連載小説
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一日目
「なぁなぁ、海外行くとしたらどこがいい?」

俺の幼馴染の質問は、唐突に始まった。
いつものことだ。俺は自分から人に話しかける性分ではないので、必然的に話しかけるのは人当たりの良い笑顔を浮かべるコイツからが多い。
そんな唐突な質問に、そんなに深くは考えずに答えた。

「海外ー?あー……台湾、とか?」

あげたのは、日本に一番近い国というだけで思いついた国名。
そんな適当なチョイスだったというのに、コイツは笑っていた。

「ほう、中々渋いチョイスじゃないか。いいねぇ、じゃあ二人でそこ行こうぜ」

俺の適当な物言いにも楽しそうに、いや適当だと分かっていてもなお、付き合ってくれた。
昔からこいつとのこのざっくらばんな感じが気に入っている。男同士の、気軽に関われる気ままな関係。
それが続いた結果が、今の俺達だった。

「せっかく恋人になった記念旅行なんだ。お前の意見を尊重して、台湾ってことにしようじゃないか」

まぁ、男同士だったのは、過去形なのだった。
今のこいつは女で、俺との関係はつい先日友人から恋人にチェンジしたところなのである。
魔物娘の変異種、アルプというらしい。
元は黒くて短髪だった髪は、今では長くて艶のある理想的な白い髪。しっかりと筋肉がついていた体は、出るところは出て引き締まるとこは引き締まった女として理想の形。
爽やかな笑顔が似合う好青年だったのが、爽やかな笑顔で微笑む快活な女性になっていたものだから、初めてその変わった姿を見た時には驚いたものだ。
男が女に変わるぐらいだから俺達の関係も変わった当初はギクシャクしたりもしていて、紆余曲折があった末にギリギリのところで何とか今の関係に落ち着いてたりもするが……まぁ、思い出したいほどにいい話ではないので割愛しよう。

「じゃ、諸手続きは俺の方でやっとくから任せとけー。お前はただボンヤリと飛行機の中で遊ぶのがUNOかトランプかを真剣に考えてくれればいいから……あ、パスポートの申請は忘れるなよ?」

俺の返事をよそに、ぐいぐいと話が進んでいた。コイツの中では既に台湾旅行に行くことは確定事項なのだろう。
まぁ、それが嫌なわけではない。気がつけば言われた通りに、飛行機の中でどんなゲームをやるかというところから考え始めている自分がいた。

「二人でやるならUNOは却下だ。スピードがいい」
「おーい、飛行機の中は狭いのを忘れてないか?そんなんやったらトランプが飛び散るぞ」

そんなシンプルな問題を指摘されるまで気が付かなかったのだから、どうやら俺もそれなりに浮かれていたらしかった。
お互いに内定を取って、大学の卒論を提出したばかりの大学四年生なのだから、浮かれても仕方ないと承知してくれないだろうか。

「そもそも、お前サキュバスなんだから飛べるだろ。飛行機の意味ないんじゃないか」
「お前よー、日本から台湾までの距離でお前を抱えて運べってのかよー。1万歩譲ってできたとしても、それじゃ風情がないだろー?」

照れ隠しに軽口を叩いて、誤魔化す事にした。



「はい、台湾の空港にとうちゃーっく!!」

旅行当日は、案外あっさりやってきた。
羽田から飛び立った飛行機は台湾の空港に到着して、俺達は今空港の中を歩いている。
空港の看板に描かれている文字はもう中国語と英語で埋まっていて、日本語の表記は一切ない。だというのに、まだ日本にいるような、どこか旅行に来たという現実味のなさがまだ俺の中にはある。
そう感じるのは、俺がこの旅行の事前準備に関しては一切やっていなかった事が大きかったのかもしれない。
今回の旅行に行くに当たってコイツには、ツアーの候補選びだの予約だの学生の身でも何とかなる料金でのスケジュール設定だのと言っためんどくさい諸手続きを全部やってきてくれたのだ。
昔からそうだ。俺はあまり積極的に人付き合いをする方ではないので、こういった遊びの準備は大体コイツが担当してくれる。せいぜいトランプと多人数用ゲーム機を持ってきた程度の俺では、とうてい頭が上がらない。

