読切小説
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山菜取りに出かけて
 森
 古神道において森は常世と現世の末端とされ、山そのものを神体として祀り、そこにある自然物の石や木、動物、そしてまだ見ぬ妖にさえ神を見出す事も少なくなかった。
 もとより宗教の起源とは自然に対する恐れであり敬愛だ。生まれてくる命の奇跡と我が子を抱く愛情、命を育てる恵みへの感謝と命を奪う絶対の暴力への恐れ、そして死と言う絶対の摂理への悲しみと安堵。それらの名もなき祈りが、全ての宗教の原型であり原始の宗教だ。
 ある者は特に死を恐れ、ある者は命を祝福した。宗教の派生とはそれだけの話。後は派生した感情に肉付けされ、物語が生まれ、それらに準ずる戒律が生まれた。進歩と退廃、そして変質を繰り返しながら、中でも共感の多かった物が広まっていったのだろう。
 そういう意味では神道という宗教は、退屈なまでに自然崇拝の形を今に残している。有形無形問わず神を宿し、祀りたてる。つまり、あらゆる概念を神として祀る以上、対立概念は存在しない。
 無論、妖と人は異なる者であり、住む世界が違う。それがこの世の者であれ、創造の産物であれ変わらない絶対の掟だ。
 しかし対立概念が無いのなら、どうして人と妖が共に暮らせぬ道理があろうか?
 我が家の隣家。会えば挨拶ぐらいはするだろう。もしかしたら世間話ぐらいはするかもしれない。世間話に花が咲いて日がくれれば一緒に飯でも食うだろう。だが、家とは外と内を区切るための結界だ。つまり、各々の家には独自の規則が存在する異界。けれど、この者達は共に暮らしているという点に異存はないはずだ。
 家で信じられぬのなら、町で考えれば良い。町で駄目なら国で良い。国と世界は何が違う。人の手に届く範囲などせいぜい視界の及ぶ範囲だ。国でも世界でも正確に思い浮かべられやしない。やれ肌の色が違う、それ思想が違うだなんて、そんな小さい事に拘って互いの違いを指摘するのは勝手だが、あまりにも狭量ではなかろうか。
 相手に良い所があると思ったら素直に賞賛して学び、悪いと思ったらそれとなく注意して自らの悪しき部分を直す。その方がお互いすっきりするだろう。どうしても受け入れられなければ、受け入れられないと認めてしまえばいい。別に受け入れられないからと言って、わざわざ相手を攻撃する必要はないし、こちらの意見を押し付ける必要もありはしないのだ。

