連載小説
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ケイン・ミルゲル。それが俺の名だ。

俺が籍を置くのは、世界中で最も盛んな宗教組織・主神教団である。人間至上主義を掲げるこの宗教は『清廉潔白、慈愛に満ちた愛と正義の団体』という建前のもと活動している。実際、この組織の影響は強く、各国の王侯貴族に根強いパイプを持ち日々着々とその支配領域を拡大しつつある。そのため世界の中で見てもとてつもない影響力を持っているとも言える。

それはこのバイブリア大陸東端の田舎町・ブルジョワーズでも例外ではない。領主である貧乏貴族は教団からの支援をもとに領地の繁栄を促した。…その条件として領内の魔物の掃討を約束している。

その掃討作戦も近々ようやっと開始される。今までは領地運営による資金の枯渇や兵力の不足を理由に作戦を延期してきたが、遂に王直々に命令が下されたらしい。
…ここの領主は教団の思想には内心否定的なのだが、さすがに下級貴族が1人で世界に股をかける大組織に立ち向えるはずもなく渋々、命に従ったと見える。まあそれは王を始めとしたこの王国全体で言えることだが。

ともかく、俺はその掃討作戦の増援として教団から送られてきた。こんな田舎にしかも教団に非協力的な矮小国家に飛ばされたのだからこれは事実上左遷と見ていい。
事実、それをされるだけのことはしたと思う。何しろ魔物を逃してしまったのだから。それも初陣だ。どう考えても正気の沙汰じゃない。
多くの教団員が見る前で見逃したのだ。

普通は即処刑、その場で切り捨てられてもおかしくはなかったが、ここで俺の突出した能力が役に立った。
土魔法の適性。それも勇者に匹敵するほどの才を持ちおまけに槍の名手ともなればむざむざ殺すわけにもいかないのだろう。下手に追っ手をかければ被害は大きい、と判断したのか俺を懐柔する方法に転換したようだ。
事件を起こしたその夜のうちに俺の唯一の肉親たる妹が囚われた。
幸い、と言っていいのか陵辱された形跡はなかったが俺が裏切ればあっという間に犯し尽くされてしまう。そんな雰囲気があった。

だから俺はここに派遣された。
先ずは辺境の地で本当に裏切らないか試験的な意味合いの戦いに赴かせたのだろう。

鎖に繋がれた妹を見た時はその場の団員全てを血祭りにあげてやろうかとも思ったが、できなかった。その場の1人にガノンという男がいたからだ。
奴は元勇者にして、教団でも指折りの精鋭部隊『聖剣騎士団』を率いる猛者だったからだ。たとえ他の団員を殺せたとしてもあの男にだけは勝てない。そう感じさせるほど奴の覇気は凄まじかった。

…ともあれ、俺は今日やっと派遣先に到着した。


今までの道のりが木ばっかり見てきた覚えがあってなんとなく予想はしていたが、ブルジョワーズは絵に描いたような田舎町だった。
そもそも町と呼んでいいのか?と思うほど簡素で質素で汚い。
木で作られた申し訳程度のアーチには、掠れた文字でブルジョワーズと書かれた木の看板がぶら下げてあり、それを潜ると数えられるくらいの家々が疎らに点在するだけの場所。家は木製の普通の家で殆どが一階建てだ。外装は至る所にボロが出ていて見てて壊れないか心配になる。井戸は街の中心部に一つだけあったが、ボロボロでそこの水を飲んで何かの病気になりはしないかと不安になる。
ただ、これは後で聞いた話だが、この井戸には精霊がいるらしく水は清らかで美味しいのだとか。ならば何故あんなボロボロなのかというと近頃、精霊の力が衰えてきて修復ができなくなっているらしい。それなら村人が直せばいいと思ったが、なんでもその材料が無く、最近では税が上がり労働の時間が伸びたせいで誰もそんな暇はないという。

王といい領主といいつくづく統治力のない奴ばかりだと思う。…だが、教団に目をつけられた時点で終わっていると見ることもできるが。

何はともあれ俺はここに派遣された。到着が日の入り前だった為にとりあえず今日は宿に泊まることとなった。
みすぼらしい格好の痩せこけた老人…自称町長の案内で町唯一の宿へと案内された。

だが、ここも例に漏れずボロかった。
外装はもとより内装もところどころ剥げ落ちて汚らしい。場所によっては穴が空いていて外気が問答無用で流れ込んできていた。
今は冬だ。部屋に穴が開いていようものなら寒くてしょうがない。凍死できる自信がある。