「よーし、まずはポケットwifiの確保だ!!スマホがネットに繋がらなくて、もう不安がすごいことになってるからな!!」

今もこうやって、何をしたらいいのかも分からない俺をさり気なく次の目的地へと案内しようとしてくれていた。いや、してくれているのだろう、けども。

「それはともかく、なんでずっと腕に引っ付いているんだお前」
「え、そりゃまぁカレシニウムの補充」
「何だその新物体」

さっきから俺の右腕には、朝顔でもここまでは絡みつかないだろうというレベルに細くなった女の腕が絡みついていた。その上、顔だの肩だのをやたらベタベタと押し付けられるというおまけつきだ。
いくら恋人だとしても、ここまで周囲に見せつけるようなやり方は俺の主義ではあまりない。とゆうかコイツ自身も普段は男友達のような接し方をするタイプのはずで、今までこんな事はなかったはずなのだが……ふむ。

「お前、そんなに辛かったのか。飛行機の席が離れ離れだったこと」
「そりゃなー。いやー、マジであれは失敗だった……」

ぐてー、と俺の推測を肯定しながら俺の腕を抱きしめて力を抜く幼馴染の淫魔。

「別に機内でイチャイチャする訳でもあるまいし、何をそんなに……」
「いやー、それが隣に座った知らない男に口説かれてさー。めんどくさかったんだよ」
「……む」

気の抜けた声で放たれた言葉に、知らず知らず自分の体が固くなった。

「それがさー、僕も台湾行きなんです奇遇ですねだとかなんとか、もう下心がミエミエでさー。まぁそんな奴の話し相手にずっとなってやったんだが、もう疲れたのなんのって」
「そんなの、無視すればよかっただろ。なんで律儀に付き合うんだか」
「いやぁまぁ、お前と席離れてるから暇つぶしに話し相手ぐらいにはなろうかと」

話を聞いても感じるのは、俺ならばそういう時は無視して本でも読むだろうな、というなんとも自分らしい感想だけだった。
そこで話に付き合うのはコイツらしい発想だが、危険はなかったのだろうか。

「……お?なんだなんだ?彼女が取られるんじゃないかと思ったか?」

俺の心配を察したのだろうか、茶化すような言い方をしてコイツは笑った。
男同士だった時ならば多分これを否定していたのだろうなとか、ふとした考えが頭をよぎる。
けれど自分は、その考えには首を振った。

「そうだな。そんな事があった なら、俺が隣にいればよかったなと思ったよ」

今のコイツは恋人なのだ。正直な気持ちを口にすると、一瞬腕に絡みついたままのコイツは面食らった顔をした。

「……おぉ。彼氏っぽい事、言えるようになったじゃん」

しかし次の瞬間にはからかう笑顔をこっちに向けてきた。
『疲れた』とは言っても、『不安だった』とか『怖かった』だとかは、言う気がないらしい。
本当に感じていたかはともかく、そういうことは絶対に言わないやつだ。
だから、代わりに。

「帰りの飛行機は、隣に座れるんだよな?」
「おぉ、バッチリ。行きさぁ、備え付けのテレビで見たい映画あったんだよね。一緒に見ようぜ」
「あぁ、あの少年少女が入れ替わる奴か。結局見逃してたっけ」
「そうだよー、まだ付き合ってなかったしなーその辺」

そんな会話を挟むことで、自己満足をする。
今回の旅行は俺もコイツも満足できるようなものにしたいと、切に思った。







最初の目的地、九份へ行くのは大勢の人間が乗るバスではなく、俺達と運転手以外には誰も乗っていない乗用車だった。なんでも今日は平日だからということで、俺達以外にはこのツアーへの参加者はいないのだそうだ。

「……という事で、本日は貸し切りになりマス」
「すげー!!ありがとうございます、ガイドさん!!」

もっとも、今の話を聞いたのは俺ではなく、道中で運転手と楽しげに会話をする幼馴染だったのだけれども。
現在の俺はと言えば、窓から見える景色に浸っている真っ最中だ。
日本とは似ているようで、どこか異なっている景色。それは例えば建物の窓の形とか、微妙に親切な信号の記号とか。そういった違いを眺めているだけで夢中になって、気がついたらガイドさんの話から意識が遠ざかっている。だから、俺は悪くないと思いたい。どのみち、会ったばかりのガイドさんに気さくに話しかけるなんて芸当、俺にはできないし。
そんなこんなで、俺としては楽しい道中だったために、九份にはあっという間に到着した。

「おぉ……」

車を降りると、まるで一枚の絵のような場所だった。
自分の足で立っている場所で自分の視界で見ているものなのに、まるで写真を見ている時のように現実感がない。
空を見てみれば、もう赤い色が混じってきている。山の向こうに太陽が消えていく景色は、とても綺麗だった。
特別で劇的な気持ちにはならない代わりに、目を離すこともできない、不思議な気持ち。
これが、旅行先の景色に夢中になるという感覚なのだろうか。他の人もこんな感情を抱くのかは自信がないけれど、少なくとも自分ではそう思った。

