読切小説
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『見つめる者』

 彼女を端的かつ的確に表すなら、『天真爛漫』だと皆が口を揃えて言うだろう。
 名前は”天王寺 真子(てんのうじ まこ)”。
 俺と同い年で、いわゆる幼馴染になる。
 かれこれ幼稚園からの仲になるが、とにかく彼女は特殊だった。
 何をやるか分からない問題児――というほどではないにしろ、節々に変わった点を持っている。

「おはよう、信司(しんじ)」

 ぼさっとして癖の付いた長い黒髪に、実年齢より遥かに幼く見える顔立ちと体型。前の身体測定ではたしか、身長141cm、体重34kgと測定用紙に書いてあった(本人はその日のことなのに憶えていなかった)。
 少し丈のずれた大きめのブレザー(買い替えるときに書くサイズを間違えたらしい)をなんとか着ているような感じだ。
 さらによく見るとブレザーのボタンは取れかけで、スカートには皺がよっているし、靴下の種類も柄も左右でバラバラである。
 制服ですらこれなので、私服を含めファッションには興味がないのは自明の理だ。

「……おはよう。珍しいな、俺の家の前で待ってるなんて」
「そうかな?」
「昨日もその前もその前も、俺がお前の家まで迎えに行っただろ」
「今日以外のことはあんまり憶えてない。いらないかなー、って思うし」
「……じゃあ、なんで今日は俺を待ってたんだ?」
「んー、そうだなあ」

 真子は無表情のまま、僅かに雲の浮かぶ空を見上げる。
 真剣に何かを考えているようにも見えるし、一切何も考えていないようにも見える。
 ”行動と思考は一致しない”と彼女は言っていた。

「まあいい、そろそろ行こう」
「学校に?」
「今中学生の俺らが、他にどこへ行くんだよ。しかも受験シーズン真っ盛りだってのに」
「他に行きたいところはない?」
「なくもないけど、今は学校へ行くべきだ」
「信司が行くって言うなら、ついてくよ」

 と、朝の会話がいつもこんな調子だ。
 昔と比べればかなりマシにはなったのだが、今でも掴み所がないのは変わらない。
 中学校へ登校する道すがらも、彼女は色々と話しかけてくる。

「そーだ。夢を見たんだよ、すっごく綺麗な女の人が出てきたの。アイドルとか女優とか、そんなのじゃなくて、もう人間じゃないぐらい綺麗なの」
「へえ」
「それで見惚れてたら、その女の人がね、私に何か言ってたの。よくわかんないけど、『私のようになりたい?』って感じの事だったかな。
 でもってすぐに私がうんってうなずいたら、笑いながら離れていっちゃうの。『きみはもう、なってるの。すこしずつわかるよ』みたいな事を言いながらね」

 矢継ぎ早な言葉を聞きながら、相槌を返す。

「変な夢だな。それにお前にもそんな変身願望があったのが驚きだ」
「んー、なーんかその時はそう思っちゃったんだよ。そういうことって夢だとよくあるでしょ」
「それはまあ、そうだな」
「あとはね、『その想いを大事にしなさい』とかも言ってたかな。これはよくわからなかったけど……あ、クロネコ。ついて行ってもいい?」
「置いてくぞ」
 
 しぶしぶ、といった感じで彼女はまた俺の横について歩き出す。
 彼女はそれこそ猫のように、自由で、不思議で。
 目を離すと本当にどこかに行ってしまいそうだった。
 



――――――――――――――――――――――――――――ー




 俺が真子を知ったのは幼稚園に入って少し経ってからだ。
 その頃から親交はずっと続いているわけだが、出会った頃の真子は『普通の』女の子だったと、おぼろげながらも俺は記憶している。
 まあ、その年の子供で『常識的な子』なんてまずいない。まだそれを学ぶ段階だ。
 女の子の遊びもするし、男の子の遊びもする。運動は苦手だと本人は言うが、遊びに関してはそうでもなさそうだった。

 彼女の様子が変わったのは、小学四年生の頃になる。

 お互い家族ぐるみで付き合いのあった俺と真子は、真子の祖母の葬式に出席した。
 俺でも知っているぐらい、かなりのおばあちゃんっ子だった真子は、葬式の最中、別人のように静かだった。泣くことも笑うこともない、ただひたすらに無表情だった。
 考えても考えても、真子に掛ける言葉が見つからなくて、顔も会わせられなかった。
 それから真子は式のあと何日か学校を休んで、数日後。
 朝、登校前の出会いがしらのこと。

