読切小説
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雛ちゃん観察日記
 玄関口、両のお羽で植木鉢を抱えてぺこりとひとおじぎ。

「ほーです。きょうからおせわになる」

 語弊ある言い方で挨拶にやって来たのは近所のオウルメイジの雛ちゃんだ。夏休みの宿題で朝顔の観察日記を書くそうで、その植木鉢を家に置かせてほしいのだとか。意外と場所取るもんねアレ、縦に。
 知らない仲でもなし、二つ返事で引き受けることにしたのだが。

「ほら、あさがおちゃんもあいさつ」
「芽ぇ出とらんやん」

 水色の安っぽいプラスチックの鉢には土しか入っていなかった。雑草すら生えていない。刺さった支柱からは哀愁さえ感じさせられる。

「さっきまいてきた」
「……夏休み終わるまでにお花咲くかなあ?」

 俺の疑問もなんのその、雛ちゃんはふんすと鼻息ひとつ吐いて鉢を置くと、何やらごそごそ探り出し、一本の薬ビンを取り出した。

「とくせいのひりょう」
「肥料?」
「まけば、あしたにはめがでる」

 ほんとかよ。
 無造作に土に突き立てられてじんわり中身を染み込ませていくそれを前にして、驚きとも呆れともつかない感情が湧く。

「あした、またくる」

 くるりと踵を返す雛ちゃん。どこまでも自由である。口調や語彙の拙さは子供のそれではあるが、他の子に比べるとどことなく達観した印象を受ける。オウルメイジという種の傾向がそうさせるのだろうか。
 少なくとも外面は。

「ちょいちょい。植木鉢、玄関に置きっぱにしないしない。日当たりのいい場所を教えてあげるから、良さげな場所選んで置いてって」

 ぴたりと硬直する雛ちゃん。俺に振り向くことはない。次にこの子がどんな行動を取るのか、俺は大体予想がつく。
 そうだよね。植木鉢、雛ちゃんにはおっきいもんね。動かしたくないよね。楽したいよね。

「…………おにいさんにまかせる」

 言葉が終わる前に、雛ちゃんは脱兎の如く逃走した。ばたばたぽてぽて羽音足音を残し、いたずら毛玉は何処ぞへ去っていく。
 そういうことである。クールな表情でいたずらをかまし去っていく、𠮟り時を察知するのが上手なわるいがきんちょである。

「適当に置いとくか……」

 翌日何食わぬ顔でやってくるであろういたずら毛玉の姿を思い浮かべながら、俺はそんなことを独り言ちるのだった。





§





「はえた」
「マジか」

 翌朝やって来た雛ちゃんと共に植木鉢を観察する。雛ちゃんの言った通り、植木鉢にはかわいい双葉が芽生えていた。
 あの薬、やべーものでも入ってるんじゃなかろうか。

「かんさつ」

 俺の思案をよそに、雛ちゃんは色鉛筆を取り出すとさらさらと絵を描き始めた。真面目に観察日記を書くつもりではあるらしい。

「かけた」
「早いな」
「め、だけだから」

 いそいそと日記と色鉛筆を片付ける雛ちゃん。今日はこれで帰るのだろうか。なんとなく水やりを任されそうな気がして、捕まえ……もとい、呼び止める準備をしておく。

「つぎはじっけんをする。たねがそだったなら、このたねもそだつ」

 自慢げに取り出されたそれは、三日月のような形をした橙色の種だった。じっくり乾燥されたそれは独特な光沢を持っていて、鼻を鳴らすとほんのり食欲を湧かせる匂いが漂ってくる。

「…………柿の種は無理じゃねえかな」
「やってみなければわからない」

 期待に輝くきらきらしたお目目で見られても困る。困惑した俺を放置して、雛ちゃんは土をさこさこ掘り返すといくつかの種を植えていった。

「からくないのがいっぱいとれますように」

 だったらせめてピーナッツの方植えろよ。
 内心のツッコミは届くはずもなく。雛ちゃんは神仏に祈るように柏手を打ち、礼をして。

「おみずはまかせた」
「どこまで自由人か!」

 入道雲たなびく青空向けて飛び立っていった。無論、筆記用具は置き去りである。
 どうせ明日来るだろうからいいけどね! 一本取られたことなんて気にしてないんだからね!