皆口々に不満を零しながらも案内された部屋に入っていった。


俺も割り当てられた部屋に入り扉を閉める。…どうやら俺の部屋は幸運にも穴はないらしい。
ふぅ、と安堵のため息をついて装備を脱ぎ散らかしながらベッドに転がる。
その瞬間、かび臭いような生臭いような異臭が鼻をついたがなんとか息を浅くすることで耐える。布団もジメジメとしていて寝苦しいが気にしないように努めた。
ちなみに夕食は無い。この町に余裕がないので各自携帯している食料で今日は凌げと言われている。だけど上官の一部にだけは食事が用意されていた。
寝転がっていると上階の方から「こんな不味い飯が食えるかっ!」と上官の1人が声を荒げているのが聞こえてきた。
この援軍の大半は俺のような左遷された奴の集まりなので扱いもひどい。それを監視する名目で生粋の教団員が数名、上官としてついているがその誰もが私服を肥やした貴族どもなのであまり上官と部下の中は良くない。それどころか奴ら、事あるごとに俺たち平民を見下したり蔑んだりするから行軍中もストレスが絶えなかった。おまけに行軍の間は奴らだけ馬車だかを使っていたのだから呆気にとられて何も言えなかった。戦争を舐めてるんじゃないのか?

まあ、それも仕方ないとも思う。だって奴らは作戦中は後方でふんぞり返っているだけなのでその直属の配下が陣頭指揮を摂るのだ。
こいつらも貴族同様いけ好かない奴らだが、言い出せばキリがないので割愛する。

そうして色々と考えているうちに疲れからか睡魔が襲ってきて、俺はゆっくりと眠りについた。







「朝か。」

窓から差し込む朝日の眩しさで俺は目が覚めた。
しばしの夢遊の後に、のそのそと朝の支度を始める。なぜこんな早くから動いているのかと言われれば、昨日、上官であるクソ貴族から「明日は、先日ここの領主が捕らえた捕虜の確認に向かう。我が配下たる各隊の隊長と共に城に迎え!」と命令されてしまったからだ。それも朝早くから行くらしい。なんの嫌がらせかと言いたい。
当然、貴族どもはぐっすりと眠っている。正直叩き起こして叩き斬ってやりたい。だけど、これも妹の為と思えば致し方無し。願わくば俺が戻るまで穢されたりとかしてなきゃいいと思いたい。

宿屋の主人が用意した水で身体を拭き、顔を洗った俺は装備を着込み集合場所である広場まで向かった。




「遅いぞ、ケイン・ミルゲル!」

着いて早々怒られた。いや、時間はまだたっぷりとあるはずだが。

「集合場所には1時間は前から着いておけ。少なくとも俺が着く1時間前な。」

なんたる暴言。その間貴様はなにをしているのかと言いたい。恐らくは惰眠を貪っているのだろうが。

クソ隊長は勇者匹敵する才を持つ俺が気に入らないらしく当初からなにかと突っかかってきた。平凡過ぎる自分と比べて劣等感が沸き起こったのだろう。
この軍には何かと異常なほど実力者が揃っていてみんな人質をとられてここにいる。だからこんなゴミになにを言われても、なにをされても反撃はできない。せめて陰で文句を言い合うくらいだ。そういう愚痴大会を俺も何度か開いたことがある。

それを分かっているからみんな苦虫を噛み潰したような顔でジッと何かに耐えるように下を見ている。多分、視界に捉えた途端に殺してしまいそうになるのだろう。このクソ隊長がそれに気づいているのかは分からないが悠々と軍の規範のなんたるかをたっぷり語った後、ようやく出発となった。激しい時間の浪費だと思う。









出発から1時間、ようやっと城に着いた。
石造りの城は、まあ…街の方と同じく見窄らしかった。ただまあ一応、最近の教団からの援助で補修がなされたのか所々修繕の痕が見られる。門番をしている兵士も片方は領地の兵だが、もう片方は教団の者だ。装備や衣服の違いから一目瞭然だ。
現地の兵はボロい鎧と錆び錆びの槍を持っているが、教団の兵は綺麗な純白の教団衣と白い槍を持っていた。顔つきもどこか傲慢そうで目つきが悪い。

「おお、援軍とはマリノス殿が隊長を務めていたのか。」

目つきが悪い方がクソ隊長へと声をかけた。どうやら知り合いらしい。態度からして門番の方が地位は下か?