「しんじ」
「おはよ……ん?」

 真子は風変りではあったものの、親しい人間には挨拶を欠かさない子だった。
 でもその時はわざわざ俺の家の前まで来て立っていて、俺を見つけるとすぐに駆け寄りながら、こう聞いてきたのだ。

「どうして、ひとは死ぬのかな」
「え?」
「おばあちゃん、びょういんで『死にたくない』って言ってた。なんどもなんども言ってた。
 わたしが大きくなるまで、ずっと生きてたいって言ってた」
「……うん」

 真子はいつもの無表情だ。けど、落ち着きがない。
 俺を見ていたかと思えば突然後ろを見たり、自分の頬を叩いたり。
 なんにせよ、その行動の真意をくみ取ることも出来ず、俺は生返事を返すだけ。

「でも、おばあちゃんは泣かなかったよ。わたしの前では、ぜったい。
 だからわたしも泣かないほうがいいんだ、って思った。かなしい顔をするのは、やめた」
「そう、だったのか」

 ほんの少しでも、真子を変だと思ってしまった俺が馬鹿だった。自分を殴ってやりたかった。
 きっと理解はできないだろうと思っていた俺が悔しかった。
 真子は鋭いんだ。きっと理由のないことなんて、一度だってしていない。
 いつだって真子は、自分の事よりも遥かに他人の事を考えているのに。

「ひとは死ぬと、どこに行くのかな」
「……さあ」
「わたしはそこにいけるのかな。おばあちゃんがいるのと、同じところにいけるのかな」
「それは……」
「わたしも、追いかけて行っていいのかな」

 それを聞いて俺は、二人で横に並んで歩いていたところから真子の前に立ち塞がる。
 表情を変えずぽつりとそう言った真子の前で、彼女の両肩をがっしりと掴んだ。
 目を離すと、どこかへ行ってしまいそうだった。

「バカ言うな!なんで、なんで真子がそうなるんだよ!
 もし死んだら、かえってなんかこれないんだぞ!」

 そうして真子の眼を睨む。
 怒られているというのが理解できてないのか、きょとんとした顔をしている。
 けれど、その言葉は見逃せなかった。

「でも。わたし、おばあちゃんにまた会いたいから。
 おばあちゃんも、会いたいって、言ってると思うから」
「ダメだ!やめてくれ!」
「……どうして?」
「それ、は……」

 一瞬だけ迷った。けれど、言わないわけにはいかなかった。

「お前が、俺のそばにいてほしいからだ」
「……」

 真子は、一分間ほどじっと目を閉じていた。
 俺もずっと待っていた。

「……そう。じゃあ、考える」

 その日から、祖母の死について真子はそれ以上何も言わなかった。







 それからは大きな事件もなく、俺達は中学生になった。
 しかし、真子はぼーっとしている事が極端に多くなった。
 何か考えているようにも、何も考えていないようにも見える表情ばかりになった。

「天王寺さん、きょう提出のプリント、持ってきてる?」
「……持ってない」
「そう……じゃ、先生にはそう言っておくね」

 田舎の小中学校だったので俺と真子はずっと同じクラスだった(というか一学年に1クラスしかなかった)し、昔からの知り合いは俺以外にもいたはずだが、自分から他人に話しかける事が目に見えて少なくなっていった。
 体育を含め、テストの成績もかなり芳しくない。
 そしていつからか、クラスの皆が彼女を腫れ物のように扱うようになった。

「天王寺さんって、いっつもノリ悪いよね」
「話しかけてもテキトーな返事しかしないしー」
「先生に当てられても『わかりません』で、ぜんぜん勉強もしてないみたいだしビックリだよ」
「あー、コミュ力低いのとグループ組まされるのやだなー」

 同じ教室の中、近くにいる真子にも聞こえるような声で、これ見よがしに女子の三人が喋っている。
 ただ、真子自身はやはり聞いているのか聞いていないのか、上の空な無表情。
 それに苛立ったのか、女子たちは真子の座る机を三人で囲む。

