連載小説
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アリスの証言
 相島英は一限目の授業で使う教科書を取り出そうと机横にかけた鞄に手を伸ばして、視界の端に映った空席に目をとめた。
 席の主である鳴滝礼慈が姿を消してから今日で一月になる。

 初めに失踪を報せに来たのは生徒会長のルアナだった。
 彼女は礼慈の失踪を告げるのと同時に高等部に礼慈が連れ込んでいると噂になっていた美幼女、リリというらしい彼女もまた同時に行方をくらませたと説明した。
 すわ駆け落ちか。とにわかに教室がざわめいたものだが、補足に現れた教頭ちゃまの話によるとちょっと異世界に招かれた。とのことらしい。

 魔物たちに慣れているはずの英たちをもってしてもちょっと≠ナ異世界に招かれるって何……? と思ったものだった。

 礼慈たちが招かれたという異世界はどうやら魔物たちが元居た世界とはまた別の所のようで、リリムの内の一人が創った世界らしい。もはやこちらの世界の人間としては話の規模と概念が謎過ぎて開いた口が塞がらなかった。

 その世界――不思議の国というらしいが、そこに彼らは一組の番として招待されているという話だったので、つまりは礼慈もあの子との関係をそう定義したのだ。密かに親友を祝福したものだが、

(――俺と鏡花が公園で会った時点でもうほとんどそんな感じだったしな)

 あのリリというサキュバスらしき子と礼慈は今頃懇ろな時間を過ごしているのだろう。

 そのような事情なので彼らには今子作り休学が宛てられている。手続きを代行してくれたルアナは最近では仕事がたてこみはじめているのか、一日一回は教室に顔を出しては礼慈が戻ってきていないかを確認していた。

(まあ一月ってなると長いしな……このままこっちに戻って来ずに退学って線ももしかしたらあるのか?)

 不思議の国とやらは危険は無いが、ひたすらエロに特化した世界らしい。
 エロに特化。というのが具体的にどういうことなのかまでは分からないが、エロいことを一緒に楽しめる相手が居るのなら、それはそれは素晴らしい世界ということになるだろう。

「鳴滝君のことが心配ですか?」

 礼慈の机を眺めていたことに気づいた鏡花がすす、と近づいてきて気遣うように問いかけた。

「いや、まあ教頭ちゃまの話聞いた感じアレだったから心配はまったくしてないけどさ。もし例の世界に永住することに決めてても一言挨拶とかあると嬉しいかなとは思ってる」
「鳴滝君が英君に何も言わずにお引越しをするということはないと思いますよ」

 幼馴染で自らの番であるキキーモラはそれに、と続ける。

「二人で一緒に居る時にいきなり招かれた。というお話でしたから身の回りのものもそのままなのです。なら、必ず一度は戻ってきますよ」
「んー。まあ、そっか。戻ってくるなら生徒会の仕事があまり溜まらない内に戻ってきて欲しいな。ルアナ会長大変そうだし」
「その点は私がボランティア部として既にここ数日生徒会のお手伝いに入らせてもらっているので多少帰還が伸びても大丈夫ですよ」

 できた嫁で誇らしい。だが、

「とはいってもこれから文化祭に向けて仕事がどっと増えるわけだしな」

 ボランティア部は全学合同で行われる文化祭の各所への手伝いも行っていて、その働きぶりから例年引く手数多で手が足りなくなりがちだ。また文化祭が近付けば動き始める皆を取りまとめることになる生徒会は仕事が増える。加えて今年は全体のとりまとめを高等部が行う予定だ。忙しさもひとしおだろう。

 礼慈は生徒会室で酒盛するのが趣味のちょっとロックな奴だが、それはそれとして仕事はできるので彼が抜けた穴は割と無視できない。そんな彼の穴を埋めて、必要とあれば現場の手伝いにも出向かなければならなくなると考えると、自分の大切な片割れが大変なのではないかとそちらの方が心配だった。

「俺も力仕事なら手伝えるし、ボランティア部が忙しくなったら言ってくれ。そっちへの手伝いは剣道部内でも公認だし。ああそれと、俺個人へのマネージャーはしばらくお休みでいいから」

(本当はちょっと鏡花がとられちゃうみたいで嫌とか思ってます!)

