連載小説
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二幕 相場
二幕 相場


今日は稽古日で自宅の撃剣道場に門下生達が来て稽古をしている。

セイ!!ヤッ!!

セイ!!ヤッ!!

男も女も妖娘も竹刀や薙刀を持って素振りをしている。

『小五郎、またお前さん右肩が上がってる。お梅さん、薙刀は足捌きを気をつけて。大助、剣尖は相手の眉間からずらさない。』

はいっ!!!

素振りが終われば今度は薙刀組の組稽古だ。一人一人師範の俺が相手をする。

セイヤ!……スパーン!!

『……とまぁこんな具合に本手打ちは振りの速さが命だ。礼!』

『ありがとうございます!』

『次!』

『はい!お願いします!』

だぁ!!……ドスっ……

『振りが遅いと、捌きからの下段薙や今の様に柄撃ちの餌食になる。』

……薙刀組が終わり、次は竹刀組の相手をする。

『遅い!!』

スパーン!!

『ぐぇっ!』

『不用意に振りかぶるな。貫洞の良いマトだ。次……』

『よろしくお願いします。』

キュッ……キュッ……

足捌きは良し……剣尖もブレないか……

ガッ!!……バッッ!……スパーン!!

『ふぅ……小太郎、良い太刀筋に足捌きだ。鍔迫り合いは離れた瞬間に落とし技や面打ちに警戒しろ。……あと半歩下がっていたら今の面打ちは躱していたろう。』

『はい!精進します!』

『では、今日はここまで!!礼!!』

ありがとうございましたーー!!!



そうして修練試合や打ち込み稽古が終わった頃、赤鬼の朱音ちゃんが訪ねてきた。手桶に何か持っているようだ。

『あの……門左衛門さま。こんばんは。』

『おう、こんばんは。朱音ちゃんかい。どうした?』

すると、朱音ちゃんが持っていた手桶を差し出してきた。

『この前はご迷惑をお掛けしました。……これ、うちの酒蔵のお酒です。お詫びに……』

『こりゃあ、中取りの上物じゃあないか。……悪いが受け取れねぇよ。今は米高いし、酒はもっとする筈だ。困ってんだろ?』

『でも……』

『あらぁ、いいじゃあないかい。お前さまぁ。』

意識の間を縫うようにぬらりと嫁が顔を出した。

『しかしだなぁ……』

『じゃあ、何かいぃ?このままこの娘さんに恥ぃかかす気かいぃ?朱音ちゃんだっけぇ?若いのに大した心意気じゃあないかい。あたしゃこの娘が気に入ったよぉ。』

『……でもなぁ、そんな高価なもん』

『じゃあねぇ、朱音ちゃんも飲むってのはどうだいぃ?』

『『えぇ??』』

『そうさねぇ〜。それが良いねぇ〜♪さ、お入りお入り♪』

……嫁にぬらりと纏められてしまった。

主屋に上がり、座敷に箱膳を出し、魚と漬け物と、塩辛と朱音ちゃんが持って来た上物のお酒が並ぶ。米の酒は久々だ。

『……うめぇな!流石は酒蔵!!』

『いんやぁ〜、美味しいねぇ。ありがとうよぉ、朱音ちゃん♪』

『良かったぁー、嬉しいです。』

うまい酒が進み進み、あれよあれよと一升瓶を空けて……なんだか気持ちよくなってきた。

じゅぷっ……じゅるっじゅるっっ……

あれ?なんで股が気持ち良いんだぁ?

なんで嫁と一緒になって朱音ちゃんが俺のをしゃぶってやがるんだぁ?

たんたん……たんたん……

『門左衛門さまぁ❤門左衛門さまぁ❤ぁああ❤』

おいおい、なんで朱音ちゃんが俺の上で跳ねてるんだぁ?

あ、夢か。そうか、こりゃ夢だ。



………………チュンチュン……チュンチュン……



……おいおいおい、待っておくれ待っておくれ!?

なんで素ッ裸の俺の横で、素ッ裸の嫁と朱音ちゃんが寝てんだよぉぉおおおお!!!???

