読切小説
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人喰い虎の棲む山
 木の葉の陰から覗く空は暗かった。低く垂れこめた厚い灰色の雲は、まるで全てを押し潰そうとしているかのようだ。
 応太はクヌギの木に背を預けたまま、雨の止まない空を見上げ続けていた。
 ここ一ヶ月、ずっと雨ばかりだった。応太は生まれてからまだ数年間の記憶しか無かったが、そんな応太でも恐れを感じるほど、今年は雨が多かった。
 木の陰には入っていたものの、応太の身体は既にずぶ濡れだった。
 濡れた着物は容赦なく幼い子供の体温を奪う。応太は半ば無駄だと分かっていながらも着物の合わせをぎゅっと引き寄せて身を縮めた。
 『すぐに迎えに来るから、少し待っていなさい』と言っていた父親がもう戻っては来ないであろうことは、何となくだが応太も理解していた。
 今年は長雨のせいで作物の実りが悪い。それも、どうやら応太が生まれた村だけに限った話では無いらしいという事は、大人達の焦るさまから応太も察していた。
 もう食料の貯蔵も少なくなっている。いずれ口減らしが必要だ。そんな噂も、聞いた事があった。
 それでも応太はまだ父親を信じていた。『食べ物を探してくる』と言って出て行った父親が両腕一杯に木の実を抱えて、あるいは兎や狸を捕まえて、笑顔で『今日は腹いっぱい食べられるぞ』と戻ってくるのを待っていたかった。
 だから自分はこの人喰い虎が棲む山に連れてこられたのだ。人が恐れて近づかないのだから、食べ物だってまだあるはずだから。決して虎に喰われるためではないはずだ。応太はそう信じ続けていた。
 しかし待てども待てども温かい父親の声はおろか、足音一つ戻って来なかった。周りを包むのは雨粒が木の葉を叩く音だけだった。
 応太は目を閉じ、湿った地べたの横になる。もう座っている事さえ億劫だった。
「坊主、一人なのか?」
 ふいに女の声がして応太は目を開けた。目の前に居たのは、しかし人間では無く、一匹の虎だった。
 応太はわずかに目を見開く。虎に食い殺されるかもしれないという恐怖よりも、本当に虎が居たこと、そしてその虎が話に聞いていたよりも人間の姿に近かった事の方が驚きだった。
「一人ならば、私と共に来るか?」
 応太は小さく首を横に振る。
「父さんが、待ってろって」
「……父親は戻ってきそうか?」
 虎の問いかけに、応太は答えられなかった。
 戻ってくると答えたかった。喉が動かないのは、きっと冷え切ってしまっているからだ。応太は目頭に熱を感じながら、ぐっと息を詰まらせる。
「そうか。寂しいな」
 そう言う虎の声の方が寂しそうに聞こえ、応太は視線を上げる。
 雨の中傘も差さずに佇む虎の身体もまた、応太と同じようにずぶ濡れだった。その表情には怒りも喜びも悲しみも憐憫も浮かんではいなかったが、しかし虎の顔を流れ落ちていく雨雫は、流れ落ちてゆく涙のようにも見えた。
「お姉さんも、独りなの?」
 虎は一瞬驚いたような顔をしたあと、すぐに小さく笑って見せた。
「私のところにはお前のような子供がいっぱいいるんだ。だから寂しくなんて無いんだよ。お前も来るか?」
 応太は首を傾げた後、小さく頷いた。
「そうだよね。独りは、寂しいもんね。……分かった。僕、お姉さんについて行く事にする」
「それがいい。それと、私はお姉さんじゃない。私の名はレンファだ。お前は?」
「僕は、応太」
「応太か、いい名だ。歓迎するよ応太。立てるか?」
 そう言って伸ばされた虎の手を、応太はしっかりと掴み取る。
 虎の手は雨に濡れても温かかった。
「冷たいな。身体が冷え切っているじゃないか。ほら、私の身体にしがみつけ」
「あったかい」
 虎は応太の手を取るなり、冷え切った応太の身体をひょいと抱き上げる。
 そして応太が赤子のように身体にしがみつくのを確認すると、両腕で大切に応太の身体を抱えたまま、森の中の道なき道を歩き始めた。

 ……

 …………

 ………………

 狭い庵の板の間に、ぱちん、ぱちん。というそろばんを弾く音が響く。
 ところどころに塗装の剥げかけた所の目立つ年季の入ったそろばんを扱っているのは、明らかに道具に不釣り合いなうら若き女性であった。
 旅装束からわずかに覗く彼女の肌はどこも良く日に焼けている。珠算に集中しているのか表情は硬かったが、その顔つきにはまだ幼さが残っていた。そろばんよりも鎌を片手に田畑を駆けまわっている方が似合いそうな彼女は、しかし農家ではなく各地を旅して薬を売り歩く薬売りだった。
 彼女の目の前に並んでいるのは、この山で採れた野草や、獣の肝など。どれも食料としては食べられたものでは無かったが、薬の材料としては優秀な品ばかりだった。旅先で山に住む知人の元を訪れた彼女は、今まさに薬の材料の仕入れの真っ最中なのだ。
 旅の薬売りは彼女一人では無かった。彼女の隣に座り、じっと彼女のそろばんさばきを見守っている眼鏡を掛けた男もまた彼女と共に旅をする薬売りだった。
 彼は彼女の薬売りとしての師でもあり、そして同時に夫でもあった。
 庵の中には薬売りの夫婦の他に、二人の人影があった。この庵の主と、その従者だ。
 上座にどっかりと胡坐をかき、事の次第を見守っている庵の主は人間では無かった。身体は人間の女体に近かったが、その頭からは獣の耳が生えており、着流した着物の袖や裾から覗いているその四肢も黄と黒の縞模様の獣毛に覆われている。
 彼女の正体は人虎と呼ばれる虎の妖怪なのだった。
 しかし妖怪である彼女の従者は、正真正銘ただの人間の若い男だった。妖怪から薬の取引の全てを任されている彼は、神妙な表情でそろばんの行く末を見守っている。
 庵の中を一見すると人間同士の取引の間に妖怪が混ざっているような奇妙な光景ではあったが、しかし人虎である彼女に恐れを抱いている者はその場には誰一人として居なかった。従者は当然の事として、旅の薬売り二人も彼女の容姿を当たり前の物として受け入れていた。
 薬売りの女は眉間に皺を寄せてはいたが、それは妖怪の容姿によるところでは無く計算の結果に対する怪訝のようであった。
「えーと、仙ちゃん……」
 薬売りの女が硬い笑みを浮かべながら隣に座った眼鏡の男に声をかける。
 仙ちゃん、と呼ばれた彼は、小さく息を吐いてから彼女に向かって頷いた。
「大体そんなところだろうね、間違っていないよ。あとは自信を持つ事だね、さき」
 さき、と呼ばれた女性は表情を綻ばせる。
「というわけで、これが今回の買い取り金額です。応太さん。いかがでしょうか」
 薬売りの二人の正面で結果を待っていた従者、応太もまた表情から緊張を抜いた。
 にっこりと微笑みを浮かべるさきからそろばんを受け取って、目の前に並んだ様々な品とそろばんの金額を見比べる。
「少し多いように見受けられますが」
 応太がちらりと視線を向けると、流石は各地を旅して様々なお客を相手にしている薬売りと言うべきか、仙はすぐに柔和な笑みを浮かべて説明を始める。
「こちらの熊の胆、質も良く大きさもなかなかのものです。ご不満でしたら、もう少し上乗せしますが……」
 応太は笑って首を振った。
 ちらり、と上座に視線を送る。庵の主人は応太の視線に答えるかのように大きく頷き、口を開いた。
「そのままでいい。良いように取り計らってくれ」


 薬の支払いを終えるなり、薬売りの二人組はすぐさま旅路へと戻って行った。
 応太達は軽食くらい用意するので一休みしていったらどうかと勧めたのだが、薬売り達には丁寧に断られてしまった。何でも、今日のうちにもう一つ山を越えてしまいたいのだという。その為にはあまりのんびりとしていられないのだそうだ。
 敷地の入り口まで二人を見送り、応太は一息つく。
 見渡す限り、周りは深い森と竹林に覆い尽くされている。人里からはかなり距離も離れているため、確かにここで足を止めてしまうと山の中で夜を過ごさなければならなくなる可能性は十分にあった。
 応太はうんっ、と背筋を伸ばすと、庵に戻るべく踵を返す。
 振り返って正面にあるのは、随分と年季の入ったこじんまりとした道場だ。ところどころガタがきているようにも見えるが、作りは頑丈なのでまだまだ壊れる気配は無かった。瓦の痛みも無く、雨漏りさえしない程だ。
 頑丈な家屋は道場以外にも住居としての役割も担っていた。この山に捨てられていた子供達が身を寄せ合って、助け合って暮らしているのだ。
 応太は子供達の中の一番の年上だ。応太がやってきた頃には年上の兄や姉達も居たが、年を経るごとに皆出て行ってしまったのだった。
 子供達は普段、昼間は畑で作物の世話をしたり、山菜を取りに出たり、時には狩りをして過ごしていたが、今日は全員道場の中で稽古をしているらしかった。元気な子供達の掛け声が、応太の居るところまで良く聞こえている。
 道場主でもある主人の居る庵は道場の向こう側にある。ぐるりと応太が道場を迂回していると、彼に気付いた子供が大きく声を上げた。
「応太兄ー。組手しようぜー」
「九郎か。悪いけどまだ仕事中なんだ。もう少ししたらな」
 応太は手を振って答えながら、道場横の小さな畑を抜けて真っ直ぐ庵へと向かう。
 人虎の住まう庵は道場と同様に年を経ていて、半ば朽ちかけているようにさえ見える程だ。しかし小ざっぱりした作りのおかげか道場同様見た目以上に丈夫で、普通に暮らしている分にはまだまだ十二分に役割を果たしていた。
「レンファ、入りますよ」
 応太は声をかけ、引き戸を開ける。
 中に入った応太が一番に見たのは、今まさに木苺の砂糖漬けを口に運ばんとしていた人虎、レンファのあられもない姿だった。
 彼女は悪戯を見つかった猫のように大きく目を見開くと、すぐに木苺を袋に突っ込んですまし顔になる。
「は、早かったな。さきと仙は、何か言っていたか?」
「折角のお誘いを断ってしまい申し訳無いと。何でもさきさんのお兄さんがこの近くに暮らしているという話で、久しぶりの再会なので少しでも早く会いたいのだとか」
 応太はレンファの正面に胡坐をかいて腰かける。
「他には?」
「あんなに大きな熊の胆、どうやって手に入れたのかと聞かれましたよ。先日ここに迷い込んできた熊をレンファが素手で仕留めたのだと答えたら、二人ともたいそう驚いていました」
 レンファはそのすまし顔に、ほんの少しだけ喜色を浮かべる。
「そんなに驚く事でも無いだろうに。人虎である私に掛かれば熊の一匹や二匹朝飯前だ」
「全く、みんな心配しますからあまり無茶しないで下さいよ。……ところでレンファ、今さきさんのお土産を食べようとしてましたよね」
 レンファは表情こそ変えなかったが、身体の方は正直に反応していた。耳はぴんと立ち、揺れていた尻尾も急に動きを止めてしまう。
「わ、私がつまみ食いなどするはずが無いだろう。これは、その、匂いを嗅いでいたのだ。いつ頃まで持つのか気になってな」
 ぷいと顔を逸らしてしまうレンファに、応太は小さく笑う。
「食べたければ食べればいいじゃないですか」
「しかし、これは皆さんでどうぞと頂いた物だ。私が食べたら皆の分が減ってしまう」
「あなたもその皆さんの一人でしょうが」
 応太はやれやれと肩を竦めるが、レンファの態度は頑なだった。ついには目の前に置かれていた砂糖漬けの入った包みを、尻尾を使って応太の方へと押しやってしまう。
「私はいい。子供達で分けるといい」
「それくらい自分ですればいいでしょうが」
「そうはいかん。今日はこれからまだ来客の予定がある」
 レンファに言われ、応太ははっと思い出した。
 そうだった。今日はもう一件来客の予定があったのだ。薬売り夫婦は予定外の来客であり、今度の来客こそが本来の予定だったのだが、急に訪れた薬売り夫婦の応対に追われるうちにすっかり忘れてしまっていた。
「そうでしたね。失念していました。すみません」
「何を謝る事がある。お前が手際よく仙達を迎えてくれたからこそ、予定通りに客を迎えられるのではないか」
 応太は何だかむずかゆい気持ちがして頭をかいた。視線を逸らすと、たまたま部屋の隅に用意しておいた茶器が目に入った。
「あぁ、あれはそのままでいい。……全く、あの二人も茶ぐらい飲んで行けばいいものを」
 言葉とは裏腹にレンファの表情は柔らかい。
 そんな彼女の表情を見るうちに、応太の胸の内にこみ上げて来るものがあった。応太はそれをそのまま、何の気無しに口にする。
「羨ましいですか?」
 ん? と首を傾げるレンファ。応太はさらに言葉を続ける。
「夫婦二人で旅をする仙さんとさきさんの事ですよ」
「別に旅はここに居着くまでにそこらじゅうしてきたからなぁ。いろいろなところを旅して回るってのはな、自由に思えて結構大変なんだよ。懐かしいという気持ちはあっても、今は羨ましいという気はしないな」
「いや、そう言う意味では無いのですが……」
「あぁ、確かに私がしていたのは二人旅では無く一人旅だが、しかし一人の方が気を使わずに」
「分かりました。もういいです」
 応太はため息を吐くと、木苺の砂糖漬けの入った包みを持って立ち上がる。
「とりあえずこれ、みんなに分けて来ますね。お客様がいらしたら案内しますので」
「あ、ああ、頼む」
 レンファは応太の語気が少し荒くなっている事に気が付かぬまでには鈍くは無かったが、しかしその理由をすぐに察せられる程の鋭さは無いようだった。
 応太は諦めたように息を吐くと、しっかりと一礼をしてからレンファに背を向ける。
 不思議そうな顔をしているレンファに見送られ、応太は庵を後にした。


