連載小説
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このむっつりたわけ。
きしりきしり 
私は誰もいない廊下を、一人摺り足で進む。
今日の仕事も一段落し、後は城にある備蓄や日常の消耗品などの在庫数を数えてまわり、
それが書類と合えば仕事は終了する。
普通こういう確認作業には別に人手がいたりするものだが、
私はその作業もこちらでやるように申し付けられていた。
いつもなら確認も含め、もう終わっているはずであるが、
今日は後輩の遅刻やらなんやらが重なり、まだ作業が完了していなかった。

少々羽目を外しすぎたかしらと思わないでもない。
昼のことを思い出し少々頬が火照ってくるのが判る。
まだ匂いの抜けきっていない手のひらを鼻先にかざすと、
すんすんとにほいを嗅ぐ、何とも芳しい香りで何時までも嗅いでいたくなる。
本番は定国様のためにとってあるが、
それでもかわいい男子といっしょに室内にこもりきりとなるため、
たまに発散しなくては心身共に溜まるものがたまってしまう。
(栄養補給は兎も角、発散の方は後で自分で行うこととなるが。)
たっぷり活きの良い精を大量に嚥下し、見えないようにしてある耳と尾の毛並みもつやつやだ。
後輩の正信(まさのぶ)は定国様が私の嘆願を受け、手ずから探してきてくれた逸材だ。
ルックスも良くて柔軟な思考の持ち主の利発な子が助手に欲しい。
などという私の臆面も無い要求を、定国様はあの笑い声を響かせ了承してくださった。
この藩は代々好学の藩主を輩出した文芸の盛んな藩で、
城内や城下町には藩士用の学習塾が多数存在した。
正信は城内の塾にも通っていたため、定国様とは元々面識があり、
意気投合した仲ということらしい。

私の出した条件を聞き定国様は言った。
「そういう遠慮の無いところ、余は好ましく思う。じゃが使う相手は選べよ。」
釘を刺されたが、それも私の身を心配してくれての事だと判っているので逆にうれしい。
ウロブサ様が危惧したとおり、この城には未だ古い慣習や既得権益、武士の面子、
そう言った行動原理で動く者達が多い。
あてはまらないのは定国様ご本人と私や正信の様に、
定国様が下々の者から登用したという人材位のものであり、
未だそういった価値観の人たちは少数派だ。
油断をすれば足元をすくわれかねず、追い出されては計画がパーである。

しかし、思った傍から私は油断していた。
仕事を増やすなどの嫌がらせは想定していたが、
もっと物理的な手段に打ってくるとは、彼らの悪意を安く見すぎていた。
廊下の曲がり角を曲がった瞬間、私は待ち構えていたように目の前に現れた、
二人組みの男の片割れにぶつかってしまう。
私の低い頭の位置は、計った様に男の顔に当たってしまう。
うぅっ、といううめきと共に男は膝を付き顔を抑える。
抑えた顔から床にはぽたりぽたりと赤い滴が垂れていた。
匂いからすると血ではなく食紅だろう。何とも小細工を弄したものだ。
もっともそれがここから判る人間などいないので、そんなことは口が裂けても言えないが。

してやったりという顔を隠そうともせず、もう一人が腰に差したものを抜き、
それをゆっくり振り上げると共に左足を前に出し、上段の構えをした。
良く見るとこの男、私が負かした元勘定方の男ではないか。
「貴様、殿の肝煎りで入ったからと言ってこの無礼、許されると思うな。
下士風情が、上士(上級藩士)たる我らに誤って怪我を負わせるなど。」

もう一人も立ち上がると顔を抑えたまま声を上げた。
「我らは寛容ゆえ手討ちにはいたさん。しかし、少々痛い目を見てもらう。
嫁の貰い手が無くなっても恨むは筋違いぞ。元々貴様のような者の来る場所ではなかったのだ。」

ちゃりっと元勘定方が刃を返す。みねで思いっきり打ち込んでくる気だ。
どうする?この程度の使い手ならまともに戦っても倒すのはわけないがそれは論外。
術を用いて煙に巻くか?いや、まだ妖怪だと疑われるのはよろしくない。
では大怪我せぬようにうまくやられる?
いやいや、どこまでやるつもりかも判らないのにそんな器用な真似は出来ない。

