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第10話 不浄焼失【インシネレイター】
 過ぎ去った時間に「もし」と問うのは愚かな行為だ。過去となった事実はどう足掻いても変えることは出来ない。

 もし、あの時こうしていれば。

 もし、この道を選ばなければ。

 もし、もし、もし……挙げていけばキリがない。

 だがヒトはどうしても夢想せずにはいられない。今ある現状を憂う時、ヒトは自らが選び取った現在とは違う未来を夢想するしかない。美しい娘が禁じられた匣を開けずにいたならば、世界はきっと穏やかなりし時間が充ちていただろう……と。

 だが、それこそ「もし」……。

 その始まりの時点で間違っている存在は、何をどうすれば正解だったのだろうか。










 【アリエス】の時点で既に厄介ではあったが、続く【アクエリウス】もまた相当に、あるいはそれ以上に厄介な存在であった。

 「さ、行きますね」

 散歩に出かけるような気軽さで、爆殺の超人は迫って来る。いや、その歩みはまさに「散歩」だった。偶然見かけた知人に近付くように、決して走ることもせず接近してきた。

 しかし、この少年を異常足らしめるのは、その全身から発せられる尋常ならざる熱にある。

 「この温度……貴様、本当に生物か?」

 【アクエリウス】の背後は既に火の海だ。垂れ落ちる血の一滴一滴が、外気に触れた瞬間に灼熱へと変化し、一切を焼き尽くす紅蓮となって広がりゆく。だが燃える過程がどうであれ、炎が熱を放つのは常識だ。常識外れなのは、その燃料を蓄える【アクエリウス】の肉体。

 空間に異臭が充ちる。決して粘膜にダメージを与える刺激臭ではない。だが、吸い込む度に鼻腔の奥底までこびり付く、生木を無理に焦がしたような粘りのある悪臭は何だ? 

 まず日常を生きる者でこの匂いを嗅ぎ慣れた者はいないだろう。しかし、日常からかけ離れた場面……例えば、戦場でならこの悪臭はむしろ通常だ。量産された敵味方の死骸を衛生的に処理するとき、戦場ではしばしばこの方法が執られる。即ち、人肉が焼ける臭い。同じ肉を焼くのでも、食用のそれとは大きく異なる。後者が血抜きという過程を経ているのに対し、前者はそんな面倒な手間を掛けていないし、する必要が無い。生木を焼けば煙が立つように、水分を豊富に含み、更に血液が燃やされる際の悪臭は誰をも不快にさせる。

 今まさに、その臭いが【アクエリウス】からは立ち込めていた。

 「そ、れぇッ!!」

 ある程度距離を詰めた時、小さな体躯が弾かれるように突進した。血に塗れた……いや、もはや彼にとっては炸薬を塗りたくった武装も同じ、それが最も近い場所にいた者を狙う。

 そう、三人の先頭にいたユーリィを。

 「!!?」

 背後の二人と違い、戦闘に関する「経験値」が絶望的に少ないユーリィには、眼前の敵の本質が分からない。自傷と自壊を繰り返す狂人の類、何だか分からないが取り敢えず危険だ、ぐらいの認識でしかない。だからその意識の空隙を狙われ真っ先に食い殺される。

 「小僧」

 それを未然に防いだのは、魔術師イルム。おもむろに霊木杖を振るうと、その先端を自らの前方、つまりユーリィとカマリがいる方向へと向けた。刹那、二人の体が一瞬光った後、その肉体はイルムの背後へと移動していた。極短距離における転移の魔術、発動の速さと座標指定の省略からして予め二人にマナ・マーカーを打ち込んであったのだろう。

 そして激突するのは、魔術師と超人。瞬時に入れ替わって前に出たイルムを、爆殺の超人、その魔手が掴み上げた。そして間を置かずに着火、炸裂。容赦など微塵もない燃焼現象が人体丸ごと一つ分を焼き払うには過ぎたる熱量を発揮した。

 「イ、イルム師!!!」

 「そんな……っ!?」

 地下道を揺らすほどの爆発は粉塵をまき散らし、その渦中に魔術師と超人を覆い隠した。壁を砕いた時と比べれば規模は劣るが、それでも人ひとりを爆殺するには充分な炸裂。

 数瞬の沈黙の後、一迅の風が粉煙を浚う。

 「なるほど……そういう事であるか」

 イルムは無事だった。五体満足、どこも失ってはいないし、欠けてもいない。とっさに繰り出した防護陣の効果により爆炎と衝撃の大部分は彼を襲った【アクエリウス】へと跳ね返った。直近で爆発を身に浴びれば衝撃で内臓は微塵に砕け、同時に襲い来る熱波によって体表は隈なく焼き尽くされる。仰向けに吹っ飛ばされた超人の前面は無残に焼け爛れ、どう見ても致命傷を免れたようには見えなかった。

 だがイルムも、完膚のままとは行かなかった。

 「彼奴め、我輩の右腕を持って行こうとしたな……」

 僅かに蒸気が上がるのは、イルムの右腕。ローブの下に隠れていた褐色の肌は、今は所々に赤が混じり、爆殺の魔手が彼の腕を掴み上げていた事実を示していた。無論、彼の事だ、発動させた防御とは別に自分の肉体にも常に用心として魔術の類を纏わせている。不躾に触れた手を弾くぐらいは雑作も無いし、本来なら爆発の衝撃など微塵も通さぬのだ。

 それが、破られていた。熱は僅かに皮膚、その表層を微かに焼いた程度だが、それでも傷は傷。そして異邦の魔術師は己の身に起きた事を正確に理解していた。

 「貴様……『喰った』な?」

 「…………けぷっ」

 ずりずり、ずりずり。

 死骸が蠢く。両の五指が地を這いずり、弓反りの胴が上体を起こす。再起不能の重傷を負ったはずの宝瓶宮の体が、糸を引かれた人形のように歪で不気味に稼働する。

 「いっ……たた! あーっ、だだっ、だ!!」

 生木を焦がす臭い、血を蓄えた肉を焼く香り。それを放つ煙を全身から立ち昇らせながら、超人は復活する。常人ならとっくの昔に狂死しているであろう激痛を受けながら、それを蚊に刺されたほどにも気に留めず、爆殺の超人は再びイルムの前に立つ。

 「やっぱり、魔術を使う人相手には一筋縄じゃ行きませんね」

 「小癪な。だが、同時に得心した。なるほど……それが貴様を超人たらしめている力、という事であるか」

 言動を読み取れば、この超人が己の力を隠しもしないことに気が付いただろう。

 カラクリは、実に単純だった。

 「『魔力喰い』、それが貴様の力の根源か」

 一般には、魔力の回復と生成における男女差は、男は自家生成、女は周囲からの吸収という特性を持つとされる。自らの体内で生命力を魔力に変換する男性と、周囲に遍在する魔力を自らに還元する女性、という具合だ。だがこれらはあくまで基本的というだけで、中には先天的、もしくは後天的な理由により魔力の運用効率が著しく悪かったり、または……生成と吸収の両方に長じている者も極稀にだが存在する。

