報告書「ベルゼブブ」(1)
暗く、湿った空気が漂う地下室。
そこには魔物を拷問する者がいるという。
彼に掛かれば、どんな魔物の心も折る事が出来ると言う。
それを利用するものは多い、教会を始め、貴族、魔物に虐げられた村、そして個人ですら依頼する者がいるという。
「……だからって、俺が捕獲までやらなければならない?」
全体的に暗い印象を持つ男は、草木をかき分けながら前に進む。彼の名はアッシュ・ランバード。調教、拷問、尋問を専門としている者だ。
彼に依頼したのはある貴族だった。依頼内容はとても長く、回りくどかった。貴族特有の見下げた態度がする手紙だった。
手紙の内容を簡単に要約すれば、『ベルゼブブの能力でここまで這いあがる事が出来た。これ以上は魔物はいらない。連れて帰って処刑せよ』とのことらしい。
たったこれだけを伝えるために、高級紙を10枚も使う。アッシュには信じられないことだった。用件だけを伝えればいいのに、不効率極まりない。
今回は捕獲、輸送、調教、処刑といつもよりやることが多い。
しかも、捕獲する魔物があのベルゼブブだという。高速で動き、非常に強い力を持った魔物だ。下手なものを同伴させれば被害が出ると踏んで1人で来た。
それに伴い、ベルゼブブを引き寄せるために風呂に入っていない。水浴びすらしていない。1週間ほどで自分の臭いで気分が悪くなり、3週間を超えたところで鼻が麻痺した様だった。
こうしてベルゼブブが出るといわれた森を彷徨って1カ月を超えた。きっと城に残っていた魔物たちは残らず処刑されてしまっただろう。
「なんで俺がこんなことを…」
予定よりも大幅に時間をとられたことに苛立ちを抑えられなかった。八つ当たるように草木をかき分けて進む。そして同じ場所に出る。
迷ったふりをするのも楽ではない。わかっているとはいえ、同じ場所をグルグルと回るのは心理的に来るものがあった。
「これは拷問の一種だな」
ベルゼブブを捕まえたら同じ苦痛を味あわせてやると心に決めてさらに迷ったふりをする。
「……ん?」
葉っぱを動物のように食べていると、小さい音が聞こえた。
ブーン
確かに聞こえる。
「やっと来たか・・・」
そう思った瞬間には、手に持っていた食事(葉っぱ)をとられていた。もちろん、反応できなかったのではなく、反応しなかっただけだ。
「へっへーん! のろまー!」
得意げに奪ったばかりの葉を見せびらかすベルゼブブ。子供っぽく、言葉使いから精神的な年齢が低いことを察する。
「はぁ」
「ム! なんだよ、盛大なため息なんてついてさぁ!」
「おい、これ」
さっきすれ違った瞬間に、ベルゼブブから奪い取った髑髏の髪飾りを見せつける。ベルゼブブは慌てて自分の頭を確認し、アッシュが持っているものが自分のものだと分かった瞬間に顔を真っ赤にした。
「わ、わざとに決まってんだろー! 人間のくせに!」
「じゃあいらんのか?」
「返せ!」
「なら取り返してみろ」
「……いったな?」
急激に体温が下がったように感じた。ベルゼブブの体からは魔力が溢れ、紫色のオーラのようなものが出ている。
「来いよ」
「ボクは蝿の王ベルゼブブ、ヴィベル・ガナス。お前も名乗りなよ」
「お前が勝ってから聞くんだ……な?」
言い終える前に持前の高速移動でヴィベルが突っ込んできた。
直撃すれば死、避けても羽の衝撃波で怪我は避けられない。斬りかかろうにも甲殻がある腕でガードして効かない。単純かつ必勝の攻撃方法だ。
「死ねぇーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
「青いな…」
アッシュの取った行動は単純だった。姿勢を低くして攻撃をやり過ごし、すれ違う瞬間に無防備な腹をけり飛ばす。それだけだ。
「ぎゃぷぅ」
ベルゼブブの必勝法の体当たりには致命的な弱点がある。羽がない場所には衝撃波が来ない。だからしゃがむだけ。
