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 目が覚めた、ような感覚を覚える。頭がまだぐにゃぐにゃとした感じだ。5分ぐらい夢の中なのか起きているのかよくわからない感覚を味わった後、微妙に痛む寝起きの目を掻きながら辺りを見渡す、どうやら懐かしい過去を夢に見てしまったらしい。知らない天井に知らない壁というお決まりのパターンか。だが窓は見当たらないような気がするのだが。そういえばキャスはどこへ行ったのだろうか。彼女がここへ運んでくれたのか?
「目が覚めたようね」
 既に聴き慣れた声である事は間違いないが、しかしながらさっきまでの調子と違っている気がしてならなかった。暖かさをどこかに置き忘れて来たかのような、雨の日の冷たさが声に混じっている気がした。声がした方に目を向けるとキャスがいた。ただ彼女は立っているだけなのだが、私を明確に見下ろしているのがわかった。互いの位置の問題ではなく、彼女は何らかの意図で私を見下ろしている。え、何これは…(ドン引き)
 そこから私を待ち受けていたのは、これまでの常識を尽く破壊する凄まじいものであった。

 簡単に言えばこうだ。キャスは私を「所有」するおつもりらしい。さっきは何か特殊な装置か術を使って私を気絶させたのだろう。視界が途絶える瞬間に黒っぽいセダンを目にした気がする。アメリカ人としてこんな境遇は冗談じゃないと抗議をした。部屋を見渡すと電話があったので勝手に使わせてもらう事にした。スコットランドヤードのお友達に電話をかけて、この件へ手を貸してくれないかと頼んだ。しかし上から何らかの指示が出ているようで無理だと告げられた。そんな馬鹿なと今度はテムズハウスのお友達にも電話をかけたがこれも空振りに終わってしまった。これで2ストライク、彼女はこれも計算ずくのようだしもう降参した方がよさそうな気がする。
 一体君は何者なんだと尋ねると、彼女は手早く服を翻したように見えた。実際に何をやったのかはわからないが、彼女の背中からマントのような大きな翼が姿を現し、その目は赤く染まり、喋る際に牙が見えるようになった。なるほど今の彼女の姿には見下ろすのに最適なキツい目つきはとてもよく似合っていた。服装は装飾過多というか、赤基調の仰々しいものだが全く違和感は覚えず、先程まで着ていた普通の服装よりも似合っている風な印象を受けた。スカートの丈は短めの部類だったため、失礼に当たると思いあまり脚を見ないよう努めた。だが知りたいのはそういう事ではなかったため、再び尋ねると彼女は自分の話を始めた。
 それによると彼女は戦中、オーストラリアの奪還―イギリスからすればちょうど大義はあろうが―において多大な戦果を挙げた事で称えられたという。彼女はその「ささやかな」報酬として、この私を求めた。何故私なのか。聞いてみると、彼女は既に私と会った事があるという。そんな記憶はなかったが…いや、思い返してみれば、同じキャンプに一週間程度ヴァンパイアが滞在していたな…あの時彼女はテントの中でも防塵用の装備で顔を含め全身を覆っていたのでその声もくぐもり、その彼女とイギリスの田舎でこうして再会しても全く気付かなかった。本名を名乗りもせず、ストーカー・ケベックという彼女自身とはまるで関係なさそうなセンスのコードネームしか知らなかった。という事は今日の昼間、私の名を聞いて上機嫌になっていたのも演技だったのか。それだけじゃない、昼間の明るく素直そうな性格さえも、彼女がヴァンパイアであればあり得ない。全て演技か。
 今思えば謎のヘレフォード押しをしてきたあの将官はグルだったのだろう。旅行中、私がヘレフォードに向かわなければもっと「丁重な」歓迎を受けていた事だろうな。見張られていた気がしていたが、まさか本当だったとは。私は両国の微笑ましい共同作業の犠牲となったのだ。そして私は、私を「気に入った」―ハッ!―と仰るお嬢様の元で拘禁されるわけだ。リバティ島に乾杯。
―我が国への素晴らしい忠誠心と貢献を示したな。できる範囲で君の働きに報いようと思っている。
―ではこの男を、私に。
―マイケル・ルイス・ジェンキンス少尉か。ちょっとした有名人だな
―もう退役するそうだが。
―アメリカ人か…少し面倒になるぞ。
―だがアメリカだけではオーストラリアを取り戻せなかっただろう?
―向こうは我々に借りがあると?
―それを返せる機会だ、喜んで差し出すと思うがね。
―諸君、賛成でよろしいかな?
―異議なし。
―まあ構わん。
―同じく。
―皆賛成のようだ、交渉してみるとしよう。
―ありがとうございました、楽しみにしております。

