケ──てば」
そういや、毒見……もとい試食を頼み始めてから体重が増えてどうたらこうたら言ってたっけ。でも、考えてみればタダで売り物(予定だけど)を食べてるわけだから、どっこいどっこいかも。別に気にすることでもないか。問題があるなら文句言いつつも毎回完食しなきゃいいわけだし。
なんてことを考えながら新しく配分を変えて作ったクリームを舐めてみる。
んんーー、このぐらい甘さがあれば大丈夫かな? あ〜、でもやっぱりまだ結論を出すには早いかも……。ここはやっぱりもう少し配分を変えて、幾つかのパターンを作ってから……
(……もう何人かに試食してもらって、それを元に個数限定とかで始めてみてから様子を──)
「ケン様ってば!!」
「ケンちゃんさん!」
「うわっ、びっくりしたーー!!」
自分の世界に没頭していた僕は、見事に重なった大声によって現実に引き戻された。
「もぉー、ずっと呼んでいるのに無視し続けるなんてヒドいですよっ!!」
「まったくです! ケンちゃんさんは血も涙もない鬼の子です!」
「わ、悪かったって。ちょっと夢中になっててさ」
僕の意識を深層から引っ張り出した二つの声、それはカウンターテーブルに並んで座る二人のちびっ子──魔女の“クルム”と“アルル”だった。
「もう、ケン様はいつもそうです。わたしたちだって立派なお客様なんですから、ちゃんと相手をしてください!」
赤い衣装に金髪碧眼なのが僕を「ケン様」と呼ぶクルムで、
「クルムの言うとおりです! アルルたちもお客さんなんですよ! もっともてなしやがれです!」
緑の衣装に茶髪紅眼なのが僕を「ケンちゃんさん」と呼ぶアルルだ。
「だから悪かったって、ごめん。な?」
そう言って二人の頭を同時に撫でてやる。
「あ……えへへ……」
すると二人は嬉しそうな声を出し、いかにも不満げに膨らませていた小さいほっぺたを緩めると、これまた幸せそうに顔をほころばせた。
手を置いた金と茶の髪の毛がさらさらで気持ちいい。それになにより、頭のサイズが僕の手にジャストフィットだ。うん、実に気持ちいい。なんかいつまでも撫でていたくなる感触だ。
「えへへへへ……ふふ、ふわぁ……」
少し照れくさそうに、だけど僕にされるがまま嬉しそうにしている二人。みるみる顔が緩んで行く。表情がとけるにつれ、それを見ている僕もなんだか嬉しくなってきた。
「ふわわわわ……ふわ、ふみゃみゃ……」
僕の手にあわせて二人の絹糸のような髪が揺れ指に心地よい。あまりの気持ちよさにくしゃくしゃと撫で続けていると、二人の緩んだ顔がついにとろんととろけきる。おおっと、やりすぎたかな。目を細めてまるで猫みたいにくつろぐ様子はとても可愛いけれど、そろそろやめないと……
「ふみゃみゃ、ふみゃ、ふにゃ〜〜ん……ほわわぁ〜……」
ふむ……やっぱりいい手触りなんで折角だからもうちょっと。
「ふにゅにゅ、ふにゃ、ふにゅうぅ〜〜ん……ふにょにょ……」
うん、たまらん。なんとも柔らかくて細やかな手触り。痛んでる毛なんて一本もないんだろうと思わせるしなやかさ。たまらんな。はぁ、これであれさえなければ最高なんだけどなぁ。
「ふ、ふへへへ、ふへ……でへへへへへ〜〜〜」
おおっと、いけないいけない。調子に乗りすぎたみたいだ。さすがにこれ以上は女の子としてお見せできない顔になってしまうので、僕はようやく手を離した。まぁ、僕自身が癖になっても困るし。よだれなんて見てないよ?
「……にゃへへへへへ〜〜…………あっ……!」
「よしよし。いい子だから二人ともそれを食べたら大人しく帰るんだよ〜」
離れていく手をもの惜しげに見詰める二人に向かって僕は告げた。
なんか、そこまで切ない目で見られてしまうとちょっと罪悪感が。上目遣いってずるくない? これが捨て猫に感じる愛らしさなのかな。いや、捨て猫なんて見たことないんだけど。
「むうぅ……はぁい」
でも、二人は唇を突き出す不満げな様子ながらも大人しく言うことを聞いてくれた。それにこの感じからして、どうやら無視されていたことについてはもう気にしていなさそうだ。
「よしよし、いい子達だ。なら僕はまた仕事に戻るから、なにかあったらまた声をかけてね」
「お仕事ってなんです?」
そう言って作業に戻ろうとする僕にクルムが聞いてきた。このカウンターテーブルはテーブルの奥が一段高くなっているので、席に着くお客さんからは僕の手元は見えない。
なので、さっきから僕が何をしているのか気になっていたようだ。
「新しいメニューの研究をしててね……ほら」
ボウルを掲げ、中身ごとカウンター越しに二人に見せてやる。
「さっきからごそごそしてなさりやがったのはそれですかー」
「わあ、綺麗な緑色ですね。クリームみたいですけれど?」
「そ、新メニュー用の抹茶クリーム」
「うげ!? マッチャ!」
アルルが引きつった声を出して体を仰け反らせた。実に解りやすい嫌がり方だ。前に緑茶を飲んだとき随分顔をしかめてたからな〜、あの一回でよっぽど嫌われてしまったみたいだ。
「こら、アルルちゃん。女の子がそんな口の利き方しちゃいけません」
「そうだぞアルル。それに発音が違う。マッチャじゃなくて抹茶だ。それじゃあマッチみたいじゃないか」
「ごめんなさいクルム、つい。以後気を付けますです。けど、ケンちゃんさんは一言余計でいやがります。細かいです。そんな小姑みたいなことじゃ女の子にモテませんですよ?」
いや、さすがにそんなに突っかかってくるほど細かいことではないだろう。というか、その後半こそ余計なことだ。
「ほらほら、んなことはいいからさっさと食べてそっちこそ仕事に戻りなよ。まだ忙しいんだろ?」
でもそんなことはおくびにも出さず、ズレかけそうな話を戻す。この二人、午後の休憩に寄っただけで実はまだ仕事中だったのだ。
「そ、そうでした。早く戻らないとララ様に怒られちゃいます」
「それはまずいですね、クルム。急いで食べちゃわないと」
そう言いつつ、食べかけのあんみつを急いで口に運び始める二人。小さな手に持った小さなスプーンでえっさえっさちまちまと、やっぱり小さな口へと運んでいく。そんなに急いだらいくらあんみつでも喉に詰まらせるのではと心配になる。
「そうですよアルルちゃん。お仕事をなまけてたなんてララ様に知られたら……!」
「ララ様はお仕事には厳しいですもんね。急いで戻らないと!」
「ええ、急いでお仕事に戻りましょう!」
「うん。お仕事に……」
「はい。お仕事に……」
「そう、お仕事に……仕事に……仕事が仕事で仕事と……って、ああ!」
「そうです。わたしたちのお仕事に……って、あら? そういえばお仕事って……!」
二人そろって慌て始めたと思いきやなにかが引っかかるようでいきなりの百面相。しかしすぐにそれがなにか思い当たったようではっとした顔になる。これはもしかして……
「「わたしたちのお仕事はケンちゃんさん(ケン様)をサバトに連れてくることだった(でした)ッ!!」」
そういって立ち上がる赤と緑の魔女。あちゃ〜、やっぱりそうだったか〜。
「あ、あぶなかったです。もう少しで危うくお店を出てしまうところでした」
「まったくです。危うくケンちゃんさんの悪魔の口車に乗せられてしまうところでした! アルルたちをだまそうとするなんて、ホントにケンちゃんさんは鬼みたいな人です!」
「いや、別にそんなつもりで急かした訳じゃないんだけれど……」
すんでのところで自分達の使命を思い出し、安堵の表情を浮かべる二人。
確かに僕としては忘れてくれたら嬉しいかな〜とは思ってたけど、それだけで急かした訳じゃないというのは本当だ。一応彼女たちを心配したっていうのには嘘はない。
そう、彼女たちはとあるバフォメットの命を受け、僕をサバトに入れようとしつこく勧誘しに来ているのだ。
