魔王軍軍令部所属、特別捜査官 ベルデッド
― ベルデッド探偵社 ―
仕立てのいい革張りの椅子の上で、探偵社の主である「ベルゼブブ」のベルデッド三世は物思いに更けていた。
彼女は依頼報告書をプリントするとパソコンの電源をシャットアウトし、執務机の上に置いてあるゼロハリバートンのヒュミドール（葉巻保管箱）の中からタバカレラ・コロナを一本取り出すと、パンチカッターで吸い口を切って口に咥えた。
シュボォッ！
黄昏色に染まる執務室にマッチの火が迸り、十分に硫黄の匂いが消えたのを確認するとゆっくりと葉巻を炙る。
彼女は仕事を終えると葉巻を吸うことにしている。葉巻の紫煙が持つ、甘さと陶然とする香りがささくれた彼女の心を癒してくれるのだ。
今日の仕事は「猫探し」。
探偵とは言っても所詮は人探しやペット探しばかり。時には白蛇絡みのストーカー撃退の依頼もあるが、大概は依頼人の失踪でご破算になることも多い。
件の「猫」は猫でも魔物の「ネコマタ」だった。しかも奥さん ― 件のネコマタのことだが ― が逃げたのは依頼人が野良猫に餌をやっていたのを見て、浮気されたと勘違いしたのが原因だ。
ベルデッドが優秀な「調査員」を使って方方を探し回っていたが、当の化け猫はちゃっかりと家に戻ってきていた。
ハッキリ言ってくたびれ損だ。まぁ、依頼料はしっかりとふんだくってやったが。
今を生きる探偵も大概は似たようなものだ。
シャーロックホームズや金田一幸助のような推理を働かせることもなく
ルパンや明智小五郎のような冒険活劇なんてない
ただ彼女、ベルデッドは違った。
かつて彼女は救ったのだ、「日本」を。
― 厚生労働省 特殊事案対策課 ―
知っての通り厚生労働省は日本における伝染病や疾病政策の中心となる省庁だ。
現在、難病や認知症を患った患者は本人が希望すれば魔物化を行うことができる。そのガイドラインを設定しているのが厚生労働省であり、結果政府の魔物政策において中心的な役割を担っているのだ。
当然のことだが、その血に触れただけで魔物化を引き起こす「ウシオニ」や危険な胞子を持つ「マタンゴ」への対策を兼務しており、職務上拳銃を携帯しているセクションもある。
その一つが「特殊事案対策課」だ。
「はぁ？外地から来たボンボンのお守り？」
閑散とした詰め所に男の野太い声が響く。
ボサボサの髪、無精ひげにヨレヨレのシャツ、オマケに身体からは鼻の曲がるような酒の臭いがする。典型的なダメなおっさんだ。
もっともこれはあくまで捜査のために必要なものだったが。
歓楽街にある無認可の魔物娘の風俗店。伴侶を求めるのは魔物娘の性とはいえ、日本にいる以上はルールを守らなければならない。
早朝３時まで街を駆け巡ってやっと本部に戻ってきて、やっと休めると思っていた先のこの命令。
しかめっ面のダメなおっさん「岸間薫」が上司にこういった態度をとっても仕方ないと言える。
「俺は一睡もしてないんすよ？それにお守りなら他のヤツでも・・・」
薫の上司の「朱鷺島康介」が彼に耳打ちする。
「今回の一件、どうもクサいんだよね〜〜。外地から派遣される捜査官が詳しい捜査内容を明かさないのも変だし。もしかしてテロ絡みだったりしてね」
薫の目の色が変わる。その鳶色の瞳に怒りが籠っていた。
「今回の件、過激派が関わっているとみていいんですか？」
「近い！近いよ薫くん。でも外地の連中がひた隠しするような事柄なんてそれくらいだろ？」
「・・・・・確かに」
もう心は決まっていた。
「相手の名前は？」
「乗り気になって助かるよ。相手側の捜査官の名前はベルデッド三世。蠅の魔物娘だそうだ」
「捜査内容は？」
「盗難品の探索。何でも外地で盗難されてこちらに運ばれた可能性が高いそうだ。で、肝心の盗難物はどんなものかは不明」
「クサいな、確かに」
「どうしてもテロってのは後手後手になりがちさ。あの５年前のテロだって・・・すまん」
「いいですよ。妹の朱火も旦那と一緒に牧場生活を満喫しているしな。だが！」
薫が声を荒げる。
「俺は過激派が許せない！ヤツらのテロのおかげでいったい何人の人間が・・・・・！」
「薫君、僕は君を大きく買っている。少なくとも外地の捜査官の前では紳士的にしてくれよ。集合時間は１７時の予定だ。それまでしっかりとクールダウンしてくれ」
そう言うと朱鷺島は薫の背中を叩いた。
― 「門」飛行船発着場 ―
便宜上「門」と呼ばれているが、その実態は大きな穴としか呼べない物だ。その形成には「魔王」やその直系の「リリム」達を始め、高位の魔物達が関わったとされ、魔力の塊といえる存在ではあるが暴走することなく安全に「外地」とこちらを結んでいる。
その黒黒とした表面が沸々と泡立つと白い大きな物体がゆっくりとその姿を現した。
― 次元間連絡飛行船「フライング・プッシー・ドラゴン号」 ―
「外地」の環境への影響を考慮した結果、その渡航には前時代的な飛行船が利用されていた。
とはいえ最新鋭の技術を使って作られたその飛行船は、新幹線とはいかなくてもそれなりのスピードで移動が可能だ。
「ったく、外地じゃ時計もないのかよ！」
薫がメインロビーで悪態をつく。
予定の時間から一時間も遅れていた。
「折角上等なスーツを着てるのにその態度じゃ、一発で正体がバレルよ薫君」
ブ〜〜ン！
一匹の蠅が二人に纏わりつく。
「ちょっ！薫君ちゃんと風呂入ってきたの？」
「シャワーくらい浴びてきたが？」
「じゃあなんで蠅が！ったく鬱陶しい！！！！」
朱鷺島が蠅を払う。
「私の従者が失礼した」
凛とした、女性の声が広いロビーに響く。
薫と朱鷺島が振り向くと、青い髪をツインテールにした一人の小柄な人影が立っていた。