 建前も大事だ。
 そう固く思う。

「ありがとうございます。ですけど、英君――旦那様のマネージメントは私の一番大切なお仕事なので、そこは絶対に譲れません!」
「ん、それはありがたいけど」
「心配してくれてありがとうございます。大丈夫です。パンクしないようにちゃんと調整はして、必要なら他の方にも頼りますから。
 あ、でも旦那様から離れてがんばる働き者のメイドにご褒美なんていただけると嬉しいです。なんて」

 鏡花はそういたずらっぽく笑んで言う。
 その笑みが示すことは、つまるところ英にとってもご褒美だ。

「それは、もう期待してくれていい」
「ありがとうございます」
「あー、こちらこそ」
「何のことでしょう」

 それはそれは嬉しそうに鏡花が言うあたり、こちらの悋気は読まれている気がする。
 対抗して今夜は少しいじわるに責めようかと考えていると、

 ――ピシ、と何かがひび割れるような音がした。

   ●

 和やかな朝の教室に一瞬空白ができる。
 気づけば教壇のある辺りに強い魔力が凝っていた。
 英は先程の音がその魔力が凝っている場所からしたことを把握。席を立つと鏡花を背後にかばうようにしつつ教室中に呼びかけた。

「教壇から離れろ!」

 魔物とインキュバスが大多数を占める教室の反応は迅速で、号令の下、皆が一斉に教壇から距離をとっていた。

 それぞれが防御手段を講じて、幾人かが魔法に明るい教頭ちゃまや他教師へ連絡を取り始める。
 またピシ、とひび割れるような音がして、今度は音だけでは終わらなかった。教壇手前の空間がひび割れたのだ。

 誰かが驚く声がして、教壇から皆が更に距離を取る。
 ひび割れは少しずつ空間を侵食し、教室の扉程にまで範囲を拡げると、ガラスが砕け散るような音と共に崩れ落ちた。

 空間が崩れ落ちた後には丸っとした穴が残った。
 穴の中は何やらピンク色のトンネルのようになっていて、奥行きがある。それは曲がりくねっており、向こう側を見通すことはできなかった。
 教室内のほとんどの人間が見たことがない現象に緊張を高め身構えた時――中から声が聞こえてきた。

『はぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ?!』

 反響して聞こえる声は叫びで、感情的だ。
 怒っているようにも聞こえるが、よく聴いてみるとそれは理不尽に対する抗議と諦めがないまぜになったようなちょっと哀愁漂う叫びで、

「っていうかこれ、礼慈の声じゃね?」

 英が口にした瞬間。穴から何かが落ちてきた。

   ●

 何か≠ヘトンネル内部と同じようなピンク色をした塊で、床にポヨン、といやに弾力のある着地音をさせて落ち着くと、それは溶けるように消えていって、内部に包んだものを顕にした。中からは礼慈と、その腕に抱かれたリリが現れた。

   ●

「っつ……」

 唸りながら礼慈は目を開けて、腕の中に居るリリに怪我がないのを確かめた。
 ピンクの繭に包まれてかなりの距離を勢いよく転がっていたようだったが、リリにも自分自身にも、怪我どころか痛みも無い。それどころかちょっと体の調子がよくなっているような気がする。少なくともついさっきまでリリとセックスしていた心地よい疲労感が、その心地よさだけ残して消失している。

 どういった理屈でそうなったのかは分からない。何日くらいになるのか時間感覚も怪しい間自分が居た不思議の国は、始終そんな不条理ともいえるような現象が起きていた。

「お兄さま……ここは?」

 自分たちがどこかに到着したことを理解したリリが呟く。彼女は不思議の国に居る間、その不条理の恩恵にあずかっていた。
 性的な体験、知識の記憶が消えてしまうはずの彼女は、不思議の国では記憶の消失が起きなかったのだ。
 現地の人たちの話では、不思議の国は常に交わっていることが常識な世界なので、アリスの身体も常に交わっていると認識しているとのことだった。
 交わり続けていると認識していれば記憶は失われない。という辺りはエロ本を読んで発情した後、続けて交わる時に本の内容を覚えていたことから何となく理解はできたのだが、

