読切小説
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卑屈なアナタに分からせる
生まれた頃から今にして、僕の人生は素晴らしく特筆することのない詰まらないものだった。
顔も頭も体格もどれをとってもいい意味でも悪い意味でも特筆するところがなく、家柄も少し不仲ではあるがありふれた中流家庭。
友達はいても親友はおらず、仄かな片思いすらない灰色の人生だった。
小説で言えば、名前すら与えられない量産型モブみたいなモブモブしい野郎が僕である。
それだけ詰まらない人間だと、卑屈ながら自負している。

しかしながらそんな僕にも、不本意ながらスポットライトが当たる日は来るらしい。

実家を出て、仕送りとバイトで生活を送るこの角部屋は、一人暮らしでも少し手狭に感じられる。
贅沢者め、と自嘲したいのだが生憎とそれどころではない。
座椅子に腰かけたまま、ちらりと視線を卓袱台の上に動かすと、そこには化粧水と保湿クリームの入った、女子力の高い手提げカゴ。
また上に視線を上へと動かせば、柄パンYシャツにしれっと混ざる黒レースのパンツとブラジャー。
そしてシステムキッチンでは、鼻歌交じりにお玉を回す女性の後ろ姿。

腰まで伸ばした御髪は、まるで日光を一身に浴びる雪原のように白い。
『ゆとり世代』と豪快に刻まれたダボダボの半そでTシャツから覗くおみ足も色白で、しかしその肉付きの良さは実に健康的な曲線を描いている。
アルビノの尻尾にツバサ、黒曜石のような立派なツノ。

僕の眼球が異常をきたしていなければ、キッチンでリリムさまがお昼ご飯作ってますね、ハイ。

……一応、重ねて言っておくが僕は凡人も凡人。
更に言えばヘタレまで拗らせている、今風に言えば凡夫オブチキンである。
なのに、何故だろう。僕のマンションルームで、エリートもエリートの魔王の娘、リリムさまがジャカジャカと手慣れたようにフライ返しで肉野菜らしきを炒めているのは。

何ゆえにこのような状況なのか、実を言うと僕もよく分かっていない。
しかしながらこうなった転機に関してを言えば、思い当たるところはある。

そう、あれは高校に入って一年して、一人暮らしにも慣れてきた頃。
お気に入りの中華屋で麻婆丼を食べていたときのこと。

「すいません、相席いいですか?」

お気に入りだけあって昼時が混むのはよく知っていた。
はい構いませんよー、と、半ば反射で応えて顔をあげて、思わず固まった。
お察しの通り、今キッチンで着々と調理を進めるリリムその人であったからだ。
パンツスーツの胸元を肌蹴させ、目の下にやたらクマを溜めこんでいたが。

(わー……、生リリムだー……)

なんて思いながら、あまり見ちゃ失礼だよなと麻婆丼に視線を戻したのは今でも憶えている。
言っておくが、断じて色気より食い気にそそられたわけではない。
確かに四川飯店の麻婆は絶品だが、ちゃんと彼女のことは綺麗だなーと意識はした。
しかしながら考えてほしい。
かたやモブ男子高校生、かたや社会人の魔王の娘にして別嬪さんのリリムさま。
意識するのもちゃんちゃらおかしい身分不相応。
正直、『雲の上の御方』みたいな認識であったのは否めない、いやそれは今もなのだが。

だから、そんな彼女から不意に声をかけられたのはかなりビビった。

「麻婆丼、美味しいですか?」
「むぇ?」

レンゲを片手に顔をあげると、彼女は暇を持て余しているのかこちらをじーっと見つめていた。
ごくりと口の中のものを飲み下し、まぁ、と口癖が突いて出た。

「美味いですよ、僕は。辛いの苦手な人には厳しいかもですが」
「えっ、辛いんですか?」
「ですね。胡椒めっちゃ効いてます」

ふーん、と彼女はまじまじとこちらを見ながら鷹揚に頷いていた。
気さくな人だなーと思いつつ麻婆丼をもう一口。

「すいませーん、麻婆丼を一つお願いしまーす!」

オーダー、麻婆丼一丁! と厨房からは威勢のいい応え。
リリムさま辛いの平気なのかー、なんてぼんやり思いながらお冷を一口。
と、思ったらセルフのお冷が空になっていた。
折角だから、と彼女のお冷もついで席に戻ると、少し驚いたようにこちらを見ていた。

「えっ、私の分も注いできてくれたんですか?」
「まぁ」

内心、「もしかしてコイツ私に気があるんじゃないの、キモッ」と思われてないか危惧しながらお冷を置くと、彼女はしばし呆然としていた。
僕が席に着くと我に返ったのか、ふんわりと微笑んでドキリとした。
目の下のクマが痛々しかったが、それでも美人であることは変わりない。

「ありがと、キミ優しーんだね」
「……いえ、別にこれくらい」

とか何とか、モゴモゴと気恥ずかしくてまともに返せなかった気がする。
顔を隠すように丼を掻っ込み、熱くなった顔を冷ますようにお冷も一気に呷る。
お会計お願いします、と立ち上がろうとすると、くいっと袖を引かれた。

「ねーねー、LINEやってる?」

そう聞かれて教えたのが運の尽き、彼女、ヒメさんとの馴れ初めである。
一体何が彼女の琴線に触れたのか、それから毎日のように彼女からピコンピコンとLINEが来て、なし崩し的にウチにやってきて、なし崩し的にお付き合いする運びとなったのである。

