読切小説
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デレ蛇
 ラエルは、今自分の身に起こっていることが、とても現実だとは思えなかった。
――確かに、こんな風になりたいと思ったのは一度や二度ではないけど。
 背中には柔らかな綿の感触。腹や胸には、女体の弾力が伝わってきていた。そして眼前に、いつもとは違う彼女の顔。
 藍色の瞳は潤み、眉が寄せられ、何か耐え難いものが襲い掛かっているような表情を浮かべている。二人の指はしっかりと絡ませられ、すがりつくように彼の手はぎゅっとにぎられていた。彼の足は、彼女のエメラルドを思わせる、緑の鱗を持つ蛇身に巻きつかれ、ばたつかせることすらできない。
 いつもは、不意に体に触れただけで、小言を言って体を引っ込めてしまう。そんな彼女では考えられない行動だと、彼は思った。
 しかし、彼女の甘い体臭、全身を包む柔らかな感触、そして首筋や顔に擦り寄ってくる彼女の髪の蛇の鱗の滑らかさが、これが現実の出来事であり、今自分の前にいるのが本物のメドゥーサ……ヘリシアであると彼を確信させた。

 ◆ ◆ ◆

 二人が出会ったのは半年前。雪が溶け、山菜や冬眠を終えた動物たちが土から顔を出す頃であった。そういった出来立ての山菜を取ろうと山に登ったラエルは、突然の雨に降られ、近くにあった洞穴へ雨宿りのために入った。洞穴というのは、野生動物や、ある意味それらよりも危険である魔物娘の住処になっていることが多い。しかし、背に腹は代えられなかった。新芽が芽吹き始めたばかりの木々では、雨を防ぎきれずに体が濡れてしまうだろう。しかし、帰りを急いで山を下っては、ぬかるんだ地面に足を取られ、怪我をする可能性もあった。
 始め、彼は入り口のすぐそばで雨をしのいでいたが、しぶとく残っていた冬の空気が、彼の濡れた体を容赦なく襲う。仕方なく、彼は洞穴のさらに奥へと身を沈めることにした。
 一歩二歩、徐々に弱まっていく冷気を感じながら、彼は洞穴を進む。背中に刺さる冷気が完全になくなったところで、彼はため息をつき、腰を下ろした。自分の横に、背負っていた山菜入りのカゴを置く。そして、腰に吊るした袋から、握りこぶし程の大きさの石を取り出した。
 地面に置いた石、その上面には絵とも文字ともつかぬ記号が描かれている。ラエルが短く言葉を発し、石を両手で包むと、記号が描かれた面から炎が現れた。熱を発し、彼と周囲の空気を暖める。
 雨に濡れた服を脱ぎ、雨の水分を絞って落とす。板のように広がる洞穴の岩に服を乗せると、洞穴の奥から物音がした。
 ビクリと体を震わせ、彼が音のした方向を見る。同時に、腰に吊るしたホルスターからナイフを取り出した。カタカタと、ナイフの先端が震える。
――誰、いや、何が?も、もし、熊だったら……
 冬眠明けの熊は飢えており、凶暴である。とてもナイフ一本では太刀打ちできない。恐怖で彼の全身から大量の汗が湧き出る。口内が渇き、ひゅうと笛のように彼の喉が鳴った。
「誰?」
 闇の中から声がした。ラエルは思わずため息を漏らし、全身の緊張が緩んだ。相手が魔物娘であることを理解したからだ。彼女たちならば、食べられる心配はない。
「せっかく気持ちよく眠っていたのに……邪魔をするお馬鹿さんは誰かしら」
 恨みが篭った声である。彼の額から一筋、先ほど引いたばかりの汗がまた垂れた。彼女の声と共に、空気の振動する音が漏れ出てくる。
 何か重いものを引きずる音を携え、相手のシルエットが浮かんできた。上半身は人間の少女とほぼ同じであった。ここでの生活が長いからであろう、日焼けを全くしていない白い肌。大事な部分を、緑色の布で隠している。髪の毛はツーテールに束ねており、先端が緑色の蛇に変化していた。空気の振動音は、それらが発する声であったのだ。下半身は打って変わって、蛇そのものだった。布や髪の毛と同じく緑色で、湿気が多い環境のため、鱗がしっとりと濡れ、きらきらと輝いて見えた。
 彼女の顔は、コーヒーを煮詰めたように苦い表情を浮かべていた。
「男……裸?」
 さっと、彼女の表情が驚愕に変わる。しかし、次の瞬間、また元の苦い顔に戻っていた。
「え?……あ!」
 彼女のつぶやきを聞いて、彼は今自分が上半身裸であることを思い出した。
「すいません!すぐ服を着ますから!」
 慌てて、彼は岩の上で乾かしていた服をつかもうとする。
「別に、そんなに慌てなくていいわよ。そんなの見せられても別に興奮なんてしないから」
 髪の毛の蛇たちが、ラエルの体をジロジロと覗く。
「それはいいとして、あんたは、何でこんなところにいるのかしら」
「あ、い、いや……」
 じとっと粘りつくような視線を受け、ラエルは返答に困った。この山の麓にある町は、魔物娘に割りと寛容な場所である。その町の出身である彼は、ある程度魔物娘に関する知識を持っていた。なので、今目の前にしている相手がメドゥーサであることが分かっていた。
――これは下手に嘘をつくと、石にされてしまいそうだ。
 彼は、正直に答えることにした。
「あの、その、この山に山菜を取りに登っていたら、雨に降られちゃって。それで、雨宿りに……」