その肢体を覆う黒い外套には様々な意匠が見て取れて、縫製を行った職人の腕がかなりのものであると思えた。
「王魔界魔王軍軍令部所属、特別捜査官のベルデッド三世よ。ベルデッドと呼んで」
そう言うとその少女 ― ベルデッド ― は彼らに現魔王の紋章が刻まれた短剣を見せた。
「お会いできて光栄です。私は特殊事案対策課の朱鷺島・・」
「自己紹介はいつでもできるわ。今は時間が惜しい。早速だけど、一か月分の貨物記録を出してちょうだい。外地じゃ、デルエラ陛下から贈られたこの外套を見せれば顔パスだけど、ココじゃそうもいかないでしょ？」
〜 なんだよこの糞ガキは！ 〜
心の中で薫が毒づく。
「貴方達が私にどのような感情を持ってもかまわないわ。でも、私の捜査の足を引っ張らないでくれる？」
ベルデッドの金色の瞳が二人を睨みつける。
「このッ！」
「堪えて堪えて薫君！」
そんな二人の様子すら意に関せず、ベルデッドは事務所へと足を進めた。
「・・・・こっちの気も知らないで」
ベルデッドの呟きを聞く者はいなかった。
「ではよい夜を」
薫が愛想笑いを張り付けながら、目の前の「糞ガキ」ことベルデッドに別れの言葉を告げると、逃げるように帝国ホテルのロビーを抜けた。
「散々な一日だぜ・・・・」
早朝まで盛りのついたオークの団体様をを文字通り「豚箱」に放り込んだかと思えば、「外地」の捜査官と名乗る糞ガキのお守り。
最悪な一日だ。
「だが、確かに有能だな・・・」
ベルデッドは薫の手を借りずに一人で一か月分の貨物記録を確認し、その中に一つだけ「違和感」のある貨物を探り当てた。
「外地」からの貨物では積み荷の含有する魔力レベルによって使用するコンテナが変わる。
通常はそういったコンテナには「虜の実」や「虜のワイン」といった魔界産の食材が満載されているものだが、そのコンテナは最大レベルの５なのにコンテナの積載量はコンテナの規模からしてはそれほどでもない。
明らかにおかしいが、書類に異常はなく積み荷からマタンゴの胞子やウシオニの血ようなパンデミックを起こすような反応はなかったため、そのまま検疫を通ったようだ。
案の定、受け取り側はダミー会社。
監視カメラの映像は公安に照会している。明日には受け取ったのが誰かわかるだろう。
ピピッ！
「ん？」
薫が懐のスマートフォンを見ると着信が来ていた。
宛名は「朱火」とあった。
「朱火か、どうした？」
スマートフォンを操作し、テレビ電話にする。
画面には頭から牛の生えた年若い女性が写っていた。
「もう兄さん！相変わらずしかめっ面をして！！そんなんだから恋人ができないんだよ！！」
― 桐花朱火 ―
薫の妹で・・・・数年前の過激派が起こしたホルミルクテロでホルスタウロスへと転化された「テロ被害者」の一人だ。
「俺のことはどうでもいいんだよ。それよりも旦那とうまくやってるか？」
「ん？莉生くんのこと？そら、昨日も朝まで・・・キャッ！恥ずかしい！」
画面の中で身をくねらす妹の姿に苦笑しながら、薫は魔物となってもそれなりに幸せそうな彼女の姿に安堵していた。
「で、要件はなんだ？まさか実の兄に惚気話もないだろ？」
「今度、ウチの牧場で新作のプリンを売り出す予定で、是非ともお兄ちゃんに試食してもらいたくて・・・・今度の日曜日空いてる？」
〜 またか・・・ 〜
「ごめんな。仕事が入ってて行けそうにないんだ。気持ちだけ頂くよ」
「そう・・・無理言ってごめんね・・・お兄ちゃん」
妹は昔から料理が好きで、パティシエを目指していた。
だが、あのテロで運命を変えられてしまった。朱火は人としてその夢をかなえることはできない、永遠に・・・・。
転化後、すぐさま朱火は「学園」に収容され自らの魔物化を肯定的に受け入れられるようになったとはいえ、薫の中には未だに「人間」だった頃の朱火がいた。
「じゃあ・・・またね」
「ああ、莉生くんにもよろしく言っておいてくれ」
そう言うと、薫は通話を終えた。
― 貴方も同じだったのね ―
「？！」
数分前に別れたはずのベルデッドの声が響く。
薫が辺りを見渡すが、彼女の姿は見えなかった。
― ここよ ―
再度声が響く。
薫が肩を見ると、一匹の蠅が止まっていた。
― ようやく気付いたわね ―
蠅が羽根を震わせベルデッドの声を作っていた。
「盗み聞きは感心しないな」
― ごめんなさい。調査に出していた従者がたまたま貴方たちの会話を聞いていて・・・・故意じゃないわ ―
「どうだか。さっさとこの鬱陶しい蠅をどうにかしてくれ。今すぐ潰してやろうか？」
― それは困るわね。私の部屋に来て・・・・歓迎するわよ ―
「お詫びにストリップでも見せてくれるのか？そんな貧相な身体を見せられてもナニも萎れるだろうがな」
― それよりもいいモノよ。知りたいこと、あるでしょ？ ―
薫は静かに頷いた。
― 帝国ホテル スィートルーム ―
薫も男性である。女性の部屋に入ったことも何度もある。
しかし、目の前の女性は曲がりなりにも「外地」の特別捜査官。それも、見た目はティーンエージャーとしかいえない。
「どうしたの？キョロキョとして」
「仕方ねぇだろ。公務員の安月給で帝国ホテルのスィートルームなんて入ることなんてねぇーんだからな」
「そう？もしかして期待しているのかしら」
目の前の女性、ベルデッドが近づいてくる。
蠅の魔物娘というからつい身構えるが、彼女からは上等な香水にも似たふわりとした香りが漂う。
薫も男だ。ストライクゾーン外でも身体が反応し否が応でも心音が高まる。
ベルデッドはそのままソファーに座る薫をすり抜けると背後のミニバーへと向かった。
「貴方は何を飲むのかしら？」
魔物娘が性に旺盛であるとしても彼女は軍人だ。いきなり部屋に呼び出して性交渉を迫るなんてことはないのだ。