……端折りすぎだろう、と思うかもしれないが、本当にこの通りなのだ。
教えた覚えはないはずなのにウチに来て、若い身空で一人暮らしは大変だからと今や半同棲。
知らない間にリビングがヒメさんの私物に浸食されつつある。
しかも聞けば彼女、僕みたいなものを知らない若僧でも知っているような建設会社の社長令嬢。
嘘でしょう、と震える声で聞きただすと、えっへんどうだと名刺を出された。

前述の通り、僕はヘタレもヘタレ、ドヘタレである。
未成年に加えて、拗らせすぎたエクストリームヘタレとモブモブしいスペック。
こんな何でもないやつが、月とスッポンの差がある彼のリリムさまを疵物にしてよいのか。
いやよくない。そう確信するまでの時間僅か0.5秒。

だというのに、何ゆえに僕は彼女と交際していることになっているのだろう。
いや、半同棲に持ち込まれて言い訳するのも見苦しいんですがね?

「りっくーん、ご飯出来たよー♥」

わぁ、語尾にハートマークが滲んで見えるよぅ……。
この通り、ヒメさんは一体どこから湧かせたのかその好意を隠そうともしない。
お風呂に乱入しようとするし、彼女に貸してるベッドをほっぽってソファに夜這いするし、挑発的に下げられた洗濯物に戸惑う僕を見てクスクスと笑っている。
そしておまけに、

「召し上がれ♥」

ほこほこと湯気をあげる、ゼラチン質特有のてかりを見せるスッポン。
独特の赤茶色と深緑のコントラストと、ニンニクの効いた香りはレバニラ炒め。
粘り気が強いであろうこんもりとした山かけを一身に受ける、香ばしいうな丼。
……ガラスのコップには真っ赤なスッポンの生き血と、露骨なまでに精のつくものばかり。
如何にヘタレを自称すれども、彼女が何を望んでいるかは一目瞭然である。

「あ、ありがとうございますヒメさん……」
「えへへー、もっと頼ってもいーんだよ?」

怖い(小並感。
ここまでグイグイ来られると、貧相な知識群の中にある一つの言葉『美人局』が浮かぶ。
なんか綺麗系のおねーさんと一緒のところに黒服が割って入って、おうおう他人の女に何しくさっとんじゃいワレェ、あーいやーよしてーそんなつもりはーという展開になるアレである。

(……いい加減、このなぁなぁの関係なんとかしないと)

さもなくば死ぬ。もしくは悟りを開く。アビラウンケンソワカーってなる。
精神衛生上、この生活は大変よろしくない。
何せ相手は魔物娘、しかもリリム。
性欲を煽りに煽ってくるうえに、隙を見せようものならパクッと食われる。
その昔、魔物娘の彼女を持ってる友達から、気まぐれの自慰行為のあとシャワー浴びたけどそれでも彼女に臭いでバレてアッー展開になったと聞いたことがある。
そんな話を聞いたことがあるせいで、ここ数ヶ月性処理などまともに出来ていない。

(……美味い、美味いんだけどさぁ)

ニコニコとあどけない笑みを浮かべるヒメさんは、誘っているのかかなり無防備だ。
だるだるのださTは首周りが余裕がありすぎて、うっかりそのお胸に目が行きそうになる。
というか、僕の服を勝手に着ないでください。どう反応すればいいか分からないんです。

(……性欲抑えるツボとかないかしら)

僧侶も真っ青なレベルの禁欲生活は、もはや猫の手も借りたい域へと来ている。
最近一番萎える方法は般若心経である。たまに一周回ってテンションが上がるので程ほどに。

さて、現実逃避はさておいて、ヒメさんになんと切り出したものか。
失礼ながら『美人局』なんて言ってしまったが、なんで彼女が僕に好意を抱いているかは露ほども分からないがその好意が本物であることは何となく察している。
その好意には応えたい、が、せめてそれは僕自身が胸を張って彼女の隣に並べれるようになってからがいい、僕の精神衛生上。

つまり。
ヒメさんの好意を裏切らず、かつ穏便に思春期の発露を迎えるには?

…………ダンレボマットでメタスラXノーコンティニュークリアくらい無理ゲーな気がする。

「……ご馳走さまでした」
「お粗末さまでしたー♪」

いつの間にやら、明らかに昼食とは思いがたい昼食を平らげてしまったらしい。
しかしまた、なんでこんな真昼間からこんなお盛んなランチなんだろうナー。
あぁー、そう言えばヒメさん今日明日は珍しく2連休取れたって言ってたナー。
期待しててねって言ってたけど一体ナニを期待すればいいんだろうナー。
健康的に水族館とか遊園地にデートのお誘いかければいいのカナー。

内心だらだらと冷や汗を流しながら現実逃避に明け暮れる。
カチャカチャとシンクで洗い物を手際よく済ませるヒメさんに、絞首刑を待つ囚人の気分を味わう。
どうする。どうすんの僕。どうしようもねぇよ諦めんなお前お米食べろ!

