連載小説
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戦士
アイオンのサーガ


登場人物

 アイオン
 主神教団の元戦士であり、今は魔物とともに旅をしている青年。
 貞操観念が緩くなったのではないかと悩んでいる。

 ガーラ
 アイオンの旅のきっかけとなったハイオークの魔物娘。
 旅の仲間が増えるたびにやきもきしている。

 ノチェ
 故あってアイオンとガーラに助けられた妖精。
 一見可憐だが、愛する人のためならば命を捧げようとする激情を秘める。

 カルタ
 アイオンと戦い、仲間となったケット・シーの魔物娘。
 仲間を守るために何かをできるようになりたいと望んでいる。

 ヘルハウンドたち
 ニヴ、ザンナ、クロ、プレザの四姉妹(ニヴが長女)。
 アイオンとは戦った過去を持つも、死地を救いに現れる。
 今は旅の仲間として共に行動している。

 アルデン神父
 アイオンの育ての親である教団の神父。
 今もなお、アイオンのことを案じている。

 ティリア
 アイオンとともに育ち、彼に対する愛と執着を自覚した女。
 堕落したアイオンを追うものの、その足取りを掴めずにいる。










 序 凶報

 ……とある町の教会に一報が届く。
 それは教団が発行する速報であった。月に数度、複数の事案をまとめて通達するためのものだが、それには物事の通達だけでなく訃報も同時に記されている。そして、教会の主はとある事件と、その死傷者の名を見て悲しみに満ちたため息を吐く。
 そこにはこう書かれていた。

 『ヨアンネス・バルト 魔物との交戦中にて死亡』

 「……ヨアンネス、どうして……」
 神父は、たまらずその事件の報へと目を落とす。
 『さる冬の月、初旬
  ノーシア国ルーク伯爵領にて、魔物の集落があるとの報を受けた伯爵はミハイル子爵に討伐を命じられた。
  子爵は即座に討伐隊を編成し、件の集落へと討伐に出向く。
  そこで魔物と堕落者の一団と遭遇、交戦を行う。
  初戦は子爵の類い稀なる戦略と勇猛なる討伐隊の活躍により辛くも犠牲者を出すことなく勝利を得るも、新たな魔物の一団が集落に向かっているとの報せを受けた子爵はいったん撤退し、その後待ち伏せからの奇襲を行い、魔物の一団の殲滅を計画する。しかし、狡猾な魔物の一団によって子爵の計略は見破られたため、やむを得ず交戦を開始。
  特徴からハイオークとみられる魔物は堕落者である戦士とともに兵士数名を残酷にも殺害せしめる。
  その後、勇気ある兵士たちの猛攻によりハイオークと堕落者へと痛打を与えるものの新たに表れた魔物が悍ましい魔術を用いて死者を蘇らせ、討伐隊へと襲い掛からせた。
  この脅威を前に討伐隊は果敢に戦うも、兵士数名と教団の戦士一名の死者を出し、子爵はこれ以上の交戦は危険と断腸の思いで決断し撤退を決定する。
  この報せを受け教団とノーシア国は魔物に対する警戒を強めるとともに、件のハイオーク含む魔物の一団と堕落者の戦士に対し討伐を行うべく情報の公募を行い、また討伐者には賞金を出すと発表した。
  討伐において有益な情報を提供したものには教団及び伯爵より褒賞を出すとの……』
 記事を一通り読み終えた神父は、再度深いため息をつく。ハイオーク、そして戦士……それはかつて、我が子同然に愛し、そして父のように慕ってくれた青年を思い出させずにはいられなかった。その青年は幼き日の出来事から深く魔物を憎んでいた、はずだった。
 だが、その心は堕落してしまった、否……していた。
 その戦士と同じく、幼き日より娘のように愛し育てた養女であるシスターの口から告げられた言葉は、ひどく残酷に神父の心をえぐったのである。そして、その戦士を愛し慕っていた娘もまた戦士を追って神父のもとを去ってしまった。その時の娘の眼、それを神父は忘れることができなかった。怒りと、嫉妬、そして何よりも深い恋慕と執着……まるで魔物の如く苛烈に燃えるその瞳を神父は忘れることができなかった。
 堕落してしまった息子、そしてその息子を愛するあまり嫉妬に狂った娘……嗚呼、私の愛は間違っていたのだろうか……道を踏み外してしまった、最愛の子らを前に神父はどうすることもできなかった。それ以来、神父はすっかり打ちのめされ、ただ静かに教会の中に籠る日々を過ごしていたのである。
 そこに届いた、友の訃報。
 神父はただ静かに首を垂れる。
 「……神よ、なぜ……こうも続けて試練を与え給うのか」
 主神の印を手に握り、祈りを捧げる。神父は恐ろしかった。頭の片隅に浮かぶとある考え。それはこの報せにある戦士は、己が知っている者ではないかと。兵士の集団を相手取り、魔物連れとはいえそれを撃退できるほどの戦士はそうはいない。だが、神父は知っている。かつて、息子であった戦士はそれだけのことを為せるだけの力があった。おそらく、旅のさなかでいくつかの戦いを経たのならばよりその力は強まっていることであろう。だからこそ、恐ろしかった。
 かつて育てた、愛した息子が……自らの友を葬り去った戦士なのではないのかと。そう思わずにはいられなかったからだ。

 ……

 息苦しい沈黙だけが、部屋の中に重く漂う。あの時、あの日の後悔だけが心の中に、鋭く突き刺さる。なぜ、彼らの傍にいてやれなかったのか。なぜ、彼らの、息子の心に気づいてやれなかったのか……寄り添ってやれなかったのか……魔物に付け入る隙を、与えてしまった、息子を失うきっかけを作ってしまった。

 「アイオン……ティリア……」

 決して、口にしまいとしていた息子の名を、そして帰らぬ娘の名を呟く。誰もいない、静かな部屋の中で、その響きは掠れるように消える。それに、名を呼んだところで彼らが、あの日に戻ることはない。既に過ぎ去ったその時を経て今があるのだ。
 神父は手を組み、沈鬱な表情で空を見つめる。神父は、二人の間に紡がれた絆をわかっていた。わかっていたからこそ、いずれこの教会を、二人に任せようと思ってもいた。我が子同然の二人が、揃って手を取り歩む姿はさぞ美しいものだろう。それが、老いた戦士のささやかな夢であり望みでもあった。
 もう……その夢が叶うことはないのだろう。

 神父は、壁に掛けられた剣へと目を落とす。かつては己も、戦士として魔物と戦い、そしてその魔物に心を奪われ信仰を忘れた者たちを葬り去ってきた。それを悔いたことも、
躊躇したこともなかった。だが……
 神父は自問する。はたして、己は剣を向けることができるだろうか、何の迷いもなく己の武技をもって裏切り者の……息子を斬れるだろうか……

 ただ……静かに、時が流れていく。






 ……ノーシア国ルーク領、離れた故郷の教会にて神父がその一報を読み解いていた頃。その地に一人のシスターが訪れていた。
 雪が降りしきる中、シスターはキャラバンとともに静かに歩みを進める。馬に跨り、その目は鋭く周囲を警戒している。燃えるような赤毛を毛皮のフードに押し込み、静かに進むその姿は守護者のようであり、それでいて時折フードの隙間から覗く顔立ちはどこか見るものを惹きつける魅力があった。
 そんな彼女の存在を、キャラバンは心強く思っていた。いつ野盗や魔物に襲われるかわからない旅の中で、男女問わず戦える存在はとてもありがたいものであるし、シスターとして皆に献身的である姿勢はつらい冬の旅において共同体を維持するのに一役買ってくれてもいた。何より、ティリアの美しく燃えるような情熱と信念を感じさせる姿は、多くのものに前に進む勇気を与えてくれていた。
 そして、その姿に見惚れる者は多かったが、それと同時に彼女に近づこうとするものもまた少なかった。当初こそ、色気に飢えた男たちがあれやこれやと世話を焼くように近づこうとしたものの、ティリアの心がキャラバンのだれにも靡かないということを察するうちに大半のものは日々の必要な会話にとどめるだけになっていった。だが、それでもなおティリアの美貌に惹かれ、ものにしようと試みた者もいた。しかし、その者も今は遠巻きにティリアを眺めるだけにとどめている。事情を知っている者は彼がティリアに強引に迫った際にきっぱりと振られたからだと知っており、それをネタにからかったりもしていたが、それと同時に彼のしつこさを知ってもいたため一回で諦めたことを不思議にも思っていた。
 とはいえ、ここは主神の教えが根付く国である。シスターに迫る、という行為そのものが主神に対する不敬とも言え、信仰に篤いというわけではないが一応は信徒としてシスターに迫るのは潔く諦めたのだろう、と勝手に解釈していた。
 そしてまた、彼もティリアを諦めた理由を話そうとはしなかった。だからこそ、彼がなぜティリアを諦めたのか、その真の理由を知る者は誰もいなかった。彼は知ってしまったのである。

 紅き炎に近づこうとするものは、その炎によって焼かれ死ぬことになるのだと



 ……キャラバンの旅は順調であった。時折、野盗らしきものたちの影がうろつくことはあったが、キャラバンの規模と武装した人物の数を見て、あまり旨みがないと判断したのか、それとも野盗ではなく旅人の類いだったのかはわからないがそれが近づいてくることはなかった。それに、吹雪や嵐もなく、隊商は想定よりも早く移動できているのも大きく、寒さは厳しかったもののそれなりに余裕をもって旅をすることができていた。
 「もうすぐ、村に着くぞー」
 隊長が、少し控えめに叫ぶ。その声に応じるように、村への先触れをするために斥候を乗せた馬が走り出していく。
 「まあ、村って言っても小さな農場みたいなもんだけどね」
 「そうなんですか」
 ティリアの横にたまたまいた婦人が、寒そうに身を包めながら声をかける。ティリアは馬上から、その婦人に返事を返す。
 「毎回、このあたりを通るたびに寄って行くのよ 物資の交換だ補給だっていうけれど、そんなわけないわ」
 知っていたことではあったが、おしゃべり好きなのか聞いてもいないことをしゃべり始める。それをティリアは分かっていたので、失礼にならない程度に適当な相槌を返していく。
 「なんたってそこの村の奥様が凄い美人さんなのよ! 娘さんもまあ愛らしくて……うちの男どもはそれ目当てにしているのは間違いないね! あっ、ティリアさんも本当にきれいよ それはそうとね……」
 お世辞かどうかわからない賛辞を送りながら、婦人のおしゃべりは止まることなく続く。どうにもこうにも、キャラバンの女性たちはこうしたおしゃべりが好きなようで、いつの間にかティリアの傍には複数の婦人たちが集まりティリアをそっちのけでがやがやと姦しくしゃべり始める。その様子に混ざり苦笑しながら、相槌を打つティリアであったが、その目は遠く鋭く、何かを探していた。
 そんな折であった、斥候が慌てた様子で戻ってきたのは。
 「大変だーっ! 村が、村がっ!」



 ……斥候の報告を聞き、一行がたどり着いたのは農場があったはずの焼き焦げた場所であった。全ての家々は焼き払われ、無残に打ち捨てられた亡骸の上に雪が降り積もる様は、かつてここが慎ましやかながらも人々が懸命に生きていた場とは……とてもではないが思えなかった。
 「……ひどい……」
 「誰が、誰がこんなことを……」
 「おお、主神よ……我らを守り給え……」
 誰とも知れず、声が漏れる。
 それは間違いないく、一方的に行われた虐殺と略奪の後であった。かつての時代を思い起こすような、悲惨な物語の一節。それが眼前に広がっていた。
 ティリアは馬から降りると、静かに村の中心部へと歩いていく。そのまま、亡骸の前に立つと静かに祈りを捧げる。
 (……主神よ、彼らの魂に救いと安らぎを……)
 どうしようもなく、心が冷え切っていく。彼らが感じた、恐ろしい絶望感や悲しみが、この地に満ちているかのようであった。しんしんと降り積もる雪が、ただそれを覆い隠そうとしていた。決して消えることのない、恨みと怨嗟の嘆きとともに。
 白い大地に……冷たい風が、吹き抜けたその時であった。

 コノニオイハ

 冷たい空気とともに、肺に入り込む、薫り。決して忘れえない、憎悪が燻る。
 「なんだこれは……」
 ティリアは踵を返し、声がした方に向かう。
 そこには、おおよそ人がもたらしたとは思えない、破壊の後が残っていた。大きく、打ち砕かれた壁の穴。焼き落ちてもなお残った石の壁に刻まれた、暴虐の後であった。
 「壁が……」
 「一体、どうして……」
 ティリアの心が、凍てついていく。

 アイオン、ココニイタノ? ドウシテ?

 悍ましい獣と愛する人。それがなぜ、この場にいたのか。ティリアには理解できなかった、したくなかった。心に浮かぶ、恐ろしい光景。

 魔物だ……魔物がいたんだ!
 ここを襲ったのか⁉
 おお、主神様……
 なんとむごい……

 集まってきた人々が口々に恐れを口にする。それと同時にティリアの心に浮かび上がる、幻影。それは、愛する人が獣とともに、人々を襲う姿。獣のように牙を剥き出し、冷たい目をした戦士の姿。

 チガウ

 そう心で否定するも、なぜこの場所で憎き獣の残り香が漂っているのか、わからなかった。それに、砕かれた壁は雄弁に語る。これは人の業ではないと、人ならざる、魔物の業だと。獣と、獣を愛した戦士は、ここにいた。ここにいたのだと、全てが語る。
 愛する人の心は、獣にまで堕ちてしまったのかと、ティリアは打ち震えるように我が身を抱く。

 アノケモノサエ、アイサナケレバ

 抑えがたい、憎悪。

 ユルサナイ

 張り裂けんばかりの、憤怒。

 アナタガ、ケモノニオチルノナラバ

 それでも、彼女は求める。

 ワタシハ、ツルギニナルワ

 ただ一人の愛を。

 アナタハドコニイルノ?

 それが叶わぬのならば……



 戦士編〜アイオンのサーガ〜 第六章「戦士」



 第一 白銀の上で

 ……久方ぶりに晴れた空の下、白銀に輝く雪原の上を一つの群れが駆けてゆく。
群れを率いるは先頭を走る一体のヘルハウンドと、その背に掴まるように乗っている一人の戦士。その後を同じように走る小柄なヘルハウンドの上には、猫のような魔物が振り落とされまいと必死に掴まり、それに続くようにして二体のヘルハウンドを繋いだ犬ぞりに、大柄なハイオークが乗り手綱を手に慣れた様子で滑らせていく。

 彼らはこの北の大地に、安住の地を探すために旅をしている途中であった。

 白い果て。そう呼ばれるこの大地は長きにわたる人と魔物の戦いの爪痕が今なお深く残り、人と魔の間には見えぬ、消えぬ境界によって遮られ、凍てついた茨の如く両者の交わりを禁じていた。
 人々は主神の守護のもとによってのみ平穏があると信じ、それを守る戦士や兵士たちを組織し、魔物や魔物と交わってしまったものを堕落者として断罪し続けていた。

 代替わりが起きておおよそ百年
 未だ、北の大地に人魔の交わりなし

 戦士の名はアイオン。
 故あってハイオークのガーラとの間に交わりを成し、堕落者となった人物である。厳しい北の大地において、困難と苦痛に満ちた旅を彼らが続ける理由はただ一つ。
 ただ、平穏に……その一心である。