そんな訳で、アイツが今後の予定をガイドさんと話しているのをいいことに、ボンヤリと景色を眺めていた。

「おーい」
「う、ぉっとっ」

耳元の息を吹きかけられそうなぐらいに近い距離から言葉がかかって、体がビクリと震え上がった。
慌てて振り向いて見てみると、イタズラっぽく微笑む幼馴染の顔がある。コウモリの羽根や尻尾が、こういう時には悪魔のそれに見えた。

「景色に見惚れるのもいいけど、そろそろご飯だぞー」
「だからって驚かすなよ……」
「いやー、俺の身体よりも見惚れるものがあったなんて思わなかったからなー、つい」
「お前の身体の良さは、今までこれでもかと堪能したっての」

しかしまぁ、コイツの言う通りではある。
景色をぼーっと眺めるだけが旅行ではないのだ。
少なくとも、食事は旅行における楽しみの一つだろう。事実、コイツは旅行前に尻尾やら羽根やら楽しそうに揺らしながらグルメガイドをチェックしていた。俺にも、なんどかこの店はどうだあの店もいいなと何度も聞いてきた。まぁ、俺は全部生返事していたのだが。



「やっべーな、人多っ!!」

九份の階段に溢れる観光客に、幼馴染は感嘆の声を上げる。
コイツが連れていってくれた店のご飯の味に舌鼓を打った後、俺達は九份の通りをぶらぶらと歩いていた。料理は確かにうまかったが、油たっぷりの濃厚さで腹には大分きた。だから、こうしてブラブラするのは大歓迎なのだが……混雑というのは、単純な運動とは違った意味で疲れそうだ。

「さっすがあの有名な映画の舞台になっただけはあるよなー」
「あぁ、言われてみれば、確かに……」

赤い建物に、橙色に光る提灯。アジアンテイストな配色で煌びやかな明かり。それが並ぶ光景はたしかに、あの有名なアニメ映画の舞台を彷彿とさせる。

「けどあれ、十年以上は前の奴じゃなかったか。随分と昔の作品を昨日観たかのように言うんだな」
「旅行前に金曜のロードショーでやってたんですー。お前だって同い年じゃねーかよー」

俺はそんな軽口を叩き合いながら、さり気なくコイツの手を掴む。

「あっ……」

細くて柔らかい感触が、伝わってきた。コイツが女になったのだと、容赦なく伝えてくる感触。少しだけ男だったコイツと遊んだ日々を思い出して胸が痛くなるけど、それ以上に女であるその感触は胸を否応なしに高鳴らせる。
なるべく気付かれないように幼馴染の顔を盗み見てみると、少しだけ顔が赤くなっているように見える。この対応で、間違いなかったようだ。
離さないように手の力を強めながら人混みをなんとかかき分ける事数十分、階段を登り切る事に成功した。

「ようやく山頂……っと。この辺に映画にも出てきたお菓子屋があんだよ、そこで一服しようぜ」
「へぇ、映画のモデルねぇ……」

幼馴染による案内を受けながら、あたりをキョロキョロと観察してみる。
登ってから改めて見下ろしてみると、そこには確かに「映画の中そのもの」だと実感できるような、そんな景色が広がっていた。
自分が映画の中に入ったような気がして、気持ちが勝手に高揚していく。
これは確かに、これを目当てにする観光客が沢山いるだろうことも納得だ。

「あ、でも待て。確か、この辺に好きな文字を絵にしてくれるところがあるらしい。ちょっとそっち寄らせてくれ」
「ん、おお、構わんが……うぉぉ」

手を引かれて方向転換したら、視界に妙なものが映って思わず背筋が寒くなった。

黒だけで覆われた姿に、白色の仮面。
ウェンディゴをもっと怖くしたような姿はたしか、映画の中で見たキャラだった。

「ははっ、なんだよ今の女みてぇなへっぴり声。お前もアルプ志望か?」
「抜かせ。あれ、男女共通で怖いっての」

こんなのが突然暗がりにぽつんと置かれていたら、誰だって怖がるだろう。抗議せずには、いられなかった。

「ほら、お前も見てみろよ」
「はっ、何をそんなに怖がって……ぶふっ」

あ、微妙に肩が揺れた。怖いというより、驚いたって感じの方が近いのかもしれないが。いやぁ、誰もが怖がるだろうとは思っていたが、コイツも例外ではなかったな。

「あ、あれ、ぬいぐるみかよ……なんで、こんなとこ置いてんだよ……」
「俺も分からん。ほらな、怖かったろ」
「怖いっつーか……不意打ちすぎるわ、あんなん」

正直、わずかとはいえコイツが久々に動揺した様を見れたのはとても印象深かった。どれだけだったかと言えば具体的には、この後寄った店で見た俺と幼馴染の名前を描いてもらったアートのことが、この日が終わった時にはもう忘れてしまう程に。
いやぁ、旅行ってのは何が思い出に残るんだか分からんものだ。



