読切小説
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『恋するCollared Girl』
『恋するCollared Girl』

「では、今日の講義はここまで」
 講堂に響く教授の一言を最後に、ようやく一時間半の授業が終わった。
それとほとんど同時に、静まり返っていた学生たちが立ち上がり、室内が身支度の音や話し声でざわめきだす。暖かくも淀んだ空気が学生たちによって動き出し、早くも誰かが開けたドアからは廊下の冷気が吹き込んできている。
「ふぅ、終わった終わったぁ〜」
先ほどまでとはうって変わって、講堂は喧騒に包まれる。
学生たちのざわめきの中で、俺――大上玲司もまた一つ息を吐き出した。
この教授の講義は生徒を当てるようなことはないので、楽といえば楽なのだが、ただ聞いているだけというのも、学生としてはつらいものなのである。
「さて、と」
 首を回し、背筋を伸ばして固まった身体をほぐす。ノートとテキストを閉じると、傍らに置いたバッグへと押し込んだ。腰を上げ、隣の席に無造作に掛けておいたコートを羽織り、最後にもう一度忘れ物がないかを確かめる。
長々とした講義から解放された学生たちの多くはさっさと出て行ってしまったらしく、既に講堂内の人影はまばらだった。長居するつもりもないので、俺も彼らに倣い講堂から出た。
暖房の効いていた講堂内から一気に下がった温度に、思わず首をすくめる。
「建物の中でも、結構寒いな……」
窓から空を見上げれば、灰色の雲が一面を覆っていた。
「ひと雨来そうだな……」
降り出す前にさっさと帰ろうと考え、視線を戻す。廊下には行きかう学生たちの姿のほかに、あちこちで仲の良い友人同士が固まり、雑談に花を咲かせている。
と、廊下の向こうから見知った顔がこちらに向かってくるのが見えた。
他の学生の邪魔にならないようにしつつ足を止め、俺は小さく彼女の名を呟く。
「お、慧か」
 視線の先に見える、彼女は戌井慧。
俺にとっては高校時代からの知り合いで、同じ大学に進学したあとも変わらずに付き合いを続けている。ラフなショートカットに強気な瞳、無造作に着た上着にシャツ、下半身はホットパンツにスニーカーという見た目からして男勝りな人物だ。大学に入ってもそれは変わらず、話を聞くに、周囲からはやはり「男女」扱いされているようだった。
(本性は全然違うんだけどな……。ま、そうそう染み付いたものは変わらないか)
実際、高校時代の俺も彼女との付き合いはほとんど男友達とのそれといった状態だった。
もっとも、今ではその関係性は出会ったころとはずいぶん変わってしまったが。
と、見つめる視線で俺が気付いたと理解したのか、慧は心底嬉しそうな笑みを浮かべ、いっそう足を速める。学生たちでごったがえす廊下を、人々の隙間をまるでサッカー選手かなにかのようにするするとすり抜け、俺のところへとやってくる。
彼女は走りながら大きく息を吸い込み、次の瞬間、開いた口から大声を上げた。
「れいじーっ!」
黒髪を揺らしながら、廊下の真っ只中で俺の名を呼ぶ慧。その声は学生たちの話し声でざわめく中でも、はっきりと良く通った。流石は、かつて運動部で鍛えた肺活量だと感心すら覚える。
――俺が当事者でなければ。
突如響いた声に、人々が何事かと振り向く。彼らは廊下を全力疾走する少女の姿を見、驚きの表情を浮かべ、次いで彼女の視線の先にある俺へと顔を向ける。期せずして好奇の視線を一身に集める羽目になった俺は、思わず顔を覆った。
「あの、バカ……っ」
 せめてもの抵抗に、そう呟く。おそらく、今の自分は耳まで真っ赤になっているだろう。頬の熱さを感じながら、小さく悪態をつく。
「おーい、れいじれいじーっ!」
 その元凶たる慧は、満面の笑顔を浮かべたまま俺の名前を連呼し、ぶんぶんと大きく手を振る。表情はこれ以上なく上機嫌で、一歩近づくごとに輝きを増し、肩にかけたショルダーバッグが飛び跳ねる。そこに、視線が集中する羞恥と居心地の悪さを味わうハメになった俺に気付いた風はない。
「れーいーじーっ!」
 彼女が俺の名を呼ぶたびに集まっていく周囲の目。あるものは面白がり、あるものはうらやましそうにこちらに向ける視線に、俺の精神がごりごりと削られていく。
正直、今すぐこの場から逃げ出したい。
が、流石に「彼女」を置き去りにして立ち去ることも出来ず、俺はこめかみを抑えたまま、その場に立ち尽くすしかなかった。
その間に俺の前へと辿り着いた慧は、こちらの顔を覗きこみながら口を開く。
「おーっす」
「おーっすじゃねえよ、慧」
 遠巻きからちらちらとこちらを窺う視線を感じ、俺は頭痛を堪えながら返す。
「お前、人の名前でかい声で連呼すんなよ、しかもこんなところで」
「え〜? 別にいいじゃんかよ」
「よくねーよ。じゃあお前は雑踏の真ん中で、大声で名前呼ばれたらどうよ」
「え? 玲司が呼んでくれたら嬉しいけど」
ギャラリーにぐるりと囲まれてなお、まるで気にした風もない彼女。実際、俺がこいつの名前を呼んだら素で喜びそうな気もする。
「そういうことじゃなくてだな……ああもう」
何かもう一言くらい言ってやろうかと思ったが、これ以上何を言っても無駄なことだと悟った俺は、内心で溜息をついた。
「玲司、今日の講義は終わりかー?」
 俺の葛藤を知らず、いつも通りの調子で尋ねる慧。
それに俺はぶっきらぼうに答える。
「まーな。てか、俺の予定はお前も知ってるだろ慧」
けれども慧は気を悪くした様子はなかった。
「へへ、まーね。んじゃ、一緒に帰ろうぜ」
慧はそう言って悪戯っぽく笑うと俺の隣に並び、するりと俺と腕を絡める。その動作はあまりに自然で、制止する間もなかった。
身体を密着させながら、彼女がほうっと息を吐き出す。
「んっ、玲司、あったかいなー」
「そうか? 俺は慧の方があったかいと思うけど。なんか体温高そうだよな、お前」
「そう?」
小首を傾げ、上目がちに俺の顔を覗きこむ彼女。その顔を間近に見、思わず心臓が大きく跳ねた。頭の片隅で、やっぱりこいつの容貌って整ってるよな、なんてことを無意識に思う。
「どした? あれ、オレの顔になんか付いてる?」
 黙ったままの俺に、慧が不思議そうな顔で声をかける。
それでようやく、俺がまじまじと彼女の顔を見つめてしまったことに気付いた。
内心で慌てつつも、表面は先ほどまでと同じを装い、俺は軽く首を振る。
「あ、いや。なんでもない」
「ふーん?」
 慧は俺の言葉を完全に信じてはいなさそうだったが、それ以上追求する気はなかったようだった。何となくそのまま彼女と見詰め合うのが気恥ずかしくなって、俺は視線を逸らす。
 そこで、先ほど以上に俺たちが周囲の関心を集めていたことに、今更ながらに気づいた。考えてみれば学生たちで溢れる廊下で、人目も憚らずにいちゃいちゃしていたのだから当然である。
その勘にもますます集中するギャラリーからのプレッシャーに耐えかね、俺は傍らの彼女に小声で囁いた。
「なー、慧。やっぱこれ、ちょっとばかり恥ずかしいんだが」
「え〜? いいじゃん、これくらい。オレたち付き合ってるんだしさ」
 これぐらい当然だろ、とばかりにあっさりと言い放つ慧。
「まあ、そうなんだが」
確かに、俺と慧は紛うことなき恋人同士である。それも、付き合いは高校時代からだ。何せ、高校時代の一時期はこんなもんじゃなかったのだ。友人たちからはやれ無駄に室温が上がるだの見てるだけでおなかが膨れるだの言われたものだ。
「ならいいだろ?」
「う〜ん、まあ、なあ」
そう考えれば、腕を組んで歩くくらい今更、という気もしないでもない。それに、さっきから周囲の注目を集めているというのに、全く気にした様子を感じさせない慧と一緒にいると、俺ばかりがこうも意識しているのが馬鹿らしくなってくる気もする。
「……それとも、オレとこういうことするの、嫌なのか?」
