読切小説
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熱願一縷
 ひゅおん。どすり。ひゅおん。ぐちゃり。ひゅおん。ばちゃ。
 何度も、何度も、何度も、何度も、何度でも剣を振り下ろす。
 刃が腱を断ち斬るたびに、ワタシの身體は淫らに声を上げる。
 刃が胸に突き立つたびに、ワタシの背筋がぞくぞくと震える。
 刃が腹を引き裂くたびに、ワタシの子宮がびりびり熱くなる。
 刃が額を叩き割るたびに、ワタシの欲望が不満足に充ちゆく。

 ああ、ああ、ワタシはなんで斬ってるんだっけ。
 気持ちいい。そうだ、気持ちいいんだ。肉を斬るだけで気持ちいい。
 なんで気持ちいいんだろう。肉を斬ると、その顔が気持ちよさそうだから?
 お母さんもお父さんも、人に求められる愛される良い人になりなさいと言っていた。
 きっとこれがそうなんだ。気持ちいいことはいいことだから。
 それに、お父さんも肉を斬っていたんだから、ワタシも肉を斬るのは当たり前だよね。
 でも、お父さんは肉を斬るのが気持ちいいことだなんてちっとも教えてくれなかったな。

 肉を斬ると、その肉は人になる。それもいいことだと思う。
 だから肉を斬るんだ。私は良い人になるんだから、肉を人にしてあげるんだ。
 人にしてあげたあとは、みんな笑顔でありがとうと言ってくれる。
 ありがとうって言葉はいい言葉だ。だからワタシは、いいことをしてるんだ。
 毎日いいことをすれば、それだけワタシもいい人になれるんだよね。

 四肢の腱を斬り、心臓を突き、腹を裂き、額を割り、肉が人になるまで剣を振るう。
 気持ちいい。気持ちいい。だけど少し、なにかが足りない。
 気持ちいいのに満足できない。ありがとうって言われても、ワタシは満足していない。
 人に刃を向けちゃダメだって教わってるから、肉が人になったら斬れない。
 もっと、もっと欲しい。ずきんずきんと熱を放つワタシは、逃げ出す肉の背中に近づき――――





 俗称「飢血の剣の女」は街を脅かしているお尋ね者の魔人鬼である。
 彼女の持つ赤黒い魔剣で斬られた者は例外なく魔物となるため、魔人の罪によってその首に賞金がかけられている。一般的な殺人者や重犯罪者よりも二つほど上の高額な報酬だ。半年は遊びながらでも悠々と暮らすことのできる金額。そしてそれは、彼女が異常な危険さを持つことと早急な対処が求められていることを意味していた。
 衛兵隊や腕に覚えのある傭兵、狩人、魔術師などの大勢が協力して山狩りや夜中の警備などを行っても、彼女を捕らえることは依然としてかなわない。
 厳戒態勢の中で影すらも掴むことができないのに、毎日誰かが行方知れずとなっている。

 飢血の剣、という二つ名の命名元は目撃者からだ。
 娼館に務めているという目撃者は、一仕事を終えた夜に窓から外を眺めている際、倒れ込んだ人間と思しきものに幾度となく大ぶりの剣を振り下ろしている半裸の女性を見たという。その剣は赤黒く脈動し、斬っても血が出ていないことから、剣が血を吸っているのではないかというのだ。
 その上、斬られていた人間は急に起き出して女性に一礼し、何処かへと飛んでいったという。サキュバスのような羽によって、文字通り空へと。

 目撃報告から衛兵の行動は迅速かつ最適解だったが、しかし該当の犯罪者が神出鬼没というのでは捕まるものも捕まえられない。別口の犯罪者が見つかって、事件が何件か解決したのは僥倖だが、あくまでも対処しなくてはいけないのは飢血の剣の女だ。
 事態を重く見た衛兵隊は教団への救援を要請。人材不足の教団は勇者を一人派遣すれば事態の解決が可能だろうと概算し、招集に応じた中堅の勇者を任務に当たらせた。