……いや、ホントどうしよう。
思春期DKとやや天然入ったリリムさま、正味、逃げられる自信も言い負かす自信もない。
予測可能回避不可能ってきっとこういうこと言うんだろうな……。

「りーっくん♪」
「っ」

ぽん、と肩を叩かれて我に返る。
どうやら洗い物ももう済ませちゃったらしい。
いよいよもって死ぬがよい、神様にそう言われた気がする。

「んふふ〜、なぁーんでそんな子猫みたいに怯えてるのかなー?」
「アハハー、何ででしょうねー」

胸胸胸!!
当たってます、背中に! 超やわっこいの当たってます!!
仏説・摩訶般若波羅蜜多心経!!
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄!!
舎利子! 色不異空、空不異色、色即是空、空即是色! 受・想・行・識亦復如是!!

無、無、無である。
心頭滅却ぽんぽこぺーん。

「りっくん」
「ハイ」

囁くような鈴の音が、耳をくすぐる。
思わず素で応え、冷や汗がドバアと出てきた。
拝啓、そんなに慕ってもないお母さまお兄さま、今宵、いや今昼わたくしの純潔が散るそうです。
帰省した際には黙秘権を行使させてください。でもなるべく責任は取ろうと思います。

なんて、半ばあきらめている背中に、ぐりぐりとおでこが食いこんだ。

「そんなに逃げられると、手、出しにくい」

拗ねたような声音は、ぐさりと痛いところを突き刺した。

「…………すいません」

そりゃあ、察しますよねぇ。
心底傷ついたぞー、そう言わんばかりに回された両腕が腹を締めつける。
どう足掻いても、僕は彼女の好意を裏切ってしまうらしい。

「りっくん、私のこと嫌い?」
「ハッ!? そんなわけないですよ!?」

思わず声が裏返った。
いや、ない。それは断じてない。
そりゃ、少し天然入ってるし、大人だし、正直めちゃくちゃ気後れするが、それを上回るほどに彼女の姿勢は好ましく思っている。
馴れ初めこそアレだが、僕みたいな何でもないヤツをヒメさんは対等に話してくれる。
それどころか今のように気遣ってくれるし、母さんですらほっぽる僕の世話なんか焼いてくれる。
好きこそすれ、嫌うなんてあり得ない。

「じゃあ、なんで逃げるの?」
「……………………」

それを話すのは、大変情けない。
思わず押し黙ると、ぐいーっとヒメさんの両腕に力がこもった。
うあばー、と変な声が出て、さすがにこのままじゃ不誠実だと諦めた。

「……えぇ……っと、です、ね」
「……うん」

つっかえつっかえ、何とかヒメさんにその理由とやらを赤裸々に話した。
といっても、僕自身が、リリムのヒメさんに釣りあわないこと。この一点に尽きるのだが。
特別なものなんて何も持ってないし、甲斐性も計画性もないし、顔だって貴女みたいに綺麗じゃないし、性格だってひん曲がってるし、家族とは喧嘩ばっかりだし、今だって自分のことばっか考えてて卑しいし、未だになんでヒメさんが僕のことなんか好きなのか分からないし、たぶんこれからも何一つ変わらないし。
考えられる限りの言葉を、全部吐き出した。とにかく、僕じゃヒメさんに分不相応で申し訳ないと。
こんなセリフを吐くのすら烏滸がましいのだが。

「………………」

ヒメさんは黙って聞いていた。
いやさ、時おりぴくりと青筋が浮いたが。
そりゃあ幻滅ものだろう、こんな情けない男。

「あ、ははぁ……、まぁ、そんなワケで、今だってヒメさんこんなに怒らせてるのに、これ以上ロクでもないヤツに成り下がりたくないんですよ、僕」

気が利かないせいか、家族にはよく使えないと揶揄された。
そんなヤツが、これ以上誰かの障害物になるのは耐えられない。

「……まぁ、そんな感じです。判定、どうぞ」
「んギルルルルティーーーリリリリ!!」

巻舌で答えられた。
ぐりぐりと食いこんでいたおでこはいつの間にかツノに変わっている。
しかもちゃっかり腹の前で結ばれていた両掌は的確に鳩尾に食いこんでいた。

「ぐえっふ」
「何よ釣りあわないってー!! お高くとまってんじゃないわよこのやろー!!」
「ヒメさんギブ、ギブギブギブ、お昼ご飯出ちゃう、リバースしちゃう」

ついでに肩甲骨の辺りがゴリゴリしてすごく痛いので勘弁してください。
精神的にキツく叱られるのを覚悟していたら、まさかの物理攻撃にストップをかける。
というか、相変わらずのユルい雰囲気で怒られて少し戸惑っている。

「あの、ヒメさん? 別に僕、お高くとまってるつもりなんて全然……」
「釣りあうとか分不相応とか小難しい言葉使う時点でお高くとまってますー!! じゃあ何!? 私はこうなんか偉そうな弁護士とかお医者さんとお見合いして結婚するのがお似合いってことなのー!?」
「え、いえそういうつもりでは……、ヒメさんにはもっと相応しい相手がいるんじゃないかなぁ、と……」
「んーん! りっくん以外あり得ないね! 私はこの手を放さないよ!」

うぉおおお、と気合を入れて鳩尾を締めつけるヒメさん。
ふざけているのか真面目なのか捉えかねる。
が、不意にその力が緩んだ。
そして、ぽしょりと何事か呟く。

「……りっくんのそういうとこ、私好きじゃないな」
「……そういうとこ、とは」
「僕なんかとか、釣りあわないとか、分不相応とか、そういうとこ」

ぐりぐりと背中に眉間を押しつけられる。
だって、本当のことだろう。
社長令嬢のリリムさまと、どこにでもいる男士高校生なんて天秤に掛けるまでもない。
なんて考えていると、はぁ、と盛大にため息を吐く音が聞こえた。