 その中でも、「魔力喰い」と呼ばれる者は一際珍しいレアケース。相手の支配下に置かれた魔力、発動待ち、あるいは既に発動された魔術に対しても働きかけ、その術式を構築する魔力を奪い取るという能力。呼吸で、食事で、接触で、およそ魔力を有する全ての物体と物理的に接触を果たしてさえいれば、特別な術式など必要とせずにそれを行えるという異能だ。

 「我輩も長く生きたが、魔力喰いを見たのは数える程度。しかも、ここまでの大食らいは稀も稀、まず尋常のそれではないな」

 イルムの見立てに相違はない。魔力を食らうという能力、否さ生態は、なるほどそれ自体を見れば特異な力に思えるだろう。だが突出した能力というのは、転じて欠陥にもなり得る。身の丈に余る魔力を帯びれば、過剰な養分を与えられた植物が根腐れを起こすように、様々な弊害が発生する。

 「好きで、ポンポン爆発しているわけじゃないんです」

 そう、炸裂は能力ではなく「副次効果」。過剰に蓄えられた魔力が超人のコントロールを離れるか、外気に含まれる魔力と反応することで一気に解放、結果それが炸裂という現象となって発露するのがこの能力の正体だ。もはや血液だけに留まらない。肉や骨、皮の一片に至るまでがその範疇。血の僅かな滴りでもこの有り様なのだ、彼がその気になり腕の一本でも放り投げて寄越せば、街の区画丸ごとを吹き飛ばしかねない。

 だが魔術を知らぬ少年にとって、身の内に蓄えた総魔力量は制御不能かつ致死のそれ。通常ならば肉体機能はとっくに破綻し、体内の器官はたちどころに壊死する末路となる。仮に繊細なコントロールを可能としたところで、山峰ほどの超巨大貯水槽に簡素な弁を取り付けるようなもの、常に隙間から漏れ出て構造にダメージを与え続ける。能力として爆裂を用いるまでもなく、その肉体は焼死の危機と隣り合っているのだ。

 だからこそ、全身を焼かれながら、常に再生し続けている。異常なほど高い体温と、能力を発動する前から漂う異臭がその証拠。

 「痛かったです……」

 焼き尽くされ目鼻の区別もつかなかった顔面は、時を逆戻すかのように綺麗に復元していた。だがその口が言葉を発する度に、またあの異臭が充ちる。その肉は、内臓は、骨は未だに焼かれ続け、そして再生し続けている。無限に自壊を続ける自己矛盾の超人が今再び立ち上がる。

 「魔術は効きませんから、そのつもりでお願いします」

 「効かぬなら効かぬなりに、やり様はいくらでもある」

 杖が大地を叩く。乾きの中にしなりを有した杖は接地と同時に術式を送り込む。大地に働きかけ隆起を促す術も、この男が用いれば全く別種の効果をもたらす。

 出現するのは、“円錐”。両手の指では追い付かない、左右上下を取り囲む壁とその奥の凍土が変形し、硬さと鋭さを有した巨大な槍となって【アクエリウス】に殺到する。刺す、というよりは、潰す感覚。指を鳴らす時間ほども掛からずに土塊の重槍は超人の体を空間に縫い留めた。いくら魔力を吸収したとて、物理的な影響力を伴っての攻撃までは掻き消せない。

 「逃げるぞ」

 そしてすかさずユー・ターン。その意図をわざわざ問い質す、などという愚行を犯すことなく他の二人もその後に続いた。

 何故なら、確信していたからだ。

 これは「足止め」。その身を殺し切り、破壊し尽くしてようやく、この超人の進行を止められる。何の準備も無い今の状況では、これが限界。今のままではこの超人を「滅ぼせ」ない。だから今は一旦この場を離れる。逃走するにせよ戦うにせよ今は態勢を立て直すのだ。

 眼前の敵を放置し、尻をまくって逃げる。実に英雄的ではない。

 だが「今」はそれでいい。





 「あっ、つ! あつ、あつつ……!!」

 ものの三十秒もしないうちに【アクエリウス】は自由の身となった。然もありなん、全身を貫かれたということはつまり、その内部を流れる液状炸薬の血が流出すること。そうなれば拘束など無意味、全てが消し飛ぶ。

 当然、【アクエリウス】自身は爆心地となる。肉体は紛うことなく四分五裂となり、狭い空間は彼の血肉で埋め尽くされた。

 だが、死なない。死にはしない。

 燃焼と爆発で魔力を使い果たした飛沫や欠片が、一点を目指して蠢き移動する。伝説に名高い不死鳥は炎より蘇るとされるが、宝瓶宮を冠したこの超人にそのような華やかさなど無い。爆炎はただ破壊をまき散らし、その残骸が元に戻ろうとして組み上がる様はむしろ醜悪でもある。

 肉が、骨が、血液が、そして皮の一片に至るまで、地を這いずる虫が如くに「ある一点」を基点とし、【アクエリウス】を復元させる。消し飛んで不足した部分もまた、周囲に拡散した僅かな魔力を吸い取り、再生していく。

 そうして復元完了した【アクエリウス】は、一糸も纏わぬ姿だ。復元できたのは肉体だけ、そしてその肉体もまた周囲の魔力を喰らい初め、やがては許容量を迎え再び自壊と再生を繰り返す。

 超人の影響力を大砲に喩えたが、正しくこの宝瓶宮こそがそれ。補給や整備など必要ない、一度戦場に投入されれば周囲から魔力を喰らいながら自爆と再生を行い、戦場を焼き尽くし更地にするまで止まることはない。その一挙手一投足が砲門の一撃に比するのなら、これを止める術は無い。

 「……見失っちゃいました」

 だが同時に万能でもない。確かに魔術を相手にすれば強いが、このように隠遁に徹されてしまうと途端に見つけ辛くなる。魔力の匂いを辿れば追跡できなくもないが、いずれにせよ時間が掛かるのは否定できない。

 「急がないと。あんまり派手に動き過ぎると、街にも被害が出ちゃいますからね」

 「邪気が無い」と書いて「無邪気」。悪気も無ければ狂気も無い、これから人を殺そうという時に何の躊躇いも呵責もない。年相応の精神性と、兵士としての無機質さが同居した歪なモノ。己の存在それ自体を武器として用い、どれだけ肉体を損耗しようと意に介さないその精神は、もはや人間の範疇に収まるものではない。

 周囲の何もかもを焼き尽くし、その燃えカスを喰らって自らは生き永らえる。死を知らぬ正真正銘の怪物、誰もこの超人を死に追いやることは出来ない。なればこそ、この少年は「生きて」さえいない。死を恐れないのではなく、死を迎えることが無い。そんな生物は究極、生きているとは到底言えない。

