読切小説
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捨てフーリーちゃんを拾ったら
 日が暮れかけた帰り道、人通りの少ない閑静な住宅街、アスファルトの道路の上。
 ”ひろってください”と書かれた段ボールの中。
 普通なら入っているのは子猫か子犬と相場が決まっているものだ。だが――

「さて……」

 その段ボール箱の中で立っていたのは、少しだけ褐色肌の、天使、とでも言うべき姿。
 姿形は僕より小さく少女のようだが、桃色のセミロングヘアーにぱっつんの前髪、丸っこくて幼げな顔つき。
 所々にピンクのリボンの付いた、胸の下までしかないレオタードのような服。
 大きすぎず、小さすぎずのたゆんとした乳房。
 惜しげもなく晒された際どいショーツのような下着。
 天女が身に着けるような、謎の力でふわふわと宙を漂う羽衣。太もも辺りまでの長さのソックス。
 露出の多さも相まって、おおよそ普通の少女とは思えないその姿は明らかに町の風景から浮いていた。
 
「……かみさま、どうか……」

 何かをつぶやきながら、天使は空を見つめている。まだ僕には気づいていない様子だ。
 どうしよう。
 いくら見た目が神聖そうだからといって、僕が関わってもいい相手なのだろうか。
 そもそもどういう理由で、なぜこんな箱の中で立っているのか――謎が多すぎる。
 なのに僕は、吸い寄せられるようにその少女の前へ歩いて行った。

「えーっと……あの、」

 彼女の目前まで来たが、掛けるべき言葉がぱっと思いつかない。
 すると天使は両目を閉じて、僕にそっと語りかけてくる。

「――ふふっ。どうなさいましたか?」

 その外見に似合った、ハープの音色のように澄んだ優しい声。
 慈愛を含んだ微笑み。
 まさしくそれは、天使と言って差し支えないものばかりだ。

「もしかしてその、あなたは……天使、なんですか?」
「ええ、左様です」
「どうしてその、天使さんが、こんな所に?」

 僕の質問を受けても、少女が表情や気品を崩すことはない。目蓋は閉じたままだ。

「お見えの通り、私は捨てられているのです。
 そして、救いの手を差し伸べてくださる方を探しています」
「捨てられて……?」
「はい。この通り、天から降りた身である私には行く当てもない次第なのです。
 このままでは身は凍え、飢えて乾き、果てには存在を保つことさえ……」

 そこで初めて、天使の眉が垂れ、表情を崩す。
 少し芝居がかった動作にも見えたが、嘘をついているようには思えない。

「そ、それは……どうにかならないんですか?」
「方法は簡単です。私が誰かに奉仕し、対価として”愛”を受け取ること……」
「愛……ですか」

 言葉の中にも天使らしい、常識離れした理屈が含まれてきた。

「そうです。それが、それだけが私達『フーリー』の求めるモノであり、糧なのです」
「フーリー……聞いたことはありますけど」

 『フーリー』は愛の女神に仕える天使だ。昨今に現れて世の中を騒がせている魔物娘とはまた違う存在らしい。
 とはいえ、あまりに日常からかけ離れた存在なので詳しくは知らないのだが。

「そう……私達の事をご存じなのであれば、話は早い」

 天使はぱちりと目を開ける、
 桃色の髪に似た、淡く赤い瞳が僕をまっすぐに見据えていた。

「そして、私には分かります。貴方にも愛を慈しむ心が宿っていると」
「えっ?」
「何を言うでもなく、貴方は私に声を掛けてくださいました。
 ともすれば異形である天上の存在に、です。
 まだ善行を成したとは言いませんが、その心は善に近しいものと言えるでしょう」
「いや、でも……それだけでは流石に判断できないのでは?」
「だからこそ、私は確かめたいのです。貴方様が奉仕に足る存在かを」

 彼女は口調こそとても丁寧なのだが、気圧されてしまいそうな迫力も併せ持っている。
 僕はその勢いに呑まれてしまったのか、断る理由がすぐには思いつかない。

「と、とはいっても……それは恐れ多いというか、気が引けるというか。
 天使に目を付けられる程の人間では決してないですよ」
「ふふ、謙虚な心もまた善なのは確定的に明らか。一流のナイトの条件です。メイン盾です。すごいなーあこがれちゃうなー」
「いえ、そう言われましても……。
 僕はまだ大学生で、女性を養うような甲斐性もお金もありませんし」
「人の理を超えた私達に金銭など必要ありません。
 それに甲斐性などというモノは、伴侶が引き立てるものであり、そもそも互いに寄り添いあってから初めて分かる物です。
 始まる前から否定をする事など誰にも出来ません」
「うーん……」
「さあ、さあ。あまり焦らされては私の我慢も有頂天ですよ」

