連載小説
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原因の罪
「ロズ兄!あそこにでっかいのいるよ!」
「よしきた、俺の手にかかればあんなでっかいもん楽勝ってもんだ!」
「ロズ兄腕っ節だけは強いかんね」
「だけはってなんだコラ。テクニックだってあるわい」
「へへっ、あっ、近づいてきた!今がチャンスチャンス!」
「シッ!…………釣りってのは静かに精神を統一させなきゃダメなんだぞ……」
「ってパパの言ってたことマネしてるだけじゃん」
「ぐぬ……まぁいい。俺だってあれくらいのものは簡単に釣ってやるさ」

「ママー!パパー!見て見て!ロズ兄ったらこんなにおっきい魚!」
「おお、やるじゃないかロズ」
「どんなもんだい」
「あらあら、それじゃあ今日の夕飯は魚の煮物にしようかしらね」
「さばく前に魚拓とりたいよ母さん」
「それじゃ父さんが準備してこようか」
「ぎょったく!ぎょったく!ねぇロズ兄、明日は何して遊ぶー?」
「明日はそうだなぁ…………」



……………………

………………

…………

……



「…………」

 気だるい心情を抱きながらロズは自室のベッドの上で目を覚ました。
 体は寝汗に包まれており、その質感は不快感極まりない。素肌にしっとりとくっつく寝巻きの気持ち悪さといったら、綺麗好きのロズからしてみると倦厭しないはずがなかった。
 露骨に不快な表情を呈し、舌打ちをする。
 しかし彼を漂わせる不快感と舌打ちは寝巻きの湿り気だけが原因ではなかった。

「……随分と久しぶりだ」

 それは夢。
 ロズは夜中の睡眠中に夢を見ていた。
 在りし日の、忘れるはずもないあの頃。
 すべてが輝き、幸せと希望に満ち溢れる毎日だったあの頃。そのような日々は忘れるはずもない。
 逆に言えば忘れたくとも忘れられない日々。
 記憶の底に封じ込めようとも、ふとした瞬間に溢れ出てくる鮮明な記憶。
 それは悪夢。

 水を浴びるように飲み、むかむかした胸を落ち着かせると、ロズはいつもどおり朝食についた。
 食パンを水平に切り、その間に目玉焼きとベーコンをバターで一緒に焼いたものをサンドさせ出来上がる簡単なベーコンエッグサンドである。その隣には毎朝欠かさずに飲む牛乳だ。
 ここまで見ればごく平凡な朝食であるが、ロズの朝食はこれだけでは終わらず、これを10人前用意して初めて完成する。その巨躯を維持するためには一般人以上のエネルギーを要する為なのだろうが、それにしても多いものである。
 そして、量もさることながら、これをものの数分で平らげてしまうロズの恐るべき吸引力もまた平凡という言葉で完結させるにはいささか不十分であろう。
 体が大きいからといって必ずしも大食いではない、というのはよく耳にするがロズにいたってはそれを真っ向から否定していると言っても差し控えないものである。

「……しかし、どうしたものか」

 朝食を終え、職場に向かうために家を出て、鍵をかけようと家を振り向いた時にそう呟いた。
 『免罪斧』。
 ドアの横に立てかけてある大斧が視界に入り、否応なしに昨日の光景が思い出される。半ば押し付けられたようなものだが、商品を受け取ったということには変わりなく、ロズはこの巨大な商品の処遇をどうしようか未だ決めあぐねているようだった。
 昨夜、帰宅後に家の中に入れようとしたのだが巨大すぎて家に入らなかった大斧。
 桁外れの大きさに桁外れの重さであるが、ロズが持つと風のように軽くなる摩訶不思議な斧は家の壁を軋ませ、地面を僅かに沈下させている。
 そうしてロズは今一度、斧を持ち上げようと手を指し伸ばす。もしかしてあの軽さは間違いだったのではないか。もしかするとこの斧は元々始めからここにあったものであって自分はなにか悪いものに化かされていたのではないだろうか、と。その疑心を解決するため手を伸ばす。
 
 ガサガサガサガサッ!

「誰だ……」

 突如として足元の草むらが音を鳴らすのでふいにそちらの方を振り向く。
 彼の足元には思わぬ珍客が訪問していたようだ。

 なぁーご

「野良猫か…………痛ッッ!!」

 近所の野良猫がたまたま彼の足元の草むらから姿を現した。真っ黒で尻尾が長い、特別珍しいわけでもないただの猫である。
 その黄色い瞳と艶のある黒毛は猫好きな者なら誰しもが抱き上げて撫でてしまいたくなるほど愛くるしい。無論ロズはそのような真似はしないが、それでも猫の愛くるしさは万人に共通である。
 だがしかし、今に至ってはタイミングが悪い意味でジャストであった。
 斧に対して手を指し伸ばしている最中に足元から来訪されたものだから、ついその視線は足元へと移ってしまう。だが、その手は依然として斧へと伸ばされている。
 そして一瞬、目を放したその瞬間にロズはハッ、と気が付いたのだが……すでに遅かった。
 差し伸べた右手の指、人差し指が斧の刃こぼれした刃に触れて切れてしまったのだ。
 温い痛覚を感じ、瞬時に手を引っ込めるが指にはくっきりと切れ目が刻まれており見るからに痛々しく感じられる。

