連載小説
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プロローグ
豪華絢爛な巨大な闘技場。
人魔入り乱れた満員の会場はしかし、試合の最中だというのにしんと静まり返っていた。

彼らの視線の先にあるのは、ひび割れた砕けた石畳、崩れた壁、土煙にけぶる変わり果てた有様の舞台。
まるで巨大なドラゴンがひと暴れした後のようなその有様。人影一つない舞台のその様子だけを一目見て、これがまさか徒手空拳の戦いの最中だと想像が付く者はいないだろう。

会場の空気が冷え切っている――のでは、ない。
むしろその逆。一般の観客に来賓、そして本来は試合を煽り立てる役目である実況のサキュバスまで、この場にいる全ての者が。痛い程の静寂と緊張の中で、この試合の行く末を見守っているのだ。

「っ、立ち上がったぞ……!」

観客の一人の声に続いて、静寂に包まれていた会場にざわめきが広がる。
がらがらと崩れた壁の瓦礫を押しのけ、舞台の両端に二人の人影がその姿を現したのだ。
一人は人虎と呼ばれる霧の大陸固有種の獣人。もう一人はやや幼い印象をを残しながらも、精悍な顔立をした黒髪の青年。
二人が身に纏った霧の大陸の民族衣装は繰り広げた激闘を物語るかのようにボロボロで、その鍛え上げられた肢体の多くを観客へと晒していた。

「………………」

一歩ずつ地面を確かめるように。二人はよろめきながらも、その足を進め始める。
もはや意識も半ば飛んでしまっているのだろう。俯き、虚ろな視線を互いの足元の地面へと向けたままで。
それでもまるで、求め合うように。惹かれ合うように。共に迷う事なく、互いの気配に向かってその足を進めてゆく。
舞台の中央へ。二人を結ぶ最短の場所へ。

「………………」

そして――とうとう、二人は同時にその歩みを止めた。
既に、互いの間合いの中。
拳を放てば届く距離。

観客が、一斉に息を飲む。――だが、結果からすればそのどちらもが拳を放つ事は無かった。
どさりと舞台に倒れ伏す音が一つ。

倒れたのは、人虎。
一瞬遅れて、歓声が爆発した。

『なんという試合でしょうかッ!師弟にして夫婦、そして共にこの国が誇る最高クラスの格闘家!エキシビジョンマッチの第一戦を制したのはルウ選手!見事、見事師匠越えを成し遂げましたッ――!!』

拡声の魔法を通した実況の声すらもがかき消される程の、熱狂の渦。
その中心で未だ微動だにしない二人に向かって、さらに二匹の魔物が駆け寄ってゆく。

『同じくルウ選手にとっては師匠で妻の間柄であるリンさんとメイさんが駆け寄ります!その眼には涙、とうとう自分達を越えるまでに弟子を育て上げた彼女達へのお祝いの品とメッセージは、中央通り沿いの『火鈴飯店』まで!リンさんの作る魔界麻婆豆腐は絶品です!……恐らく、今日から数日間は情熱的な交わりの為に開いていないものと思われますが!』

リンやメイと呼ばれた魔物に支えられた二人が退場しても尚、会場の熱気は衰える事無く。

『さて、ではここで舞台の修理と結界の強化の為、少々の休憩時間を設けさせて頂きます!休憩後はエキシビジョンマッチ第二戦目と、続く本戦をどうぞお楽しみ下さい!エキシビジョン二回戦は元勇者対元勇者!伝説の魔物使い『首輪持ち』の子孫、エルク=シュラウドラフが従える魔剣、レギーナ選手!対するは名実共にこの国最強の魔物、『光剣』こと――』






戦いと享楽の街フルト。そこは魔灯花の国章を持つ魔界国家『フラヴァリエ』の中でも特に明かりと喧噪が途絶える事の無い街だ。

「それじゃ、とりあえず乾杯っ!」

街の中央に作られた巨大な闘技場の中では連日大規模な闘技大会が開かれ、磨き上げた技を試さんとする戦士達と、それを一目見んとする大勢の観客がこの街を訪れている。
外部から訪れる観光客向けのカジノや酒場、方々から持ち込まれた文化の料理店は常に活気に溢れ、そのうるさい程の賑わいは途切れる事がない。同じ国の中でも、夜更かしが出来ない住人が大半を占め、統一感の強い街並が並ぶ『幼女の街』キュレポップとは、いろいろな意味で真逆の趣を持つ街だと言えるだろう。
そんな街の片隅。騒がしい酒場のテーブルに腰掛けた二匹の魔物の姿があった。