「こりゃ重症だねー」

あれ、もしかして、口に出してた?
お腹に回された手がすっと離れて、ヒメさんが背中から離れる。
ぺたぺたと艶めかしい素足でフローリングを渡り、僕の目の前ですとんと腰を下ろした。

「ちょっとりっくん、そこお座んなさい」
「あの、もう座ってるんですが」

さっき座椅子と僕の間に挟まって思いっきり抱きついてきたじゃないですか。
しかし、そんな抗議は聞く耳持たず、ヒメさんはブツブツと何事かを呟いている。

「Paralyze,Weak,Poison,Darkness,Break」

それが呪文だと気付いた時には遅かった。
ビリリと身体が痺れ、ズシリと重くなり、ギシギシと関節が軋むように動かない。
麻痺、衰弱、毒、煽情、石化。状態異常のオンパレードに目を剥いた。
ラスボスでもこんなえげつないコンボかけてこないんですが。

「え……ぁ……?」

声もまともに出ない僕に、ヒメさんは満足そうに両掌を合わせる。
しかし、何故だろう。
ニッコリとした笑みは普段通りのハズなのに、妙に頬が赤く見えたのは。

「分からず屋のりっくんには、身体で教え込んであげるね♥」

言うが早いか、まともに指先も動かない僕にヒメさんがしゃなりと猫のようににじり寄る。
あっこれ詰んだ。誰かー! イベントスチルとか要らないからLord機能つけて!
さっきの不用意な発言の辺りまで戻してー!

などと喚こうにも舌まで痺れて満足に言葉も出ない。
するりするりと絡みついていく彼女の両腕から逃れることも、出来るハズがなかった。

「出来ればね、りっくんから誘ってくれるまで待ちたかったんだけどね、ちょっと限界」
「…………っ?」

絡みついた両腕はそのまま背中に回されて、ぎゅっと真正面から抱きすくめられた。
その動作には性的なものを感じず、まるで子供を抱きしめるみたいな、慈愛のようなものを覚える。
耳元をくすぐる優しい声色に戸惑うも、彼女はまったく気にした様子もない。
怒っているでもなければ、理性を失うほどに欲情しているでもない。
ただただそのか細い柔らかさに怯える僕に、ヒメさんは言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。

「りっくんがそんなに卑屈なのは、優しさの裏返しだってちゃんと知ってるよ。りっくんは否定すると思うけど、キミはとっても優しい子なんだよ」

ぽんぽんと、あやすように背中を叩かれた。

「自分のことばっか考えてるってのは嘘じゃないと思うけどね、それね、私のこともいっぱい考えてくれてるよ。じゃなきゃ、えっち一つでそんなに真剣に考えないよ」

りっくんのそういうとこ、大好きだよ。
脳みそが蕩けるような甘い声色に、強張っていた身体から力が抜ける。

違う。そう言おうにも舌が回らない。
そんな美しい話なんかじゃない、ヒメさんの好意に甘えて逃げてただけで。
だって、僕なんか、どこにでも替えがいるから、せめて優しくないとって。
あうあうと空気の漏れる口がもどかしい。

「だから、ね」

するり、と服の裾から這うように暖かい指先が腰骨をなぞる。
ぞくぞくと跳ねそうになる身体を抱きすくめ、ヒメさんは僕の耳元で囁き続ける。
先ほどまでの優しい声音から一変して、なんとも妖しい雰囲気を漂わせて。

「私が大好きなりっくんのこといじめるりっくんは、許せないよ?」
「……いぅっ!」

敏感な部分にまるで壊れ物でも触れるかのように絡みついてきた五指に、思わず変な声が出た。
さっきの魔法と、ヒメさんの声に、感触に反応してしまったらしい。
張り裂けんばかりに大きく滾るそれを、彼女はわざわざ僕に見えるように綿パンから取り出す。
よりにもよって彼女にそれを握られているという事実が、場違いにもどうしようもなく恥ずかしい。

「いじめっ子には、お仕置きが必要だよね♥」
「はぇ、ひえぁ……んんっ!?」

きゅっ、と彼女の柔らかな親指が亀頭をボタンのように押した。
それと同時に、ぐいっと頭を引かれ唇を吸われた。
敏感な先端部分を触られ、自慰なんかとは比較にもならないほど容赦なく撫でられる。
びくりびくり、と痙攣しそうになるのもお構いなしに、ヒメさんに押さえつけられる。

「んっ、ふ、んんッ……っ、!」

上手く、息が吸えない。
酸欠の苦しさと滲んだ涙で歪む視界に、さらさらの白い髪が揺れて、二つの赤い瞳が映りこむ。
恍惚に蕩けた赤色が、悶える僕を楽しそうに覗き込んでいる。

「んふっ、んっ!んっ、ふ、うぅっ、」

容赦ない口吸いに追討ちをかけるかの如く、ゆるゆると追いこむような手淫が始まる。
まるでなぶるように掌が上下し、そのたびに情けない吐息が唇からあふれ出す。
漏れ出てくるカウパーを亀頭に、カリ首に、竿に万遍なく塗りたくられ、止められることなくヒメさんの掌に扱かれる。
イキそうでイケない、そんな刺激をゆるゆると、追いこむように彼女は続ける。