 ――そして、その勇者はといえば。

「オラッ吐け!吐くんだ!情状酌量の余地はあるから!島流し先っちょだけだから!」
「吐く前に折れます!ギブギブ!!お……折れるう〜〜〜〜〜〜!!」

 街の外の雑木林でオークにアームロックを極めていた。

「人体には骨が百本とか二百本とかあるんだよ!腕の一本くらい大丈夫大丈夫!」
「わかりましたから緩めて!逃げませんからー!なんならパンツも上げますから離してぇー!」
「え、マジで?乱暴働いてゴメンな……話がわかるんだな……」
「パンツで絆されるのかよ!」

 ぱっと解放されたオークは尻もちをついて、涙目で目前の勇者を眺める。
 軽装の鎧で身を固めた青年。一見ただの冒険者に思えるが、その実力は桁違いだ。戦いに身を置いているものや魔物であればすぐに察知できる威容。オークは既に逃亡を諦めていた。
 しかし妙な人物だなとオークは思う。勇者ならもっと豪華な装備をしていてもいいはずなのに、佩いている剣も身につけている鎧もごく普通のものなのだ。戦闘や探索に役立つルーンの一つくらい、魔術刻印されていたとしてもおかしくはないのに――。
 しかしオークにとっては勇者の真贋などどうでもいい問題であった。

「およよ……あたしもついに処女を散らすのね……」
「いや、そういうのはいいから。お前は守備範囲外」
「デリカシー!モア・デリカシー!フォー乙女!ていうか守備範囲外でもパンツ欲しがるの!?」
「男はな……心に決めた恋人がいても、それはそれとして隣の家のねーちゃんの裸想像してオナニーしたりするものなんだよ。ズリネタは別腹なんだ」
「そんな情報はいらなかった……」

 オークはがっくりと肩を落とし、再度勇者を見上げる。
 彼は既にオークに対しての興味をなくし、周囲を観察していた。

「そういえば、勇者さんはどうしてこんなところにいるんですか?」
「あ?ああ……まあ、待ち人みたいなもんだな。もしかしたら俺、いきなり消えるかもしれないけど、逃げるなよ。地の果てまで追いかけて島流ししてやるからな」
「そんなー。一思いに娶ってくださいよー。ていうかなんで島流しなんですか?てっきり人間さんに捕まったら牢屋に入れられていやんあふんくっ殺せだと思ってたんですけど」
「生存戦略だよ、単純に言えばな。俺は主神から加護を授かった勇者だけど、魔王軍に目をつけられたくない。魔物を殺したりひどいことした勇者の末路、知ってるか?冥界の媚薬池地獄だぜ。感度三千倍でおほおおおとか言わされちゃうんだぜ。お尻にもひどいことされちゃうんだぜ」
「ひ、ひええ……なるほどです」

 この勇者は下手に狙われたりしないように、あえて魔物を生かしているのだ。
 しかし教団や信奉者から睨まれることも避けなければいけない。そのため、刑としても採用されている島流しを魔物たちに行っているわけだ。人間と違って魔物は強靭なため、島流し先でもやっていけることは目に見えている。彼自身の心的負担も非常に軽いだろう。

「えーと、それじゃあたしは勇者さんの待ち人が来るまでここで待機ですか?」
「そうだな。もし来たら、ついでに観戦もしていっていいぞ。友達に自慢できるだろ」
「ほんとですか?わーい。でも観戦ってなんです?ここでバトっちゃうんですか?果たし状?」
「いや、違う。俺は飢血の剣の女を待っている」
「え……?」

 オークはその言葉にはてなを浮かべ、彼と同じように周囲を伺った。
 しかし、ここは変哲のないただの雑木林だ。街のそばにあるというだけで、この場所に件の犯罪者が現れるとは到底考えられない。オークの鼻にも耳にも、異常は何一つ察知できなかった。

「えと、それってよく人間さんが噂話してるアレですよね?」
「ああ、たぶんその想像で合ってる。それを待ってるだけだ」
「えーと……その、たぶん、こんなところには来ないと思いますけど……」
「かもな。だけど、そうじゃないかもしれない。いいか、確率ってのは、当たりか外れかなんて結果が出るまで誰にもわからないんだぜ」
「へ?あの、それはどういう……」