 ぐいぐいと押してくる彼女の気概に負け、僕はついに頷いてしまう。

「わ、分かりました……僕が天使に見初められる程の男かどうか、確かめてください」
「くふふっ……承りました♪」

 僕の言葉を聞いて、天使の唇はさらに曲がり、満面の笑みを湛える。頬も少し赤い。

「では、早速貴方様の住処へ一緒に参りましょうか♪」
「い、いきなり同棲からですか?」
「あら、私を拾って下さると言ったばかりでしょう? 約束を違えてはいけませんよ」
「でも天使としての貞操感とか、そういうのは……」
「勿論、私とて冷静ではありません。現に今も胸が高鳴って止まらないのです。
 さあ、触れてみてください……」
「えっ……あっ、」

 天使は僕の右手を手に取ると、自分の胸部に押し当てる。
 マシュマロのような柔さと温もりが手に伝わってきて、思わずドキッとしてしまう。
 とくん、とくんと心音は確かに早鐘を打っていたが、乳房の感触に意識が溶かされてそれどころではない。

「ですが……もっとも尊ぶべきは肉体と愛の交感である交わい……、そこに至るまでの道はたとえ早くとも遅くとも問題はないのです」
「そ、それでいいんですか」
「いいのです。神の御使いである私を信頼ください」








 僕の住んでいるアパートに着くなり、彼女は声を上げた。

「まあ……思ったより物の少ない部屋ですのね。
 男の人の一人暮らしというのは、もっと雑多なものだと思っておりました」
「人が来たりもするので、一応は……」

 そもそも単身者用の1DKの部屋なので、二人となるとどうしても手狭になるだろう。
 いや待て、ベッドは一つしかないのだから必然的に……。
 などという僕の心配をよそに、天使は部屋の隅々まで見て回っている。

「んー、全体的には問題ありませんが、見えない所細かい所までは掃除できてませんね。
 洗濯物も少しありますし、棚にはインスタントや冷凍食品ばかり。栄養面が心配です。
 お忙しいのは分かりますが、改善すべき点は多いと見ました」

 さながら主婦のような事を言いながら、彼女は羽衣のような物を畳んで床に置く。
 どうやら家事一切を取り仕切ってくれるつもりのようだ。

「では、まずは整頓から始めましょうか。
 少し慌ただしくなってしまうので、その間に夕食の買い出しをお願いできますか?」
「は、はい。分かりました」
「ふふふ、ありがとうございます。
 食材のメモをお渡し……いえ、精神感応のほうが手間が要りませんね。
 それには互いの名を知る必要があります。
 僭越ですが、私の名前は――」

 そこで何故か、彼女の言葉が止まる。

「……いえ。やはり、貴方様に名を頂くというのが筋というもの。
 私の事は貴方様が思うままにお呼びください」
「ええっ?うーんと……」

 微笑みを湛えたまま、天使は僕に促す。
 しかし急に名前を付けてほしい、と言われても困るものだ。

「じゃあ……やっぱり天使だし、アンジェリカ……アンジェ、かな」
「アンジェ……なるほど、この世界における異国の言葉ですね。確かに授かりました。
 では、お手数をお掛けしますが、気をつけていってらっしゃいませ」
「……うん?」

 何か違和感がある。
 が、それよりも当座の疑問だ。

「あの、まだ買ってきてほしい物を聞いてないんだけど……」
「お店に着いた頃に、心の中で私の事を強く想ってください。
 その切っ掛けで、買ってきて頂きたい物を精神感応でお伝えします。
 もちろん、交信は伝えたくない事を拒否できるので、頭の中を覗かれるのは怖い……という心配はいりませんよ」
「へえ……天使って、そんな事ができるんですね……」
「これは奉仕する者と愛を捧ぐ者、二人の間だけにしか使えない魔法ですけどね。
 つまり貴方が、ほんの一部でも私をそう認めて下さっているという証でもあります。
 とても喜ばしいことです……♪」
「な、なるほど」