 「ニヴ、大丈夫か?」
 戦士を背に乗せ、雪を蹴るように駈けるヘルハウンドにアイオンは声をかける。
 「この程度どうってことないよ! アイオンはまだまだ、アタイ達のことを見くびりすぎだねえ!」
 ニヴと声をかけられたヘルハウンドが返事をする。返事の通り息は多少荒いものの、それは喋ったためで、走りはしっかりとしておりもっと早く走ることすらできそうであった。アイオンはその返事を聞くと、ちらと振り向き後ろを確認する。
 斜め後ろを、ケット・シーのカルタを乗せたヘルハウンドのクロが舌を出しながら、どこかにこにことした表情で跳ねるように走っている。そんなクロの上に掴まっていくのはカルタにとってはとても大変なのか、くりくりとした薄翠の瞳を見開き、必死の形相で振り下ろされないようにしがみついていた。ご自慢のふわふわとした濃い灰色の毛皮には雪が張り付き、まだら模様のようであった。
 そのすぐ後ろを、プレザ、ザンナの二体をそりに繋ぎ、ガーラが荷物と一緒に滑っていた。おそらく一番重い荷物を運んでいるであろう二体であったが、不満げな表情である以外はニヴの言うようにまだまだ平気そうであった。
 周囲にはただ一面、銀色の世界が広がり、遠くに険しい山々が立ち並んでいる以外にはこれといった障害物もない、極めて順調な旅であった。ニヴ達のおかげで、冬の厳しい寒さをしのぐ術と、早く移動する術を得ることができ、そのおかげでずっと早く安全に旅を進めることができていた。それに、文字通り死にかけていたアイオンを荒療治ではあったが、処置を行い救ってもくれたニヴはアイオンにとっては救い主といってもよかった。
 当然、そのことをニヴは十分に承知しており、さらにはアイオンが移動の際にはいつも自分を選ぶことから、戦士の愛を一身に受けていると……ついでに自分にはその資格があると、わかったうえで……上機嫌もいいところであった。
 だが、そうとなれば面白くないのはガーラであった。そもそも、ガーラにはアイオンの初めての相手であり、子どものころからの絆……幼少期の苦い思い出も含めて……ガーラの中ではそうなっている……を紡いだ関係という自負があった。だが、確かに傷を治せず、ニヴ達の奇跡的な助けがなければあのままアイオンともどもいずれは雪に抱かれていたであろうことを考えると、どうしてもニヴには強く出られないでいたのである。
 それに、ハイオーク……というよりも獣の特性を持つ魔物娘全般に言えることだが、群れを形成する魔物娘にとっては群れの中での己の序列……最高位は言うまでもなく群れの雄のお気に入り、正妻の地位……を気にする性分があった。今までは文句なく、己がアイオンからの愛され具合、戦力としても最高位であると大見得を切れるだけの確証があったが、ニヴの出現でそれが揺らいでしまっていた。そして、それは当然ニヴもわかったうえでアイオンに対しアプローチを仕掛けていたのである。
 ちなみに、カルタは獣の特性を持つが群れない性分の猫の魔物ケット・シーであったのと、戦力として自分はあまり役に立たないとわかっていたために群れの中の序列……どうせ番外だろうということで……というのは気にしていなかった。カルタはそんなことよりも、どうすればどれだけ長い時間アイオンを独り占めにできるか、もしくは可愛がってもらえるか、ということの方を気にしていた。
 そしてそれはまた、戦士の胸元でぬくぬくとしながら寝息を立てている小さな妖精……ノチェにとっても序列はどうでもよく、ただ愛する戦士が生きて傍にいてくれれば充分であった。だが、ノチェは確かに己の中に芽生えつつある想いを強く自覚しつつもあった。どうにかして、愛されたいと、もっと深いところで……そう望むようになっていた。
 なんにせよ、冬の旅はニヴ達の助けを得たことで一気に楽になったといってよかった。後は、何事もなく目的地までたどり着ければ言うことはなかった。

 ……それからしばらく進んだのち、アイオン達の一行は丘の上の廃墟にて休息をとることに決める。丘の上にはより一層冷たい風が吹き、たとえ壁があったとしてもその身を凍らせるには十分な寒さだったが、アイオン達にとっては無縁なものであった。確かに、寒さを感じるもののニヴ達のおかげで身を切るような冷気を感じることはなかった。そうというのも、ニヴ達ヘルハウンドの体温は高く、傍にいるだけでその熱気を感じることができるほどであった。そのため、ある程度雨風をしのげ、かつ壁さえある場所であればニヴ達の放つ熱と熾した焚き木で十分に暖を取ることができたのである。
 「どうだい?」
 暖かいだろう、と自慢げな表情でニヴはアイオンに体をこすりつける。ふわりと薫る黒毛はもさもさと柔く、その毛一本一本から熱を放つようにむっとした熱気が立ち上っていた。その温もりは北の大地の冬においては何よりも心地よく、冷えた体に染み入る感覚は麻薬のように惹きつけてやまないものであった。
 「暖かいな」
 少々そっけない返事ではあったが、アイオンにとっては心からの言葉であった。その言葉にニヴは満足そうに、にったりと微笑む。だが、少々不満なこともあった。ニヴの反対側、つまりもう半分にはこれ以上ニヴを寄せ付けまいとするように、ガーラがその体をアイオンに押し付けていたからである。当然、ガーラは不満げにニヴのことを睨みつけてもいた。温もり、という観点でいえばガーラの体温も高く、その大柄な体躯で抱き締められれば十分に寒さをしのぐことができたであろう。だが、やはり炎を操り、また自身の体から直接熱を発する力を持つヘルハウンドほどの温もりを与えることはできなかった。
 だが、それをわかっていたとしてもガーラは引き下がる、ということはできなかった。特に、ここ最近は移動を優先していたということもありほとんどアイオンと触れ合えていなかったというのも大きかった。
 そんな感じで、アイオンは相互いに睨み合う二体の獣に挟まれ、両者の豊満な体の肉感、そして熱と薫りを存分に感じながらなんとか理性と地図を広げ、目的地までの計画を練ろうとしていた。旅の途中の廃墟で手に入れた地図は古く、ところどころ擦り切れていたがこの旅によく耐えてくれていた。古さゆえに精度の方はともかく、隅に主神教団の公認印が捺してあることからある程度の信頼性はあるとみて良く。そしてその地図を見る限り、ノチェの指し示した目的地までの距離はあと少しであった。
 苔岩に満ちた森と同じく、妖精の国への入り口があるというその場所は切り立った山峰のふもとに広がる森の奥にあるという。当初は、そこにたどり着くのはたとえ歩き続けたとしても冬が明けてからになるだろうと考えたものだったが、地図の上では当初の想定よりも近く……それでも十分に遠方ではあったが……思った以上に早く進めてもいたのはアイオンにとってうれしい誤算であった。冬はまださなかであり、寒さも厳しく食料や物資は乏しかったが、それでもこの苦難に満ちた旅にようやく見えた希望であった。
 そんなことを考えているうちに、ニヴの手がさわさわとアイオンの太ももを撫でる。それに負けじと、ガーラのむっちりとした腕が首に回されふくよかな胸が横顔に押し付けられ、その豊かな薫りが鼻腔へと入り込んでくる。むわりとした、抗い難い獣の薫り、命の揺らぎ、交わりを誘うそれはアイオンの芯をじんと熱くさせる。豊穣を示すガーラの褐色の肌は、視界にちらつくだけでもその恵みへの誘惑が衝動的に沸き起こり、欲望を示すニヴの黒毛とその肌は劣情を煽り尽きることのない渇望を想起させる。

 このままでは、まずい。

 ニヴの熱く蒸すような手が両足の付け根に至り、ガーラが両腿をこすり合わせより一層湿り気を帯びた濃い薫りが立ち昇るに至り、そうアイオンは考えるも、競い合うように熱情を燃え立たせる二体の獣を制止しその欲望を押しとどめる術は持ち合わせていなかった。
 そして、かつては獣の欲望を押しとどめる理由の一つであった小さな姫君はアイオンの胸元でその身を火照らせ、芽生えたばかりの未熟な情欲を愛しい戦士へと向けていた。獣の熱に充てられたのか、可愛らしく下腹部を押さえ、切なげな吐息を漏らしながらその身を預けている。アイオンとガーラの関係、そしてニヴとの情交を見て以来、ノチェは性愛に目覚め、その甘美な蜜の虜になってしまっていた。だが、小さく非力な体では愛する人との交合はおろか満足な快楽すらも与えられないというもどかしさは、臆面もなくその愛情と欲望を戦士に向けるという方向に昇華され、その小さくも美しい体を用いて戦士の関心を、視線を独り占めにせんと恐ろしいまでの積極さをもつに至っていた。
 その小さな妖精が戦士の胸元からはい出し、その身を伸ばす。普段よりも熱く火照る、小さな手と舌が戦士の鎖骨をなぞる。蠱惑的な、妖精の慰撫に戦士は耐えきれず吐息を漏らす。
 口を開くと同時に、口の中に褐色の果実が押し込まれる。しっとりと湿った汗の滋味と一緒に、肺へと落ちるガーラの薫り。もはや逃れることはできなかった。既に愚息はいきり立ち、ニヴのふわふわと熱く蒸れる手の中に納まってしまっていた。
 「アイオン……もう、我慢できないよ……」
 薫り高く滾る、雌猪の恋情。
 「なあ、もういいだろう? よくしてやるからさぁ……」
 耳を撫でる、雌狼の熱い吐息。
 「んん……」
 羽虫の如く柔くかみつく、小さな妖姫。

 むさぼられる

 かつて、魔物に貪り喰われるといえば、凄惨かつむごい死に方であった。だが、今となってはなんと甘美なものだろうか。
 尤も、好き勝手に嫐られるという意味では、その苦しみは前も今もさして変わらぬであろうが。

 ずるりと、愚息が熱く舐られる。ニヴがその身を屈め、口内へと愚息を導いたのである。ねっとりと粘つき、熱気のこもる舌を巻きつけしゃぶり上げられアイオンはたまらずその腰を浮かす。先手を取られたガーラは、より一層乳房をアイオンに押し付け、その顔を埋めていく。じっとりと熱く、汗で濡れた谷間にはガーラの獣臭が充満し、空気を求めて吸えば吸うほどに肺へと、脳へと獣の薫りが流れ込んでいく。その命満ちる薫りは、アイオンの中の獣性を昂らせ、目の前に侍らせた極上の雌を犯せと吠え立てる。
 そして、それに呼応するかのように愚息もニヴの口内でより一層熱と硬度を増すと、喉奥へと突き入れるようにその腰をさらに跳ね上げる。喉奥を突かれ、ニヴは一瞬えづくもより深く飲み込むようにより舌を絡め吸い付いていく。熱くぬめりながらも膣内よりもさらに能動的に攻め立てる口内の未知なる快感に、アイオンは己の熱がすぐに登りつめていくのを感じていた。それと同時に、衝動的に腰をさらに突き上げ、ニヴの喉を犯そうとするもガーラの柔肉によって抑えられた体を動かすことは難しく、愚息を飴棒の如く舐られるしかなかった。
 やがてニヴは満足したのか、ぬばぁ……と口が大きく開けられ愚息が解放される。ねっとりと唾液が塗され、湯気を放つ愚息はぴくんとはねながら己のうちに溜まりこんだ熱の解放を待ち望むかのように赤黒くいきり立ち、天を突く。そんな愚息をあやすように、ニヴはすぐにちろりと舌を出すと、舌の腹を裏筋に這わせゆっくりと舐め上げる。熱くざらついた舌が上がっていくと同時にせりあがるように快感が昇っていく。ニヴの舌は裏筋からそのまま鈴口へと至ると、そのまま再び口内へと引き戻し一気に吸い付かれる。
 「あっ! うぐぅっ!」
 高め導かれるような快感から一気に引きずり出すかのような刺激。文字通り精を吸い出されるかのような感覚は、強烈な快感となってアイオンの脊髄を震わせ、痺れるような感覚とともに愚息は精を吹き出す。
 「んっ!」
 勢いよく、喉奥に叩きつけられる感触に一瞬怯むも、ニヴはむせることなくゆっくりと味わうように舌と喉を鳴らし、恍惚とした表情でアイオンの新鮮な精を飲み込んでいく。出し終えてもなお、ちうちうと残りを吸い出そうとしゃぶりあげるも、そこまで残りがないとわかると名残惜し気にその口を離す。
 精を吐き出し、満足げに震える愚息とアイオン。だが、アイオンの分身が解放されることはなかった。余韻に浸る間もなくガーラの手が愚息を捕らえると、先ほどまでいがみ合っていたとは思えないほど息の合った動きでその立ち位置を変える。ニヴはそのまま立ち上がりながらその身をアイオンに擦り付けるようにして背後に回り、ガーラは愚息を握ったまま跪くように正面へと回る。豊かな双丘が離れ、呼吸が多少楽になるもガーラのむせかえるような薫りは肺の中に十分に入り込み、かつ顔に残る汗からは芳醇なほどに薫るのであった。
 跪いたガーラはそのまま自らの豊かな胸を、先ほど顔にやったようにアイオンの愚息に押し当てると、少しぎこちないながらもゆっくり包み込んでいく。熱く、柔らかくも弾力のあるガーラの双丘にすっぽりと包まれる感触は、精を吐き出したばかりの愚息には程よい刺激となり、じんわりとした快感が下半身に広がっていく。
 「どう……どうだい?」
 ニヴに対抗するように、自らの淫技を披露しようとしたもののやはり不慣れな部分があるのか、やや遠慮がちにアイオンへ問う。恐る恐る、という体ではあったが、乳房によって愚息を挟まれるという行為は極めて心地よいものであった。しっとりと汗で蒸された谷間は熱く、それでいて愛液とはまた違ったぬめりはふんわりと張りつめ吸い付くような肌の感触と合わさって、もどかしいながらも根元から沸き起こるような不思議な性感を与える。それは、間違いなく快感といってよかった。
 「ああ、とても気持ちいいよ」
 心地よく、吐息のように吐き出される返答。普段であれば、気恥ずかしさから口にすることはないであろう言葉が無意識のうちに漏れる。そんな心安らぐような快感であった。
 「そ!そうかい!」
 そんなアイオンの言葉に、ガーラはぱっと顔を輝かせるように破顔すると、両腕で胸を挟みむにむにと力を入れてこね始める。ぎゅむぎゅむと玉肌が愚息に張り付き、ぬるぬると汗が塗されていく。緩やかにその豊かな母性の象徴によって温もりとともに愚息が圧迫されていく安心感は、じんわりと少しずつ腰の奥に熱をため込むと同時に自らよりも大柄で屈強な存在を跪かせ奉仕させているという支配欲を刺激し、大いにその性欲を盛り上げていく。
 それと同時に、ふわりと熱いニヴの両腕がアイオンの両脇をすり抜けアイオンの衣服に手をかける。背中にはガーラほどではないが、豊かな黒丘が押し付けられ、熱風のような吐息とともに焼け付いた舌がべろりと首筋を舐めていく。
 「ひひひ、おいしいねえ……アイオン……あんたは本当にそそるよ……」
 いったい、それはどういう意味なのか、それを問おうとする前にちくりとした刺激が反対側の喉元に走る。ふんわりとした華奢な温もり、ノチェがその全身で首元に絡みつき、ニヴに抗するようにその可愛らしい牙をアイオンに突き立てていた。
 「んぅ〜」
 尤も、力の弱いノチェのことである。その小さな抵抗はアイオンの固い皮膚を貫くことはなく、むしろ甘く痺れるような奇妙な快感を与えていた。それよりも、そうすることでノチェの体が押し付けられ、その細い体にしっかりとした柔さと弾力、そして仄かに甘い媚香が漂い、それによって否応なくノチェが“女”としてその身をアイオンに捧げているという事実が、どうしようもなくアイオンを興奮させるのであった。
 そんなアイオンの興奮を察知したのか、ガーラの腕の力が強まり愚息が強く圧迫される。奉仕者であるガーラの可愛らしい抗議に、アイオンは謝罪の意を籠めて視線を戻す。だが、少しばかり拗ねてしまったガーラは少し視線をそらしたままむぎゅむぎゅと圧迫を強め、先ほどよりも少し乱雑に愚息をこねくり回していく。おおざっぱに、しかして根元から精を搾り上げ押し出すように行われる乳戯はより強い快感をアイオンに与え、じっくりと、そして確実に射精へと導いていた。それに、先ほどまでの不慣れな様子はどこへ行ったのか、それともこれこそが淫魔たる魔王の理なのか、既にその動きは的確に愚息を刺激し、快楽を燃やすものへと変わりつつあった。
 「っ! ガーラ、もうっ!」
 ぶるりと、全身を震わせて愚息がピンと跳ねる。まるでその瞬間を狙っていたかのように、ガーラはぎゅっとその両乳を押し搾るように腕で締め上げ、むちっと張り詰めた玉肌が一物を包む。
 「あっ」
 弾けるような感覚とともに、白濁の泉が褐色の大地から湧き出る。その様子を、ガーラはうっとりとした表情で眺め、そのまま精をその両胸に受け止めていく。
 二度目とは思えぬ、大量の精をまるで戦利品のように両胸に抱えたまま、ゆっくりと最後まで絞るように包み込んだ愚息を引き抜いていくと、まだまだ残りがあったのかずるりと引きずり出されるような感覚とともに愚息から吐き出されていく。そのままつぷりと、胸から解放された愚息はガーラの香油がたっぷりと塗され、ぬらぬらと輝き、そしてまた奮起し昂った戦士の如く臨戦態勢のままであった。
 「う、うまくできたようだね!」
 とろりと、その胸から湯気を立てながら精が零れ落ちていく。褐色に白く映えるそれは、淫靡にガーラのことを彩っていた。ガーラはせっかくの精をこぼすまいと、胸を動かしていくも、結果的には自ら精を塗り広げるようにするだけであったが、全身をくねらせ自らの精を恍惚とした表情で塗り広げるさまは、極上の雌が自らの手で己が誰の持ち物か誇示するようにも映り、持ち主たるアイオンの情欲を煽る。
 「ひひひ……まだまだぜんぜん……のようだね」
 そうこうしているうちに、いつの間にか服を脱がせ終わったニヴがアイオンの体をまさぐる。ふわふわとした、熱い手のひらに揉まれつつも、つんと鋭い爪先がアイオンの肌を撫でながら舌なめずりするようにその愚息を眺めていた。
 実際、ガーラの奉仕とその痴態を前に、愚息は再び天を突きその存在感を大いに誇っていた。
 「ほぅらアイオン……アタイと良いことしようじゃないか……」
 耳をくすぐるように、ニヴが熱を吐く。
 「なっ アイオンはあたしんだ! アイオン! ほ、ほらこっちの方がいいだろ⁉」
 ニヴがアイオンを誘うや否や、ガーラは慌てて対抗するように立ち上がると、自らの両足と秘部を広げ見せつける。目の前に、肉厚の秘花が咲き蜜を垂らす。その薫りはアイオンの獣性を目覚めさせるには十分すぎるほど濃厚であり、その蜜を啜らんと愚息が震える。
 「はんっ まったく猪ってのは品がないね アイオン……アタイの方が良くしてあげられるのは、知ってるだろう?」
 するりと、アイオンの背から離れたニヴは艶めかしく尾と尻を振りながらガーラの傍に立ち、背を向ける形でぬらりと熱と蜜を垂らす黒花を見せつける。その尾はピンと天を払い、欲を煽るかのようであった。ニヴの薫りもまた、熱く濃くアイオンを燃え立たせる。
 ニヴとガーラが離れたことにより、アイオンの体は温もりを欲する。そして目の前には、温もりを与えてくれる存在が二つ、花を揺らして待つ。
 愚息は既に十分いきり立ち、このまま何をせずとも果ててしまいそうであったがそれはできなかった。だが、アイオンにとっては難問でもあった。ぐずぐずに崩れ切った理性であっても、どちらを先に選ぶかは重要なことであると告げていたからだ。尤も、こういう時のアイオンは決断が早かった。