単純だが難しい方法だ。当たる直前まで姿勢を高くしなければ、自分がしゃがむスペースは作れない。だからと言って直撃すれば死んでしまう攻撃に対して、姿勢を伸ばすことができるだろうか。
最初から度胸も実力もアッシュが上回っていただけの話だった。
「捜索時間がかかりすぎだ……クソ」
魔法で強化した縄を使い、抜け出る事が出来ない様にしてから運び始める。思ったとおりヴィベルの体は軽く、背負って歩くのにそれほど疲れなかった。
アッシュは表面上はいつも通り暗い顔をしているが、内面では怒り狂っていた。
城に帰るまでアッシュはヴィベルに見向きもせずに帰路を急いだ。ヴィベルと話せば、その場で殺してしまう自信があったからだ。
しばらく外出していた城は懐かしさを覚えるほどだった。大声でミリアを呼びつけ、牢屋に放り込んでおけと命令する。
アッシュは自分の部屋に戻り、安物のウィスキーを飲み始めた。
「あ、あうあああ?」
仕事を終了させ、それを伝えに来たのはミリア。彼女はスケルトンだ。この城の近くの墓場でうろついていた。そこで彼に捕まえられてから、ここで働いている。
アッシュはミリアを傍に呼び、愚痴を聞かせ始める。
「どうして引っ叩くだけで屈伏するような魔物のためにこうして足を運ばなければならないんだ? あんな小物よりいい魔物が牢屋にいた。そいつらに調教もできずに処刑、その時間を使って捕まえたのはこんなどうしようもなく弱い魔物。だいたいあの貴族が―――――――………・・・・」
「あああう!」
「…ん? まだ言い足りないが、時間か…」
調教などはする気がない。ただ無残に殺す。それだけを考えて牢屋に向かう。
アッシュから放たれる殺気に脅えているのか、ミリアはいつもより距離を置いてついてくる。
調教の道具すら持っていない。
一番奥の牢屋。ここがヴィベルが閉じ込められている場所だ。中から金属がこすれる音が聞こえてくる。
「……滑稽だな」
魔物を封じるための拘束具は彼女から力を奪う。それが手首足首に繋がっている。必要以上の拘束はしていない。
ただ力を封じて、牢屋に放り込んでおいただけだ。
どうやら力を封じる鉄のリング同士を擦り合わせて壊そうとする魂胆だったらしい。
「!? な、なんだよ! ここから出せぇ!」
一々うるさい奴だ、と呟いてアッシュは牢屋の扉を開ける。そこにすかさず出ようとしたヴィベルが突進してきた。
「邪魔だ」
力を封じられてはただの子供と変わりがない。
タイミングを合わせて腹を蹴り飛ばした。
「……! ………!? ぁ」
つま先を立てて鳩尾に打ったのだ。肺の中の空気は出しつくし、痛みが走っているのだろう。
「この程度で弱音は吐くなよ?」
髪の毛を掴んで顔を上げさせる。何をされたか理解する前に拳を叩き込む。
「うぇ……」
胃液をまき散らしながら転がる。
「今日はあいさつ代わりだからな……軽くしてやる」
また蹴り上げる。腕の隙間を狙うように、執拗にただの暴力を繰り返す。
「やめろよ! やめ…… きゃあ! いやあああ!」
アッシュが見立てたとおり、この子は精神的に未熟ですでに心が折られそうになっていた。そこを見計らって休憩を入れる。
意識が回復してきたところで、また暴力が始まる。
「やめ…て くだ……さ…い……」
「……腕を出せ」
一瞬、彼女は何を言われたか理解できなかった。
腫れたまぶたから見えるのは、なぜか微笑んでいるアッシュがいる。
「……?」
いつまでも手を出さないせいか、ゆっくりと拳を振り上げる。
「ッヒ!」
殴られ続けたせいで、腕を上げるだけでも時間がかかった。
アッシュは差し出された手をやさしく広げ、親指をつまんだ。
そして
折った。
「ぎゃあああああああああああああぁ!」
どこにそんな力が残っていたのか、あまりの痛みに腕を引こうと暴れた。だが、その抵抗をあざ笑うかのように、次々と指を折っていく。
