惚れたが悪いか ― カーテンコール ―
〜 あ、あれ・・・?確か意識を失って・・・ 〜
気が付くと僕は気を失う前まで座っていたダイニングの椅子に腰かけていた。
目の前には岬。
彼女は恋人である深見の友人で・・・僕に誘いをかけた「サキュバス」だ。
〜 ?! もしかして・・・夢の中なのか・・・? 〜
僕がこの状況を理解しようと努めていた時だ。
〜 ?! 止めろ・・・・! 〜
あろうことか、夢の中の僕は彼女の肩を掴むとその細い肢体を引き寄せその薔薇色の唇に自らの唇を重ねた。
〜 止めろ!!止めるんだ!! 〜
いくら僕が叫んでも「僕」は彼女の口内を貪ることを止めず、そのままダイニングの床に彼女を押し倒す。
岬は強引なその行為にも目立った抵抗することなく受け入れ、自ら革パンのボタンを下ろし見せつけるようにゆっくりとジッパーを下げた。
煽情的なエナメルのブラとお揃いの黒のエナメルショーツが露わになる。
吸水性の無いエナメルショーツは彼女の奥底から溢れる蜜を内に留めることなく、その隙間から止めどなく滴らせていた。
「僕」はその痴態に満足そうな笑みを浮かべると、履いていたジーンズのジッパーを下ろし蠱惑的な彼女に覆いかぶさり・・・・
「止めろ!!!止めてくれぇぇぇぇ!!!」
僕が叫びながら目覚めると、そこはいつものベッドルームだ。
傍らを見てみるが件の岬はいない。
「夢・・・だったのか」
ふと、僕は下半身に違和感を感じた。
「うわっ・・・・・」
見てみると僕は久方ぶりの「夢精」をしていた。
官能的な女性との交わりを夢で見て夢精してしまうのは男性の生理現象として普通のことだ。
しかし、僕は夢の内容が内容だけに、それが深見に隠れて不貞を働いたかのように罪悪感を感じてしまっていた。
リュウが知らないだけで岬が言う通り魔物にとってあれくらいは挨拶替わりなのだろう、そう自分を強引に納得させると汚れてしまったパンツを履き替えダイニングへと向かう。
食卓の上にはフレンチトーストのホットサンドといえるクロックムッシュと傍らに置かれたポットの中には丁寧にドリップされたコーヒーがなみなみと淹れられていた。
「食」に拘りを持っている深見が作っておいてくれたであろう豪勢な朝食を食べる。
食卓に深見の姿はない。
一緒に置かれていた書き置きによると、ゲイ雑誌の連載に使う資料のために「学園」の資料館へ取材行ったとある。
帰りは22時くらいと書かれていた。
正直、「助かった」と思った。
昨夜岬との一件があったため、深見と顔を合わせるのに抵抗があったからだ。
今は気持ちを落ち着かせることに集中することだ。
プルルッ!
僕のスマートフォンが震える。
着信番号は・・・・「真中岬」。
取るべきか否か、しばし考えるが僕はその電話を取った。
「・・・・・島崎です」
「フフフ・・・その様子だと大分参っているようだね?」
「切りますよ」
「どうぞ?でもそうしたら君は深見を永遠に失うかもしれないけど、いいね?」
「どういうことだ!」
「そのままさ。アンタ、深見の婚約者のことを知りたくないのかい?」
「知ってる・・・のか?」
「リュウ焦る気持ちはわかるけど、クールにクールにだよ。昼の12時、メイド喫茶のクラウディアに来てくれないか?そこで話をしよう。心配はいらないよ?いくら魔物と言っても盛りのついた犬じゃないし、いきなり犯したりはしないさ」
「分かった。クラウディアだな?」
「聞き分けのいいコは好きだよ、貪り尽くしたいくらいにね。そうだ、一つイイことを教えてあげようか?」
「何を企んでる?」
「別に。いいコへのご褒美だよ」
「・・・・・・何だ」
「深見の仕事部屋。その奥のクローゼットの中を見てごらん。半年も同棲しているアンタにはそこに何があるか分かってるだろう?」