『あの……門左衛門さま。……お、おはようございます……(ぽっ』

『お前さまぁ♪昨日は楽しかったねぇ〜♪』

あっ……はい。

『門左衛門さまは今日、上番の日ですよね?私も酒蔵に。今、朝ごはんのお支度をします。……あの……門左衛門さま?』

『な、なんでございましょうか!?』

『こ、これからは……旦那様とお呼びしても……(ぽっ』

さーーーっ……夢じゃなかったのね。やっぱり。

『は、はい……』

そう言うと、ただでさえ赤い朱音ちゃんの顔が更に紅をさした様に赤くなり、朝ごはんの支度にお勝手へと向かって行った。

『いゃあぁ〜。もう影響がでるとはねぇ〜。恐れ入谷の鬼子母神ってことさねぇ♪』

『なんの事だい?』

『さぁてねぇ?ふふふ……♪』

その後は朝ごはんを美味しく食べたが、食事中まともに朱音ちゃんの顔を見られなかった。

『いゃあ、美味しいねぇ♪』

一人だけツヤツヤしやがって……

とまぁ、そんな具合で今日一日はまるで仕事に身が入らなかった。川上小警部殿には弛んどる!!とどやされ田中にはぐうたらだと笑われたが……

夜になって帰る時にふと櫛屋が目に入った。

朱塗りの櫛だ。朱音ちゃんにはこれが似合うなぁ……じゃあ嫁には黒塗りの櫛を。

『おう、山本の。女でも出来たかい?これとこれで……一圓と言いたいが、七銭と5厘でどうだい?』

『あぁ、あんがとよ。(あれ?俺は嫁持ちだぞ?』

『毎度!』

はてさて、嫁の好みに合うか……

嫁の好み……ん?

そう言えば……俺は嫁の好みを知らない。

ん?

ちょっと待った……俺はいつから嫁と出会った?いつ夫婦になった?

一つ二つと疑問がぬらりくらりと湧いてくる。

そういえば、俺はあいつの名前すら知らない……

いったい……これはどう言う事だ?

俺は買った櫛を握りしめて帰り道をひた走る。程なくして家が見えて来た。朱音ちゃんが庭で掃除をしていて、声をかけてくれたが、それどころじゃねぇ。

『おやぁ、おかえりぃ。早かったねぇ?……どうしたいぃ?そーんな恐い顔をしてぇ?』

『おう……お前。聞きてぇ事がある。』

『なんだいぃ?改まって。なんでも聞いておくれよぉ。』

『なぁ、お前……。お前さんはいったい誰だい?』

夜の帳が下りる頃、そう嫁と呼んでいた女に尋ねると冷たい風が吹き、女は垂れ糸目を見開いた。その綺麗な紅色の瞳も今初めて見た。

『そうかい、そうかい……気付いちまったかいぃ。ふふふ……早かったねぇ。まさかこんなに早いとはねぇ。こりゃあ驚いたぁ。』

女はクスクスと楽しげに笑う。余裕ある態度を崩さない。

『いったい何が可笑しいんだい?』

『いゃあ、あたしの目に狂いは無かったねぇ〜♪……おっとまだ質問に答えて無かったねぇ。』

そう言うと女の蒸かす外来キセルから黒い霧霞のような煙草の煙のようなものが吹き出る。まるで闇夜を纏っているようだ。普通は仰天するだろうが、俺は怖いと思ってない。

しかし、そこに、だからこそ畏れを感じる。

『知らざぁ言って聞かせませぅ!夜の帳を見に纏い、帝都は八百八町の道を、のらりくらりと気ままに歩く、八百万夜の妖の、任侠者の歌舞伎者、百鬼夜行の総大将、ぬらりひょん、名は桜子たぁ、あたしのことさねぇ!』

歌舞伎の大見得もかくやと名乗った嫁と呼んでいた女……桜子は妖の総大将ぬらりひょんと名乗った。聞いた事がある。何処にでもぬらりと現れていつのまにかそこに居る妖怪。勝手に上がり込んでは、茶や煙草を吸い、のらりくらりと居座り続ける。