「山菜……」
 彼女の髪の毛蛇が、興味深げにラエルの横のカゴに視線を向けた。
「肉はないのかしら」
 本体の声は、いまだ不機嫌である。
「えっと、その、肉は、ないです……」
「そう」
 蛇ががっくりとうなだれた。彼女の声も、心なしか沈んだ印象を受ける。
「まあいいわ。そう都合よく、ご飯が来てくれるとは思ってないから」
 ぶつぶつと、彼女がつぶやく。
「一人でご飯を探すくらい、わけないわ。今まで、一人で生きてきたんだし」
 彼女のつぶやきが聞こえない彼は、首を傾げて彼女を眺めていた。
「そうだ、あんた」
「は、はい」
 つぶやきを終えると、彼女はラエルの方に向き直った。ビクリと体を震わせ、彼はおっかなびっくり返事をした。
「別に、あんたを取って食ったりはしないわよ……石化もさせないわよ」
 呆れた表情で、彼を見る。
「これからご飯を探しに行くから。雨が止んだら、さっさと出て行きなさいよね」
 そう言って、彼女は洞穴を後にした。

「あんた、何でまたここに来たのよ」
 三日後、ラエルはカゴに新鮮な肉を入れてやって来た。
 太陽が天辺を過ぎたにも関わらず、彼女の顔は寝起きのように不機嫌そうであった。
「ほら、この前雨宿りをさせてもらいましたから、そのお礼に」
「はぁ……」
 いまだ要領を得ないのか、彼女は生返事をした。
「はい、差し上げます」
「いや、別に、そんなもの……」
 そう言って首を横に振るが、蛇たちが真剣な眼差しでカゴの中を覗き込んでいた。彼女が今までにほとんど食べたことのない、きちんと血抜きをした牛肉である。
「うち、牧場をやっているので、たくさん手に入るんです。だから、遠慮なく」
 ごくりと、彼女の喉が鳴った。
――随分と、美味しそうじゃないの……
 今まで一人で生きてきた彼女にとって、他人から物を受け取るというのは、プライドが許さないことであった。しかし、彼が礼と称して持ってきたものである。受け取らないのも、義に反するものであろうと、彼女は考えた。
「あんた、名前は?」
「ラエルです」
 幾分彼女の声から棘がなくなった。彼はほっとため息をつき、答える。
「私はヘリシアよ。ほら、入りなさい」
 彼女はそう言って、背を向けて洞穴に入る。彼は真意がつかめず、呆けたまま入り口に突っ立ったままであった。
「早く入りなさいよ。お礼に来たんでしょ?だったら、ちゃんとその肉、料理もしなさいよ」
「あ……なるほど」

「ぐぬぬ……ぐぬぬぬ……」
 彼の手料理を食べた後、ヘリシアはずっとうなったままであった。
「あ、あの……」
 心配そうに、彼が呼びかける。
「もしかして、口に合いませんでした?」
 彼女の目の前にある皿は、空っぽである。しかし彼は、彼女が出されたものを残すのがいけないから、仕方なく全部食べたのではと考えていた。
「いや、違うわよ……」
――むしろ、逆よ。
 彼女がうなっていたのは、彼の作った料理があまりにも美味しかったためである。今まで、自分が食べていたものが何だったのかと悩んでしまうほど、彼の作った肉料理は美味しかった。齧りついたときに溢れる肉汁。簡単にほぐれていく柔らかさ。後を引く旨み。どれをとっても、彼女が今まで経験したことのないことであった。
「悔しいけど、あんたの料理、ものすごく美味しいわ」
「ほ、本当ですか?」
 パッと彼が顔を輝かせる。
「どこで覚えたのよ、こんな美味しい料理」
「父です」
 彼の父は、牧場を経営する傍ら、育てた家畜を調理して振舞うレストランのシェフも兼任していた。ラエルは小さい頃からレストランのウェイターをしており、父の背中を見て自然と料理と覚えた。
「ふーん……」
 顎に手をやり、彼女は考える仕草をした。彼はその表情を眺める。
 前回は恐怖と驚きで、余り彼女の顔を覗くことはできなかった。ここに来て初めて、彼は彼女の美しさに気付いた。藍色の瞳が、しっとりと濡れている。まつ毛が長く、わずかなカーブを描いている。肌は染み一つなく、薄く色付く唇はきゅっと結ばれている。鼻筋がすっとまっすぐ伸び、美しさの中に知性も含んでいた。
「じゃあ、教えなさいよ」
 彼女が言葉を発し、彼は慌てて考えを振り切った。
「あんたの料理の秘訣。私に教えなさいよ」

 その日から、ラエルは週に一度、ヘリシアの住処に通うようになった。
「そう、胡椒は調理の十五分以上前に……あっ!塩はまだ駄目です。肉汁が抜けちゃうので」
 彼は父の料理を言葉で教わってのではなく、作る場面を見て覚えたので、初めは彼女に言葉を用いて教えるのに苦労した。
「早く作りたいからといって、炎を強くしては駄目です。もうちょっと弱めで、じっくり」
 しかし、彼女はそんな彼の言いたいこと、微妙なニュアンスを読み解き、驚くほど早く上達していった。

「あの……」
 ある日、いつものように料理をしていると、彼が声を上げた。
「その、ヘリシアさんの髪が」
 申し訳なさそうに、彼がつぶやく。二人は横に並んでいて、彼の手元を見て、彼女がそれを真似する。
「え?……あ!」
 彼女の髪の毛が、彼の首筋や顔に擦り寄っていたのだ。彼らは目を閉じ、嬉しそうに彼の体に鱗をこすりつける。