「シカトしないでよー」
「ほんと変なヤツ」
「ねー、聞こえてんでしょー? それとも頭だけじゃなくて耳もおかしいの?」

 俺はイスを倒す勢いで乱暴に席を立って、彼女たちの集まりの中、そして座った真子のすぐ横に立つ。
 真子はやはり仏頂面だが、さすがに女三人は俺を怪訝そうに見てきた。

「それ以上言うな。怒るぞ」
「ふーん……?いっつもベタベタしてるけど、アンタは関係ないでしょ」
「オレカッコいいアピールとかやめてよー、すげーウザい」

 思わず握り拳を作ってしまうが、なんとか踏み止まる。

「……そうだな。別に俺のことはいい、真子の悪口を言うなって言ってるんだ」
「それこそカンケーないっしょ。付き合ってるわけでもないくせに」
「や、隠れてイロイロやってんじゃないの?完全に保護者だもんねー」
「ヒーロー気取るの、ダサいからやめたほうがいーよ?こんな頭弱い子たぶらかしてさー」
「っ……!」

 度重なる彼女への悪口で、相手が女の子ということも忘れて殴りかかりそうになる。
 いい加減にしろ――と言おうとした所で、真子が力の入った俺の握り拳に手を添えた。

「それは、だめだよ」
「!」
「痛いのは、だめ。それはとっても、辛くて苦しいこと」
「……ああ。真子、外に行こう」

 女子たちはまた何か騒ぎ立ててきたが、構わず俺は真子の手を引いて教室から出た。

「怒るのは、よくないよ。あの子たちの言ってること、わかるから」
「でも……だからって黙ってるのは」
「ずうっと考えてるわたしが悪いの。そのせいで、他の事ができない。
 愛想笑いも世間話も練習したけど、できない。
 お父さんやお母さんにも言われるから、わかる」
「そんなにいつも、何を考えてるんだ?」
「……いろいろ。言葉にしにくいことばっかりだし、できるとも思わない」
「まあ……とりあえず、勉強はちゃんとやってくれよ。
 ずっと見てきたから言うけど、お前ならやろうと思えばできるだろ」

 それについてはお世辞や慰めではなく、本気でそう思っている。
 真子は興味のあるらしい事にはかなり詳しい。
 たとえば、サンタクロースがどの国で公認されているか、すぐに答えられる。
 サメについても詳しく(真子いわく「かっこいい、特に歯が」)、空で五十種類以上の名前を挙げられる。
 俺が教える余裕のある教科だと真子は平均以上を取れるし、説明したことも驚くぐらいに一度でスッと理解してくれる。
 理解力も記憶力も俺より遥かに高い。つまり地頭は良いのだ。

「……分からない。何をすればいいのか、分からないもん」
「テストはちゃんと範囲の所が出るだろ?」
「違うよ。勉強して、それから何をすればいいのか、何をしたいのか、私には分からないの。
 知りたいと思うことはほとんど教科書には載ってない。
 やりたいと思うことはまだ分からない、見つからない」
「そうか……そうだな、でもたぶん、やりたい事を見つけるためにこそ、勉強が要るんだ。
 何にでも下準備はした方がいいだろ?
 だから、考えるのもいいけど、今やれることをやろう」
「信司は、そう思うの?」
「ああ」
「……わかった」

 俺が微笑むと、真子も少しだけ笑ってくれた、ような気がした。





 そして今に至り中学三年生、受験シーズンに入る。
 
 真子への悪口は飛んでこなくなったが、代わりに俺も含めて無視されるようになった。
 あの女子三人はいわゆるスクールカースト的にも上位で、それとなく指示されれば他のクラスメイトも表立っては文句を出せない。
 まあ、こっそり話してくれる子もいるし、無視されるだけで陰湿な嫌がらせをされてないだけまだマシと言えなくもないが。
 学校での昼休み、俺と真子は中庭のベンチに座っていた。

「で、真子はどの高校に行くつもりなんだ?」
「△△高校」
「なんだ、俺と同じか?お前ならちゃんと勉強すればもっと上に行けるだろ」

 真子は俺の助言を聞き入れてくれたのか、何だかんだで少しは自分から勉強をするようになった。
 しかしそれは落ち着かない授業中の暇つぶし程度らしく、家ではほとんど勉強しないと聞いた。
 でも少なくとも、全教科のテストで俺と同じぐらいの点数は取れている。
 俺も特段成績が良いわけではないにしろ、それに関しては正直羨ましいぐらいだ。

「別に……どこでもいい。学校だとたぶん、わたしの知りたいことは見つからない」
「それは分からないが、どこでもいい、なんて考えは良くない。
 もう少し高校の情報を集めてみたらどうだ」
「……ん」

