読切小説
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委員長であるネコマタがこんなに可愛いはずがニャイ
 猫といえば気まぐれの代名詞だろう。分かりにくければ、飼い猫を見てみれば分かりやすい。寝たいときに寝て、遊びたい時に遊び、食べたい時に食べる。口があれば「私は別にお前達に飼って欲しいなんて言った事ないにゃ」なんて言いそうなほどに自由だ。
 奴らは自分にとって興味がある事しかやらないのだ。
 ならば、猫が長生きして魔力を溜め込んだ結果、妖怪になったというネコマタもこの勝手気ままな性格は受け継がれていてもおかしくない。そして、事実その通りだ。大概のネコマタは興味のある事以外は最低限しかやらないという、自由気ままな性格をしている。
 大概、と言ったのは何事にも例外があるからで………

「はい、これでホームルーム終わるニャ! 日直は黒板消して、あと掃き掃除お願いニャ!」

 目の前に居るネコマタは典型的な例外である。大体のクラスは全体をまとめるのが上手な人物が委員長として推薦されて委員長の任を任される。種族的な問題は勿論あるのだろうが、大体はアヌビスやバフォメットなどの魔物が推薦されて委員長になりやすい。しかし、ウチのクラスでは現在教壇に立っているネコマタがクラス全体を取りまとめている。

「んー? ゴローちん、僕の顔に何か付いてるかニャー? 僕の顔についてるのはヒゲにゃので、心配にゃーですよー?」
「何も言ってないだろ? あと、ミケ。 ゴローちんとか変なアダナを付けるな」
「ごろにゃんは冷たいニャー… ほとんど生まれた姿でクンズホグレツした仲ニャのに」
「プールで遊んだだけだろうが、阿呆。 変な誤解を招く良い方をするんじゃない」

 机に突っ伏して変わったネコマタを眺めていたら、ミケはこちらに気がついたらしくやってきた。あんまりにもうるさいので、軽く空手チョップしてやると「にゃーん」などと変な鳴き声を上げた。

「じゃ、俺は帰るけど、お前は?」
「僕は、先生に日誌を届けなきゃいけないにゃ」
「分かった。じゃあ待ってるよ」

 告げると少し不思議そうな顔をした。多分、自分が先に帰ると思ったのだろう。

「すぐ帰れるんだろ? 待ってるよ」
「ニャハ、ゴロりんは僕と一緒じゃないと寂しいのかにゃ?」
「うるせぇ、早く行け」

 放っておくと機嫌が悪くなるのはどちらだ。やや邪険に扱いつつ、もう一発空手チョップをお見舞いしようと手を振ると、猫科の動物らしくしなやかに一歩下がり射程圏外に逃げられた。安全地帯でケラケラと笑うミケを見ていると、こっちも何だかしょうもない気になってくるので面倒になって席に座りなおす。

「じゃ、すぐに戻ってくるからちょっと待っててニャ」

 スルリと教室を出て、小走り気味に職員室に向かっていった。
 性格は飄々としていて掴みどころがないが、根っこの部分は真面目である。もちろん、ネコマタらしく興味の対象がコロコロと変わるが、やりっぱなしには決してしないし、一度やると決めればどんなに辛くて他に楽しい事があっても逃げる事はしない。それは、ほぼクラス満場一致で委員長に推薦される事実が裏付けているし、長いこと一緒に居る自分が保証する。
どうしてこうも真面目なのか。興味が沸いたら興味が失せるまで目標に向けて一直線という気質が変質したものだろうか。仮にそうだとしても、その原因は正直よく分からない。少なくとも物心付いた頃には極々平凡なネコマタだった気がする。ともすると、 やはり成長か生活環境による変化だろうか。
 男子三日会わざれば刮目して見よ、というが、30分の化粧で化ける女子というのはそれ以上である。きっかけさえあれば、女子というのはあっさりと変わってしまうものなのだ。

「にゃぁ!」
「うぉ」

 ぽむん、とつむじに肉球が押し付けられる。首を捻って後ろを向くとしてやったりという満面の笑みでミケが立っていた。まだ、日誌を持っている辺り、悪戯をしたくて一度教室を出てから背後からこっそり戻ってきたのだろう。前言撤回。真面目は真面目でも目先の事に釣られやすいという根っこの部分は変わっていないようだ。

