読切小説
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ラング・ド・シャ
 


 雪がチラつき始めた、初冬の夜。
 あちこちのご家庭で、一家団欒の声が聞こえてくる時刻。


 「……ふぅ。 …クロー、ただいまー」


 仕事が終わり、電車を乗り継ぎ、30分。
 ようやく帰ってきた、我がアパートの玄関先。
 玄関の鍵とチェーンロックをしっかりと掛けて、一息吐く。
 
 帰宅を告げる僕の声は、どうやら相方の耳に、届いたようだった。


 「おー。 ノブくんおかえり〜」


 リビングのドアの向こうから軽い感じに返ってきたのは、最近同棲し始めた恋人の声。
 どこか気の抜けたその声は、仕事で疲れた僕の身体に、染み渡り。
 いい感じに、肩の力を抜かせてくれる。

 出来れば昨日みたいに、玄関まで出迎えてくれると、尚嬉しいんだけど……
 …気紛れな彼女に、毎回それを期待するのは難しい。


 「今日はいつもより早かったねー?」

 「仕事が思ったより早く片付いたんだ。 残業せずに済んだ」

 「そっかー」


 君に早く逢いたかったから、仕事を早く片付けたんだ。

 ……という恥ずかしい言葉は、胸の内に仕舞いつつ。
 
 履き心地の悪い革靴を脱ぎ散らかして、首元のネクタイを緩めて。
 くたびれたスーツを脱ぎ脱ぎ、リビングへと向かう。


    ガチャッ

    ムワァッ

 「…ウプ………っ」


 …ドアを開けた僕を出迎えたのは、凄まじいまでの熱気だった。


 「改めておかえり〜。
  ……どしたの? そんなしかめっ面して」

 「…君のせいだよ、君の」

 「?」


 かけていたメガネが曇る程の熱気は、暖かいを通り越して、もはや暑い。
 何も見えなくなったメガネを額に上げて、僕は思わず、渋い顔になる。

 当の彼女は、寝っ転がって頭の猫耳をピコピコ、不思議そうな顔をしているだけだ。
 …ホントに何も感じないのか、こいつは。

 …とにかく、僕にとって、この部屋の環境はかなりキツい。
 部屋中央のコタツにヌクヌクと浸かる、クロの脇を通り抜けて。
 〔強〕に設定してある電気ストーブのスイッチを、問答無用で断ち切った。


 「ちょぉおっ!?  なにしてんの寒いじゃん消さないでよぉっ!?」

 「ダ〜メ」


 焦った顔で文句を言うクロ。  それを軽く受け流す僕。
 再びスイッチを入れられないように、ストーブを彼女の手の届かない所に移動させる。
 コタツから出られない寒がりな彼女は、これでもう、ストーブを点ける事は出来ない。


 「ぉああ〜〜っ!!?  アタシのゆーとぴあがぁぁああっ!??」

 「なんだよ、ユートピアって……
  ……あぁ、もう。  エアコンまで付けちゃって………」


 ストーブに向けて必死に手を伸ばすクロを無視して、コタツの上のリモコンを手に取る。
 その瞬間、驚異的な瞬発力で飛び起きた彼女が、僕からリモコンを分捕ろうとするも……


    …ピッ

 「ぎゃあぁぁああっ!!?」


 …0コンマ1秒の差で、エアコンの電源を切る事に成功する。
 
 勢い余ってコタツの上に突っ伏される、小柄な体躯。
 二又の尻尾は、力無くカーペットの上にヘタれる。

 コタツ中央のみかんの山が、衝撃で少し崩れた。


 「…ぅう〜〜〜…っ。  生涯の伴侶が鬼畜すぎる件について………」


 鬼畜なのはそっちだろう。 電気料金的な意味で。
 というか、僕達はまだ、伴侶には至っていない。

 ……昇進して給料が良くなるまで、もう少し待ってて欲しい。


 「何言っても、ダメなものはダメ。  唯でさえ、冬は電気代掛かるんだから………
  …それに寒いなら、もっと暖かい格好すればいいでしょ」

 「えぇ〜〜〜。  だって、これがアタシの 『あいでんててぃ』 だし」

 「………」


 僕のもっともだと思う意見も、彼女の屁理屈によって跳ね返される。
 そんなマイクロミニの薄手の浴衣なんて着てたら、寒いのも当然だろうに。
 …毎度思うけど、一体何処で買ってくるのか。