 不明瞭な返事。まあこれはいつもなので、それ以上は強く言わない。

「信司は、わた――」

 真子はそう言いかけて、しかしすぐに止める。

「なんだ?」
「……ごめん。なんでもない」

 何かを言い掛けて言葉を止める、これも珍しいことだった。
 今日の朝、わざわざ俺の家まで来て待っていたのもそうだが、どうも様子がおかしい。

「真子、何か、あったのか?」
「ん……」

 いつもの無表情――なのに、微かに色づいているような。
 そんな思い過ごし程度のものだが、やはりいつもとは何かが違うのだ。

「たぶん、色々、あるけど……特に、なんか、目が疼くの」
「目? 何か違和感があるのか」
「ん、でも痛いとか、見えないとかじゃない。むしろ、見えすぎてる」
「見えすぎてる?」
「それだけじゃない。なんか、見えてるものが多すぎるの。目がいっぱいあるの」

 真子は目を閉じたり、開いたり、片目だけ開けたり。
 自分を触診するかのように行動を繰り返す。

「いくらなんでも、目が増えたりはしないだろ」
「私も、そう思う。でも今日の朝、私はクロネコを見たの。私の後ろにいたはずのネコ」
「たまたま居ただけじゃないのか」
「……一番、変なのは、見えすぎてるほう。すごく、なんだか。
 鮮やかに、鮮明になってるの。まるで、別の世界」
「それは……どういうことなんだ?」

 しばらく周りをぐるりと見ていた彼女は、急にまた俺を見た。
 そして見つめ合った。 

「いっつも見てたはずのものなのに、ずっとそばにあったのに。
 や、だからこそ、近すぎて、よくわからなかったかもしれないものが、どうしようもなく綺麗に見えて。
 それが――あんまりうまく言えないけど、とにかく、嬉しい」

 当然顔にある目は二つ――それでいいはずなのに、違和感がある。
 何故か、それが変に思える。
 普通の人間を見ていてそんなことが、そんな考えが普通、よぎるだろうか?
 それに瞳の色が妙な程赤い。充血などではなく、純粋に赤く煌めいている。
 真子の瞳は……こんな色味だっただろうか?

「……」
「……」

 しばらくの間、無言で目を合わせる。瞬き以外には、他に何もせず。

「……ど、どうかしたのか、真子?」
「あ……ごめん。そうしてたかったから。だめ?」
「い、いや。そういう訳じゃない……んだが」

 互いに顔を合わせる事自体はそんなに珍しいことじゃない。
 よく真子は俺の顔を覗いてくる。
 だが、今日に限っては何かが違う。
 しかもいつもと違うことだらけで困惑しているのに、これがだんだん正常にも思えてくる。


 そして見つめているうちに、予鈴が鳴ったのが聞こえた

「ま、真子。時間だから教室に戻ろう」
「……ん」

 俺にそう言われてようやく気が付いたように、真子は目を閉じた。






 授業中、後ろに座っている真子の様子をたまにそっと見てみると、なぜかその度に目が合う。
 俺から真子の席は斜め後ろで、そんなに遠いわけではないので大きく首を動かす必要はないにしろ、いつも測ったように俺を見ているのだ。
 流石にずっと見ていたら先生に気付かれるはずなので、そういう訳ではないはずだが。

 

 その日の帰り道。
 校門を出て少し経つと、近くには誰もいなくなる。
 そうして二人で横に並んで歩いていると、真子は突然俺の手を握ってきた。
 まるで今までずっとこうしていたような、いつもの習慣のように、自然に。
 こうやって二人で手を繋ぐのはいつ振りかも憶えていない。

「真子、やっぱり今日のお前はなんか変だぞ」
「……だめかな?」
「いや、そういう事じゃなくて」
「分からなくてずっと考えてた事が、少しずつ理解できてきた気がする。
 いま、とっても、良い気分なの」
「それが、今日やってきたこととなにか関係するのか?」

 んー、と真子は少しだけ俺と反対のほうへ首を傾け、何かを考えているらしい。
 普段ならそんな事もせず、無表情のまま素振りも見せないのに。

「……言うのは、恥ずかしい」
「恥ずかしいって……そんなにおかしい事はしてないだろ。
 手を繋ぐのは、まあ久しぶりだけど」
「まだ、そうだけど、これからする」
「え……」