「良いから早く行ってこい」
「ゴロロンが冷たいにゃん」
「待っててやってるんだから、早く一緒に帰ろうぜ」

 軽く鞄を掲げ、こっちは鞄に教科書を詰め込むだけでだから早くしてくれ、とアピールする。すると、ミケはピクンと耳を立ててクネクネと体を揺らし始めた。

「そ、そ、それは。そのままゴローンの家に一緒に帰って良いと言うことかにゃ?そんな、まだ学生の身分だにゃ。内縁の妻と言うのは少しばかり早い気もするんにゃけど、でもでも、もしも、どうしてもというのなりゃ……」
「分かった。俺、先帰るわ」
「にゃぁぁぁあああ!!!!それは駄目にゃぁぁ!!!!そんな事したらゴロゴロの背中で一日3回爪とぎしてやるにゃぁああああ!!!」

 立ち上がって教室を後にすると、魔物の身体能力を存分に発揮して一瞬にして前に回りこんだ。才能の無駄遣いここに極まる。

「じゃあ、正面玄関で待ってるから、早くしてくれ」
「うにゃぁ……」

 何故か哀愁を漂う背中を見せつけながら、とぼとぼと職員室に向かっていった。全く、これだからミケは……
 毎日毎日ショートコントを付き合わされるコチラの身にもなってほしい。最近では、周囲の輩に「お前らは夫婦みたいだよな」とからかわれる始末だ。仲は良いけれど、単なる幼馴染だ。
 これ以上ここに居ても意味はないので、さっさと鞄の中に教科書を詰め込み、教室を後にする。本当のところは鞄が重くなるので、教科書類は机に入れておきたいのだが、うちの真面目な委員長様は置き勉に対して厳しいのだ。
正面玄関で下校する学生の姿を眺めながらまっていると、ほどなくしてミケがやってきた。
 軽く手をあげて促すと、ミケは嬉しそうに笑いながら靴を履き替えて駆け寄ってきた。ピンと尻尾が立っているあたり、本当に機嫌が良いのだろう。長年見ていると、尻尾の動きで何を考えているのかも分かってくる。

「……そーやって、人の気持ちを推し量るのは、よくニャいと思うニャ」

 尻尾を見ているこちらの目線に気がついたのか、尻尾を服の上から押さえてジットリと湿り気を帯びた瞳でこちらを見上げてきた。尻尾の先が弧を描き始めた。マズイ、そう思って慌てて視線を逸らそうとした時には既に遅い。気合い一発、得意の猫パンチが額にお見舞いされた。

「お前の手が出るまでの期間が短いのが悪いだろうが」
「五月蠅いニャ。乙女心を覗く無粋な輩には当然の報いニャ」
「だからって、何もしないとまた手が出るんだろ?」
「当然ニャ。乙女をエスコートするのは男子の役目ニャのだから」
「目を閉じたままでエスコートしろっていうのは無理だと思わないのか」
「そういうのは雰囲気から感じ取ってさりげなくやるものニャよ。所謂心眼ニャ」
「無理」
「無理をするのが男なんだニャ」

 なんという理不尽極まりないのだろう。
 世の中のモテる男子というのは、そのあたりの事をきっちりやっているのだろうか。生憎と自分にはそこまでの観察眼はないし、あったとしても何をすれば良いのか皆目検討がつかない。モテるわけではないが、そこまで気を配らなければ女子と付き合えないのだとしたら、不器用な自分は付き合わなくても良いような気さえする。
 しかし、そんなことを花も恥らう年頃の乙女である、ミケに聞かせてしまえば更に癇癪を起こすに違いない。彼氏を作ったという話こそ聞かないが、あれはあれで恋愛至上主義な部分があるらしく、いつも女子同士で「男子がどうのこうの」という話をしているのだ。つい先日も、その話題を振ってきた。

「で、ゴロスケはどんな女の子が好みニャのだ?」
「お前、本当にその手の話題好きだよな」
「当然ニャ。男子がおっぱい、ゴロプンが二次元、エスティーがロリっ娘が好きなのと同じくらい、女子は恋話が好きニャのだ」
「………何その偏見」
「違うにゃ。経験則にゃ」

 胸を逸らして宣言する。どうだ完璧なロジックだろう、と言わんばかりの自信満々であるがまな板の如き、控えめな胸では何の主張にもなりはしない。大体エスティーって誰だよ。年頃になるのに、いまだ変わらないのは胸だけか。はぁ、と溜息をつく。

「そういうの無根拠って言うんだよ」
「でも、コゴローが二次元に嵌っているのは事実にゃ」
「別に二次元もそこまで好きじゃないぞ?」
「恋話が嫌いな奴の八割は、二次元にはまっているだけニャ」
「お前の二次元に対する価値観って相当歪んでいると思うぞ?」