 応太が木苺の砂糖漬けを貰った事を伝えると、道場の中は軽い騒ぎになった。
 もともと山暮らしをしている子供達だ。甘いお菓子のような食べ物などほとんど口にする事も無い。そこに来て甘い果実の、それも砂糖漬けがあると聞いて、道場の中はまさに蜂の巣をつついた様だった。
 寄こせ寄こせとひっきりなしに声は上げるが、しかし不思議と奪い合いにはならない。助け合いや食べ物を分け合う事が染み付いているからだ。最初こそ手も付けられないような状態だったが、菓子を配るなりすぐに皆で車座になって大人しく菓子を食べ始めた。
 人虎のレンファが共に居るとは言え、山の中で子供達だけで生きていくのには大変な事の方が多い。共に助け合わなければ乗り越えられない事の方が多いのだ。
 応太は珍しいお菓子を素直に喜ぶ子供達を見守っていたが、ふと気配を感じて立ち上がった。
「応太兄?」
「お客さんが来たみたいだ。ちょっと行って来る。九郎、残りの菓子もちゃんと仲良く分けるんだぞ?」
 応太は自分の次に年長である少年、九郎に菓子の入った包みを手渡し、道場を出た。
 敷地の入り口にたどり着くと、ちょうど小道の向こうに客人の姿が見えた。鮮やかな赤色の絹の衣服が、木々の葉や土の色の中で良く目立っている。
 服の色も目につくが、その形も特徴的だった。首元から膝下あたりまでが一繋ぎになっており、襟は合わせでは無く詰襟の形をしていて、足元には裾から腰元まで横に切れ目が入っている。この国では滅多に見られない異国の衣装だ。
 しかし客人のその姿は、異国の衣装よりもなお特徴的だった。
 稲穂色をした艶やかな長髪もこの土地では珍しい色合いではあったが、それをかき分けて頭から生えている狐のような尖った耳は更に珍しい。狐のような姿なのは耳だけでは無く、その腰元からもふさふさとした狐の尻尾が、何と五本も生えていた。
 客人が気が付き手を振って来たので、応太も一礼を返す。
「応太ちゃん久しぶりぃ。元気だったぁ?」
「お陰様で何事も無く。若藻さんも元気そうで何よりです」
 レンファの客人であるこの若藻もまた、人間では無く妖怪なのだった。その外見の示す通り、妖狐と呼ばれる狐の妖怪だ。
 狐の妖怪ではあるが、元々はこのジパングの妖怪では無いという話だ。妖狐も人虎ももともとは霧の大陸という場所の妖怪なのだと、応太は昔レンファから聞いたことがあった。
 長いまつ毛を乗せた切れ長の目が特徴的な、妖艶な雰囲気のある女怪。彼女の姿に鼻の下を伸ばしていた応太の兄貴分達も数知れなかったが、応太の応対はあくまでも淡々としたものだった。
「お待ちしておりました」
「うふふ、ありがと。改めてみると応太ちゃんも大きくなったわよねぇ。いい男に成長したわぁ」
 つま先から頭のてっぺんまで嘗め回すように見つめられ、応太は冷や汗をかく。
「か、からかわないでくださいよ」
「あのおちびちゃんがこんなにおっきく立派に育つなんてねぇ。ねぇ、レンファは『お嫁さん』に出来そう?」
 応太は渋面になって顔を背ける。
 そんな応太を見て若藻は唇を歪ませると、そっと応太の耳元に口を寄せた。
「それとも、レンファは諦めて私と遊んでみる?」
「っ!」
「あはっ。耳まで赤くなったぁ。やっぱり応太ちゃんは可愛いなぁ」
 若藻はいつもこんな調子だ。応太としては当然面白く無いが、悪気があるわけでも無く、気に入られているという事も分かっても居るので始末が悪い。
 応太としても若藻の事は決して嫌いでは無いのだが、得意か苦手かと言われたら間違いなく苦手な相手だった。
 応太は若藻を睨み上げるが、若藻はそれをそよ風のように受け流す。今回も反撃の糸口は見つけられそうになかった。
 応太は諦めて本来の仕事を全うする事にする。最後に一度深くため息を吐いたのは、ささやかな反撃のつもりだった。
「とにかく、こちらへどうぞ」
「はいはーい。着いて行くわよん」
 庵に行くには道場脇を横切る必要があった。若藻はこういう人柄もあり応太は彼女がまた子供達にいらぬ事を吹き込むのではないかと懸念していたが、幸い子供達はまだお菓子に夢中らしく、道場も静かなもので、誰かが二人に気が付いた様子も無かった。
 応太は庵の前に着くと、さっきの失敗を踏まえてしっかりと声をかける。
「レンファ、若藻さんをお連れしました」
「おう、入ってもらえ」
 返事を確認し、応太は若藻に道を譲った。
 一歩進み出て扉に手を掛けた若藻は、思い出したかのように動きを止めて振り返る。
 不思議そうに見つめ返す応太に、若藻はにっこりと笑ってこう言った。
「応太ちゃん。さっきの言葉、本気だから。私の男になるかどうか、帰るまでに考えておいてね」
 言葉の意味を理解する頃には、既に若藻は戸の向こう側に消えていた。


 応太は一体何に苛立っていたのだろうか。独りになった庵の中で、レンファは考え続けていた。
 二人旅をする仙とさきが羨ましくないか。応太はそう問いかけてきた。レンファにとっては旅という物は、それこそ飽きる程してきた事だった。世界中の全てを知っていると言える程に各地を巡ったというわけではないが、今更独りで目的も無く世界を彷徨う気は無かった。
 だがレンファの答えに応太は納得してくれなかった。では、応太は一体何を聞こうとしていたのだろうか。
 応太自身が旅に出たいという事を暗に伝えようとしていたのだろうか。しかしそれにしては時折行商に来る狸の妖怪、刑部狸の楓の話をそれほど熱心に聞いている風でも無い。
 そう言えば二人旅という言葉にも引っかかっていたな。
 二人旅、あるいは夫婦。応太にもようやく想い人でも出来たのだろうか。
「む?」
 考えるうちに胸の中がちくりと痛んだ気がして、レンファは襟元を開いて胸元を覗き込む。虫にでも喰われたのかと思ったが、しかし痛みとは裏腹に肌には特に変わった様子は無かった。
「レンファ、若藻さんをお連れしました」
 庵の外から応太の声が響く。
 レンファは反射的に声を出し掛け、慌てて衣服の乱れを正す。立て続けに二度も醜態を晒す事は、流石に避けたかった。
「おう、入ってもらえ」
 返事をすると、間もなく戸を開けて妖狐の若藻が入ってきた。レンファと目が合うなり、若藻は含みのある笑みを浮かべる。
「何だよ」
「いいえ。応太ちゃん、美味しそうに育ったなぁって思って」
「お前にはもう男が居るだろう。その気が無いのにからかうのは止めてやれ」
「うふふ、応太ちゃんにだってもう心に決めている人が居るみたいだもの。これは私なりの応援なのよぉ?」
 やはり、そうなのだろうか。そうなると、応太がここを出てゆく日も近いという事か。
 考えるうちにレンファは再び胸の疼きを覚えたが、客人の前で裸になるわけにもいかず、あとで改めて確認する事にして痛みは忘れる事にした。
「どうしたの?」
 いつの間にか正面に座った若藻が笑みを浮かべてレンファの事を見ていた。
「何か気にかかる事でも?」
「いや、なんでもない。ところで今日は何の用だ?」
 大体察しはついては居たが、レンファは敢えて言葉にはしなかった。だが、若藻の用というものはやはりレンファの予想を外れては居なかった。
「今日はね、あなたに折り入ってお願いがあって来たの」
 ずい、と身を乗り出し、さらに言葉に感情を籠める若藻。
「私ね、今とても困っているの。あなたの力を借りなければ、この窮地は乗り越えられない」
 顔を伏せて胸に手を当て、しなを作る若藻。その姿は今にも倒れ落ちそうな弱弱しい乙女のようだ。美しい彼女のこんな姿を見せられたら大抵の男ならば喜んで何でも言う事を聞くのであろうが、生憎レンファは妖怪である上に男でも無かった。
 それ以上に、このような"お願い"も今回が初めてでは無かった。ここを訪れるたび何度も似たような口上と演技を見せられては、同情どころか辟易してしまう。
 悲劇を演じる事に酔っているのか、その尻尾も楽しそうに揺れているのがまた腹立たしい。
「言っておくが、稲荷を"やっつける"手伝いならせんぞ」
「あら、頼む前から分かっちゃってたの? 流石レンファちゃん鋭いわぁ」
「その頼みは聞き飽きた。何度も断っているだろう? その問題はお前達の山の問題だ。外野が出てゆく話じゃない。
 それに、その話なら私以外だって構わないだろう。腕っ節ならアカオニの呉葉やアオオニの瑞葉、ウシオニの牡丹だって居る。罠を仕掛けるつもりならジョロウグモの椿や大百足の百合なんかに頼んだ方が、よっぽど頼りになるだろう」
「別にそこまでする気は無いのよ。それに話が大きくなったら向こうだって白蛇や龍に助けを求めて来るもの。天狗たちだって黙って無いでしょうし。
 ただ、レンファちゃんは別なの。堅物のレンファちゃんが私の味方に着いてくれるという事それ自体が、あの子に対しての大きな攻撃になるのよ」
「私は誰の味方にもならない。堅物だからな」
「そこを何とかお願い。ね? 同じ霧の大陸生まれの妖怪同士じゃない」
 さらに身を寄せて手を取ってくる若藻に対し、レンファはため息を吐く。
 人の踏み入らないような深い森や山の奥には大体は妖怪達が住みついている。それも大抵一匹では無く複数の妖怪が居るのが普通だ。レンファが口にした鬼達も皆隣の山を縄張りとしつつも上手く棲み分けて暮らしている妖怪達だった。当然この山にもレンファ以外の妖怪も暮らしている。お互い気配を感じ取ってはいるし、レンファも別の妖怪と顔を合わせた事もあった。
 中には人々に神として祭られる妖怪が独りで治めている山や、他の妖怪を避けて別の場所に移る妖怪も居るようだが、そう言う例はレンファの知る限りでは稀だった。
 その例にもれず、若藻の棲む山にも若藻以外の妖怪が暮らしていた。名前をしのと言い、若藻と同じ狐の妖怪だった。しかし同じ狐の妖怪ではあったが、二人の仲はあまり良い物では無かった。
 同じような姿はしていたが、実は二人は別の種族の妖怪だったのだ。
 若藻が霧の大陸に起源をもつ妖狐であるのに対して、しのはジパングの固有種である稲荷という種族の妖怪だった。その性質や性格も、わずかではあるがどうしようもなくすれ違っている部分があるらしい。
 とはいえ、妖狐と稲荷は元来そこまで仲の悪い種族では無い。にもかかわらず若藻としのが同じ狐にも関わらず犬猿の仲にあるのは、どうやら彼女達の母親達の代からの因縁にあるらしかった。
 レンファも詳しいところはよく知らなかったが、噂では彼女達の母親は大昔に一つの国の興亡を巡って争い合っていたという話だ。
 どういう因果でその娘達が同じ山で暮らす事になったのかは分からないが、親の影響があるのか娘達もお互いに対して良い印象は持ち合わせていないらしい。
「というか、大陸から流れてきたのはお前の母親で、お前自身はしのと同じジパングの生まれだろうが。
 毎回話してはいるが、妖狐と稲荷。共に狐の妖怪だろう? どうにか仲良くする事は出来ないのか?」
 若藻は頬を膨らませて視線を逸らす。見た目に寄らない幼い仕草に、レンファは思わず苦笑いを浮かべた。
「だってぇ。あの子のすまし顔見てるとイライラしちゃうんだもん。夜は旦那に跨って喜んで腰を振っているくせにさぁ、昼間は「まぐわいなんて興味ありません」みたいな顔しちゃって。頭の中じゃ旦那のちんぽの事しか考えてない癖にねぇ。
 妖怪たる者、襲いたいと思った時には襲い掛かるべきなのよぉ」
「夫婦の事は良く分からん。そう言う昼と夜の違いがいい、という話も聞くが?」
「そんなんじゃ駄目よぉ。誘うだけ誘って襲われるのを待つなんて、良くないわぁ。そんなの旦那さんも、しのも可愛そうなだけよぉ」
 これがしのの理屈では逆になる。片方だけの考えを聞くのは平等では無いとレンファもしのに話を聞いた事があったのだが、男性を襲うのではなく、上手く誘い、襲わせ、満たしてやるのが妻の務めだとするのがしのの考えらしかった。
 正直言って、レンファには二人の違いがよく分からなかった。
 結局やってることは一緒なのではないか。そう二人に言った事もあったが、二人は相手と自分は違うの一点張りで話を聞く気は無いようだった。
 以来レンファも細かい事を言うのは止めた。顔を合わせるたび喧嘩が絶えないのだから、二人にとってきっと大事な事なのだろうと理解する事にしたのだ。
「もっと積極的になるのがあの子達の為、レンファもそう思うでしょう? あなただって、ど淫乱な妖怪なんだからぁ」
 だが、流石にこの発言は聞き捨てならなかった。レンファはむっと唇をへの字に結ぶ。
「私は淫乱などでは無い」
「今はそうでも、さかりが付くと凄いんでしょう? 百回以上交わる事もざらだって聞いたわよん?」
「確かに他の人虎はそうかもしれんが、私は発情してなどいないし、発情した事も無い」
「でも、いずれは子供だって欲しいんじゃないの?」
 レンファはぐっと息をつまらせ、若藻から目を逸らす。
「それは、まぁ。私だって雌だからな。いずれは子を残したいという気持ちは、無いでは無いが、別にそれは淫らな気持ちからでは……」
「うふふ、そうよねぇ。お眼鏡に敵う雄は居るのかしらぁ?」
 にたりと笑う若藻の視線に耐えられず、レンファは少女のように頬を染めて目を逸らした。
「あ、そうだぁ。応太ちゃんなんてどう?」
 応太の名を聞いた瞬間、レンファの胸が一瞬かぁっと熱くなる。だがその熱はすぐに引いてゆき、胸の中には後を引く疼きだけが残った。
「なかなか良い男に育っているしぃ、これまでの男の子の中でも一番腕が立つんでしょう? あの子に種付けしてもらいなさいよぉ。……って、どうしたの?」
 怪訝そうに自分を見つめる若藻に気が付き、レンファは笑みを作る。
「何でも無い。だが、応太は駄目だな」
「どうして? 男としては申し分ないでしょう? あなたの応太ちゃんに対する態度だって、他の男の子に対する態度とは明らかに違うじゃない。応太ちゃんと一緒のときは良く笑っているしぃ、油断したところも見せているみたいだしぃ、一緒に居るとくつろいでいるみたいじゃなぁい?」
「それはそうだが……。というか、なぜそれをお前が知っている?」
「この山の狐ちゃん達から聞いたのよ。それよりもっ」
 色恋の関わった時の若藻の勢いは尋常では無い。反撃の試みはあっけなく潰され、むしろレンファはさらに追い込まれてゆく。
「どうして駄目なの? 理由を言いなさい」
「い、いや、別に、そ、その……」
「んん?」
 心の中を見透かすような若藻の妖しげな瞳。妖術を掛けられてはたまらないと、レンファは泣く泣く折れることにする。
「……最近あいつ私に冷たいんだ」
「冷たいって、どんな風に」
 若藻は襲い掛からんばかりに肩を掴んでくる。常日頃から武道に邁進し、己を鍛えることに余念の無いレンファではあったが、こと色恋の事となると形無しだった。
「最近あまり目を合わせてくれないというか、私を避けるというか、私を見ようとしないというか」
「具体的には?」
「水浴びに誘っても付いて来なくなったり、稽古の後に肌の汗を拭っているといつの間にか居なくなっていたり、暑い時に服を肌蹴ただけでも顔を逸らされたり、怒られたり」
「あんた。それって」
「そりゃあ、弟分や妹分の手前昔のようにじゃれついたり抱きついて来るのがはばかられるのは分かるが、何だか寂しくてな」
「そう言う事じゃ無いと思うけど」
「なら、汗臭いから、とかか?」
 若藻は肩を落とす程に大きくため息を吐くと、レンファから手を離して元の位置に戻る。
「えぇ、発情した雌の匂いが凄いわねぇ……冗談よ。そんな情けない顔しないでよぉ」
「まぁ仮に嫌われていなかったとしても、応太にはもう心に決めた人が居そうなのだろう?」
 若藻は目を細めると、挑発するように唇に指を当てた。
「あらあら、気にするって事はやっぱり応太ちゃんに気があるって事よね。だったらあなたも妖怪らしく自分の物にしちゃいなさいよ。他の女の取られてもいいの?」
「応太が嫌がる事はしたくない。応太がその雌に本気なのであれば、私は……。それに、自分でもよく分からないんだよ」
 レンファは表情を曇らせて俯く。若藻と話すうちに自分の気持ちが分からなくなってきて、今では何を言っているのかさえも良く分からなくなってきていた。気のせいなのか、妙に胸も重たい気がした。
 若藻のため息も、わけも無く自分を責め立てている物のように感じる。
「まぁ、そんな状態じゃ確かに手伝いは頼めないわねぇ」
「済まん。……いや、最初から断る気ではいたが」
「ねぇ、レンファ」
 若藻が珍しく真剣な声を上げる。
 少し驚いて顔を上げると、いつもはふざけたり演技をする事の多い若藻が神妙な表情でレンファの方をじっと見つめていた。
「愛している人と肌を重ねる喜びってね、子供を残す喜びだけじゃないのよ。愛しい人の体温を直に感じて、触りっこして、抱き締めあって。
 気持ちいいって言うのもあるけど、凄く温かくて幸せな気持ちになれるの。独りじゃないんだって、自分の事を大事にしてくれる人が確かにここに居るんだって、そういう事を身体で感じられるの」
「独りじゃ、無い」
 若藻は柔らかく笑い、そして。
「だからぁ。細かい事は考えず押し倒して早く子供を孕みなさい! 話はそれからよぉ」
 レンファに向かって、ぐっと拳を握りしめて見せた。
 レンファは複雑な表情でしばらく若藻のしたり顔を見つめた後、肩を竦めてため息を吐くのだった。