「ここでなにをしている? ここは神域だぞ?」
「あ、すみません。 すぐに出ます」
 山菜を摘んでいると羽音を立ててカラス天狗が目の前に舞い降りた。どうやら考え事をしながら山菜取りをしている内に、大分道からそれてしまったらしい。
「水門 優か。 ふむ。 ここ連日山菜を取っているな。 山菜取りをしている内に迷い込んだという所か」
 顔からつま先までじろじろと見比べた後、手記の様な物を取り出し、言い分と行動に矛盾点が無いのかを探しながら言った。別に嘘をついているわけでもないけれど少しだけ緊張する。初見だと随分と高圧的な態度だと感じる者も多いが、これも彼女の種族の特徴のような物でカラス天狗特有の方言に近く別に悪意はない。むしろ正義感が強く、悪を憎んで人を憎まず、弱き者には率先して手(?)を貸す事を信条として、人里の治安を守る事を誇りに思っているのでそれ位でも良いのだろう。
 もっとも、幼子には恐ろしく映るようで時折泣かせてしまっているようだが。
「よからぬ事を思っているようだな………」
「いえ、とんでもない」
「嘘は良くないぞ? 神通力があるからな。 地獄に落ちて閻魔様に舌を引っこ抜かれたくはあるまい?」
 こちらが何かを考えていたことに気が付いたのかピタリと動きを止めた。割と平静を装いつつも答えたつもりだが、ますます彼女の表情は嫌疑の色を強めた様だ。
 ジロリと手記の向こう側から若干吊り目な瞳が覗いてくる。三白眼の気がある瞳が綺麗な三角の形をしていると恐れを通り越して、なんだか笑いが込み上げてくる。思わず笑いを堪えて目を逸らしてしまうと、カラス天狗の方は暫くこちらの横顔を見つめた後、小さく溜息をついた。
「とはいえ、私とて薄々高圧的だと思って気にしてはいるさ………しかしね、周囲がそういう者しかおらん以上、そういう習慣が身につかんし、幼少からの習慣は一朝一夕で抜けるものではない。そも、どういう風に接すれば高圧的ではないかなども皆目分からん。誰も教えられる者はいないし、教えようにも感覚を説明する言葉などないのでな」
 僅かに悲しそうな色を含んだ声で呟いた。割と本気で気にしているようだ。
 そういえば、少し前に町に居たカラス天狗は子供を可愛がろうとしたらしいが逆に泣かせてしまっていた。どうしようもなくなったらしく「なぜ泣くのだ! それでは大人になった時に困るだろう」などと言ってしまった物だから、泣き止むどころか盛大に大泣きさせてしまう次第となった。
 泣き止まない子供とあやし方の分からないカラス天狗。
 ほとほと困っていたら、丁度油揚げを買いにやってきた稲荷が子供を優しく撫でてあやしてやると、すぐに泣き止んだ。あの時の稲荷を見る時のカラス天狗の表情は子供が無事に泣き止んだ事に対する安堵と稲荷に手柄を取られたという恥の入り混じった何ともいえない複雑な表情をしていた。
 袖触れ合うのも何かの縁である。縁があれば自然と相手を気にするし、やはり、気になった相手が泣いているというのも居心地がいいものではない。ましてや、未来を背負う可愛らしい子供達だ。その表現方法は千差万別であるが、子供を愛する気持ちに人と妖の区別は無い。
「やっぱり子供が泣いていたのとか気にしていたんですか」
「お前、やっぱりそういう目で私の事を見ていたのだな?」
 思わず訊ねてしまうとムスッとした表情で睨まれた。
 しまった、カマを掛けられたか。
 不用意に発言してしまったことに気が付いて慌てて取り繕うとしたが、それよりも早くグイッと顔を近づけてきた。至近距離で澄んだ瞳に真っ直ぐ見られてしまっては流石に言い繕うのも難しい。
「………参りました」
「仕方のない奴め。しかし、素直に謝った事だ。今回ばかりは大目に見てやろう」
 手をひらひらとさせて降伏すると、暫くの間その真偽を見定めるように見つめた後、すっと身を引いた。心の広いカラス天狗を感謝するが良い、などと言いながら身を引いたのは、半分ふざけてはいるが、半分は本気だろう。
 もっとも大らかなのは事実で、その証拠に町では気さくに挨拶を交わしてカラス天狗流の冗談を言っているのをよく見かける。風の噂で聞けば、西の果てにある金色の砂の平原に住む妖は冗談も通じないとか。
「さて、聴取はこれで終いだ。あとは早々に立ち去るが良い」
「はい、失礼しました」
「……っと言いたいところだが、時期に日が暮れる。慣れぬ場所で道中、逢魔が時となれば無事では帰れまい?」
「う……」
 軽く頭を下げて元来た道に当たりを着けて帰ろうとした振り向いた所で呼び止められた。
 逢魔が時、それは昼と夜の合間であり即ち夕方である。迷いやすい事や獣に襲われやすくなることは勿論恐ろしい事に変わりないが、その境目にはこの世の者ではない者達が現れやすい時でもある。神隠しに逢ったという話は数知れない。
 いつの間にか神域に迷い込んでしまった以上、地理感は全く持っているはずもない。故に神隠しに逢う可能性というのは格段に上がるだろう。数日から数か月経ってからヒョッコリと帰ってきたりすることも多く、家に誰が居るという訳ではないけれど、それでも神隠しに会わないようにした方が良い事に越したことはない。
 どうしたら良いのだろうか。若干の頭痛を覚えながら頭を悩ませていると目の前のカラス天狗はニッと笑った。