 「ガーラっ!」
 褐色の豊かな腰を力強く掴み、熱い剣を宿敵に打ち込む。熱くぬめり、そしてすべてを包み込む心地よい穴倉を蹂躙する快感。
 「ああっんぅっ!」
 そしてまた、獣も猛き戦士に食いつくようにその両腕で強く抱きしめる。焼けるような、激痛にも錯覚するような快感とともに戦士の剣がその身を貫く感触に吼えるような吐息とともに雌猪の魔物は絶頂を迎える。
 「あっあっ! あっぅっ! ダメだっアイオン! ああっ!」
 がくがくと両足が震え、踏ん張るように力を籠める。選ばれた歓喜と、快感によって獣の愛泉はその蜜を吹き出しどこまでも奥へと飲み込むように収縮を繰り返し戦士の剣へと食いこんでいく。
 「うっぐっ! ガーラ……っ!」
 愛おしさと、支配欲が弾け魔物の口を奪う。濃い味のする唾液が、口の中に広がり長く肉厚の舌を戦士の舌が生け捕りにする。戦士の勝利宣言にも等しいその行為は、ガーラの中に眠る被虐性を刺激し、愛する者に打ち倒され屈服するという屈折した喜びを呼び起こしていく。
 そんな折であった、ずん、と重い響きとともに戦士の大剣がガーラの胎奥を突きあげる。いつの間にか両足の力が抜け、そのまま落ちた勢いのまま刺し貫かれる感覚。
 「おっ うっ」
 くるんと、獣の目が回る。ふさがれた口が、空気を求め戦士を吸う。だが、それすらも許さぬまま戦士は腰の剣を振り上げ、逃がさぬとばかりに獣に追撃していく。何度も、何度も力強く、戦士よりも重いその体を支えながら突き上げていく。
 その度に秘肉は獣の意思とは無関係に顫動しながら収縮し、戦士を喜んで貪り神経を焼き切る電流を送り続ける。
 あまりにも激しい攻防、いや、一方的な攻撃に獣は打ち倒され、戦士は獣を征服したという愉悦により一層その肉を味わい貪りつくす。何度も、何度もその腰を打ち付け、子宮を打ち鳴らし、泉を溢れさせる。
 そのままひときわ大きく戦士はその剣を突き上げると、その強烈な一撃に震え締め上げる最奥に己の全てを吐き出していく。胎中から響き渡るような、流れ込む音が一層情欲を煽り、ぐりぐりと剣で胎をえぐるようにその腰を押し付け出し切るかのようにもう一突きすると、戦士はぶるりとその体を震わせ暫し静止する。
 「あ う」
 じゅちゅりと、溢れる蜜とともに剣が引き抜かれる。雌猪は気をやったように戦士にしなだれかかり、そのまま抱き留められるとそっと床の上に寝かせられる。ぴくぴくと震える体が、その身を焼き尽くした快感の強さを物語っていた。

 「……やるじゃん」
 その様子を見ていたニヴは、期待に満ちた表情でちろりと舌を出すと、アイオンを煽るようにその陰花を突き出し、自らの両手で咲き開くと早く早くと急くようにその尻と尾を揺らしていく。ふわりとした熱とともにニヴの薫りがアイオンを燃え立たせ、その剣を再び鋭く研ぎなおす。見事雌猪を打ち倒した勇士は、その勢いのまま黒狼をも打ち倒さんとその切っ先を向ける。
 ガーラほどではないが、むっちりとした臀部を掴むと、アイオンは燃えるように蜜を吐き出す秘花へと狙いを定め、一息にそこへ刃を突き立てる。
 「うっ! ぐぅ〜っ! いいねぇ! 深いいぃっ!」
 しなやかな、筋肉質な体がぶるりと震え肉杭に撃ち抜かれた喜びに戦慄く。難なく戦士を飲み込んだ狼の秘口はじゅるっとしゃぶりあげるように根元を絞め、膣肉をうねらせる。その妖艶かつ淫らな動きに戦士はたまらずうめき声をあげる。ニヴも、決して浅くない快楽を感じているようで、少しずつ奥へとアイオンが突き進み淫花を押し広げるたびにびくっと腰を浮かせ満たされる喜びに打ち震えるようであった。
 「あっあっ! いひっ! こんな、こんなに良いなんてっ!」
 突き入れられた当初こそ余裕の表情を見せていたが、いざ戦士が攻勢に乗り出すとあっけなくその表情は崩れ快感に染まっていく。だが、そこは暴食を是とする魔獣であり、むしろより深く飲み込むように、アイオンの抽挿に合わせて腰を浮かせてその尾を絡ませ、自らの最奥にある胎の扉まで欲望を招くのであった。
 強く突き入れられ奥を打たれる度に、張りつめた尻肉が揺れ、その波に合わせて秘肉が収縮し蜜が絡まり舐られる。雄の弱点を知り尽くしたかのような膣の動きに、数度果てたとは思えぬ速さで欲望がかき混ぜられてせりあがってくる感覚に、戦士は焦りを覚える。それと同時に、余裕はなかったものの悪戯めいた笑みを浮かべニヴはちろりと後ろに振り替える。
 してやられた、と戦士は悟る。弱さを見せてわざと強く攻めさせ、屈服したふりをしながら実際はしっかりと喰いつき、余裕を奪っていたのである。だが、だからといってここで力を弱め守りに入るのは戦士として癪に障るものがあった。そんなアイオンの意地を見抜いたように、ニヴの膣内がにゅくにゅくと蠢き、追い打ちをかけるように突き入れる剣の返しを刺激する。背筋を駆け巡るような快感に、戦士はたまらずうめき声をあげ、僅かながら屈服の証を漏らす。
 「うひっ! あっ! どう、どうだい?」
 戦士が己の剣に痺れるような痛打を受けたことは、ニヴにもわかっているようであり、快楽に染まりつつも勝ち誇ったような笑みをアイオンへと向ける。とろりと、先から漏れつつも何とか耐えた戦士は、どうにかして反撃の糸口を掴めないかと焼け付く快感の中思考を巡らせ、過去のとある記憶を掘り起こす。
 「ニヴ!」
 「うっ! ああっ! 突然どうしたんだい⁉」
 その背に覆いかぶさるように、ニヴに抱き着くアイオン。それと同時により深く、強く剣は押し込まれニヴは息を詰まらせるように快楽の吐息を吐き出す。突然の背後からの抱擁、それによって深く強く突き入れられるのはニヴにとっては悦ばしく、そしてある程度予測していたことだったがアイオンの本命はそこではなかった。
 「うひっ! ア、アイオン!」
 抱きしめるように、その手が下腹と喉元に添えられる。一見して大した性感は得られぬであろう愛撫であったが、アイオンの指が武骨ながらも優しくその喉元を撫で、そして下腹を抑え込むようでありながらも包み込み揉みしだくように手が動くと、びくびくと震えきゅんきゅんとアイオンを咥えこんだ秘部が顫動する。どうやら、獣としての弱点はそのまま性感帯としても作用しているようであり、それを見抜いたアイオンは再び勢いを持ち直し、さらに追い打ちをかけるように深く腰を落としていく。
 腰と腰が打ち付けられる、湿った音が響く。戦士と狼の結合部からは熱く湯気が立つ粘った蜜が垂れ、むせかえるような情交の薫りが熱気とともに部屋の中を満たす。既にお互いに限界を迎えつつあり、無言のままその抽挿を速めていく。
 「ひっひっ アイオン! そのまま、そのまま!」
 ぎゅうっと、ねだり抱きしめるようにニヴの蜜肉が絞るようにうねる。アイオンもそれに応じるようにぐっと力を籠め、腰を押し付けていく。蜜が弾け、飛び散る音とともに限界がせりあがってくる。
 「ニヴッ!」
 「アイオン!」
 互いに名を呼び、果てる。
 たっぷりと攪拌され、煮えたぎった精がニヴの中に放たれるとニヴの胎壺は喜び勇んでその口を開き、舐るように、一滴もこぼすまいと愚息から吸い上げていく。命を、暖かい苗床に吐き出すという、生命の至上の快感を前にアイオンの視界は霞むように明滅する。

 暫く、アイオンはニヴに抱き着くようにしてじっとしていたが、そんなアイオンの首元で姫君の甘い香りが、獣たちの薫りに負けることなく漂い始める。妖精の姫君は戦士の耳元にまでその身を伸ばし、その小さな口で戦士の耳たぶを噛む。暖かく、湿った口内。そして囁かれる、姫君の恋慕。余すところなく、戦士の耳の奥底に流し込まれる、小さな身に宿した大なる想いを。
 獣の中に埋まっていた、愚息が跳ねる。甘い香りと姫の睦言に誘われて、ぞくぞくと背筋に快感が走り始める。ちろりと、舐めるような湿った音。緩やかにその身を擦り付け、小さな、妖艶な肉体を戦士に感じさせる。びくりと、愚息の先に熱が宿る。
 囁き、愛の言の葉とともに、淫らな、秘めた欲望を告げる。尽きることのない恋慕、隠せぬ想い、満たされぬ炎を、姫君は謳う。熱い吐息とともに、耳奥へと入り込む。それはまるで呪縛のように、ぴくりとも動いていないはずなのに、戦士の芯を熱くさせ快感を呼び起こす。背徳的な欲望が、渦巻く。
 喘ぎ、満たされぬ疼きを手慰みする秘め事。濡れた音とともに、吐き出される欲望。それと同時に戦士の腰奥に突き抜けるような、ぞくりとした快感が走る。守るべき姫が、無垢と信じていた娘が、淫らに咲く花となった背徳。それが己の存在故だと、知る快楽。尽きることのない愛欲のともし火、それが耳元でちろちろと燃え上がっている。
 小さな、小さな叫びとともに、姫は果てる。
 それと同時に、戦士もまた、どろりと漏れ出すように精を放つ。再度の射精が、狼の胎に放たれるも、導いたのは己ではない。その事実は狼にとっては不愉快なことであった。
 その様子を見ながら、まるで意趣返しのように、妖精の姫君はくすくすと笑う。誰が戦士の心を支配しているのか、それを誇るように。

 「ニヴー! ニヴー!」
 廃墟の外から、明るい声が響く。外に偵察と狩りに出ていたクロが戻ってきたようであった。
 「……もう、か 残念だねえ」
 もう少し、猪が寝てる間に楽しみたかったのだけど……そう呟くとニヴはきゅっきゅっとアイオンの剣を絞るようにその蜜壺で締め上げると、ちゅっと小気味よい音とともに引き抜き解放する。
 あれだけ乱れていたにも関わらず、ニヴの秘所はぴちっと閉じられ、先ほどの情交の痕跡は色濃く漂う薫りぐらいのものであった。そのままニヴはすました顔で外へと歩み出ていく。
 ニヴが離れ、肌寒さを感じたアイオンは一息つくために焚き木の前に座る。ガーラは変わらず、気をやっていたが、その顔は緩み切り良い夢を見ているかのようであった。ノチェは先ほど、自らの心のうちに宿る熱情をさらけ出したことを恥ずかしく思っているのか、控えめにアイオンの肩の上にちょこんと座っていた。
 「アーイオンッ!」
 そんな折であった、小さな悪戯者がアイオンの背後から抱き着いてきたのは。
 「うわっ! 冷たいじゃないか!」
 「なんだよー! いいじゃないか! 僕のことを差し置いて良いことしてたくせに!」
 ふわふわの毛皮に斑点模様のように雪をくっつけた、カルタであった。どういうわけかクロに気に入られたカルタは、先ほどもクロと一緒に……半ば強引に咥えられて無理やり……出掛けていたのである。
 「だ〜か〜ら〜 いいよね?」
 ちろっと、ざらついた舌がアイオンの首筋を舐める。熱く、ぞりっとした感触にそのままアイオンはびくりとするも、カルタは気にすることなくその背中をよじ登るようにその身を乗り出すと、そのまま滑り込むようにアイオンの前にその身を差し出す。
 全身余すところなく、ふわふわとした暖かい毛皮がアイオンの肌を撫で、ちりちりとした熱が広がっていく。そのまま膝の中で、ころんとカルタは転がり、甘えるようにその翡翠色の瞳をアイオンに向ける。その可愛らしい様子に、アイオンの手は無意識にやわやわとカルタの体を撫でる。
 「んふふふ〜」
 上機嫌にカルタの喉が鳴る。ごろごろと、甘えながらその身をこすりつけていく。その姿は無邪気そのものであったが、アイオンにとっては少し困ったところがあった。意図的か、無意識的か、どちらにせよカルタの柔らかい毛皮と体がアイオンの愚息を撫でるように触れているのである。ふにふにとした体の感触は心地よく、そしてさわっと毛皮に撫でられ、時折ちくちくと奔るむず痒い刺激によってアイオンの愚息は再びその硬度と熱を取り戻そうとしていた。当然、カルタの行為はそれを狙ってのことであることは十分察せられた。
 「ねぇねぇアイオン……僕ね〜とっても寒いんだ〜……すごく、あっためて欲しいなぁ?」
 とろんと、甘えるような声音。いつの間にか伸びたカルタの小さな手が、アイオンの固くなった熱棒をしゅむっと握るようにしてさすっていた。ぷにぷにとした肉球が、固く滾った一物に押し付けられ形を変える感触は、滑らかな普通の肌とはまた違う、独特な快感をアイオンに与える。
 「……おいで、カルタ」
 先ほどまでの気だるさが嘘のように、アイオンの獣欲は再びその猛りを取り戻していた。撫でていた指をカルタの口内に突き入れ、その小さな舌と口内を愛撫する。
 「ぁぅ」
 ちゅぱちゅぱと、しゃぶるような音が響く。小さな牙を撫で、ざらざらとした舌をさすり、その喉奥へと指を這わせる。アイオンの指が動くたびに、カルタの小さな体がぴくりと震える。そのまま、アイオンは空いた方の手でカルタの腹や胸をやわやわと揉みしだき、その温もりと毛皮の感触を堪能していた。腹の方に、規則的に並んだこりっとした感触……カルタの複乳を爪弾くように弄ぶと、その度にぴくんぴくんと跳ね、抗議するように小さな牙がちくりとアイオンの指に突き立てられる。とはいえ、甘噛みめいたその抗議はアイオンの獣性を刺激するにとどまり、より一層意地の悪い攻めをアイオンは楽しむのであった。
 「んん〜……ぁぃぉ……」
 指に口を塞がれ、もごもごとしゃべるカルタ。だが、何を言おうとしているのかはアイオンにはわかっていた。いま、カルタの体の中で最も熱く濡れぼそっている場所、粘ついた音とともにほっこりと湯気を放つ両足の付け根……そこが切なく飢えているようにひくひくと蠢き、主たるアイオンの慈悲を待ち望んでいた。だが、主人としてすぐに望みをかなえてしまうのはよろしくない。そう言うように、アイオンの手はカルタの控えめな、それでいて柔らかな体をゆっくりと撫でていく。小ぶりな胸を撫で、ぽわぽわとした腹をつつき、そっとむにりとした太ももを揉む。その小さな花を焦らすように、もっと大きく開けと促すように、柔く柔く……じっくりと撫でていく。
 「んっ んっ!」
 ぴちゃりと、湿り粘ついた蜜が漏れる。ただ撫でられただけでカルタは達したのである。
 それにより花は一層大きく開き、赤くぬめった花がつんとした薫りとともに主張する。早く、摘み取って……その芳醇な蜜と花弁を味わってほしいと、その様子に主人は自らの指を口から引き抜くとその小柄な体を両手で抱きかかえるように持ち上げると、ゆっくりとその開いた蜜花へと己の焼け杭を押し当てる。熱く、ひくついた花はそれだけで期待するように、己を刺し貫く杭へと蜜を滴らせ張り付くようにぬらぬらと舐める。じゅるっと、溶け合うかのような快感。
 「いくぞ」
 蕩けきったカルタへと、通告する。そのまま自然に任せてカルタの体を落としていく。きゅうっと引き絞るような抵抗感と同時に、ぬるりと入り込む熱と快感がアイオンの熱棒を包む。狭く、小さな蜜肉を押し広げ隙間なく満たしていく感触は、何度味わってもなお心地よく新鮮な刺激をアイオンに与えていた。
 カルタにとってもそれは同じようであり、その少し苦しくも心地よい圧迫感を感じ、カルタは切なげな吐息を漏らす。精一杯、その小さな体でアイオンに抱き着き、何とか快楽を感じてもらおうとその腰を浮かし、たん、たんと小さく控えめに腰を打ち付けていく。いつもの小生意気さとは裏腹に、しおらしく奉仕するかのような動き。そんな動きであっても、狭く熱い膣肉に扱かれるという感触はアイオンにとっては強い刺激となってその欲望を刺激していく。
 そんなカルタを抱きかかえ、その頭を撫でるようにしながらアイオンはカルタの動きに合わせ剛直を突き入れていく。その度に跳ね上がるような衝撃をカルタは受けるも、しっかりとアイオンに抱きしめられていたために、その衝撃を余すところなくその小さな器で受け止めることになっていた。それはカルタにとって、耐えがたい快感のようであり、一つ突き入れられるたびに軽く絶頂を繰り返し、ぎゅっと握りしめられるかのように蜜肉が引き絞られるのであった。
 当然、そのような刺激を前にアイオンも長く耐えられるわけがなく、徐々に突き上げる速度が増していくように、欲望の高ぶりも燃え盛っていく。
 「あっ!あっ! アイオン!」
 突き上げられ、えぐられる度に艶のこもった息が吐き出され、剛直を受け止め続けた秘花は咲き誇りその蜜を散らす。
 「いくぞ! カルタ!」
 力を籠め、深く強くえぐる。ボコりと、突き上げられた子宮がアイオンの腹部に押し付けられ、強烈な未知の快感をカルタに与える。火花が散るような、鮮烈な刺激。限界まで引き絞られた、痛みを感じるような中でアイオンは果て、カルタはピンと両足を張り、抱きしめるように伸ばしたその両腕はその鋭い爪をアイオンに突き立てる。
 鋭い痛みと同時に、どっと流れ出すかのような疲労感にアイオンは荒い息を吐く。カルタは最大の絶頂を得ると同時に気をやったのか、アイオンに抱き着いたままくたりと脱力し、その身を預けていた。意識を失ってもなお、アイオンに快楽を与えんとカルタの小さな体は吸い付くように愚息を飲み込み、離そうとはしなかった。
 だが、さすがのアイオンも疲れを感じ、ゆっくりとカルタの中に突き立てていた一物を抜き去る。狭く熱い秘穴からずるずると引きずり出す感触でまた燃えるような劣情を感じるも、これ以上はと理性を働かせ己を静める。そのままガーラの傍にカルタを寝かせると、軽く体を拭きその身を整える。