『妖の総大将……』

『そうさねぇ……気付いちまっちゃあ仕様がない。でもねぇ……もう一つ気づいてるんだろぅ?』

桜子は相変わらずクスクスと笑う。

そうだ……俺はもうこいつのものだ。そしてこいつは俺のものだ。

『……もう俺とお前は離れられないって事だろ?』

『そうさねぇ、正解だよぅ♪』

『なぁ……聞かしてはくれねぇかい?……なんで俺の所に来た?』

『そりゃねぇ?お前さまを初めて見た時に一目惚れちまったからさぁ〜。』

『そいつはどうも……』

『……心配事かいぃ?』

桜子は俺の顔を見てそう言った。どうにも顔に出るようだ俺は。

『……いつの間にか居たんだ。いつの間にか居なくなると……その、なんだ……困る。』

すると、桜子は目の端に涙を溜めて嬉しそうにツクツク笑った。

『アハハハ……嬉しいねぇ。心配しなくても、あたしゃお前さまから逃げないし、逃がさないさねぇ〜。お前さまとなら、きっと良い百鬼夜行……任侠一家が作れそうだねぇ。』

『おいおい……任侠一家だって?俺はぐうたらだが警官隊の隊士だぞ?それに俺は親分とかそんな器じゃねぇよ。』

『いんやぁ?お前さまは任侠一家を作るよぉ。今はそうで無くとも、そうなるまで幾らでも待つさぁ。……それにこんないぃ〜男を他の妖娘がほっとくわきゃあ無いさねぇ。』

あぁ……影響?ってやつはこの事かい。

『……朱音ちゃんの事かい?そんな娘が増えるって?』

『明答明答ぅ〜。ぬらりひょんの旦那になった男は妖娘を引き寄せちまうのさぁ。ふふふ……これから嫁やお妾が増えるけどねぇ?み〜んな可愛がってくれなきゃあだめよぉ?』

『おいおいおいおい……朱音ちゃんは使用がないとして、お前はそれで良いんかい?』

古今東西、女の嫉妬は怖いと言う……。心配しかない。

『賑やかで良いじゃあないかぃ?それにあたしも男前の旦那を持てたと鼻が高いねぇ。諦めて腹ぁくくんなせぇ。ふふふ……だから、よろしくねぇ?お前さまぁ♪』

……前途多難すぎやしねぇか?まぁ、こうなったら仕方ない。

肩を落とす俺にもたれかかった桜子はどこか満足そうだった。







嫁の桜子の一件があって10日程経った。街に出れば、彼方此方から視線を感じる。たしかに桜子の言う通り、妖娘を引きつてけているようだ。

そんなある日の仕事終わりの帰り道。何やら歓楽街にておかしなやり取りをしているのを見かけた。一方は田舎の訛りがある。ぶかぶかの背広に着られている冴えない顔の若い男だ。

『お兄さん、お兄さん!どうだね?』

『どうって、泊まるとご探してんだぁ。』

『泊まりならありがてぇ!いいコレ……用意しやすぜ?』

するともう一方の男が小指を立てて笑った。

『コレ?……美味いんがかぁ?』

『?……あ、あぁ!美味いよ美味いよ!お兄さんも好きだねぇ!!』

はぁ……こりゃ、見てらんねぇな……。

『一名様〜ご案内〜いぃぃいい!!?あだだだだ!!何しやがる!!?』

『おいおい、客引きは橋の向こうからって知ってるだろう?此処じゃ御法度だ。』

捻る手を振り解くと客引きの男の顔がどんどん青くなった。

『け、警官隊!!?』

『警官隊隊士としてしょっ引いても良いんだが生憎と仕事終わりで家路につく最中だ。……今止めるってんなら見逃しても良いが。どうするね?』

『す、すみません!!止める!止めますぅ!!』

と客引きの男は逃げて行った。

と言うわけで、ついつい首を突っ込んでしまった。とりあえず事情を"みるく・ほーる"にてズーズー弁の男から聞いている。

『なんどっ!?あの男は女郎の客引きがぁ!?……ずずっ……あじじじっ。帝都のお人はこげなもの、よぐのめるなぁ〜』

カタン……

『大丈夫かい?……まぁ、お前さんも気をつけな。世の中、良い人だけじゃあ無いからねぇ。』

『なんだか、よくわがらねぇが助けてもらっだみでぇだなぁ。隊士様ぁ、ありがとござますぅ。』

『しかし、お前さんなんで帝都に?故郷はどうした?』

『いゃあ、わだすは村上 田ノ介と申ず。東北地方の秋田ノ県がらきましたぁ。よろしゅうおねげぇします。』

『俺は警官隊隊士、山本 門左衛門だ。よろしくなぁ。んで?』

『実は……帝都さ来たのは、故郷さここ2年ばがりの飢饉でみーんな苦しんでおりやす。わだすは県から大事なお役目さ受けて来たんだぁ。……県役場から大棚の市川屋に金策さ取り付けて来ー……と。』

『なるほど……それで帝都にか。なぁ、村上さん。悪りぃ事はいわねぇ、市川屋は辞めといた方がいい。』

『な、なして!?』

ガタン!