「……妙だな」

 指の傷口を見てロズは疑問に思った。
 誰がどう見ても綺麗にぱっくり割れている。刃こぼれしているのにも関わらずにここまで切れてしまう斧の切れ味の良さに思わず感心してしまうほどすんなりと切れている。
 だというのに――
 血が流れてこないのだ。
 いくら小さな切り傷だとしても多少の血は流れるはずである。紙で切ったとしても、皮膚を強く引っ掻いたとしても、皮膚が傷つけば多少なりとも血は流れるもしくは皮膚が赤みを帯びるはずである。
 それがどうしたことだろう、この切り傷には血の赤みの気配を一切感じることがなく、ただ皮膚の肌色の一部分が谷の形状に裂けたと表現することしかできないのである。
 それどころか、傷口から煙のようなものがもやもやと染み出てきているようだった。無臭で薄桃色の煙のようなものは傷口から染み出るとものの数秒で風となって消えてしまい、その全貌を捉えることは適わない。

「……何だこれは……む、このままでは遅れるか」

 ふと時間を気にすると、彼がいつも家を出発する時間から10分は経過していた。
 傷口のことも気になるが、それよりも時間に遅れることだけは彼自身許すことができないので早々にその場を後にし職場へと足を向かわせ始めた。





―――――





「……ということがあったのだが何か心当たりはないか」
「んっん〜残念ながらこれっぽっちも知らねぇな」
「だろうな……」

 地下牢に着いたロズはミックに昨晩あったことを事細かに伝え、何かの手がかりにならないかと質問していた。しかし結果は火を見るよりも明らかであり、当然あの店について知っている情報は何一つ得られることはない。
 そもそも、自宅周辺の地区のことを熟知しているのはロズ自身なのであり、別の地区に住んでいるミックに質問したところで意味がないことは初めからわかりきっているのだ。

「俺に質問するよりも自分のアタマによーく聞いてみたほうがいいんじゃねぇの?」
「それでもわからないから聞いているんだろうが」
「あ、そっか。そいつは失礼ハハハ!」

 などといつものようなやり取りをしながら、ロズは執行人の制服に着替える。その身体的特徴からロズの制服は特注サイズのものであり、一般的なサイズと比べると一回りも大きく、とてもじゃないが一般人に着こなせられるものではない。例えるならば子供が大人サイズの服を着る、といった表現が一番近いのではないだろうか。

「昨日はなにかあったか」
「いんや、なーんにもなし。いつも通りテキトーに番兵して終わりの一夜だったわ。つまらねーけど何もないのが一番楽なんだよなー」
「まぁ、そうだろうな」
「…………ところでロズ、おめぇ……」

 他愛もない会話をしているとミックがふと、眉間にしわをよせ露骨に嫌そうな目つきでロズへと質問を投げかけた。
 鼻をすんすん、とさせ何かのにおいを嗅いでいるようである。見るからに怪訝な様子でロズを睨みつけてる。

「オメー俺を裏切りやがったな!一人で勝手に風俗行きやがってこのちくしょーめ!」
「…………あ?」

 意味がわからない。
 ロズが思った第一の感想はそれだった。
 苛立ちをあらわにしたその表情で食って掛かるミックに対し、ロズは全く身に覚えのない出来事を咎められてミックとは逆の苛立ちを募らせる。
 むしろ、昨日風俗に行きたいといっていたのはミック本人のはずだ。仕事の合間を見つけて行ければ行く、そう言っていた。
 それがどういうことかロズが風俗に行ったという身も蓋もない事実を誰が認めることができようか。
 鼻息を荒げるミックに対しロズは言った。

「おい、どういうことだ。俺は風俗なんて行ってないぞ。そもそも行く気すらないと言っただろう」
「じゃあそのニオイはあんだってんだよ?」
「ニオイ……?」
「くっせーイカ臭撒き散らしやがって!オメーが今日ここに来た瞬間からプンプン臭ってやがる!」

 イカ臭。つまるところ精液の臭い。
 ロズ自身には自覚がないが、今日のロズの体臭は酷く濃厚な精液臭が漂っているというのだ。嗅いだことのある者ならわかるかもしれないが、精液の臭いというものは非常に独特なもので栗の花やらそれこそイカの臭いと類似しており、よく比喩的な表現でたとえられることがある。世間一般的に良い匂いとして扱われることはあまりない。
 精液の臭いがするということはすなわち近い時間に射精をした、もしくは精液に触れる何らかの行動をとったということになる。気化し体臭に染み付くほど長い間精液と触れ合っていれば自ずと臭気はするはずであるのだが……やはりロズには心当たりなどなかった。
 昨晩は謎の骨董屋に行き、雨に濡れながら帰宅すると斧を外に放置し、ロズ自身はそのまま就寝するというごくごく普通の一日を終えただけなのだから精液の臭いなどするはずもないのである。当然自慰もしていない。

「……待て、俺は本当に風俗には行っていない。そもそも俺が風俗に行くようなヤツに見えるか」
「まぁそうなんだが……それでもそのニオイは完全に雄のニオイだ。言い逃れはできねぇぜ」
「……雄のニオイと言うのなら、俺が独りで慰めていたという可能性は疑わないのか?」
「そのニオイとは違ぇ。オナニー後の男のニオイってのはもっと哀愁漂うニオイがするんだ。だが、お前の今のニオイは精液の臭さと甘ったるいシナモンみてぇなニオイが混ざって例えようのないニオイがしてやがる」
「……そこまで嗅ぎ分けられると逆に尊敬するんだが」

 先ほど脱ぎ捨てた衣服を取り上げて臭いを嗅ぐのだが当然何のにおいもしない。また、自分の体臭を嗅ごうと右腕を鼻の元に近づけすんすんと嗅ぐが、やはり無臭であった。
 ロズの側で睨んでいたミックは怒りを通り越して次はなにやら悲観しているようである。

「あ〜チクショ〜!誰を指名した!?前々から俺が目つけてたアイラちゃんか?それとも最近新しく入ったキャサリンちゃんか?まさかめったにお目にかかれない妖狐太夫さん!?いやいやそれとも……」
「………………」