 それはどういう――と聞こうとしたら、今度は真子が俺の腕を身体で抱いてきた。
 必然的にさっきよりも密着する形になる。
 色々と発育の乏しいか細い肢体なのに確かな柔らかさがあり、思わずどきっとしてしまう。
 付き合いこそ長いが、今までこんな風に体を近づけることはかなり少なかった。
 本当に子どもの頃は触れ合っても裸を見ても気にはしなかったが、今は違う。

「今まで、私達はくっついてなかった。これからはする」
「ど、どうして?」
「そうする方がいいの。そうするべきなの」
「……理由になってないぞ」
「じゃあ分かってもらえるまで、繰り返す。
 私には分かっていても、信司はまだ分かってないと思うから」

 よくは見えないが、真子の口元がにやりと笑った、気がした。 
 そして続ける。

「今日は私の部屋、来て」

 それ自体も珍しいことじゃない。
 勉強を教えあったり、部屋で遊んだりするのは何度もしてきたことだ。
 なのに、今日は特別な事のようにも感じるし、やっぱり普段通りにも感じる。

「……勉強だ。勉強のためだぞ」
「ん」

 生返事を返したあと、いつもとは違って静かに二人で真子の自室まで歩いて行った。
 その間、ずっと彼女は俺の腕を抱いていた。




「……まあ、いつもの部屋だな。さすがにここまでは変わってないか」

 真子の自室に入り、飲み物を持ってきてもらう間に、部屋の中を見渡してみる。
 素っ気ないシンプルな藍色単色のカーテンに、同じ色のベッド。
 至る所に置いてある、たくさんのサメとサンタクロースのぬいぐるみ。
 もう新世代の機種が出て長く経つのに、いまだ使われているらしい古いゲーム機。
 自分の部屋には本人の特徴が出るというが、真子はかなり分かりやすいだろう。

「おまたせ」
「ああ。ありがとう」

 飲み物とささやかなお菓子をお盆に乗せて、真子が部屋に戻ってきた。
 特に何も言わなくても、彼女は俺の好きな甘いホットカフェオレを淹れてきてくれる。
 猫舌なのも知っているから、適度に温くしてくれている。
 これも普段通りだ。違っている所もあればいつも通りもある、それは当然かもしれない。
 やはり俺が考え過ぎなのだろうか?

「……ん」
「……」

 制服も別の部屋で着替えたらしい、今は部屋でいる時のいつものスウェットだ。飾り気も何もないが、自然体こそが真子の魅力だと思うので、それに関して苦言を呈したことはない(以前、俺の前で着替えようとした時はさすがに止めたが)。
 彼女は俺にマグカップを渡すと、そのまま俺の事を見ている。
 とりあえず俺は受け取って口を付けるが、まだ彼女はじっとこっちを見ている。
 自分のカップはお盆から降ろそうともしない。

「やっぱり何かおかしい所でもあるのか、真子か、いやそれとも俺のほうが?」
「ううん、いつも通り。信司はいつも通りだよ。
 だからこそ、見てたい。いつも見ていたはずのものが、鮮やかに見えるから」
「……」

 ここに至り、鈍感な俺でも察し始める。
 もしかして、さっき中庭で言っていたのは、そういう事なのか、と。
 俺はその考えと真子から目を逸らして、自分の鞄を探る。

「と、とりあえず勉強を始めよう。
 成績は今のままいけば問題ないとは言われたけど、するに越したことはない」
「……今日は、私がしたい勉強を、一緒にしてほしい。いいかな」
「え、ああ、いいけど。珍しいな、そんな風に真子が言うのは」
「そうかな、そうだね。今までは、信司に言われてばっかりだったから」
「それで、何をするんだ?」

 自分の後ろにある鞄の中に目がいっていた俺は、彼女がすぐそばまで来ていることに気付かなかった。

「――ま、」

 顔を上げて名前を呼ぼうとして、声が止まる。



「今日は、信司の事を知りたい。まだ知らない、信司のこと。
 いま知りたいのは、それだけ」

 そこにいたのは、魔物だった。



「どうした、の?」

 長く癖っ毛な黒髪と、幼い顔つき体つき。抑揚の少ない声。それらは変わりない。
 しかし、ちらちらと口から覗くサメのようにぎざっとした歯。背中から覗く黒い尾のようなものと、先端に目玉のようなものがついた何本もの触手。
 さっきまで着ていた服は一枚もない。代わりのように黒いゲルらしき何かが手足、局部に張り付いているものの、もともと色白だった肌が更に白くなって、ほぼ裸体を晒している。
 そして何より、顔にあるのは大きな赤い目が、真ん中に一つだけ。見覚えのある赤い瞳と、長い睫毛。 