 そういうわけで一人スーパーにやってきた僕は、アンジェさんに言われたとおりに彼女の事を強く考えてみる。
 整った顔立ち。さらさらとした桃色の髪。薄く褐色の肌。今も手に残る乳房の感触。
 頭の中で彼女を描いていると、聞き覚えのある澄んだ声が頭の中に流れ込んできた。

『……も、もう大丈夫ですよ。感応は成功していますから。
 たくさん想いが伝わってきて、ドキドキしてしまいました……』

 彼女の言った通り、本当に言葉が伝わってくる。勿論僕だけにしか聞こえないように。

『それでは……鶏のむねともも肉を両方、タマゴに玉ねぎ、マッシュルームと――』

 僕は言うとおりに食材をカゴに入れて、指定されたものを買い揃えた。
 しかし帰路に着く途中で、ふと気づく。

「これって……もしかして?」




「おかえりなさいませ。つつがなく済んだようで幸いです」

 家の玄関を開けると、アンジェが恭しく出迎えてくれる。
 一人暮らししている時にはほとんどなかった光景なので、どこか癒される景色だ。

「ただいま。アンジェさんのおかげですよ、ありがとうございます」

 しかし僕がそう言うと、何故か彼女は唇を尖らせ、むっとしたような顔になった。

「アンジェさん……というのは他人行儀ですね。
 せっかく貴方様から頂いた名前なのです。アンジェ、とお呼びください」
「す、すみません」
「……それもよくありませんね。親しき仲にも礼儀ありとは申しますが、不必要な気遣いというのもあります。
 まだ会って間もないのは事実ですが、もっと砕けた言葉をお使いください」
「ええっ?うーん……」
「ご不満がおありですか?」
「ああいや、その……僕が口調を変えるなら、アンジェさ……アンジェも、畏まった言葉づかいを直して欲しいかな……って」
「わ、私にも……ですか?ううん……」

 彼女の顔が、今度は困惑した表情に変わる。
 これもあまり見せない顔だ。

「天使と成ってから、そのような物言いはほとんど忘れてしまって……でも、貴方様が望むのなら、私は……」
「いやいや、難しいならいいんだ。そっちの方が慣れてるなら、そのままでもいいよ」
「そう、ですか?申し訳ありません、融通が利かず……」

 アンジェはわずかに俯くと、表情を暗くしてしまう。
 このままでは良くないと思い、僕は話題を移すことにした。

「あ、そういえば……途中で気づいたんだけど、もしかして今日作る料理は……」

 僕がそう言いかけると、彼女は顔を上げてぱあっと明るく表情を変える。

「ええ、オムライスですよ」
「よかった! 僕、大好きなんですよ、オムライス。一番って言ってもいいぐらい」
「ふふっ。そうですね」

 ちょうど彼女も笑顔に戻ってくれたので、願ってもないことだった。

「掃除の方は大方済みましたので、優太様はお部屋でお待ちください。
 では、腕によりをかけておゆはんを作りますから」
「任せちゃうのは気が引けるけど……ここはお言葉に甘えて、よろしくお願いします」

 笑みを浮かべたまま、アンジェは調理器具を用意し始める。




 テレビを見ながら心待ちにしていると、アンジェがテーブルに料理を並べはじめる。
 漂ってくるいい匂いに鼻を鳴らしながら、少しだけ僕も手伝う。

「うわあ……デミグラスソースの掛かったオムライス、サラダにコンソメのスープまで。豪勢だなあ」
「デザートも作って差し上げたかったのですが、流石にこれ以上お待たせするわけには参りませんので……。
 さあ、不出来ですがどうぞお食べください」

 いただきます、と一礼をしたところで、一人分しか料理がないことに気付く。

「あれ? アンジェの分は……?」
「ふふっ、何をおっしゃいますか。私達『フーリー』の糧は愛だと言いましたよね?
 食物を取る必要はないのです」
「そ、そうだけど……僕だけ食べるのも何だか気が引けるな」
「そうですか?では……こうしましょうか♪」

 アンジェは僕の手元にあったスプーンを手に取ると、ソースの絡まったオムライスを切り崩してスプーンに乗せる。
 そして僕と目線を合わせつつ、卵とライスの乗ったそれを、僕の口元へ運んだ。