「おや、ガイグか。久しいな。」

などとクソ隊長も気分良く受け答えしている。
そうこうしているうちに両者は世間話を始めてしまい小一時間、門の前で待たされる羽目になった。貴族といいこいつといい、どれだけ悠長なのだろう。まさかこいつ戦争に参加したこととかないのか?それどころか戦いすら知らないように思える。

「おっと…そういえば捕虜にお会いになるのでしたな。しばしお待ちを。ここの領主に案内させます故。」

は?領主が案内とかなにを言ってるんだ?普通お前だろ。ていうかお前が案内したほうが早い。

「うむ。」

だが、クソ隊長は何を言うでもなく頷いた。
バカだ、こいつ生粋のバカだ。

それから数分ほどして慌ただしい足音と共に1人の痩せた男が現れた。

「お、お待たせいたしました。教団の方々。私はここの領主であるノイリス・ヴー」

「紹介はいい。早く案内しろ。」

男の言葉を遮って、クソ隊長が退屈そうに言った。…こ、こいつ!それが一領主に対する態度か!?酷く鬱陶しそうに領主を見ている。

領主の方も色褪せた貴族衣を震わせながらおどおどとしている。…こいつもダメだな。

そんな領主の案内のもと俺たちは城の地下へと案内された。薄暗い螺旋階段の先にはこれまた薄暗い、松明のみを光源とした陰鬱とした雰囲気の牢屋が並んでいた。

「こ、ここに捕らえた魔物を収監しておりますです、はい。」

領主のやつ、緊張し過ぎて口調がおかしくなっている。小心にもほどがあるだろ。


「ふん。」

クソ隊長の方はこれでもかと威張りながら並んだ牢屋の中を見て回っている。俺たちもその後に続いた。

牢には実に様々な魔物が囚われていた。だがその多くは比較的大人しい、人に無害な者が多く、おそらくは町や森で平和に暮らしていたやつらを無理やり連れてきたと推測できる。クソだな。

魔物たちは誰もが帯剣した俺たちに怯えて震えている。中にはしくしくと泣き始める者までいてどうにも居心地が悪い。

「…ふむ、こいつはなかなか。」

するとクソ(以下略)が一つの牢の前で止まった。
気になって中を覗いてみると、

「ぁ…ぅ…!」

1人の小さな女の子がいた。部屋の隅で縮こまってこっちを怯えた瞳で見つめている。一見すればただの少女だが、この娘、耳が長い。それ以外は普通の少女にしか見えないのだから見ていてつらい。容姿は10を越えたあたりに思えるが魔物というからには外見で年齢を測ることはできない。
そんな一見か弱そうな幼女を獣欲に塗れた瞳で凝視するのは我らが隊長さまだ。

「おいお前!こいつは私が直々に本国へ連れ帰る。牢から出せ。」

おいおい、正気か?こいつは…幼すぎるだろ。そういう趣味だったのかお前。

「は?…で、ですが。」

「私は教団本部の人間だぞ!いいから、とっとと出せ!!」

「は、はいぃ!」

突然の要求に一瞬戸惑った兵だったが、隊長の一喝ですぐに牢を開けた。この国の人間はつくづくメンタルが弱いと見える。領主を見たときから薄々感じてはいたが。

牢を開けた兵に強引に腕を引っ張られて連れ出せた魔物の少女は隊長の前に立つとカタカタと歯を鳴らしながら震え始めた。

どんだけいじめたんだよ…

俺の知ってる魔物といえば、戦場で揚々と男を漁ってるような逞しい奴らばかりなのだが、こういうのもいるらしい。魔物の中の一般庶民?みたいな位なのかもしれない。

「ぐふふふ…魔物め、私が直々に、たっぷりと、可愛がってやるからな。」

「ぁ…ぁ…!」

ドン引きだわ。なんだこのオヤジ、よく言ってて恥ずかしくならないな。こんなことを本気でいう奴がいるとは思わなかった。

その後、隊長は直属の部下に命じて彼女を宿へと連れ去った後、牢に囚われた他の魔物たちをじっくりと見て回り、更に2人の魔物を連れ出した。
1人は犬のような身体をしたこれまた小柄な魔物と、もう1人はさっきの少女がそのまま巨乳になったような容姿の魔物だった。…どんだけロリコン拗らせてんだよこいつ。



