連載小説
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第一話「人の口に戸は立てられぬ」
自由交易都市 ジアコーザ
 〜穏やかな海にたゆたう商人の街〜

 陸路、海路の要所であるこの街は、古くからの歴史を持つ港湾都市であり、今日でも物流の一大拠点として栄えている。
 波の穏やかな内湾にありながら大型船舶の停泊が可能な港が設営できた幸運と、大陸の東西を貫く大横断街道と北方域の大動脈である北辺街道の合流地点近くに位置するという地理的な利点が、この街に大きな発展をもたらした。また、街から程近い一帯に古くからの遺跡・ダンジョン郡が存在していることも、人々がこの都市を目指し集う理由の一端となっている。
 そのため、ジアコーザは夢と希望と野望を秘めた商人や冒険者といった様々な人々が季節を問わず集まり、そういった手合いを相手にする商売も非常に多い。
 こういった環境のため、人の出入りの激しいこの街では伝統的に外からの来訪者に対しても友好的であり、美しい数々の歴史的建造物や充実した滞在者向けの手ごろな店などと相まって、観光客にも優しい街となっている。
 またその延長として魔物に対しても寛容であり、多くの魔物たちの姿を見ることが出来る魔物にとっても安心なお勧めの街である。しかし逆に言えば、あなたが反魔物派の人間であるならばお勧めできない街ということでもある。なぜならば、彼らは既にごく普通の人間と変わらない、立派なこの街の一員なのだ。

(ナドキエ編集&出版社刊『安全安心・健康な世界の歩き方17 独立都市連合地域編』よりジアコーザ編冒頭から一部抜粋)





 暖かな春の日差しが眠気を誘う、お昼時も終わったある日の午後だった。
 活気あふれる港市場に程近いジアコーザのとある通り。そこに位置する喫茶店の店内には街の喧騒から切り離されたかのような、実にゆったりとした時間が流れている。
 この喫茶店の名前は『茶房・はなかんざし』
 ジパング地方のお茶や料理を出すちょっと変わった喫茶店として知られる、僕の店だ。

「……っく、ふぁぁ〜……ねっむいなあ、もぅ……」

 来店もひと段落した店内。洗い物を終えて食器を片付ける僕の前にあるのはL字型のカウンターテーブル。その短い辺の三人がけ席の真ん中で、常連のワーキャットの少女がテーブルに突っ伏しながら気だるげにうめいていた。

「んにゃぁ〜、おひさまが手招きしてるよー」

 自分の腕を枕にして脱力する彼女。栗色の髪からのぞく猫耳もくたんと寝てしまい、尻尾も椅子から投げやりに垂れ下がっている。

「今日は特にいいお天気だからね。僕も仕事が無ければお昼寝したいところだよ」

 僕は仕事の手は止めずに相槌を打った。その意見には全くの同感だ。
 というか、今日と言わずここ最近は連日でいいお天気で、寒さも和らぎ本格的な春が来てからというもの、とかく青空と日差しは真面目な勤労者諸氏を怠惰へと誘惑してくる。

「でしょ〜。ケンちゃんも一緒にお昼寝しよ〜よ〜」

「はは。そうしたいのは山々だけど、お店開いてるからできない相談だね」

 うつむいていた猫娘は顔だけを挙げ、あごをちょこんとテーブルに乗せた姿勢で午後の安息に誘ってくる。相変わらず気だるげな口調で、背筋もぐてんとしただらしない格好だ。ちなみにケンちゃんというのは僕のあだ名だ。一応本名から取られてはいるのだが、身内を含めほとんどの人間はこのあだ名で呼ぶ。

「ぶ〜ぶ〜。だったら店閉めちゃおうよ〜。どうせお客さんなんて来ないってぇ〜」

 相変わらず、まったくもって失礼なやつである。確かに大繁盛の店ではないが、お客が全くのゼロなんてことはない。現に今だって店の奥、四人がけのテーブル席の一つではコカトリスの女の子と若い男が楽しげな時間を過ごしているのだ。
 あれは……カップルだな。楽しそうに食べさせあいっこなんかしちゃってなんとも微笑ましい。まぁ、その他にはお客さんなんて居ないのだけれど、そこは気にしないでおこう。
 というかだ、