 「終わったかい?」
 いつの間にか入ってきたニヴが様子を窺うようにひょっこりと顔を出す。
 「ああ」
 疲れはしたが久々の、晴れやかな心地にアイオンは満たされていた。そんなアイオンの様子をまるで母狼のような眼差しで見守りつつ、ニヴは今日の獲物をアイオンに差し出す。
 「今日はあんまりだったね まあでも、食べる分は何とかなったさ」
 「……いつもすまないな、ザンナ達には苦労をかける」
 ニヴの差し出した兎を受け取りながら、アイオンは礼を言う。
 「別に気にすることはありゃしないさ まあでも、後で礼を言ってあげれば少しは喜ぶかもね」
 「ああ、そうしよう」
 やり取りをしているうちに、ガーラたちがもそもそと目を覚まし始める。
 「……さあ、食事にしようじゃないか アイオン……たんと精をつけておくれよ!」
 にんまりと、舌なめずりをするようにニヴは一つ鳴くと焚き木の火を強く燃え立たせる。小さな、隙間だらけの廃墟だったが、中は暖かくそして肉と油が焼けるいい匂いが漂うのであった。



 第二 魔物の群れ

 ……それからしばらくして、廃墟から出発したアイオンたちは再び白銀の上を駈けていく。全てが白銀に染まった大地は日光を浴びて輝き、遥か遠くに伸びる山脈やあちこち点在する森も同じように凍てついた衣を身にまとっていた。ただひたすらに白い世界、それが今の北の大地の姿であった。
 その大地の上を黒い魔物の群れが走る。全ては順調、そう思える旅であった。

 そんな折であった、ニヴが鼻をひくつかせながら走るのを停めたのは。
 立ち止まったニヴに倣うように、クロ、そしてザンナとプレザも続けて立ち止まり警戒するように鼻をひくつかせる。
 「……匂うね」
 ニヴは少しばかり険しい顔をするものの、すぐに警戒を解くように表情を緩める。
 「魔物の匂いだね 近くに住処があるのかもしれないねえ」
 「何の魔物かわかるか?」
 「そんなに特徴のあるニオイじゃあないね 悪いけどアタイにはわからないね……まあそんなに厄介な相手ではないだろうさ、たぶんだけどアタイ達と同じように群れを作る魔物だね たくさんの匂いがあるから間違いないよ」
 そう言ってニヴは少し考えこむように口を閉ざす。
 近くに魔物の住処……かどうかはわからないが、少なくとも集団としてまとまった魔物の群れがいるのは間違いないようであった。ニヴの言葉にアイオンも同じく少し考えこむ。そうというのも、旅は順調ではあるが物資が心もとないというのが大きな理由であった。あの村落での戦闘以降、手傷を負ったアイオンを支え守るためにガーラがほぼ付きっ切りで傍にいたために必要な物資の探索を行えておらず、樹氷の森での一件で燃料を含む大半の物資を使ってしまっていたのもあり、手持ちの物資は殆ど残っていなかったのである。
 「……物の取引はできそうか?」
 「どんな奴かによるけど、まあ拠点を構えているような連中なら取引ぐらいはできるんじゃないかねえ とはいえ、あんまりおすすめはしないね」
 アイオンの取引、という言葉にニヴは少しばかり顔をしかめる。
 「どうしてだ?」
 「そりゃあアタイ達は魔物だからさ 欲しけりゃ奪うまでさ、取引なんてしたところで同じ 強い方が弱い方の物を多くぶんどる、それだけさ ……それにあんたは貴重なオスなんだよ、それを忘れてもらっちゃ困るね」
 貴重なオス、その言葉にアイオンは困惑するもののニヴが言わんとしていることは理解していた。この北の大地で魔物に理解を示し、伴に歩もうとしてくれる人間は少ない。ともすれば、アイオンのような男性はこの北の大地に住む魔物にとっては同じ大きさの金塊よりも価値のある存在といってもよかった。
 そうであれば当然、アイオンを欲しがる場合もあるだろう。
 「それに、こっちが必要なものを相手が持っているとも限らないしな あたしもいく必要はあまりないと思うけど」
 ソリから降りたガーラもニヴに同調するように声をかける。魔物同士ともなると警戒心の方が勝るのか、渋る様子が強かった。
 だが、それでも物資の補給は急務なのも間違いはなかった。燃料などの暖を取る物資は最悪、今ならばなくても何とかなるとアイオンは考えていたが、衣服を繕うための材料や武器や道具の手入れをするための物資はどうしても必要であった。特に衣服などは度重なる災難を経て無理やり繕ってきたためすでに限界を超え、見るからに悲惨な有様であったからだ。ほとんど真っ裸に近いガーラ、そして裸のニヴ、カルタはマントの一枚でも羽織っていれば満足しただろうが、アイオンはそうでもなかった。少なくともマントで隠すことで何とか体裁を保っているに過ぎない程度には、服はボロボロの有様であり。不思議な力が宿っているのか、汚れもほつれも全くないノチェの妖精の衣服をアイオンは何度羨ましいと思ったかわからないほどであった。
 道具も道具で、手入れをする暇がなかったのもあるが、直すための材料がほとんどなかったこともありだいぶ痛んできている。まだしばらく旅が続くならば、やはりこれらの修繕はどうにかしたいところであった。人里で調達するという手もなくはなかったが、こんな風貌では人里に降りたところで怪しまれるのは目に見えていたのもあり、どうにかして“人目につかない程度”には見た目を整えたかったのである。
 「とりあえず、近くまで行ってもらってもいいか どんな魔物か確認してからでも遅くはないだろうと思うが」
 その一言で、渋々といった様子でニヴとガーラは頷く。
 「でも、相手が悪いと思ったら無理やりにでも引っ張っていくからね」
 そうくぎを刺すことを、ガーラは忘れなかったが。



 ……ニヴが見つけた魔物の群れがいると思わしき場所は、すぐに見つかった。
 山に連なる森と平原の境目、丘のように盛り上がった場所に少し大きな洞穴がぽっかりとあいているのが見えたのである。洞窟の周りには出入りを示す足跡が残り、頻繁に何者かが出入りしていることが伺えた。
 「あそこだね」
 ニヴが目で指す。ガーラ含め、他の者たちは周囲を警戒するように見回しながらゆっくりと洞穴へと近づいていく。足跡がある以外は変哲のない洞穴にしか見えず、奥も暗かった。ニヴの言がなければ野盗が隠れ住んでいると思うほどであった。
 「……静かだな」
 アイオンはニヴの背から降り、警戒しながらも少し洞穴に近づく。洞穴からは少しばかり湿った空気が立ち込め、また先が見えないことから思った以上に奥行きがあるであろうことが伺えたのである。
 「アタイ達のことを警戒しているのかもね ……まあでも、アイオンだけだったらすぐ出てきたに違いないよ、アタイらは男に飢えているからねぇ それはそうと……アイオン……寒くないかい?」
 すりすりと、熱い黒毛を擦り付けながらニヴがその体を押し付ける。
 「ああ! くそっ! アイオンはお前から降りたんだから離れろよ!」
 そして、その様子を見たガーラがニヴを押しのけようと……押しのけると同時に抱きしめようと……アイオンを挟むようにして密着する。体温の高い獣に挟まれ、冬の大地とは思えぬほどの熱量を感じながらもアイオンは何とか二人を引きはがし、洞窟の奥に進むことを決める。

 「ほら、奥に進もう ガーラ、ニヴ、何か危険があったらすぐに知らせてくれ」
 念のため、剣を隠すように背負い、取引に使えそうなものをもってアイオンは進む。
 「わかってるよアイオン あたしから離れないでおくれよ」
 「プレザ、ザンナ 何もないと思うけど、外の見張りを頼むよ」
 体を押し付けるように傍に寄るガーラを後目に、ニヴはプレザとザンナに指示を出す。ニヴの言葉を受け、やや退屈そうにあくびをするとプレザたちは洞穴の入り口付近に座り込む。
 「クロは? クロは?」
 ぴょんぴょんとニヴの周りを跳ねまわりながらクロがはしゃぐ。
 「クロは好きにしな」
 「ついてく!」
 「僕もアイオンと一緒に行くよ、こう見えて暗いところでもよく見えるんだ」
 クロはニヴに良く懐いているのか、ニヴの後ろに子狼のようにつくと尻尾を振り嬉しそうにする。その様子を、先ほどまでクロに振り回されていたカルタが疲れた様子で見ていた。

 ともかく、ガーラを先頭にアイオンの一行は洞穴の中に入っていく。ある程度進み暗くなったところでニヴが火を灯し、たいまつ替わりに周囲を照らす。すると、入り口周辺にはなかったなにがしかの生活感を感じさせるもの……薪の切れ端、壺や瓶らしきものの破片、布切れ等……が点在し始める。
 (……魔物が住んでいる、というのは間違いなさそうだな)
 それらの品々を見ながら、アイオンはゆっくりと灯りに照らされた洞穴を進む。だが、同時にとある懸念もよぎる。
 (肝心の、魔物の姿が見えないな)
 姿はおろか声や足音といった音もまるでない……どうにも、おかしい。ここの主たる魔物の気配が何一つとして感じられないのである。それどころか奥に進めば進むほど、まるで何か騒動があったかのように荒れた様子となっていく。ガーラもそれに気が付き、いったん止まるようにその手を上げアイオンを制止する。
 その時であった、何か唸るような音が聞こえたのは。
 「何者だい」
 ガーラが、声を上げる。返事の代わりに、先ほどよりも強く唸る音が奥から響く。その様子にガーラはより警戒を強めるも、アイオンはとあることに気が付く。
 「急いで奥に行くぞ! 警戒は怠るな!」
 「あっ ちょっと!」
 制止しようとするガーラの脇をすり抜け、アイオンは奥へと進む。そこには、アイオンの予想通りの光景が広がっていたのである。

 洞穴の奥、魔物たちの生活の場だと思われる少し開けた空間に、この洞穴の主たちはいた。その姿を、少し遅れてやってきたガーラたちの灯りが照らす。それは、小柄な子どものような体躯に小さな角を生やした魔物娘……ゴブリンたちであった。
 ざっと十数人はいたであろうか。無残にも痛めつけられ、猿ぐつわを噛まされ手足を鎖で縛られた彼女たちが何かを訴えかけるように呻き、その身をよじっていたのである。ゴブリンたちはアイオンの姿を見た瞬間、より一層警戒し叫ぶようにその身をよじるも、続けてやってきたガーラたち……同類である魔物……を見てアイオンがどういった人物なのか理解したのか、少し落ちつく。だが、それでも何かを訴えかけるように唸るのはやめなかった。
 「やはり……!」
 「なんだっていうんだ……! すぐにほどいてやるからな」
 ガーラは傍によると、自慢の怪力で鎖を引きちぎろうと手をかける。だが、ガーラの力をもってしてもそう簡単には千切れないようであり、難儀しながらもガーラは一本一本引きちぎっていく。その頑強さを前に、アイオンはあることを確信する。
 「ほら動かないで、今取ってあげるから!」
 そのわきでカルタがせめてもの手助けと、ゴブリンの口に嚙まされた猿ぐつわを取ろうとその鋭い爪で切り取っていく。
 救出自体はすぐに終わるだろうことはわかっていた。だが、それ以上にアイオンには懸念があった。
 「アイオン?」
 そんな戦士の不安を、いち早く感じ取ったのか胸元の妖精が静かに問う。だが、戦士が答える前に猿ぐつわを解かれたゴブリンがいち早く答えを叫ぶ。