『お前さんの故郷ではどう言う噂が流れているか知らないが大棚の市川屋店主、市川松吉は生き馬の目を抜くような男だ。お前さんの話をまともに聞くとは到底思えない。』

『だども……このままじゃ、皆んな飢えて死んじまう。他の県役場さ打診申したけんども、断られたんだぁ。だから、やるしかねぇんだ……。』

ポトリ……

『お前さん、今なんか落としたぞ?』

『わぁああ!!あぶねあぶねっ!!』

村上さんが慌てて机の下に落とした封筒を拾い上げた。

『なんだい、そりゃ?』

『これは、命より大事な大事な県の命綱だぁ。ふぅ……えがった、えがった。じゃ山本様ぁ、わだすはこれで。いろいろありがとござます。』

『ちょいと待ちな。行くのは勝手だが当てはあるんかい?』

『……ねぇがら、野宿でもするでよ。』

やっぱりなぁ……

『そんな事だろうと思ったよ。……少しの間なら俺ん家の撃剣道場の倉庫、好きに使って良い。』

『そりゃあ、ありがてぇ!!恩に着まず!』

『礼なんかいらねぇよ。……お前さんが凍死体で橋の下に転がったら、寝覚めは悪りぃし、仕事も面倒になるだけだ。まぁ、しっかりやんな。』

てな訳でしばらくの間、村上 田ノ介を道場の倉庫に泊める事となった。俺も大概お人好しらしい。


翌日…………。


『お前さまぁ、行ってらっしゃい。』

『あぁ、行ってきます。』

『田ノ介さんも、頑張ってねぇ。』

『へぇ、行ってきますぅ。』

朝、妻の桜子と朱音ちゃんに見送られ仕事に行く。途中までは田ノ介も一緒に行くと言う。なんでも新聞に

"市川屋店主、市川 松吉氏 帝都四谷ニアル主神教会ノ孤児院ニ7000圓ノ寄付シタル。本日ノ午後ニ神父ト面会"

とあったので、顔だけでも拝みに行くそうだ。

……大丈夫だろうか?









ところ変わって帝都四谷 教会孤児院

大きな教会孤児院の前に合衆国製の蒸気車が止まり、そこから降りて来た身なりの良いニ枚目の男が教会孤児院の院長神父と握手を交わしていた。男と院長神父は駆け付けた新聞社などの報道陣に笑顔を見せている。

『日の本新聞社です。えー、市川 松吉社長。7000圓と言う大金ですが、どうして寄付を?』

『はい、ノブレスオブリージュ……持てる者の義務でございます。私の成功は神の加護の賜物でございます。然るに、私には神に借りがございます。そのようなことでございますので此度はその借りをほんの少しだけお返ししたくこの様なことと相成り申しました。』

『なるほど……とま院長神父はどうお考えでしょう?』

『誠に有難い事でございます。孤児院の子供らも喜んでいる事でしょう。孤児院を代表して感謝の意を申し上げます。』

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(……口利きが必要なのでしょう?市川屋さん。)

(流石はトーマ院長神父様……話が早くて助かります。)

(わかりました。では……此方に。)

すると、拍手に混ざって騒ぎ声がする。松吉と院長神父が振り返ると、警官隊数名に取り抑えられている田ノ介があった。

『こらっ!大人しくしないか!』

『市川屋松吉どの〜、話しさ聞いてけろ〜!!わだす達を助けてくだせぇ!!』

教会の前で声を上げられてはしょうがない。孤児院を助けた手前、この男を無下に扱うと悪い噂が聞こえ兼ねない。そう判断した松吉は田ノ介を解く用に警官隊に指示を出し、教会の中へと引き入れた。

(よろしいのですか?)

(トーマ院長神父……儲け話はいつ何処から降って来るか解りませぬ。時に……合衆国の1ダラー紙幣の裏に書かれている言葉をご存知ですか?)