 恋話が嫌いなのではなく、恋の話を延々と聞かされることが嫌なだけだ。人が好きなのではなく、人を好きになる事が好きである人間が居る。前者はともかく、後者の人間は「人が好きになる事」を前提として話をしているため、折り合いが悪いのだ。
 それに二次元が好き、という判断も随分とうがちすぎである。正確に言えば、工夫や理念、努力と研鑽が垣間見え、次を求める姿勢に感銘を受け、自分もそのようにありたいと思うのであって。あくまでも自分は人が作った物を見る事が好きなのだ。だから、正直なところ、見習うべき所があれば二次元媒体であろうが、音楽であろうが、芸術作品であろうがなんだって構いはしない。

「ニャー!!!五月蝿いニャ!!!そんなに創作物が好きならドワーフとかと結婚すれば良いにゃ!!!」
「ぃぃぃぃいいいいぎゃぁぁぁああああああ!!!!」

 バリバリと背中で盛大な音がして、背中に刃物を突きたてられたような鋭い痛みが走る。その何度も経験した事のある痛みで、思い切り背中で爪を研がれたのだという事を理解した。これで駄目にされた制服を駄目にされたのは三度目だ。姉御肌のドワーフが、笑いながら直してくれるとはいえ、正直毎度毎度ただで直されていると申し訳なくなってくる。

「なにするんだよ!」
「………ぷいっ」

 涙目になりながら訴えると、ミケは何も悪びれた様子もなくむしろ不機嫌そうな表情でそっぽを向いていた。この流れは絶対にこちらが折れるまで口を聞かない流れである。以前、一度放っておけば機嫌が良くなるかと思って放っておいたこともあったが、余計に機嫌が悪くなり拗れただけだった。男子は多少の喧嘩でも殴りあった後でもお互いに謝ってしまえば、次の日にはケロッとしたものである。その点、女子と言うのは恐ろしい。ここまで来ると理不尽を通り越して笑えて来る。
 いずれにしろ逃げるが勝ちだ。

「……悪かった」
「許さないニャ」
「そこの公園で、アイス奢るから」
「……ゴロンはソレばっかりだニャ」
「そうでもしないと機嫌直さないだろ」

 暫く、冷ややかな視線をこちらに投げかけてきたが、やがて諦めたように小さく溜め息をついた。結局これで手を打つことにしてくれたようだ。ミケはヒョイとこちらの手を取るとトントンと軽い身のこなしで公園へと向かって走り始めた。人と魔物は共存しているが、だからと言って互いの能力が全く同じと言う訳ではない。人の身体能力はおよそ魔物のソレよりも低く、動物の属性を持つ魔物との差は火を見るより明らかだ。魔物の小走り程度の感覚でも全力疾走を強いられることとなる。

「お、おい!いきなり走るな!別に逃げやしないんだから」
「ニャハハ。ゴメンニャ」

 ものの百メートル程度であるが、引かれる様に走るとなるとキツイ。途中で気が付いて速度を緩めたミケにぶつかりそうになりながらも、なんとかぶつからずに立ち止まった。
 近くに停まっていたアイスクリーム屋の車の中からホルスタウロスがクスリと笑みを零した。毎回来ているせいで、顔を覚えたのか、「仲が良いですね」と言ってきた。ミケの方は「まぁね!」なんてVサインを作っていたが、恥ずかしい姿を見られたので苦笑を返すしかない。

「じゃあ、アイス買ってくるから。チョコレート味で良いか?」
「ゴロシチは、いい加減学習して欲しいニャん」
「んー?あれ。チョコレートは駄目なんだっけ?」
「そこまで駄目じゃニャいけど、お腹の調子悪くニャるからあんまり好きじゃニャいニャ……」
「そっか、じゃあ、何にする?」
「あー、でも、チョコでも良いかもしれニャイニャ。お腹の調子が悪くニャったら、ゴロゴロにお腹ずーっと擦ってもらうのニャ。それからそれから、お腹の調子が良くなってきたら、いつの間にか雰囲気が……」
「分かった。適当に買ってくる」
「ニャー!ニャンで流すニャ!」
「ウルセェ!奢ってやるんだから、文句言うな!ほら、あそこで店員が爆笑してるじゃねぇか!」
「見せ付けてやれば良いニャ!」
「い や だ!」