 その時だった。
 勇者とオークは同時に同じ方向を向き、身構えた。一瞬遅れて、その方角から薙ぎ払われた剣の風圧が襲い来たり、二人の身体を弾き飛ばそうと叩いた。不意打ちであればどんな熟達した戦士でも転倒させられたであろうその威力に、勇者は口笛を吹く。
 オークもギリギリで転倒を免れたが、視線の先のソレには魔物の身であっても武器を向けざるを得ないと判断する。自らでは太刀打ちできない相手。されど背中を向ければ首を刈られる相手。

 ――その剣は紅い瞳を爛々と輝かせて、夜闇に二つの残光を描いていた。
 そう、剣だった。月光が照らす木立の狭間に、剣を引きずる剣の姿があった。
 三日月のように歪んだ口唇。開ききった瞳孔。体全体を走る赤黒い硬質な魔力装甲。
 迸る狂気が、勇者とオークに容赦なく吹き付ける。

「……なあ、相手が想像以上にヤバかった場合って、お前はどうする?」
「どっ、どうするもこうするも!逃げましょ勇者さん!いや逃げたら死にそうですが!」
「なるほどな。巻き添え食ったら寝覚め悪いし、特別に逃げてもいいぞ。後で請求書持ってくから」
「え、ゆ、勇者さんはどうするんですか!まずいですよアレは!」

 旧魔王時代に鍛造された、あらゆるものを殺し尽くすための魔剣。それは例外なく、その使い手すらも殺す魔剣だった。喰った魂の数など、恐らく誰も覚えることはできなかったのだろう。数える前に斬り殺されていたのだから。
 現魔王に代替わりしたあとでも、その有り様は変化していても本質は同じだ。人を斬る。ただそれだけの剣。故に魔剣。
 ――なにが故に魔剣だ。

「え?」

 オークは思わず、小さく何事かを呟いた勇者の顔を伺って、後悔した。
 ああ、やはり人間の考えることなんて理解できないかもしれない。だって、彼もアレと同じように嗤っているのだ。心底楽しそうに嬉しそうに、まるで良いことがあったかのように。

「逃げたいなら逃げていい。どうにも奴は、お前より俺のほうに興味を示してるみたいだしな」
「……そ、そうですか。じゃあ、遠慮なくっ!」

 ついていけないと判断したオークは脇目も振らずに、一直線に雑木林の中を逃げていった。
 どっちも異常だ。ただのオークにはいっぺんも理解できない存在。関わり合いになったとしても不幸にしかならないのは明白。結局のところ、逃げることしか選択肢に残されていなかった。
 ただ、どちらかが勝つまでは二人は戦うだろうというのは容易に想像がついた。それならば、彼に勝ってほしいと願う。でなければあの剣は、オークにも向けてくるはずだろうから。



***

 今日のお月さまは顔を見せてくれてるけど、できれば隠れていてほしかった。
 ワタシにはもう、お月さまもお日さまもいらない。
 明るくても暗くても見えるなら、肉がワタシを見えないようにするほうがいい。
 だけど、まあ――それならそれで、構わない。毎日、いいこと、しなくちゃだから。
 いつも忙しそうにしていたお母さんは、冬の寒さで冷たくても水で洗濯していた。
 だったらワタシも、お月さまが出てるからって理由でやめちゃいけない。
 ワタシは、いい子にならなくちゃいけない。ワガママいっちゃいけないんだ。

 肉が逃げてもすぐ動けるように気をつけながら歩いていくと、肉が剣を構えた。
 堂に入った構えだった。今までも肉に抵抗されることはあったけど……。
 なんでもいい。最後には肉じゃなくなるんだから、どうでもよかった。

「おぐひめまかならんさ?」

 ……肉の言っていることは、やっぱりわからない。
 きっと話しかけてくれてるんだろうけど、支離滅裂な言葉にしか聞こえない。
 最初は外国の肉なのかな?って思ったけど、どの肉も変わらなかった。
 肉のままじゃお話できないんだよね。人にしてあげなくちゃ。

 足にぐっと力を込めて、一息で肉の眼前に迫る。
 肉はびっくりして、対応が間に合ってない。剣を構えるのがうまくてもこの程度か。
 そのまま、真っ二つにしようと大上段から振り下ろして――