「当てがないのなら、これも何かの縁だ。 ウチで一晩明かすか?」
「良いんですか?」
「声を掛けた手前、帰る道中何かあっては寝覚めも悪い」
 渡りに船とはまさにこのことだ。期待を込めて聞き返すとカラス天狗は少しだけ気恥ずかしそうに目線を逸らせて憎まれ口を叩いた。どうやら感謝される事には慣れていないらしい。
 もう一度だけ、お願いしますとだけ頭を下げる。
「よろしい。ではこのカラス天狗、お前が神域を出るまでの間の面倒を見る事にしよう」
 そういって彼女は黒い羽に覆われた翼を出してきた。
 挨拶に応じるべく手を差し出したが、如何せんどこの辺りを握って良いものか分からない。考えあぐねて差し出した手を中で泳がせていると、クスリと楽しげに笑った後に器用に翼の先端を折り曲げて握手をしてきた。
 カラス天狗の翼には黒曜石の様な鈍い光沢を湛えており、間近で見ればその美しさが偽りではない事が分かる。孔雀の様な煌びやかさこそ無いものの、その対極の深い美しさを湛えた奥ゆかしさがあり、見る者の心を魅了するだろう。
「まだ名乗っていなかったな。 私の名はヤタだ」
「よろしくお願い致しますね、ヤタさん」
「やめろ、恥ずかしい。ヤタと呼び捨てにしてくれ」
「え? いや、呼び捨てにするのは……」
 相手は神域に住まう者だ。ましてや太陽の使いである八咫烏の名を冠している。それを呼び捨てにするのは恐れ多い。思わず躊躇っていると握っていた羽をスルリと離し、そのまま肩に回すとニッと笑んだ。
「一晩共に過ごすのだ。 他人行儀と言うのもまた無礼な話ではあるまいか?」
「わ、わかりました」
 ヤタの顔は均整がとれており、可愛い部類に入る。ましてや、至近距離でそんな風に笑まれるとドキリとしてしまう。無論、そんな邪な事を考えてしまえばカラス天狗の思うつぼだ。
 高鳴る鼓動を悟られないように深く息をして押し殺しつつ、極力平静を装って極力自然に彼女の手を退ける。ふわりと日の香りのような温かい香りがして、思わず意識がクラリと遠のく。辛うじて耐えたのは見栄のお陰だ。
「なんだ、からかいがいの無い奴だな」
「からかわないで下さい」
「別に構うまい?減る物でもあるまいし」
 僅かばかり拗ねたように表情を浮かべると、それからカラカラと笑いながら背を見せた。ヤタは獣道にも似た道を歩いていく。案内するから付いて来い、という事らしい。
 神域とは人が入ることが特別な事が無い限り許されない場所だ。仮に入るとしても妖の住む場所に入るわけだから、それなりの覚悟が無くてはいけない。そこを妖に案内されるというのは随分と奇妙な気分だ。
 人里近くにも人が自由に入れる山はある。しかし、居るのは小型の小動物と人によって育てられた樹木たち。言わば里山と呼ばれる人によって作られた、人の活動も理の中に内包する自然である。ここにあるのは人の手が入ることのない原始の自然だ。
 自由に樹木が生い茂り、また獣がそこを気ままに駆け回る。里山が和をもち共に歩む自然というのなら、ここにある自然は荘厳さと母性を湛えている。威圧する訳でも、手を添える訳でもなく、ただ存在する。あらゆる事象を拒まず、あらゆる変化を受け入れる。
「うぁ」
 不意に木陰から大人二人分はあろうかという大きな熊が現れた。「熊に出会ったら荷物は全て捨ててでも斜面を下って逃げろ」と言われる程、恐ろしい生き物だ。聞いてはいたが、実際に見るのでは迫力が違う。手も足も震え役に立たず、頭の中が真っ白になってしまう。
「この者は私の客人だ。 努々手を出そうなどと思わぬように」
 ゆったりとした動作でヤタが前に出て、その漆黒の羽を出して朗々とした声で告げる。すると熊は体を地面に落とし、まるで頭を垂れるように頷いた。
「よろしい。さ、お前も手を出せ」
 言われるままに手を差し出すと、その手を引いて熊の鼻先まで近づけた。熊は鼻先を近づけたので、思わず手を引っ込めようとしてしまうがヤタが握っている手を離すわけにもいかず、ただ耐えた。
 熊の方は暫し無表情で匂いを嗅ぎ、最後にペロリと指先を舐めて頷いた。
「うむ、手間を取らせたな。褒美だ、受け取るが良い」
 ヤタは妙に嬉しそうに笑うとポンポンと熊の頭を撫で、それから懐から木の実を取り出して熊に与えた。熊の方も無表情ながら、少しだけ機嫌良さそうに喉を鳴らして答えた。
 以前、どこかで妖が自然を管理している、と聞いた事がある。自然と人。それぞれは利害で対立する部分もある。だが、互いが互いに依存している部分もあるのもまた事実だ。自然の恵無しに人は生きられないし、自然は人の営みによって豊かさを増す。妖は人と好んで関わり人のために自然と便宜を図るが、自然を守り豊かに繁栄させるための自然の守護者でもある。
 故に、自然を無闇に傷つける者には一切の容赦がない。
「今のは……少しばかり職権乱用気味かもしれんがな」
「え゛……? 本当ですか?」
「まぁ、構うまい。奴はそれなりの顔なじみだし、縁があるのでな。友人の頼みを無下にするほど、人情に欠ける輩ではない」
 歩きながら後ろを振り返って件の熊の方を見やれば、こちらに気が付いたのか巨体を起こし不器用に手を振ってくれた。確かに少しばかり愛嬌があるかもしれない。手を振り返せば、満足したのかのそのそと巨体を揺らしながら森の奥へと消えて行った。