「さあ、口を開けて。はい、あーん♪」

 まさかそう来るとは思わなかった僕は、気恥ずかしさで硬直してしまう。
 しかし、何故か言われたとおりに口は開いてしまっていた。

「んぐっ……んっ、」

 僕が具材を食べたのを見ると、ゆっくりスプーンが口から引き抜かれる。
 味など分からないぐらい緊張していたはずだが、卵の感触と鶏肉のうま味、濃いソースの風味が口に広がっていった。
 ふわふわと絶妙な柔らかさで、口の中でとろけるような卵の焼き具合。もも肉とむね肉を混ぜあわせたことで生まれる食感の豊かさと、際立つ鶏肉本来の甘さ。主張しすぎず、しつこすぎないのに印象に残る濃さのデミグラスソース。
 すべての味わいが一体となって混ざり、かつ素晴らしい調和を保っていた。

「お、おいしい」
「まあ、それは何よりです。それでは、他もどうぞ♪」

 続いてスープやサラダを味見していく。当然のようにこれらも申し分ない味だ。スープには野菜がたっぷり入っているが、きっと栄養バランスまで考えてくれているのだろう。
 不出来などとアンジェは言ったが、はっきり言ってレストランで出てくるオムライスに輪をかけて美味しい。
 実家にいた頃はよく食べていたのに、それとはもう段違いである。こんなに美味な物は初めてかもしれない。
 確か最後に食べた時は――、

「……? どうしました?」
「あ、いや。あまり出来が良いから、驚きすぎたのかな」

 いや、これはそれよりも上を行っている。
 なんというか、味が清らかなのだ。普通ならあるはずの雑味が一切ない。
 
「うん、ホントにおいしいよ。箸が止まらないし、いくらでも食べられそうだ」
「ふふふっ、そんなに褒められると、照れてしまいますね……♪」

 僕は下品にならない程度にハイペースでオムライスを口に運ぶ。
 その後も時々彼女に食べさせてもらったりしながら、楽しく夕飯を続けていった。






 食器の後片付けを申し出たが、少しでも奉仕したがるアンジェに断られてしまった。
 「少しでも貴方様の負担を減らしたい」と彼女は言う。
 正直な所、その真っ直ぐな愛に恐ろしささえ感じてしまうが、言うまでもなく僕は助かっている。
 部屋の中だって見違えるほど綺麗になったと分かるし、洗濯物もちゃんと干してある。
 彼女の家事には一切の手抜かりがなかった。
 それに後片付けが終わり、僕が手持無沙汰にテレビを見ていると、

「貴方様。よろしければ、私とお話でもしていただけませんか?」

 と、暇なのを気遣ってくれる。
 言動から行動、そして気遣いに至るまで、天使の名に違わぬ奉仕だ。
 そのまま取るに足らない話をしているとやんわり眠気がやってきた。
 僕があくびをしたのを見て、彼女も気づく。

「おや、そろそろ横になりますか?」
「そうだね……ところで、寝る場所のことなんだけど」
「はい」
「家にはベッドが一つしかないよね」
「はい」
「だからその……譲り合う必要があるよね」
「はい」
「じゃあ、今日は僕が床で……」
「だめです」

 いつもより強い語調で、ぴしゃりと言葉を遮られる。

「いや、あの……だったら今日はアンジェが床で、」
「それもだめです」
「えぇ……」

 笑顔を保ったまま、当然のようにアンジェは続けた。

「譲り合うということは善ですが、何も全てを明け渡すということではありません。
 一人ずつなどではなく、二人ずつ使えばよいのです」
「それって……」
「勿論、添い寝です」
「……」

 何を言っても駄目だと理解した僕は、いそいそと布団の中に入る。
 そこにアンジェが入ってくるわけだが……くっつくほど近づかなければ二人が並んで寝ることはできない。
 どうしたものかと難儀していると、アンジェは縮こまる僕の頭をがばっと自分の胸に抱き寄せてきた。
 一度手でも味わった胸の柔らかな膨らみの感触と、洗い立てのシャツよりも澄んだ石鹸のような匂いで顔が包みこまれる。
 ともすればあっさり堕ちてしまいそうな安心感が心の中で広がっていく。
 息が苦しくなってもいいはずなのに、何故かそれを感じない。
 人間では決して味わえない、天使の抱擁。その心地はまさに桃源郷だった。

「今日も一日……いえ、これまでの日々、よく頑張りました。
 その努力を称えて、心の底から貴方様を慈しみます……」
「あ、アンジェ……」

 彼女の細く小さな手が僕の後ろ頭に伸びてきて、そっと撫でてくる。
 小さな子をあやすような動きだが、嫌な気分などまったくない。それどころか撫でられるたびに邪気を吸い取られていくような気分だ。
 だが――それでも、天使のような彼女に抱きしめられていると、少しずつ雄としての本能が首をもたげてくる。