 ……まぁ確かに、猫の足跡がプリントされた白い浴衣は、黒い髪と体毛とのコントラストによって、とても良く似合っているし………
 ……下にはショーツしか身に付けていないであろう彼女の素肌が少し透けて、なんともエロ


 「それに〜〜……  …結構好きだよね? このカッコ♪」

 「………っ!」


 …思わず、たじろぐ。


 「ほれほれっ♪  いくらでも、見ていいんだよ〜〜?♪」


 目の前に立つ僕に向けて、浴衣の胸元を肌蹴させて、ニヤニヤと挑発してくるクロ。
 前屈みな彼女の胸元に出来た隙間から、控えめな膨らみと、白い肌が覗き。
 …次の瞬間、その膨らみの先端、淡く色付くピンク色が、ちらりと覗いて………


 「……はしたないっ」

   べしんっ

 「ふぎゃっ!?」


 …煩悩だらけの恋人の頭には、手痛い一撃を喰らわしておいた。
 ……ちょっと隙を見せると、すぐこれだ。

 頭を押さえて痛がる彼女を尻目に、玄関脇の台所に向かう僕。
 クロは料理が出来ないので、料理に関しては、完全に僕の領分だ。
 
 今日の夕食は、けんちんうどん。
 朝食の時にあらかた作って置いたから、後は冷凍のうどんを入れて煮るだけ。
 うどんは地味にクロの好物だから、夕食を待っていてくれた彼女のために、早く作らないと。


 「…ぶー。  実際好きなくせにー」

 「………うるさい」


 ……ちょっと遅れたのは、彼女のせいだけど。


 「……ねぇ」

 「うん?」

 「…せめてそこのドア、閉めてよぉ……」

 「換気してるからダメ。
  ……一酸化炭素中毒で、君を死なせたくはないからね。」
    (※ 電気ストーブで一酸化炭素は発生しません)

 「……う〜〜」


 僕の台詞に可愛らしく唸りながら、掛け布団を肩まで捲り上げて、うずくまる彼女。
 恨みがましくこっちを睨んでくるけど、そんなミノ虫のような格好では、全然怖くない。


 「………そういうのずるいよ…… ばかぁ……」


 小声でそう口走って、そっぽを向いた紅い顔を、掛け布団に埋める。

 いつも通りの気侭さに、喧しさ。
 …そして、それら全てを相殺して余りあるクロの可愛さに、頬を緩ませた僕は。

 …仕事の疲れやストレスが、吹き飛んでいくのを感じていた。


 「…すぐできるから、待っててよ」

 「……うん、待ってる………」







 
     グツグツ……

 
 冷凍うどんをけんちん汁に入れて、完全に煮えるまで、しばし待つ。
 うどんが完全に解凍されるまで、あと数分といった所か。

 …その間、暇になった僕。  そして目に入る、コタツにすっぽりと埋まるクロの姿。
 …暇つぶしに、彼女の事を考えていよう。


 猫のように柔らかな黒髪に、猫そのものな、縦に切れた鋭い瞳。
 ピコピコ動く猫耳に、手足を覆う黒い体毛、ぷにぷに肉球のネコハンド。
 …そして、お尻の上から生えている、二又のしっぽ。
 