2本目。
「ひぃ、ひぃいいやああ……ああああああああああああああああ!」
3本目。
「あああやあああ! いやぁ! いやあああああああああ!」
呼吸が浅くなる。体が痙攣する。
だが、それすら越えることがある。
折れた3本の指をまとめて掴み、少しずつ力を入れて引っ張っていく。
「なに もうやめて…痛いのはいやあああああああああああああああ!」
「あぁああうう」
指が千切れそうになった時に、ミリアが止めに入った。服の裾をつまむ、という実に弱々しい自己主張だったが、アッシュは我に返った。
「ッチ」
ヴィベルを蹴り飛ばし、今日の拷問は終わりを告げた。
「ヒック……グス…」
痛みと恐怖によって丸くなっているヴィベル。その姿を見て、本当に自分がやったのかと疑問に思った。
酷い事をしたなどと反省しているわけではない。もし本気でやっているなら、今頃彼女は物言わぬ肉塊になっているはずである。つまりそれだけ温いことしかやっていない。
自分の行動にいら立ちを覚え、牢屋から足早に出て行った。
自分の部屋に戻ってから、また安物の酒を開ける。酒の味など分からない。ただ酔って現実を忘れたいだけだ。
不味そうに酒を飲み続けていると、ミリアが入ってきた。
「うおあ?」
「うるさい」
「あう?」
いつもの意思の無い状態ではない。ミリアはハッキリとアッシュのことを見ていた。そこで、今日が満月なのを思い出した。
「忘れてたよ、ミリア姉さん」
「まだこんなことしているのね…」
そこにいるミリアは今意識を持っている。生前の記憶だった。
「教えたのはミリア姉さんだよ?」
満月の夜はミリアが生前の記憶を取り戻す日。だが、必ずしも満月の夜に記憶を取り戻すわけではない。満月の夜でも記憶が戻らないときのほうが多い。
実際、彼女が起きたのは半年ぶりだった。そしてすぐに元に戻るのだ。
「まだ諦めてないのね」
「まだ諦められないよ」
ミリアはそっとアッシュの頬に手をあてた。
「早く地獄に来てね? 1人じゃ寂しいから・・・」
「わかったよ」
「ああう?」
たった30秒。
それだけでアッシュには十分だった。
「飲むか?」
酒を勧める。
今日の酒が少しだけ美味くなった。
「さて、始めようか」
「やだ……痛いのはいや………」
すでに半分壊れかかっていた。予想以上に脆い精神だったらしい。
首根っこをつかんで拷問室へ運ぶ。
「痛いのが嫌か……なら今日は痛いことはしないでおこう」
アッシュの口元がにやけていた。こんな笑みを発するとき、ロクな事をしないとヴィベルは昨日で分かっていた。
「やだ……やあああ」
連れて行かれたのは、地下牢よりさらに地下深く。
そこからは水の流れる音がした。壁や天井、床まで苔でびっしりと覆われていた。
「ここを使うのも久しぶりだな」
水路だ。ただの水路。だが、置いてある様々な器具がただの水路じゃないことを物語っていた。
大きな水車。ひたすら回っている。それをアッシュは顎をなでながら、使えるかどうか確認しているようだった。
「多少ガタが来てるがまあ、使えるか…」
足が震える。逃げようとしても足が言うことをきかなかった。
レバーを引くと、水車は持ち上がって一時的に動きを止める。そこにヴィベルを固定した。
「なにするの? やめてよ…やめて…」
「死にたいなら呼吸しなければいい。すぐに死ねる」
そして、レバーを元に戻す。
ギギギギ
水車は元の位置にもどり、ゆっくりと回転していく。
足下から水に入って行き沈んでいく。 水は異常に冷たく、氷が入っているようだった。
息を止めるが、鼻から水が浸入していく。
「ゲホ……うぇ……」
「それじゃあ、死にたくなったら言え。殺してやる」
1周するのに約8秒。半分が水につかっているので、4秒ごとに水に沈む。それが永延と続く。呼吸が続かなくなって死ぬか、命乞いをするか。