「今日は学校どうしたの、シャロン?」

 今僕の前でぐうたれている紺地を基調とした制服姿のワーキャットの彼女──シャロンは、中心街の学園に通うれっきとした高等部の女子学生だ。授業があるはずのこの時間に、店にいていいわけがない。

「ん? んにゃぁ、それね〜。なんか午前中にケセランパサランの集団が校舎に迷い込んだらしくってさぁ、それを追い出すんで午後から休校になったのよ。やったね」

 ケセランパサランは毛玉をまとってふわふわと浮遊する植物型の魔物だ。気性も穏やかで特に危険性のないような彼女たちではあるが、実は違う。彼女たちの毛玉には非常に強力な幻覚作用と思考を低下させる作用があり、これを吸ってしまうと「幸せな気持ち」となってその気持ちのまま、彼女たちと交わり続けることになってしまう。要するに、媚薬入りの麻薬を振りまきながら飛んでいるようなものだ。

 まぁ、成体でも見た目が非常に幼い彼女たちだ。その手の人たちからすれば危険どころかむしろ大歓迎なんだろうけど……僕はちょっと勘弁かな。

 ああそれと、彼女たちは非常に珍しい種族な上に「幸せを呼ぶケセランパサラン」とも呼ばれていたりする。なので、追い出すだけでなく研究目的や幸せのおまじないみたいな感じで捕獲する人もきっと多いだろう。……その後どうなるかは分からないけれど。

 なもんでシャロンはなんてことないことのように言ってはいるが、実はこれはこれで結構な事件だったりするのだ。

「そいつはなかなかの大事じゃないか。被害とか出なかったの?」

 なのに彼女は相も変わらずのだれた口調である。
 ずいぶんテンションの低いやったねもあったものだが、今さらそんなところは気にしない。この猫っ娘は気まぐれなので、ちょっと世間話でもすればすぐにいつもの調子に戻るだろう。というか、なんだかいつまでもこのほんわか調子でいられると、僕までぐうたらしてしまいそうでちょっと怖かったりもする。早いとこ立ち直ってもらわないと。

 なので、流れを絶やさないよう話をふってやる。お客との何気ない会話というのも喫茶店の主として当然の勤めであるわけだし。いや、もちろんそんなこと普段から意識しているわけじゃないし、単純におしゃべりは好きなので、義務感で相手しているとかそういうことじゃあない。特に今回はそんなこと抜きにしたって十分興味深い内容なわけだし。

「ん〜、何人かの生徒が吸っちゃってらりぱっぱになっちゃったみたいだけど、大丈夫だったみたい。えと、ほら、うちって結構名の知れた魔法学院だしい? 先生や生徒も優秀なの多いからさ。それにお祭り好きも多いし、大半は面白がってるんじゃない?」

 意外にも、シャロンからはまともな返事が返ってきた。よかった、まだまぶたはそこまで重くないようだ。

「らりぱっぱって……。でもま、確かにシャロンとこはいい学校だし、結構いい家の子も多いもんね。へたに街中に出るよりはマシかもしれない」

「そうかもね〜。結構早く大方の処理は終わったみたいだし、休校も念のためって感じだったけどねぇ……」

「なに? ずいぶん不満そうな感じじゃない?」

 いかにもつまらないといった感じでシャロンは呟くと、面倒くさげに体を起こしてこっちを向く。ちなみに僕も片付けを終え、カウンター越しに彼女と向き合う格好になった。

「だってさぁ、せっかくのアクシデントだよ? 退屈な日常を盛り上げるイベントだよ? もうちょっと面白い展開になっても良さそうなもんじゃないかなあ?」

 久々に起き上がったシャロンはテーブルに肘を立てると手のひらを上に向けてあごを乗せる。そして唇を尖らせながらそう不満を口にした。
 その様子がいかにも拗ねてますという感じでとても可愛らしいやら微笑ましいやら。いや、同い年の女の子に言うには失礼だけど、こういう時のシャロンは子供っぽくてとても愛らしい。

「おいおい、あんまり物騒なこと言うもんじゃないよ? 退屈でも平穏が一番じゃないか」

 平穏な日常。それが僕の目指すものだ。それは僕だけがということじゃなくて、なるべく多くの人にもそうでいて欲しいと思っている。そのために僕の出来ることをしようと思って始めたのがこの喫茶店なわけだし。