 2本に分かれた尾を持つ、猫の妖怪……猫又。
 彼女は、そんな伝説上の生き物の、末裔なのだそうだ。

 ある日突然、実家で暮らしていた時に可愛がってた野良黒猫が、会社の帰り道に現れて。
 驚いたのも束の間、その次の日には、僕の部屋に住み着いていて。
 アパートがペット禁止じゃ無いのをいい事に、そのまま飼い続けていたら……
 …数ヵ月後、突如目の前で人間になった彼女に、押し倒された。
 そして、今 (同棲生活) に至る。

 …もちろん、信じられた話じゃ無いのは分かってる。 常識的に考えて。
 しかし、これが僕の、現実なのだ。  狂っちゃぁいない。


 クロの猫耳の、コリコリとした感触。 艶のある黒髪の美しさ。
 触るだけで癒される、大きな肉球の柔らかさ。 フワフワの体毛の触り心地の良さ。
 くすぐったそうで、恥ずかしそうで、気持ち良さそうな、彼女の表情。
 それをついからかって怒らせた時の、噛み付かれて出来た腕の歯型。

 …裸で抱き締め合った時に感じる、心臓の高鳴り、優しい温もりに。
 …激しい交わりの際に付いた、背中の大きな引っ掻き傷。 男の勲章。


 ……彼女が居るこの幸せが、現実じゃ無かったとしたら、一体何だと言うんだ。


 「……ん? …どしたの? そんなにワタシのこと見つめちゃって。
  …もしかして、惚れ直した? ♪」


 ふと、こちらの視線に気付いたクロ。
 いつものように、からかい混じりに声を掛けてくる。
 ……そのからかいの言葉が、何故だか、とても愛おしく思えた。


 「…うん、そうだね……
  …君が傍に居てくれてて良かったなって、考えてた所だよ」

 「……ぁ………」


 だから僕も、からかいの言葉で返す。 同じ気持ちに、なって欲しいから。
 …もちろん、嘘は一切、言ってはいないけどね。


 「………な、なにいってんの。 ばっかじゃないの?
  よくもまぁ、そんなクッサい台詞が言えると思って………」


 精一杯澄ました声を放って、あさっての方向を向く彼女。
 でも、僕には分かる。


 「……顔、にやけてるでしょ」

 「……っ!///  うっさいばかぁっ!!」


 途端、顔を真っ赤にした彼女が、みかんの皮の破片を投げ付けてきた。
 ペシッと僕の太股に当たって、転がるみかんの皮。
 …ちょっと、からかい過ぎたか。


 「…あ〜、ごめんよ、クロ。
  お詫びに、デザートのプリンあげるから許して、ね?」

 「………………ばか」


 クロの返事を聞いて、とりあえず安心する。
 少なくとも、本気で怒っている訳では無さそうだ。

 ………うん。 やっぱり彼女は……クロは、ここに居る。
 僕の傍に、居てくれている。

 その事に、深い安心感に包まれた僕は。
 自然と微笑みながら、手元のお鍋をかき混ぜて。

 すっかり煮えたけんちんうどんを、丼へとよそうのだった。
  
 









 ………………

 ………

 …










 …コタツのスイッチは〔弱〕、エアコンは23℃(!) から、5℃下がって18℃へ。
 クロの肩には、暖かい毛布が一枚。

 我ながら、なかなか美味しくできたけんちんうどんを啜り、夕食を済ませた後。
 僕達2人はコタツでみかんを啄ばみながら、だらだらとテレビを眺めていた。
 ちなみにプリンは、2人で仲良く 「あーん」 し合いながら食べた。


 「ホントにおいひいね〜、ノブくんちのみかん。
  流石、みかん農家なだけあるわ〜」

 「それが自慢だからね、うちの家。
  まだまだたくさんあるから、好きなだけ食べていいよ。 具体的には、あと2箱くらい」

 「……全身が真っ黄色になりそうだね………」


 この季節になると、果物農家である実家から、大量のみかんが送られてくる。
 甘酸っぱくて、とても美味しいんだけど……いかんせん、量が多い。
 これでも大分減った方で、同じアパートの人や会社の人にお裾分けして、やっとここまでこぎ着けたのだ。

 …そして、りんごも後1箱、残っている。
 ……腐る前に、食べきれるかな………


 『かわいいネコちゃん特集〜〜っ!!