まるで奴隷取引のような視察を終え、俺たちが宿に戻ったのは夕刻だ。
なんで俺らまで連れて行かれたのかは謎だったが、同僚の話では護衛の意味があったらしい。曰く、隊長殿は教団内でも特に慎重な性格の持ち主らしく、内部の勢力争いの際も強かに立ち回って各勢力を渡り歩いた挙句に現在の地位を維持するに至ったとか。
正直、先の醜態を目の当たりにした俺としては信じ難いことだが事実なのだという。

…まあ、そんなことはどうでもいい。重要なのは宿に帰って早々に貴族から告げられた明日開始される掃討作戦のことだ。
本来なら長旅の疲れを今日1日休んで取るはずだったのだが、あのクソ隊長の性奴隷探しのせいで丸つぶれだ。
あいつは今頃、連れてきた魔物を慰み者にして楽しんでいる頃だろう。忌々しくて直ぐにでも斬り殺してやりたい。

現在俺は、自室としてあてがわれた部屋で装備の確認を行っている。明日、行われる作戦のために準備だけは怠ってはならない。正直に言ってあんな奴らの都合で魔物たちを狩りたくなどないが、妹の為にも逆らうことはできない。
魔物たちにも半端な覚悟で挑めばすぐに捕まってしまうだろう。

あいつら魔物を舐めてはいけない。彼女たちは人知を超えた力を持ち、年々その数も増え続けている。文字通り殺す気で掛からなければやられるのはこっちだ。

覚悟はある、いつでも殺す勇気は持っている。…もう逃がすこともしない。
だけど、せめて戦場で戦わせてほしいと願う。今日見た魔物たちのような戦いと無縁な奴らを一方的に蹂躙するような真似は絶対にしたくない。
それは最早戦争ではなく略奪だ。賊共と大差ない行いだ。
だが、昨日今日とこの地域を見てきた限りで言わせて貰えば、おそらく魔王軍の侵攻は行われていない。戦闘らしい戦闘も行われた様子は微塵も感じられなかった。
…たぶん、明日の戦いも俺の懸念した通りの有様になることだろう。
だから俺は今から再度、覚悟を決める。

「俺はもう逃げない、逃げられないんだ…。」

明日必ず…魔物を殺す。
















その日の深夜、俺は激しい物音と怒号によって目を覚ました。

「いったい何事だよ、こんな夜中に…。」

鬱陶しく思いながらも軽く武装して部屋を後にし音のする方へと歩く。するとー

「さっさと捕らえろ!このバカモン共がぁ!!」

上階からあのクソ隊長の怒声が鳴り響いてきた。

「おいおい、よりによってあいつかよ。」

いったい何をやらかしやがった?いろいろと思い当たる節があるが多すぎて特定できない。とりあえず現場へと向かうため俺は階段を駆け上がる。

階段を登ってすぐの上階の通路には俺のように軽装の同僚が数人立っていた。全員が剣を抜き放ち構えている。

「何があった!?」

「!ケイン!ちょうどよかった!今、マリノス…隊長が連れてきた魔物が逃げ回ってて…捕まえるの手伝ってくれ!」

「な、なにぃ!?」

あのバカ…早速、トラブル起こしやがったぜ。これじゃあさっき聞いた慎重な性格だという話もまったくもって信用ならなくなった。
よりによって作戦前夜に騒動を起こしてくれたあのクソを腹立たしく思いながらも、優先すべきは魔物の確保と判断し俺は同僚たちが見据える先へと目を向ける。

「でやぁぁぁぁ!!」

そこでは日中、城で見かけたあの耳の長い小さな魔物が斧を片手に武装した兵士数人を相手取って戦いを繰り広げていた。
だが、魔物は数の不利を物ともせずに善戦している。最初に見たときの怯えようは演技だったということか?そもそもが牢を出るための策か。

「あいつ…なかなかの動きをしやがる。」

複数振られる剣を右へ左へと身を翻して躱し、避けきれないものは上手にいなしながら刃を振るっている。とてもじゃないが、教団の腰抜け共には手に余る獲物だ。
今戦っているのが教団兵でなく俺たちだったらここまで翻弄されはしないだろう。
そこまで考えて、なぜこいつらが捕まえにいかないのかと疑問に思った。