もう誘われだしてからどれくらい経っただろうか。それこそ初めのうちは毎日の様に店に来ては一日中口説き文句を並べられたものだった。それでも断り続けた甲斐あって、店に来る頻度が二日に一遍になり三日に一遍になり、一週間に一遍になり十日に一遍になり、数週間に一遍になり……と、徐々に減りはじめ、来てもここ最近はただお茶やお菓子を食べて帰るだけになったりするようになっていた。
これも実年齢はともかく見た目中身ともにお子様である魔女故なのか、それとも単に彼女たち二人の性格か。ともあれそれをいいことに、思い出すと稀に当初の様な猛烈な勧誘を始めだす二人に対しては、ついつい自分達の目的を思い出させないようおいしい物を勧めて穏便に帰っていただこうとする癖がついてしまっていたりするのだ。人これ「触らぬ神にたたりなし」という。
「まぁまぁアルルちゃん。もとはと言えば大事なお仕事を忘れていたわたしたちが悪いんですから、ケン様をそんなふうにいうのはよくないですよ」
「むぅ〜、クルムはいつもそうやってケンちゃんさんをかばう〜」
「アルルちゃん?」
「わ、わかってますって! たしかにそのとおりです、ごめんなさい! ただ……」
「ただ?」
「あんみつ、なくなっちゃいました」
「──あっ」
二人の手元にはほとんど空になった器──この店の人気商品であるあんみつが盛られていた陶器があった。
「せっかくのあんみつだったのに、ちゃんと味わえなかったです……」
そう言ってしゅんとするアルル。
「たまにしか食べられないからゆっくり食べようと思ってたのに……」
「そ、それは……わたしもそうですけど……」
がっくりと力なく肩を落とすアルルに応じてクルムもまたうなだれてしまう。
あんみつは手に入れづらい材料が多いため、けっこう安めな設定とは言えいささかお高めな値段となってしまっている。そのせいで、そうしょっちゅう食べられるような代物ではなくなってしまっているのだった。
「ご、ごめん二人とも」
たくさんの人にジパングの物に親しんで欲しいとは思うもののこっちにも生活がある。ここら辺のバランスは、僕にとっていつも悩みの種となっていた。
「い、いえ、お気になさらないでください。さっきもいいましたけど、うっかりしてしまっていたわたしたちが悪いんですから」
そういって逆にこっちを気遣ってくれるクルム。だけどその表情はつらそうで、いかにも無理をしていますという顔だった。どうやらクルムもクルムで結構ショックな出来事だったらしい。
アルルに至ってはさっきまでの元気はどこへやら、完全にうつむき唇をかみしめ震えている。
たかだかあんみつ一つで──というのもあれだけど、そこまで残念に思ってくれるのは作った身としてはちょっと嬉しいことだったりする。だけどそんな小さな自尊心なんて今はどうでもいい。この店に、僕のこの店には悲しみなんていらない。ここはなんとしてでも二人に笑顔を取り戻してもらわないと!
「ちょっとだけ待っててくれ二人とも。今すぐにおかわりのあんみつをつくる────」
「これも全部、サバトに入んないケンちゃんさんが悪いんだーー!」
から、続けようとして、だけど突然のアルル叫びによってそれは遮られた。
「あ、アルルさん?」
「いきなりどうしたの!? アルルちゃん?」
これには僕だけでなくクルムも驚いたようだ。さっきまでのしんみりムードは一転、困惑とせわしない空気が生まれ、そして他のお客さんは……特に驚きもせずちらりとこっちを窺っただけですぐに自分たちの世界へ戻って行った。 うん、さすがうちの常連さんだ、こんな事じゃ動じもしない。それがいいことかどうかはともかくとして。
「どうしたもこうしたもないですよクルム! そもそもなんでアルルたちがこのお店に来ていると思ってるんですか!」
「そ、それはもちろん、ララ様の命令でケン様をサバトへ勧誘しにですけれど……」
そんなお客さんのことなどはなから気にせず、アルルは語気を荒げて声を上げ続ける。
「そう、そのとおりです! ケンちゃんさんがさっさとサバトに入っていれば、急ぐこともなくおいしく楽しくゆっくり食べられたんです! だから今日のはぜんぶケンちゃんさんが悪いんです!」
「えっと、さすがにそれは……」
「ちょっとちょっと、因果関係がおかしくない?」
僕が入信してたら、君たちはここじゃなくて他のところに勧誘に行ってるはずだよね?
「いいえ、ぜんぜんおかしくありません! ケンちゃんさんがサバトにさえ入っていれば、アルルたちもお仕事と関係なくのんびり食べられていたんです。それならなんの問題もなく、あの甘くてとろっとしててぷりぷりでもふもふですっぱい! を、堪能できたんです!」
いや、そうかもしれないけどだとしたら余計にこの時間にここにいちゃいけないよね?
あとええと、甘いのは黒蜜とあんこでぷりぷりは寒天でふもふもは求肥ですっぱいは杏子だから……そうか、肝心の豆は気に入らなかったか。残念だ。
「ええっと、ですからね、アルルちゃん」
「僕がサバトに入ってたら、この時間にお店には来らんないよね? 他のとこに勧誘に行っててさ……」
どう考えてもアルルは滅茶苦茶なことを言っている。なので僕も率直に言う。それに関してはクルムも同感らしく、アルルを宥めようとしてくれているようだ。
だがしかし、大前提として一つはっきりさせなくてはいけないことがある。
「なあ、アルル」
騒ぎ立てるアルルの言葉を遮りこっちを向かせる。
「なんですか、なにか言い訳でもするですか?」
言い訳でもなんでもなく、ただの事実として幾度となく繰り返した台詞を僕はアルルに告げた。
「……何度も言ってるけど、僕はサバトに入る気はさらさらないよ?」
「なっ!? むう、まだそんなこと言いやがりますですかケンちゃんさんは!」
「何回もそう言ってるでしょ? これは変わらないよ」
彼女たちがこの店を訪れる──騒いでも他のお客さんが放置するほどに──理由。それはさっきも言ったが彼女たちの上司であるバフォメットの命令で、僕を彼女のサバトに入れるためだ。
サバト──それは強大な魔力をもつ魔族バフォメットを長としたある意味狂信的な魔術結社だ。というのも彼女たちの教義の一つに若さ幼さへの信奉があり、その結果サバトはいわゆる「幼女」や「ロリっ娘」によって構成されているのだ。
これはロリっ娘といっても歳の割に若く見えるとか、年端も行かないただの子供の集団といった意味合いではなく、魔術やらなんやらでわざと肉体を若返らせたり成長を止めて幼年固定したりと、天然物であるかや種族を問わず、あらゆる方法で幼い容姿でいることに大きな誇りとこだわりを持つ集団なのだ。
無論この若返りや成長の固定といった魔術がいかに高度な術であるかはその手のことに詳しくない僕でも察しがつく。何せある意味で人間の永遠のテーマである「永遠の若さ」を実現しているのだから。
しかしもっとも恐ろしいのは、その高度な魔術知識と技能を自分たちが「幼女」である事のみに用い、世の男を彼女らに夢中となる「ロリコン」へ導こうと本気でしていることだ。
……正直、僕としては子供は愛でる対象ではあれど我が物とする対象ではないので、サバト、というかロリコンにはいささか抵抗がある。なので僕は彼女たちの誘いを断り続けているのであった。
「なにをいうんですか! そもそもですね、ララ様に誘っていただけるのはとっても名誉なことなんですよ? なのにそれを断ること自体がおかしいんです! だからあんみつだってムダになっちゃうんです!」
「いや、だからなんでそこであんみつとくっつけるかな?」
「だからさっきも言ったとおりです! 当然なんです! さあ、次なる悲劇をくり返さないためにも、今日という今日こそは入信してもらいますよ? 覚悟しやがれです!」
「は、話が通じない……」
どうやらアルル、今までの勧誘が功をなさなかったことで溜まっていたフラストレーションが、あんみつショックで一気に噴火してしまったようだ。なにか奇妙なテンションと勢いがあって手に負えない。