「・・・・・・」
僕は無言で電話を切り、深見の仕事部屋へと向かった。
乱雑な部屋。時折目に入る、参考資料用であろうガチムチ爺さんの男同士の絡みを映した写真を払いのけながら進むと、僕は目的の物を見つけた。
一番奥にあるマホガニ―で作られた重厚なクローゼット。
確かめてみるが扉に鍵はかかっていないようだ。
僕はその取っ手に手をかけ一気に開いた。
ガチャ・・・
「?!・・・そんな!嘘だろ・・・・!」
僕は目を疑った。
高価な装身具と一緒に収められていたはずの彼女の「ドレス」が無くなっていた・・・・。
メイド喫茶「クラウディア」
その奥まったボックス席。
二人の男女が向い合せに座っている。
岬とリョウだ。
「・・・・・・」
「アタシの奢りさ。冷えないうちに食べなよ?」
今、彼の目の前にあるのはペンネ・アラビアータ。
確かに彼の好物だが、手を付ける気にはなれなかった。
深見の明確な「裏切り」。
レストランで別の男との会食を写した写真くらいなら、編集者との打ち合わせの光景と納得することもできた。
しかし、取材にドレスなんて着る必要はない。
「深見の婚約者は不死者の国で親魔国側の大使をやってる奴さ。大使なんてやってるが国じゃ次男坊とはいえ王子様。アイツも一応は貴族だし、身分違いということはない。結婚してくれれば相手も不死者の国とのパイプが手に入って万々歳さ」
「そこに・・・深見の意思は・・」
「は?あるわけないだろうが。だがな、アイツも貴族だ。自分が果たすべき役割を知っている。外地でもそうだがアンデッドは差別される存在。婚姻の見返りはアンデッド特区の設立と、親魔国内での発言力の強化かね。つまりは人柱だよ」
「・・・・・・」
「三文小説のような甘い考えは捨てな。今ここに至っても恋人のアンタに何も告げずにいることがアイツの答えさ・・・・」
貴族の義務 ― ノブレス・オブリージュ ― 。
彼女の背負った重荷が彼を打ちのめしていた。
自分に何ができる?
彼女の重荷を一緒に背負う?
できるわけがない。
そんな気概もない。
そんな覚悟もない。
ただの平民である自分には。
「リュウ・・・アタシはアンタを愛せる。アタシならアンタを満足させてやれる・・・・。なぁ、アンタに嘘を吐くような女を捨ててアタシとヤろうぜ?」
岬がリュウの手を握る。
じっとりと吸い付くような感触。それはまるで今朝の淫夢を思い出させた。
「・・・・・・!」
リュウはその手を払いのけた。
「僕は・・・僕はそれでもフッちゃんを信じてる!」
「そうかい・・・」
岬は胸元のポケットから一枚の紙きれを渡した。
「リストランテ・アーゲイト。今夜17時に会食。昨日の深見からは他の男の精は感じなかった。だが、あの辺りにはホテルも多い。今夜あたりはそこで・・・・」
「・・・・下衆が」
「酷いなぁ〜アタシも女だぜ?」
リュウは席を立った。
「セックスしたくなったらいつでもアタシを呼びなよ?腕によりをかけて搾り取ってやるからさ」
岬が舌なめずりする。
「・・・・・」
リュウは言葉を発することなくボックス席を出て行った。
岬はそんなリュウの態度を気にせず、胸元からスマートフォンを取り出すと画面を数度叩き耳に当てる。
通話相手はわからない。
だが、その砕けた口調からかなり親密な仲であることは伺えた。
「さてさて・・・リュウはどう動くかな?」
岬は通話を終えると、落とし穴を掘り終えた子供のように無邪気な笑みを浮かべた。
午後19時、「リストランテ・アーゲイト」
ここは「外地」産の食材をふんだんに使った本格フレンチが売りの店だ。
その向かいのカフェにリュウはいた。