「ま……こ、だよな?」
「え?」

 ゆっくりと動くそれらは、どれも作り物では決してない。
 とても大きな眼がゆっくりと瞬きをした。 

「目が……ひとつ、だけに」

 今、目の前にいるのは真子だ。それはきっと間違いない。
 だが一体何が起きているのか俺には分からない。
 真子は自分の顔に指を当てると、自分の変化に気付いたようだ。

「……! なに、これ?」

 珍しく、驚きの声を上げる真子。どうやら彼女にも理解は及んでいないらしい。

「だ、大丈夫か? 変な気分になったりとかは……」

 何を心配したらいいのかも分からない俺は、明らかに動揺している。真子もそうだ。
 彼女は急いで部屋にある鏡を見て、自分の姿を目の当たりにしている。

「あ……あ、み、みないで。だめ、」

 触手のようなものがしゅるりと背中のどこかへ、巻き取られるかのように収まっていく。
 そしてベッドの方へ、まるで宙を浮くみたいに飛んだかと思うと、勢いよく布団を被って自分の全身をすっぽり隠してしまった。

「やだ……やだ! こわい……こんなの、だめ!」

 うわ言のような悲痛な叫びが、くぐもって聞こえてくる。
 真子が震えているのが見ただけで分かる。

「ま、真子……」

 理解できない。考えたって分かるはずがない。どうしたらいいかも分からない。

「わたし……私が、わたしじゃなくなる……! そんなの、やだ……!」

 それでも。
 それでも俺は真子のそばに行って、声を掛ける。
 布団の上から、震えている真子の身体を抱きしめる。

「聞いてくれ、真子。お前の姿が変わったって、お前は真子だ。
 今日ずっとお前がいつもと違ったのは、姿が変わる予兆だったのかもしれない。
 でも、真子はずっと真子だったんだ。
 いつだって俺の事を気にかけてくれるお前だった」
「……」

 真子の声が止まる。ほんの少しだが、震えも少なくなった気がする。

「だから。姿が多少変わったぐらいで、お前は変わらないよ」
「……ちがうよ。そういうことじゃない」
「真子……?」

 俺はか細い真子の声に意識を集中させる。 

「わたしが変わるのは、こわくない。
 こわいのは、私が変わったことで、見てもらえなくなること。
 他の誰でもない、信司に、見てもらえなくなっちゃうことだよ」
「……俺に?」
「この姿は、朝に話した、夢で見た綺麗な人とおんなじ。わたしは、すごく綺麗だと思う。
 でも、他の人は、信司は、そう思ってくれない。
 わたしは、おかしい子だから。変な子だから」 

 漏れ出るような囁き声は、普段の真子からは想像もつかないほど、悲しみに満ちた声。

「わたしは、ずっと自分をどうにかしたかった。考えてた。
 他の子が、お父さんお母さんが、どうしたらおばあちゃんみたいにわたしを見てくれるかって、考えてた。
 でも、できなかった。わたしは、わたし以外になれなかった。変えられなかった。
 人と話も合わせられない。愛想笑いもできない。
 それでもいいかなって思えたのは、信司がいてくれたから。
 こんなわたしを見てくれていたから。
 ずっと『わたし』のそばに居てくれたから」
「真子……」

 真子がこうやって自分の感情を素直に話してくれるのは、一体いつぶりだろう。
 ずっと真子は、人を傷つけないように無表情という仮面を被っていた。けれどその下で自分が傷ついていた。
 そんな彼女の想いを、どうして俺は汲み取ってやれなかったのか。

「でも、そのわたしが、信司が見てくれてた『わたし』が、どこかにいっちゃう。
 そうなったら、もう――誰にも見てもらえない。
 やだ、やだ……いやだよ。わたし、もう、ひとりになんか、なりたく、ないよ……!」

 また、彼女の震えが大きくなる。言葉も要領を得なくなる。
 だから。
 今まで言えなかった、自分が恥ずかしいというだけで誤魔化していた気持ちを、思い切りぶつけたかった。