「こらっ、戻りなさいよ!」
 彼女は慌てて、彼の体から彼らを引き剥がした。

「これ、もう俺よりも上手ですよ」
「ふん、まあ、当たり前よね」
 半年弱経過し、彼女の料理の腕は、師匠である彼をも超えるほどになっていた。
「ふう、ごちそうさまでした」
 満足気に息を吐き、彼は両手を合わせた。
「ここまで行くと、もう俺に教えることはないですね」
 少し寂しげに、彼がつぶやく。
「そうなの」
「だから、来週でここに来るの、最後にしようと思います」
「え?」
 彼女が顔を上げ、彼の方を見る。
「俺、今まで考えてたんですけど、理由もなしに男が女性の家に上がるのは、よくないのではないかと」
 彼の言葉を、彼女は黙って聞く。
「教える方より上手になった以上、もう俺には教えられることありませんから」
 だから、と彼は続けた。
「来週、最後に、ヘリシアさんのとびっきりの料理を食べたいなと思いまして。その、迷惑、ですか?」
「そ、そんなこと……」
 呆然としたように、口を力なく開いて彼女は言った。
「ま、まあ、最後なら、仕方がないわね。私が腕によりをかけて、最高の料理を作って見せるわよ!」
 そう言って、彼女はふふんと鼻を鳴らした。しかし、その顔は、どこか虚勢を張っているようにも見えた。

「はぁ」
 ラエルがいなくなった後の洞穴。入り口を夕日の橙が照らす。その奥、光が入らない暗闇の中に一人、ヘリシアがため息をついていた。
 彼女は最近、自分の気持ちの変化にとまどっていた。
――何で、一人でいるのがこんなに辛いのだろう。
 今まで、そんなことを考えるなんてことは一度もなかった。両親から独立し、この洞穴に来てから、彼女は全てのことを一人でこなしてきた。一人で狩りをして、一人で眠り、一人で生きてきた。それが当然であり、寂しさや悲しさなんてものは考えもつかなかった。
――どれもこれも、あいつのせいよ。
 あいつ……ラエルの笑顔が頭に浮かぶ。寂しさ以上にとまどったのは、彼の顔を思い描くと胸がきゅんと締め付けられることだ。彼女の頭の蛇が、彼にまとわりついていた辺りから、彼女は薄々感付いていた。しかし、それを理解しようとはしなかった。理解することが怖かったと言ってもいいだろう。
――私は、あいつのことが好き?離れたくないってことなの?
「本当に、そのままでいいの?」
 思い悩むヘリシアに向けて、声がかけられた。
「誰!?」
 今まで聞いたことのない声に、彼女は顔を上げる。そこには、橙に照らされ、女が立っていた。
 すらりと細身の体。しかし、露出した腹や肩には鍛えられた筋肉が薄く乗っている。つばの広い、羽飾りのついた帽子。腰には柄も鞘も紫色に染められた、不気味な細剣が吊るされていた。
「あなた、このままでいいの?」
 女は、ヘリシアの質問に答えず、一歩前に進む。
「あなたは男を知ってしまった。また、一人の生活に戻れるの?」
 ヘリシアの歯がギリリと音を立てる。今まさに彼女が考えていたことだ。
「それが何だっていうのよ。それ以上近付かないでもらえるかしら」
 彼女の目が銀色に光る。
「私はメドゥーサよ。当然、分かってるわよね。あと一歩でも近付いたら」
 彼女の言葉を待たずして、女は遠慮なく歩を進めた。
「ちょっと!あんた、私の話を聞いて……」
 女はさらに進む。
「全く!どうしようもないやつね!」
 ヘリシアの瞳から、銀色の光が放射した。
「ペトラアイズ!」
 光は赤へきらめき、夕日の色と溶け合い、新緑と混ざった。銀と虹を描き、それらは人間の反応速度を超えた速さで、女の動きを止めるべく襲い掛かった。だが、それらが役目を果たすことはなかった。
 届く直前、女が下げていた細剣を、目にも留まらぬ速さで抜いた。紫色の軌跡が、銀と虹の光と交差する。
「なっ!」
 ヘリシアの渾身のペトラアイズは、女の軽い一振りでいとも容易く断ち切られてしまった。光は剣が触れた部分から二分され、女に届くことなく、洞穴の左右の土壁に吸い込まれていった。
「あの男のこと、忘れられるの?」
 ついに、女……ダンピールのシュナが、ヘリシアに肉薄する位置まで歩を進めた。
「あの男って、誰なのよ」
「ラエル」
 シュナは即答した。ヘリシアが目を見開く。
「何であんたがそんなことを」
 そんなことなど、知るはずがない。彼女はそう考えた。彼はいつも一人でここに来ていた。そして、ずっと二人きりで過ごしていた。二人がここで出会っていることなんて、監視でもしていない限り分からないはずだ。
「まさか、あんた」
「別に、監視なんかしてないよ」
 ため息をつき、シュナが先んじて答えた。
「匂いで分かるもの。それに、あなたの考えていることも、何となく見える」
 あなた……とシュナは手を伸ばし、ヘリシアの頬をなでる。逆に金縛りに遭ったように、彼女は動くことも、その手を振り払うこともできなかった。
「とても嫌な匂いを放っている。暗い未来が見える……それは、私の正義が許さない」
 シュナの眉が寄る。すると、ヘリシアの視界に、霞がかかったような風景が現れた。
――これは……麓の町?