 もう一つ、それ以上に不思議で、嬉しいことにリリはそれまで喪失していた記憶を、あちらの国では全て思い出していた。
 それはもう相当驚いた。

(秘密基地から突然穴に落とされた先でいきなり全部思い出すとはな……)

 全てのアリスはやがて魔王の娘であるハートの女王が創り上げた不思議の国に招かれ、そこに適応することによってそれまで喪失した記憶を取り戻し、子を孕むことができるようになるのだという。
 まぐわったままぼんやりと睦言を交わしている時に不思議の国に拉致されたリリは訪問した瞬間に適応したということらしい。

 リリの身に起きた不思議の種明かしをしてくれたハートの女王は、また呼ぶ。と告げたのを別れの合図にして礼慈たちを呼び寄せた時と同様に空間にぶち開けた穴に落とした。
 その末に落ちたのがここだ。

(……ということは)

 礼慈は視線を周りに向ける。
 自分たちを囲むようにしていた何重もの魔力の障壁が薄れていき、ここがどこなのかはあっさり判明した。
 礼慈が通う教室だった。

(元々穴に落とされて不思議の国に行ったってのに、そこからまた落ちてここに来るのはなんでだ?)

 トリックアートを見せられた時のような納得のいかなさを感じるが、すぐに打ち消す。
 不思議の国はそもそもが世界を統べる法則が違う世界だった。そんな世界の道理を自分の中の常識に当てはめるものでもないだろう。

「……そうか、元の世界に戻ってきたのか」
「元の……?」
「ああ。どうやらあの女王様の所から俺が通ってる高等部の教室まで穴を繋げてくれたみたいだ」

 慣れ親しんだ世界への帰還を果たしたということを受け入れていき、肩の力が抜けるような安堵を得る。
 その中に一抹の残念が混ざっているのを感じて礼慈は口端を歪めた。

(これでまた、リリの記憶は消えてしまうのか)

 記憶を失うことがないリリとの睦み合いははじめて£mることに戸惑いながら快楽を受け入れていくというプロセスが無い分。不思議の国の特殊なハプニングや特産物の影響もあるだろうが、こちらの世界でしていた時よりもリリの負担が少ないように感じられた。

 もちろん、リリを気遣うことを怠る気は無い――実際、不思議の国の飲み物で子供に戻ろうと、犬になろうと、媚薬の池で遊泳する羽目になって発情を通り越して狂ったようになりながらもリリを傷つけるようなことはなかったが、記憶を重ねているからこそできる睦言というものもある。その機会が手元から遠のいてしまったことは少し残念だと思っていると、抱いていたリリが腕の中で声を上げた。

「レイジお兄さま……」
「どうした?」

 無意識に頭を撫でていた手を止めて問う。

「わたし、全部覚えています……っ」

 リリの言葉に、礼慈は瞠目した。

「覚えて……? 不思議の国の中のことをか?」
「はい! ハートの女王さまのお国のことも。それに、その前にお兄さまとすごした大切な時間も、全部……っ!」

 そう言ってリリは慈しむように下腹――礼慈が挿入した際にポコ、と膨らむ辺りに手を宛て、

「ここにお兄さまのおちんちんをもらったことも、今もお兄さまのセイがここにあることも……何度もはじめてをもらってくれて、そのたびにやさしくあいし合いかたを教えてくれたことも、わたし、覚えています」

 一瞬の驚きの後、礼慈に訪れたのは歓喜だった。
 リリを抱き締めて「そうか」と零す。

 思えば、あのちょっと困った女王様は、アリスの身体は不思議の国の中では常に交っていると認識するという話と共に、ハプニングを乗り越えて自分に謁見が叶ったあかつきにはアリスはもう常に番と結ばれているようなものだと言っていた。