悔しいが、岬の情報は正しかった。
アーゲイトのドアが開き、二人の男女が現れる。
ドレス姿の深見と彼女をエスコートする男性。
彼が件の「婚約者」なのだろう。
まるで背が低く、豪奢なドレスを身に纏った深見の姿はまるで童話から抜け出したお姫様のようにも見えた。
「王子様」と「お姫様」、傍から見ればお似合いのカップルだ。
男はハイヤーに深見を乗せるとその傍らに身を滑り込ませた。
「・・・・・あの車を追ってくれ」
二人がハイヤーに乗り込むのを確認するとこちらも待機させていたタクシーに乗り込む。
個人タクシーといえども、長時間の拘束に難色を示したが数枚の諭吉を握らせればニコニコ顔で受けてくれた。
「お客さん探偵かい?」
「そんなところさ・・・・」」
「お客さん厄介事はごめんですぜ?」
僕は静かに頷く。
運転手が小気味いい音を立てながらシフトを操作すると、タクシーは液化ガス車独特の音を響かせながら発進する。
滑らかに加速する車内でリュウは自分に問いかけていた。
自分は本当に彼女を愛しているのか、彼女の重荷を一緒に背負う覚悟があるのか、と。
「お客さん、着きましたよ」
見ると、二人を乗せたハイヤーが止まり、あの男と深見が道に足を下ろしていた。
彼らの目の前にはネオンサインの光るラブホテル街。
深見の肩を抱く男。
考えうる最悪の事態がリュウの目の前で繰り広げられていた。
「少し待っててくれ!!!」
急いでリュウがタクシーから飛び出す。
その際、腕に巻き付けていたビクトリノックスのアーミーウォッチを外して、すぐに取り出しやすい位置のポケットにそれを押し込む。
「深見!」
「リュウちゃん!どうしてココに?」
「そんなことはいい!帰るぞ!!」
リュウが深見の手を掴んだ時だ。
「君!離したまえ!!」
男が彼を掴む。
「僕は・・・・彼女の恋人だ!!!」
「は?君のような平民が?おこがましいにも程があるぞ!この塵芥めが!!!」
塵芥、人を人とも思わぬその物言いにリュウの何かが音を立てて引きちぎれる。
「ごちゃごちゃとうるせぇぇぇぇぇぇ!!!!」
リュウはポケットに右腕を突っ込むと素早く時計を指に通し、にやけた男の顔面を全力で殴りつけた。
ステンレス製の時計用のベルトは指に通して握りこむと簡単なナックルダスターとして使用することができる。
学生時代に習っていた日本拳法。
その特徴であるノーモーションの縦拳。
成人男性の全力の一撃が男の顔面に炸裂する。
そのあまりの衝撃で男は抵抗する間もなく壁際に吹き飛ばされそのまま地面に倒れ伏した。
「ちょっと!リュウちゃ・・・!」
リュウは深見を強く抱きしめると、彼女の唇に強引に自らの唇をあてがい舌を押し入れた。
舌と舌、粘液と粘膜が絡み合いそれがリュウを更に昂らせる。
深見は抵抗することなくその暴力的なキスを受け入れ身を任せていたが、急にその肢体から力が抜けその場に蹲た。
彼女の顔は紅潮し唇の端から唾液が滴り落ちる。
もう迷いなんて・・・ない。
「僕は君が好きだ!!君を愛してる!!!!」
そう叫び彼女ともう一度キスをすると深見の小柄な体を抱え上げ、リュウはタクシーに乗り込んだ。
「おいおいお客さん!!揉め事は困るよ!!」
文句を言う運転手にリュウは数枚の諭吉をさらに放り投げる。
「早く出してくれ!!全速力で!!金ならいくらでも払うから!!!」
「へっへい!!!」
リュウの迫力と金に負けた運転手はタクシーを急いで発進させた。
後には一人倒れ伏す「婚約者」。
リュウは気付かなかった。
その首元に男性用にしては異質なチョーカーが付けられていたことに・・・。
「うまくやんなよ?二人とも」
彼の呟きを聞くものは誰もいなかった。
バタン!ブロロォォォォ!