「なによ、まじめぶっちゃって」

「そりゃあ、僕は真面目な人間だからね」

「まじめ、ねぇ……」

「なんだい、そのジト目は?」

 ……なにやら嫌な予感がする。シャロンがこの目をするときは大抵いたずらや悪ふざけをするときだ。そのたびに被害を受けるのはもっぱら僕なので、迷惑なことこの上ない。

「ううん、べつにぃ? ただ……」

「ただ?」

「ただ、まじめな人間が異母姉弟とはいえ実の姉に手なんて出すものなのかなぁ? と、そう思っただけよ」

「……っ!」

 ほうら、来た。なにをいきなり物騒なこと言ってきてくれるのだろうこの猫娘は。それもわざわざ強調して言ってくれちゃって。
 今回は警戒していたから大丈夫だったけれど、初めてこの話を出された時には驚きの余り思わず拭いていた大皿を割ってしまった。あれ、結構値の張るいい皿だったのにな……

 そう、平穏な毎日を目指して始めた店ではあるが、なんとも遺憾なことにこの店の常連にはこの手の平穏をかき乱すお客がなぜか多いのだ。

「はぁ。だ〜か〜ら〜、それは誤解だって言ってるだろ? まったく……」

「なにが違うのよ〜」

「全部がだよ」

 ちらりと、店の奥を覗く。よかった、どうやらあのカップルには聞こえていないらしい。確かあの二人は一見さんだから、変な誤解をされたら大変困る。主に店の評判とか、僕の社会的立場とかが。
 なのに、なぜそんなことを言うのだろうこのワーキャットは。というかだ、あれほど違うと言っているのにまだこの話を引っ張るか、こやつは。
 たぶん分かってて僕をからかってるんだとは思うけど、ここはいつも通りに軽く説明をして、あらぬ誤解を招く前にさっさと話を終わらせたほうがよさそうだ。

「いいかい、シャロン。いつも言ってるけどあれは姉さんたちが──」

「あそっか、ケンちゃんが手を出したのって妹のほうだったっけ……って、あれ? どっちもだっけ? ……まぁいいや。とにかく、どの道そんなことしてる人間をまじめだなんては呼べないわよねぇ〜。…………やっぱりジパングの人ってそういうの気にしないの?」

 …………は? へ? いや、っと……え、はい? 妹!?

「ちょいとまて、何の話だそれ?!」

 なんかいつの間に話にでっかい尾ひれがついている。
 てか、一体なにその話!? 僕にも酷いけどさらりとジパングへの偏見も酷いし!

「あれ? ケンちゃん知らなかったの? なんかこのお店の常連たちの間じゃ有名な話だよ、これ」

「……まったく知らないし、どっちもまったくの嘘っぱちだっ!!」

 前から姉たちの噂はあったし、それについてはもちろん知っていたけど……もう結構な間その話でからかってくる客もいなかったもんだから、自然消滅した話題だと思っていた。
 それなのに、なに? その新展開。それも有名な話!? 妹!? 一体いつから? って、そうか、だから最近やたらニヤニヤこっちの顔を見ている客が多かったんだな!? どうもおかしいと思ったんだ、聞いたらみんながみんな「べつにぃ〜」って意味深な返事をするだけだったし!!

 い、いやいけない、落ち着こうか僕。ここは喫茶店。穏やかな空間だよ?
 それに今は何とか表面上平静を保っているんだ。ここでこれ以上興奮したら尊い犠牲となった大皿が浮かばれないじゃないか。この手の話題で平静を欠いて得したことなんてただの一度もないんだ。それに、浮き足立ったところを見せちゃ噂の取り消しがしづらくなってしまう。

「そうなんだ。ま、ご愁傷様。お客さん減らなきゃいいわね〜」

 シャロンがなぜかやたら嬉しそうに言ってきた。
 ……このニヤニヤ顔、やっぱりわかってて言ってきたな? さっきまでの眠気はどこへやら、そんなものはどうやら綺麗すっぱり吹き飛んだらしく、耳は立ち、顔はこっちをからかう気満々といった輝かしい表情だ。慌てる僕の様子が楽しくてしかたないのだろう。
 くっ、完璧なポーカーフェイスは無理だったか。正直、ひっぱたいてやりたい。

「何を他人事みたいに……。だいたいね、前もそうだったけどシャロンたちがあんなあることないこと言いふらさなきゃ、お客さんが来なくなるなんてことにはならないんだよ?」

 だけど僕は努めて冷静な声を出す。マスターである僕が店の空気を壊すわけにはいかないのだ。うん、大人だね僕。

「あることないことってことは、やっぱり身内でヤッちゃってるんじゃない」

 っておい!

