連載小説
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1.僕ともも
―お婆ちゃんが倒れた。

お父さんの一言に、僕とお母さんは心底驚いた。
お母さんなんて、手に持っていた包丁を落とすものだから、
近くに立っていた僕は、二度も驚くハメになってしまった。

僕のお婆ちゃんは、ここから山をいくつか越えた先にある、
カウランドという国に住んでいる。畜産業で栄えている国。
お婆ちゃんも、女手一人ながら、小さな牧場を経営している。
年に何度か家族で遊びに行くのだけれど、僕の印象としては、
山の上で牛を放し飼いにしてる…くらいのものしかない。
のどかで、自然がいっぱいで。つまり田舎っぽい国なのだ。

そんなところに住んでいるお婆ちゃんが倒れたというのだから、
僕達は慌てて出掛ける準備をした。なんせ、歩いて丸3日掛かる距離だ。
お父さんも、歩いて行っては遅いと判断したのか、馬車を呼んできた。
僕は初めて乗る馬車にドキドキしたけれど、出発してみると、
ガタガタと揺れて、とにかくお尻が痛かった。もう乗りたくない。

とにもかくにも、僕達は半日を掛けて、カウランドに到着した。
空はとっぷり暗くなっていたけれど、宿を探すよりも先に、
お婆ちゃんが運ばれたという診療所を探さなければいけない。
家族一同、手紙に書かれた地図を頼りに、道行く人に尋ね、
あっちこっち走っては、なんとかその場所を探し当てた。

息を切らせながら、お父さんはお医者様に、お婆ちゃんの様態を訪ねた。
いったい、お婆ちゃんはどんな病気に掛かってしまったのだろう。
僕とお母さんは、呼吸を整えながら、お医者様の顔を見つめた。

が、お医者様は微笑みながら、ゆっくりと答えた。
骨折ですが、命に別状はありませんよ、と。僕達は目が点になった。

そう、お婆ちゃんは病気ではなく、骨折…怪我だったのだ。
倒れただなんて、ややこしい言葉を使われたものだから、
僕達はうっかり勘違いをして、急いで来てしまったのだ。
この手紙を書いた人は、余程人を驚かせるのが好きに違いない。

さておき、お婆ちゃんは元気だったので、一安心だ。
ワッハッハと恰幅良く、僕達の勘違いに腹を抱えて笑っていた。
どうやらお婆ちゃん、高いところに仕舞った道具を取ろうとして、
梯子から足を滑らせて落ちてしまったらしい。それはそれで大事だ。
笑って話すお婆ちゃんに、お父さんが、もう歳なんだから…と言うと、
一人で暮らしてんだからしゃあんめえ、なんて、お父さんを困らせていた。

お婆ちゃんのいつも通りの様子に、胸を撫で下ろす僕達。
が、急にお婆ちゃんは声のトーンを落として、呟いた。

―牛たちはどうすっぺがなぁ…。

その不安げな口調に、僕達は顔を見合わせた。
先程も言った通り、お婆ちゃんは女手一人の牧場主。
お婆ちゃんがいなくなってしまっては、飼われている牛たちは、
小屋から出してもらうこともできず、檻の中の生活になってしまう。
かといって、ずっと放し飼いにしていればいいってものでもない。
誰かが見ていてあげないと、たちまち狼に獲って食べられてしまうからだ。

誰かが残るか、それとも牧場を手放して、お婆ちゃんもこっちに来るか…。
僕達は色々と話し合ったけれど、お婆ちゃんとしては、
思い入れ深い牧場を売ってしまうのは、やっぱり嫌らしい。
そうなれば、誰かが残るしかない。お父さんか、お母さんか、僕が。

が、これはもう、相談せずとも決まっていた。
お父さんは大工さんなのだけれど、今、大きな仕事を抱えている真最中。
依頼主である貴族様がうるさいで、これ以上長く休むのは無理なのだ。
ではお母さんはというと、そっちもそっちで、縫製の仕事が忙しい。
家事もあるので、とても家を離れていられる状況じゃあない。

そう。残るのは、僕なのだ。
最初、僕はその事実に気付かず、お前が残ってくれ、と言われた時は驚いた。
それこそ、お婆ちゃんが倒れたと聞いた時と同じくらい、びっくりした。

当然、僕は嫌がった。
だって、友達とも離れることになるし、吟遊詩人も山の上には来ない。
楽しみも無ければ、待っているのは、ちょっぴりクサイ牛だけだ。
ご飯や掃除、洗濯だって、一人でちゃんとやれる自信がない。
初めての一人暮らしを前に、僕は両親へ大いに反発した。