アッシュはランプの明かりを頼りに、本を読み始めた。こんなことをしていながら、彼女自身に興味がないように見える。
「無視するなぁ! 放せ! …・…………………ゴホ… ここから出せ!」
何を言われても無視する。
その内、呼吸することに精一杯なのか、なにも言ってこなくなった。
「ぜえ、ぜえ、ぜえ、ぜえ、……・…………・・…………はあ、はぁ ぉえ」
何度も水を飲み、何度も水を吐く。吐瀉物は水だけだ。中に血が混ざるようになっても何の反応もしない。
丸一日続け、何冊目かの本を読み終わり、アッシュは立ちあがった。
「腹が減ったら水を飲むといい」
そんな適当なことを言って水路から出て行ってしまった。
「…どこに…いく……・……」
冷え切った水に何度も入れられ、呼吸は満足にできない。体の感覚はすでにない。
「このま…ま死ぬ……の?」
流した涙も流れていく。
ヴィベルは死を覚悟した。
だが彼女は生きていた。
ただ死にたくない。その思いだけで1晩を乗り切った。
目の前はぼやけ、呼吸などしているのかしていないのか自分では確認できない。それほど衰弱しても、まだ生きていた。
「…ほぅ」
これも強靭な生命力をもつ、ベルゼブブの体のおかげだろう。並みの魔物ではすでに死んでしまっているはずだった。
水車が上がり、縄が解かれる。
「ぉぇ………」
力なく、腹にたまった水を吐くヴィベル。水を吐いているはずなのに、真っ赤に染まっていた。
「凍傷にもなっていない、さすがはベルゼブブと言ったところか…」
引きずるように元の牢屋に運んだ。
ミリアに治療をするように伝える。
アッシュはヴィベルに衰弱死などという簡単な死に方をさせるつもりはなかった。
調教中の死亡か、ショック死以外をさせるつもりはない。せめて新しい魔物がここに来るまで楽しめるように、長期間を使って壊すつもりでいた。
「言っただろ? 死んだほうがましだと……」
そこには魔物を拷問する者がいるという。
彼に掛かれば、どんな魔物の心も折る事が出来ると言う。
それを利用するものは多い、教会を始め、貴族、魔物に虐げられた村、そして個人ですら依頼する者がいるという。
「……だからって、俺が捕獲までやらなければならない?」
全体的に暗い印象を持つ男は、草木をかき分けながら前に進む。彼の名はアッシュ・ランバード。調教、拷問、尋問を専門としている者だ。
彼に依頼したのはある貴族だった。依頼内容はとても長く、回りくどかった。貴族特有の見下げた態度がする手紙だった。
手紙の内容を簡単に要約すれば、『ベルゼブブの能力でここまで這いあがる事が出来た。これ以上は魔物はいらない。連れて帰って処刑せよ』とのことらしい。
たったこれだけを伝えるために、高級紙を10枚も使う。アッシュには信じられないことだった。用件だけを伝えればいいのに、不効率極まりない。
今回は捕獲、輸送、調教、処刑といつもよりやることが多い。
しかも、捕獲する魔物があのベルゼブブだという。高速で動き、非常に強い力を持った魔物だ。下手なものを同伴させれば被害が出ると踏んで1人で来た。
それに伴い、ベルゼブブを引き寄せるために風呂に入っていない。水浴びすらしていない。1週間ほどで自分の臭いで気分が悪くなり、3週間を超えたところで鼻が麻痺した様だった。
こうしてベルゼブブが出るといわれた森を彷徨って1カ月を超えた。きっと城に残っていた魔物たちは残らず処刑されてしまっただろう。
「なんで俺がこんなことを…」
予定よりも大幅に時間をとられたことに苛立ちを抑えられなかった。八つ当たるように草木をかき分けて進む。そして同じ場所に出る。
迷ったふりをするのも楽ではない。わかっているとはいえ、同じ場所をグルグルと回るのは心理的に来るものがあった。
「これは拷問の一種だな」
ベルゼブブを捕まえたら同じ苦痛を味あわせてやると心に決めてさらに迷ったふりをする。
「……ん?」