「ふぁっ、ぅぁっン、ふ、う、ん……!」

女みたいな声をあげていることも、気にする余裕がない。
くるしい。
酸素が足りなくて、ひどく苦しい。
だというのに、今までに感じたことないほどの快感に、悶えている自分がいて。

違う、ダメ、だめだってヒメさん。
こういうことしちゃ、ダメなんだってば。

視線でそう訴えるも、ヒメさんは楽しげに目を眇め、ぢゅうっと口内を吸われる。
唾液を舌で打つ音が、跳ねる水音が頭のように直接響いてるみたいで、変になる。
ゆるゆると撫でるようであった手淫も、スパートをかけるかのように激しくなった。

「んっ、んッ……っ!?」

手加減なしに竿を扱かれ、喉がすぼむような変な声が漏れた。
唇の隙間からだらりと涎が垂れるもヒメさんは蹂躙を止めない、
ビクビク震える肉棒も、浮きそうになる腰も気にせず責め立て続ける。

やめて、と舌を回すよりも先に、あ、出る、と我慢が効かなくなった。

ダム決壊のように、鈴口からビュービューと白く粘ついた精液があふれ出る。
彼女の透き通るような白い掌をぺちゃりと汚し、申し訳なさに胸が押しつぶされそうになった。
びくっびくっ、と途切れ途切れに欲望を吐きだし、全部出たころにドッと疲れが押し寄せる。
完全に賢者タイムに入っている僕に、ようやっとヒメさんは唇を解放した。

「……ッはぁ、あ、っえ……、」

余韻に浸れるほどの余裕なぞなく、みっともなく何度も大袈裟に息を吸う。
射精の瞬間に目の前で星が散って、何だか妙に視界がぼやけて息がしづらい。

「んふふ〜、いっぱい出たねぇりっくん♥ ひょっとして実は、こうなること期待してた?」

やぁんもうこのむっつりさーん♥
などとのたまうピンクいヒメさんに抗議する余裕もない。
ぜーはーと荒い息を吐く僕の背中に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。

「でもさ、こんなの前座だよ?」

触れることさえ躊躇われるほど柔らかい身体が押しつけられ、くすぐるような吐息が耳を煮やす。
ぎゅうぎゅうとコアラのように僕にしがみついたまま、うりうりと頬ずりしてくる。
されるがままで抵抗のしようもなく、先の後遺症か未だに視界は薄ぼんやりとしている。
気恥ずかしさと甘ったるく僕をくすぐる彼女の魔力に、脳髄が蕩けるような錯覚を覚えた。
そんな満身創痍の僕に、彼女はその秘部を亀頭にあてがった。
溢れだした濃厚な愛液が、くちゅりと屹立を滑らせる。

「ぅあッ……、」
「いただきます♥」

ぬる。
そんな擬音と共に、ヒメさんの腰がするりと落ちた。
太ももで僕を挟むように跨り、股間と股間を合わせるようにぴったりと密着する。

しかしながら、僕にはそんな恥ずかしい体位を気にする余裕などない。
未体験の感触に、のけ反りそうになるも身体が上手く動かない。
それが魔法のせいなのか、しがみつくように僕を抱きしめるヒメさんのせいなのかも分からない。

「っ、ぁ……ッ」

歯を食いしばって、漏れでそうな声を、達しそうな己を無理やりに耐えさせる。
ぬるぬると肉のヒダを掻き分けて挿入しただけだというのに、それくらい気持ちいい。
気持ちいい、なんて表現じゃ生温い。もはや快感の暴力である。
敏感な亀頭に、カリ首に、竿に、やわやわとした膣肉が甘く吸い付いてくる。
ぞくぞくと全身を貫くような快感は止まることなく、ふわふわと飛びそうな意識を繋ぎとめる。

「ん……、えへ、入っ、ちゃったね♥」

ぬちゅ、と淫猥な水音とともにヒメさんが身を捩らせる。
陰茎を滑る感触に、ギシリと歯が軋んだ。

「……っ、…………ッ、ぅ」
「りっくん、耳まで真っ赤、だよ?」

指摘されなくても分かってる。
なんでもいいから話しかけないで、気が抜けちゃう。
ふーふーと荒い吐息だけで返答すると、彼女はクスクスと笑った。

「んふふ、えいっ♥」
「ッ、!」

ぎゅっと、ヒメさんが全身で僕を抱きしめる。
同時に、彼女の蜜壺が狂おしい感触できゅっと肉棒を締めつけ、喉笛が鳴った。
無邪気にえいえいと、いたずらに抱きしめるたびにきゅっ、きゅっと快感の波が押し寄せる。
逃げ出すことも出来ず、そのたびに無様に身体が快感に打ち震える。

「えへー……、気持ちいーい?」

熱っぽい声色は、とても愛おしげで。
まっすぐに向けられた好意が、胸の内を蝕むように染みこんでいく。

「もうちょっと、動いていーい?」

言うが早いか、ぬちゃりと接合部が糸を引いて、彼女の身体が浮いた。
だが、薄く離れただけで、すぐにまた押しつけるようにその身に怒張が沈められる。
それだけでも、ビクビクと堪えきれずに身体が震える自分が情けない。
何度も何度も確かめるように薄く揺すられ、そのたびにヒダに肉棒を撫であげられては歯茎が痛くなるほどに食いしばっている。