「真子。頼むから聞いてくれ。
 お前は、確かに変わってしまうのかもしれない。姿も、心も。
 だけど変わってないものもたくさんある。
 少なくとも、俺のことを気にしてくれているし、俺への想いだって変わってないはずだ」
「……わたしの、おもい……」
「それが残っている限り、俺はお前の事を見捨てたりなんかしない。絶対にだ。
 いくら魔物みたいな姿になったって、そんなことは関係ない。
 俺が真子の事をずっと見ていたわけは、他でもない。
 最初にお前が、俺の事を見てくれたからなんだ」

 明らかに、震えは小さくなった。だが、まだ残っている。

「憶えているかどうかは分からないが……幼稚園に来てすぐ、俺は一人ぼっちだった。
 自分から仲良くして欲しいなんて言い出せない、臆病な子供だった。
 そんな俺に初めて声を掛けてくれたのが、真子。お前だった」
「さいしょ……」
「まあ、最初はお前も気にしてなかったと思う。あの時の真子は色んな子と遊んでたからな。
 でも、一回だけじゃなかった。その後も、またその後も俺と一緒に遊んでくれたんだ。他の子と遊ぶ時だって、俺を誘ってくれたんだ。
 誰にだって分け隔てなく優しくできる、すばらしい子だ」
「……ん」
「それは、今だって思ってる。
 お前はあの頃からずっと、人の事を思いやれる存在なんだ。変わってなんかいない」

 あの頃から、俺の気持ちの根っこは変わっていないのかもしれない。 
 彼女に、真子みたいになりたいと、心の底で思っていたのだろう。

「もちろん、その恩を返したいだけでお前と過ごしていたわけじゃない。
 今までずっと、真子と居たいと思ったのは――。
 一緒にいるうちに、真子のことが好きになったから。それだけなんだ」

 言ったあとでかっと頬が熱くなるが、そんな事を気にしている場合でもない。
 彼女の震えはだんだん小さくなり、いつの間にか止まっていた。

「しんじ……は、ほんとに、そう思って、くれるの?」
「ああ、そうだ。本当は、もっと前に言うべきだった。言い出せなくてごめん」
「……わたしは……変わっても、いいの?」
「お前はその姿を綺麗だと思ったんだろ? 俺も綺麗だと思う。
 ただ少し、驚いただけだ。変だなんて思ってもない。
 今までの真子だって綺麗だったけど、今の真子も綺麗だ。
 だから、もう少しよく見せて貰ってもいいか?」
「……ん」

 真子は布団を掻きあげ、もそもそと這い出てくる。
 一見いつもの無表情だが、まだ悲しみは残っているらしい。
 瞳は僅かに潤んでいるし、大きな赤い一つ目の下には、大きな涙の跡があった。
 背中から何本か、目玉の付いた黒い触手が少しだけ姿を見せる。

「……ああ。
 背中のそれはなんて言うのか分からないけれど、不思議な形だ。神秘的って言ってもいい。
 顔も体も、目以外は対して変わってないし、その目だって、前の真子の目に似ている。
 大きくなったぶん、さらによく分かる。
 相手の事を優しく見ててくれる、綺麗な目だ」
「う……ぁ」

 見つめあっていた目を逸らし、真子はうつむく。
 無表情さはあまり変わらないが、分かりやすく頬が染まっていた。

「し、信司。わたしも、信司のこと、好きって、いいたい。言っても、いいかな」
「あ、ああ、もちろん」

 ごろごろと瞳がこっちを向いたり、余所を向いたり。触手がうねったり。
 あまり動かない表情とは違って、他は忙しなく動いている。

「す……好き、だよ、しんじ。
 ……ううん、ちがう、ほんとに言いたいのは、好きより、もっと――」

 お互い、恥ずかしさに耐え切れず目を閉じる。
 とてもじゃないが目なんて合わせられない。
 そう思っている矢先、真子が呟く。

「ちゃ……ちゃんと、目を見て、言いたい。
 二人とも分かってても、口に出して言うことに、言ってくれることに、意味があると思うから。
 だから、言わせて、信司も、言って」
「わ、分かった。じゃあ、一度だけ、な」