(はて……)

(Trust in the GOD……神の信用です。それを用い、信じる者を作れば金は幾らでも湧いて出ますよ。良くご存知でしょう?)

(これは、これは、上手いことを仰いますなぁ。耳が痛い限りです。はは!)

その後、別室で待たされていた田ノ介の所に松吉と側近の男が入って来た。

『ほほほほ、本日はどうもありがとござますぅ!』

『いえいえ、楽にしてください。それで?……えーと……』

『あっ、申しおぐれましたぁ。わだすは秋ノ田県県役場から来ました、村上 田ノ介と申ず。まんず、よろしゅうおねげぇしますぅ。』

『はぁ……田ノ介さん。話しとは?』

『へぇ!これで金策をおねげぇしたく……故郷の皆んなをどーか、助けてけろ!』

『これは?』

『……院内妖銀鉱山の権利書でごぜぇます。県の唯一残された質草だぁ……。これで金10000圓をなんとか融通して頂けないだろか。』

『……わかりました。では……そうですねぇ、50000圓融通いたしましょう。』

『こりゃあありがてぇ!!…………ん?50000圓と!??聞き間違いではねが???あんた様今、金50000圓と!!???』

『はい。金50000圓融通しましょう。』

『いやいやいや、たまげた!松吉さん、金50000圓……そんな大金返す手はずもねぇ!!それに、鉱山はもう妖銀さとれねぇ!鉄とダボ石ばりだぁ!』

すると松吉は側近の男から書類を取った。

『……もし、金10000圓融通しても同じ事です。返して頂けるのに何年かかるか……。村上さん、こうしませんか?その50000圓で米を買うんです。』

『米を?米さ買って如何がするで?』

『今、米が急騰していまして現在の値段が一俵辺り2圓40銭ほどです。50000圓で……20833表買えます。』

『そーんな米ばり買って、食ねぇでアメて(腐って)しまうがか……』

『あーいえ、食べるためではありません。私の見立てでは……来月末には米の値段が2圓90銭を越えます。そこで米を売れば60415圓70銭になります。私に50000圓を返していただき、無料でと言うのは商い人の恭二に反しますから、そうですね……端数の415圓70銭を手数金としていただき、村上さんには10000圓に院内妖銀鉱山の権利書をつけてお返しします。これであなたの故郷の県役場は鉱山の権利を失う事なく、県を救う予算を手に入れる事が出来ます。』

『そんな事が……できるがか!!??汗もかかずに10000圓もの大金が???』

『えぇ、お金と言うものは寂しがり屋である方へある方へ寄って来るんですよ。この度の金策、市川屋店主市川松吉に任せてはくれませんか?』

『よ、よろしくお願ぇします!!!』

そう深々と頭を下げた田ノ介は教会孤児院の一室を出て行った。

『村上さんは……妖銀は取れず、鉄とダボ石ばかりと言ったな?』

『はい。……如何がしましたか?』

『3日あげます。その鉱山、特にダボ石を調べて下さい。』


3日後…………


『若さん、例の鉱山を調べました。』

『どうですか?』

『はい。若さんが睨んだ通り、ダボ石の内容は質の良い石炭、それから鈴に銅、マンガン石に石灰。……鉱場さえ整えばざっと金5千万圓の価値はあるかと。』

『ハッ!!石炭、鈴、銅、マンガンに石灰をダボ石と!??……くくく……あははは!!!機械工業に必要不可欠なものばかりじゃないか!それを……くくく……ダボ石!!連中、宝の山に気付いてすらいない。妖銀にどっぷりと毒されていたなぁ。これだから、馬鹿はダメなんだ。』

『左様ですね。』

『連中に鉱場を整えるだけの金はない。米の値段は今幾らだい?』

『一俵辺り2圓58銭7厘です。』

『今日は土の日。休みを挟み、相場の取引き開始は月の日。予定通り2圓60銭で売りましょう。』










あの日の夜から浮かれ調子の田ノ介がどうにも気になり、俺は田ノ介に話を聞いてみた。

『どうにも解せねぇなぁ。市川屋がねぇ……』

『お前さま、心配かいぃ?』

『あぁ、俺は商いの事は良く分からん。汗水流して働いて、嫁と食っていければ俺は満足だ。多分だが、田ノ介も同じだろう。……だが市川屋は違う。』

『お前さまの、心配が当たらなきゃいいねぇ。田ノ介さんはお人好しそうだからねぇ。』

『なんか嫌な予感がしやがる。』

俺の予感は的中する事となった。3日後、朱音ちゃんが嬉しそうにしていたので、どうしたかを訪ねると、なんでも酒造りに使う米がやっと入って来たらしい。酒蔵の親方も喜んでいたそうだ。