 「早く逃げて! 奴らが、兵士たちがやってくる! アタシらを殺しに!」



 第三 窮地

 ……ゴブリンの叫びに、アイオンは歯噛みする。
 かつて読んだ兵法書にある記述そのままの状況であったからである。血の臭いによって警戒されぬように魔物を生け捕りにした後に置いて離れ、逃げたか離れていた仲間が助けようと戻った時、またはアイオンたちのように何らかの理由で訪れた新たな魔物たちがこのように“罠”にかかった時を狙って叩くという、非常に単純ながらも効果の高い戦い方。
 「……この中に戦えるものはいるか?」
 だが当然、弱点もある。一つ目は置き餌として残していった魔物が仲間と合流することで再度襲ってくるという点である。それをさせないために、ゴブリンの力ではどうにもできないような鎖で縛ったのだと考えられるが、ゴブリンよりも遥かに力の強いハイオークの合流は誤算といえただろう。
 アイオンの見たところ、ゴブリンたちは痛めつけられてはいたものの重傷を負った者はおらず、十分に戦うことができると思われた。ゴブリンは小柄な見た目からは信じられぬほど力が強く、そしてまた機敏でもあった。もとより好戦的な部分もあり戦力としては申し分なかったのである。
 「それは……それは……」
 だが、ゴブリンたちの返事は芳ばしくなかった。しかしそれは、アイオンも何となく察してはいたことであった。ゴブリンたちが自ら進んで戦闘をしたと考えるには、あまりにも傷が少ない。言い換えれば、ほとんど無抵抗で捕縛されたと思わしき状態であったからだ。
 「アタシたちが抵抗したら……パロマちゃんが……」
 「……でも、どうしよう……」
 「パロマ、というのはお前たちの仲間か?」
 アイオンの問いかけに、一番前にいたゴブリンが頷く。
 「パロマちゃんは……アタシたちのリーダーなの……でも、兵士たちに捕まって それで、アタシたちに言うんだ……少しでも抵抗したり逃げたりしたら殺すって……殺すって……」
 今まで耐えてきたものを吐き出すように、泣き出すゴブリン。その涙と動揺はゴブリンたちの間に広がり、泣き声だけが洞穴の中に反響していく。
 「お、おねがい だから、逃げて ここにいたら殺されちゃう!」
 哀願といってもいい、願い。だが、アイオンは悟ってもいた、逃げ道は恐らくもうないであろうことが。
 それに呼応するように、洞穴の入り口から遠吠えが響く。
 「……チッ! 奴らが来たよ!」
 唸り声とともに、全身の毛が逆立つニヴ。その知らせに、どよめくゴブリンたち。
 「どうする? アイオン」
 大斧を構え、抗戦の意を示すガーラ。当然、アイオンの意思は決まっていた。
 「戦おう」
 相手の手の内が見えた時点で逃げ道はないことは分かり切っていた。それに、手傷を負っていた時とは違い、今は傷も癒え十分に戦えるだけの力を持っていた。久方ぶりに、背負った剣……古強者をその手に持つ。ずしりと重いもののしっかりと手に馴染む、その鈍色の刃は長旅においてもなお鋭い輝きを放っていた。
 「カルタ、ノチェを頼む」
 「え……あ、ああ うん わかった」
 どことなく、歯噛みするようなカルタを少し怪訝に思いつつも自らの胸元から大切な姫君を取り出そうとその手を伸ばそうとする。
 「待って、いやよ 私は一緒に行くわ」
 しかし、その時小さな抗議の声が胸元から上がる。
 「危険だ、カルタと一緒にいた方がいい」
 「いや いやなの」
 しがみつき、噛みつくように離れることを拒否するノチェ。無理に引きはがすこともできたが、アイオンはため息を一つ吐くとせめてもの守りとして胸元の布を厚く縛る。
 「カルタ、クロ ゴブリンたちを頼む」
 「クロ 聞いたね、任せたよ」
 「……クロ、わかった!」
 アイオンの言葉に、少し不満げな表情をするもののニヴに言われ大人しく従うクロ。
 「行くぞ」
 言葉少なに、入り口に向けて歩みを進める。既に戦闘が始まっているのか、外から怒号と絶叫が響いてくる。敵が何かわからないという不安はあったが、どちらにせよ進める道は一つだけであり、覚悟を決め光から目を守りながら外へと飛び出していく。






 「敵の増援だ!」

 「ヘ、ヘルハウンドとハイオークです!」

 「っ! 引け! ひけぇっ!」



 悲鳴と絶叫、そしてプレザたちに追い立てられながら逃げる兵士。
 あまりにもあっけない、拍子抜けする戦いであった。
 領主の兵士たちと思わしき連中は無抵抗なゴブリン程度しかいないと思っていたのだろうか、恐らく最初に二体のヘルハウンド……プレザとザンナを見て既に浮足立っていたのかアイオンたちが洞窟から飛び出すと同時に逃げ出していってしまった。
 交戦自体は発生していたらしく、洞穴の周りにはいくつかの矢が突き刺さっていた。だが、かすりもしなかったのであろう、遠方では火を噴き上げながらプレザとザンナが兵士を追い立てている最中であった。その様子を見たニヴが一つ遠吠えをすると、プレザたちは兵士を追うのを止める。
 「ずいぶんと拍子抜けだね」
 遠吠えののち、つまらなさげにニヴが呟く。
 その言葉を聞き流しつつアイオンは突き刺さった矢を抜き去り、周囲を確認する。手にした矢は短く、クロスボウで放たれたものであることが伺えた。しっかりとした造りで、直撃でもしようものならば相当な痛手になることは簡単に想像できた。
また、洞穴から離れた丘の上に荷車が一つ置き去りにされており、その荷車には主神教団とこの一辺を支配するノーシア国の印が刻まれていた。アイオンはその荷車に近づき、積み荷を確認する。その荷車には小さな壺がいくつか積まれており、封を切ってみると液体で満たされていた。
 (これは、油か ……なんとむごいことを……ゴブリンたちを焼き殺すつもりだったな)
 調べるまでもなく、臭いでアイオンは液体が油であることを察する。住処である洞穴ごと“浄化”するための処置だろうと、アイオンは推測する。
 他にも、引火させるためのものと思わしき火薬や投げ入れるためのたいまつ、他に魔物がいた際に捕縛するためのものだろうと思わしき鎖までが積まれていた。
 「積み荷を置いて逃げるなんて、よほど慌てていたようだね 積み荷はなんだった?」
 アイオンの後ろからガーラが荷台をのぞき込んで声を出す。自慢の剛力を披露する機会がなくなり、心なしか不満げに息を荒げていた。
 「油だな たいまつなどに使われる、長く燃えるやつだ」
 「……そんなもん、どこで使うつもりだったんだ?」
 知ってか知らずか、ガーラはとぼけたように言葉を返す。だが、その表情から用途を察していることは十分に窺うことができたのである。
 「……アイオン、戦いは終わったの? それは何かしら」
 きつく縛られた胸元から、少し苦し気な声とともに小さな妖精が顔を出す。熱く籠った胸元から顔を出した妖精はほこほこと湯気を立て、アイオンが手に持っている小さな壺の中身を興味深げに見つめていた。
 アイオンは胸元の妖精にこれは油だと言葉少なに伝えると、そっと守るように手を添え隠れるように促す。しかし、ノチェはもうすでに危機が去ったと知っているのか、のすのすとその頭をアイオンの手のひらに擦り付け引っ込もうとはしなかった。
 「はあー なあザンナー、あいつら何しに来たんだ? ちょっと追い立てたらすぐに逃げやがって」
 「そんなことはどうでもいいね アタシは疲れたよ」
 ザンナとプレザが、喋りながらニヴのもとに戻る。二人とも特に怪我はなく、息も切らしていないことから殆ど苦戦していないことが伺えた。二人の話を聞く限り、兵士の一団はザンナ達を見た時からすでに逃げ腰だったようであった。
 (……あまりにもあっけない 本当に正規の兵士たちか?)
 「兵士たちにしちゃあ、あまりにも腰抜けだね」
 ガーラが、アイオンの心境を代弁するように口を開く。それはこの場にいる全員がそう思っていることでもあった。
 「……だが、これで危機が去ったわけではないだろう プレザ、ザンナ、どちらも相手を倒したり捕らえたりはしていないのだな?」
 「あ? ああ、そうだねえ 相手の数がわからなかったし、あんたらを置いて突っ込むのもやばそうだったからね 矢を避けているうちに相手が勝手に慌て始めて逃げ出したからね 深追いもしてないし ……一人でも捕まえておいた方が良かったかい?」
 本来であればそうだったが、アイオンはあえてこれで良かったかもしれないと考える。
 「……いや、相手に人質がいる以上 下手に刺激するようなことはない方がいい 少なくとも相手は犠牲もなく、ただ逃げ帰ったわけだ……その事実をどう報告するかはわからないが少しは時間が稼げそうだ」
 「時間が稼げるって……アイオン、まさか助けに行くっていうつもりかい?」
 アイオンの言葉にニヴが反応する。
 「できることなら、助けてやりたいと思っている それに放っておけばまた奴らは彼女たちを殺しに来るだろう ……一度関わってしまった手前、見殺しにはしたくない 勝手なのはわかっているが……」
 生来の気質か、戦士としての意地か、ただ殺されるとわかっている命を……少なくとも人里から離れた洞穴で細々と隠れ住んでいたと思わしきゴブリンたちがただ“魔物だ”という理由だけで、一方的にその命を散らされる理不尽を、アイオンは何とか食い止めたいと考えていた。それに、人質を取り一方的にいたぶるという相手のやり方も気に食わなかった。
 (……随分と、魔物贔屓に過ぎるだろうか……)
 だが、同時に葛藤もあった。既にアイオンの中に魔物が敵であるという認識は薄れ消えかかっている。それどころか、ほぼ無意識的に知りもしない魔物を味方とすら思いこんでしまってもいる。なるほどこれが“堕落”かと、アイオンは自嘲気味に思ってもいた。
 「はぁ〜……本当に世話好きだね、アイオン でも、そういうところが……あたしは好きだよ」
 そんなアイオンの思いを知ってか知らずか、ガーラはアイオンの肩をたたき快諾する。それには戦士としての魔物、ハイオークとしての性が戦いを求めてしまう部分もあるのだろう。戦意が燻ぶり、闘争に飢えている。そんな気配を纏ってもいた。
 「……アタイは反対だね、アイオン でも、やるっていうなら止めはしないよ」
 それに対し、ニヴは不満げな表情であった。おそらく、ガーラよりも長く生きている分物事に対する冷静な見方ができるというのもあるのだろうが、知りもしない魔物のために何かするというのが気に入らないのだろう。ニヴの性分として群れの仲間とそうでないものを明確に分けている部分がそうさせているのだろうと、アイオンは考える。
 「すまない 迷惑をかける」
 「危険を感じたら噛みついてでも連れて逃げるからね だから、自分だけの命だと思わないことだね……絶対にそれを忘れないでおくれよ ガーラもわかっているんだろうね」
 「な! わかってるよそれぐらい! あたしがちゃんと守るさ!」
 「どうだか」
 ニヴはため息を一つつくと、しゅるりと巻き付くようにアイオンの耳元で囁く。
 「アタイ達魔物の情念を甘く見ないことだね……アイオン……いざとなればみんな愛するあんたのために死ぬんだ……それを忘れないでおくれよ……」
 熱く、燃えるような吐息とともに注ぎ込まれる言葉。
 「あ! 離れろよ!」
 ニヴがアイオンに絡みついているのに気が付いたガーラは威嚇するようにその手を振り上げ、抗議の意を示す。その様子を見て意地悪に微笑みながらニヴは離れる。
 離れてもなお、じんと熱い耳をアイオンは片手で押さえるのであった。



 ……「アイオン……僕、心配だよ」
 洞穴の中に戻り、兵士たちを追い人質の救出を試みると話したアイオンに対し、カルタもまたニヴと同じく難色を示す。そうでなくとも、しょんぼりとした様子だったのがことさら小さく萎れてしまったかのようであった。
 「アイオン、僕嫌だよ……なんでそんな、自分を危険にさらすようなことをするの? ……ううん、ごめん こんなこと言って……アイオンは優しいから、僕もそれで救われたんだから……」
 いつもの快活さはどこへ、しおらしくうつむき、ぼそぼそと呟くようにしゃべるカルタ。しかし、上目遣いで見るその目は切実に訴えてもいた、どうかそんな危険な役目を引き受けないでくれと、自分たちのためにその身を大事にしてくれと。
 だが、もう決めたことだと、アイオンは小さく首を振るとそっとカルタを撫でる。
 「……危険なのは承知している すまない」
 「……僕も行くよ いいでしょ? ダメだって言ってもついていくから」
 言葉少なに、カルタはアイオンにしがみつく。アイオンは何も言わず、ただカルタを抱きしめるのであった。

 「あの……本当に、いいの? アタシたち……何も、できない……お礼も……」
 驚き戸惑う表情のまま、ゴブリンのまとめ役と思わしき娘がおずおずとアイオンの前に出ると、涙目のまま何も差し出せるものがないと告げる。
 何か蓄えや、価値のあるものがあったのかもしれないが、恐らく最初の襲撃の際に全て持ち去られてしまったのであろう。洞穴の中には砕かれた入れ物や乱雑に荒らされた寝床と思わしき場所のほかに物資といえるものは何もなかった。まだ冬は続く……このままでは兵士たちに殺されずともゴブリンたちは飢えて死ぬか、凍えて死ぬしかないような有様であった。実際、何人かのゴブリンは凍え震えており、何とか魔物の生命力で耐えているに過ぎなかった。
 当然、そうとなれば差し出せるものは、何もない。それどころか、自分たちのために何としてでも物資をかき集めなければならない状況でもある。
 「……礼はいい まだ助けられると決まったわけじゃない」
 「……パロマちゃん……」
 暗く冷たい洞穴の中に、沈鬱な空気が漂う。

 「……行こう 追うならば早い方がいい」
 重い空気に耐えかねたように、アイオンは呟く。敵の本陣も、先ほどのような弱兵ばかりであれば制圧することはたやすいだろう。だが、それは望み薄ともいえた。恐らくは、ただ油をまいて火を放つだけの仕事ゆえ、大した戦闘はないと踏んだために弱兵を訓練代わりに向かわせたのかもしれない。もしかすれば最初から焼き殺すだけのつもりで、アイオンたちと衝突したのは向こうにとっては不運な事故であり、アイオンたちのような“新たな獲物”はいないと考えていたのではと、アイオンは思い始めてもいた。
 「ニヴ、頼めるか」
 「……わかってるよ ニオイを追えばいいんだろう? プレザ、ザンナ、あんたらはここでこいつらを守ってやんな ただね……そこのゴブリンどももやばくなったら逃げることだね、プレザ達を死なせてまで守ってやるつもりはないよ!」
 唸るように、ゴブリンに吼える。そんなニヴにゴブリンたちは怯えるように縮こまり、広間の隅に集まるようにその身を寄せる。
 「あまり怯えさせないでくれ ガーラ、準備はいいか?」
 「おうよ しかしちょっと運びづらいな」
 「苦労をかける だがそれは必要になるはずだ、できる備えはしといたほうがい良い」
 先ほどの積み荷、荷車を背負えるように作り直したものを背負ったガーラが笑う。それなりに量があり、遠方から投げつけて火災を巻き起こせれば兵士の一団といえども混乱させることができると踏んだアイオンの考えであった。
 もちろん、ついてくるニヴとクロの力があれば炎の渦を生み出すことすらできるだろうが、それはこちらの居場所がばれることにつながる。それならばガーラの腕力で遠方から攻撃した方が、居場所を知られる恐れはずっと少なかった。夜闇に紛れて投擲すれば、さらに知られることはないだろう。
 「カルタ、ノチェ……行こう」
 小さな二人にアイオンは出発を告げる。カルタも、ノチェも、その顔に後悔はなく、ただまっすぐとアイオンを見つめている。カルタの腰には簡素なナイフが一本と油を詰めた小瓶がいくつかぶら下がっていた。もともとはあの積み荷に積んであった道具だが、非力なカルタであっても少しは戦えるようにとカルタ自身が集めたものである。
 ノチェはただ静かに、アイオンの胸の中に納まっている。その黒く輝く瞳は何かを見据えるように、小さく揺らめいていた。



 第四 影の中で

 ……兵士たちの陣地はさほど遠くない場所に位置していた。雪原と丘を越え、小さな林を抜けた先にある小高い丘の上に設営され、周囲にはいくつか突き出した小岩の山とぽつぽつと点在する木々以外には何もない、見晴らしの良い場所であった。
 その場所を、沈みつつある太陽の夕焼けが黒く染め上げている。

 「もっと日が高いうちに到着できればな」
 眼前の陣地を林の茂みに身を潜めて窺いながらアイオンは呟く。
 すでに辺りは暗くなってきており、夕闇によって彩られた景色では陣地の様子はわかりづらかったのである。それに立地もまた厄介であった。周囲には見下ろせるような場所はなく、逆にほぼすべての場所が陣地からは見下ろせたからである。
 「仕方ないさ……それにしても、相手さんはあまり多くはなさそうだね」
 アイオンの横で、ガーラが答える。ガーラの言う通り、兵士の数自体は陣地の様子からそこまで大規模というわけではなさそうだったが、それでも三十人から四十人程度の規模はありそうであった。あの洞穴を焼き払いに来た人数も十人に満たない程度だったとプレザたちが言ってことも含め、討伐軍としては小規模なものなのは間違いないと言えた。
 だが、それでも油断はできなかった。
 「陣地を張るのに適した場所がなかっただけかもしれない 近くにほかの陣地がある可能性も捨てきれないな……」
 「人質とやらがいるのは間違いないよ、ニオイはするからね ただ、どの辺かまでは……」
 「どうする……? なんにせよ人質の……パロマ、だっけ? 取り戻すには近づくしかないぜ」
 ガーラの言う通りではあった。なんにせよ、中の様子を探るためには潜入するしかない。幸いにして、木々や岩が並んでいる箇所があり、夜闇に紛れればうまく近いところまでは行けそうであった。
 「……話した通り……日が暮れ、夜になったら俺とカルタで潜入する ガーラとニヴ、クロはここで待機していてくれ ……後は作戦の通り、騒ぎが起きたらガーラは油壺に火をつけて敵陣に投げてくれ、それで少しでも奴らが混乱してくれれば逃げ出すのも少しは楽になる」
 「そして、アタイとクロは陣地の傍まで駆け寄って逃げてきたお前さんと猫……いれば人質を乗せて逃げるってわけだ」
 もちろん、見つからずに救出できるのであればそれが一番良かった。そうすればアイオンたちもそうだが、ゴブリンたちを逃がす時間も稼げるからである。
 (……だが兵士たちもバカではないはずだ、すぐに人質がいなくなったのはわかるに違いない 後はどれだけ混乱させ、逃げる時間を稼げるかだな)
 相手が全て、昼間戦ったような弱腰の兵士ならば制圧した方が早いかもしれないが、それも人質を救出してからの話である。少なくとも今の時点で攻撃を仕掛けるのは愚策でしかなかった。
 「……ノチェ、大丈夫か?」
 アイオンはそう呟き、胸元でうずくまる小さな姫君を心配する。先ほどから、戦士の姫君は一言も発していない。ただ小さく胸元に隠れ、震えるばかりであった。本来であれば、ガーラかニヴに預けて行きたかったが、アイオンはノチェを連れていくことに決めていた。己には守らねばならない者たちがいる、それを忘れないために。
 ゆっくりと日が沈む中、アイオンたちは静かにその時を待つ。夜の帳が全てを黒く覆う、その時を。