「いやー、ヴェロが人前に出てくるなんて久しぶりだよね。五十年ぶりくらいだっけ?」
「さぁな。いちいち覚えてもいない」

ヴェロと呼ばれた黒色の鱗を持つドラゴンが、特に感慨も無さそうに返す。座って居てもそれと分かる程の長身に、流れるような灰色の髪。一目で心を奪われてしまいそうな美麗な顔立ち。
だが一方で、その視線に射すくめられた大抵の者は立っている事すら難しいだろう。長い睫毛に縁取られた眼光はそれ程に鋭く、その身に纏った絶対的な強者としての威圧感を隠そうともしていない。
それは暗に、彼女が人に慣れていない――いわゆる『野生』のドラゴンであるという事を現していた。

「あはは、相変わらずそっけないなぁー」

それとは対照的なのが、向かいの席に座った緑色の鱗を持つワイバーン。
人好きのするさっぱりとした笑顔。日向のような朗らかさと余裕。白を基調としたフラヴァリエ竜騎士団の制服に身を包み、首には鞍がモチーフのネックレスをかけた彼女は、国内では知らない者が居ない魔物であった。
この国を治めるリリムと夫を共有するハーレムの一人にして騎竜。そしてフラヴァリエ竜騎士団の大隊長――それが彼女の肩書だ。名を、クレアと言う。
明らかに人慣れしていない様子の、威圧感を隠そうともしないドラゴンが周囲から殆ど警戒されていないのも、彼女と一緒の席に座っているからというのがその理由だった。
やはりその迫力にぎょっとした視線を向ける者が居るには居るのだが、その隣に彼女が座っているのを確認すると、ほっとしたような顔で通常の様子へと戻っていく。
二人は軽くジョッキを合わせると、なみなみと注がれていたビールのほとんどを一息に飲み干してしまった。

「ぷはぁっ!……あー、それでどうだった?今日の大会に出てた中で、気になった子とかは居た?」

彼女達二人は、この姿になる前――旧魔王時代からの、言うなれば腐れ縁であった。かつては、重なり合った縄張りを持った、生存競争の最大の敵として。この姿になってからは、こうして偶に会っては酒を飲み交わす相手として。
だが、そうして彼女達が会う場所といえば、人里を嫌う黒い鱗を持つ竜の巣である事が常であった。
それが何故、今回はこのような場所に姿を現しているかといえば。

「……ダメだな。あれならば、かつて私を討伐に来た者達の方がまだ多少は見込みがあった」

ため息と共にかぶりを振る。
そう――自身の番に相応しい、強い雄を見繕う為だった。

「あはは……。まぁ、ヴェロを討伐しようなんて考えてる時点で相当気合が入ったのしか来てないだろうしね……」

彼女のように、強い雄を求めこの街に訪れる魔物は少なくない。
選手として、または観客としてこの街を訪れる彼女達にその実力を見定める場を提供するというのも、闘技場の大きな役割のひとつだ。

「最初に出てきた男が中々のモノだったから、多少は期待をしていたのだが……」
「あー、ルウ君?あの子は努力家で有名だからねー」

まかいものフライを口に運びながら、クレアが言う。
そう、ルウと言ったか。だが残念な事に、あの男には既に複数の魔物の香りが染み付いていた。
聞けば、彼は既に三人の妻を持つ身……戦っていた虎の獣人と、試合後に駆け寄っていた二人がそうなのだという。