 それだけ言い捨てて、ホルスタウロスの待つ店へと向かう。

「ほんと、夫婦漫才みたいですね〜」
「好きでやってる訳じゃないので、放っておいてください」

 やっぱり、笑われた。
 普通のネコマタなら、ころころと興味が変わるのでこんな風にはならないのだが、妙に生真面目なミケはやたらと絡んでくる。お陰で周囲からは良い笑い物だ。正直な話、会うたび会うたび夫婦漫才と言われるのは、思春期の学生にとってはそれなりに堪えるものがある。文句の一つでも言ってやりたい。

「でも、そういう関係って良くないですか。青春真っ只中って感じで、私は憧れますよ〜?」
「まさか。ただの幼馴染の腐れ縁って奴ですよ。お陰様でいっつも振り回されています」
「駄目〜!そんなこと言っちゃ駄目〜!甘酸っぱい恋愛ができるのは学生の今だけですよ〜!」

 怒られた。
 その様はプンプンという擬音語が似合いそうな感じで、怒っている割りには随分と覇気が無い。アカオニやオーガの教師の学校に居る自分にとっては、ホルスタウロスの怒っている姿は癒される気分になる。ただ、結局の所、お互いにとって単なる幼馴染なので恋愛感情は皆無なのだ。ここでわざわざ否定するのも無粋だろう。前向きに考えておきます、とだけ返しておいた。
 店員はそれで満足したのか大きく頷いて笑みを浮かべた。慣れた手付き冷蔵庫を開け、アイスクリームを掬い取っていく。

「まぁ、君は男の子だから難しいかもしれないね。特に、真面目そうだし」
「どういう事です?」
「あまり遊んでる人じゃないでしょうって意味です。もちろん、遊んでばっかりだと困るんですけどね」

 悪戯っぽい笑みを浮かべながら、アイスを手渡してきた。注文したアイスはシングルアイスを二つだったのだが、手渡されたのはダブルアイスが二つだった。思わず首を傾げてしまう。

「これ……」
「おまけのアイスは私の奢りです」
「そういうのはあんまり良くないんじゃ……」
「女の子には色々な事情があるんです。ほら、早く行ってあげなさいな」

 シングルアイス二つ分の代金だけを受け取り、ホルスタウロスは「ほら、駆け足!」なんて言ってきた。仕方なし手短に礼を言い、言われたとおり来た道を駆け足で戻って行った。途中「少年、頑張ってね〜」なんて声を掛けられたが、全く、何を頑張れば言いのだろう。
 元の場所に行くとミケの姿は無かった。そこより少し離れた木陰にあるベンチに腰掛け、足をぶらつかせながら涼んでいた。近づくと、こちらに気が付いたらしく、ケラケラ笑いながら「遅いにゃー、クタクタだにゃー」などと文句を言ってきた。
全く、勝手に移動しといて随分な物言いである。
やや呆れ気味に溜め息をつき、それから買ったアイスを差し出す。
 ミケはキョトンとした表情を浮かべた。

「二つ?」

いつもはシングルだ。
ダブルアイスというのは見た目は華やかだが、実際に食べてみると上のアイスを落としそうになったり、上を食べきる頃には下のアイスが溶け始めていたり、お腹が冷えたりするのであまりメリットが無い。だから、ダブルアイスは自分では買わない。ダブルアイスを買うなら、ほとんど同じ値段のシングルアイスを二つ買った方が良いと思う。

「にゃんとまぁ、ゴロキチは随分と気が利くじゃニャいか」

 けれど、差し出したアイスをミケは顔を輝かせながら受け取った。
 幸せそうな表情を浮かべるミケの様子を見ながら隣に座る。以前、アイスをたかられた時にシングルアイスを二つ奢った事があったが、今のミケの表情はそのときよりも幸せそうに見える。

「ん〜、冷たいニャ〜!」
「そんなにガッツクからだろ?」
「そうしないと溶けちゃうニャ!」
「別に多少溶けてもいいだろ?」
「駄目ニャ!折角のダブルアイスなのニャ」

 溶けるから、と言いながらも随分と機嫌が良いのか、ミケは随分とアイスが溶けるのも構わずに話をする。クラスの男子はまとまりが無いとか、女子は女子で派閥があってそれなりに大変だ、とかそんな話をしている。ブーブー言うくせに、本人は随分と楽しそうだ。結局のところ、コイツはコイツでやっぱりクラスの全員が好きなんだろう。
 シングルだろうと、ダブルだろうと、アイスを食べているのなら大した時間は掛からない。

