連載小説
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「学園」が生まれた日 − 目覚めの日 −
― 東京湾アクアライン ―

一台の黒塗りのトヨタ・クラウンが暗闇を切り裂き疾走していた。
普段は煌びやかなデコトラや自分の愛車を自慢する走り屋が我が物顔で走っているが、今夜に限ってはこの車以外に走る車はいなかった。
運転席に座っているのは「三坂世雄」。現政権における金庫番であり、デブハゲチビの三重苦を味わっていながらも、誠実な人柄で有名な政治家だった。
そんな彼の傍らには艶やかな髪を黄色いリボンでツインテールに結んだ、和服にも似た露出度の高い衣服を身にまとった女性が座っていた。

「・・・本当にこの世界に未練はないの?」

女が世雄に問いかける。その顔には不安があった。

「ああ。正直、僕は憧れていたんだ、大義のために礎になることをね。ヒーローになりたかったのさ」

世雄が女性に向かい合う。

「公介さんに君たちと引き合わされ、君達と一緒に門の向こう側を見てきたんだ。君たちを守るためならどんな対価でも支払う覚悟はある」

彼のフランクフルトのような手に白い女性の手が重なる。

「お命頂戴仕る」

「僕の一命を賭しても君を愛するよ陽炎」

そういうと世雄の唇が陽炎と呼んだ女性 ― クノイチと呼ばれる魔物娘 ― の唇と重なった。
彼らの進むその先、そこには燃料を満載した無人のタンクローリーがあった。

高潔な人格で知られていた「三坂世雄」の未成年淫行事件。
被害者不在で彼が女性と淫行に及ぶビデオのみが証拠ではあったが、現政権におけるスキャンダルとなった。ビデオについて警察の事情聴取を控えた夜、彼の運転するクラウンがタンクローリーに激突。そのまま爆破炎上し彼の運転していたクラウンは海上に落下。酷く損壊した車内からは彼の遺体は見つからなかった。
事故ではなく自殺との意見もあったが、遺書も遺体も無い以上真相は闇の中である。しかしながら、この事件により与党への風向きが変わった。首相である公介は火消しに奔走したが、野党による連日の抗議は激しくなるばかりだった。
ただ一つ、マスコミが報道しない「事実」がある。
クラウンがタンクローリーに激突する瞬間、車内から飛び出した何者かの黒い影が監視カメラに映し出されていた。よく見えなかったが、その黒い影は「何か」を大切に抱えているかのようだった。
レームが世界規模のテロを起こす三か月前のことである。


宮子と壮一は結婚して以来、夫婦の営みで常に避妊を行ってきた。
理由は二人の生い立ちにある。
二人の出会いは共に同じ孤児院で育ってきた。だからこそ、宮子には壮一のことが誰よりもわかっていた。そして壮一も宮子の事をよく理解していた。
二人が子供をつくらない理由。それはお互い「親」という存在を知らないからだった。
そんな自分達が果たして「子供」を愛せるのか?、そして親として自らの子を導けるのか、二人は自信がなかった。

「こうして外地に来るまで子私は供が欲しいと思っていなかった。でも・・・・・!」

宮子の脳裏に浮かぶのは「外地」、ボローヴェでその命を助けた一人の少女。
彼女の親は叱るでもなく悲しむでもなく、何も言わず少女を抱きしめた。切れぬ親子の繋がりと確かな愛情。
南宮子という精神の奥底、人間が単細胞生物だった頃から続く「母親としてのDNA」が自分の中で活性化するのを確かに感じ取った。

「私はその時お母さんになりたいと強く思ったの。だけどこれは私のわがまま。そうちゃん、ごめんなさい・・・・」

そう言うと宮子は目を伏せた。

「・・・・・・・」

宮子の告白に壮一は無言だった。壮一の中で答えは既に出ていたからだ。

ギュ!

壮一は強く、宮子を抱きしめた。

「・・・・同じだ」

壮一は絞り出すように囁いた。

「宮子がマタンゴに寄生されたと知りボクは後悔した。なんでもっと宮子を愛してあげられなかったかと・・・」

「そうちゃん・・・」

彼がさらに強く宮子を抱きしめる。

「宮子!もっと愛し合おう!!妊娠して子供ができたら一緒に育てよう!!それが・・・・、家族だから」

宮子の手が壮一の背中に回される。

「そうちゃん・・・私!、人間の身体でそうちゃんの赤ちゃんを産みたい!産ませて!」

「ああ!宮子、ボクの・・・・いや、ボクらの子供を産んでくれ!」

「そうちゃん嬉しい!」

宮子が壮一に飛び込むように身を委ねた。

「答えは出たわね」

桃色の髪の女性が黒衣の女性に声を掛ける。黒衣の女性は静かに頷く。

「宮子さんちょっとだけコチラを向いてくれるかしら?」

「?」

「ちょっとしたお願いよ。大丈夫、手間は取らせないわ」

「こ、こう?」

宮子が壮一から身を離すと黒衣の女性に身体を向ける。

「ちょっとくすぐったいわよ」

ズッ!