 無事客人を送り届けた応太が道場に戻ると、中はいつの間にかがらんどうになっていた。
 畑にも誰も見当たらず、皆どこに居るのかと探していると裏口の方から声が聞こえてきた。
「応太兄?」
 声に続いて裏口から狩りの衣装に身を包んだ九郎が顔を覗かせる。
「九郎。みんなは? 稽古をしていたんじゃないのか?」
「それがさぁ、あの菓子喰ったら女共がもっと甘いものを食べたいとか言い始めて、そしたらちび達も一緒になって山に木の実を取りに行こうとか言い出して」
 九郎は苛立たしげに頭をかきながら、裏口の方へと視線を向けた。恐らく外でみんなが待っているのだろう。
 いつかの自分を思い出して、応太は急に懐かしい気持ちになる。
「じゃあついでに晩飯のおかずも捕まえて来てくれるか?」
「そのつもり。応太兄も来ると思って待ってたんだけど」
「いや、俺はここに残るよ」
 目を丸くして驚く九郎に、応太はさらに言葉を繋ぐ。
「もうお前一人でもちび達の面倒ぐらい見られるだろう。俺が居ないとなれば風子達だってお前を手伝ってくれるさ。お前の判断でやってこい」
「い、いいの?」
 応太は大きく頷いた。一番の年上として面倒を見てきた応太だったが、そろそろ自分以外のまとめ役が立ってもいいころだと思っていたのだ。
 九郎は子供達の中でもしっかりしている方で、応太の次の年長者でもある。以前から次のまとめ役にと考えてはいたので、ちょうどよい機会でもあった。
「ただし無茶はするなよ。危ないと思ったらすぐに帰ってこい。あと狼や熊にはくれぐれも気を付けろよ」
「もちろんだよ! 僕、勘はいいんだ! じゃあ応太兄は、えっと、お客さんも来るかもしれないし留守番をよろしく」
 任されると分かるなり、九郎は急にそわそわし始める。これでは後を頼めるのはまだまだ先かもしれないなと、応太は苦笑いを浮かべた。
「まぁこれ以上客は来ないと思うがなぁ」
 人の踏み入らないこの山奥では、誰かが訪れる事さえ珍しい事なのだ。一日に二度も三度も客が来るようなら、それこそ明日は冬でも無いのに大雪が降るかもしれない。
「分かんないよ。変化って言うのは始まると一気に進んでいくらしいし。ともかく行ってきまーす」
 九郎も大人びたことを言うようになった。などと思いながら、応太は手を振って九郎を見送った。


 誰も居なくなった道場の縁側に腰をおろし、応太は庵の方にちらりと目を向ける。
「レンファをお嫁さんにする、かぁ」
 応太は自嘲気味に笑いながら、先ほどの若藻の話を思い出す。
 今でも思い出すと気恥ずかしくなってしまうが、ここに来たばかりのまだ幼かった頃の自分は、本気でレンファを嫁にするつもりで片時も側を離れようとはしなかった。
 年上の兄や姉達からは母親離れが出来ない「甘えん坊の応太」とからかわれた。けれど自分は、本当に母親に甘えているつもりは無かったのだ。
 単純にレンファの事が大好きで、ずっと一緒に居たかった。ただそれだけだったのだ。子供なりに真剣でもあったから、からかわれる度によく意地になって「お母さんじゃない。僕はレンファをお嫁さんにするんだ」と噛み付いたものだった。
 応太は足元に目を移し、頭を振る。
 昔は? いや、違う。身体も心も成長するにつれて以前のように真っ直ぐに見つめられなくはなってしまったが、レンファに対する自分の気持ちは変わっていないではないか。
 そうでなければ、こんなにもやもやとした気持ちを抱え続けることもあるはずが無い。
 ずっとそばに居たい。でも、気持ちさえあれば一緒に居られるかと言えばそう言うわけでも無い。拾われてきた子供達は皆、大人になればこの地を後にして人里へ降りていかなければならないのだから。
 レンファは、子供達が大人になってまでここに留まり続けることをあまり良しとしていないらしい。恐らく人は人の間で暮らすべきだと考えているのだろう。子供達が一人前になると、レンファは知り合いの妖怪に頼んで移り住めそうな村や集落の紹介を頼んでいる。
 そういった仲介の元、ここを出て行った兄弟達を応太は何人も見てきた。
 次は間違いなく自分の番だろう。九郎ならば自分の代わりは十二分に果たせる。しかし……。
 その時の事を思うと、応太は渋面にならずにはいられなかった。
「レンファ……」
 レンファも女だ。いつかは誰かとつがいになり、夫婦となる。
 自分が居る間にそう言う気持ちになってくれればと考えていたのだが、しかしレンファは未だに男と一緒になろうという気持ちは無いようだった。
 人間よりはるかに長生きする妖怪でもあり、自分が居る間にそう言う気持ちになる事は無いかもしれないと覚悟はしていたが、いざ別れが近いという事を自覚してしまうと、胸が締め付けられるように痛んだ。
 いずれレンファは夫を見つけるのだろう。そのころにはきっと自分も違う誰かを嫁に貰っているに違いない。
 例え自分では無くても、レンファが独りで無くなるのならば、幸せになるのならばそれでいいではないか。応太はそう考えようとするのだが、考えれば考える程に刺さった棘がより深く潜り込んでいくように胸の痛みが強まっていく。
 応太は頭を振って立ち上がった。
 雑念を振り払うには身体を動かすのが一番だ。例え相手が居ないとしても、武道の型の稽古であれば一人でもできる。
 道場の中に戻り、身体を動かし始めた応太だったが、しかしその動きは最初の型を少しなぞったところでぎこちなく止まってしまう。
 それもそのはずだった。武道の型は全てレンファの動きの見よう見まねなのだ。型を究めようとすればするほど、レンファの姿を頭の中に子細に思い浮かべる必要がある。
 今の応太に、レンファの事を考えて気持ちを落ち着ける事など出来るわけが無かった。
 応太は頭をかきむしる。身体の中を何かが暴れまわり、耐えきれず叫びだしそうになる。
 しかし応太は結局叫びだす事も無ければ、道場の中で暴れ出し、壁に当たるという事も無かった。
 気持ちの整理が付いたわけでは無かった。ただ、誰かがこの道場に近づいてくる気配があったのだ。
 深呼吸して気持ちを落ち着かせ、衣服の乱れを正す応太。
 珍しい事は重なるらしい。本日三度目の来客だった。


 敷地の入り口から坂を見下ろすと、応太の予想通りに坂の下からこちらに向かって坂を上る客人の姿があった。
 山の緑に溶け込むような若草色の着物を身に付けたそのお客は、身体くらいはありそうな大きな商品棚を背負ってえっちらおっちらと坂を上ってくる。
 一見するとどこにでも居るような行商人にしか見えないが、彼女もまた人間では無かった。その証拠に焦げ茶色の短い髪の間からは犬のような三角形の耳が生えており、その腰でもふわふわした毛並みを持った立派な尻尾が揺れていた。
 若藻も獣の耳や尻尾を持ってはいたが、今度の客人は狐というより狸のそれに近かった。
「おー。応太君。ひっさしぶりやなぁ」
 客人は応太の姿を認めると、気持ちのいい笑顔を浮かべて大きく手を振って来た。よく見ると手だけでは無く、その腰元でも尻尾が機嫌よさそうに揺れていた。
 狸の妖怪、刑部狸。普段は人に化け人間相手に商売をしている彼女だったが、定期的にこうして妖怪の住処を回って商売もしているのだった。
 しかし、彼女がここを訪れる時期は本来ならばもう少し先のはずだった。お客が来るという話も、レンファからは聞かされていなかった。
 それゆえ応太は驚きを隠せなかったのだが、しかし同時に来訪者が見知った相手だと分かり安堵しても居た。
「お久しぶりです楓さん。今日はどうしたんですか? この時期にいらっしゃるなんて珍しいですね」
「いやーごめんな。ちょっと近くを通ったんで顔見るついでに商売しよう思ってな」
 楓は応太の隣に並んで一息つくと、背負っていた棚を下ろして応太の方に突き出した。
 応太は苦笑いでそれを受け取る。手に持った途端ずしんと重さが身体に掛かり、倒れそうになるのを何とか足を踏ん張って堪える。
 一見小柄な楓だったが、流石に妖怪だけあって相当の力持ちなのだ。
「えらく静かやね。みんなおるん?」
「それが、なんだかんだで今お相手できるのは俺だけなんですが……。とにかく、上がって下さい」
 脂汗をかきながら行商棚を背負い、応太は楓を先導して歩き始めた。