「言葉のあやだよ言葉の! それとお客さんがいるのに店でヤルとか言うな! 店の品位が疑われるだろ!!」

 まずいまずい、思わず声を荒げてしまった! くっそ〜、シャロンのしてやったりなにやけ顔が憎らしい。そんなに慌てる僕が面白いか!

「大丈夫よ〜。唯一のお客さんも自分たちの世界に浸ってこっちなんか気にしてないし」

 見れば、コカトリスのカップルは未だにこっちに背を向けながら隣同士仲良くくっついて、幸せそうにいちゃいちゃしている。
 うん、実にほほえましい。僕はああいう幸せな場が提供したくてこの店を始めたんだ。だからああいった光景が見られるのは実に茶店屋冥利に尽きるというもので嬉しくなる。
 いや、だけど今はそうじゃなくって、

「そういう問題じゃない。そういう物言いはなんていうか、こう、店の空気というか雰囲気というか……こう、漂う質感というか……とにかく、そういう精神的な何かが汚れる感じがするんだよ」

 喫茶店に大切なのは雰囲気だ。特に心が落ち着く、安らぐ、そんな穏やかで大人な雰囲気が大切なのだ。決して世知辛い空気や辛気臭さ、開けっぴろげな開放感なんてのはもっての他。下ネタNG!な空間なのだ。

「でもさ〜、意外とそういう人が多いよね? このお店」

「そ、それは……」

「多いよね?」

「……誠に遺憾ながら」

 なのにシャロンの言う通りな上その筆頭が身内なので、受け入れがたいその指摘になにも反論できない。彼女も心得たもので、決してお客とは言わなかった。くそう、火のないところに煙はなんとやらだよ。

「だからさ〜、今さらそんなこと主張したって意味ないとは思わない?」

 ふと、雰囲気が変わりなにやら思わせぶりな口調と視線を向けてくるシャロン。

「何が言いたい?」

 いぶかしみながら聞き返す僕。すると栗色の猫娘はカウンターテーブルに両腕を着き、身を乗り出すようにしてこっちに顔を近づけながら言ってきた。

「えへへ〜……ねぇ、ケンちゃん。エッチしよ?」

 そう実に軽い口調で言うや否や、こっちへと迫ってくるシャロン。
 彼女はついさっきまで僕をからかうため輝かせていた瞳をしっとりと潤ませ、うっすらと赤みが差した頬を頬擦りする飼い猫のように差し出してながら近づいてきた。
 そして、片方だけしなだれさせた耳と、こちらを誘うように振っている曲げられたしっぽを時折ぴくりと震わせながら、いつの間にか肌蹴させていた制服の白いシャツの胸元から素肌と柔らかな毛に覆われた豊かな双丘をさらし、見せ付けるようにゆっくりと、テーブルに膝をかけて這い上がってくる。

「ちょ、ちょっとシャロン、いきなりなにを……」

 シャロンのいきなりな行動に戸惑う僕。その動きはまさに猫を思わせる身軽で優雅な動きでありながら、じりじりと獲物を追い詰める肉食動物の様な挙動だ。シャロンは僕と同い年とは思えないほどの色気を醸し出しながら、ゆっくり、実にゆっくりと、片足から順にいっそ緩慢とも言える動きでカウンター越しの僕へと迫ってくる。

「ねぇ、ケンちゃぁん。いいでしょ〜……?」

 テーブルの下から姿を現したスカート。ゆっくりと上げられる脚の動きに合わせて徐々に見えてくる、ゆれる赤いチェックのそれ。短いその布の端が姿を現すまでには大した時間は掛からず、目にはスカートから伸びる人と同じ色艶の、白くて健康的なふとももが飛び込んできた。
 そいてついに、両足がカウンターテーブルに乗せられる。

