連載小説
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懐古
 少しばかり昔の話をしよう。

 とある精霊の話だ

 その精霊には大した力はなかった。
 彼女の持つ豊作をもたらす力とは、大地の精霊の力や水の精霊の力に比べれば微々たる力だ。もっとも大した力はないとは言っても、それは精霊の間の中での話であり、人から見ればまさに奇跡の業に等しい。

 そも、素朴な生活を細々と営む集落に住み着いていた精霊であれば、その力でさえ神格化され信仰の対象として崇められたとしても不思議ではなかった。

 女神という完全な結晶には程遠い、精霊の端くれのような彼女だったが、自らの力の及ばなさを自覚しつつ苦笑を持ってそれを受け入れた。
 それゆえか、己の至らなさを誰よりも理解している彼女は村人と混じって生活した。崇拝されれば人は盲目的となる、己の弱さを隠そうと思うのなら崇められる方が隠しやすい。己を隠さず、村人にありのままの姿を晒すことで自分を律することにしたのだ。
 当初こそ、精霊のあまりの粗暴さと能力に落胆した村人達はいた。しかし、彼らも時を重ねる毎に彼女に対する親近感というものを感じ始めた。

 不完全であるが故に、親近感を抱かせ
 親近感があるからこそ、女神として愛されることになった

 彼女もまた村人を愛したとしても、何も不思議は無かっただろう。

・・・

 眼が覚めた。むっくりと身体を起こして大きな欠伸を一つ。
 窓の外を見れば、小鳥が阿呆みたいに機嫌良さそうにチッチと騒いでいた。腹が空いているのは分かる、だが、だからと言っても少しぐらい我慢してくれ。たまにはノンビリと惰眠を貪らせて欲しい。
 行動に対しては結果を求めてしまう。それは極自然な流れだ。
 だが、結果をすぐに求めるのはよろしくない。一日で実りを迎えるなど外見だけで中身が伴うはずがなく、真に中身を伴った実りには十分な手間と時間を掛けてやらなくてはならない。それに実りの季節を迎えるには、まだしばしの時間が重要なのだ。

「って、そんな事言っても。 お前らが分かるわけねぇよな・・・」

 恨みがましい瞳でジッと見つめるが、視線が合うとパタパタと飛んで行ってしまった。
 目が覚めてしまったものは仕方ない、起きるか。
 半ば諦めにも似た感情を抱きつつベッドから降り着替え始める。軽く身体を解して、それから、顔を洗ってパンを齧りながら外に出る。
 外の空気は心地良く肺に浸透し、ゆっくりと意識を覚醒させる。見上げれば青い空、温かく柔らかな太陽の光が平等に降り注ぐ。

 今年も豊かな実りが期待できそうだ。

「おはようございます」
「おぅ、おはよ」

 ぼんやりと物思いに耽っていると、村の青年が丁寧に挨拶してきた。
 挨拶を返すと嬉しそうな表情を浮かべた。

「今日は村のお祭りなので、お迎えにあがりました」
「毎年毎年ご苦労なこった。別にわざわざ迎えにこなくったって、オレだってガキじゃねぇんだ。自分で行けるっつーの」
「そういうわけにはいきません。 精霊様には失礼のないように最大限のおもてなしをするように、村長からよく聞かされております」
「へーへー、あのジジイからね? 全く堅苦しいったらありゃしねぇよ、あのジジイ。 旨い酒飲んでさ、楽しく騒いでりゃオレはオッケーなわけ。 儀式だなんだ、なんてのはさ気持ちと名目が重要なんだって。 お前もそう思うだろ?」
「村長が聞いたら、怒りそうですね」
「年柄もなく怒ったら、あのジジイもぽっくり逝っちまいそうだ。 アイツもそろそろ自分の身体も気をつける年だろうな」
「自分では、まだまだ現役って言っていましたよ」
「現役か、笑わせてくれるぜ」