「そろそろ行くか」
「んにゃ」

 最後のコーンの尻尾を咥えながら頷いた。
 ヒョイと軽やかに身を起こす。

「にゃあ。ゴロリ」
「ん?」
「さっきはゴメンにゃ」
「……なにが?」

 唐突にミケが謝った。
 それがどういう事か良く分からず、思わず首を傾げる。ミケは暫く考えた後に、申し訳なさそうな笑みを浮かべて、小さな声で制服とだけ告げた。

 あぁ、来る前の爪研ぎね。

 昔から何度もやられているので、今更な感じもする。強いて言うなら、力も随分強くなってきたから制服を破かないように注意してくれ、と言う程度だろうか。そろそろ背中に跡が残りそうだ。言うと、ミケは「次からは注意するニャ」と笑った。

「ん。という訳で、今日はこのままゴロロの家に行くニャ」
「なんでさ?」
「そりゃー、制服を繕って背中に薬を塗るために決まってるニャよ」
「一人でできるって」
「自分で撒いた種は自分で摘む。ここで迷惑掛けたにも関わらず、『はい、そうにゃのか』と言ってしまえば、化け猫のニャが廃るっちゅーもんにゃ!」

 格好付けたけれど語尾がニャだと格好悪いな、などと胸中で突っ込みを入れる。
 幼馴染に背中の薬を塗ってもらうというのは恥ずかしいが、かといってここで引き下がるようなミケでもあるまい。わがままなようで、本当は結構繊細で律儀だ。

「しゃあないから頼むよ」
「合点承知ニャ!」

 バッチコーイと笑う。その笑顔は悪くない。
 ここから自分の家は遠くないのは助かった。おそらくニヤついてしまうだろうから。

「あ。ミケちゃん、久しぶり」
「お久しぶりだにゃ、おばさん」
「ふふ、いつの間にか大きくなったわね」
「母さん、なんかオバサンっぽい」
「あ、ひっどーい」

 家に帰り、居間で寛いでいた母親の視線を逃れるようにして二階の自分の部屋へと向かう。
 世間話もそうそうにミケは自分から制服を剥ぎ取った。
 勝手知ったる他人の家。幼い頃から何度も遊びに来ていれば、暫く来なかったとしても大体の物の場所は分かる。自分が薬を取るよりも早く、ミケは棚を開けて塗り薬を取り出した。椅子に座り、背を向ける。

「にゃはは、案外、深いにゃ」
「お前がやったんだろうが」
「あれ、そうだったかにゃ?」

 忘れちゃったにゃ。などとおどける。
 ヒンヤリとした薬が背中に触れた。あの手で器用に薬を塗るもんだ。

「こういうの懐かしいにゃー」
「なんかあったっけ?」
「昔、やってたじゃにゃいか。背中で爪を研いだら、お母さんに怒られて毎回薬塗りにきてたにゃ」

 やってたな。ミケの母親と一緒に謝りに来ていた。背中に薬を塗り、それから破れた服を預かって帰って行った。今となっては懐かしいだけの記憶である。

「その時、ちょっとゲームをしていたのは覚えているかにゃ?」
「してたな。背中に文字書いて当てる奴だろ?」

 子供の頃なんて物はそんなもの。喧嘩をしてもすぐに元通りになれる。大人が叱って罰を与えても、互いに許してしまえば友達に戻れるのだ。友達が集まれば遊びが始まるのは当たり前。薬を塗りながら、互いの両親に隠れてちょっと遊んでいたのだ。本当は隠れる必要なんて無かったのだが、その時は二人だけの秘密というのが、それだけで面白かったのだろう。

「久しぶりに、やるかにゃ?」
「良いよ」
「じゃあ、吾郎が書いた文字を言えたら吾郎の勝ち。言えなかったら僕の勝ち。それで良いかニャ?」
「分かった」
「じゃあ、五文字書くから当てて欲しいニャー」

 姿勢を正し、目を閉じる。神経を背中に集中させる。
 最初は慣れずにミケが勝っていたが、要領を覚えてからは自分が勝つことが多くなった。途中からミケが不利という事で書き順を滅茶苦茶にしたり、漢字を混ぜたりするようになった。さて、長い間やっていなかったから随分と勘が鈍っているだろう。以前のようにストレートで勝つのは難しいかもしれない。