 先ほどまでの笑顔から一転して、不安げに俺を見つめる慧。捨てられた子犬がすがりつくようなその表情に、俺は反射的に否定の言葉を発する。
「バカ言うな。そんなわけないだろ」
「よかった……」
 俺の言葉を聴き、慧はほっと安堵の吐息を漏らした。彼女はそのまま俺の腕をさらに強く抱きしめる。その拍子に厚手のコート越しでも存在を主張する、柔らかなふくらみを感じてしまう。
「ありがと、玲司……」
 肩に頭を預け、囁くように言う慧。
「もうちょっとだけ、このままでいいか?」
「好きにしろよ」
「ん」
 そっと目を閉じ、気持ち良さそうに頬を擦り付ける慧。学生たちの目はいまだ俺たちに注がれていたが、それでも彼女を離す気はおきなかった。
だが、流石にこんな場所で多数に見られたまま、いつまでも頬ずりされているわけには行かない。最早手遅れな気もしたが、俺は気恥ずかしさを誤魔化しながら視線をずらし、口を開いた。
「ほ、ほら、くっついてていいから、さっさと行くぞ」
 最早抱かれた腕をどうこうするのは諦め、彼女をくっつけたまま俺は歩き出す。
「うんっ!」
 嬉しそうに答える慧を横目で見、あの笑顔には敵わないな、と思う。
終始注がれていた視線や、耳に届くひそひそ話に、俺は最早諦めの境地になりつつ、昇降口を目指すのだった。


「ふんふんふーん」
上機嫌な慧を腕にくっつけたまま、キャンパスを出る。
道行く学生たちからの好奇の目も、構内を出るころにはそれ程気にならなくなった。開き直ったともいえるし、俺たち以外にも似たようなことをしているカップルが何組かいたからでもある。どうやら、バカップルは俺たちだけではなかったらしい。
駅から電車に揺られ、とりとめのない話をしている間にいつもの下車駅に。
「部屋まで来るんだろ? 慧」
「とーぜんだろ、玲司」
 定型と化したやり取りをしながら改札口を出て、俺と慧は二人並んで歩く。厚い雲が覆う暗い空からは今にも雨粒が降ってきそうだったが、この分なら部屋に辿り着くまではなんとかもってくれそうだった。
 電車の中での会話から引き続き、話題に上るのは講義で出された課題のことだったり、購買には入った新製品のことだったり、昨夜のテレビドラマのことだったりと脈絡がなく、対して意味もない話ばかりだった。
けれど、そうした他愛のない話を慧とするのは、俺にとって嫌いではなかった。恋人同士でありながら、どこか友人同士でもあるようなこの関係は、気楽で心地いい。
そんなことを思いながら薄暗さを増す空を見上げ、呟く。
「暗くなるのはえーな……」
「確かになー」
 辺りを見れば、立ち並ぶ建物や街灯がぽつぽつとライトアップを始めていた。大通りの街路樹はすっかり色づき、既に舞い落ちた葉が色とりどりの絨毯を作っている。時折枝を揺らす風はもうずいぶんと冷たく、秋の終わりと共に、すぐそばまで冬の足音が聞こえてくるようだった。
「うー、寒っ」
 吹き抜ける寒風に肌を撫でられ、慧はぶるぶると身を震わせる。少しでも暖を求めようと、彼女は先ほど以上に俺へと身体を密着させた。もはや腕を組むというよりも、抱きついているといった風な状態のため、服越しにも女性らしい身体の柔らかさが伝わってきた。
 一瞬で熱くなった頬に、風の寒さを忘れかける。このまま抱き返したいと本能が叫ぶが、間一髪で理性がそれを制し、照れ隠しに思わず文句が口をつく。
「おいおい、そんなにくっついたら歩きにくいだろ」
「だってしょーがないじゃん。寒いしよー」
 慧は唇を尖らせ、なおもしっかりと俺に抱きつく。確かに、陽が落ちた町の気温はコートを着ている俺にとってもかなり寒い。俺よりも露出の多い服装の慧にとっては、ずいぶんとつらいだろう。
 むき出しの彼女の足を一瞥し、俺は苦笑して言う。
「ま、そんな格好じゃなあ。足とか出しっぱなしだし」
 性格から常に動きやすい服装を好む慧だが、流石にこの時期にホットパンツは辛いだろう。
「せめてジーパンとかにしとけばよかったろうに」
 俺の言葉に、慧はわずかに頬を染め、囁くように言う。
「まあ……そうだけど。でも玲司はさ、露出多い方がさ、喜ぶかなって」
 そのセリフに、俺は思わず彼女の姿を見つめてしまう。
高校卒業後、陸上部を止めても運動を続けている甲斐あって、隣を歩く慧は引き締まった健康的な脚線美を誇っている。すらりと伸びた足にはわずかな無駄な肉もなく、俊敏なイメージを抱かせる。高校時代よりも、ずっと女性として成熟した体のラインは、非の打ち所もなく魅力的だ。
常日頃の言動のせいで、周囲から「男女」などと不名誉な名で呼ばれている慧だが、顔もスタイルもいいし、十分美少女で通ると思う。もっともこれは彼氏の目から見た贔屓も入っているのかもしれなかったが。
それに、正直に言えば――俺だって男だし――彼女が露出の多い服を着ていたら、嬉しくないわけがない。なんだかんだで彼女には似合ってもいるし。
けれど、彼女の魅力が周囲に知れ渡ることを、望んでいない自分もいた。考えようによってはこいつの魅力なんて、俺が分かっていれば十分かもしれない。正真正銘の恋人同士、相思相愛の関係であっても、有象無象が慧を見てデレデレしたり、言い寄る光景なんて見たくもない。
――こいつは、俺のものなのだ。
「……ばっか」
勝手に思い浮かべた恋敵たちに嫉妬している自分に気付き、我ながらアホらしいと自嘲する。
 思わず漏れた言葉は、傍らの薄着の彼女へのものか、それとも自分に向けたものか、俺にも良くわからなかった。
 と、不意に抱きつかれている腕から伝わる感触が変わる。
俺が感じた疑問を口にするより早く、すぐ隣から慧の声が響いた。
「なあなあ、見て見て玲司!」
「なんだよ?」
 妙にはしゃいだ彼女の声につられて顔を向けた俺の目に、先ほどまでとは全く違う姿の慧が映った。袖から覗く腕は、二の腕辺りから指先までが豊かな黒い毛で覆われ、指先からは鋭く尖った爪が伸びている。着ている服こそ変わりないものの、彼女の背からは異形の腕にも見える翼が生え、俺の身体をしっかと抱きしめている。
「じゃーん、どうだ! これなら寒くないぜーっ!」
 獣と人を合わせたような異形へと変身した慧が、得意気に言い放つ。手足と同じく、豊かな獣毛の尻尾を振りながら、彼女は「すごいだろ」といわんばかりにこちらに顔を向けた。その瞳も先ほどまでとは違い、暗闇の中でも光を放つ妖しげなものになっている。
「……っ」
一瞬、言葉に詰まる。だが、それは慧の姿に驚いたからではない。
この格好――サキュバス・ケルベロスという名の異形こそが、慧の本当の姿なのだ。彼女の正体は人間ではなく、魔物なのである。
もっとも、そのこと自体はとっくの昔に知っているし、俺にとってはもう見慣れたものだ。
何せ、元々は人間であった彼女が今の姿――魔物であるサキュバス――になってしまったことから、俺たちの関係が始まったといってもいいのだから。
 俺が言葉を失ったのは、全く別の問題からである。そう、彼女が変身した場所だ。今俺たちがいるここは道のど真ん中。周囲の目を気にせず二人っきりになれる部屋ならまだしも、完全にオープンスペースである。
そこまで考えると、寒いはずなのに何故か汗が出てきた。
「最初っからこうすりゃ良かったな〜。ほらほら、このカッコならぜんぜん寒くないんだぜ? 玲司もあったかいだろ? もふもふだし」
 俺の様子に気付いた風もなく、サキュバスに変身した慧は上機嫌で俺に言葉をかける。いつの間にか服までサキュバスのそれへと変えていたようで、チューブトップのように獣毛が彼女の胸を覆っていた。そして嬉しそうに、柔らかなふくらみの間へと俺の腕を挟んでいる。
「玲司からも触ってくれよ〜。な〜」
 俺の手をとり、胸へと導こうとする慧。柔らかな毛に覆われた手が俺に触れる。
鋭い爪を持つ見た目とは裏腹に、まるで壊れ物を扱うように彼女はそっと俺の手を包む。触れ合う手のひらから、体温と共に彼女の想いも伝わってくるような気さえする。
これはこれで、悪くはないのだが……いや、違うそうじゃない。