 ため息を突きながら頭を抱えるロズ。またまた頭痛の種が一つ増えたような気がした。



 数分の後。
 長い説得の末どうにかしてロズの言い分は伝わったらしく、ひとまず一段落といったところであろうか。ミックは煙草をかかでぐりぐりっと押しつぶし、ばつの悪い姿勢で欠伸をかいている。
 おもむろに朝刊を取り出しお世辞にも上手とはいえないメロディで鼻歌を奏でながら読み始めた。
 一方ロズはというと死刑囚の朝食の準備をしているようだ。木製の古ぼけたトレイにひび割れて今にも砕けそうな陶器の皿を数枚並べると、その上に食材を乗せ始める。何の肉かもわからない謎肉のスープとカビの生えそうなパン、萎びて新鮮さの欠片も失われたサラダのような植物片が皿の上に並べられてゆく。
 この朝食を見て美味しいと思える者がいるとするならば、恐らくその者は限りなく飢餓状態であるか、あるいは食事の与えられていない奴隷かのいずれかだろう。

「『連続殺人犯グリドリー被告ついに死刑確定か』
『ガルメント卿遺産相続、ガルメント婦人と長男で大モメ!』
『ヴァルレン女帝本日午後にも会談に参加予定』
『北方の反魔物国家にて不穏な動きあり?第一王子戦死との報道も』……ったく、シケたニュースばっかだなぁー。まぁでもやっぱ大半はグリドリー死刑囚とガルメント卿の報道がほとんどか」
「……個人的にはだがグリドリー死刑囚は捕まってよかったと思っている。こいつは色々と危なすぎだ」
「それには同感だ。こんのクソジジイが……若いオンナの子たくさん殺しやがって!マジで許せねぇ、もしかしたら俺の彼女になってくれる子がこの中にいたんじゃないかと思うと……くっ」
「少しはまともな意見を聞けると期待した俺がバカみたいだ」

 グレゴリオ・グリドリー。
 ここ数年、住民達にとって恐れられてきた極めて危険な連続殺人犯である。
 その危険性は17人もの女性を単身で殺害したという事を聞くだけでも十分に予想できるものであるが、真に恐れられるべき所以はその猟奇性である。
 調査によると、彼は性欲が異常なまでに強く、女性を襲うのもその性欲を解消するためであるという。そこまでは多くの犯罪者に見られる特徴だ、百歩譲っていいとしよう。だが問題はここからだ。
 普通、強姦目的の殺人犯は女性を犯し、その後に証拠隠滅のために殺害を犯す。
 だが彼は、グリドリーは違う。彼はその肯定が逆なのである。
 端的に言うと”犯してから殺す”のではなく、”殺してから犯す”のだ。つまりは死姦である。
 この男は女性の隙をうかがってあっさりと命を奪うと、その後に死体を使用して自らの欲望を満たしていたのだ。紛れもない変態の極みであり狂気の殺人鬼そのものであるのは疑う余地もないであろう。
 人知れず闇夜に身を潜め、物陰から音も立てずに忍び寄ると後ろからグサリ。または、お客さんだと思い部屋に招き入れ、油断させたところでロープで絞める。そういった手口だ。
 この男の異常な性癖の為に10人の娼婦と5人の仕事帰りの若い女性とそして誘拐された2人の女児が犠牲になっている。
 残虐という言葉では到底言い表すことのできぬ酷悪さであるのは周知の如くである。つい先日までこの殺人鬼が街の中に潜んでいたということがより恐ろしさを増強させているのかもしれない。
 この男が捕まって、住民はさぞ大喜びしたところであろう。
 世間を震撼させただけあって、紙面には連日大文字の見出しででかでかと載り続けている。

「しかも昨日の様子から察するに相当クスリもキメてるしよ。ここまでの大物は近年稀に見るぜ」
「……お前もあんなのにはなるなよ」
「冗談キツイぜ。俺をあんなじじいと一緒にすんなっての。俺だったらもっとばれないように完全犯罪目論むし」
「……いつか本当に捕まりそうだなお前」
「ジョークジョーク!本気にすんなって」

 ミックがこういった類のジョークを口走るとそれは本当にジョークなのかどうか若干疑ってしまうのは仕方のないことだ。普段はやたらおちゃらけているだけで、本心は執行人というそこそこ上位の役職柄真面目なことも考えている場面もある。
 ……と信じたい。

「ミック、お前朝食の配膳は済ませたのか」
「ああ、こっちはもう終わってるよ。グリドリーの野郎あんなにガリガリに痩せ細ってるのに何一つ食いやしねぇ」

 一通りの朝食のセットをトレイに並べ終えると、ロズは身なりを正し独房の方へと足を進めようとしていた。
 死刑囚といえど生きている限りは食事が必要なものなので、この地下牢では毎日食事を配給する制度になっている。と言っても肝心のその食事の内容は前記の通り食事とは言いがたい残飯のようなものなのだが。
 毎日朝晩二回の配給の時間が死刑囚にとっては唯一の憩いの瞬間なのだが、その食事が見るも無残な内容なので憩いというよりは新手の拷問に近い気がするのは否めない。

「……ま、こんなのを食う奴は相当な味覚音痴だろうからな」
「意外とカティアちゃんがそーいうタイプだったりして」
「どうだか」

 そう言い残し、ロズはカティアのいる独房まで向かった。
 トレイの上で揺れる謎肉のスープがちゃぷちゃぷと揺れ、その度にスープの苦すっぱい奇妙な異臭が鼻腔をくすぐる。
 イカ臭いと言われたが、俺からしてみればこのスープの臭いの方が余程悪臭に感じるのだが。
 ロズは心の中でそう呟いていた。