 ……夜闇が世界を覆い、ぼんやりとした月明かりの下、戦士と猫の魔物が丘の上の陣地を目指しゆっくりとその歩みを進めていた。降り積もった雪は僅かな光すらも反射し、ぼんやりとした明るさをもたらすだけでなく、足跡を残し追跡や発見を容易にするという意味でも厄介なものであった。
 だが、幸いにして陣地の周りに点在する岩陰のおかげで、進み方さえ間違えなければ何とか近づくことはできるのであった。とはいえ、陣地の周りには少数ではあるがたいまつが掲げられ、巡回する見張りの兵士の存在もあり、それらの目を盗んで潜入するのはそう簡単なことではなかった。風一つない、よどんだ空気が漂う夜ということもあり、見張りは音に非常に敏感になっていたからである。
 陣地の中心からは、談笑する声が聞こえるもののそれ以外に音はない静かな夜では、足音一つで気づかれる場合もあるだけにアイオンはどうしたものかと岩陰から様子を窺う。急ごしらえではあるものの、陣地を囲うように柵が作られ、その中にテントがいくつも張られている。見張り台などの類いはなく、兵士が巡回する形で警戒を行っていた。
 急ごしらえらしく、柵の合間に所どころある人が通れそうな隙間を潜り抜ければ忍び込むことはできそうであったが、中の様子がわからないことに加え巡回する兵士の目と雪の上に残ってしまう足跡をどうするかという問題があった。
 (気づかれずに入り込めれば、足跡は気にせずとも何とかなるが……)
 設営のために動き回った足跡はあったが、そこに至るまでの間には何もない純白の雪が広がっているため、何とかしてそこまでの足跡を隠す必要があった。
 (どうしたものか……)
 見たところ、兵士たちの巡回は何人かが陣地の柵の周りをぐるりと一周する形で行われているようであり、間隔に差はあるもののおおむね“この時であれば”という瞬間は掴むことができたのである。後はどうやって音と足音を残さずに入り込めるか、という問題が残った。
 (……どうしようもなければ、足跡で感づかれるとしても潜り込むしかないな)
 「……アイオン、どうするの?」
 ぽそぽそと、カルタが背後から声をかける。アイオンは振り返り、静かにするように目で合図する。アイオンの視線から意図を察し、カルタは口を閉ざす。当初はもっと怯えているかとアイオンは思っていたが、カルタは落ち着いていた。内心はわからないが、少なくとも表面上は手足や声が震えることはなく、至極冷静に周囲の状況を読み取ろうとしているのであった。
 (さすがは猫の魔物、といったところだろうか 音もなく雪の上を歩けるのはカルタぐらいだろうな)
 それに思った以上に冷静であったことも、アイオンにとっては嬉しい誤算であった。うまくすれば、敵の目を欺くくらいの芸当はやって見せるかもしれない。だが、それでもそういった危険を冒すのは今ではないと、静かにその時を窺う。
暫く、ただ冷たく静かな時間が流れる。
 (あの兵士たち……周りをよく見ていないな)
 アイオンはある巡回の兵士に目をつける。兵士たちは二人一組で、二組……つまりは四人で陣地の周りを巡回していたが片方の組は静かに巡回しているのに対し、もう片方の組はぼそぼそと談笑に応じていたのである。当然、警邏の途中に集中を切らしていたとなれば懲罰の対象になってもおかしくはないため大っぴらには話していないものの、それでも明らかに片方の組と違って周囲への注意は散漫になっていた。
 (あの兵士であれば、足跡があったとしても気づかれないかもしれない)
 「カルタ、準備は良いな そろそろ潜入するぞ」
 「う、うん!」

 「今だ」
 兵士たちが通り過ぎたのを見計らい、アイオンとカルタは岩陰から飛び出す。雪を踏みしめる音が響くたびに、アイオンの鼓動が早鐘を打つも幸いにして柵をすり抜けるまでの間に気づかれることはなかった。
 そのまま陣地の中に入り込み、積まれた雑貨の影に隠れる。
 (よし……だが、問題はこれからだな)
 今のところ、問題はない。だがこれからは多くの兵士がいる陣地の中を慎重に隠れて進まなければならない。失敗すれば二度目の機会はない、一度きりの潜入であった。唯一幸いだったのは、多くの兵士は凍える夜に用もなく外にいることはせず、さっさと自分用のテントに潜り込み眠りに落ちていたか、もしくは焚き木の周りに集まって暖を取りつつも会話に興じ、周囲の様子にそこまで注意を払っていないということがすぐに分かったことであった。
 (後は人質のパロマがすぐに見つかり、助け出せれば……)
 なんにせよ、あまり長居することもできない。アイオンはカルタに目配せをすると、そっと雑貨の影をすり抜け、静かに陣地の中を進んでいく。
 ゆっくりと、巡回のいる外側と兵士たちが集まっている中心部の間の影を進んでいく。その時、テントの一つからぼそぼそと喋る声がアイオンの耳に入る。
 (……何か情報が得られるかもしれんな)
 そっと、テントの傍により物陰に潜む。
 「……何度も言っているだろう……どうしようもなかったんだ!」
 「そうだ! 何ならお前はあのまま戦って焼き殺されるか、食い殺される方が良いってのか⁉」
 「ちっちがう! でも、本当にばれたらどうしようっていう話だよ! 今からでも隊長にきちんと報告した方が……」
 (昼間の兵士たちか……!)
 アイオンが耳を澄ませたテントはどうやら昼間ゴブリンたちを焼き殺しに来た兵士たちのものであった。
 「鎖で縛ってんだ! ほうっておけば飢え死にするさ……!」
 「ほかの魔物が助けに来てたじゃないか……奴らがゴブリンと一緒に襲い掛かってきたら……」
 「助けに来てたなんて、なんでわかる 逆かもしれないじゃないか」
 「そうだ! 俺たちの中で一緒に出てくるゴブリンを見たやつはいるか? いないだろ! 今頃あの魔物たちに食い殺されているさ! 逃げた俺たちよりも手ごろな獲物だからな!」
 「……う〜ん」
 「しっ 少し声を抑えようぜ 聞かれてたら厄介だ……」
 「それに何回も言っているように、今は教団から偉い戦士様が来てるんだ……戦士様の前で見栄を張った隊長になんて言えばいい⁉ 面子を潰されたとなれば俺たちもただじゃすまないぞ!」
 「……うぅ……でも、それこそ戦士様がいる時に助けてもらった方が……」
 「だから! 後が怖いって言っているだろう!」
 どうやら、昼間の兵士たちはまだ真実を……ゴブリンたちを始末していないこと、新手の魔物がいたため逃げ出したということ……それを報告していないようであった。
 (なるほど……だからそこまで警備の目もきつくないわけだな)
 アイオンはそっと、再びぐるぐると言う言わないの論争を巻き起こしつつあるテントから離れる。
 そのまま、再び静かに影の中を歩む。もう間もなく、陣地の半分程度は探索できたはずであった。
 「……にしても、すげえよな あの乳」
 そんな折に、焚き木の傍で談笑する兵士たちの声が届く。
 「あんなちっけえのに、あの乳じゃあな! とろくて仕方ないでよ!」
 品のない笑い声が、響き渡る。
 「しかしまあ、戦士様も賢いというか……魔物のことをよくわかってらっしゃるな」
 「まったくだ あのデカ乳を生け捕りにすると聞いたときは何でまたと思ったんが、ちょいと脅すだけで小鬼どもが黙るよってからに」
 「おかげで怪我もなんもなく、簡単に制圧できたからなぁ 戦士様さまさまよ!」
 再び沸き起こる笑い声と影に紛れ、アイオンは進む。
 話に夢中になっている兵士たちは、自身の声が予期せぬ侵入者の足音をかき消していることに気づかず、そのまま話を続ける。
 (……戦士、か)
 かつて、己が目指した道。ただ、魔物を……人さえも、それらを殺すためだけの存在……その事実が、今では一番の敵であると同時に呪いのようにさえ感じてしまう。
 アイオンは知っている、ただ正々堂々と武器を振るうだけが戦いではないのだと。このように闇と影に潜み、一人ひとり殺していく術もまた、習得していた。それもまた、アイオン自身が望んだことであった。ありとあらゆる、戦う術を、殺す術を……ただひたすらに習得した。

 ただ、殺すために……

 「……アイオン、アイオン あれ」
 ぽしょぽしょと、カルタが話しかけ指さす。その先には檻が一つ、大きな岩を背にするようにして置かれていた。岩の周りを囲うように柵が設けられ、見張りと思わしき兵士が二人、退屈そうに焚き木の前で喋っている。檻は小さいながらも頑丈な造りが伺える鉄の檻であり、音を立てず鍵もなしに開けるのは、アイオンとカルタには難しいものがあった。
 さらに悪いことに、檻の位置は先ほど談笑していた兵士たちのいる場所からそう離れておらず、見える位置にあった。薄暗く、見えづらいが、それでも異変に気付くくらいはできる距離である。幸いだったのは、兵士たちが檻の方には全く興味を示していないということぐらいだったが、それでも大きな音は立てられなかった。
 (……日が落ちてからまだ時は浅い……もう少し待ってみるか)
 もう少し、潜んでいれば兵士の数も減るかもしれない。そうアイオンは考え時を待つことに決める。
 「カルタ、少し待とう ……ノチェも大丈夫か?」
 「うん、わかった」
 そっと返事をするカルタに対し、姫君は相変わらず何も喋らなかった。ただ、胸元の温もりだけが彼女の存在を教えている。
 荷物の影に隠れ、アイオンはカルタを抱き寄せる。しんと冷える冬の夜の中で、カルタとノチェの温もりは確かな支えとなっていた。

 それからしばらく、談笑の声も収まり兵士たちは各々のテントに戻っていく。相変わらず焚き木の周りには兵士が一人二人いたが、どうやらそれは寝ずの番や巡回の交代の兵士のようであった。やがて、月が薄暗い空の真上に至る頃合いになって、陣地は静寂の中に包まれる。檻の見張りは変わらず二人いたが、焚き木の前でうたた寝をはじめたのを確認したアイオンは影から身を出しそっと周囲を確認する。巡回している兵士やほかの兵士の目もないことを確認したアイオンは檻へと近づいていく。檻の中は暗く、様子がわからなかったがむっとするような、嫌な臭いが漂っていた。
 (血の、臭いだ)
 そっと、音をたてないように檻の中を見る。
 (……ッ)
 人質を見つけることはできた。
 ……だが、人質が兵士たちから受けていたと思わしき仕打ちはあまりにも凄惨であった。この寒空の下衣服をはぎ取り裸のまま鎖で縛りつけているばかりではなく、両手の筋を切り裂き物さえ持てぬようにし、さらに両目を斬りつけるか、えぐり取るまでをして失明させているようであった。
 その姿は、両角を持ち、体躯に対し不釣り合いなほど大きな胸を持つことを除けば少女の姿と何ら変わりはない……それもかなり痩せている……それに対しての仕打ちである。
 その残酷な拷問の痕が、人質となったゴブリン……ホブゴブリンのパロマに刻み込まれていた。
 何の手当もされず、ただ放置されていたことを示すように、ぴくりとも動かないパロマの頭部と両手の周りには固まった血が広がり言いようのない血の臭いをあたりに漂わせている。だが、まだ死んでは……いないのだろう。微かにだが、その体が呼吸をするように動いていた。
 (……思っていた以上にひどいな……早く助け出さねば……)
 しかし、固く鎖と錠前で閉ざされた扉を開くには鍵が必要であった。無理やりこじ開ける方法もなくはないかもしれないが、魔物用に作られた檻を人の力でこじ開けるのは厳しいものがあった。
 (鍵のありかは……恐らく隊長か、それに準ずる兵士のテントだろう)
 そっと、檻から離れアイオンは思案する。少なくとも、うたた寝している見張りが檻の鍵を持っている可能性は低かった。
 (危険だが……)
 やるしかない。アイオンは覚悟を決めると、そっとカルタに耳打ちし檻の傍を離れる。

 隊長と思わしきテントはすぐに見つかった。陣地の中心部に近く、大きく立派なものであったからだ。
 入り口には見張りの兵士がいたが、既に隊長も寝静まっているというのもありのであろう。一見して真面目に立っているように見えたが、時折体を動かしたり、ふらりと辺りをうろついたりしており、退屈していることが伺えた。近くに暖をとれるようなものが何もない、というのも兵士にとっては嫌だったのだろう、大抵はテントの入り口の傍に立っている篝火に手をかざし必死に暖を取ろうとしているのであった。
 アイオンはその様子を確認すると、テントの裏側に回り端を短刀で切り開く。小柄なものであれば入り込める程度の切込みが入ったことを確認すると、そっとカルタの背中をたたく。
 (頼んだぞ)
 こくりと、カルタは頷きその身を薄暗いテントの中にするりと潜り込ませるのであった。
 「……」
 テントの中はことさら暗く、ぼんやりと外の篝火が透ける程度の灯りしかなかった。だが、猫の魔物であるカルタは夜目が利き、その僅かな明るさで十分に内部の構造を把握できたのである。そして、中の様子からこのテントがアイオンの読み通り、隊長格のテントというのは間違いなさそうであった。
 (……鍵はどこかな)
 簡素な寝台と鏡台に机、ちょっとした暇つぶしか教養のためかわからない数冊の本、やたらと使い込まれた携帯用と思われる教団の祈祷台、そして武器と鎧などが置かれ中は思った以上に狭く動きづらかった。だが、それもカルタからすれば動き回る分には問題なかった。
 (あ、あった!)
 幸いにして、それらしき鍵はすぐに見つかった。寝台の脇に置かれた小机の上に、乱雑に放り投げられていたのである。寝台の上に寝転がったテントの主も、寒さが堪えるのか毛皮を何重にも積み重ねて深い眠りに落ちているようであり、カルタは難なく小机の上から鍵を拾う。ずっしりとした黒塗りの鍵は、ひんやりと冷たくカルタの手の中に納まる。

 「これ!」
 さっと、振り払うように出てきたカルタは少し得意げに鍵を差し出す。アイオンはそれを受け取ると、さわさわとカルタの頭を撫でる。すぴっと、カルタの鼻息が鳴る。
 すぐに取って返し、檻の傍まで戻ると様子を窺う。いよいよ夜も更けた影響か、巡回の兵士以外に動いている者はおらず、檻の見張りも完全に首を垂らし焚き木の前で眠りこけているようであった。
 (このまま無事にいけば……)
 何事もなく、助け出せれば……そう思わずにはいられなかった。はやる気持ちを抑え、素早く檻の前に進み出ると手にした黒塗りの鍵を錠前に合わせる。かちゃりと、鉄と鉄が擦れぶつかる音が響く。
 「……ぅん? 何の、音……だ?」
 僅かな音。だがそれは静寂の中では響きすぎた。その音を拾う良い耳を持ち、責務を忘れぬ程度に浅い眠りであったことは……見張りにとって不運であった。

 「ッ! ッゥ!」
 口を押え、首に腕を回しねじ切るように回す。鈍く、何かが砕けるような音とともに見張りの一人は物言わぬ屍へと変わった。あまりにも素早く、精確に行われた首折を前にカルタはあっけにとられる。
 「……んご ぅん……」
 息絶えた見張りの横で、もう一人の見張りが音に反応するも、すぐに再び眠りの淵へと落ちていった。その様子に、ほっとアイオンは息を吐く。
 アイオンはそっと、折れた首をもとに戻すと、兵士が倒れぬように支えを行う。
 そして、再び檻の前に戻る。あまりにも無慈悲な、そして躊躇いのない暗殺を前にカルタは驚くようにアイオンを見る。焚き木の炎が、影となったアイオンの顔を黒く染める。

 何か、声を、かけなきゃ

 そう思っていても、カルタの声は出ず……触れることさえもできなかった。戦士の意味をわかっているつもりではあったし、自分も直接ではないが手を汚してきた……だが、その真の意味を……戦場の喧騒と大義によって隠され忘れ去られていた事実を、今カルタは目の当たりにしていた。