 「お」


 ふと、テレビから聞こえてきたナレーションとクロの声に、みかんを食べていた顔を上げる。
 テレビで流れているのは、名前も覚えていない、ありふれたバラエティ番組。
 ちょうど猫の特集をしているらしく、様々な種類の猫や仔猫が、画面に映り込んでいた。


 「おおー。 美人さんばっかりだねぇ。
  アタシと同じ、黒猫はいないかな〜〜っと」


 どうやら興味を持ったようで、食い入るようにテレビを見つめるクロ。

 ちなみに、彼女の『クロ』という名前は、僕が付けた名前だ。
 …見た通り、彼女が黒猫だからという理由で付けた、単純な名前。
 安直だと思われるだろうが、実家に居た当時は飼い猫になるとは思って無かったから、
多少安直なのも仕方が無いと思う。

 また彼女には、『クロ』とは違う、本当の名前もあるのだが………
 彼女の意向で、普段はその名は使わないようにしている。

 その名前は……2人だけの秘密だ。


 「こういう番組じゃ、日本猫は映らないと思うよ?
  …あ、今のアメショの仔猫、すごく可愛い」


 画面に映ったのは、アメリカンショートヘアーの仔猫。
 まだ慣れていないヨチヨチ歩きが、とても愛らしい。
 
 …といった旨の感想を、話の繋ぎに口にしただけだったんだけど…… 


 「…ほぉ〜〜……… 
  …今のは、アタシに対する浮気発言と見ていいのかな? ……このロリコン」

 「え、ぇえっ!?」


 …何が癪に障ったのか、なんだか変な誤解をされてしまった。
 地味にやきもち焼きなのは知ってたけど、何も普通の猫にまで嫉妬しなくても………


 「…あんなにちっちゃい洋物幼女に、目を付けるなんて……」

 「……い、いやいや!
  ただ仔猫を可愛いって言っただけじゃないか!  それがなんで浮気に……っ!」

 「今の子、ネコマタ」

 「……ぇぇぇえええええっ!?」


 ビックリして、すぐさまテレビに注目するも、さっきの仔猫はもう画面には映っていない。


 「え、いや、でも……っ!?」

 「日本猫以外のネコマタなんて、割とたくさんいるよ?
  …ほら、今のソマリも、ペルシャも、ロシアンも……って、ホントに多いな………」

 「………」


 画面に次々に映る猫達を指差しながら、クロは話を続ける。
 対して僕は、あまりの事実にただ呆然とするだけ。
 …まさか、かの伝説の生き物が、こんな当たり前のように全国放送されているなんて………