「ンっ、ふっんぅッ、ッ、んっンッ、んっ……」

ずちゅ、ぐちゅ、ぱちゅんと品のない音を聞くたびに、変な吐息が溢れだす。
まるで女の子みたいだね♥ と小馬鹿にしたような声に、返す言葉も余裕もない。
つー、と背筋をなぞる指先に、ゾクゾクと肌が粟立つ。
ちかちか、視界を白い星が彩っている。
聞こえる音も段々ぼうっとぼやけて来て、絶頂の準備を身体が勝手に始めてしまう。
これ以上ヒメさんを汚してしまったらダメなのに、イっちゃダメなのに。

「ふっ、う、ンぐ、ぅ……っ、」
「そんなに噛んでて、痛くない?」

歯を食いしばる僕を、そんな蕩けた声が追いつめる。
張本人が、何を。

「我慢は身体に、良くないよ♥」
「うあ、ぁ……っ!」

また、先ほどの手淫のように、彼女の動きが激しくなる。
擦りつけるようであった甘い腰使いが急に乱れ、貪るように何度もねぶられる。
きゅうきゅうと甘く肉棒を捕える膣肉にずるずるとギリギリまで抜かれたと思えば、肉襞を掻き分けさせられ、こつんと何かに当たるほど激しく腰を打ち付けられる。

逃げたい、もっと。
矛盾する思考回路に戸惑う暇もなく、ヒメさんは何度も何度も腰を動かす。
二人しかいない狭い部屋に、熱っぽい吐息が二つ絡まって、卑猥な水音に溶かされていく。

「ぃ、あっ、ふ、ン、んっ、あっ、ぁ……、」
「限界? ねぇ、もう、イっ、ちゃう?」

途切れ途切れの声は、僕と違って余裕に満ちている。
歯の隙間から漏れる喘ぎ声に、ヒメさんはふぅんと鷹揚な声を出す。
途端に、ぐりっと最奥部を亀頭に押し当てられる。

いっぱい出して♥

頭の中に直接響くような声に、思考がショートした。

「ひか、うぁ……あっ……ぁぁ!」
「んん〜♥」

どくっ、どくっ、と、
心臓が脈打つような音が鼓膜に響く。
ぶるぶると放尿のように身体がみっともなく震えるが、ヒメさんはそんな僕を相変わらず愛おしげに抱きすくめるばかり。
二度目だというのにとどまることを知らない白濁を、全部全部受け容れる。
何度も痙攣したように、びゅっ、びゅっ、と出ていく感触に、ゴリゴリと理性が削られた。
出した、ヤってしまった、なんて後悔も頭に浮かばず、ただただその余韻に喘ぐしか出来ない。

「いっぱい出したね♥」

いい子いい子♥ と子供のように頭を撫でられ、気恥ずかしさに顔から火が出そうだ。
でも、さすがにもうこれだけヤったら終わりだろう。
何でもいいからもう解放してくれと、僕は目的も何もかもかなぐり捨てて、微睡のような脱力感に、もうそう願うくらいしか考えられなかった。
そんな僕の思考を読んだかのように、すっとヒメさんの温もりが離れる。
朱色に染まった頬がつやつやと上気して、にこにことあどけないいつもの笑みを浮かべていた。

「んふ♥」

とん、と人差し指が胸板を押した。
力の入らない身体が、座椅子の背もたれに倒れる。
え、と唇の隙間から疑問が漏れるが、彼女は未だににこにこと笑っていた。
あどけないなんてとんでもない、肉食獣のような獰猛な微笑みだった。

「あがっ、え、う?」

ずぼ、としなやかな親指が無遠慮に口の中に滑り込んだ。
ぐいぐいと奥歯と歯茎を撫でられ、変な音が喉からはみ出る。

「まだ私のバトルフェイズは終わってないんだぜ♥」

溜まってたの、りっくんだけじゃないんだよ?
こてんと首を傾げる愛らしい仕草とは不釣り合いに、ヒメさんの口端は三日月のように吊り上がっていた。
途端に、絶頂したばかりの敏感な逸物が、ずちゅりという耳朶を打つ卑猥な音に擦られる。

「ひあっあ!」
「今度は、いっぱい鳴き声、聞かせてね♥」

まさかヒメさんの親指に噛みつくわけにもいかず、聞きたくもない自分の嬌声が部屋に響く。
精液と愛液が潤滑油になっているのか、さきのまぐわいよりも勢いが激しい。
ぐじゅ、ぱちゅんと水音が弾け、そのたびに軽く絶頂したみたいに目の前で星が弾ける。

「ふあっあっ? あ゛、あぁう、あっ!」
「時間はたぁっぷりあるから、余計なこと気にしないで、いっぱい気持ちよくなってね?」

声が、耳に入らない。
ヒメさんが何か言っているけど、気持ちよすぎて、音が滲んで聞こえない。
肉襞が何度も何度も性感帯を撫であげ、肺から漏れでる空気が喉を鳴らせる。
もはや悲鳴に近い声をあげる僕に、ヒメさんは絡みつくようにしなだれかかってきた。

「あむ、う、れるっ♥」
「ぇあっ!? ひ、やんっン、」

またも幼子のように抱きすくめられ、首元に熱い感触がじわりと波紋を広げる。
もむもむと歯を立てずに唇で甘噛みされ、ほじくるようにざらりと生温かい何かが這った。
まるで全身が性感帯になったみたいで、それだけで嬌声が漏れた。