「そうか……」

 ただの称号的なものかと思っていたが、あの発言はつまり、もう記憶は消えなくなったことを言っていたのだと、リリに言われてから理解する。
 女王がその辺りをはっきり言わなかったのは礼慈たちにもう少し逗留してもらいたかったからなのかもしれない。

(あの女王。えらい困ったちゃんだったけどただの構われたがりって感じだったし、領民もそんな認識だったしな)

 今度招かれる時があれば、その時はもっと遊んであげられれば女王も喜ぶだろうかと思っていると、突然現れた礼慈たちに対する驚きが覚めたらしいクラスメイトを代表して英が問いかけてきた。

「礼慈、あー、お帰り? 異世界旅行はどうだった?」
「だいたい話は伝わってるってことでいいのか?」
「まあ、生徒会長と教頭ちゃま経由で」
「そうか……ちなみに俺たちは何日居なくなってた?」
「今日でちょうど一月だ」
「結構長かったな」

 快楽が強すぎて意識が朦朧とするようなハプニングがあったせいで曖昧だった時間感覚を整える。かなり欠席したことになるが教頭ちゃまがその辺りを把握してくれているならば、会長が子作り休学を申請してくれているだろうし、学園はまだ退学にはなっていないだろう。彼女たちから説明も家族にされただろうからいきなり姿を消した自分たちだが、あまり大事にはなっていないと見て良い。
 とりあえず元の生活に戻るのに苦労はなさそうだと安心していると、「それよりも!」という声と共に手が挙がった。

 そのワーラビットのクラスメイトは礼慈とリリの視線が向いたやいなや、ビシ、とリリを指差し、

「その小さい子がウワサの鳴っちが連れ込んでるっていう美幼女かな?!」

 耳が全力でこちらを向いている。おそらくさっきのリリの発言は聞かれていたに違いない。

(さて、何をどう話そうか……)

 ここまで事情が分かっているということは、リリのことも大なり小なり皆に伝わってもいるだろう。少なくとも一緒にこちらの世界に戻ってきた彼女と自分がそういう関係なのは自明だ。

(うん。なら――)

 簡単にリリを紹介して、それから皆の疑問に答えていくというのが一番皆の納得度が高いだろう。

「いい機会だから紹介させてもらう。この子は――」

 言い切る前に、リリが腕の中から立ち上がった。

   ●

 突然立ち上がったリリに虚を衝かれた礼慈から引き継ぐ形で、リリは教室に居る皆に対して可憐に一礼した。

「はじめまして、みなさん。わたしはリリ・アスデルと言います。お母さま、ネハシュ・アスデルとお父さまラザロス・アスデルのむすめで、そして、レイジお兄さまのおよめさんです」

 教室がざわめく。
 浮足立つ上級生や連絡を受けて到着した教師を、無垢な少女の笑みで圧倒してリリは続ける。

「小等部で、まだ小さいですけど、レイジお兄さまとお似合いなオトナを目指してがんばっています。よろしくおねがいします」

 そう言った彼女は、少女の笑みのまま、だが凄艶な色香を含んだ動きで自身の臍下の辺りを撫でた。
 頬を赤くし、面映げに、

「ええ、ほんとうに、もうコドモではなくなってしまいましたもん――ね、お兄さま」

 その日は二人の馴れ初めから今までをのろけ全開で語らされる会見タイムになった。

19/11/08 22:40更新 / コン
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■作者メッセージ
 というわけで、礼慈とリリの物語にお付き合いいただきましてありがとうございます。
 一年以上かけての長編にお付き合い頂いた方には感謝感謝です。
 アリスと少年の幼年期は終わり、それでも永遠に輝く昼下がりが二人の前には広がっています。

 さて、これで書きたいと思っていた筋のお話は一通り終わりましたので筆を置いてROM専に戻ろうと思います。
 またふらっと書く側に戻ってきたらその時はよろしくおねがいします。

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