 精霊の家は村から少し離れた小高い丘の上にある。村の方が無論便利なのだが、村の全景を一望できるこの場所を自分の住処として選んだ。迎えにこずとも毎日のように遊びに来て、時に喧嘩しながらも村人と交友を深めている。
 ここに居ない村長の悪口をいうが、その言葉には嫌悪の色は無く、どこか親しみが篭っている。信頼しているからこそ、どんな罵詈雑言を浴びせても大丈夫、相手もちゃんとコチラの意を汲んでくれるとでも言いたげだ。もし仮に村長が居たとしても、精霊が今の言葉を撤回することもないだろうし、村長の方も一応憤慨こそすれ後々まで引き摺ることはないだろう。

「村長とは昔何かあったのですか?」
「あん?」

 ふと、気になって訊ねると精霊はいつの間にか道端でもいだ果実に齧り付こうとしながら振り返った。素っ頓狂な表情を浮かべていたが、それはすぐにニィっと意地の悪い笑みに変わる。
 口の端を上げると、キラリと鋭い牙が覗く。

「聞きたいか?」
「え、えぇ・・・ まぁ」

 あからさまな豹変に、青年は少しだけ戸惑った。
 その笑顔は女神や精霊というより、むしろ、悪戯好きな小悪魔に似ている。興味には勝てず頷くと満足気に頷いた。

「っつっても大したことねぇんだけどな。 アイツのガキの頃から見てるだけだし。 でも、まぁ・・・ 最初の初恋の相手はオレだったみたいだけどな」
「本当ですか!?」
「あぁ、でも、アイツがすげぇガキの時の話だぜ? 言うと今でも怒るけどな」

 腰の辺りに手をやり「これくらいの身長でな、あの時は可愛かったのに」なんて思い出しながらカラカラと屈託無く笑う。
 村の男は精霊に一度は恋をする。
 それはそうだ。挑戦的な眼差しと蟲惑的な表情、そして、悪戯好きその快活な性格は男達のある種の憧れであった。いくらお堅いと言われている村長でさえ、男であるのなら心惹かれないはずがない。
 如何にお堅い村長であっても、幼少の頃には彼女に憧れたことには変わりないのだろう。

「おっと、見えてきた。 やっぱり祭りは良いね、気分が盛り上がる」
「えぇ、一年に一度の貴女に捧げるための祭りですから。 是非楽しんで下さい」
「ハッ。 オレに捧げるなら、お前らも楽しまないとな? しみったれたツラをされたら、オレもつまらないからよ」

 村の入り口辺りで既に祭りの雰囲気を嗅ぎ取ったのか、精霊は振り返ってニッと口の端をあげると、そのまま村の中心の広場へと飛んで言ってしまった。精霊の出迎えを村長に言いつけられた青年は、彼女の後ろ姿を見送り苦笑を浮かべながら小さく溜め息をついた。
 これは、村長に怒られるかなと。

・・・

 祭りは明日から三日三晩騒ぎ通すという、他に類を見ないほどの盛大な祈願祭である。今日はその準備であり、本祭は明日から始まる。今日は、精霊の降臨ということで村長の家でご馳走が用意されているのだろう。精霊に去年の実りの感謝を捧げ、今年の豊穣を祈る祭りというが、実のところは質素で素朴な営みを続けている村の住人にとって、年に一度の憂さ晴らしなのだ。

 まったく、何様のつもりだ。

 風を切って村の中心へと飛ぶ、それほど長い距離の飛行でないがこれほど楽しい飛行はない。驚いて風が道を譲る。肌の上を滑る空気の流れが上気した身体に心地良い。
 広場に現れた急ごしらえのやぐら。平屋の家の群れから一つ飛び出て一際目立っていた。しっかりとそれに狙いを定め、最高速度のまま減速をかけずに翅を仕舞う。この身体は一つの空を駆ける弾丸となった。