 「…まぁ、最近は目立ちたがり屋の子も多いから。
  普通の猫に紛れて、こっそり出演したんだろうね。 たぶん。
  ……さて、それよりも………」

 「……ぎく………っ」

 「…じと〜〜〜っ」


 …わざわざ擬音を口に出しながら、僕をジト目で見つめてくるクロ。
 
 言わんとしてる事は分かる。  ……分かるけども。
 ……知らなかっただけなんだから、許してくれてもいいじゃないか………


 「………」 (チラッ

 「………」 (ニコッ


 いい笑顔。 もちろん目は笑ってない。


 「……………マタタビ酒、1本で」

 「…やたっ♪」


 …結局、クロの大好物の謙譲を約束。
 男が先に折れた方が、男女の関係は上手く行く。  ……らしい。

 ……しかし。


 「ノブくんスキスキ大好き〜〜っ♪」

  
 …先程の不機嫌そうな顔とは打って変わって、ご機嫌な表情で抱き付いてくる彼女。
 まるで、元々怒ってなんかいなかったかのような、変わり様。

 …それはもう、大好物のマタタビ酒を買ってもらうために、さっきの仔猫を猫又だなんて、
でっち上げたのだと思えるくらいに………


 「………」

 「うへへ〜♪  マタタビ祭りじゃ〜〜っ♪♪」

 「……ねぇ、クロ?」

 「うん? なぁに、ノブくん♪」


 抱き付いたまま、満面の笑みでこちらを見上げて、クロは首を傾げる。
 その姿は、最高に可愛い。  可愛いのだけれども。


 「……さっきの仔猫、本当に猫又?」

 「………」 (ピシッ


 満面の笑みのまま、固まるクロ。


 「…………テヘッ♪」

 「……ク〜〜〜ロ〜〜〜〜〜〜っ!??」

 「キャーーーッ♪♪」


 ……今度から、彼女の前で猫の話題を口にする時は、気を付けよう………









 ………………

 ………

 …










 ひとしきりじゃれ合った後、疲れた僕らは再びコタツへと潜る。
 割と激しく暴れ回ってしまったけれど、このアパートは防音設備がしっかりしているらしいので、特に周囲の部屋に配慮する必要は無い。

 …このアパート、中は狭いけど、実はすごく良い物件だったりする。
 部屋の窓は南向きで、日あたり良好。
 さっき触れた防音壁に、暖かい床暖房、エアコンは据え置き。
 台所はIH式で、お風呂は自動湯沸し、トイレはなんとウォシュレット付き。
 そのくせ、家賃はビックリするほど安い。

 不動産屋でここを紹介されて、即契約してしまうくらいには、この上無い良物件だった。
 
 …正直、あまりの良物件に、所謂『曰く付き』なのではないかと、疑いもしたけれど……
 …今のところ、何ら不具合は出ていないので、大丈夫なのだろう。


 『猫の舌のザラザラは、骨から肉を削ぎ取るために付いていて〜………


 テレビでは、まだ猫の特集をやっていた。
 よく見れば、右上のテロップには『ネコだらけ!! 丸ごと2時間スペシャル!』の文字。
 どうやらこの番組は、丸々2時間、猫のみで通すつもりらしい。
 …最後まで、ネタがもつのだろうか。


 「へぇ、猫の舌のザラザラって、そんな意味があったんだ。
  ……そこんとこどうなの?  黒猫さん?」


 テレビ内の解説が少し気になったので、隣にいる専門家に聞いてみる。
 猫のことは、猫に聞くのが一番手っ取り早いだろう。


 「そうだよー?
  猫はお上品だから、食べる時もキレイに、上品に食べるの。
  そこらの犬みたいに、バリボリ骨まで食べたりしないんだから」


 …やっぱり、猫と犬は仲が悪いのだろうか。
 そう思いつつも、彼女の言葉に一部、物申したい事が。


 「……上品、ねぇ………」


 クロの真正面、みかんの皮が一面散らばるコタツの上を見て、そう呟く。
 他にも、彼女の周りに散乱する色とりどりの洋服や、じゃれていて着崩れた浴衣からは、
彼女が上品である証拠なんて欠片も感じられない。


 「……あによ」

 「…いや、別に?
  お上品なら、少しは片付けて欲しいな〜とか、オモッテナイヨ?」

 「…あ、アタシが言ってるのは、猫としての在り方であって。
  人間と同じ生活は、まだ慣れてないし、そもそも別問だ」

 
 
 『でもウチの猫、魚の骨もバリバリ食べちゃいますけどね〜〜〜(笑)