「カティア死刑囚起きてるか」
「ん……ああ、ロズか。おはよう」

 独房の前で足を止めると、ロズは足を止め中にいる女性に声をかける。
 カティアは既に起床しており、石の壁に背をもたれかかりながら何をするわけでもなく虚空を見つめていた。この何もない独房内では時間を潰すということすら困難であり、彼女は起床してから今の今までひたすら呆然としていたのだろう。この上ない退屈が彼女を覆っている。
 その退屈の最中にロズが現れたものだから、つい高揚し”おはよう”と友人に話しかけるかのように素の挨拶をかけてしまったカティア。言った瞬間にはっ、と察した様子で口ごもりすごすごとロズの様子を伺っている。

「こういう場合はおはようございます、なのか」
「……気にするな。ほら朝食だ、食え」
「おお、飯か。それではいただこう」
「味の保証はない。覚悟しておけ」

 カチャリ、カチャリ。
 重なった鍵を外し、食事の入ったトレイを檻の隙間から忍ばせならそう一言だけ添えた。
 味の保証ができない―つまり不味い―ものを食べさせるのだから、口の中に入れる前にその情報を伝えてあげようというロズのささやかな心遣いが垣間見える瞬間でもある。
 不味いものを食べるときに、事前にそれを知っているか否かで心構えというものは違う。今から自分は不味いものを食べるんだ、そう知っているだけで幾分気が楽になるものである。

「これは……」
「その汚物みたいなものをごった煮にしたものはコンソメスープらしい。パンはそろそろ青カビが生え始める頃合だろうか。ああ、その植物片はサラダでいいとのことだ」
「ッッ…………」
「……まぁ無理もないか。こんなものが朝食で絶句しないわけがないだろうな。食いたくなければ食わなくても結構だか……」
「いただきます!!」

 ロズの言葉をさえぎり、威勢よく両手を合わせるとカティアは備え付けられたスプーン片手にスープをすすり始めた。黄土色のドロドロとした液面に得体の知れぬ肉が浮いたスープは誰が嗅いだとしてもはっきりとわかる悪臭を放ち周囲を不快感に包み込んでいる。ロズも鼻で呼吸せずに、口呼吸することでこの悪臭から逃げるように遠ざけていた。
 だがしかし、この目の前の死刑囚はそんなもの我関せずというように、我が物顔で意気揚々とスープをすするのである。まるでこの吐瀉物のようなスープがあたかもご馳走であるかのように飲みほすその姿は、ご飯を目の前にして長らく”待て”をしてきた忠犬がやっとのことで食事にありつける姿に類似している。
 あまりに美味しそうに食事をするカティアに流石のロズも驚きを隠せない。

「……おいカティア。お前、これを美味しいと思って食べているのか」
「いや、マズいぞ。ヘドが出るほどにマズい」

 ほっ、となぜか謎の安堵をロズである。
 パンを頬張り、数回租借した後にスープで流し込むとカティアはこう言った。

「マズいが食い物として考えればまだ幾分にもマシだ。空腹は何よりも極上の調味料とよく言うだろう?」
「……ということはお前は常日頃から空腹で過ごしているのか」
「はは、別にダイエットをしているわけではないぞ?」

 もうすぐ自分は死ぬというのだから恥を感じたところで後悔することなど何一つない。失笑しながら彼女は言っていた。
 カティアの乾いた笑いははたから見ればただの自虐的失笑なのであろう。だが、ロズの鋭敏な観察眼は見逃がすことはなかった。笑みの奥底に見える隠された感情を。
 だからなのだろうか。余計にロズは知りたくなった。
 何故かはわからないが、無償に彼女のことを知りたくなったのだ。消え入りそうな深い感情を察したからなのか、それとも獄中であるのにも関わらずに死を恐れぬ立ち振る舞いをしているからなのか。はたまたそれ以外の別な理由があるのかはわからない。
 いずれにせよロズの中でカティアに対してささやかな興味が沸いていたというのは事実であろう。
 
「教えてくれないか」
「……ん?」
「昨日の命令の続きだ。俺の質問に答えてもらおうか」
「ああ、そうだったな。少し待ってくれ、これ全部食べるから」
「……ゆっくり食え。食った後にでもかまわん」

 カティアはずぞぞっ、と勢いよくスープを飲みほすと急ぎパンを頬張り口の中で攪拌させて飲み込んでいるようであった。サラダをかっ込み4、5回程度の咀嚼を済ませるとゴクンと喉が音を鳴らし食物を胃へ送り込んでいる。
 トレイの上にはパンくずやらサラダの切れ端が飛び散っており、いかに手早く食べようとしていたのかがわかる。綺麗好きのロズからしてみれば、思わず数点指摘したい気持ちにもなっていたが今はそのようなことを言うときではない、と自粛していた。

「執行人の命令とならば従うしかないだろう。で、何を聞きたいんだ?」
「……ではお前の生い立ちを教えてもらおう」
「生い立ち?」
「ああ、お前はどのようにして育ったのか。なぜ地下牢に投獄されるようなことをするに至ったのか。洗いざらい話してもらう」
「なぜって……そういうのは既に手元に渡っている書類を見ればわかることなのではないか?」
「この書類には死刑囚の大まかな情報と犯した罪の内容、与えるべき罪状しか書かれていない。俺が知りたいのは、なぜその罪を犯すにことになったのか、どのような人生を送ればそうなるのか、という至極単純なことだ」

 そこまで聞くとカティアは視線を下ろし、ロズから視線をそらした。
 何か後ろめたいことがあるのかはいざ知らず、ぶつぶつと小言で呟き視線は右往左往と独房内を行き来している。