 爆殺の超人……彼自身に狂気は無くとも、彼が生み出された経緯にはヒトの持つ狂気と悪意が満ち溢れている。

 もし、もし彼を辛うじて人間たらしめる部分が残っているとするならば……。

 その胸と脇腹を抉る、“直角の傷痕”こそが、その残滓なのだろう。





 かつて、“希望の子”と呼ばれた少年がいた。

 病を知らず、毒を知らず。ありとあらゆる瘴気は彼の肉体を冒し得ない。それは町の住人全てが死に絶える惨劇を生き延びたことからも、充分に立証済みだった。完全なる肉体の持ち主、その秘密を解明すれば人類は病という困苦より永遠に解放されるのだと信じて。

 事実は違う。真実は異なる。

 病毒に屈しないという意味でなら、なるほど確かに少年の存在は希望そのものだっただろう。しかし、彼は違っていた。

 無症候性保菌者、というものがある。

 細菌などに感染しながらそれらが病状として発症せず、病原体を体内に蓄積し続ける、言わば特異体質。個人の持つ免疫力によって病原体の活性が抑えられ、結果として健康体と何ら変わりない様子を見せる。

 だが体内では病原体の増殖が続いており、接触や飛沫の付着を通じて他者に感染する可能性が非常に高い。そうした体質の者は発見され次第、身柄を確保され周囲から隔離された環境へと移されることになる。言わば移動する感染源、そうするのは当然といえる。自分だけは何一つ被害を受けず、周囲に災厄をばら撒き続けるとは理不尽な存在だ。

 彼はそれだった。

 取り込まれた病毒は消えていなかった。

 それまでの日常で拾っていた病原体も、摂食によって取り込んだ腐敗物も、体内で代謝の過程で生成された副産物に至るまで……全て、全て、消えることなくその内側に蓄積されていた。

 幸運だったのは、少年の体質が露呈する機会がそれまで皆無だったことだ。町の住人が亡くなったのは本当に流行り病のせいであり、施設に入ってからは衛生管理が徹底され、それによる被害が拡散することが無かった。それが同時に最大の不幸でもあった。最後の最後まで、そのパンドラの匣の中身を知ることが出来なかったのだから。

 転機は、その肉体を切り開こうと解剖が提案されたことだ。もちろん、死なせるつもりはない。あくまで肉体を調査する上で必要な過程であり、それ以上の意味は無かった。

 問題はそれを「どうやって実行するか」、そこに尽きた。恐らく麻酔は効かない、あるいは効き目が薄いと早くから判断され、薬物に依らない方法での麻酔を確立する必要に迫られた。当然だ、それ無くしては手術など出来ようはずもない。ならばどうするか? 議論に次ぐ議論、百出と紛糾を繰り返した。

 そして得られた結論は……。

 「ではうちのメインプランから幾つか『素材』を提供しよう。なに、人類百年の大計を思えば安い出費だ」

 これがいけなかった。もし従来の手法を断行して術式に臨んだ場合、被害はその場に立ち会った者のみに収まったはずだ。病毒を蓄えているとしても所詮は人体、およぼせる被害は知れている。

 そうならなかった。被害が拡大した唯一の理由は、手術に踏み切るために用いた「素材」にあった。

 それは、“粉”だった。

 ある生物が生成するその粉末は、男性が鼻腔に取り込めば重度の酩酊をもたらし、外部の一切にまともな反応を返さなくなる。一歩間違えれば危険な代物だが、既にそれを研究し尽くした彼らにとっては、麻酔薬の代替として申し分ない物だった。無論、本来の持ち主が使用したならば当然違った結末になるが、「ヒトならざるモノが用いて初めて効果がある物」を、「ヒト自身の都合で使えば」、果たしてこうなる事は自明の理であったのかもしれない。

 粉末が体内に取り込まれ、それが呼吸器官を通じて血中に入り、全身に作用した瞬間……。



 毒性を帯びた彼の細胞は、他者に感染し冒す“攻撃性”を獲得した。



 ヒトを発見し、目敏く、執拗に、そして優先的に付け狙うという悪夢の如きその性能は、まさしく人間を根絶せんと襲来を繰り返した原始の魔物そのもの。奇しくもその力を獲得したことが、彼が第三世代型超人の資格を得た証明となった。

 結果、もたらされた惨劇は彼の未来を決定付けるには充分に過ぎ、始まりの時点で殺戮という罪を背負ったその魂は時と共に贖いを求めて彷徨い始める。

 「過程において犠牲の発生は避けられない。犠牲には、“意味”が無くてはならない」

 ならば意図せずとも奪ってしまった無辜の彼らの犠牲には、いったいどんな意味があったのか。彼らの犠牲に対し己は何の成果ももたらさず、その希望だけを断ち切った。彼らは死んだのに、その発端となった己はのうのうと生き永らえている。こんな不条理なことが許されていいのか?

 「であるならば、そこに“意味”を持たせるしかないでしょう。君がそのことを悔い、悩み、罪と思い罰を求むるなら、彼らが抱えていた希望を君が為すことでのみ達成される」

 それこそが、償い。己が己として生まれ落ちた最低限の意味。即ち、他者の願いを引き受け実現させるという、奉仕の亜種。

 「それが救い。それが赦し。君の持つその力は余人のみならず、君自身にとっても忌むべき罪の証。それを抱いた切欠がどうしても受け入れ難いとしても、今はもう君の力、君の血肉となってしまった」

 そうなってしまえば、もう切り離せない。切り離せない以上、「使い続ける」しかない。使い続ける以上、せめてその事への意味を持たせたい。

 「認めなさい。まずはそこから始まる。その上で、君は君自身の持ちえた力に意味を見出しなさい」

 「そうすれば、あの人たちへの償いになりますか?」

 「なりますとも」

 「罪を背負ってしまった僕でも……“黄金”になれますか?」

 「ええ、もちろん。黄金の安寧は遍く総てに開かれているのです。君だけでなく、いずれ全ての人々はそこに至るでしょう」

 その言葉は少年にとってはまさに救いだった。

 ならば自分のやるべき事は決まっている。誰よりも先にその境地に到達すること。誰もが目指しながら未だ誰も辿り着けていない窮極、そこに最も早く到達することで先達として足跡を残す。同じ不安を抱え怯え続ける者らにとっての希望となる、それが生きる意味となった。

 さながらそれは、先頭を行く羊が如く。

 「臭う……こっちか」

 こと追跡において、【アリエス】は得手を譲らない。探査や索敵では【ヴァルゴ】に劣る、ああ、それは事実だ。嘘ではない。「どこにいるか分からない」という状況で相手を見つけ出すという点では、かの水乙女は最も優れていた。

 だが一度接触、もしくはある程度相手の情報が揃っている状況から「追いかける」となれば、そこからは【アリエス】の独壇場だ。

 壁に触れる指。その先端が僅かに黒ずんだ瞬間、表皮を突き破るように滲み出た体液が壁に浸透し、瞬く間に拡散して周囲に伝播する。周囲に散った微細なそれらは追跡する相手の匂いを頼りにどこまでも食指を伸ばし、最短かつ最速のルートを自動的に導き出す。肉体それ自体を視覚に変換する【ヴァルゴ】のそれとは違い、そこに訴えかける認識阻害の魔術には掛からず、一度捕捉すればいちいち探索を掛け直す必要も無い。