 霞が晴れていくと、特徴的な赤レンガの時計塔が現れた。山の麓、ラエルが住んでいる町のシンボルである。
 その裏手、人が全くやって来ない部分が映像として現れた。そこには、二つの影が見える。共に地面に座っている。一人は、彼女がよく見知った男。
――ラエル!
 彼女は叫んだが、声は届かない。
 ラエルの隣には、知らない女が寄り添うように彼の肩に頭を預けていた。
――誰……?
 二人は幸せそうに目を閉じ、そよ風を受けている。髪がなびく。
 女が彼の耳に口を寄せ、何かを囁く。そして微笑む。彼は目を開き、赤面しつつ女の方を見る。女は目を細め、彼の瞳を見つめる。
――あっ。
 ヘリシアは、二人がこれから何をするか分かってしまった。魔物娘特有の、恋愛に対する頭の回転の速さが発揮されたのだ。
 映像に映る二人は、顔をさらに近付けていく。
――そんな、そんな……!
 ヘリシアが叫ぶが、当然届かない。
 やがて彼らの唇が、触れ合った。女が彼を押し倒し、彼の首に腕を回す。
――うっ……
 彼女はこれ以上、映像を見続けることはできなかった。ぎゅっと強くまぶたを閉じ、顔を背ける。
「あなたが素直にならなければ、確実に訪れる未来」
 映像が霧に包まれ、再びシュナの顔が表に現れた。
「こんなこと!こんなことなんて!」
「ないって言い切れる?」
 畳み掛けるように、シュナは言葉を続ける。
「あなたは、彼のことをどこまで知っているの?麓の町で、どんな交友関係を持っているのか、知っているの?彼はウェイターとして、接客業をしている。当然、顔が広い。彼を狙っている女だって、たくさんいるはず。彼の性格を考えてみて。彼は他人に対して優しすぎる。誰か一人を選ぶことなんてできない。痺れを切らした一人が、彼にああいう風に襲い掛かることも、不自然ではない」
「もうやめて!」
 ヘリシアが、耳を塞いでその場にしゃがみ込んだ。
「そんなの、やだ。やだ、いやだ……」
 弱弱しく声を上げ、涙を流す。
「やだよ、もう、一人はやだ……」
 子供のように、拙い言葉を何度もつぶやき、ただ震えるのみ。
「大丈夫」
 そんな彼女を、シュナは優しく抱きかかえた。
「素直になれば、大丈夫。自分の気持ちに素直になって。彼のことが好きだという気持ちに」
「そんなこと……」
 できるわけがないと、ヘリシアは思った。一人で暮らすということは、心に壁を作るということだ。孤独を感じないように、心の周囲に壁を張り巡らせる。一人で過ごす時間が長いほど、それは分厚くなり、動かすことも壊すことも難しくなる。
 彼女はもう、何十年も一人で過ごしてきた。人間よりも遥かに長い寿命を持つからだ。もう、両親と過ごした時間よりも、一人でいる時間の方が長くなっていた。
 虚勢を張る時間が長すぎた。だから、彼女は理解していた。素直になるのは無理だということを。
「大丈夫。素直になれる。そのために私は来たんだから」
 そう言って、シュナは右手を彼女の後頭部に寄せた。日が落ち、洞穴の闇と、夜の黒が混ざる。シュナの右手に闇が集まり、形が作り上げられた。片手握りのハンマー。細かい粒子が寄り集まったようであり、輪郭が闇と溶け合い、戻ることを繰り返していた。
「心の壁を、今打ち壊す」
 右手が振り上げられ、直後ヘリシアの脳天に打ち下ろされた。それは皮膚を抜け、骨を抜け、体を突き抜けた。
「あぁ……」
 ヘリシアは、心の中で凝り固まったものが、ガラガラと崩れ落ちるのを感じた。

 ◆ ◆ ◆

「その、料理を……」
 とまどいつつ声を震わせ、ラエルがつぶやく。それを聞かず、ヘリシアは頬を染めた状態で、彼の顔を口を閉ざして覗き込んでいた。
 幾ばくかの時間が経過する。しつこく粘っていた残暑がようやく消えた季節、午前の涼しい空気が洞窟の入り口へと漂ってくる。
「ごめん。ラエルのことを見たら、いても経ってもいられなくなって……」
 恥ずかしげに目を伏せ、視線が泳ぐ。しかし口元は、彼に初めてまともに触れることができたという喜びによって笑みを作っていた。
 ドキリと、彼の鼓動が跳ねた。
――何だか、今日のヘリシアさん、可愛い。
「ねえ」
 視線が泳いだまま、彼女が尋ねる。
「私のこと、どう思ってる?」
「えっ」
 彼女は指を曲げ、ラエルの指の間をすりすりと撫でる。
「私のこと、その……女として、どう、思ってるのか……」
 今日が最後かもしれないから……と彼女は言葉を続ける。