「……ふふ、おじゃま虫もいないことだし、今日こそ相手してよ。ね?」

 たいして奥行きも無いカウンターの天板上で膝を突き器用に四つん這いになるシャロン。身をねじる腰つきが妙に艶かしい体勢だ。そして彼女はそう言いながら僕の首に片腕を回し、蕩けた上目遣いで媚びる様に見つめてくる。
 うっすら上気した顔に制服のシャツから覗く胸元。年相応以上にふくよかなその二つのふくらみは丸みの半ばから先端にかけてを長い体毛で隠され、はりのある人の肌との境界が実に艶かしい。そして視線を少し逸らせばその奥に見える、スカートに覆われた小ぶりなお尻とそこから生えた尻尾。さらに膝上から足先までさらさらな長い毛に覆われた獣の脚。
 一見して人間とは異なる体でありながら、しかしそれ故に惹きつけられる魅力的な造形。人と獣の間の絶妙なアンバランス。
 気がつけば僕は返事をすることはおろか声さえ漏らさず、迫ってくるシャロンをただ見詰めるだけで体を動かせないでいた。

「ふふ……それじゃ……ん……っ」

 僕の沈黙を了承と受け取ったのか、正に目と鼻の先まで顔を近づけていたシャロンは軽く突き出した唇をちろりと一舐めし、目を閉じるとそのまま僕のそれへと寄せてくる。
 肉食動物というイメージがそう感じさせるのか、まるで血塗られたように紅く潤う唇が迫ってくるのを見た僕は、とうとう観念したように目を閉じ……


 ──ぱかんっ!


「ッ! いったあぁ〜〜い……っ! な、なにすんのよお!」

 手にしたお盆で思いっきり彼女の頭をひっぱたいていた。

「なに、じゃない! 店でそういうことをするなってさっき言ったばかりだろ!」

「なによ、途中までその気になってたくせに! 期待に体まで震わせてたくせに!」

「なってないし、あれは怒りの震えだ!」

 もちろん、シャロンはそれに抗議の声を上げる。

「こんなにかわいい子があんなにかわいい誘い方したのに怒るってひっどくない?! それに、じゃあどこならいいのよ? お店以外でも相手してくれないじゃない!」

「あったりまえだ! ったく、何度言えばわかるんだ。いいか、前にも言ったけど僕はシャロンを抱くつもりは無い。いい加減あきらめろって……」

「べえぇ〜っだ、ケンちゃんのケチっ! いいじゃない一回ぐらい、減るもんじゃないんだしさ! それにあれだけ私のおっぱいじろじろ見てたくせにそんなこと言ったって、なんの説得力も無いんだからね!?」

「なっ、ばか! そんなことあるはずないだろ!」

 この猫娘はなぜ余計なところだけ鋭いんだろう?

「じゃあなに? 私みたいな体より、もっとつるんとちみっとした方が好みなの?」

「いや、僕は小さいのより大きいほうが好きだけど……」

「なら、私の体だって充分守備範囲じゃない。これでも学年じゃトップクラスのサイズなんだからね! …………さすがに特定の種族は除くけど……」

 後半は尻つぼみでよく聞こえなかったが、そう言ってどことなく誇らしげに胸を張るシャロン。未だ仕舞われていない自慢のソレは、重力に逆らう若さ溢れる動きで弾んでいた。
 えと、というかその話は本当? う〜ん、前からこの年にしては随分大きいなとは思っていたけど……いや、さすがにトップクラスというのは大げさじゃ……

「……やっぱり、じろじろ見てるじゃない」

 いけない、思わず視線が問題の特定部位に! それも毛皮で覆われているとはいえ生で見てしまった!
 痛い図星をつかれ僕は思わず視線を外す。

「ん、んんっ! と、とにかくだ、この際僕の嗜好は置いといて……」

 そしてわざとらしい咳払い。

「……流す気ね」

「お・い・と・い・て! とにかく、どんなに魅力的な体つきでも、どんなにぐっとくる誘われかたでも、僕はシャロンを抱くことは今後も一切無い! わかった?」

「ぶぅ〜、いいじゃない一回くらい……」

「そういう問題じゃないんだって」

「え〜……でもさ〜」

 少し流されて緩んでしまった空気を引き締めるように、いつも以上に真剣な表情と声で宣言する僕。それに対してまだ納得いかないという感じ満々なシャロン。

「頼むよシャロン……ね?」

「……わかった、わよ。しょうがないわね……」

 けれどもさらに念を押す。ようやく、シャロンは頷いてくれた。
 正直、なんで彼女がそこまで僕に拘るのかわからないのだけれど……とにかく、この点だけは僕の譲れない矜持だったりするのだ。

「ありがとう、シャロン」

 とりあえず、これでしばらくこのことで困ることは無いだろう。
 まぁ、しばらく、というのが残念なとこではあるんだけど。なにせシャロンは気まぐれだ。今日は大人しく引き下がってくれたけど、次の日になったらすっかり心変わりしてまた騒ぎ出すなんてしょっちゅうだし。この件に関してのやり取りもこれで何度目だろう?