「え?!」

黒衣の女性の手が宮子の身体に吸い込まれる。抵抗感はなく不快な感触も感じなかった。

ズズズ・・・・

「痛みはないわ。ほら、もう終わり」

引き抜かれた女性の手の中には宮子の身体から摘出された冬虫夏草にも似た、マタンゴの子実体があった。

「これで心配ないわ」

「貴方は一体・・・・?」

壮一の問いに黒衣の女性が唇の前に人差し指をつける。

「女に秘密は付き物よ」

ゆっくりとだが、確実に周りの景色から色が消えていく。

「さあ、おねむの時間は終わり」

「そうちゃん・・」

不安げに宮子が壮一に身を寄せる。

「不器用なあの子の呪紋は解除してあるわ。この先の未来は彼女次第よ。調停者として生きるもまた後悔に時間を浪費しようとも・・・」

桃色の髪をした女性が黒衣の女性に声をかけた。

「ありがとうねエロス。そうそう、壮一さん。あんな仰々しい機械を使わなくともマタンゴモドキを使いなさい。マタンゴモドキならマタンゴ化は起こさず感染初期の段階なら治療効果があるわ」

色を無くした世界に女性の姿は朧げでただ透き通った声だけが響いていた。

「もしかして貴方は魔・・・」

宮子が全てを言い終わる前に全ては闇に包まれた。


壮一が目覚めると、そこは殺風景な休憩室だった。
夢とは古来より満たされない現実の裏返しと謂われている。「医者」としての壮一は一昼夜程度でマタンゴの胞子が駆逐されているとは考えられなかった。
しかし、宮子を心より愛している「夫」としての彼は確信を持っていた。
壮一は着の身着のまま、質素なベッドから抜け出すと休憩室から飛び出した。
彼は走る。
息が切れそれでも彼はその脚を止めない。

ピッピッピ

カシュッ!

永遠とも思えた認証を終え、彼は宮子の待つ処置室に入った。

「おお壮一!見てくれ!宮子が・・・」

ジルが彼に声をかけるが、彼は声を発しない。ジルよりもその先に立っている愛しき伴侶を抱きしめることこそが彼のするべきことだったからだ。

「宮子!!!!!!!」

鋼鉄で編まれた鳥籠のようなストレッチャーから解放された宮子は病衣一枚のみを着用しているだけで、その小柄ながらも女性的な肢体を露わにしていた。
壮一は激情の赴くままに彼女を抱きしめる。