いつも有り余った元気を巻き散らかして脈絡もなく騒ぎ立てるような子だけれど、今日は勢いに任せて跳び跳ね回る興奮気味の魚みたいで扱いに困る。……我ながら良くわからない例えだね。だが助け舟は意外な方角からやってきた。魚だけに。
「えと、あんみつの件はたしかに残念ですけれどとりあえず置いとくとして、アルルちゃんのいうことももっともなんですよ、ケン様。どうか一度でもいいですからサバトの見学に来てはいただけませんか?」
興奮するアルルを宥め、一足飛びの要求の代わりにクルムが建設的な意見を提示してきた。
「クルムにまでそう言われちゃうと心苦しいけど……でもごめんね、やっぱりどうしても抵抗があるんだ」
「……そう、ですか。そうだと思いましたけどやっぱり残念です」
そう言ってしゅんとするクルム。何度断っても毎度大きな声でサバトの魅力、ララ様の偉大さ、ロリコンの素晴らしさなんかを語ってくるアルルと違い、クルムはいつも控えめにしか誘ってこない。
どうやら彼女は僕が入信する望みが薄いことを悟っていて、でも心のどこかで僕の心変わりを期待しているらしく、時々申し訳なさそうに、でもわずかな希望に期待するようにこうして誘ってくれるのである。
「毎度ごめんな、クルム」
「い、いえそんな。こちらこそ……って、えへへ」
今もおそるおそるといった上目遣いで遠慮がちに言ってきたクルム。
だめだろうと思っていても誘ってしまうほどに、彼女にとってサバトは大切で心地よい場所であり、それを率いるララ様を敬愛しているのだろう。
それがひしひしと伝わって来て、なんとなく申し訳ない気持ちに駆られた僕は、罪悪感をかき消すかのように彼女の頭を無意識のうちに撫でていた。
「むむう。やっぱりクルムはケンちゃんさんに甘いです! それにケンちゃんさんもクルムにばっかりやさしいです! なんでアルルにはいつも厳しいんですか!」
当然、この流れが面白くないのはアルルだ。
「……だって……ねぇ?」
「そ、そこでわたしに聞かれても困ります……」
「むきー! なんなんですか、なんなんですかその態度は! なんでアルルは除け者なんですか、仲間はずれなんですか! ずるいです! さびしいです! アルルも仲間に入れてくれやがれです!」
「ほほ〜う。仲間はずれは寂しいとな」
にたり、となぜか僕から不敵な笑みがこぼれた。
「……え!? な、なんでアルルの思ったことがわかったですか!?」
「……アルルちゃん……口から出ちゃってるよ……」
「ふふ、なんでだろうね? それはそうと僕らの仲間に入りたいだって? ふふふふふ」
「そ、それは……」
あいかわらず素直というかバカ正直というか。
嘘がつけないのは美点かもだけど、ここまでわかりやすいと愛しさを突き抜けてからかいたくなってくる。
「ケン様、なんかキャラが違います……」
「え? ああっと、それはごめん」
なにか生まれてしまった変な一面が漏れていたらしい。あぶないあぶない。
「べ、べつにそんなこと、アルルは思ってないですよ? よ?」
が、そんな僕には気付かず動揺したままのアルル。
「そうか、思ってないのか」
「そうです。べつにアルルはクルムだけなでなでされてうらやましいとか、アルルにもして欲しいとかなんて、そ、そんなこと、これっぽっちも思ってなんかいないんです!」
「アルルちゃん……」
「そうか、それは残念……素直に言ってくれれば仲間に入れてあげたのに……」
どことなく寂しげな風を装って呟く僕。からかいスイッチは入ったままだ。
「え? そ、そうだったですか?」
「うん。僕もアルルとは仲良くしたいからね。でも、アルルが嫌だって言うなら」
しょうがないよね、といかにも残念そうに漏らしてみる。と、
「そ、そんな! べつにアルルはケンちゃんさんを嫌いって言ったわけじゃ……っ!」
見事、思ったとおりにアルルは食いついてきた。
「ほんとかい?」
「ほ、ほんとです! まぁ、アルルみたいなかわいい子と仲良くなりたいっておもうのは、あ、あたりまえのことですし? ララ様もやさしいお兄さんとはちゃんと仲良くしなさいっていつも言ってますから、まぁ、どうしてもってケンちゃんさんが言うならアルルだって仲良くしたいと思いますですよ?」
「そうかそうか、それを聞いて安心したよ。じゃあ、アルルは僕と仲良くしてくれるね?」
「ま、まあ、ケンちゃんさんがそこまで言うなら」
仲良くしてやるです。と、うつむき加減で呟くアルル。そっぽをむいた目は、たぶん彼女なりの精一杯の照れ隠しなのだろう。
「うん。よかった。これからもよろしくね、アルル」
「はい、です……」
顔だけはしぶしぶといった感じで、でも嬉しそうな雰囲気を漂わせながら頷くアルル。次いでなにかを期待した目で僕を見上げてくるが、僕はあえてその様子に気付かないふりをして仕事に戻る。
「それじゃ、今度こそ僕は仕事に戻るから、なにかあったらまた声をかけてね」
「え?」
「わかりました。いろいろお騒がせして申し訳ありません」
「いやいや、気にしてないよ。それじゃ、ごゆっくり」
「……あっ。えと……」
接客の常套句を残しゆっくりとした動作でその場を離れようとする僕。するとアルルから何かあっけに取られたような声が漏れ出した。
「どうかしましたか、アルルちゃん?」
「あ、その、えと……」
「ん? どうかしたの、アルル?」
そのやり取りが思いがけず気になった、という体でわざとらしく尋ねる僕。そんな僕に、アルルは何かを期待するような、それでいて少し怯えるような目でちらちらと僕を見てくる。
「あの、そ、その……」
その様は飼い主に対して何か訴えている子犬を髣髴とさせる。そこには大きくつぶらな瞳とともに、なんだかとても保護欲をかきたてる小動物的なかわいらしさがあった。
(うわぁ、なんだかこれはやばい)
その様子を見た途端、僕の中に何か新しい感情が芽生え、それが背筋をぞくぞくと駆け上がってきた。
無論、僕は彼女がなにを欲しているかは察しがついている。だけどあえて自分からそれに触れず、アルルがなにか言い出すのを待っていた。
「アルルちゃん?」
「あ、いや、そのですね」
何も言わずただじっとアルルの様子を観察する僕。彼女は僕の顔を窺いながらも、ちらりちらりと僕の手に視線を投げかけている。
どうやらそれに、クルムも気がついたようだ。
「あっ、わかりました! アルルちゃん、ケン様に頭をなでてもらいたいんでしょ?」
「……っ!! そ、そんなこと!!」
「ちがうの?」
「それは……! そ、その……えと、いやべつにですね、なんというかそれはそのあれでですね、ようするにその………………そうです……」
最後はほとんど消え入るような声音で、だけどはっきりと、アルルはそう答えた。
そしてそのあたふたとした様子が落ち着いて少したってから、
「あの、ケンちゃんさん……!」
「ん?」
一呼吸。アルルは意を決した様子で声をかけてくる。
僕はそっけなく、それに相槌を打つ。すると、
「あ、アルルにも、その、クルムみたいになでなでしてもらえませんですか……?」
がばと下げていた顔を僕へと上げ、けどその勢いは尻すぼみに、うるんだ瞳とともに強く気持ちが篭った顔と声を向けてくる。だけれどもそこにはいつもの勢いや明るさはなく、どこか自信なさげな懇願さえ含んだ響きだ。
(お、おおお! なんかさっきからヤバいなこの感じ)
普段は元気で憎まれ口を叩いてくるような女の子がしおらしく、頼りなさげにお願いする様はなんか妙にぐっと来る。
ついさっき初めて感じたばかりのあのえもいわれぬ震えがまたもや全身に駆け巡っていく。なんか、この感覚は病み付きになりそうで怖い。
(まさか僕にこんな一面がなんて……も、もしやこれがロリコンやSへの目覚めというやつなんじゃ……?!)