タクシーの運転手は俺たちをアパートの前に降ろすと、一目散に退散した。
今夜一晩分の稼ぎを払ったつもりだが、愛想の一つもなかった。
ま、当然だろう。
僕と深見が恋人同士であってもやったことは暴行に拉致だ。おまけに僕が腕時計のブレスで相手を殴りつけた現場を目撃している。
厄介事には関わらないに限る。あの歳まで個人タクシーの運転手をしているんだ。それなりに修羅場をくぐってきたに違いない。
「・・・・」
今、僕の腕の中に深見がいる。
呆けたような表情。荒く熱い吐息。
まるで、媚薬を盛られたかのようだ。
あの下衆が彼女にそれを盛ったかどうかは定かではないが、しかし彼女の潤んだ瞳は暗く澱んだ感情を浮かび上がらせる。
白く儚げな肢体。まるで砂糖菓子のようだ。
彼女の高貴なイノセンスを汚したい
自らのザーメンで彼女の全てを染め抜いてしまいたい
もう他の誰にも靡かないように孕ませ彼女の全てを独占したい
かつての彼ならばそんなことを思うことすらなかっただろう。
しかし、一度点いてしまった情念の焔は彼の理性を焼き尽くそうとしていた。
気が付くと僕は気を失う前まで座っていたダイニングの椅子に腰かけていた。
目の前には岬。
彼女は恋人である深見の友人で・・・僕に誘いをかけた「サキュバス」だ。
〜 ?! もしかして・・・夢の中なのか・・・? 〜
僕がこの状況を理解しようと努めていた時だ。
〜 ?! 止めろ・・・・! 〜
あろうことか、夢の中の僕は彼女の肩を掴むとその細い肢体を引き寄せその薔薇色の唇に自らの唇を重ねた。
〜 止めろ!!止めるんだ!! 〜
いくら僕が叫んでも「僕」は彼女の口内を貪ることを止めず、そのままダイニングの床に彼女を押し倒す。
岬は強引なその行為にも目立った抵抗することなく受け入れ、自ら革パンのボタンを下ろし見せつけるようにゆっくりとジッパーを下げた。
煽情的なエナメルのブラとお揃いの黒のエナメルショーツが露わになる。
吸水性の無いエナメルショーツは彼女の奥底から溢れる蜜を内に留めることなく、その隙間から止めどなく滴らせていた。
「僕」はその痴態に満足そうな笑みを浮かべると、履いていたジーンズのジッパーを下ろし蠱惑的な彼女に覆いかぶさり・・・・
「止めろ!!!止めてくれぇぇぇぇ!!!」
僕が叫びながら目覚めると、そこはいつものベッドルームだ。
傍らを見てみるが件の岬はいない。
「夢・・・だったのか」
ふと、僕は下半身に違和感を感じた。
「うわっ・・・・・」
見てみると僕は久方ぶりの「夢精」をしていた。
官能的な女性との交わりを夢で見て夢精してしまうのは男性の生理現象として普通のことだ。
しかし、僕は夢の内容が内容だけに、それが深見に隠れて不貞を働いたかのように罪悪感を感じてしまっていた。
リュウが知らないだけで岬が言う通り魔物にとってあれくらいは挨拶替わりなのだろう、そう自分を強引に納得させると汚れてしまったパンツを履き替えダイニングへと向かう。
食卓の上にはフレンチトーストのホットサンドといえるクロックムッシュと傍らに置かれたポットの中には丁寧にドリップされたコーヒーがなみなみと淹れられていた。
「食」に拘りを持っている深見が作っておいてくれたであろう豪勢な朝食を食べる。
食卓に深見の姿はない。
一緒に置かれていた書き置きによると、ゲイ雑誌の連載に使う資料のために「学園」の資料館へ取材行ったとある。
帰りは22時くらいと書かれていた。
正直、「助かった」と思った。
昨夜岬との一件があったため、深見と顔を合わせるのに抵抗があったからだ。
今は気持ちを落ち着かせることに集中することだ。
プルルッ!
僕のスマートフォンが震える。
着信番号は・・・・「真中岬」。
取るべきか否か、しばし考えるが僕はその電話を取った。
「・・・・・島崎です」
「フフフ・・・その様子だと大分参っているようだね?」
「切りますよ」
「どうぞ?でもそうしたら君は深見を永遠に失うかもしれないけど、いいね?」
「どういうことだ!」
「そのままさ。アンタ、深見の婚約者のことを知りたくないのかい?」
「知ってる・・・のか?」
「リュウ焦る気持ちはわかるけど、クールにクールにだよ。昼の12時、メイド喫茶のクラウディアに来てくれないか?そこで話をしよう。心配はいらないよ?いくら魔物と言っても盛りのついた犬じゃないし、いきなり犯したりはしないさ」
「分かった。クラウディアだな?」