 「【アクエリウス】も生きていたか」

 斥候で走らせた細胞を通じて宝瓶宮の生存を確認した。姿形を捉えずとも、その痕跡は特徴的に過ぎる。相変わらず手当たり次第に爆砕して敵を追っているようだ。取り敢えずは生存が確認できただけでも良しとしよう。下手に合流すれば互いに足を引っ張りかねない。ここは合流して敵を討つのではなく、敵を討った後で合流するのが正解だ。

 「理想形は挟撃、僕か【アクエリウス】のどちらかが敵を追い詰め、どちらかがトドメを刺す。重要なのは挟み撃ちとなる今の状況だ」

 向こうも馬鹿ではない。自分達が二つの方向から追い詰められようとしていることは勘付いているだろう。片や生物殺しに特化した兵器、片や無限に再生を繰り返す兵器。万に一つも相手が勝つ要素は無い。

 だが相手は魔術師。単純には手が読めない手合いに変わりはない。

 「僕が回り込もう。どうせ【アクエリウス】に器用な芸当は期待できないだろうからな」

 移動している間に走査を終えた細胞はこの地下空間のおよそ八割を把握していた。もちろん、現在進行形で移動を続ける対象も捕捉している。今の敵は爆炎をまき散らす分かり易い脅威に気を取られ、もう一方の白羊宮は意識から外している。そこが狙い目、挟撃の状況から対生物特化の超人が全てを掻っ攫って終了だ。

 「無論、その前に洗い浚い吐いてもらうが」

 【アリエス】の力は、ただ猛毒をまき散らすだけが能ではない。一口に毒と言っても多種多様であり、一滴で脳髄を溶かす凶悪なものから、呼吸困難を誘発するもの、溶血効果、筋力低下、組織の壊死、腹痛及び軽度の下痢の症状まで、その匙加減は全て【アリエス】が握っている。肉体が受けた毒素を蓄積する体質は、つまり裏を返せばその毒の組成を細胞が記憶するということ。体内でそれを再現するのみならず、それらを複数組み合わせることで全く未知、しかも強力な毒物を生成する能力をも獲得している。

 言うは易し、行うは難し。その組成や成分を理解する為に彼がどれほどの毒をその身に喰らったことか。いくらそれでは死なぬとしても、本来食物ですらないものを摂取し続けるその行為がどれほどの苦痛を伴うか……それは想像を絶するだろう。幾度も幾度も繰り返したその果てに、彼は特定の効果を有する毒素を体内で生み出すという絶技を得たのである。意識を混濁させ精神を丸裸にさせる自白剤などお手の物だ。

 油断などしない。慢心など微塵も無い。在るのは、ただ自らの性能に裏打ちされた絶対の自信のみ。

 「よし、接近した。動きも緩慢になっている。意外と早く終わりそうだ」

 逃走を繰り返していた敵の動きが低下してきたのを【アリエス】は感じ取っていた。どうやら逃亡の途中で遂に痛手を被ったのだろう。その証拠に、あれだけ爆炎をまき散らしていた【アクエリウス】もその動きを合わせていた。自覚があるかどうかは知らないが、完全に弱った獲物を追い詰める肉食獣の動きであった。

 「ああ、待つんだ【アクエリウス】。僕が先に調べてからだぞ。君がやると消し炭も残らないからな」

 内心では見事敵を追い詰めた宝瓶宮を称賛しつつ、【アリエス】は逸る心を抑える。全身の細胞を励起させて生成する毒素の濃度は自然界において比するものはない。もはや呼気はおろか、その視線にまで猛毒を宿す勢い。それ自体は単一の凶器に過ぎぬ毒という物体に、殺意という殻を持たせ人型に押し込めればこういうモノが出来上がるのだと、彼は自らそう僭称する。

 「黄金への道は総てに対し開かれている。だがお前たちは入れない。ここで僕が拒む。安寧を望む人々の総意ではない、僕個人の意思によってそれを行う」

 やがて遍く世の人々を迎え入れる道、その先陣を切る者として小石ほどの障害であっても残すわけにはいかない。

 そのような重く、大きく、それでいて輝かしいまでの大義を胸に、【アリエス】はいざ敵のいる空間へと遂に到達を果たした。

 そして────、





 【アクエリウス】は純粋だ。人を疑うということをしないし、そもそもそこまで「すれた」性格をしていない。ともすれば、「山小屋の人喰い婆」の存在さえも信じているようなメンタルの持ち主だ。

 己が持つ能力についても同じだ。彼は他のメンバーとは違い、自らの能力にさほど頓着していない。【タウロス】のように誇示しないし、【ヴァルゴ】のように自らの欲望を満たすために使わない。当然【アリエス】のような大義だの使命だのを達成する為の武器としての認識も無い。ただただ純粋に「使えるから用いている」という程度の感覚でしかない。

 だが純粋さとは、裏を返せば盲目的という事でもある。彼は自らが振るう力に頓着しない。武器としての認識が薄い。刀剣を包丁として使うようなチグハグさも、彼の中では成立し得る。

 「ふん、ふん……。こっちでしょうか」

 魔力を餌とする体質をフルに活かし、一度覚えたその匂いを徹底的に追い続ける。邪魔な壁や障害を灼血で焼き払い、ただ真っ直ぐに敵がいる場所目がけて突き進む。そこに深い考えや策謀などは無く、ただその方が面倒がないという単純な動機でしかない。

 単純であるからこそ効果を発揮することもある。全ての障害物を砕きながら進むゆえに、入り組んだ水道を駆ける相手よりも容易に移動が出来るのでさもありなん。元よりこの駆け比べで只人が勝る道理は無いのだ。

 ゆえに、難しいことは考えない。最初から結末が分かり切っている以上、もはや退屈に思う暇さえ感じないほどあっさりと、呆気なく終わって然るべきなのだから。

 だが、どうやら一筋縄では行きそうもない。

 「うわっ!!?」

 周囲の土壁がまるで海面の如く波立ち、蛇行する波濤となって縦横無尽に【アクエリウス】へと迫った。それは押し潰す動き。土槍による点ではなく、面制圧による圧壊を目的とした動きに一瞬【アクエリウス】も尻込みした。

 しかし、それは所詮一瞬のこと。相も変わらず分は宝瓶宮の方にある。

 「こんなことしたって、ムダなのに」

 驚きもしなければ、焦りもせず、迫り来るそれらを正面から爆砕する。何も変わりはない。むしろこの期に及んで直接的な抵抗に転じた時点で、相手にはもう余裕が無いことの証明となっている。