「そうかぁレンファちゃんは来客中かぁ。そりゃ悪い時に来てしもたなぁ」
 道場の縁側でお茶をすすり、楓はほぅっと息を吐く。
 隣に座った応太は改めて楓に頭を下げた。
「すみません。他に通せる場所も無くてこんなところで」
「かまへんて。急に来たのはうちの方やし」
 庵に通せない以上、残るは道場しかなかった。しかしいくら掃除を欠かさず綺麗にしているとは言え、道場はお客を通すような場所では無い。
「お客さん……。この匂いと気配から察するに、若藻ちゃんかな? あのお狐はんもいつ頃までおるか分からんし、そんならまた明日来ようかねぇ。この山のお客は他にもおるし」
「重ね重ねすみません。流石に俺一人じゃ取引も出来ないので」
「んー。せやなぁ、でも、そろそろ応太君も一人で買い物くらいしたってええんちゃう?」
 ずずっと茶をすすりながら、楓は応太を見上げる。意外にも全く含みの無さそうな視線を向けられて、応太は戸惑い言葉を詰まらせる。
「え、いや。でも。お金の絡む事ですし、やっぱりレンファの許可を得ないと」
「そんなの後でええやろ。うちの見る限り、応太君は一人でも十分正しい判断が出来とると思うで。もう立派に一人前や。レンファちゃんも信頼してると思うけどなぁ」
 一人前。その言葉を聞いた応太の心中は複雑だった。確かにレンファに認められているという事は嬉しかったが、しかし大人になるという事は別れが近いという証拠でもあるのだ。
「せや思い出した。今日は応太君にも話があって来たんやった」
「話って、何ですか?」
 応太は一瞬嫌な予感がした。そしてその次の瞬間には、予感は現実のものとなっていた。
「応太君の移り住み先の話や」
 一瞬、世界から音と色彩が消え失せた。
 心臓の音だけが強く鳴り響き、視界がどんどん狭まって行って、世界が閉じていってしまうような、そんな気がした。
 しかしそれはやはり応太の錯覚で、よく見れば目の前の畑の作物はちゃんと色づいており、隣に座る楓の声も、それこそ嫌という程にはっきりと良く聞こえて来ていた。
「うちの取引先の村でな、男の働き手が欲しいって話があるんよ。まぁまだレンファちゃんからは頼まれて無かったんやけど、応太君くらいの歳の前にはみんな人里へ戻っとるしと思ってな」
 心臓の鼓動はなかなか収まらなかったが、深呼吸を繰り返すうちにそれも次第に大人しくなった。
「応太君。行く気ある?」
 応太は声を詰まらせる。驚きの余り、話を半分も理解できていなかった。
「いや、その。あんまりにも急な話なんで」
「まぁ当たり前やなぁ。まだレンファちゃんにもしてへん話やし……って、どないしたん。顔真っ青やないか」
 応太は楓の驚いた顔を見て、自分の顔に触れてみる。汗をかいている割に、自分の肌は思ったよりも冷たかった。
「うち、なんか悪い事言ったかな」
「いえ、そんな事は無いですが」
「本当かぁ?」
 応太は取り繕うように笑うが、楓の顔に浮かぶ疑念の色は濃くなる一方だった。文字通り商売柄駆け引きになれた楓の前では、隠し事など元より成立するはずが無いのだ。
 応太は観念したように息を吐き、つぶやく様に言った。
「……どうしても、出て行かなきゃならないんですかね」
「え?」
「大人になったら、どうしても人里に戻らなきゃならないんでしょうか。ずっとここに居たら、駄目なんでしょうか」
「応太君は人里が恋しく無いんか?」
「ありません」
 レンファの方がずっと恋しい。声にさえ出さなかったが、それが応太の本音だった。
 応太は歯を食いしばって込み上げてくる感情を堪える。何もしなければ叫びだしてしまいそうだった。
「せやかて、大人の男が妖怪の側に居たら……。いや、これ以上は藪蛇やな」
 楓はぐいと茶を飲み干し、応太の肩を叩いて立ち上がった。
「楓さん?」
 戸惑う応太の目の前で、楓はここに来た時のように再び棚を背負ってしまう。
「ごちそうさま。お茶、美味しかったで」
「ちょ、ちょっと待ってください。もう行くんですか?」
「ここで茶を啜っていても銭にはならんしなぁ。また明日来るから、そん時までに答えを決めといてや」
 応太は思わず目を剥いて立ち上がる。しかし、それ以上何を出来るでもなく、言葉も出てこなかった。
「うちに出来ることは紹介をする事までやからな。決めるのは応太君や」
「でも、明日までなんてそんな」
 絞り出すような応太の言葉を、楓は鼻で笑った。
「何言うとるんや。時は金なりって言うやろ? 一瞬の迷いで大きな儲けを逃す事だってざらなんや。一日あるだけでもありがたいんやで? いつ何時誰が横槍を入れて来るかも分からへん。横から儲けを掻っ攫われてから後悔しても遅いんや」
 応太は何も言えなかった。
 楓は話は終わりだとばかりに手を挙げて背を向ける。
「あと、お狐はんとは今ちょっと顔合わせ辛い事情もあってなぁ。悪いんやけど、また明日出直すわ」
「わ、かりました。道中お足元に気を付けてください」
 呆然としつつも、応太は条件反射のように居住まいを正して頭を下げる。
 楓は商売用の見事な笑みで一礼を返すと、そのまま躊躇う事無く山道へと歩み去って行った。


 楓を見送った後、応太は再び独りで縁側に座り込んでいた。
 心の整理が追い付いていなかった。レンファに一人前と認められ、頼りにされるために頑張ってきた。しかし一人の人間として認められるという事は、同時にレンファとの別れが近づいていくという事でもあったのだ。
 分かっていないわけでは無かった。でも、考えないようにしていた。
 努力の甲斐あって、応太は今や道場の中で最も頼りにされる存在になった。しかしレンファにとって特別な存在になれたかと言えば、答えは否だ。それどころか、頼りにされるようになったせいで別れが早まってしまったと言っても過言では無かった。
「……ちゃん? 応太ちゃんてば」
 声が聞こえた気がして、応太はのろのろと顔を上げる。
 目の前に金色の双眸が現れて初めて、応太は若藻の存在に気が付いて我に返った。
「あ、若藻姉ちゃ……。若藻さん」
「どうしたの? 何だかぼうっとしていたみたいだけど」
 珍しく狼狽している若藻にも気が付かず、応太は目頭を揉んで頭を振る。何をしたわけでも無いのに頭が鈍く痛む様に重かった。
「いえ、ちょっと疲れただけで。もうお帰りですか」
「ええ。また近いうちに来るつもりだけど。……本当に大丈夫なの? 応太ちゃん」
「大丈夫ですよ」
 応太は立ち上がり、山道の入り口まで若藻に付き添ってゆく。大した距離では無いにも関わらず、応太の足取りは重かった。
「また遊びに来てください。歓迎しますので」
「あ、そうだったわ。聞きたいことがあったのよ」
 はっと思い出したかのように振り返る若藻に、応太は首を傾げて先を促した。
「レンファ、体臭を気にしていたみたいだったんだけど、別に汗臭くなんて無いわよねぇ」
「そんなわけありません」
 思わず即答してしまってから、応太は改めてレンファの匂いを思い返す。
 二人きりで庵に居る時の事や、稽古の後や、組手で触れ合う程に身体を近づけた時に感じる汗や肌の匂い。
 不快だなどと思った事など一度も無い。むしろ応太にとってそれは、ずっと包まれていたいと思ってしまうような、安心して心地よくなってしまう匂いだった。
 それにただ単に心地よい匂いというだけでは無い。女性特有のものか、それともレンファのものなのかは応太にも分からなかったが、ほのかに香る甘酸っぱい匂いはいつも応太をたまらない気持ちにさせるのだ。
「いい匂いよねぇ」
「ええ、とても。……いや、あの」
 答えてしまってから、応太は身を強張らせる。若藻がそんな応太を見てにやにやと笑っていた。
「ねぇ知ってる? 虎の交尾って凄いらしいわよぉ」
「なっ」
 虎の交尾。人虎、レンファとの、交尾。裸同士で、獣のように。
「でも、きっと応太ちゃんなら大丈夫よねぇ。毎日レンファちゃんと一緒に鍛えてるんだもん」
 自分が、レンファと一緒に……。
 応太の脳裏にレンファの柔肌が浮かび上がる。水浴びをしているときの雫を弾く綺麗な肌、稽古に打ち込む鍛え上げられた美しい筋肉、そして筋肉が付いているにもかかわらず女性らしさを失わない丸みを帯びた身体。
 見た目に寄らず抱きしめられると柔らかくて、獣の手足の毛並みもふわふわで温かくて、いい匂いがして、思わずずっと抱きついていたくなる……。
『おうたぁ……』
 まぶたの裏に乱れたレンファが映る。切なげな吐息さえ聞こえるようだった。
「あらぁ、応太ちゃん全身真っ赤よぉ。まさかもう抱いたことがあるのかしらぁ」
「ち、ちがっ。俺はまだ」
 応太ははっと我に返り、慌てて弁解を始める。しかし生半可な言葉では逆に若藻に付け入る隙を与えるだけだった。
「だったら、想像しちゃったのね。でも私だって負けてないのよ? どう? さっきの話考えてくれた? 私の男になるって言う」
「想像してません! 若藻さんの男にもなりません! というか若藻さんには旦那さん居るでしょ」
「そうなのよねぇ。応太ちゃんはレンファの事が大好きだものねぇ」
「ええそうですよ……って、何言わせてるんですか」
「ふふ。ようやくいつもの調子に戻ったわね。悩んでいるよりそっちの方が可愛いわよぉ」
 言われてみると、確かにあれだけあった身体の不快感がいつの間にかどこかに消えていた。
 一体何をされたのか。まさに狐につままれたような気分だった。
「やっぱり若い男の子を苛めるのは楽しいわぁ」
 若藻はケラケラと笑う。応太は渋面にならざるを得ない。気分を変えてもらったのはありがたかったが、しかしそれが最終的にからかう目的で行われたのかと思うと素直に喜べなかった。
「ごめんねぇ。あんまり深刻そうだったからつい、ね。
 あと最後に伝言。レンファちゃんが、私を見送ったら応太ちゃんに庵に来るように伝えてくれって。何か大切な用事があるみたいよぉ」
「え、あ、はい。分かりました」
「じゃ、また今度ね応太ちゃん。お土産置いて来たから、レンファちゃんと二人で食べてねぇ」
 若藻は結局言いたいことだけ言って満足したのか、その後はすんなりと帰って行った。
 応太は彼女の後姿をしばらく見送った後、一度深呼吸をしてから踵を返して庵へと向かった。


 応太が庵の戸越しに声をかけると、レンファはすぐに返事を返してきた。
「入りますよ」
 一応声をかけてから戸を開けた応太の目に、レンファのあられもない姿が飛び込んでくる。
 着物の上着を肌蹴て、豊かな乳房を自ら持ち上げて揉むようにしているレンファ。応太は顔を真っ赤にして彼女から顔を逸らした。
「な、何やっているんですか」
「ん。さっき胸が痛んだものでな」
「痛みって……。大丈夫なんですか」
 応太が顔を強張らせて板の間に上がるころには、レンファも衣服を整え終えていた。
 血相を変える応太に、レンファは心配するなとばかりに笑いかける。
「大丈夫だ。傷も無いようだし、もう痛みも無い」
「でも、何か悪い病気かも」
「大丈夫だよ応太。妖怪は病気にはならないんだ」
 レンファは笑って応太の懸念を一蹴したが、応太としては気が気では無かった。
 レンファはここに暮らす子供達の心の支えでもあるのだ。彼女が病に伏してしまったら子供達は不安がるだろうし、それ以上に何かあったら応太自身も平静で居られる自信が無かった。
「今度一度医者に診てもらいましょう。……って、真剣に話しているのに何食べようとしてるんですか」
 応太の心配などいざ知らず、レンファはいつの間にどこから取り出したのか、見事に実った桃を手にしていた。
「あぁこれか? 別に食べる気は無いさ。あの若藻の土産だからなぁ」
「そう言えば二人で食べてって言われましたけど、それがそうなんですか?」
 レンファは鼻を鳴らして桃を投げて寄こした。
 応太は受け取りしげしげとそれを眺める。食べごろなのを示すかのように甘い匂いがしてはいるが、どこからどう見ても普通の桃だった。若藻の土産物にしては、逆に異様だ。
 若藻の土産物と言えば媚薬成分や精力増強効果のある食べ物や、あるいは薬そのものというのが定番だった。応太自身もタケリタケという妙なキノコを貰ったことがあった程だ。そんな若藻がただの食べ物を持ってくるわけが無い。
「どうやって手に入れたのか、それとも自分で作ったのかは知らないが、その桃には獣の発情期を誘発する成分が含まれているらしい。主に妖怪の獣人種に効果がある食べ物のようだが、人間が食べても影響があるかもしれないな。試しに食べてみるか?」
「俺がレンファに襲い掛かったらどうするんですか」
「まだまだお前に後れを取るような私じゃ無いさ」
 試しに軽口を叩いたものの、予想通りの即答に応太は胸の内で落胆せずにはいられなかった。
「私を発情させて仲間に引き入れたいんだろうさ。食えない物を籠いっぱいに持って来られても処分に困るだけなんだがなぁ」
 確かに部屋の隅に見覚えの無い籠が増えていた。中身が全て桃だとすると、確かに結構な量がありそうだ。
「それで応太。何の用だ?」
「何の用って。俺は若藻さんからレンファが呼んでいるって言われたので。……あ」
 応太の手の中にあるのは発情を促す桃。その効果に気が付かずレンファが食べていればどうなっていたのか。そういう事だろう。
 同時にレンファも若藻のはかりごとに気が付いたらしく、苦笑いを浮かべていた。
「私は特に用は無いよ。行っていいぞ」
「それなら、そろそろ九郎達も帰って来るでしょうし、夕飯の準備でも……」
 立ち上がりかけた応太だったが、急に思い出した事があり再び座り直した。
「どうした?」
「いえ、先ほど楓さんもいらっしゃっていたんですよ。既に客人が来ている事を伝えたら明日また来ると言って帰ってしまわれたんですが」
「ほう、ちょうどいいな。楓だったらこの桃も上手く扱ってくれるかもしれん。他には何かあったのか?」
「それが、その……」
 応太は顔を上げたものの、言葉はなかなか出てこなかった。
 言わなければならなかったが、言えばどうしても決断を迫られる。そして決断する事以上に、応太は自分が居なくなる事についてレンファがどう思うのか分かってしまうのが怖かった。
 自分を見つめるレンファの視線に耐えられず、応太はとうとう俯いてしまう。
「応太?」
 応太は半ば無理矢理、喉から声を絞り出す。
「楓さんがですね、俺に、話を持ってきてくれたんです」
「話?」
「俺の、移り住み先の話です。人手が欲しい村があるって。俺もそろそろ、その、ここを出る頃合いなんじゃないかって……」
 応太はレンファの言葉を待ったが、返事はなかなか返って来なかった。
「明日また来るから、それまでに返事を欲しいと、言われました」
 自分の声がどこか遠くから聞こえる気がした。匂いも、音も、肌の感覚でさえも遠くなり、まるで自分の身体が自分の物でないような錯覚に囚われる。
 膝が妙に痛んだ。目をやると自分の指が白くなるほど食い込んでいた。
 無意識の間に握りしめてしまっていたらしい。硬くなってしまった指を、応太は一本一本意識して剥がしてゆく。
「レンファ?」
 顔を上げると、レンファは見たことも無い表情で胸を抑えて自分の事をじっと見ていた。
 応太に気が付くとすぐに咳払いして居住まいを正したが、その表情は目に焼き付いて離れなかった。
「そう、か。そうだったな。応太もそんな歳になるか」
「でも、レンファからはまだ正式に頼まれて無かったって言ってました。という事は、俺はまだまだ半人前という事で」
 この一点だけが応太の希望だった。レンファがまだ外に出す程でないと考えているならば、自分はまだここに居られる。
 しかし、応太の希望はすぐに叩き潰された。他ならぬレンファによって。
「いや、お前はもう立派な大人だよ。今のお前は、今までここに居た誰よりも頼りになる男だ」
 頼りになる男。これ以上嬉しい言葉は無いはずなのに、応太は目の前が真っ暗になる心地がした。
「今日だって、お前が居てくれたおかげで無事に客人の応対が出来た。他の者だったらここまで手際よくいかなかっただろう。
 応太、お前はもうどこに出しても恥ずかしく無い男だよ」
「でも」
 見つめるレンファの表情は、切ないくらいに優しいものだった。
「そうだな。お前にはもう、この場所は必要ないのかもしれないな」
 身体の中で何かが崩れ落ちる音が聞こえた気がした。
 これ以上考えていたくなかった。だから応太は考えることを止めた。そして、レンファの言う立派な大人らしい対応に努める事だけに集中することにした。
「そうですね。まぁ、俺が居なくても子供達は九郎がまとめてくれるでしょうし、それ以外の雑務に関してもそのうち皆慣れて来るでしょうし」
 先ほどはあれほど声を出すのが難しかったのに、なぜだか今はすらすらと言葉が出てくるのが自分でも不思議だった。
「明日、正式に返事をします」
 自分でもどうしてそうしているのか良く分からないまま、応太は微笑みながら返事をしていた。
「あ、ああ。悪かったな。私ももっと早くに楓に頼んでおくべきだったのに、すっかり忘れてしまっていたんだ」
「いえ、大丈夫ですよ。無事にこうして決まったんですから」
「そう、だな」
「それじゃ、俺は夕飯の支度に行きます」
 レンファの目を見ることが出来なかった。レンファの姿を見ているだけで、声を聴いているだけで胸が張り裂けそうで、そばに居るだけで叫びだしてしまいそうで、応太は逃げるようにして庵を後にした。