葉っぱを動物のように食べていると、小さい音が聞こえた。
ブーン
確かに聞こえる。
「やっと来たか・・・」
そう思った瞬間には、手に持っていた食事(葉っぱ)をとられていた。もちろん、反応できなかったのではなく、反応しなかっただけだ。
「へっへーん! のろまー!」
得意げに奪ったばかりの葉を見せびらかすベルゼブブ。子供っぽく、言葉使いから精神的な年齢が低いことを察する。
「はぁ」
「ム! なんだよ、盛大なため息なんてついてさぁ!」
「おい、これ」
さっきすれ違った瞬間に、ベルゼブブから奪い取った髑髏の髪飾りを見せつける。ベルゼブブは慌てて自分の頭を確認し、アッシュが持っているものが自分のものだと分かった瞬間に顔を真っ赤にした。
「わ、わざとに決まってんだろー! 人間のくせに!」
「じゃあいらんのか?」
「返せ!」
「なら取り返してみろ」
「……いったな?」
急激に体温が下がったように感じた。ベルゼブブの体からは魔力が溢れ、紫色のオーラのようなものが出ている。
「来いよ」
「ボクは蝿の王ベルゼブブ、ヴィベル・ガナス。お前も名乗りなよ」
「お前が勝ってから聞くんだ……な?」
言い終える前に持前の高速移動でヴィベルが突っ込んできた。
直撃すれば死、避けても羽の衝撃波で怪我は避けられない。斬りかかろうにも甲殻がある腕でガードして効かない。単純かつ必勝の攻撃方法だ。
「死ねぇーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
「青いな…」
アッシュの取った行動は単純だった。姿勢を低くして攻撃をやり過ごし、すれ違う瞬間に無防備な腹をけり飛ばす。それだけだ。
「ぎゃぷぅ」
ベルゼブブの必勝法の体当たりには致命的な弱点がある。羽がない場所には衝撃波が来ない。だからしゃがむだけ。
単純だが難しい方法だ。当たる直前まで姿勢を高くしなければ、自分がしゃがむスペースは作れない。だからと言って直撃すれば死んでしまう攻撃に対して、姿勢を伸ばすことができるだろうか。
最初から度胸も実力もアッシュが上回っていただけの話だった。
「捜索時間がかかりすぎだ……クソ」
魔法で強化した縄を使い、抜け出る事が出来ない様にしてから運び始める。思ったとおりヴィベルの体は軽く、背負って歩くのにそれほど疲れなかった。
アッシュは表面上はいつも通り暗い顔をしているが、内面では怒り狂っていた。
城に帰るまでアッシュはヴィベルに見向きもせずに帰路を急いだ。ヴィベルと話せば、その場で殺してしまう自信があったからだ。
しばらく外出していた城は懐かしさを覚えるほどだった。大声でミリアを呼びつけ、牢屋に放り込んでおけと命令する。
アッシュは自分の部屋に戻り、安物のウィスキーを飲み始めた。
「あ、あうあああ?」
仕事を終了させ、それを伝えに来たのはミリア。彼女はスケルトンだ。この城の近くの墓場でうろついていた。そこで彼に捕まえられてから、ここで働いている。
アッシュはミリアを傍に呼び、愚痴を聞かせ始める。
「どうして引っ叩くだけで屈伏するような魔物のためにこうして足を運ばなければならないんだ? あんな小物よりいい魔物が牢屋にいた。そいつらに調教もできずに処刑、その時間を使って捕まえたのはこんなどうしようもなく弱い魔物。だいたいあの貴族が―――――――………・・・・」
「あああう!」
「…ん? まだ言い足りないが、時間か…」
調教などはする気がない。ただ無残に殺す。それだけを考えて牢屋に向かう。
アッシュから放たれる殺気に脅えているのか、ミリアはいつもより距離を置いてついてくる。
調教の道具すら持っていない。
一番奥の牢屋。ここがヴィベルが閉じ込められている場所だ。中から金属がこすれる音が聞こえてくる。
「……滑稽だな」
魔物を封じるための拘束具は彼女から力を奪う。それが手首足首に繋がっている。必要以上の拘束はしていない。