「喋りたくないのか」
「そんなことはない、といえば嘘になる。正直言うと、あまり思い出したくないんだ」
「…………辛いだろうが話してもらおう。執行人命令だ」
「……少々長くなる。そうだな、どこから話そうか――」

 狭く冷たい独房内でカティアはぽつり、ぽつり、と語り始めた。
 己の歴史を、己が今に至るまでの過程を。
 ロズはその脇で腕を組みながら檻に寄りかかり、彼女の言動を一字一句聞き漏らさないように耳を立てていた。




 ―――――




 私は孤児であった。
 それが戦争孤児であるのか捨て子であるのかは今となっては知る由もないが、少なくとも裕福な家庭で生まれ育ったわけではないということはなんとなくは直感している。
 物心もつかぬほど幼子であった私は、ある日一組の夫妻に拾われた。その夫妻は山で山菜取りをしていたところ、毛布に包まれ眠りについている私を発見したのだという。季節も秋が終わりかけいつ雪が降ってもおかしくない気候であったために、私がその夫妻に発見されたのはとても幸運だと言えるだろうな。真夏や真冬であれば一日と持たなかったであろう。
 ともかく、私はその夫妻に拾われ一命を取り留めた。まだ言葉も話すことのできぬほど幼子であった私は、必然的にその夫妻、ラウレル夫妻の養子として生活してゆくことになった、と聞いている。ここら辺の記憶は覚えていないので全て育ての親であるラウレル夫妻から聞いたものだからあまり詳しいことは私もわからないが勘弁してほしい。
 私はそれから夫妻、いや両親の元、何不自由なく生活していった。
 ラウレル夫妻は町で唯一の孤児院を経営している者でもあり、町の中には理解者も多かったと聞く。なにより母は子供の私が見ても美しいと思えるほどの美貌の持ち主であったので、町の男たちは父をことあるごとにうらやましがっていたな。
 家が孤児院ということもあり、私には血の繋がらないたくさんの兄妹ができた。それはそれは楽しい毎日だったぞ。
 草原でかけっこをしたり、山で木登りをしたり、あるときは女児たちでおままごとなんてものもしてたし、当時は子供ながらなんて充実した日々なんだろうと思っていたっけな。懐かしい限りだ。
 孤児院の評判もよく、孤児でもないのに子供たちが遊びにやって来たりすることもよくあることであった。これでも私は孤児の中でも年長組であったのでリーダー格として皆をまとめていたんだぞ。そうは見えないと思うがな。
 ……だが、そんな日々も長くは続かなかった。
 私が15歳くらいの頃だったであろうか、楽しかった日々はその日を境に崩れ去った。
 その日、私は母に頼まれ裏山まで山菜を取りに出かけていた。もちろん一人でだ。
 だが、山で山菜を採取している途中、何かの異臭がすることに気がついた。
 煙のにおいだ。それも木の燃えるにおいがこんこんとこみ上げて来ていたのだ。
 山火事というワードを思い浮かべた私は麓の町まで戻ろうと急ぎ足で下山し、町が一望できる山の中腹部分まで降りたところだろうか。そこで見たものは信じられぬ光景だった。
 町が燃えていたのだ。
 私は何が起きているのか全く理解できなかった。
 疲れなどとうに忘れ、無我夢中で下山し、町の入り口まで来たところでようやくこの事態がただならぬ出来事であるということを自覚した。
 なぜなら、人が切り捨てられていたのだから。
 横たえている人を見ると胸には巨大な切り傷が刻まれており、赤黒い血がドクドクと流れていた。必死に呼びかけたがその人はもうすでに事切れていた。今でも鮮明に思い出せる、手を取ったあの冷たさが。
 言いようのない不安と悪寒を感じた私は物陰に隠れながら孤児院を目指し、その途中に生きている人がいれば合流しようとも考えていたが、残念ながらそれは叶わなかった。いや、生きている人間はいたのだが、それらは全て鎧を身に包み血まみれた剣を携えた兵士であったので私は本能的恐怖から近寄ろうと思わなかったのだ。恐らく私のとった行動は間違えていないはずだろう。
 そうして孤児院にたどり着き、腰を落としたところで私は一人声を殺しながら泣いた。
 孤児院もまた炎に包まれていたのだ。
 今まで生活してきた我が家とも言うべき孤児院は豪炎に包まれ、見るも無残に朽ち果てている真っ最中であった。そしてさらに涙に拍車をかけるのは、庭で切り捨てられている兄妹たちの姿を目の当たりにしたためでもある。
 つい先刻まで一緒に遊んでいた兄妹が今や血まみれになって動かぬ死体と化しているのだ。思春期を迎えた私の心が耐え切れるはずもなく、号泣と嗚咽を繰り返すばかりであった。
 炎の中から現れた兵士がそれぞれ両親の首をぶら下げている光景を見て、私は今にも兵士めがけて飛び込んで行こうとも考えた。しかし、怒りよりも恐怖の方が強かったのが幸いだろう、私はすんでのところで足を踏みとどまった。
 いつまでも悲しんでいられない。
 涙をふき取り、意を決した私は身を潜めながら町を遠ざかった。あの銀色の兵士たちを許すことは今でもできない。だが感情に身を任せたところで私も兄妹たちを同じ末路をたどるのは目に見えていたのだ。私は兄妹のためにも、そして両親の為にも生き延びなければならなかった。
 この惨劇を一人でも多くの人に伝えるべく、私は伝道者として社会に知らしめてやらなくてはならないと思ったのだ。
 今思えばきっとあの兵士は教団の者だったのであろう。両親は子供ができ難い体質だと言っていた。母は女の私が見ても目眩がするほどに美しく、そして性的であった。それが何を意味するかは言わずとも理解できるだろう?
 しかし、だからといって町ひとつを焼き尽くすことはないではないか……あまりにも酷すぎる。
 私には姓がない。カティア・ラウレルという名前を両親からつけられたが、あの町の生き残りである以上その名前を名乗るわけにはいかなかった。だから私は姓を捨て、カティアという名前だけで生きていくことを決めたのだ。
 本当の親はいるのかもしれないし、もしかしたらもうこの世にはいないのかもしれない。育ての親、兄妹はもう全員死んだ。私はあの日をもって天涯孤独の身となったのだ。