 面白そうだから、準備から混ぜろってんだ

 盛大に、やぐらが爆ぜる。
 グラリ、と傾いだ。

 突然の事に一瞬悲鳴があがる。それから、ゆっくりと倒れていくやぐらの上に一人の人ならざる姿を見つけ、その悲鳴は別種の悲鳴となる。木が軋み、縄が千切れる。地面を打つ木材が盛大な拍手のようだ。

「よ」

 いかにも軽く。片手を挙げて、周囲の村人達に挨拶する。

「精霊様!? なんで!?」
「まだ、全然準備できてねぇから、まだ来たら駄目ですよ!」
「というか、壊さんといて下さい!」

「うっせー! お前らばっか用意してずりぃだろ! オレにもやらせろよ」

 突然現れた暴君に、村人は驚き戸惑いを隠せない。
 けれど、やはり長年の祭りの準備をしていた人間達は違う。いち早く忘我から復帰すると、暴君に向けて文句を言い始めた。だが、敵もさるもの、その程度の事で気を悪くするような小さな肝ではない。愉快気に笑うと、特に悪びれた様子もなく周囲を取り囲む村人達をグルリと見渡した。

「おぅ、そこのチビ助。 オレになんか文句あるのかよ」
「な、な、ないです!」

 乱暴な挨拶と手荒い歓迎。その様子を母親の陰に隠れながらも、じぃっと見つめていた少年に不良の如く絡む。勿論、やぐらを倒すような精霊に子供が対等な立場で話せるはずがない。

「ったく、折角オレが声掛けてやったのに、どういう教育してんだ?」
「あんまり苛めないで下さいよ、あの子は人見知りする子なんです。 アナタが恐いから、逃げてしまったでしょう?」
「はぁ? ふざけんなよ。 オレのどこが恐いんだよ? どっからどう見ても優しい精霊だろうが」
「いや、どっちかってーと悪霊?」
「ちょ・・・ てめぇ、お前んところだけ不作にしてやる」
「あー! 今のなし! 今年結婚したから、マジで勘弁して!」

・・・

 祭りの準備だというのに、祭りのような騒がしさで準備していく。手際よく、しかし、どこか浮き足だった風に。主賓なのだから、ゆっくりしてくれと言う声を無視して勝手に祭りの準備を手伝う。その甲斐あってか、日が暮れる頃には倒れたやぐらも修復が完了し、大方の準備が終わってしまった。予想よりも早く準備が終わると、自然と前夜祭のような流れとなる。

 が

 オレだけ仲間はずれだ。理由は言うまでもない。目の前に居る老人が頭痛を堪えるように額に人差し指を当てているからだ。
 無論、目の前にいるのはただのジジイじゃない。この村を治める頭領、即ち、村長である。折角、祭りの準備が終わり、さて、明日の本祭に向けて今夜は前哨戦だ、と気合いを入れようとしていたところなのに、オレだけ怒られて家まで呼ばれた。

「なんでさ・・・」

 今、アイツらの事だから居酒屋を貸しきって酒を浴びるように飲んでいるのだろう。オレだって、あいつ等と酒を一緒に飲みたかった。

「お前が行ったら、明日の料理まで手を出すだろう」
「・・・」

 一瞬、老人の一言にカチンと来たが反論できない。
 多分やる。酒が入ってたらまず間違いない。旨い酒を飲んだら、旨い料理を食いたくなる。世の中の真理だ。快楽こそが人生の楽しみであり、快楽こそが人生を輝かせ有意義なものとする。
 旨い料理をたらふく食い、気持ちの良い相手を抱く。それが全てだ。

「・・・なにが、問題なんだよ」
「大問題だ。 多少のつまみ食いはお前に捧げる供物である以上目を瞑るとしても、お前の場合は食い尽くすだろう。 オマケに、酒の勢いも相まって勝手に祭を始めるだろう」