振り下ろされる一振りの鋼が、廊下の鈍い明かりをはじいて煌いた。
ほとほと困っていた私の救い主は、しかし意外なところから現れた。

私の真後ろから伸ばされた手が私の後襟を掴み強引に引く。
体重は軽い方だが、それでも片手で幼子を扱うように軽々と私を引き寄せる腕。
そして何よりすごいのは、馬鹿二人に気を取られていたとはいえ、
この木で張られた廊下で私が接近を察知できなかった点であろう。
その引き方も見事で、一撃は私の胸先一寸を通過し床に切っ先が刺さる。
当てを外された男はバランスを崩し少し前によろける。
その一呼吸の間に私を引いた腕の持ち主は私の横をすり抜け、
男の眼前に立つと何気ない動作で腕を上げ、親指を喉仏に食い込ませた。
残った四本の指が首筋を掴み下がることも出来ず、元勘定方は苦しそうに目を白黒させ始めた。

私の前に立ったその背中は、身長だけなら二人組みと大差ないにもかかわらず、
受ける印象の強さは段違いだ。
裃(かみしも)の上からでもその厚い岩の様な肉体が容易に想像できる。

「あ・・ありがとう・ございます。武太夫様。」
私はとりあえず頭を下げ目の前の男に謝辞を述べる。
本当に意外だ。記憶が確かならこの男は私の登用に反対していたはず。
私を追い出したい者達の急先鋒だとしても不思議は無いのに、
ブ男で顔は好みではないが、意外といい男なのであろうか?
武太夫は私の言葉には反応せず。
ただ男の喉に当てていた腕を下ろし、目の前の二人の男にその剣呑な視線を走らせていた。

しばらく咳き込んだ後、男達は我に返ったのか抗議の声を上げる。
「武太夫様。どういうおつもりですか?」
「そうです、狼藉者を誅するのは武士として当然のことでございましょう。
何故この痴れ者を助けたのです?だいたいこれは五郎左衛門様の・・・」

「たわけい!!」
武太夫様は一括して抗議を封ずると二人を殺気を込めて睨み付けた。
びくっとして後は口を半開きにしたまま動けなくなる二人。
「この城の武士が女子供にぶつかり怪我を負わされ、
それ故無礼討ちにしたなどと申す気か?恥を知れい!この痴れ者共が!!」
それだけ言うと武太夫様はついぞこちらに一瞥もくれず、
二人の首根っこを抑えて、二人ごとずんずんと廊下を歩いていってしまった。

ふうっ、私は一人になると一息ついて再び廊下を歩き出した。
この城の人間関係や力関係はどうにも一筋縄ではいかない様相を呈しているらしい。
複雑怪奇な伏魔殿だ。
そう意識すると、薄明かりに照らされ続いている廊下が、
まるで自分を飲み込もうとする怪物の顎(あぎと)の様にすら感じられ、
正信と過ごした昼間で軽く火照った体が、どうにも薄ら寒く冷え込んでしまっていた。
私は早く一人の状態を脱したくて、正信がいるであろう蔵へと続く廊下をいそいそと急いだ。


※※※


その晩、日もとっぷりと落ちて城内がほとんど暗闇に閉ざされる中、
ある一室で机で書き物をしている人影が一つ。
机の周りに複数の置行灯(おきあんどん)を設置し、
この時代としては驚異的な明るさの元、淀みの無い手ですらすらと文をしたためる男。
ただ手紙を書く、それだけにも贅を尽くすのは筆頭家老の五郎左衛門その人である。

そんな五郎左衛門の後にぼんやりとした灯りが揺らめき始める。
室外を誰かが灯りを持って移動しており、
それが障子越しにまるで人魂のように見えているのである。
人魂はぐるりと五郎左衛門の周囲を回りこむと、
部屋に二つある出入り口の一つの前でぴたりと止まる。
目の端でそれを確認した五郎左衛門は、そちらに顔も向けずに声を上げた。