人の波をかき分けて頂上に着いたもんだから体からは俺の軽く汗が出ていて、お茶を飲んで一服したいという気分でいっぱいになっていた。
それを計算しているかの如く置かれている茶屋で、今から俺達は茶をごちそうになる事になった。

「コッチの茶はネー、こう注ぐのヨー」

キョンシーの店員が柔らかそうな腕で、お椀のような皿の中に置かれた急須めがけてポットのお湯をドバドバ注ぎ込んでくれた。
急須をお湯に浸してあっためる、という理屈は分かる。分かるのだが、わざわざあんな高い位置からダイナミックに注ぐ意味はあるのだろうか。曲芸のような作り方に二人で思わず目を引かれた。

「あとは、お客さんに任せるヨー」

キョンシーの店員さんは言うが早いが、そそくさと厨房に引っ込んでいってしまった。
どうやら一度見せた曲芸を、自分達にも体験させてくれるサービスらしい。
それとも店内にそれなりに人がいるし、忙しいのだろうか。

「よーし、今度は俺がいっくぜー!!」

一度見ただけの動きを真似できるか自信がないところで、急須を手にとったのは幼馴染だった。
見様見真似で茶葉を急須の中に入れ、お湯を注ぐ。まぁそこまでは見てればできる。
次に、それから急須をお椀の中に入れ、その中にポットからお湯を……

「ちょ、あっつ!!ハネたハネた!!」
「あーわりぃわりぃ。これ、結構難しいな……」

結果、俺の方へお湯がハネて熱い思いをした。
普段は小器用なコイツが、珍しいこともあるものだ。

「そんなに難しいのか、それ?」
「おぉ……やってみ?」

恐る恐る急須を受け取って、好奇心半分で自分もやってみる事にする。
えっと店員さんはどうやってたっけ、高いところからこう……

「っち!!ちょ、人の事言えないじゃんかよー」
「すまん……本当に難しいな、これ……」

さっきの店員さんは派手な動きをしていたように見えたけれど、その裏には気遣いがあったんだなぁ……などと、二人して気付かされる結果だった。

「じゃ、お互いドローってことで茶請けでも食うかー」

しかし、そんな事は即座に置き去りにして、からからと幼馴染は笑う。
うむ、本当に切り替え早いなコイツ。俺の方はお湯をかけてしまった事を結構気にしていたんだが。

「お、この胡麻せんべいみたいなやつうまい」
「マジか、こっちにある抹茶味の塊はあんまり好きじゃないから交換してくれ」

そこからは一緒についてきたお茶請けに適度に舌鼓を打ち、まったりとした時間を過ごした。
いかにもアジアン、という店内の中で過ごしていると、これこそが旅行の醍醐味だよなぁなどという感慨が湧いてくる。
窓の外を見てみると、もう暗い。色々あった1日も、もう終わろうとしていた。

「はー、これでまだ一日目、か……」
「何、疲れたおっさんリーマンみたいな声出してんだよ。二泊三日なんだから、俺達の旅行はまだこれからなんだぜ?」
「誰がおっさんリーマンだ」

軽口に軽口で返しつつも、自分が来たことのない世界でいつも通りのやり取りができるのはなんだか嬉しくて、妙に笑ってしまった。
こんな時間をまだ二日も続けられると思うと、笑みがこぼれてしまうのはもうしょうがない。
しかし、このまま順風満帆過ぎてもつまらないから、少しぐらい何かがあってもいいよなぁ……


なんて、らしくもない事を思ったからだろうか。
その後、ツアーの白鐸さんのところへ戻るまでの帰りがけは、同じ日本人観光客に捕まりやたらとカメラを渡されて写真を撮っていたらいつの間にやら時間が経っていてほとんど他のところを見れなかったというオチが着いた。
更に、そのせいでやたらと心労がたまってホテルに着くなり寝てしまって、この日の夜は魔物娘のカップルらしい事は全くできないまま過ぎていったのだが……まぁ、二日目もあるしいいか。
19/10/26 23:19更新 / たんがん
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■作者メッセージ
お久しぶりです、たんがんです。
今回の作品は、週一更新の予定です。

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