「確認なんだけど……ヴェロは、ハーレムとかは嫌なんだっけ?」
「当然だ」

ギロリ、と。
殺気すら籠った黒龍の赤い瞳が、言外に『つまらない冗談を言うな』とワイバーンを睨みつける。

「えー、結構楽しいよ?勿論相手とか、他の魔物との相性にもよるんだろうけど……あ、ヴルストの盛り合わせと、ビール二杯のお代わりお願いしまーす」

気の弱い者であればそれだけで卒倒してしまうであろうそれを笑いながら受け流し、クレアは新たなジョッキを傾けた。

「ぷはぁーっ!……まぁ実際問題、強い男の人はヴェロ以外の魔物からも人気だからね。お眼鏡に敵いそうな独身の男の子で、すぐに紹介出来そうな人はちょっといないかなぁ。もっと大きな大会が開かれる日なら、ひょっこり現れる可能性もあると思うけど……ちなみに、強さ以外に何か重視する事とかってある?」
「そんなものはない。雄に求めるものなど強さが全てだろう」
「えー、それ以外にも色々あると思うけど……」
「ならば聞くが、お前は番の何処に目を付けたんだ?」

クレアの手が、ぴたりと止まった。

「えーと……つ、強かったから……?」
「ほら見ろ」

呆れたような様子の黒龍に、クレアは慌てて訂正する。

「い、いやね?確かに最初に興味を持ったのは強かったからなんだけど……傍にいる間に、こう、無口で不器用だけど本当は優しい所だったり、頑固で放っておけない所とかが見えてきたりして、私が支えてあげなきゃ!って……そう!それにね、初めて背中に乗せた時から、私の事を完璧に乗りこなしてくれて……♪」
「…………ああ、分かった分かった」

惚気へと変化しつつあるクレアの台詞を遮り、黒龍はため息を漏らした。
テーブルに運ばれてきたウインナーを、一つ齧る。いわゆるブラッドソーセージと呼ばれる血詰めのそれ。
歯で皮を破れば、血や背脂と共に詰められたリーキが生臭さを消し、旨味と野性的な風味が口の中に溢れ出す。
ヴィロニカはそれをビールで喉奥に流し込み、再度クロエへと鋭い視線を向けた。

「何にせよ、強さが条件である事に代わりはない。わざわざ好んで弱者と番う道理もないのだからな」
「……あ、それならさ」

そんな厳しい顔でジョッキを傾ける友人に、悪戯っぽい笑みを浮かべたワイバーンが続けた。

「ねぇ、ヴェロ。実はもう一つ、待ってるよりもいい方法があるんだけど――」






――それから、一月後。


「……ふん、やはり少々狭いな」

ヴェロと呼ばれていた黒龍は新たな住処を見回し、独りごちていた。
フルトの街は巨大な歓楽街である一方、その周囲には日々消費される料理や酒を支える為の農村地帯が広がっている。
そんな街はずれに建てられた一軒家。彼女はその中でもなるべく広く、大きな地下室がある家へと移り住む事にしたのだ。
それでも今まで巣としていた洞窟と比べれば遥かに狭いものだが、それは仕方がない。貯め込んでいた宝物を詰め込める広さの地下室が見つかっただけでも、御の字というものだろう。

『ここでは周辺の国からの孤児の受け入れなんかも積極的に行っててね、希望するなら引き取る事も出来るんだ――もちろん、食べごろになったら『手を出し』てもOK。……っていうか、それ推奨?』
『あのルウ君もね、身寄りが無くて小さい頃に三人の所に弟子入りしに来たんだって』

すやすやと穏やかな寝息を立てる寝顔。
腕の中のあまりにもか弱い、しかし確かな温もりを、しっかりと抱き締める。
彼女が孤児院を訪れた際、皆がその迫力に立ち竦む中でまだ立ち上がる事も出来ないこの赤子――ノインだけが、嬉しそうに彼女の足元に這い這いでじゃれついて来たのだ。
そして彼女は、すぐに彼を連れて帰ると決めたのだった。

ベビーベッドに小さな体をそっと寝かせ、生え初めたばかりの柔らかな髪をそっと撫でる。

「……ヴェロニカ。私の名前はヴェロニカだ、ノイン」

この赤子は、きっと自分に相応しい雄になる。
――否。そうなるように、私が育てるのだ。


二人で暮らす初めての夜は、そうして更けていったのだった。











23/06/17 00:55更新 / オレンジ
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