「さて、ここが我が家だ」
 歩くほど数刻、日が傾き東の空に夕闇が見える頃となってヤタの家に着いた。家と言っても歴史ある神社のご神木よりも更に太い樹木にしめ縄がされ、その前に玄関口を示すように鳥居が作られているだけだ。
「家って……どこですか?」
「目の前にあるだろう?……あぁ、人間は樹の上に家を作らんのだな。上を見ろ」
 翼で指された先を見れば確かに紋がある。時折、人里に来る妖の類が紋を使ってどこかに消えるというのを見ているので、あれを使って移動するのだろう。
「人の来客なんぞ初めてなのでな。次は梯子でも用意をしよう。……という訳で、今回は失礼するぞ?」
「え?……あ、ちょっと」
 言うが早いか、羽音を立てて飛び上がると肩を鋭い鉤爪の足でつかまれた。例えるのなら、鷹に捕えられた獲物と言うのが丁度いいだろう。爪先が食い込み、ふわりと体が浮き上がる。
「こら、暴れるな」
「で、でも飛んで……」
「落ちる方が危ないに決まっているだろう? それに今更引き返すわけにもいくまい」
 正論に返す言葉も無く、黙って地面が遠のいていくのを見ていた。こうして地面を見下ろしてみると家は地面から結構な高さがある。人が十分にしがみつけるところに降ろされたとはいえ、やはり心もとない。降ろされた場所から動くこともできずに必死に枝に抱きつくのはモズの早贄にでもされてしまった気分である。
 そんな姿を見てヤタはからからと声を立てて笑った。
 高いところは恐い。
 それは翼を持たないあらゆる生き物の本能だ。そんな気持ちを込めて彼女を睨み付けると、「なるほど、これは失礼」と悪びれもせずに再び笑った。どうやら悪気は無いらしい。思うが早いか、ヤタはひょいと軽業師の様に目の前に降り立つと、黒い翼を差し出して手を取り、肩をしっかりと掴むように促した。
「懐かしいな。私も飛べるまでは随分と枝から落ちないようにしがみ付いていた」
「カラス天狗も?」
「無論だ。何事も初めから上手くいくわけがなかろう?カラス天狗は落ちたり泣いたりしながら飛び方を覚えるのだよ」
「想像つきませんね」
「ふふ、それは人前では失敗しないようにするからな」
 ゆっくりと枝を渡り、紋の前に辿り着く。ヤタがそれに触れると淡い光が紋から溢れ、自分達を包み込んだ。
「突然の来客故大したもてなしもできんし、多少散らかっているが許せ」
 ひゅん、と風きり音が耳に響き、眩い光の洗礼を浴びながら二人は転移した。

