連載小説
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39.子供の夢
街の至る場所から、泡(シャボン)が立ち昇る。
炎に照らされて、空の青を反射して。虹色に輝きながら、立ち昇る。
悲鳴を上げて逃げ惑うだけであった人々が、足を止めて見ている。

兵士たちの体に浮かんだ紋様が、光を失っていく。自らの体を見た兵士が歓喜の声を上げる。
「俺、生き残れた? や、やったぁぁ」
「よかったー」
兵士たちに、それぞれの伴侶となった彼女たちが抱きついている。
魔女が、アリスが、ミノタウルスが、リザードマンが、サラマンダーが。
戦闘で手に入れた男性たちを失わずに済んで、胸をなでおろしている。
狼煙の異能によって仕組まれていた紋が消える。それが、異能によるものであれ、人の体の気脈を歪ませ爆ぜさせるものならば、気脈を正してやればよい。混乱の収束を願う住人たちの願いを聞き届けた街に、それが出来ないわけがない。
虹色シャボンに触れた家屋が元の通りに戻っていく。
崩れていた家も、焼けていた店も。全部が全部。時間を巻き戻すように。
かつての記憶を再現するように。幸福だった時の夢の形に戻っていく。
その幻想的な光景を、呆けたように、魔物娘も、インキュバスも、人間も見ている。

それでも、失われた人々がそのまま戻ってくることはなく。
ーーー街の結界に絡め取られた魂は、街を守るガーゴイルやゴーレムに宿って、新しく生まれ変わる。
街の住人だった者たちは、新しい街の守護者として街に戻ってくる。まだ、インキュバスが生まれることのないこの世界では、全員、魔物娘として戻ってくることになったのだが……。
そして、街の住人に伴侶としてまだ認められていなかった兵士も、狂乱のヒルドールヴの爪どもも戻ってくることは、……なかった。

しかし、まだ終わってはいない。
紋様の消えた兵士たちは、歓喜しているものたちだけではない。
ーーー落胆している者がいる。ヒルドールヴ。人でなしのケダモノたち。

兵士たちは、彼らの姿を見咎めると、剣を抜く。
「お前らか、お前らが俺たちをあんな目に合わせたんだな」
「ぶっ殺す!」
「もういいよぉ。逃げよう。そんなことせずに、私と一緒に避難しようよ」
「ダメだ。許せない。こいつらは、俺たちが殺す」
魔物娘たちの懇願も、次々と激昂していく彼らには届かない。
まだ魔物娘たちと交わっていない、まだ、ただの人間である彼らには。自分を殺そうとした相手を許せない。
そんな様子を見て、ヒルドールヴの爪たちは、口端を醜く歪ませる。
そうだ。来い。こんな綺麗な場所で、血みどろに殺し合うのは堪らなく面白そうだ。一緒に、殺し、殺されるだけのケダモノになろう。
爪が、抜き身のナイフをカチ合わせて、せっかく助かった兵士たちを再び地獄へと呼ぶ。
ガチャガチャ、ガ、チャチャチャチャチャチャチャチャチャチャーーーー。

不吉な音色が理性を逆なでする。
兵士たちは魔物娘たちの制止も振り切って、爪どもに打ちかかる。
元どおりになった街の至る所で、剣戟の音が鳴り響く。
爪を一本残らず折ろうとして、鎧も肌もボロボロにされていく。
「止めろって、いってんだろ!」
ミノタウルスが巨大な斧で割り込んでいく。
ダークエルフが鞭で、剣を搦めとる。
リザードマンが剣を剣で受け止める。
その彼女たちに、爪のナイフが襲いかかる。
「チィっ!」
慌てて躱す。受ける。
彼女たちに向けて、爪たちから失笑が沸き起こる。クスクスとくぐもって。蟲の立てる羽音のようで。
それでも、彼らを人だと思う彼女たちは、どうにか救おうと考える。
説得しようとするが、蟲の羽音は止まない。

「ダメだ。彼らはそれでは止められない」
飛び出していく黒装束の男たち。彼らは全員、その顔を覆面で隠していた。
彼らは爪に走り寄る。新しい贄が来た。それに、こいつらは同族だ。。素敵な匂いだと、爪たちは喜びに身を震わせる。
やろう。殺ろう。犯ろう。人でなし同士、じゃれあおうじゃないか。
爪がナイフを翻す。黒装束の彼らは、彼らに飛びかかりーーー。

沸き立つシャボンが彼らの姿を街の住人たちから隠す。
この先は見せることはない。ブクブクと。泡が。光と影の境界壁を作り出す。
その目隠しの中で、爆ぜたあぶくはどちらだったのだろうか。
目隠しのシャボンが消えた後には、誰も残ってはいない。
白昼夢のように、夢のあぶくが一つ、パチリと弾けた。