 それから私は冒険者となって主に人々の小さな悩みを解決する仕事を率先して請け負いながら生活していった。迷い犬の捜索をしたり、浮気調査の尾行をしたり、要人の用心棒をしたり……さまざまなことをやっていた。
 そこである日私が受注した依頼の内容に物品を指定の場所へ届けるというものがあったのだが、その場所というのがこれまた何かの運命の巡り会わせか孤児院であったのである。
 私は物品を孤児院に納入し、時間もまだ余っていたので孤児院で時間をつぶすことにした。院長に頼まれ少しの間であったが孤児の遊び相手にもなってやり、大人ながら久しぶりに楽しいと思えた時であったな。私は純粋に子供が好きなので本当に楽しかった。
 そして数時間が経った頃だろうか、院長が孤児の前で物品を開封し、その内容物を配っていたのだがそれは……玩具であった。
 玩具を貰う孤児の笑顔。
 配る院長の笑顔。
 それはまさしくあの日あの頃の私が送っていた光景そのものであった。子供も大人も皆一丸となり、同じ目線で楽しむあの日々がとてつもなく懐かしく思えたのだ。ああ、なんと素敵な光景なのだろう。なんと素敵な笑顔なのだろうか、と。
 私は再認識させられた、日々の暮らしを送るために冒険者などをやっている場合ではないと。まして教団への復讐を考えるなどもってのほか。
 私には私にしかできないことがある。たとえそれが法で認められぬ悪事であったとしても私にはやらなくてはならない義務がある。あの日両親と兄妹に誓ったのだ。
 そして私は程なくして冒険者をやめて、義賊となった。
 義賊とは聞こえはいいものの、やっていることはただの泥棒となんら変わりない。裕福そうな民家に忍び込み、金目の物を盗み、そしてそれを売り金銭に換える、下賎な行為だ。
 ただ、違う点を上げるとすれば、その方法で稼いだ金銭は私利私欲のために使うのではなく貧困で苦しむ者のために無償で配布してやるということ。そして、盗む対象もただの金持ちというわけではなく、汚い金によって私服を肥やす悪徳富豪の家のみを対象としていた。
 それからというもの、私は社会の影で暗躍する義賊として貧しい人々の味方となり尽くしながら生きてきた。巨額の富を強奪したときも、その殆どは住民に配り、数多の孤児院などに寄付したりで私自身の生活は決して安定しているとはいい難かった。それこそ三食まともに食えるのが珍しいほどにな。
 それでも私はそれが私のやるべき正しいこととしてひたむきに生きてきた。死んだ両親や兄妹の思いを無駄にしないために。
 そして、私のような者をこれ以上出してしまわないように。
 私のような者をこれ以上出さないためには、義賊なんてものをやっているよりも直接、反魔物派を弾圧し世界が平和になるのが一番手っ取り早いのだろう。そうすれば自ずと孤児などいなくなるしな。
 だが、私がそのような大それたことをできるわけがない。人々を先導し、平和のために率先して人民を導くことなど、さほど教養のあるわけでもない私ができるわけがないのだ。
 だから私は私ができることをやろうとしているまで。人知れず、一人で、影に身を潜み人々のために生きていればそれでいいのだから。決して安定している生活ではなかったが、道行く人々が豊かになれば私の心はそれで満ち足りていた。


 ……しかし、人生というものはそう簡単にいくものでもなく、こうして呆気なく捕まってしまった。それも殺害という容疑をかけられてな。
 ガルメント卿という悪徳大臣の噂を入手した私は、次のターゲットをこの大臣に絞り込んだ。聞くところによると、政治資金を横領していたり、休戦協定を結んでいる隣国と勝手に裏取引をしているなど悪い噂が流れていたのでな。ここらでひとつ金品を盗み懲らしめてやろうと思ったのだ。
 そうして先日の夜、私はガルメント卿の屋敷に忍び込んだ。すでに相当の数をこなしていた私にとって、平和ボケしたこの国の兵士の警備などザルも当然であり、なんなく金目の物を盗むことに成功した。
 だが…………そこで油断したのがまずかったのだろう。
 脱出している最中に偶然、ガルメント卿本人と出くわしてしまったのだ。恐らく夜中に目覚めてトイレにでも向かっている最中だったのであろう。
 私と大臣は共に激しく驚き後ろに大きく飛びのいてしまった。
 そこで大きく後ろに飛びのかなければ私は良くて数年の懲役ですんでいたのだろう。飛びのいたのが最悪の結果と繋がった。
 後ろに飛びのいた弾みで、私の背後にある巨大な壷が傾き倒れ始めたのだ。陶器でできた観賞用の巨大な壷である。人一人が簡単に入ってしまうほどの大きさの壷はぐらり傾き、そして私と大臣の方へと倒れてくる。
 私は危険を察知し、瞬時のその場から離れ壷が倒れてくる場所から回避したのだが……大臣はそうはいかなかった。
 驚き、身がすくみあがっている大臣は硬直し、そして…………
 そのまま壷の下敷きとなってしまった。
 