 爆散した土塊の断面から雷火が迸る。目くらましを兼ねたそれは着弾と同時に皮膚を焼き、本来その断面より溢れ出る液体さえ許さず黒焦げにするはずだった。だが超人の動きを止めるにはまるで足りず、皮膚を焼くどころか魔力で構成された雷火は霞のように分解・吸収された。代わりに自傷した宝瓶宮が溢れ出す灼血をばら撒きながら周囲を術式もろとも爆砕して終了だ。破壊したついでに収奪した魔力を使って損傷した部位も再生させる。

 「ムダなんですって」

 物心ついた時分からこの国で過ごしていた【アクエリウス】は、魔術師を見たことが無かった。元より魔道を人心を堕すモノとして排除した連邦、それこそ魔術師の存在は絵本の中でしかお目に掛かれない。そこに描かれた魔術師とは基本悪役で、狡猾で残忍で、悍ましい淫祠邪教、言葉にすることすら憚られる悪逆を行う者だった。

 だからこそ、初めてその姿を見た時は掛け値なしに心底恐れた。魔術師とは恐ろしいものなのだと、何の疑いも無く信じ込んでいたからだ。だが今は微塵も恐れていない。己に付与された価値を充分に理解した今、自分はこの魔術師を下せる存在なのだと疑っていなかった。

 進撃を止めない【アクエリウス】を、今度は冷水が襲う。魔法陣から湧き出る零下の水は怒涛の勢いで迫り、何の備えもない常人が浴びようものなら次の瞬間には氷の彫像と化す。だが常に体内に高温を抱えた【アクエリウス】に対しては文字通りの焼け石に水、体表に触れた瞬間に蒸発したそれらは無害な水蒸気となって空間を充満するに留まった。

 もはやこの超人を止める術は無い。

 「もう、逃げられませんよね」

 追い詰めた。ここから先は一本道の袋小路、ものの十メートルも行かないところで行き止まりだ。追い詰めた彼らはその先の壁際から超人と対峙する。否、対峙するという表現は適当ではない。追い立てられて部屋の隅に追い詰められたネズミと、「対峙する」などとは言わない。

 「さあ、観念してください。そうしたら、せめて苦しまずに」

 この者らに恨みはない。仲間を倒された事に対して思うところはあるが、それはそれ、つまりはいずれそうなる定めというだけの話。いつか訪れるものがその時訪れたということに過ぎない。そして今度は彼らがそうなり、自分がそれを与える側になったのだ。

 一片の慈悲もなく、一瞬の躊躇もなく、一抹の不安も後悔も無く、己は彼らを焼き払える。敵意によってではなく、「そうすることが適切」と心得るがゆえに。

 だからこそ、その手を伸ばし……。

 「おい、坊主。そこで止まるのである」

 魔術師の言葉に遮られた。距離はそこそこあるはずなのに、朗々と詠み上げられるような声はそれ自体が魔術のように【アクエリウス】の手を止めさせた。

 「我輩は、人でなしだが悪人ではない。故に、一つ忠告しておいてやろう。『生きていたければ』、『そこから進むな』」

 世迷言だ。差し迫った危機に際し余人が口にするという延命の手段、要は命乞い。言い方があまりにも尊大なのでそう聞こえないだけで、実際の所していることは他と変わらない。やはりこの魔術師も命は惜しいのだ。

 「生きていたければって……あなたは、自分の立場を……」

 「無論、理解しているのである。タダでとは言わぬ。相応の見返りを用意しよう」

 またしても常套句。そちらが甘受している現状よりも尚良い利益をもたらすという、寝返りを要求するいっそ清々しい流れ。ここまでくれば逆にどんな提案を宣うのか興味すら湧いてくる。もちろん実際の心中は微塵の関心も無いのだが、僅かな逡巡を交渉の余地と思い込んだ魔術師はお構いなしに会話の主導権を握り始めた。

 「貴様は無駄が多い。いや、正しくは貴様の運用方法に無駄が多い。魔力喰いという特異かつ希少な体質を兵器利用するという着眼点は中々のものであるが、如何せん数を揃えていないのが解せぬ。いや、皆まで言うな。希少なるものの価値は、絶対数が少ないからこそのもの。であれば肝要なのは数を揃えることではなく、『数を増やすこと』に執心すべきであろう。貴様らのやり方は何と言うべきか、お優しいことであるなぁ。一言、中途半端に過ぎる。まさか今更仏心を起こしてヒトとして扱う訳も無し、単に希少が故に『消費』することを厭ったか、まあ後者であろうな。だが逆だ。希少だからこそ遠慮も呵責もなく消費して然るべきなのだ! そうでなければ特性など掴めない、使用方法も限定化してしまう。意味が無い。意義も無い。だからこそ、無駄と言っている。まず手足は要らぬ。どうせ道具として運用するならば自律性は不要、ならば初めから削ぎ落としておくに限るのである。脳も要らん。眼も鼻も、と言うより首から上は総じて要らん。廃棄である。皮も要らんな。外界との接触に隔たりをもたらす皮はむしろ邪魔か。重要なのは中身だ。血液は良い、上質の石脳油にも劣らぬ燃費だろう。竜種の血液など目ではない。となれば、それを生成する骨格の確保及び加工は最重要課題だ。小指の一本でも大儀礼にも耐え得る呪具になるだろう。そうなると内臓器官の利用方法であるなぁ。『食べる』という行為に魔術的意味を持たせ更なる能力強化という観点では消化器官は有用だが、問題は外の臓器か。あー……なあ、貴様。脾臓と膵臓、残すならどちらを残したい?」

 「…………」

 「肺が要らない分、容量は確保できるか? なら内臓は全て活用できるなぁ。いや……いやいや、待つのだ。やはり廃棄である。胃袋の加工に用いるリソースを考慮すれば、まるでお話にならん。他はゴミ、塵屑である。いかん、嗚呼、いかんなぁ……貴重かつ珍種の素材を前にすると、どうにも興奮が抑えられんのである。なあ、貴様も理解できるであろう? なあ? なあ? なぁあ?」

 頭が痛くなってきた。この男が何を言っているのか理解できない。ほんの30秒ほど前の記憶が確かなら、こいつは命乞いをするはずではなかったか?