「……おい、ちょっと待て」
そこでようやく、声が出た。
「ん? なに?」 
「なにじゃねえ! お前何こんなところで変身してるんだよ!」
きょとんとして俺の顔を見る慧に声を抑えて怒鳴る。我ながら、器用な真似ができたものだ。
一方の慧はまだ何を言われているのか分からないといった様子で、目をぱちぱちさせている。彼女の暢気さに頭痛を感じながらも、俺は声を潜めたままサキュバス姿の慧に向けて言葉を続ける。
「その格好、誰かに見られたらどうするんだよ」
そこまで言って、ようやく慧も俺の言っていることを理解したようだった。
「あー……そういうこと」
「ああ。不味いだろ、お前の正体がばれたら……」
今更とは思いながらも、周囲に視線を巡らせる。
が、幸いなことに通りには俺たち以外の人影はなかった。暗闇を濃くする路上には、枝葉を揺らす街路樹と煌々と灯る街灯のみが佇んでいる。
心底安堵して息を吐き出し、俺は非難を込めて傍らの彼女を睨む。
「お前な……誰もいなかったからいいようなもののな……」
「う」
 俺の強い視線に、慧も流石に悪ふざけがすぎたと感じたのか、しゅんとしてうなだれた。
「わ、悪かったよ……ごめん」
 か細い声でそう呟いた時には既に、彼女は人間の姿へと戻っていた。袖から先の腕は滑らかな肌色へと変わり、羽や尻尾も姿を消している。露出の増えた格好になった彼女は寒そうにしていたが、こればかりは我慢してもらうしかない。
「分かればいいけど」
 ふう、と一つ息を吐いて自分を落ち着かせ、彼女の頭をぽんぽんと軽く叩く。
「まあ、お前のことだから、周りに他人の気配はないってことくらい、分かってたんだろうけどさ。でも、やっぱりびっくりするし、あぶねーだろ」
「うん……」
 俺の言葉にうな垂れたまま頷く慧。しかられた子犬のようなその姿を見ていると、しょんぼりと垂れた耳や尻尾が見えるようだ。何だか、罪悪感すら湧いてくる。
少しばかり強く言い過ぎたか、と思った俺は、小さく息を吐き、頭に置いたままの手で彼女の髪を軽く撫でた。
その一瞬、彼女の身体がびくりと震え、強張った顔の瞳が閉じられる。
「ほれ、もう怒ってないから」
慧に優しく笑いかけると、彼女は恐る恐る瞳を開く。上目遣いにこちらの顔を窺い、躊躇いがちに口を開いた。
「ほんと?」
「ああ」
不安げな顔でこちらを見上げる慧に、俺はなるべく優しい声で言葉をかける。それでようやく、彼女も安心したようだった。
「よかった……」
その言葉と共に、強張っていた頬がふっと緩み、彼女の身体から力が抜ける。
「玲司に嫌われたら、どうしようって思っちゃった」
 そっと腕を絡めなおし、もう一度、俺に抱きつく慧。
「馬鹿だな。あれくらいで嫌うわけねーだろ」
「ほんと?」
「まあ、考えなしに変身するのはどうかと思ったがな」
 わざと意地悪く言ってやると、慧はうぐ、と詰まる。だが言われっぱなしでは気がすまないのか、彼女は唇を尖らせ、開いた口から言い訳めいた言葉を発する。
「でもさ、本当に寒くないんだぜあのカッコ。もふもふしてるから」
「見りゃ分かる。あと魔力のおかげだろ」
「うん」
 寒風吹き荒ぼうが、雪が舞い散ろうが、あのサキュバスの姿だと平然としているのを見せつられれば疑う余地はない。細かいところは慧自身もよく分かっていないようだが、どうやら魔力が身体を守っているおかげらしい。
実はちょっとだけうらやましいと思ってしまっているのは秘密だ。
「うう、一回サキュバスになっちゃったから、人間のカッコだとなんか余計に寒く感じる……」
 落ち葉を巻き上げる風が肌を打ち、慧がぶるぶると震える。俺の身体を風除けにしつつ、彼女は俺の顔を窺いながら口を開いた。
「な、なあ……今なら人いないし、もう一回サキュバスのカッコに……」
「我慢しろ」
 最後まで言い終わる前に、俺は彼女の言葉を遮る。
「うー」
不満を顔に浮かべる慧に、俺はなだめるように言う。
「部屋までもうすぐだし、着いたら温かい飲み物でも淹れてやるから」
「……ん。甘いのがいい」
「はいはい。甘いのな」
「うん」
そういって、しっかりと抱きつく慧。肩に頭を預ける彼女から漂う、シャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。そんな些細なところからでも、彼女が女の子だということを改めて感じ、心がざわめく。
前を向いて視線を逸らし、胸のうちを何とか鎮めながら、俺は慧の髪を梳く。
 そして俺は彼女と二人、並んで陽の落ちた通りを歩くのだった。



「やあぁっとついたーっ!」
「もうこんな時間か」
 自室のドアを前にして声を上げた慧に、俺は携帯電話の時刻表示を点灯させ、呟く。
あれから程なく、俺たちは下宿しているアパートへと辿り着いていた。
既に太陽は沈み、辺りには夜の闇が満ちている。手すりの向こうには明かりを灯す夜の町が広がり、天井からは等間隔に灯る蛍光灯の光が、壁に並ぶドアを浮かび上がらせている。いつ見ても、この光景には奇妙な感じを受ける。
「結構遅くなったな」
 片腕に慧をぶら下げたまま、溜息混じりに漏らす。
遅くなった原因は単純明快だ。最早俺の一部の如くくっついたままの慧のせいである。
なにせあの会話の後、彼女はずっと俺に抱きついたままで、わずかにも離れる気は全くといっていいほどなかったからだ。当然、歩きにくくなった俺のスピードはいつもより落ち、結果、ここまで辿り着くのにいつも以上に時間がかかってしまったわけである。
 ちらと横目で彼女を見、俺は口を開く。
「おい慧。そろそろ離せって」
「やだよーだ」
 べーと舌を出し、抱きつく力を強める慧。
「お前が抱きついてる側のポケットに鍵が入ってるから、取り辛いんだよ。お前だって早く中に入りたいだろ」
「それより玲司にくっついてる方が良いー」
「あーもう」
そんなやり取りをしながら、俺は無理やり手をポケットに突っ込んだ。その弾みに腕が彼女の胸に当たり、慧が小さく声を漏らす。
「んっ」
「……」
 どことなく嬉しそうな響きに思わず意識しそうになるが、俺は何とか理性を保った。腕から伝わる柔らかな感覚を無理やり意識から追い出し、ポケットを探って鍵を取り出す。
「ほれ、開けるからちょっとどけ」
 いまだに俺から離れようとしない慧の位置をずらし、鍵穴へと差し込む。回転する鍵から伝わる手ごたえと共に、ガチャリと耳慣れた開錠の音が響いた。
ほぼ同時に、ドアノブを掴んだ慧が扉を開く。
開かれたドアの向こうもまた、外と同じく暗闇に閉ざされていた。家具の輪郭が濃淡となって部屋の中に浮かび、ガラスの向こうには暗闇に包まれた空と、夜景が見える。
「たっだいまーっと」
「ただいま」
 二人して帰宅の声を上げるが、一人暮らしの部屋では応えるものはいない。もっとも、すぐ側に彼女がいるせいか、別に寂しいとは思わなかった。
「うー、寒かった。早くあったまろうぜー」
 慧に引っ張れられながら、部屋に入る。日中は無人だったせいもあって、部屋の中の空気は暖かいといえないものではあったが、それでも外気の冷たさよりはずいぶんとマシだった。
 手探りで明かりのスイッチを入れ、ドアを閉めて鍵を掛けなおす。
「暖房〜、暖房〜」
ここまでずっと抱きついたままだった慧が、ようやく袖を離す。ばたばたと靴を脱ぎ散らかし、玄関を上がるとまるで自分の家であるかのような足取りで奥へと進んでいった。
ちなみに、俺が借りているのは学生の部屋らしくこぢんまりとした間取りのワンルーム。玄関を入ってすぐに小さなキッチン、反対側には浴室へのドアがある。正面のドアの奥がベッドと机が置かれた部屋だ。家賃は高くもなく安くもなく。真新しい建物ではないが、前の住人が綺麗に使ってくれたせいか汚れもなく、それほど古い感じはしない。
 コートを脱ぎながら俺も彼女の後に続くと、奥の部屋へと先に入っていた慧が声を上げた。
「うー、やっぱまだ寒いー。玲司、エアコンつけるぞー」