「んんっ、んむ、りゅる♥」

何を、そう問いかけることさえできず、ただただ脳が処理しきれないほどの快感に喘ぐ。
首筋がふやけるんじゃないか、なんて思うほどくどくどしく彼女は首筋を口に含む。
かと思えば、ヴァンパイアが血を吸うみたいに、ぢゅるるっと首筋を吸いたてる。

「ひ、ぃっ───〜〜〜〜ッっっ!!?」

唾液を通して流しこまれていく魔力の感触に耐えられず、またも身体が達する。
声にならない声をあげながらびゅるびゅるとヒメさんの中に白濁をまき散らすが、彼女はお構いなしに動き続けた。
絶頂しているというのに激しく扱かれ、びくっ、びくっと肉棒が痙攣し、消化不良のままに快感の暴力を叩きつけられる。

「あ゛、あぅああッ、いっう、あ!」
「んぁむ、んうん♥」

また、彼女は首筋の別の場所を、同じように甘く食んで、転がすように舐めて、吸いついた。
そのたびに濃厚な魔力を注がれ、びくびくと身体が痙攣するが、ヒメさんは何度も繰り返す。
何回やったか―――数えてないが5回くらいそんなことをして、またも絶頂が近づく。
あんなにも出したのに、彼女の腰使いが激しすぎて愚息は萎えることを許されていない。

「ん? またイっちゃう?」

先ほどまでがつがつと腰を押しつけてきたヒメさんの動きが、ぴたりと止まる。
先端を子宮口に押し当てられ、ようやっとまともに息を吐けた。
ひゅーひゅーと笛が鳴るような声が出るが、頭の中ではどうして? と疑問に埋め尽くされる。
下手に絶頂のタイミングを逃すと中々イけなくなってしまうから、そういうのは止めて欲しいのに。
いつの間にか首筋を解放した彼女は嫌らしく、悪巧みしている子供みたいな笑みを浮かべていた。
その瞳がにんまりとこちらを見詰めて細まったのが見えて、思わずごくりと喉を鳴らしてしまう。

「は、え……すぅー、あ?」
「………………♥」
「あっ、ふあっあ?」

つつつ、と爪の形まで美しい指先が、無防備の背中をそっと滑っていく。
首から肩甲骨の間を通って、腰の付け根まで。
いやにゆっくりと動いていくその指に、ぞくぞくと背中を震わせて素っ頓狂な吐息が漏れる。
そんな僕をクスクスと笑う声が後から聞こえたかと思ったら、その指先は、尻の割れ目の入り口にその指を這わせたまま、楽しそうにこう囁いた。

「――上手におねだりできたら、気持ちよーくイかしてあげる♥」

ぬちゃ、と円を描くように、彼女の腰がゆるやかに動いた。
びくり、と身体が跳ねるが、達するほどの刺激ではない。
ヒメさんは僕のそんな反応を楽しむように、くちゅくちゅともどかしく陰茎を捏ね回す。

「うあっ、あ、あ、あっ」
「ほらほら、イきたくない? じれったくない?」

挑戦的な声音に、頭が羞恥に煮えたぎった。
それだけだって十分に気持ちいいけれど、でも、中でイく準備をしていた身体には、そっちの快感は身体を煽るものでしかなくて。
みっともなく過呼吸みたいに喉笛を鳴らす僕に、ヒメさんは愉悦を滲ませて囁く。

「いいの? ほらほら、先っちょグリグリされるの、好きでしょ?」

そう言って、ヒメさんは少しづつ圧力をかけて先端を虐める。
それすらも気持ちいい、きもちいい、けど。
でもそれだけではあまりにも焦れったくて、頭がどうにかなりそうになる。
ひくひくと、彼女の膣内で肉棒が勝手に悶える。

――無理、耐えられない。
どろどろに溶かされた思考回路は、後のことなんて何も考えてくれなかった。

「い、いあ、う……っ、」
「ん? なになに? なんて言いたいのかな?」

上手く動かない口を、甘い脳内麻薬に犯されながらも懸命に動かす。
カチカチと、何度も歯がぶつかる僕を、愛欲の溢れた赤い瞳が見つめていた。

「い、き、たっ……い……、」
「――はい、よくできました♥」

くりゅっ、と子宮口が亀頭に押しつけられる。
よりにもよって敏感なそこをぬるりとたまらない感触に舐めあげられ、あ、と間の抜けた声が出る。

「──ぁっ、あ゛〜〜〜っ、あ、うぁっ……っ、あ、……ッ……!!」

きゅうきゅうと膣肉に甘く締めつけられ、暴れるようにどくどくと彼女の中に何度も脈打つ。
全身の肌をぶわりと粟立たせ、シナプスを焼き切らんばかりの快感に手足が引き攣る。
そんな僕を、ヒメさんは頭を撫でて、太ももで体を挟んで、両腕を背中に回して、しがみつくみたく、愛おしげに抱きしめていた。

「……ん、ふ、ふふっ♥」

ぞっとするほど甘い声が、遠くから聞こえる。
もうダメだ。視界の端が霞んでて、聴こえる音だって、全部遠い。
心地よい倦怠感に全身を浸されて、頭がだんだんと重くなっていく。