〜 近頃溜まってるのかな。今度の休暇でソープにでも行くか 〜
心の中でそう呟くと、薫はベルデッドに向かう。
「ジョンダニエルにしてくれ。ロックで頼む」
「ジャックダニエルのパチモンかしら？ここはそんな安物はないわ」
「俺は付き合いが長いからジョンダニエルでいいんだ」
「クラシカルね。アル・パチーノのセントオブウーマンなんて、今じゃ知っている人の方が少ないわ」
「そう言う君もクラシカルだな。君は何を？」
「シーバスリーガル。ストレートでいただくわ」
薫はベルデッドから見事なカットの施されたロックグラスを受け取ると、滋味に富んだ琥珀色の液体をゆっくりと味わった。
「・・・・君が話したことについてだ」
「なんてことない。私もテロでかけがえのないものを失ったからよ」
ベルデッドはオールドファッションドグラスにツーフィンガー（６０ｍｌ）程入れられたシーバスリーガルを呷る。
「私の故郷はちっぽけな国でね。親魔国ほどじゃないけど、それなりに魔物と人間が仲良くしていたのよ。私はそこで育ち、王魔界で軍令部に入れるほどの軍人となった。でも・・・数か月前私は故郷を失った」
「おい、確か魔物は人間を殺さないし、傷つけさえしないってんだろ？なんで故郷が消えるんだ？」
「魔界化よ。あの日、私の故郷で何かが起こった。ほのぼのとしていた私の故郷は一晩で暗黒魔界へと変わり、人間は全て魔物に変わってしまった。幼い頃、遊び疲れて微睡んだ木立も枯れ果ててしまったわ」
― 魔界化 ―
魔力が臨界を超えることにより引き起こされる現象だ。明緑魔界という例外はあるが、暗黒魔界では人界の植物が育つことはない。
「君も・・・大切なものを失ったんだな」
薫の言葉にベルデッドは静かに頷く。
「すぐさま王魔界の軍令部で対策班が結成され、私が調査にあたった。結果、唯一見つかったのがこれよ」
ベルデッドが一枚の写真を薫に見せる。
「冗談だろ・・・・・？これが原因なのか」
写真には恐らく起爆装置と思われる部品に囲まれて「あるもの」が写されていた。
それは女性なら誰でも着用するもので非常にありふれたものだ。
意外にも歴史は古く、古代ギリシャにおいてその原型が見られ、現代のモノに近い製品は、フランスで発明された。
ウーマンリブ運動において、一部の活動家はソレを「女性を拘束する象徴」として敵視して焼くといった活動もみられたことさえある。
「貴方は自分の目を疑うの？」
「だってこれ・・・・ブラジャーだろ？」
・・・・写真に写されたもの。
かなり煽情的な意匠を施した「ピンク色のブラジャー」だった。
「それはブラだけどただのブラじゃないわ。デルエラ陛下着用の生ブラジャーよ」
「あのデルエラが君の故郷を魔界化したというのか！」
「そう声を荒げないで。この件に関してはデルエラ陛下は被害者よ。何者かが陛下愛用のピンクのブラジャーとショーツを盗み出した」
薫は頭がパンクしそうになった。
〜 ブラジャーが爆発して一国を魔界化？冗談に過ぎる！ 〜
心の中で毒づくが、しかしベルデッドの態度は真剣そのものだ。彼女が薫をからかっているとは到底思えなかった。
「俺にこんな話をするってことは・・・・手詰まりなんだな？」
「ええ。コチラはテロにデルエラ陛下のブラジャーが使用されたことしか掴んでいない。盗まれたショーツの行方は不明なままだった。数日前、外地からマタンゴの胞子を持ち出そうとしたコチラの人間を尋問してわかったの、門の向こうで同様のテロを起こそうとしていることを」
ピースが一つ嵌まった。
一週間前に見つかった不審な貨物記録。
恐らく、それが件の「デルエラの生パンツ」に間違いない。
「・・・・頼りになる人物がいる」
薫がスマートフォンを操作する。
「あ、グランマ。俺だよ、薫だよ。今から新規を一人連れていきたいんだが大丈夫か？あぁ、かなりヤバいヤマだ。少なくともダイ・ハード並みにな」
「グランマって？」
「ただのしがないバーのオーナーさ。だが、この街で魔物やそれに関わる人間でグランマにお世話にならなかった人間はいない」
薫がニヤリと笑う。
「おまけに美人だしな。ジョンダニエルのお礼に一杯奢るぜ」
― Ｂａｒペイパームーン ―
「人払いはしてあるわ。マクレーン警部、いや薫さん？」
「ありがとうグランマ」
薫はグランマに頭を下げた。
「貴方が新規さんね。このペイパームーンのオーナーバーテンドレスのグランマよ。種族はサキュバスね。貴方のお名前は？」
「私はベルデッド三世。王魔界魔王軍軍令部所属特別・・・！」
黒いドレスを着こなしたオーナーの「グランマ」が人差し指を唇に当てる。
「階級や職務なんてここでは忘れて。貴方はベルデッド、私はただのしがないバーのオーナー、グランマ。それでいいのよ。薫さん何がお望みかしら？」
「グランマ、一番イイヤツを頼む」
薫がグランマに声をかける。
「お高いわよ？」
「望むところさ」
そう言うと薫が笑みを浮かべる。
「事情は分かったわ。そのテロリストも中々頭が切れるわ。魔界化の原因は件のデルエラのブラジャーを利用した魔力爆弾で確かね。こちらで起爆装置を作成して現地で組み込んだはずよ」
「その・・・グランマ。今更だが、たかが下着なんかで爆弾なんて作れるのか？」
「リリムといえば魔王の直系よ。高濃度の魔力が人型になったといえるくらい大量の魔力を誇るわ。そのリリムに直接触れていた下着には、デルエラすら思いにもよらないくらい魔力が蓄積されていてもおかしくはない」
「まるでフグの毒だな」
「それは違うわ。フグは人を殺すけど魔力は人を殺さない。人としての人生は終わるけどね」
「でもどうすればそれを見つけられるの」
ベルデッドが口を挟む。
「そうね・・・・まずは一杯どうかしら？」
「こんな時に・・・・！」