「かうきさわ」

 ――剣は、地面を抉った。
 おかしい。今のは直撃したはず。防御もできてなかったはず。避けるなんて論外だったはず。
 なのに、肉は数歩後退してワタシの様子を観察している。……ありえない。
 再度駆け寄り、横に払う。獲っ、てない。命中していた切っ先は、またも空振った。
 魔法?その可能性はある。魔法を使ってきた肉は前にもいた。それなら、わかる。

 確実に当たるはずだった振りが二度も失敗した。それだけで戦い方を見極めるのは無理。
 これはむしろ、肉に攻撃させてはならないよね、と思った。
 だって、ワタシの剣が当たらなくて、肉の剣が当たったら――ワタシはいい子じゃない。
 怪我してお家に帰ると、いつもお母さんは怒った。無茶なことしちゃダメだ、って怒った。
 だから、怪我したらいい子じゃなくなる。それはダメなことだ。
 攻めて、攻めて攻めて攻めなきゃ――ワタシがいい子であるために。

 接近、斜めに振り上げる。当たったはずなのに、避けられる。
 左に避けたらしい肉に向かって、また横薙ぎ。外れ、何故か背後にいる。
 わからない。肉に剣を斬りつけられない。それがなんでできないのか、わからない。
 何事かを呟いて斬りかかってくる肉に、慌てて振り向いて弾こうとする。
 だけど――それも、できない。上段からの剣戟は、ワタシが防御しようとした直前に下段からの振り上げへと変化する。しまった、と防御が間に合わずに、肉の拳がワタシの剣の目を捉えた。

 全身に走る激痛。深まる肉の謎。
 なぜ。なぜ。なぜ。頭の中をそればかりが駆け巡って、殴られた勢いそのままによたよたと後ずさる。ワタシの剣に傷はないけど、ダメージを追った剣の目が閉じてしまう。
 肉からの追撃はなく、だけど肉は油断せずに構えを維持して。

「――おい、これで聞こえるか?」

 え。
 肉が、声を発した。ワタシに理解できる声を。
 動揺して、う、あ、と唇が震える。ワタシと人以外の、声。

「聞こえてるみたいだな。どうせアレだろ、なんで聞こえるんだって聞きたいんだろ?俺もちょっといまいち理解できてないんだが、アレじゃないか……日テレからテレ東にチャンネル変えた、みたいなさ。いやわかんねーなこの例えは」
「え、え……?」

 わからないことが増えていく。
 肉の言っている意味もわからない。なんで聞こえてるのかわからない。なんで剣が当たらないのかわからないし、なんで防御できないのかもわからない。

「ま、ありがちだろ。周波数変えりゃ聞こえる放送局も変わる。一か八かの賭けだったんだが……人様の考えることなんざパターンだからな。まさか一発目でヒットするとは思わなかったけど」
「ぱ、パターン……?に、肉、お前、肉じゃないのか?」
「は?肉だぁ?うーん、まあ肉だよなぁ……動物はみんな肉だし……」

 その口ぶりは、肉だと言われ慣れてないよう。
 でも、そんなのおかしい。肉は肉だから、肉も自分のことを肉だと思ってるはずだ。
 もしも、もしも。肉は、ひょっとして肉じゃないとしたら。
 肉が、肉じゃなかった、というのなら。

「お、お前は、なんなんだ……」
「なんなんだーって言われてもな……決まってるだろ」

 ――俺は俺だよ。

 ……は?
 首を傾げる。

「……待って。そこで首を傾げないで。今めっちゃかっこよくキメたつもりだから。待って、不思議そうにこっち見ないで恥ずかしくなるから!やめっ、やめろぉー!」

 肉、……俺、とかいうのは、あわあわと片手で顔面を抑えながら身を捩る。
 なんなんだろう……たぶん、ただの肉じゃないのは確かだと思う。よくわからない……。
 ひとしきり恥ずかしがったあと、それはこほんと咳払いを一つする。