・・・

「やれ、転移は初めてか?」
 玄関で思い切り大の字になっている自分を覗き込みながらクツクツと愉快気にヤタは笑っていた。視界が揺らいでいる自分を助け起こし、中へと促していく。手近にあった座布団を寄越すと、器用に急須に茶葉を入れてお湯を注ぎ目の前に置いた。
「茶でも飲んで待っていろ、すぐに食事の用意をするから茶菓子は許せ」
「あ、お気遣いなさらず」
「つれないことを言うな。何も無いが、せめて持成させろ」
「それなら、やりましょうか?取ってきた山菜もありますし………」
「おいおい、人の話を聞いていたか?折角の客人に気を使わせたとあっては、身内に何を言われるか分かった物ではない。気持ちだけ受け取っておくよ。お前は寛いでくれ」
 苦笑を浮かべながら答え、前掛けを掛ける。真っ白で清潔な前掛けは見ていて眩しい。そこまで言うのなら、座して待っているのが礼儀だろう。お茶を啜りながらのんびりと待たせてもらう。
「そうだ。味噌汁は赤味噌でいいかな?」
「あ、はい。ウチはいつも赤味噌です」
「赤味噌はあまり使わんのでな………勝手が分からんので、不味ければ遠慮なく言ってくれ」
 それだけ言うと、ヤタは竈に火を入れて早速料理に取り掛かった。こちらは手持ち無沙汰になり、何の気なしに部屋を見渡す。カラス天狗は仲間意識が強いと聞くので、家族で暮らしているのかと思っていたがヤタは一人暮らしをしているらしい。生活に必要な分以外に物はほとんどないようだ。私物らしい私物を強いてあげるのなら、カラス天狗らしく机の上に手記が何十冊か置いてあった。カラス天狗の手記とは何が書いてあるのか見て見たい気もするが、恐ろしいことが書いてありそうで見たくない気もする。
 暫く眺めた後、あまりジロジロと部屋を見過ぎるのも無粋だろうと思い、台所の方へ視線を移した。さほど大きくなく、開放的な間取りをしているためここからでもヤタが料理している姿が見える。
 よくもまぁ、あの手で器用に道具を繰るものだ。ご飯を炊きながら、アジの開きを準備して、漬物を小皿に取る。トントンと小気味の良い音を立てて包丁がまな板を叩くと優しい味噌の香りがこちらまで漂ってきた。
「口に合うか分からんが、食べてみてくれ」
「ありがとうございます」
 ほどなくして食事が運ばれてきた。
 手を合わせ、食べ物と作り手に感謝をしてから頂く。
 味付けは全体的にあっさりとしていて、質素な印象を受ける。しかし、決して手を抜いている訳ではなく、それぞれの材料が持つ味を最大限に引き出すために工夫されている。その絶妙さに思わず黙々と箸を動かしてしまう。
「……口にあったか?」
 見れば僅かに不安な色を帯びた表情でヤタがこちらを見ていた。舌鼓を打つのに夢中になって、感想を言うのも忘れていたらしい。わざわざ家に上げて食事を振舞ってくれているというのに、失礼な事をしてしまった。
 今更ながら「感想を言うのを忘れるほどに美味しい」と答えると「それは良かった」と安堵と苦笑の入り混じった笑みを浮かべて再び食事へと戻った。
 あまり時間が掛かることなく出された料理を平らげてしまった。ヤタはおかわりなら用意するがと気を使ってくれたが、十分に満腹だったので遠慮をする。答えると、折角作ったのだのだから食べてくれれば良いのに、と僅かに残念そうな表情を浮かべた。
「所で、送る都合があるので訊いておきたいのだが、明日は用事などあるかな?」
「特にありません。ですから、ヤタさ……………ヤタの都合の良い時間でお願いします」
 さん付けで呼ぼうとしたら、思い切り不機嫌そうな表情になったので慌てて言いなおす。暫くジットリとした視線を送ってきたが、視線を切って聞かなかったことにしてくれた。
「少し疲れたので今日は早めに休み、明日は昼過ぎに町まで送るが良いか?」
「はい、よろしくお願いします」
「じゃあ、先に風呂に入ってくれ。私は布団を敷いておこう。風呂場は突き当たりを右だ。道具は……ある物を適当に使ってくれれば良い」
「ありがとうございます」
 短い板敷きの廊下を抜けて風呂場に入る。そこには、小さいながらもヒノキで作られた立派な湯船があった。いつのまに準備をしたのか、もうもうと湯気を立てていた。温かい湯に浸かると、思わず大きな溜め息が漏れる。
 幾ら気を使ってくれているとはいえ、慣れない環境である。知らぬ内に疲れが溜まっていたのだろう。お湯の中に疲れが溶け出て行くようだ。