 楽しい楽しい共同生活は想像していた以上に楽しかった。普通の服を着て翼をしまっているキャスは人間に見えない事もなかった。尖った耳と時折見える牙も、慣れてくると妙な親しみを覚えた。私には外出する自由が与えられたが、彼女のベントレーを借りて買い物に行くと行く先々には監視員―まだそれぐらいは判別できる―がいた。車での追跡がほとんどないのは妙だなと思い、ある日車庫に向かいベントレーを調べてみると車体の下部に発信機が取り付けられているのを見つけ、見なかった事にした。もっと他にやるべき業務があるだろうと心の中で悪態をついたものの、今現在世界的な平和状態にあるため存外連中も暇なのかも知れない。というわけで私は縄で縛られているわけでも鎖で繋がれているわけでもないが、数時間に及ぶドライブに出かけようと、必ずその日のうちに屋敷へ帰って来た。日帰りではなく泊まりの場合は必ず彼女と一緒だったし、彼女に内緒で外泊する気にはなれなかった。徐々に堕ちていくのを感じていたが、どうでもよかった。
 屋敷と述べたものの、彼女の棲家はとても「趣味がよく」、地上には車庫と15ヤード四方程度の黒々とした石造りの、小さいが重厚な玄関施設―キャスが言うにはノルマン様式らしい―があるぐらいで、広い敷地は専ら傾らかな丘や木の点在するいかにもイギリスらしい田園風景と美しい花の植えられた庭園で占められていた。実際の生活空間は確かに広いのだが、地下に作られているので窓から夜景を見る事もできず、時々星を見たくて上まで登る事がある。建築に関しては全く素人の私だが、換気設備が上手く作られていて、玄関施設の外側には室外機が目立たないように石造りの大きめの犬小屋らしきものに覆われて設置されていた。犬小屋らしきものの開口部は取り外し式の金網のようなものが付いていて、室外機のメンテナンスの際にはこれを取り外した。玄関施設には階段だけでなく搬入用のエレベーターも付いていて、度々これには助けられた。
 屋敷には我々しかいない―好き好んで地下に住む使用人もいないだろうが―ので、食事はキャスが作ってくれる。料理の腕はかなりのもので、いつも美味いものが食べられて、私はしっかり胃袋を掴まれているという不思議な感慨を抱いている。しかしながら任せっぱなしも性に合わず、手伝ったり教えてもらったりして時間を潰した。彼女は国から功績に見合った手当をもらっていて、私も彼女程ではないがアメリカから送金されていたし、我々はさして金を使う方でもなかったため、仕事と言えばたまに請け負う添削業務ぐらいだった。これも自宅―と呼ばざるを得ないが―で行えるので空いた時間は掃除片付け、それでもする事がなければ菜園の本を片手に庭いじりか、軍に在籍中からちょくちょくやっていた大工の真似事をした。敷地内に木で作ったテーブルや椅子や長椅子を置き屋根で覆った。玄関施設からも近く、昼食や昼寝もしくは読書にも使える。最初キャスは私が何をやっているのかと玄関から睨んでいたが、全景ができてくると感嘆の表情を見せるようになった。
 実際、共同生活が始まって以来彼女が笑うところを見た事はないが、だからと言って不満があるわけではない。事実上の軟禁下に置かれているというのに、私の中で彼女の存在が徐々に大きくなってゆくのを意識せぬわけにはいかなかったのである。
 最初の一週間、我々は別々の部屋で眠ったが、最初の一週間が終わると続く4日程は彼女が眠るまで側にいろとご命令を賜った。合計12日目の夜、彼女の就寝を見届けた私が自室へ引き上げようとすると、呼び止められた。何かやらかしただろうかと嫌な緊張に身悶えしながら耐えていると、キャスは隣で寝て欲しいと告げた。私としてはこれは非常に難しいところだった。もちろん嬉しくないはずがないが、彼女は名目上私の主人(?)に当たるのだし、その彼女は紛れもなく絶世の美少女なのだから隣で眠る私と理性の戦いは、長く厳しい戦いになるだろう。歴史的に見て、反戦ムードだった我が国もいざ第二次大戦が始まると多くの若者が、地獄を予期してなお軍へ志願した。そしてようやく終わったあの悍ましい化け物どもを相手にした悪夢の戦争も、ベトナム戦争を経験し大きな転機を迎えた我が国に再び闘志を与えた。では今はどうか。私はこの、一体いつまで続くかわからぬ長期戦へ志願すべきなのだろうか。するしかないとは思うが。

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史実とはかなり歴史が違いますが、あまり細かくは考えていません。
3話で何となく「化け物ども」の正体がわかります。

14/12/25 22:01 しすてむずあらいあんす

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