 よく分かってらっしゃるようで。やりかねないというか・・・ 既に前科があるし。
 老人はワザとらしく溜め息を吐いて、それからコチラを見た。

「そのために今宵は、ここで晩餐を用意しておるのだよ」
「へぇ・・・」
「それに楽しみを待つ楽しみというのも、またオツなものだろう?」
「ケッ・・・ 小難しいことは嫌いでね。 説教は後だ、とりあえず食おうぜ? 冷めちまう」
「全く、欲求には素直な精霊だな」
「当然だ」

 楽しみを待つのは楽しくとも、目の前でお預けさせられるのは楽しいはずがない。旨いものは旨い時に食う。それが良いのだ。やれやれと呆れたように頭を振ったが、オレが欲求に素直なことはこの老人は十分知っている。結局諦めて晩餐は始まった。

・・・

 ワインやチーズに舌鼓を打つ。
 腐る直前が一番旨いと言うし、意図的に特定の菌を繁殖させた発酵食品というのが旨いというのは理解ができるのだが、燻製というのも食べてみるとこれが中々に捨てがたい。煙でいぶすなど煙臭くなってしまう長期保存のためだけの手法だと思っていたが、鼻腔の奥をくすぐる香りと舌の上を踊るほのかな苦味、そして凝縮された旨みがどうして馬鹿にできようか。
 人間と言うのは、中々に興味深い生き物だ。

「旨いな、コレ。 お前が作ったのか?」
「はい、精霊様のために私どもが腕によりをかけて料理しました。お気に召したのであれば、台所にまだ少々残っているのでお持ちしますよ」

 隣に控えていた女中に訊ねると嬉しそうに答えた。

「お、気が利くな。 ついでだから、椅子も持って来いよ、お前も一緒に食おうぜ?」
「え、ですが・・・ その・・・」
「良いって、気にすんなよ。 こういうのは皆で食うもんだろ?」

 飯は一緒に食ったほうが美味しい、女中も一緒に食おうと誘ったのだが中々首を縦に振ってくれない。暫く一緒に卓を囲もうと粘ったのだが、結局村長の一言によって断念せざるをえなかった。

 村人達はオレを必要としてくれる。
 オレも村人達に何かしてやりたい。
 村人達との関係は良好だ。
 一緒に居るとこの上なく楽しい。

 けれど、どうしてだろう。時折、寂しさを感じてしまう。同じ場所、同じ時間、同じ空気を吸っているのにも関わらず、どこか一人でポツンと居るような感覚だ。オレはこんなにも村人達を愛しているのに、村人達もこんなにもオレを歓迎してくれているのに・・・

・・・

 祭りが始まった。
 太鼓を打ち鳴らし、大声を上げて歌い、浴びるように酒を飲む。小さな村には似つかわしくないほどの盛大な祭りだ。命を一瞬で燃やし尽くすような激しさだ。何度見ても飽きることが無く、目の前に食いきれないほどの料理と、旨い酒が用意されていれば上機嫌にならないはずがない。
 目の前にある肉に齧り付き、舌の上に残った脂を酒で押し流す。

「貴女が・・・ この村の精霊ですか?」

 自らの胃袋を満たすために貪欲に食い散らかしていると、一人の青年がいた。
 近くの布で指先と口の周りを拭う。小さな村なので村人の顔と名前は全員覚えている。見慣れない青年だ。怪訝な表情が表に出たのか、青年は慌てて居住まいを正す。

「あ、すみません。申し遅れました。巡礼で世界各地を回っている、ディップと言います」
「へぇ・・・ 見た感じ正教の人間だけど、正教の人間がオレに何の用だい? 討伐?」
「・・・え!」

 からかうと、予想通り目を丸くした。
 我ながら意地が悪い。精霊に捧げるこの祭りは、正教の人間にとっては偶像崇拝に他ならない。正教が有形無形善悪問わず偶像崇拝を禁止しているのは知っている。一神教である正教にとって、自分達の神以外は全て悪魔や邪神なのだ。