ただ力を封じて、牢屋に放り込んでおいただけだ。
どうやら力を封じる鉄のリング同士を擦り合わせて壊そうとする魂胆だったらしい。
「!? な、なんだよ! ここから出せぇ!」
一々うるさい奴だ、と呟いてアッシュは牢屋の扉を開ける。そこにすかさず出ようとしたヴィベルが突進してきた。
「邪魔だ」
力を封じられてはただの子供と変わりがない。
タイミングを合わせて腹を蹴り飛ばした。
「……! ………!? ぁ」
つま先を立てて鳩尾に打ったのだ。肺の中の空気は出しつくし、痛みが走っているのだろう。
「この程度で弱音は吐くなよ?」
髪の毛を掴んで顔を上げさせる。何をされたか理解する前に拳を叩き込む。
「うぇ……」
胃液をまき散らしながら転がる。
「今日はあいさつ代わりだからな……軽くしてやる」
また蹴り上げる。腕の隙間を狙うように、執拗にただの暴力を繰り返す。
「やめろよ! やめ…… きゃあ! いやあああ!」
アッシュが見立てたとおり、この子は精神的に未熟ですでに心が折られそうになっていた。そこを見計らって休憩を入れる。
意識が回復してきたところで、また暴力が始まる。
「やめ…て くだ……さ…い……」
「……腕を出せ」
一瞬、彼女は何を言われたか理解できなかった。
腫れたまぶたから見えるのは、なぜか微笑んでいるアッシュがいる。
「……?」
いつまでも手を出さないせいか、ゆっくりと拳を振り上げる。
「ッヒ!」
殴られ続けたせいで、腕を上げるだけでも時間がかかった。
アッシュは差し出された手をやさしく広げ、親指をつまんだ。
そして
折った。
「ぎゃあああああああああああああぁ!」
どこにそんな力が残っていたのか、あまりの痛みに腕を引こうと暴れた。だが、その抵抗をあざ笑うかのように、次々と指を折っていく。
2本目。
「ひぃ、ひぃいいやああ……ああああああああああああああああ!」
3本目。
「あああやあああ! いやぁ! いやあああああああああ!」
呼吸が浅くなる。体が痙攣する。
だが、それすら越えることがある。
折れた3本の指をまとめて掴み、少しずつ力を入れて引っ張っていく。
「なに もうやめて…痛いのはいやあああああああああああああああ!」
「あぁああうう」
指が千切れそうになった時に、ミリアが止めに入った。服の裾をつまむ、という実に弱々しい自己主張だったが、アッシュは我に返った。
「ッチ」
ヴィベルを蹴り飛ばし、今日の拷問は終わりを告げた。
「ヒック……グス…」
痛みと恐怖によって丸くなっているヴィベル。その姿を見て、本当に自分がやったのかと疑問に思った。
酷い事をしたなどと反省しているわけではない。もし本気でやっているなら、今頃彼女は物言わぬ肉塊になっているはずである。つまりそれだけ温いことしかやっていない。
自分の行動にいら立ちを覚え、牢屋から足早に出て行った。
自分の部屋に戻ってから、また安物の酒を開ける。酒の味など分からない。ただ酔って現実を忘れたいだけだ。
不味そうに酒を飲み続けていると、ミリアが入ってきた。
「うおあ?」
「うるさい」
「あう?」
いつもの意思の無い状態ではない。ミリアはハッキリとアッシュのことを見ていた。そこで、今日が満月なのを思い出した。
「忘れてたよ、ミリア姉さん」
「まだこんなことしているのね…」
そこにいるミリアは今意識を持っている。生前の記憶だった。
「教えたのはミリア姉さんだよ?」
満月の夜はミリアが生前の記憶を取り戻す日。だが、必ずしも満月の夜に記憶を取り戻すわけではない。満月の夜でも記憶が戻らないときのほうが多い。
実際、彼女が起きたのは半年ぶりだった。そしてすぐに元に戻るのだ。
「まだ諦めてないのね」
「まだ諦められないよ」
ミリアはそっとアッシュの頬に手をあてた。
「早く地獄に来てね? 1人じゃ寂しいから・・・」
「わかったよ」
「ああう?」