「……ねぇ、ケンちゃん?」

「なに?」

 僕同様に一瞬なにかあごに手を当て物思いに入っていたシャロンが俯き気味に口を開いた。というか、まだカウンターテーブル乗っている。……早く下りてくれると助かるなぁ。

「ケンちゃんは好みとしては、おっぱいは大きい方が好きなのよね?」

 俯いたまま肌蹴たシャツのボタンを留め、制服を整えながらシャロンが聞いてきた。

「はい? いきなり何の話?」

「だから好みの体つきの話よ。で、さっき言ってたけど大きいほうが好きなのよね?」

「うっ。ま、まあ、好みとしてはね」

 謎の迫力に気圧されて答えてしまう僕。
 てか、さっきの覚えてるなら聞かなくていいんじゃないかな? うわ、改めて自分の好みを口にするのってなんか恥ずかしい。

「小さいのは守備範囲からは外れてるのよね?」

「いや、別に嫌いってこともないけど……まぁ確かに大きいのよりは魅力を感じないかな」

 ……なんかなんてもんじゃないね、かなり恥ずかしいよこれ。

「なら、私の体……というかおっぱいには正直けっこうキタわけよね?」

「お、おい、シャロン?! だからさっきからなんの話なの?」

「したの? してないの?」

「だ、だから一体なんの……」

 シャロンがなにを知りたいのか……いや、なにをっていうのは質問からわかるんだけど、その先にあるのが何なのかがさっぱりわからない!

「どっちなの?」

「……はい。きました」

「……そう、そうなんだ……」

 なのに、結局謎の迫力に押し切られて答えてしまった。やっぱり気圧されてるな〜、僕。
 というかだ、なにが悲しくてこんな質問に答えなきゃいけないんだろうか。だってこれってさ、相手に向かって「あなたの体にドキッとしました」って言ってるようなものだよね? 更に言えば「あなたの体にムラっとしました」とか「欲情しました」ってカミングアウトしてるようなものだよね? うっわあぁぁああ! 恥っずかしい!!

「あ、あの、シャロン? もしもし? 聞いてる?」

「……………………」

 そして肝心のシャロンはソレっきり黙りこんじゃってるし。
 なんだろう、なにか明らかに店に流れる空気がさっきまでと一変している。穏やかな昼下がりの午後にふさわしい柔らかな時間が流れていたはずなのに、今や形容しがたい重さとこっぱずかしさが纏わりついている感じだ。確かに窓から差し込む日差しや外から微かに聞こえる喧騒はさっきと同じはずなのに……

(というか、シャロンは恥ずかしくないのかな?)

 だって、無理やり聞き出したとはいえ、はっきりと口にしたわけじゃないとはいえだよ? 男の人に「あなたの体は私の好みです」って言われたわけなんだから、多少は何か恥らうところがあると思うんだけど……。
 でも、まだ目の前で何がしか黙考しているシャロンからはそういった感じは見られない。やっぱり魔物はそういう所気にしないのかな? まぁ、白昼堂々迫ってくる人間(?)が気にするようなことではないんだろうけどさ。

「そっか、やっぱりそういうことよね……」

 なんてことを一人でうだうだ考えていたら、不意にシャロンが呟いた。

「ねえ、ケンちゃん……」

「なに?」

 顔を上げ、シャロンがいつになく真剣な表情で聞いてくる。でも、まだテーブルからは下りてくれていない。なにを考えていたのか知らないけれど、そこまでは考えが回らなかったみたいだ。

「大きいおっぱいが好きで、小さいおっぱいも嫌いじゃなくて、ちゃんとわたしのおっぱいにも反応するから不能ってことはないだろうケンちゃん……」

 しっかりと正面から僕の目を見据えて話し出すシャロン。
 というか、さっきのやり取りでなにかおかしな解釈されてないか、僕?