「……あら?落ち着かせようとしたつもりですが、益々興奮している部分もありますね?」
「そ、それはっ……うぅっ?!」

 いつの間にかアンジェの手が僕の股間に伸びてきて、服の上からすりすりと膨らみを撫でてくる。 
 男の部分は正直に勃起し、肉欲に塗れていた。

「恥じることも、隠す必要もありません。これは健全な肉体の証明なのですから。
 むしろ私の身体に欲情なさってくださるという事は、とても喜ばしい事です。
 さあ、晒け出してください……」
「う、うぁっ……」

 下着と一緒に下半身の服をずらされ、僕の肉棒が布団の下で露わになる。
 張りつめた怒張を丁寧にしなやかな指と手の平で撫でられ、電気のような快感が走る。自分で触れる時よりもずっと強い心地よさだ。

「うふふ……反応も良いですね。まだ手しか使っていないというのに。
 なでなで、しこしこ……とても硬くて立派です♪」
「んぅっ……」

 布団の中で見えないはずなのに、亀頭や裏筋などの敏感な所ばかりを優しく撫でてくる、恐ろしいほど巧みな愛撫。
 自分よりも身体の小さなアンジェにペースを握られるという背徳感もあって、否でも体が反応してしまう。

「我慢をする必要はないのです。私が貴方様の欲望を受け止めてみせましょう。
 さあ……どんなことを成されたいのですか?」

 耳元で優しくささやかれ、耳がくすぐったい。
 アンジェの愛撫で身体は待ちきれないほどの興奮に溢れている。
 だが、

「あ、アンジェ……ごめん、これ以上、は……」

 理性なのか、感情なのか、それは分からない。
 ただ生理現象で素直に反応する身体とは違い、頭の中だけは彼女と交わる事を拒否する。
 
「……そう、ですか。失礼いたしました。では、貴方様の仰せのままに……」

 彼女は僕の股間からそっと手を引くと、脱がせた服を着直させてくれる。

「ごめん……アンジェ、ごめん……」
「……気に病む必要はありません。どうか、安らかにお眠りください」
「ん……」

 アンジェは僕を胸の中で抱いたまま、僕が眠るまで見守ってくれていたようだった。








 アンジェと会ってから一週間が過ぎた。
 彼女は天使の名に恥じぬぐらい、惜しみない奉仕を僕に捧げてくれている。
 身の回りの家事は勿論のこと、顔を見れば微笑みを返してくれるし、疲れて帰った時はマッサージもしてくれる。
 ただ、何かにつけ誘惑してくるような仕草を見せてくるのだけが困りの種だ。
 必要以上にスキンシップを迫ってくるし、一緒にお風呂にも入ろうとしてくる。
 しかし、僕がそれを断るとすんなり身を引く。
 そのおかげで一線を越える事もなかったが、僕は彼女の気持ちに応えられずにいた。

「それじゃ、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃいませ」

 朝はいつも玄関まで来て僕を送り出してくれる。
 アンジェの微笑みを見て、心が締め付けられるような気分になりながらも、僕は大学へ向かう。
 ――思えば、僕は彼女の事を何も知らないな。
 せめて彼女が属する『フーリー』という種のことぐらいは知っておこうと、僕はスマートフォンを立ち上げる。
 魔物娘(厳密には違うが)にとても詳しい友人にメッセージを送り、情報を貰うことにした。








 僕は大学からの帰り道で、再びあの道を訪れてみる。
 アンジェが中で立っていた、段ボール箱の置いてあるあの道だ。
 ここを見るたびに、彼女と初めて出会った時の事を思い出す。

「あれ?」

 しかし、どこを見てもあの段ボール箱はもうなかった。
 まあ流石に日も経っているから、誰かがゴミだと思って片付けたのかもしれない。

「……?」

 道を見渡していると、誰かが道に立っている。誰もこの道を通ってくる様子はなかったはずなのだが。
 背中から巨大な羽根のような物を生やした長身の女性。その姿はアンジェとは少し違うが、同じようなオーラ――天使が放つ神聖な空気を纏っている。
 しかし特に目立つのは、手に持った弓と矢のようなものだ。