だとしたらそれは大変まずい。なにがまずいのかはあえて考えたくないけど……とにかくそうなる前に自重しなければ!
「ケンちゃんさん?」
などとくだらない葛藤をしているとアルルがおずおずと声をかけてきた。いけない、放置してしまったせいで、なにやら不安がらせてしまったようだ。
「あ、ああ、ごめん。ちょっとぼおっとしちゃって……えと、そうだね。アルルにそこまで言わせちゃったんだ、喜んでなでさせてもらうよ。ただ」
「ただ?」
そこまで言って僕は伸ばしかけた手を止める。
そんな僕をこれまた不安げな様子で見上げてくるアルル。うん、やっぱり普段の感じとのギャップが大きくて、意外な一面がとてもなにかそそら……もとい可愛く感じる。
「ただ、今日の事、許してもらえないかなって」
「そ、それは……」
だけど僕はその感覚を押し殺し、努めて普通に振舞う。
「折角の楽しみを台無しにしちゃったのは謝る。ホントにごめん。それとお詫びといちゃなんだけど、今度来た時におまけをしてあげるからさ。それで許してくれないかな? だめ?」
「ふ、ふん。乙女の楽しみを奪った罪は百回死んでも許されない事ですけど……まぁ、ケンちゃんさんがそこまでいうならそれで許してあげてやるですよ」
「ありがとう、アルル。それと、クルムにも悪い事しちゃったね。こんな感じだけど、許してくれないかい?」
そこで自分に振られるとは思っていなかったのか、僕の謝罪はひどくクルムを慌てさせてしまった
「そ、そんなそんな! こちらこそお騒がせしてすみませんでした!」
──ごちん!
ところがなんと、焦ってお辞儀をした結果、とてもいい音をたててテーブルにおでこをぶつけてしまう赤い魔女っ娘。
その慌てたちまちまとした様子と音の大きさのギャップ妙にがおかしくて、僕と彼女の緑の相方はつい声を上げて笑ってしまった。
「ぶふっ、あははは! もう、一体なにやってるですかクルム!」
「く、くくくく! はぁ〜、まったくだよクルム。頼むからテーブルは壊さないでくれよ?」
「もう! 二人とも笑うなんてひどいです! とっても痛かったんですよ〜!」
「はは、いや、だってさ。って、悪かったってば。だからそんな睨まないでくれよ」
「べつににらんでなんかいません! もう、わたしのことはいいですから早くやっちゃってください!」
赤く腫らしたおでこをさすり、涙目になりながらクルムが言う。
「そう? じゃあお言葉に甘えて……」
「あっ、ちょっと待ってくださいです!」
「ん、どうしたの?」
再びアルルに向けて手を伸ばそうとしたところで、肝心の本人からストップがかかる。
「あの、ですね……」
「うん」
「その、ですね……」
「うん」
「だから、ですね……」
「……うん」
なにやらもじもじと恥ずかしがってなかなか言い出さないアルル。
しばらくそうしてもごもごとしていたが、クルムの「がんばって」によって、ようやくその続きを口にする。
「その、今日のことは許してやるですから、か、かわりにせいいっぱいやさしくなでなでしてくださいやがれですっ!!」
叩きつけるように言い終わるや否や、アルルはとうとう顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。
……いや、この反応はずるいだろう。ああ、もう可愛いなこの意地っ張りのおこちゃまは!!
「お、おうよ……ほら、これでいいかい?」
気恥ずかしさを憶えてこっちまでテレながらなでてやる。
もちろん要求どおりに努めてやさしくそして丁寧に、感じた愛しさを揉みこむ様にゆっくりと、僕の手に良く馴染む大きさのその小さな頭をなでくりまわす。
「えへへへへ、ありがとうです」
「よかったね、アルルちゃん!」
「はいです!」
アルルは今日一番の実に屈託のない晴れやかな笑顔を浮かべてくれた。
そしてそれに向き合うクルムもまた、親友の幸せをまるで我が事のように喜び嬉しそうな笑顔で見守っている。
「なんか、いい光景だな」
いろいろと騒がれどたばたもあったけど、結果こういう笑顔が見られたならそれもどうってことない。
彼女たちが来るたび店は騒がしくなるがそれも含めてそれが彼女たちの、そして、それを許せるのがこの店の魅力になれればいいのかもしれない。いや、そんなお店にして行こう。お客さんに限らず訪れてくれた全ての人が笑顔になれる店、それが僕の目標なのだから。
などと、この時の僕は暢気にもそんなことを考えていた。そう、これがまだ嵐の前の静けさに過ぎないとも知らずに……
ジパング地方──今僕たちが住んでいる地域と大きく異なる文化と価値観を持つ、遠く離れた土地。僕自身が生まれたのはこのジアコーザの街だけど、両親に連れられて何度か行った事のある両親の故郷。
そこで見る風景や人々の暮らしの多くは僕が慣れ親しんだものととても違っていて、子供心に胸が高まったものだった。
水田、あぜ道、木の家、大きなお風呂。変わった服装に、変わった食べ物に、変わったおもちゃ。その中でも特に僕が心引かれたのは、やっぱり食べ物だった。
お餅、納豆、こんにゃく、お蕎麦、お焼き、漬物、豆腐、団子、お饅頭、羊羹、すあま──
今考えるとなんとも子供らしいが、昔からお子様は「花より団子」と決まっているのだ。
そんなわけで僕が基礎学校を卒業してすぐこの店を開いたときに、お決まりのメニューに加えてジパングの料理があったのは、至極当然のことだったのかもしれない。
ある日の午後、今日も店の中には穏やかな日差しが届き、ゆったりとした空気が流れていた。
のどかな昼下がり。一心地つける温もり。
この空気が出したくて、店の椅子や調度品はすべて落ち着いたデザインと色合いのもので統一している。貰い物も多いし、所々に飾ったジパングの鉢植えや小物が違う毛色を醸しているけれど、まぁそこはご愛嬌ということで。でも、自分じゃ結構違和感なく溶け込んでていい味出してると思っているんだけど、どうだろうか。