§





「そだった」
「俺が育てた」
「くるしゅうない」

 ぽりぽりピーナッツを食べながら、雛ちゃんはさらさらと筆を進めていく。視線の先、植木鉢にはつるを伸ばした朝顔がすくすくと育っている。この分ではあと二、三日で花が咲きかねない。どんな成長速度だ。
 ……柿の種は俺が買ってきた市販品であることを明記しておく。念のためだが。

「つぎはこれでじっけん」
「調子に乗るんじゃないの」

 お高そうなおせんべいを差し出されたので突っ返した。事態が飲み込めないのか、雛ちゃんはおせんべいと俺の顔を幾度も交互に見やる。

「だめ?」
「だめ」

 やれやれほーほーとあからさまに落胆した様を見せ、おどけたように手を振られた。

「それにしても、かくのがたいへん」
「そりゃなあ」

 雛ちゃんが観察してるであろう朝顔に視線を向ける。花こそ咲いてないものの、背丈は雛ちゃんのそれを上回っている。もとから刺さっていた支柱では長さが足りず、新しく買ってきた支柱さえ今にも追いつかれそうな勢いだ。

「ところで雛ちゃん。これってどこまで育つの?」
「…………」

 返事がない。これだめなやつだ。逃げられる。
 今日こそ先手を打つべく、彼女の背後に忍び寄ろうとして──

「…………しゃー!!」

 気づかれてめっちゃ威嚇された。

「みた?」
「見てない見てない」
「……ほんとのほんと?」
「ほんとほんと、見てない見てない」

 幸い、雛ちゃんの興味は観察日記にあるようで、俺の行動の意図までとやかく言われることはなかった。
 なお、もう一回朝顔がどこまで育つのか聞いてみたら即座に逃亡された模様。日記を持ってお空を飛べるなんて器用な子だこと。





§





 俺(と雛ちゃん)の危惧は的中した。してしまった。

「除草剤撒いていい?」

 さんさんと降り注ぐ日光を一身に受けるべく適応を重ねた朝顔ちゃん(生後数日)は、すっかり我が家を覆いつくしてしまった。蔓は侵入者を拒むべく──ということもなく、俺(と雛ちゃん)が近づくと普通に避けてくれる。
 というか、俺の近くに居た蔦の数本が、発言を受けて縮み上がったような気がする。聞こえてんの? 意図分かるの?

「だめ。そだてたからには、ほーとおにいさんでせきにんをもつ」

 責任感ある子に育ってくれて俺は嬉しいよ。育てたの俺じゃないけど。強いて言えばあの薬の出所の人が責任を取るべきだと思う。

「でもまだたりない」

 まだ足りないと申すか。蔓ちゃんもこくこく縦に振って同意しない。やっぱ意図分かるんじゃないのかこの子。

「もっともっとそだてるには、えいようがたりないから」

 みょんみょんみょん。
 耳の奥で、脳の内側から音が聞こえてくる。急な立ち眩みに崩れ落ちかけた体を、何かが受け止める感触がした。それが朝顔の蔦だと理解する間もなく、眼前に雛ちゃんの顔が近づく。

「おにいさんとほーでわけてあげよう」

 雛ちゃんの瞳を見つめていると力が抜けていく。きらきらお目目が妖しい輝きを蓄えていく様を、ただただぼんやり眺めることしか出来ない。やがて輝きは瞳の輪っかを通して波紋となって広がっていき、俺の意識と視界を歪ませていく。

「この子がカーテンをつくってくれるから、おにいさんがしずかにしてればだれにもみつからない」

 おにいさん、しー。

 知っている声よりも、ほんの少し大人びた声。
 頭の中で反響するそれに導かれるまま、俺は雛ちゃんの顔が近づくのを受け入れてしまうのだった。





§





「────というかんじでなんやかんやして、ほーとおにいさんとでそだてたあさがおちゃんはこっち」
「ぱぁぱ、まぁま♡」
『あらあらお利口さんですね♡ 雛ちゃん、観察日記は大成功ですね♡ 朝顔(アルラウネ)ちゃんだけじゃなくおにいさんのことまでこんなに観察しちゃって♡ こんなに頑張った雛ちゃんには花丸をあげちゃいましょう♡ さ、みんなも拍手してあげて♡』
『『『『『『おめでとー!!』』』』』』

「解せぬ」
23/08/29 18:57更新 / ナナシ

■作者メッセージ
雛ちゃん(による朝顔&おにいさん)観察日記。

Q.おにいさんはどの面下げて○学校までついていったでしょうか。(配点10点)

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