 『あ〜、ウチもウチも。 美味しそうに食べるもんだから、ついつい……

 『…たまに喉につっかえてゲーゲーしてしまいますし、
  胃とか喉に刺さると危ないですから、今後はあげないようにして下さいね………




 「………」

 「………」





 「………ねこぱんちっ!!」

 「もぷっ!?」


 今度はこちらがジト目で見つめていると、フニフニの肉球でつっぱりを食らった。
 痛くは無い。 むしろ柔らかくて気持ちいいけど、なんか納得いかない。


 「な、なにふんのさっ」

 「なんかムカついた」

 「………」


 本当に、納得いかない。
 
 ……と。  そういえば。


 「…猫の舌で思い出した。
  ……会社で貰ってきたものがあったんだ」

 「ん?」


 クロネコハンドを押し退けて、脇に放りっぱなしの鞄に手を伸ばす。
 そして中から、2つの箱を取り出した。


 「なにそれ?」

 「チョコレート。 
  こっちがラングドシャ・チョコレートで、こっちがビターチョコ……って、どうした?」


 それぞれの箱を指差して、その中身を説明する。
 …と、何やら彼女が俯いて、深刻な顔をしているのに気が付いた。
 ……何か、やらかしてしまっただろうか?


 「……まさか、これがウワサの、バレンタイン・チョコレート………ッ!!?」

 「…バレンタインはまだ2ヶ月以上も先だから」


 何を言っているんだ、こいつは。
 何か変な誤解をされる前に、とりあえず釘を刺しておく。


 「…会社の同僚の、旅行のおみやげだよ。
  その土地の有名な銘菓……らしい。  同じ部署の全員に配ってたヤツだよ」

 「そこはかと無く女の匂いが………!!」

 「いらないならあげな」

 「ノブくん愛してる〜〜♪」

 「………」


 こいつめ、いっぺん脳天に空手チョップ食らわせてやろうか。
 でも、抱き付かれて気分が良いから、許しちゃう。

 悲しいかな、男の性。

 ちなみに、その同僚は男である。 念のため。


 「…ほら、包装紙取るから、どいて」

 「は〜〜いっ♪」


 チョコレートの箱を開けるために、クロの身体を軽く離す。
 彼女がやると、絶対に包装紙をビリビリに破り捨てるから、こういうのも僕の役目。
 ……というか、細かい作業は全部僕の役目。 
 …彼女は少し、大雑把過ぎる。