そんな密かに自慢の店内では今、木漏れ日の窓際席でおじいさんがコーヒーを片手に読書をし、奥の席ではワーラビットの一団がおしゃべりに興じている。どちらも常連さんだ。
そして仕事が一段落した僕は、新しいメニューの開発に勤しんでいた。
(ふ〜む……もう少し抹茶を増やしても大丈夫かな……)
今作っているのは抹茶ケーキ。もっといえばそれに使う抹茶クリーム。
コーヒーと紅茶ばかりであまり緑茶が普及していないこの地方。なんとか緑茶の良さを解ってもらおうという試みの一環として、お茶っ葉を使ったお菓子を開発している途中なのだ。
(あ〜、でもこの前シャロンに食べてもらったときは苦すぎるって言われたしなぁ〜)
ところがしかし、入れる抹茶の配分が難しく開発は難航していた。まさにさじ加減が解らないという状況だ。
(やっぱり、こっちの人にはこの手の苦味に馴染みがないからかな)
どうしたってなかなか緑茶が広まらない最大の問題は文化の違い。僕なんかには慣れた味だけれどみんなの舌には奇妙に感じるらしく、緑茶の苦味と渋みはどうもとっつきにくいらしい。
そんな中でお茶に興味もってもらうためにお茶っ葉を使ったお菓子を作る、というアイディアは我ながら結構いい考えだと思う。抹茶ケーキを初め、抹茶クッキーや抹茶マフィン、抹茶ロールに抹茶エクレアに抹茶パフェと、メニューのアイディアも続々と湧いてきたし。……まぁ、全部抹茶の粉を混ぜただけなんだけどさ。
(いや最終的にお茶に手を出してもらうんだ。思い切ってこの量で行ってもいいのかも……)
とまあそんなこんなでとりあえず、手始めに抹茶ケーキで文化の溝を埋めようと思い試作を続けているのだけれど、これがまたなかなか難しいのだ。
(それに違う苦さっていってもコーヒーなんかは平気なわけだし。これくらいは……)
「──さん────ケ────!!」
(ああっでも、とはいえこれで苦手意識持たれちゃったら本末転倒だし……)
抹茶が多くて苦味が増せば、これを切欠にお茶に興味をもってもらおうというのに敬遠されてしまい意味が無い。逆に少なくすると、抹茶の魅力である折角の風味が損なわれてイマイチな物しか出来上がらない。
シャロンを実験台にして出された結果は、そんな当たり前にして最大の問題が再確認されただけだった。
ちなみにシャロンはあれからもしょっちゅう店に顔を出している。あの騒ぎの翌日にしれっと店に来たのには流石に驚いたけど、まぁ、その理由が単に一晩寝たら気にならなくなったってところがなんともシャロンらしい。ならあの騒ぎはなんだったのかってところではあるけれど……
「──ケン──聞い──か────」
「────様、ねえ──ケ──てば」
そういや、毒見……もとい試食を頼み始めてから体重が増えてどうたらこうたら言ってたっけ。でも、考えてみればタダで売り物(予定だけど)を食べてるわけだから、どっこいどっこいかも。別に気にすることでもないか。問題があるなら文句言いつつも毎回完食しなきゃいいわけだし。
なんてことを考えながら新しく配分を変えて作ったクリームを舐めてみる。
んんーー、このぐらい甘さがあれば大丈夫かな? あ〜、でもやっぱりまだ結論を出すには早いかも……。ここはやっぱりもう少し配分を変えて、幾つかのパターンを作ってから……
(……もう何人かに試食してもらって、それを元に個数限定とかで始めてみてから様子を──)
「ケン様ってば!!」
「ケンちゃんさん!」
「うわっ、びっくりしたーー!!」
自分の世界に没頭していた僕は、見事に重なった大声によって現実に引き戻された。
「もぉー、ずっと呼んでいるのに無視し続けるなんてヒドいですよっ!!」
「まったくです! ケンちゃんさんは血も涙もない鬼の子です!」
「わ、悪かったって。ちょっと夢中になっててさ」
僕の意識を深層から引っ張り出した二つの声、それはカウンターテーブルに並んで座る二人のちびっ子──魔女の“クルム”と“アルル”だった。
「もう、ケン様はいつもそうです。わたしたちだって立派なお客様なんですから、ちゃんと相手をしてください!」
赤い衣装に金髪碧眼なのが僕を「ケン様」と呼ぶクルムで、
「クルムの言うとおりです! アルルたちもお客さんなんですよ! もっともてなしやがれです!」
緑の衣装に茶髪紅眼なのが僕を「ケンちゃんさん」と呼ぶアルルだ。
「だから悪かったって、ごめん。な?」
そう言って二人の頭を同時に撫でてやる。
「あ……えへへ……」
すると二人は嬉しそうな声を出し、いかにも不満げに膨らませていた小さいほっぺたを緩めると、これまた幸せそうに顔をほころばせた。
手を置いた金と茶の髪の毛がさらさらで気持ちいい。それになにより、頭のサイズが僕の手にジャストフィットだ。うん、実に気持ちいい。なんかいつまでも撫でていたくなる感触だ。
「えへへへへ……ふふ、ふわぁ……」
少し照れくさそうに、だけど僕にされるがまま嬉しそうにしている二人。みるみる顔が緩んで行く。表情がとけるにつれ、それを見ている僕もなんだか嬉しくなってきた。
「ふわわわわ……ふわ、ふみゃみゃ……」
僕の手にあわせて二人の絹糸のような髪が揺れ指に心地よい。あまりの気持ちよさにくしゃくしゃと撫で続けていると、二人の緩んだ顔がついにとろんととろけきる。おおっと、やりすぎたかな。目を細めてまるで猫みたいにくつろぐ様子はとても可愛いけれど、そろそろやめないと……
「ふみゃみゃ、ふみゃ、ふにゃ〜〜ん……ほわわぁ〜……」
ふむ……やっぱりいい手触りなんで折角だからもうちょっと。
「ふにゅにゅ、ふにゃ、ふにゅうぅ〜〜ん……ふにょにょ……」
うん、たまらん。なんとも柔らかくて細やかな手触り。痛んでる毛なんて一本もないんだろうと思わせるしなやかさ。たまらんな。はぁ、これであれさえなければ最高なんだけどなぁ。
「ふ、ふへへへ、ふへ……でへへへへへ〜〜〜」
おおっと、いけないいけない。調子に乗りすぎたみたいだ。さすがにこれ以上は女の子としてお見せできない顔になってしまうので、僕はようやく手を離した。まぁ、僕自身が癖になっても困るし。よだれなんて見てないよ?