「聞き分けのいいコは好きだよ、貪り尽くしたいくらいにね。そうだ、一つイイことを教えてあげようか?」
「何を企んでる?」
「別に。いいコへのご褒美だよ」
「・・・・・・何だ」
「深見の仕事部屋。その奥のクローゼットの中を見てごらん。半年も同棲しているアンタにはそこに何があるか分かってるだろう?」
「・・・・・・」
僕は無言で電話を切り、深見の仕事部屋へと向かった。
乱雑な部屋。時折目に入る、参考資料用であろうガチムチ爺さんの男同士の絡みを映した写真を払いのけながら進むと、僕は目的の物を見つけた。
一番奥にあるマホガニ―で作られた重厚なクローゼット。
確かめてみるが扉に鍵はかかっていないようだ。
僕はその取っ手に手をかけ一気に開いた。
ガチャ・・・
「?!・・・そんな!嘘だろ・・・・!」
僕は目を疑った。
高価な装身具と一緒に収められていたはずの彼女の「ドレス」が無くなっていた・・・・。
メイド喫茶「クラウディア」
その奥まったボックス席。
二人の男女が向い合せに座っている。
岬とリョウだ。
「・・・・・・」
「アタシの奢りさ。冷えないうちに食べなよ?」
今、彼の目の前にあるのはペンネ・アラビアータ。
確かに彼の好物だが、手を付ける気にはなれなかった。
深見の明確な「裏切り」。
レストランで別の男との会食を写した写真くらいなら、編集者との打ち合わせの光景と納得することもできた。
しかし、取材にドレスなんて着る必要はない。
「深見の婚約者は不死者の国で親魔国側の大使をやってる奴さ。大使なんてやってるが国じゃ次男坊とはいえ王子様。アイツも一応は貴族だし、身分違いということはない。結婚してくれれば相手も不死者の国とのパイプが手に入って万々歳さ」
「そこに・・・深見の意思は・・」
「は?あるわけないだろうが。だがな、アイツも貴族だ。自分が果たすべき役割を知っている。外地でもそうだがアンデッドは差別される存在。婚姻の見返りはアンデッド特区の設立と、親魔国内での発言力の強化かね。つまりは人柱だよ」
「・・・・・・」
「三文小説のような甘い考えは捨てな。今ここに至っても恋人のアンタに何も告げずにいることがアイツの答えさ・・・・」
貴族の義務 ― ノブレス・オブリージュ ― 。
彼女の背負った重荷が彼を打ちのめしていた。
自分に何ができる?
彼女の重荷を一緒に背負う?
できるわけがない。
そんな気概もない。
そんな覚悟もない。
ただの平民である自分には。
「リュウ・・・アタシはアンタを愛せる。アタシならアンタを満足させてやれる・・・・。なぁ、アンタに嘘を吐くような女を捨ててアタシとヤろうぜ?」
岬がリュウの手を握る。
じっとりと吸い付くような感触。それはまるで今朝の淫夢を思い出させた。
「・・・・・・!」
リュウはその手を払いのけた。
「僕は・・・僕はそれでもフッちゃんを信じてる!」
「そうかい・・・」
岬は胸元のポケットから一枚の紙きれを渡した。
「リストランテ・アーゲイト。今夜17時に会食。昨日の深見からは他の男の精は感じなかった。だが、あの辺りにはホテルも多い。今夜あたりはそこで・・・・」
「・・・・下衆が」
「酷いなぁ〜アタシも女だぜ?」
リュウは席を立った。
「セックスしたくなったらいつでもアタシを呼びなよ?腕によりをかけて搾り取ってやるからさ」
岬が舌なめずりする。
「・・・・・」
リュウは言葉を発することなくボックス席を出て行った。
岬はそんなリュウの態度を気にせず、胸元からスマートフォンを取り出すと画面を数度叩き耳に当てる。
通話相手はわからない。
だが、その砕けた口調からかなり親密な仲であることは伺えた。
「さてさて・・・リュウはどう動くかな?」
岬は通話を終えると、落とし穴を掘り終えた子供のように無邪気な笑みを浮かべた。
午後19時、「リストランテ・アーゲイト」
ここは「外地」産の食材をふんだんに使った本格フレンチが売りの店だ。
その向かいのカフェにリュウはいた。
悔しいが、岬の情報は正しかった。
アーゲイトのドアが開き、二人の男女が現れる。
ドレス姿の深見と彼女をエスコートする男性。
彼が件の「婚約者」なのだろう。
まるで背が低く、豪奢なドレスを身に纏った深見の姿はまるで童話から抜け出したお姫様のようにも見えた。
「王子様」と「お姫様」、傍から見ればお似合いのカップルだ。
男はハイヤーに深見を乗せるとその傍らに身を滑り込ませた。
「・・・・・あの車を追ってくれ」