「い、痛いよそうちゃん」

「すまない宮子・・・」

宮子の痛がる声を聞き、彼女を離しバツの悪い顔をした。

「宮子の言う通りじゃぞ。折角、人間として戻ってこれたのにまたケガをさせるつもりか!」

「ごめんなさい・・・」

「そもそも医者であるのなら、まずはクランケの容体を把握することが先決じゃろが」

ジルが壮一を窘める。その姿を見て不意に宮子の頬が緩んだ。

「どうしたのじゃ?宮子」

「いえジルさん。そうちゃんってミス一つしない完璧人間だし、こうして怒られる姿を見るとつい面白くて・・・」

「ふむ。その様子じゃと、お主の記憶の変異や精神に変化はないようじゃな」

「ジルさん、それじゃ宮子は!」

壮一が期待を込めてジルを見る。

「マタンゴの胞子が出す魔力の痕跡はない。体内から完全にマタンゴの胞子が消滅しておる。つまり今の宮子は普通の人間じゃ」

ジルの宣言に壮一と宮子は再び抱き合った。


「こうして精密検査を終えた二人は人間としてこの世界に戻ってきたのじゃ」

ジルはゆっくりとカーラに語り終えると席を立った。

「少し長話をして喉が渇いたのじゃ。確か、お主は甘いものに目がなかったと覚えておるが?」

そう言うと学園長室に備え付けてある冷蔵庫から王冠のされた瓶を二つ取り出した。

「今度輸入許可が下りた外地産の炭酸飲料じゃよ」

カーラはジルから栓を抜いて渡されたボトルに口をつけた。

「?!」

「驚いたじゃろう?虜のワインをコピーしたソフトドリンクじゃ。味はホンモノに数段劣るが魔力は含まず、人を魔物に変えることもない」

その瓶のラベルには「ブルーローズ」、製造元には「サウス・ドリンコ・カンパニー」と記されていた。

「これって!」

「二人は地下の研究室であのブルーフランムや、マタンゴモドキを使用した免疫強化剤の研究に従事した後、更なる研究のため再び外地へと赴いたのじゃ」

ー 免疫強化剤 −

二人の症例から外地ではこちら側の人間は魔力の影響を受けやすいことが判明した。そのため、現在では初めて外地を訪れる際には男女問わず免疫強化剤の服薬が決められている。
マタンゴモドキを主成分としているが、精神及び肉体に影響は出ず、強いて言うなら意中の相手に対して多少素直になれるくらいだ。

「今、二人はこの魔力のないソフトドリンクの製造で億万長者じゃ。無論、研究者として今でもボローヴェで研究を続けておるがな」

「でもなぜ二人はこの事実を公表せずこの場所を去ったんですか?」

「お主の言う通り、これは革新的な研究じゃ。しかし元々この外地探査は非公式に行われたもの。ましてやマタンゴ化したと言えば大っぴらにはできぬな。それに・・・・」

ジルがカーラにタブレットを見せた。そこに記載された日付を見た瞬間にカーラの瞳が大きく開かれる。

「!!」

「そうじゃ。壮一達が正式に外地から帰還して暫くして、あの最悪のテロがメキシコと日本で起きたのじゃ・・・」


「温泉に氷を放り込むと!」

「「ドロドロに溶けちゃう!」」

「温泉にゆきおんなを放り込むと!」

「「(性的に)ドロドロに溶けちゃう!!」」

レーム直属の部下であるデビルの「ソワレ」と「マチネ」が歌い踊っている。

ここはメキシコ合衆国メキシコシティの高層ビル「トーレ・マヨール」の屋上。255メートルもあるが人外であるデビルの少女たちは動じない。・・・・彼女たちが空を飛べることもあるが。
とはいえ、いくらメキシコが血で血を洗う「修羅の国」といえども、高層ビルの屋上に幼子が二人いれば警備員が飛んでくるのが「普通」だ。

ズオオオオォォォ・・・・

通りを巨大な影が覆う。
鋼鉄の森のような摩天楼を抜け、ソレは現れた。
傷つき壊死した身体を凍てつく氷で鎧のように覆った異形。「門」の向こう、「外地」において「雹とともに吹き荒れるもの」と呼ばれ恐れられていた「氷炎竜ガラド」だ。
メキシコ軍が対戦車ロケットや重機関銃で対抗するも、メキシコの温暖な気候で氷の牢獄から解放されたガラドの歩みは止まることはない。人類はこの日、人間だけがこの世界の支配者ではないことを知った。
もっとも死して「ドラゴンゾンビ」という異形になり果てても、その本質は人を傷つけない魔物娘だ。幸い、死者はまだ出ていない。
しかし・・・・。
ドラゴンゾンビ固有の職能として「腐敗のブレス」がある。人間の女性がそれを浴びると、死ぬことはないがアンデット種の魔物へと変貌してしまう。
既に通りには腐敗のブレスの影響でスケルトンと化した女性達が伴侶を求めて行進する。その様はまるでメキシコの祝日である「死者の日」のパレードを思わせた。美しく、そして悍ましい光景。
レーム率いる工作隊が侵入し、メキシコを完全な魔物国家に作り替えるのに要したのはたった「三時間」だった・・・・。
この事態に国際連盟は無力だった。隣国のアメリカでさえ、ご自慢の軍を動かすことさえできなかったのだ。
日本に現出した「門」を国際連盟の名のもとに接取しようとしていた列強諸国は震撼した。同じことが自国で起きる可能性を思い知ったのだ。
彼らは「門」の日本国帰属を認め、「門」の利権から手を引いた。
そして日本でも・・・・。