 庵を出ると、戸のすぐ外に九郎が呆然とした様子で立ち尽くしていた。
 いつの間にか狩りから帰って来ていたらしい。その右手には仕留められた白い兎が握りしめられていた。
 応太は九郎の頭を撫でながら笑いかける。
「おかえり。九郎は狩りが上手いな。夕飯は兎鍋にでもするか」
「今の話、嘘だよね応太兄ちゃん」
「何だ。聞いていたのか」
 応太は耳の裏をかきながら、明後日の方向を見ながら力の無く笑った。
「まぁ、そう言う事だよ。今までだって兄さんや姉さんを見送って来ただろ。順当に俺の番が回って来ただけの事さ」
「でも、そんないきなりすぎるよ。僕じゃまだみんなをまとめられない。応太兄はまだここに必要だよ」
 応太は少し乱暴に九郎の頭を撫でまわして、言った。
「お前はちゃあんとみんなをまとめて、獲物も獲って帰って来たじゃないか。それに、俺だって明日すぐに居なくなるわけじゃ無いんだ。返事をするだけさ。
 ……ただ、みんなにはもう少し黙っててくれるか」
「言えないよ。言ったらきっとみんな泣く」
「だよな」
 自分が見送ってきた時の事を思い出し、応太は苦笑いを浮かべる。去って行った兄姉達は、皆こんな気持ちだったのだろうか。
 空を見上げると、いつの間にか日が暮れかけていて赤く焼けた空が広がっていた。
 雲一つない、綺麗な夕焼け空だった。きっとみんな山を走り回って腹を空かせている事だろう。
「さ。夕飯の支度だ。九郎も手伝ってくれ」
「……分かった」
 応太は俯く九郎の頭を優しく撫でてやりながら、道場へと向かった。


 夕食の準備中も、みんなで食事を取っている最中も、応太は何事も無かったかのようにごく普通に振る舞った。
 それはレンファも同じだったようで、夕食で子供達と顔を合わせている最中も応太がここを出て行くという話はしなかった。
 ただ、九郎だけは時折顔色を伺うように応太やレンファの方に視線をやっていた。しかしそれでも何かを言い出すという事は無く、いつもとの違いと言えば夕食を少し残したくらいだった。
 食事を終える頃にはもう道場の外は真っ暗だった。
 子供達は食事の片づけを終えた者から就寝の準備をして布団に潜り込んでゆく。一日中動き回っていた事もあり、子供達の寝つきは皆良かった。
 応太は唯一九郎の事が気掛かりだったが、結局は杞憂に終わった。九郎は布団に入ってしばらくは寝返りを打っている様子だったが、それも長くは続かずすぐに規則正しい寝息が聞こえ始めた。
 問題だったのは自分自身だ。応太は月明かりに浮かび上がる天井の梁を見上げながら、子供達の寝息の中にため息を混ぜる。
 夕食の準備や子供の世話で考える時間を無くしていたが、いざやる事が無くなると頭の中にはどうしても不安や後悔のような気持ちが渦を巻いて眠れる気がしなかった。
 応太は静かに布団から出ると、寝室から出て道場へと向かった。身体を動かし汗をかけば少しは寝つきが良くなると思ったのだ。
 ところがいざ道場に出てみると、そこには既に先客がいた。
 虫の声だけが響き渡る、月の光に照らし出された静かな縁側で、彼女は盃を片手に月を見上げていた。
 おぼろげな銀色の月光を照り返す長い髪が風に揺れ、彼女は金色に浮かび上がった獣の腕で髪を抑えつける。
 頭上の耳がぴくりと動き、彼女は僅かに身じろぎして、応太の方を振り返った。
 月の光を浴びたレンファの微笑みを見た瞬間、応太はなぜか泣きそうになる。
「レンファ。どうしたんですか」
「ん。よく眠れなくてな。外に出たら綺麗な満月だったんで、見ていたんだ。お前は厠か」
「いえ、俺も眠れなくて」
「良かったら、少し話さないか?」
 レンファは尻尾で自分の隣を指し示す。
「ちょっと待っていてください」
 応太は台所の棚から仕舞っておいた包みを取り出し、レンファの元へと戻る。
 そして揺れる尻尾に誘われるまま、レンファの隣へと腰を下ろした。
 ほのかにレンファの甘い体臭が香る。雑念を振り払うように夜空を見上げれば、確かにレンファの言うように綺麗な満月が夜空に浮かんでいた。
「酒の肴にはもってこいだな」
「酒に合うかは分かりませんが、これもいかがですか?」
 そう言って応太は取ってきた包みを広げる。月光の薄明りの中、雪化粧をしたような木苺の砂糖漬けが顔を出した。
 目を丸くするレンファに、応太はにっこりと笑いかける。
「食べたがっていたでしょう。これはみんなで分けた残りですから、遠慮せずに食べてください。もっとも数は少ないので、レンファは一口で食べてしまうかもしれませんが」
 憎まれ口を叩くなり、レンファの逞しい腕が首に絡み付いてくる。
「ばぁか。お前が残しておいたくれたのに、そんな勿体ない喰い方出来るかよ」
 少し苦しかったが、その温かな声が、言葉が、身体の温もりが応太には嬉しかった。
 本当は応太自身の分も混じっていたのだが、敢えて何も言わなかった。
 応太にとってはレンファが喜んでくれる事こそが何よりも甘いごちそうだったのだ。
 レンファはすぐに応太を離し、小さな木苺を口の中に放る。
 一つ消え、二つ消え、全て食べ終えるまでレンファは何も言わず、応太もまたそんなレンファの横顔を見ているだけだった。
「美味かった。だが、やっぱり甘い物は酒には合わないな」
「そうなんですか? すみません、気が利かずに」
「いいんだよ。お前も酒を飲む様になったら分かるようになる。次から……。いや、何でも無い」
 レンファは誤魔化すように着物の端で砂糖を払う。
「酒。そうだ、酒と言えば、たまに私が今日みたいな夜に外出する事があるだろう。あれはな、妖怪達の酒宴に呼ばれて顔を出していたんだ」
 知ってはいたが、応太は敢えて話に乗る。このまま黙っているのは、応太も辛かった。
「酒好きの鬼達が開いているあれですね」
「あぁ。でも来ているのは鬼だけじゃない。ジョロウグモや大百足、妖狐に稲荷、カラステング、白蛇や龍。他にもネコマタやら河童やら、この辺りの妖怪共みんなを集めた大酒宴なんだよ」
「妖怪達がそんなにたくさん?」
「妖怪達だけじゃ無く、その旦那達も来ているんだ。だから結構な人数になる。中には酔っぱらってまぐわい始める奴も居てな、全く見ちゃいられない。
 お前はそうなってくれるなよ? 節度というものは、やはり大事だからな」
「分かってますよ。レンファに育てられましたからね」
 応太はちらりとレンファに目を送る。月夜に浮かび上がるレンファの横顔は、楽しそうにも、そして酷く寂しそうにも見えた。
「あぁそうだったな。そうだった。お前の仕込みは私が全部してやったんだから、安心だ。
 ふふふ、酒宴の度に帰りに押し付けられる酒だが、こういう時にはいいもんだな」
 レンファの吐息に酒の匂いが混じる。
「飲みすぎないで下さいよ」
「私だって酒の飲み方くらい分かっているさ」
「いつかへろへろで帰って来ませんでしたっけ?」
「……あ、あれは自分の限界を試しただけだ。何事も限界を知る事は大事だからな」
 意地になるレンファを見て、応太は小さく笑う。
 応太が笑うと、レンファも釣られて笑った。
「こうして二人で月を見上げていると、お前が来た時の事を思い出すよ。
 雨の降る森でお前を拾って、冷え切っていたお前の身体を抱いて温めてやって、ようやく震えが止まったと思ったらお前は私に抱きついたまま眠ってしまっていた。引き剥がすのも可愛そうで、そのままにしていたらいつの間にか夜になっていた」
 応太もその時の事はよく覚えていた。
 冷たい雨の中、自分の身体を抱き寄せる逞しい腕。身体を包み込む柔らかい毛皮と、温かな匂い。
 目が覚める頃には雨が止んでいて、切れた雲の間から真ん丸の月が顔を出していた。
 レンファは今みたいに月を見上げていた。その横顔に滲んでいた寂寥感を、今まで一度でも忘れたことは無かった。
「あんなちびがこんなに大きくなって、もうすぐ出て行ってしまうなんてな……」
「レンファには色々な事を教えてもらいました。感謝してもし切れません」
 レンファは笑って首を振った。
「いいや、私は何もしちゃいないよ。仕込んだなんて言ったが、実を言えば私は今まで誰かに何かを教えたことなんて一度も無いんだよ」
「え? でも、武道の型とか、狩りのやり方とか」
 レンファは酒を注ぐと、盃の中身を一口で呷って息を吐く。
「最初の子供を拾ったのはただの気まぐれだった。旅にも飽きて来ていてな、犬猫を拾うくらいのつもりで、人間の幼獣を成獣になるまで面倒を見てやろうと思ったんだ。
 武道を仕込むつもりは無かった。大きくなるまで餌をくれてやるだけのつもりだった。
 そうしたらな、いつの間にかそいつは私の武道の型や、獲物の取り方を覚えていたんだよ」
「レンファが教えたんじゃなくて?」
「ああ。そいつは私のやる事成す事全部真似してな。そのうちに武道も狩りのやり方も覚えてしまったらしい」
 レンファは月を見上げながら口元を緩める。
「そのうち子供が増え出してな。もちろん拾った子供が子供を産んだんじゃないぞ? 拾った子供が、同じように捨てられた子供を拾って来るようになったんだ。『自分が面倒を見る。レンファには迷惑を掛けないから、一緒に居てもいいだろう』って。
 そこまで言うならと私は受け入れてやった。そうしたら増えた子供まで私の真似をして色々と覚えていってな。全く、人間という奴は凄い生き物だと思ったよ。
 今だってそれは変わっていない。私はなんにも教えてないよ」
 レンファの笑顔は、やはりどこか切なかった。
「でも、人間は凄い生き物だとは思っても、自分とは違う生き物なんだという思いは変わらなかった。犬猫と同じというつもりは無いが、私にとっては別の生き物と暮らしているくらいの気持ちでしか無かった。
 私と子供達の間には常にわずかな距離があったんだ。ほんの少しの違いだが、それは同時にどうにも埋めようのない絶対的な違いでもあった」
 レンファは幾度目かの酒を注ぎ、今度は口を付けずに水面に映った月を眺める。
「でもな、ある日拾った男の子は、他の子供達とはちょっと違ったんだ。
 そいつは同じ人間の兄さん姉さんよりも、なぜか私の方によく懐いてな。私が一人で居るとすぐに飛びついてきて、稽古をしていると必ず隣に並んできて、どこに行くにも一緒にくっついて来た。
 私には触れただけで肉を切り裂く鋭い爪や牙、丸太だって簡単にへし折れる腕や脚があるって言うのに、そいつは少しも恐れもせずに、種族の差なんて最初っからないみたいにじゃれついてきた。
 不思議とそれが嫌では無くてな。それどころか。その子にじゃれつかれるのが少し嬉しくもあった」
 胸の中に熱い何かがこみ上げて来て、応太はそれを堪えるので精一杯だった。少しでも油断すると、目から喉から何かが零れてしまいそうだった。
「いつしかそいつは大きくなって、それまでの誰よりも立派に私に仕えてくれるようになった。
 そばに居るのが当たり前で、離れていってしまうなんて考えたことも無かった。だから、お前の移り先の件は本当に、単純に忘れてしまっていただけなんだ。
 悪かったと、思ってる」
 レンファは盃をくいと呷り、自嘲気味に笑う。
「思いのほか酒が回ったかな。今言った事は忘れてくれ」
「……嫌です」
 応太は声を搾り出し、ぐっと拳を握りしめる。
 明日にはもう楓に返事をしなければならない。機会があるとすれば今しか無かった。この機を逃せば、もう永遠にレンファの側に居られる機会は失われてしまうだろう。
 応太は顔を上げる。もう迷いは無かった。
「嫌って」
「レンファは、もう俺にはこの場所は必要ないって言いましたけど、レンファにとってはどうなんですか。レンファには俺は必要ないんですか」
 応太はまっすぐレンファを見つめながら問いかけた。
 真摯な瞳を向けられ、レンファはびくんと身を竦ませて目を泳がせる。
「必要……。いや、確かにお前が居てくれたら子供達をまとめるのも助かるし、食料の確保も楽になる」
「それだけですか? 俺はレンファにとって、それだけの男ですか?」
「い、いや。客人のもてなしや、買い物をするときにも助かっている。私は数字が苦手だからな。
 それに酒に酔って帰った時もお前が居てくれたら安心だ。いざという時、お前が居てくれるのと居ないのとでは確かに全然違う。
 いや、違う。それだけじゃ無い。私にとって、お前は……」
「俺は、レンファさえ良ければここに居たいと思っています」
 レンファは目を見開いて応太を見つめる。
 だが、そのあとすぐに目を伏せて首を振った。
「それは、でも、駄目だ。確かにお前が居てくれたら私にとっては良い事ばかりだが、私の都合でお前の人生を無駄にさせるわけにはいかない。
 私はこれまで独りで生きてきた。これからも独りで生き続ける。それだけの事だ。
 応太。お前はもう立派な大人だ。私に縛られる必要なんてない。お前の行きたいように生きろ」
 ここが正念場だ。失敗しても別れるしかないのならば、全てぶつける。応太はレンファの手に自分の手を重ね、じっと彼女の目を見上げた。
「なら、俺はレンファのそばに居たい。さっきはああ言ったけど、俺は人里なんかよりもレンファの近くに居たいんだ」
「や、やめろ。私の為を思ってそれ以上自分を殺す必要は無いんだ。お前は自分の好きなように」
 レンファの声は上ずり、震える。どうしてそこまで狼狽するのか応太には分からなかったが、だからと言ってここで全てをうやむやにしてしまうのだけは絶対に嫌だった。
「これが俺の意思です。無理なんてしてない。どうしてそんな風に言うんですか」
「……若藻が言っていたんだ。お前には心に決めた人が居るようだって」
 応太の頭の中が、一瞬真っ白になる。
「私の事を気遣ってくれるのは嬉しいが、お前はお前の好きな女と一緒になるべきだ。楓の紹介先というのは、そういう事なんだろう。その、お前の想い人がいる……」
「いませんよ。そもそもどこかなんて話さえまだ聞いてませんし」
「む。ならば、ここに来る妖怪の誰かか? お前が会った事のある妖怪は……むぅ、結構居るな」
「違いますって。そもそも俺の応対見てて、誰かに気があるように見えますか?」
「お前の事はよく見ていたが、確かにそんな風には見えなかった。だが、それは私が鈍いだけで」
「確かに鈍いですね。俺の気持ちにも、ずっと気付いてくれなかった」
「な、に?」
 応太は大きく息を吸うと、戸惑うレンファにはっきりと告げる。
「俺の心に決めた人というのは、レンファ、あなたの事です。あなたに拾われた時から、ずっとあなただけを見てきた」
 レンファは目を真ん丸に見開き、魚のように口をぱくぱくとさせる。何かを言おうとしているようだが、あまりの驚きに言葉になっていないようだった。
「う、嘘だ」
「本当です」
「だってお前、最近私に冷たかったじゃないか。目が合うと逸らしたり、私の身体を見ようとしなかったり、触れるのを避けた事だってあった。あれが想い人にする事か?」
「いや、それは……」
 理由はあるが、それは本人に言えるような事では無い。応太が口ごもっていると、レンファは言葉には出さないまでも意気消沈したように肩を落としてしまった。
「好きだからこそ、レンファの姿が見られないというか」
「もういい。無理はしなくても」
「邪な気持ちになってしまうからです。レンファに触れていたり裸を見ていると、良く無い気持ちになってしまうから、だから」
 レンファの言葉を遮り、レンファが驚いているのも気付かずにただひたすらに応太は自分の想いをぶちまける。このまま誤解されるのは、自分の中の欲望を知られるよりも嫌だった。
「レンファの事を一人の女として見てしまうから、触れていたら抱きしめたくなってしまうから、自分を抑えられなくなってしまうから。でも俺は好きな人をそんな目で見ていたく無くて、だから」
「で、でも。私は妖怪なんだぞ」
「分かってます。自分がどこかおかしいかもしれないって言うのは理解してます」
「私は人間達から人喰い虎と恐れられて」
「でも本当は子供を拾って育てる優しい妖怪です。格好良くて、ちょっと抜けてるところがあるけどそこがたまらなく可愛くて」
「身体だって、筋肉ばかりだぞ。女らしさなんて、これっぽっちも」
 応太は、身を竦めるレンファの肩を力強く掴むと、満月のように煌めくその瞳を覗き込みながらはっきりと告げる。
「俺にとっては十分女です。この世で一番愛しいただ一人の女です」
「あっ」
 満月から滴が零れ落ちる。
 レンファはそれを指で拭ってから、ようやく自分が涙を流したことに気が付く。
「う、嘘だ。こんなの、信じられるわけ」
「嘘じゃない。どうすれば信じてくれますか? 俺に出来る事なら、いや、出来ない事だってどうにかして見せます」
 拭っても拭っても、レンファの瞳からは涙が流れ落ち続けた。
「レンファ」
「人間の小僧が、虎の妖怪を愛するなんて笑い話としても三流だ。酔っ払いだって笑わないだろう。
 でも、そんなに信じて欲しいのならそれを証明してみせろ。ずっと私のそばに居て、嘘じゃないんだって信じさせてみせろ。私が死ぬまで、ずっと隣で、私を愛しているんだと信じさせ続けろ。
 その覚悟が無いなら、私はそんな眉唾信じない」
「分かりました。レンファが死ぬまでずっとそばに……。え」
 溢れ出る涙を、レンファは拭い続ける。
「約束だぞ。もう絶対にどこかに行くなんて言うな。私に寂しい思いもさせるな。いいな」
 応太は頷くと、子供のように泣きじゃくるレンファの身体を優しく抱き寄せた。
 いつもは虎のように逞しいレンファの身体が、今は子猫のように震えていた。