二人がハイヤーに乗り込むのを確認するとこちらも待機させていたタクシーに乗り込む。
個人タクシーといえども、長時間の拘束に難色を示したが数枚の諭吉を握らせればニコニコ顔で受けてくれた。
「お客さん探偵かい?」
「そんなところさ・・・・」」
「お客さん厄介事はごめんですぜ?」
僕は静かに頷く。
運転手が小気味いい音を立てながらシフトを操作すると、タクシーは液化ガス車独特の音を響かせながら発進する。
滑らかに加速する車内でリュウは自分に問いかけていた。
自分は本当に彼女を愛しているのか、彼女の重荷を一緒に背負う覚悟があるのか、と。
「お客さん、着きましたよ」
見ると、二人を乗せたハイヤーが止まり、あの男と深見が道に足を下ろしていた。
彼らの目の前にはネオンサインの光るラブホテル街。
深見の肩を抱く男。
考えうる最悪の事態がリュウの目の前で繰り広げられていた。
「少し待っててくれ!!!」
急いでリュウがタクシーから飛び出す。
その際、腕に巻き付けていたビクトリノックスのアーミーウォッチを外して、すぐに取り出しやすい位置のポケットにそれを押し込む。
「深見!」
「リュウちゃん!どうしてココに?」
「そんなことはいい!帰るぞ!!」
リュウが深見の手を掴んだ時だ。
「君!離したまえ!!」
男が彼を掴む。
「僕は・・・・彼女の恋人だ!!!」
「は?君のような平民が?おこがましいにも程があるぞ!この塵芥めが!!!」
塵芥、人を人とも思わぬその物言いにリュウの何かが音を立てて引きちぎれる。
「ごちゃごちゃとうるせぇぇぇぇぇぇ!!!!」
リュウはポケットに右腕を突っ込むと素早く時計を指に通し、にやけた男の顔面を全力で殴りつけた。
ステンレス製の時計用のベルトは指に通して握りこむと簡単なナックルダスターとして使用することができる。
学生時代に習っていた日本拳法。
その特徴であるノーモーションの縦拳。
成人男性の全力の一撃が男の顔面に炸裂する。
そのあまりの衝撃で男は抵抗する間もなく壁際に吹き飛ばされそのまま地面に倒れ伏した。
「ちょっと!リュウちゃ・・・!」
リュウは深見を強く抱きしめると、彼女の唇に強引に自らの唇をあてがい舌を押し入れた。
舌と舌、粘液と粘膜が絡み合いそれがリュウを更に昂らせる。
深見は抵抗することなくその暴力的なキスを受け入れ身を任せていたが、急にその肢体から力が抜けその場に蹲た。
彼女の顔は紅潮し唇の端から唾液が滴り落ちる。
もう迷いなんて・・・ない。
「僕は君が好きだ!!君を愛してる!!!!」
そう叫び彼女ともう一度キスをすると深見の小柄な体を抱え上げ、リュウはタクシーに乗り込んだ。
「おいおいお客さん!!揉め事は困るよ!!」
文句を言う運転手にリュウは数枚の諭吉をさらに放り投げる。
「早く出してくれ!!全速力で!!金ならいくらでも払うから!!!」
「へっへい!!!」
リュウの迫力と金に負けた運転手はタクシーを急いで発進させた。
後には一人倒れ伏す「婚約者」。
リュウは気付かなかった。
その首元に男性用にしては異質なチョーカーが付けられていたことに・・・。
「うまくやんなよ?二人とも」
彼の呟きを聞くものは誰もいなかった。
バタン!ブロロォォォォ!
タクシーの運転手は俺たちをアパートの前に降ろすと、一目散に退散した。
今夜一晩分の稼ぎを払ったつもりだが、愛想の一つもなかった。
ま、当然だろう。
僕と深見が恋人同士であってもやったことは暴行に拉致だ。おまけに僕が腕時計のブレスで相手を殴りつけた現場を目撃している。
厄介事には関わらないに限る。あの歳まで個人タクシーの運転手をしているんだ。それなりに修羅場をくぐってきたに違いない。
「・・・・」
今、僕の腕の中に深見がいる。
呆けたような表情。荒く熱い吐息。
まるで、媚薬を盛られたかのようだ。
あの下衆が彼女にそれを盛ったかどうかは定かではないが、しかし彼女の潤んだ瞳は暗く澱んだ感情を浮かび上がらせる。
白く儚げな肢体。まるで砂糖菓子のようだ。
彼女の高貴なイノセンスを汚したい
自らのザーメンで彼女の全てを染め抜いてしまいたい
もう他の誰にも靡かないように孕ませ彼女の全てを独占したい
かつての彼ならばそんなことを思うことすらなかっただろう。
しかし、一度点いてしまった情念の焔は彼の理性を焼き尽くそうとしていた。
17/12/02 21:49更新 / 法螺男
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