「えー。せっかくやったのに、元通りって。狡くないかなぁ」
ペテンだ。ずーるーい、ずーるーい。牙が喚き立てている。
この一帯はまだ氷に閉ざされたまま。メイは氷を避けて沸き立つシャボンを見て、羨ましそうに目を細める。
これは、ヘレンか。魔術と魔法に精通しているメイは、この術式を見て街の住人たちが助かったことを理解する。
そして、救われぬ命もあったことも。

「まぁ、いっか。またやれば。僕らは使い捨て。僕を殺したところで、第二、第三の僕が! って、奴さ。だから、メイちゃん僕を殺してみてよ。メイちゃんの〜。ちょっといいとこ見てみたいッ」
牙が愉快な様子で囃し立てる。それは、ただ不愉快な狂態でしかない。
「何故、お主はそんなのなのじゃ?」
メイは、何度目になるのか分からない問いを、牙に投げかける。それに、牙はいつも通りに答える。不遜に、ただ当然のこととして。
「僕が僕だからだよ。いつも言っているだろ。別に、誰かに何かをされたわけじゃない。教会に教えられたのでも、生きるために仕方なく、でもない。僕は気づいただけだ。僕にとって、殺すことが、どうしようもなく楽しいことだって」

あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは。

牙の耳障りな哄笑、凍った石畳に反射する。跳ねる。メイの鼓膜に、サミダレのように突き刺さる。
…………………。やはりこいつは救えんのか。
メイは、とうとう覚悟を決める。
”カース・ドレス”を身に纏う牙には、拘束するような魔法や魔術は弾かれてしまう。彼に届くのは、殺意をもった攻撃のみ。
凝り固まった怨念は、『世界』の慈悲を拒絶して、殺意のみを受け入れる。
メイはギリィ、と拳を握り締める。こいつを殺す。それが、魔物娘の矜持に反することであろうとも。こいつだけはこいつらは滅ぼさなくてはならない。

メイから膨れ上がった殺意に、牙は舌なめずりをする。
恋い焦がれた感触。肌を無数の針で苛むような。肌の上を無数の蟻が這い回るような。
”カース・ドレス”を身に纏うおかげで絶えず味わっている感触。
それでも、最上位ともいえるバフォメットから浴びせられるこれは、最高級の純度で極上だ。
「イイね」
牙はウットリとして。殺戮欲以外の欲望が無くなったはずの体の中で。股間にあったハズの、自ら切り取ったハズのモノが、痛いくらいに勃起する幻触を感じる。
最っ高だ。これでこそ。次に”カース・ドレス”の持ち主として相応しい。
これで荒ぶる狂戦士(バーサーカー)を解き放つことが出来る。
これでもっともっと殺戮を振りまくことが出来る。
それを見ることが出来ないことだけが、残念だ。

牙は抵抗するそぶりとして、勇者砲に魔力を籠める。牙の纏う怨念が、勇者砲に装填される。呪(ジ)ュ、怨(お)ォオオ。
これで、結局メイが死んでしまってもその時はその時だ。その程度のケダモノに、その役職は相応しくない。

メイは魔法を起動させる。自らの魔力(オド)を呼び水に、『世界』の魔力(マナ)を己に引き寄せる。
メイは、『強靭』の扉を開く。幼女というカタチが、無垢な強靭を宿す。そこに魔術を付与する。己がそれを振るうに相応しい存在であると、己に言い聞かせる。
その上で、歌いあげよう。己の異能が『ファム・ファタル』の顕現であると。
幼女の本体に、怪物バフォメットの幻影が重なって映る。
ここまですれば、怨念ごと、牙を消し去ることが出来るだろう。メイは気づいている。
”カース・ドレス”を纏うことなどない。

「喰らってみろよ。ババァ。”勇気反転砲”」
砲(ビム)ぅ。昏い、暗い。怨念の収束が勇者の砲口から放たれる。光線を構成する粒子の一つ一つは、呪詛の怨貌。
寒気を催す狂気がはたれる。
「我が拳の露と散レイッ! ”女帝拳(乙女の拳)”」
メイの拳が、怨念の塊を磨り潰す。そうして、牙の心臓に届く。

ズン。メイの拳は牙の胸に当たり……、そこで止まっていた。拳が散らした怨念は再び牙の元に戻ってくる……。
「何だよ。つまんないなぁ」
牙が心底ガッカリだという声を上げる。メイはそれ以上押し込むことのできない拳を睨みつけていた。
このまま、怨念だけを消し去ることはできないものか。そんな葛藤が、メイの胸に去来している。
「じゃあ、もう死んでよ」
牙が勇者砲を振りかぶる。一発では死なないだろう。無駄に苦しむことになるだろうが、僕をガッカリさせた罰だ。牙はメイの脳天に鈍器を振り下ろそうとしてーーー。
後ろから心臓を貫かれた。

