死・生
「古の世界より新なる世界へ」
錫杖が鳴る。
重圧な空気を均すように、しゃん、と。
「輪廻の歯車を我が右手に」
古びた塔の地下深く。
そこには祭壇が中央にあるだけの、円形の部屋。
荒削りの石レンガの壁には、松明によって映された黒ずくめの人間達の影が躍る。
「死した魂を我が左手に」
祭壇の上には小柄な体格だったと推測される、人間一人分の骨。
祭壇の前には黒いマントを纏った若い男。目を閉じながら、延々と呪文を唱えている。
そして彼のまわりを取り囲むように、均等な間隔で黒ずくめの人々。片手に錫杖を持ち、若い男のとはまた違う呪文を囁くように唱えている。
「我が身の前に器。両の手には魂と力」
松明がゆらめく。
ゆらゆらと。
ゆらゆらと。
そして――
「還れ。かりそめの器へ」
松明は消えた。
同時に、黒ずくめは全員、倒れた。
立っていた姿勢のまま。
「今回もダメだったか」
男は手に持っていた本を閉じ、骸の前で手を合わせる。
「ごめんな……サフィー。また来る」
男は静かに階段を上る。
外に出て扉の鍵を掛けると、女性が一人、塔の前に立っていた。
表情は、曇っている。男と目を合わせては俯き、落ち着きが無い。
女は、男の幼なじみである。
「サフィーちゃんは……?」
男は首を横に振った。女は踵を返し、「帰ろう」と男に言う。
男は女の横に、並んで歩く。
「今日で何回目?」
「覚えてないな。十はやっているはず」
「ねぇ、もう……」
「やるしかないんだよ」
男は語勢を強める。
「妹を生き返らせるんだ。不慮の事故で死ぬなんて、可哀想だろ。あいつには……サフィーには、無限の未来と可能性があったんだ」
「でも……」
「お前が言いたい事は分かるよ。もう何十人も生贄にして、しかも失敗によって殺した。だけどもう戻れない――やるしかない」
「ご、ごめんね。士気下がるようなこと言って」
女の声が震えていることに気付き、男は「いや、俺も悪かった」と言う。
5年以上も前。
「お兄ちゃん。買い物に行くけど、何かいるものはある?」
12歳のサフィーは、兄が好きな、献身的で、ごく普通の女の子だった。
笑顔が可愛くて、誰とも仲良くできて、礼儀正しく折り目正しい女の子。
「僕は特に要らないよ。行ってらっしゃい」
「はい、行ってきます!」
「……あ!サフィー!」
男はサフィーを止め、サフィーの右手に少しばかりのお金を握らせる。
「買ってきて欲しいモノがあったんだ」
「なに?」
「薔薇の花を一輪、あったらでいい、買ってきて欲しい」
「おうちに飾るの?」
「プレゼントさ」
サフィーは少しだけ考えて、はっ、と気付く。
「お兄ちゃん、そういうところキザっぽいよねー」
「は?」
「どうせ、サーラさんにあげるんでしょ」
バレたか、と男は苦笑う。
「それじゃ、行ってらっしゃい」
「はーい」
バスケットを持って、市場へと向かうサフィーの背中を見届けていると。
「相思相愛みたいね、ふふ」
「笑うなよサーラ」
幼なじみの女、サーラが歩いてくる。
「アルクとサフィーちゃんはすごいよ。両親を幼い頃に亡くしても、誰にも頼らずに頑張って、立派な人間になった」
「よせよ」
「もっとすごいのはアルクだよ。サフィーちゃんがあんなに偉いのは、アルクの面倒見がよかったからだもんね」
サフィーが生まれて、ちょうど乳離れした時に、男――アルクの両親は死んだ。死因は当時蔓延していた伝染病だった。
当時5歳だったアルクは両親の遺体を埋めず、そのまま自宅だった家を捨て、まだ歩けぬサフィーを抱いて歩いた。目的地は、サーラの家。
サーラの両親は健在だった。
アルクはサフィーを、睡眠と食事の時だけサーラの両親に預けた。アルクは街をフラフラと歩いて、決して市場の店から品を盗もうとせずレストランから残飯を貰って食いつないだ。寝るところは広場のベンチ、雨の日はどこか濡れないところを探した。
それを、アルクが15まで続けた。働き始め、借家に住み始めるまで。
勉強の方はサーラがサフィーに教え、それをサフィーはアルクに教えた。足りないところは図書館で補い、こうして2人は立派に育ったのである。
「実際、俺はサーラに頼りきってたけどな。サフィーには、極力、苦労はさせたくなかったから」
「それでいいんだよ」
サーラは微笑む。