「ふむ……やはりあの箱、何かいわくが……まあいい」

 長身の天使は口に手を当てて何かを考えていたが、すぐさまこちらを向く。僕がいた事はずっと分かっていたかのように。 

「……君か。件の男は」
「え?」

 僕に向けて何かを話すが、その言葉の真意は全く読み取れない。

「私は天の使い。『キューピッド』の、アルクと申すものだ」
「キューピッド……天使の方ですか」

 その名前も聞いた事がある。『フーリー』と同じく女神に仕える天使のひとつだ。

「うむ……ちょうど君を探していた所でな」
「僕を?」
「勿論、君が会ったあのフーリーの事で用がある。今も一緒に住んでいるのだろう」
「え、ええ」
「……だが、まだ性交はおろか、口づけさえしていないな。
 性交は我々が最も尊ぶべき行為だというのに……何を躊躇っている?」
「そ……それは、貴方には関係ないでしょう!」
「私個人としては……確かに関係がない。だが、私とて愛を司る天使の端くれ。
 遅々として進まない目前の恋慕には看過できない事もある」

 キューピッド……アルクはやれやれといった表情で首を振る。 

「君は知らんだろうが、彼女は今試されているのだ。その身に宿る愛を……」
「試されている?」
「まさか、自分の前に”偶然”天使が舞い降りてきたと、本気で思っているのか?」
「どういう……事ですか?」

 僕の質問をよそに、アルクは自分の持つ弓と矢をこちらに向ける。 

「それ以上は私から話す事は出来ない。
 私が来たのはあくまでも私用だ……神に命じられたというわけではない。
 彼女があまりにも不憫で見ていられなかったからな」
「一体、何を……?!」

 アルクは矢をつがえ、僕を睨んだ。
 彼女の向ける矢は矢尻がハート型になっており、黒く、鈍く光っている。

「案ずるな、これは人を傷つける為の矢ではない。
 だがこの鉛の矢で射られた者は愛を喪失し、他者からの愛を強く希求するようになる。
 そうなれば、鈍感な君も彼女の愛に気付くことだろう。
 これは私が出来る、君たちへの精一杯の後押しなのだ」

 弓の弦をアルクが引き絞り、黒い矢の先端が真っ直ぐ僕を捉える。

「さあ、愛を覚悟せよ」

 避ける間などある筈のない速さで、弓矢が僕を目がけて飛来し――










「――待ってッ!!」









 その矢は僕に届くことなく、もう一人の天使の身体によって受け止められていた。

「なっ……?!」

 最も驚いていたのは僕ではなく、アルクだ。
 彼女は今までずっと冷静だった顔を歪ませ、声を上げる。
 アンジェの胸に刺さったはずの黒い矢は溶けるように掻き消え、傷痕すら残っていない。

「……貴方様がここを訪れた事が精神感応で分かった時、こうなる気はしていました。
 間に合ったのは、不幸中の幸いでしたが……」
「アンジェ……だ、大丈夫なのか?!」
「心配は、要りません。天使である私なら、人間ほどの効力はもたらさないはず、です……」
「馬鹿な……愛を糧とする我々が、それを失う鉛の矢を受けるなど……身を滅ぼすぞ!
 それに、なぜだ? 何故私の矢を拒否する必要が……?!」

 うろたえ続けるアルクに対して、アンジェが答える。

「お心遣いを無視して申し訳ありません。ですが……私は小細工に頼る気はないのです。
 この方に、全てを分かっていただくまでは……」
「だ、だが!お前からは――」
「それ以上は禁止事項です。どうか……言葉を慎みください」
「ぐっ……」

 二人の会話についていけない僕は何も言う事が出来ない。

「私は……乗り越えなければならない。自分を……自分自身の力で……」
「……いいだろう。その気高さ、仇とならぬよう祈っているぞ、アンジェ――」

 ふわりと羽根が瞬いたかと思うと、次の瞬間にはアルクの身体が宙を舞っていた。
 重力などまるで意に介さず、彼女はその身を天へ舞い上がらせていく。
 
「……っ」

 何かが地面に落ちる小さな音。
 空を見上げていた視線を降ろすと、アンジェが地面に膝を付いているのが見えた。

「アンジェ?! やっぱりあの矢が……!」
「……ごめんなさい、愛を喪ったせいか、身体が……凍り付いていくように、動かなくて……。
 寒気が……ずっと忘れていたはずの、感覚が……。
 わたし、は……本当は……だめ……言っては……!」