〜 あれ・・・給食の牛乳を飲んでからなんだか身体が熱いよ? 〜

「どうしたの若葉ちゃん?」

「ううん。何でもないよ・・」

若葉が心配する友人にそう返すが、まるで熱病に冒されたかのようにその身体は火照りを隠せなかった。

ガラッ

予鈴が鳴る前に教室に数人の男子が戻ってきた。

〜 あきらくん! 〜

幼馴染である「斎藤彰」の姿を見た瞬間だった。彼女の中で人間として重要な何かが「砕けた」。

「あぁぁぁっぁぁぁっぁぁぁぁ!」

メキメキ・・・

「きゃぁぁぁぁぁぁ!!!」

絶叫とともに彼女の頭から生えてきた角を見た瞬間、傍の少女が悲鳴をあげる。
若葉の「ホルスタウロス」化が始まったのだ。
メキシコが堕落したその日、ホルスタウロスの魔力を含んだミルクを飲んだことにより、日本各地で若葉のようにホルスタウロス化する女性達が現れた。被害者の殆どが難病の患者やキャリア − 多少の誤差はあるが −ではあったが、政府はこれをメキシコ同様魔物娘による「無差別テロ」と断定しその対応に追われた。
やがて時の首相である神民党の斎藤公介はこのテロに対し国が魔物を管理隔離する法案を作成するが、世雄の起こした淫行事件で支持率が落ちていた神民党の法案を国民は受け入れなかった。
野党の連名で内閣不信任案が提出されたことを機に国民に信を問うが、結果神民党は歴史的大敗することとなった。神民党に代わって与党になったのは魔物との共存共栄を掲げる新興勢力である「友和党」だった。
友和党は政策として、それまで魔物娘を収容していた「収容所」を魔物へと望まぬ転化した人々が魔物としての在り方を学ぶための「学園」へ作り替えた。


「ただ・・・、ただ一つだけ気になることがあるのじゃ。なぜ魔物娘の最大の理解者であり庇護者でもあったあの男が魔物娘を強引に管理隔離しようとしたのかがな・・・」

そう言うとジルは執務室の外を見た。すでに日は傾き、最後の見学者たちが植物園から出ていく所だった。


暖かな間接照明が照らす中、二人の男がささやかな宴を開いていた。
彼らの手元にはイタリアのテッレ・デル・バローロが生産している赤ワイン「バルバレスコ」。
菫のようなエレガントな香りが特徴であり、また比較的入手しやすく美味しいワインだ。
しかしながら、値段やビンテージなどは二人にとって重要ではない。「二人」がこの場で一つのワインを分け合って飲むことこそが重要なのだ。
キリスト教においてワインとは「血」であり、同じワインを二人で分け合って飲むことにより血族としての「契り」を交わしたのと同様に扱われる。
この場にもし政治に詳しい人間がいれば間違いなく泡を吹いて倒れてしまうだろう。

「「名誉無くして剣を抜くなかれ、栄光無くして剣を納めるなかれ」」

かつて、二人でヨーロッパを放浪していた際に世話になったイタリアンマフィアに伝わる古い誓いの言葉とともに、公介と清十郎がグラスに注がれた赤いワインを飲み干した。
今、この場にいるのは人魔共生を掲げる与党「友和党」総裁にして日本国総理大臣である、元医師の「若葉清十郎」と、魔物娘の徹底的な管理と隔離を叫ぶ野党「神民党」総裁である「斎藤公介」その人なのだから。

「公介、君が世論を散々煽ってくれたおかげで国民GPS法案が通せたよ」

― 国民GPS法案 ―

これはか弱き児童や力の弱い魔物たちの安全の為に、簡易GPSを特定世帯に無料で配布する法案だ。
魔物娘の中には爪や角、身体の一部に人類にとって有用な効能を持つものも多い。特にマンドラゴラの爪などはそれまで予防接種しか流行を止めることができなかった「狂犬病」の特効薬を製造することが出来た。
そのため更なる利益を得ようと、ケサランパサランやマンドラゴラの大量誘拐事件が起きてしまったのだ。
幸いにして、誘拐されたケサランパサランとマンドラゴラは傷つくことなく無事に救出された。しかしながら逮捕された犯人グループは収監された拘置所から「脱走」した。停電になった一瞬にあたかも「煙」のように消え去ってしまったのだ。
すぐさま捜索班が編成されたが彼らの足取りは全く掴めなかった。そう、まるで「この世から消えてなくなった」かのように・・・。一部では「過激派」が犯人たちを「拉致」したとの情報もあったが、しかしそれも憶測の域をでなかった。
元々、この法案は神民党が「魔物娘を国が管理するための首輪」とするためにGPSの装着を義務付ける法案だった。当然のことながら多くの人間・魔物娘から批判を受け廃案となるが、友民党が時期を見計らって「か弱い児童や魔物娘を守る為」として新たに法案を作成、賛成多数で可決された。
神民党が魔物娘に対する不満の捌け口となり、そして友和党が肯定派否定派それぞれの意見を折衷した解決案を提示する。それにより、魔物娘とこの国に住む人民は憎みあうことなく「善き隣人」として手を取ることができた。
人が何かを受け入れるには常に「生贄」が必要なのだ。