「一文字目ニャー」
「おう」

 宣言してから、ミケの指が左肩に触れ右斜め下に抜ける。それから、指の位置を下げて同じ動作を三回。
 これは簡単だ。ウォーミングアップには丁度いい。

「二文字目ニャー」

 うなじから左下へと抜ける。その線の中心から横へ直線を引く。指を僅かに戻して再び左下へと線を描いた。
 これも簡単。素直なカタカナならば特に問題なさそうだ。

「もっと難しくてもいいんだぞ? 簡単すぎる」
「にゃはは?久しぶりだから、手加減しすぎちゃったかニャ。じゃあ、三文字目に行くニャ」

 一本、横なぎに線が引かれる。それから左右に一本ずつ斜め線が引かれた。
 これは、カタカナじゃない。少し油断したので一瞬分からなかったが、問題ない。

「凄いニャ。分かったって顔をしてるにゃ。にゃはは。じゃあ、これならどうかにゃ?」

 四文字目。
 小さく呟いた。僅かにミケが間を置いて背中に指を置いた。
 直線、中ほどから曲がる。払い。それから右上に抜ける。場所を変えて直線を描いたかと思ったら、急遽、曲がる。縦線を書き、そこから跳ね上がり、最後に横線を書き足す。コイツ、唐突に難しくしてきやがった。

「最後にゃー。頑張って欲しいニャー」

 二本の平行線。それから、斜め線。最後に曲線。
 最後にしてはあっけない。これは余裕だ。

「じゃ、答えを言って欲しいニャ! 大きな声でどうぞ!」
「言うぞ。ミケ大…………」

 これが解答。そう確信を持ちながら振り返り、半ばまで言いかけて、気がついた。
 こんな事、言えるか馬鹿。
 喉元まで出掛かった言葉を飲み込む。「言えるかにゃ?言えるかにゃ?」なんて言いながら、見ればミケの方も顔が真っ赤だった。不意打ちにも程があるだろう、これは。

「………分かりません」

 一瞬。沈黙が降りた。

「嘘吐きニャァ!!!コイツ、絶対嘘吐いてるニャ!!!」
「嘘じゃねぇ!絶対、嘘じゃねぇ!」
「乙女が恥ずかしがりながら書いたのに、ゴロはその思いを無碍にするのかニャ!!!」
「不意打ちでやられたコッチの身になれ!!!」
「男ならつべこべ言うんじゃニャイニャァ!!!! さぁ、答えるにゃ!!! 早く言うニャ!!!」
「ノーゲームだろコレはぁ!!!」
「ノーゲームなんて認めニャイニャァアアアア!!!」

………

 そういえば、「どんな子が好きなの?」と訊かれて答えた事がある。
 誰に訊かれたのか、はたまた誰に言ったのか、そんな事は詳しくは覚えていない。
「真面目な子、かな」
 幼い自分は深く考えず、適当にそう答えたのは覚えている。
 世間話の一幕。重要ではない、本当に気まぐれな一言だったのだ。

……

 一時間後、自分の制服を片手に良い笑顔で家に帰って行った。
 姿こそ確認しなかったが、家の前で、多分尻尾がピンと立たせたまま両手を振ってから帰っただろう。最高に上機嫌な「また明日、制服を持って来るからニャ!」などと言っていたから。
 自分は恥ずかしくて何も言えず、部屋で顔を覆っていた。
 あのあとは「ミケが毎回問題を出すのはズルイ」という事で、攻守を交代した上で再度ゲームを行った。もちろん、流石に服の上から。書いたのは五文字。

「吾郎大好き」

 ……完敗でした
12/06/05 02:27更新 / 佐藤 敏夫

■作者メッセージ
お久しぶりです。 佐藤です。
如何でしたでしょうか?
いや、そもそもSSを書いていた事を覚えていらっしゃる方が居るかどうか……

絵を描いたり、フィギュア作ったりと暫く迷走しましががSS書きに戻って参りました。
実の所、「人間じゃない2」の時に苗木堂にて数ページほど、書かせていただきましたけどね。
夏のコミケにて配布予定らしいので、是非是非、手にとって頂きたいです。
コミケにいけない方は、通販をするそうなのでチェックしてみて頂きたい。(宣伝)

さて、今回のSS。
ネコマタが委員長になったらどうなるかなー、などと思いながら書きました。
興味のある事、目的のためならどんな苦行でも超えて見せるのでは? みたいな印象です。
あ、でもミケが吾郎君と事に及ぼうとすると

「だ、だ、駄目ニャ! 学生同士の不純異性交遊は禁止されているニャ! 性交渉は結婚してからニャ!」

などと言いそう。
………魔物図鑑っぽくないかな?
でもアリだよね! 可愛いし!
とりあえず、今回はこの辺で。

ではでは。感想お待ちしております。

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