お父さんは、そんな僕をなだめながら、こう言いくるめてきた。
お婆ちゃんの怪我は1年で治るらしいから、それまでの辛抱だ。
後でお手伝いさんを雇って、僕のところへ送るから、頑張ってくれ。
もし、ちゃんとできたら、帰ってきた時に好きなものを買ってやる。

ご馳走も用意しておくわよ、と横からお母さんも付け加えて。
僕はちょうど、欲しかった英雄譚の本があったので、渋々飲むことにした。
頷く僕に合わせて、お母さんもお父さんも、そしてお婆ちゃんも喜んだ。
笑顔が戻ったお婆ちゃんを見て、了承して良かったと、僕は少しだけ思った。

…それから、2週間後。

僕は大きな荷物を背負って、今、お婆ちゃん家の前にいる。
少し到着が遅れたのは、何か魔王が変わったとかで、世間がゴタゴタしたから。
でも、僕達の周りはいつも通りだった。なんら変わりない日常。
様子を見、大丈夫だろうと判断して、3日遅れの出発となったのだ。

大自然を背景に臨むお婆ちゃんの家は、こじんまりとしたもの。
中は客間兼台所と、あとは寝室だけ。とってもシンプルな作り。
家族で来たときは、ベッドが足りないので、床に布を敷いて寝ている。
せめて、客間と台所は分けてほしいなぁ…なんて思いながら、
僕は戸を開け、少し埃っぽい部屋の中に入り、テーブルに荷物を降ろした。

さて、まずは何より、牛たちの様子を見にいこう。
もう長い間放っておかれているから、お腹も空かせているだろうし、
運動不足で鈍っているはず。鳴き声が聞こえないから、不貞寝しているのかも。
幸い、お婆ちゃんは怪我する前に、餌も水も充分に補充していたらしいから、
餓死している…なんてことはないだろう。どうか、そうであってほしい。

僕は荷物の中から、一冊の帳面を取り出し、外に出た。
これは、お婆ちゃんが書いてくれた、牛の育て方のマニュアル本。
パラッと読んだ感じでは、図などもあって、分かりやすい説明書きだった。
何でも昔、お婆ちゃんは作家を目指していたらしい。人は見掛けによらない。

…それにしても…本当に静かだ。
何がって、牛たちが。牛小屋から、全然物音が聞こえてこない。
まさか、本当に餓死しちゃったワケじゃあ…、いやいや、
もしかして、狼が小屋まで入ってきて、食べちゃったんじゃあ…。

僕は一抹の不安を胸に抱きつつ…裏手に回り、牛小屋に対面した。

「あ、こんにちは〜」

……………。

………ん?

「お客様ですかぁ〜?」

ん…? んん?

あれ…。牛がいない。一匹も。
代わりに、なんか、牛小屋の中におねえさんがいる。
あの人、ひとりで何してるんだろう。紐なんかで繋がれて…。

「…あれ? お客様、ご主人様に似た匂いがします〜」

しかも、ワケの分からないことを言っている。ご主人様とか、匂いとか。
なんだろう…、もしかして、変態さんなのかな…。近付きたくない…。

よく見れば、あのおねえさん、頭にツノを生やしているし、
首にはカウベルをぶらさげているし、牛模様の服を着ているし…。
靴まで牛の蹄みたいなのを履いて、ご丁寧に尻尾も付けている。
牛になりきっているのだろうか。牛になりきる変態おねえさん。

「お客様〜、もしかして、ご主人様のご家族ですか〜?」

そういえば、貴族の人は、女の人にこういうことさせるらしいけれど…
あの人が言うご主人様って、おねえさんが仕えている貴族の人を言っているのかな。
だとしたら、ものすごく嫌だ。うちには貴族なんていやしない。
僕の家は一般的な平民の家族で、変態趣味を持った人とは無縁なのだ。

「もしそうなら〜、ご主人様に伝えてください〜」

…でも、綺麗な人だな…。
美人さんだからこそ、尚その奇行が際立って見える。
身体も汚れちゃっているし、ご主人様とやらに繋がれて、
もう結構な日にちを放っておかれているんじゃないだろうか。
なんか可哀想だし、紐だけでも解いてあげようかな…。

「ここにいた、みんなのことなんですけれど〜…」

そうだ。そういえば、牛たちは?
まさか、貴族の人が、おねえさんをああするためだけに、
邪魔だからって全部逃がした…なんてことは…。いや、そんな。
仮にそうだとしても、周りは柵で囲まれているから、放牧になるだけだ。
それなら、そこら辺をのそのそ歩いているはず。でも、いない。
…待てよ。そうか、放牧になっているところを、狼に襲われたのかもしれない。
いやいや、でもそれなら、血とか何かしらが残るはずで……。

「仲間の牛さん達は〜、み〜んな、男の人を探しに行っちゃいました〜」

……え? 仲間の…牛さん?