「……にゃへへへへへ〜〜…………あっ……!」
「よしよし。いい子だから二人ともそれを食べたら大人しく帰るんだよ〜」
離れていく手をもの惜しげに見詰める二人に向かって僕は告げた。
なんか、そこまで切ない目で見られてしまうとちょっと罪悪感が。上目遣いってずるくない? これが捨て猫に感じる愛らしさなのかな。いや、捨て猫なんて見たことないんだけど。
「むうぅ……はぁい」
でも、二人は唇を突き出す不満げな様子ながらも大人しく言うことを聞いてくれた。それにこの感じからして、どうやら無視されていたことについてはもう気にしていなさそうだ。
「よしよし、いい子達だ。なら僕はまた仕事に戻るから、なにかあったらまた声をかけてね」
「お仕事ってなんです?」
そう言って作業に戻ろうとする僕にクルムが聞いてきた。このカウンターテーブルはテーブルの奥が一段高くなっているので、席に着くお客さんからは僕の手元は見えない。
なので、さっきから僕が何をしているのか気になっていたようだ。
「新しいメニューの研究をしててね……ほら」
ボウルを掲げ、中身ごとカウンター越しに二人に見せてやる。
「さっきからごそごそしてなさりやがったのはそれですかー」
「わあ、綺麗な緑色ですね。クリームみたいですけれど?」
「そ、新メニュー用の抹茶クリーム」
「うげ!? マッチャ!」
アルルが引きつった声を出して体を仰け反らせた。実に解りやすい嫌がり方だ。前に緑茶を飲んだとき随分顔をしかめてたからな〜、あの一回でよっぽど嫌われてしまったみたいだ。
「こら、アルルちゃん。女の子がそんな口の利き方しちゃいけません」
「そうだぞアルル。それに発音が違う。マッチャじゃなくて抹茶だ。それじゃあマッチみたいじゃないか」
「ごめんなさいクルム、つい。以後気を付けますです。けど、ケンちゃんさんは一言余計でいやがります。細かいです。そんな小姑みたいなことじゃ女の子にモテませんですよ?」
いや、さすがにそんなに突っかかってくるほど細かいことではないだろう。というか、その後半こそ余計なことだ。
「ほらほら、んなことはいいからさっさと食べてそっちこそ仕事に戻りなよ。まだ忙しいんだろ?」
でもそんなことはおくびにも出さず、ズレかけそうな話を戻す。この二人、午後の休憩に寄っただけで実はまだ仕事中だったのだ。
「そ、そうでした。早く戻らないとララ様に怒られちゃいます」
「それはまずいですね、クルム。急いで食べちゃわないと」
そう言いつつ、食べかけのあんみつを急いで口に運び始める二人。小さな手に持った小さなスプーンでえっさえっさちまちまと、やっぱり小さな口へと運んでいく。そんなに急いだらいくらあんみつでも喉に詰まらせるのではと心配になる。
「そうですよアルルちゃん。お仕事をなまけてたなんてララ様に知られたら……!」
「ララ様はお仕事には厳しいですもんね。急いで戻らないと!」
「ええ、急いでお仕事に戻りましょう!」
「うん。お仕事に……」
「はい。お仕事に……」
「そう、お仕事に……仕事に……仕事が仕事で仕事と……って、ああ!」
「そうです。わたしたちのお仕事に……って、あら? そういえばお仕事って……!」
二人そろって慌て始めたと思いきやなにかが引っかかるようでいきなりの百面相。しかしすぐにそれがなにか思い当たったようではっとした顔になる。これはもしかして……
「「わたしたちのお仕事はケンちゃんさん(ケン様)をサバトに連れてくることだった(でした)ッ!!」」
そういって立ち上がる赤と緑の魔女。あちゃ〜、やっぱりそうだったか〜。
「あ、あぶなかったです。もう少しで危うくお店を出てしまうところでした」
「まったくです。危うくケンちゃんさんの悪魔の口車に乗せられてしまうところでした! アルルたちをだまそうとするなんて、ホントにケンちゃんさんは鬼みたいな人です!」
「いや、別にそんなつもりで急かした訳じゃないんだけれど……」
すんでのところで自分達の使命を思い出し、安堵の表情を浮かべる二人。
確かに僕としては忘れてくれたら嬉しいかな〜とは思ってたけど、それだけで急かした訳じゃないというのは本当だ。一応彼女たちを心配したっていうのには嘘はない。
そう、彼女たちはとあるバフォメットの命を受け、僕をサバトに入れようとしつこく勧誘しに来ているのだ。
もう誘われだしてからどれくらい経っただろうか。それこそ初めのうちは毎日の様に店に来ては一日中口説き文句を並べられたものだった。それでも断り続けた甲斐あって、店に来る頻度が二日に一遍になり三日に一遍になり、一週間に一遍になり十日に一遍になり、数週間に一遍になり……と、徐々に減りはじめ、来てもここ最近はただお茶やお菓子を食べて帰るだけになったりするようになっていた。
これも実年齢はともかく見た目中身ともにお子様である魔女故なのか、それとも単に彼女たち二人の性格か。ともあれそれをいいことに、思い出すと稀に当初の様な猛烈な勧誘を始めだす二人に対しては、ついつい自分達の目的を思い出させないようおいしい物を勧めて穏便に帰っていただこうとする癖がついてしまっていたりするのだ。人これ「触らぬ神にたたりなし」という。
「まぁまぁアルルちゃん。もとはと言えば大事なお仕事を忘れていたわたしたちが悪いんですから、ケン様をそんなふうにいうのはよくないですよ」
「むぅ〜、クルムはいつもそうやってケンちゃんさんをかばう〜」
「アルルちゃん?」
「わ、わかってますって! たしかにそのとおりです、ごめんなさい! ただ……」
「ただ?」
「あんみつ、なくなっちゃいました」
「──あっ」
二人の手元にはほとんど空になった器──この店の人気商品であるあんみつが盛られていた陶器があった。
「せっかくのあんみつだったのに、ちゃんと味わえなかったです……」
そう言ってしゅんとするアルル。
「たまにしか食べられないからゆっくり食べようと思ってたのに……」
「そ、それは……わたしもそうですけど……」
がっくりと力なく肩を落とすアルルに応じてクルムもまたうなだれてしまう。
あんみつは手に入れづらい材料が多いため、けっこう安めな設定とは言えいささかお高めな値段となってしまっている。そのせいで、そうしょっちゅう食べられるような代物ではなくなってしまっているのだった。
「ご、ごめん二人とも」
たくさんの人にジパングの物に親しんで欲しいとは思うもののこっちにも生活がある。ここら辺のバランスは、僕にとっていつも悩みの種となっていた。
「い、いえ、お気になさらないでください。さっきもいいましたけど、うっかりしてしまっていたわたしたちが悪いんですから」
そういって逆にこっちを気遣ってくれるクルム。だけどその表情はつらそうで、いかにも無理をしていますという顔だった。どうやらクルムもクルムで結構ショックな出来事だったらしい。
アルルに至ってはさっきまでの元気はどこへやら、完全にうつむき唇をかみしめ震えている。
たかだかあんみつ一つで──というのもあれだけど、そこまで残念に思ってくれるのは作った身としてはちょっと嬉しいことだったりする。だけどそんな小さな自尊心なんて今はどうでもいい。この店に、僕のこの店には悲しみなんていらない。ここはなんとしてでも二人に笑顔を取り戻してもらわないと!
「ちょっとだけ待っててくれ二人とも。今すぐにおかわりのあんみつをつくる────」
「これも全部、サバトに入んないケンちゃんさんが悪いんだーー!」
から、続けようとして、だけど突然のアルル叫びによってそれは遮られた。
「あ、アルルさん?」
「いきなりどうしたの!? アルルちゃん?」
これには僕だけでなくクルムも驚いたようだ。さっきまでのしんみりムードは一転、困惑とせわしない空気が生まれ、そして他のお客さんは……特に驚きもせずちらりとこっちを窺っただけですぐに自分たちの世界へ戻って行った。 うん、さすがうちの常連さんだ、こんな事じゃ動じもしない。それがいいことかどうかはともかくとして。
「どうしたもこうしたもないですよクルム! そもそもなんでアルルたちがこのお店に来ていると思ってるんですか!」
「そ、それはもちろん、ララ様の命令でケン様をサバトへ勧誘しにですけれど……」
そんなお客さんのことなどはなから気にせず、アルルは語気を荒げて声を上げ続ける。
「そう、そのとおりです! ケンちゃんさんがさっさとサバトに入っていれば、急ぐこともなくおいしく楽しくゆっくり食べられたんです! だから今日のはぜんぶケンちゃんさんが悪いんです!」
「えっと、さすがにそれは……」
「ちょっとちょっと、因果関係がおかしくない?」
僕が入信してたら、君たちはここじゃなくて他のところに勧誘に行ってるはずだよね?
「いいえ、ぜんぜんおかしくありません! ケンちゃんさんがサバトにさえ入っていれば、アルルたちもお仕事と関係なくのんびり食べられていたんです。それならなんの問題もなく、あの甘くてとろっとしててぷりぷりでもふもふですっぱい! を、堪能できたんです!」
いや、そうかもしれないけどだとしたら余計にこの時間にここにいちゃいけないよね?