「勝手にしろー」
俺が声を返した直後、慧の入っていった部屋の明かりが点くと同時に、エアコンが動き出す音が聞こえた。説明せずとも勝手知ったる彼女の様子に、どっちがこの部屋の主か分からないな、と苦笑が漏れる。
「もういっそ、同居しちまってもいいかもな」
ルームシェアなんてのも流行ってるしな、と思いつつ、俺も部屋へと足を進める。
と、慧の姿を探すまでも無く、ベッドの上に寝転ぶ彼女がすぐ目に入った。彼女は朝起きた後そのままになっていた俺の布団を抱きしめ、上機嫌でごろごろと転がっている。
「んふふー」
 顔を布団に押し当て、くぐもった声を漏らす慧。表情は窺えないが、おそらくは至福の笑顔を浮かべているのだろう。幸せいっぱいといった調子の声と、ばたばたと布団を叩く足が、それを何より雄弁に物語っている。
「ん〜……れいじのにおいーっ」
 転がりながら布団に包まり、大きく息を吸い込む慧。見ようによってはちょっとアレだが、俺にとってはもう見慣れた、いつもの光景だった。
「……はぁ」
なので、今更何を言うでもなく、俺はその脇を通り過ぎ、カーテンを閉めた。脱いだコートをハンガーにかけ、それをカーテンレールに引っ掛ける。鞄を机の脇に下ろして携帯電話を取り出し、充電器に繋ぐとようやく一息つくことができた。
 椅子に腰掛け、背筋を伸ばす。その拍子に空気の冷たさを感じ、身体がぶるりと震えた。
「ん、まだちょっと寒いな……」
つけたばかりの暖房ではすぐには温まらないようで、コートを脱ぐと室内は少々肌寒い。
身体を温めるのに何か飲み物でも淹れるかと思い、俺は再び立ち上がるとキッチンへと向かった。ベッドに寝転がったままの慧に顔を向け、声をかける。
「コーヒーかなんか淹れるけど。慧も同じのでいいかー?」
「いいよー」
インスタントでいいよな、との俺の言葉に「おまかせー」と返す彼女。どうやらベッドから起き上がる気は無いようで、布団に包まったまま、幸せそうな笑顔を浮かべている。
 鼻歌交じりの上機嫌な慧を残し、キッチンへと入る。一段と下がった室温に震えつつ、俺は戸棚を開けた。奥の方に入れっぱなしだったインスタントのパックを取り出すと、手早く湯を沸かし、二人分のカップを用意する。
 寒さを堪えつつ、パックの封を切り、コーヒーの粉をカップに入れる。湯を注ぐと、白い湯気が立ち上った。立ち上る湯気にほんのわずか、空気の冷たさが紛れる。
湯気を立てるカップを置き、戸棚から包装された砂糖のスティックと、小さなミルクのカップを探す。甘党の俺にとっては、ブラックなどもってのほかなのだ。買ったままほとんど忘れかけていたスティックシュガーをようやく見つけると、キッチンから慧へと叫ぶ。
「砂糖とミルクはー?」
と、扉を隔てた部屋から間髪入れずに慧の声が返ってきた。
「多目にー! 玲司と同じくらい甘くしてねー!」
「あいよ」
注文の通りに二つとも同じ分の砂糖とミルクを入れ、かき混ぜる。黒かった液体がほとんど茶色になるくらいになったところで、俺はカップを載せたトレイを持ち、慧の待つ部屋へと向かった。
「できたぞー」
「ありがとー」
 部屋に入った俺を、俺の布団に包まったままの慧が迎える。
全身を布団に包み、顔だけを出した彼女はまるで蓑虫のような、芋虫のような、どことなく滑稽な姿だった。
「なあ、慧」
「なーにー?」
 俺の声に、慧は寝転がったままの格好で聞き返す。
「いや……」
 いろいろと突っ込みたい気もしたが、いつものことだと俺は自分に言い聞かせた。それに布団をしっかりと抱きしめ、幸せそうな笑みを浮かべる彼女を見ていると、言うだけ野暮な気もした。俺は出掛かった言葉を飲み込み、トレイをローテーブルの上に置く。
「……コーヒー。ここ置いとくからな」
「んー」
 ベッドの上でごろごろと転がりながら、返事をする慧。どうやら彼女に起き上がる気は無いようで、俺は自分のカップを取ると、ベッドに腰掛けた。
 上機嫌な慧の鼻歌を聞きながら、コーヒーに口をつける。
「あち……」
 舌先に感じた熱さに、もうちょっと冷ませばよかったかと反省しつつ、カップを置く。コーヒーを淹れていた間にエアコンも効いてきたようで、室内もほどよく温まってきている。これなら温まるためとはいえ、ここまで熱くする必要はなかったかもしれない。
「悪い、ちょっと熱すぎたこれ。慧、飲むのは少し冷ましてからにした方が良いな」
俺に負けず劣らず猫舌の慧のことを考え、声を掛ける。
俺の言葉に彼女は首だけを布団から出し、声を返した。
「ふーん。わかった、そうする」
 それだけを言うと、慧は再び布団を抱きしめ、自分の世界に戻っていった。
 俺もまた彼女から目を外すと、手の中のカップに意識を向けた。
ふーふーと息を吹きかけてコーヒーを冷ましつつ、ちびちびとすする。ミルクと砂糖で緩和したとはいえ、苦味が残る熱い液体を少しずつ飲んでいると、身体の芯から温まっていく。
少しずつ熱さにも慣れ、甘いコーヒーを味わっていると、慧の鼻歌が布団から漏れ聞こえてきた。
「ん〜、んふふ〜」
何がそんなに楽しいのか、と呆れつつも、首を向ける。
俺の視線の先には、こんもりと盛り上がり、小さな山のようになっている布団があった。慧はいつの間にやら布団を頭まで被り、その中に完全に潜り込んでいるようだった。中で何をやっているのか、もぞもぞと蠢く布団は、なんだかますます芋虫めいて見える。
「うん、キモイな」
 思わず漏れた言葉に、わずかにむっとしたらしい慧の声が布団の中から響く。
「ほっといて。というか女の子にキモイとかいうな」
「そりゃ済まない」
 俺が謝ると、慧は機嫌を直してくれた。元々そこまでは気にしていなかったのだろう。またも布団に潜り込み、鼻歌を響かせる。
視線を戻し、コーヒーに口をつけようとした俺は、ふと彼女の声に混じって聞こえる別の音に気付いた。反射的に振り向くと同時に、布団の裾から覗くものが俺の目に入る。
「げ」
 ぴきり、と頬を強張らせた俺の目の前で揺れるのは、豊かな黒い毛を持った尻尾だった。大型犬か、狼のようにも見える獣の尻尾が、ばさり、ばさりと音を立てて楽しげに振られている。世間一般が悪魔の尻尾として思い浮かべるものとはかなり特徴が異なるが、これが、サキュバス・ケルベロスとなった慧自慢の尻尾なのだ。
「おい、慧」
「ん〜? 何?」
 上機嫌で尻尾を振りながら尋ねる慧に答えず、俺は立ち上がり、布団を剥ぎ取った。
「あー、なにすんだよー!」
 俺の突然の行動に、慧は不満げな声を上げる。
その姿はつい先刻、帰り道で変身したものと同じ、サキュバスのものになっていた。長く見事な毛並みの尻尾が、彼女の腰から伸びているだけでなく、手足も獣のような姿に変わっている。銀色に近くなった髪からは三角形をした角が飛び出し、露出の増えた肌には奇妙な紋様が浮かび、背中からは翼腕のような異形が飛び出していた。
「いくら玲司でもひどいだろー!」
お気に入りのおもちゃを取り上げられた子どものように、彼女は文句を漏らす。こちらに向けられた瞳はエメラルドのような色に変わり、縦長の瞳孔には明らかな不快の色があった。
 だが、俺はそれを無視すると、先ほどまで彼女が寝転んでいたベッドを指差し、言う。
「お前なあ、布団の中で変身するんじゃねーよ」
「え? あ、ほんとだ」
 俺の言葉に、自分の姿を見下ろし、呟く慧。
「気付いてなかったのかよ……」
「う、うん……」
その態度を見る限り、どうやら本気でサキュバス姿になったことに気付いていなかったようだ。
「二人きりだし、変身するのはまあいいとしても……あーもう、布団毛だらけじゃねーか」
「わ、悪い。け、けどさぁ……この匂いに包まれてると、玲司に抱かれてるみたいで……」
 布団を抱き寄せた慧が、瞳をとろんとさせ、うっとりと呟く。口から漏れる吐息に熱がこもり、擦り付ける頬に赤みが増していく。
 引き込まれるような妖しい魅力を漂わせ始めた慧の姿に、知らず、俺の鼓動が早まる。頬に熱を感じつつ、俺は彼女から瞳を逸らすと努めて平静を装い、言葉を続けた。