おねえさんの一言に、僕は、ひとつの破天荒な推理が浮かんだ。
いや、それはない、さすがにないとは思いながらも。

しかし、どうしても疑問が拭いきれず…。
僕は意を決して、牛小屋の中に入り、おねえさんに近付いて、
ちょっといいですか、と声を掛けながら…カウベルに刻まれた文字を見た。

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627年、蠍の月17日生まれ、もも。
急いで手に持った帳面を開いて、牛たちの名簿欄を見る。
上から順に、指でなぞり追って…それはすぐに見つかった。

…間違いない。
このおねえさんは、うちの牛だ。

「私は〜、お留守番してなきゃと思って〜、残りました〜」

こちらの気も知らず、マイペースに喋るおねえさん。

いや、もちろんこの人が、カウベルを奪った可能性だってある。
だけど、今こうして間近で見て、角や尻尾、牛柄のズボンだと思っていたものが、
どう見ても身体から直に生えているものだと気付いたら、どうだろう。
誰だって、そういう考えになるはずだ。おねえさんは牛だったのだ。

「お客様〜。ご主人様は、今どちらにいるかご存知ですか〜?」

…もしかして、魔王が変わったことと、何か関係が…?
あるいは、悪い魔法使いが、悪戯に魔法を掛けたのかもしれない。
どちらにせよ、お婆ちゃんの…ひいては僕の牛が、人間になってしまった。
いや、角とか生えているから、正確には…獣人、だろうか。人獣?

違う違う。そうじゃない。今考えるべきは、そこじゃない。
これからだ。これから、どうしよう。元に戻す方法なんて分からない。
おねえさん…ももの言葉を鵜呑みにするならば、他の牛たちは、
男の人を探すため、みんな何処かに行ってしまったというし…。
そもそも、なんで男の人を探しに行ったんだろう。餌とかじゃなくて。
分からないことだらけだ。あぁ、混乱してきた。助けてお婆ちゃん。

「お客様〜…?」

………とりあえず。

お婆ちゃんには、後で全てを話すとして。
今はももだけでも、なんとか育てていこう。残っていてくれたし。
もしかすれば、少し時間が経てば、元に戻ってくれるかもしれない。

まずは餌を…いや、お風呂? 近くの川に連れていけばいいかな…。

「…? どこかに連れて行ってくれるんですか〜?」

僕は、ももに繋がれた紐を外して……。

…悩んだあげく、さすがに紐で引っ張っていくのはアレなので、
少し恥ずかしいけれど、手を繋いで引いていくことにした。
きょとんとした顔で、僕を見つめるもも。彼女も、僕と同じ。
いまいち、現状を把握しきれていないようで、戸惑っている。

歩きながら、僕は彼女に事の経緯を説明した。
お婆ちゃんが怪我をしたこと。1年間の入院が必要なこと。
その間、僕が牛たちの世話をすることを頼まれたこと。
彼女はうんうんと頷きながら、僕の話を聞いていた。

そして、最後に、にっこりと。

「じゃあ〜、貴方が、新しいご主人様なんですね〜」

うん…、まあ、そう、なのかな?
ご主人様って呼ばれると、なんだか照れ臭い。

「よろしくお願いします〜、ご主人様〜♪」

嬉しそうに、微笑むもも。

…なんだろう。何故かは、よく分からないけれど。
不安だったのが、彼女の笑顔を見たら、ふっとんだ気がする。
うん、そうだ。きっとうまくいく。頑張ってやれば、何だって大丈夫。

僕も彼女に笑顔を返して、お互い笑い合った。
小川まではもう少し。手繋ぎ、肩を並べ、歩調を合わせて。

身体の小さな、主人の僕。身体の大きな、牛のもも。
ふたりで仲良く、青空広がる高原の野を歩いていく。
駆け抜ける爽やかな風を、背中いっぱいに受けながら。

僕とももの牧場生活は、ここから始まる。
12/07/04 00:16更新 / コジコジ
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