それを聞いた田ノ介は血相を変えて飛び出して行った。


市川屋本店……

ドタドタドタドタドタドタ

『市川屋店主、松吉さんはおるかぁ!!?』

『なんだお前は!!ちょ、騒ぐな!!』

田ノ介が店の前で問答をしてるとそこに松吉が通りかかった。

『おや、これは村上さん。』

『松吉さん、いったいこらぁどう言うこどだぁ?米の値が一俵1圓98銭!!??』

『あぁ、急に帝都に米が流れて来たんですよ。値下がりですね。なに、相場も人生も勝ったり負けたりですからねぇ。』

松吉は張り付いたような笑顔を田ノ介に向ける。感情を隠す為の笑顔だが、目の奥の薄ら笑いが隠しきれていない。

『鉱山はどうなる?』

『残念ですが、権利書はお返しできません。あなたの出した損害が8750圓66銭あります。お支払い頂ければお返しいたします。』

『そ、そんな大金あるわけねが!!……あんたさまわだすを騙したな!!?』

『騙すなんてとんでも無い。私が権利書を担保に金を融通し、あなたがあなたの意思で相場に金を"張った"。これは正当な取り引きですよ。』

『そ、そんな!!……まさか、松吉さん!あんたが米の値を下げただか!?鉱山の権利さ取る為に!!』

『……今更気付いたんですか?』

『よ、よぐも騙したな!!』

『だから馬鹿と貧乏人は嫌いなんだ。……騙される覚悟も無いのに商い人に金策なんか頼むんじゃないよ!!!』

『なっっ!!!』

その時松吉は、張り付いた笑顔が嘘の様に消え、嫌悪感を丸出しにしたような怪訝な表情を表にした。

『商い人が金を儲けて何が悪い!?商い人が人を利用して何が悪い!?……この世はなぁ?金が正義なんですよぉおお!!!』

『……返してけろっ!!このままじゃあ県の皆んなが飢えて死んでまう!!わだすに出来る事は何でもする!!どうかっ!!!』

田ノ介は地面に這い蹲り土下座をした。

『はぁ〜……ちっ!ねぇ、村上さん……そんな見苦しい真似よしてくださいよ。あんた1人の値段なんて金10圓にもなりはしないんだ。まぁ……手ぶらでは何でしょう。』

チャリン、チャリン、チャリン……

松吉は財布を取り出して中から金貨を取り出して這い蹲る田ノ介に落とした。

『……20圓あります。これで故郷に帰んなさい。村上さん……あんたのおかげで鉱山の権利が手に入った。言わば恩人の様なものだ。もし、県を追い出されたら市川屋に来てください。面倒見ますよ。』

『ぐっ、ぐぅぅうううううう〜〜〜っっ!!!!』

松吉と部下たちは去って行き、後には地面に頭をこすりつけ涙を流すの田ノ介だけが取り残された。









仕事が終わり、日報を書き終え家路につく。飛び出して行った田ノ介が心配だ。何となくだが良くない方向に向かっている気がする。こう言う時は美味いもん食うのが一番だ。

『今日は牛鍋にでもしようか?』

そんな事を考えながら、トボトボ歩き家の近くの神畑川に差し掛り、橋の上で綺麗な沈む夕陽に足を止めて眺めていると……

ちゃぷ…………ちゃぷ…………ばしゃ……

水の音が聞こえてくる。

鯉やフナなどの魚にしては音が大き過ぎる。子供の川遊びと一瞬考えたが、今は霜月の末でとてもじゃないが冷たくて水遊びどこじゃない。まさか……!!!?

ばしゃっ!!がぼっがぼぼぼ!!ばしゃばしゃ!!

『糞ったれ!!自殺か!?早まりやがって!!!』

じゃぼんっ!!!!ばしゃっ!!!