たった30秒。
それだけでアッシュには十分だった。
「飲むか?」
酒を勧める。
今日の酒が少しだけ美味くなった。
「さて、始めようか」
「やだ……痛いのはいや………」
すでに半分壊れかかっていた。予想以上に脆い精神だったらしい。
首根っこをつかんで拷問室へ運ぶ。
「痛いのが嫌か……なら今日は痛いことはしないでおこう」
アッシュの口元がにやけていた。こんな笑みを発するとき、ロクな事をしないとヴィベルは昨日で分かっていた。
「やだ……やあああ」
連れて行かれたのは、地下牢よりさらに地下深く。
そこからは水の流れる音がした。壁や天井、床まで苔でびっしりと覆われていた。
「ここを使うのも久しぶりだな」
水路だ。ただの水路。だが、置いてある様々な器具がただの水路じゃないことを物語っていた。
大きな水車。ひたすら回っている。それをアッシュは顎をなでながら、使えるかどうか確認しているようだった。
「多少ガタが来てるがまあ、使えるか…」
足が震える。逃げようとしても足が言うことをきかなかった。
レバーを引くと、水車は持ち上がって一時的に動きを止める。そこにヴィベルを固定した。
「なにするの? やめてよ…やめて…」
「死にたいなら呼吸しなければいい。すぐに死ねる」
そして、レバーを元に戻す。
ギギギギ
水車は元の位置にもどり、ゆっくりと回転していく。
足下から水に入って行き沈んでいく。 水は異常に冷たく、氷が入っているようだった。
息を止めるが、鼻から水が浸入していく。
「ゲホ……うぇ……」
「それじゃあ、死にたくなったら言え。殺してやる」
1周するのに約8秒。半分が水につかっているので、4秒ごとに水に沈む。それが永延と続く。呼吸が続かなくなって死ぬか、命乞いをするか。
アッシュはランプの明かりを頼りに、本を読み始めた。こんなことをしていながら、彼女自身に興味がないように見える。
「無視するなぁ! 放せ! …・…………………ゴホ… ここから出せ!」
何を言われても無視する。
その内、呼吸することに精一杯なのか、なにも言ってこなくなった。
「ぜえ、ぜえ、ぜえ、ぜえ、……・…………・・…………はあ、はぁ ぉえ」
何度も水を飲み、何度も水を吐く。吐瀉物は水だけだ。中に血が混ざるようになっても何の反応もしない。
丸一日続け、何冊目かの本を読み終わり、アッシュは立ちあがった。
「腹が減ったら水を飲むといい」
そんな適当なことを言って水路から出て行ってしまった。
「…どこに…いく……・……」
冷え切った水に何度も入れられ、呼吸は満足にできない。体の感覚はすでにない。
「このま…ま死ぬ……の?」
流した涙も流れていく。
ヴィベルは死を覚悟した。
だが彼女は生きていた。
ただ死にたくない。その思いだけで1晩を乗り切った。
目の前はぼやけ、呼吸などしているのかしていないのか自分では確認できない。それほど衰弱しても、まだ生きていた。
「…ほぅ」
これも強靭な生命力をもつ、ベルゼブブの体のおかげだろう。並みの魔物ではすでに死んでしまっているはずだった。
水車が上がり、縄が解かれる。
「ぉぇ………」
力なく、腹にたまった水を吐くヴィベル。水を吐いているはずなのに、真っ赤に染まっていた。
「凍傷にもなっていない、さすがはベルゼブブと言ったところか…」
引きずるように元の牢屋に運んだ。
ミリアに治療をするように伝える。
アッシュはヴィベルに衰弱死などという簡単な死に方をさせるつもりはなかった。
調教中の死亡か、ショック死以外をさせるつもりはない。せめて新しい魔物がここに来るまで楽しめるように、長期間を使って壊すつもりでいた。
「言っただろ? 死んだほうがましだと……」
12/10/20 00:11更新 / Action
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