「判断は怖いくらい冷静だけど、それが一番正解だと思う。普通だったら、誰にも頼れないもの。でもアルクは頼れた。あの状況でも、サフィーちゃんを第一に考えられた」
「………………」
「あーあ、嫉妬しちゃうなぁ。私も、サフィーちゃんくらい大切にされたかったよ」
「お前だって、両親に大切に育てられたから、そういう風に綺麗になって……」
言葉の途中で、アルクは頬を赤くして口ごもる。
「綺麗になって、なに?」
「な、なんでもないよ」
「教えてよー」
「なんでもないって」
その時、街を歩いていた人間の動き方が乱れ始める。
不穏。
街の警務を行っている兵士の男たち3人が焦燥の顔で市場へと急いで走っていく。
「何があったんだ……?」
「事件……なのかも」
アルクの耳に、後ろでひそひそと話す中年の男2人の会話が聞こえた。
「市場で事故だってよ」
「なんだと?」
「どうやら馬車の馬が暴走して、人を轢いちまったみたいだ」
「で、その被害者は大丈夫なのか?」
「さあ、どうだか……」
アルクは何も言わずに走り出した。
胸騒ぎ。
感じたことのない、ざわつき。
市場に着くと、兵たちに追い出されたのだろう、市場の客や商人たちが入口で野次馬のようになっていた。
その中に、サフィーの姿はない。
「どいて!どいてください!」
一心不乱に人をかき分け、事故現場へと向かう。
途中、アルクは兵の男と対峙した。
「君、ここから先は立ち入り禁止だ。事故現場だから――」
なんとか無理やりでも進もうとするが、さすがに鍛えている大きい体の兵、押し退けることが難しい。
足払いによって兵のバランスを崩し現場を覗くことに成功したアルクは、完全に言葉を失った。
「――――……………」
現場には馬が一頭と無人の馬車。
調査中の兵たちが数人。
そして、妹。
「う、そ…………」
追い付いたサーラは、口に手を当てて、目を見開いた。
2人の目線の先には、生きていた妹があった。
馬車の車輪の隙間から、サフィーが着ていた服の袖と、一輪の綺麗な薔薇を掴んだままの右手首。
「サフィー……?」
返事はない。
ただの肉塊になった妹からは。
葬式の日、アルクは泣かなかった。
サーラは泣いた。
サーラの両親は娘以上に、泣いた。
――泣けなかった。
アルクは幼少の頃から『死』と飽きるほど関わってきた。
『人間はどうしようもなく死ぬんだ』
そう学んだ。
――可哀想だ。
どうしようもないと知ってるからこそ、アルクは思った。
生き返らせられないものか。
そう思った。
――運命は残酷だ。
だからアルクは――思い立った。
魔物という存在がある以上、よみがえれないハズが無い。
アルクは泣こうとしなかった。
アルク達が立ち去った塔は朝日に照らされて、ポツリと立っていた。
この石レンガで造られた塔は、元々は灯台だったが、老朽化により使われなくなったものである。
その入口である扉が、空いている。
アルクが掛けた鍵は開けられていた。
地下へと続く埃だらけの階段は、アルクのとは違う、細くてやや小さな裸足の跡があった。
「ネクロの痕跡がある」
祭壇の前には黒いマントを着た病弱そうな白肌の少女が立っていた。
「倒れている人間の数、錫杖、放置された魔導書……どれを取っても完璧な準備だ。有望な死魂術師になる」
彼女はリッチである。
魔導書をパラパラとめくりながら、しばらく部屋をぐるぐると歩き回る。
「しかしこの術師はただの人間だな。肝心な器や供物があるのに、魂をまるで定着できていない。ただの平々凡々な人間が魂を扱えるものか。私のように魔力を持たねば不可能だというのに」
リッチは倒れている男の屍体の頭を蹴る。
そしてサフィーの骨に向かって、にぃと笑う。
「ほんの親切心と興味だ、お前を生き返らせてやる」
『ほ、本当ですか……?』
「任せておけ……って、骸骨喋ったぁぁぁあ!!?」
飛び上がって驚くリッチ。
しかし注視してみるが、骸骨が喋った痕跡はない。
「幻聴……?」
『げ、幻聴じゃありません!私は……その、骨の持ち主ですっ!』
見ると火の玉のようなモノが部屋をふよふよと漂っていた。
それを確認してリッチは胸を撫で下ろす。
「なんだ魂か……驚かせないでくれ。私は少しビビりなんだ」
『あの、本当に生き返らせてくれるんですか?』
「私はビビりだが魂の扱いは心得ている」
リッチは魂に向かって続ける。