「そうだった。俺にはこういうときのための、もっとかっこよく名乗りを上げるためのセリフを考えていたんだった。せっかくこう、勇者なんて大層なアレなんだからやっぱ名乗らないとな」
「名……?お前の、名は……?」

 肉に名前があったとは思わなかったし、知らなかった。
 だから、特に考えることもせずに聞いた。
 だけどそれは待ってましたとサムズアップして、ぐるんと一回転。
 そうして腕を十字に重ねながら剣を斜めに下げ、意気揚々と声を発する。

「悪逆を為す魔物よ、脅かされ竦む民草よ、あらゆるものは聞くがいい!
 ある者は自在閃刃と呼び!ある者は位相の振幅限界者と呼ぶ!
 故に捉える者はなく!また避けられる者もあり得ない!
 千変万化の可能性の観測手!……あ、やべ、ええと……」

 長い口上の途中で構えを崩し、頬を掻く。
 急に黙りこくったので、ワタシはそれが名乗りなのだと思った。

「……それで、ワタシはお前をなんて呼べばいい。自在閃刃?」
「ひょ、おま、いや名乗ってる最中でしょうが!ダメでしょ!ライダーが変身してる時に攻撃するショッカーいなかったでしょ!やめてよ!あああああ恥ずかしい!!」
「恥ずかしい?そう呼ぶって……」
「んんんんんん!!さっきのはナシ!忘れて!ちゃんと覚えてくるからそれまで忘れてて!!」

 さらにわからないことが増えた。
 なんだかイライラしてきた。人に名前を聞かれたらちゃんと答えないといい子じゃないのに。

「ていうかね、人に名前を聞く前にまず自分からって言うじゃん!?そうだよ!そっちからまず名乗って、はい!頼む!」
「そうなの……?ワタシ、は、……剣だよ。ただの剣。肉を斬って人にするための、剣。ワタシはそれだけだから。名前も、二つ名も、ない」
「……!!!か、かっこいい……」

 それは膝をついて、悔しそうに顔を歪めた。なんでそうしてるかはわからない。

「それで、ワタシはお前をなんて呼べば……」
「あ、もういいです。もう、なんか、負けたんで。勇者とか、お前とか、てきとーにしてください……俺にはまだまだ厨二病力が足りなかったんだ……」

 負けた?まだどっちも倒れたわけじゃないのに、なんでワタシは勝ったことになったんだろう。
 気を取り直して、勇者に再度訪ねてみる。

「お前は、なんで当たらない……?さっきも、防いだのに、どうして当たったんだ……?」
「お。それなら喜んで答えよう。えーと、まず大前提としてシュレディンガーの猫っていう話から始めてみようか。ちょっと長くなるけど時間大丈夫?待ち合わせとかしてる?してねーよな」
「長くなるなら、わからなくなると思うから……短くして」
「あ、はい……じゃあ簡単に言いますよ。避けたのは、避けられる可能性があったから。当たったのは、当てられる可能性があったから。それでどーすかね。これ以上わかりやすくは無理だぞ」
「は……?」

 可能性があったから?
 それは、つまり……ほぼ無敵、じゃないのか?

「無理なものは無理だぜ。避けられる可能性がなければ避けられない。超デカい範囲魔法とか視界内攻撃とかだと、どうやっても避けられないなら当たる。精神系の魔法とか呪術とかも防げない。だが、小数点以下の儚いものだとしても、可能性があるのなら引き寄せられる」
「……ッ、じゃあ、ワタシは……!」
「そうだな。肉弾戦相手はとてつもなく相性がいい。せいぜいそこ止まりだから俺は中堅なんて言われてるんだけどな。チートなんて夢のまた夢だっつーの。いいアイデアだと思ったけどな」

 勝てない。
 その事実が、ワタシを逃走させようとして。

「逃げても無駄だ。追いつく可能性があるなら、俺はお前を捕まえられる。別に殺すつもりとかはないけどさ……まだ死にたくないし……」

 どうしようもない、と言い渡される。
 ここまで、か。きっとワタシは、肉に恨まれている。捕まったら、どっちにせよ終わりだ。
 勇者はこっちへ近づいてきて、布のようなものをワタシの剣に巻きつける。
 ああ、歯止めだろうか。このままワタシを連行するのだろう。
 ごめんなさい、お父さん、お母さん。ワタシはきっと、そっちへ行けない――。