薫がベルデッドに耳打ちする。
「グランマに考えがあんだよ。大人しく従っておきなよ」
「あらあら内緒話？」
「内緒話って程のことじゃないさ。ちょいと店のルールをね」
「程々にね。ベルゼブブって結構プライドの高い種族よ？」
「ああわかってるさ」
「薫さん・・・・私、自分の種族を名乗ったっけ？」
「グランマにはお見通しってことさ。ホットトディを俺とベルデッドに頼むよ」
「分かったわ」
グランマがバックバーからジョニー・ウォーカー１２年を取り出すとケトルにお湯を沸かし始めた。
― 数刻後 ―
「少し甘めにしておいたわ。いい考えが浮かぶようにね」
そう言うと、スツールに座る二人の前に暖かな湯気を立てる耐熱グラスが置かれた。
「ところでベルデッドさん。故郷の名前は何ていうの？」
「スプリングホールですけど・・・・」
「ちょっと待っててね。・・・・やっぱり」
二人の目の前に古びたモノクロの地図が置かれる。
「一国を魔界化といえば大事だけど、魔界化した範囲は余りにも狭いわ。二人共これを見てみて」
グランマが地図を指し示す。件のスプリングホールは確かに小国だ。範囲も東京都の半分すらない。
「テロの予行演習か。なら次はもっと大きな獲物を狙うはずだな。それも日本に立ち直れないほどの被害を出すレベルで」
ピピッ！
「ン？課長からの着信だ」
薫は懐からスマートフォンを取り出すとそれを耳にあてた。
「はいはい薫ちゃんですよ」
「なにやってんのよ薫ちゃん！本部にも帰らないで！！」
「ホテルにＶＩＰをお送りしたら直帰して良かったんじゃなかったっけ？」
「緊急事態なのよ緊急事態よ！！！例のブツを受け取ったヤツの身元が割れたのよ！！」
「えらい早いな。公安は暇なのかい？」
「そうね、魔物関連はウチらの独壇場であんまり仕事がないって・・・そんなことはどうでもいいの！」
「悪りぃ悪りぃ。奴さんはどんなヤツだい？」
「通称Ｃと呼ばれている。いつもＣにちなんだ偽名を使う広域指定のマジモンのテロリスト。全ての害悪の原因が全て日本の所為だと信じ切っている根っからのサイコパス、カビの生えた新左翼主義者さ」
「テロリストに真の正義なんてねぇ。あんのは汚ねぇ私欲だけさ。ガサ入れは明日か？」
「いいや。コイツはウチが押さえてる。この馬鹿、デビルバグに拉致られて集団レイプ寸前で助け出したんだけどね」
「課長いい仕事してるね！！所持品も抑えてんだろ？」
「もちろん。で、非番なのに申し訳ないけど・・・」
「俺はグランマの所にいるんだ。もう少したらベルデッドと本部に向かうよ」
「外地との問題はよしとくれよ？」
「安心しろよ。俺の好みはグランマみたいなエロい熟女だけさ」
そう言うと薫は着信を切った。
「ベルデッド！テロリストが捕まったぜ」
しかしベルデッドが薫に向ける視線は冷ややかなものだった。
「へぇ〜〜〜熟女好きねぇ・・・」
「今はそんなことなんてどうでもいいだろ！」
「あら、薫さんは魔物娘という存在を理解していないのかしら？親身に話を聞いてくれた男性が他の女の話をしていて気分を悪くしない魔物娘はいないわよ？」
「わぁったよ！」
薫がベルデッドに向かい合う。
「俺にはベルデッド、君の力が必要だ！一緒に付いてきてくれ！」
「・・・・・いいわよ。でも事件が解決したら一杯奢ってよね」
「ああ！一杯でも二杯でも奢ってやるよ！！」
ベルデッドがスツールから立つ。
「案内して」
厚生労働省管轄の病院
魔物娘の中には特殊な能力を持つ者も多い。
女性の魔物化なら「学園」に引き渡して終わりだが、被害に遭ったのが男性なら場合によっては特別なケアを必要とすることがある。
この病院にはそれを行う設備も完備していた。
「対象の様子は変わらないよ。診察した医者の話では性交の後はないそうだけどね」
白いベッドの上ではアジア系の男性が横たわっていた。・・・・アへ顔ダブルピースで。
恐らく魔界銀製の武器で攻撃されたのだろう。
命に別状はないが、ヤツが桃源郷から帰還してたっぷりと尋問できるようになるのはまだまだ先だろう。
「手詰まりか・・・」
「襲っていたデビルバグの方は？」
「それも抑えてるよ」
「尋問なら私がするわ。そちらも魔物娘同士なら波風が立たないでしょ？」
課長の朱鷺島が頷く。
「俺は所持品の確認をするぜ」
「頼むわね」
「僕はもう少しヤツの周辺を洗ってみるよ」
３人の息の合ったユニゾン。思わず薫とベルデッドがお互いを見る。
「お互い頑張ろうか！」
「ええ。もちろん！」
薫とベルデッド、そして課長がそれぞれの役割に着いた頃、事件の黒幕が動き出していた。
月のない黒い空。
音もなく何かが空に浮かんでいた。
蝙蝠めいた黒い翼、赤と黒の瞳。
見る者に恐怖を抱かせる血の気のない青い肌。
かつての前魔王の手によって人間への悪意のみで生み出された魔物「デーモン」が一人、虚空で笑みを浮かべる。
「レーム様！探しましたよ！！」
「そうそう！マチネちゃんもソワレちゃんも翼が棒に・・・って、翼の場合はなんて言うのかな。とりあえず探したんだから！」
闇の中から、デーモンを小型にしたような「デビル」の少女が二人現れた。
「ソワレ、マチネ。お使いは上手くいったかしら？」
「もちろん！あのいけ好かない男の人をデビルバグの巣に叩き込んでおきましたよ！私のプリティーなお尻を撫でやがって！！」
「ちゃんと口封じに魔界銀製の弾丸をぶち込んでありますよ！股間に！ものすごいアへ顔でしたよ！！！」
「上々よ。デビルバグもしっかりとお使いを済ましてくれたしね」
彼女が見下ろす先、そこには地上に停泊した「外地」行き始発の飛行船「フライング・プッシー・ドラゴン号」があった。