 レンファが泣き止むまで、応太はずっと彼女の身体を抱き締め続けた。
 鍛え抜かれたその肉体とは裏腹に、涙にくれる彼女の姿は少女のように儚げでもあった。
「もう、大丈夫だ」
 目元を赤く腫らしたレンファは、顔を上げると応太から目を逸らす。
「……みっともない所を見せたな」
「今までも結構見てますけどね」
「う、うるさい。場所を移すぞ」
 レンファは応太の身体から強引に抜け出すと、縁側から立ち上がる。
 ぼんやりと見上げる応太の方を振り向かなかったのは、照れ隠しなのかもしれなかった。
「これから話す事は、間違っても子供達には聞かれたくないからな。私の部屋に来てくれ」
 言う事だけ言うと、レンファはずんずんと一人で歩きだしてしまう。
 応太は慌てて立ち上がると、ゆらゆら揺れる尻尾を追いかけた。


 庵の中に入り込むなり、応太はレンファに抱きつかれて板の間に押し倒された。
「れ、レンファ?」
 レンファは応太の胸元に顔を埋めると、猫のように髪や耳を擦り付ける。
 一しきり髪や耳を応太に擦り付けると、レンファは満足したかのように動きを止めて、ぎゅっと応太の身体を抱き締めた。
「私にとっても、お前は特別な子供だった。お前だけが、私が寂しがっていると言い、私にくっついて来た。
 最初は戸惑った。でも、嬉しかった。お前は孤独を忘れさせてくれた。いや、お前と居ると、私は孤独ではいられなくなった、と言う方が正しいかもしれない。
 成長するにつれてお前は抱きついて来なくなった。少し距離も取られるようになって、私はまた少し寂しく思うようになった。
 正直、私は自分でもお前の事をどう思っていたのか分からなかった。でもお前に愛していると言われて、抱きしめられて、はっきりと分かった。
 応太。私もお前の事を一匹の雄として意識していた。私もお前の事が好きだ」
 応太は、自分の胸が、全身が熱を帯びていくのを感じた。
 しかしそれはレンファも同じようだった。身体の上のレンファの体温も、わずかに上がったような気がした。
「お前の前では、もう私は虎ではいられない。ただの雌猫になってしまうだろう。多分今よりもっと甘えてしまう。
 それでもお前は私の側に居てくれるか?」
「レンファ」
「……子供達の前ではちゃんと虎でいるから、雌猫になるのは、お前の前でだけだから。だから、お願い」
「当たり前じゃないですか。離れませんよ。どんなレンファでも、俺は大好きですから」
 髪をなでると、レンファはくすぐったそうに笑い声を上げる。首を撫でられ気持ちよさそうにごろごろと喉を鳴らす猫のようで、応太は愛しくてたまらなくなる。
「でも、今更ですけど本当に俺なんかでいいんですか」
「私にとってお前以上の雄は居ないよ。色んなところを旅して回って、自分でも育ててきたが、私をこんな気持ちにさせてくれたのはお前が初めてだ。
 温かくて、満たされる感じがして、腹いっぱい食って日向に寝転んでいるよりも心地よい。こういうのを幸せって言うのかな」
 応太は微笑み、ただただレンファの髪を撫で続けた。
 レンファはごろごろ言いながら、されるがままに応太の毛づくろいを堪能しているようだった。
 しばらくそうしていたあと、レンファは急に身体を起こして応太の顔を見下ろした。
「どうしたんですか?」
「うん。せっかくお互い好きあっている事が分かったのだから、ちゃんとした契りを結んだ方がいいと思ったんだ」
「契り?」
「うん。夫婦としての契りだ。交尾をしよう。応太」
 いきなりの申し出に、長年レンファに連れ添ってきたとはいえ流石に応太も絶句を禁じ得なかった。
「あと、その敬語ももう止めよう。昔のように普通に話してくれ」
「分かりまし……。分かった。それはいいとして。でも交尾って、繁殖期が来たって事?」
「多分、まだ来ていない。でも、生き物として自分の仔を残したいと思うのは当然の事だろう。ましてやそれが愛しい雄との間の事となれば、なおさらだ」
 レンファは下腹部を撫でながら、はにかむような笑顔を浮かべる。
 その瞬間、応太はぎゅうっと心臓を掴まれたような気持ちがした。
「ちゃんと理性は働いている。素直な気持ちとしてお前との間に仔が欲しいと思ったんだ。夫婦としての証も欲しいしな。
 まぁ、応太が嫌なら無理にとは言わない」
 部屋を薄ぼんやりと照らしている燭台の蝋燭が、ジジッと音を立てる。
 月光と燭台の光がレンファの肢体を浮かび上がらせていた。野性的な逞しさと女性的な美しさが見事に調和したその肉体美。着崩れた着物の胸元から、柔らかそうな曲線が、滑らかな肌がつやめく。
 これまで見たことも無い程に艶めかしいその姿に、応太は思わず生唾を飲み込んだ。
「分かった。俺も、レンファとしたい」
「そうか。嬉しいよ」
 レンファは再び応太にしなだれかかると、鼻と鼻をくっつけ、応太の頬に頬ずりし、髪や耳を擦り付ける。
 柔らかく湿った唇を押し付け、舐めてはまた鼻と鼻をくっつける。
 レンファは唇だけでなく、肌と肌を触れ合せ、匂いを付けあう。応太を自分の物であり、自分が応太の物であると確かにしるしを残そうとするかのように。
 獣同士のじゃれ合い。けれどそこには、今までには無かった妖艶さがあった。雄をけしかけるような雌の色香があった。
 レンファの髪から、耳の裏から、その肌から、雌の匂いが立ち昇る。それに当てられたかのように、応太は自ら彼女の髪の中に顔を埋め、その首元に舌を這わせる。
 着物の上から逞しい背中をなで下ろしてゆき、尻尾の付け根をくすぐり抜けて、むっちりとしたお尻を少し強めに掴む。
「あっ。ふふ、お返しだ」
 レンファも負けじと応太の頬を舐め、耳たぶに息を吹きかける。着物の下に腕を滑り込ませて、胸を、わき腹をまさぐる。
 着物を脱がせてくるかと思ったその手が、しかし途中でふと止まる。
「なぁ応太。実を言うとな、私、交尾の仕方を知らないんだ。お前は知っているか?」
 少し心細そうな囁きに、応太は一時愛撫を止める。
「した事は無いけど、一応知識としては。でも、知らないなんて冗談だろう?」
「いや、雄の物を雌の穴に入れるくらいは知っている。もちろん、雄の精を雌の子袋にそそぐことで子が出来るという事もな。
 ただ、人の交尾はそれだけでは無いのだろう? 私は長い事生きてきたが、こういう事には今まで全く興味が無くてな。知識も全く無いんだ。だから、お前をどうやって喜ばせたらいいか良く分からない。お前を満足させてやれるか……」
「それは俺も同じだよ」
 応太は囁きながら、レンファの髪に指を絡めてさらさらのその感触を楽しむ。
「でも、レンファとこうしているだけで気持ちが良い。レンファの身体に触って、匂いを嗅いで、舐め合って、声を聴いて、レンファの色んな表情を見ているだけで幸せな気持ちになれる」
「おうたぁ……」
 切なげな吐息。幾度も思い浮かべた滑らかな肌と、そのぬくもり。想像では無く、現実にそこにあるというだけで、応太の胸はいっぱいになる。
 応太はレンファの着物の帯に手を掛け解きにかかる。衣擦れの音に気が付いたレンファも、応太の着物の帯に手を掛けた。
 応太の手で、レンファの均整のとれた美しい身体があらわになってゆく。鍛え上げられながらも女らしい丸みを帯びた肩。ふわふわの獣毛に覆われた腕。こぼれ落ちそうな形のいい乳房。引き締まった腰回り。
 筋肉の上にわずかに脂肪の乗った触り心地の良さそうな太もも。そしてその付け根には、人間の女と変わらない割れ目が、水気をおびてぬらぬらと光っていた。
「今日は目を背けないんだな」
「あぁ。やっぱりレンファの身体は綺麗だ」
「っ。わ、私ばかり見られるのは不公平だ。ほら、脱がすぞ」
 レンファの獣毛に覆われた手が応太の胸の上を這い回る。虎の毛皮は温かく、思っていたより柔らかくてくすぐったかった。
 時折押し付けられる肉球の独特の柔らかさもたまらない。
 そんなレンファの腕が、あるところで突然止まる。
 帯を解かれ着物を脱がされてあらわになった応太のまたぐらを見て、レンファは完全に動きを止めてしまっていた。
 その視線の先にあるのは、既に天井に向かって反り返っている応太の一物だ。
「レンファ?」
「これが雄の、応太の一物なんだな。こんなに大きなものが、私の中に……。なぁ応太。触っても、いいか?」
「もちろん」
 試すように指先でつつかれ、それから少しずつ指を絡められてゆく。ふさふさの毛皮とぷにぷにとした肉球の感触に敏感なところを包み込まれ、応太の背筋にさざ波のような感触が走り抜ける。
 が、突然力いっぱい握られ、応太は思わず呻き声を上げる。
「す、すまない。痛かったか」
「ちょっとだけね。もう少し、優しく」
「こ、このくらいか」
「あぁ。これ、凄いよレンファ」
 絶妙な力加減で肉球が押し付けられ、柔らかな毛皮が撫でつけられる。
「雄の、応太の匂い……」
 レンファは鈴口に顔を寄せると、小さく鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。意識的にか無意識なのか、一物を扱う指が艶めかしく動き始める。根元から先端へ向かって搾り取るように扱いたかと思えば、柔らかな毛皮で亀頭を包み込んで擦り付け、鈴口に肉球を押し付ける。
「なぁ応太。舐めてみても、いいか?」
「でも、臭いだろう。そんなに無理をせずとも」
「応太の匂いが臭いものか。私はこの匂い嫌いでは無いぞ。野性的というか、本能に訴えるような……。それにな、美味そうな感じがするんだ。食べ物とは違うが、なんというか、上手く言えないのだが……。
 だから、ちょっと味わってみたいんだ」
 上目づかいで一物を味わってみたいなどと言われては、応太はもう何も返せなかった。それを肯定と受け取ったのか、レンファは応太のものの鈴口に唇を押し当て、舌でぺろりと舐め上げる。
 感じたことも無い程に柔らかな感触を押し付けられ、たまらず応太のものが跳ねる。
 レンファはびくりと身を竦めさせるが、すぐに気を取り直して今度は目の前のそれを口の中いっぱいに咥え込んでしまう。
 ざらざらした舌が裏筋を這い回り、竿全体を熱く柔らかな頬に覆われる。その上じゅるじゅると音を立てて吸われては、応太もたまらず腰を跳ねさせずにいられなかった。
「レンファ。それ以上やったら、出ちゃうよっ」
「むぐ? ちゅぱっ。すまない。想像以上の"味"に、一瞬我を忘れてしまった。
 応太の精の味にも興味はあるが、しかしやはり子種はちゃんと子袋に出してもらわなくてはな」
 レンファはあっけない程簡単に身を引くと、応太の正面に膝を立てて座った。ちょうど女が小用を足すような体勢だ。
 仰向けになっていた応太は身を起こし、彼女と向かい合う。
「い、入れるのはここだ。分かるか?」
 レンファはそう言って、自らの割れ目を指で押し広げる。ぽたりと蜜が溢れ出し、むわりと濃い雌の匂いが広がる。
 蝋燭の明かりを妖しく照り返す炎のような形をしたレンファの淫らな花から、応太は目が離せなくなる。
 雌の匂いに当てられ、応太は頭の中が痺れていくのが分かった。分かっていても、それはどうにも止められなかった。
「応太、場所は分かったか? ちゃんと、あっ」
 レンファの肩を荒々しく掴み、力付くで押し倒す応太。
 考える前に、その柔らかい唇に自らのそれを押し付けていた。