「ケンちゃん的に大好物の大きなおっぱいを見てちょっとドキッとしたにもかかわらず、その持ち主の私に手を出してこないってことはやっぱり……」

 うん、間違っちゃいないけど何か誤解されている。
 僕は決して女性の魅力を胸によってのみ判別をする人間じゃないし、魅力的だからってだけでほいほい手を出すような人間でもない。
 よし、この点はしっかりとわからせないといけないな。でないとまた変な噂が捏造されかねないし……。

「ちょっと待ってくれシャロン。何か誤解があるようだから言っておくけど──」

 と、僕が注意しようとしたところで、

「やっぱり、ケンちゃんは身内じゃないとダメな変態だったってことなのねっ!!」

 シャロンが意味不明な大声を出した。

「……へ?」

 ええっと……え? あれ? この子は何を言ってるんだろう? ……んと、はい?

 …………ああ、そっか。僕が身内にしか興味をもてない歪んだ人間だと言いたいわけか。


 ………………………………。


 ……………………?


 …………!


 ちょっとまてぇぇええええええええ!! どっからその結論が出てきたのさっ!!
 って、あの噂か! えと、なに? てことは、あの噂を信じちゃったってこと!?

「お、おい、シャロン?」

 あまりのことに心中の雄叫びが口から出てこない。代わりに出てきたのは何の意味も成さない戸惑いの声だけ。しかも声は情けないことに裏返っていた。

「うっ、ううう……ぐすっ、んん……ケンちゃんは、やっぱり姉や妹相手じゃなきゃ欲情できないんだ……ぐす、すん……噂は本当だったのね……うう……」

 目の前のシャロンは何故か涙声で、俯き、鼻を鳴らしながら目元に滲む涙を拭っている。
 今度こそなんだこの展開!? まるでわけが解らない!!

「……な、なあシャロン……?」

 とにかく、落ち着かせて話をしようと彼女の肩に手を伸ばす僕だったが、

 ──パシン。

「──あっ……!」

 おもわず、といった感じのシャロンに手を弾かれていた。

「シャロン?」

「……ケンちゃんの、ケンちゃんの」

 そのシャロンはいつの間にか両足を閉じ合わせ、それをからだの横に投げ出した格好でうなだれていた。狭いテーブルでなんと器用な。それに、その格好で涙目って、卑怯じゃないだろうか。わけが解らないのに罪悪感だけはしっかりと浮かんでくるなんてさ。
 そして、

「ケンちゃんのバカぁああぁあーーーッ!!」

 と叫びながらシャロンは店から出て行ってしまった。それも、この変態! なんて最上級の口撃を放ちながら。……なんか、無実なのに結構傷つく……。
 ていうか、なにその『信じたくなかった恋人の一面を否応なく認識させられて打ちひしがれた彼女』みたいな反応。傍目から見たら、まるっきり僕が悪人じゃないか!

 まぁ、幸い今日はお客さんは──


「あ、あの……」

「は、はいっ!!」

 不意に声をかけられ飛び上がった。振り向けばそこにはどこか、いや、かなり気まずそうな表情のお客さんがいた。

 ……そう、だった……ずっとこっちのことお構いなしでいちゃいちゃしてた、あの微笑ましいカップルが居たんだった……。さっきのドタバタですっかり忘れちゃってたよ……。

「そ、その、お会計、お願いできますか……?」

「……はい。ただいま……」

 必要以上に畏まって言ってくる彼氏。小柄なコカトリスの彼女の方を見れば、顔を真っ赤にして恥ずかしそうに俯いている、と思えば時折ちらちらと遠慮がちに……でも興味深そうにこっちを見てきていた。
 ……これは、完全に聞かれたな……どこから聞かれてたのかはあえて考えないようにしよう。でないと心が折れそうだ。

「はい、ちょうど頂きました。……またのお越しを」

 しかしこちらも客商売のプロとして極平静を装って接客する。もうこの際手遅れだとかは関係ない。最低限のマナーだ。と、お客さんと目もあわせず会計を済ませた。

 お騒がせしましたと、扉をくぐるカッップルに頭を下げる。ちりんと鳴る、ドアベル代わりの風鈴の音が聞こえたとき、

「あ、あの……!」

 コカトリスの彼女さんが戻って声をかけてきた。

「な、なんでしょうか?」

 予想しなかった出来事に若干驚きながら応える。
 なんだろう。店主が自ら騒がしくしてしまったことを怒られるのだろうか。確かに不快な思いをさせてしまっただろうし、何がしかのお詫びはするべきなのかも知れないな。やっぱり、割引券なりをつけた上でもっと真摯に謝るべきだったの──

「あの、その、わたし、相手が姉妹でも問題ないと思いますっ!」

 ……はい?