 戦士とは、殺す者なのだ
 何者であっても、躊躇うことなく
 一振りの武器のように

 がちゃりと、重い音を立てて鎖が外れる。その音に、びくりと檻の中のパロマが反応する。だが、その仕草は力なく、何かを恐れるかのようであった。檻の扉が軋む音を立てて開き、アイオンは中に入るとパロマを抱き起しそっと囁く。
 「静かに 助けに来た」
 その言葉に、パロマの体が震える。じんと冷え切った体はあまりにも弱々しく、そして軽かった。
 なるべく丁寧に、アイオンはパロマをその腕に抱いて滑り落ちぬように縛り付けると、静かに檻から出る。ようやく、救出劇の半分が終わった。だが、これからであった。後は無事に、見つかることなくこの陣地から抜け出さねばならない。だがそれも、巡回にさえ見つからなければ容易いことのように思われた……その時であった。

 それは、死に絶えた者の最後の足掻き……もしくは復讐であった。

 ぐにゃりと、支えを失った体が倒れ音を響かせる。
 「おああっ! な、なんだ⁉」
 目の前には、死に絶えた戦友。そして開いた檻に二本足で立つ猫のような魔物と、捕らえていた魔物を抱えた人間。その事実は寝ぼけた頭であっても、答えを間違えることはなかった。

 「てっ敵襲! 敵襲だあッ!」

 闇夜に、怒号が響き渡る。



 第五 戦士

 ……アイオンと、カルタは駆ける。兵士の叫びを受け、巡回の兵士たちが武器を手に、声を張り上げながら次々と仲間を起こしていく。殆どの兵士はある程度装備を身に着けたまま眠っていたのであろう、テントから飛び出してくる兵士たちは武装を済ませ、たいまつや武器を手に追ってくる。
 陣地内は狭いことに加え、数の差が圧倒的であり追いつめられるのは時間の問題であった。アイオンの顔に焦りが見えた時、僅かながら好機が訪れる。あらかじめ、ガーラに頼んでおいた火炎壺の投擲……それが始まったのである。
 「! 敵の攻撃だ! 防御、防御しろ!」
 闇夜に一筋の炎を描きながら投げつけられた壺は地面やテントに当たると同時に火炎をまき散らし、周囲を赤く染める。小さくもその火力は十分であり、狙いはめちゃくちゃだったが陣地内を混乱させるのには十分な効果を発していた。だが、それでもアイオンが逃げだすには難しいものがあった。何より、着火剤の油の量はそれなりにあったが投擲用の火炎壺の数はそこまで多くはない。
 「くそっ! 火を消せ! 消せーッ!」
 「いたぞ! あいつを追え!」
 混乱に乗じ、逃げようとするアイオンを見つけた兵士が叫ぶ。槍を持ち、剣と斧を掲げ、叫び声とともに迫る兵士。柵から抜けようにも、アイオンとパロマが抜けられるだけの隙間をまだ見つけられていなかった。
 「こっちだ! カルタ!」
 アイオンは傍にあった樽や箱を片手で引っ掛け、崩して通路を塞ぐと燃え盛る陣地の中へと飛び込んでいく。火の粉が舞い散り、慌てた兵士たちが逃げまどい、または消そうと躍起になっている中を走り抜ける。燃え盛ったテントが風に舞い、眼前を塞ぐも片手で払いのけ走る。焼け付く痛みよりも、止まらぬことが重要であった。だが、逃げるアイオンに気づいた二人の兵士が立ちはだかるように前に出る。
 「待て! 貴様!」
 「邪魔だ!」
 炎の中、立ちふさがる兵士の斧の柄を片手で押さえ、股間を膝で蹴りつける。小気味よい、何かが潰れるような嫌な音とともに、悶絶した兵士は嗚咽を漏らし蹲る。そのまま斧を奪取し、もう一人へと叩きつけるように投げる。
 「グッ!」
 力の限り投げつけられた鉄の塊は兵士を打ちのめし、大地へと叩きつける。そのまま痛みにのたうつ兵士を飛び越え、アイオンは走っていく。どうやら、馬などもいたのか炎によって狂乱した嘶きがあたりに響き渡る。
 (狙いがバラバラだったのが功を奏したな、思った以上に兵士たちに痛手を与えることができたようだ)
 しかし、それでも順調とは言い難かった。火の回っていない方向から複数人の兵士が追ってきていたからである。
 「く、くらえ!」
 だが、そこに一石を投じる……正確には一瓶だったが……カルタがいた。いくつか持ち歩いていた少量ながら、油の入った小瓶。しかし火はついておらず、そのままでは砕けたとしても油を撒くことしかできないものであった。引火する可能性はあったが、それでもかなり効果は限定的になると思われた時であった。カルタの目と指さきが光り、微かな魔力の流れが瓶に流れ込む。
 その瞬間、弾ける音とともに小瓶が砕け大量の火の粉が飛び散り、あちこちに飛び火すると一瞬にして炎の壁を作り上げる。
 「ひぃーああ! 火が! 火がっ!」
 「くっくそ! 周りこめッ!」
 「頼む! 消してくれェっ!」
 運悪く、炸裂する火炎に巻き込まれた兵士が慌てて自身についた火を消そうと暴れまわり回り込もうとする兵士を邪魔していく。魔法に長けた種族のケット・シーでありながら、カルタには攻撃に使えるほどの魔法の火を熾す力はない。だが小さな火であればある程度好きな位置に熾すことができ、それを利用して投げつけた小瓶の内部に火を熾し炸裂させるという作戦だったが、その予想外の威力に放った当人であるカルタも目を白黒させ、驚きのあまり言葉を詰まらせる。
 「すごいな……」
 そして、それはアイオンにとっても同じだったようであり、僅かではあるが驚きに目を見開く。だが、兵士の怒号が聞こえると即座に意識を切り替え、素早く駆け出していく。
 「早く!」
 そして、カルタもまたアイオンに置いていかれないように駆け出すのであった。

 「もうすぐだ! 駆け抜けるぞ!」
 息を切らしながら走り続けると、炎が翻る陣地の出入り口が見える。だが、当然それは兵士たちも予測しており、既に数人の兵士が出口を断つように回り込んで武器を構えていた。
 「いたぞ! やれ!」
 (戦うしかないか……!)
 アイオンが武器を取ろうとした、その時であった。兵士の背後から火炎が巻き起り、兵士たちを包み込んだのは。
 耳をつんざくような絶叫とともに、全身を火だるまにした兵士たちが叫びながら駆けずりまわるのを脇目に、悠々とアイオンに駆け寄る二体の黒い影……ニヴとクロであった。
 「ニヴ! クロ! 助かった!」
 「ひひっ! そうだろう、そうだろう! ……にしてもアイオン、ずいぶんと派手にやったね」
 抱きかかえたパロマを急いでクロに縛り付け、落ちないように固定するアイオン。
 「少し予定が狂ってな ……奴らは死んだのか?」
 「……別に殺しゃしないよ ただ、暫くは動けないだろうけど」
 そう言ってニヴは、見るからに死んでいそうな黒焦げの兵士たちを一瞥する。だが、ニヴの言うことは本当なのだろう、時折呻くようにして動いたからである。
 「よし! 行くぞ!」
 「カルタ!」
 「クロ、わかってるって! 今乗るよ!」
 アイオンとカルタはそれぞれニヴとクロに飛び乗り、いよいよ燃え上がる陣地から脱出すべく走り出す。背後からは兵士の怒りに満ちた叫びが、響き渡っていた。出口を抜け、雪原へと至った時であった。胸元にいたノチェが、叫ぶ。

 「アイオン! 逃げて!」

 逃げているだろう、悲鳴ともとれる叫びを前にアイオンは疑問に思う。だが、それと同時にある音が耳を掠める。空気を切り裂き、捻れながら飛翔する“何か”の音。

 「ッ!」

 振り向くと同時に、アイオンはニヴに体重をかけ無理やり傾かせる。

 「! おいっ! アイオン、何をッ!」

 する、バランスを崩しそう叫ぼうとしたニヴの肩に“何か”が突き刺さる。強靭な魔物の皮膚と肉を貫き、大地に縫い留める大針……何者かが投げ放った“投槍”であった。
 ニヴの口から苦痛の叫びと嗚咽が上がり、アイオンは投げ出される。
 「あぐっ! ぐッ……! ニヴッ!」
 雪原に叩きつけられるも、即座に起き上がりアイオンはニヴへと駆け寄る。
 「ハ……ッ 少し、ばかり……ヘマしたね……ッ!」
 苦悶の息を漏らしながら、ニヴは何とか立ち上がろうともがくも、深々と突き刺さりニヴの肩を貫通した槍が突き刺さったままでは満足に片手が動かず、立てたとしてもアイオンを背に乗せて走ることは到底できそうになかった。
 「ニヴ! ニヴー!」
 「バカ! クロ! 早く行きな!」
 そしてまた、ニヴが深手を負ったことを察したクロが引き返し、ニヴへと駆け寄ろうとしたその時であった。二発目の投槍がクロに向けて放たれたのは。
 「クロ!」
 「! ヒィッ!」
 だが、その槍が当たることはなかった。
 鈍い音とともに、アイオンの手によって振り下ろされた剣を受けた槍はくの字にひしゃげ折れる。アイオンはそのまま剣を構え、二人を守るようにニヴとクロの前に立つ。

 眼前には、二人の戦士が複数の兵士を従え、敵を討つべく迫ろうとしていた。

 一人は、剣を携え先陣を切ってまっすぐにこちらへと向かい。
 一人は、槍を携え兵士を引き連れこちらの退路を断つべく指示を出す。

 雪を薙ぐように、先陣を切った戦士の刃がアイオンの胴にめがけて振るわれ、アイオンはその刃を抜き放った己の剣で受ける。鋭く、ずんっと喰いこみ響く衝撃とともに剣が軋む。そのまま戦士は剣を押し当てるように引き抜くと、勢いのまま素早く心臓めがけて突きを繰り出すも、その突きをアイオンは体をねじるようにして躱すと同時に一歩踏み出し、剣の柄を戦士の顔面に突き入れるように振るう。しかし、相手の戦士もそれを読んでいたか素早く姿勢を低くし躱すと、距離を取るように後方に跳ね飛ぶと深く息を吸い、構えをとる。

 暫し、二人の戦士は互いに剣を構えたまま相手を睨み見据える。

 「……お前、名を何という」

 口火を切ったのは、相手であった。

 「我が剣を受けた、その腕前 ……ただの堕落者ではないな」

 その口ぶりは自信に満ちると同時に、強い警戒を現していた。アイオンもまた、眼前の戦士はただの戦士ではないことを見抜く。かつて死の淵の悪夢で見えた、紅い丘の戦士と同じく、多くの勝利と死をもって磨かれた殺戮の刃を振るう者。
 (……だが、あの戦士ほどではない)
 しかし、そうであるがゆえに見えるものがあった。眼前の戦士は、紅い丘の戦士には及ばない。あの揺らぐような憎悪、憤怒……そして何より、あの戦士にとって世界は二分されていた……己と、己以外の敵……その純然たる殺意が、目の前の戦士にはない。
 (この程度の者に……負けはしない)

 アイオンの顔が、暗く翳る。

 「ユーリイ様! 加勢いたします!」
 武器を構え、アイオンを囲おうと前に出た兵士をユーリイと呼ばれた戦士は手で制す。
 「待て」
 ユーリイは気づいていた、眼前の戦士は……危険だと。相対したことで直感的に、理解したのである。魔物よりも恐れるべきものが、今目の前にいるのだということを。

 「クロ、カルタ……逃げろ そのゴブリン……パロマを連れて、先に行け……すぐに、俺も後を追う ニヴを連れて」
 有無を言わさぬ、暗い響きを含んだアイオンの声にクロは怯え、カルタは戸惑う。
 「あ、アイオン……でも」
 「行け」
 びくりと、クロの足が震え動く。
 「……ッ 行きな、クロ! 早く!」
 「ア アァ アアアッ!」
 ニヴの叱咤を受け、クロの足が駈ける。
 「待って! 待ってよクロ! アイオン! アイオーン!」

 「魔物が逃げます!」
 「くそ! 追おうにも馬が!」
 「! 新手だ! 魔物がこっちに向かってくるぞぉっ!」
 走り抜けるクロと入れ替わるように、雪を蹴り一体の魔物がアイオンの傍へと近づいていく。その黒い影は大斧を携え、愛する者の名を叫ぶ。

 「アイオン! どうしたんだ!」

 そして、ガーラは……魔物は見る。戦士の影を。

 「……アイオン? アイオン⁉」

 戦士が、跳ねる。低く、剣を構え、目の前の敵めがけてその刃を薙ぐ。ユーリイは刃を受け流し、素早く構えをとる。だが、戦士はそれよりも早く次の刃を繰り出す。そう、わざと刃を流させその勢いのまま剣を翻しユーリイの守りを叩き崩す。
 「! クッ!」
 崩されたまま、何とか戦士の一撃を剣で受け止め、そのまま寸でのところで剣での押し合いに至る。もしもこの時、ユーリイがこの一撃を受けきれなければそのまま胸を裂かれ絶命していたことであろう。
 「ユーリイ様!」
 「来るな! 死ぬぞッ!」
 渾身の力をもって、兵士に告げる。もはや、ユーリイに余裕はない。全力を尽くしてもなお、己が敗北を……その先に待つ死を感じざる得ない相手が、目の前にいた。暗く翳を落とした戦士の顔の中で、その両目が暗く燃えて爛々と輝く。
 その戦士の胸元で、妖精が悲痛に叫んだ。

 「お願い! 逃げて! アイオン! 逃げて!」

 だが、その叫びはぶつかり擦れあう鉄の音に搔き消され、戦士にはおろか、誰にも届くことはなかった。

 「アイオン! おい!」
 (くそっ! なんだっていうんだ!)
 胸騒ぎがする、ガーラはがらにもなくそう感じていた。アイオンは敵を圧倒している、間違いなくあの戦士に勝つだろうと、何も心配することはない。だが今までにない、嫌な予感がしていた。このままではまずいと、獣としての本能ともいえる直感が何かを訴えていた。
 だがまずは、ニヴを助けなければとガーラは考える。
 「ニヴ! 動けるか⁉」
 「ガーラ! 避けろ!」
 ニヴの掛け声と同時に、槍を持った兵士がガーラめがけて突撃を仕掛ける。だが、軽々と躱すと大斧を足に引っ掛け兵士を転倒させ、そのまま胴を蹴り飛ばし兵士の集団にぶつける。
 「オッ! ぐぅ……」
 「くっくそ! 負傷者! 負傷者!」
 明らかに、格上の魔物を前に兵士たちはうろたえ後ずさる。だが、終わりではないとガーラは睨みつける。兵士の奥にいる、戦士を。

 「前を開けよ 我が挑もう」

 槍を携えた戦士が、兵士の後ろから前に出てからガーラの前に立つ。大柄でありながらも、技巧に長けた者であるとガーラは直感的に理解する。
 (これは厄介そうだね……)
 「……我は教母ノラに仕える戦士ベルナルト 主神の名において、魔物を討つ」
 律儀な性格なのか、目の前の戦士は魔物に対し自らの名を明かす。だが、名乗るだけの実力はあるのだろう、構えた槍の切っ先は揺るぐことなく隙がなかった。ガーラも大斧を構え、戦士ベルナルトを見据える。静かに、ガーラの中の血が滾る。
 別の場所では、アイオンとユーリイが死闘を繰り広げていた。その空気を裂くような剣戟の音が、ガーラの中の不安を揺り動かしていく。そして、それは……僅かな隙となった。
 その隙を見逃すような、戦士ではなかった。瞬時に距離を詰めるとガーラの腹めがけて手にした槍を突き出す。即座にその槍を躱すも、ガーラに対し二発、三発と間断なく突きを繰り出していく。ガーラもまた、恐るべき瞬発力と反射神経で致命の撃を避けるも、反撃を狙えるような攻撃ではなかった。
 「くっ!」
 仕切り直さねば、そう判断したガーラは大きく後ろに飛び後転するようにしてベルナルトから距離を取ったその時であった。ベルナルトの左手が淡く輝きだしたのは。
 咄嗟に、ガーラは大斧を盾のように構える。

 瞬間、眩い光、そして何かがぶつかる鈍い音とともに金属の焼ける音と臭いがあたりに漂う。

 「……てめえ、魔導士か!」
 それは、旧き時代の魔法。神が編み出し、天使がそれを人に伝えたとされる魔を討つ業。光の矢と呼ばれる魔法であった。熟達した魔導士や神官が放てば竜のうろこすらも貫いたと伝えられる強力な魔術。
 当然、戦士としての修練を優先したベルナルトの魔法にそこまでの威力はない、だがそれでも直撃していればガーラの腹を射抜くぐらいはできたであろう。
 「ただの戦士かと思えば……!」