「いや・・・ その・・・ 用、という訳ではないんですけど・・・」
「冗談だ。 気にすんな。 どうせ、村の連中に挨拶でもしていけと言われたんだろ?」

 討伐しに来る人間というのは、まとう気配が違う。自らの正義を疑う事なく、人々に救済の二文字を与えることだけを望んで、茨の道を迷うことなく決意を持っている。
 だが、この青年は自分を討伐しに来た風には見えない。むしろ、その逆。
 正教の教えの本質とは一体なんなのか、どうすれば人々を救うことができ、また自分も救われることができるのか、そんな迷いを背負っているように見える。
 からかったことを詫びて隣に座るように促すと、青年は恥ずかしそうな表情を浮かべながら頷き、遠慮勝ちに隣に座った。

「別にオレは精霊とか女神とかって言われてるけど、ちょっと人にできない事ができるだけで、ここの連中が好きだからそれを使って世話焼いているだけだしな。 お前が何を信じてようがコッチに迷惑かけなきゃ気にしねぇよ」
「・・・はぁ」
「ところで、食う? ここの村の名産だ。 他所から来ると少し癖が気になるかもしれねぇけど、慣れれば旨いぜ」
「あ、頂きます」

 咀嚼を再開しながら青年に言ってやると、不思議そうな表情を浮かべた。ついでなので手近にあったチーズの乗った皿を手渡す。青年は勧められるがままチーズを受け取り、そのまま口に運んだ。
 強烈な味に一瞬目を瞬かせたが、それから味を楽しむようにゆっくりと噛み締めている。

「どうだ?」
「最初はびっくりしましたけど、美味しいです。 色んなところを周りましたけど、こんなチーズは初めてです。 なんのチーズですか?」
「それ? 蛆虫チーズさ」

 表情が固まったのが面白かった。
 ほとんどと言って良い。普通に考えれば、蛆の湧いた食い物など腐る一歩手前以外の何物でもない。むしろ、蛆が湧いた食品を捨てるのが大部分の人間の行動だろう。少なくとも、仮に取り除いたとしても普通は食おうとしない。
 勿論、これはオレが教え、名産とさせた料理だ。
 使う蝿はオレが用意しているし、衛生面もキチンと考慮している。なによりも、オレがベルゼブブだったから信頼して食い始めたのだろう。
 今では村人達の欠かせない料理となり、また外から来た連中をからかい半分に食わせる料理となっている。

「あぁぁぁ・・・」
「馬鹿、大丈夫だって。 ここの連中は全員いつも食ってるからよ」

 隣で震えている青年の肩をバシバシと叩きながら言うのだが、見習い聖職者はやはり涙目で口を開けてなんともいえない表情を浮かべていた。
 コイツが本日の肴になったのは言うまでもない。

・・・

 従順な正教の人間は嗜好品を避ける傾向があるらしい。そのことは重々承知していたので。ディップが巡礼をするほどの熱心な正教徒であり地元の精霊とはいえ他宗教の祭である以上、多少食事は勧める事はあっても極力無理強いはしなかった。
 だが、ディップは一緒に居て食事を楽しみ、こちらに合わせて酒にも口をつけた。その姿が気に入った。
 酒の席が終われば一旦解散。三日三晩続く祭といっても流石に休まないとやっていけない。タイミングを見計らって、正教の青年に声を掛ける。

「お前、今日どこに泊まるの?」
「えぇ、何件か宿を回ってどこかに泊めていただこうかと思っております」
「へぇ・・・ でも、今日は無理かもしれねぇぞ? 祭の最中だからな、どこも宿は貸しきって一晩中飲んでると思うしな」
「それは、困りましたね・・・」
「しゃあねぇな。 オレが村長んとこに口利いてやるから、村長んとこに泊まれよ」
「良いんですか?」
「構いやしねぇよ。 そういう雑務をするのも、村長の仕事だろうがよ」