仕立てのいい革張りの椅子の上で、探偵社の主である「ベルゼブブ」のベルデッド三世は物思いに更けていた。
彼女は依頼報告書をプリントするとパソコンの電源をシャットアウトし、執務机の上に置いてあるゼロハリバートンのヒュミドール（葉巻保管箱）の中からタバカレラ・コロナを一本取り出すと、パンチカッターで吸い口を切って口に咥えた。
シュボォッ！
黄昏色に染まる執務室にマッチの火が迸り、十分に硫黄の匂いが消えたのを確認するとゆっくりと葉巻を炙る。
彼女は仕事を終えると葉巻を吸うことにしている。葉巻の紫煙が持つ、甘さと陶然とする香りがささくれた彼女の心を癒してくれるのだ。
今日の仕事は「猫探し」。
探偵とは言っても所詮は人探しやペット探しばかり。時には白蛇絡みのストーカー撃退の依頼もあるが、大概は依頼人の失踪でご破算になることも多い。
件の「猫」は猫でも魔物の「ネコマタ」だった。しかも奥さん ― 件のネコマタのことだが ― が逃げたのは依頼人が野良猫に餌をやっていたのを見て、浮気されたと勘違いしたのが原因だ。
ベルデッドが優秀な「調査員」を使って方方を探し回っていたが、当の化け猫はちゃっかりと家に戻ってきていた。
ハッキリ言ってくたびれ損だ。まぁ、依頼料はしっかりとふんだくってやったが。
今を生きる探偵も大概は似たようなものだ。
シャーロックホームズや金田一幸助のような推理を働かせることもなく
ルパンや明智小五郎のような冒険活劇なんてない
ただ彼女、ベルデッドは違った。
かつて彼女は救ったのだ、「日本」を。
― 厚生労働省 特殊事案対策課 ―
知っての通り厚生労働省は日本における伝染病や疾病政策の中心となる省庁だ。
現在、難病や認知症を患った患者は本人が希望すれば魔物化を行うことができる。そのガイドラインを設定しているのが厚生労働省であり、結果政府の魔物政策において中心的な役割を担っているのだ。
当然のことだが、その血に触れただけで魔物化を引き起こす「ウシオニ」や危険な胞子を持つ「マタンゴ」への対策を兼務しており、職務上拳銃を携帯しているセクションもある。
その一つが「特殊事案対策課」だ。
「はぁ？外地から来たボンボンのお守り？」
閑散とした詰め所に男の野太い声が響く。
ボサボサの髪、無精ひげにヨレヨレのシャツ、オマケに身体からは鼻の曲がるような酒の臭いがする。典型的なダメなおっさんだ。
もっともこれはあくまで捜査のために必要なものだったが。
歓楽街にある無認可の魔物娘の風俗店。伴侶を求めるのは魔物娘の性とはいえ、日本にいる以上はルールを守らなければならない。
早朝３時まで街を駆け巡ってやっと本部に戻ってきて、やっと休めると思っていた先のこの命令。
しかめっ面のダメなおっさん「岸間薫」が上司にこういった態度をとっても仕方ないと言える。
「俺は一睡もしてないんすよ？それにお守りなら他のヤツでも・・・」
薫の上司の「朱鷺島康介」が彼に耳打ちする。
「今回の一件、どうもクサいんだよね〜〜。外地から派遣される捜査官が詳しい捜査内容を明かさないのも変だし。もしかしてテロ絡みだったりしてね」
薫の目の色が変わる。その鳶色の瞳に怒りが籠っていた。
「今回の件、過激派が関わっているとみていいんですか？」
「近い！近いよ薫くん。でも外地の連中がひた隠しするような事柄なんてそれくらいだろ？」
「・・・・・確かに」
もう心は決まっていた。
「相手の名前は？」
「乗り気になって助かるよ。相手側の捜査官の名前はベルデッド三世。蠅の魔物娘だそうだ」
「捜査内容は？」
「盗難品の探索。何でも外地で盗難されてこちらに運ばれた可能性が高いそうだ。で、肝心の盗難物はどんなものかは不明」
「クサいな、確かに」
「どうしてもテロってのは後手後手になりがちさ。あの５年前のテロだって・・・すまん」
「いいですよ。妹の朱火も旦那と一緒に牧場生活を満喫しているしな。だが！」
薫が声を荒げる。
「俺は過激派が許せない！ヤツらのテロのおかげでいったい何人の人間が・・・・・！」
「薫君、僕は君を大きく買っている。少なくとも外地の捜査官の前では紳士的にしてくれよ。集合時間は１７時の予定だ。それまでしっかりとクールダウンしてくれ」
そう言うと朱鷺島は薫の背中を叩いた。
― 「門」飛行船発着場 ―
便宜上「門」と呼ばれているが、その実態は大きな穴としか呼べない物だ。その形成には「魔王」やその直系の「リリム」達を始め、高位の魔物達が関わったとされ、魔力の塊といえる存在ではあるが暴走することなく安全に「外地」とこちらを結んでいる。
その黒黒とした表面が沸々と泡立つと白い大きな物体がゆっくりとその姿を現した。
― 次元間連絡飛行船「フライング・プッシー・ドラゴン号」 ―
「外地」の環境への影響を考慮した結果、その渡航には前時代的な飛行船が利用されていた。
とはいえ最新鋭の技術を使って作られたその飛行船は、新幹線とはいかなくてもそれなりのスピードで移動が可能だ。
「ったく、外地じゃ時計もないのかよ！」
薫がメインロビーで悪態をつく。
予定の時間から一時間も遅れていた。
「折角上等なスーツを着てるのにその態度じゃ、一発で正体がバレルよ薫君」
ブ〜〜ン！
一匹の蠅が二人に纏わりつく。
「ちょっ！薫君ちゃんと風呂入ってきたの？」
「シャワーくらい浴びてきたが？」
「じゃあなんで蠅が！ったく鬱陶しい！！！！」
朱鷺島が蠅を払う。
「私の従者が失礼した」
凛とした、女性の声が広いロビーに響く。
薫と朱鷺島が振り向くと、青い髪をツインテールにした一人の小柄な人影が立っていた。
その肢体を覆う黒い外套には様々な意匠が見て取れて、縫製を行った職人の腕がかなりのものであると思えた。
「王魔界魔王軍軍令部所属、特別捜査官のベルデッド三世よ。ベルデッドと呼んで」