 「はい。 こっちがクロの。 ビターは僕の」

 「わーいっ♪」


 甘いものが好きなクロには、ラングドシャ・チョコレート。
 苦いほうが好きな僕は、ビター・チョコレート。
 
 箱を開けるや否や、クロは即効で、四角いクッキーを口に放り込む。
 次の瞬間には、頬を押さえて、顔を幸せそうに綻ばせる彼女の姿。
 …同僚には、感謝しないとな。


 「ん〜〜〜っ♪  おいひ〜〜っ♪♪」


 僕も彼女に倣って、手元の丸いビター・チョコレートを口に放り込む。
 ……うん、程良い苦味と甘さが、とても美味しい。


 「…あ、ねぇ。 そういえばさ」

 「ん? なに?」

 
 ふと、クッキーを食べる手を止めて、クロが僕に話しかけてくる。
 手に持ったクッキーを、くるくると爪の先で弄びながら。


 「…なんで『猫の舌』で、チョコを思い出したの?
  ベロの要素なんて、どこにもないじゃん」


 至極不思議そうに、疑問を口にするクロ。
 そういえば、それについては何も話していなかった。
 …折角だから、僕の数少ないトリビアを、披露する事にしよう。


 「……あぁ。 それはね………
  …『ラングドシャ』は、猫の舌って意味だからさ」

 「……まさか材料に猫の舌が」

 「有り得ないからね? そんなの」


 彼女のボケには瞬時にツッコむ。
 このコントみたいなやり取りは、今ので何回目だろうか。


 「…まぁ、確かに、表面がザラザラしてる所は猫の舌に似てるかな〜」

 「その形が、猫の舌に似てるから、らしいよ?」

 「………アタシの舌、四角くないよ?」

 「……元々は、細長い楕円形だったんだよ」

 「ふ〜ん………」


 しばらくしげしげと眺めていたクッキーを、その小さい口で頬張る。
 サクッという小気味良い音が、狭い室内に響く。


 「……猫の舌って、こんなに美味しいんだね。 初めて知った」

 「…だから本物なんて使ってないってば……」


 そんな事を言い合っていると……
 …いつの間にか、お互いもう半分近くも、チョコレートを食べ進めてしまった。

 夕飯の後にみかんを啄ばんで、このチョコレート。
 流石に、お腹がいっぱいだ。


 「…そういえば、ビターのラングドシャって、無いんだよなぁ……」

 
 唐突に頭に浮かんだ話題。
 食休みに、後ろに手をつきながら、クロにその話題を振る。


 「あ、そうなの?」

 「ミルクチョコレートと、ホワイトチョコレートは見た事あるんだけどね。
  ……でも、ビターのラングドシャは、未だに見た事無いかなぁ………」


 もしあれば、食べてみたいんだけどね、と僕。
 そうなんだ、とクロ。


 「………」

 「………」


 …そして唐突に訪れる、会話の無い時間。
 流れ続けるテレビの猫特集を、2人して、ぼんやりと眺め続ける。
 お互いに、何も話す事が無い状態。 けれども、居心地は悪くない。

 普通なら、何故か妙に焦ってしまう、決して休まらない状態。
 …でもそれも、僕達であれば。  心休まる、安らぎの空間へと変わる。

 ……眠気が、僕に襲いかかる。


    …ヒョイッ …パクッ


 ふと、目の前を通り過ぎる、黒いモフモフのネコハンド。
 ソレは僕のビターチョコを1つ摘んで、主の口へと運ばれる。

 ……苦いの、嫌いなんじゃなかったのか。


 「……にがぁ………」

 「…何やってんの」


 渋い顔をするクロに、いつものように、ツッコミを入れる僕。
 …眠気のせいか、その声に覇気が無いのが、自分でも分かる。


    …ヒョイッ …パクッ


 …そして再び目の前を往復する、彼女の手。
 僕には、彼女が何をしたいのか、理解できない。
 ……眠くて働かない頭では、理解という行為そのものが、おぼつかない。


    …ゴソゴソ…… 


 …耳に届いたのは、浴衣と掛け布団が引き起こす、衣擦れの音。
 そちらを見れば、クロがいそいそと、コタツから抜け出している。
 寒がりな彼女にしては珍しい行動に、少し驚く。

 動いた拍子に、彼女の肩に被さっていた毛布が、パサリと落ちた。


    …タシ、タシ、タシ………


 …床を一定置きに叩く、軽い音。
 四つん這いになったクロが、僕の方に寄って来る。
 猫と同じ、しなやかな動きで近寄る彼女の瞳は、少し潤んでいて。
 肌蹴た浴衣が、色っぽく、扇情的な光景を醸し出す。

 口の中でコロコロと転がしているのは、さっき口に含んだ、チョコレートだろうか。


    …ぎゅっ  ……どさっ


 …柔らかな感触、暖かな温もり、肌を撫でる吐息。
 細腕を首に回され、優しく抱き締められ、押し倒される。
 
 少し動けば触れる距離にある、整った顔。  僕を見つめる、縦に切れた、熱っぽい瞳。
 漂ってくるのは……クロの香りと、チョコレートの甘い匂い。

 近付く、唇。

 高鳴る、心臓。


 「……ちゅぅ……… …ちゅぷ………」


 …触れた、唇。

 ……甘く蕩けた、小さな舌。

 
 「……あむぅ……… …れろぉ………♪」


 可愛らしく震える舌が、半開きの僕の唇から、入り込む。
 唇を割り入って、歯と歯の隙間をこじ開けて。
 ……ざらざらの猫の舌が、戸惑う僕の舌を、つついて、撫で付け、絡み付く。