 青年は苦笑する。
 困っていれば誰かに頼っていいし、多少の無理な厄介事は押し付けたって構わない。だが、当然余裕があるのなら手を差し出してやるのは当たり前だし、無理な厄介事だって引き受けないといけない。それがこの村のルールだ。

「ここは良い村ですね」
「ったりめぇよ。 何せオレが見ているんだからな」

 どうしてこんな辺鄙な村に住み着いたのなんか忘れてしまった。
 多分、きっかけは些細な事だったのだと思う。多分、誰かに惚れたとか、怪我をした時に手当てしてもらったとか、その程度の事なのだと思う。いずれにしろ、きっかけなんてものは忘れてしまうほどに瑣末なことだ。
 この村が好きなのは、そういう理由じゃない。
 ただ、この連中と触れ合っていく内に段々と魅かれていったのだ。大きなきっかけがあったわけではないけれど、気が付いたら村の一部に組み込まれていた。例えるのなら、そんな感じ。それくらい、馬鹿みたいに優しい夢を見せてくれるこの村が気に入っている。

「村の人たちは優しく、雰囲気も温かい。 こんな村は、そうそうお目にかかれるものではありません。 粗野な精霊のお陰でしょうね。 私も、魔物や精霊達と争うことなく、誰もが笑顔で居られるような世界が欲しいです」
「ケッ、馬鹿共が勝手にオレの事を祀り上げただけだっつーの」

 村が素晴らしいと褒められたからか、それとも自分の手柄だと褒められたからか、カッと顔が熱くなる。けれど、少しだけ冷めた自分が居る。
 村が好きだ。村人が好きだ。それは間違いない。
 だから、村人に好かれるのはとても嬉しいし、誰かが村が素晴らしいと褒めてくれるのなら我が事のように嬉しい。

 けれど

 村人は精霊を好いていて、村が温かいのは精霊がいるから、と言われるととても複雑な気分になる。
 時折、自分を見てくれていないのではないか。もしかして、村人達が求めているのは自分という存在ではなく、自分という外枠を求めているのではないだろうかという不安が頭をもたげてくる。
 それは年を追う毎に積もっていくのだ。
 今年だって祭に“招待”された。
 違う、オレが望むのはそういう事じゃない。祭を捧げられたいわけじゃない。旨い酒をたらふく飲んで、美味しい料理を食い散らかしたいわけじゃない。オレは気の合う輩と楽しく馬鹿やって、今年も頑張ろうと一致団結したいのだ。だから、本当に一致団結できるのなら、一晩中馬鹿な話で盛り上がれるのなら、用意されていたのは水とパンだけだって良かったのだ。

 気が付けば、ディップが立ち止まりこちらの様子を見ていた。村の連中は、燃え上がる炎を明りに杯を交わしながら、明日に備えて軽く後片付けをしているのだろう。

「・・・オレ、ここに居て良いのかな?」
「?」

 だから、思わずポツリと漏らしてしまった。
 ディップが村の外の人間だから、思わず零してしまったのだろう。
 言った後に後悔する。
 長い間生きてきた以上オレだって様々な人間に出会ってきた。だから、それなりに人を見る目は培われていると思う。この阿呆は、困っている人間を放っておけない種類の人間だ。それが例え、極悪人だとか、自分に不利になる内容だとか、そんなことは関係ない。
 オレは、そういう人間が嫌いだ。
 いつも馬鹿を見るのはそういう人間だし、少しぐらい我侭になってくれねぇと、オレだってつい甘えたくなってしまうから。

「なんでもね」
「そうですか」

 短く告げると、ディップも何かを悟ったのかそれっきり黙った。
 無言で夜道を歩いていく。
 視線をどこに向けていいのか分からず、ただ空へと逃がす。見上げた空に浮かぶ孤独の月が、いやに明るい。