 諦めかけたところで、目の前の地面に袋が投げ置かれる。
 ちゃりんちゃりん、という軽い金属音。

「それでどこへなりとでも行けばいい。全身を外套で隠して剣をしまってればバレないはずだ。そうだな、ドラゴニアとかいいぞ。あそこの温泉は男だとスリリングなんだが、女性にとっては天国だろうからな。疲れた心を癒やすといい、カースドソード」
「……え……?」

 思わず勇者を見上げる。
 彼は照れくさそうにそっぽを向きながら、クロークを取り出してワタシに差し出していた。

「だいたいなんとなくだが、わかんだよお前のこと。それに、お前は少なくとも近頃は悪さなんかしてない。チャンネルを今の状態で慣らしとけばすぐにまともになる。まあ、人斬りはやめらんないと思うが……そのうちいい男ができるだろ。こんな世界だし」
「なに、を……え、ぁ……?」
「何度も言わせんな。俺はお前を罰さない。しばらくの間どっかに身を隠して、楽しく遊んでな。ああ、金稼ぎついでに合法的に人を斬れる手段として、コロッセオで剣闘士やるなんてのもいいんじゃねえかな。あそこは人も魔物も分け隔てなく募集してるから」

 勇者は屈み込み、ワタシの身体にクロークを着せる。
 それは、人肌の熱を持っていて……暖かくて、それに、嬉しいものだった。
 いつもいつもいい子であろうとしたワタシを包む、認めてくれる暖かさ。

「ワタシ、ワタシ……は……いい子、なの……?」
「さあ、それを判断するのは俺じゃない。だけどまあ、強いて言うなら……お前がいい子である可能性があるなら、それを信じてもいいんじゃねえの」

 その言葉を聞いて、安心して。
 今までいい子でなくちゃいけなかった身体が、ようやく満足できたような気がして。
 ――――溢れ出す涙は、いつまでも止まらなかった。





☆☆☆


「あの子、どうなったんですか?」
「さあな。そんなこと俺に聞くなよ。今頃どこかでデーモン量産してるんだろうさ。あるいはできた男としっぽりしてるかもだ」
「ちょっとー、そういうこと言っちゃダメな身分なんじゃないですかー?ま、まあ、あたしと幸せになるなら勇者なんてやめても……」
「あ、俺彼女できたから。ほら、挨拶しな」
「えへ、もうお兄ちゃんったらー」
「……ろ、ロリコン趣味だったの……そりゃあたしは守備範囲外だよ……くすん」
「じゃ、そういうことで。……ああ、もしあいつに会えたら、伝えておいてくれ」
「ん?いいですけど、何をです?」
「お前はやっぱり、いい子だったよ、ってな」



 ――――――――その剣の来歴には、まず鍛造方法が記されていた。
 曰く、幼い少女を炉に捧げよ。健気で幸福で、親に愛されているほどに良い。
 鍛冶師はそのようにして、この魔剣が顕現した。
 魔剣に宿った意思は、捧げられた少女のもの。剣の在り方は、ただ斬るのみ。故に魔剣。
 いい子であろうとした少女は、捻じ曲げられた認識によってひたすらに人を斬った。老人を斬った、幼子を斬った。恋知らぬ少女を斬った。人を守ろうとした青年を斬った。子を宿した女性を斬り、最愛の恋人を喪った男も斬った。ただそれだけが、捧げられた少女に残っているものだった。

 少女は決して救われることはなかった。自らが間違っていることも認識できず、自らは人ではないことも認識できず、自らが幸せであることも不幸であることも認識できなかった。
 もしも少女を救うとするなら、それは世界の在り方をすら変える必要があった。
 魔剣のことを魔王が知るわけはない。世界を変えるほどの魔力が結果的に無為となった少女を救ったのだとしても、それを知るものはいない。この奇跡は、数ある副産物の一つでしかない。

 ――――これはただの偶然が折り重なっただけの、必然の物語。
17/01/21 04:40更新 / 鍵山白煙

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