「し、仕方ないか。俺と二人のときはいいけど、さっきみたいな外では気をつけろよ?」
「分かってるって。ありがと」
 俺の言葉に、微笑む彼女の気配。
二人の間に漂いだした妙な雰囲気を変えようと、テレビでも点けるかと腰を浮かしかけた俺に、慧の声が掛かる。
「なあ」
「あー?」
 何となく、いまだ狂ったままの自分の調子に戸惑いながら声を上げ、振り向こうとする。だがそれよりも早く、伸ばされた慧の手が、俺の腕を掴んだ。
温かく柔らかな毛と、わずかに当たる爪の硬い感触が伝わった瞬間、ぐっと腕が引かれた。視界が回転し、ベッドに倒れこむ。
「うわ、っとと……」
 ぼすん、と言う音と共にマットに身体が沈む。直後ベッドのスプリングがぎしぎしと軋み、俺の身体をかすかに弾ませた。
突然のことに少しばかり戸惑いつつも、すぐ側の彼女へと顔を向ける。
「慧? どうし……」
 だが、俺が最後まで言うよりも早く、慧の腕が俺の身体をがっちりと抱きしめた。その細腕に似合わない力で、けれど俺に苦痛は感じさせないようにやさしく、両腕が背中に回される。
 肌と肌が触れ合うほどの至近距離にある彼女の顔。もうすっかり見慣れたはずなのに、揺れる瞳に見つめられていると、無性に心が騒いだ。
 そんな俺の内心を見透かしたように、慧が瞳を細める。くすり、と小さくも妖しげな笑みを漏らした彼女は、背に回した片手をそっと俺の後頭部へとずらし、己へと引き寄せた。
 抵抗する間もなく――そもそも、そんな気もなかったが――彼女の唇が、俺と触れる。
「ん……ちゅ……」
 かすかな音と、柔らかな感触。彼女の温かな舌がゆっくりと唇をなぞる。俺も舌を伸ばし、彼女の舌と触れ合わせると、間近にある瞳が嬉しげに揺れた。
「んふぅ……ちゅぷ、ん、ちゅ、れろ……」
 漏れ出た吐息が頬をくすぐる。慧は俺の頭を抱えたまま、ついばむようなキスを繰り返した。そのうちに唇だけは満足できなくなったのか、彼女は俺の頬や鼻の頭にまで舌を這わせ、ぺろぺろと舐めだした。
「ちゅぱ……、ぺろ……んぅ……れろ…ちゅぅ……」
 うっとりと、幸せそうな声を時折響かせながら、俺を求める慧。貪るように吸い付く唇と、唾液を塗りたくるように肌に這う舌。サキュバスらしく、欲望に身を任せた行為。
けれどその欲望の奥にある想いは、しっかりと伝わってくる。
「慧……、ん……」
「わふぅ……ん、ふぅ……」
 彼女の名を呼び、俺が求めに応えると、慧は尻尾を揺らした。甘える子犬のような様子はサキュバスになった彼女の異形とはミスマッチでありながらも、少しも彼女の魅力を損なっていはいなかった。
「くふぅん……ん、ちゅぷ、ふぁ……ちゅ……」
 鼻を鳴らしながら、俺を舐め、キスを繰り返す慧。舌が絡んでは離れ、互いの口内を蹂躙する。頬の内側を這う舌に唾液が塗りたくられ、伸ばした舌が相手の唾液を舐め取る。それでも足りないとばかりに彼女が俺を抱く腕に力がこもり、より強く抱きしめてきた。毛皮に包まれてもなお女性を感じさせる豊かなふくらみが押し当てられ、形を変える。
 俺もまた、無意識のうちに腕を伸ばし、彼女の頭をかき抱いていた。男女などと言われてもなんだかんだで手入れはしているらしく、髪を梳くたびに女性特有の香りが漂う。
「慧の髪、いい匂いがするな……」
 意識をぼやけさせる香りに、俺は呟く。心地よさそうな慧の表情を見つつ、俺は優しく彼女の頭を撫でた。さらさらの髪が指の間をすり抜け、零れ落ちる。
 と、不意にその手が硬いものに触れた。
「きゃぅ……ぅ、ん……ぁ……」
 慧の髪から突き出た角だと気付いた瞬間、嬌声に似た声が彼女の口から迸った。まるで微弱な電気が流されたかのように、彼女の身体がかすかに震える。
「ご、ごめん」
「わふ、ぅ……ううん、へいき……」
 慌てる俺に、軽く首を振る慧。どうやら、突然の刺激に驚いただけらしい。ほっと安堵の息を吐く俺に、彼女は言葉を続ける。
「だいじょうぶ、だから……れいじのてだから、うれしい、から……」
 目じりに小さな涙を浮かべつつも、微笑む慧。彼女は俺の肩に頭を当て、そっと目を閉じた。彼女の温かさが触れ合う肌から染み込み、俺を包み込んでいく。それだけで、彼女が魔性のものなってもなお、心から俺を想ってくれていることが伝わってきた。
「ありがとな……」
 感謝の言葉と共に、キスで彼女に応える。慧もまた、唇を重ね合わせてくれる。言葉はなくても、二人の気持ちは同じだった。
 長い長いキスを終え、どちらからともなく顔を離す。いまだ乾かぬ唾液に塗れ、頬を染める彼女の顔は、どことなく淫らで、そして可愛らしかった。
 しばし、俺たちは抱き合ったまま、無言で見つめ合う。
けれどすぐに、慧の瞳の中に何かを期待する色があるのに気付いた。
「どした?」
「えっと……」
 尋ねると、彼女は少しだけ言葉を詰まらせながら、おずおずと何かを差し出した。
「これは……」
 目の前に差し出されたのは、黒い革の首輪。鈍い黒銀の留め金の先には、小さなタグが付いている。年経ているが、大事に使われているのがはっきりと分かる。それも当然だった。彼女にとって、とても大切なものだからだ。
 ――サキュバス・ケルベロスの主の証。
 そして、その首輪は俺にとっても見慣れたもので、そして彼女が思うのと同じくらい、大事なものだった。
――俺と、彼女の絆の証。
これを差し出し、自らの首に嵌めてもらうことが、彼女が俺のモノであることを示す証であり、主としもべの淫らな宴の開幕の合図であった。その関係はどこか歪んでいるのかもしれなかったが、この場にそれを問題にするものはいなかった。
彼女も分かっているのだろう、慧――いや、サキュバス・ケルベロスは嬉しそうに微笑む。差し出した首輪をそっと握らせ、期待に満ちた目で、俺を見つめる。
「ごしゅじんさまぁ……あなたの手で、首輪を……あなたのものだという証を、ください……」
 上目遣いにこちらを覗き込みながら、媚びるような甘い声で囁く。男の理性を蕩かすような彼女の表情は、まさしく淫魔そのものと言えた。
「ん……、分かった」
 彼女の手から首輪を受け取り、身を起こす。指先に触れた留め金の冷たさが伝わるが、俺の中に高まる熱を冷ますことは出来なかった。留め金からベルトを外すと、金属のタグが揺れる。その表面には、奇妙な文字が刻み込まれていた。どうやら俺と慧の名前、そして主としもべの契約の意味があるらしい。呪文というよりは、誓いといったものらしかったが。
「はやくぅ……」
 耳に届いた慧の声が、俺の意識を引き戻す。俺の目の前で。ベッドの上に膝立ちになった慧が、いまかいまかと待ち焦がれていた。そわそわと落ち着きなく揺れる尻尾や羽も、早く早くと俺を急かす。
「それじゃ、付けるよ」
 俺の言葉にこくりと頷く慧。それを見て、俺はゆっくりと革のベルトを彼女の首へと巻きつける。慧の細い首に指先が触れ、滑らかな肌に留め金が触れると、肩がぴくりと震えた。きつくなりすぎないように、余裕を持たせてベルトを締める。
「苦しくないか?」
「うん……へいき……」
ちゃり、とタグと金具を繋ぐ鎖が音を立てると、慧は至福の表情を浮かべた。
「くふぅん……ごしゅじんさまぁ……」
 鼻を鳴らし、すりすりと頬を俺の胸に擦り付ける慧。彼女は俺の手を取ると指を絡め、優しく握った。俺も優しく握り返すと、人のものとは異なる、獣毛に覆われた彼女の掌の感触が伝わってくる。
「ん……もっと、ぎゅっとぉ……」
「はいはい」
 慧のおねだりに応えてしっかりと手を握り、慧をさらにぎゅっと抱きしめる。
それに彼女は嬉しそうに尻尾を振りながら微笑み、俺を見つめた。
「わふ……」
 身も心も俺に任せ、慧は安らいだ声を漏らす。子どもっぽい口調や、幼子のように甘える姿は、彼女が俺の前でだけ見せるものだった。俺だけが知っている恋人の姿に、優越感がもたらされ、独占欲が満たされるのを感じる。