「お前を生き返らせてやる。お前を生き返らせようとしたヤツが誰であろうと、お前は少なからず復活を望まれている。ならば、ここに生き返らせる技術を持った私がここにいるんだ、ついで感覚で生き返らせてやる」
サフィーは黙る。
躊躇ったような沈黙の後、言った。
『嫌です。生き返りたくありません』
「ほぉ?」
にやけるリッチ。
「冷静なのか馬鹿なのか……どうせ、お前は怖がってるんだろう。恐怖だ。生き返って、果たして親しい者と今までの関係を、今までの日常を、続けられるかが不安なのさ」
『そ、それは――』
「違う、じゃない。そうなんだよ。生き返った時の自分の姿が分からないから恐怖する。でも君は馬鹿だ。生き返る可能性を持たないはずの人間を、私が人間として蘇らせると思うか?」
彼女の頭蓋骨を鷲掴みにして魂に突きつける。
「お前は今から『生き返る』という体で、転生する。今までの常識を諦めろ、今までの思想は取っ払え。おめでとう、お前は今宵から魔物となるんだ。アンデッドだぞ、不死身の世界さ」
『い、や……嫌……やめて……!』
「嫌だね!私は好奇心に灯った火を消されるのが大嫌いなんだ!楽しみだろう、ワクワクするだろう!?こんなにも祝えることがあるか!ははははは、はははははははは!」
おめでとう
君は今日から…………
夜。
今日は普段よりも、静かだった。
「お集まりいただき、ありがとうございます」
黒いマントを纏いフードを深く被ったアルクは、広場に集まった同様の人間たち8人に深々と頭を下げた。
老若男女、様々な年齢層の人間。
彼らは自殺志願者たちである。
「後悔はありませんか?」
「いいや」
「もとより、無いわ」
「……ならば、結構」
一向は、満月の見下ろす静かな世界を歩く。
目指す場所は、いつもの古塔。
到着して、アルクは違和感を覚えた。
「開いている」
閉めたはずの、塔の扉。
鍵は壊された様子もなく、綺麗に、それこそ正攻法で開けられている。
「残念ながら、今日は皆様お帰りください。何者かが儀式の部屋に入ったようです」
「お、おい……」
「ここまで来てそんな……!」
「皆様の気持ちは重々、分かっているつもりです。しかし、儀式の最中に万が一、邪魔が現れたりしたらどうします?兵達に突き出されてしまえば、皆様の生活は、今まで以上に窮屈になる」
アルクの言葉に納得した人々は、全員街へと帰った。
「問題は……」
風が吹く。
強い風。
草原の草が波のように揺れる。
「そうか、君か」
いつの間にか、塔に寄り掛かってる人影がいた。
裸の上にボロボロのマントを羽織った、年は12くらいの、少女。
少女は睨むようにこちらを見ていた。
死んでいるような目。
神を蔑ろにしたような、眼。
「はじめまして。私は魔物さ」
「そんなの、見れば分かるよ」
「連れないね。人間というのはホントに分からん」
「悪かったな。付き合い悪い人間で」
アルクは肩を竦める。
「塔にいたのか?」
「そう、私は地下にいた」
「……………」
「おっと、そんな怖い眼をしないでほしいな。大丈夫大丈夫、君の害になるようなマネはしていないよ。むしろ、お手伝いした、といった方が正しい」
親指で塔の扉を指すリッチ。
「君の大切な人間なんだろう?見に行ってくるがいいさ。私の口からは何も言わないことにする。お楽しみは最後まで、シークレットにしなくちゃ」
「随分と勝手に喋るんだな、魔物ってのは」
「勘弁してよ。学者ってのは、大体こんなもんだよ。セオリー」
似合わない笑みを浮かべるリッチ。
アルクは彼女の横を通りすぎ、塔の中に一歩入る。
「もし何か害になることがあったら、その時は殺す」
「別にいいよ。アフターサービスは受け付けるから」
「……1つ聞いてもいいか?」
「答えられる範囲で」
「お前、道徳と感情、優先するならどっちだ?」
リッチは少し考えて、
「自己理念だよ」
とだけ答えた。
会話はこれで終わる。
階段を下りていく。
埃だらけの、ただの螺旋状の階段。
階段の奥から、鼻歌が聞こえた。
「子守唄…………」
その曲目は、アルクが幼いサフィーに歌ってあげていた、オリジナルの子守唄。
誰も知るはずがない、兄妹だけの情報。
アルクは足を止めて、聴いた。
「……違う」
メロディーが違うのではない。
「アイツはまだ……サフィーはまだ……!」
止めていた足を、再び進める。
走る。
急いで、確認しなければならない!