 その後のことはあまり覚えていない。衝撃が強過ぎて覚えることも困難だったのだろう。
 私は気が付けば捕縛されており、大臣を殺害した容疑として裁判にかけられ、そうして死刑判決が下された。
 殺すつもりはなかったんだ。壷に潰された大臣を助けようと、捕まるのを覚悟して兵士を呼んだところまでは覚えている。だが打ち所が悪かったのだろう、即死であった。
 つもりはなくとも、私が殺したことには変わりない。
 私は今まで多数の罪を犯してきた。両親と兄妹を見殺しにした罪、巨額の富を盗みに働いた罪、そして大臣を殺した罪。
 その中には私が意図せず犯したものも少なくはない。しかし私がやったことには間違いないのだ。
 私が今ここにいるのはその罪を償うべくの当然の結果なのだろう。
 なんと情けなく、哀れな一生だったことだろうか。






―――――





「以上が私の生い立ちの全てだ。どうだ、笑えるだろう?」
「…………」
「何とか言ったらどうだ。何か言ってくれないと思い出して感傷に浸ってしまうではないか」
「…………」

 何も言わずにロズは鉄格子の鍵を外し、その巨躯を独房の中に入れ込んだ。
 背伸びをすれば頭頂部が天井にぶつかってしまいかねない体を縮こませながら入れると、おもむろに懐を探り出し、あるものを取り出した。
 小石位の大きさの小さな袋包みがその手には握られている。

「……食え、クソみたいな食事の口直しにはなるだろう」
「これは……」

 カティアはロズからその袋包みを受け取り、中身を空けるとそれは小さなチョコレートであった。
 ロズの体熱により若干解けてしまっているがまだ原形は保てている程度の小さな小さなチョコレートは、その巨躯から手渡されることにより余計に小さく見えてしまうものだ。
 ビターの感覚を味覚に覚えながらカティアは自分の言っていたことを思い出し、唇を噛み締めているようであった。

「ロズ執行官」
「……ロズでいい」
「ロズ、私は……私のしてきたことは間違っていたのだろうか」

 そう言うカティアの瞳は暗く沈んでいた。
 気丈に振舞ってこそいるが、彼女とてひとりの女性であることには変わりないのだ。
 若くして天涯孤独の身となり、たった一人で生きてきた彼女はこの薄暗い場所で寂しく死にゆくこととなる。そう考えると、自分が今まで送ってきた人生とはなんだったのだろうかと、今更ながら現実に直面していた。

「一つ聞こう。お前はあの時、ガルメント卿が壷の下敷きになったときなぜ逃げようと思わなかった。誰にも見られていないのならばあのまま逃げれば捕まることもなかっただろう」
「……どうしてだろうな、私にもよくわからない。ただ、考えるよりも早く身体がそうしてたんだ。貧しい人々を助けるからといって、豊かな者が死んでいいとは限らないだろう?私がそうしたいと思ったからそうしたんじゃないかな」
「……そうか」 

 カティアの食べ終わった食器を片付けながらロズは聞いていた。
 食器を整理しながら、長らく彼女が語っていたことも頭の中で整理していくロズ。
 今まで数多くの罪人を裁いてきたロズであったが、カティアのような罪人は出会ったことがなかった。ともすれば罪人と言うよりは、貧しき人々からしてみれば聖人と思しき生い立ちそのものである。
 己の欲の為に罪を犯し裁かれてきた下賎な者共と同じ天秤にかけてはならないほどの志を持った人物であると、そう確信していた。
 僅かながらの敬意を懐き、ロズはこう応える。

「俺達はただ指令された刑を執行するだけだ。何が正しくて何が良くないかなんてものは判断することはできない。
 だがお前は、お前が正しいと心に信じていたのならばそれはきっと正しいことなんじゃないか。俺はそう思う」

 ロズには明確な答えをカティアに応えてあげることはできなかった。
 カティアの志は素晴らしいものである。自分のような境遇のものをこれ以上輩出しないように、自らの身を削って人々のために尽くすという慈しみの精神はそう易々と真似できるものではない。
 しかし、だからといって無断で他者の住居に赴き、金品を盗んで良いということにはならないのだ。悪しき者の汚い金を盗んだとしても、それは盗みという悪事以外の何物でもない。
 そして、それを善悪と決め付けることはロズには、執行人には判断することはできなかった。

「そうか……そうだな。私は私の信念を持って行なってきたんだ、自分に自信を持たなくては。そして罪を受け入れなければ」
「…………つくづく似ている」
「似ている?何にだ」
「……こっちの話だ、気にするな」

 ロズは頭の中で呟いたつもりが、口に出てしまっていたようだ。
 しかし幸いなことに聞かれていたがその意味まではよく伝わっていなかったようである。

「しかし……ふふっ、なんだか不思議なものだ。私もここまで話すつもりはなかったのだがロズには本音で話さなくてはならない気持ちになってしまう。何だ、自白の薬でも食事に混ぜたか?」
「そんな悪趣味なことはしない」
「では何だ、その香水の効果か?確かに甘くて気持ちのいい香りはするが……まさか自白の効果がある特殊な香水でもまいているのか」
「香水?何を言っている、そんなものつけてないぞ」

 確かに最近歳を取り始めて体臭も若干気になる年齢になり始めてはいるが、香水をつけるほど思いつめてはいない。それにロズ自身、香水の独特な甘ったるい臭いは嫌いであるのでつけようとは考えもしなかった。
 だというのに、カティアはロズから香水のような甘い匂いが立ち込めていると言うのだ。
 
「そうなのか?ロズがここに食事を持ってきてから今まで、ずっと甘い香りがしていたぞ。若干甘みが強すぎるような気がするが、私はこの香り嫌いじゃない」
「…………」

 先ほどはミックから精液のニオイがすると言われて。
 今はカティアから甘い香水の香りがすると言われて。
 そのどちらとも身に覚えがないものだから、つい不思議と考え込んでしまうのは無理もない話であった。