 明らかに彼女の様子がおかしい。
 何かを言い出さないように、喉を震える手で押さえ、必死で堪えている。
 彼女が隠したがっている事は……一つしかないが。

「とにかく家へ帰ろう、僕が背負っていくから。掴まれる?」
「なん、とか……」

 僕はアンジェの細い身体を持ち上げる。天使だけあって驚くほどに軽い。
 出来るだけ揺らさないように気を付けながら、僕はゆっくり歩き出す。
 彼女の身体からは、いつも感じるはずの温もりが小さくなっていた。






 家へ帰ってアンジェをベッドに寝かせるまでには、思ったより時間が掛かった。
 僕と肌を触れ合わせていた為か、ほんの少しだけ容態は良くなっているようだが――、まだ自由に体を動かせる所まではいかないらしい。

「ごめん、なさい。我儘を……聞いてもらっても、よいですか?」
「もちろん。できる事ならなんでも」

 僕の返答に、僅かな笑みを浮かべるアンジェ。 

「私の身体を……抱きしめて、ください。出来る限り、私の事を、想ったままで」

 僕は横に並ぶようにベッドに入り、仰向けに寝る彼女の身体を持ち上げ、僕の方を向かせる。
 そこから優しく抱きしめようとすると、その前にアンジェが抱きついてくる。
 満足に動かない身体なのに、いつもよりも激しく、隙間なく密着するような抱擁で。

「はぁっ……ああ、こうしていると、落ち着いてきます。
 貴方様の温もりで、凍った体が溶かされていくみたいに……。
 そのまま、私を呼んでください。想いを込めて……」

 僕たちの身体には少しの隙間もなく、お互いの顔も見ることはできない。

「ああ……。こうするのも”久しぶり”だね、アンジェ。いや――」

 だからこそ、今、言うべきだと思った。
 

「麻奈(まな)」


 すぐには返事がない。けれど、彼女の身体は明らかに揺れ動いた。

「――誰の名を、呼んだのですか? わたし、は……」
「鈍感な僕でももう気づいたよ。君が一体誰で、どうして僕の前に現れたのか」
「な、何を……」

 小さく肢体を震わせる彼女の身体を、もう一度強く抱きしめ直す。

「僕の名前を一度も聞かなかったことも、教えていない僕の好物を作ったことも。
 それは君が僕の知っている”麻奈”だからだ。
 もっとも……『フーリー』という種族の事を知るまでは、どうしても確信が持てなかったけれど」
「……」
「三年間――たったそれだけと言われるかもしれないけど、一緒にいて、僕はずっと君が好きだった。
 けど君は、高校に入学する直前に病気で亡くなった。アンデッドとして蘇ることもなかった。
 だから僕は……君がこの世に戻ってくる事はもう、あり得ないと決めつけていたんだ。
 ずっと忘れようとして……好きだったオムライスもいつの間にか作らなくなった。
 けど、君が作ってくれた料理は、違う所もあったけれど麻奈の作る味によく似ていた」
「……私は……」
「どうして君が、それを僕に教えられなかったのかまでは分からない。
 けれど、これだけは分かる。
 君は僕が愛していた麻奈が、転生して生まれた天使なんだって」
「!」

 僕は互いの体を離し、彼女と顔を合わせる。
 どうすればいいのか分からない困惑の表情を浮かべた彼女の目を、じっと見つめた。

「教えてくれないならそのままでいい。僕の気づきはただの妄想なのかもしれない。
 どちらでもいい……君が麻奈でも、アンジェでもいい。
 僕は、今の君を愛したい」

 どちらともなく目を閉じて、唇と唇を重ねる。
 僕たちが互いの身体を、交わりを求め合うのに、時間は掛からなかった。

 身体が一つになり、体温を確かめ合い、性器と性器を結合させる。
 初めての性交。
 互いに快感と愛の言葉をささやきながら、ゆっくりと粘膜を触れ合わせる。 
 もどかしい位の動きが堪らない多幸感を生み出して、溶け合うような錯覚さえ起こす。

 幸運にも、二人の絶頂はほぼ同時にやってきて――、
 僕が精を吐き出し、彼女が一際強く身体と声を跳ねさせるのはあっという間だった。

 その後も、冷めやらぬ興奮に身を任せて何度も身体を重ねる。
 何度交わっても、その度に初めて彼女と一つになった時のような、初々しい感覚が身を包む。
 そんな濃密な契りの空気に浸りきり――、
 僕らは長い永い間、飽きる事も慣れることもない快楽をひたすら貪りあっていた。