「ね……」
小さく声を発し、慧はそのまますっと顎を上げ、揺らめく瞳を静かに閉じる。
その意図を察して、俺も瞳を閉じ、再び彼女へと口付けた。
「ちゅ……」
唇同士が触れ合い、小さな音が聞こえた。触れ合う場所から、彼女の体温と、柔らかな感触が伝わる。半ば無意識に彼女の唇を吸い上げ、その身体を自らに押し付けるように抱きしめる。
「ん……」
腕の中で、慧が身をよじる。けれどそれは拒絶ではなく、快感に震える悦びからだった。
 と、不意に慧がぴくりと震え、声を漏らした。
「あ……」
 何かに気付いた彼女はゆっくりと瞳を開き、そっと顔を離す。キスの証である唾液が口元を濡らし、上気した彼女の顔は言葉にしがたい魅力を醸し出している。見つめていると、もう一度その唇を塞ぎたい衝動に襲われる。
 けれど、それよりも先に、慧はわずかに視線を動かし、俯いた。
自分もまた、彼女のずらした視線を追う。
すると、互いの身体の間で、勃ち上がった俺の肉棒がズボンを押し上げ、彼女のお腹に当たっているのが目に映った。
視角が得た情報を、一瞬の間を置いて理解する。直後、先ほどまでの興奮とは別の意味で頬が熱くなった。失敗が露見した子どものように、羞恥が襲い掛かってくる。いや、俺と彼女との間で今更こんなことを恥ずかしがるのも変な話なのだが。何度お互いの身体を重ねても、彼女が魔物になり俺もまた彼女に近しい存在になっていても、根本的な部分で男のプライドのようなものがあるのだろう。
「いや、これはその……」
「ごしゅじんさまの……硬くなってるね……」
逃避気味にそんなことを考えつつ、意味を成さない言葉を呟きかけた俺を、慧の声が遮る。
 彼女はくす、とかすかに笑い、俺の耳元に口を近づけて囁いた。
「わたしとキスして、こんなにしてくれたの? 嬉しいな……」
慧の言葉に、俺はさらに顔を熱くする。いつものがさつな言葉遣いは影を潜め、女性らしい柔らかな口調。しかし声に混ざる響きや、揺れる瞳の奥に、期待と淫らな欲望が見え隠れして いた。
慧は俺の耳に舌を伸ばし、舐め上げると視線を下げ、自らに当たる俺のモノへと目をやった。
伸ばされた手が、ズボンの上から俺を撫で上げる。たったそれだけのことでも、俺には神経を震わせるような快感が走った。反射的に、抑えきれない声が漏れ出る。
「うっ、く……」
 愛撫に反応し、硬さを増したペニスが痛いくらいにズボンに押し付けられる。
「苦しそう……ごしゅじんさま、がまんしないで?」
 いたわるような慧の言葉。だが同時に、声には快楽を求める妖艶な響きが滲む。それに彼女はもう、身も心もサキュバスなのだということを、実感した。
 慧の指が、俺のベルトを外し、ズボンのファスナーを下げる。トランクスがずらされ、肌に彼女の手が直接触れた。獣毛に包まれ、柔らかく、温かなその手が不思議な快感を俺に与える。
思わず震えた俺の反応を見逃さず、慧が笑みを浮かべる。
「ごしゅじんさま、わたしの手、よかったの?」
「あ、あ……」
 俺が答えると同時に、ペニスに指が優しく触れる。稲妻のような刺激が背を駆けぬけ、俺の身体が跳ねた。慧の手に握られ、ズボンから引き出されたペニスは硬く勃起し、時折びくびくと震えている。
「おっきいね……」
露にされたペニスから立ち上るオスの匂いを大きく吸い込み、慧がうっとりと頬を緩める。
「はぁ……ん……、このにおい、すきぃ……」
 サキュバスとなった慧には、俺の匂いだけで興奮が高められていくようだ。瞳からは完全に理性が抜け落ち、呼吸も荒く熱っぽい。
 そしてそれは、俺も同じだった。腕の中の慧の身体をくるりと回し、背後から抱きしめる。
「慧も……がまんするなよ……」
「……ん」
 彼女は一瞬驚いたようだったが、すぐに俺へと身を任せた。ショートカットの髪のおかげで、彼女の細いうなじが見える。同時に、そこに巻かれた首輪が目に入った。
――こいつは俺のモノだ。
衝動的に湧き上がってきたその想いに突き動かされ、俺は背後から慧の胸に手を伸ばす。毛皮に包まれた双丘を掴むと、慧の口から声が上がった。
「きゃうぅん!」
 一瞬、やりすぎたか、と手を離しかけたが、浮かしかけた俺の手に彼女の手が重ねられ、止められる。同時に、先ほどの声は悲鳴というよりは、悦びを強く滲ませたものだったと分かった。肩越しに振り返った彼女の眼も、大丈夫、と言っていた。
「やめないで、ごしゅじんさまぁ……おねがい……」
 目じりに涙を浮かべ、慧が嘆願してくる。それが苦痛ではなく、歓喜によるものだというのは彼女の表情を見れば明らかだった。
それに頷き、今度は優しく、両手で包むように乳房を包む。ぴくりと震えたのは、気持ち良かったのだろう。
ゆっくりと、手のひら全体で彼女の柔らかさを味わう。どくん、どくんと鼓動を速める心臓のリズムが、触れた部分から俺にまで伝わった。それが、俺の興奮を高めていく。
「はぁ、ぅ……ふぁ……」
 悩ましげな響きと共に、吐き出される慧の息が指に掛かる。熱を帯びた吐息が俺の中に燃える火を強め、手の動きを段々と激しいものへと変えていく。
弾力に富む彼女の胸をこね、形を変える。そのうちに毛皮の中で勃ちはじめた乳首が、指先に触れた。指の腹で転がし、弾いてやるとそれに合わせて彼女は身をよじり、首輪に繋がれたタグが暴れ、鎖が音を鳴らす。
「わぅ、ん……、きもち、いいよぉ……」
だらしなく舌を垂らし、涙を零しながら俺の手に蹂躙される慧。けれど、彼女の顔に拒絶の色は欠片もない。どころか、もっともっと貪欲に快感を得ようとする。
「もっとぉ……つよくぅ……」
「分かった」
 彼女の求めに応え、乱暴なくらいに強く胸を掴む。
「きゅうぅうんっ……!」
 ひときわ大きな声と共に、抱きしめた腕の中で彼女の身体が暴れた。押し付け合う互いの身体の間で、尻尾と羽がばたばたと動く。
それに構わず、俺は強引に彼女を押さえつけ、胸を揉みしだく。乳房を歪ませ、弾ませているうちに、手のひらに伝わる感触が変わる。おそらく、より直接的な刺激を求めて胸を覆う毛皮を消したのだろう。汗でしっとりと湿ったすべすべの肌は俺の手に吸い付くようだった。
「ふぁっ、あ、ああっ……くぅうん!」
より強烈な快感に、慧は声を抑えようともしなかった。悦びに満ちた叫びを上げ、肌に直接触れる俺の手から、さらなる快楽を得ようとする。
 そんな彼女が愛おしくて、俺もまた、慧への愛撫、その動きを加速させていく。
「はぁ、はぁ」
 獣のような呼吸が、耳に五月蝿く響く。どちらが立てている音なのか、もう分からなかった。貪りつくように、背後から彼女の首元に顔を埋め、肌に口付ける。舌を這わせると、汗の味がした。慧がくすぐったそうに身をよじるが、先ほどさんざん舐められたお返しとばかりに、俺は彼女の肌を味わい続ける。
「ね……」
ふと耳に響いた声に、顔を上げる。いつの間にか、慧の手が俺の手に重ねられていた。
視線を交わすと、彼女は俺の手を握り、胸から腹、そしてその下へと自分の身体をなぞるように導いていく。やがて俺の指先にホットパンツの布地が当たると同時に、彼女の手も止まった。
「こっちも……おねがい……」
 快感の涙に濡れた瞳を向け、慧が囁く。胸だけではもう我慢できないのだろう、彼女の瞳はいまだ満たされない渇きにふるふると震えていた。
「分かった、脱がすぞ」
「ん……」
 慧が頷くのを見て、俺は彼女のベルトを緩める。俺に抱き付き、腰を浮かせた慧からホットパンツと下着を一緒にずり下ろす。その瞬間――嗅覚に優れた慧ほどではないが―発情しきったメスの匂いが鼻をついた。男を狂わせる強烈な淫臭にペニスが反応し、彼女の尻肉を叩く。
「わぅ……ごしゅじんさまも……」
 俺が自分に欲情していることを感じ取り、慧は目を細める。
その間に服を脱がし終わった俺は、指先を彼女の秘所へと伸ばした。茂みをかき分けて辿り着いたそこは既にぐっしょりと濡れており、水気が指を湿らせる。下着に触ったときに気付いてはいたが、すぐにでも俺を受け入れたくてたまらない、といわんばかりだ。