 羞恥で火照る身体を抑えながら、意を決して目を開く。
 大きな赤い一つ目が、俺をじっと見ている。

「愛してる、真子」「愛してるよ、信司」

 お互いに言い終わってから、真子がそっと顔を寄せてくる。
 俺の両肩に手を置き、大きなまぶたを閉じる。
 顔を傾けて、唇を差し出しながら。

「……もうひとつ、だけ。きょう、最後の……おねがい」

 全てを察して、出来る限り優しく、唇と唇を触れ合わせる。
 お互いに不器用で、拙い口づけだったが、真子の柔らかさが脳に焼き付いた。

「ありがと、信司」

 真子の顔が、ゆっくりと笑った。




 
 
 
 真子の姿は、真子の両親が帰ってくるころには元の人間の姿に戻っていた。
 意識的に姿を切り替えられるようになったらしい。
 その事だけは心配していたが、大事にならないようで安心した。

 時間が少し流れて。
 俺達が高校入試に合格する頃に、『魔物娘』という存在がメディアで報じられた。
 真子もその魔物娘――”ゲイザー”という種族に変化したということらしい。
 そのあと実際に、真子を魔物にしたゲイザー本人とも出会ったりした。
 夢で逢ったのではなく、実際に会って魔物化させたのを、『暗示』というゲイザー特有の力で認識を誤魔化したのだ。そしてその日の真子はずっと人に化ける魔法を無意識に使っていたらしい。
 魔物化したのを知った後は、同種族のよしみということか、親しみを持って真子の相談役になってくれたりもした。
 真子に親しい存在がいてくれるのは、俺にとっても嬉しいことだった。

 彼女たちの根回しは驚くほど周到で、仮に反旗を翻す勢力が現れても瞬く間に消滅していったという。
 まあ、それは世の中全体の話で、俺達の周囲にある生活にはさほど変わりがなかったため、特に言える事はない。

 俺と真子はまだ高校生という事もあり、恋人となっても必死で性欲に抗っていたが、結局勝つことは出来なかった。
 真子の部屋の中、好意を持つ人と魔物で二人きりになってしまったら、両者ともに抑えることなどできるはずもない。
 体を重ねあって、互いを貪欲に求めた。
 快楽で意識が全て塗りつぶされるかのような、淫靡で満たされた時間――。

「まだまだ、信司のこと、たくさん知りたいよ。それで、私のことも、知ってもらう。
 信司が私を見てくれた以上に、私も信司を見る。
 だからもう、目を離さない。離させない。
 私の顔の目は、信司だけを見る目になる」

 交わりの余韻も引きかけて、大きなベッドの上、二人で身体を並べて眠る。
 時折相手の体を撫でたり、真子が握ってくれる手を握り返したりする。
 静かで、ひたすらに安らかな時間――。

「……それも、いいかもしれない。でも、そうだな。
 二人で見詰め合うだけじゃない。たまには同じ方向を見て、一緒に歩こう。
 俺達が、見たいものを見に行こう」
「……そっか。うん、私も見たい。私の好きな、サメやサンタに会いに行きたい」
「ああ。一緒に見に行こう」

 そっと顔を傾けて真子を見ると、真子も俺を見ていた。
 思わず、二人とも笑ってしまう。

「今の私、ちゃんと笑えてるかな」
「うん。俺にとって、いちばん可愛い笑顔だ」
「……へへ。あり、がと」

 はにかむ顔も、さっきの笑顔と甲乙付けがたいくらいに輝いている。
 きっといつかは、俺以外の相手にも笑顔を見せてくれるようになるだろう。
 俺一人で独占しておきたい気持ちもあるにはあるが、こんなに素敵なものだからこそ皆にだって見てほしくなる。
 どこかに行ってしまいそうになったとしても、俺が見ていよう。
 見失いそうになったとしても、俺が一緒について行こう。

「じゃあ、そろそろ寝よう。おやすみ、真子」
「おやすみ、信司」

 そして、一緒に眼を閉じる。
 真子が握り直してくれた手を、俺も少しだけ強く握り返した。
18/09/12 08:41更新 / しおやき

■作者メッセージ
最後までお読みいただき、ありがとうございます。

ちゃんとした魔物化を書いたのはいつだっけ…ということで、書きたくなったので書きました。
いちおう、どんな子ならゲイザーちゃんになるんだろうか?と考えた上では書いたのですが、結局元になった子がぼくの好きな要素よくばりセットでごめんなさい。
ジャンル分けしづらすぎてあらすじをどう書くべきか最後まで分からなかった……。

まあとにかく、
不思議で奔放で、けれど不器用で、だからこそ優しい子が好きなんです。
そういう子がゲイザーちゃんになって欲しかったんです。

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