「湯加減はどうだ?」
 湯船の中で顔を洗っていると、外から声が掛かった。
「丁度いいです」
「分かった。なら、後は中の石を使って調節してくれれば良い。炎石の使い方は分かるだろう?」
 炎石とは炎の精霊の魔力が篭った石の事だ。大陸では妖と人が対立するから、妖の作った物が出回ることが少ないと聞く。しかし、妖と人が当たり前の様に接するこの国では、妖の作った物が人の社会に出回ることは珍しいどころか、当たり前でさえある。
 互いにできる事が違うのなら、得意分野を生かしあったほうが良いに決まっている。どうして、わざわざ自分達の方が優れていると不毛な主張をするためだけに相手といがみ合わなければならないのだろう。大陸と言うのはほとほと理解に苦しむ。
 炎石を包んでいる覆いを少しだけずらし、炎石の周囲を湯が循環するようにする。すると、少しぬるくなり始めたお湯が再び暖まり始めた。
 炎石は人の手では作り出すことができず、妖力の補充も極限られた者しかできない。しかし、炎石の種類にもよるが湯を暖める程度の火力でいいのなら、製造も補充も妖力を使うことに慣れた妖ならば誰でも出来る。妖達の間では見向きもされなかった当たり前の技術であるが、湯を作り出すための装置として目を着けたのは人間だ。
 そこから人の職人と一つ目の職人が力を合わせて試作品を作り、ついに便利な道具が完成した。人は勿論、それは妖も喜んだ。
「実に面白いな。妖術は今まで何度も使っていたが、余は一度も思いつかなかった」
 完成した記念にと大きな炎石を作り龍神様に供えると、早速それで大きな湯船を作り龍の姿のまま湯に遣って豪快に笑った。大地を震わせ、牙をむいて笑うその姿は恐ろしくもあり、また美しかった。
「長湯かな?」
「あ、すいません」
「いや、良い。水をさして悪かったな。気にせず、ゆっくり浸かってくれ」
 扉越しに声を掛けられたので慌てて上がろうとすると、ヤタは笑って押し留めた。折角気を遣ってくれたのに、すぐに上がるのも失礼な話だろう。そもそも、ヤタが扉の前に居るのなら上がりたくても上がれない。選択の余地もなく再び身を湯の中に沈める。
 ただ湯に浸っていると風呂場は妙に静かに感じられ、同時に静かな空間は人の感覚を鋭敏にする。そのお陰で、ヤタが扉に背を預けたまま立ち退こうとしていないことがなんとなく分かった。
 ヤタは何も言わない。けれど、表情はなんとなく分かった。
 だから、何も言わない。
 どれくらい時間が経っただろう。
「お前は妖をどう思っている?」
 ヤタは静かに息を吸い、一言だけ問うた。
 それは、なんの捻りもない素直な質問だ。当たり前過ぎてわざわざ取り立てて考える事さえ思わなかった。疑いようのない素朴な質問だからこそ、答えに窮してしまう。
「ここでは人と妖は共存しているし、人と交わる妖も少なくない。多くの妖は人に対して好意を抱き、便宜を図ろうとしている。また、人の社会も試行錯誤しながら、妖に対して寛容な制度を作っている。それは、疑いようのない事実だ」
 だが、とそこでヤタは言葉を区切った。
 それからやや間があって言葉を繋ぐ。
「だが、どんなに妖と人が密接になり友好的になろうとも、妖と人は根本的に違う」
 妖と人が別種である事は、人と妖の歴史を紐解けばすぐに分かる。妖と人の間の戦争は歴史に刻まれているだけでも数え切れない。それでなくても妖の起こした天災で多くの人が犠牲になり、また、人も妖を退治と称して殺めていた。
 例えそれを乗り越え、妖と人が親密になり共に歩む事になったとしても、それは変わらない。妖と人では体の構造が違う以上は寿命も違う。妖の寿命は人よりも遥かに長い。つがいになった妖と人でも、人が果てる方が早い。残された妖は思い出を抱えたまま長い余生を過ごさねばならない。
 無論、添い遂げる方法が無いわけではない。
「妖の力を人に植える、か。そうすれば、確かに生きながらえるだろう。周囲の大切な人間を置き去りにしてな。寿命が長い妖ならば少しぐらい周囲よりも寿命が長くなった所で大した問題にはならないかもしれないが、人はそうはいかない。帰る場所を失い、頼るのは異種族の相手のみだ。そんなものは………妖が相手から大切な人間を奪ってしまうのと変わるまい?」
 だからこそ、その事実を踏まえた上でもう一度問う。