「……カティア、お前精液のニオイ嗅いだことあるか?」
「せ、精液!?なんて事を聞く!そんなもの知らんにきまっているだろ」
「……そうか、じゃあニオイを勘違いしているというわけではないか」

 精液のニオイは男と女で感覚が異なるという噂を聞いたことがあるロズは、もしかしたらカティアとミックには感想の相違があるのではないかと思い、その質問をした。
 性交もしてないし、香水もつけていないので全く心当たりがないのだが、ここまで言われると流石にロズも多少気にかけてしまうというものだ。
 デリカシーの欠片もないがそもそも死刑囚がたむろする地下牢ではデリカシーもクソも関係ないのでロズは何の躊躇もすることなくカティアに投げかけたのであった。

「処女の私にそれを聞くかまったく……精液なんて見たことすらないわ」
「ほう、処女なのか。てっきり義賊というものだから夜の技も磨いているものだと思っていたが」
「……少しでもロズを信頼した1分前の私を殴りたい」
「執行人を信頼する暇があったら脱獄する算段を考えているほうがまだ利口だぞ」

 顔を赤らめ怒り半分、恥ずかしさ半分のカティアを背に、ロズはトレイを引き上げ看守室へと戻っていった。





「いやぁさっすがはロズ・オーンスさん!カティアちゃんにあんなにベラベラ喋らせるたぁ凄腕の手腕ってもんですなぁ」
「……盗み聞きはお前の悪い趣味だぞミック」

 トレイを片付け、食器を洗っているとふいにミックが陽気な調子で語り始めた。
 食器を握るロズの手に少し強い力が加えられる。

「俺がカティアちゃんの担当だとしたら絶対あんなやりとりできねぇーよ。いっつも犯して終わりだからなーハッハッハ!」
「…………相変わらずお前はそれしか脳がないのか」
「カワイイ女の子がいたら犯したくなっちゃうのが男ってもんだろ?違う?あ、そう」

 カティアを犯す。
 いつもならば自分の担当の死刑囚にどんな軽口をたたかれようとも、何とも思わなかったロズであるが、なぜか今回に至っては非常に不愉快な気持ちになっているのが自分でもわかった。
 いつものことだ。
 いつものミックのだらしのない下ネタだ。
 そう頭では理解しているのに、無性に腹立たしく思えてきたのである。
 食器にヒビが増え始めた。

「しかしロズよぉ、お前カティアちゃんに対してだけ対応違わねーか?」
「…………」

 自分でもそれは薄々感づいていた。
 今までの自分は死刑囚とは必要最低限のやり取りしか行なわないようにしていたのだが、カティアに対しては何故か必要以上に気にかけてしまうのだ。
 しかし、それは愛情ではない。また哀れみとも異なる。
 具体的にな言葉で表現することができないが、それでも確かにロズはカティアに対して特別な感情を抱いているのは明らかであった。
 自分とカティアと、そして記憶の底のとある人物を重ねているのかもしれない。

「今までの死刑囚はメシ配膳してハイおしまい、で終わってただろーがよ。それがどうした、カウンセラーみたいなことやってしまいにゃチョコまであげて。らしくねーじゃねぇか」
「…………お前には関係のないことだ」

 皿を洗うロズの背後に立つミック。
 先ほどまでは飄々としていたその気配は、気がつくとぴりぴりとした冷たい雰囲気を放つようになっており、背中越しでも感じることができる。
 久しぶりに感じるミックの真面目な気配にただならぬ存在感を感じ、手早く皿洗いを終えると、対面する形となる。

「忠告しておくぞロズ。これ以上、深めるなよ」
「……ああ、執行人だからな。それはわきまえている」
「これ以上仲を深めると、執行する時に辛くなるのはお前自身だ。俺達はただ言われたことをこなせばいい。心をなくして、死刑執行するだけでいい」
「わかっている。執行人に無駄な感情は必要ない、だろう」
「そうだ。カティアちゃんを哀れみたい気持ちはわからなくもないがな。だからといって死刑囚と執行人は親しくなっちゃならねぇ。忘れるなよ」

 そう言いミックはテーブルに腰掛け煙草をひと吸い。
 ふぅー、と大きく深呼吸し肺に溜まったタール交じりの煙を吐きだす。言葉にならぬ感情のようなものも同時に吐きだすと、いつものようにまた雑誌を読み耽るのであった。
 ロズもまた茨のように刺さるちくちくとした痛みを胸に感じながら、看守室の掃除を始める。
 執行人と死刑囚に特別な感情など必要ない。
 そう心で復唱しながら、忘れるはずもない悪夢を思い出しつつ部屋に溜まったほこりを集めるのであった。





―――――




「うへげげげげ、オンナ、オンナオンナ……おんなくれよぉうごごごご……
クスリも切れてやがるるるるうるううううう……げっげっげ……
おんなおんな…………ん?んんんんん????
あれはましゃか……あそこのロウヤにいるのはオンナ!?
オンナなのか!?うへへきれいなオンナだナァ……っげっげっげ……
オンナオンナ……待ってろよ……ふへへへ」

 地下深い独房にて黒い欲望を抱えし者がひとり。
 地下牢にはただならぬ暗雲が立ち込めていた。
 それを示唆するかのように、外の豪雨もまた雷交じりの激しいものとなっていた。
15/04/07 21:38更新 / ゆず胡椒
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■作者メッセージ
早く魔物化にさせたいゆず胡椒です。

カク猿とかいう絶対魔物化させるウーマンが現れてしまって筆の速度がもうおおなめくじからカリュブディスレベルに低下してしまっております。
ああ、願わくば脳みそと腕をもうちょっと増やしたい所存です。

…げる。

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