「お前らは行かないのかよ?」

「いや俺たちは…なんというか、捕まえ辛いというか。」

「まさか…ここまで来て怖気付いちまったのか?」

「…そうかもな。いざ目の前にすると刃を向けるのが躊躇われる。…こんなんじゃ娘を救うこともできやしない。」

そう言って同僚の1人が肩を落とした。

要は、不運な身の上のあの魔物たちに情が湧いてしまったらしい。だから教団兵に加勢することもできず、かといって無視するわけにもいかず…と迷っているようだ。

分からなくもない。俺だって出来ることならあんなゴミに犯されて欲しいとは思っていない。だけど、ここで取り逃せば人質はどうなる?
俺はまだ平気かもしれないが、お前ら違うだろ。正直に言って俺と彼らとは教団にとっての重要度が違う。何かあったときに真っ先に切り捨てられるのはおまえたちだ。此の期に及んで迷うことなんかあるはずがない。あってはならない。

「…なら、俺がいくしかないか。」

だったら、俺がやろう。あいつらが出来ないなら俺がやる。ブルジョワーズまでの道中を共にした仲だ。多少なりとも情はある。
だから俺はあいつらの代わりに魔物を捕らえる。

昔、故郷の村で賊ども狩っていた時のように心を無にする。冷たく、凍えるような冷酷な気持ちに切り替えて教団兵と戦う魔物のもとに近づいていく。

「くそ!この魔物風情が!!」

その最中、兵の1人が隙をついて魔法を放つ。

「ぐわっ!?」

火球が魔物の横腹に当たって炸裂する。肌が焼け、肉の焦げた匂いが鼻をついた。魔物を見ると魔法を受けたところから赤黒いものがだらだらと流れ出ている。
さしもの魔物も至近距離から撃たれれば深手を負ってしまうようだ。

その時、俺の中で迷いが生じた。
本当に彼女を傷付けていいのかと。

「バカバカしい…やることに違いはない。」

殺すわけじゃないんだ。それよりももっとひどい、奴隷としての人生を彼女に与えるだけ……。

「だから…なんだ。」

今更迷っているのか?あいつらに言ったそのまんまの状態じゃないか俺。人のこと言えないな。

そんな悠長に迷っている内にも魔物は腹部に負った傷に痛みを堪えて必死に抵抗している。戦えているように見えるが、その顔は苦渋に歪んでいる。

「ば、バカ者!傷をつけるな!!絶対に殺してはならん!…死んだら何のためにわざわざ城まで出向いたのか。」

バカが何か喚いているが無視しよう。…だが、確かに奴の言葉も一部は納得できる。教団兵が彼女を傷つけたのは些か早計だ。あの傷では早く手当をしないと死んでしまう。魔物の生命力がいかほどかは知らんが、腹部を裂かれて死なないはずはない。

俺が教団兵に注意を促そうとした時、クソ隊長が気になることを言った。

「そいつが最後なのだ!絶対に逃すなよ!」

最後?あの2人はどうしたのだ。

「おい!他の二体はどこに!?」

「なんだ貴様!何者だ!」

外野で暇そうにしていた…というかあの戦いに入れないような腰抜けの教団兵に声をかけるとそう返された。
おいおい、何者もなにもあんたらに連れてこられた兵だろ。

「…遠征軍の兵に決まってるだろ。それよりどうなんだ?」

「ふん…下っ端風情が何をー」

「いいから答えろっつってんだろ!!」

「っ!…忌々しいが、そこの魔物に逃がされた。」

渋々、教団兵が答えた内容はこうだ。

まず、あのクソが連れてきた魔物を早速今夜の相手にしようとしたところ、突然、あの魔物が暴れ出し、その隙に他の2人にまんまと逃げられたということらしい。
運悪く?というかなんというか、部屋の前には誰もおらず、物音に気づいて教団兵が駆けつけた時にはもう2人は逃げた後だったらしい。
部屋の中にもやつの他に直属の部下が1人しか居なかったため、あっさり抜かれたとか。

ちょっと笑ってしまった。たぶん、情事の時の音を聞かれたくなかったとかそういう理由だろうけど幾ら何でも無防備だったと思う。本当に策略で勢力争いを乗り切った人物なんだろうか?今日一日だけですごい数の失態を見せてくれている。