 初めは語り掛ける口調が徐々に加速し、止め処なく溢れ出る知的好奇心の赴くままに回転する口車は狂気の様相を帯びて理性の坂を転げ落ちる。端からそれを止めようなどとは微塵も思わず、もはや魔術師の口は交渉の言葉ではなく己の妄想を垂れ流す以上の機能を有していないことは明白であった。

 「……あなたが、何を言っているのか、分からない」

 分からない。分からない。

 この男が何を言いたいのか欠片も理解できない。

 理解できないから…………キモチワルイ。

 キモチワルイから…………ああ、簡単だ。

 「死んでください」

 【アクエリウス】は純粋だ。疑わず、惑わず、逸れるということを知らない無垢な者だ。理解できる物事を、理解できる範疇でしか考えない。拡大解釈は恐怖を生み、矮小化すると侮りを生むことを無意識に理解しているからだ。だからこそ、全くその余地を見出せないモノと相対した時、彼はその存在を拒む。視界から遠ざけ、その声が届かぬ範囲へと追いやろうとする。単純に排除しようと動くしかない。

 兵器の役割を与えられた彼は「殺害」によってそれを為す。敵意も害意も殺意も希薄なまま、ただ理解できない、邪魔だからという理由でそれを実行できる。ある意味でその直情さ、迷いの無さは強みだが、こと相手を嵌め落す手練手管に長けた輩と相対すれば弱みにもなる。

 例えば、そう────。



 悍ましい「魔術師」などと相対すれば、特に。



 「貴様は、ニワトリか何かであるか?」

 嘲りの言葉も、もはや【アクエリウス】には届かない。その音声を言葉として認識することが宝瓶宮にはできない。

 「我輩、言ったよなぁ? 生きていたければ進むなと、我輩言ったはずであるよなぁ?」

 【アクエリウス】は決して警戒を緩めてはいなかった。むしろ逆、この狂気に堕ちた魔術師を打倒するのに一切の加減も容赦もするまいと臨んでいた。それこそ相対した相手がカマリやユーリィであったなら、瞬きの間に彼らを焼却していただろう。

 だが当の魔術師は、超人の予想を遥かに越えて悪辣に過ぎた。

 「貴様の力は確かに脅威だ。周囲の魔力を取り込み、自壊と再生を繰り返す特攻兵器。並みの規模のサバトに貴様をぶち込もうものなら、バフォメットの御老体らもタダでは済むまい、まず壊滅であろうなぁ。魔術を得手とする者が多い南の国家群にとって、真に厄介なのは、なるほど確かに貴様であろうよ」

 だが、と魔術師は前置く。

 「確かに貴様は魔術殺しとして完成されている。しかし……気付かなんだか? 貴様は魔術には強いが、『魔術で生み出したモノ』にはてんで全く、手も足も出ていないという事実に」

 そうだ。勘違いしてはいけない。

 【アクエリウス】の能力は「魔力喰い」。空間や物体、術式に含まれる魔力を己が力として取り込む能力。言葉や字面だけ見れば強大な力だが、それは必ずしも魔術全てに対絶対的優位を取れるという意味ではない。

 「土槍で抉られ、熱で焼かれ、冷水で血は凍る……結構、防御力低いであるなぁ。強靭な再生力で騙されていたが、いや、だからこそ再生力に特化せざるを得なかったという事であるか。然もありなん、物理的な耐久性を得られなければ、『そこから先』を考えざるを得ない。結果、攻撃を完全に防げぬなら、そもそも過剰な魔力で肉体が自壊するのなら、それを補って余りある再生復元によって兵器として確立させる、か」

 魔術師イルムの言葉は全て正鵠を射ていた。爆殺の超人は受けたダメージを結果的に差し引きゼロにしているだけで、ダメージそれ自体を受けていない訳ではない。街の区画ごと焼き払う大火球を喰らった時も、火球の魔術は吸収したが、火球が放つ炎熱は確かにその体を焼いたのだ。つまり、攻撃が全く通じないという訳ではないのだ。

 超人の不安をよそに魔術師の独り言は続く。彼は何か拾い上げると、それをしげしげと観察し始めた。この僅かな時の中で「原形」へと復元したそれこそが、宝瓶宮を真の意味で超人たらしめていたピースと見抜くのは必然だった。

 「ほう、カラクリはこうであったか。存外、単純であるな。いやはや、たかがこの程度の質量だけでヒトの肉体をここまで変生せしめるとは。しかも雄性を維持したまま、その超常性のみを引き出すとは、どのような術式で……ふむ」

 それこそは宝瓶宮を「爆殺の超人」ではなく、「無限再生の怪物」に変生させていたピース。斃れた金牛と水乙女がそうであったように、彼もまたその資格を「埋め込まれた」者。ならばそれに相応しいモノを有していることに何の不思議もない。

 「異常に高い親和性がここまでの再生力を生み出した、と。ふむ……おい、貴様! これは『誰』だ? 母か? 姉か、妹か? 睦言を交わした女か? まさか、娘ということはあるまい? いずれにせよ貴様に近しい何某かのモノであるか。まあ、タネも割れた今、我輩には何の興味も価値も無くなった」

 一度は手に取ったそれを無造作に投げ捨てる。子供が興味を無くした玩具に対しそうするように、もう二度とこの男がそれを拾い上げることはない。彼がそう語ったように、タネが割れ、仕掛けが明らかになった手品ほど無価値なものは無いからだ。

 ああ、そうそう、とまた男の言葉が続く。

 「なあ、貴様、九つ首の大蛇の伝説を知っているであるか?」

 言葉など届かぬと知って尚、それこそ知った事ではないとばかりにイルムは続ける。

 「切り落としても、切り落としても、幾度も生え変わる首を持つ毒蛇に対し、古の英雄は如何にしてそれを殺し尽くしたか知っているか?」

 有名な、あまりにも有名に過ぎるその逸話。その問い掛けは宝瓶宮の末路を暗示するもので、幼さ残る彼にも理解しやすい邪悪なまでの親切さで魔術師は絶望の底へと叩き落すのだ。しかし、もはや【アクエリウス】が絶望に打ちひしがれることはない。彼にはもう、その残酷な事実に恐怖の叫びを上げることさえ叶わないのだから。それどころか己の身に何が起こったのかさえ正しく認識する機能さえ持たない。

 宝瓶宮に出来ることは、それを最後に悠然と去って行くイルムの後ろ姿を、ただ茫然と眺めること。それと……。

 この後に控える凄惨な最期を待つことだけだった。





 東方の故事に曰く、「兵は拙速を尊ぶ」とある。彼……【アリエス】の敗因を挙げるならば、まさにこの「拙速」にあった。

 彼は慎重な男だ。平時、あるいは有事であろうと事態が多少変動したところで問題なく、それこそ巧遅ならぬ「巧速」で動ける器量を持つ人物であるはずだった。

 だがここに至るまでの状況が彼にそうした行動を、その選択を、判断を許さなかった。何をおいても速度が優先されるこの状況では、ただ素早く味方と合流し敵を討つことだけが第一目標だ。

 彼は急いだ。その理由は二つ。一つは、追跡していた敵の位置が上昇、つまり地上に向けて移動し始めたこと。二つ目は、目前にまで迫っていた【アクエリウス】の動きが停止したことだ。

 「何をしている、【アクエリウス】!? 奴らをそのまま地上に行かせるな! 追え!!」

 だが動かない。まさか返り討ちにあったかとも思ったが、細胞を通じて得た情報ではまだ生きている。そもそも彼が落命すればその瞬間にこの地下空間もろとも爆砕するはずだ。そうなっていないという事は彼はまだ自らに蓄えた魔力を辛うじて制御しているという意味でもある。

