連載小説
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死の谷
小屋にぶら下がっていた氷柱を溶かして湯を作ると、ペミカンを溶いてスープを作る。
振動と疲労でラティの食欲は無かったが、このままでは最後まで持たない事を知っていたので、何とか飲み込む。
サラも疲労していたが、この程度はホワイトホーンには日常茶飯事なので、いつも通りに焦がしクルミとクラッカーを口にしていた。
交代で短い睡眠を取ると、ラティは疲労が少しはマシになった気がした。
錯覚かもしれないが、今はたとえ錯覚だけでもありがたい。
休憩を終えて山小屋を出ると、サラはナイフを取り出して、両方の脇腹の辺りに切れ込みを入れる。
「今度同じ事になると厄介だから、安全な場所ではここに手を入れて掴まってて」
(簡単に言う事かな・・・)
とラティは思ったが、サラの気性にも慣れてきたので、黙って従う事にする。
手袋のままという訳にもいかないので、素手で掴まる事になるのだが、サラの引き締まった胴回りに手を回しているというのは、やはり、どうにもラティとしてはよろしくない状態なのであった。
とりあえず、掴まってないと自分の命に関わるのだ、と自分に言い聞かせている事にする。
このような格好で山小屋を出発したのだが、二人の前にはまだ難所が立ちふさがっていた。
そして、青空だった空は急速に灰色になり、風も強くなり始めていたのである。

僅かな間の内に辺りは吹雪に包まれたが、サラは進む速度を緩めない。
この程度の吹雪はこの辺りでは良くある事だったし、既に夕暮れてもいたのだが、進む方向も彼女は見失っていなかった。
視界と寒さは彼女にとって問題にならない。
問題は風だった。
足場が確かな場所なら風も問題にならない。
ただし、難所なら話は別だ。
その難所にたどり着いたサラは、さすがに立ち止まって考えていた。
凍り付いた岩場を、今度は降りなければならない。
「迂回する事は出来ないんですか?」
「無理ね。ここからは進むか引き返すかだけ」
つまりは進むしか無いのだが、加速が付く分だけ登りより下りの方が危険かつ負担が大きかった。
記憶をたどって岩棚の場所を思い出しながら、降りる手順を考えていく。
「手袋を着けて片手は鞍に掴まってて」
サラの上半身にラティの全体重が掛かってしまうと、彼女でも支えきれるか自信が無い。
「あと、一応言っておくけど、さっきは余計な事を言った、とか言わないでよ?」
「ごめん、僕のせいで迷ってるのかな、とは思ってた」
「・・・これでも、いつも人並みには怖がってるんだからね?」
サラは少し心外そうに微笑んだ。
崖下を見ると、再び口元を引き締める。
「行くわよ」
「・・・いつでも」
ラティは既に鞍の後ろ側に手を掛けて、荷物に背を預けている。
サラは虚空へと脚を踏み出し、薄く凍り付いた岩場を下り始めた。
蹄は氷に食い込んで捉えていくが、崖を吹き上がる強風が彼女の体を翻弄する。
荷物に徹しているだけでいいと言われたラティも、ここばかりはバランスを取る事に集中していた。
何もかもが凍り付く様な吹雪の中でさえ、冷や汗が背中に吹き出す気がする。
降りていく手順自体は複雑な物ではない。
結局は詰将棋の様な物で、事前に解いたルートを一歩ずつ踏み出していけば、いつかは下に着く。
ただし、詰将棋では駒が吹き飛ばされる様な事は無いのだ。

サラが右前足で一歩を踏み出したその時、一際濃密な粉雪がこちらに向かって来るのが目に入った。
(あっ!?)
危険を感じた次の瞬間には、バッ!!という音と圧力と共に雪が顔面に吹き付き、一寸先の視界すら奪われていた。
完全に視界を失い、吹き上がった風に体を巻き上げられて、蹄が虚空を掻く。
(落ちる!!)
サラのその直感は死と直結した物だった。
その時、吹雪を避けて顔を下に向けていた為に、運良く突風の直撃を避ける事が出来たラティが、その蹄を見てとっさに体を倒した。
サラの重心が傾いた事で、蹄が本来の足掛りを捉える。
その蹄を氷へ深く食い込ませて強く踏みとどまるが、今度はラティが転がり落ちそうになる。
サラは鞍上のラティが振り落とされないように、辛うじてバランスを取る事に成功した。
「「はぁーっ・・・」」
二人の腹の底から吐き出した息が重なる。
「・・・ありがと」
「・・・どういたしまして」
サラは深呼吸を三回繰り返して、なんとか平静さを取り戻す。
「・・・それじゃ、進むわよ?」
「・・・了解」
そこは風が吹き荒れる断崖であり、いつまでも踏みとどまっていられる様な場所ではない。
どれだけ風が吹き荒れようとも降りなければならないのだ。
再び、歩を進める。
サラは同じ事を繰り返さない為に一層慎重に下り、ラティもいつ同じ事が起きてもいい様に、集中し続ける。
星明かりもないのに、夜の闇すら白く見える様な吹雪。
吹き上がる風は止む事も無く、粉雪と二人を好きな様に掻き回す。
何度も突風が襲いかかるが、サラとラティは目と耳を研ぎ澄ます事で、辛うじてその予兆を捉え、その隙間を縫う様に歩を進めていった。

無事に崖下の緩やかな斜面に全ての蹄が着くと、さすがのサラも思わず膝を着いてしまった。
緊張が切れたラティも、サラの背中に突っ伏してしまう。
「・・・あたし達、生きてるよね?」
「転がり落ちずには済んだと思う・・・」
蹄が虚空を掻いたあの瞬間は、無茶を続けてきたサラの人生の中でも、最も死を近くに感じた瞬間であったのだ。
まるで死が荒れ狂っている様な吹雪の中で、互いが触れあっている感触だけが、自分の生存を確認できる手立てに思える。
誰かに触れてなければ、生きている事自体が信用出来なくなりそうだった。
この救出計画が始まって以来、ラティは初めて安全以外の理由でサラに掴まった。
「・・・しばらくは緩やかな道だから、服の中で掴まってても大丈夫よ?」
ラティは少し逡巡した後に、手袋を脱いでサラの服の中に手を差し入れる。
冷えきった指先から、サラの体温が伝わってくる。
その冷たい指先は、サラにとっても自分以外の誰かが、そこに居る事の証明だった。
ラティもサラも、触れあっている掌二つ分の肌触りだけが、この世の何よりも確かな物に思えていた。




17/02/13 17:50更新 / ドグスター
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