「だから、聞いておきたいの。ラエルは、私のこと、好きなのか、どうか……」
 ラエルは口を閉ざした。どうやって答えればいいのか分からなかったからだ。
――女としてってことは、つまり、恋人として付き合えるか……ということなのだろう。
 彼は今までにないほど、思考を高速で巡らせた。しかし、答えは出ない。
 そもそも、いまだに彼はヘリシアの態度の急激な変化にとまどいをぬぐいきれていないのだ。
「やっぱり、急に聞かれても答えられないよね」
 普段の彼女だったら、いつまでも質問に答えない彼を見たら『さっさと答えなさいよね』と棘のある言い方をするはずである。人を気遣うような言葉をかける彼女は、今まで彼は見たことがなかった。
――だからって、本心から言っているということはなかったけど。
 彼は、彼女が本気で彼を嫌ってそういったことを言っているわけではないということを分かっていた。いつも言った後に、申し訳なさそうに表情を曇らせるところを何度も見ていたからだ。
――きっと、今の彼女が一番自然なのだろう。
 心で思ったことを、ちゃんと言葉で表せる。今日の彼女は驚くほど素直であった。
「じゃあ、私から、言うね」
 何度も言葉を詰まらせつつ、彼女は言う。言い終わると大きく息を吸った。視線がまっすぐ彼の瞳を射抜く。
「私は、ラエルのことが、好き」
 息を吐く。
「ずっとずっと、これが言いたくて、でも言えなくて。素直になれなくて。でも、今日が最後かもしれないから」
 ヘリシアの瞳に、見る見る水分が溜まっていく。
「好き。あなたのことが好き。もう、我慢できなかった。だからこうやって押し倒して……」
 蛇身の締め付けが弱まった。
「この気持ちを言いたかったし、返事を聞きたかった」
 もし、と彼女は言葉を続けた。
「あなたが私のことを嫌いなら、私に巻き付かれて、手をつないでいるのが迷惑なら、離れていいからね」
 そう言って、彼女は握っていた手を広げた。指が絡み合うだけの、弱いつながり。
 ラエルは、彼女の瞳を見ていた。沈黙が続き、時間が経つほどに、涙が一筋二筋と流れる。
 幾ばくかの時間が流れ、彼の体が動いた。指がそっと、彼女のものから離れる。
「……っ!」
 ヘリシアの喉から、声にならない声が漏れた。一度目が見開き、直後悲しみに伏せられる。
 だが、彼の体は離れなかった。手が彼女の後頭部に触れ、頭が引き寄せられた。
「んっ!」
 驚きにまぶたを広げた彼女に映ったのは、目をそっと閉じ、自分の唇にキスをする彼の顔であった。
 彼女にとってその瞬間は長く感じられたが、すぐに二人の唇は離れ離れになった。
「こ、これが……俺の、返事」
 恥ずかしそうに頬を染め、視線を落とし彼が言う。
 ボロボロと、彼女の瞳から大粒の涙がいくつも溢れた。蛇身の締め付けが、最初以上に強くなる。ヘリシアの両腕が彼の首に回り、彼女は勢いよく彼の唇に吸い付いた。
「んんっ!」
 思わぬ反撃に、ラエルが声を上げ足をばたつかせた。しかし、しっかりと拘束されているせいで、逃れることは叶わない。
「ちゅっ、ちゅぅぅ!んんーっ」
 そんな彼を、ヘリシアは腕をさらにきつく絡ませ、下半身の巻き付きを強くすることで阻止する。
「んはぁっ、だめぇ!もう返事聞いちゃったんだからっ!ラエルはこのまま私に食べられちゃうのー!」
 もう一度、彼の唇を塞いだ。
「れるっ、れるっ、ほら、舌出して」
 二股に別れた舌で、彼の唇を撫でる。
「ほらぁ、出して。一緒にぺろぺろしようよ」
 甘えを含んだ声で、彼を誘う。
「好きな人と舌を絡ませるの、きっと気持ちいいよ。あったかくて、しっとりとしていて……」
 すりすりと、彼女の髪の毛が彼の髪に擦り寄ってくる。それらは舌をちろちろと出し、彼の頭を舐めていた。
 ヘリシアの甘い声が鼓膜を揺らし、彼の脳を直接撫でる。頭がぼんやりとしてきたラエルは、彼女に言われるまま、口を開け舌を伸ばした。
「はぁぁ……それじゃあ、いただきます」
 そう言って、ヘリシアはラエルの舌を、自らの二股の間に挟んだ。そして、しこしこと舌で作った輪で挟んだものを上下にしごき始めた。
「ひこ、ひこぉ……」
 舌が回らず、彼女の発音は聞き取りにくいものとなっていた。しかし、彼はそんなことはどうでもよくなっていた。
――はぁぁ、何これぇ……キスって、こんなに気持ちいいものなのか……?