 「やはり僕が向かうしか無いじゃないか! どいつもこいつも満足に動かないなんて!!」

 苛立ちと共に肉体に充満する猛毒の濃度が急激に上昇する。もはや彼が立つ大地、同じ足を着けるその場に存在するだけで全ての生命は毒の影響で死滅するだろう。

 駆ける、駆ける。ただひたすらに、一瞬でも早く敵を討たんと暗闇を駆け抜ける白羊宮。

 そして辿り着くのは地下水道の終端、そこから先は無い袋小路。いや、目を凝らせば行き止まりと思われた道の先にはハシゴが掛けられ、上部から差し込む僅かな光が敵がそこより地上へ逃亡したことを暗示していた。

 追わなくてはならない。だが【アリエス】の胸中を満たした違和感が、彼の足を止めさせた。

 「【アクエリウス】はどこだ?」

 居ない。先にここへ到達したはずの彼がどこにもいない。ここに来るまでに自身の痕跡を嫌になるほど刻んでいた、あの宝瓶宮が存在していなかった。今もここには彼が能力を使用する時に発する、あの死肉を焼く悪臭が漂っている。

 敵を追撃して地上へ行ったか? だとしたら、その能力によって無辜の住民にも被害が及ぶ。それを危惧した【アリエス】も急ぎ地上を目指す。

 だが、その足が再度止まった。

 更なる違和感を覚えたからではない。最初に感じ取った違和感の正体を看破したのだ。否、看破したというよりは、「気付かさせられた」といった方が適当だろう。

 「アク……エリウ、ス…………!?」

 見上げた地下水道の天井、そこに宝瓶宮は“あった”。

 そうだ。彼はずっとそこに“あった”のだ。悪臭を痕跡と捉え捜索するまでもなく、彼は最初から最期までそこに留まっていた。どこにも行ってない。逃げも隠れもしなければ、敵を追うという事すらしていなかった。

 彼は今、“複数”だった。

 首を、腕を、脚を、胴を、肩を、頭を、両の指その一片に至るまで、幼さ残る肉体は見るも無残に切り刻まれ、そして縫い付けられていた。さながらそれは狩った獲物を血抜きして吊るすが如き所業、およそ酸鼻を極めたこの光景に流石の【アリエス】も恐れを隠せない。超人が敗北した事実よりも、その残酷さに視点が釘付けになる。

 歪な磔刑を成すその正体は、鋼線。細く、それでいて強靭。それらは蜘蛛の巣のように空間に張り巡らされ、不用意にこの場に入り込んだ【アクエリウス】は切断と拘束を同時に味わう末路となったに違いない。

 切断面は悉く焼き尽くされ、本来そこから流れ出る灼血もろとも肉片に封じていた。魔術で召喚された鋼線は尋常ではない熱、宝瓶宮の体内のそれを上回る温度が付加されていたのだろう。まさにヒュドラ、如何に生身で再生力を誇ろうが焼いて細胞を死滅させてしまえば意味を失う。外気に触れたら爆発する血液も同様だ。

 完敗だ。戦闘の痕跡さえ無い。開示された情報の全てが、宝瓶宮が文字通り手も足も出せないまま敗れた事実を示す。

 「────ぅ、──」

 「ッ!? 【アクエリウス】?」

 天井に磔にされた宝瓶宮が微かに声をもらす。全身を刻まれ顔面の右上部を喪失してなお、再生力に長じた彼だからこそ辛うじてだが命を繋いでいた。

 予断を許さないが貴重な戦力は未だ失われてはいない。その事にひとまず安堵し、ここまで混迷続きで慌ただしかった【アリエス】の思考が僅かでも冷静さを取り戻したことで冴えてくる。ここからどうするべきか、どう動けば正解なのか、それらを正しく導き出すためにここまでの動きを再確認する作業が脳内で無意識に行われる。

 地下深くの閉鎖空間。

 魔術師との交戦。

 生きながら分割された同胞。

 意気軒昂、未だ臨戦態勢の自身。

 事ここに至るまでの道程、その全てを思い返し、認識し、咀嚼したその瞬間────。

 「あっ……」

 白羊宮は己の自滅を悟った。





 地上へと逃れたイルム、カマリ、そしてユーリィは、たった今自分達が這い上がって来た穴の底、地下水道で巻き起こる地獄の光景を三者三様の面持ちで見下ろしていた。

 「…………」

 その凄惨さに絶句するユーリィ。

 「ああ、なんと」

 ただただ驚嘆の声をもらすカマリ。

 「力に溺れた愚者どもの末路とは、まあ中々に笑える演目であるな」

 そして、この罠を仕掛けた張本人は眼下にて繰り広げられる惨劇を、その台詞とは裏腹の何の愉悦も籠らぬ冷めた視線で眺めるだけだった。

 彼らは詰んでいたのだ、どうしようもないほどに。落下した彼らの片割れ、宝瓶宮を名乗る超人と相対した瞬間から、魔術師の脳裏ではこの悪辣なる抹殺劇の絵図は描き上がっていた。

 「小僧、もし自分が二頭の猛獣に追われていると想像せよ。どちらも強靭な顎と鋭利な爪を持ち、出会ってしまえば足掻くことも抗することも出来ずに喰われて果てる……そんな猛獣が二頭、貴様ならどう下す?」

 片や生物殺害に長けた超人。同じく、片や魔力を喰らい自爆を繰り返す超人。どちらか一方でも手に余るそれらを、片方でも人類の天敵となり得るそれらを正しく打倒し生存する手段とは何か。

 「答えは簡単である。片方だけでも致命的ならば、『そいつらだけで殺し合ってもらう』のである」

 地下で再びの逃走を決め込んだ時、次に相対する者も宝瓶宮であろうとイルムは直感していた。魔力の残り香のみでこちらを発見した索敵と、障害物の全てを爆砕しながら突き進むその踏破力を鑑みれば必然の予測だろう。この場合恐れなければならないのは、「追い付いた宝瓶宮と交戦している状況を、続く白羊宮が到達するまで維持してしまう」こと。付かず離れず、二人が二人ともヒット・アンド・アウェイの一撃離脱戦法を執っていればイルム側の敗北は決まっていた。

 「奴らが合流すること、それ自体は脅威ではない。奴らは合流したところで共闘はしない。否、『出来ない』のである」

 何故だか分かるか、と視線がユーリィに問う。

 「……お互いの能力が、邪魔になる?」

 「そうだ。片や生物である故に猛毒を防げず、片や再生できぬ故に熱波に焼かれる。奴らは、組んでいること自体が誤りなのである」

 互いが同じ空間にいる以上、互いがその実力を発揮する機会を持ち得ない。それが大量殺戮を得手とする二体の超人が抱えた致命的欠陥。同一の作戦領域に投入すれば足を引っ張り合い、共食いからの自滅へとひた走る。