 何度も何度も絶頂を迎えた後、僕らは甘い余韻に浸りながら互いの身体を離す事なく繋がっていた。
 こうしているだけで心地がいい。
 この心地良さを忘れられる日は永遠に来ないだろう。
 そんな蕩けるような気持ちよさに浸っていると、彼女がささやく。

「ありがとう。そして……ごめんなさい。
 貴方が私を……天使となった私を愛して、交わってくれるまで、言い出すことが出来なかった。
 全ては、女神様との約束で……」
「約束?」
「貴方の言うとおり、私は『フーリー』となって転生することができた。
 けど、亡くなる前に病床で過ごした間、この世への後悔と恨みが共に生まれてしまったせいで、私は穢れていたの。
 だから天使と成ってからも、天上で己を改める時間が必要だった。
 貴方が大学に入る頃にも、私はまだ下界に降りる事は認められない……はずだった」
「それが……どうして?」
「そんな私の事を憐れんだ女神様が、私に特例を申し出てくれた。
 そして私を転生させてくれた女神様は、こう告げたの。

『地上に降りる事は許可します。ですが、貴方の過去を誰かに伝える事は認めません。
 天使になった貴方を、遺した相手が愛するまで……です。
 つまり貴方の愛が”想い出”という過去に打ち克つ器かどうか――見せて貰います』

「……ってね。
 私ははっきり言って自信がなかった。
 誰もが美化してしまう想い出に、それを上塗り出来るほどの愛だなんて。
 女神様はこうも仰った……『最も難しいことは、自分を乗り越える事です』って。
 でも、これ以上待つ余裕もなかった」
「……」
「地上に降りた私は、貴方が通るはずのあの道で待っていた。
 ホント言うとあの段ボール箱は私が用意した訳じゃないけど……まあ、それはいいね。
 信じてたよ。あの日、私を拾ってくれるって、ぜったい。
 自分一人じゃ、絶対に自分を乗り越える事なんてできなかった。
 君がいなかったら、君じゃなかったら……どうなっていたかは分からないよ」
「……うん」
「でも本当に声を掛けてくれた時は……泣きそうになったから、目をつむってごまかしちゃった」
「……そっか。
 そういえば、ひとつだけ分からなかったんだけど……あのオムライスはどうしてあんなに美味しくできたの?
 腕が上がってたのは分かるけど、食材は普通のスーパーにあったものだし、それだけじゃ片付けられないような……」
「えっ? き、聞きたいの?」
「うん、まあ」

 珍しくうろたえる彼女を見て、ますます興味が出てくる。
 まあ、身体を構成する全てが清らかという『フーリー』の特性を知った今なら察しはつくのだが。

「あれは……水とか液体の中に……その、わたし、の……、
 だ、ダメ! これ以上は言えないよ!きぎょーひみつ!」

 羞恥心を大声で隠したがる彼女を見て、僕は頷きで返す。
 当然姿は天使のままなのだけど、いつの間にか丁寧だったはずの口調は砕けていて、それは僕が知る”麻奈”に似ていた。
 だから正直、僕は彼女をどう呼ぶべきか自分では決められない。

「これからは、君をどう呼べばいいかな」
「そう、だなぁ……。どっちでもいいんだけど……やっぱり。
 貴方に付けてもらった名前の方がいいかな。もう私は人から天使になったわけだから」
「分かったよ、アンジェ」
「うんっ」

 朗らかな笑みを浮かべて、僕らは軽い口づけを交わす。
 もう一言ぐらい、睦言を紡ぎたいけど――冷静になると気恥ずかしさが勝ってしまう。

「えっと……その、」
「ふふっ、しょうがないなあ。私が言ってあげる」

 分かりやすく言いよどむ僕を見て、アンジェが可笑しそうにまた笑った。

「愛してるよ。今までも、これからも、ずーっと」
18/08/02 01:30更新 / しおやき

■作者メッセージ
最後までお読みいただき、ありがとうございます。

フーリーちゃんの天使すぎる天使らしさが表れていれば幸いです。
神聖すぎて魅力が描き切れない……。
フーリーちゃんの聖水(隠語)で炊いたご飯はまちがいなく美味い!テーレッテレー
でもそこまで溜めるのに一日は掛かってしまうので、氷にして冷やし茶漬けとかにするのが無難でしょうか。夏ですし。羞恥プレイも出来て一石二鳥。

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