「神は・・・一人です。 神は、迷える子羊を見守ってくださいます」

 唐突に未熟な聖職者は言葉を紡いだ。
 その言葉はこの村の思想と相反する言葉である。ともすれば自分の存在を否定する言葉である。ただ、その言葉は聖職者として紡がれた言葉ではない。一個の人間として、向けられた言葉だ。
 その言葉は、ストンと胸に届いた。

「サンキュ」
「いえいえ」

 礼を言うと、ディップは微笑んで首を振り、代わりに指を組んで祈りを捧げた。やれやれ、正教は一神教ではなかったのだろうか、ましてや偶像崇拝、こりゃ打ち首もんだ。死ぬ前に盛大に村長にもてなしてもらわないとな。
 晴れやかな気分のまま、村長の待つ家へと向かって行った。

・・・

 村は栄えた。
 丁度、大きな町が出来たこともあり、その道の要所にあったのだろう。人が通過すれば金を落とす。金が落ちれば村は潤い、村が潤えば賑やかになり、賑やかになれば人が集まる。
 ごく自然な流れだ。

 ただ、人が集まるというのはそれだけ多様な思想が集まるという事だ。
 新しいものが入ってくれば元からあったものは段々と薄まっていく。それは色の付いた水に別の色の水を入れていくのに等しい。古い精霊の教えなんてものは、いつか忘れ去られてしまうだろう。
 それは良い。
 そのときはきっと、オレも精霊ではなく隣人として居られるのだから。

 けれど、違う色の水が入るという事は色が薄くなるのではなく、別物になるという事を理解していなかった。

 誰が悪かったわけでもない。
 古くから居た村人達は精霊を守ろうとしただけ。
 新しく来た人間達は村の発展を願っただけ。

 大切な物が違っただけなのだ。

 小さな隙間は罅となり、それが成長して亀裂が走り、やがて埋めがたい峡谷となった。
 その姿が悲しかった。
 優しかった村人達が剣を持つ。夢を語る青年が平和ではなく戦の神に祈る。

 だから、オレは悪魔へと身を落とした。
 村人達は悪魔に踊らされた哀れな子羊で、解放された村人達を傷つける必要は無く、討伐する必要があるとすれば、このオレだけだ。オレだけなら、逃げられる。

 そして、同時に初めて思い知った。

 本当に必要なのは神様なんかではない。
 所詮、神様なんてものは椅子に踏ん反り返る傍観者なのだ。
 悪魔ならできる。

 幾多の試練を持って人々に確固たる自我を与えよう。
 地獄の責め苦を持って人々に自ら立ち上がらせよう。
 恒久の平和を持って人々の魂を永劫に束縛しよう。

 悪魔は人の隣で囁き続ける。
 一緒に歩んで行くことのできる契約者を求めて。

・・・

 夢を見た。
 頭を振って起き上がる。
 視界に入って来たのは、天蓋付のベッド。周囲には高級家具が立ち並ぶ。

「あぁ、そうか・・・ 魔界に帰って来たんだっけ」

 見慣れた風景ではなく、見飽きた自分の部屋の風景に嘆息を吐く。

 自我は植えつけることができた、だが今回も適合が無かっただけだ。

 強いて言うのならトトが傍らに居るから、あの馬鹿は二度と間違った道を進むまい。それで良しとしよう。そう割り切ればなんとかなる。
 オレは新しい契約者を探せばいいだけだ。

「とはいえ・・・ これだけ失敗すると、ヘコムよな・・・」
11/07/12 00:32更新 / 佐藤 敏夫
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■作者メッセージ
久しぶりの投稿

長いこと書いていなかったので、若干話が齟齬を含みそうで恐い。
いやいや、いずれにしろ話の設定はしっかりと作りこんでから話を進めるべきであったと反省。
拙い文ですが、このまま読んで頂ければ幸いでございます。

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