 「だから『そうして』やった。混ぜるな危険、を犯してやった」

 再び三者の視線が未だ続く地獄へと注がれる。

 穴の奥底、つい五分ほど前まで彼らが留まっていたその空間に暗闇は無い。



 燃え盛る劫火が何もかもを焼き尽くしていた。



 全身を切り刻まれながらも辛うじて命を繋いでいた宝瓶宮。そこへ猛毒を身に纏った白羊宮が到達した。同じ空間にいるだけで全生命体を殺し尽くす猛毒、それを帯びた同胞が。

 ものの十秒と耐え切れずに宝瓶宮は絶命しただろう。そうすれば今度は彼がそれまで体内に蓄え続けた魔力が弾ける。外気に触れずとも制御を離れた魔力は刹那の内に熱量へ変換され、血液だけでなく細胞の一片までも炸薬として機能したはずだ。後は周囲が密閉され逃げ場の無い空間を劫火が覆い尽くし、猛毒など関わりなく全てを焼却するのだ。

 哀れ、二体の超人は自らの能力ゆえに、自らを滅ぼし尽くしたのである。

 「前門の虎と後門の狼はこれにて駆除完了である。これで心置きなく移動が出来る訳であるが……小僧、何か言いたければ今の内に言うのである」

 「…………こんなの、人のやる事じゃないですよ」

 思いつめた表情のユーリィは、眼下に燃え盛る炎に憐憫と悔恨が入り混じった沈鬱な声をもらした。

 「あの人達はヒトだった。ヒトは、こんな残忍な終わり方をしていいはずがない」

 「貴様のヒトの定義がどんなものか、我輩は欠片の興味も無いので問わん。我輩のやり方云々も、我輩は自分がかなり人でなしの自覚もある故、そこも不問である。なら貴様は、己が同胞を虫けらのように轢き潰した奴らの方が、ヒトとして正しい在り方をしていたと? 貴様の同胞はヒトとして正しい死に方をしたと?」

 「同志の敵討ちをしてくださったとでも? あなたが!?」

 「いいや? だが残忍さというならば奴らの方が上手であるし、敵を完膚なきまでに殺し尽くすというならば、貴様が英雄と仰ぐ『あの男』も同じ穴の何とやらである。結局は殺すのだ、何も変わりあるまい」

 「それは……!」

 「ああ、それと、軍施設に爆弾を仕掛けたそうであるな。その『成果』を仲間内で祝ったであろう貴様らも、所詮は同類であろう」

 「…………」

 「青臭いガキめ。敵の行いは全てが邪悪で、正義の行為は全て清廉で穢れなきものとでも思っていたか? だとすれば、夢物語の見過ぎである。良く見ておくのである。戦いの結果は常に勝利と敗北しか無い。そして勝利とは、敗けた側の何もかもを剥奪してようやく成るものなのだと」

 穴の底はまだ燃えている。炎の舌は揺らめく……ユーリィの憐れみを嘲笑うように、燃え移る骸が積み重ねたこれまでを壊すように、ただ轟々と燃え盛るのみだった。





 何もかもが真紅に染まる意識の中で、彼は終わらぬ自問自答を繰り返していた。

 (負けたのか、僕は?)

 もはや肉体に意味はない。最初の炸裂で光は眼球を焼き、続く衝撃で四肢は微塵に散り胴は消し飛び、熱波によってそれらは悉く灰に帰した。今こうして揺蕩う意識は今際の刹那に焼き付いた走馬灯、無限の中で引き延ばされた一瞬の後に霧散するもの。

 その微かな空隙の中で彼は問い続ける。

 (僕は、選ばれたはず。全ての人々を公正と平等がもたらす、黄金の安寧へ導く者に)

 幼き日に交わした誓いがまざまざと浮かび上がる。それが鮮明になればなるほど、己がその約定を何一つ果たせていない事実が重くのしかかる。

 (まだだ、まだなんだ! まだ僕は何も、何もしていない! 多くの人々を導くという使命を、何一つ!)

 記憶と意識が遠ざかる。引き延ばされたこの瞬間は永遠ではない、もう終わりの刻限が迫る。

 (嫌だっ……嫌だ、助けてくれ! 僕はまだ、まだっ……!! まだ辿り着けていないじゃないか!!)

 そうして彼は気付くのだ。

 他者を先導する導き手ではなく、他でもない己自身が黄金の安寧に誘われたかったのだと。過去の意味付けという苦痛の連鎖から救われたかっただけなのだと。

 (助けて、助けて、助けて)

 しかし救いは無い。理想の為に全てを擲った彼は、何かを代償にここではない何処かへ向かうことが出来ない。回帰も転生も復活も無く、ここで彼は終わり果てるのだ。

 (サンガ……助けてサンガ)

 かつての師が説いた理想などどこにもない。

 「サンガ……サンガ…………『僧正』ォォォォーーーーーッッッ!!!!」

 搾り出した断末魔が時の歯車を動かし、そして彼はこの世から跡形もなく焼失した。
19/01/11 14:43更新 / 毒素N
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■作者メッセージ
【アリエス】
 『正式名称:「アリエス・δ(デルタ)」。
  個体能力:猛毒生成
  特殊技能:強靭な免疫機能
  必要素材:ケサランパサランの粉末を加工した麻酔薬
  設計思想:作戦領域における継続的効果を有する対人用兵器
  特記事項:“忌まわしき第三”の啓発を受けた者』

 「これは、『汚物は消毒』されるキャラじゃな?」と見抜かれた方、正解です。書いた後で気付きましたが、某奇妙なアレの○○○コッタ・○ー○だこれ!? とにかく可哀そうな奴にしよう、ということで書いた人。
 リーダーやれる能力と性格、本人の気力も充分。なのに想定外の事ばかり起きるわ、部下が揃って言う事を聞いてくれないわ、何なら自分ら当て馬だわ、見せ場らしい見せ場が無い。作者の悪意とストーリーの犠牲者。
 キャラクターコンセプト:「行動が空回りする意識高い系」。崇敬していた『僧正』が具体的にどんな人物であったかは、この物語で語られることはありません。ただドクタルは彼の事を非常に嫌っています。



 【アクエリウス】
 『正式名称:「アクエリウス・ε(イプシロン)」。
  個体能力:魔力継続環境における肉体完全復元
  特殊技能:魔力喰い。魔力吸収体質
  必要素材:■■■の■■
  設計思想:自律する対物破壊兵器』

 地の文で特に過去が語られなかった、作中可哀そうな奴Part2。「あー、昔見た『ジ〇クくん』のアニメ面白かったなー」とか考えながら三十秒で仕上げた子。
 魔力喰いと復元再生がメイン。自爆はオマケ。過去の拙作、『七人の勇者』の六番手・ミーシャのキャラ原型にあった、「魔物娘の魔力を吸収し自分の精力に変える体質」を再利用したキャラ。
 キャラクターコンセプト:「相方の死因」。間延びすると退屈なので、過去については作中のどこかでサラっと済ます予定。改造の素材については十二星で唯一、「本人から提供された物」を用いている。

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