 ヘリシアの蛇舌が一往復するたびに、頭の中にゾクゾクとした感覚が這い上がってくる。もっとそれを味わいたいと、無意識の内に舌をさらに長く伸ばしていく。
「そうだね、キス、ひもひいいね」
 彼が無言でもっともっととせがむのを感じ、ヘリシアは嬉しそうに微笑んだ。
「れるっ、ぬちゅっ、じゅる」
 下の歯と舌の間、その根元に彼女は舌先をねじ入れた。唾液が出てくる場所を、尖った先っぽがくすぐる。
 未知の感覚がラエルを襲った。くすぐったさと、それ以上の気持ちよさ。ヘリシアの唾液には、媚薬が入っているのかと勘違いするほど、彼女と舌を絡めるごとに快感が増していった。
「あぁん……」
 口を大きく広げ、二人の舌が離れた。離れる瞬間、二股の舌が名残惜しげに、ラエルの舌先を一度挟んで引っ張った。
「あっ」
 寂しそうに、ラエルがつぶやいた。
「ほら、ね?キス、とっても気持ちよかったでしょ?」
 かくんと力の抜けたおもちゃのように、彼はヘリシアの問いに小さくうなずいた。
「じゃあ次は、下の方をしこしこする?」
 耳に口を寄せ、ヘリシアが囁く。その声は今まで以上に艶めいており、ラミア種特有の甘ったるい魔力に満ちたものであった。
 かくかくと、何度もラエルがうなずく。彼の脳内はすでに、新しい快楽を味わいたいという欲望にまみれていた。
「ふふっ、そんなに切羽詰った顔して……はぁぁ、好き。そういうところも、大好き」
 耳に甘噛みをしつつ、ヘリシアはラエルのズボンを引き下ろした。蛇身を解き、下半身を一度解放する。
「うわっ、すっごい……」
 彼女が目を見張る。ラエルのペニスはすでに血液を溜めて隆起しており、亀頭が重力に逆らってそびえていた。
「え、あ、う……」
 自分の性器を凝視され、ラエルは恥ずかしそうに内ももをすり合わせる。
「キスだけでこんなになっちゃったのね。ラエルはエッチなのね」
 言葉を詰まらせ、彼は視線を落とす。
「エッチなラエル、大好き。それじゃあ、しこしこ、するね」
 まずは、とヘリシアは、蛇身を下半身に巻き付け、陰茎を一周目と二周目の鱗に挟む。
「痛くならないように……えいっ」
 そう言った後、彼女は何事かをつぶやく。すると、蛇の鱗の間からとろとろと、粘り気のある液体が漏れ出た。水の魔法を応用して、体からローションを分泌したのである。
「うあ……」
 ざらざらとした感触が、一気に柔らかなものへと変わった。思わず彼がうめき声を上げる。
「どう、痛くない?」
 わずかに下半身を左右に動かし、幹をゆっくりと圧迫しつつ撫でる。
「はぁぁ……」
 ラエルは気持ちよさそうに、息を漏らした。
「よかった、気持ちいいんだね……じゃあ次は、指で」
 右手を伸ばし、ラエルの亀頭を摘んだ。人差し指と薬指がカリに引っかかり、中指が亀頭の先端に置かれる。
「はい、ぬめぬめ、しこしこ……」
 ヘリシアが言うと同時に、彼女の指が上下に往復を始めた。カリを中心に、亀頭の粘膜と竿を順番にしごく。中指は、特に敏感な部分、尿道口と裏筋を交互にくすぐる。
 ペニスの先端から粘液が溢れ、それが中指によって塗り広げられる。二本の指がカリに引っかかるたび、ラエルの体はまるで電流を浴びたように小さく跳ねた。
「はぁ、はぁっ」
 彼が息を荒げ、悩ましげに眉を寄せる。
「あぁ、その顔も可愛くて好き。敏感な体をビクビクさせるのも好き。私の手で気持ちよくなってくれるのも好き」
 ヘリシアも興奮で息を荒くつく。蕩けた表情を浮かべ、何度も彼の耳に息をかけ囁く。
「我慢しなくていいからね。好きなときに、出して」
 指が早くなり、蛇身の圧迫が強くなる。刺激が高まり、それに伴って吐く息の量も上がっていった。
「うっ、ぐぅっ」
 背筋が反り返り、ラエルが喉から絞り出すような声を漏らす。
「うん、いいよ。気持ちいいの、我慢しなくていいからね。出して、出して、出してっ!」
 人差し指と薬指がひねられた。カリの溝に沿って強い刺激を与えられ、ついにラエルの射精欲が限界を超えた。
「はぁぁ、あぁっ!」
 海老のように背筋を反らし、天高くそびえたペニスから白濁の液が漏れ出た。
「わっ、わっ、すごい……びゅくびゅく、びゅるびゅる……」
 ヘリシアが目を輝かせる。射精する瞬間に、彼女は手のひらで亀頭を覆ったのだが、指の間や下の隙間から、力強く精液が漏れ出ている。
「うわぁ、おちんちん、どくどく動いてる」