あとええと、甘いのは黒蜜とあんこでぷりぷりは寒天でふもふもは求肥ですっぱいは杏子だから……そうか、肝心の豆は気に入らなかったか。残念だ。
「ええっと、ですからね、アルルちゃん」
「僕がサバトに入ってたら、この時間にお店には来らんないよね? 他のとこに勧誘に行っててさ……」
どう考えてもアルルは滅茶苦茶なことを言っている。なので僕も率直に言う。それに関してはクルムも同感らしく、アルルを宥めようとしてくれているようだ。
だがしかし、大前提として一つはっきりさせなくてはいけないことがある。
「なあ、アルル」
騒ぎ立てるアルルの言葉を遮りこっちを向かせる。
「なんですか、なにか言い訳でもするですか?」
言い訳でもなんでもなく、ただの事実として幾度となく繰り返した台詞を僕はアルルに告げた。
「……何度も言ってるけど、僕はサバトに入る気はさらさらないよ?」
「なっ!? むう、まだそんなこと言いやがりますですかケンちゃんさんは!」
「何回もそう言ってるでしょ? これは変わらないよ」
彼女たちがこの店を訪れる──騒いでも他のお客さんが放置するほどに──理由。それはさっきも言ったが彼女たちの上司であるバフォメットの命令で、僕を彼女のサバトに入れるためだ。
サバト──それは強大な魔力をもつ魔族バフォメットを長としたある意味狂信的な魔術結社だ。というのも彼女たちの教義の一つに若さ幼さへの信奉があり、その結果サバトはいわゆる「幼女」や「ロリっ娘」によって構成されているのだ。
これはロリっ娘といっても歳の割に若く見えるとか、年端も行かないただの子供の集団といった意味合いではなく、魔術やらなんやらでわざと肉体を若返らせたり成長を止めて幼年固定したりと、天然物であるかや種族を問わず、あらゆる方法で幼い容姿でいることに大きな誇りとこだわりを持つ集団なのだ。
無論この若返りや成長の固定といった魔術がいかに高度な術であるかはその手のことに詳しくない僕でも察しがつく。何せある意味で人間の永遠のテーマである「永遠の若さ」を実現しているのだから。
しかしもっとも恐ろしいのは、その高度な魔術知識と技能を自分たちが「幼女」である事のみに用い、世の男を彼女らに夢中となる「ロリコン」へ導こうと本気でしていることだ。
……正直、僕としては子供は愛でる対象ではあれど我が物とする対象ではないので、サバト、というかロリコンにはいささか抵抗がある。なので僕は彼女たちの誘いを断り続けているのであった。
「なにをいうんですか! そもそもですね、ララ様に誘っていただけるのはとっても名誉なことなんですよ? なのにそれを断ること自体がおかしいんです! だからあんみつだってムダになっちゃうんです!」
「いや、だからなんでそこであんみつとくっつけるかな?」
「だからさっきも言ったとおりです! 当然なんです! さあ、次なる悲劇をくり返さないためにも、今日という今日こそは入信してもらいますよ? 覚悟しやがれです!」
「は、話が通じない……」
どうやらアルル、今までの勧誘が功をなさなかったことで溜まっていたフラストレーションが、あんみつショックで一気に噴火してしまったようだ。なにか奇妙なテンションと勢いがあって手に負えない。
いつも有り余った元気を巻き散らかして脈絡もなく騒ぎ立てるような子だけれど、今日は勢いに任せて跳び跳ね回る興奮気味の魚みたいで扱いに困る。……我ながら良くわからない例えだね。だが助け舟は意外な方角からやってきた。魚だけに。
「えと、あんみつの件はたしかに残念ですけれどとりあえず置いとくとして、アルルちゃんのいうことももっともなんですよ、ケン様。どうか一度でもいいですからサバトの見学に来てはいただけませんか?」
興奮するアルルを宥め、一足飛びの要求の代わりにクルムが建設的な意見を提示してきた。
「クルムにまでそう言われちゃうと心苦しいけど……でもごめんね、やっぱりどうしても抵抗があるんだ」
「……そう、ですか。そうだと思いましたけどやっぱり残念です」
そう言ってしゅんとするクルム。何度断っても毎度大きな声でサバトの魅力、ララ様の偉大さ、ロリコンの素晴らしさなんかを語ってくるアルルと違い、クルムはいつも控えめにしか誘ってこない。
どうやら彼女は僕が入信する望みが薄いことを悟っていて、でも心のどこかで僕の心変わりを期待しているらしく、時々申し訳なさそうに、でもわずかな希望に期待するようにこうして誘ってくれるのである。
「毎度ごめんな、クルム」
「い、いえそんな。こちらこそ……って、えへへ」
今もおそるおそるといった上目遣いで遠慮がちに言ってきたクルム。
だめだろうと思っていても誘ってしまうほどに、彼女にとってサバトは大切で心地よい場所であり、それを率いるララ様を敬愛しているのだろう。
それがひしひしと伝わって来て、なんとなく申し訳ない気持ちに駆られた僕は、罪悪感をかき消すかのように彼女の頭を無意識のうちに撫でていた。
「むむう。やっぱりクルムはケンちゃんさんに甘いです! それにケンちゃんさんもクルムにばっかりやさしいです! なんでアルルにはいつも厳しいんですか!」
当然、この流れが面白くないのはアルルだ。
「……だって……ねぇ?」
「そ、そこでわたしに聞かれても困ります……」
「むきー! なんなんですか、なんなんですかその態度は! なんでアルルは除け者なんですか、仲間はずれなんですか! ずるいです! さびしいです! アルルも仲間に入れてくれやがれです!」
「ほほ〜う。仲間はずれは寂しいとな」
にたり、となぜか僕から不敵な笑みがこぼれた。
「……え!? な、なんでアルルの思ったことがわかったですか!?」
「……アルルちゃん……口から出ちゃってるよ……」
「ふふ、なんでだろうね? それはそうと僕らの仲間に入りたいだって? ふふふふふ」
「そ、それは……」
あいかわらず素直というかバカ正直というか。
嘘がつけないのは美点かもだけど、ここまでわかりやすいと愛しさを突き抜けてからかいたくなってくる。
「ケン様、なんかキャラが違います……」
「え? ああっと、それはごめん」
なにか生まれてしまった変な一面が漏れていたらしい。あぶないあぶない。
「べ、べつにそんなこと、アルルは思ってないですよ? よ?」
が、そんな僕には気付かず動揺したままのアルル。
「そうか、思ってないのか」
「そうです。べつにアルルはクルムだけなでなでされてうらやましいとか、アルルにもして欲しいとかなんて、そ、そんなこと、これっぽっちも思ってなんかいないんです!」
「アルルちゃん……」
「そうか、それは残念……素直に言ってくれれば仲間に入れてあげたのに……」
どことなく寂しげな風を装って呟く僕。からかいスイッチは入ったままだ。
「え? そ、そうだったですか?」
「うん。僕もアルルとは仲良くしたいからね。でも、アルルが嫌だって言うなら」
しょうがないよね、といかにも残念そうに漏らしてみる。と、
「そ、そんな! べつにアルルはケンちゃんさんを嫌いって言ったわけじゃ……っ!」
見事、思ったとおりにアルルは食いついてきた。
「ほんとかい?」
「ほ、ほんとです! まぁ、アルルみたいなかわいい子と仲良くなりたいっておもうのは、あ、あたりまえのことですし? ララ様もやさしいお兄さんとはちゃんと仲良くしなさいっていつも言ってますから、まぁ、どうしてもってケンちゃんさんが言うならアルルだって仲良くしたいと思いますですよ?」
「そうかそうか、それを聞いて安心したよ。じゃあ、アルルは僕と仲良くしてくれるね?」
「ま、まあ、ケンちゃんさんがそこまで言うなら」
仲良くしてやるです。と、うつむき加減で呟くアルル。そっぽをむいた目は、たぶん彼女なりの精一杯の照れ隠しなのだろう。
「うん。よかった。これからもよろしくね、アルル」
「はい、です……」