溢(コ)ふり。
牙の口から鮮血が溢れ出す。牙は信じられないという顔をして、後ろに振り返る。
そして、相手を目にして納得する。そっかぁ。やっぱり魔者(僕)を殺すのは人間(人間)かぁ。
ゴブゴブと自分の血液に溺れながら、牙は穏やかに微笑む。そうして、口端を吊り上げる。愉快に、凄絶に。
「ようこそ。こっち側へ」
牙はただ、事切れた。自身の生きた証を残すことなく、ただ噛みついた傷跡だけを残して。
ヒルドールヴの牙が折れた。たった、一本だけーーー。
ズルズルと。牙の”カース・ドレス”が、彼を貫いた男に移っていく。

「何をしておるのじゃ。お前様は!」
メイは牙を貫いた男に向かって怒鳴りつける。牙の”カース・ドレス”を引き継いだ黒装束の男は崩れ落ちる。
牙は前のめりに倒れて、氷の床とぶつかって、硬質な音がなる。
メイが黒装束の男を抱きおこす。
「これでいいんだ。こんなもの、魔物娘(君)が背負う必要はない。君たちはすでに主神から解放された身なのだから……」
「だからと言って、お前様も背負う必要なないじゃろう。我が夫よ!」
メイは彼にありとあらゆる魔法を使用していく。彼に宿った怨念の侵食は止められた。だが、それを取り除くことはできなかった。
「それに、今まで何をしておったのじゃ!」
メイはいつしか泣いていた。
「悪い。今まで、敵を狩っていた。君が牙を引きつけていてくれた間に、狼煙も、爪も。俺たちはヒルドールヴを殺して回っていた」
メイは彼の頬を張る。
街中でヒルドールヴを殺して回っていたのは、彼ら。メイの夫の他にもいる。彼らはインキュバスか、人間で構成された部隊『キリエ』である。
彼らを街に引き入れたのは、カールであり、ヘレン。彼らを引き入れるしかないと思っていた彼女たちである。
メイの夫は、以前属していたその部隊と連絡を取り合っていた……。
「もう、そんなことはしないと言っておったじゃろうがぁ!」
メイが夫に向かって声を張り上げる。
「悪い。君がいつまでも苦しむのを見ていたくなかった」
「お前様が背負ってしまっては同じことじゃッ!」
「そうだな……。でも、メイだって、あいつを殺そうとしたじゃないか。殺せなかったが……。やっぱり君らは俺らとは違う。人を愛することが本能に染み付いている」
メイは黙って彼の言葉を聞いている。
「魔物娘が討つのは悪であり、打ち倒すのは社会だ。それでも救いようない輩はいる。そして、そいつらを殺すのは人間の役目だ。俺たちがやらなくちゃあいけない。優しい君たちにやらせるわけにはいかない。その果てに君たちに幻滅されようと、俺たち自身が君たちに討ち果たされる悪に成り果てようとも。俺たちは君たちを傷つける者を殺す」
メイはもう一度、彼の頬を張る。
「本当に、馬鹿者が…」
どうしても、救いようのない輩はいる。それは、彼よりも長く生きているメイにはよく分かっている。
だが、メイはそれでも、本能で信じたいと思うのだ。本心で信じたいと思うのだ。
メイは周りの氷を解除する。ドサドサと時を止められていた者たちが解放されて倒れる。
氷付けにされていた勇者も、ヒルドールヴの残党も一様に街路に倒れ伏す。その寝顔には大差がない。
それなのにーーー。どうしてこうなるのか……。

「許さんぞ、マステマス……。貴様だけは絶対に」
溶けた氷は水になり、街路をしとどに濡らしている。それは、涙によく似ていた。
水の下から虹色のシャボンが浮き上がってくる。ここももうすぐ元どおりの景観になるだろう。
しかし、起こったことは消えはせず、戻ってこない命だってある……。


ロリーダことヘレンが発動させた、『世界』級魔法”子供の街(チルドレンズ・ドリーム)”。
それは、誰も彼もが笑い合い、争いのない。子供の時にだけ見る事が出来るかもしれない夢。
不完全に、仮初めに具現化された魔法。
いつか、その絵空事を実現する『夢』を信じてーーー。
17/01/04 00:01更新 / ルピナス
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■作者メッセージ
早足です。本来はもっと練り上げて、整えなければ書けない内容だと思います。
しかし、これ以上書いてもただ、グダッていってしまう恐れがありました。
自分で選んだテーマながら難しい。今、僕がそのまま書けるのはここまでであります……。

だったら、書くなよ。ということでもありますが……。
申し訳ないです。

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