 「……卑怯者、とでも言うつもりか? 魔物風情が」

 その声は……ひどく冷たく、酷薄であった。

 「言ったであろう、我は戦士 魔物を討つのに、邪道も正道もあるものか 貴様らはただ黙って討たれ死ねばよい」
 ただ冷静冷酷に、ベルナルトは再びその槍を振るい来る。その槍を、再び躱し、そして時に斧で受け流しながらガーラは悟る。先ほど、自身がアイオンに感じた不安の正体を……アイオンもまた、目の前の戦士と同じであった……それは……

 コロシテクレル

 剣を振るい、戦士が吠える。斬撃を放ちながら左右に跳ね飛び、間断なく刃が躍り撥ねる。
 「ユーリイ様!」
 兵士の叫びに応える余裕もなく、ユーリイは戦慄していた。目の前の戦士の業と、揺らぎ燃え盛る殺意に、そしてただ無情に命を奪うことだけを目的にした剣技を前に、底知れぬ恐れを感じていた。既にユーリイはいくつかの斬撃をその身に受け、満身創痍となっていたが今までの修練、そして磨いた技をもって戦士の猛攻を防いでいた。
 だが、それも限界が近かった。
 ユーリイの血に濡れた剣は紅く流れるように翻り、戦士の手の中で眼前の命を刈り取らんと襲い来る。疲れを知らぬとしか思えぬほど、戦士の力は卓越していた。最初、打ち込んだ時、ユーリイは相手の剣に戦士の技を見た。だが、今目の前の戦士が繰り出してくる業は己が知るどの武技とも違うものであった。脳裏にちらつくは、旧き時代の……獣と化した戦士の伝承であった。

 「……! バカな!」
 再び、ガーラと距離を取ったベルナルトの口から驚愕の声が漏れる。
 「魔物風情に苦戦かい 戦士様」
 「貴様のことではないわ!」
 その槍さばきは変わらず、隙がなく正確無比であったが同時に微かな……いや、ベルナルトは鋼ともいえる意思の力をもって自身のうちに沸き起こる動揺と焦りを抑えこんでいることをガーラは見抜く。ガーラもまた、自身の愛する者が相手の戦士を圧倒していることはわかっていた、わかっていたが……同時に恐怖を感じていた。それは、愛する者、アイオンの動きがまるで……己が血の中に在り、最も恐れ忌避している存在……
 (まるで、魔物だ……)
 ただ純然たる殺意、そしてそれを為すだけの業と力を持つ存在。だからこそ、ガーラもまた急がねばならぬと、急ぎ目の前の戦士を打ち倒し彼を止めねばならなかった。



 もはや、彼の戦士の剣は守るために非ず 敵を討つべくにこそ在れ



 第六 獣の首を刎ねるのは

 ……北の大地に広がる、白い裾野……月明かりだけが煌々と輝く夜闇の中でぽっと明るく燃え盛る一陣があった。
 その紅く燃える陣の傍で、戦う二組の戦士たち。

 一組は剣と剣をもって、己が技と力をぶつけていた。

 もう一組は大斧と槍をもって、同じくぶつかり合っていた。

 片や、神の道を信じ魔を討つと誓ったものたち。
 その道に迷いはなく、あるのはただ敵を討つという使命のみ。

 片や、人と魔……伴に道を歩むことを決め、生き抜くと誓ったものたち。
 その道に迷いは多く、あるのはただ生きたいと願う無明の明日のみ。



 ガーラとベルナルトの戦いは拮抗していた。
 ベルナルトの槍と魔法は全てガーラの反射神経と直感……そして桁外れの腕力と体力によってねじ伏せられ、致命の撃を与えることができなかった。
 ガーラの大斧はベルナルトの巧みな槍さばきにより振るうことを封じられ、またベルナルトは決してガーラの力がモノをいう懐には入ろうとしなかった。それ故にガーラもまた決定的な一撃をベルナルトに加えられないでいたのである。
 だが、両者において相通ずるものがあればそれは“焦り”であった。
 追いつめられ、道を踏み外しつつある戦士を止めんがために、ガーラはベルナルトを打ち倒したかった。
 追いつめられ、その生を断たれんとしている友のために、ベルナルトはガーラを討たねばならなかった。

 だが、両者の願いはむなしく、互いに打つ手も譲歩もないまま刻々と時が刻まれてゆく。

 そして、戦士とユーリイの戦いの趨勢は決しようとしていた。
 戦士の刃は鈍色と紅に彩られ、炎を照り返し不気味に煌めきながらもなお苛烈な攻めの手を緩めることはしなかった。猛攻を続けたこともあり、流石の戦士も疲れを見せていたが、満身創痍となり打ちのめされる寸前にまで困憊したユーリイほどではなかった。
 数度、薙ぎと突きを織り交ぜた斬撃を防がれたのち、戦士は後ろに飛びのく。ユーリイの息は荒く、その瞳は恐怖に歪んでいた。既に足は震え倒れそうであり、心は折れていた……それでもなお、命を絶つ一撃を捌き続けていたのはひとえにユーリイ自身の持つ武技と死への恐怖を思い出したおかげであった。ユーリイは恐怖していた。

 己が死ねば、この戦士は皆を殺す 己が生きるために、敵を全て討つ

 戦士が深く息を吸う。恐らく次が最後の一撃となるだろう。ユーリイは悟っていた。たとえ奇跡的に己の力がまだ持ったとしても、もはや戦うことは叶わないと。
 大地を深く踏みしめ、戦士が剣を薙ぎ払う。どうか守ってくれと、ユーリイは持てる最後の力を振り絞って自身の剣を構え受け止める。

 刹那、激しく鉄が砕ける音とともにユーリイの体が打ち飛ばされ大地に……雪の中に叩きつけられる。

 幾度となく、戦士の力とあり得ぬほどに鋭く硬い古き剣の刃を受けたユーリイの剣は疲弊しきり、ひび割れ、いつ折れてもおかしくないほどにまで傷つけられていた。そして今、主を守らんとその身を砕いて、己の業を完遂したのである。

 勝敗は決した

 大地に叩きつけられたユーリイは蹲り、ただ恐怖に震え眼前の戦士を見る。

 戦士の顔は暗く翳り、炎を受け煌々と揺らぐ両眼だけがユーリイを捕らえていた。

 深く低く息を吸い、ゆっくりと戦士が近づく。
 まだ、戦いは終わっていないと。その剣を手に……全てを決する一撃を、二度と己が前に立たぬように、二度と脅威とならぬように、そして何より己という存在を知らせぬために……眼前の敵は全て葬らねばならぬ、そう告げるように剣を構え、振り下ろさんと両腕を上げる。

 アイオン!

 大斧を眼前の邪魔者に叩きつけるように投げ、魔物が人の名を叫び、駈ける。
 斧は外れるも、突然のことに怯んだ邪魔者は魔物を取り逃がす。そのまま邪魔者を振り切った魔物は、怯え慄く兵士の群れの合間を駈け抜ける。

 誰も、戦士の前に立つことなどできはしなかった。立てば斬られる。それがわかっていたから。
 戦士の前に蹲り、ただ哀願するようにその切っ先を見上げる一人の人間。その顔は恐怖に歪み、かつて己が葬ってきた者たちと重なっていく。
 戦士の顔が、嗤う。

 剣が、振り下ろされる刹那

 戦士の眼前に、魔物が立つ 両腕を広げ、己が身を投げ出し



 それはそれは、鮮やかな紅であった



 振り下ろされた剣は止まることなく、その切っ先は揺らぐことなく

 ダメダ!

 重く、止まらぬ剣を……戦士は抗う
 力の限り、愛する者を
 守ると決めたものを

 その剣は、魔物の首を掠り、胸元に一閃の傷跡を残し
 大地へと突き刺さる
 瞬時、剣を抜き去ると戦士は後ろへと飛び跳ねる

 血が、雪の上に落ち 紅を残す

 アイオン

 魔物が呼ぶ、戦士の名を

 「アイオン……だめだ」
 首から、胸から血を流し、問いかける。
 「ガ……ガーラ」
 手が震える。止まらない。
 「それ以上は、行ってはいけない 戻って……来れなくなる、奴らと同じになってしまうよ……だから、だめだ」
 妖精のすすり泣きが聞こえる。どうして。
 嗚呼、どうして……

 己が戦う理由を忘れたのか

 手にした剣が、やけに重く冷たく、手に焼きつく。
 「……あたしの手だって汚れちまっているさ」
 ガーラが一歩前に出る。
 「でも、アイオンの手は……もっと……ごめん、ごめんな」
 さらに、歩む。
 「あたしは……甘えてた、守っている……助けている気に……なっていた」
 一歩、前へ。
 「アイオン」

 その手が届く、距離まで。

 どうして

 妖精が、啼く

 どうして、そこに立ってしまうの



 肉を突き破る、音がする



 魔物の腹に 槍が 刺さる

 驚き、見開く目 

 口の端から、血が漏れる

 「ガーラッ!」

 アイオンが駆け、その手を伸ばす。
 ガーラはその手を取り……

 力の限り、投げ飛ばした。

 空に浮き、雪の上に落ちる。
 立っていた位置に、雷光の如く輝く“魔法”が飛ぶ。

 「何をしている! 奴らを捕らえるのだ!」

 ベルナルトの怒号。我を忘れた兵士たちが己の役目を思い出したかのように、叫び群れを成す。

 「奴は丸腰だ! 囲め!」

 「逃げろッ! 逃げるんだ!」

 迫りくる兵士。両膝をつき、倒れ伏そうとしているガーラ。呻き、叫ぶニヴ。
 剣は、投げられた拍子に手から落ち。戦う意思はなく、己が半身を……仲間たちを捨てて逃げることもできず……アイオンは叫ぶ。



 なぜ、この大地は我らが生きることを許さぬのかと……



 朝日が昇る。
 ただひたすらに、眩しいまでの朝日が……






 ……槍を手で引き抜こうと抑え、掠れた息を吐くガーラの前にベルナルトが立つ。その鍛え抜かれた大柄な姿は、まるで世界の壁のようにガーラの目に映る。
 「終わりだな、ハイオーク」
 勝ち誇る、傲慢な響き。
 「動くな! 動けばこいつの命はないぞ! 早く縛るんだ!」
 「くそっ! 触るんじゃ……ッ! ないよ!」
 「ベルナルト様! 堕落者の胸元に妖精が隠れていました!」
 「やめて! アイオン! アイオン!」

 取り押さえられ、鎖に縛られた獣と戦士。そして泣き叫ぶ妖精が鳥籠へと繋がれていく。妖精の嘆きは、その小さき体から発せられたとは思えぬほど、遠くまで響いていく。
 「ベルナルト様 取り押さえました!」
 「かたじけない そこの堕落者を我が前に」
 後ろ手に縛られたアイオンが、ベルナルトの前に突き出される。ベルナルトはアイオンの顔をまじまじと見て、吐き捨てるように告げる。
 「このような若造がよくもっ……! 本来であれば貴様のような堕落者などこの場で処刑するが……この損害の説明を果たすには必要故、あのケダモノと一緒にまだしばらくは生きていてもらう その後に……皆の前で諸共その首を刎ねてくれる」
 「やめろ…… 違う……そいつは、あたしが……攫った……」
 「ガーラ……っ」
 「動くな!」
 「今更嘘か? つくづく魔物とは救いようがないな、貴様らの関係など見ればわかるわ! まあいい、嘘をついてでも守りたいとは……よほど深い仲と見える おい」
 ベルナルトはアイオンの両脇を固める兵士を見る。
 「はい!」
 「この堕落者の両目を潰す」
 冷淡に、言い捨てる。
 「はっ! りょ、両目をですか!」
 「貴様っ!」
 「動くな!」
 アイオンは身じろぎするも、人の身と力で鉄の鎖を砕く術はなく、すぐに兵士に取り押さえられる。
 「そうだ 早く前へ……いや、まて せめてもの慈悲だ……愛する者の顔をよく見ておくといい」
 「てめえ……ぐっ!」
 ガーラの口から、血が噴き出す。ベルナルトは、ガーラを見て嘲笑うとアイオンの頭を押さえるようにしてガーラの前に突きつける。
 「死ぬ前に良く見ておけ、ハイオーク 貴様が戯れに攫った人間がどうなるかをな」
 「ぐっ……やめろ……! させ、る……かっ!」
 必死に、這うようにしてガーラは近づき手を伸ばす。だが、ベルナルトは再度ガーラを嘲笑うと、短刀を抜き放ち……無造作にアイオンの片目を突き潰す。

 絶叫

 鮮血が、雪に舞う

 「やめろっ やめろっ!!」
 ガーラは叫び、這う。叫ぶたびに血が吐き出され、這うたびに突き刺さった槍が、大地にかかるたびに傷口を広げ鮮血を溢れ出させ激痛を走らせる。しかし、そんな事よりも目の前の……愛する人を襲う苦痛の方が耐えられなかった。

 だが、ベルナルトはガーラの方を一瞥すると、再びアイオンに向き直り……手にした短刀を、残った方の目へと突き入れる。

 「あれほどの武技を持ちながら堕落するとは……」
 苦悶に叫ぶアイオンに対して淡々と告げ、突き入れた短刀を引き抜く。



 「連れていけ」
 痛みにのたうち、光を失ったアイオンを連れ兵士は逃げるように去っていく。
 「……あぁ ああっ」
 ガーラは手を伸ばす。叶わぬと知りながら、それでも。
 最早、手足は冷たく痺れ、あまりの痛みに意識は混濁としてきていた。だが、それでもガーラは這う、少しでも少しでも近づこうと……助けようと……

 「……このような傷を負ってまだ死なぬとは、つくづく頑丈な連中であるな」

 「ベルナルト様、撤収の準備が整いましてございます ユーリイ様も無事です」
 兵士が一人駆け寄り、ベルナルトに告げる。
 「ご苦労 損害の方は?」
 「テントが半数ほど、だめになりました……物資もです それと死者が一名……重軽傷者が多数、今確認中です」
 「あれほどの戦いで死者が一名だけとは……主神様の御加護か しかしゴブリンには逃げられたのだな?」
 「は、はい」
 「……虚偽の報告を隊長殿にした者がおるな まあよい、どちらにせよこれでは遠征もままならん 砦に戻るぞ」

 雪を、血を踏みしめ兵士たちが去る。
 戦士は鎖につながれ、獣は大地に縫い留められる。

 ただ、今日を生きたいと願った者たちの戦いが終わろうとしていた。

 「アイオン……! アイオン!」

 地を這い、血を吐き……死にゆくもの

 「ガーラ! ガーラ! どこだ!」

 光を失い、捕らわれ……許されぬもの

 「……ベルナルト様 まだハイオークは生きております」
 「神に祈る時間を与えたのだ ……魔物に神がいるかはわからぬがな」

 兵士の群れが、去っていく。
 清らかな朝日の中、一匹の獣を残して。






 「ちくしょう……ちくしょ……ぅ……」
 雪原に倒れこみ、絶望に呻く一匹の獣。死にゆく中に想うは、愛する者と……最後の選択……果たしてあれは間違っていたのかと、それを己に向けて問いかける。
 愛する者が、血の道へと……生きるため……守るために戦うのではなく、殺すために……自ら進んで血と死をもたらす為に戦おうと……していた、それを止めるには……我が身を投げ出すしかなかった。下手をすれば、あの瞬間に絶命していたかもしれない。でも、愛する者は踏みとどまった。信じていた通りになった……でも、それがこの結果を招いてしまった。

 口の血が喉に絡み、息が詰まる

 (……もう あたしも おわりかな)
 つらい旅になると、わかっていた、わかっていたつもりだった。つらくとも、今を必死に生きて、明日を信じれば……また明日が来ると思っていた。最後はきっと、みんな幸せに暮らしていける場所にたどり着くと……
 (……アイオン……)
 もう、言葉も出ない。ただ小さく、唇が動く。
 (……寒い、な……)
 冷たい、雪の上で瞼が重くなる。目の端から、涙が零れるも……それは大地に落ちることなく凍り付き、皮膚へと張り付く。血も凍てつき、もはや流れることはない。ただただ、しんと染み入る寒さだけがゆっくりと全身を覆っていく。

 瞼が、落ちる。

 幽かに、あの日見た魔女が……蒼く揺らぐ陽炎の如き……いたような気がした。



 魔女さまはいいました

 いつの日か


 あなたのもとにあの子はもどってきますよ



 あの子はりっぱな戦士さまになって




 ……あなたの首をはねにきますよ





 獣の首を刎ねるのは?





22/03/05 21:55更新 / 御茶梟
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■作者メッセージ
読んでいただき、ありがとうございます。

書き始めてから一年が経とうとしています。
ようやく、物語としては折り返しというところまで来ました。

もう暫く、お読みいただけたら幸いです。

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