顔だけはしぶしぶといった感じで、でも嬉しそうな雰囲気を漂わせながら頷くアルル。次いでなにかを期待した目で僕を見上げてくるが、僕はあえてその様子に気付かないふりをして仕事に戻る。
「それじゃ、今度こそ僕は仕事に戻るから、なにかあったらまた声をかけてね」
「え?」
「わかりました。いろいろお騒がせして申し訳ありません」
「いやいや、気にしてないよ。それじゃ、ごゆっくり」
「……あっ。えと……」
接客の常套句を残しゆっくりとした動作でその場を離れようとする僕。するとアルルから何かあっけに取られたような声が漏れ出した。
「どうかしましたか、アルルちゃん?」
「あ、その、えと……」
「ん? どうかしたの、アルル?」
そのやり取りが思いがけず気になった、という体でわざとらしく尋ねる僕。そんな僕に、アルルは何かを期待するような、それでいて少し怯えるような目でちらちらと僕を見てくる。
「あの、そ、その……」
その様は飼い主に対して何か訴えている子犬を髣髴とさせる。そこには大きくつぶらな瞳とともに、なんだかとても保護欲をかきたてる小動物的なかわいらしさがあった。
(うわぁ、なんだかこれはやばい)
その様子を見た途端、僕の中に何か新しい感情が芽生え、それが背筋をぞくぞくと駆け上がってきた。
無論、僕は彼女がなにを欲しているかは察しがついている。だけどあえて自分からそれに触れず、アルルがなにか言い出すのを待っていた。
「アルルちゃん?」
「あ、いや、そのですね」
何も言わずただじっとアルルの様子を観察する僕。彼女は僕の顔を窺いながらも、ちらりちらりと僕の手に視線を投げかけている。
どうやらそれに、クルムも気がついたようだ。
「あっ、わかりました! アルルちゃん、ケン様に頭をなでてもらいたいんでしょ?」
「……っ!! そ、そんなこと!!」
「ちがうの?」
「それは……! そ、その……えと、いやべつにですね、なんというかそれはそのあれでですね、ようするにその………………そうです……」
最後はほとんど消え入るような声音で、だけどはっきりと、アルルはそう答えた。
そしてそのあたふたとした様子が落ち着いて少したってから、
「あの、ケンちゃんさん……!」
「ん?」
一呼吸。アルルは意を決した様子で声をかけてくる。
僕はそっけなく、それに相槌を打つ。すると、
「あ、アルルにも、その、クルムみたいになでなでしてもらえませんですか……?」
がばと下げていた顔を僕へと上げ、けどその勢いは尻すぼみに、うるんだ瞳とともに強く気持ちが篭った顔と声を向けてくる。だけれどもそこにはいつもの勢いや明るさはなく、どこか自信なさげな懇願さえ含んだ響きだ。
(お、おおお! なんかさっきからヤバいなこの感じ)
普段は元気で憎まれ口を叩いてくるような女の子がしおらしく、頼りなさげにお願いする様はなんか妙にぐっと来る。
ついさっき初めて感じたばかりのあのえもいわれぬ震えがまたもや全身に駆け巡っていく。なんか、この感覚は病み付きになりそうで怖い。
(まさか僕にこんな一面がなんて……も、もしやこれがロリコンやSへの目覚めというやつなんじゃ……?!)
だとしたらそれは大変まずい。なにがまずいのかはあえて考えたくないけど……とにかくそうなる前に自重しなければ!
「ケンちゃんさん?」
などとくだらない葛藤をしているとアルルがおずおずと声をかけてきた。いけない、放置してしまったせいで、なにやら不安がらせてしまったようだ。
「あ、ああ、ごめん。ちょっとぼおっとしちゃって……えと、そうだね。アルルにそこまで言わせちゃったんだ、喜んでなでさせてもらうよ。ただ」
「ただ?」
そこまで言って僕は伸ばしかけた手を止める。
そんな僕をこれまた不安げな様子で見上げてくるアルル。うん、やっぱり普段の感じとのギャップが大きくて、意外な一面がとてもなにかそそら……もとい可愛く感じる。
「ただ、今日の事、許してもらえないかなって」
「そ、それは……」
だけど僕はその感覚を押し殺し、努めて普通に振舞う。
「折角の楽しみを台無しにしちゃったのは謝る。ホントにごめん。それとお詫びといちゃなんだけど、今度来た時におまけをしてあげるからさ。それで許してくれないかな? だめ?」
「ふ、ふん。乙女の楽しみを奪った罪は百回死んでも許されない事ですけど……まぁ、ケンちゃんさんがそこまでいうならそれで許してあげてやるですよ」
「ありがとう、アルル。それと、クルムにも悪い事しちゃったね。こんな感じだけど、許してくれないかい?」
そこで自分に振られるとは思っていなかったのか、僕の謝罪はひどくクルムを慌てさせてしまった
「そ、そんなそんな! こちらこそお騒がせしてすみませんでした!」
──ごちん!
ところがなんと、焦ってお辞儀をした結果、とてもいい音をたててテーブルにおでこをぶつけてしまう赤い魔女っ娘。
その慌てたちまちまとした様子と音の大きさのギャップ妙にがおかしくて、僕と彼女の緑の相方はつい声を上げて笑ってしまった。
「ぶふっ、あははは! もう、一体なにやってるですかクルム!」
「く、くくくく! はぁ〜、まったくだよクルム。頼むからテーブルは壊さないでくれよ?」
「もう! 二人とも笑うなんてひどいです! とっても痛かったんですよ〜!」
「はは、いや、だってさ。って、悪かったってば。だからそんな睨まないでくれよ」
「べつににらんでなんかいません! もう、わたしのことはいいですから早くやっちゃってください!」
赤く腫らしたおでこをさすり、涙目になりながらクルムが言う。
「そう? じゃあお言葉に甘えて……」
「あっ、ちょっと待ってくださいです!」
「ん、どうしたの?」
再びアルルに向けて手を伸ばそうとしたところで、肝心の本人からストップがかかる。
「あの、ですね……」
「うん」
「その、ですね……」
「うん」
「だから、ですね……」
「……うん」
なにやらもじもじと恥ずかしがってなかなか言い出さないアルル。
しばらくそうしてもごもごとしていたが、クルムの「がんばって」によって、ようやくその続きを口にする。
「その、今日のことは許してやるですから、か、かわりにせいいっぱいやさしくなでなでしてくださいやがれですっ!!」
叩きつけるように言い終わるや否や、アルルはとうとう顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。
……いや、この反応はずるいだろう。ああ、もう可愛いなこの意地っ張りのおこちゃまは!!
「お、おうよ……ほら、これでいいかい?」
気恥ずかしさを憶えてこっちまでテレながらなでてやる。
もちろん要求どおりに努めてやさしくそして丁寧に、感じた愛しさを揉みこむ様にゆっくりと、僕の手に良く馴染む大きさのその小さな頭をなでくりまわす。
「えへへへへ、ありがとうです」
「よかったね、アルルちゃん!」
「はいです!」
アルルは今日一番の実に屈託のない晴れやかな笑顔を浮かべてくれた。
そしてそれに向き合うクルムもまた、親友の幸せをまるで我が事のように喜び嬉しそうな笑顔で見守っている。
「なんか、いい光景だな」
いろいろと騒がれどたばたもあったけど、結果こういう笑顔が見られたならそれもどうってことない。
彼女たちが来るたび店は騒がしくなるがそれも含めてそれが彼女たちの、そして、それを許せるのがこの店の魅力になれればいいのかもしれない。いや、そんなお店にして行こう。お客さんに限らず訪れてくれた全ての人が笑顔になれる店、それが僕の目標なのだから。
などと、この時の僕は暢気にもそんなことを考えていた。そう、これがまだ嵐の前の静けさに過ぎないとも知らずに……
12/04/18 15:08更新 / あさがお
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