 レンファの瞳が一度大きく見開かれ、そしてすぐにとろんと蕩ける。
 二人はお互いの唇をついばむように重ね合い、そしてどちらからともなく唇を開いてお互いの舌を求め合った。
 ぴちゃっ、くちゅっ。という水音を耳に感じながら、応太は腰から突き上げる感覚のままに腰をレンファのまたぐらに押し付ける。
 だが初めてで慣れないためか、応太の一物はレンファの割れ目を上下に擦るだけで、なかなか雌穴を見つけられずにいた。
 擦っている拍子に豆のような物を擦り上げ、レンファが声を上げる。
「ひゃうっ。も、もう。ほら、ここだ」
 応太の雄の根元に獣毛の生えたものが巻き付き、その先端をレンファの入口へと押し当てる。応太の身体を抱き締めたまま、レンファが自らの尻尾で応太の雄を導いたのだ。
「あまり、焦らすな」
「ごめん。じゃあ、入れるよ」
 レンファは頬を染めて、小さく頷いた。
 応太は頷きを返し、少しずつ腰を沈めてゆく。
「いっ。あ、あ、あ」
 硬く閉じた入口はなかなか応太を受け入れようとはしなかった。しかし力を籠め無理矢理先端を捻じ込んでいくうちに、亀頭が飲み込まれた辺りで急に膣肉の感触が変わった。
 きつい入り口を越えた途端、レンファの雌肉が、まるで応太の雄を引きずり込もうとするかのように内側に向かって強く蠢き、すぼまったのだ。
 応太は驚き、まじまじとレンファの中に埋まりつつある自分自身に目を下ろす。少しも力を入れていないにも関わらず、応太の一物が少しずつずぶずぶとレンファの中に沈み込んでいく。
 自分を破った強者を認め、受け入れるかのように、レンファの身体が応太を招き入れようとしているかのようだった。
 筋肉質な外見とは裏腹に、彼女の胎内は硬さとは無縁の柔らかさだった。
 たっぷりと甘い蜜を帯びた締まりの良いしなやかな雌肉が、みっちりと隙間無く応太の雄を包み込む。
 その膣肉の締め付けと吸い付きは、入れたはいいがもう抜けなくなるのではないかと思ってしまう程に強い。
 全身を鍛え上げるうち女陰まで鍛え上げられたのか、それとも妖怪の雌の穴は皆そうなのか、レンファの膣は強く締め付けるだけでなく、自ら激しく蠕動して応太のそれを擦り上げ揉み上げる。
 応太は額に汗を滲ませ、歯を食いしばって必死に暴発を堪える。先ほどの口淫の刺激が残っている事もあって、もう腰元にまで何かがせり上がってきているようだった。少し油断しただけで気持ちが溢れてしまいそうだ。
「おう、たぁ」
 涙を滲ませたレンファが、乙女のような顔で応太の事を見上げていた。
「痛かった? 大丈夫?」
 レンファは首を振り小さく微笑む。
「少し。でも、今はもう平気だよ。
 あのね応太。私、いつも訓練してるから、膜、もう破けているかもしれないけど。でも、本当に初めてだから」
「分かってる。そんなの気にしないよ」
 レンファは顔をくしゃくしゃにして笑うと、応太の背に回していた腕にぐっと力を込めた。
「レンファ。ちょっ」
 そして虎の毛皮に覆われたその両足を応太の腰に回し、応太の一物がさらに深く突き刺さるようにと、自ら応太を抱き寄せる。
「ん、んンッ。あっ、あっ、あっ、ぅああ、ああああっ」
「くっ。ぐぅっ」
 一物の根元まで一気に飲み込まる。蜜にまみれた柔肉に一物全体を激しく揉みしだかれ、先端がざらついた場所に擦れて、頭が一瞬真っ白になる。しかしそれでも、応太は必死に耐え続けた。
 レンファとの初めてを、こんなにあっけなく散らしたくなかった。
「おうたぁ。おうたぁ……」
 熱っぽいレンファの吐息が耳をくすぐる。甘酸っぱい体臭が鼻腔いっぱいに広がって理性が焼けていく。滑らかな肌が、胸の上で潰れる乳房の柔らかさが、背中を締め付ける毛皮が、太ももに巻き付いてくる尻尾が、応太を追い詰めてゆく。
「れ、んふぁ」
「おうた。わたし、なんかへんだ。いたくないのに、こすられるたび、からだがかってにうごいてしまう。あ、あ、ああんっ」
 応太の少し身じろぎしただけの僅かな動きにも、レンファは敏感に反応して身体をびくつかせる。
 身を竦め、何かに怯えるように強く応太の背中にしがみつく。
「おなかが、あつい。おうたぁ……」
 きつく目を閉じるレンファの髪を、応太は愛しそうに撫でる。
「大丈夫。俺はどこにも行かないから。レンファの事離さないから」
 応太は囁くと、上半身を密着させたまま少しずつ腰を引いていく。
 雄が出て行くのを嫌がるように、レンファの雌肉はさらに強く激しく応太を締め上げ、搾り上げる。
「おう、た。それいじょうは、だめぇ。もう、わけが、わからなくっ」
 レンファは涙の滲んだ瞳で訴える。その表情には、いつもの余裕はかけらも無かった。そこに居るのは虎などでは無く、独りの初心な少女に過ぎなかった。
「それに、ぬいちゃ、やぁ……」
 零れ落ちる涙を舐めとる。レンファの涙はしょっぱく、それでいて堪らなく甘かった。
「あぁ。もう一回入れるよ」
 ゆっくりと引き上げた腰を、一気に突き入れる。
 硬い雄の棒と、それを締め付けるしなやかな雌肉が激しく擦れ合い、二人は獣のように声を上げながらお互いの身体に強くしがみつく。
「レンファ、気持ちいい?」
「ふぁああ。わからない、でも、いやじゃ、ない」
 応太は息遣いだけで笑い、再び腰を引き上げようとする。
「でも、あぁ、だめぇ。これいじょうされたら、わたしぃ」
 腰に強くレンファの脚が絡み付く。
 しかしその力も、応太が腰を突き入れるだけであっけなく抜けてしまう。
 脚の締め付けが緩んだ隙に、応太は腰を引き抜き、そして深く突き入れる。
 今夜が初めてである応太の動きは鈍く、ぎこちないものではあったものの、その猛った一物が抜き差しされるたびにレンファの身体は弛緩してゆき、その表情もまた蕩けきっていった。
 口元を緩め、頬を上気させてとろんと目じりを垂らしたその顔は、交尾の快楽に酔いしれる雌以外の何物でも無かった。
「んっ、あ、あっ、あんっ、おうた、すきぃ、だいすきぃっ」
「あぁっ、レンファ、俺もっ、愛してる」
「孕ませてっ、応太の子種、いっぱいっ、そそいでっ。応太の仔、欲しいっ」
 応太ももう限界だった。決壊しそうになる体を精神だけで動かし続けていたが、腰から突き上げる欲望はもう臨界点を超えていた。
「れん、ふぁあ、出すよっ」
「おうた。おうたぁっ」
 応太はひときわ強く腰を打ち付ける。その最奥を掻き回すかのように、下腹部が密着してからも腰を振り、捻じ込み続ける。
 膣がきゅぅっとすぼまり、レンファの腕が、脚が、応太の身体を強く抱き締める。
 愛しい人の肌に、匂いに包まれながら、応太はついに思いのたけを解き放った。
 心臓のように一物が激しく脈動し、レンファの中心に向かって、塊のような精液が何度も何度も放出されてゆく。
「う、あ、あ……」
 身体の最奥に精液を叩きつけられ、白く染められる度にレンファは身体をびくりと跳ねさせ、その全身を強張らせる。
 射精中の一物を締め上げられた応太もまた、たまらず全身を痙攣させながらレンファの身体へとしがみついた。
 荒い吐息が混ざり合い、少しずつ穏やかになってゆく。
 やがて射精が収まると、応太の背中からレンファの手がするりと離れる。
「あ」
 レンファは応太の頬を両手で包み込むと、その唇を無理矢理に奪う。
 唇を割り、舌を絡め、交わりの興奮の残り香を楽しむかのように口の中を愛撫してゆく。
「んちゅぅっ。応太ぁ」
「レンファ……」
 興奮を残しながらも、いつもの平静さを取り戻したレンファがそこに居た。
「すごかったぞ、応太。もともと愛しい雄だとは思っていたが、なんというか、見直した。いや、惚れ直したと言うべきか」
 レンファは自らの下腹部に視線を移す。まだ繋がったままの、激しく絡み合い擦れ合った余韻の疼きを残すその場所へ。
「雄の一物というのは、こんなにも熱く、激しく脈打つものなのだな……。溢れてしまうかと思ったよ。まだ胎の中がぐつぐつと煮え立っているようだ」
 見れば余韻が残っているのは胎の中だけでは無いようだった。頬は未だに上気したように染まっており、その目も熱を帯びてとろんとしていた。
「レンファも凄かったよ。凄くきつい締め付けで、なかなか僕を離してくれなくて、何度漏らしてしまいそうになった事か」
「ふふ。途中で漏らしても良かったんだぞ? 子袋に子種を貰えれば、私はそれでいいからな」
「そうかもしれないけど、どうせならお互い気持ち良くなりたいじゃないか。レンファは気持ち良く無かった? 途中でとても可愛い声を上げていたけど」
 途端にレンファの赤かった頬がさらに真っ赤に染まる。視線を合わせているだけでも恥ずかしかったのか、目を逸らしてしまう。
「だ、だから言ったろう。お前の前では雌猫になってしまうと」
「雌猫ってより、子猫みたいだった。可愛かったよ」
 むっとした顔になったレンファが言い返して来る前に、応太は軽く唇を合わせる。
「レンファのこんな顔、他の誰にも見せたくないな」
「ば、ばか。当然だ」
 今度は目だけでは無く顔を逸らされてしまう。
 レンファのすっきりした首筋には、いくつもの玉の汗が浮かんでいた。レンファの首だけでは無い、落ち着いて見れば、二人はいつの間にか汗だくになっていた。
 応太はその汗から、レンファの雌としての匂いを嗅ぎ取る。家族や師としてでは無く、今まさに激しく貪り合った交尾の相手としての残り香を。
「レンファ、やっぱり綺麗だね」
 顔を寄せ、その首元に舌を這わせる。
「ひあっ。お、おい、応太」
「ちゅっ。まぐわった時にあんな風になるなんて、俺全然知らなかった。レンファの事、もっとよく知りたいんだ。雌としてのレンファを。もっと知って、もっとレンファを味わいたい。
 ちゅっ、ちゅっ、ちゅうぅっ」
 珠の汗に唇を押し当て、音を立てて吸う。ぴちゃぴちゃと音を立てて首筋を舐め、口づけを交えながら、肩口へ、窪んだ鎖骨へ、そしてついにはむっちりとした乳房へとむしゃぶりつく。
「おうた。はンっ、やめ、あっ」
 改めて舐めしゃぶり触ってみると、その鍛え上げられた肉体からは想像できない程にレンファの乳房は柔らかく魅力的だった。
 片方の乳首を甘噛みしながら、もう片方の乳首をつまみ上げると、レンファは嬌声を上げながらその身を仰け反らせた。
 あと一回くらい、この身体を楽しみたい。応太がそんな風に調子に乗り始めたその時だった。
 応太を咥え込んだままの膣が、一度"どくん"と脈打ち、そして。
「あ、れ」
 気が付けば、応太は天井を見上げていた。
 レンファの事を見下ろしていたはずが、いつの間にか好色そうな淫らな笑みを見上げる形になっていた。
 組み敷いていた身体もいつの間にか組み敷かれており、両手も指を絡めるようにして床に押し付けられている。
「お、お前の、せいだぞ、応太ぁ」
 レンファの声にそれまで聞いたことも無い程の艶が滲んでいた。
 交合時の喘ぎとも違う、ねっとりとまとわりつくような女の声色。応太はようやくその事に思い至るが、気が付いた時には全てが遅すぎた。
「お前が、敏感なところを舐めるから、私に雌を意識させるから……。
 あぁ、身体が熱くて、もう抑えられない。応太が欲しくて欲しくて、たまらないよぉ」
 両の手を、ぎゅっと強く握られる。
「まさか、発情……」