薄れゆく意識のなか、僕が最後に聞いたのは、蕩けるような甘い声音だった。

「―――大好きだよ、りっくん♥」

はい―――。
そう返そうにも、唇は動かなかった。

◆ ◆ ◆

胸を圧迫されるような息苦しさに、ゆるりと意識が覚醒する。
なんだか長い夢を見ていたような、そんな気分だった。

「ん、んんっ……、」

艶めかしい吐息が、耳元にこそばゆい。
視線だけを横にずらすと、長い睫毛がかすかに揺れていた。
端正な顔立ちを幸せそうにだらしなく緩ませた、子供みたいなヒメさんの寝顔だった。

―――あぁ、夢じゃなかったのか。やっぱり。

他人事みたいにそんなことを思う。
となると、まるで肌が直接重なりあっているような温もりも、不自然な腰痛も現実なのだろう。
だというのに、後悔も不安もなくて、微睡のような気だるさが心地いい。
なんとなく両手を伸ばして、ヒメさんの細い身体を抱きしめた。

「んぅ……、ふわ、ん、んん……」

隠しもせずに大きな欠伸をこぼし、くしくしとヒメさんが猫のように目元を擦る。
おはようございます、なんて出しぬけに言えば、彼女は驚くだろうか?
なんて思うも、背中に回された腕に力がこめられ、逆にこっちがたじろいだ。

「おはよぉ……、りっくぅん……」
「あ、はい……、おはようございます、ヒメさん」

弱い(確信。
いや、でも、生々しい記憶が鮮明すぎて、この人にはどうしても敵いそうもない。
昨日の記憶に顔が熱くなるのを感じていると、ヒメさんはすりすりと頬ずりしてきた。

「あ、あの……、恥ずかしいのですが……」
「んん〜……?」

精いっぱいの抗議を無視し、柔らかい肌がむにむにと押しつけられる。
抵抗は無意味、されるがままに僕は赤面するしかなかった。

「りっくんりっくーん……」
「な、何でしょうか……?」

何の気負いもない口調で、彼女はもにょもにょと寝起きの回らない舌を動かす。

「次は、りっくんから誘ってねー……♥」
「え」

それは、また、なんともハードルの高いことを。
なんて固まる僕に、ヒメさんは更に畳みかける。

「じゃないと、今日みたいにいっぱいイジめちゃうよ?」
「え、うっ、うぅ……」

それも、ちょっと、勘弁してほしい。
またあんなにも恥ずかしいくらい責められたら、今度こそ羞恥で死ねる。
顔が溶ける、脳みそが沸騰する。
というか、イジめだっていうのなら、もうこの時点でイジめである。
そんな、はしたないこと、僕から誘えと……。

「誘ってくれたら、私、嬉しいな……♥」
「う、うぅぅ……」

チェックメイトをかけられた。
押し倒され、抱きすくめられ、言葉さえ逃げ道を塞がれる。
渋々、えぇと、とか細い声を漏らした。

その、お願いします……
「ん? ごめんごめん、ちょっと本当に聞こえなかったからもう一度お願いしていーい?」
「いや、その、だから……」

ん? と悪意のない笑顔に迫られ、いよいよもってどうしようもなくなる。
恨みがましくうぅぅ、と唸って睨みつけるも、こてんと首を傾げられた。

「だから、また、そのシてくださいって……!」
「うんうん♥ いいよいいよ♥」
「いや、だからその……、い、今から……」
「え」

と、僕の言葉にヒメさんが固まった。
目を点にして僕を見下ろし、その頬が熟れたリンゴのように段々と赤くなり。
口元を三日月のように歪めて、がばっと抱きすくめられる。

「あぁんもうっ、りっくん大好き!!」

などとのたまう彼女に、どろどろに甘やかされたのは、また別の話。
21/12/11 16:41更新 / 残骸

■作者メッセージ
唐突な後付けキャラ紹介―――。
りっくん(主人公)
家族間の不和で、めちゃくちゃ卑屈に育った男の子。
ちょっと気が利かないせいで役立たずだの使えないだのと罵られて嫌になり一人立ち。
そういった部分に人一倍コンプレックスを持ち、『誰かの役に立たないといけない』という強迫観念に襲われ、気遣いと卑屈の塊みたいな人格を作り上げてしまった。
が、ヒメさんと一線を越えて以来、少しだけヒメさんには素直になった。
何だかんだでまだ子供なため、割と甘えたがり。

ヒメさん(リリム)
りっくん大好きリリム。
お仕事が軌道に乗ってクッソ疲れている時期にりっくんに遭遇し、その気遣いに触れて以来お気に入り。
最初はちょっかいかけてやろう、からかってやろうと大人の余裕を保っていたが陥落。
仕事上がりに料理やお風呂を用意してくれたり、バイト先のお給料で駅前スイーツを買ってきたりといった彼の優しさをいっとう気に入る。
普段こそりっくんに甘やかされているが、りっくんを甘やかすのも大好き。

みたいな。

というわけでどうも糸吉ネ土です。
冷蔵庫SSを書いていたら急にムラムラしたので勢い任せに書いてみました。
リリムさんに搾られたい、砂糖とハチミツに漬けこまれたみたいな甘ったるさで搾られたい

あぁ、くそっ、ゲートどっかにないかなホント。
そんなこんなで、お粗末さまでした。また次回があれば、どうぞよろしく。

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