「ぐしょぐしょだな……」
 指を割れ目の上で滑らせ、撫で上げる。俺が触れるたびに割れ目からは愛液が染み出し、指先にまとわり付いた。
ぶるぶると震える彼女が、途切れ途切れの声を上げる。
「んっ、ふぅ……っ! だ、だってぇ……き、きもち……ひっ、いぃ、ん、だもん……っ!」
 快感に慧の身体がびくんと震え、涙が零れる。
真っ赤な頬を流れ落ちる雫を見つめ、俺は囁いた。
「そっか、じゃあ、大丈夫だよな?」
俺は彼女の胸と股間に伸ばした手を絶え間なく動かし、快感を与え続ける。
「あっ、ふ、んんっ……、ひゃんっ!」
目の前の少女は、淫魔となった姿そのままに、性の快楽に溺れていた。嬌声を上げる少女の姿を見ていると。男の本能ともいえる、原初の欲望が満たされていく。
 大事な想い人を、俺の手が支配している。どこか歪んだ想いが、俺の理性を失わせ、獣へと変えようとする。いつしか俺の指は慧の秘所を割り開き、その中に埋められていた。ペニスはもう限界近くまで膨れ上がり、興奮のあまり滲み出た先走りが彼女の尻を汚している。
そして獣と化していたのは、彼女も同じだった。
「わぅっ、ん、あっ、あぁっ、ひゃう……っ!」
だらしなく開かれた口からは、言葉とも呼吸ともつかない音が響いているだけだ。肉壁は触れるたびにうごめき、快感を得ようと貪欲に指に絡みつく。まるで膣内自体が別の生き物のように動き、更なる快楽を求めている。
可愛らしく声を上げる彼女が愛おしく、もっと声が聞きたいと、俺はもう一本の指を秘所に挿し入れる。
「あっ……、やっ、まっ……」
 慧の目が見開かれ、怯えにも似た声が漏れた。だが俺は構わず二本の指を深く埋めると、先ほど以上に激しく膣内をかき回した。
「くうぅぅん……っ!」
 瞬間、腕の中の慧が背を反らし、ひときわ大きな嬌声を上げた。直後に力が抜けたのか、糸の切れた人形のように、身体が傾いだ。腕に彼女の体重が掛かる。どうやら軽く達してしまったようだ。
一回絶頂させたことで多少は冷静さが戻った俺は、抱きとめたままの慧をそっとベッドに下ろした。彼女の秘所から指を抜く。愛液でふやけきった指先を見、それから荒い呼吸を繰り返す慧に声を掛ける。
「わり、やりすぎたか……?」
「ふぅ……ふぅ……、だい、じょぶ……」
 何とか呼吸を整え、それでもまだ切れ切れに、慧が答える。
「ごしゅじんさまの指……気持ちよくて、嬉しかった……から」
「慧……」
 涙を浮かべながらもにこりと微笑む彼女に、胸が熱くなる。だが、俺の身体の中ではいまだに情欲の炎が燃え、ペニスも痛いくらいに勃起したままだ。
 それを察したのだろう。うつぶせの慧は肩越しに振り返り、瞳に淫らな悦びの色を滲ませる。
「うん……わたしも……ごしゅじんさま、ほしいよぉ……」
 言葉と共に、ふりふりと誘うように揺れる慧の尻尾。頬を染めた横顔に、期待が満ちている。
「俺も……。いくよ、慧」
 そういった俺に、彼女は腰をつき上げるように浮かせた。しとどに濡れた割れ目からは、時折雫が垂れ落ち、シーツに染みを作っている。いやらしく尻を振るメスの姿に、無意識につばを飲み込む。
 背後の俺の興奮が伝わったのか、慧の背に生えた異形の翼が嬉しげに羽ばたいた。だが同時にこれ以上はおあずけを待てないと、甘い声が俺を急かす。
「はやく、はやくぅ」
「分かってるって」
 苦笑しつつ、俺は慧の腰を掴んだ。熱くなった体温が、触れ合う場所から伝わり、俺の炎を大きくしていく。ペニスを押し付け、亀頭が彼女の肌に触れた瞬間、脳に電気が走った。
「う、っく……」
 快感を抑えきれず、声が漏れる。敏感になったペニスには、わずかな刺激すらも強烈な快感となって伝わる。それが引き金となって、再び俺が獣へと変わっていこうとする。
 慧を気持ちよくしてあげたい、という想いと、眼前のメスをめちゃくちゃにしたいという欲望が俺の中で渦を巻く。はあはあという自分の呼吸音が、やけに大きく聞こえた。
「ん……ごしゅじんさまの、あたって……くふぅん……」
 割れ目を探すペニスが、彼女の股間を撫でる。それにうっとりと声を漏らしながら、彼女は俺が挿入しやすいよう、腰をさらに上げる。秘所を見せ付けるサキュバス姿の慧に目を奪われながら、俺はひくつく秘唇の中心にペニスをあてがった。それだけでも快感の稲妻が、俺の全身に響く。
「挿れるよ」
 俺の中の獣は、もう抑え切れないくらいに大きくなっていた。短くそれだけをいうと、俺は慧の尻肉を掴んだ。
「ん……きてぇ……ごしゅじん、さまぁ……」
 思考を蕩かす慧の声が響いた瞬間、俺の理性は焼ききれた。殆ど一息に、ペニスを彼女へと挿し入れる。ぐちゅり、といういやらしい音と共に、灼熱が自身を包んだ。
「わぅぅうんっ!」
 背後からペニスに貫かれた慧も歓喜に吼え、身体を震わせる。彼女の悦びに応え、うごめく膣内はその襞でペニスをさらに奥へと導いていく。
強烈な締め付けに、気を抜けばすぐにでも達してしまいそうだ。俺は歯を食いしばり、彼女の尻を掴んだまま、自らを根元まで差し込んでいく。どろどろに溶けてしまいそうな熱と、それ以上にすさまじい快感が身体を満たす。
やがて先端に何かが当たる感触。最奥へと辿り着いたようだ。
「ふぅっ、ふぅっ……全部、入ったぞ……」
 荒い息と共にそう言うと、慧は頷いた。彼女もまた、強すぎる快感を堪えるだけで精一杯なのだろう。
 押し寄せ続ける快感の波を堪え、少しだけ落ち着きを取り戻した俺は、彼女の腰からゆっくりとペニスを引き抜いていく。
「ん……ぅ、くぅぅ……ん……」
 狭い膣内は快楽をもたらす肉棒を惜しむように、ペニスをきつく締め付ける。挿入とはまた違う刺激が、俺の背を駆けぬけていった。それは彼女も同じようで、唇をかみ締め、瞳を硬く閉じ、快感の嵐に耐えている。
「んぅう……やぁ、こすれるの……あぅ、いい、よぉ……」
 慧が漏らす震える声が聞こえる。引き抜かれ、再び姿を現した肉棒は彼女の愛液に塗れ、ぬらぬらといやらしく輝いていた。溢れた雫は彼女の足を伝い、シーツをも汚していく。
 ペニスが秘ところから完全に引き抜かれる直前、俺はぐっと腰を突き入れる。割れ目が押し開かれ、一度目よりもスムーズに俺を呑み込む。
「わぅんっ、また、はいってきたぁ……っ」
「くぅ……、やっぱ、すご……」
気持ちよさに身体が震えるたびに、荒れ狂う快感が脳を焼く。肉同士が擦れあうたびに響くぐちゅぐちゅという水音と、熱い彼女の膣内が俺の理性を壊していった。ひたすら高まる興奮に、獣欲が身体を支配していく。
「あっ、あっ……やっ、ん、わぅ……んっ……!」
うつぶせになり、尻を持ち上げた彼女の姿が、オスの征服欲を満たす。俺に組み敷かれた慧は涎に塗れた舌を垂らし、とめどなく涙を零しながら、嬌声を上げ続けた。快感のあまり、握り締めたシーツが彼女の爪で引き裂かれる。
「や、はっ……んっ、ごしゅじん、さま……っ、ごひゅじ、さまぁっ!」
慧が俺を呼ぶたびに、激しく振られた尻尾が当たる。だが、今の俺には気にもならなかった。意識はほぼ全て、慧と繋がる部分に振り向けられ、至高の快楽を味わおうとする。その欲望は底なしで、さらなる高みを目指し、熱狂する獣の本能と共に、腰の動きは加速していく。
「慧、けいぃ……」
半ば無意識のうちに、俺は愛する人の名を呼んでいた。だが一方で、荒々しい動きは彼女を蹂躙し、壊れるほどの快感を双方に与え続ける。刺激は脳の回路が焼ききれんばかりに高まり。視界を明滅させた。
「わぅ、ひ、んっ、らめ……きもち、ひもち、よすぎるよぉ……!やぁ、んっ、おかしく、おかしくなっちゃうぅ……」
 あまりの快楽にがくがくと震えながら、声を漏らす慧。けれど怯えたような声と裏腹に、その顔は至福に緩み、荒々しく突く俺の動きに、彼女も自ら合わせている。
 二人――いや、二人で一つの獣となった俺たちは、獣そのものの叫びを上げながら、ただひたすらに互いを、快楽を求め続ける。