(ひーーっ!冷てぇなぁーー!!』

俺は泳いで近くに行き、着物を掴み、自殺なんかしようしてる馬鹿の鳩尾を思いっきり締め上げ気絶させてから、抱えて泳ぎ、なんとか岸までたどり着いた。

『……っつ!!はっ!!ゲホッ……うー寒いっ!……ん?……てめ!で、田ノ介じゃねぇか!!』

『うっ……あっ、門左衛門さん……死なせてけろ……』

『おい……田ノ介!いったい何があった?』

何がどうのは分からないが十中八九、市川屋絡みだ。

『故郷の金策さ、市川屋におねげぇして、鉱山の……権利書を担保に、市川屋ば金を融通してけたんだ。その金で米さ買って値が上がった時に売れば……故郷さ助ける予算ば簡単に作れると口車さ乗ってしまったぁ!……結局、市川屋に権利書さ取られで、借金まで……わだすもう死ぬしか……だから死なせてけろー!』

予想通り……いや、予想より遥かに悪い。田ノ介の言う通りだとすると、市川屋店主、市川松吉は田ノ介を騙して鉱山の権利書を騙し取り、更に多額の借金を背負わせやがった。

『田ノ介……』

バコン!!

死なせろとうるさい田ノ介を殴って気絶させ、近くの神社に連れて行く。神畑大明神に務める知り合いの巫女さんの所だ。

『あらあらあらあら!山本さん、山本さん!どうしたんですか?そんなずぶ濡れで。』

白い巫女服に身を包んだ別嬪さんが駆け寄ってきた。黒髪がサラサラと夜風になびいている。

『お千代さん、コイツを宜しく頼みます。』

切れ長の目を少し見開いて、白魚の様な手を何か思案する様に顎に当てた。

『察するに自殺……仕損なったようですね?なんとも可愛そうで、愚かな事を……。山本さんのお知り合いで?』

『あぁ……市川屋に騙されて、思い詰めたみたいだ。』

すると千代さんは獲物を狩る蛇の様な目を田ノ介に向けた。

『山本さん……この方を助けて頂いた事を感謝しなければなりません。……しかし、良いのですか?』

『何がだ?』

『お気付きでしょう?妖娘にこんな若い男をポンと預けてしまって。どうなっても知りませんよ?』

まだ女の香りもしていない……とかなんとかブツブツ言っている。正直怖い。どうやら千代さんは田ノ介が気に入ったようだ。

『はぁ……好きにしな。また変な気を起こして死なれるよりは良い。そのかわり……』

千代さんが頷くと彼女の姿が見る見る変わっていく。髪は銀をすいたような白へと変わり、足は一本にねじれながら纏まり、美しい白蛇の姿になった。

『えぇ……この方を守ります。命に代えても……』

『宜しく頼む。田ノ介……その馬鹿の名前だ。そいつが起きたら、市川屋の件は俺に任せてくれと。それから、お前さんを産んだ父上と母上に謝れ。俺は命を粗末にする奴は大嫌いだ。と伝えてくれ。』

千代さんは田ノ介を愛おしそうに抱き寄せると、神社の境内の方へと運んで行った。田ノ介は彼女に任せて、俺も風邪を引かない内にさっさと帰ろう。今は、嫁のあったかい味噌汁が恋しい。

その日は家に帰り、風呂に入り、飯を食って寝た。







数日後……

バン!!

『川上小警部殿!!……いったいこりゃどう言う事でありますか!?お目通しを!』

バサッ!

『……山本、よく調べたな?』

俺は川上小警部殿に書類を叩きつけた。市川屋についての資料と先日の税務署の監査の写しだ。

少し叩けばホコリが出るわ出るわ。今まで潰されたり乗っ取られ、泣きを見た数多の県役場や商人や会社の目録と詳細が記してある。まんま詐欺そのものの手口だ。そのほぼ全てが揉み消されている。

相場の不自然な値動きの度に市川屋の名が、もしくは市川屋絡みの店の名が出ていた。

市川貿易、市川工業、松吉商店

市川呉服、松吉金庫、市川金融 等々……

これらの店は全て市川屋松吉の息がかかっていた。

先日迄の米価急騰もここ数年の不作や飢饉にかこつけて市川屋が米を買い占め値を吊り上げていた。今度は石炭と鉄の値が上がり始めている。

そして田ノ介の故郷の鉱山の利権買収……

何もない方がおかしい。

『のらくら隊士の俺が調べられるんです。小警部殿や上役がコレを知らないわけ無いでしょう。なんで"コレで"市川屋松吉が牢にも入らずにのうのうとしてられるんですか!?』