 「……ちゅぴ……ちゅぷぷ……っ♪ ………はぁぁ………っ♪」


 ビター・チョコレートの、落ち着いた苦味。
 彼女の唾液の、とろとろとした、クセになる甘さ。
 官能を刺激する、熱く湿った、艶のある吐息。

 柔らかくて、ざらざらしてて、艶かしく蠢き回る、可愛らしい舌の感触。

 彼女が精一杯与えてくれる、苦くて甘美な味わいが、あまりに美味しくて。
 僕も負けじと舌を絡ませ、彼女の味を、舐めしゃぶる。

 …互いに唇を貪り合う、雄と雌。
 ビターの苦味は、いつの間にか消えていた。


 「………ぷはぁぁ……っ♪♪」


 彼女がくれたビターチョコを、丸ごと全部、味わい尽くした頃。
 満足げに息を吐いて、唇を離すクロ。
 
 解かれた舌と舌の間に、透明に煌く、細い糸が引かれる。


 「………はぁ…っ  ………はぁ…っ」

 「……はぁぁ……っ♪  …んふふ………っ♪」


 …息も絶え絶え、完全に目が冴えた、僕。
 余裕たっぷりなクロの、蠱惑的な笑み。

 ゆっくりと開かれた、桃色に潤う、薄い唇。
 

 「……ビター味の、『ラングドシャ』……… 
  ………いかがでしたかニャ………? ♪♪」


 おどけるように紡がれた、囁くような、彼女の声。
 …とびきりの愛らしさに、僕のなけなしの理性は、容易く崩壊して。

 ときめく胸と、張り裂けそうな興奮で。  彼女の顔が、霞む。

 
 「……すごく、甘かった………」

 「…ありゃりゃ。 ……じゃぁ………」


 新たに咥えられる、ビター・チョコレート。


 「…もひとつ…… …ご賞味あれ………? ♪♪」

 
 噛み砕かれる、チョコレート。
 カカオの香る、甘ったるい吐息。
 
 唾液で光る、魅惑の唇。
 徐々に迫る、蕩けた表情。




  
     …ぎゅぅ………っ!

 「むぅっ!?」


 華奢な肢体を抱き締める、僕の両腕。  小さく上がる、少女の悲鳴。

 

 「 『猫の舌』も、欲しいけれども……」


 
 驚く彼女の耳元で。  静かに囁く、僕の言葉は。





 「……『僕の黒猫』も。  
  ……ご賞味、できるかな?  … 『 ・ ・ ・ 』 ……」





 …『名前』を言われて、ぞくりと震える、クロの身体。

 発情しきった猫がもたらす、優しくも激しい、キスの味は。

 ミルク・チョコレートより、甘かった。





 ……もちろん、身体も。

 
 
12/05/13 09:30更新 / きまぐれ

■作者メッセージ
 
 
 ……ねぇ
 
 ……なんだい?



 ………………ビターチョコ
 ………明日の帰り、買ってきて

 ……喜んで




 
 タイトル通り、最後のシーンがやりたかっただけ。
 
 魔物娘 = イチャエロ なイメージがあるけれど。
 
 こんな日常の1コマも、なかなかイイかもしれない。



 …あ、ちなみに。

 彼が訪ねた不動産屋は、街中の隅にひっそりと建つ、一見普通の不動産屋。
 その経営は可愛い女の子ばかりが行っていて、普通の物件を紹介する傍ら、『ある特殊な人達』には、『訳有り』の物件を紹介しているようです。

 …なんでもその特殊な人達には、『魔の匂い』がついてるとかなんとか。
 
 もちろん、通常の業務も、しっかりと行っているようですが……
 …紹介した「男性」には、たまに従業員がオプションとして付く、という噂です。


 …そしてもう一つ。

 …彼が住んでいるアパートの管理人は、色白の肌に真っ白の髪、綺麗な赤い瞳を怪しく煌かせる、超絶に美人なお姉さんだそうですよ。



 …日本が異世界に侵略される日も、遠くないのかもしれない。

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