「時間通り、相変わらずじゃな。入れ、武太夫。」
「夜分に失礼致します。」

扉の前の武太夫は、灯りを消しそれを入り口の脇に置くと、
慇懃にそう言い放ち室内に入る。
それなりに広い室内は、五郎左衛門の周囲を除いては薄暗く、
五郎左衛門からは武太夫の姿もシルエットのようにしか見ることが出来なかった。

「そこでは顔が見えぬ、もうちいとちこうよれ。」
ちょいちょいと手招きする五郎左衛門と招きに預かる武太夫。

「何用でございましょうや?」
「聞かずとも判っておろう。あの小娘の件に他ならん。」
「左様でございますか。」

遠まわしに軽く詰問しているつもりの五郎左衛門であったが、
どこまでも石のように平静を保つ武太夫に対し、
フンっと鼻をならして迂遠な言い方を改める。

「何故邪魔をした?わしの意図が汲めぬほど蒙昧(もうまい)でもあるまい武太夫。」
「蒙昧なのはあやつらの方です。私に対し、
あの娘の前であなた様の名前を言いかけてましたぞ。
失礼ながら申し上げれば、あのような者らに仕事を頼むとは、
五郎左衛門様もだいぶ耄碌(もうろく)されたのでは?」

憮然と言い放つ武太夫に対し、五郎左衛門は苦虫を噛み潰した顔で応じる。
「初耳だ。あやつらめこれほど使えぬとは・・・」
「仮にあの場で娘を痛めつけたとして、殿なら責任を取って側室にするなどと言いかねませぬ。」
「むう、確かに、何処が良いのか。殿はあの乳臭い娘を大層気に入っておられる。」
「同意いたします。私ももう少し出るとこ出ている方が好ましいと思っておりました。」
「貴様の好みなぞ聞いとらんわ!このむっつりたわけ。」

失言だったと自覚したのか、わざとらしい咳払いで仕切り直す武太夫。
「兎に角、現状であやつを無理に排除する必要は感じられませぬ。
殿が我々に対し、無駄に不信を抱くだけでは?」
「そうも言ってられん、まだ正妻の御紺様と定国様の間に嫡男が儲けられてはおらん。
この状態で殿があの娘に手を出し、あまつさえ子が授けられたらどうなる?」
「普通、序列は側室の長男より正妻の次男の方が上でございましょう?
あなたの息の掛かった家の出である御紺様の子が次の世継ぎとなる。
その筋書きに狂いは生じますまい。」
「戦以外に関しては御主も甘いのう。それはあくまで制度の話。
実際に家臣達の心情としては、そう割り切れるものではない。」
「・・・我々に反感を持つ者が、その子をたて権力争いをする事もあると?」
「それも一つじゃ、じゃが先のことなど判らん。
故にあらゆる禍根は断っておくべきなのじゃ。多少強引でもの。」

底冷えするような声で言い放つ五郎左衛門に、
武太夫はこの細い老人の本気を感じとり息を吐いた。

「ならば一つ、あの娘について調べてみると良いやも知れませぬ。」
「どういうことだ?入城する前に身元の調査はしておるだろう。」
「あのような簡易なものではなく。もっとしっかりとした調査をもう一度してみるべきかと。」
「何かあるのか?あの娘に。」
「少々解せぬことがございます。
あの娘、武士に刀で斬りかかられたにもかかわらず、
目に見られた動揺があまりに少なかった。」
「東か南の藩辺りから派遣された忍とでも?」
「手のひらや甲、脚運びなどを見る限りその類の心得があるとは思えませぬが。」
「まあ良い、もし何かあれば排除する大義名分も立とう。
その時は頼むぞ。武太夫・・・」
「おまかせを、この城に仇なすようなら・・・私が斬りましょう。」

武太夫は腰の物を半分ほど鞘から抜き眺める。
行灯の揺れる光が刃紋をあやしく照らし出し、
武太夫の凹凸の激しい顔は、陰影が刻まれまるで鬼のような形相に見えた。
12/04/14 02:13更新 / 430
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■作者メッセージ
まもむす成分が薄いって?
すんまそん・・・でも物語上
敵役描写ってのは避けて通れんのです。

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