まあ、でも今はとにかくあの傷を治してやらないといけないので奴を捕らえることにする。

「どけ、お前ら!!俺がやる!」

槍を構えて教団兵に大声で告げた。
一瞬、怪訝そうな顔をされたが、やつらも俺の実力は知っているのですぐに離れた。
理解が早くて助かるよ。

「さて、お嬢ちゃん。悪いけど大人しく捕まってくれないかな?」

油断なく槍を構えながら魔物へと告げる。

「なにをバカな…あのような豚に抱かれるくらいなら死んだほうがマシです!」

そらそうだ。

「…まあ、お気の毒としか言えないが、お前その傷はまずいだろ。さっさと降伏して治してもらえよ。」

「言ったはずです。あのようなゴミに犯されるくらいなら死を選ぶと!」

それはまあ肝の座ったことで。
だが、こちらも仕事だ。手は抜けない。

「そうか。なら仕方ないな、全力で叩きのめしてやる。」

「望むところ!」

槍を下に構えたまま、俺は疾走した。

「っ!?は、速い!!」

驚く彼女だが、その間に俺は彼女の目の前まで一気に近づき素早く武器を叩きおとすとその勢いで彼女を組み伏せた。

「ぐっ!?」

「大人しくしてな、下手に動けば骨の二、三本は折れちまう。」

力でどけようとするが、一度決めてしまえば外せない組み方をしているため無駄なことである。

おっと、一瞬ふわりと持ち上げられたがなんとか地面に押し付けた。魔物の馬鹿力はやはり侮れない。

「くっ…!殺せ!!」

なんか女騎士みたいなこと言い出した。

「バカ、そんなことしたら俺が怒られちまうよ。」

怒られるだけで済めばいいが、最悪、妹の身が危ない。迂闊に手は出せない。

「だから大人しく捕まってろや。」

「っ!…く、そ!」

少し殺気を込めて言うとようやく大人しくなった。殺せだなんだと言ってるがやっぱ中身は子供のようだ。…だから余計にやりにくい。

「おぉ、ケイン!でかしたぞ!」

俺の手際の良さに心を良くしたのかクソが満面の笑みで近寄ってきた。

「お褒めにあずかり恐縮です、隊長殿。」

心を無にしてからお辞儀をする。

すると、殊更に気分が良くなったのかクソはニコニコしながら頷いた。

「殊勝な心がけだなケイン。この任務が終わった暁には私の私兵に加えてやろう。」

死んでもお断りだボケ。

「…はっ、ありがたき幸せ。」

…とは言えないので適当に答えておく。というか隊長という階級のくせに貴族とかやり辛いんだよ馬鹿野郎。どういう態度で接したらいいのかわかんねぇ。
とりあえずは貴族として扱ったほうがこいつが喜びそうだ。

「うむ、ではそいつを引き渡せ。」

ったく、現金なやつだ。そんなにロリとヤりたいのか色ボケじじい。

「…。」

むかつくけど言われた通りに、縛り上げておいた魔物をクソに渡した。

「うっ…ぐす…。」

引き渡す時に彼女がひどく悲壮な表情で泣いているのが目に入った。

…バカか俺、迷いは捨てろと言っただろ。


「おねぇ…ちゃん。」

か細い声で彼女が呟く。…なんだ、姉がいるのか。そいつは今どうしてるのだろうな。やはり妹を思って悲しんでいるのか、怒っているのか。

そうか、こいつ妹なんだな。


妹、その単語に俺の唯一の肉親である妹の姿が浮かぶ。やがてそれは彼女と重なり合い…

「ああクソ…ほんと、考え無しだよなぁ俺って。」

…プチリと俺の中で何かが切れた。




「グフフ…お前の身体を隅々まで堪能してやるからな。」

「そうかい。…だけどそいつは無理な相談だぜ。」

突然、背後から響いた俺の声にびくりと震えてから振り向くクソの顔に思いっきり槍の柄を叩き込んだ。

「ぶへぇ!?」

情けない声をあげながらきりもみして吹っ飛ぶクソ。

「…え?」

その状況を見て目を丸くしているのは先ほど俺が捕らえた魔物だ。

「…いろいろ支離滅裂だと思うだろうが、とりあえず今は言うことを聞いてくれよ。」

それだけ伝えて俺はひょいと彼女を担ぎ上げると、未だ何が起きたのか分からずにいる教団兵の間を駆け抜け窓を突き破って外へと脱出した。

「…あ!と、捕らえろ!!」

一拍遅れて指示を飛ばした指揮官と思しき教団兵だったが、すでに遅し。俺たちは夕闇の中へと逃げ込んでいた。

16/08/15 19:52更新 / King Arthur
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