そう言うとその少女 ― ベルデッド ― は彼らに現魔王の紋章が刻まれた短剣を見せた。
「お会いできて光栄です。私は特殊事案対策課の朱鷺島・・」
「自己紹介はいつでもできるわ。今は時間が惜しい。早速だけど、一か月分の貨物記録を出してちょうだい。外地じゃ、デルエラ陛下から贈られたこの外套を見せれば顔パスだけど、ココじゃそうもいかないでしょ？」
〜 なんだよこの糞ガキは！ 〜
心の中で薫が毒づく。
「貴方達が私にどのような感情を持ってもかまわないわ。でも、私の捜査の足を引っ張らないでくれる？」
ベルデッドの金色の瞳が二人を睨みつける。
「このッ！」
「堪えて堪えて薫君！」
そんな二人の様子すら意に関せず、ベルデッドは事務所へと足を進めた。
「・・・・こっちの気も知らないで」
ベルデッドの呟きを聞く者はいなかった。
「ではよい夜を」
薫が愛想笑いを張り付けながら、目の前の「糞ガキ」ことベルデッドに別れの言葉を告げると、逃げるように帝国ホテルのロビーを抜けた。
「散々な一日だぜ・・・・」
早朝まで盛りのついたオークの団体様をを文字通り「豚箱」に放り込んだかと思えば、「外地」の捜査官と名乗る糞ガキのお守り。
最悪な一日だ。
「だが、確かに有能だな・・・」
ベルデッドは薫の手を借りずに一人で一か月分の貨物記録を確認し、その中に一つだけ「違和感」のある貨物を探り当てた。
「外地」からの貨物では積み荷の含有する魔力レベルによって使用するコンテナが変わる。
通常はそういったコンテナには「虜の実」や「虜のワイン」といった魔界産の食材が満載されているものだが、そのコンテナは最大レベルの５なのにコンテナの積載量はコンテナの規模からしてはそれほどでもない。
明らかにおかしいが、書類に異常はなく積み荷からマタンゴの胞子やウシオニの血ようなパンデミックを起こすような反応はなかったため、そのまま検疫を通ったようだ。
案の定、受け取り側はダミー会社。
監視カメラの映像は公安に照会している。明日には受け取ったのが誰かわかるだろう。
ピピッ！
「ん？」
薫が懐のスマートフォンを見ると着信が来ていた。
宛名は「朱火」とあった。
「朱火か、どうした？」
スマートフォンを操作し、テレビ電話にする。
画面には頭から牛の生えた年若い女性が写っていた。
「もう兄さん！相変わらずしかめっ面をして！！そんなんだから恋人ができないんだよ！！」
― 桐花朱火 ―
薫の妹で・・・・数年前の過激派が起こしたホルミルクテロでホルスタウロスへと転化された「テロ被害者」の一人だ。
「俺のことはどうでもいいんだよ。それよりも旦那とうまくやってるか？」
「ん？莉生くんのこと？そら、昨日も朝まで・・・キャッ！恥ずかしい！」
画面の中で身をくねらす妹の姿に苦笑しながら、薫は魔物となってもそれなりに幸せそうな彼女の姿に安堵していた。
「で、要件はなんだ？まさか実の兄に惚気話もないだろ？」
「今度、ウチの牧場で新作のプリンを売り出す予定で、是非ともお兄ちゃんに試食してもらいたくて・・・・今度の日曜日空いてる？」
〜 またか・・・ 〜
「ごめんな。仕事が入ってて行けそうにないんだ。気持ちだけ頂くよ」
「そう・・・無理言ってごめんね・・・お兄ちゃん」
妹は昔から料理が好きで、パティシエを目指していた。
だが、あのテロで運命を変えられてしまった。朱火は人としてその夢をかなえることはできない、永遠に・・・・。
転化後、すぐさま朱火は「学園」に収容され自らの魔物化を肯定的に受け入れられるようになったとはいえ、薫の中には未だに「人間」だった頃の朱火がいた。
「じゃあ・・・またね」
「ああ、莉生くんにもよろしく言っておいてくれ」
そう言うと、薫は通話を終えた。
― 貴方も同じだったのね ―
「？！」
数分前に別れたはずのベルデッドの声が響く。
薫が辺りを見渡すが、彼女の姿は見えなかった。
― ここよ ―
再度声が響く。
薫が肩を見ると、一匹の蠅が止まっていた。
― ようやく気付いたわね ―
蠅が羽根を震わせベルデッドの声を作っていた。
「盗み聞きは感心しないな」
― ごめんなさい。調査に出していた従者がたまたま貴方たちの会話を聞いていて・・・・故意じゃないわ ―
「どうだか。さっさとこの鬱陶しい蠅をどうにかしてくれ。今すぐ潰してやろうか？」
― それは困るわね。私の部屋に来て・・・・歓迎するわよ ―
「お詫びにストリップでも見せてくれるのか？そんな貧相な身体を見せられてもナニも萎れるだろうがな」
― それよりもいいモノよ。知りたいこと、あるでしょ？ ―
薫は静かに頷いた。
― 帝国ホテル スィートルーム ―
薫も男性である。女性の部屋に入ったことも何度もある。
しかし、目の前の女性は曲がりなりにも「外地」の特別捜査官。それも、見た目はティーンエージャーとしかいえない。
「どうしたの？キョロキョとして」
「仕方ねぇだろ。公務員の安月給で帝国ホテルのスィートルームなんて入ることなんてねぇーんだからな」
「そう？もしかして期待しているのかしら」
目の前の女性、ベルデッドが近づいてくる。
蠅の魔物娘というからつい身構えるが、彼女からは上等な香水にも似たふわりとした香りが漂う。
薫も男だ。ストライクゾーン外でも身体が反応し否が応でも心音が高まる。
ベルデッドはそのままソファーに座る薫をすり抜けると背後のミニバーへと向かった。
「貴方は何を飲むのかしら？」
魔物娘が性に旺盛であるとしても彼女は軍人だ。いきなり部屋に呼び出して性交渉を迫るなんてことはないのだ。
〜 近頃溜まってるのかな。今度の休暇でソープにでも行くか 〜
心の中でそう呟くと、薫はベルデッドに向かう。