「感謝することなんてないさ清十郎。助けるためとはいえ、俺はお前から人間としての若葉を奪ったのだから」

「それはもう過ぎた話だよ。現代医療で芽殖弧虫を治療することなんてできないことはよくわかっている」

あのテロの前日、公介は全てを清十郎に話した。テロに見せかけて、難病に苦しむ人間を魔物娘へと転化させる計画を。
その日、二人は密約を結んだ。
転化した人々を守るため
門の向こうからこれから到来するであろう魔物娘たちを守るために
一人は闇に落ち
一人は光に立ち
公介は敢えて横暴な専横者として振る舞い、彼の勧めで政治家となった清十郎に若葉を含めた魔物娘達を守り続けるための権力を与えたのだ。

「・・・彰達の様子はどうだ」

「ああ。この前ウチの響と一緒にドラゴニアに二回目の新婚旅行に行ったって言っていたよ。相変わらず災難続きだったらしい」

「そうか・・・・」

静かにそうつぶやく公介は寂しげな笑みを浮かべた。


その日、公介は一人、邸宅の書斎に座っていた。
愛していた妻が事故により世を去り、彼は愛する妻の裏の顔を知った。
何千枚にも渡る早世した公介の双子の兄である公彦への恋文。
そして、自分が生んだ息子である彰を公彦に「作り替える」手段や闇医者のリスト。
公介の知る妻は貞節で誰よりも息子を愛する「良き母親」。
しかしそれは全て本心を隠すためのまやかしだったのだ。
公介は念入りに邸宅や彰から妻の面影を「消去」していった。
写真や映像すら廃棄し、今や彰の心の中にしか存在しない。
それでいい。
それでいいのだ。
拠り所のない思い出は美化され、悍ましい真実を覆い隠す。彰は自らの母親の真実を知るべきではない。

コンコン

不意に公介の書斎のドアがノックされる。

「お父さん、ちょっといい?」

ドアの向こうには公介の息子である、斉藤彰が立っていた。治療のためだとしても、幼馴染である若葉響が目の前でホルスタウロスに転化したのだ。公介も極力、彰と一緒にいる時間を増やしていた。

「なんだい彰」

「その・・・、万年筆が書けなくなって・・」

「どれ見せてみなさい」

公介が彰からそれを受け取るとモンブランの高級な万年筆で、今時珍しいインク注入式のものだった。カートリッジ式の万年筆がポピュラーな現代では、急に書けなくなったとしか思えないだろう。

〜 はて・・・、彰に万年筆なんて買い与えたか? 〜

公介が疑問に思いつつ、万年筆のキャップを外した時だ。

「!」

そこに刻まれていたのは[S.Kimihiko]。夭折した、公介の双子の兄の名前が刻まれていた。

「・・・・彰。これをどうした?」

公介が絞り出すように彰に問いかけた。

「え?お母さんが前にくれたんだ。これはずっと昔から僕のものだったって言って・・・」

「・・・・!」

公介は万年筆を床に放り投げると、それを踏みつぶした。
一回
二回
何度も
何度も踏みつぶす。
これは「呪い」。彰を公彦に作り替えるための彼女が残した最後の「呪い」だ。
公介がふと見ると彰は彼を見ていた。その表情には凡そ感情というものが見えなかった。
ただ、そのガラス玉のような瞳からはとめどもなく涙が流れ落ちていく。その涙の一つ一つに公介の顔が映り込んでいた。醜い、鬼のような顔が・・・・。
その日、彰は父親を永遠に「喪くした」。


「・・・・お互いロクな死に方はしないかもな」

「違いない」

愛しき者を守るために決して明かせない「秘密」を持った不器用な男たちの酒宴は続く。
真実が暴かれないことを心の中で願いながら・・・・。






19/08/22 23:14更新 / 法螺男
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■作者メッセージ
深海大サーカスで深海磨鎖鬼と無良提督との対峙にwtktし、帰りにロブスターを腹一杯食べ、今年は甥っ子も盆に来ないと大いに羽を伸ばしたら・・・・

「お前、お見合いな」(おとん)

「???????」


ウィルマリナ嬢の気持ちがよくわかりました。
いや、心に決めたお相手なんていませんけど。

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