 ポンプのようにペニスが動き、彼女の手に鼓動を伝える。彼女は、自分の手のひらが子宮になってしまったかのような錯覚を受けた。そして、この射精を本物の子宮に受けたら、どんな感覚になるのだろうと期待した。
――これ、もう駄目。早く入れよう。早く。
 大きく喉を鳴らしたヘリシアは、いそいそと彼の体から離れ、股間を彼の射精したばかりのペニスの上に寄せた。
「んっ、れるっ、ちゅぱっ……じゃあ、次はここに入れるからね」
 手にもらった精液を目を細め舐め取りつつ、彼女はラエルに告げた。細めた瞳が悩ましげに彼の瞳を射抜く。それは妖艶の一言に凝縮できるものであった。
――ああ、これから本当に、ヘリシアさんに食べられちゃうんだ。
 彼女の視線は、彼にそう確信させた。
 ヘリシアは、腰に巻かれた藍色のスカーフを解く。重力に従ってそれが落ちると、ぷっくりと膨らんだ女性器が外気に晒された。ここまで彼女が相当興奮していたと窺い知れる。粘液が外に溢れ、湯気が出るほど熱を帯びていたからだ。そこは蛇腹と上半身の境目で、色も人間の肌と蛇腹の白が作る、グラデーションの真ん中にあった。
「ラエル、その……」
 申し訳なさそうにヘリシアが言うのを聞いて、彼は思考の靄から現実に引き戻された。
「私、もうおちんちん我慢できないから入れるけど……その、初めて、だから。下手だったら、ごめんね」
 言い終わるや否や、彼女は腰を沈めた。まずは亀頭が、膣の入り口をかきわけていく。
――うわっ、何、これ……
 彼が感じたのは、熱だった。ぬめりが強く何の抵抗もなく沈められていく男根は、彼女の熱に包まれた。ぐつぐつと煮えたぎるような熱。しかし、感じるのは快感だけ。一度味わうと、体の芯まで安らぐような、そんな優しい熱だった。
 その熱が、彼女の腰が沈んでいくごとに、範囲を広げていく。そして一度、彼女の動きが止まった。彼は先端に何か弾力のある引っ掛かりを感じる。
「私は絶対に、あなたのことを不幸にしません。だから、ずっとずっと、側にいさせてください」
 動きを止め、瞳を覗き込んで彼女は言った。決意の炎が灯り、表情は真剣だ。
「はい、俺も、ヘリシアさん……いや、ヘリシアを一生、愛すことを誓います」
「……はい!」
 彼の言葉を聞き、ヘリシアは満面の笑みを浮かべた。目に嬉し涙を溜め、それがすぐに零れ落ちる。
「うぅ、くぅぅっ!」
「くあっ、あぁっ!」
 腰が一気に沈み、ぱちんと二人の肌が勢いよく当たった。
「ふっ、うぅっ」
 ヘリシアが声を漏らす。二人の接合部には、一筋二筋と、血が垂れ落ちる。
「大丈夫?」
 頭を撫でながら、彼が言う。彼女は一つ、大きくうなずいた。
「ちょっと痛いけど……ラエルとつながってるって思うだけで、奥がジンジンして……」
 そう言って、ヘリシアはお腹をゆっくりと撫でた。髪蛇が嬉しそうに舌を出し入れする。
「お腹の奥から、幸せな気分が溢れてくるの」
 心の底から、大きく息を吐いた。
「じゃあ、動くね。ラエルが出したばかりだから、ゆっくり、じっくり……」
 ヘリシアの腰が、円を描くように動き始めた。ぐりぐりと、先端が子宮口を撫でる。ねちねちと、膣肉がペニスによって広げられ、隙間が粘液の糸に覆われる。
「はぁぁ……これぇ、いいぃ……」
 うっとりとした表情を浮かべ、彼女が微笑む。
「はっはっ、はっはぁっ」
 対するラエルは、短く速く、呼吸を繰り返していた。彼女にとっては長くゆったりとした快楽は、心を満たす幸せな感覚であった。しかし、彼にとってはじれったい刺激だったのだ。
「あっ、我慢できない?」
 そのことに気付き、彼女が声をかける。彼は何度も小さくうなずいた。
「う、うん。もっと、激しく……」
 懇願するように彼がつぶやく。きゅんと、ヘリシアの子宮がうずいた。
――そんなこと言われたら、私も激しくしたくなっちゃう。
 ぞくぞくと、子宮から精液が欲しいという欲望が駆け上がっていった。彼女は彼に覆いかぶさり、手を握る。
「うん、そうやって、指を絡ませて……全部私がするから、あなたは支えててね」
 そう言うと、彼女は腰の動きを円運動から上下へと変化させた。
「くぅっ」
 ラエルがうめく。愛液と我慢汁でぬめりきった接合部が、激しい快感を伴って滑らかに動く。
「あはぁ、いいっ、もう、いたくないぃ……」
 破瓜の傷は、魔物娘の再生力によりすぐに塞がってしまっていた。ひだにカリが引っかかり、ぞりぞりと上下させる。
「くぁっ、きゅって、締まる……」
 奥に当たるたびに、膣肉が離したくないと力を強める。引き抜くときまでそれが続き、逆立った膣肉が最大限の刺激を与える。