『山本……何が言いたい。』

『こんな事が普通まかり通る訳はありません。……川上さん、あんたの上司、警官隊の上役とお役所の連中は市川屋からいったい幾ら袖の下を掴まされたんですか?』

すると、小警部殿は持っていたライターで書類に火をつけバケツの中に放り込んだ。

『……私も市川屋での"でも"の件での上役の対応に不審に思い問い詰めたが、帰って来た言葉は"お手出し無用"と来た。……国税局の監査の折、私も立ち会ったがアレで監査が通るとは思えん。お前の言う通り袖の下は無ければ不自然だ。』

『では!』

『山本良く聞け……私が不正を調べ始めると上役は私とお前達の免職をチラつかせてきた。私は良い。嫁さんと一緒に"けつねそば屋"でも始めれば食っていける。お前も撃剣道場がある。なんとかやれるだろう。しかし、田中はどうだ?田中は士族出身の俺やお前と違って、貧しい農家の出身だ。年老いた両親と幼い兄弟を養ってかなきゃいけない。公職である警官隊隊士の仕事を失えば路頭に迷う事になる。』

『くっ…………』

『私は自分の地位の無さが恨めしい。お前達はどう思っているか知らないが、ぐうたらで、のらくら者のお前達が好きだ。上司としてお前達を守らなければならないし、守ってやりたい。……わかるな?』

『……なんとかならないんですか。俺の友達が思い詰めて川に飛び込んでるんです。そいつだけじゃあない。他にもあいつらに大事なんだもんを奪われた人が沢山いるんです。俺は市川屋を捕まえたい。』

『すまない…………上官命令だ。』

見ると川上小警部殿の握り拳に血が滲んでいる。あぁ、この人も堪え兼ねているんだと。

その日は川上小警部殿に帰って頭を冷やせと言われ、午後一で仕事を切り上げた。




『おかえりぃ。今日は早いねぇ、お前さまぁ。』

『……』

ぎゅっ……

『お前さまぁ?どうしたいぃ?……ん!?』

ん……じゅるっ……んちゅっ…………

『今は……ただ、お前が欲しい。』

………………

…………

……

俺は桜子を乱暴に抱いた。桜子はそんな俺を桜子は優しく受け入れてくれた。

『乱暴なお前さまも良かったけどねぇ?どうしたんだい?らしくないじゃあないか。』

事情の後、同じ布団に並び外来キセルをぷかぷか蒸しながら桜子は俺に聞いた。

『……怖かったか?』

『ははは、少ぉしねぇ〜。何かあったねぇ?』

『あぁ……。なぁ、桜子。俺の父上は開国前、同心でな。真っ直ぐで不器用で立派な人だった。侍だぁ武士だっていう身分の不公平や横柄なやり方が我慢ならなかったようで、攘夷派の隊士になった。』

『ふぅん……それでぇ?』

『今の世の中を父上がみたらどう思うかねぇ。侍の時代から市民平等の時代になっても、なんら変わりはしねぇ。正義ってのは……なんなんだろうな。』

桜子を抱き寄せると、頭を撫でてくれた。こっぱずかしいが今は心地良く感じる。

『難しいねぇ……』

『警官隊隊士になれば大切な者を守れると思った。だが、やってるのは権力ってやつの下で使い走りも良いところだ。今なら同心辞めて攘夷隊士になった父上の気持ちがよくわかる。親子だなぁ……』

『お前さま……力が欲しいかい?』

『あぁ……力が欲しい。権力者や理不尽に膝をつけないだけの力が。』

『力ねぇ……お前さまはもう持ってんだよぉ?まだ使ってないだけさねぇ。』

『守りたいもの守れるか?』

『そりゃあ、お前さましだいさぁ。でも、あたしは付いていくよぉ。』

『百鬼夜行……作るぞ。』

俺の正義を貫く為に……
18/12/19 00:14更新 / francois
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■作者メッセージ
長くなりそうなので、3部に分けます。ん?誰だ?上・下編予定って言った奴?出てこい!!

……すんません。

さてさて、騙された田ノ介!市川屋の企み!決意の山本 門左衛門!!
次回!百鬼夜行!!悪は裁かれるのか!?べべん!

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