「ジョンダニエルにしてくれ。ロックで頼む」
「ジャックダニエルのパチモンかしら？ここはそんな安物はないわ」
「俺は付き合いが長いからジョンダニエルでいいんだ」
「クラシカルね。アル・パチーノのセントオブウーマンなんて、今じゃ知っている人の方が少ないわ」
「そう言う君もクラシカルだな。君は何を？」
「シーバスリーガル。ストレートでいただくわ」
薫はベルデッドから見事なカットの施されたロックグラスを受け取ると、滋味に富んだ琥珀色の液体をゆっくりと味わった。
「・・・・君が話したことについてだ」
「なんてことない。私もテロでかけがえのないものを失ったからよ」
ベルデッドはオールドファッションドグラスにツーフィンガー（６０ｍｌ）程入れられたシーバスリーガルを呷る。
「私の故郷はちっぽけな国でね。親魔国ほどじゃないけど、それなりに魔物と人間が仲良くしていたのよ。私はそこで育ち、王魔界で軍令部に入れるほどの軍人となった。でも・・・数か月前私は故郷を失った」
「おい、確か魔物は人間を殺さないし、傷つけさえしないってんだろ？なんで故郷が消えるんだ？」
「魔界化よ。あの日、私の故郷で何かが起こった。ほのぼのとしていた私の故郷は一晩で暗黒魔界へと変わり、人間は全て魔物に変わってしまった。幼い頃、遊び疲れて微睡んだ木立も枯れ果ててしまったわ」
― 魔界化 ―
魔力が臨界を超えることにより引き起こされる現象だ。明緑魔界という例外はあるが、暗黒魔界では人界の植物が育つことはない。
「君も・・・大切なものを失ったんだな」
薫の言葉にベルデッドは静かに頷く。
「すぐさま王魔界の軍令部で対策班が結成され、私が調査にあたった。結果、唯一見つかったのがこれよ」
ベルデッドが一枚の写真を薫に見せる。
「冗談だろ・・・・・？これが原因なのか」
写真には恐らく起爆装置と思われる部品に囲まれて「あるもの」が写されていた。
それは女性なら誰でも着用するもので非常にありふれたものだ。
意外にも歴史は古く、古代ギリシャにおいてその原型が見られ、現代のモノに近い製品は、フランスで発明された。
ウーマンリブ運動において、一部の活動家はソレを「女性を拘束する象徴」として敵視して焼くといった活動もみられたことさえある。
「貴方は自分の目を疑うの？」
「だってこれ・・・・ブラジャーだろ？」
・・・・写真に写されたもの。
かなり煽情的な意匠を施した「ピンク色のブラジャー」だった。
「それはブラだけどただのブラじゃないわ。デルエラ陛下着用の生ブラジャーよ」
「あのデルエラが君の故郷を魔界化したというのか！」
「そう声を荒げないで。この件に関してはデルエラ陛下は被害者よ。何者かが陛下愛用のピンクのブラジャーとショーツを盗み出した」
薫は頭がパンクしそうになった。
〜 ブラジャーが爆発して一国を魔界化？冗談に過ぎる！ 〜
心の中で毒づくが、しかしベルデッドの態度は真剣そのものだ。彼女が薫をからかっているとは到底思えなかった。
「俺にこんな話をするってことは・・・・手詰まりなんだな？」
「ええ。コチラはテロにデルエラ陛下のブラジャーが使用されたことしか掴んでいない。盗まれたショーツの行方は不明なままだった。数日前、外地からマタンゴの胞子を持ち出そうとしたコチラの人間を尋問してわかったの、門の向こうで同様のテロを起こそうとしていることを」
ピースが一つ嵌まった。
一週間前に見つかった不審な貨物記録。
恐らく、それが件の「デルエラの生パンツ」に間違いない。
「・・・・頼りになる人物がいる」
薫がスマートフォンを操作する。
「あ、グランマ。俺だよ、薫だよ。今から新規を一人連れていきたいんだが大丈夫か？あぁ、かなりヤバいヤマだ。少なくともダイ・ハード並みにな」
「グランマって？」
「ただのしがないバーのオーナーさ。だが、この街で魔物やそれに関わる人間でグランマにお世話にならなかった人間はいない」
薫がニヤリと笑う。
「おまけに美人だしな。ジョンダニエルのお礼に一杯奢るぜ」
― Ｂａｒペイパームーン ―
「人払いはしてあるわ。マクレーン警部、いや薫さん？」
「ありがとうグランマ」
薫はグランマに頭を下げた。
「貴方が新規さんね。このペイパームーンのオーナーバーテンドレスのグランマよ。種族はサキュバスね。貴方のお名前は？」
「私はベルデッド三世。王魔界魔王軍軍令部所属特別・・・！」
黒いドレスを着こなしたオーナーの「グランマ」が人差し指を唇に当てる。
「階級や職務なんてここでは忘れて。貴方はベルデッド、私はただのしがないバーのオーナー、グランマ。それでいいのよ。薫さん何がお望みかしら？」
「グランマ、一番イイヤツを頼む」
薫がグランマに声をかける。
「お高いわよ？」
「望むところさ」
そう言うと薫が笑みを浮かべる。
「事情は分かったわ。そのテロリストも中々頭が切れるわ。魔界化の原因は件のデルエラのブラジャーを利用した魔力爆弾で確かね。こちらで起爆装置を作成して現地で組み込んだはずよ」
「その・・・グランマ。今更だが、たかが下着なんかで爆弾なんて作れるのか？」
「リリムといえば魔王の直系よ。高濃度の魔力が人型になったといえるくらい大量の魔力を誇るわ。そのリリムに直接触れていた下着には、デルエラすら思いにもよらないくらい魔力が蓄積されていてもおかしくはない」
「まるでフグの毒だな」
「それは違うわ。フグは人を殺すけど魔力は人を殺さない。人としての人生は終わるけどね」
「でもどうすればそれを見つけられるの」
ベルデッドが口を挟む。
「そうね・・・・まずは一杯どうかしら？」
「こんな時に・・・・！」
薫がベルデッドに耳打ちする。
「グランマに考えがあんだよ。大人しく従っておきなよ」
「あらあら内緒話？」