 お前は妖の事をどう思っている?

 少しだけ、ほんの少しだけ考える。答えはすぐに出た。今までありのままだったなら、これからもありのままでいい。当たり前の事は当たり前のままで良いのだ。だから、ただの一言気負いもせず答えられた。

「ただの隣人でしょう」

 隣人。そう、人と妖はただの隣人だ。
 共に笑い、互いに怒り、悲しみを連ね、楽しみを共有する。それだけの、かけがえの無い隣人だ。わざわざ取り立てて何かを言うような必要もない。
 僅かに、扉越しのヤタは息を呑んだ気がした。

「確かに色々問題はあるでしょう。自分が言うのも変ですけど、それは考えるだけで良い問題だと思いますよ」
 妖も人も区別無く、多くの者が犠牲になった争いがある。起きてしまった事実は決して変わる事はなく、その歴史は決して忘れてはいけない。けれど、その悲しみを嘆き、何かを恨み続ける事は意味が無いのだ。
 悲しみを踏み越え、憤怒を誓いに変える。
 人が人であろうとし、妖が妖であろうとするのなら、その問題は決して解決することはない。けれど、互いが互いを思いやっているのなら、それが最善の解決方法なのではないかと思う。

「そうか……お前にとって妖は隣人、か」

 確かめるようにヤタは言葉を反芻する。
 なんとなく、隔たりの向こうのヤタは笑っている気がした。
「変な話をして済まなかったな。ゆっくりと風呂に浸かって汚れを落としてくれ」
「お気遣い、ありがとうございます」
 とんとん、と小さな足音を立てて気配が遠ざかって行った。

・・・

「では、寝間を案内しよう。……と、言っても手狭で恐縮なのだがな」
「本当に何から何まで申し訳ないです」
「ふふ、構わんよ」
 風呂から上がるとヤタが浴衣を用意してくれていたので、それに袖を通した。ヤタの後に続いて寝室に案内される。部屋に一歩足を踏み入れた瞬間に、柔らかい畳の香りとそれから鼻腔をくすぐる香の僅かに甘い香りがした。
 と、そこで違和感があった。
 一人では少し大きい布団には、二つの枕が置かれていたのだ。
「………えっと、これは?」
「見れば、わかるだろう?」
 言うが早いか軽く腕を引かれ、崩れた体勢を立て直そうと差し出した足を鉤爪の付いた足が上から押さえた。必然、身体は倒れこむ。重力に従って落ちる体を空中で仰向けに反転させると、そのまま獲物に飛び掛る猛禽類の如くヤタは馬乗りになった。
「先の問答を聞いていな、私も色々考えた」
 くすり、と淫靡な笑みを見せる。
 甘い香りがより一層強くなった気がする。香の香りだろうか、それとも別の何かだろうか。思考がまとまらない。今にも死んでしまいそうなほどに緊張してしまっているのに、ヤタって童顔だけど美人だよな、などというどうでも良い事を考えてしまっている。
「私はね、やはり隣人である人間の……お前の事が好きだ」
 まっすぐにこちらを見て、僅かに頬を赤らめながら言いきった。 
「人には人の流儀があるようだが、妖の私にはとんとわからぬ。古の妖は人を喰らうが仕事だ。ここは妖の流儀でやらせてもらうが………ここは妖の領域、よもや卑怯とは言うまいな?」
 郷に入りては郷に従え。
 どうしてヤタを非難する事ができようか。頷くとヤタは心底嬉しそうに笑った。
「ふふ、受け入れて貰うのは良い物だ。では、こちらもお前を受け入れなくてはな」