「やっぱり、その、恋愛に一番大切なのはお互いの気持ちですから、あの、なんていうか、たとえ相手がお姉さんでも妹さんでも、好き同士愛し合っているなら、それだけでなんの問題もないと思うんです!」

 いや、僕の場合正確には異母姉妹なんだけど。ってそうじゃなくて!

「あ、あの、お客様?!」

「すっ、すみません、偉そうなこと言っちゃって! でも、お互いの気持ちが確かなら世間になんて言われようと気にしちゃいけないと思います! で、ですので、その……」

 がんばってください!! と実にキラキラした目で応援されてしまった。
 完全な誤解であるわけなのだけれど、僕を元気付けようとする善意百%な屈託のない表情に不覚にも感動してまう。小さな体を忙しなく動かしながら全身で意気込みを表し、体の前で強く両手を握るように羽を丸める仕草でこっちを見上げてくる彼女。その瞳に宿る強い意志が僕の胸にじんわりとしたぬくもりを……ってその気になってどうする!

「で、ですからですね、お客様──」

「わたしも彼も、このお店のこととっても気に入ったんです! 内装の雰囲気も落ち着いてていいし、珍しいお料理はとってもおいしかったし……」

 それは、その感想自体はとても嬉しいんだけど……なんかこっちの言うこと全然聞いてくれません、このお客さん! もしかして、若干パニクってらっしゃいません?

「なので、大丈夫です! もしかしたらさっきのお客さんみたいに変な誤解が広まっちゃうかもしれませんけど、わたしたちがそこらへんも含めてちゃんと宣伝しておきますから!」

「……そこらへん、とおっしゃいますと?」

「はい! このお店の店長さんは、身内に欲情しちゃう『変態さん』なんじゃなくて、きちんとした『純愛』の人なんだって。それならきっと、たくさんの人がわかってくれますよ!」

「え、ええぇっ……! ちょ、ちょっとお客さん! それはそれで違うってか困──」

「そ、それじゃあ今度こそごちそうさまでした。お料理おいしかったです。ま、またきますね!」

「ありがとうございました……って、だからお客さぁあん!」

 反射的に頭を下げる僕。コカトリスの彼女はそんな僕に最後にまた頑張ってくださいと告げるや否や、目にも留まらぬ速さで通りを駆けていってしまった。そしてそれを追っかける彼氏。コカトリスの彼氏をやっているだけあって、彼もまたかなりの俊足だった。
 そして取り残された僕はそれをただ眺めるしかない。
 やっぱり彼女、知らない人間と話すのは恥ずかしかったのかな? コカトリスは臆病な種族だって言うし。でも怖がられたとは思いたくないな〜、てか、二人とも器用に人ごみを抜けてくな〜とか、こんな時間でもこの通りは結構人通り多いのにな〜とか、あの速さでぶつかったけっこう大変だな〜とか、そういやシャロンのやつなんにも注文していかなかったな〜とか、そんな事を考えながらその後しばらく、僕はぼんやりと通りを眺め続けるのだった。

 ……………………。

 ………………。

 …………。

 ……。

 ────いつまでもそうやって韜晦してる場合じゃないよね、この状況は……

「はぁ〜……客足、遠のくんだろうなあ〜」

 そう考えると、ただただ溜息をつくしかない僕だった。

 茶房・はなかんざしは、何だかんだでこんな日常なのだった。
12/04/18 15:09更新 / あさがお
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■作者メッセージ
はじめまして。あさがおと申します。

文章的なものはちょこちょこ書いてはいたのですが、こうして公開するのは初めてです。特に一人称なるもの(少なくとも自分はそのつもりで書きました)は初めてなので、おかしな点ありましたらご指摘下さい。

あと最後になりましたが、自分は諸先輩方の設定をちらほらお借りしていくつもりです。不快に思われる方がいらっしゃいましたらご連絡下さい。

というわけで、蓮華さん。いきなりすみませんでした!

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