 だが、永遠に続くかと思えたそれにも、やがて一度目の終焉が訪れようとしていた。
「ごしゅじ、さま……っ、も、もう……んっ、イきそ……」
 肩越しに視線を向けた慧が、掠れる声で囁く。真っ赤に染まり、涙と涎でぐちゃぐちゃになった彼女の横顔も、限界が近いことをうかがわせた。
「あぁ……俺、も……っ」
 そしてそれは、俺もまた同じだった。ペニスは今にも爆発しそうで、挿入するたびに押し寄せる快感の波はこれ以上堪えきれない。砕けそうなほどに歯を食いしばり、彼女より先に果てるものかと半ば意地で耐えているのが現状だった。
「んっ、あっ、いつでも、いい、よ……っ、いっしょに、イこ……っ!」
 微笑みながらそう誘う慧。その愛おしさに、俺は最後の力を振り絞り、叩きつけるように肉棒を押し込む。ペニスの先端と子宮とが痛いくらいにぶつかり、その衝撃が俺を決壊させた。
「でる、ぞっ……! うあぁっ!」
 振り絞った声と共に、身体のうち、下半身で何かが爆発する。精液が荒れ狂う奔流となって尿道を突き抜け、慧の奥へと流し込まれていく。
「あついの、んんっ、なか、にぃ……でてる、でてる、のぉ……わぅぅぅん……っ!」
 自らの中に注ぎ込まれる熱量に、慧もまた耐え切れず限界を迎えた。背を弓なりに反り返らせ、目と口を見開いて獣の叫びを上げる。脳裏が真っ白に塗りつぶされ、歓喜と高揚が胸を駆け巡った。
「はぁ、はぁ……、はぁ……」
 全てを出し尽くした俺は、脱力した身体を支えることも出来ず、彼女の上に圧し掛かるように倒れこんだ。肩を上下させ、荒い呼吸を繰り返す。
快感の波が引いたらしい慧もまた、シーツに埋めていた顔を上げた。射精してなお硬さと大きさを失わないペニスをくわえ込んだまま、幸せそうに俺を見つめる。
「いっぱい、出してくれたね……ありがと」
溢れ出た精液が、太ももに垂れるのを感じ、慧はうっとりと呟く。
それに俺も、愛しい彼女へと想いを込めて応える。
「慧の中……すごく、気持ちよかった……。ありがとう、大好きだよ」
「ん……わたしも、大好き……」
 いつもの俺たちなら、決して口に出来ないような言葉。けれど、外聞も何もない、サキュバスとその主になれるこの瞬間なら、素直になれた。
 ベッドに倒れ、繋がったままで、俺たちは抱き合う。二人ともまだまだ満足なんてしていない。呼吸を整えた俺たちはどちらからともなく、再び快楽をむさぼりだすのだった。



「……玲司ー」
 すぐ側で自分を呼ぶ声がした。
一瞬だけ、記憶が混乱しかかったが、すぐに先ほどまでしていたことを思い出した。
ということは、名を呼んだのは、彼女だろう。
そこまで考えると同時、明かりが遮られたのか、閉じた瞼の裏の闇が深くなる。おそらく彼女が俺の顔を覗き込みでもしているのだろう。
「れーいーじー」
 なかなか反応を示さない俺に焦れた様子が、声から分かる。
「起きてるよ」
瞼は重かったが、このまま閉じていたら何をされるか分からない。苦労して瞳を開けると、やはりというか、目の前には慧の顔があった。
疲れのせいで身体が重い。声は返したものの、起きるのも億劫なので、仰向けに寝そべったまま尋ねる。
「どした?」
俺の問いに慧は「なんでもないんだけどさ」と呟く。
彼女はベッドに寝転がった俺の側で、四つんばいになってこちらをのぞきこんでいた。髪が乱れているのは、先ほどまでの情事のためだろう。あれからも何度も交わったせいで、いまだ部屋の中には淫らな匂いがこもっている。
彼女の格好はサキュバスの姿のままで、頭には角が見え、翼腕や尻尾、獣毛に包まれた腕も先ほどと変わらず、こちらを覗き込む瞳は魔物のそれだった。服を着る気はないのか、胸や股間は露出したままだったが。
「素っ裸なのやめろ。せめて隠せ」
 ふと彼女の股間から垂れ落ちた精液が太ももを伝うのを見てしまい、頬が熱くなる。交わりの最中は平気だったが、いざ冷静になったあとだと、恋人とはいえ目のやり場に困る。
もっとも、わざとぶっきらぼうに言い放った言葉が、俺の照れ隠しであることは、慧にとってはお見通しだったようだ。
彼女はにやりと笑うと、片手で自分の胸を掴み、身を乗り出すようにこちらに見せ付けてくる。
「いーじゃんかよ。玲司だってオレの裸好きだろ。さっきだって、オレのおっぱいあんなにいじめてたしさー。ほら、なんならもう一度、好きにしてもいいぜー」
だが、それは誘惑するというよりは、からかうような調子が強い。口調や態度が先ほどまでの甘える子犬のようなものとは違い、いつものがさつな調子に戻っているのも、そのせいだろう。
それはそれで、互いに気の置けない関係の証なのだけれど、ほんの少し、心の片隅で――エッチのときの彼女のままでもいいのになあ、なんて思ってしまう。
あの、俺を主と慕い、淫らながらに可愛らしい姿を見せてくれるサキュバス・ケルベロスの慧は、俺にとっては何より大切なものになっていたからだ。
「それとも、もっかいご奉仕してやろっか? ごしゅじんさま?」
 重ね重ね、俺のことはお見通しだったようだ。正直なところ、それはちょっと魅力的な提案なだけに、上手い返しもできなかった。せいぜいできるのは、小さく悪態をつくくらいだ。
「……くそ」
 そっぽを向いた俺に、くすくすと笑う慧。
「玲司もインキュバスになったのに、なんで変なところで恥ずかしがるかなー」
それは俺自身、考えないでもなかった。けどまあ、俺の根っこの部分はそうそう変わらないのだろう。いくら彼女との交わりを経て、人から逸脱しかけていても。
 彼女もそれ程深く追求しようとは思っていないようで、それきり口をつぐんだ。沈黙が二人の間に落ちるが、特に不快なものではなかった。彼女も同じらしく、ぱたり、ぱたりと布団を叩く彼女の尻尾も、それを示している。
そのうち俺の顔を眺めるのも飽きたのか、それとも流石のサキュバスもあれだけシたのには疲れたのか、慧は俺の横にころりと寝転んだ。
「腕枕してくれよー」
「あいよ」
断る理由もないので、慧の求めに応え、腕を真横に伸ばす。彼女は嬉しそうににじり寄り、俺の腕に頭を下ろした。何度か身じろぎをしてベストな位置を見つけると、それから身体を横向け、抱きついてきた。サキュバスの翼が俺の身体に回され、二人をしっかりと密着させた。彼女の肌が俺に触れる。女性らしい、柔らかな身体。
ふと気になって、俺は口を開いた。
「シャワーも浴びてないし、汗臭くないか?」
「んー、気にしないけど。むしろ玲司の匂いがいっぱいだから、このままのが好きかな」
「そんなもんかね」
 疲れ以上に、恋人と抱き合う心地よさが思考を鈍らせていた。深く考えることもなく、俺はぼんやりと天井を見つめる。
「わふ……あったかい……」
 すぐ側では、同じく心地よさに身を任せた慧がうっとりと呟いている。言葉にこそしなかったが、それは俺が感じているものと同じだった。きっと抱き合って互いの体温が伝わったことだけではない。身体も、心も満たされているからこそなのだろう。
 と、くいくいと服の裾が引っ張られた。
「ん?」
 どうかしたかと顔を向けると、目と鼻の先にある彼女の顔が、上気しているのが見えた。密着した胸からも、加速する鼓動が伝わってくる。
おそらくは俺の匂いと、体温でまた興奮がぶり返してきたらしい。期待に満ちた瞳で俺を見つめ、慧は耳元で囁いた。
「な……やっぱり、も一回しよ?」
彼女は答えを待たずに起き上がり、俺の上に跨る。その拍子に嵌めたままの首輪がちゃり、と音を立てた。背の翼を広がり、揺れる尻尾が俺を撫でる。
「またいっぱい、気持ちよくしてあげるから……ね?」
覆いかぶさるようにして口づけをした慧が、淫らに笑って言う。
その笑顔を見つめながら、俺は今夜も、長くなりそうだ、とぼんやり思うのだった。


終わり
13/12/14 22:22更新 / ストレンジ

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