………

 聞き伝えによれば気持ちの良い物だと聞いていたが、実際には強烈に痛いだけだった。痛すぎて何が起きたのか、正直覚えていない。
 強いて覚えている事を挙げるとすれば、奴がケダモノの類に豹変したぐらいだろうか。人は時折妖が恐ろしいと言うが、妖の私にとってみれば妖よりも人間の方が軟弱な外見によらず獣を腹に飼っていてよっぽど恐ろしい。
「痛かった………」
「いや、ヤタが可愛くて………つい」
 痛みを思い出して睨むと、水門は申し訳なさそうに頬を掻いた。
 何が可愛くてつい、だ。このたわけ。反省しているのなら誠意を見せろ、お前の誠意を。
 内心毒づき、顔を逸らす。今日は妙に気温が高いせいで顔が熱いのだ。
「ともかく、私を傷物にした責任はとってもらうからな?これは、人の世のしきたりなのだろう?」
「都合の良い事ばっかり、適用するんですね」
「文句でもあるのか、ケダモノ」
 何か言いたげだったので、文句があるなら聞いてやる、というと水門は苦笑しながら首を横に振った。よろしい、と頷き水門に体を預ける。
 耳を澄ますと心地よい心音が聞こえてきた。目を閉じてその鼓動を聞いていると、幸せな気分になってきた。思えば、痛いだけではなかった。激しく求められれば求められるほど、一つになっているという感じ、また、互いに互いを必要としていると感じる事ができた。
 結局、ケダモノケダモノと言いながら私自身がケダモノを飼っている人間も嫌いではなかったのだ。つまるところ、たわけなのもお互い様なのだ。
「なぁ、お前は妖を隣人だと言ったな?」
 身体を預けたまま、僅かに首を動かして見上げる。水門は、少しだけ狼狽したように目を瞬かせた。
「カラステングにとってはね、隣人というのは家族も同然なんだよ」
 だから、私達は家族だろう?
 言うと奴は顔を真っ赤にした。
12/02/29 02:31更新 / 佐藤 敏夫

■作者メッセージ
〜帰り道〜

「ヤタ」
「ん?」
「無礼承知で一つ訊くけど……自分なんかで良いの?」
「あぁ、お前が良いんだ」
「でも、自分はそんなに立派な人間じゃないよ?」
「そうか? これでも、お前がどれ位誠実な人間かもそれなりに見ているつもりだぞ?」
「はぁ………」
「大体、私だってお前に気に入られるために色々調べたんだぞ!いつなら次の日に仕事がないとか、山菜採りはどの道順で来るとか、味噌汁には味噌を何を使っているとか、風呂はどの程度の温度に設定しているかとか。そこまで調べているのに、日常生活を一つも見ていないという事がある訳なかろう?」
「………もしかして、今回は計画的な犯行ですか?」
「あぁ、もちろん。私が計画し、森全体が協力してくれた。でなければ、易々と神域に迷い込むなんて事はあるまい?」
「………」
「ん、どうした?」
「いや、妖と人の文化の違いについて考えてたところ」
「どういう意味だ?」
「強いて言うなら、そこまで計画的にやったなら、濡らさないで自分から挿入しようとしたのに痛いとか騒がないでね?」
「む、う……うるさい。つ、次はきちんとやるから待っていろよ?」




はい、お久しぶりです。何ヶ月ぶりの投稿でしょうね。
連載抱えているはずなのに、全く持ってそちらの方に手が回っていない佐藤敏夫です。
八百万信仰ってなんだか素敵よね、という事で神道をSSのベースに書いてみました。
ジパングだったら魔物も人も互いに互いを補い合って支えあいながら社会を築くだろうな、なんて思っています。
しかし、エロが苦手で朝チュンに逃げましたね。精進しないと。

あと、一つばかり宣伝を
もしかしたら以前挿絵を描いて頂いた若草さんの相乗りという形で同人誌を書くかもしれません。
するとすれば、五月の「人間じゃない2」の若草さんの同人誌の隅っこの方に書かせて頂きます。
そのときは、皆様よろしくお願い致します。

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