 "虎の交尾って凄いらしいわよぉ"

 若藻の別れ際の言葉が蘇る。あの若藻を持ってして凄いと言わしめるのだ。到底一度や二度の、普通のまぐわいで済むわけが無い。
「応太ぁ……」
 ぽろぽろ涙を零しながら、しかしレンファは手を握る以上の事はしてこない。
 応太ははっと息を飲む。今、レンファは激しく葛藤しているのだ。なりふり構わず雄を得ようと暴れはじめた本能を、鍛え上げた理性で必死におさえようとしている。
 そんなレンファに対して自分が出来ることはただ一つしかない。応太はレンファの手を強く握り返して、微笑んだ。
「レンファ。我慢しなくていいよ。レンファが俺の子を孕むまで、いや、孕んだ子供にたっぷり精を与えてやれるくらいまで、いっぱいいっぱいしよう」
 レンファの顔が、にたりと弛緩する。
 舌なめずりするその唇が降りてきて、応太の唇に喰らい付く。
 強靭な腕で、脚で、尻尾で拘束したその身体の上で、レンファは激しく腰を振り始めた。
 縦に、横に、捩じるように。不規則な動きに応太はあっけなく二度目の限界を迎える。しかし応太の熱い精を胎の中に受けながらなお、レンファの動きは止まらなかった。
「あぁん。出てるぅ。応太の子種が、いっぱい出てるよぉ。
 もっと、もっと欲しぃ。お腹の中がいっぱいになるまで、応太が欲しいよぉっ。
 応太。応太ぁ。おうたぁっ。好き、好き、大好きぃっ」
 レンファの瞳は野生の性欲で濁りながらも、しかし愛しい想い人の姿は決して見失っては居なかった。
 その気持ちに応えるべく、応太もレンファだけを見つめながら腰を突き上げ始める。
 長い長い夜になる事を覚悟しながら、応太は重ねられた手を再び強く握りしめるのだった。

 ……

 …………

 ………………

 あるところに、人間達から人喰い虎が棲むと恐れられる山があった。
 人間の子供を一口で飲み込んでしまうような大きな虎が棲むと信じられている山にも関わらず、しかし人間達は時折自分達の子供をそこに置き去りにしていった。
 ありていに言えば口減らしだ。
 しかしいくら子供を目の前から消したとしても、いらなくなった子供や食わせられなくなった子供が最初から居なかった事になるわけでは無い。
 子供達はそう簡単には死ななかった。
 捨てられた子供達は虎に喰われる事も無く、決して生きる事をあきらめずに、捨てられた子供達なりに人間達の見えなくなったところで精一杯生き続けていた。
 しかしそれは取り立てて驚くべき事でも無かった。
 なぜなら、元々この山には人喰い虎など居なかったのだから。
 居たのは一匹の、真面目で面倒見のいい、寂しがり屋の虎の妖怪だけだったのだから。


 急斜面の獣道を登ってゆくと、急に視界の開けた広い場所に出る。
 青々とした木々と竹林に取り囲まれた、道場を備えた小さな庵が件の寂しがり屋の住居だった。
 いや、元寂しがり屋か。彼女は背中の行商棚を背負い直しながら、口元を緩める。
「こんにちわぁ」
 道場に向けて声をかけると、日に焼けた精悍な顔つきの青年が顔を覗かせた。
「やぁ楓さん。お久しぶりです。お元気そうで何より」
「おう。九郎ちゃんも逞しくなったなぁ」
「鍛えてますから。レンファに会いに来たんですよね、案内しますよ」
 九郎は白い歯を見せて笑うと、楓に向かって手を差し伸べた。
 楓は意地悪な笑みを浮かべる。
「重いでぇ」
「望むところですよ」
 楓は軽々と棚を下ろすと、九郎に結び目を持たせてやる。
 その途端九郎の身体が激しく強張り、額に脂汗が滲みだす。
「まだまだ鍛錬が足りんとちゃうかぁ」
「へ、平気ですよ、これくらい」
 あっちへふらふら、こっちへふらふらしつつも確かに前に向かって歩いていく九郎の後姿を眺めながら、楓は昔の事を思い出していた。
 九郎の前にここの子供達をまとめていた青年、応太に、新しい移り住み先を紹介した日の事を。そしてその次の日に見た、衝撃的な光景を。
 例年の通りに移り住む先の里を紹介すると、応太は親が不治の病に冒されていると告げられたかのように激しく狼狽して、楓にこう尋ねたのだった。
 自分はここに留まっては駄目なのか。大人になったらここを離れなければならないのか、と。
 楓はその問いには答えず、翌日までにここを出て里に出るかどうかを決断するようにとだけ告げて、ここを後にした。
 どこに住んでどう生きるかなど、誰かに言われる事では無いのだ。ましてや自分の事を決められるようになった大人なら、なおさらだった。
 結果として、彼の選んだ答えは最善だったのだと楓は信じている。
「レンファ。お客さんですよ。楓さんが来ました」
 小さな庵の前には、既に準備を整えた一匹の妖怪が居た。
 もともとの生まれは別の国にも関わらず、ジパング特有の着物を風流に着流した虎の妖怪、人虎のレンファ。
 大の男をしのぐほどの体格はどこも鋼のように鍛え上げられており、柔らかな虎の毛皮の上からでもその膂力のすさまじさが想像出来る程だ。
 一見男勝りの厳めしい姿に見えるが、しかしだからこそ、その頭に頂いた可愛らしい虎の耳と、腰から生えたふわふわの獣の尻尾の破壊力は底知れなかった。
「何だ。直接向かったんじゃ無かったのか」
 レンファは驚いたように目を見開き、組んでいた腕を解く。
「真っ直ぐ行ったら大分待つ事になりそうやったからなぁ。その前にレンファちゃん達の顔見たいと思って」
「確かに、まだ少し時間が早いか」
 日はまだ高い。約束の時間には、少し早すぎる。
「しっかし、応太君が居ないと寂しいなぁ。今頃、どこでどないしてるんやろなぁ」
 ぽつりと楓がつぶやくと、レンファは顔を曇らせて俯いた。
「あぁ。あいつはな。少し出てくると言ったきり……」
 その時だった。
 ざわり、と庵脇の茂みが揺れたかと思うと、前触れも無く森の中から泥や葉っぱにまみれた男が飛び出してきた。
「っと、到着っと」
 男は背負っていた荷物をどさりと下ろすと、額の汗を拭ってふぅと息を吐く。
 幼さの残る人懐っこい顔つきには、楓も覚えがあった。
「応太! どこまで行っていたんだ。心配したじゃないか」
 すぐさま男に駆け寄るレンファを見て、楓は笑みを堪えられなかった。
 夫の身を案じて、自分の衣装が汚れるのにも構わずに抱きつくその姿は、虎というよりはやっぱり雌猫の方がしっくりくる。
「やぁ応太君。久しぶりやねぇ、相変わらず逞しいなぁ。こらまた随分立派な獲物やねぇ」
 応太は楓の姿を認めると大きく目を見開き、それから土で汚れた顔をくしゃくしゃにして笑った。
「お久しぶりです楓さん。これは今晩の土産ですよ。みなさんいっぱい食べそうですしね。猪か鹿でもと思ったんですが、この子が熊がいいって言うもんで、いやぁ探すのに苦労しました」
 足元の大の大人ほどもありそうな熊を見下ろし、応太は胸を張った。
 これにたまらず顔を青褪めさせたのは、熊くらい簡単に締め落とせそうなレンファだった。
「く、熊とやり合ったのか? 危険な事をするのは止めてくれ、肝が冷える」
「なぁに、毎晩のお前の相手に比べたら子供の相手をするような物さ。だが、肝が冷えるか、確かにお腹が冷えるのは良く無いな……」
「で、お取込み中悪いんやけどその子は?」
 応太は一瞬不思議そうな顔をしたあと、はっと我に返ったかのように息を飲み、視線を己の頭上へと向けた。
 そしてそのまま頭の上に肩車していたその子を下ろすと、大事そうに胸に抱えて楓に見せつける。
「そう言えば、楓さんはマオとは初めてでしたね」
 抱えられた幼い女の子には、立派な虎の耳と尻尾が生えている。父親の腕にしがみつく手足も、見事な虎柄だ。
「ほらマオ、楓お姉さんにご挨拶は」
「こ、こんにちわ、かえでおねえさん」
 真ん丸の瞳をいっぱいに見開いて楓を見上げ、頭を下げる幼い人虎。その頬も二の腕もぷにぷにで見るからに柔らかそうだった。あれが数年後には筋肉に置き換わっているかと思うと、なんとも勿体ない気もする。
「娘のマオです」
「可愛いお嬢ちゃんやなぁ。今後ともよろしゅうなぁ」
 楓は思わず笑みをこぼしながら、小さな虎の子に手を差し出した。
 条件反射的に掴んでくる虎の指も、まだ柔らかい子供のものだった。
「にしてもレンファちゃん。そんなに旦那が心配なら狩りについて行けばええんとちゃうの?」
「いや、応太が許してくれないのだ」
「だって身重なんだから、激しく動いてもしもの事があったらどうするんだよ」
「もしもの事など無いと言っているだろう。妖怪の身体は頑丈なんだ。人間の妊婦とは違う」
 飛び移って来たマオの身体を抱き止めながら、レンファが応太に噛み付いている。
 が、楓はそこでふと疑問を覚えた。
「身重て、え?」
「二人目です」
「は?」
 応太は笑い、レンファは恥じらうように頬を染めて目を逸らす。
 楓はそんな二人を見て肩を竦めながらも、その内心では本当に応太はいい選択をしたものだとしみじみと感動を噛みしめていた。
 決断を迫った翌日。結局応太は里へ下りる決断をしなかった。というか、話自体を聞けなかった。
 楓は九郎から、レンファと応太の二人は秘密の特訓があるから庵に籠っていると聞かされただけだった。決して庵の中を覗いて四つん這いになったレンファとそれに覆いかぶさり腰を振る応太の姿など見ていないし、食い散らかされた桃の匂いに当てられて隠れて自慰になど耽らなかったし、お祝いだと称して大量の縁起物を置いて帰ったりなどしていない。
「なんや、そんな土産なんてなくても酒の肴なんてそれでじゅうぶんやん。いやぁ、流石は酔っていたとはいえあの若藻はんを引かせるぐらいの交尾を見せつけた二人やでぇ」
「お、おい楓。九郎の前で」
「あぁ気にしないでください。もちろん誰にも言いませんので」
 何も言わずそばに控えていた九郎は、苦笑いして手を振った。その様子を見るに色々隠しているつもりらしかったが、どうやら九郎だけは色々と事情を察しているようだ。
「それじゃ、ちょっと早いですけど行きましょうか。待ってる間にも話せますし」
 応太はそう言うと、地面に横たえてあった熊を再び担ぎなおす。
「そうだな。ここでこれ以上恥ずかしい事を言われても困る。話すなら場所を移したいしな。マオ、今日は色んな妖怪のお姉さんに会えるぞ」
「きつねのおねえさんたちもくる?」
「あぁ来るぞ」
 満面の笑みになるマオを見て、楓は酒宴ででれっでれに蕩けきった若藻としのの二匹の姿を予見する。犬猿の仲の二人も、間に幼女が入っては喧嘩も出来ないだろう。
 恐らく二人も早く子供が欲しいと考え始めるだろうから、精力剤やらを売りつけるには絶好の機会になるだろう。しかし楓は途中まで計算したところで、頭を振って商売の事を追い払う。
 せっかく無礼講で妖怪達が集まる場所でまで儲けに走っては、流石に無粋というものだ。
「二人、行っちゃいますよ」
 九郎に言われ、楓ははっと我に返る。
「せやったわ。九郎ちゃん、悪いけどそれ預かっといてくれるか?」
「え、でも大事な商売品じゃ」
 ぽかんと口を開ける九郎に、楓はにやりと不敵に笑いかける。
「別に大事だから九郎ちゃんに預けるんや無いで、大事な商売品を酔っ払いどもに荒らされるのが嫌なだけやからな」
「その顔で言われると、どう受け取っていいか困りますね」
「せやろ。商売人をそう簡単に信じたらあかんで。九郎も駆け引きの事もっと勉強せんとなぁ」
 これからこの虎の夫婦の棲む山の頂上に、たくさんの妖怪が集まってくる。今日は待ちに待った久しぶりの妖怪達の大酒宴なのだ。
 楓は困惑気な九郎ににっこりと笑って手を振ると、レンファと応太の背中に向かって走り始めるのだった。
13/09/22 12:40更新 / 玉虫色

■作者メッセージ
あとがき的な何か。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
投稿を重ねるごとに読切の文字数が多くなっている気がします。短く纏めようとは思っているのですが、書いているうちに色々詰め込みたくなってしまうんですよね……。連載で分ける程切れが良くも無く、結果としてこのような形に……。

人虎さんは、エロいと言うより恋に奥手と言いますか、そう言った部分が非常に可愛らしいなぁと思ったのでそう言った部分に力を入れてみたつもりだったのですが、いかがだったでしょうか。
楽しんで頂けていたらこれ以上の事はありません。

※作中稲荷や妖狐の話が出て来ていますが、作中の勝手な設定です。妖怪の山的な設定も同様です。
 獣人種に発情を促す桃も妄想の産物です。


 長いお話でしたが、最後の最後までお読みいただきありがとうございました。

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