「サフィー!?」
祭壇の上には少女がいた。
骸骨はどこにもない。
あるのは長い空色の髪を長く伸ばした少女。
「お……に…………?」
アルクの体は硬直した。
思考すら、固まっている。
「い、ちゃん……?」
少女は涙を流していた。
半分が骨の、顔がこちらを向いた。
「なんで…………」
叫。
自分の持っている最大音量で、目の前の妹らしき存在を否定した。
「なんでそんな風に生き返ってんだよ!」
「ごめん……なさい……」
「なんでだ……なんでなんだ!俺は、お前を人間として生き返してやりたかったんだ!その姿はなんだよ!あ!?おい魔物!俺の知ってるサフィーはどこだ!俺の、知ってる、本当の、サフィーは!?聞こえてんのかよォ!!」
頭を抱え、膝から崩れるアルク。
「……魔物さん、言ってたよ。私はどうやったって、人間として生き返れないって。強制的だったけど、私は魔物になった。だから生き返れた。形は違うけど、お兄ちゃんの願いは叶ったんだよ?」
「お前はいいのかよ?サフィー。お前は、人間じゃなくなった。魔物として、生きていけるのか?」
「なるしかないんだよ」
サフィーは歩く。
カチャリカチャリと、異形の足音でこちらに来る。
「私は嫌だった。魔物になってまで、お兄ちゃんとの再会をしたくはなかった。でもいざなってみれば、再会できることには変わらないんだって気がついた。私はこの体になっても、お兄ちゃんに会えただけで嬉しいよ」
「俺は嫌だよ。俺が認めても、絶対に世間はお前を否定する。恥ずかしい話だが、俺は、お前を守り切れない。護り切ることなんて、多分できない」
「それでもいいよ。ううん、それでいいの」
サフィーは骨の両腕で、うずくまるアルクを包むようにした。
「お兄ちゃん今まで頑張ってくれたもん。私が小さい頃だって、私に苦労させないようにしてくれた。今日まで、私を生き返らせるための努力をしてくれた」
「……………………」
「もう頑張らなくたっていい。否定なんて、どんと来いだよ。私はね、お兄ちゃんといられさえすれば、それでいいんだから」
サフィーはアルクの頬に唇を触れさせる。
「ありがとう……お兄ちゃん」
「…………そっか」
次の日。
アルクの家を訪れたサーラは、テーブルの上に置かれた置き手紙を読んで、事を理解した。
「良かったね……アルク」
トントンとノックされる扉。
サーラが開けると、中年で小太りの男が立っていた。
この男はアルクの家の大家である。
「おやおや、サーラさんじゃないか。アルクはいるかね?」
「昨日ここを去ったみたいですよ?」
「そんな、ちょうど今日は家賃を払う日なのに…………」
サーラは布の巾着袋を大家に差し出す。
「アルク、ちゃんとテーブルに置いていったらしいわよ」
「相変わらず、マジメなヤツだ。はっはっは」
「ええ、本当、マジメな人」
二人の行方は、誰も知らない。
14/11/05 20:27更新 / 祝詞