「ひゃうっ、おちんちん、ぞりぞりするぅ」
 ヘリシアは口をだらしなく開け、唾液が糸を引いて垂れる。心ここにあらずといった表情であったが、腰の動きはゴーレムのように正確であった。
「おちんちんー、いいーっ、はぁぁ、奥、おく、おくぅ……」
 徐々に上下のふり幅が小さくなる。子宮口を細かくこつこつと叩く動きになった。膣肉が締まる感覚も短くなり、自然とスパートをかけた状態となる。
「はっはっ、ヘリシアぁ……それ、気持ちいいっ、はぁ、出るっ」
「いいよぉ、出して、出してっ。奥だからねっ、はぅっ、一番奥に、濃いの、いっぱいぃっ」
 ぱちんと一際大きな音を立て、二人の肉がぶつかった。ヘリシアがラエルにさらに覆いかぶさり、唇を塞ぐ。
「ちゅっ、んっ、んん……」
 バチバチと二人の脳内で星が弾ける感覚を覚えた。睾丸がひくんひくんと上下し、新しく作られたばかりの精液を放出する。膣道に触れることなく、それらは直接子宮へと注がれた。
「れるぅ、はぁぁ……あぁ……」
 蛇身が、彼の下半身に強く巻き付く。片時も離れたくないという、彼女の強い気持ちの表れ。二人は互いに相手の体に腕を回し、いつまでもいつまでも、舌を絡ませながら、絶頂の余韻に浸った。
「ラエルぅ、大好きぃ……」
 甘ったるく囁くヘリシアに、彼も言葉を返した。
「俺も、ヘリシアのこと、愛してる」

「ちょっと、ここじゃまずいって……!」
 あれからしばらく経ち、二人は麓の町のレストランで共に働くこととなった。ラエルの父は、あの日ヘリシアとべったりくっつきながら息子が帰ってくるのを見て、おおいに喜んだ。町の人間を集め、その日の内に豪華な披露宴を開いたのだ。
 ラエルはウェイターを続け、ヘリシアはウェイトレスとなった。夫婦が仲睦まじく働く姿は、たちまち町の名物となり、客足も以前よりかなり伸びた。
「だって……さっきのお客さん、あなたのこと色っぽい目で見ていたんですもの……あむっ」
 二人は今、厨房の中にいる。厨房はフロアと仕切りで隔てられている。その入り口付近、客の目から死角となる場所で、ヘリシアは突然ラエルのズボンを引き下ろした。そして間髪入れずにペニスを口にくわえ込んだ。
「んっ、だからって、それ、と……今やってることはっ、くぅっ、関係、ないんじゃ……」
 ぞくりと快楽が駆け上がり、彼は息も絶え絶えになりつつ抗議する。
「ちゅぽっ、ぬぽっ、ラエルが色目使われるのは、れぇるぅ……精が溜まっているからよ、ぬろぉ。だからぁ、こうやって、精液びゅぅびゅぅしちゃえば、ちゅるるっ、いいのよ」
 それだけ言うと、彼女はフェラチオに専念した。舌を二つに分け、カリを挟む。そして、口内で出し入れをした。
「はっ、あっ、それっ、弱いところがぞりぞりこすれてっ……!」
「んふふ、あなたって、これ弱いもんね。ほぉら、じょりじょり……」
 かぷかぷと、髪の毛蛇がラエルの服の裾を甘噛みする。同時に腕が尻に回り、彼の体はがっちりと固定されていた。
「あー、ホットコーヒーを頼んだんだけど、今日はぬるめのを飲みたい気分になったなー」
 だが、そんな二人の行動は、客に筒抜けであった。この町は魔物娘が多く、インキュバスもちらほらと現れ始めている。二人が性行為を始めたことは、匂いで丸分かりであった。
「オムライス、今日は冷めていても大丈夫な気分ですねー」
 ご主人様と一緒に来ていたオークが言う。
「ケーキが焦げていても許せちゃう」
 甘い物が大好きなサキュバスがつぶやく。
「トマトジュース、ぬるくても飲めちゃうなぁ」
 つばの広い帽子を被った魔物が言った。彼女の腰には、紫色に染まった細剣が吊るされている。
――すっかりデレちゃって……うらやましい。
 彼女は、嬉しさと、満足感と、少しばかりの嫉妬心を感じていた。
――あーあ、他人の恋路ばっかり気にしていないで、自分の王子様を探さないとなぁ……
 ため息をつく。ダンピールのシュナ。今年で百十歳になるが、いまだ独身。ロマンチストに過ぎる彼女の目に適う男は、なかなか現れない。
「うっ、でるっ!」
「んっ、ふぅぅ……ごくっ、ごくっ、ごくっ……」
 ヘリシアが精液をうっとりとした表情で飲み込むと、店内の魔物娘全員が、たまらず喉をごくりと大きく鳴らした。
12/06/21 19:26更新 / 川村人志

■作者メッセージ
塩と胡椒を使うタイミングは、鉄鍋のジャンで知りました。

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