「内緒話って程のことじゃないさ。ちょいと店のルールをね」
「程々にね。ベルゼブブって結構プライドの高い種族よ？」
「ああわかってるさ」
「薫さん・・・・私、自分の種族を名乗ったっけ？」
「グランマにはお見通しってことさ。ホットトディを俺とベルデッドに頼むよ」
「分かったわ」
グランマがバックバーからジョニー・ウォーカー１２年を取り出すとケトルにお湯を沸かし始めた。
― 数刻後 ―
「少し甘めにしておいたわ。いい考えが浮かぶようにね」
そう言うと、スツールに座る二人の前に暖かな湯気を立てる耐熱グラスが置かれた。
「ところでベルデッドさん。故郷の名前は何ていうの？」
「スプリングホールですけど・・・・」
「ちょっと待っててね。・・・・やっぱり」
二人の目の前に古びたモノクロの地図が置かれる。
「一国を魔界化といえば大事だけど、魔界化した範囲は余りにも狭いわ。二人共これを見てみて」
グランマが地図を指し示す。件のスプリングホールは確かに小国だ。範囲も東京都の半分すらない。
「テロの予行演習か。なら次はもっと大きな獲物を狙うはずだな。それも日本に立ち直れないほどの被害を出すレベルで」
ピピッ！
「ン？課長からの着信だ」
薫は懐からスマートフォンを取り出すとそれを耳にあてた。
「はいはい薫ちゃんですよ」
「なにやってんのよ薫ちゃん！本部にも帰らないで！！」
「ホテルにＶＩＰをお送りしたら直帰して良かったんじゃなかったっけ？」
「緊急事態なのよ緊急事態よ！！！例のブツを受け取ったヤツの身元が割れたのよ！！」
「えらい早いな。公安は暇なのかい？」
「そうね、魔物関連はウチらの独壇場であんまり仕事がないって・・・そんなことはどうでもいいの！」
「悪りぃ悪りぃ。奴さんはどんなヤツだい？」
「通称Ｃと呼ばれている。いつもＣにちなんだ偽名を使う広域指定のマジモンのテロリスト。全ての害悪の原因が全て日本の所為だと信じ切っている根っからのサイコパス、カビの生えた新左翼主義者さ」
「テロリストに真の正義なんてねぇ。あんのは汚ねぇ私欲だけさ。ガサ入れは明日か？」
「いいや。コイツはウチが押さえてる。この馬鹿、デビルバグに拉致られて集団レイプ寸前で助け出したんだけどね」
「課長いい仕事してるね！！所持品も抑えてんだろ？」
「もちろん。で、非番なのに申し訳ないけど・・・」
「俺はグランマの所にいるんだ。もう少したらベルデッドと本部に向かうよ」
「外地との問題はよしとくれよ？」
「安心しろよ。俺の好みはグランマみたいなエロい熟女だけさ」
そう言うと薫は着信を切った。
「ベルデッド！テロリストが捕まったぜ」
しかしベルデッドが薫に向ける視線は冷ややかなものだった。
「へぇ〜〜〜熟女好きねぇ・・・」
「今はそんなことなんてどうでもいいだろ！」
「あら、薫さんは魔物娘という存在を理解していないのかしら？親身に話を聞いてくれた男性が他の女の話をしていて気分を悪くしない魔物娘はいないわよ？」
「わぁったよ！」
薫がベルデッドに向かい合う。
「俺にはベルデッド、君の力が必要だ！一緒に付いてきてくれ！」
「・・・・・いいわよ。でも事件が解決したら一杯奢ってよね」
「ああ！一杯でも二杯でも奢ってやるよ！！」
ベルデッドがスツールから立つ。
「案内して」
厚生労働省管轄の病院
魔物娘の中には特殊な能力を持つ者も多い。
女性の魔物化なら「学園」に引き渡して終わりだが、被害に遭ったのが男性なら場合によっては特別なケアを必要とすることがある。
この病院にはそれを行う設備も完備していた。
「対象の様子は変わらないよ。診察した医者の話では性交の後はないそうだけどね」
白いベッドの上ではアジア系の男性が横たわっていた。・・・・アへ顔ダブルピースで。
恐らく魔界銀製の武器で攻撃されたのだろう。
命に別状はないが、ヤツが桃源郷から帰還してたっぷりと尋問できるようになるのはまだまだ先だろう。
「手詰まりか・・・」
「襲っていたデビルバグの方は？」
「それも抑えてるよ」
「尋問なら私がするわ。そちらも魔物娘同士なら波風が立たないでしょ？」
課長の朱鷺島が頷く。
「俺は所持品の確認をするぜ」
「頼むわね」
「僕はもう少しヤツの周辺を洗ってみるよ」
３人の息の合ったユニゾン。思わず薫とベルデッドがお互いを見る。
「お互い頑張ろうか！」
「ええ。もちろん！」
薫とベルデッド、そして課長がそれぞれの役割に着いた頃、事件の黒幕が動き出していた。
月のない黒い空。
音もなく何かが空に浮かんでいた。
蝙蝠めいた黒い翼、赤と黒の瞳。
見る者に恐怖を抱かせる血の気のない青い肌。
かつての前魔王の手によって人間への悪意のみで生み出された魔物「デーモン」が一人、虚空で笑みを浮かべる。
「レーム様！探しましたよ！！」
「そうそう！マチネちゃんもソワレちゃんも翼が棒に・・・って、翼の場合はなんて言うのかな。とりあえず探したんだから！」
闇の中から、デーモンを小型にしたような「デビル」の少女が二人現れた。
「ソワレ、マチネ。お使いは上手くいったかしら？」
「もちろん！あのいけ好かない男の人をデビルバグの巣に叩き込んでおきましたよ！私のプリティーなお尻を撫でやがって！！」
「ちゃんと口封じに魔界銀製の弾丸をぶち込んでありますよ！股間に！ものすごいアへ顔でしたよ！！！」
「上々よ。デビルバグもしっかりとお使いを済ましてくれたしね」
彼女が見下ろす先、そこには地上に停泊した「外地」行き始発の飛行船「フライング・プッシー・ドラゴン号」があった。
18/01/02 08:37更新 / 法螺男
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